バックナンバー17

(01/5/1-01/6/29)


5月1日

 連休の谷間、超大型連休などには縁のないニューフィルは、今日も指揮者練習です。まあ、でも、ヤスユキさんのように、外資系大企業の場合だと正正連休ですか、いかにも優雅な休日、ガーデニングの手が空いたからぶらりと練習にやってきましたみたいな人もいて、ちょっと違った雰囲気。もっとも、雰囲気が違ったのは会場のせいもあるでしょう。平日だというのに、なんと青年文化のコンサートホールでリハーサルがやれるのですから。
 この会場、色々問題はありますが、吹いていて気分がよいのは確か。全然苦労しなくても音が隅々まで響いている実感があるので、なんだかすごくうまくなったような錯覚に陥ってしまいます。だから、本当は練習には適してはいない場所なのでしょうけれどね。
 さて、榊原さんの2回目、今回は1楽章の後半のゆっくりした部分から始まりました。旭ヶ丘では貧弱に聴こえる弦も、ここではとても豊かな響き。ついうとうとと居眠りでもしたくなるような心地よさです。ファーストとセカンドの掛け合いで、今まで一度たりともうまくいったためしのない部分も、榊原さんの包み込むような指揮で、見事にハマります。
 続く第2楽章も、流れさえつかんでしまえばニューフィルのお得意のパターンですから、最後までそれなりに通ってしまいました。榊原さんも「こういう曲はいいんだね」と、よく分かってらっしゃいます。
 だから、休憩後に第1楽章のはじめをやったら、先週と変わらぬガタガタのアンサンブルで、正体が暴露されるというわけです。先週と全く同じ練習が繰り返され、おそらく、これはこの次の練習でも繰り返されることになるのでしょう。
 ところで、この写真は、酢蛸さんが「昔の日記で言ってましたよね」と、わざわざ見せてくれたもの。すっかり忘れてしまっていましたが、確かに昔書いたものを見直してみると、そんなことが書いてありました。でも、やっぱりこれは「たまごボーロだ」という人がほとんど、こんな確固たる証拠があるにもかかわらず、「衛生ボーロ」などという人は、白い目で見られてしまいます。
 前回の筍の件ですが、何とか順調に出始めてきましたので、大々的に筍堀大会が開催されることになりました。今度の土曜日の5日、午後2時から4時ぐらいまでの見当で、東昌寺の竹やぶに集まりましょう。

5月3日

 連休も後半、皆様いかがお過ごしでしょうか。この2、3日は、まるで冬に逆戻りしたような寒いお天気。冗談ではなく、夜などは吐く息が白くなるのですから、本格的です。昼間でもストーブをつけっぱなし(のべづくべでばり)ですから、灯油の買い置きも底をついてしまいました。
 つまり、昼間は外に出かけないで家にいたということ。あまりの寒さに出歩く気力もなく、たまっていた片づけ物を集中的にやろうという、家人の提案なのです。もっとも、私の領分は差し迫ってどうしようということもないので、重いものを持つときだけの人手。せっかくだから、HP作りに専念してみました。その成果がこれ。日記の愛読者の皆さんにとっては焼き直しのネタですが、まあお許しを。
 ところで、JPには私が作ったMIDIファイルがたくさんあります。ちょっとしたカラオケ代わりのものもありますが、大半は曲の説明をする時に分かりやすいように作ったものです。ところが、先日とあるサイトの主宰者の方からメールが届いて、その方のページのBGMとして、私のMIDIを使わせて欲しいとおっしゃってきたのです。なんでも、ホルストの「木星」が好きなのだそうですが、ネットでいろいろ捜してみてもなかなか気に入ったアレンジのものが見つからなかったところが、たまたま私のページで使われていたものが好みにぴったりだったとか。とりあえずその方のサイトに行ってみましたが、「天上の抱擁」というようなある種癒し系のサイト。私のようながさつな感性からは程遠いテイストでしたから、そんなところに私のMIDIなど合わないのではとは思ったのですが、先方は気に入っておられるようなので、「どうぞお使いください」と返事をしました。
 思い返してみると、これは「木星」というよりは、ダイアナ元妃の葬儀の時に歌われた聖歌ということで作ったもので、殆どスコアどおりに、ハープの伴奏を付けただけのものなのです。その辺のシンプルさが、案外良かったのかも知れませんね。
 次の日に「MIDIを貼り付けました」と知らせてきたので行ってみたら、見事にトップページのBGMとして鳴っているではありませんか。これはちょっとした感動でした。私が作ったものが他人のサイトの中で音として響いているなんて。
 こんな事態は全く想定してはいなかったのですが、これからは、JPは「素材サイト」としての存在も主張できるのですよ。黒人霊歌が突然「新世界」に変わってしまうネタとか、各種取り揃えてありますので、どうぞこちらまで、ですか。

5月5日

 「子供の日」ですね。かつて「ころもの日」といって、この日には揚げ物を食べるものだなどと受けをねらっていた人がいましたが、毎年そんなことをやっていたらあげられて、ではなく、あきられてしまいます。
 さて、先日もお知らせしたように、ニューフィルの連休の恒例行事ともなった筍掘り大会が、東昌寺の竹やぶにおいて開催されました。公式掲示板でも大々的に告知をしたので、今回はさぞたくさんの参加者があることでしょう。
 と思いながら会場に行ってみたのですが、開始時刻の2時になっても、誰も来ていません。みんな忘れているのかなあと思っていると、一番ご近所のりっちゃんが1人でやってきました。「他の人は?」「まだ来てないよ」などと言ってると、あっチャンとしできさんから同時に携帯に電話が入って、今向かってるところだとか。しできさんの方は少し遅くなるそうですが、辞めたはずの和紀クンも来ることになっているとのこと。
 あっチャンと和重クンが到着したので、さっそく筍掘りの開始です。曇りがちとはいえ、気温はそこそこ初夏の陽気、しかし、林立する孟宗竹で外界と遮断された竹やぶの中は、ひんやりと心地よい別世界。でも、スコップに力を込めて筍の周りの土を掘っていくと、体は内側から温まってきます。
 今年は記録的な少雨とあって、筍の生育状態はあまり良くはありません。しばらくしてやってきた辞めたはずの和紀クンも交えて、総勢5人で小一時間も掘り続けたら、頭を出していた筍はあらかた無くなってしまいました。
 今年の収穫はバケツに山盛り3杯、途中で竹やぶに現れた不思議なおじさん(じつは、出入りの瓦屋さん)に一袋分けてあげたり、シベリアンハスキーをつれて散歩に来た近所の人に1本持っていってもらっても、みんなの分け前はそれぞれ手提げ袋いっぱい、満足されたことでしょう。この時撮った写真を、公式サイトのほうに載せてありますので、併せてご覧になってください(準公式行事ということで)。
 すっかり掘りおわって現われたのがしできさん。実は、このメンバーというのは、姫を除いてはおととしの第1回目と全く同じなのですね。しできさんが最後になってやって来たというのもいっしょ。なんか不思議ですね。
 その姫ですが、コンマスに「今度の練習、お見合いがあるのでちょっと遅れます」とおっしゃったとか。このところ、お見合いのために欠席や遅刻をする人が増えているのは、何かわけでもあるのでしょうか。

