バックナンバー20

(01/11/4-01/12/30)


11月4日

 とうとう11月になってしまいましたね。街のショーウィンドウには雪のようなエアブラシでサンタクロースが牽くトナカイの橇が描かれ、オーナメントの限りを尽くした樅の木は、ショップの門口で、オーナーのセンスを誇示するかのように聳え立っています・・・ってのは、このページの愛読者であればすぐわかる、使いまわし。そんなわけで、12月号に向けてのクリスマス用アイテムのレビュー原稿などにかかわっていると、頭の中はもうすっかりクリスマスモードです。
 話は変わりますが、仙台のCD販売の状況が、ここに来て大きな変化を見せています。ヤマハ仙台店と三立楽器という2大楽器店が、相次いで店内の改装を行ったと思っていたら、今まであった広いCD売り場がきれいさっぱり無くなっていたのです。これは、かなりショッキングなことでした。昔の話になりますが、三立楽器にしても、ヤマハにしても、私がレコードを聴きはじめた頃から商売をやっていました。正確には三立のほうが先。ここの常務さんだかがクラシックマニアで、クラシックに関する商品知識の高さには、当時は畏れを持っていたものです。店先のおねえさんでさえ、今思えば相当なマニアだったはず、お客さんとの間で、ある種のサロン的な雰囲気をかもし出していたという時期が、確かにあったのです。
 ヤマハの場合は、いわば新参者。しかし、一番町のあの場所にデーンとビルが建ったときは、相当なショックを受けたものでした。レコード売り場も広々としていて、5〜6台並んでいた試聴機でレコードを試聴出来ました。ターンテーブルがガラードで、カートリッジがシュア、当時SPとLPの針が表と裏についている圧電型のプレーヤー(もちろん、回転数が4段階に変化できるリムドライブ式)しか買えなかった私には、そのムーヴィング・マグネット型のカートリッジは、まさに高嶺の花でした。
 LPからCDへとフォーマットが変わり、もっぱら輸入盤しか買わないようになってしまったため、殆ど国内盤しか扱っていないこれらのお店にはとんと足が向かなくなってはいましたが、やはり、なくなってしまうと一抹の寂しさを隠すことは出来ません。くれぐれも、ご冥福を・・・違うって。
 だから、今最も利用しているのは、もはや、仙台では1軒しかなくなってしまったクラシックの専門店、「仙台レコードライブラリー」です。さっき、冒頭の、来月はクリスマス関係の記事が載るであろう雑誌のサンプルを10部ばかり置かせてもらってきたばかり。ご覧になりたい方は、早めに行けば、手に入るかもしれませんよ。
 「ヤマエサン、執筆がお仕事なのですか?」とびっくりしていたトキタ店長、最近の販売店のあり方には、心労が絶えないようでした。

11月6日

 寒くなりましたね。朝晩は、もはや、冬といってもおかしくないほどの冷え込みです。コカ・コーラでは、缶入りのコーンスープとお汁粉を発売したそうで、明日あたりから東昌寺の自販機にもお目見えすることでしょう。楽しみですね。
 となりの青年文化センターで「歌い継がれるなんたら」というコンサートがあるということで、駐車場はいつになく車が多くなっていました。私が入れたすぐあとぐらいに満車になってしまったらしく、団員の集まりは芳しくありません。今日は角田第九の指揮者、いつもの佐藤寿一さんとの初練習、ちょっとヤバイのでは。
 しかし、チューニングが始まる頃には、ヴィオラ以外はなんとか頭数が揃ってきました。ところが、時間になっても肝心の寿一さんが現われません。多分駐車場で引っ掛かってしまったのでしょう。敬一郎クンが「誰か先生の携帯の番号知りませんか?分かるわけないですよね」などとあせり始めた頃、やっと到着したので、まずは一安心。
 4楽章だけはもう何回も共演していますが、全曲というのは今回が初めてです。とりあえず1楽章から通していきます。指揮者は、色んな場所でかなり煽ってきていました。しかし、オケはなかなかついていけません。それで、1楽章が終わったところで開口一番「アゴーギグが出来ていない」。寿一さんは、毎回なにかポイントとなる言葉を残していきますが、どうやら今回は「アゴーギグ」で決まりですね。もう1度返した時には、このアゴーギグをかなりしつこく叩き込んでいました。末廣さんの時にはちょっと見られなかったアプローチ、まあ、同じ曲でも料理の仕方はたくさんあるということ、2楽章のトリオのテンポなどもかなり遅く、吹いてる方はかなり楽なのですが。
 裕史サンの日記にもあるように、チェロバスパートはこの前の週末に鳴子温泉に入ってきたそうですね。裕史サンが撮った写真をまわしていましたがとても楽しそうです。実は、他のパートからも参加してたそうで、「かいほうげん」アシスタントのりっちゃんもその一人。男性6人,女性3人というダブルドリカム+青い三角定規状態の珍道中、いずれ原稿が私の手元に届くことでしょう。
 りっちゃんといえば,この間の「Magi」の原稿を読んで、マジでリベラが聴きたくなったとか。そういう方面の購買意欲をそそるような文才が、もしかしたら私にはあるのかもしれませんね。それにしても、高嶋ちさ子は・・・。

11月10日

 この間の「第九」に賛助出演していただいた仙台放送合唱団ですが、今夜その定期演奏会があったので、行ってきたところです。何を隠そう、私はここの元団員、何年ぶりかで、古巣の演奏を聴くことが出来ました。
 ちょっと用事があって遅れていったので、最初の三善晃の曲は聴けませんでしたが、後半のモーツァルト、バッハには間に合いました。最初からバッハの「マニフィカート」が聴きたかったので、その点はOK。指揮は、第九の時の合唱指揮、今度の角田のソリストの佐藤淳一さん、アルトのソロが、これも角田第九でごいっしょする遠藤さんで、そのあたりにもニューフィルとのつながりがあるというわけです。
 オケは東京から呼んだプロ。地元でこれだけのレベルのオケを編成するのはちょっと大変でしょうから、これは正解。なかでも、ピッコロトランペットはなかなかのものでした。この曲でピッコロがコケたら、悲惨ですからね。フルートは、実は私と同門の方、木管の音色が素敵でした。弦は1プルトだけの小編成でしたが、充分なバランス、ただ、コンティヌオが、チェロ、コントラバス、ファゴットそれにオルガンとちょっとうるさめのところに、ピッチが甘めなのが気になりましたが。
 肝心の合唱は、決して完璧な響きではありませんが、まずは大健闘、淳一さんの指揮は概しておとなしめですが、団員の熱意をきちんと導き出していましたし。ソリストの中で、一人とんでもない音程の人がいて、一瞬びっくりさせられたぐらいが、事故といえば事故でしょうか。
 終わってロビーに出ると、昔懐かしい元メンバーに会えたりして、ちょっとした同窓会のノリ。昔お世話になった指揮者のOさんも、「や〜、ひさしぶり!」と、握手をしてきたり。大学で所属していた合唱団の人が、今では現役の合唱団の顧問(教授?)になってたりして、「後輩達と一緒に歌いませんか?」と誘ってきたのですが、それは丁寧にお断り。今の私は、もうすっかり合唱からは足を洗って、ライターへの道を一歩づつ歩みつづけているのですからね。
 そう、私のプロデビューを祝って、壮大なパーティーを開こうという計画がひそかに進んでいるという噂を聞きましたが、それは本当ですか?ロイヤルパークホテルのバンケットルームかなんかを借り切って、BGMはさっちゃんクヮルテット、お土産は著者のサイン入り「Magi」ですって?そうだ、サインの練習しておかなくっちゃ。あと、タキシードも要るかな。あっ、これは、燕尾服を借りればいいんだっけ。

