バックナンバー22

(02/3/3-02/4/29)


3月3日

 いつの間にか3月になってしまっていましたね。今年は大雪が降ったり、水道が凍りついたりということがないまま、春になってしまうのでしょうか。そんな、春の訪れを感じさせてくれるアメリカの年中行事が、「グラミー賞」の授与式です。今年も、二十四節気の一つ、蔵実(くらみ:冬の間の食物の蓄えで、蔵の中が実り豊かになる季節)にあたる、2月27日に開催されました(本気にしないでね)。
 今年で44回目を迎えた、この手の賞では最古参、その結果についてはさまざまな評価がありますが、とりあえず「権威のある」賞には間違いはないでしょう。セレモニーの模様は全世界に生中継され、ノミニーのパフォーマンスや、華やかなプレゼンターの登場に酔いしれるというわけです。
 今年のグラミーはU2が何部門かを獲得したとか、アリシア・キーズの予想外の活躍とか、なかなか話題には事欠かない結果となったようですね。
 ところで、この「部門」、カテゴリーですが、年々その数が増えていて、今回は全部で101、これがその時代によって変化しているのが興味のあるところ。カテゴリーをもう少しくくった形での「フィールド」が現在28あるのですが、それが新しく加わったり、だんだんなくなったり。例えば、かつて、多くのカテゴリーに細分化されていた「オルタナティブ」フィールドあたりは、今年は1部門だけ、来年あたりにはなくなっているのでは。アメリカならではの、ちょっと日本人の感覚では理解できないようなこともあります。その代表が「カントリー」フィールド。いまだに8つという、「ポップ」や「ロック」と同じだけのカテゴリー数、根強い人気をうかがうことができるでしょう。「ポルカ」というカテゴリーがいまだに残っているのも不思議な感じ。ポルカのニューアルバムが毎年リリースされているなんて、とても信じられません。
 101あるカテゴリーの87から99までの13部門が、クラシック関係。だから、この賞はポップスだけではなく、きちんとクラシックのアルバムについてもさまざまな部門で与えられているのですが、その結果が、例えば私達がCDを購入する際のガイドになっているという様なことは、あまりないようですね。もちろん、クラシックに関してのこの賞の知名度があまりないということもありますが、なんといっても、レコード業界の思惑がミエミエの選定結果には、ある種の胡散臭さを感じてしまって、純粋な心をもつクラシックファンには受け入れがたいものがあるのかもしれません。今年のクラシックフィールドの「大賞」は、オペラ部門でも受賞したベルリオーズの「トロイ人」。日本では、普通にお店では入手すら出来ないアイテムです。
 まあ、しかし、誰かさんお気に入りのハリー・コニック・ジュニアも「Best Traditional Pop Vocal Album」というカテゴリーで受賞したことですし、良かったですね。

3月5日

 2週間ぶりの合奏です。パート練習も絆が深まって良いものですが、やはりたくさん人がいたほうがやった気はありますね。でもまあ、今日はドヴォルジャークとモーツァルトだけですから、1時間も顔を出せばあとは降り番で帰ってこられると、気楽な思いでいたのが、そもそもの間違いでした。音出し15分前にあっチャンからかかってきた電話は、「休んでいいですかぁ?」というもの。前回お見合いで休んだ時は前もって分かっていましたからしっかり準備をしていましたが、今日は何もやっていません。慌てて代吹きのためにさらっていたら、和重クンが、「あせってやってますね」ですって。しっかり読まれてましたね。
 結局、私は最後まで吹きっぱなし。しかし、モーツァルトを吹いていると、弦の人たちの音がいつになく素敵に聴こえてきたのにはびっくりしました。もちろん、まだまだガサガサな部分はあるのですが、時折、とても柔らかい響きがしているのが感じられたのです。シベリウスの時には味わったことのない感じ、弦の方々の精進の成果と受け取って構わないのでしょうか。
 そう言えば、ヴァイオリンの入団希望者が来てましたね。最初からいた人と、休憩のあとで来た人の2人。実は、前もってHP経由でメールを下さった男の方がいたので、最初の人はその方だと思っていたのですよ。ところが、近くに寄って見ると、なんだかお化粧をしているみたい、マニキュアまでしてるし、キモ〜い、とか思ってしまいました。そんな時代なんですね、とか。そうしたら、あとでちゃんとした男の人が来たので、間違いに気付いたわけです(間違いではなかった?)。いずれにしろ、これで、名簿上は団員数がちょうど100人ということになりますよ。カウンターが10,000を超えた「びよ乱」James同様、ついに大台に乗ってしまいましたね。

3月8日

 ふだんから音楽に接していると、私達の耳の機能は極度に精密化されて、どんな細かい音でも聴き取れるようになってしまいます。オーケストラなどをやっていると、細かい音程の違いや、ほんの些細な音の長さの違いなどを即座に聴き分けて、ただちに演奏にフィードバックするという、とても普通に人には出来ないような高度な作業を日常的に行わなければいけません。CDを聴いてレビューを書くときには、単に聴こえてくる音だけではなく、その背後にある演奏家の思想まで感じ取れるだけの繊細な感覚さえも必要になってくるのです。
 ところが、そんな能力を持つ反面、私達の耳には意外と信頼の置けないところがあるということを、最近気付かされました。
 バッハの有名なオルガン曲に、「トッカータ、アダージョとフーガ」というのがあります。これの出だしはこんなもの。
 ド、ミ、ソまでは普通ですが、次にシまで6度下降したあと、減5度上のファに昇るという、特徴的なテーマです。
 この曲はブゾーニによってピアノに編曲されたものがあるのですが、そのCDが最近発売になったので、そのレビューを書いたのが、おなじみ、渋谷「おやぢ」塔一さん。しかし、このテーマについて話をしていたら、信じられないような事実が明らかになりました。彼は、このテーマを
のように聴いていたのです。シの音がオクターブ高いように聴こえているのですね。
 だから、最初はブゾーニが編曲した時に音を変えたのではないかとも考えてしまいました。しかし、同じCDを聴いてみても、私にはシが下がっているようにしか聴こえないのですよ。ご存知のように、渋谷さんは私に劣らぬ良い耳の持ち主、これはもう、思い入れでつい上の音が聴こえてしまったと考えるしかないのでしょうね。
 そんな風に、人間の耳がいかにあてにならないものかというのは、このMIDIを聴いてもらえれば分かるはずです。むかし流行った「エンドレス・オクターブ」というやつ、いつまでも音階が上昇していると聴こえるあなたの耳に、異常はないはずです。

