バックナンバー21

(02/1/3-02/2/27)


2002年1月3日

 あけましておめでとうございます。中部地方は大雪だそうですが、ここ仙台ではほんのお湿り程度の降雪でした。きのうから、恒例の初売りが始まり、朝の4時に寒いところを起こされて娘を街まで送っていくなどという辛くもアホらしいことに付き合わされて、休んでいるひまもありません。結局、きのうはそのあと少し寝ただけで、今度は「美人な人」のお供。あちこち引きずりまわされた挙句、夕方になって雪が降り始めた頃に、見事に渋滞にはまってしまいました。全然車が動かなくなってしまったので、退屈しのぎに前の車を撮ったものがこれ。

 トヨタのウィルなのですが、新しいタイプの車を後ろから見ると、まるで口をあけた凶暴な動物の顔に見えません?ナンバープレートが前歯みたい。渋滞の間中前からジッとにらまれているようで、ムカつきましたね。
 一応、私の用事にも付きあわせて、CD屋さんなどにも行ったのですが、お目当てのブリリアントのモーツァルト全集はどこにもありませんでした。しかし、レコードライブラリーでは、1枚500円というワゴンセールの中にとんでもない掘り出し物を見つけてしまいました。それは、WERGOのキャシー・バーベリアンのソロアルバム。「magnifiCathy」というタイトルのこのアルバム、かつて国内盤のLPが出たときに買って、(その時の販売元は、今はなき「トリオレコード」)さんざん愛聴したものです。CDになったのは知っていましたが、わざわざ買うほどの事はないと思っているうちに、こんなバーゲン品になっていたのですね。一番のお気に入りのナンバーは、ワイルの「スラバヤ・ジョニー」だったりしたわけですが、今回何十年かぶりに(最近この言い方、おおくね?)聴き直してみたら、意外なことを発見してしまいました。昔は気がつかなかったのですが、この曲だけ、キャシーは極端な「ちりめんビブラート」をかけているのです。はっきり言って、これはかなり聴き苦しいものですから、こんなヘタな人だったのかと思ってしまったのですが、よく考えてみたらこれはまさに、ロッテ・レーニャの真似だったのですね。昔はもちろんレーニャなんか知らなかったのですが、今聴くと、ワイルの曲のもっとも信頼のおける解釈者であり、彼自身の妻でもあったレーニャの独特な表現を、この曲に欠かせないものとしてそのまま取り込んでいたという事がはっきりわかります。それが分かってしまうと、このアルバム自体が、まるごとパロディになっていることに気付くのは容易なこと。30年たってやっとそのコンセプトが理解できたなんて、間抜けだと思う反面、とても刺激的な体験でした。

1月6日

 皆さん、お正月休みはいかがお過ごしだったでしょうか。今年のお正月は今日の6日が日曜日だったので、「いっそのこと」ということで、今日まで休んでしまった方が多かったのではないでしょうか。私もその例にもれず、去年の28日から今日まで、なんと10日間も連続して休みをとってしまいました。しかし、家にいれば大掃除の手伝い、そうでなければ買い物に引きずりまわされたりと、結局ゆっくり休まる暇などありませんでしたが。
 初売りが終わったと思うと、間髪を入れずにバーゲンが始まるというのが、商店街の慣わしとか。とりあえず休みの最後に街へでもと、一番町あたりへ出てみたら、なかなかの人出で歩くのも大変なほど。初売りのときに行きそびれた某ヘンタイ・ムチムチ・ヴィデオ(HMV)へ向かうにも、なかなか思い通りには歩けないほどでした。
 この前の日記に書いたように、年末からずっと探していたのが、ブリリアントのモーツァルト全集。例の、バッハの全作品が4万円足らずで揃えられるという超ハイCPのCDを出しているレーベルが、今度はモーツァルトに進出、バッハ同様さまざまなレーベルを取り揃えて格安の値段で提供してくれるというありがたい企画です。この中にレクイエムの新録音があるという情報を伝え聞いていたので、レクイエムまにあの私としては、もしかして珍しい版の演奏かも知れないと思って、ぜひ手に入れようとしていたのです。
 幸い、このお店には、今まで出ているモーツァルト全集の8巻までがすべて揃っていました。その8巻目が「宗教曲」、その中に、確かにレクイエムもありました。ホッとしてケースを眺めていると、後から「あけましておめでとうございます」という男女の声。その男女というのは、なんと、ニューフィル1の美女の○子サンと、ニューフィル1の色男◎サンではありませんか。CDに夢中になって不意を突かれた形になってしまったので、この二人がどのようにしてここのクラシックコーナーに入ってきたのかは、全然チェックすることは出来ませんでした。腕を組んでいたのでしょうか。あるいは、手をつないでいたのでしょうか。しかし、○子サンが、「お慈悲ですから、どうか、このことは決してニューフィル日記には書かないで下さいまし。」と懇願したことから、自ずとその状況は明らかになろうというものです(そんなことを言うぐらいなら、声などかけなければ良いのに、という矛盾にはあえて無視を決め込んでっと)。
 帰り道では、団長の崇サンにも出会ったりして、ほんと、奇遇などいくらでもその辺に転がっている昨今です。
 ちなみに、このモツレクはただのジュスマイヤー版でした。