5月8日

 最近の掲示板、私宛のメッセージがちらほら。まず「警告メッセージ」というやつ。これだけだと何のことだか分からず、なんだか二人だけの秘密の会話という感じ、これを見てやきもきする人が、もしかしたらいないとも限らないとは断定はできないものの、可能性としてはあり得なくはありませんので、ちょっと説明しておきましょう。
 演奏会が近づくと、「チケットプレゼント」という企画が始まります。これは、JPに感想などを書いたメールを寄せられた方に、チケットを差し上げるというもの。なかなかノルマを達成するのは難しいので、余らせるぐらいなら聴きに来たい方に差し上げようという趣旨で、毎回行っています。これを知らせるために、トップページの「更新記録」のすぐ下に自作のアニメーションgifを貼り付けて、ここをクリックするとプレゼントのお知らせのウィンドウが開くようにしています。
 日々、何か新しいネタはないかと各方面にアンテナを伸ばして情報収集に余念のない私ですが、たまたま本屋で立ち読みしたホームページの本に「警告文の出し方」というのが載っているのを見つけました。読んでみると、リンクタグ<A>にほんの少し書き加えるだけで簡単に警告文のウィンドウが開くというもの。買うまでもありませんから、その場でメモをして、家へ帰って試してみたら、ものの見事にびっくりマーク付きの警告文が現われました。ソースを見ていただければ分かりますが、これは<A>タグの中に「onClick="alert('・・・');"」と書くだけ、「・・・」に入れた文字がそのまま表示されます。
 たったこれだけのことであんな効果が現われるのはまさに感激もの、さっそくプレゼントのリンクに使うことにしました。ただ、WindowsだったらIEでもNETSCAPEでもウィンドウが生成されるのは確認できるのですが、Macの場合でもちゃんと見られるのか心配だったので、i-Bookユーザーのりっちゃんに確認をお願いしました。その答えが、あの書き込みだったというわけです。これで、どんな環境でもしっかり警告文が現われることが確認できました。しかし、しつこいようですが、たったあれだけのことであんな仕事をしてくれるブラウザというのは、たいしたものですね。
 それから、もう一つの書き込み。実は、今回のプレゼントは、チケットも高いし、お客さんもたくさん来るはずなので、やらないつもりでいたのですが、辞めたはずのしのぶが「プレゼントやらないんですか」と訊いてきたので、しぶしぶ始めたものなのです。それで、チケットを送ってやったときに「お返しだったら花束じゃなくて甘いものの方が」と書いてやったら、書き込んできたもの。それだけのことですからねっ。どうせ私は字がヘタですよ。

5月10日

 独奏者の福田進一さんを迎えての「アランフェス」の練習です。いつもの通り、練習場には殆ど一番のりという感じで、ウォームアップに余念がありません。しばらくして、だいぶ人が集まってきたら、なんだかギターのケースみたいなものを持った人が入ってきました。どうやら、この方が福田さんのようですね。実は、写真で見てインプットされている福田さんのイメージというのは、なんかキラキラの服に身を包んだ、いかにも「芸能人」風の人。目の前にいるのは、前髪をたらした、地味な服装のその辺のオニイちゃんという感じ、あまりのギャップにちょっとびっくり、というか、かえって余計な緊張がなくなってしまいました。
 着いてすぐやったことは、ギター用のPAの準備。ギターのコンチェルトの場合、本番でもマイクを使って演奏することは良くあるみたいですが、福田さんもそうされるのでしょう。それで、練習でもきちんとPAを用意されたというわけです。スピーカーは片手で運べるほどのほんとに小さなものですが、効果は絶大です。ギターの音が、驚くほどはっきり聴こえてきます。
 そんなわけで、楽章ごとに少しづつ合わせていきました。福田さんはもうすっかり曲が手の内に入っているようで、暗譜でどんどん弾いていきます。オケは、もうついていくのが精一杯、でも、1楽章はそんな大きな破綻もなく、まずはすんなり通りました。
 2楽章も、コール・アングレの誠さんがなかなかいい調子で、しっとりとした感じで進みます。チラッと福田さんに目をやると、目をつぶったり、首を振ったり、例の有名なメロディーを情感たっぷりに歌っています。しかし、テンポが変わって2番フルート(つまり私)がソロででるべきところで完璧に落ちてしまったのは、今日に限ってスコアを持ってくるのを忘れて、ギターのソロの所を数えることができなかったためです。ここは、指揮者もちょっとためらいがちな棒でしたから、本番はちょっと怖いぞ〜。
 3楽章が始まる前に、福田さんが「ここはもう鼻歌を歌うぐらいの軽い感じで行きましょう。お客さんは2楽章だけ聴きに来るようなものですから。」ですって。この楽章、拍子がコロコロ変わる厄介なもので、練習の時は、それこそしゃかりきになってやっていたものですが、いやぁ、何百回と本番を経験するとそういう境地になれるものなのですね。確かに、言われてみればその通りなのかも。
 休憩が終わって、全曲通してみましたが、やはりあちこちボロだらけ。あとは前日と本番前だけ。頑張るしかないですね。
 久しぶりの雨でまた顔を出した筍を、またもらっていただこうと、袋に入れてもってきました。スコアを忘れてしまったのは、こんなことに気をとられていたせいなのでしょう。

