バックナンバー23

(02/5/2-02/7/9)


5月2日

 大型連休の谷間も抜けて、明日からはゴールデン・ウィークの後半となります。この時期、稲作農家では田植えにおおわらわ、愛しの1号様も、腰に籠かなんかをぶら下げて、マイ長靴で田んぼの中での大奮闘に余念がないことでしょう。くれぐれも腰痛にはご留意あそばしますよう。
 と、世間では季節感あふれる行事がとりおこなわれているようですが、私はというと、まだこの間の定期演奏会のネタで新しいページを作ったりしています。4月26日の日記にもあるように、ステージ設営の際の山台組みの作業の模様を、定点観測でデジカメに撮っておいたのですよ。確か、去年の今ごろは、筍の成長記録を作っていたものですが、あれのもっとスパンの短いやつですね(山台組みに1週間もかかっていたら、演奏会が終わってしまいます)。その成果は、こちらを見ていただくことにして。
 この作業、かつては、その場で適当に組んで、出来上がってからちょっとおかしなところがあったりするともう1回崩して組み直しみたいなことをやっていましたが、今では、ステージ係の仁サン(ホルンの方)がきちんと図面を作ってきますから、そんな無駄なことは起りません。実にテキパキと進行して、ほんの15分ほどで山台は組みあがってしまいました。それから椅子や譜面台を並べても、ステージが完成してしまうまでにはたった30分しかかかっていません。これも、29号あたりに言わせれば、驚くべき特技を持った人材の集団ということになるのでしょうね。
 それでも、写真を見ていただければ分かるとおり、実際に作業にあたっている人よりも、まわりで眺めている人のほうが多いような状態になっているのですから、いかに効率よく作業が進んでいたかが分かります。
 こんな風に、必要な時にはきちんと人が集まって、仕事を行うというのが、ニューフィルの良いところです。みんなが率先して、山台を運んだり、椅子を並べたり、そこには年齢や性別を超えた連帯感がみられるのです。もっとも、楽器の性格上、運搬関係に携わる人材には、やや偏りが見られるのは、以前から指摘されているところです。どうしても、大型楽器である打楽器やコントラバスの人たちが、積み込みや運び出しに時間を割いているという現状は、基本的には変わらないことなのでしょう。でも、私は1回だけ、旭ヶ丘から楽器を運び出すのを手伝いましたよ。あの時は、たしか1号様もか弱い身体で参加されていましたね。バス椅子を運べるのですから、田植えには何の障害もないことでしょう。
 明日あたり、田んぼのあぜ道にござを敷いて、やかんに入ったお茶を飲みながら、お昼を食べている1号様の姿があるのでしょう。心地よい疲労を伴う肉体労働のあとでほうばる梅干入りのお握りは、さぞおいしいことでしょうね。

5月5日

 ロシアの指揮者、エフゲーニ・スヴェトラーノフ(NHKの表記)が亡くなったそうですね。享年73歳というのは、昨今の長老に比べたらまだまだヒヨッコです。N響にはしばしば客演しており、その有無を言わせぬ骨太の音楽は多くの信奉者を生んでいるということ、ちょっと早すぎた死のような気はしますが。
 その、死因に関しては、「不明」ということで情報が伝わっていないのが、なかなかミステリアスではあります。シノポリみたいに、オペラを演奏中の心臓発作であれば、誰しも納得するのでしょうが、ティントナーのようにベランダから落ちたとなると、ちょっと謎めいてきますし。朝比奈翁はご家族に看取られた「老衰」、ヴァントもしっかり寝たきりだったのですから、問題はありません。スヴェトラーノフの場合、「自宅で療養中」とありますから、まずまっとうな亡くなり方だったのでしょうが、真実ははたしてどうだったのでしょうか。
 一般に、音楽家というのは年をとってもお盛んな方が多いようで、ポール・マッカートニーやエリック・クラプトンは、最近とても若い女性と結婚したそうですね。フルートのゴールウェイだって3度目の奥さん、フルーティストといえば、まだ若いエマニュエル・パユも、プライヴェートなマスタークラス(招待されたフルーティストだけが、10日間パユと寝食をともにしてレッスンを受けるという豪華なもの)で受講生をナンパしたといいますから、大きくなったらどれほどのエロおやぢになるのでしょう。あまり想像はしたくありませんが。ただ、パユの先生の死因が○○死だと聞けば、その末路はあらかた見えてくるとは思いませんか?
 スヴェトラーノフがそうだなどとは、私は一言も言ってはいません。なんたって「自宅療養」ですから、そんな余地はないでしょうし。ただ、あの脂ぎったエネルギッシュな風貌から、ちょっとそんなことを思い浮かべてしまったということです。こんな追悼文を書くぐらいですから、私は彼のことが好きではないと思われるでしょうが、じつは、あの重心の低い音楽には結構惹かれていました。何より印象的だったのは、ダイアナ妃が亡くなった時のN響定期で演奏したチャイコフスキーの5番。2楽章が始まる前に客席に向かって、「この曲をダイアナ妃に捧げます」と言ったのにはびっくりしましたが、その2楽章は本当に素敵でした。
 そう言えば、もう忘れているかも知れませんが、元コンバスの和紀クンにスヴェトラーノフのビデオを貸してあったんですよね。早く返して!

5月8日

 定期演奏会が終わってすぐ、世の中は大型連休へと突入してゆきました。あるものは田植えに汗を流し、あるものは温泉のヴァイキングに舌鼓を打ち(同じ人やんけ!)、日常の喧騒から離れたしばしの安息の機会を持ったことでしょう。そんな、私の愛人達は、連休が終わればまたニューフィルの練習が始まるのを忘れてはいません。しかも、「火曜日が練習」という習性が身についていますから、きのう(7日)も当然のように旭ヶ丘に出向いてゆくのです。しかし、エレベーターでは4階まで行くことはできず、階段も柵がしてあって上に昇れないようになっているのを見て、初めて今週は木曜日が練習だったことに気がついたとか。さあ、これはいったい何号だったのでしょう。
 本当の練習は、もちろん、明日から。今ごろは皆さん譜読みに余念がないことでしょう。私はと言えば、めまぐるしい転調で臨時記号についてゆけず、四苦八苦しているといったところ、明日も何箇所かでフラットを落とすことでしょうから、ご容赦ください。
 ところで、今朝の新聞を読んでいたら、「歴史的町名が復活」という記事が目にとまりました。この町に住む人も、他の都市と同様、「住居表示に関する法律」という悪法で、今まで馴染んできた地名から、一体どこから持ってきたかと思えるようなダサイ町名を押し付けらてしまった被害者です。私達の町は、この、伝承文化とも言える地名を無残に踏みにじった過去の過ちを謙虚に反省し、その償いとして何か素晴らしいことをやろうという気になったのでしょうか。その「事業」の内容をHPで見ることができるというので、早速見てきました。しかし、それを見てみても、「お詫び」とか「反省」といった言葉は全く見当たりません。公開されているのは、「通りに歴史的な名称を採用する」といったもの。しかし、その地図で「採用」されることになった名前というのは、「新坂通」、「木町通」、「北四番丁」など、今でも私達が普通に使っている道路の名前、別にお役所に教えてもらわなくても昔から馴染み深いものです。
 お役所が理不尽な地名を押し付けても、私達は営々と「歴史的」な地名を守り続けていたのです。それを今さら「こういう名称を使ってみてください」と言われても、白けるばかりじゃないですか。おまけに、実は「北四番丁」ではなく「北四番丁通り」と呼ばなければいけないようですが、いったいどうしてそこまで指図されなければいけないのでしょう。ちょっと前に「青葉神社通」とか「愛宕上杉通」、「晩翠通」といった中途半端な名前を「指定」したこのお役所、いったい、1本の道路に何種類の名前を付ければ気が済むのでしょうか。もっとも、「通町」のことを「青葉神社通」なんて呼んでいる人は、一人もいませんがね。この上は、「細横丁」が力ずくで消滅されることのないよう、断固「晩翠通」という欺瞞に満ちた名前を粉砕しましょう。