11月13日

 角田第9の指揮者、寿一さんとの2回目の練習です。今回は別に駐車場はあまり混んではいません。出口に一番近いいつもの場所が空いていたのでそこに車を入れて、駐車場の奥にあるセブンイレブンまで歩いていったら、なんか薄着の人がこちらに向かってきました。もうコートを着ないと寒いぐらい、すっかり冬みたいな季節になってしまいましたから、ちょっとアブナイ人かなと思って目を合わせないようにしていたら、「こんばんは」と声をかけてきたので、びっくり。逆光のせいもあって顔がよく見えなかったのですが、それはしげちゃんだったのです。元気ですね。「松尾さん、本当に決まったんですか?」と、先週の「かいほうげん」の見出しについて、聞いてきました。やっぱり、あれは結構凄いことなのですね。
 さて、今日はきちんと時間どおりに来た寿一さん、オケを見渡して、「もう少し待ったら集まりますか?それとも、これ以上は増えない?ふえ ない?」
 ヴィオラやチェロこそ少なかったものの、木管はほぼ揃っていましたし、わがフルートパートはいつものようにきちんと3人来ていますから、そんなことを言われる筋合いはないので、小声で「フエ、ありますよ。」と言ってやりました。もちろん、これはさっきの「増えない」を「フエ、無い」とわざと聞き間違えるという初歩的なおやぢなのですが、隣にいたちほさんに大受け。というより、言ってしばらくしたら突然笑い出したというユニークなリアクション、「あとで効いてきた」そうです。
 それでも、ヴァイオリンはどちらも10人以上いましたから、ほぼ本番どおりの人数が集まってましたし、コントラバスあたりはなんと8本、もう完全に安心していられるパートになりましたね。先週団員のデータを更新してみたら、団員総数がなんと96人にもなっていましたから、それも納得です。この分だと、団員が100人を超える日が来るのも、そう遠くはないのかもしれませんね。
 今日の寿一さんは、あまり細かいことはやらずに、通すことに主眼をおいていたようです。私の場合、1楽章を通しても、前のようにばててアンブシャーがおかしくなってしまうようなことは、ばったりなくなりました。ある種の「自信」みたいなものが出てきたのでしょうかね。ほんとに、メンタルな要素というのはバカに出来ないものです。これがいつまで続くかとくのが、今後の課題なのでしょうけど。
 最後の30分は、第九の前にやる合唱団の伴奏の曲の譜読みです。フルートは2本で間に合うので、私は久しぶりの降り番、あっちゃんとちほさんという珍しい組み合わせを見せてもらいました。偶然ですが、他のパートも全部第九とは別のメンバーに変わっていましたっけ。

11月16日

 こんな仕事をしていると(どんな仕事だ)、いろいろなところのCD紹介が気になってきます。某レコード芸術の「海外盤試聴記」などは、まさに同業者の晴れ舞台。ベテランライター陣の健筆ぶりをひそかに羨望のまなざしで見つめたりします。たまに私が先に取り上げたものが紹介されていたりすると、ちょっと得意になったりするものです。
 そんな晴れがましいものでなくても、ネット上ではさまざまな紹介や場合によっては「批評」が行われています。その殆どが、自己主張の勝った独善的なものであるのには、辟易とさせられますが。ネットというのは本人が思う以上に公共性の強いもの。たとえ自己満足でも、常に他人が読むに値するだけのクオリティを維持する努力だけはして欲しいものだと、自戒も込めて感じる昨今です。
 しかし、最近、必要に迫られて検索をすると、「何でこんなことまで知っているの」という、すごい博識なサイトに出会うことがあります。例えば、この間フランスバロックのさる作曲家のことを知りたいと思って検索したら、それこそどこの音楽辞典にも載ってないような情報が見つかりました。それは、さるCD通販のサイトだったのですが、そこで、その作曲家のCDの新譜にコメントが加えられていたのです。見ると、そのあたりはマイナーレーベルのコーナーで、聴いたことのないような作曲家や演奏家ばかり扱ってあるのですが、それらに逐一的確なコメントがなされているのです。
 さらに、ベートーヴェンの協奏曲や序曲を、まだ出版されてないはずのベーレンライター版を使っていち早く録音した演奏家のCDの紹介とか、その中で、確かまだ国内には出回っていないはずの交響曲第7番の演奏について事細かに描写していたりとか。
 いやぁ、すごい人がいるものです。情報収集力に加えて、毎月リリースされるCDに、マイナーレーベルを含めて、すべての時代、ジャンルにわたってこれだけ的確なコメントが書けるのですから、ネットには底知れない才能が潜んでいるのですね。
 と、思い込んでいました。マジで。輸入元が販売店に配布している資料を見るまでは。そう、さるルートから入手できたその方面の資料のコメント文は、そのサイトのコメントと、寸分たがわず同じものだったのです。いやはや。
 これって、もしかしたら書いてはいけないこと?その場合は即刻削除します。

11月20日

 ベガルタ仙台のJ1昇格、おめでとうございます。実は、あの日私はたまたま藤崎の前にいて、昇格が決まった瞬間を放送していたテレビを見ていた人たちを見ていたという、まさに、後世の歴史に残るような貴重な体験をしてしまったのです(それほどのものでは・・・)。1回歓声が上がって、ちょっとしたらまた、さらに大きな歓声、それに続いて「ばんざ〜い」とか叫んでいましたから、1回目はおそらくゴール、2回目は試合終了の時の歓声だったのでしょう。
 実は、この試合を見にわざわざ京都まで日帰りの新幹線で行って来た人が、団員の中にいたのですよ。掲示板にあるように、見事「八つ橋」を買って帰ってくることができたようで、これもおめでとうございます。そんなわけで、為サンのお土産の生八つ橋と、この近畿地方限定販売、宇治抹茶味の「コロン」で、練習後のホールは盛り上がったのでした。願い続けていれば、いつかは望みがかなうこともあるということですね。
 ここで練習を終わらせてしまってはいけません。きちんと京じゃない今日の報告もせねば。
 後半は、角田の歌伴の指揮者浜中さんがわざわざ見えられての、指揮者練習です。「1年ぶりにオーケストラを振るので、感激しています」というぐらいですから、本当は指揮者の練習でしょうか。こちらが恐縮してしまうほどの低姿勢で、ひたすら謝ってばかりいましたから、これは私達にはたまりません。常日頃、指揮者には怒られっぱなし、たまにはこんないいめを見るのも悪くはないのでは。演奏も(指揮も)何回か繰り返していくと、だいぶ形になりましたし。
 私は降り番だったので、後ろで聴いていました。どの曲も重々しく鈍い物に感じられたのは、8本もの楽器でパワフルな低音を放出していたコントラバスパートのすぐ後に座っていたせいでしょうか。

11月21日

 一月ぐらい前に行われた今年の日本音楽コンクール(毎コン)のフルート部門の本選の映像が、昨日の朝BSで放送されました。昨日は忙しくて見るひまがなく、さっきやっとビデオを見終わったところです。本選というのは、普通は、何回かの予選を通過してふるいにかけられた人たちが集まるもの、だから、レベル的にはその辺のコンサートなどよりはずっと高いものが聴けるはずだと思っていました。しかし、これは一体なんなのでしょう。5人出場した中で、私が「音楽家」として楽しんで聴くことが出来た人は、一人としていなかったのです。
 順位をもらえなかった「入選者」は男女一人ずつ。女性のほうはテクニックがまるで駄目、おっかなびっくり吹いていて音楽になっていません。男性のほうは音からしてプロのものではありません。おそらく本人もなぜこんな場所にいるのか不思議だったに違いないでしょう。1位が二人出て、2位となった女性は、演奏以前に容姿に問題がありすぎ。これからの時代、ルックスに難点があるというのは、演奏家として致命的な欠陥になります。しかし、彼女の場合、吹いている姿がとてもユニーク。昔書いた都民響の打楽器奏者を思い出してしまいました。その上、音を伸ばす時に、まるで夢見るように上を向いて目をパチパチさせるのが、その容姿と相まってとてつもなくブキミ。しかし、これはこれで完成された「芸」ですから、この方面での活躍は大いに期待できそうですが。
 さて、1位となったのは、まず、先ほどの神戸でも入賞を果たした男性。彼の演奏を聴くのは初めてですが、どこにでもいそうな地味〜なもの。華というものが全くありません。もう一人の1位の女性は、CDを何枚も出している美人フルーティスト。溌剌とした演奏といえば聞こえはいいかも知れませんが、何のことはない、自分の勝手な思い込みを聴き手に押し付けているだけの「頭の悪い」演奏、音程が滅茶苦茶なのも許せません。もちろん、こんなものが世界に通用するはずはなく、このあとで受けたパリのコンクールでは、1位、2位なしの4位というお粗末な結果でした。
 パリで入賞できたというのも、同じ時期にジュネーヴで行われたコンクールにいい人が全部行ってしまったからでしょう。何しろ、あの瀬尾さんでさえ本選に残れなかったぐらいの激戦だったのですから。そう、さんざんこき下ろしたのも、瀬尾さんの生の演奏を聴いているから。言ってしまえば、今年の入賞者達は、到底瀬尾さんのレベルではなかったということです。
 ところで、「びよ乱」に登場する「Y江さん」の女たらしのレベルは、相当高いようですね。この間は「美人な」人とドライブしていたと思ったら、きのうは「愛人」ですか。いや〜羨ましい。私もぜひあやかりたいものですぅ。