5月13日

 この前も書いたように、「アランフェス」のソリストとの合わせは、あとは本番の前にしかありません。ここまできたら、仕方がないので、イメージトレーニング(実はこの言葉は嫌い)のつもりで、この曲のビデオを見直してみることにしました。1998年のベルリン・フィルの「ヴァルトビューネ」コンサート、例の野外コンサートです。指揮がバレンボイムでギターはジョン・ウィリアムス、あ、もちろん、「ジュラシック・パーク」などのサントラで有名な作曲家とは別人ですが(確か、このネタは前にも使ったな)。
 第2楽章では、バレンボイムは悠々と4つ振りをしていました。この間の練習で福田さんが指揮者に注文をつけていたように、やはりこのほうがずっと自然。映像では、ちょうど夕日が沈むタイミングで、茜色の空との絶妙なマッチングでした。例の2番フルートのソロが入るタイミングは、この間の福田さんとは微妙に違っています。まっ、これはこれで、榊原さんにきちんとつけることにしましょう。
 第3楽章のヘミオレのリズムも、とてもノリの良いものに聴こえます。もっとも、パート譜を見ながら小節数を数える時も、このノリがきちんと感じられるようになるには、間違いなく本番までの日にちが少なすぎる気はしますがね。
 2番フルートにとっての難関が、第1楽章にあります。超人的な技術を要する上向のアルペジオと下向のスケールが終わったあと、1小節しか休みがないのにすばやくピッコロに持ち替えて、かなり目立つパッセージを吹かなければならないのです。これは、私のようなにわかマルチリードにとっては至難の業。ところが、この個所でたまたまアップになったベルリン・フィルの2番奏者は、なんと、その前のスケールを丸々休んで、余裕を持ってピッコロを構えているではありませんか。ここは1番とのユニゾンですから、その時乗っていたパユに任せておけばよいというわけです。これはいいことを知りました。さっそく私も、ここはあっチャンに任せて、無理をしないで持ち替えることにしよおっと。
 ところで、好評のチケットプレゼント、今回はなんと小学6年生からのアンケートが届きました。「タイトルなどがとってもユニークですごく楽しいです」という感想とともに、「お父さんとお母さんのぶんもあわせて3まいおねがいします」ですって。小学生のうちからこのページを見ているようなお子さんがいれば、日本のクラシックの未来はばら色ですね。もっとも、メールの場合だと筆跡とかは全く分かりませんから、果たしてこの方が本当に小学生かという疑問が残らないといったら嘘になりますが。(ひなこちゃん、もし見てたらごめんね。チケットすぐ送るからね。)

5月15日

 テレビでやったキューブリックの最後の作品「アイズ・ワイド・シャット」のビデオを、やっと見ることができました。公開直後は、色々批評がなされたものの、あまり芳しいものではなかったようでしたが、私は結構楽しめました。確実に迫ってくる大きなものがあって、堪能した、と言ってもいいかもしれません。いやぁ、やっぱり映画は楽しくなくっちゃ。
 非現実的な世界から現実に目を向けると、今日は指揮者練習の谷間、パート練習の日です。一応各セクション別に会場がとってありましたから、普段はできないような細かい打ち合わせが期待できるところ。木管は東昌寺ですから、どんな形態でも練習できます。
 フルートパートは全員出席していたものの、他のパートは軒並み欠席者がいるため、当初予定していたセクション練習は諦めて、本日のメニューは各楽器ごとのパート練習、一部は別なパートとの打ち合わせ、さらに、個人練習もと、実に多彩な布陣。全員揃ったフルートパートは、お約束の「4畳半の茶室」です。
 と、そこへ、一人しかいなかったオーボエパートの誠サンが「まぜさいん」と入ってきました。そんなわけで、フルート+オーボエのパート練習は、あるときは手の空いた人がカウントをとったりとか、かなり効率的なやり方で、サン・サーンスに関しては完璧と言っていい仕上がりとなりました。あとは、指揮者の前で成果を披露するだけ…という具合になればよかったのですが、さあ、本当のところはどうなのでしょう。もちろん、あっチャンといちゃつくようなことはありませんでしたし。
 ところで、以前、フルートパートのメンバーだった東さんが、さる高名なフルーティストの逸話を投稿してくれたことがありましたよね。それで、その直後の編集後記にこれをネタに「年の差」をテーマにしたコラムを書きました。ところが、今朝メールを開けてみたら、当のご本人から「興味本意の書き込みはそろそろ削除していただけませんか」というていねいな文面のアンケートが届いていたのです。1年半も前のことですから、「そろそろ」というフレーズが非常に効果的なのですが、やはりネットの威力はすごいものですね(まだ他にも、私が気付かないで不快感を与えているケースがあったらどうしよう)。もちろん、ご本人からのクレームは無条件に受け入れるJPですから、直ちにコラムを削除したのは、言うまでもありません。

5月19日

 本番まであと1週間、今日と明日は、1日6時間という最後の集中練習です。本日、最初の2時間は管楽器(打楽器も)の分奏、一応ステージ上に(あ、本日の会場は若林区文化センターのホールです)全員分の椅子は並べましたが、もちろん、弦の人は出番がないので、前の方には誰も座ってはいません(細かい予定を知らなくて、間違ってきてしまったという人はいましたが)。しかし、コンマスの敬一郎クンだけは、出番もないのにスコア片手に舞台袖に座って、熱心に見学しています。さすが、見上げたもの。
 さて、管楽器だけの練習が始まりました。今日の榊原さんはいつもとちょっと違います。合奏のときはそれほど細かいことはおっしゃらないのですが、今回は徹底的にいけないところを指摘してきます(これ、おやぢではなくってよ by しのぶ)。確か、トロンボーン出身だったはずですが、さすが、ご自分の楽器には思い入れがおありのようで、アタックのつけ方は呼吸法から指導していました。耳が良いのでしょう、各パートの2番奏者あたりの吹き方にも容赦のない注文が飛びます。場合によっては1人で吹かされたり、ティンパニなども何度も叩き直しを要求されたり、こんなことは普段の練習ではまずないことですから、さぞやあせったことでしょう。
 最もしつこく叩き込まれたのが、「拍の感じ方」。今まで各人がそれぞれ勝手に感じて演奏していたものを、一つの原則(「交通規則」になぞらえていましたね)に当てはめることによって、全体が見違えるようにメリハリのきいたものになります。例の「ウタタタタタ・・・」も、きちんと強拍と弱拍を吹き分けるようにすると、あら不思議、見事に揃ってくるという仕掛けです。こんなところが、これからの私たちの財産となることでしょう。
 そんなこんなで、結局サン・サーンスの1楽章前半に殆どの時間を使って、残りはあっさり、その頃には、客席には弦の人たちが集まり始めていました。
 全体合奏は、トラの人もたくさん来ていましたから、ほぼ本番に近いメンバーが揃っていました。1楽章前半は通すだけでしたが、後半は時間をたっぷり使っての濃厚な練習、出番が少ない私は、やはり暇なので客席で聴いていたらつい居眠りをはじめたりっちゃん同様、待っている間は睡魔との戦いでした。
 残りの楽章もみっちりやって、終わったらさすがにくたびれ果ててしまい、「高松でもホームページが評判になってたよ」という話題を振ってきた榊原さんとの会食の誘いに後ろ髪を引かれつつも、今回はまっすぐ帰宅したのでした。