5月9日

 さあ、フランクが始まります。また、半年間の修練が続くことになるのです。定期演奏会という「ピーク」へ向かっての長い道程の出発点です。しかし、意気込んでみた割りには人の集まりは良くはありません。考えてみたら、今日は木曜日、期待するほうが無理なのでしょうが。
 そうは言ったものの、チューニングの時に弦の左半分(私から見て)、ヴィオラとチェロに誰もいないのには驚いてしまいました。ヴィオラは、1号様が来ているはずなのに。というのは、ついさっき、私の顔を見るなり、「8000円?8000円?」と何度も聞いていたのですから。いったい何のことかと問い詰めてみたら、「車のミラーに、オレンジ色の・・・」。駐車違反の(なんて言うんだろう)アレがついているのが見えたというのです。まったく身に覚えがないことですし、そんなものも見た憶えはないのですが、心配しながら練習するのも嫌なので、駐車場まで行って確かめてきたという「事件」だったのです。もちろん、車には何も付いてはいませんでしたので、これは1号の「勘違い」あるいは「老化現象」とめでたく判明したのですが。
 というわけで、鎌サンが指揮をしたために、スタート時はヴィオラ2人、チェロ1人という寂しい低弦でした。
 フランクの初見大会は、その鎌サンのとてもゆっくりしたテンポで始まりました。おかげで、私の楽器は、息が持たなくなって余計なところでブレスをしなければなりませんでしたが、音を間違うことはあまり有りませんでした。面倒くさい臨時記号も、他の管楽器が間違えずにちゃんとやっているのにと思うと、なぜかスラスラ吹けてしまいます。しかし、破綻は予想もしないところから起りました。それは「めくり」。ページをめくる直後、残りの小節を数え間違えて早く入ってしまったり、全く準備していないところに早いパッセージがあって、落ちてしまったり、散々でした。まあ、最初はこんなものでしょう。
 後半は恒例の反省会。私は例によって記録係です。最近とみに字がヘタになっているので、メモを取ったノートをあとで見ても、自分でも何が書いてあるかわからないほどですから、議事録作りには苦労することでしょう。そのほかにも、「かいほうげん」に載せるためにタイプしなければいけない資料も預かってきましたから、ここ2、3日は修羅場です。来週無事に発行できるよう、プリンターの事故などがないことを、祈っていてくださいね。
 あっ、今日はあっチャンはいつものお見合いでお休みでした。りっちゃんもなぜか(お見合いか!)お休み。技術委員会や運営委員会が忙しくて、他の愛人ともしっぽり話すことも出来ませんでした。○○号のお見合いの真相とか(ちがう?)。

5月15日

 きのうは、「かいほうげん」の発行日でしたね。いろいろな情報が集まったため、そんなに苦労しなくても作ることが出来ました。実は、前にもお知らせした長田さんの原稿も、間に合えば入れようと思ったぐらい。印刷が始まる前に送られてきたら、このページを来月にまわして差し替えようとか、色々楽しい胸算用をしていたのですが、とうとう原稿が来ることはありませんでした。でも、来月号が出るまでには届くことでしょうから(それこそ皮算用、届けられるという保証など何ひとつありません)、次号はもっと楽ができるはず。何しろ、今回出来上がっていたのにスペースがなくて次号送りになったものがあるぐらいですから。もっとも、印刷は例によってトラブル続き、これからやろうというときに、サービスマンを呼ばなければいけないようなエラーが発生したりして、その日は2時間ほどの「残業」までもしたりして。
 「かいほうげん」が出るのと同時に行われるのが、団員のデータの更新です。入団希望者(準団員)を加えて、退団者を除くという作業、今回はちょっとした期待がありました。それは、団員の総数が100人を超えるのではないかということ。その結果は、ここを見て頂くと分かりますが、見事、現在の団員が100人ちょうどになっています。もちろん、実際には名簿上だけ存在していて、実質的には団員ではなくなっている人もいないわけではありませんから、本当はもっと少ないのでしょうが、まあ、一応公式記録ということで。
 しかし、20人ちょっとでスタートしたニューフィルが、20年目にして団員数100人を達成したということは、記念すべきことには違いありません。この上は、今回の入団希望者が晴れて承認される時には、「あなたが100人目!」ということで、ファンファーレを鳴らしてくす球でも割りましょうかね。記念品として、「き」でご登場の王冠などはいかが。そうなってくると、誰を「100人目」にするかが問題になってきますね。男性3人、女性1人ですから、自ずと決まったようなものですが。
 ところで、掲示板でご存知の通り、さっちゃんのパソコンが入院中で使えない状態になっているそうです。インターネットが一般的になればなるほど、その危険性も増大するということなのでしょうが、これほどまでに脆さを見せ付けられてしまうと、このシステムそのものの信頼性を根本から疑わざるを得なくなってきます。私などは、毎日多いときは10通以上のウィルスメールを削除する日々、そろそろいい加減にしてもらいたいと思い始めています。

5月18日

 明日は仙台の初夏のお祭り「青葉祭り」だというのに、まるで冬に逆戻りしたような涼しい日々が続いています。もう石油ストーブなど使わないと思って、灯油の買い置きもあまりしてなかったため、このままだと底をついてしまいそうです。燈油などといふものは貴重品、闇で手に入れやふにも、現金では賣って貰ゑづ、妻の實家から運んできた白米が命の綱。(今読んでいる本のおかげで、なにげに旧仮名遣いになってしまいました。これについては後日。)
 そんな、B29号が飛び回っていた時代とまではいきませんが、少し昔の歌が見直されているというのが、今の流行です。ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」が島谷ひとみにカバーされて、まるでできたてのアイドルソングのようになってますしね。ちょっとコアなところでは、はっぴいえんどの「風を集めて」が、マイ・リトル・ラヴァー(ひところの勢いは、いったいどこへ)によってカバーされています。このあたりは、私にはオリジナルの細野晴臣の味のある歌い方が刷り込まれていますから、カバーされたものは全く別な曲として聴けるだけの余裕があります。なかなか可愛らしくて、新たな魅力も感じられようというもの。しかし、サビの「か〜ぜ〜を〜あつ〜めて〜」が「きゃ〜ぜ〜」と聴こえてきた時、これはもう終わっていると感じないわけにはいきませんでした。サザンの桑田あたりが始めた、あのみっともない歌い方、最近のラップの隆盛で、もはや修復不能なまでに歪められてしまったあの醜い発音の歌が、これほどまでに蔓延していたとは。
 しかし、世の中捨てたものではありません。このような汚れた言葉を何の抵抗もなく平然と垂れ流しているアーティストの陰で、自然で美しい言葉をきちんと歌に乗せている人たちもいたのです。それは、「キンモクセイ」。メジャー(BMG)でのセカンドシングル、「ふたりのアカボシ」でブレイクした、5人組のバンドです。最初、このバンドに惹かれたのは、そのちょっと懐かしいサウンド。ヴォーカルの伊藤くんの演奏するフェンダー・ローズの、何と味わい深いことでしょう。発売になったサードシングルの「七色の風」も、それこそはっぴいえんどのメンバーだった大瀧詠一のサウンドそのもの、ブリッジのリズムなどはもろナイアガラです。そこでの伊藤くんのヴォーカルは、「あ〜、なないろのか〜あぜ」と、あくまでも爽やか、ミスチルや浜崎に聴かれる汚らしい響きなど、微塵も感じられません。
 最近、このキンモクセイのライブをテレビで見ましたが、まだまだバンドとしては未完成、曲も、メジャーのシングル以外のものはいまいちという感じでした。しかし、こういう流れが堂々と受け入れられるようになってきたシーンに、かすかな光明を感じ始めているところです。