3月9日

 チョン・ミュンフン指揮のフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に行ってきました。土曜日なので、2時からのマチネ、少し時間があったので、本屋にでも行こうと街へ向かったら、横断歩道を歩いてくる大きな人が。それはコントラバスのけんぢサン、やはり、同じ演奏会に行くところだそうです。しかし、これは、それから数十分の間に、実に多くの知り合いに出会うことへの、単なる導入に過ぎなかったとは。
 その次に会ったのが、しげちゃん。「H」の袋を見せびらかして、「ゲルギエフ買ってきましたよ!」と嬉しそうでした。この間の練習の時にあげたMagiの私のレビューを見て、買ってしまったんですって。ペンの力は強いということでしょうか、他人の購買意欲に作用できる文が書けたということの証し、嬉しくなってしまいました。本屋さんに行ったら、立ち読みしている仁サン(ホルンの方)も見かけましたし、県民会館の前の横断歩道では、昔のニューフィルの団員、県民会館の中では徹サンとか、まあよく出会ったものです。
 ところどころ空席が見受けられるものの、ほぼ満員のお客さん、しかし、「冠コンサート」の常で、協賛企業関係者の姿が多かったのも印象的でした。「パンフレット引換所」などというものがありましたが、招待券をもらった企業関係者の方々は、ここで、買うと1,500円もするパンフレットをもらえるのでしょう(買えば1冊150円のMagiの方が、中身はずっと充実しているのではないかという議論はさておいて)。
 オーケストラは、18型という贅沢なもの、なかなか充実した響きが聴けました。特に、ホルンセクションは、よく溶け合ったまろやかな音色でとても素敵でした。木管のソロが、つまらないミスをするなどというご愛嬌はあったものの、同じ指揮者が2年前に連れてきた、同じ放送局のオーケストラより、レベル的にはずっと高いものが感じられました。
 プログラムは、シンフォニーやコンチェルトが1曲もないという、「名曲コンサート」という趣き、ヴァイオリン独奏の弱冠18歳の日本人は、テクニックの冴えには目を見張るものがありましたが、音楽的にはまだまだ発展途上、「ロン・カプ」と「ツィガーヌ」程度でしたら何とか聴けるでしょうから、コンチェルトをやらなかったのは正解。
 オケの性能がよくなった分、指揮者の無能さは2年前よりはっきりしてきました。派手に響かせて外見を整えることしか考えられていない大味なドビュッシー、「アイロニー」という概念からは最も遠いところにあるノーテンキなラヴェル、またしても、私は、この「カリスマ」が作り出す空虚な音楽を前にして、やりきれない気持ちになってしまったのでした。
 ヒレカツ先生にも出会いましたが、先生も同じ思いだったらしく、「今回は、原稿は勘弁してください。」ですって。

3月13日

 最愛の1号様。すっかりお見通しでしたね。きのうは、お昼過ぎから寒気がして、お腹も少し変な具合、間違いなく「風邪」をひいてしまったようでした。私の場合、最初はのどに来るのでそれなりの対策を立てられるのですが、今回のような症状はかなりヤバイ感じです。おそらく熱もかなり高いのでしょう、体の節々が痛みます。
 しかし、きのうの練習はシベリウス、あっチャンもやんごとなき事情でちょっと来られそうも無いので、休むわけにはいきません。いや、練習よりももっと大切なこと、そう、ホワイトデーのプレゼントを届けるという重大な使命があるのですから、熱があろうが、体が痛かろうが、這ってでも行かなければならないわけで。
 例によって、ホールは熱すぎるぐらい暖房が効いていますから、寒さを感じることはありませんでした。しかし、音出しをしてみると、スタミナが持たないのがよく分かります。椅子を並べ始めても、なるべく体力を温存しようと座って眺めているというありさまでした。
 シベリウスが始まれば、もう演奏に没頭するしかありません。精一杯集中力を働かせて、吹いていたつもりです。幸い、音はいつもとそんなに変わらないものが出ていたはず。しかし、やはり緊張の糸が切れてしまうということはあるもので、1楽章の後半、3拍子のオーボエとの掛け合いでフルートだけになる部分で、見事に落ちてしまいましたっけ。今までの練習では絶対はずしたことのない、いわばすっかり手の内になっている場所だっただけに、これはショックでした。いかに、自分の意志ではコントロールできない部分が、体調によって現れるかという実例でしょうね。もっとも、こういうことがあるとどこからか別の制御機能が這い出してくるみたいで、それ以降は何事も無く演奏できましたが。
 ホワイトデーのプレゼントも無事渡すことが出来ました。お酒が好きな6号と28号には日本酒のゼリー、お酒が飲めない4号にはオーソドックスなクッキーという細やかな配慮が、多くの愛人を囲っているものに今ほど求められる時はありません。
 もう一つ、大切な用事があって、それも休めなかった理由。新しい日程表を作っていったのです。ただ、一部、直前に長田さんとさっちゃんが打ち合わせた部分があって、そこを技術委員会で検討したら少し訂正しなければならなくなりました。オフィシャルページの日程表は直しましたが、きのうの日程表の改訂版をPDFでアップしてありますので、必要な方は使ってください。
 練習が終わって外に出たら、歯の根が合わなくなるような寒さ。他の人は「そんなに寒くないよ」と言っていたので、やはり熱があるのでしょう。家へ帰ったら、日記も書かずに、そのまま寝てしまいました。

3月14日

 今日がほんとのホワイトデー、1号様の職場では白いパンティーが飛び交っていることでしょう。もちろん、お上品な私は、そんな恥ずかしいことはしなかったのは、昨日の日記のとおりです。まあ、こんなことを書けるぐらい元気になりましたので、ご安心下さい。掲示板での裕史サンのお見舞いや、姫のFAXでのお励まし、心に染みました。ありがとうございます。
 それにしても、おとといときのうは悲惨でした。最大のネックは食欲が無いこと。そんな時に限って夕食のメニューが「つな八」の天麩羅だったりしますから、もう死んだふりをするしかありません。丸々とした大きな海老天も、半分かじったところであきらめるざるを得ないなんて。それが、今日になったら食欲全開、健康のありがたさを改めて認識したというわけで。
 さて、風邪にもかかわらず2日に1本という驚異的なローテーションでアップしつづけている「おやぢの部屋」ですが、これは私を含めて複数のライターによるストックが潤沢にあったから出来ていること。テデーンのレビューは私の担当ではなかったので、私はCDすら聴いてはいません。あしからず。しかし、これは間違いなく私が書くことになるだろうという新譜の案内がメーカーから回ってきました。それは、フィリップ・ヘレヴェッヘによるフォーレのレクイエム。それならば、もうすでに出ているではないかと思われるのは、このサイトの常連さんにはごもっともなことですが、今度の録音はあの「第2稿」ではなく「第3稿」によるものなのです。しかも、「第3稿」の「1998年新校訂版」の世界初録音。その辺の詳細はこちらをご覧頂ければよいわけですが、このメーカーの案内でも、そのあたりの「ウリ」を重点的に説明しています。ところが、その文章をちょっと読んだだけで、このサイトから多くのことを参考にしているということが、すぐわかりました。一番笑えたのはこの「新校訂版」のことを、「通称アメル新版」と言っていること。「アメル新版」というのは、おそらくこのサイトで私が最初に使った言い方ではないでしょうか。それが、すでに「通称」になってしまっているのですから、ネットの威力はすごいもの(?)。
 以前の日記で、通販サイトの博識ぶりの仕掛けが分かった話をしましたが、この案内もそんなサイトのインフォメーションにしっかり転載されていましたよ。あの時味わった博識さに対する驚きのよりどころが、実は自分自身だったなんて、なんとも不思議な気がします。まあこれは、素直に喜ぶべきことなのでしょう。
 そんな立派なサイトのCDレビュー「おやぢの部屋」の「おやぢ」のランキングが行われているのはご存知でしたか?