5月20日

 きのうに引き続き、ホールを使っての集中練習です。ただ、仙台のホール事情はなかなか厳しいものがありまして、希望した日に使うのはなかなか困難。もちろん、サン・サーンスを、「生の」オルガンと一緒に練習できる場所など、どこをさがしてもありません。今の時期、仙台では国際コンクールが開催されていますが、部門はピアノとヴァイオリンだけ。このコンクールが将来も継続されるかどうかはわかりませんが、ここにオルガン部門が設けられることは決してないということだけは、自信を持って断言できます。こんなことで自慢が出来るような都市に生活しているのは、私たちの誇りです。
 それはさておき、きのうと同じ場所だったら楽器の運搬などは楽だったのですが、生憎今日は「楽楽楽ホール」という、きのうとは別のところ。これに「らくらくらくホール」ではなく「らららホール」という、よそ者には到底理解できないような呼び方を与えるのが、オルガンつきのコンサートホールを持たない自治体の「事務方」の仕事、ここまでくると、情けなさを通り越して、滑稽にすら思えてきます。
 このホール、私が中に入るのは、実は今回が初めてのこと。午前中はきのうと交代で弦の分奏をやっていましたから、我々の出番はお昼過ぎ、行ってみると、ガラス扉の向こう側でヴィオラの人たちがマイペースでご飯を食べていました。その大きな扉を開けようと思って、押してみたのですが、開きません。引っ張らないと開かないようになっていたのですね。鎌サンをはじめとしたヴィオラのマイペース軍団は、それをみて大笑い。察するに、連中も同じ失敗をしたのでしょう。それで、わざわざ入り口近くに陣取って、入ってくる人がどうするか見ていたのだと。そんなわけで、「中に入る」だけで大仕事です。実は、「外へ出る」のにも、押せばよいものを一生懸命引っ張っていた麻里サンなどもいましたから、これは明らかに「事務方」のミスです。
 ホールの中は、なかなか居心地の良いものですが、コンサート用に使うにはちょっと問題が多すぎ。弦だけがアンコールの練習をしている時に客席で聴いてみましたが、全く潤いのない音。これは演奏のせいではないはずです。
 私たちの演奏レベルは一朝一夕にあがるものではありませんが、筍の成長というのはすさまじいものがあります。1週間でこんなに伸びるなんて、実際にやってみるまで分かりませんでした。この自然の生命力には、あらゆる面であやかりたいものです。お気づきでしょうが、タイトルのイラストは姫の作品です。

5月22日

 演奏会前の最後の練習、指揮者はこないので分奏でみっちり最終チェックをするというスケジュールです。金管と木管が一緒の分奏、会場は仙台駅東口の「パルシティ」というところ、実は、ここで練習するのは私は初めてのこと。かつて、ニューフルが創設された当時といいますから、今をさかのぼること20年ぐらい前には、ここがメインの練習場だったとか。「音楽室」という名前のその部屋は、2重の防音扉でさえぎられたものものしいたたずまいでした。しかし、扉の間に下駄箱があって「スリッパに履き替えてください」などと書いてあったりするのにはちょっとびっくりしましたが。広さは、そう、フルオケが入ったらさぞや窮屈だろうなというぐらいの感じ。今でも市内の別のアマオケはここで練習をしているそうですが、ちょっとこれでは辛いものがありますね。
 さて、気を取り直して練習をはじめると、この部屋は天井がやたら低くて、音も窮屈、吹いていてもなんだかすごく疲れます。それでも、ほぼ全員が揃っていましたから、なかなか実のある練習にはなったのでは。しかし、土曜日の管分奏の不快感を克服して本番につなげるためには、あと一歩の努力が必要になってきます。なにしろ、20年分の精進をしなければ、指揮者は満足してはくれないのですから。
 帰りがけに、夕食を買おうとセブンイレブンに寄ったら、あの365日のバースデイテディ」が並べてありました。今までは地域限定で東北地方で手に入れることは出来なかったのですが、今日からこの辺でも発売開始になったのだそうです。知ってます?おまけのクマのぬいぐるみが365種類あって、それぞれ誕生日と名前がきちんと決まっているんですよ。東京あたりでは爆発的な人気だったとか。仙台では果たしてブームは巻き起こるのでしょうか。

5月23日改め26日

 いよいよ、明日が本番ということになってしまいました。だいたい、前の日の練習というのは、明日に備えての総仕上げということになっているのでしょうが、今回はそんなのんびりしたことは言ってられないような状態です。宿題には何一つ手をつけていないのに、もう明日は始業式、そんな感じでしょうか。
 会場はこの間の「らららホール」ですから、地下鉄で行ったら、同じ電車で降りた団員が4人もいました。まだ時間は早め、ホールの前にも、まだ鍵も開いていないのに5、6人集まっています。なんか熱いものを感じてしまいましたが、これは、もしかしたら、公式サイトの日程表のせいかもしれません。実は夕べ裕史クンからメールがきて、「日程表おかしくないですか?」と聞いてきたのですよ。確かめてみたら、確かに、ペーパー版の日程表より開始時間が30分早くなっています。以前、会場が決まった段階で、とりあえずこの時間にしておいて、その後確定した時に訂正してなかったのでしょうね。それはすぐに直したのですが、案外これを信用して(ってあたりまえですが)30分早く来てしまったのかも。
 練習は福田さんとのコンチェルトから始まりました。これが2回目の合わせ、しかも、最後の合わせということで、色々かみ合わないところをチェックしているうちに、時間はどんどんたっていきます。会場は空調が全く利いていないので、気温もどんどん上がっていって、管楽器にとっては最悪のコンディション。ピッチは上がるし、ピッコロなどは音すら出なくなってくるありさまです。
 序曲に続いてサン・サーンスは初めてオルガンと一緒に練習です。果たしてこれが「オルガンと一緒」と言えるのかどうかは別にして、とりあえず全てのパートが揃った練習が本番の前の日というのも、なかなか凄いものがあります。気がかりなところをやり始めると止まらなくなる指揮者のことですから、交響曲の半分も終わっていないのに、もう時間になってしまいます。あとの残りは明日だそうで、いやはや。
 客席には、トヨタのコンサートの音楽監督の三枝さんや、マネージメントの会社関係の人が出たり入ったり、慌しい、いかにも本番前夜というたたずまい。三枝さんは色んな席に座って演奏を聴いていましたが、一体明日は何をおっしゃってくれるのでしょう。
 慌しいのは結構なのですが、なんだか私たちの手の届かないところで物事が動いているような錯覚に陥り、明日の演奏会は私たちの演奏会なのだという実感が殆どわかないというのは、私だけでしょうか。
 帰りの地下鉄はヴィオラの人たちと、チェロの裕史クンと一緒でしたが、裕史クンは「終わりの時間が10時半になってましたね」ですって。そう、何も考えずに全部30分ずつ直したのですが、終了時間はもともとは10時だったのですね。おそまつなことで。