5月21日

 世の中では風邪がはやっているようで、ニューフィルにも鼻をすすりながら楽器を吹いている人が見受けられました。実際、おとといは車にエアコンが欲しいと思ったら、今日あたりはヒーターを入れてもおかしくない陽気ですから、体調にいいわけはありません。1号の足のむくみは、当分収まることはないでしょう。
 今日は、フランクの2、3楽章を軽くやって、バッカナールをきちんとやるという腹積もりだったのでしょう。確かに2楽章はあっさり終わってしまいましたが、3楽章に入ったら、やはり凝り性の鎌サンのことですから、みっちりやってしまいましたね。トランペットあたりは、「疲れてま〜す」と自己申告、それでも、「もっと出して」とか言われてましたね。しかし、ただでは起きないこのパート、「そこ、ヴィオラも出すんですよね」と、3人しか弾いていない練習指揮者のパートに追及の手を向けるのを忘れてはいませんでした。
 ヴィオラこそ少なかったものの、また新たに入団希望者がやってきた(しかも、すぐ弾いていた)ヴァイオリンパートは、すごいことになっています。ウィルスショックの収まったさっちゃんのもと、しばらくはどこに出しても恥ずかしくない状態が続くことでしょう。そう言えば、フランク2楽章の出だしのピチカートは、とても重みのあるいい音がしていましたっけ。
 後半は、いよいよバッカナールの初見大会です。初見どころか、ホルンの3、4番はパート譜すらもないということで、スコアをみながらの演奏です。しっかり、降り番のあやちゃんを譜めくりにしてました。
 私はこの曲は一応ピッコロ。音は楽に出るようになっていましたが、途中で休みの小節数がなんか合わないと思って、スコアで数えて見たら、やっぱり間違ってました。というより、どう見ても「5」の数字なのに、本当は「3」だったという、何回もコピーを繰り返して活字がつぶれてしまったパート譜にありがちな読み違えだったのですが。
 この曲の途中で、1番を吹いていたあっチャンがいきなり楽器を持って立ち上がり、帰ってしまいそうになりました。その場に居合わせた人の話を総合すると、あんまりグチャグチャの練習に嫌気がさして、「もう、やってられないワ!」となったそう・・・なことが、いつも穏やかなあっチャンに限って、起るわけはないですね。真相は、楽器の故障。私と同じムラマツのDNという楽器なのですが、これにはネジがついてなくて、紙を張って連結を調整しています。その薄い紙が剥がれてしまって、Bbキーがしまらなくなり、音が出なくなってしまったのです。そこで、空いていた私の楽器を持ちに席を立ったというわけ、ただ、私の楽器はリングキーなので、カバードしか使ったことのないあっチャンは、キーの穴を指でふさぐのに、別な苦労をしていたようですね。

5月24日

 いきなりのにわか雨(ふつう、いきなり来るものですが)と雷という、変なお天気でしたが、雨があがって青空を見上げると、なにやらあやしい飛行物体が。仙台上空を浮遊して、まるでB29号のように地上をうかがっているこの不気味な物体を迎え撃つために、正太郎少年は鉄人28号のコントロールボックスの点検に余念がありません。ウルトラマンコ スモスも、出動準備はOK・・・。テレビでアップの画像を映していましたが、まるで巨大な水母(くらげ)のように幻想的なものでしたね。
 そんな、ちょっと変わったお天気のもと、「青葉祭り」は今日と明日が本番です。えっ、青葉祭りって、19日にもう終わってしまったんじゃない?と、不審に思われる方は、たくさんいらっしゃることでしょう。今では知る人は少なくなりましたが、そもそも、このお祭りは、「青葉神社」に祀られている伊達政宗の命日を記念して開催されていたものだったのです。政宗の命日は5月24日、つまり、今日が本来のお祭りの日になるわけなのです。昔はそれこそ市を挙げてのお祭りで、神社の前の通り、通町は大変な賑わいを見せたといいますが、いつの間にか廃れてしまい、最近は細々とお決まりの縁日などでかろうじて祭りの体裁を保っているという状態でした。
 そんな神社が、突然脚光を浴びる日がやって来ます。夏の「七夕祭り」のほかに観光客の誘致を目指した関係者が、新たに「青葉祭り」というイベントを立ち上げました、というか、でっち上げました。とっかかりは青葉神社のお祭りですから、新たに御神輿なども作られ、何十年もこの神社の外に出ることのなかった藩祖政宗は、こうして、文字通り「担ぎ出され」たのです。新生「青葉祭り」は大成功、こうして、毎年初夏には、きらびやかな山車の行進と、「すずめ踊り」という稚拙な踊りの乱舞が、仙台市の中心部を練り歩くことになりました。
 もちろん、観光客目当てですから、日曜日に開催するのだけは譲れません。結局青葉神社にしてみれば、全市向けのお祭りと、今まで続けてきたお祭りを二通りこなさなければならなくなってしまったのです。
 そんなことを言ってみましたが、そもそも青葉神社というものが、明治政府の廃仏毀釈を逃れるためにでっち上げられた神社なのですから、そんなに目くじらを立てることもないのでしょう。1873年、通町の突き当たりに広大な伽藍を誇っていた仏教寺院は、政府の要請に応じて敷地の半分を新しい神社の建設用地として供出しました。そこに作られたのが、青葉神社、その奇特なお寺の名は東昌寺、そのあたりの記述は、こちらで読むことが出来ます。

5月28日

 練習が始まる前に、いしいひさいちの新刊を買おうと思って紫山まで行ってみました。車で行ける範囲にある本屋さんでは、ここの「金港堂」が一番品揃えが豊富なはずなので、無駄足を踏みたくなかったから、わざわざこんな遠くまで来てみたのです。ついでに、今日本中で大騒ぎしているイベントの当事者が宿泊しているところも見てみたかったし。しかし、結局、お目当ての「創元文庫」は、棚自体がスカスカで担当バイヤーのやる気のなさがもろ伝わってきてしまい、とても新刊を入手できるような状態ではありませんでした。帰り道に○ヤル○ークホテルのそばを通ったら、入り口という入り口に警備員を配置しているというものものしさ、まるで「陸の要塞」のようなおもむきでしたね。
 そんなわけで、大幅に回り道をしてしまったので、旭ヶ丘に着いたのはいつもよりかなり遅くなってしまったのですが、練習場に行ってみると、なんと私が最初、電気も点いてなくて真っ暗でした。
 いつもは肩身の狭いヴィオラも、鎌サンが弾いていれば100人力、人数も多かったので、久しぶりに充実したヴィオラらしい響きを聴くことが出来ました。ヴァイオリンも相変わらず潤沢な人材、とうとう、私でさえ新入団員の顔をフォローすることが出来なくなっているぐらいですから、いかに最近の参加者が多いかということですね。
 さらに、弦楽器では素敵なニュースも。コンバスの和紀クンが、ついに復帰を決意したそうです(22日)。技術委員会の時の話では、パート内がかなり流動的な状況にあるみたいですが、まあ、彼のことですからいずれ帰ってくることでしょう。
 「Magi」の6月号も、とりあえず愛人たちにはもれなく、ということは、最近新たに登録した人たちにも配りました。本当はもっと沢山の人に差し上げたいのですが、最近編集部が渋くて、これが精一杯。だから、これ以上愛人が増えたらどうしようと、本気で悩んでいる昨今です。
 あ、おとといから、タイトルバナーを新しくしました。他のページも順次新しくしたいのですが・・・。

5月30日

 爽やかな初夏の陽気に誘われて、北山の高台には若干お年を召した善男善女が集まってきます。毎年、この時期に開催されている、さるお寺の檀家さんの集まりがあるからなのです。毎年、今ごろのこの日記を読み返していただければおわかりのように、この集まりでは「かやの木コンサート」という、屋外のコンサートが目玉。「仙台フルートの会」などが、これまでの常連だったのですが、今年はガラリと趣を変えて、ハワイアン・バンドが出演です。
 「ハワイアン」とは、また懐かしい響きですが、はっきり言って現在の音楽シーンでは極めてマイナーな地位に甘んじているジャンルではあります。この音楽が盛んだったのは今から30年以上も前のこと、このバンドにしても、創立されたのは50年(!)前、当時は引く手あまただったものが、やがて流行に取り残されて一度は解散の憂き目に合ってしまいます。しかし、この音楽への熱意を捨てきれないメンバーは、数年前にバンドを再結成、半世紀に渡ってともし続けてきたハワイアンの灯の、今一度のきらめきを求めようとしています。
 お寺での野外コンサートということで、先方が求めてきたのは、「8本のマイク」でした。いったい、どの程度のPAを期待しているのでしょうか。とりあえず、いつもお願いしている貸しテントやさんに適当な機材を頼みましたが、どんなものを持ってくるかは当日まで分かりません。
 その機材はなかなかのものでした。マイクもワイヤードが5本、ワイヤレスが3本用意されています。スピーカーも、このイベントに合わせたように「ボーズ」でしたし。5人のメンバーが到着する前にセッティングを完了、結局、メンバーの要求どおりに、ヴォーカル3本、ウクレレ1本、アコギ2本、それにスチールギターのアンプ(フェンダー!)、ベースギターのアンプと、8本すべてマイクを使い切って、いよいよ音出しです。
 ファルセット入りのコーラス、ウクレレのリズム、そしてスチールギターのグリッサンドという昔懐かしいハワイアンのサウンドは、とてもよいバランスで、墓地の間に響き渡っていました。細かいレベルの調整なども思い通りに出来ます。ちょっと疲れ気味のメインヴォーカルのレベルをちょっと上げたりして。
 本番は200人近い檀家さんの前で、「モレナ・エコーズ」の皆さんは、そのお年からはとても想像できないような溌剌としたサウンドを披露してくれました。50年という歴史の重み、誰にも真似の出来ない熱いものが、そこにはありました。私もつきっきりでPAのチェック。演奏のあとにリーダーの方から、「PAのお仕事をなさっているのですか?」と聞かれたときには、この演奏に私も確かに力を貸すことが出来たという実感が沸いてきたものです。