11月22日

 「ウィルキンソン・ジンジャエール」のことを書いたのは、2ヶ月ぐらい前のことでしたでしょうか。「ブラジン」がなくなったのをはかなんでいたら、思いがけず出会えた刺激的な飲み物でしたね。あの時ご紹介した、「ウィルキンソン・ジンジャエール愛好会」というサイトでは、この飲み物の愛好家を募って、会員にするという、ちょっとお遊びのようなことをやっています。もちろん、会費などは一切なし、「ウィルキンソン・ジンジャエールが好きだ」とか、ひょっとしたら、「ウィルキンソン・ジンジャエールの事を知っている」というだけで、誰でも「会員」になれるという、他愛のないものです。そこで、これも何かの縁だと思い、さっそく会員登録をすることにしました。
 それから待つこと2ヶ月、厳正な審査の末、やっと会員に認証されたという通知が来たのが、2、3日前のことでした。会員番号は39番、Es-Durですね。別に問題があったわけではなく、単に忙しくて更新できなかっただけのことらしいのですが、もっと前に申し込んでしびれを切らして掲示板に書き込んでいた人もいましたっけ。「体中生姜臭くなるほど飲んでいるのに、まだ登録してもらえないのですか?」とかね。
 その時に、教えてもらったのが、ボトル缶入りの新製品が発売されるという情報でした。確かに今のジンジャエールはガラス瓶入りですから、ちょっと不便な面もありますし、何より、全国一斉のメジャー発売ということ、そうなれば、わざわざ明治屋まで行かなくても簡単に手に入るということです。
 ということで、発売日のきのう、近所のスーパーやコンビニに行ってみたのですが、「ウィルキンソンGT」という名前のこの新製品は、どこにもありませんでした。今日になって、所用で街まで来ることがありましたので、さらにリサーチを行ったところ、2軒目のコンビニで晴れて入手することが出来ました。銀色のアルミボトル、緑色の四角の中には、お馴染み、ウィルキンソン・ジンジャエールのシンボル、二つの三角形がデザインされています。
 さて、味の方はどうでしょうか。一口飲んでみると、感じはファンタオレンジ、ジンジャー特有の刺激は全くありません。確かに、ウィルキンソンでも「ドライ」とか、カナダドライなどと同じような甘さはあります。しかし、肝心の生姜味は皆無、だから、「ブラジン」のほうがずっと辛口、手軽に入手できる刺激味を期待したのですが、これでは「ブラジン」の代わりすらつとまりません。ちょっとがっかりですが、まあいいか。あかりも大学に入れたことだし。

11月24日

 私がニューフィルとともに所属している「仙台フルートの会」は、年に2回のコンサート(有料)を開催しています。そのうちの秋の演奏会が、今日本番でした。今回はゲストにオルガン奏者(もちろん、本物のパイプオルガン)を迎えるので、普通のホールでは出来ません。何回も書いていますが、県庁所在地で人口が100万を越えている政令指定都市でもあるこの街には、パイプオルガンを備えた音楽用のホールは一つもないのですから。
 そこで、会場となったのが、最近郊外の住宅地に移転したばかりのS学園の礼拝堂。ここには、18のフランス風のストップを持つ須藤オルガンが設置されているのです。
 今日の本番に備えて、きのうもリハーサルが行われました。礼拝堂ですから、祭壇をステージ代わりにして、客席も例の木で出来たベンチのような椅子、背中に聖書などを入れておくポケットがついたやつですね。コートやカバンなどの荷物はその椅子において練習していましたが、終わって見てみると、となりにはあっチャンの荷物が。そう、私よりあとに来たあっチャンは、私の荷物を見つけて、わざわざそのとなりに荷物を置いたのです。終わってから、私と話が出来るように。もちろん、楽器を片付けながら、例の「愛人ネタ」で多いに盛り上がったのは、言うまでもありません。
 さて、家に帰って、もう1度譜面を確認しておこうとカバンを開けてみたら、確かにしまったはずの楽譜がありません。いや、椅子のところまで持ってきた記憶はありますが、どうもカバンに入れたかどうかは、ちょっとあやふやになってきました。あっチャンとの話に夢中になって、椅子の上に置き忘れてきたに違いありません。
 それで、今朝、少し早めに会場に行ってみました。確か、室内をそのままにして鍵を掛けるようなことを言っていましたから、楽譜は椅子の上に残っているはずです。ところが、ありません。昨日の場所はおろか、全部の椅子の上、さらには足元までくまなく探したのですが、楽譜はどこにもなかったのです。一体どうしたらいいのでしょう。あれがないことには、演奏が出来ません。ほかの人の譜面を借りてコピーしようにも、もうリハーサルが始まってしまいます。
 しかし、まだ可能性がなくはありません。それは、あっチャンが間違って持っていってしまったこと。ちょうど入って来たので聞いてみたら、「え〜っ。そんなはずないですぅ。」といいながら、確かめてみると、ありました。私のアルトの譜面が。「無意識のうちにしまっちゃったみたいですね」ですって。あっチャンの譜面は、ステージ上の譜面台に乗っていましたっけ。

11月27日

 とうとう仙台では初雪が降ったそうです。確かに、もうすっかり真冬のような寒さ、ほんの2、3日前は汗をかくほどの陽気だったことが信じられません。
 しかし、練習場に入ったら、ものすごい暑さ、いくら寒いからといって、これは暖房のかけすぎでしょう。半そでで弾いていた人もいましたから、すごいものです。こんな調子で、暑い時にもダウンコートでも着たくなるぐらい冷房を入れてくれれば、言う事はないのですが。
 私が車を入れたときはガラガラ空いていた駐車場ですが、練習が始まる頃には満車になってしまったようで、敬一郎クンは指揮者の寿一さんから、「あと2台で入れるから待ってて」という電話を受けて、みんなにしばらく待機を命じてました。運がよければ1分で2台出てくることもあるのですが、今日の場合は、30分近くかかってしまったようで、そのぐらい、練習開始が遅れてしまいました。
 指揮者を待っている間に団員の方はどんどん増えていきます。セカンドはもういつでも10人以上いるのがあたりまえになってしまいましたし、ファーストもなかなかの健闘、マイペースのヴィオラも、なんのかんの言っても結構集まってくるものです。だから、指揮者が汗をかきかき飛び込んできて、「すんません!」と謝るのも当然のことです。これからの指揮者練習でも、こういう状態が続くといいのですが。
 考えてみたら、今度の日曜日が、もう第九の本番なのですね。だから、今日が最後の練習、なんとなく仕上げモードに入ってました。1楽章を終わったところで「オーボエ、ベーレン使ってる?」と聞かれたのは、81小節目の管のテーマで、りえさんが「ファ・レ・ラ」と吹いたから。彼女のパート譜がベーレンライター版だというのは気がついていましたから、そこのフルートとのユニゾン、ちょっと出方を待っていたら、ベーレンをそのまま吹いてしまったというわけです。後で聞いたら、全く気がつかないで使っていたとか、私の周りでは無意識が大流行。
 結局、一応全曲丸々通してみて、まずまずの完成度を確認したのですが、この演奏会の成功の前に立ちはだかるのが、演奏会場のコンディション。今日の旭ヶ丘ほどとは言いませんが、適度の暖房が効いていて、少なくとも演奏者の考えていることのいくらかがお客さんに伝わるようなアコースティックスが確保されていれば、普通、演奏会はうまくいくのでしょうが、その両方とも欠けているのが角田なのですから、これは問題です。
 

11月28日

 夕べは、ハードでタイト(パンストでタイツ)な練習だったため、日記を書く頃には疲れがどっと出て、なんだかちょっとクオリティの低いものになってしまいました。今朝読み返してそれに気付き、朝の8時過ぎに一部手直しをしました。それ以前にご覧になった方は、もう一度読んでみて下さい。おそらく、そんなに変わってないじゃないかと思われるでしょうが、そこは、プロのライターの良心というものですから、よしなに。
 というわけで、私が執筆している「Magi」の最新号が、お昼頃手元にとどきました。今回は最初からいろいろ注文があって、なかなか苦労をしましたが、これもプロの定め、ある意味、そつのない、しかし、私としては悟られないやり方で思いを込めた文に仕上がったはずだと自負しています。
 ところで、別のところでは例の「モ」先生が、コッポラの「地獄の黙示録」の完全版にからめて、ワーグナーの「指環」の事を書いているのですが、そこで紹介されているバレンボイムのCDのデータを見て、びっくりしてしまいました。
 見えますか?「指環」全曲盤が「1,000円」ですって。あんまり安いので、すぐさま編集の人に、「これ、通販で買えますか?」とメールで聞いてしまいましたよ。そうしたら、すぐ、真っ青になって(顔は見えませんが)「21,000円のまちがいです。どうしよう。」という返事。いやぁ、大変ですね。ここで、編集者になり代わって、ワーナー様には深くお詫び申し上げます。しかし、まず、普通の人だったら笑って済ませてしまうことでしょう。どう考えても、「指環」全曲が1000円で買えるなどということはありえませんからね。
 まあ、こんなネタで最近は日記の回数が増えていますが、例の「全文検索」をやって下さっている(実際に、こまめに更新して、最新の内容が反映されているのには、いつも驚かされています。手動であれだけのことをやる原動力は一体なんなのでしょう。えっ、自動でできるんですか?)お助けマンが、「このページの規模、着々と大きくなってますね」というメールを下さいました。なんでも、キーワード数が72,522だそうで、私は「7万2千種類の単語を知ってる」ってことになるそうなのです。他人事ながら、すごいですね。