1月8日

 今年になって、初めての練習です。去年は18日が最後でしたから、3週間も休んでいたことになります。年に1度のお正月、オケをはなれて、たっぷりと休養を取ったあとは、また過酷な修羅場が始まります。
 練習のメニューは、モーツァルトの第1楽章、謝肉祭、シベリウスの第1楽章という順番。モーツァルト担当のあっチャンは、15分前に到着して、スタンバイ、去年の最後はお見合いで来れなかったので、私と会うのは、なんと1ヶ月ぶりということになりますね。なんとなくふっくらして見えたのは、髪形のせいでしょうか。
 モーツァルトの間は降り番でヒマですから、ロビーでブラブラしていたら、おととい街で会ったばかりの団長の崇さんがやってきました。「お願いがあるんですよ」と真剣に話し出すので、とうとう来たなという感じ、土曜日に予定されている団員総会についての相談でした。「私、忙しくてとても団長やってられないので、代わりにやってもらえませんか?」・・・というのはウソですが、まあ、総会の当日には明らかになることでしょう。
 休憩時間には、新入団員承認のための技術委員会。今月も3人の承認者がいて、なおかつ承認待ちが2人、さらに、ヴァイオリンに新たな見学者を来ていましたから、いよいよ「団員100人」も夢ではなくなってきています。
 後半は、シベリウス。オーケストラは生き物だとはよく言ったもので、一月近く合奏をやっていないと、明らかに勘が鈍っているのがよく分かります。時間がないので、1楽章といっても後半つまり、初稿では第2楽章に相当する部分だけをやったのですが、最初のうちはなかなかリズムに乗ることが出来ませんでした。ほんとにここで入っても構わないのかという、一瞬の戸惑いみたいなものが出てしまうのです。まあ、2〜3回繰り返しているうちに、どうやらもとのペースはつかめてきましたが、こればっかりは、一人で練習していたのではどうにもならないということがはっきりしましたね。
 終わってからは、まるで正月休みのお土産交換会。ヴェトナムの飴とか、江戸むらさきのプリッツ、あっチャンあたりはとらやの羊羹まるごと1本ですとさ。
 ところで、素朴な疑問なのですが、小澤のニューイヤーコンサートのバックでバレエなどと一緒に馬のダンスも披露されていましたが、あれは「馬年」にちなんだものなのでしょうか。もしそうだとしたら、ちょっと凄いことだと思うのですが。

1月12日

 いよいよ待ちに待った新年会の日がやってきました。あの「ツーショットの達人」ヤスユキさんも、デジカメの充電に余念のない日々を送ってこられたことでしょう。
 しかし、お楽しみはあとにとっておくもの、新年会が始まるまでの通過点が数多く用意されているのは、私達にとってのある種の試練なのかも知れません。まず第1の試練は技術委員会。秋の定期演奏会の曲目を決めるという話し合いですが、とりあえずメインの候補曲は決まったものの(一応フランク、次点がラフマニノフ)これから先の道程には依然遠くて長いものがあります。
 そして、第2の試練が、団員総会です。例年だと、たいした問題もないので「シャンシャン」で終わってしまうのですが、今回は改正事項などがあって、ちょっと紛糾する場面も。その最大のものは、役員改選。基本的には全員留任なのですが、欠員が一人出たということで、新しい人を選ばなければなりません。そこで、前回の日記にあるように、団長さんが私に打診してきたと言うわけです。ところが、私を新しい役員に迎えるという案を団長が提案したところ、轟々たる非難の声があがってしまったのです。「あんな、愛人をたくさん囲っている、オーケストラ団員の風上にも置けないような不道徳な奴に役員を任せることなど、断じてまかりならぬ」という、いかにももっともな意見、とうとうこの案は取り下げざるを・・・すみません。作ってしまいました。本当は、ごく当然のように承認されてしまったと。役員になったからといっても、実質的には今までと全く同じことなので、この日記も相変わらずバカばかりになることでしょう。
 そして、新年会。会場は大きなテーブル2つ分のところに、30人以上が座ります。私のテーブルには弦の人が多く、普段あまり話をすることがない人と、盛り上がります。というか、いつものあっチャンは総会には来ないで、直接この会場に少し遅れて来たので、別のテーブルしか空いてなかったと。
 1次会が終わって外に出ると、その弦の人たちが、「○マエさんの愛人になるにはどうしたらいいのですか?」と訊いてきました。いつも日記をご覧になってるので、最近の愛人事情には関心があったようですね。ご安心下さい。もうすでにあなた方は私の愛人リストに掲載されています。これで、総数は○○人(6ケタ・・・というのは、総会に出た人には分かるネタ)。
 2次会では、なぜか冒頭のヤスユキさんのとなりで、しっかりツーショットの極意を研究させていただきました。今日も「達人」の腕は冴え渡り、数々の傑作(餌食)がいずれは披露されることでしょう。究極の傑作と思われたY江氏のアップがいつの間にか削除されていたのは、かえすがえすも残念なことですが。

1月15日

 なぜ,1月15日なのに休みではないのか、いまだに納得できない思いでいますが、この国では祝日と休日が同義語になってしまっているので、本来の日にちを変更するのになんの抵抗もないのでしょう。そのくせ、2月11日だけはかたくなにこの日にこだわり続けるのでしょうがね。
 そんなわけで、「成人の日」と「どんと祭」が同じ日になったという貴重な体験を身を持って味わうために、きのうは「街に行って、成人式帰りのみっともない振袖姿をあざ笑う」のと、「神社で、どんと祭の火入れを見学する」という、二つのメニューを実践してみました。
 まず「街に・・・」なのですが、どういうわけだか、私が行った藤崎周辺には、例年だと掃いて捨てるほど(ほんと、捨てたい)例外なく似合っていない振袖姿が闊歩しているのが、全く見当たりませんでした。その代わり、藤崎の中に入った途端、次々と知り合いに出会うことになってしまうのです。まず、後から声をかけられたのが、元団員の□□クン。最近はこの周辺が活動拠点になったみたいで、なかなか充実した日々を送っている様子。近々彼の身辺の境遇が変わるのではないかという気がしてならないのですが。
 その次は、私の愛人の一人が別のオトコといる現場に鉢合わせという悲しい出会い。もっとも、愛人だから、別に浮気は構わないわけで(寛容な私)、6桁も囲っていれば、なかなか一人一人までは面倒が見切れないというものです。
 気を取り直して、向かった先は青葉神社。大崎八幡のようなメジャーどころは混んで大変なので、最近はもっぱらここがお気に入り。このところの風潮として、プラスティックや生もの(ダイダイなど)は取り除いてから、燃やすようにしているのだとか。地球環境を大切にしようという気持ちは良く分かりますが、なぜダイダイを燃やしてはいけないのか、なぜ高密度ポリエチレンを燃やしてはいけないのか、私には理解できないことばかり。ダイオキシンの発生が怖いのであれば、塩化ビニルや塩化ビニリデンだけを除けばよいはず。二酸化炭素の発生が怖いのであれば、そもそも物を燃やすことなど出来ません。
 巫女さんが恭しく差し出した箱の中から取り出した蝋燭の火で、神主さんによって、厳かに点灯された聖なる焚き火、余計なデマに踊らされないで、伸び伸び燃え盛って欲しいものだと、願わずにはいられません。
 もっとも、次の日、つまり今日、この神社の隣にある私の職場に行ったら、一面、飛んできた燃えカスだらけで、掃除は大変でしたけど。