6月1日

 いよいよ、FIFAワールドカップ(こう言わないと、クレームが来るそうです)が始まりましたね。もはや、天候の挨拶代わりにサッカーの話題、日本人がこんなにサッカー好きな民族だったとは、新鮮な驚きです。もちろん、こんな状態ですから、クリエティブな文学作品などにも影響を与えないはずはありません。斯界の中堅しりあがり寿は、朝日新聞紙上の作品の中で、早速「割るど、カップ」という、絶妙なおやぢギャグを登場させて、その存在をアピールしていましたね。しかし、実はこれは前々回のワールドカップの時に天才いしいひさいちが創造したものの剽窃だと気付いた人は、果たして何人いたことでしょう。そうなのです。1994年6月21日付の彼の作品(現在まで連載されている超大河ドラマ)の中で、これと全く同じ表現で、私達の陥りやすい群集心理への警鐘を発していたのです(正確には「割るど、コップ」ですが)。しかし、最初、これは4年前のことだと思い込んで探し始めたのですが、実は8年前だったとは。
 と、私にとっては、8年前の新聞のマイクロフィルム(うそですよ。ほんとは連載開始時からのスクラップ)を調べるほどの情熱は到底注げないこのイベントですが、ここの掲示板に地元開催試合のチケットの情報などが書き込まれたとなると、状況は変わってきます。筋金入りのスポーツオタクである私の弟に聞いてみたら、即座に「ダメモトで、ぜひ欲しい」と言ったので、早速譲ってもらうことにしました。現物は来週受け取ることになるのでしょうが、まさか、この手にワールドカップの入場券を手にすることになろうとは、夢にも思っていませんでしたよ。
 掲示板と言えば、「りらく」も読んできました。仙台フィルの長谷山さんも連載エッセイを書いてらっしゃるのですね。今回はちょっと知ったかぶりが先に立った派手な誤記が気になりましたが。お目当ての川村さんのエッセイ、なかなか心を打たれるものがあります。原点の頃に帰ったような新鮮な気持ちでオーケストラに取り組みたいと、気持ちを新たにさせられました。あの写真、2プルト目のさっちゃんの美しいこと。しかし、あの書き込みをなさった「kuma-mai」さんというのは、いったいどなたなのでしょうね。
 ところで、多分あさって頃には150万ヒットが達成できるはずです。今回はきちんと記念品を用意させていただきました。英DECCAのヴァイナル盤のレーベルをデザインしたマウスパッドです。といっても販促グッズの横流しですが、前後賞ぐらいまではOKですから、自己申告してください。手渡しできるといいのですが。

6月3日

 ついに、「ジュラシック・ページ」のヒット数が15万を超えました。いくらなんでも「150万」というのは大風呂敷、本気にした方はいなかったことでしょう。そう言えば、「仙台スタヂアム」というのもウソですからね。
 今朝、トップページを開けてみたときのカウンターは149970、これは、もうすぐ間違いなく15万になるはず、まあ、この時間だとあと2時間ぐらいでしょうか。いよいよですね。それから1時間ほどたったので、様子を見ようとまた開けてみました。そうしたら、カウンターはなんと150002、すでに15万を超えていましたよ。やはり、キリ番を目ざして、アクセスが殺到したのでしょうか。そこで、掲示板を見てみたら、1号さまの書き込みで、「あと15」。残念でしたね。しかし、そのあとメールをチェックしたら、上のキリ番バナーが添付で送られてきていました。差出人は・・・その1号さま。件名は「泥棒しました(^_^;)」。あはは、やってくれましたね。アクセス解析をチェックしてみたら、1号さまの会社からのアクセスが16件、うちのカウンターはヒット数がかせげる「リロードOK」タイプですから、「更新」をクリックすれば直ちにカウンターに加算されます。1号さまは、仕事の合間にひたすら「更新」することに熱中なさっていたのでしょう。この重大なキリ番だけは、決して他の人、とりわけ他の愛人には渡したくないという、一途なまでにひたむきな思いが、このような「泥棒」まがいの行動に1号さまを駆り立てたモチベーションなのでしょうね。愛しいかた・・・。昼食を作っていただけないほど、夫婦間は冷え切っているとか。そんな時だからこそ、「愛人」としての使命に燃え上がるのでしょうか。
 と、キリ番のほうは片がついたので、午後にはワールドカップのチケットを受け取りに和紀クンに会いにいくことにしました。携帯にかけても出ないので、都合で出られないのだと思い、街に着いたらまたかけようと、とりあえず出かけました。ところが、ヤマハとか銀行とか、他の用事を済ます間に何回かけても一向に出る気配がありません。会う時間も場所も決めてなかったので、電話がかからないことにはどうしようもありません。そこで、直接彼の会社に行ってみようと思ったのですが、正確な場所がわからないので、親会社である○崎デパートの案内所できいてみることにしました。駐車券の発行とか、決まった応対には満面の笑みをたたえているくせに、ちょっと手の込んだ問い合わせへのマニュアルが全く欠如しているため、つい地の不機嫌な表情が出てしまった案内嬢を相手にしていると、いつの間にか、すぐ脇にめざす和紀クンが立っているではありませんか。なんという偶然、てゆうか、運命の出遭いってやつでしょうか。
 「出遭い」は続くもの。家に帰ったら「今日○崎のそばに居たでしょう」・・・私は全く気がつかなかったのですが、妻の友人が私に出遭って、すぐさまメールを入れたとか。愛人と一緒じゃなくて、ほんとによかった。

6月4日

 ワールドカップの日本代表の初戦の日だそうで、世の中はサッカー一色に塗り固められているといっても過言ではない状態。管分奏の会場、駅裏のパルシティに行く前に市役所前を通ったら、大きな街頭テレビ(「オーロラビジョン」て言うんですか)の前に、人だかりがしてました。昔もありましたね、こんなのが。プロレス中継の時間になると、力道山とルー・テーズの試合を見るために、みんな集まってきたものです(という話を、おじいちゃんから聞いたという世代ですが。しかし、あのテレビ、雨の日にはどうしていたのでしょうね)。
 今まで使っていた携帯用のMDプレーヤーがいよいよダメになったので、新しいのを買おうと(近々使う予定があるはず)、ラオックスに来てみたら、やはり、テレビ売り場では試合が始まる前の様子を、全部の画面を使って流してました。キックオフになれば、このあたりは人でいっぱいになることでしょう。それよりも、店の外に着いている大画面のそれこそオーロラビジョンで見ることが・・・、と思って、まだ時間があったので、表口の本屋に行きました。
 しかし、新聞広告も出てるし、東京あたりでは平積みになっている「B型平次」は、○ンク堂にもなく、やはり仙台は流通に取り残されているのだと納得して戻ってきたら、その大画面に「当店ではサッカー中継は放送いたしません」とテロップが出ているのです。店の中のテレビも、すべて、他のチャンネルに変えられていました。人が集まりすぎるのを警戒した店側の措置なのか、あるいは、FIFAがこういう事を許可しなかったためなのか、私は絶対後者だと思うのですが。そうでなければ、例のチケット騒動なども起らないはずですよね。
 そんな特別な日だというのに、練習を欠席するような人はほとんどいないというのが、ニューフィルの良い所です。泉サンはついにバスクラを買いこんで、今回がお披露目。ただ、肝心の練習指揮者が、声は出るようになったものの(まだちょっと咳き込んでたりして油断は出来ませんが)ご家庭の事情で(決して、サッカーを見ていたからではありませんっ。ほんとですよ!ウソなんかつくものですか)遅くなってしまったので、フランクの3楽章と、2楽章をほんの少し合わせただけで終わってしまいました。やはり、ワールドカップの影響は・・・
 まあいいじゃないですか。ヴィオラあたりは、テレビを持ち込んで観戦しながら練習をしていたといいますし。