11月29日

 評判の、日本の興行収入の記録を塗り替えたという映画、「千と千尋の神隠し」を見てきました。行ったのは利府の「MOVIX」、平日だし、もう一通り見る人は見てしまったのでしょう、お客さんは全部で20人ぐらいだったでしょうか。
 正直言って、この映画はあまり見たいとは思っていませんでした。というのも、最近の「もののけ姫」とか「山田くん」などのジブリの作品がとてつもなくつまらなかったから。「もののけ」は悪趣味の押し付けですし、「山田くん」は原作とは似て非なる勘違い、少なくとも私には笑えませんでした。しかし、この「神隠し」は、なんといっても、今までで一番多くの人に見られている作品です。たくさんの人が見たということは、何かひきつけられるものがあったのでしょう。それが一体何なのか、見極めておくのも悪くはないかなという興味はありました。
 実を言えば、ジブリの作品を映画館の大画面で見るのはこれが初めて、「ドラえもん」などの手抜きアニメを見慣れた目には、とてつもない手間がかけられているように感じられます。建物の設定なども、細部にまで神経が行き届いていて嬉しくなってしまいました。お風呂やさんの吹き抜けなどは、溜息が出るほどの素晴らしい仕上がりです。お風呂の効用に「回春」などと書いてあるのも、見逃しませんでしたよ。
 キャラクターもなかなか魅力的、ディズニーみたいな不自然な表情がないのもいいですね。「ハク」が誰かに似ていると思ったら、フルーティストの瀬尾さんでした。
 意外でしょうが、私はかなり涙もろく、下手をすると漫画を読んでもウルウルしてくる方ですから、映画を映画館で見たりすれば、ほぼ例外なく号泣してしまうタイプ。しかし、今回はなぜか1滴も涙などは出ませんでしたね。もちろん、もう一度見ようなどという気持ちになど、さらさらなれませんでした。
 一番の問題は、プロットに明らかに破綻が生じていること。双子のばあさんが出てきたあたりから、今までの伏線が全く無視されたストーリー展開になってしまいます。力ずくで盛り上げようという意図が明らかで、それまでの設定は一体なんだったのか、途方にくれてしまいました。
 もっとひどいのは、音楽。画面に全く似つかわしくない厚ぼったい音の羅列は、作曲家の自己主張以外のなにものでもなく、物語との融和などこれっぽっちも考えられていない愚劣なもの。とどめは、なんとも稚拙極まりないエンディング・テーマ、こういう音楽を聞いてしまうと、「監督と作曲家との間には確執があり、その腹いせにしょうもない曲をエンディングに差し替えた」という風説に、とてつもないリアリティを感じてしまいます。

11月30日

 ジョージ・ハリソンが亡くなりました。言うまでもなく、「ザ・ビートルズ」のオリジナルメンバーの一人ですね。ポール・マッカートニー、ジョン・レノンという二人の天才の影に隠れて、必ずしも大多数の支持は受けてはいませんでしたが、私は大好きなミュージシャンでした。常に自分の立場をわきまえて、決してでしゃばらないという控え目な態度が、私のようなシャイで引っ込み思案なものには好感が持てたのでしょう。
 ご存知のように、ビートルズ在籍時の作品は、レノン/マッカートニーのものに比べたらほんのわずかですが、それらはまさに珠玉のような趣をたたえたものです。(余談ですが、レノン/マッカートニーというクレジットを、ジョン・レノン作詞、ポール・マッカートニー作曲だと思い込んでいた有名な作曲家がいたという、嘘みたいな話があったのですよ。)私のお気に入りは、「アビー・ロード」のB面の最初に収録されている「ヒア・カムズ・ザ・サン」。LP時代に、A面の最後が「アイ・ウォント・ユー」のカットアウトで終わったあと、盤を裏返して針を下ろしたとたんに聴こえてくるのが、エリック・クラプトンと二人で弾いているアコギのイントロ。あたりの空気が一瞬にしてさわやかなものに変わる瞬間を、いったい何度体験したことでしょう。後半に控え目に使われているのが、その当時開発されたばかりのミニモーグ。プロトタイプであるモデルAあたりでしょうか、こういう新しい響きに対する関心というものは、他のメンバーよりはるかに高いものがあったようですね。シタールはちょっとやめて欲しかったですが。
 もちろん、このアルバムのA面2曲目の「サムシング」は、よく言われているように、彼の最高傑作だと認めるのに吝かではありません。名曲であるがゆえに、多くの人にカバーされていますが、本人の頼りなげなヴォーカルの深い味わいを超えるものには出会えたことがありません。シャーリー・バッシーのような朗々とした歌い上げは、私にすれば勘違い以外のなにものでもありませんし。
 「ホワイト・アルバム」に収められた「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」も大好き。イントロのクリシェに続く、それこそ「すすり泣く」ようなヴォーカルが心に染みたのは、そこに誰でも持っているごく普通の感情が現われていたからにほかなりません。人間の心の、ある種、あまりおおっぴらにしたくない部分に働きかける力においては、もしかしたらレノン/マッカートニーを超えるものがあったのではと、ひそかに思っているのですが。
 ジョン・レノンが亡くなった時はなんの感慨もありませんでしたが、ジョージの場合はちょっと感傷的になれたのも、そんな体験があったからなのでしょう。

12月1日

 いよいよ師走、と思ったら、なにかとてもおめでたいことがあったそうで、まあ、よかったですね。こういうことが起こると、あのご一家というのは、単なる象徴などではなく、もっと深いところで私達の生活と結びついていることがはっきりしてしまいますね。
 そんな、すべての国民が喜びを分かち合うであろう大事件があった日に、角田第九の会場練習が行われました。例によって、仙台からの車に同乗していたのは、数多い私の愛人の一人、りっちゃんです。
 余裕を見て早めに出たのが幸いしてか、角田の体育館に着いたのは午後2時、実はオケのメンバーの中では一番乗りでした。窓からはさんさんと西日が差し込み、例年は寒くて大変なこの会場も、かなり暖かくなっています。オケ用のパイプ椅子ももうすでに準備されていましたが、なぜか、すべて客席の方を向いていたのはご愛嬌。確かに、オケの椅子の並べ方が分かる人などはちょっとこの地方にはいないでしょうから、これは仕方のないこと。しかし、実際にこの並びで演奏したら、やりずらいだろうな〜。
 そのうち、メンバーがチラホラ到着したので、普通の形に並べ替え。この程度のことでも、コートなんかを着ていたのでは汗が出てくるほどの暖かさでした。
 最初の歌伴のステージは降り番だったので、控室でメールでもチェックしようと、最近ご愛用の「エア・エッジ」を使おうと思ったのですが、全くアクセスできません。この地方は、どうやら圏外だったようです。仕方がないので、客席で見物。指揮者の浜中さんがしきりと市長さんの昔の挨拶の弁解をしていましたが、おそらく、この日記をお読みになって私達が相当悪い印象を持ったと思ったからなのでしょう。あれはネタとして面白かったからあんなふうに書いただけで、そんな深刻なものではなかったのに。でも、今年の挨拶は、楽しみ。
 4時半には食事休憩。寿一さんが到着するのが5時過ぎの予定なので、この時間にお弁当が出ることになったのですが、これはいかにも早すぎます。しかも、私のお弁当にだけ、おかずのカレーコロッケにかけるソースが付いていません。だから、もう一人の愛人のあっチャンのソースを分けてもらうというみっともないことに。
 5時半からの第九の練習が始まる頃には、あれほど暖かかった体育館も、しんしんと冷え込んできました。「アヒルが怒鳴ると、ドナルドダック」などという寿一さんのおやぢで、一層寒さを増した中、私達は膝にコートをかけたりして明日の本番に向けて、最後の調整に励んだのでした。