3月18日

 昨日の教育テレビによると、小澤征爾の「ニューイヤーコンサート」は売り上げが70万枚を超えたそうですね。これで、今まで国内で販売されたクラシックのCDの中では、「アダージョ・カラヤン」を抜いて最高の売り上げを記録したことになります。しかも、発売からたった2ヶ月で。
 この驚異的なセールス、ある程度は予想されたことではありましたが、まさかこれほどの数字が出ようとは、業界関係者でもきちんと予想はしていなかったのでしょう。現に、リリース後に発売されたMagiの新譜紹介では、「異例の10万枚突破は必至」などというのどかな記述が見られますし。私の場合、実は、来月号のMagiのために、このコンサートのDVDなどのレビューを書いたのですが、その原稿を納品する頃にはさすがにこのフィーバーぶりの全容が見えてきたので、「発売1ヶ月で50万枚を突破、しかも今もなおその記録を更新中」という幅を持たせた表現にしておきましたから、恥をかくことはないでしょう。
 しかし、その原稿でも触れてますが、DVDと同時に発売になるのが、ニューイヤーの「完全版」と、小澤の「ベストアルバム」というのが笑えますね。実は、70万枚を売ってしまったCDには収録されてない曲が4曲もあるということなのです。もっとも、これを入れてしまうと2枚組になってしまいますから、こんな売れ方はしなかったかもしれませんが。
 そのMagiですが、今のところ仙台で置いてあるCD屋さんというのはありませんので、見られるのは私が編集部から送ってもらった物を手渡してもらった「愛人」だけ、とてもまっとうな流通形態とはいえません。私自身も、果たして本当にお店で手にいれて読んでいる人などいるのだろうか、と、疑問に思っていたぐらいですから。そんな矢先、「レコード店でもらったMagiという小冊子でjurassic様の文章を拝見致しました。」という書き出しで始まるメールが届いたのです。携帯メールでしたが、確かにこの雑誌が流通している証として、確実に勇気付けられるものでした。しかも、ライターの名前をきちんと特定した読まれ方までしていたとは。その方がどのようにして私のアドレスを知ったかとか、メールの送り主が若い女性ではないとか(なんでそんなことが分かる!)という点には、あえて目をつぶればよいわけで。
 ところで、明日は分奏ですが、やんごとなき用事で欠席させていただきます。もし、誰か欠席していたら、その人とデートしているのだと思ってください。

3月20日

 昨日は分奏でしたが、私は「通称デート」のためお休みしたということになっています。しかし、「本当はいったい誰とだったんだ」という、いたずらに愛人さんたちの猜疑心を刺激するような事態を避けるために、ここはひとつ、はっきりと告白しておいた方が良いのかもしれません。実は、夕べ私といたのは、鈴木さん(1号さんの疑いは正しい!?)、田中さん(Vnの?)、赤間さん(え、それ、だれ?)、荒木さん(?)・・・
 これは、私のマンションの人たち。実は、持ち回りで町内会の役員をやっているのですが、1年の任期を終えて、最後の定期総会の準備というわけだったのです。予定通り、私は議案書を作って印刷するという、「かいほうげん」に比べたら赤子の手をひねるよりも易しい仕事をやらされると言う段取りです。お騒がせしました。
 さて、3月14日の日記に書いた「メーカーの案内」ですが、やはりこれは私のHPを見て書いたということが、実際に書いた本人からの情報として伝わってきました。これは、かなり誇りに思ってもよいことなのでしょう。一応プロの手になる「公式文書」に、私の文章が引用されるのですから。これはたまたま私の目に触れたものですが、知らないところでこんな具合にご利用いただいていることもあるのかと思うと、身の引き締まる思いを禁じ得ません。ただ、私としては、引用された事実だけは把握しておきたいので、そういう場合を想定して「取説」のほうは直しておきました。
 記念となるべきこの「案内」、全文を転載しておきますので、オリジナルと見比べてみてください。
1893年稿のフォーレのレクイエム(HMC 901292)で高い評価を得たヘレヴェッヘが、今回はフル・オーケストラ版(1901年稿)を録音しました。今回特筆すべきは、
@フォーレの研究家として世界的に名高いジャン=ミシェル・ネクトゥー氏が、最新の研究成果を反映して校訂した、
1998年出版の楽譜(通称アメル新版)を使用していること、
Aピリオド楽器の使用と
19世紀末〜20世紀初頭当時のパリで話されていた発音を考慮して録音したことです。
カップリングも振るっていてフランクの交響曲ニ短調。これもこの録音を魅力的にしています。
19世紀末〜20世紀初頭パリ独特の雰囲気が伝わってくる名演です。
ちなみに、フォーレのレクイエムについて、もう少し詳しく説明すると、稿が3つあり、第1稿、第2稿はヴァイオリンと木管を欠く特殊な楽器編成のために、第3稿はフルオーケストラのために書かれています。
第1稿が5曲、第2稿が第1稿に2曲加わった7曲で構成されています。第1稿としての出版楽譜がないのは、共通している部分が第2稿と同じためです。第2稿はラッター版とネクトゥー/ドラージュ版(ロジェ・ドラージュは指揮者)の2種類の楽譜が出版されています。この2版の最大の違いは、第3稿に近い立場をとる(ラッター版)か、より細かい復元に意を置いた(ネクトゥー/ドラージュ版)かという点です。例えば、歌や伴奏のリズムが細かい点で違うなどです。
で、今回録音された第3稿には4種類の楽譜があり、もともと使われていたアメル社の旧版、
1978年にオイレンブルク社から出版された版、1995年にペータース社から出版された版、そして、1998年にアメル社から出版された新版になります。この最新版が今までのものとどう違うかというと、まず、第2稿についての充分な知識を踏まえていること。オイレンブルク版のように間違いが多いアメル旧版に依拠していないことが重要な点です。具体的には、第2稿と同じように細かい点でのリズムや音高の違いとなって出てきています。
このことからも、今回のヘレヴェッヘの新録音が非常に高い価値をもっていることはお判りいただけると思います。

3月23日

 火曜日の分奏を欠席してしまったので、久しぶりの練習です。やはり週に1度はみんなの顔を見ないことには、どうも生きているという実感が湧きません。風邪も完治したことだし、またオーケストラから元気をもらうことにしましょう。
 長田さんを迎えての2日連続の集中練習、会場は交流ホールなので、楽器を運ばなければいけません。いつも練習の時に並べておく「かいほうげん」のバックナンバーや日程表は楽器倉庫においてあるので、それを持ち出しがてら、ついでに楽器運搬を手伝うことにしました。前々回配った日程表の変更も手書きで修正しようと思ってましたし。
 休日の旭ヶ丘市民センターは、華やかな雰囲気に支配されています。4階まで上がるエレベーターに同乗していたのは、ホールを使っているダンスのグループの人たち、心から打ち込めるものを持っているものにだけ存在を認めることができる、ある種華やかなオーラを発している妙齢の女性たちでした。さすがは「ソシアル・ダンスのメッカ」旭ヶ丘です。もっとも、私にはそのような予備知識があるからそんな風に思えただけであって、何も知らなければ、ただの騒々しいおばちゃんの団体に過ぎないのですが。
 ロビーで待っていたのは、愛しい1号さん。今日ここに来ることは誰にも言ってはいなかったのに、やはり、なにか引き寄せ合うものがあったのでしょうね。意気揚揚と取り出してくれたのは、ご自慢の「4万円の電卓」。「画像も持ち歩けるんですよ。ワードやエクセルも、ほら、入ってるでしょう?」と、ほんとに嬉しそう。思わず私まで幸せな気分になってしまいましたよ。しかし、電卓としての操作性は悪そう。
 練習のスケジュールは、2時から3時半までがドヴォルジャーク。考えてみたら、あっチャンといっしょに吹くのは1ヶ月ぶりになるのですね。この1ヶ月間の、なんと空虚だったことでしょう。本日の長田さんも、風邪気味のようでやや空虚な声を出していましたが、「謝肉祭」のスコアを忘れてきたようで、団員のインランブルクではない、オイレンブルク版を借りて指揮をしていました(「インランディア」へのご投票、ありがとうございました)。いつものマラカス、ではないカルマス版とはやはりかなり違っているみたいで、パート譜と異なった指示を出していたり。練習自体は、例の相当早いテンポにも徐々に慣れてきたようですし、ほんの細かい点のチェックという感じ。
 予定通りに終わったので、残りのモーツァルトは降り番、堂々と早退けすることが出来ました。「もう帰っちゃうんですかぁ?」と、情けない声で寂しがっていた1号さんを構うひまもなく、休日の家事をこなすため、家路をたどるのでした。あしたも、午後からの参加です。