1月17日

 暖かくなりましたね。夕べあたりは、雪ではなく雨が降っていましたから、なんだかもう春が近いような錯覚に陥ってしまいます。去年の今ごろは道路の雪が解けなくて、日陰では完全にアイスバーンになっていたのが信じられないぐらいです。そんなことを言って油断をしていると、ドカッと降ったりしますから、ご用心。
 さて、木曜日の練習です。やはり、ヴァイオリンはそれほどでもありませんが、「ヴィオラ以下」はかなり少なめです。唐突ですが、なぜ「」に入れたのかという件に関しましては、若干の説明が必要になってくることでしょう。この間の新年会でヤスユキさんが言っていたことで、チューニングの時にさっちゃんが「ヴィオラ以下」と言っているのは、なんか能力のことを言われているようで、気分が悪いのですと。「Y江さんの精神年齢は子供以下だ」という時に使われるような「以下」の意味にとられると。
 閑話休題(死語)。そんなわけで、ヴィオラはヤスユキさんとトモユキさんの二人だけ、これでシベリウスの3楽章をやったのですから、大変でしたよ。ここは弦楽器が十六部音符で「ペルペトゥム・モヴィレ」を、ディヴィジで弾くところ(意味、分かりますか〜?)、後ろから見ていると、トモユキさんは張り切って弾いていますが、ヤスユキさんはなんか、とても辛そうでした。このあたりは、おそらくご本人からのコメントが見られることでしょう。
 その前に、2楽章をやったのですが、今まで何回もシベリウスをやったはずなのに、おそらく、これでやっと2回目ぐらいではなかったでしょうか。いつものことながら、なかなか充分な練習というものは出来ないものなのですね。次の次はもう長田さんの来仙、時間も確定したことですし、できるだけの準備はしておきたいものですが。
 休憩時間に、仙台市文化事業団の人が来て、コンサートの宣伝をしていきました。じつは、これは、私広報担当役員にとっては非常にありがたいことでした。と言うのも、来週発行予定の「かいほうげん」で新入団員の紹介が一人減ってしまったので、ちょうど穴埋めのアイテムを探していたところなのですよ。こんな風に、何もしなくても紙面が埋まってしまうのが、凄いところですね。もっとも、印刷だけは何もしないというわけにはいかず、果たして火曜日に出せるかどうかは、微妙なところ。
 後半はモーツァルト、これはあっチャンの担当なので、前半のシベリウスだけで、私の出番は終わってしまいました。いつもはモーツァルトを先にやるのですが、この曲順ははじめて、おかげで、1時間以上早く帰れることになってしまったので、家ではびっくりしてましたっけ。

1月20日

 プロのライター稼業も、もはや4ヶ月間原稿を納品し続けてきて、かなり板に付いてきたかに見えます。最近では編集者に文句をつけるようになったりして、態度だけは一人前。しかし、どんなことがあっても、必ず締め切り前には原稿を送るという、プロとして最低限の義務だけは果たすようにはしています。
 これをやっていて良かったと思うのは、資料として送られてくるCD−Rなどで、製品になる前のCDの音を聴くことができること。ジャケットなどは付いていない素っ気ないものですが、普通の人より少しばかり早く新譜を聴けるという、まるでセンセーのような思いを味わうことが出来ます(もっとえらいセンセーになると、ちゃんと製品になったものをもらえるのでしょうが)。最新号のために今月初めに送った原稿は、ちょっと大掛かりなもので、全部で50枚出る予定のシリーズもののレビューでした。そうなると、サンプルの方も大変で、全部は無理ですが、それでも20枚近くのCDを聴かなければなりませんでした。さらに、ペーパーの資料も、1センチぐらいの分厚いもの、さすがに、大変な思いで原稿を仕上げたものです。
 この資料を見ていて、ちょっと目にとまったのが、ストコフスキーが1947年に録音した「新世界」のデータです。コールアングレ奏者の名前がクレジットされているのですが、それが「ミッチェル・ミラー」という人だったのです。この名前で私が連想したのが、「ミッチ・ミラー合唱団」の指揮者、ミッチ・ミラーでした。確か、この方は以前はオーボエ奏者だったはず。それで、編集者の方に「ミッチェル・ミラーとあるのは、もしかしたらミッチ・ミラーのことではないですか?」ときいてみたのです。そうしたら、「よく気が付かれましたね。調べてみます。」と言っていたのですが、良くきいてみると、どうも「ミッチ・ミラー」のことを知らないようなのです。どうやら、「ミッチと歌おう」で全世界のアイドルだったこの「ひげのおじさん」のことを本当に知らない人が、今では社会の中心になって活躍するような時代になってしまっていたのですね。
 それから、大きなCD屋さんに問い合わせたりしたら、この「ミッチ・ミラー」のCDが結構出ていることが分かったので、通販で取り寄せてみたところ、ベストアルバムのライナーに彼の経歴が載っていて、「本名はウィリアム・ミッチェル・ミラー、1947年まで、オーボエ奏者としてニューヨークのオーケストラやブロ−ドウェイのピットで活躍。」とありました。これで間違いありません。ストコフスキーのオーケストラでコールアングレを吹いていたのは、まさにこのミッチ・ミラーその人だったのです。
 ところで、皆さんはもちろん知ってますよね?ミッチ・ミラー