6月6日

 やっと読み終わりました。井上ひさしの「東京セブンローズ」(文春文庫)。小説をハードカバーで買って読むという習慣はありませんので、文庫本になるまで待っていたというわけです。上下二巻、900ページあまり、別にそんなに長いというわけではないのですが、買ってから読み終えるまで一月近くかかってしまったという、久しく読んでいなかった手ごたえのある作品でした。
 時間がかかったのは、本を読むための時間がなかなか割けなかったこともありますが(そんな時間があれば、フルートをさらいます・・・え?)、この本特有の「仕掛け」のため。それは何かというと、「旧仮名づかい」と、「正字表記」という、今ふつうに接する文章では絶対にお目にかかれない書き方がとられているということです。井上の場合、文章の中に資料を挿入することはよくありますから、最初読み始めたときには、いきなりなにか昔の資料でも持ち出したのかと思ってしまいましたよ。しかし、すぐに、これは主人公が昭和20年に書いていた日記の体裁を取っているということが分かりました。考えて見たら、その頃の人はみんなこんな書き方をしていたわけですから、これほどリアリティのある表現方法もないわけです。
 そうは言っても、仮名づかいはともかく、「正字」のほうは、慣れるまでちょっと大変でしたね。點檢(点検)、圖體(図体)、國鐵(国鉄)、團扇(団扇)とか。最後の団扇(うちわ)も、「扇」の字は微妙に違ってますし。つまり、今のこの環境では表記できないような字体も、いくらでも使われているということです。ただ、最初は大変だったものも、しばらくすると逆に馴染んでしまうから不思議ですね。日記に綴られた物語も、独特の息の長い時間軸の中で、井上の仕掛けた巧妙な罠にはまってしまえば、敗戦前後の東京の暮らしが、あたかもそこで生活しているかのように感じられてしまいます。
 4月、5月、6月と、淡々と日記が進行していきますから、敗戦の瞬間はさぞ克明に描写されているだろうと期待して読んでいくと、いきなり3ヶ月の空白があって、日記が再開された時には、すでに戦後になっていた、という仕掛けにもびっくりさせられました。あえてこの部分を空白にしたというあたりに、逆に意味での彼のこだわりが感じられたものです。
 大詰めになって、それまでの淡々とした流れがなくなって、ある「事件」にかかりきりになり、ミステリーのような趣を呈するのは、物語としては楽しませられますが、いかにもありがちなどんでん返しは、全体の中ではやや違和感を感じないではいられません。しかし、雑誌に17年にわたって連載されていたことを考えれば、この程度の破綻は全く気にはなりません。久しぶりに充実した体験でした。
 これを読み終えたら、普通の本の読みやすいこと、今度「おやぢの部屋」にアップする本などは、ほんの一瞬で読めてしまえました。

6月11日

 先週はパート練習だったので、弦の皆さんとは2週間ぶりのご対面となります。ですから、3日に15万のカウンターのキリ番をゲットした1号さまには、やっとお目にかかれることが出来て、晴れて、賞品のマウスパッドの贈呈式を挙行することが出来ました。練習が始まる前、ロビーでお食事に余念のない1号さまへ手渡す様子を、ちょうどそこにいたしげちゃんに私のデジカメを渡して撮ってもらいました。いろいろ紆余曲折はありましたが、こうして直接手渡すことができる方が相手で、なにはともあれ良かったと思わなければ。なにしろ、ほぼ毎日のようにロスアンジェルスからアクセスしてくる方がいらっしゃいますので、そんな方が取ってしまったら、大変なことになるところでした。
 その1号さまの日記にもありますが(この方の日記を本気にするとひどいことになるときがあるので用心は必要です)、練習が始まる前にヴァイオリンのれいこサンが「君が代って、2番もあるんですよね」と聞いて来たのですよ。たまたま最近読んだ本(唐沢俊一)にそのことが書いてあったので、「2番は確かにあります」と答えておきました。しかし、家へ帰ってその本を読み直してみると、確かに2番の歌詞が載っていますが、それで歌って見ると、最後の言葉が余ってしまってしまうのです。こんな歌詞です。
君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれいしの 鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる
 ねっ。余るでしょう?
 結論を言えば、これは確かに「君が代」の2番なのですが、今歌われているものとはメロディーが違っているのです。1番も、今の歌詞のあとに、もう少しフレーズが加わります。今のメロディー(レドレミソミレという、お馴染みの暗くて陰気なやつ)の場合は、歌詞は1番しかありません。つまり、「君が代」の2番は有るともいえるし、無いともいえるのです。
 実は、今、今度の「かいほうげん」の準備をしているのですが、当てにしていた長田さんの原稿は一向に届く気配がないので、正直、かなりヤバい状態にあります。このままだと、いつもの16ページが確保できないという忌々しき事態が懸念されているのです。ですから、こんなちょっとしたネタが、とてもありがたいものになってきます。これでおそらく1ページ、うまくしたら2ページかせげるかもしれませんから。ですから、この話の続きは来週土曜日に発行予定の「かいほうげん」で。

6月15日

 まさかのグループリーグ突破、今、日本(にほん)中が異様な興奮の渦の中にあります。そして、決勝トーナメントが宮城スタジアムで行われるとあって、ここ仙台はいまや全国から注目を集めるホットスポットになってしまいました。仙台市民がどれほど熱くなっているかというのは、私のような、この手の騒ぎにはつとめて無関心を装うことをむねとしている人が、わざわざ利府までスタジアムを見に行ったことで、お分かりになるでしょう。そう、何をとち狂ったか車でスタジアムのそばまで行ってみようということになり、利府街道を東へと向かったのでした。
 スタジアムまでの道は、最近整備されたもので、粋な街路灯や歩道のタイルがなかなか素敵です。このあたりは新興住宅地のようで、新しい家がたくさん並んでいます。本番の日は声援がさぞやかましいことでしょう。駐車場まで行ってみると、シャトルバスの乗り場や、ゲートの案内など、ものもしい設備が準備されています。やはり私のように、試合当日の込んだときではなく、なにもないときにゆっくり見に来ようという人が結構いましたっけ。ここは山の中にあるのですが、ちょっと見上げると、かなり上のほうに展望台のようなものがあります。そこまでいけばスタジアムの全景が見られそうで、かなり急な坂道を登っていく人がたくさんました。せっかく来たのだから、行って見ましょう。
 展望台にたどり着くと、今にも雨が降りそうな天気だったので、遠くの方は見えませんが、18日には興奮の坩堝になるであろう宮城スタジアムははっきり見えます。その大きさには圧倒されてしまいました。ここが人で埋まると、いったいどんなことになるのでしょうか。
 展望台から降りてくると、東京のテレビ局のクルーが、レポーター用のカメラの位置をチェックしていました。本番に向けて、準備は着々と進んでいるようです。
 宮城スタジアムを見にきたついでに、MOVIX利府で映画を見てきました。本当のところは、映画を見たついでにスタジアムを見に行ったのですが。今日見たのは、「愛しのローズマリー」。グイネス・パルトロウって、こんなに可愛かったっけ、と、新鮮な驚き。美人ではありますが、ちょっとエラの張り具合が気になっていまいち評価は低かったのですが、今回はキュートさが前面に出ていて、なかなかのものでした。本当に美しい人が「自分は誰からも美しいとは思われていない」という演技した時に見せる美しさは、高いポイントとなります。