3月24日

 今日の練習予定は、午前中はモーツァルト、昼食をはさんで午後は1時からシベリウスということになっていました。もちろん、私は出番はシベリウスだけですから、1時までに行けばよいのですが、日曜日とあって駐車場の状況はかなり厳しいことが予想されましたから、少し早めに行っておこうと思って、お昼ご飯を早めに済ませて、12時ちょっと過ぎに青年文化センターにつきました。幸い駐車場は空いていましたし(1時間際にきた和重クンなどは、駐車場に入れなくて、私の携帯に連絡をよこしたぐらいです)、もっと嬉しかったのは、午前中だけが出番だったあっチャンたちに会えたこと。てっきり、すれ違いになってしまうと思っていましたから、早めに来てみるものですね。クラのあやちゃんとファゴットのみおさんもやはり「あがり」組、元気な顔を見ることが出来ましたし。あやちゃんあたりは、「靴、おニューですね」などと、昨日早めに帰ったために買いにいけた新しい靴に、目ざとく注目してくれました。
 あっチャンによると、昨日のモーツァルトの時に、ヴァイオリンが同じ場所を何回もやり直されていて、長田さんはキレる一歩手前だったという話を、姫から聞いたとか。ところが、この木管の3人娘はその時はそんなことには気がつかなかったそうです。あとで姫に確かめたら、やはり、かなりアブナかったそうで、当事者にしか分からない感覚だったのでしょう。今日はそんなことがないように願いたいもの。
 シベリウスの練習は、この間とは違ってフツーに1楽章からです。3拍子になるあたりを最初にやって、そのまま最後まで行ってしまってから、頭に戻るというやり方。例のわけのわからないところも、長田さんが指揮をするときちんとそれらしくなってくるから、不思議です。2楽章では、最初のフルートのテーマを、いつもとちょっと違う風に吹いてみました。2番のちほさんには何も言ってなかったので、なんだかチグハグなことになってしまいましたが、長田さんが何も言わなかったのはちょっと意外でした。後で聞いてみたら、アイディア自体は問題ないとのこと、というより、「私もちょっと迷ってます」という自信なげな様子でした。そんなあたりも長田さんらしいのかも。
 3楽章の最後の部分も、ティンパニの前打音がきちんと前に出るように仕上げ、全体として、かなり完成品に近い(もちろん、相対的なものですが)姿になってきたのではないでしょうか。モーツァルトではどのぐらいまで仕上がっているのでしょう。
 楽章ごとの休憩には技術委員会や運営委員会などもあって、私としてはトイレに行く暇もないほどの充実した一日でした。

3月28日

 掲示板でもお知らせしたように、さる人妻と一緒に一泊旅行に行ってきました。その人妻、このほどお嬢さんが大学も決まって、友人と卒業旅行に行ったので、「娘もいないことだし、ごいっしょに旅行でもしませんか?」と私にモーションをかけてきたのです。私としてもそれは願ってもないことでしたから、あまたの愛人をほったらかして、東京まで出かけてきたというわけです。
 なんせ、急な話ですから、ビュープラザで「TYO」を買おうと思っても、ホテルがぜんぜん空いてません。できれば新宿とか渋谷あたりに取りたかったのですが、やっと1軒だけ空いていたのが九段下、まあ、しかたがありません。そもそも、どこに行くとも決めてなくて、「あなたとなら、どこへでも」みたいなノリでしたから。
 出発の日はあいにくの雨、東京に着いたら、本格的な土砂降りでした。一応、私は鎌倉に行ってみたかったので、その日はちょっと無理、急遽、舞浜方面へでも行ってみるかということに。その前に、彼女が持ってきた一泊するために必要な大荷物の処理が大問題です。こんなものを持って舞浜へ行くことなど無理ですから、駅のコインロッカーにでも預けようとは、仙台を出るときから考えていました。しかし、あの広い東京駅で、空いたコインロッカーを見つけることができるのか、一抹の不安はありました。ところが、新幹線を降りてちょっと下に降りたら、見渡す限りコインロッカーが並んでいる空間があるではありませんか。そこはいつも通っていた通路とは微妙に違って、人通りもあまり有りません。ご愛用の「ぴあマップ」を見てみても、そんなところは載ってはいません。どうやら、私の知らない間に東京駅には地下通路が新しく出来ていたのですね。
 舞浜に行ったら、やはり私の知らない間に出来ていたのが、「イクスピアリ」、開放的な設計になっているため、雨の中ではちょっと向かいのショップまで行くのもびしょぬれになってしまうような、天候を選ぶショッピング・モール、分かりずらい案内図とあいまってあまりお勧めは出来ません。呼び物のシネコンも、利府の方がよっぽど立派。
 次の日はよく晴れたので、例によって東京駅で荷物を預けて、やはり知らないうちに地下から出るようになった横須賀線で念願の鎌倉へ。青空と山の緑と、散りかけた桜の中にある青銅色の大仏には圧倒され、近代美術館で開催されていたクレー展では本当に見たかった作品が展示されてなくて、がっかりさせられ、鶴岡八幡宮の参道沿いのお店の多彩さには驚かされました。
 帰り道、東京へ向かう電車の中に電話をかけてくるような野暮な真似をしてくれた某編集者みたいな邪魔者はいましたが、なかなか楽しい旅行でしたよ。禁断の味ってやつですか。

3月31日

 最近の世界のオーケストラの音楽監督とか常任指揮者の事情というのは、とみに流動性を増しているようです。特に今年から来年にかけては、ちょっと思いつくだけでも、ドレスデン・シュターツカペレ(シノポリ→ハイティンク)、ニューヨーク・フィル(マズア→マゼール)、ボストン響(小澤→レヴァイン)、ベルリン・フィル(アバド→ラトル)、フィラデルフィア管(サヴァリッシュ→エッシェンバッハ)、クリーヴランド管(ドホナーニ→ウェルザー・メスト)、フランス国立管(デュトワ→マズア)、バイエルン放響(マゼール→ヤンソンス)などを容易に挙げることが出来ます。
 え〜、「ちょっと思いつくだけ」などと格好をつけましたが、いくらなんでもこれだけのデータをすぐさま出すなどという芸当は私には無理です。実は、これだけ変動の多い情勢を見込んで、つい最近音友から「指揮者とオーケストラ2002」というムックが発売になり、その中にあった一覧表から無断で転載しただけなのですよ。
 この手のムックは、たしか5、6年前に出ていたはずなのですが、このような激動の世界のことですから、もはや使い物にならなくなってしまい、最新のデータにもとずく「2002」が発売されたというわけですね。
 もちろん、日本人の指揮者の項目もあり、ニューフィルゆかりの指揮者の名前もしっかり見つけることが出来ましたが、そこで、例の篠崎靖男さんの説明を読んでびっくりしてしまいました。ご存知のように、篠崎さんは 現在ロサンジェルス・フィルのアシスタント・コンダクターをなさっているのですが、2月の定期演奏会で予定されていた指揮者が病気で振れなくなったので、急遽代役を務めて、大成功を収めたと書いてあったのです。こんな「大事件」全く知りませんでしたから、早速ロス・フィルのサイトに行ってみたら、確かに2月のオール・ベートーヴェンのプログラム(ピアノはアンドレ・ワッツ)を、4日間代理で指揮をしていたのです。
 早速、お忙しいとは思いましたが、篠崎さんに「おめでとうございます」とメールを出しました。そうしたら、信じられないことですが、ほんの2時間も経たないうちに、ご本人から長文のお返事が届いてしまったのです。このときの当地の批評がジャパン・アーツのサイトに掲載されているとか、演奏会前後の緊張感に満ちたありさまなどを生々しく書いてきて下さいました。
 もちろん、このメールの全文は、土曜日に発行予定の「かいほうげん」に掲載しますから、楽しみにしていてください。このように、発行日が近づくといつの間にかすごいネタが転がり込んでくるのには、いつもながら驚かされます。同時に、とんでもなく大きなチャンスをつかんだ一人の指揮者の生の声を直接お届けできるなんて、こんな編集者冥利に尽きることもないと、感激しているところです。