1月22日

 ちょっと所用があったので(って、「おやぢ」の原稿を書いていたのですが)いつもより15分ばかり遅く練習場に着いてしまいました。そうは言っても、まだまだ他の人よりは早いのですが、「ツーショットの職人」ヤスユキさんはもう来ていました。私を見るなり、「遅いじゃないですか。心配してましたよ。」ですって。うーん、そうだったのか。誰かの説によれば、この日記での登場回数が高い人ほど、愛人番号が少なくなるんですって。そうなると、さしずめ、ヤスユキさんあたりが愛人1号。でもって、「私はいったい何番目なんですか?」と気にしていた人が、愛人2号でしょうか。
 最初のモーツァルトは降り番だったので、愛人3号とロビーで話をしてましたし、愛人29号とは始まる前にトイレのところでご挨拶。休憩時間になったので、出来たばかりの「かいほうげん」を、愛人4号に手伝ってもらって配達です。
 今回の「かいほうげん」は、作ってみたら意外とネタが揃っていて、心配したほどタイトなスケジュールではなく、余裕を持って仕上がりました。しかし・・・
 第1の落とし穴は、1ページ目の秋の定期の曲目。まずこれは間違いないだろうと、この間の技術委員会の結果をそのまま書いて、なおかつ、一番実現性の高そうなフランクの画像までくっつけたのですが、それが誤算でした。何でも、今日電話があったとかで、「フランクもラフマニノフもレパートリーではないので、出来ないかも」ということなのだそうですよ。それはないでしょうと言いたくもなるじゃないですか。
 まあ、これは私には責任はないことなのですが、じつはもう一つ、見落としがあったため、5ページの作曲者名が一人抜けてしまいました。印刷用のファイルを作った時に落ちてしまったもので、これは確認しなかった私が悪いんですぅ。でも、ニューフィルの団員だったら、何が抜けていたかはすぐ分かるでしょうね。
 じつは、最後のページにも、まちがいではありませんがちょっとした手抜きがあります。分かった方は、お知らせください。賞品の代わりに、愛人番号を少なくしてあげますよ。
 指揮者練習はもう今度の日曜だというのに、そんなバカばかり言ってるとひどい目に会いますよ。でも、まだ先は長いのだから、とりあえず醜態を全部さらしてしまうのも、一つの手かも。案外、指揮者の前では実力以上のものを出すのがいつものニューフィルですから、それほど悲観することはないのかもしれませんし。

1月27日

 指揮者練習の日だというのに、朝起きてみたら一面の積雪、もう雪は雨に変わっていて、駐車場はシャーベット状の雪だらけ、車にたどり着くまでに、靴はびしょぬれになってしまいました。近所のショッピングセンターに用事があったので、そこの靴屋さんで前から欲しかったカラフルな長靴を買って、そのまま履いて帰ってきます。
 天気予報によれば、夕方にはまた雪が降り出すようですから、このまま練習に行くことにします。会場の常盤木学園は、地図を作った本人でさえ間違えそうになるくらい、本当に分かりづらいところにありますから、みんなたどり着くまでには大変な苦労をしていたみたいですね。案の定駐車場は雪だらけでしたから、この長靴で行ったのは大正解でした。会場の玄関で長靴を脱いでいたら、姫がやってきて「かっわい〜!私にも履かせて」と、本当に履いて歩き回っていましたっけ。
 練習場は「地下ホール」というところ。長い長い、薄暗い階段を降りていくと、ホールというよりは体育館、バスケットのゴールとかが置いてあります。楽器を運び込むのも大変、大きなティンパニを2人がかりで降ろしたら、さすがに息が上がってしまいました。
 定時近くになったので、私は携帯の電波が届く地上に出て、さっちゃんからの電話を待ちます。駅に長田さんを迎えに行っているのですが、着くのがギリギリなので逐一連絡を入れるということになっていたのです。やはり、「10分ぐらい遅れる」ということでした。
 5年半ぶりの長田さんは、髪にかなり白いものが混じっていましたが、その他は何も変わっていないようでした。いつもの白いスモック(ではないか)に着替えて、情熱的に細かい指導をしてくれます。最初のモーツァルトでは、1楽章からとても丁寧な返しをしていたので、果たして時間どおり終わるのか不安になったぐらいです。これは降り番なので、いろいろ観察していたら、長田さんが最近会った誰かに良く似ている気がしてきました。家へ帰ってやっと思い出したのは、「ドーソンズクリーク」のペイシー役、ジョシュア・ジャクソン。
 2時から5時半まで、曲の間に最低限の休憩をとっただけの精力的なリハーサルによって、私達は全部の曲目の仕上がるであろう姿をつかむことが出来たのではないでしょうか。まだ先は長いことですし、少しでも長田さんの考えている完成像に近いものを作り上げるのが、これからの私達の課題です。
 外へ出てみると、もう雨もやんでいました。これから町中で歓迎会、ちょっとこの長靴ではみっともないと感じられてしまう空模様です。天気予報なんて、嫌いだっ!

1月29日

 酒豪のさっちゃん(5号)やりっちゃん(3号)をもってしてもかなわないほどの多量のアルコールを体内に注入して、長田さんは帰っていきました。そんな、三次会の余韻を残したまま(私は行ってませんが)、早くも定例の練習日、今日はパート練習、木管はいつもの東昌寺です。
 木管の場合、集まるメンバーによってやれる曲が変わってしまいますから、なんの計画も立てないでいました。とりあえず、フルートの場合は、先にちほさん(4号)が来たので、2人だけで、シベリウスをさらうことにしました。例の茶室にちほさんと2人きり、普段なかなか合わせられないところを、たっぷり練習しましたよ。途中であっチャン(2号)も顔を出したのですが、私達の深い絆の中に割って入るのは不可能と悟ったのか、大広間の方へすごすご行ってしまいましたっけ。
 そのうち、オーボエも揃ったので、全体でシベリウスの合わせ、降り番のあっチャンは指揮者の代わりにカウント取りです。この時点では、メンバーはフルート3人(全員!)オーボエ1人、クラ2人、ファゴット1人、丸くなってそれぞれわいわい言い合いながら、進んでいきます。しかし、シベリウスというのは、木管だけでやってもあまり成果はあがりませんね。パート内の合わせと言うよりは、他のパートとの絡みが重要な曲ですから、ちょっと間抜けな感じ。
 しばらくして、クラがもう一人増えたので、謝肉祭もやろうということで、これも一通り。まあ、なかなか中身の濃い練習にはなりました。
 ところで、昼間は少し時間があったので、せっせとランキング用のフォームを作ってました。といっても、今のサイトはCGIはつかえないので、レンタルのランキングサイトを探して、そこでフォームを生成、カスタマイズしたというだけのことなのですが。
 これは、じつは次回の「かいほうげん」用のネタ。毎月編集後記のために作っていたマスコットが、多分100近くになっているはずだというのに気がついて、創立20周年とタイアップで特集を組んでみようと思い立ったのです。それで、そのための人気投票をやってみようというわけ。ぜひ、投票してみてくださいね。
 練習が終わったら、金管のりっちゃんたちがあっチャンを誘いに寄ってきたところ。早速りっちゃんに「投票してね」と言ったら、「え〜っ、あれって毎回変わってたんですか」ですって。えぇ、えぇ。最近は手抜きで、文字だけしかいじってませんでしたが、確かにいつも新しいネタをさんざん考えて、違うものを作っていたんですぅ。