12月2日

 本番に備えてのゲネプロは、1015分に開始の予定、眠い目をこすりながら、9時前には仙台を出発です。1時間ちょっとで現地には到着しますから、ほんのちょっとしたドライブ、もう何回、この同じ道を通ったことでしょう。毎年来るたびに、少しずつ沿道の景色が変わっているのも興味深いところです。今年の初めに来た時には、地図の目印だった「宮城トヨタ」の建物がなくなって、更地になっていましたから、てっきり不況のあおりで土地を手放したのかと思い、この間配った日程表には「宮城トヨタ跡地」と直しておきました。ところが、きのう来てみると、そこには宮城トヨタの新しい建物が建っているではありませんか。これだから、地図などは当てになりません。その上、そこを曲がらなくてももっと手前の分かりやすいところに新しい道路が出来ていたとか。来年(もしそんなものがあるとすれば)には大幅な改訂が必要になりますね。
 地図といえば、1月の最初の長田さんとの練習で使う常盤木学園の地図も出来ましたので、日程表から見てください。
 そんなわけで、ゲネプロも無事終了して、お昼ご飯になりました。きのうとは違うお弁当屋さん、フライ類が多くなっていますか。ところが、あっチャンが、「私のに箸がついてない」と言い出しました。確かに、ありません。余ったお弁当から持ってこようと思ったのですが、最初から箸がついていないのがたくさんあって、余分の箸などどこにもありません。きのうはソースが入ってなかったと思ったら、今日は箸ですか。もし、今回の市長挨拶になんの問題もなかったとしても、このお弁当問題は、これから角田と私達との関係を継続するにあたっての大きな障害にならないとは、誰が言い切ることが出来るでしょうか。
 その市長さん、「音楽は人の心に安らぎと連帯感を与える」という素晴らしいご挨拶でしたが、そのことを身をもって味わうことができるであろう角田市始まって以来の「第九」全曲の生演奏という稀有な体験を自ら放棄なさったのは、とても心残りだったことでしょう。
 もう1点。実はかつてヤスユキさんに、いっしょにドライブしているところを目撃されてしまった、「美人な人」がわざわざ仙台から聴きにきたのですが、角田駅から運行されているはずのシャトルバスを見つけることが出来ず、結局タクシーで来てしまったそうなのです。市を挙げてのイベントだと思い込んでいましたから、これはちょっと意外でした。
 しかし、なんのかんの言っても、10年間継続して「第九」を演奏し続けるという偉業は、間違いなく達成されました。数多くの障害を乗り越えてこの日を迎えられた関係者の方々のご苦労には、心から敬意を表したいと思います。

12月3日

 せっかく角田まで行って演奏会を一つやってきたというのに、その土産話がお弁当のことだけというのではあまりにも寂しすぎるので、真面目に本番のレポートをすることにしましょう。
 1015分から始まった4楽章のゲネプロ、最初の15分間は、合唱団の立ち位置とか、立ち上がるタイミングとかの調整に費やされました。初めての全曲演奏、「くれぐれも膝を伸ばしておいてください」とかの、寿一さんの気配りも、抜かりはありません。少しぐらいのミスも、「あとは本番に期待」ということで。
 オケだけの練習では、残りの3つの楽章を一通り通します。一番最後にやった1楽章の最後のほうでは、ちょっとしたリタルダンドの加減がかみ合わず、入るタイミングを見失ってしまったソロフルートが、半音高い音を出してしまってその場の緊張した空気を和らげていました。本番では大丈夫でしたが、別の時、寿一さんが大真面目で演説をぶってみんなが静まりかえっているところで、弓を床に落として大音響を発していたヴィオラ奏者は、何でも本番で弦が緩んでしまったそうです。きっと、私の愛人たちのたたりのせいだったのでしょう。
 さて、本番です。第1ステージの歌伴は降り番だったので、例によって2階席へ。お客さんはまずまずの入りだったでしょうか。去年は走り回っていたお子さんなどもいましたが、その点は大丈夫・・・かな。演奏が始まってから入ってくる人がたくさんいましたが、まあ、許しましょう。管はよく聞こえてきますが、人数の少ないヴァイオリンあたりはちょっと厳しいものがありますね。こういう場所でやる場合には、まずPAを入れるというのが今では普通になっていますが、生音だけでがんばるという姿勢だけでも伝わればいいのですが。
 第九の本番は、やはり本番でした。2楽章の速さといったら・・・。末廣さんで鍛えられていたからよかったものの、もし、何もなくてあのテンポだったらどうなっていたのでしょうね。あっという間で正確には覚えてはいないのですが、多分私は繰り返しの「3拍子」のところで3小節早めに入ってしまったはず。難なく修復できましたが。4楽章では、淳一さんのソロがはじまるやいなや、盛大な花火の音が聞こえてきましたしね。
 帰りに寄った「仙南シンケンファクトリー」は、日曜日だというのにお客さんはたった二人だけ。BGMのポルカだけが空しく響いていました。

12月4日

 さあ、長かった「第九」も終わって、やっと次のレパートリーに取り掛かれます。ドヴォルジャークの「謝肉祭」、モーツァルトの「交響曲第40番」、そしてシベリウスの「交響曲第5番」の3曲を初めて合わせる練習です。本番の2日後、果たしてみんなはどの程度弾けるようになっているのでしょうか。
 音出しの前にシベリウスをさらっていたら、しげちゃんがやってきて言ったこと。今の勤め先に、ヴァイオリニストの矢部達哉さんによく似た人がいて、その人の前に出ると緊張してしまうんですって。いかにもナイーブなしげちゃんらしい話ですね。それを「いったいどうしたらいいですか?」と私にきいてくるというあたりが、なんとも不思議な人なのですが。
 この話にはオチがないので、最初はモーツァルト、これはあっチャンが一人で吹きます。今回はさっちゃんがコンマス、ファーストとセカンドの入れ替えもあったようですし、さらに新しい人もいたようで、すごく新鮮な感じです。
 「謝肉祭」は通しただけですが、なかなかの難物、結構譜割りを間違えたりする人がいたりして、スリル満点です。私は2番を担当、スコアを持ってなかったので、吹いてみてはじめて気がついたのですが、1番が吹いていないときに2番が一人で吹くシーンが結構あるのですね。これはドヴォルジャークのよくやる手、2番フルート奏者に愛人でもいたのでしょうか。
 シベリウスは鎌サンが練習指揮。最初に「この曲やったことある人」と言ったら、手を挙げたのはしげちゃんだけ、そんなものです。とりあえず全楽章最後まで通せたのが殆ど奇跡のような状態でした。これはほんとに手ごわそう。私にしても(あ、これは1番)全く知らない曲をやるのは久しぶり、とてもやりがいがありますね。
 終わってくたくたになっても、パートリーダーはまだ解放されることはありません。場所を移して、来年の秋の定期の選曲のための、技術委員会です。メインだけでも1本化しようというつもりでしたが、結局候補曲を選んだだけで、その結果をパートに持ち帰りということに。詳細は、公式掲示板にさっちゃんが書き込むはずです。一通りのものはやってしまったし、さらに上のステップを目指すほどの力もないとなると、どうしても限られた結論しか出ないのでしょうね。確かに、シベリウスのような刺激は、毎回は必要ないですしね。

12月6日

 8日間続いた日記の連続更新記録も、あえなく中断してしまいましたね。いくら私の「エネルギーには敬服」するとおだてられても、睡魔には勝てません。夕べは、パユを聴きに行って(ヒレカツ先生も来てたみたいですね)帰ってきてから雑用を済ませたり、メールをチェックしたりしていたら、もう目を開けているのさえ辛くなってしまいましたから。やはり、おとといの技術委員会のあとの日記書きが響いていたようです。
 日記を毎日続けていたせいでもないのでしょうが、トップページのカウンターがもうすぐ120,000になろうとしていますよ。ニューフィル関係の他のサイトでは、このようなキリのいい番号になった時には、その時アクセスした人にプレゼントが渡されるのが決まりになっています。プレゼントはCD−Rでも薄皮饅頭でもいいのですが、これがないことには収まらないことになっているようで。ただ、この「キリ番」の人が、すべて団内の人だというのが、分かりやすいですよね。
 ところが、JPのような人気サイトになってくると、キリ番が必ずしも団員にまわってくるとは限りません。パリの瀬尾さんかもしれませんし、ロス・アンジェルスの篠崎さん、あるいはウィーンの下野さんかも知れません。卑近なところでは、タワーレコードのSさんとか、レコード新聞社のHさんが踏まないという保証はどこにもないわけですし。
 まあ、しかし、気は心、それで気が済むのならということで、一応カウンターの上にマーキーを出してみました。前後賞でも、いいことにしましょうか。
 賞品ですが、ご希望とあらば「愛人」でも「怪人」でも「タイ人」でもなんなりと。ただ、初期設定と、メインテナンスにかかる費用、及び運賃等の諸経費はお客様のご負担ということにさせていただきますので、その旨ご承知おき下さい。
 愛人といえば、きのうのコンサートは例の「美人な人」と一緒に行ったのですが、その方は、最初は行く気はなかったのが、なんでも娘さんの推薦入学がお決まりになったので、急遽私のそばの席を探したら、一つ置いて隣が空いていたので、そこを買ったそうなのです。会場に行ってみたら、その席にはフルートケースを持った可愛い女子高生が。あとで「美人な人」に、「あのコはあなたの別の愛人で、一緒にチケットを買ったのでしょう。知らない振りをして座っているのは辛かったでしょうね。」と嫌味を言われてもおかしくはないような、緊迫したシチュエーションではありましたね。