5月27日

 昨日の私は、よっぽどどうかしていたのでしょう。日記の日付まで間違えてしまって、裕史クンに突っ込みを入れられる始末でした。それというのも、いかにコンディションが悪いといって、ピッコロが完璧に吹けなくなってしまったショックが相当なものだったに違いありません。しかし、泣いても笑っても今日は本番、自分の楽器と、今までの修練の蓄積を信じてやるしかないわけで。
 集合は9時だったのですが、オルガンのチューニングががあるので、セッティングが終わっても会場では音を出せません。それで、2回の客席に行ったら、ホルンの昭雄サンしかいなかったので、2人して音出し。彼も本番前は緊張する方だというのは知っていましたが、今の私はもっと追い詰められた状態。しかし、昭雄サンとヘラヘラ話しながら音を出してみると、いつもと同じように楽々とピッコロが吹けます。どうやら、いつもの状態にもどったみたい。これだったら何とかなるのでは。
 11時から始まったゲネプロ、思ったとおり、昨日の不調が嘘のように吹けます。こうなってくれば、しめたものです。とことん、ゲネプロも、そして本番も、楽しんで演奏することが出来ました。ゲネプロで間違えたところを本番ではきちんとキュー出ししてくれた指揮者を、多少見直す余裕すら生まれていたのですから、大したものです。かといって、この指揮者に対する私の評価が根本的に変わるということはありませんが。
 一番心配だったギターとのからみも、最も安直な方法で逃げるという荒技でクリア、そこさえ過ぎれば、後は多少飛び出ようが、何の悔いも残らず、アンコールの「アルハンブラの思い出」を心ゆくまで堪能できました。こんなに伴奏がきれいな曲だったなんて、初めて知りました。
 サン・サーンスは、今までの不安をかき消すような、本番一発にかけたような演奏だったのでしょう。打ち上げでは、「火事場のバカ力」などとおっしゃっていた方もいたようですし。
 その打ち上げも、ゲスト陣は東京に帰るということで、早々といなくなってしまい、料理が山のように残ってしまったもったいない一次会、そして、いつになく参加者が少ない二次会と、なにか消化不良の感は否めませんでした。姫もアッちゃんも早々と帰ってしまっては、私もいつまでも残っている気にもなれず、こんな時間に日記を書いているというわけです。やはり、演奏会は土曜日でなくっちゃ。
 打ち上げの模様については、近々各方面からの写真を集めてご紹介しますので、お楽しみに。

5月30日

 演奏会、お疲れ様でした。それから、終わってからの打ち上げもご苦労様でした。二次会の写真など、記憶が薄れないうちにとアップしてみました。いつものことですが、ホームページで使った写真をそのまま「かいほうげん」に使いまわそうとしていますから、同じものをサイズを変えて別のフォルダに保存したりして、結構手間がかかっています。これをやっておけば、「かいほうげん」の方は3日もあれば完成(することもあるということで)。
 今日は、しできさんから素晴らしい贈り物。演奏会のビデオとCDが出来たので、わざわざ職場まで届けてくれたのです。いつもながらの仕事の早さには感心させられます。それで、おそらく団員の誰よりも早く見ることができたということで、なにはともあれ、ご報告。確かに、必要な分だけ受け取りましたから。
 っと、すみません。だから、報告するのは、ビデオの内容ですよね。そんなことは分かってますって。
 とりあえずCDを少し聴いてみたのですが、とてもクリアに録音されていて、木管などもきちんと聴こえます。弦の音もとても艶やか。イズミティのあの場所は、録音にはなかなか良いポイントですね。ただ、打楽器と金管はちょっと大きめかもしれません。それからビデオを見たのですが、こちらはCDほどの音の分離はありません。まあ、画像でカバー。
 演奏していて、何か手ごたえのようなものは感じてはいたのですが、こうして客観的に見てみると、確かにいつもとは違ったものがあります。「ローマの謝肉祭」はとても明るい音色で颯爽としていますし、「アランフェス」はきびきびとした前向きの音楽。そしてサン・サーンスは、よく練られた、それこそフランスのエスプリすらも感じられるような演奏です。冒頭の弦の音色の素晴らしいこと。オルガンも、1楽章の後半はそこそこ雰囲気もありました。
 ところが、2楽章の後半のフルオルガンになったら、いけません。オケのフォルテッシモの中から聴こえてくるのは、いかにもスピーカーを通した、生の楽器から出てくるものとは決定的に相容れない音。パイプに風を送って出した音と、スピーカーのコーン紙を振動させて出した音が違うのは分かっていましたが、これほどの違和感があったとは。
 この曲だけは、ぜひ、生のオルガンと一緒にやってみたいと、切実に感じてしまいましたが、果たして、そのような日が来ることはあるのでしょうか。

6月1日

 もう6月、仙台は今年初めて気温が25℃を超えたとか。この時期の仙台の恒例行事というと、「かやの木コンサート」が有名ですね。国の天然記念物である東昌寺の「マルミガヤ」の前で行われる野外コンサート、今年で6回目を迎える歴史のある催し物が、あさって3日の日曜日、午後2時から開かれます。今までにこの晴れ舞台を飾ったアーティストは多岐にわたって・・・はいなくて、今年も含めて6回のうち5回は「仙台フルートの会」の皆さんが出演しています。あはは、殆どフルートの会の独占、身内で安直に済ませようとするする主催者の思惑がミエミエですね。
 実は、このコンサート、同じ日にお寺の檀家さんが集まる定期総会のアトラクションとして開かれるもの。だから、どちらかというとお年を召した方が多いという、ちょっと普段の私たちには珍しいシチュエーションでの演奏ということになるのです。一番最初にやったときなどは、大きなかやの木の根元にテントを張って、その中で演奏したりしました。地面はもちろん木の根っこのそばででこぼこしていますから、椅子を並べても不安定で、演奏しているうちに勢い余ってひっくり返りそうになる人もいましたっけ。ここ2回ぐらいは、建物を建て替えた関係で、かやの木の前の駐車場が広くなったので、そこのアスファルトの上でやってますが。
 野外ですから、一番心配なのはお天気。今までに1回だけ、前日から土砂降りの大雨でとても外では無理だというのがわかって、手配していたテントもキャンセルして、お寺の本堂でやったことがありました。幸か不幸か、その時は演奏したのがアンサンブルではなくマリンバ独奏(これも檀家さんで、有名なプレーヤー)だったのと、雨の時には総会にくる人自体が少ないので、屋内でも何とかなりました。
 今年は、天気予報を信じれば、お天気はよさそうですから、予定通り外で演奏できるでしょうし、お客さんも200人近くは集まるはずです。ただ、晴れたら晴れたで心配があって、今日みたいな暑さだと聴いている方が大変。そこで、急遽テントをもう一張手配して、日陰で聴いてもらえるようにしてみたところです。
 仙台フルートの会というのは、基本的にフルート族だけの合奏をやっていた団体ですが、ついこの間開かれたコンサートを聴かれた方はお分かりのように、最近では他の楽器も入れて、シンフォニーオーケストラのレパートリーに挑戦するというというユニークなこともやっています。あさってはそこまで大げさにはなりませんが、裕史サンなどにもお願いしてチェロなども入ります。
 北山を吹きぬける爽やかな風の中、鳥の声とともに響き渡るフルート合奏をお楽しみになってみては。あ、もちろん、入場はフリー、どなたでも聴きに行くことが出来ますよ。