2月2日

 最新の「Magi」によれば、「アリー・my・ラブ(Ally McBeal)」のプロデューサー、デビッド・E・ケリーは大のミュージカル・フリークとのことですね。しかし、彼がクラシック音楽に関してはミュージカルほどの情熱はないということは、「ジョン・ケージ」などという、クラシック・フリークであれば誰でも知っている名前をメインキャラクターの弁護士の一人に与えていることからも分かります。まあ、そんなことはどうでも良いことなのですが、私としては、そのケージの最近の恋人役として登場しているアン・ヘッシュが見られるだけで大満足なのですよ。きのうの放送分では、なんと、バリー・マニロウまでが出演してましたしね。
 ところで、前回の日記でちょっと触れたマスコットの件ですが、あれからきちんと数えてみたところ、全部で95個もあることが分かりました(アリーとは何の関係もありませんが)。100件には及ばなかったものの、ちょっとすごい数ですね。
 この第1作が「かいほうげん」紙上に登場したのは、1993年のこと、あの「ジュラシック・パーク」が公開された直後でした。新聞広告であのロゴマークを見て、最初は「ジュラシック」を「クラシック」に直して、何か出来ないか考えていたものです。そうしたら、T-レックスの前足の感じがハーピストの腕に良く似ているように思えてきたので、ためしにハープを書いてみたら、これがぴったりハマっていました。それが、「ジュラシック・ハープ」、以後、8年以上にわたって95個も生み出されていくマスコットたちの始まりです。
 もっとも、最初はこれだけでやめるつもりでした。そもそも、私は真面目一本槍の素直な人間ですから、あのような冗談やギャグは大の苦手ですものね。ただ、このデビュー作が結構好評で、「Tシャツ作ったらどうですか?」などと言われたりしたものですから、調子に乗って作りつづけてきたわけですね。
 最初のうちは、拡大コピーを使っての完全手工業、キャラクターのデザインなども凝りまくっていました。映画の方で新作が公開されれば、即座にそのデザインを転用、そのうち、このサイトを始めるようになったので、画像処理もパソコンでやるようになりましたが、その頃にはもうキャラクターのネタは尽き果てていたので、直すのは文字だけになっていましたが。
 というわけで、人気投票によるランキングを実施中です。一応連続書き込みは禁止という設定にはなっていますが、多分1日ぐらいたてばまた投票できるはずですから、もっともっと書き込んでみてくださいね。

2月13日

 「1週間のご無沙汰でした。玉置宏です。」・・・ふ、古い!と言われそうですね。最近は日記の頻度が高くなっているので、こんなに間が空いてしまうと、愛人1号さんにまた心配されてしまいます。じつは、私の最年少の愛人(高校生!)が入院して手術を受けたりしていたものですから、何かと忙しくて、つい更新がおろそかになってしまいました。
 幸い、何事もなく退院できたので、きのうは保険の請求に必要な書類をもらうために、さる公共機関に行ってきました。私の用事はすぐ済んだのですが、別な用事があって付いてきた愚妻の方が、ちょっとややこしいことに。その公共機関の管轄する別の公共機関の資料が欲しかったのですが、総合案内できいてもなかなか要領を得ないのです。さんざん待たされた挙句、「ここでは分からないので、○○センターに行ってくれ」という冷たい対応でした。思えば、それが、続いて起こる悲劇の発端だったのです。
 たどり着いたのは、図書館のような、本棚だらけの場所、目的の資料がどこにあるかなどというのは、とても素人には分かりません。そこで、受付で教えてもらおうと行ってみたら・・・・
 なんと、そこには愛人28さんが!びっくりしたような顔をして「なんでこんなところに、ダーリン」と大きな声でのリアクションです。びっくりしたのは私の方です。すぐ後には愚妻、これでは知らんふりも出来ませんから、「カミさんです」と紹介するしかありません。そしたら、28号さんは、甘ったれたような声で「私、ニューフィルで、愛人として○マエサンにはいつもお世話になっています。」、彼女の目には、明らかに、愚妻に対する敵意の炎が輝いていました。
 と、まあ、絵に描いたような本妻と愛人の戦いが繰り広げられたりしていたら、今ごろこうして日記を書いていられるわけはないのですが。なんにしても6桁もいれば、いつかはこんなことが起らないとも限りません(んなわけないって!)。
 6桁といえば、小澤のニューイヤーコンサートのCDの国内盤が、6桁の真ん中辺という、とてつもない売り上げを記録したとか。クラシックのCDが、オリコンのアルバムチャートで2位にまで昇るなんて(今週は5位)どう考えても異常です。クラシックというのは、3〜4桁あたりでイジイジ売れているのがあるべき姿、「特別な人しか聴いていない」というエリート意識こそが、クラシックファンの勲章なのですから。
 このサイトのカウンターもすでに6桁、ついうっかりして130,000の告知をしませんでしたが、キリ番踏んだひと、いました?