12月7日

 「今日は二十四節気の一つ、大雪にあたります。」というフレーズを、テレビやラジオで何回聴いたことでしょう。「暦どおり、寒くなりましたね。」と続くのもお約束。ただ、今日の場合はたまたま季節感が一致していましたが、普通は「まだそんな季節ではないだろう」という場合の方が多いのではないでしょうか。それもそのはず、この前、七夕の時に書いたように、この二十四節気というのは旧暦での年中行事、今の暦では、1ヶ月ほど先の時期にあたっているわけですから、実際の季節感と一致してないのはあたりまえのことなのです。実体のない言葉をさも重大なことのように話している、主に天気予報関係の人たちは、虚しさを感じたりはしないのでしょうか。
 しかし、この国では、実態よりも伝統、伝承といったものを重んじる事が美徳とされるのですから、まあ、そんなに気にすることはないのでしょうが。
 ところで、12月1日にお生まれになったさる高貴な方のお名前が、「愛子」に決まったそうですね。これからしばらくは、この名前が大流行することでしょう。しできさんは先見の明があったことになりますね。
 私がこの名前を聞いてすぐ思い浮かべたのが、仙山線の「愛子(あやし)」駅。誰でも考えることはいっしょのようで、この駅でわざわざ切符だけ買っている人のことをニュースで取り上げていましたっけ。かつての宮城町、今では仙台市になっていますから、いわばご当地のこの駅を巡って、これから大騒ぎが繰り広げられるかと思うと、胸がわくわくしますね。1年前の○稜クリニックのようにブレイクして欲しいものですが。
 ところで、この名前の出典となった孟子の原文では「愛人」とありましたから、私としてはギョッとしたのですが、これは返り点をつけて「人を愛す」と読むのでしょうね。いっそのこと、そのまま「あいと」と読ませれば、男の子の名前になるから、いいんじゃないですか?「愛人(あいと)」くんが世の中に氾濫すれば、愛人(あいじん)ネタが豊富なこの日記もなんだか流行の最先端を行くようで、嬉しいのですがね。
 などと、バカな事を書いていると、どんなところからクレームがつくか分かりませんから用心しましょう。と言うのも、二十四節句のように、本来実体のないはずのものを、真剣に伝統にのっとった形で敬愛している人たちがどれだけ多いかというのが、はからずも今回明らかになったのですからね。

12月8日

 仙台で最古の歴史を誇る合唱団、「東北大学男声合唱団」は、今年で創立50周年を迎えます。なぜこんなことを書き出したかというと、何を隠そう私もこの合唱団のOBだからなのです。最近は男声合唱などというのは、大学のサークルの中では人気のないものの筆頭ではないでしょうか。何しろ、「オトコ」しかいないのですからね。そんなところで4年間も過ごしたから、今になってその反動で愛人を収集しているというのは、もちろん根拠のない風評ですからね。
 その「男声」が、50周年記念で何かやろうと企んだのが、今年の定期演奏会でのOBとの合同演奏です。私は、前にも書いたように、合唱からはすっぱり足を洗っていましたから、誘いを受けても全く関心はありませんでした。ところが、東京に住んでいるOBたちが練習を始めたというメールと共に、写真が掲載されているサイトのリンクが送られてきたので、つい覗いてしまったのがいけません。そこには、懐かしい顔が勢揃い、この連中に会えるのは50年後かと思うと、つい心が動いてしまったのです。
 仙台にいるOBが集まって練習をするのが今日だとは分かっていましたが、まだ決断はつきません。ここは一つ、きっかけを見つけようと思い、演奏する曲の楽譜を探してみました。手に入れば行く、なければやめる。しかし、ヤマハに行ったら、その、昔と同じ装丁の楽譜はちゃんと売ってました。値段は昔の倍以上でしたが。こうなれば、もう後へは引けません。
 会場は、やはりOBが経営している幼稚園。お遊戯会をやるようなホールに入ってみると、10人ぐらい集まっていたでしょうか、ぜんぜん知らない顔ばかり。しかし、そのうちの2人ぐらいが私の名前を呼びます。相手の名前を聞いて初めて思い出しましたが、何もないところであっても絶対分からないぐらい変わっています。ということは、私はあまり変わっていない?合唱をやるなんて、○十年ぶり、声なんか出ないと思っていましたが、歌ってみると結構出るものですね。それよりも、隣に座っていたもう70歳にもなろうと言う大先輩が、とんでもない立派な声なので、びっくりしてしまいました。聞いてみたら、仙台放送合唱団で今も歌っているとのこと、納得です。
 本番は1223日、川内記念講堂。OB80人、現役20人の合計100人という大合唱になるはずです。それにしても、シベリウスの交響曲第5番と、多田武彦の「富士山」を同時に練習している人なんて、日本中探してもぜったいいないでしょうね。おまけに、ブリン・ターフェルのワーグナーアルバムのレビューを書いて出版社に送る人なんて、それこそ未来永劫存在することはないでしょう。

12月11日

 「大雪」も過ぎ、日ごとに寒さを増してきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。寒気にすっぽり覆われたここ仙台では、1日中細かい雪が降り続いていました。それでも、私は、女が舞の代償に求めた生首を提供するために地下牢から出てきた聖者のように、長い幽閉生活のやつれなど微塵も感じさせない血色のよい肌と滋養に満ちた筋肉を持っています(究極の楽屋ネタだな)。しかし、ニューフィル近辺に猛威をふるっている風邪の勢力は、まるで衰えることを知らないかのように見えます。あっチャンはすぐ風邪だとわかるほどの、ものすごい声、吹いているときも辛そうでした。セカンドののすりサンも、楽器を持たないで、ボウイングを写しただけで、帰っていきましたし。悲惨なのはりっちゃん。石油を入れるポンプがなかったためにストーブが使えず、それで風邪をひいてしまったとかで、お休みです。
 そのせいかどうか、今日の出席者はかなり少なめ。いつもの3割減といったところでしょうか。そんな中、私は練習が始まる前にみんなの前に出てしゃべるという、ものすごく恥ずかしいことをしなければなりませんでした。大学の研究発表か何かに使うとかで、オーケストラのメンバーにアンケートを取りたいという方がみえたので、その人に代わってアンケートの趣旨を説明したのです。なぜ、そんなことをやったかと言うと、実はこの学生さんは私の新しい愛人で、その手伝いをさせられた・・・というのが一番ありがちな解釈ですが(そう思った人、いたでしょう)、あいにくそうではなく、団長の崇サンのところに来た話を、急な出張で来れなくなったので私にやってくれと電話で振られたからなのです。
 しかし、あれだけ何くれとなく細々と面倒をみていれば、それを真に受ける人はいないだろうな〜。
 お礼に置いていったキャンディーやチョコレートに釣られて、アンケートは無事回収できたようでしたが、シベリウスの練習は大変でしたね。先週は勢いで何とかなったものの、譜読みすらまともに出来てない状態ですから、いくら鎌サンが頑張っても音楽には程遠いもの、やはり、きちんとパート練習でさらわないことには、前へは進めないのでしょうか。
 わたしのことを言えば、「第九」に比べたらはるかに楽、譜割りさえ間違わなければ何とか格好はつくのですがね。
 今年の全体での合奏は、もはや今日で終わり。来週はパート練習になりますが、管楽器は、終わったら忘年会ですって。もう1年も終わってしまうんですね。