4月2日

 暖かくなりましたね。それもそのはず、4月になったばかりだというのに、仙台ではもう桜が満開になってしまっています。こんなことは、私の今までの体験の中ではなかったこと、「春が早く来た」と素直に喜ぶべきなのか、地球温暖化の影響を憂えるべきなのか、現代人には季節の変化ひとつさえもスンナリ受け入れることは許されないことなのです。
 などと、お堅い話をしている間に、長田さんの最後の集中練習を控えた通常の練習が始まろうとしています。今日からはアンコールの練習も入って、なかなか盛りだくさん。そのアンコール(曲名は、演奏会の楽しみにとっておきましょう)、やったことがある人はたくさんいるので、そんなにてこずらないだろうと思っていたのに、鎌さんの指揮でやってみたら、結構大変なようで、あちこちのパートから「なんでこんなのやるの?」みたいな声が聞こえてきましたね。「あと半年は練習したい」とか。これは、長田さんもてこずるのではないかと、日曜日の練習がちょっと不安です。私は今まで2回この曲をやっていますが、2回ともピッコロを吹いていました。だから、フルートを吹くのは今回が初めて。ピッコロの方がやさしいとは言いませんが、今回の方が大変な気がするのは、楽器のせいでしょうか、テクニックの衰えのせいでしょうか。
 もちろん、その他の曲も一通り全部やってみました。モーツァルトとドヴォルジャークは鎌さん、シベリウスはしできさんという、久しぶりの指揮者陣です。いつもやっている指揮者の影響というのは恐ろしいもので、しできさんまでが「JリーグのJ」などと言い出す始末です。さすがに「か〜ちゃんのK」はありませんでしたが。実は、2楽章の頭のフルート2本のテーマ、モーツァルトをやっている間に、隣の部屋でちほさんといっしょにしっかりさらっていたのですが、それは時間の都合でやることは出来ませんでした。これも、長田さんの練習でぶっつけで成果を披露という、ちょっと不安なことに。
 愛人達にせがまれたお土産を渡すのも、忘れてはいませんでした。最初は「新婚旅行」で仕掛けたものが、いつの間にかすっかり「不倫旅行」が定着してしまっていて(ネットの威力は偉大です)、相手によっては、何か不純なものを感じている場合も。だから、私としては、そんな必要は全くないにもかかわらず、なんとも後ろめたい気持ちを装うという愉快な体験を楽しませていただきました。そのお土産、有名な「鳩サブレー」ではなく、同じ豊島屋の鳩の形をした砂糖菓子でした。

4月4日

 いま、日曜日(この前「土曜日」と書いたのはウソです)に発行予定の「かいほうげん」の仕上げにかかっているところです。あのときに篠崎さんのネタで2ページ分出来てしまったので、予定していたJAO関係の記事は思い切り縮小してほんの数行に。それで完成と思ったのですが、おとといの練習の時に事務局長から「こんなのが来ています」と渡されたものがあって、さらに差し替えを余儀なくされることになってしまったのです。その渡されたものとは何かというと、1211日の日記に登場した大学生の方(愛人ではありません!)が、市内のオーケストラの団員にアンケートをとって、それをデータにまとめたレポート。A4の用紙に16ページという力作なので、ちょっと読んだだけではとても今回は収まらないだろうと思ったのですが、じっくり読んでみると本当に肝心な箇所はそれほど多くはなかったので、演奏会の案内用にとっておいたスペースを流用することにしたのです。
 実は、このレポートが完成したというのは、やはりアンケートに協力した別のオーケストラの3月10日の日記を読んで知っていました。なぜニューフィルには一月近くも遅れて届いたのかは謎ですが、これで晴れてその内容に接することができたというわけです。
 私もそうですが、あのアンケートに答えた人は、そんなに深く考えないで、かなりいい加減に書いていたのではないでしょうか。だから、そんなデータをもとに何か結論を出すことはかなり無謀なことだというのは、容易に想像が付きます。案の定、このレポートでも、それらしい解析結果は出てはいますが、ほとんどこじつけとしか思えないようなものばかりです。結局、データをこねくり回した結果が、ほとんど直感で書かれた茂木さんの本の内容と見事に一致してしまったのですから(この本が「参考文献」というのが笑えますが)、結論は最初からわかっていたようなものでして。
 それを承知で、「かいほうげん」に抜き書きした「フルートやファゴットがクラリネットに比べて反社会性が高い」とか、「フルート・クラリネットがファゴットに比べて清潔さ・几帳面さが高い傾向が認められた」などというフレーズを味わうのも、なかなか楽しいものなのではないでしょうか。
 いずれ原本をコピーして置いておきますので、じっくり読むなり、とばして読むなりしてみてください。

4月7日

 長田さんとの集中練習も、ついに最後になってしまいました。最初にいらしたのが1月の末でしたから、ずいぶん長いことお付き合いをしていただいたことになりますが、あっという間に演奏会が近づいてしまったような気もします。いよいよ最終段階になったということで、長田さんのやり方に少なからぬ変化が現れたと思えるのは、気のせいでしょうか。例によって昨日のモーツァルトは降り番だったのですが、あっチャンの話によると、細かいところを徹底的にしごかれていたそうです。
 今日は「謝肉祭」から。私は両脇を愛人にはさまれるというシーティングのため、各方面にさまざまな憶測を呼んでいますが、そんなものは演奏する上では邪魔にこそなれ、なんのメリットにもなりません。私にとってはよい演奏をするために全能力を投入する、それしか念頭にはないのです。・・・というのはあくまで建前、直接お話いただくか、メールでもいただければ、直ちに愛人登録の手続きをさせていただきますので、どうかお申し出下さい。特典として、「Magi」の最新号を毎月手渡してあげます。団員のすべてに番号がつく日が来ないとは、誰が言い切ることができるでしょう。
 「び」のせいで話が横道にそれてしまいましたが、今回は長田さんの提案で、交流ホールでのオケの配置を、今までと全く逆にして壁に近く配置したため、なかなか充実した音が体験できました。金管や打楽器がとてもはっきり聴こえてきてうるさいぐらい。さらに、今日の長田さんはソロをとっているプレーヤーに執拗に「どんなイメージで吹いてますか?」と問いかけていました。オーボエが「愛する人のイメージ」とでも言おうものなら、「その愛は成就するのですか?」とか。実は、私もひそかに、1楽章後半のソロでつかまることを予想して、「孤高の人格」とか答えてやろうと楽しみにしていたのですが、質問されたのはまったく別のところで、長田さん本人も「答えようがないですね」と苦笑いしてましたっけ。
 結局、ドヴォルジャークもシベリウスも、建設的な創造作業に終始して、極めて穏やかな中に終了時間を迎えました。あと残された練習では、本番どおりの曲順で通してみるだけのようですから、いたずらにストレスがたまるようなことは、おそらくもうないことでしょう。ストレスのもとになるとすれば、演奏会の次の日に行われる「仙台フルートの会」です。今日もニューフィルのあと3時間びっしりの苦行に近いリハーサル、ちょっと辛いものがあります。