6月5日

 さあ、仕切り直し、「第九」です。ベーレンライター版です。そんな熱気を期待して、久しぶりの旭ヶ丘に足を運ばせる私でした。確かに熱気はムンムン、このところのまるで夏を思わせるようなお天気のせいで、ホールの中はまるで蒸し風呂のようです。毎年、今ごろ同じことを書いていますが、いくら熱くても冷房なんかは入れてもらえないという情けないお役所仕事、オルガンつきのホール1張(ちがうな、テントじゃないって)も建てられない街の行政に期待するのは無理と言うもの。
 初練習だというのに、実は、私はまだ楽譜を渡されてはいなかったのです。弦の人たちはすでにもう目を通していると言うのに、我々管楽器は初見で吹かなければなりません。しかも、ちょっとした手違いがあって、もしかしたら今日の練習には楽譜が届かないのでは、などという不吉な噂まで。実際、管のパート譜が届いたのは、音出しの5分前、あっチャンが少し遅れるというので、何の準備もなしに1番を吹くことになってしまいました。
 ちょっとした事情で、譜面は非常に扱いにくい状態になっています(どういうことかというを詳細に書くとちょっとまずいことになりますので、ちょっとボカシを)。おまけにこの暑さ。1楽章は正直最悪のコンディションで、とても不本意な出来でしたよね。まあ、後半は何とか持ち直しましたが、やはり「第九」全曲というのは、大変なものです。今回は2番あたりで少しは楽をしたいと思っていますが、どうなりますか。
 さて、ベーレンライター版です。今までスコアを一通り眺めてはいたのですが、実際に自分で音を出すのは今日が初めて。いやぁ、やっぱり吹いてみないと分かりませんね。いっぱいありましたよ。ちょっとした音形が変わっている箇所とか、フレージングの違いが。やはり、これは全然違う曲として、先入観を取り去ってさらわないとダメでしょう。「トーク」のほうでご紹介したファゴットのリズムも、やはり予想通り見事にききおぼえの従来版で吹いていましたから、一度刷り込まれたものはなかなか変えられないということなのでしょう。
 例によって、後半は反省会。いつも、私は書記というか、記録係みたいなものに自動的になってしまっていますから、ひたすらメモをとるのに忙しく、発言もなんか上の空。それよりも、いつだったか、写真を撮るのを忘れてしまったことがありましたから、手下のあっチャンにデジカメを渡して、撮影係をお願いしてみました(だから、私が写ってる)。
 誠サンあたりも、カバンにバースデイテディを付けてきているのですから、このブームは本物でしょう。セブン・イレブンでは箱に日付のシールが貼ってありますしね。

6月7日

 トップページにある「サイトの森」って行ってみたことありますか?このサイトの中にあるすべてのHTMLファイルの一覧表で、ここに行けば、すべてのページに直接ジャンプできるようになっています。ツリー構造でリンクの関係も分かるようになっていますから、もしまだでしたら一度行ってみて、このサイト内の膨大なファイルの数を実感してみてください。
 厳密に言うと、この中には「このサイト」のものではないファイルも混ざっています。それは、つまり、「公式サイト」のコンテンツなのですが、便宜上ニューフィルの「公式」にふさわしいと私が判断したものを、壁紙を変えてあちらからリンクしたというだけですので、大目に見てください。
 そこの一番上に「現在のファイル数」というのがありますね。これが、いつの間にか500を超えてしまっていたのです。「いつの間にか」というのは、本当は新しいファイルを作ったときにきちんとここを更新していればよかったのに、ついうっかり忘れていたものがあって(日記のバックナンバーなど)この間きちんと入れてみたら500を超えていたということなのです。また厳密なことを言うと、MIDIファイルも一つ、あるいは2つづつHTMLファイルに取り込んで、演奏するときには別ウィンドウを開くようにしてあるのですが、これは数には入れてはいません。それから、例の「たけのこ」だけですでに40個のファイルになりましたが、これも1つと数えています。
 実は、最近新しく相互リンク先に加わったところに、「高松交響楽団」のサイトがあります。この間の榊原さんが、「高松でもホームページが評判になってたよ。リンクしてあげて。」とおっしゃっていたので、リンクしたものなのです。あちらからもリンクしてもらえたのですが、その紹介文を見たら、「アマオケでは最大のコンテンツ」と褒めちぎってありました。確かに、毎月16ページの会報を発行して、それをそのままコンテンツにしているのですから(実は、順序が逆だとも)、量だけではどこにも負けないのでしょうね。

6月10日

 今回の「第九」はベーレンライター版を使っているわけですが、この前も書いたように今までと全然違うところがたくさんありますから、やはり、スコアもベーレンライター版で用意しておきたいものですね。
 私の場合は、出てすぐに校訂報告と一緒に大判のスコアを買ったので、「スコア」そのものは持っていました。その頃はまさかこんな変わった版がポケットスコアで出るなどとは夢にも思いませんでしたから、結局、ベートーヴェンの交響曲を全部大判で揃えてしまったのです。というのも、こういう原典版というのは、今までのバッハやモーツァルトのケースだと、最初のうちは普通のクラシックファンはあまり手を出さないものですから、そう簡単に文庫本が出るとは思えなかったのです。
 ところが、そんな予想は完全に覆されてしまいました。まだ全巻が出揃わないうちから、ぼつぼつポケットスコアが出始めてきて、最後の「7番」が出たときには、すでに9曲ボックス入りのセットが発売されていたのですから、すごいものです。おそらく、出版社の方でも、こんな早い時点で出せるとは思っていなかったのでしょう。
 こうなったのには、例のデヴィッド・ジンマンによるCDの影響があるはずです。値段の安さもあって、とてつもないセールスを記録したとも聞いていますが、何よりも「モダン楽器によるベーレンライター版の世界初録音」というセールスポイントが効いていたのでしょう。今までとはちょっと違うところにひかれて、売れに売れたというわけです。もちろん、別なところにさんざん書いたように、最初の頃の録音はベーレンライター版とは縁もゆかりもない、ただの「ジンマン版」だということははっきりしているわけですが、今にして思えば、これは出版社とCDメーカーが仕組んだ、確信犯的なでっち上げだったのですね。
 そんなわけで、しできさんも団員向けにこのポケットスコアを取り寄せようとしたのですが、あいにく国内在庫切れということで、しばらくは手元に届かないということです。私も、2、3あたってみたのですが、どこにもありませんでした。ところが、今日、仙台のヤマハに行ってみたところ、さりげなく棚の中に1冊置いてあるではありませんか。練習の時に大判を持っていくのはいかにも大変ですから、その場で買ってしまいました。しかし、税抜き2800円というのは、ちょっと暴利。
 ところで、これは掛け値なしなのですが、アクセスカウンターが今日明日中には9万ヒットを突破することが確実になっています。これがどのくらいすごい数かということは、最近は骨身にしみて実感させられるようになりました。言ってみれば、とんでもない道具(「武器」と言ってもいいかもしれません)を手中に収めてしまったということ。使い方は慎重に、ですね。