6月18日

 最近のヴァイオリンの充実ぶりには、目を見張るものがあります。というのは、最近何度も書いていることなのですが、今日の練習の時も、そのことが再確認されました。すごいのはファースト。最初の「バッカナール」が始まった時点で、きちんと5プルトまでが1列目、6プルトが内側に入るという、本番と同じ並び方になっていました。そのあとも何人かが入ってきましたから、おそらく、欠席者はほとんどいなかったのではないでしょうか。ラフマニノフの3楽章の例のテーマのヴァイオリンの響きは、とても華麗に聴こえました。とは言ったものの、今の時点でファーストとセカンドに何人ずつの団員がいるかなどというのは、もしかしたら一人か二人の人にしか分からないのかも知れません。なにしろ、私にさえ正確にはわかりかねるというのですから。しかし、今度の「かいほうげん」が出れば、それも明らかになることでしょう。
 その「かいほうげん」、先週泣き言を言ったあと、何とか「君が代」「サムソン」をでっち上げたら(「こまわりくん」知ってます?)、どうにか、あと1ページを埋めれば完成するというところまでこぎつけました。それも、一応目安はついていて、それに必要なチラシを手に入れさえすればすぐ出来るものなのです。それで、練習前に青年文化センターのチラシ置き場に行ってみたのですが、お目当てのサカリ・オラモはありませんでした。こうなってくると、街中のプレイガイドまで行って入手しなければならなくなってしまいます。
 しかし、今、市の中心部へ行くことがいかに危険なことかは、皆さんすでにご存知のことと思います。今日仙台近郊のスタジアムで開催されたさる大きな球技大会で贔屓のチームが負けてしまったということで、暴徒と化した応援団が、牛タン屋に押し入るは、「萩の月」を略奪するは、ケヤキ並木によじ登って「光のページェントごっこ」をするはと、もはや仙台市内は無法地帯になっているのです。とてもプレイガイドに行ってチラシをもらってくるなどということは出来ません。
 ところが、休み時間になったら、コントラバスのカズヒロさんが、なにやらチラシのようなものを配っているではありませんか。それには、なんと、しげちゃんの結婚式の二次会の案内が。いやぁ、おめでとうございました。相手はピアニストの方だとか、お幸せに。いや、そうではなくて、そのチラシ、カズヒロさんが言うには「かいほうげんに載せてもらえませんか?」ですって。なんという巡り合わせでしょう。思わぬ悲劇で一時は発行が危ぶまれた「かいほうげん」ですが、やはり、必ずどこかからネタが涌いてくるようになっているのですね。
 ちなみに、ずぶ濡れになった青いユニフォームを着た人が練習場に来るということは、ありませんでした。

6月22日

 さあ、いよいよ松尾さんとの初顔合わせです。なんせ、今や大活躍の大御所、しかも、伝え聞くところによれば、「アマチュアはあんまり振りたくない。」とおっしゃっているとか。まだ、本格的に練習を始めてから2ヶ月もたっていないこの時期に振っていただいて、果たしてまともにお相手をしてもらえるだけのものが、私達にはあるのでしょうか。
 会場のコンサートホールは、緊張感がみなぎっています。1号が「北海道土産、管の皆さんで召し上がってください。」となにやら持ってきましたが、私はウォーム・アップに全神経を集中させていましたから、そんなものに構っているヒマなど、ありません。
 時間になって、現われた松尾さんは、想像していたのより小柄な方でした。淡いグリーンのジャケットを脱いだその下は、赤と黒の横縞の半袖のTシャツ、とてもきびきびした動作です。話し方も、やはりきびきびしていて、早口にたくさんのことを喋られます。息もつかせないメッセージの放出、めまぐるしく頭を切り替えて応対しなければという、新鮮な刺激です。もちろん、女性の指揮者というのは、ニューフィルにとっては初めての体験、しかし、リハーサルの内容は、そんなことは全く意識させられないような充実したものでした。強いて、おやぢ的な意識を探せば、真っ白い腕のふくよかさでしょうか。
 時間をいっぱいまで使って、フランクの全楽章が一通り終わりました。特に怒らせるようなことはなく、極めて内容の濃い練習だったのではないでしょうか。特に、テンポの感覚が、重苦しくなく爽やかな印象でした。
 ほのかな手応えを感じたため、先ほどの1号のお土産もみんなに配るだけの余裕が出てきました。あっチャンは「すっごくおいしい!」と言って、管楽器の人たちに廻します。私の分を取ってなかったのに気がついて、慌てて箱を回収してみたら、もう六花亭のストロベリーチョコレートは1個も残ってないではありませんか。りっちゃんがかわいそうがって半分かじったチョコレートをくれなければ、1号の真心を永遠に味わうことが出来ないところでした。
 終わってからは、指揮者の歓迎会が予定されていました。私はいつも飲まないので、車で行くつもり、そのことをあっチャンに行ったら、「だったら私も行くから、乗せてって」ということに。幹事のりっちゃんも一緒に乗っていくし、あと一人分空いているのでのすりさんを誘ったら、結局私は3人の愛人に囲まれてしまいましたよ。写真のように和やかな歓迎会、明日も練習ですので、12時にはお開きになりましたが、結局、その3人は帰りも私が送っていったのでした。
 というわけで、あと8時間したら、次の練習が始まります。

6月23日

 ということで、指揮者練習の2日目の始まりです。今日は朝の10時から夕方の5時までという、フルタイムの長丁場です。夕べの歓迎会の疲れは、果たして最後まで弾きつづける障害にはならないのでしょうか。
 午前中は、まずバッカナールから。私は、この曲はピッコロですが、最初にかなり目立って、しかも吹きにくいところがあるので、なかなか緊張します。さる愛人に「ピッコロ吹く時は、妙に色っぽい」とか言われたりしますから、なおさら意識してしまいますし。まあとりあえず今回はクリアと言うところでしょうか。
 次のコンチェルトは降り番です。客席で聴いていたら、予想通り完璧に睡魔が襲ってきて、気持ちよく眠り込んでしまいました。夢の中には松尾さんのチャーミングなお姿が。
 昼食は、その松尾さんとお食事、有志を引き連れて「ウィーンの森」です。この前長田さんと来た時はかなり待たされてしまったので、覚悟していたのですが、今回は楽々座れました。しかも、ヴィオラパートとチェロパートもすでに集結していましたっけ。いつの間にかメニューが変わっていて、味も良くなっていたと感じられたのは、気のせいでしょうか。コーヒーはセルフサービスなので、松尾さんの分も持ってくるときに、適当なミルクを持ってきたら、それがシナモンキャラメル、松尾さんは、これが仙台のコーヒーの味だと思われたようでした。
 午後はきのうに引き続きフランク。今までは、演奏に対する指示しかおっしゃっていなかったのですが、途中で、きのうの歓迎会の時におっしゃっていたフランクに対するお考えをひとくさり。あくまでフランス的な、敬虔なオルガニストの作品、いわば「祈り」のような宗教的な作品として、この曲を演奏したいということでした。こう書くとなんか堅苦しい話のようですが、これを話されている時の松尾さんは、とことん元気がよく、早口で面白おかしく喋られますから、どんどん引き込まれていってしまいます。しばらくは、あの様子が頭に残って離れないことでしょう。
 そのまま東京に帰られるので、さっちゃんに頼まれ、駅まで私の車で送っていきました。車中、「今度来る時、良くなっていなかったら、がっかりですね」とおっしゃっていました。そう、これこそが、これからの私達の課題なのですよ。あと2ヶ月以上、きのうと今日のポイントを忘れずにいられるか、「松尾メモ」(多分違うな)の助けがあれば、それほど難しいことではないのかもしれませんが。
 あ、本日、めでたく「愛人9号」の認証式が執り行われました。まだ8号と10号〜27号が空いています(もちろん31号以降も)。ご希望の番号は、お早めに。

6月25日

 おとといまでの松尾さんの練習、買ったばかりのLPモードも使えるMDで録音してあったので、ずっと聴いていました。というか、あやちゃんが聴きたいと言っていたのが、標準モードしか再生できないので、ダビングするついでに聴いたまでのことで、そんなことがなければ恐らくしまいこんでいたことでしょう。ただ、マイクの感度の設定がまずかったので、リミッターがかかってしまい、フォルテシモではちょっと聴きずらくなってしまいましたね。次回はもっときれいに録るぞ。
 ところで、松尾さんの練習日が増えたということは、ご存知でしょうね。その結果を盛り込んで新しい日程表を作ることになったのですが、独奏者の都合がつかなかったことから、実現が微妙になりました。それで、とりあえず「追加予定」ということで、色も少し薄くしてみました。この日程表を、例によってパート練習の会場を回って配ってまわるのが、練習前の私の仕事です。水の森→黒松→旭ヶ丘→パルシティというルーティン・ワーク、もはや手馴れたものです。しかし、落とし穴というのはあるもので、東口の駐車場からパルシティへ向かって歩き始めた時、譜面台を持ってくるのを忘れてしまったことに気がつきました。まあ、「備え付け」の譜面台があるから、いいっか(裕司サンいつもすみません)。
 管の場合は、パート練習ではなく、分奏です。出席もなかなかのもの、オーボエが分奏に全員参加したなどということは、今まではなかったのでは。もちろん、中には人が欠けているパートもあります。その代表が、なんとフルートパートだったとは。一体何回目になったでしょう、いつもの「お見合い」で、あっチャンが欠席してしまったのですよ。もっとも、ちほさんはしっかり最初から来ていましたから、音が抜けるようなことはありませんでしたが。
 帰りの車では、ラジオでサッカーの試合。家につくちょっと前にドイツがゴールを決めたようでした。

