弾くこと、そして奏でること

コントラバス S.S.

99/2/2掲載)

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G−クレフって何?

 仙台に帰ってから、五回目の冬を迎えた。昔は訛ってなかったのに、最近少し訛っているのを自覚することがある。これは、家が富谷の方に移転したために起こった現象なのか、自分が東京から仙台へ移転したために起こった現象なのかは、分からない。昔、市内に住んでいた頃には、全然訛ってなんかいなかった。東京にいた頃も、「菅原君は本当にきれいな言葉を話すねえ、とても仙台とは思えない。」なんてよく言われたものである。それが、こっち(広い意味での仙台)へ帰ってきて少し訛ってきたのである。これは、自分でも何故なのか分からない。小成田さんに分析してもらおう。
 自分にとって音楽とは趣味である。まあ、仕事で弾くときもあるけれど、基本的には趣味なのである。だから、弾いていて楽しくないと嫌だし、なるべくならつまらないグループとはやりたくない。「芸術とは爆発だ」とはかの岡本太郎の言葉だが、僕には芸術なんて全然わからない。ただ、才能のある作曲家や、その他の芸術家については、すごいんだろうなあ、とは思う。だから、僕はそういう、すごい人たちを目指しはしない。僕にとって大事なのは、日常である。日常の生活から生まれてくる音楽だ。あるいは、日常の生活の中にある音楽だ。
 僕は小学校四年生のときに、友達の家へ遊びに行った。その友達には、六年生くらいのきれいなお姉さんがいて、行くといつもピアノを弾いてくれた。曲は「エリーゼのために」だったと思うが、僕はピアノを弾けるのが羨ましくてしょうがなかった。とうとうお姉さんにお願いしてピアノを教えてもらった。二人並んでアップライトピアノの前に座ると、お姉さんとピッタリくっついて、鍵盤が汗だらけになったのを覚えている。とうとう「エリーゼのために」は弾けずじまいだったが、それでも、そのお姉さんとの親密な空間は今でも覚えている。その一年後、僕はピアノとコントラバスを始めた。
 コントラバスを始めたのは、小学五年生のとき。六年生の卒業式で演奏するのが、五年生の役目だったのだ。そこで、たまたまコントラバスを手にした。中学校のときも、そのまま吹奏楽部でコントラバスを弾き、高校では語学部に所属し、家で受験のためにコントラバスの練習をした。桐朋では、コントラバスを専攻し、Gクレフでもコントラバスを弾いた。何故かずっとコントラバスなのである。
 Gクレフを辞めた後も、都内のプロのオーケストラで仕事をしたりしていたが、自分にとって、コントラバスを弾くというのは、やはり日常なのだと思う。途中三年間程、書店とレコード店と、旅館に就職したことがあるが、それでもこうやって、楽器に復帰できたのは、コントラバスを弾くという日常があるからだと思う。でも、仕事でもコントラバスは弾くけれど、こうやって、仕事じゃないグループで、楽器がひけるというのは、一つの大きな喜びである。半年かけて、一つのプログラムに取り組むというのは、仕事じゃ味わえない魅力だし、またじっくりと大曲と向き合えるという時間もある。このオーケストラを一つの趣味として、じっくり取り組んでいきたいと思う。