2月15日

 大雪こそ降らないものの、寒い毎日が続いています。お年寄りにとってはつらい季節でもあることの証明であるかのように、このところ北山の某寺院ではお葬式が連続しているとか。きのうは1日に2件、明日も1件あるそうです。
 事情はスイスでも同じことらしく、ウルミツの自宅で腕の骨を折って寝たきりになっていたギュンター・ヴァント(90歳)は、14日、ついに帰らぬ人になってしまいました。朝比奈翁亡き後保持していた世界最高齢指揮者という称号は、わずか2ヵ月半でクルト・ザンデルリンクの手に渡ってしまったのです。
 というわけで、世界最高を目指して技を競い合っている冬季オリンピックもいよいよ熱を帯びてきたようですね(別のコーナーの「穴子オリンピック」の元ネタは、「長野オリンピック」ですって)。前評判の高かったフィギュアスケートの仙台の星、本田武史クンは、「アランフェス」をバックに華麗な演技を見せてくれましたね。ルックスが華麗かどうかという議論はさておいて、「アランフェス」を私達と共演したギタリストとイメージがダブって、なんか不思議な気がしました。
 「アランフェス」といえば、誰でもすぐ思い出すのが、別冊マーガレットで連載されていた槇村さとるの名作「愛のアランフェス」(集英社文庫)ではないでしょうか。天才スケーター森山亜希美と黒川貢の物語のバックに、常にライトモチーフとして流れていたのが「アランフェス」、よもやこの曲を現実に使う人が現われようとは。明日あたり、CD屋さんの店頭には、この曲を買い求める人の長蛇の列ができることでしょう。
 結果は4位でしたが、こんな時マスコミがとる態度は、やはり今までと同じものでした。ショートプログラムで2位に入ったときにはこぞって「絶対メダルは間違いない」と言い切っていたものが、順位が決定したとたん「日本人男子として初めての入賞は素晴らしい」ですからね。そんなことを言うぐらいなら、最初から過度な期待を抱かせるような大口を叩いて欲しくないというのが、偽らざる感想です。というか、この時期の異常なまでの「感動」の大安売りには、マジで辟易とさせられてしまいます。本当の「感動」など、一生のうちにそう何度も味わえるものではないと思うのですが。
 そう言えば、どこかの局のオリンピック特番のテーマが、シベリウスの5番の3楽章の最後に出てくるテーマとそっくりですよね。あれはいったいなんなのでしょう。

2月16日

 世界中が悲しみに沈み、スポーツ新聞にまで記事が掲載されたヴァントの訃報ですが、彼の死亡時の年齢は90歳と1ヶ月と7日、その時点では89歳と5ヶ月弱のクルト・ザンデルリンクが、現役では世界最高齢の指揮者になったと、確かにきのうの日記に書きました。しかし、なんと言う偶然でしょう、その直後に、「ザンデルリンクが引退を宣言した」という情報が入ってきたのです。確かな筋からの情報ですから、おそらく本当のことなのでしょう。ただ、彼がヴァントの訃報をきいて、自分にももはや現役を続ける自信はないと思ったのか、あるいは、単に時期が一致しただけなのかという点に関しては、はっきりしたことは分かりませんが。話としては、「世界最高齢」という重圧に耐え切れず引退を決意したという方が面白いのでしょうがね。
 しかし、95歳という最高齢で現役を全うし、今のところこの種目での世界記録保持者であるレオポルド・ストコフスキーというのは、考えてみればものすごい人だということになりますね。94歳の時に、それから5年間に渡る録音契約を交わしたりしているのですから、引退などは全く考えたことはないのでしょう。
 いずれにしても、そうなってくると、繰上げ当選で次の最長老が決まることになるわけですが、どうやらそれは88歳と10ヶ月のジャン・フルネのようですね。しかし、朝比奈、ヴァント、ザンデルリンクと比べると、なにか「最高齢」としての重みに欠けるものがあるのはどういうわけでしょうか。やはり、日本人が最も好む「死ぬ一歩手前」の指揮者のあるべき姿というのは、なんと言っても重厚な音楽作りという点に尽きるのでしょうね。そういう流れを作ったのは、かのカール・ベーム。最晩年の日本での「重厚な」ライブが、のちに隆盛を極める長老崇拝の出発点だったのです。その意味では、このフランス人はちょっと役不足、いくら最高齢といっても、おそらくこれから急に人気が高まるということなどはありえないでしょうね。
 ところで、ちょっと気になるのは、最近その動向を知ることが出来た、かのミッチ・ミラー。あの資料によれば、1999年の時点でクラシックの指揮者として活躍しているということでしたから、もしまだ生きているとすれば、ヴァントよりも年上ということになります。案外、知られざる「最高齢指揮者」なのかもしれませんよ。もっとも、仮に最高齢だとしても、ポップスあがりの軟弱な指揮者なんて、この国のクラシックファンに受け入れられることはフルネ以上に困難なことでしょう。

2月17日

 2回ばかりジジネタが続いたので、ここはとびっきりいきのいい若い人たちの話題です。掲示板でもお知らせがあったように、ヴィオラのとびっきり(?)若いじゅんこサンが行かれている日本キリスト教団仙台松陵教会で、ニューフィルの、これはほんとにとびっきり若いメンバーによるコンサートが開かれるということで、ちょっと様子を見に行ってきたのですよ。
 わざわざ行った本当の目的は、例によって「かいほうげん」のための記事を作ること、他に誰か聴きに行っていれば、その人から話をきいてもいいのですが、やはり、真実をありのままに伝えることを基本的な姿勢として貫いている「かいほうげん」としては、実際に自分の体験として取材してみたかったのです。
 会場は、仙台バイパスを越えて、山の奥深くに入り込んだところ、途中、スーパーの買い物客で渋滞するところがあるので、そこは避けて通ったら、なんと30分ほどで着いてしまいました。そこは教会といっても、住宅地にある普通の家みたいな感じ、裏から入ったらちょうどじゅんこサンがいて、まだリハーサルをやっていた会場(礼拝堂)へ案内してくれました。メンバーは、とびっきり若いあっチャン、りっちゃん、まりサン、みかサン、なおこサンの木管五重奏と、敬一郎クンのヴァイオリン、私が入っていったら、みんな一様にびっくりしていました。敬一郎クンなどは、あからさまに「来て欲しくなかった」様子を、体中で表していましたっけ。あっチャンあたりも、「○マエサンが来るんなら、もっと練習しておくんだった」とか。
 開演時間には、3〜40人の、殆ど信者さんばかりのようなお客さんで、会場は満席になっていました。ニューフィル関係の聴衆は私一人、やはり、わざわざ来てみたのは正解でした。
 コンサートは、じゅんこサンの司会で始まりました。牧師さんの挨拶、演奏者を代表して敬一郎クンの挨拶に続いて、さまざまな楽器の組み合わせで、それぞれのプレーヤーが曲目を解説しながら演奏が進みます。お客さんのすぐ目の前ですから、楽器の生の音が直接伝わったことでしょう。フルートとオーボエの二重奏でディズニー・メドレーを演奏した時などは、会場の子供さんがいっしょに楽しそうに歌っていましたっけ。
 別な用事があったので、最後までは聴けませんでしたが、これで「かいほうげん」はすべてのページが埋まったし、暖かい演奏の余韻をかみしめながら、満足して帰途に着いたのでした。