12月14日

 本当の大雪、今年初めて、積もるぐらいの雪が降っています。いよいよ、ドライバーとしては大変な季節になってきました。
 私が今乗っているのは、青いメタリックの車、ここでも紹介したように、愛人をナンパするには欠かせないものです。しかし、この商売道具が、最近ちょっと調子が悪くなっていました。朝の冷え切った時などに、エンジンをかけてすぐに走ったりすると、エンジンの異常を示す「エンジンチェック警告灯」がついてしまうのです。ただ、これは少し走っているとそのうち消えていましたので、それほど気にはしていませんでした。アイドリングに時間をかけて、エンジンを温めておけば出ないこともあったので、まあ、寒い時は調子が悪いのだろうぐらいに考えていたのです。
 ところが、おととい職場からの帰り道、かなり暖めていたのにもかかわらず警告灯がついてしまいました。それはいくらたっても消えることはなく、そのうち、アクセルの感じがおかしくなったと思ったら、突然エンジンが止まってしまったのです。いきなり、道の真ん中でですよ。いやぁ、あせりましたねえ。幸い、一度エンジンを切って「再起動」させたら、何事もなく動き出したので、交通渋滞を引き起こすことはありませんでした。それからはなんの異常もなく、無事、家までたどり着けました。
 だから、きのうの朝は、念入りにウォームアップをして走り出しました。しかし、やはり、警告灯がついたと思ったら、エンジンが止まってしまいました。こうなっては、もはや放っては置けませんから、そのままサービス工場へ直行です。
 結局、「水温センサー」の異常だということが分かり、部品を取り寄せてもらってその日のうちに修理は完了しました。今朝は、全く異常なく前のように何事もなく走ってくれていました。
 最近の車は、いろいろなセンサーや電子回路で制御するようになっているので、ほんのちょっとした部品の異常でも、こんな大変なことになってしまうのですね。そういえば、昔の車には「チョークレバー」というものが付いていたのを思い出しました(知らないだろう)。エンジンが冷えている時には、このレバーを引いてガソリンの混合比を上げてやらないと始動しなかったものです。それが、「オートチョーク」が出来て、このレバーはなくなり、さらにどんどん精密な仕組みに進化していったのですね。
 便利になった一方で、素人には手が出せない部分が多くなってきたというのは、オーディオ製品なども同じ、昔はターンテーブルが壊れたらベルトを交換すればよかったものが、今ではCDプレーヤーが壊れた時にはもはや新しい物に買い換えるしか、方法はなくなっているのですからね。
 一応言っておきますが、私の愛車は日産のパルサー、ベンツなどではありません。

12月18日

 今年最後の練習は、スケジュールの都合でパート練習になってしまいました。管の場合は、パートに分けても集まりそうもなかったので、金管、木管が一緒になった分奏です。
 会場のパルシティに向かう途中には、市役所や県庁があるあたりを通るのですが、県庁前の公園には、毎年の恒例となった、巨大な電飾のクリスマスツリーが光っているのが見えました。ツリーだけではなく、まわりの花壇にも豆球が飾られていますから、広場一帯が小さな光に敷き詰められているようで、とってもきれいです。「光のページェント」のように高いところで光っているよりも、低いところが一面光の海という感じで、なかなか幻想的な雰囲気をかもし出しています。向かい側にあるビルでも、窓ごとにこった電飾を付けたりして、この時期のこの周辺は夜だけ別世界と化しています。
 練習は、いつも使っている「第2」音楽室ではなく、「第1」のほう、間違えて「第2」のほうに行ってしまった人もいたようですが、日程表にはしっかり「第1」と書いてありましたからね。そんなわけで、いつもよりちょっと広い気がする会場でしたが、人数の方はいつもより少なめ。常に全員が出席していたフルートパートも、あっチャンがお見合いでお休み(さすがに、もう引っかからないでしょう)したぐらいですから。
 実は、今日のお目当ては練習のあとの忘年会、「謝肉祭」を中心に(というか、これだけ人がいなくて、なおかつ管だけだと、シベリウスをやっても間抜けなだけなので、殆ど出来なかったからですが)金管などのチェックをして、そそくさと忘年会場へと向かうのでした。
 会場の「赤べこ」は、丸光デパートの裏・・・と言ったら、そんな名前を知っている人はもはや殆どいなくなっているのに気付かされました。「カルミン」のことを知っている人も珍しくなったみたいだし、時代の流れと言うやつでしょうか。いつもどおり、私は飲めないのでソフトドリンクを注文しようとメニューを見たら、「ジンジャーエール」があったので、とりあえずそれを頼みます。しかし、小ジョッキに入って出されたものをみてみると、異常に濃い色がついています。「もしや」と思い、飲んでみると、例の強烈な生姜味。そうです、それは、紛れもなく「ウィルキンソン・ジンジャエール辛口」だったのです。こんなところでお目にかかれるとは。
 ウィルキンソンも飲めたし、牡蠣フライや牡蠣雑炊もおなかいっぱい食べたし、たとえ、28番目の愛人が同席していなくても、掲示板で呼びかけたにもかかわらず他のパートの人が誰も来てくれなくても、気心の知れた管パートの心地よい宴は、地下鉄の終電がなくなる前には、無事お開きとなりました。

12月21日

 しばらく、日中は穏やかな日が続いたと思っていたら、今日はどんよりとした曇り空、夕方にはみぞれまじりの雨が降り始めました。車を北へ向かって、泉ヶ岳のふもとまで走らせていくと、雨は次第に雪のようになってきます。
 なぜ、こんな日にわざわざこんな山の中まで来たかというと、じつは、ここにあるホテルのディナーショーにニューフィルの知り合いが出演するからなのです。おとぎ話の中のお城のように、クリスマスのイルミネーションで飾りたてられたホテルに一歩足を踏み入れると、そこはとても華やかな世界でした。肩もあらわにしたイヴニング姿の女性が所狭しと美貌を競い合っているところに、いかにもみすぼらしい風采の私は、完全に浮いていました。だいたい、ネクタイもしていないのに、会場に入ることができるのでしょうか。こんな中で演奏できるなんて、知り合いもさぞ舞い上がっていることでしょう。
 ところが、宴会場の案内を見てみても、その知り合いの名前はどこにもありません。ただ、別のチラシに「チャペルコンサート」というのがあって、そこに「仙台ニューフィルチェロアンサンブル」と書いてありますよ。なぁーんだ、ディナーショーだなんて、ちょっと変だと思ったのですよ。一体誰がそんなことを言ったのでしょう(わたしです、すいません)。
 というわけで、会場のチャペルに行ってみたら、燕尾服に身を固めたチェロ衆が、いましたいました。早速デジカメで撮影(これは、おそらく次の「かいほうげん」の表紙になることでしょう)していたら、里美サンが、「私のカメラで、撮っててくれない?」と、私と殆ど同じ型番のデジカメを渡します。殆ど、写真撮影だけのために来たようなものですから、似たような2台のカメラを持って、撮りまくりましたよ。会場にきていた正子サンまでが、私にカメラを預ける始末でしたから、最後は3台もと格闘、演奏なんか聴くひまはありませんでした。元サンの軽妙なMCともども、楽しんで弾いていたようですが。
 それが終わったら、さらに車を走らせてイズミティまで。例の「美人な人」が懸賞で当てたペアチケットがあるというので、「プラハ・バロック・アンサンブル」を途中から聴いたのですが、これがとんだ拾い物。とても柔らかい音色と絶妙のアンサンブルで、久しぶりに「安らかな」音楽を堪能しました。先日聴いたドイツ人たちとは正反対の行き方、あちらはちょっと「個」が出過ぎで、疲れてしまいます。もちろん、ついさっき聴いたばかりのアンサンブルとは・・・。

12月22日

 午後になって青空も見え始めた連休初日、その青空が広がっている西の方の山へ向かって、車を走らせている私がいました。なぜ、こんな日にわざわざこんな山の中まで来たかというと、じつは、以前にも書いた東北大学男声合唱団の定期演奏会に賛助出演するOBの練習があったからなのです。
 始まる20分ぐらい前に、記念講堂脇の松下会館に着いたのですが、すでに大勢の人が集まって受付をしていました。今日は東京方面から参加する人も来ていたので、ほぼフルメンバー、100人近くのOBがいるはずです。例によって、私は殆ど知らない顔ばかり、と思っていると、あちらから声をかけられて、一生懸命思い出したりという、非対称性の認識状態が続いています。私は「昔とぜんぜん変わっていない」というのは、みんなの一貫した評価、中には、買ったばかりのセーターを指差して、「これ、○十年前からずっと着てるんだろう」という人まで。
 そこの会議室のような部屋で2時間ばかり練習したあと、いよいよ当日の会場の記念講堂に向かいます。最近、東北大オケの演奏会などでも来てますから、私はそれほどではありませんが、卒業以来初めて来た人などもいて、感無量の様子。考えてみれば、私も、音楽家としてステージに立ったのはここが初めてなわけですから、やはり冷静ではいられませんね。
 ステージ練習が終わって(さすがに100人ともなると、他のパートは聴こえないし、指揮者とは合わないし、大変でしたが)、ロビーで軽い懇親会となりました。缶ビールとサンドイッチ程度をつまみながら、同期生などと話したりしていると、全員の自己紹介が始まって、年代ごとに名前とパートを言ったりしています。今も昔も、パートごとのまとまりがあるようで、紹介した人と同じパートから歓声が上がります。私が「技術のセカンドです」と、昔はやったフレーズを持ち出したら大ウケ、あとの人がみんなマネしてましたっけ。現役の紹介の時に、OBからの「何か1曲」という煽りにのって、暗譜でメンデルスゾーンかなんかを歌ったのには、びっくりしてしまいました。沢山のおやぢに囲まれても物怖じせず、我々の現役時代とは比べ物にならないぐらい音楽的に充実したものを聴かせてくれたのですから。もし、お暇でしたら、明日(23日)の2時半開演ですから、川内まで来てみては。
 それから、フルートの会の練習で青年文化に行ったりしたのですから、きのうはコンサート、今日は練習の掛け持ち、こんなに忙しくては、愛人たちを構っているひまなどありません。年賀状だって、誰にも手伝ってもらわないで一人で印刷し終わりましたし。