6月12日

 練習場についたのは、6時ちょうどでした。普通この頃は誰かは来ているものなのですが、今日は私が一番のり。窓のシャッターを下ろしてありますから、部屋は真っ暗、電気をつけてまわるのが、最初の仕事です。
 そのうち、ぼつぼつ集まってきましたが、なんか出足が良くありません。ヴィオラなどは、指揮の鎌サンのほかは誰もいません。そうしたら、あっチャンから電話で、ちょっと遅れるということです。まあ、ちほサンもいることだし、何とかなるだろうと思った私が甘かった。その直後に、ちほサンからも、やはり遅れるという電話です。これには、ちょっとあせってしまいました。というのは、「第九」のパート譜が配られたのは先週のことなのですが、アシ用も含めて2部あった1番のパート譜は、この二人が持っていったままなのですよ。普通は控え用に写しをとっておくのですが、今回はそんな暇もなかったというわけ。
 仕方がないから、スコアを見ながら吹くことにしました。おとといヤマハで買ったばかりのポケットスコアが、さっそく役に立ったことになりますね。このスコア、製本がなかなか良く出来ていて、簡単に開いたままにしておくことが出来ますから、譜面台に置いてもページがめくれたりしないで、とても便利でした。ただ、もちろん、吹いている途中でめくらなければなりませんから、音は時々なくなったりしてましたね。済みませんでした。先週はめくりにくいパート譜、今週はスコアと、なかなか1番のパートを落ち着いて吹くことが出来ないということは、今回は私との相性が悪いのだと解釈すべきなのでしょう。そんな時は、やはり2番を吹いておくのが無難。
 そのうち、やっとあとの2人も到着して、フルートは全員揃いました。見ると、隣のオーボエも3人座っています。それも女性ばかり。1人はしばらく休んでいた純サンですが、あと一人、おそらく新入団員でしょう。もっと凄かったのは、末廣シフトで中に入ってきているチェロパート。いつの間にかメンバーが10人に増えていて、遅く来た人は座る場所も確保できないほど。狭いところにひしめき合っていましたっけ。コントラバスも6人来てましたから、4楽章の歓喜のテーマは、なかなかのものでしたよ。
 終わってからの技術委員会では、もうチェロとコントラバスに関しては団員募集をしなくてもいいだろうということになったほどです。フルートあたりは、断るのに苦労するぐらいですから、募集に関しては何の問題もないのですが、やはり、肝心のヴァイオリンには、もっともっと入って欲しいものです。やってみたい方は、ぜひどうぞ。

6月16日

 最近「Google」にハマってます。それって何?という人は、ネット社会から取り残されていますよ。とか言って、実は私も最近知ったのですがね。
 Googleというのは、最近評判の検索サイトなのですよ。これが、パソコン関係のものではなく、普通の雑誌などにも紹介されるようになって、一躍脚光を浴びるようになったものなのです。今まで「Yahoo!」とか「Goo」が、この方面ではよく知られていたのですが、このGoogleの参入によって、検索業界は大混乱に陥ったといわれています。そのぐらい画期的な検索能力を持つサイトなのですね。
 Yahoo!というのは登録制ですから、ここで検索をすると、カテゴリーの中に無いものについては、以前ですと自動収集型のGooの検索結果が表示されていたのですね。ところが、いつのまにか、それがGoogleにとって代わられるようになっていたのです。今までだと、こういう検索で引っかかってくるのは、あまり役に立たないようなものが多かったのですが、Googleに代わってからというものは、キーワードの趣旨を適切に理解しているサイトが、きちんと先頭近くに来るようになりました。そう、まさに内容を「理解」しているかのような検索を行ってくれるのです。それから驚いたのは、収集の早さ。私がほんの数週間前に公開したものが、ちゃんと引っかかっているのですから。
 あまり素晴らしいので、とうとう、JPのリンクのページに、直接検索が出来るフォームを貼り付けてしまいました。提供されたタグだとフレームから出られないので、そこは手直しをしましたが、これでいつでもGoogleで遊べるというわけです。さっそく「あっチャン」で検索してみたら、あのあっチャンのことを書いたページが「約」27個も見つかってしまいましたし。
 このぐらい精度のよい検索ですから、ちょっとでも何かについて書いてあれば、たちどころに見つかってしまうというわけです。実は、JPを贔屓にしてくださって、ご自分のサイトのリンクでは「クールサイト」と評価していた方が、裏ではさんざん私のことを誹謗していたということが分かって、その方のリンクを外すという残念な事件があったばかり。「知りすぎる」ということが、時には悪い結果をもたらすこともあるという実例ですね。これは、反対の立場もありうるわけで、まさか見ていないだろうというものが、堂々と上位に載っていたりするのですから、怒るのは当たり前・・・かな。

6月19日

 今日も、6時ちょうどに練習場についたら、私が一番乗りでした。それから電気をつけてまわり、なにか少しお腹に入れておこうと、いつものセブンイレブンで買ってきたよく冷えたあんみつを食べ終わっても、まだだれもやってきません。
 練習の方は、今日は第九の1楽章だけ。冒頭の弦の六連符だけをしつこくしつこく繰り返します。それが終わったら、木管の伸ばし。ほんの15小節ぐらいのところを、1時間近くやって、それで休憩です。
 休憩時間は、あたらしい「かいほうげん」の配布、今回は白黒のページがまったくなかったので、印刷に時間がかかるのを見越して、早めに始めたのが正解でした。すべての作業が今日の午前中に終わって、余裕を持って練習に臨めたのですから。もう一つ、しできさんが注文を取りまとめていたベーレンライターのスコアも、入荷が早まったということで、みんなに渡っていました。それを見てみたら、私がヤマハで買ったのと同じシールが貼ってあって値段も同じ。出所は一緒だったのですね。今までの国内在庫がなくなって、新たに入荷してみたら、値段が上がっていたという、ありがちなパターンですね。
 後半は1楽章の残りをやって、いつもより30分早く終了しました。早く終わった分、何をやったかというと、楽器倉庫の大掃除です。この間の反省会で出た話をさっそく実行に移したというわけですね。敬一郎クンのテキパキした指示に基づいて、各パートごとに割り当てが決められ、効率よく仕事は進みます。大掃除の基本は「物を捨てる」ということ。町内会の廃品回収などでこういうことをやりなれている人がたくさんいますから、今までの演奏会のチラシやパンフレット、ポスターなどを、手際よく袋に詰めてゆきます。集まったごみは、団員が少しずつ持ち帰って、家庭ゴミとして廃棄、人が多いので30分後には不要なものは無くなって、収納スペースは格段に広がりました。
 大掃除の時には、とんでもないものが見つかったりしますが、今日の場合も、なんと、15年前の誠サンの結婚式の写真などが出てきたりして、大いに盛り上がりました。これはさっそく次号の「かいほうげん」のネタ。
 と、こんな風に淡々とその日の出来事を書いていると、最近は「面白くない」といちゃもんをつける人が出てきましたから、気を抜くことが出来ません。ちょっと楽をしようとすると、たちまち見抜かれてしまいますから、なかなか辛いものがあります。そもそも、普通の人の普通の日常ですから、そうそう面白いことがあるわけではないのですよ。