4月9日

 「かいほうげん」も配り終えたし、Magiの原稿(来月は3本)も書き上げたし、心残りのものは全部片付いたので、いよいよ定期演奏会モード突入です。とは言っても、私の場合、普段忙しい分演奏会の雑務というのはほとんどタッチしないようにしていますから、力を入れるのは演奏関係だけという恵まれた環境にあります。ですから、チケットなども積極的に売ろうという気持ちはさらさらなく(ていうか、親類縁者関係は「友の会」のチケットが回ってしまうので、私のノルマからはさばけないのです)できることなら何もしないで演奏会を迎えたいという、究極の手抜きを目指したかったのです。しかし、今回、徹サンがチケット売上げリサーチの係に任命されたことで、そんな目論見はもろくも崩れ去ってしまいました。この新たな任務に熱意を燃やす徹サンは、今日も調査結果の克明なデータを示しながら、各パートごとの売上げ状況を読み上げて、いやが上にも販売意欲をかきたてられるような状況をを作ろうと懸命に煽り立てていました。確かに、演奏会の数を重ねてくると、どうしても最初の頃の熱意というものはうすれがち。ひとつ、初心に返って、多くの人に聴いてもらえるよう、頑張ってみますか。
 そんなわけで、最初はモーツァルトでしたが、あっチャンが少し遅れるというので例によって代吹きです。私にとってはしばらくぶりのモーツァルトですが、音楽が始まると、この前吹いた時とはずいぶん変わっていたのには驚きました。きちんと方向性が出てきたというか、確実に他人に聴かせられる音楽に進歩していました。すぐにあっチャンが入って来たので、交代して聴いていましたが、私とははまり具合がぜんぜん違うことに気付かされました。やはり、長田さんとの集中練習の成果でしょう、今度長田さんが来る時も、代役は立てないでやりたいと言っていた気持ちがよく分かりました。それから、最後にコンマスとセカンドのトップが後ろに下がって弾いていましたが、そのときも、ガラリと音が変わったのは驚きでした。
 懸案だった「0号」の謎も解けたし、打ち上げの二次会の会場も決まったようだし、あとはひたすら最終チェック。しかし、「フルートの会」は・・・

4月12日

 今回の指揮者、長田さんが初めてニューフィルを指揮されたのは、今から7年近く前のことでした。その頃はまだ独身、全身から発するフェロモンに、女性団員はことごとく理性を失ってしまったものでした。演奏のほうも、私達の潜在的な熱意を確実なかたちに変えてみせるという、ほとんど魔法に近いもの、その時のチャイコフスキー、次の年のワーグナー、ブルックナーと、ほとんど陶酔感に近い熱い思いを身近に感じたものでした。
 その、ブルックナーの演奏会が終わったあとの打ち上げで、私は長田さんにひとつのお願いをしたのです。それは、「かいほうげん」への原稿依頼でした。すでにその頃から「かいほうげん」のレベルは現在のものとほとんど変わらない高い水準を示していましたし、長田さんもそれは認めておられたようなので、「何か書いてくれませんか?」と話し掛けたときも、「いいですよ。ひとつ、長編小説でも書いてみましょう。」という、いつもながらの冗談とも冗談ともつかない答えが返ってきたのです。
 長田さんがニューフィル向けの原稿を完成したらしいという噂が、どこからともなく伝わってきたのは、それからしばらくしてのことでした。しかし、いつまで待っても、私の許にその原稿が送られてくることはありませんでした。私がその原稿を目にしたのは、ニューフィルとは無関係なアマオケの筋を通してのこと、しかし、それには、明らかにニューフィルの団員に向けられた熱いメッセージが込められていたのです。もしかしたら、ある種の甘酸っぱい慕情すら漂っていたのかもしれません。このようなものを公開せずにおくことなど、編集者としての私にできるはずはありません。即刻、「号外」という形で発行しました(もちろん、その旨はFAXで伝えることは忘れませんでした。返事はありませんでしたが。)。のちにこのサイトを立ち上げた時、もちろんコンテンツのひとつとして使わせていただきました。それが、「お茶の水博士が夢に出たあ!」です。
 正直言って、許諾のお願いはしてあるものの、直接長田さんからの返事はついにいただけなかったので、不安な面はあり、この件は私の中でのある種のわだかまりとなって、重くのしかかっていました。
 ところが、おとといのこと、長田さんから私の許へ、1通のメールが届いたのです。それには、この間発行した「かいほうげん」に掲載した篠崎さんの記事に関連して、「篠崎君のメールアドレスを教えて欲しい」というお願いとともに、「次回のかいほうげんに熱いメッセージを寄せたい」というお申し出でが書かれていました。先ほどの原稿の件も、「HPに掲載され驚きつつ有り難く思いました。へ、へ、へ。」という、屈託のないものでしたし。
 これで、私の長年の懸案は解決しました。それどころか、長田さんの書き下ろしの新作が近いうちに手に入るのですよ。いったいどんなものが届けられるのでしょう。楽しみですね。

4月21日

 評判の「ビューティフル・マインド」を見てきました。この映画の内容については、予告編も見てますし、あちこちでレビューもでているので、大筋は分かっているつもりでした。しかし、最近の予告編というのは実に巧妙に出来ていて、見たくなるようなシーンを盛り込んで、とりあえず観客の目を引きますが、ストーリーについては決して詳細を明らかにすることはないのですね。
 この映画も、まさにその典型、予告編その他で想像されたストーリー展開とは全く異なったプロットで、びっくりしてしまいました。前半は、まあ、変わり者の天才が認められ、好きになってくれる人も現れて結婚するというありがちですが退屈な滑り出し、これから「精神障害」に見舞われて苦労するけれど、妻の愛で立ち直る、というお決まりのお話だと思っていたのです。ところが、その「精神障害」が発覚した時から、この映画は全く肌触りが変わって、退屈どころか、ひと時も目を離すことができないようなものになってしまいました。これからご覧になる方のためにネタはばらしませんが、基本的にこのような「どんでん返し」が大好きな私にとっては、このストーリーの骨組みだけですっかり嬉しくなってしまったというわけ。しかも、物語の構成は見事としかいいようのないもの。大詰めで、ノーベル賞の審査員がティーサロンに主人公を導く場面では、的確な伏線のおかげでその先の話が読めてしまい、その感動的な光景を予想するだけで胸にこみ上げるものがありました。案の定、予想したのと寸分たがわない場面が眼前に展開された時には、こらえきれず号泣している私があったのです(それはもちろん「ペン」のシーン)。
 音楽は、「タイタニック」のジェームズ・ホーナー、シャルロット・チャーチを巧みにフィーチャーして、とても快いサウンドを聴かせてくれていました。それよりも、私が一瞬凍りついたのは、主人公が大学の自分の部屋でかけていたレコードプレーヤーから聴こえてきた歌声です。なんと、それはエマ・カークビーの声、しかも、曲はヒルデガルト・フォン・ビンゲンの作品ではありませんか。「ゴティック・ヴォイセス」と共演したHYPERION盤に間違いありません。考えてみれば、この曲が流れるシーンはまさに「精神障害」の始まり、非現実の世界へのトリガーとして、この中世の曲を意図して使ったのだとすれば、それは、キューブリックの「ツァラ」や、コッポラの「ワルキューレ」など足元にも及ばないとてつもない発想と言えるでしょう。(1947年にヒルデガルトの録音があったのかと言う議論はさておいて)
 エンディング・ロールが流れ始めると、普通はぼつぼつ帰り始める人が出てくるのものですが、これだけ充実した内容の作品を見た後では、観客は誰も、明るくなるまで立ち上がろうとはしませんでした。おかげで、挿入曲のクレジットも落ち着いて見ることができました。やはり、それは確かに、あのHYPERION盤だったのです。