12月23日

 東北大学男声合唱団の第49回定期演奏会は、例年にない盛り上がりになったというのは、印刷したパンフレットが足らなくなってしまい、最後に委員長が「お詫び」の挨拶をしたことからも分かります。そう、全国から集まった80人のOBの関係者のおかげで、いつもの年の2倍のお客さんが入ってしまうという、予想外の事が起こってしまったのでした。
 我々OBは、最初は客席に座っていて、出番になると客席からステージに上がるという段取り、まずは現役の演奏をじっくり聴いてみました。最初にやった三木稔の「阿波」という曲は、じつは私が現役時代にやったもの、曲の隅々まで良く知っていますが、この演奏は今まで抱いていたイメージを根底から覆すような、極めて「音楽的」なものでした。私達の頃は、「男声」といえばその名のとおりオトコくさいもの、少々荒っぽくても、そこに力強いメッセージがこもっていれば、それでOKみたいなところがありました。私などは、それがイヤで結構反発をしてたものでしたが、今ではそんなことすら考えることもなく、ストレートに音楽で勝負していますから、とても好感が持てましたね。団員は20人ほど、トップテナーは3人しかいませんが、バランスは全く問題はありませんし。
 さて、いよいよ「富士山」です。実際にホールでお客さんを前にして歌うなんて、それこそ○十年ぶり、精一杯胸を張って、あまり楽譜などは見ないようにして堂々と見えるように歌ってみました。ところが、ある瞬間に自分がハーモニーの響きの中の一員となっていると感じられた時、なぜかこみ上げるものがあったのです。じつは、さっきの現役の演奏を聴いている時から、何か迫るものがあって、かなりウルウルはしていたのですが、ほんの一瞬、声も出せないような状態になってしまったのです。無防備に慣れない事をやってしまったため、感情がついていけなかったのでしょう。状況は全く違いますが、団長の「偲ぶ会」のときみたいなもの、なんか不思議でした。
 というわけで、OBとしては多いに楽しませてもらったわけですが、現役の人たちにとってはえらい迷惑だったのではないでしょうかね。せっかくの自分達の定期演奏会を、50周年だからと言って見ず知らずの人たちにかき回されるなんて、私だったらやめて欲しいと思いますね。なまじ伝統などがあるために、変な重荷を感じさせてしまって、大変だったことでしょう。
 その点、ニューフィルの場合は、20周年といっても、記念誌一つ作るでもなく、気楽なものでしたから、これからもそれで行きましょう。おとといのチェロアンサンブルのように、とことん楽しんで、なおかつパート内のまとまりが良くなり、オケ全体の向上につながるなんて、ほんとに素晴らしいことです。愛人を作ってパート内のまとまりを良くするという人もいることですし。

12月29日

 21世紀最初の年も、いよいよ押し詰まってきました。皆様、新しい年を迎える準備は着々とお進みのことと思います。
 私はと言えば、きのうから休みになったのをいいことに、早速映画館に行ってたりして、家人の顰蹙を買っています。最近良く行くのが、利府の「MOVIX」。利府町というと、例えば新幹線の基地とか、最近では国体の開会式が行われた宮城スタジアムなどが有名、ずいぶん遠くのような印象がありますが、道路が混んでいなければ自宅から30分ほどで行けますから、へたな市内よりはよっぽど近くです。
 敷地が広いので、12室ある映写室はすべてワンフロア。そのため、高さに余裕がありますから、客席の傾斜が急になっていて、どこに座っても、前の人の頭が邪魔になってスクリーンが見えなくなるということはありません。というか、椅子の背もたれが高いので、頭すら後の人には見えないぐらいですから。仙台市内にももう1箇所「MOVIX」があるのですが、こちらはビルの中に入っているため、傾斜はもっと緩やかですし、他の、昔からある映画館ときたら、スクリーンの下半分をきちんと見ることは最初からあきらめなければいけません。
 かつて、「東北初のシネラマ上映館」という触れ込みで、大画面を売り物にした映画館がありました。確かに、スクリーンの大きさはハンパではありませんでしたが、じつは、ここもフロアの勾配が殆どないというひどいところでした。音響も、かなりひどいものだった記憶があります。
 ただ一つ、駅前にある大きな映画館だけはこの点はクリアされた、ゆったりした空間を持っています。しかし、ここは映写機の光度が低いという致命的な欠陥がありますので、「ID4」でそれをいやというほど味わってからは、足を運ぶことはありません。
 そんなわけで、最近は映画と言えば「利府」ということになってしまっています。視覚面で満足できるだけでなく、音響も完璧、ドルビーサラウンドを存分に味わえます。ですから、「ヴァニラ・スカイ」の最初のシーン、誰もいないニューヨークのど真ん中という不思議な設定が、見事に音だけで体験できました。
 ただ、ここも、休日などは駐車場が足らなくなってしまうという問題があります。先売り券を買っていた人が、車が置けずに映画を見ることが出来ないという事態は起きないのか、他人事ながら心配になってきます。
 遊んでばかりいては、年の瀬を無事に過ごせるわけはありません。今日は朝から窓掃除と障子貼りという、過酷な試練が待っていました。障子を4枚張り替えたら、もうダウン寸前です。

12月30日

 11月9日の「おやぢの部屋」で仕掛けた冗談が、本当のことになってしまいました。ギュンター・ヴァントが指揮したブルックナーの交響曲第8番のレビューなのですが、せっかくだからということで「朝比奈翁」にはお亡くなりいただいてヴァントを「最高齢の指揮者」に仕立てたのです。もちろん、最後ではきちんと種明かしをしていますからウソだと分かるのですが、これにまんまと引っかかった人もいたりして。じつは、このネタは最新の「かいほうげん」にも転載してあって、それを読んだブルックナーマニアの徹サンに「ほんとに朝比奈死んだと思ったでば」と言わせてしまったのです。その時は「やった」と思ったのですが、まさかこんなに早く翁が鬼籍に入られるとは!齢93の大往生、心からご冥福をお祈りいたします。
 そのように勘が冴え渡っていたのでも分かるとおり、今年の私といえば、まさに絶好調、今まで経験したこともないようなことが次々に起こってちょっと怖いぐらいでした。まず、夏には、世界的なフルーティスト瀬尾和紀さんと個人的に親しくなることが出来ました。こんなことは、シャイで内気な私にしては考えられないこと。きっかけはこのサイトの「おやぢの部屋」と「吉田ヒレカツの音楽展望」、瀬尾さんのCDとコンサートのレビューを「おやぢ」と「ヒレカツ」に載せたところ、その文章をえらく気に入ってくれて、たまたま仙台にいらっしゃっていた時に何度もお会いすることが出来たというわけです。
 秋になると、なんと、音楽雑誌に原稿を書くという依頼が飛び込むことになります。雑誌と言うのは、「Magi」という、レコード屋さんなどでお客さんに無料で配られているクラシックとジャズの新譜案内なのですが、これから出る予定のCDを聴いて、その紹介文を書くという仕事、毎月コンスタントに2本ずつ注文がありますから、これからも続いてゆくことでしょう。これも、きっかけはやはりこのサイト。「おやぢ」の内容が認められて、晴れてプロのライターになってしまったという、うそみたいな話です。
 さらに、冬になると、何十年かぶりに合唱でステージに立つというようなことも経験させられました。もっとも、こちらはあくまでお祭りみたいなもの、これがきっかけで合唱にも足を踏み込むようなことは、絶対にありませんので、ご安心(なにに?)下さい。
 そんな多彩な1年を味わわせてくれた皆さんに対しては、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。こうなってくると、来年何が起こるかなどということは全く予想がつきません。まあ、何があっても良いように、柔軟なスタンスだけは保つようにしておきたいと思いますので、来年もなにとぞよろしくお願いします。

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