2月20日

 深夜まで委員会をやっていたために、日記の更新が翌日になるというパターンの2回目、もうすっかり定着してしまいましたね。
 きのうの練習、今度の土日に長田さんが来るので、そのための最終チェックという位置付けがなされるべき、重大なものだったにもかかわらず、あっチャンが休んでしまうという事態に。「休ませてもらっていいですか?」という電話があったときは、理由については口を濁していたので、やはりお見合い?あるいは結納?いやいや入院、じゃなくて入籍でしょうか。
 他人のことはどうでも良いのですが(冷たい!)そうなってくると、あっチャンのパートを私が代吹きしなければならなくなってくるのです。モーツァルトなんか、一回も吹いたことがないのに。
 しかし、この日のためにひそかに特訓を行っていた成果は、今ここに表れました。そのモーツァルトは、全く危なげなく、最後まで、ということは全楽章、きちんと吹くことが出来ました。もっとも、アンサンブルをやっていなかったデメリットはきちんと出てしまって、2楽章の最後のヴァイオリンとのユニゾンはみごとにずれてしまいましたが。しかし、本番をやらなくてよいというのは、何よりも嬉しいものですね。責任がないから、おもいっきり楽しんで吹けましたよ。
 そんなに簡単にいかなかったのが、「謝肉祭」。1番のあっチャンがいないのだから、代わりに1番を吹けばいいようなものなのですが、前にも書いたようにドヴォルジャークの変な趣味のおかげで、いたるところ2番のソロが出てくるために、2番のパートもきちんとカバーしなければいけません。それで、譜面を両方用意して必要な箇所をくまなく吹くという、荒技を披露しなければなりませんでした。まあ、これはご愛嬌ということで。
 いつもより早めに練習を終わらせることになっていたので、ここまでやったら、残りの時間は30分、シベリウスは1楽章だけをやるのがやっと、「あとは長田さんにまかせっぺね」ということになるのです。
 早く終わったのは、技術委員会があったため。秋の演奏会のメイン以外の曲を決めようというわけですが、指揮者のスケジュールなどとの兼ね合いでコンチェルトをやるようになったのは正解でしょう。あとは、効率のよい連絡体制を整えて、話がスムーズに進んでくれることを願うのみです。
 先週は、チョコレートの山に埋もれていた私を見て、効果が少ないと思った愛人28号さんは、わざわざ時間差をつけてチョコを贈るという高等戦術をめぐらして、他の愛人達より強い印象を与えることに成功しました。それにしても許せないのは1号。チョコをつつく「楊枝」だけだったとは。

2月23日

 今日と明日は、長田さんを迎えての第2回目の指揮者練習となるはずでした。しかし、火曜日の練習の日に急に1日目は来られないという連絡が入って、同時に送られてきたFAXを、慌てて、とりあえずパートリーダーの分だけコピーして配っていたさっちゃんの機敏な対応には、頭が下がります。
 さらに、それをスキャンしてPDF化し、ネットに乗せていち早く団員の目に触れられるようにしようとした鎌サンの努力にも、頭が下がります。限られた環境の中で、精一杯のことをやろうとしている姿は美しいもの、人がなんと言おうと、なにも気にすることはないのです。
 そういうわけで、今日は、おそらく、この長田さん手書きのコピーを使っての、充実した練習が行われたことでしょう。「〜でしょう」と言ったのは、予定はモーツァルトだけですので、私は出番なし、担当のあっチャンも、今日はちゃんと来られるということで、練習には行ってないから。私が練習に全く顔を出さないなどということは本当に珍しい、とても貴重なものでしょうから、皆さん、勝手が違っていたのではないでしょうか(それほどのものでもないか)。他の日記系や掲示板で、今日の様子は克明に報告されることでしょう。
 練習がなくて少し時間があったので、さっき書いたPDFの事をちょっと勉強してみました。アクロバットはインストールしてあるものの、実際にPDFを作ったりしたことは今までになかったのです。今回の鎌サンの仕事を見て、いよいよ身近になったことを再確認し、チャレンジしてみたというわけ。
 そこで、とりあえず身近にあった最新の「かいほうげん」(これは明日配達します)をPDF化しようと、「Word」のツールバーに入っているアクロバットのアイコンをクリックしてみました。手順が数回表示されましたが、初期の設定を変えないでそのまま進んだら、確かに、PDFファイルは出来ました。ところが、なぜか、ページの最後の行がはみ出してしまって、1ページの文書が2ページ分になってしまったのです。何回やり直しても、それは変わりません。仕方なく本屋まで行って、参考書を立ち読み、アクロバットには「PDF Writer」と「Distiller」という2種類の変換ツールがあることを仕入れてきました。どうやら今までは「Distiller」だけを使っていたようで、「PDF Writer」に切り替えてみたら、見事Word文書と同じものが出来たのです。ネットで見るのなら、解像度も充分、とりあえず表紙だけアップしましたので、見てみて下さい。これで、団員以外の方にもおおよその感じが伝わることでしょう。もっとも、アクロバットがないと見られませんが。