6月28日

 早いもので、もう今年も半分終わろうとしていますね。評判のドラマ「真珠夫人」も今日が最終回でした。最近知ったのですが、原作は菊池寛だそうで、ドラマの評判に合わせて、絶版だった文庫本も再刊されるとか。原作を読んだことはありませんが、ドラマの方は典型的なソープオペラ。もちろん、リアルタイムの昼下がりに見るなどということはしませんよ。妻(本妻)が毎日ビデオで見ているのを、横目で見ていたらハマってしまったというパターン、もともとまじめに見るつもりはなかったのですが、しかしなぁ、いくらなんでもあの終わり方はないでしょうよ。
 そんな風に、今まで関心がなかったものにハマってしまったのが、例の「君が代」です。とりあえず、「かいほうげん」に間に合わせるように作ったものをサイトにアップしたら、元打楽器のアサノさんから、こんなCDの情報をいただいてしまったのです。
キングレコード/KICG-3074
 これは、2年ぐらい前に出たもので、出たことは知ってはいたのですが、当時は全く関心がなくて、今回調べた時も思い出しもしなかったアイテムです。案内を見ると、ほしいと思っていた「初代」の「君が代」もちゃんと収録されているようなので、この際だからきちんとしたページに仕上げようと、通販で買うことにしました。その結果、「君が代」の歴史に関しては、おそらくどこに出しても恥ずかしくないようなコンテンツが出来たはずです。まあ、見てやってください。
 ところで、私が「君が代」を聴いていていつも気になるのが、あの不思議なアレンジです。ユニゾンで始まって、途中はハーモニーが付くものの、エンディングでまたユニゾンに戻る唐突さ。それと、2箇所で全く無意味に叩かれるバスドラム。今回の資料で、エッケルトが最初に作った編曲が、ほとんど変わらないで今日まで伝えられていることが分かりました。ところが、このCDで演奏されているエッケルトのオリジナルを聴いてみると、そのバスドラムがいともあっさりと叩かれているのですね。これなら、それほど違和感は感じません。あの無神経な強打は、どこかで歪められて伝えられてしまったものなのかもしれません。さらにここでは、「君が代」をもとに作られたさまざまな曲が聴けるようになっていますが、その中に近衛秀麿がオーケストラ用に編曲したものを、伯林フィル(ベルリン・フィルですよ)と録音したという貴重な音もあります。ところが、なんと、それには最初からこのバスドラムは入っていないのですよ。もちろん、今の近衛版にはバスドラはありますから、これもどこかで手が入ったのでしょうか。色々興味は尽きませんが、山田耕筰やグラズノフの編曲のように、きちんと最初から最後までハーモニーが付けられていると、見違えるように美しく聴こえたのは新しい発見でした。特にグラズノフのスラヴ風「君が代」は、そそられますよ。

7月2日

 7月だというのに、この寒さはなんなのでしょう。しかし、湿度がバカ高いときてますから、私が着いたときの練習場はまさに蒸し風呂状態でした。音出し寸前まで汗をかきっぱなし、これは最悪のコンディションですから、もう今日はよい音を出すのはあきらめようという気になるほどです。しかし、その頃から冷房が効き始めたようで、爽やかな風が天井から降りてくるのが分かります。チューニングが終わるあたりでは汗も引いて、とても吹きやすい状態になりました。
 もっとも、これは木管周辺だけの出来事だったらしく、1号さまのいらしたヴィオラ周辺は、相変わらず蒸し暑かったようですね。1号さまのおぐしが豊かに見えたのは、湿度のせいだったのでしょうか(個人攻撃はやめよう!そういえば、ロールシャッハ・テストのことを訊くのを忘れていました)。
 「葉子便り」だけは完成品が届けられていましたから、しできさんもそれをガイドに練習です。余談ですが、「葉子」と「便り」から「〜♪ラブレター フロム カナ〜ダ〜」を連想したしできさんって、いったい・・・(あっチャンは何のことか全く理解不能だそうです)。
 技術委員会があるというので、いつもより30分早く練習は終了の予定、休憩時間は新入団員(次号には6人掲載されるはず)の写真を撮ったり、パート内の希望曲をきいたりと、大忙しです。さらにもう一仕事、もはや恒例となった「Magi」の配達も。先月泣き言を言ったら、今月は潤沢に送られてきましたので、充分に行き渡ります。机の上に置いておきますので、興味のある方は持っていってください。もしかしたら、今日手渡すのを忘れてしまった人も(7号とか)いるかも知れませんが、へこまないで下さいね。
 その技術委員会、会場を東昌寺に移して行われましたが、なぜか3人ほどいつまでたってもやってきません。そのうちさっちゃんの携帯に連絡が入って、なんでも姫(6号)が駐車場の料金支払機を壊してしまって、後続の車が出られなくなってしまっているとか。大変ですね。それでも、10時ごろには全員揃って、いよいよ来年春の選曲です。いたずらに時間を無駄にすることが無益なことを悟り始めたメンバーは、極力話をまとめる方向に進み、なんと、11時には末廣さん向けの打診曲5曲が決まってしまいましたよ。フルートパート全員の願いを込めた「ドボ8」は、あいにく選に漏れてしまいましたが。いったい何が候補曲になったかは、いずれオフィシャル掲示板で公表されることでしょう。

7月5日

 毎月、月初めはMagiのための原稿執筆が恒例となっています。編集部から送られてくるサンプルのCD−Rを聴きながら、一緒に送られてきた資料を見ながら原稿を仕上げるというのが、基本的な手順です。もちろん資料といってもまず通り一遍のことしか書いてありませんから、自分の手で調べることも絶対必要。手元に参考資料がない場合に役立つのが、さまざまなサイトです。最近はレコードメーカーのサイトはちょっと前に比べて格段の充実ぶりですから、アーティストに関する基本的な情報は、ほとんど入手することが可能になっています。
 今月回ってきたアイテムは、ブラームスのドッペルコンチェルトとヴァイオリン協奏曲のカップリング、アバドの指揮でベルリン・フィルがバックを担当しているDG盤です。まずサンプルの音を聴き始めるわけですが、フルーティストの性としてどうしてもオケの中のフルートの音に耳が行ってしまうのは避けられません。ヴァイオリン協奏曲のフルートはちょっと地味で全く魅力は感じられなかったのですが、ドッペルコンチェルトの方はハッとするほど際立った音、ソロもとても滑らかで、ふんわりとした軽さがありました。瞬時にこれはエロオヤジ・パユに違いないと思い、資料を見てみたところ、録音年月は2000年5月、パユがベルリン・フィルをやめたのが2000年6月のことですから、この頃はまだ団員だったはず、やはり私の耳は確かだったことが証明されましたね。念のため、日本のユニバーサル・ミュージックのサイト(ここの新譜案内は、情報が早いので役に立ちます)も見てみましたが、ここにも同じデータが載っていました。大喜びで原稿には「パユのフルートのせいで、オーケストラの音は明るく軽め」とか書いて、さりげない薀蓄で付加価値を高めようという魂胆です。
 今回、編集部はこのアイテムにいくつかの資料を用意してくれていました。ところが、なにげに別の資料を見ていたら、そこには、まったく別の録音データが掲載されていたのです。それによると、2000年5月というのはカップリングのヴァイオリン協奏曲の録音データ、「ドッペル」はなんと200112月、パユはとっくに退団して、吹いているはずはないのです。
 しかし、この音はどう聴いてもパユ、一応「まるでパユのような音」と、原稿を直しました。ただ、エキストラとして参加したという可能性もあるので、さるパユファンが集う掲示板にこのことを書き込んでみたのです。そしたら、すぐさま、「団員から、200112月の録音にパユが加わった事を聞いた」という返事が書き込まれたではありませんか。やはり、私の耳は正しかったのです。もちろん、再度原稿を書き直したのは言うまでもありません。