4月23日

 雨後の筍とはよく言ったもので(掲示板の使いまわし)、先週までは元気がなかった竹薮が、一夜にしていたるところ筍の頭だらけという、例年と変わらない状況にになってしまっていました。せっかくだから愛人達に食べてもらおうと、朝から筍掘り、この道10年以上の私にしてみれば、12本程度を掘り出すのはいともたやすいことでした。これ以上あると持っていけないので、ひとまず手を汚さないように袋に入れて、今日の分は完了です。
 今日の練習は、最後の指揮者練習、曲順におわりまで通してみるという予定は、だいぶ前から決まっていました。平日だというのに、ほとんど欠席者はいないという、熱気あふれるもの、長田さんが指揮台に立つと、何の前触れもなく最初の「謝肉祭」がそのまま始まってしまいました。良い意味での緊張感が団員すべての間にみなぎっているような、いきいきとした演奏が実現できていたように感じられましたが。
 そんな緊張感とは裏腹に、私は、持って来た筍の配分先について、頭を痛めていました。実は、1曲目が終わった休憩までの間に、すでにかなりの数が団員の手に渡っていました。たくさんあったと思って油断していたら、ひょっとしたら愛人全員には渡らないかもしれないという、不幸な可能性も出てきてしまっていたのです。
 しかし、練習は続きます。モーツァルトは通して聴くのは初めて、なかなかまとまっては来たようですが、通してやってみると、集中力が最後まで持続できない様子がありありとわかります。もっとも、そういうことを体験するのがいわば今日の練習の目的でしょうから、あとひと頑張りということで。
 次の長い休憩の時に、慎重に割り振りを考えて渡したつもりでした。しかし、結局3号と29号の分は、どこにも残ってはいなかったのです。この恨みがどのような責め苦に変わって私に降りかかるのか、想像するだに恐ろしいではありませんか。
 終わってから「食事」に行くというので、長田さんたちとロイヤル・ホストへ行きました。「飲み会」ではなかったので顔を出す気になったもの。団内丸秘情報が飛び交う中、長田さんは原稿の材料を見つけることが出来たでしょうか。

4月25日

 去年の秋に開催された「日本音楽コンクール」、通称「毎コン」は、その年はフルート部門の審査が行われるということで、テレビでその模様が放送された時は良く見ていたものでした。しかし、基本的には、フルートの人だけ見ればよかったので、他の部門は全く関心はありませんでした。だから、何回か放送があったあと、「総集編」みたいな形で全部の部門をまとめて編集したものが、確か休みの日に放映になったので、ついでにピアノや声楽を見てみる気になったのは、ほんの偶然のことだったのです。
 その番組では、ステージ上の演奏だけではなく、楽屋でのインタビューとか、いろいろ、音楽には関係のないことまで無神経に聞かれている出場者の姿があって、「煩わしいだろうなあ」などと思って、見ていました。そんな中で、ピアノ部門の出場者の中にユニークな男の子がいて、何でももともとは秋田に住んでいたらしいのですが、ピアノの才能があるというので、わざわざ一家揃って、芸高に入るために東京に引っ越してきたというのです。ご両親もカメラの前に登場していましたが、こんなことを言ってはなんですが、いかにも「秋田」という人たち(これ、決して馬鹿にして言っているのではなく、まさにそれ以外に表現できないような見掛けだったのですよ)。ご本人も、今時の「ピアニスト」とはちょっと距離があるような、うん、やはり「秋田」という感じ、なんか、素朴でいいな〜みたいな、好感の持てる風貌でした。
 ところが(という言い方は、適当ではないかも知れませんが)、演奏が始まってみると、この子のかもし出す音楽がすごく良いのですよ。何を弾いたのかは忘れましたが、歌わせ方がとても自然で、すんなり心の中に入ってくるような安らぎ感があったのです。テクニックで聴き手を威圧するようなことは全くなく、あくまで音楽自身に語らせるような心地よさでした。コンクールの審査基準など私にはわかりませんが、もし私が審査員だったら、迷わずこの子を1位にしたい、と思ったものです。
 そして、審査結果の発表になりました。私の審美眼もまんざらではなかったようで、その秋田の子が1位を獲得したのです。その子の名前は佐藤卓史くん、現在は芸大の1年生ですが、もうぼちぼちあちらこちらで演奏活動も行っている、文字通り「若手のホープ」です。
 その佐藤くんが、ニューフィルの秋の定期でラフマニノフのピアノ協奏曲を弾いてくださることがほぼ決定しました。指揮者の松尾さんのご推薦によるもの、松尾さんも「並はずれた才能の持ち主」とおっしゃっていたそうで、楽しみなことになりましたね。きっと、聴き手をひきつけて止まないラフマニノフを聴かせてくれることでしょう。
 念のため、正式決定までにはまだいくつかステップが残っていますので、これはあくまで無責任なものと受け取ってください。

4月26日

 秋の演奏会のことを考えるよりも、まず今度の演奏会のほうが先。もう、明日は本番です。会場の県民会館で、きちんと山台を組んで、本番どおりの練習が行われました。その山台とか、ステージのセッティングは、音出しの1時間前から集まっていた団員の手によって、いとも簡単に出来上がってしまいました。重たいもの(山台など)は男性、軽いもの(台の留め金)は女性などという分業も自然に出来て、それでも何も仕事がなくてブラブラしている人もいるという、余裕のある人材のおかげでしょう。
 私は、適当に手伝ったあと、ステージが組みあがるまでの様子を写真に撮ったりしてました。それから、何くれとなく人の動きを眺めながら、必要な人と必要なコンタクトを取ることも忘れてはいません。その最も重要なものが、この間渡し損ねた筍の授受。予想したとおり、3号は掲示板で泣いていたし、29号ときたら「筍をもらえなかったのは、私がいけなかったせいなのね?」とひがみだす始末。これは何とかしないと、大変なことになってしまいますから。幸い、お2人とも、新しい筍で機嫌を直してくれたようで、よかった、よかった。
 ところで、3号のりっちゃんは、29号が誰なのか今まで知らなかったようで、「29号って、あなただったの」、「ええ、よろしくね」などという、知らない人が聴いたらびっくりするようなものすごい会話が交わされていたのでした。
 さて、そんなしょーもないことをやっていないで、練習です。この間と同じように、曲順に、しかし、今日は適宜止めながら進んでいきます。最初の「謝肉祭」をやっている間は、なんか自分の響きがよくわからない違和感がありました。これがホールでの練習のポイントなのでしょう、しばらくするうちに、いつもの本番前の感じが段々つかめてくるようでした。モーツァルトを客席で聴いて見ると、弦がかなり貧弱にしか聴こえません。というか、管がとてもよく聴こえてくるという感じです。シベリウスでも、聴いていたあっチャンの話では、やはり管が聴こえ過ぎだと。
 しかし、響き云々を考える前に、シベリウスでは細かいところでトラブルが続発していて(もちろん、私も含めて)、ちょっといつもより集中力に欠けているのが気になりました。これも、おそらく会場のせい、広いところに来てちょっと散漫になっている状態を、明日のゲネプロでいかに平静なところに持っていくか、それが課題でしょう。それに適度の緊張感が加われば、そんなに悪い演奏になるはずはありません。
 打ち上げの申込みとか、ビデオなどの申込みも、いつものとおり、本番前の喧騒です。そんな中、しできさんは新たにDVD-Rの注文も取っていました。そんなことができるようになったんですね。