2月24日

 青年文化センターの地下駐車場に車を入れたのは、朝の9時半でした。これから夕方の5時まで、7時間に渡って指揮者練習が行われるのです。きのうは長田さんの都合で本人が来られず、私は参加をボイコット、愛人の一人とデートを楽しんでいました(ウソですからね。1号のヒガミを本気にしないで下さい)。
 会場の交流ホールに入ったら、きのうやったモーツァルトの編成で椅子や譜面台がそのまま並んでいました。しかし、フルートの椅子を確認したりしていると、なにか変な感じ、どうやらホルンの椅子が出ていないみたいなのです。確かに、モーツァルトではホルンが木管の場所で吹きますから、きのうやった時点では並べてなかったのでしょう。そのことに気付いたのは、私のすぐ後に来たりっちゃん。早速ホルンの場所にあったティンパニをどけさせて、ホルンの席を作ってましたっけ。
 今日のメニューは、午前中が「謝肉祭」で、午後がシベリウス、7〜8分しかかからない「謝肉祭」のために2時間の練習時間を取ったので、それこそ細かいところまで丁寧にやってもらえたことでしょう。長田さんのやり方は、与えられた時間でできることを最大限に、しかし、しつこくなり過ぎないような配慮もあるというもの。だから、長く時間を取ったからといって、決して飽きるようなことはありません。
 昼食は、さっちゃんがぜひいっしょに来てくれと言うので、長田さんと青年文化センターの中のレストラン、「ウィーンの森」へ。長田さんがゲーマーだったという、意外な一面が明らかになった会食でした。本番で曲が始まる直前に弦を切った「小粥サン」などという懐かしい名前も登場したりして。
 午後は、シベリウスを、後の楽章から逆に攻めるという効率的な練習でした。確かに、この前は3楽章などは軽く通しただけですから、これは賢いやり方。おまけに、1楽章を始める前には、チェロ以上の弦だけの練習をしたいということで、管とコントラバスはしばしの休憩を取ることが出来たりもしましたし。
 私の場合、前回の指揮者練習では多少緊張もあって、思い通りの音が出ないこともありましたが、今日は、まずまずきちんとコントロールされた音が出せたのではと、自分だけでははぼ満足、長丁場の疲れさえも心地よいものでした。
 しかし、ニューフィルの練習が終わっても、さらに別のアンサンブルの練習もここの練習室でこなさなければいけませんでした。こちらはひたすら疲れるだけ、せっかくの心地よい余韻も消えて、1時間100円の駐車料金、しっかり1,200円払って、疲れ果てて駐車場を出たのは夜の9時半のことでした。

2月26日

 日曜日の過酷な練習の疲れがまだ取れないまま、火曜日になってしまいました。というより、土日に練習があるという変則的なスケジュールだったため、いったい今日が何曜日だったか、分からなくなってしまったというのが、本当のところでしょうか。
 パート練習のサイクルだったので、木管は例によって東昌寺、ひとまず暖房を入れてから、いったん別の用事を片付けるために出かけて、時間を見計らって戻ってくるというのが、私のいつものパターンです。そんなわけで、車を仙山線脇の細い道を走らせていたら、前を、ぬいぐるみみたいなコートを着た女性が歩いていました。なにか、見たことがあるような雰囲気だったので、追い越してミラーを見てみたら、やはり、期待通り、それはあっチャンでした。確か、だいぶ前に同じ場所でパート練習をやったときにも、こんなことがあったはず。やはり、深い絆というものは確かに存在しているのでしょうね。そのまま車に乗せて会場まで一緒に行ったのは、言うまでもありません。
 この時点での出席者は、フルートは深い絆の2人、クラは全員、それにファゴットが一人という変則的なもの。日曜日の打ち合わせで、シベリウスはやってもしょうがないので、モーツァルトとドヴォルジャークをやろうということだったので、これ以上人が増える見込みもないことだし、まずはモーツァルトから。私は降り番なので、一人で茶室で練習しようと思いましたが、よその部屋の音が意外と聴こえてくるようだったので、ちょっと控え目に。
 そのうち、ちほさんも来たので、シベリウスでもやろうと思ったのですが、結局ちほさんの人間関係の悩みを聞いてあげるという、殆ど人生相談みたいなことになってしまいました。世の中には本当にいろいろ理解不能な人がいるものだというのは、私もごく最近身に染みて感じさせられたところなので、もっと突っ込んで親身に話そうという新たな段階に入りかけようとしたとき、「そろそろドボルザークやりませんか?」とあっチャンが呼びに来たので、それ以上の進展はありませんでしたが。
 それにしても、このあっちゃん、絆が深くなると体質がおやぢになるのか、私でも思いつかないようなアイディアが急に出てきたりして驚かされます。私がカバンにぶら下げている、知人からもらった「USJ」土産のT-レックスのキーホルダーは、背中のつまみを押すと口が開いて赤い電気が点くようになっているのですが、「怪獣電灯ですね」と、一人で感心してましたっけ。

2月27日

 新しい「Magi」が編集部から届きました。わざわざ送ってもらったので今日になったのですが、東京あたりの大きなお店にはおとといの25日には並んでいたということです。今回私が原稿を送ったのが18日のことですから、わずか1週間でこんな立派な雑誌が出来てしまうのですね。
 いつもきちんと締め切りを守っている私が、こんなギリギリになって入稿したというのには、ちゃんと訳があります。今月分の注文はいつもと同じ2件だったのですが、そのうちの1件が発売延期になってしまって、音サンプルも資料も用意できないということで、キャンセルになってしまったのです。だから、1本だけ書けば良いという楽な仕事、もちろん締め切り前に送ってしまいました。
 ところが、締め切りなんかとっくに過ぎたはずの15日の金曜日に、「他のライターが書けなくなったので、もう1本書いてください。資料はそのライターに送ってもらいます」というメールが来ました。訊いてみると、あるヴァイオリニストのデビューアルバムだそうで、もちろん私は聴いたこともないアーティスト、サンプルがないことには書きようがありません。「速達で送らせますので、明日の午前中には着くでしょう」ということだったので、待っていたのですが、土曜日の午後になっても届きません。そこで、念のため、編集者がサンプルのコピーでも持っているのなら、それを送ってもらうように話をしました。着くはずの速達が来ないなんて、なにか事故があったのかもしれません。そうしたら、原稿は完全に落ちてしまいますから。
 幸い、編集者もサンプルを持っていたので、無事日曜日に入手、それを聴いて一晩で書き上げた原稿を、翌18日に送信したというわけです。その日の午後、件のライターからの郵便が届きました。確かに速達料金分の切手が貼ってはありましたが、「速達」というハンコを押してなかったので、普通郵便扱いになってしまって、休日には配達されなかったというのが、この話のオチになります。
 そんな修羅場を乗り越えて出来上がった3月号、今度の練習の時には「愛人手当て」としてお配りしましょう。もちろん、1号さんにも。
 その1号さん、チョコこそくれなかったものの、私に対する観察眼には一方ならぬものがあります。「〜ましたっけ。」という、私のお気に入りの言い方を、しっかりチェックしてくれてました。「全文検索」で調べたところ、この日記の中には、40箇所以上の「〜ましたっけ。」がありましたっけ。

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