7月6日

 この週末は、コンサート三昧になってしまいました。今日はオペラ、明日はマタイ、ともに3時間はかかる長丁場のヘビーな体験が2日連続というすごい予定です。
 最近は地方公演専門の外国のオペラハウスが、身軽なセットで仙台あたりにもしばしば来るようになって、生のオペラを体験できる機会が格段に多くなってきました。チケットもそんなに高くないし、以前ヒレカツ先生も見に行った「アイーダ」のように、とんだ掘り出し物に出会えることもあるので、これはなかなかありがたいものです。
 今日行ったのはシュトラウスの「こうもり」。チェコの「カルリーン・プラハ・オペレッタ劇場」という、オペレッタとかミュージカルを専門に上演している劇場です。以前日本に来た時は「マイ・フェア・レディ」が演目だったといいます。まあ、おそらく、普通のオペラハウスで演奏されるようなきちんとした「こうもり」は期待は出来ないでしょう。
 それにしても、ここのオーケストラのひどさといったら、想像をはるかに絶するものでした。オーボエなどは、とてもプロとは思えないお粗末さ、あえて言えばニューフィルのメンバーの誰が吹いても、彼よりは音楽的になるだろうと思われるほどです。ファーストは8人という小編成の弦にもかかわらず、アンサンブルはグジャグジャ、だから、序曲にシュトラウスらしさを求めるのがそもそも無理なこと、のっけから鈍重でセンスの悪いものを聴かされることになってしまったのです。
 しかし、それにもかかわらず、物語が始まってしまうとそんなオケのひどさがあまり気にならないほど、楽しむことができるようになっていました。もちろんドイツ語での上演、ジンクシュピールですから普通のセリフだけのところもありますが、例によってステージの両袖に置いてある字幕モニターで、言葉の不自由は全くありません。それに今回の字幕は非常に良く出来ていて、いかにもこの作品にふさわしいこなれたもの。「マジっすか〜」なんてのまでありましたから。歌手たちは、音楽的にはかなりレベルは低いものの、芝居はとても上手。何よりも、彼らは全員「日本人ではない」という点が、もっとも素晴らしいことです。ウィーンを舞台にしたこのオペレッタ、東洋人が出てきたりしたら舞台全体が興ざめなものになってしまうと感じる私の感覚は、もしかしたらいけないのかもしれませんが。
 同じ意味で文句なく楽しめたのがバレエです。夜会の場面とか、幕間の時間つなぎ(2幕と3幕の間は休憩なし)で、ふんだんにここのバレエ団が踊ったのですが、すらりと伸びた白い腕の美しかったこと。ひょっとして、短い四肢の日本人のバレエだけを見ている人には、一生バレエの楽しさは分からないだろうな、と思ったぐらいです。

7月8日

 きのうは、7月7日、新暦の七夕の日でしたが、よもや仙台で笹飾りなどを飾った人はいなかったことでしょう。もしそんな事をしようものなら、その家の主人は翌朝には簀巻きになって広瀬川に浮かんで・・・というのは、去年の日記のネタでしたね。もちろん私も七夕のことなどは思い出しもしないで、ヒレカツ先生と一緒に「マタイ」を聴いてました。先生も書かれていたように、会場は超満員、何でも、遅く来て座れなかった人には、入場料を払い戻していたようでしたね。ニューフィルでもそんな事態を経験してみたいものです。
 さて、今日7月8日は「ナンパの日」だとか。どこかの雑誌がきちんと制定した由緒正しいものらしく、「見知らぬ異性にアタックする日」と定義されているそうです。「異性」だから、女性のほうから「アタック」したっていいわけですよね。多くの愛人を抱える私としては、たまには女性のほうからナンパされたいものだ、と、感慨を新たにする日なのかもしれません。
 そのナンパにかけては右に出るものがいない例のパユがオケに参加しているCDのことは、前々回の日記に書きました。原稿を書くにあたって、その参加の事実を確実なものにしてくれたのが、さる掲示板への書き込みだったわけですが、今日になって、あの書き込みがもとで大変なことになっているということを、人づてに聞かされたしまったのです。私があの中で、執筆している雑誌の名前を明らかにしてしまったものですから、この掲示板を見ていたこのCDのメーカーの人が、「うちのCDの紹介文に他のメーカーのアーティスト(パユは他のメーカーの専属)のことを得意げに書くなど、許せないことだ。このライターは即刻クビにしろ。当分、うちから広告は出さないからそう思え」と、その雑誌の編集長に申し渡したというのです。私がクビになるのは一向に構いませんが、かわいそうなのは編集長。あの大メーカーから広告がもらえないことになると、おそらく「Magi」は廃刊になってしまうでしょう。彼の、この雑誌への思いを良く知っている私としては、居たたまれない気持ちでいっぱいです・・・。
 と、いうのは、もちろんウソです。ご安心下さい。ただ、その掲示板を見ていたパユのメーカーの人から編集長に「おたくのライターが書いてたね」ぐらいの電話があったというのは、本当の話です。さすが、パユの掲示板ともなると、業界の人もきちんとチェックしているのですね。この日記だって、誰が見ていることやら。もちろん「おやぢ」も(その原稿を少し水増しして、アップしました)。

7月9日

 うっとおしい日々が続いていますが、練習場へ向かう私の心にも、晴れようのない暗雲が立ち込めていました。それは、今日はあっチャンが休みだと分かっていたから。この頃頻繁に「お見合い」が続いているということは、いよいよアッチャンも私の手の届かないところへ旅立ってしまうかも知れないということ。そんな時に、嬉々として練習に行くことなどできるでしょうか。
 というのは、実はそんな深刻なことではなかったというのは、ウォームアップをしているところに大きな紙袋を抱えた30号が近づいてきて、「いつもお世話になっています。これ、実家のお土産です」と言いながら、「讃岐うどん」を手渡してくれた時に、明らかになりました。うどんは私の大好物、いささか強引に愛人に引き込んだものの、内心受け入れてもらえたか不安だったところでしたから、この暖かい真心には感激です。
 さらに、休憩時間には、今度は3号が、やはり「いつもお世話になっています」と、ハーブクッキーと紅茶の詰め合わせをくれたではありませんか。これで、もはや、あっチャンがいなくても生きてゆけるかも知れないという希望が涌いてきました。多分、来週からは、一つのこだわりから解放された、リニューアル私が登場することでしょう。
 もっと明るい話題としては、ちょっと前にカムバック宣言をしたコントラバスの和紀クンが、ついに姿を現した、というのがあります。最初は準備室の方で一人で練習していたのですが、最後になって、合奏に加わっていましたっけ。ヴァイオリンには、さらに入団希望者が来ていましたし、もはや、ニューフィルには団員確保に関しては何の問題もなくなったかに見えます。もちろん、ヴィオラでも。
 そんなわけで、フルートパートが一人しかいない(4号もお休み)という、極めて珍しい状況下で、練習は開始されたのです。バッカナールは本来はピッコロですが、アンサンブルのことを考えて1番を吹きました。ところが、これは全くの初見、指はピッコロよりもはるかに難しく、ちょっと大変でした。例によって、パート譜の休みの小節数は間違っていましたし。
 さて、こんなバカな話を毎回毎回、最近は練習以外でも話題を見つけて、時には「辛口」の表現で日記を書いてきたわけですが、このところ、このサイトが成長してくるのに伴って、内輪の冗談では済まされないようなリアクションが伝えられるようになってきました。もとより、まともに読まれてしまえば、一般社会ではほとんど通用しないようなどぎついネタが満載、それを一つのアイデンティティとして貫き通してきたわけですから、このような状況になってしまっては、もはやこれ以上書きつづけることは出来ません。今まで、何らかの形で楽しみと受け取っていただいてきた方には申し訳ないのですが、ひとまずこれで「ニューフィル日記」を打ち切らせていただきます。

続き