4月27日

 やはり燃えました。長田さん。アンコールの「カレリアの行進曲」の最中、感極まって、確かに涙のようなものを流していたのを、私は見逃しませんでした。
 県民会館への集合は1時ということでした。多分早めでも空いているだろうと思って12時半頃に行ってみたのですが、そこで出会ったのが鎌さん。「まだ空いてねえべ」と言ったとおり、やはり楽屋入り口にはまだ鍵がかかったままでした。仕方ないので、時間つぶしにすぐそばの仙台レコードライブラリーに行ってみたら、コンバスの和弘さんも、やはり時間つぶし。私のところに来て、「フォーレのレクイエムとフランクの交響曲が一緒になったCD買いに来たんですけど、まだ出てないんですか」と聞くのです。3月20日の日記に書いた事を憶えていてくれたのですね。そうなんです、このCDを心待ちにしている人はたくさんいるのですよ(じつは、そのあとタメヨンにも同じことを聞かれました)。○ングインターさん、さっさと出してくださいよ。
 しかし、1時ちょっと前にもう一度行ってみたら、もう20人ほど集まっていました。私が着くなり鍵が開いて、いよいよ本番のゲネプロの開始です。モーツァルトあたりは、きのうとは見違えるような弦の響きを聴くことが出来ましたが(実は、客席で聴いていて、3楽章の途中で寝てしまったようで、4楽章が始まって目を覚ましたというぐらい、気持ちのよい響きだったのです)、シベリウスはどうも本調子ではありません。私は冒頭の木管の部分で指が回らなくなってしまったりして、ちょっと危険な兆候です。
 こんな時は、本番はとても集中力が働くもの。今までになかったほど、冷静に音の流れを見つめることが出来ていました。ホルンがちょっと失敗した時に、わずかに左眉を上げていた長田さんの表情もよく見えていましたし、オーボエの理恵さんのリードが不調なのも、よく分かりました。チェックポイントを思い出して、ひたすらミスだけはしまいと務めているうちに、もはや、シベリウスの最後のアコードになっていたのです。もちろん、要所要所で熱く煽り立ててくる長田さんの指揮も、しっかり見ていたつもりです。
 「謝肉祭」のあとでさえ、まるで演奏会の終わりのようにソロをとった奏者を立たせるといった、ちょっと間違えると白々しくなってしまうようなパフォーマンスまでも全部含めた上で、県民会館を埋め尽くした843人の聴衆は長田さんのかもし出すオーラに酔いしれていたのです。
 今ごろは、2次会で大いに盛り上がっていることでしょう。明日の「仙台フルートフェスティバル」さえなければ、こんな後ろ髪を引かれるような思いで帰って来て、日記を書いているようなことはなかったのに。

4月28日

 「仙台フルートフェスティバル」の本番です。本来はその名のとおり、有名なフルーティストのミニリサイタルと、フルートオーケストラを同時に楽しめるという、ヴァラエティに富んだコンサートでした。それが、いつの間にかフルートオーケストラのためだけのステージしかなくなってしまったので、やってるほうは大変です。とても、ニューフィル定期の次の日にすぐできるようなものではないのですが、スケジュールの都合でこんなことになってしまっていました。
 出演者のかなりの数がニューフィルの団員、しかも、ビデオ撮影や写真撮影なども、いつもお馴染みのしできさんやりっちゃんですから、夕べの打ち上げの余韻を引きずるなというのが無理な話です。さらに、今回は愛人達にも、お客さんとして招集をかけていましたから、演奏会が終わったら(もう終わっちゃった)そこらへんニューフィルの人たちがウロウロしているという状態になってしまいました。黄色い目立つ服装で人目を引いていた1号は、きのう撮った写真を早速CDに焼いて持ってきてくれました。おそらく、「冠」ネタで「禁断」がアップされる日も遠くはないでしょう。4号、6号、29号は、なんとプレゼントまで持ってきてくれましたよ。プレゼントをくれたのは、それだけではなく、もう一人。というわけで、ここにめでたく30号が認定されたことになります。
 さらにすごいことに、しできさんはもうきのうの定期のビデオとCDを作ってきてしまっていました。今日会場で出会った関係者には、一足先に渡されたというわけです。もちろん、私もビデオをゲット。ついさっき見終わったばかりです。演奏はともかく、打ち上げの様子を見ていると、夕べの思い出が蘇ってくる思いです。長田さんの話では、シベリウスの5番を演奏したのは初めてだったとのこと。この前のブルックナー/ワーグナーというプログラムにしても、私達がきっかけになって新しい物にチャレンジできて、そのことを本当に感謝しているということを、何の臆面もなく語ってくれる指揮者など、長田さんのほかにはいなかったのではないでしょうか。いや、よく考えてみると、他にもいましたね。それは篠崎さんと下野さん。どんな小さな、アマオケの演奏会みたいな出会いでも、きちんと自分の糧となさっている方々は、やがてはビッグになっていくのでしょう。
 しかし、5号が挨拶しているすぐ前で私と2号がイチャイチャしているのがもろに写っているのにはあせってしまいました。そう言えば、筍つながりで晴れて愛人番号を獲得した7号と話をしたり、28号と仲良くツーショットを撮ってもらっていたりしているのを遠くから眺めていた4号に、あとで「ずいぶんお忙しいようですね」と皮肉たっぷりに追求されたのも思い出しました。

4月29日

 なんと、5日連続の日記になってしまいました。ニューフィルの本番前後の慌しさに加えて、次の日にも別な本番があったので、ネタには困らなかったということです。今日は、全く関係ない別の人のコンサートに行ってきました。これは、しできさんにチケットをいただいたもの。実は、しできさんの幼馴染の方が、今では東京交響楽団の首席(主席ではありません)フルート奏者をなさっているのですが、その方の演奏も聴けるというので、行ってみる気になりました。
 メインはやはりしできさんのお知り合いのソプラノ歌手、名前も全然知らない方ですし、内輪のリサイタルみたいなものだとたかをくくっていたら、とんでもない、会場の「楽楽楽ホール」は、ほぼ満員の盛況でした。普通、演奏会に行くと、ロビーあたりで誰かは知っている人を見かけるのですが、今日は完璧に見知らぬ顔ばかり、プログラムには「涌谷町」とか「南郷町」とか、ローカルな文字が見られますから、おそらくそのあたりの人が大挙して来場していたのでしょう。中に入って、バルコニー席に座って下の客席を眺めても、やはり知った顔はありません。最後列にマイクとビデオカメラがセットされていましたから、おそらく、関係者が録音、録画を頼まれたのでしょうね。マイクスタンドは本格的なもの、マイクもかなり立派ですから、そうとうマニアの人がいるのでしょうね。まるでしできさんみたいに。
 と思っていたら、なんと、そこに入ってきてカメラの前に座ったのは、しできさんその人ではないですか。きのうと同じオレンジのシャツを着て。ということは、しできさんはそれこそ3日連続でコンサートの録音、録画をやっていたということですね。いやはや。それで、それぞれをダビングするのでしょうから、大変なことをなさっているわけですね。こういう特技と情熱を持った人が、ニューフィルの中でも献身的に仕事をされているというのは、素晴らしいことです。そう言えば、定期演奏会の当日、29号が、出来上がったプログラムを見て、「こんな能力をお持ちの方が団員にいらっしゃるなんて・・・」と、ほとほと感心されていたのを思い出しました。そのほかにも蛙のペーパークラフトの名人とか、筍掘りの名人もいますしね。
 演奏会の方は、有り余るほどの表現したいことを内包されているソプラノの方の情熱には圧倒されました。私にしてみれば、お目当てはフルートの相澤さんだったわけですが、まろやかな音色と、確かなテクニックには感服させられました。昔さる方が演奏しているのを間近で聴いて、楽譜を買ってみたら、あまりの音符の多さに、さらう気が萎えてしまったという「魔弾の射手幻想曲」を、これほど易々と吹いてのけるなんて。

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