6月21日

 ちぇろの掲示板が、「オペラ座の怪人」で盛り上がってますね。実は、私も妻と一緒に1週間ぐらい前に行ってきました。そうしたら、妻がすっかりハマってしまい、「何回でも見に行きたい」と、それからあと3回分のチケットを手配してしまいました。それで、今日のマチネに一人で行って来て、「もうチケット無いんだって」などとほざいているのです。あと2回も行けるのだからよさそうなものなのに、まだ未練があるようです。
 確かに、ネットで見てみると今の時点で残っているのが6月27日の9枚だけ、そのうち4枚は最前列の右端4席とか、詳しいことがよく分かります。このサイトは、チケットの売れ具合だけでなく、2〜3日先のキャストまで分かるようになってますから、なかなか重宝しますね。実は、今日はファントムの役が前に聴いたのとは別な人だというのが分かっていましたから、結構期待していたみたいです。確かに、前の人はちょっと聴いていてつらくなるような歌い方でしたから、別の人を聴きたいという気持ちは分かります。案の定、今日の人の方がずっと良かったと言ってましたし。あと2回分は2枚ずつ買ってありますが、これは娘と行く予定だそうですから、私はいい方のファントムは聴くことが出来ないのが残念です。
 ところで、このミュージカルでいちばん有名な「The Phantom of the Opera」というクリスティーヌとファントムの二重唱は、昔黒人コーラスグループの「スタイリスティックス」がヒットさせた「Sixteen Bars(邦題:16小節の恋)」という曲にそっくりなのですね。"I wrote a love song in sixteen bars"という出だしのメロディーがまったく同じ。こちらの方が先に出来た曲ですから、パクったのはロイド・ウェッバーということになりますね。まあ、分かりやすいメロディーが彼の持ち味ですから、「どこかで聴いたことが・・・」というのは、ある意味では当たり前なのでしょうが。そう言えば、「ジーザス・クライスト・スーパースター」のマリアのナンバー「I don't know how to love him」も、アービング・バーリンの名曲「White Christmas」そっくりですし。
 彼はプッチーニに多くのことを学んでいると語っているそうですが、プッチーニだって「木曽節」をパクって「Nessun dorma」を作ったのですから、まあいいじゃないですか(ちょっと違う?)
 みたいな事を書くと、気を悪くする人がいて、特に自分でHPを持っている人は、言ってみれば一国一城の主ですから、一途な信念に基づいた思いのたけをグダグダ書き込んだりするものです。そういう挑発に似たアクションに対しては、無視を決め込むのが一番。なにしろ、相手は人に噛み付くことしか能が無い犬畜生なのですから。

6月23日

 土曜日はあまり家にいることはないのですが、今日は久しぶりのお休み。ちょうどいい具合に、N響定期の生放送がある日にあたったのを幸い、じっくりテレビを見て過ごすことにしました。本日の目玉は、ポーランドの作曲家ペンデレツキに委嘱した作品の世界初演です。今日は同じプログラムの2日目なので、厳密には「初演」ではないのですが、初ON AIR、しかも生ですから、許しましょう。
 別のところにも書いたように、私にとってのペンデレツキは「変節前」の彼ですから、最初から期待はしてはいませんでした。まあ、少し毛色が変わっていればもうけものぐらいの感じで見始めたのですよ。そうしたら、いけません、午後の3時前後というのはどうしても睡魔に襲われやすい時間帯、始まって5分ぐらいしたら、音楽がどっか遠くの方でなっている状態になってしまいました。自慢ではありませんが、私は、演奏会に行って居眠りをしたということが1度もありません。やはり、集中力と、お金を払っているのだという貧乏人根性のなせるわざなのでしょう。
 だから、集中力さえあれば、昼下がりのテレビであろうと、決して寝たりすることはないのです。そのぐらい、集中に値しない作品、演奏だったということなのでしょう。
 もちろん、せっかくの世界初演ですから、そのままにはしないで、後からもう1度ビデオに挑戦しましたよ。とにかく頑張って、集中力だけはなくさないように心がけましたが、やはり、最後の最後にはちょっと危なくなりましたね。やはり、私にとって作品がつまらないというのは、まちがいのない事実のようです。
 様式的には、最近のペンデレツキの路線と何ら変わるところはないロマンティックなものです。それはそれで一向に構わないのですが、そこから心に訴えかけてくるものがあまりにも少ないのです。手の内が読めてしまうというか、いくらなんでもそれはないだろうというところが多すぎて、やはり、期待しなかったのは正解だったという残念な結果に終わってしまいました。これで、3人(!)の独奏チェロが、インプロヴィゼーションのバトルでも展開してくれれば、少しは面白かったのでしょうが、今のペンデレツキにそれを望むのはお門違いというものです。
 休憩時間に解説をしていた作曲家が、この曲と「広島〜」のスコアを比べて見せていたのも、私にしてみれば予測可能なアクション。「昔はこんなすごいことをやっていたのに、今では・・・」という常套句で語られてしまうのは、辛すぎます。

6月26日

 梅雨の晴れ間といっても、カラッと晴れたわけではなく、ジメジメ感を残したまま気温だけが上がったという感じでしたから、日中は屋外で仕事をするには最悪のコンディションでした。ほんの少し掃き掃除をしただけで、体中気持ち悪いぐらいベトベト、最近立て続けに気が滅入るようなことが起こっている身体には、とても過酷なものがありました。
 しかし、夕方ともなれば、いくぶん過ごしやすくはなってきます。本日のパート練習の会場、東昌寺の会館は、建物全体がヒンヤリしていますから、これは快適な練習が出来ることでしょう。人が入って楽器を吹き始めるとそれでも少し蒸し暑くなってきますが、もちろん冷暖房完備、不必要な忍耐とは無縁です。他のパートの人たちは旭ヶ丘の他に南光台とパルシティ、そちらの会場では、果たして快適な練習空間は確保されていたのでしょうか。
 今度の第九のフルートは、どのパートをとっても難所だらけ。結局、誰がどこを吹くかということを決められないまま、ズルズルとここまで来てしまっていました。たとえ、心を許した間柄であっても、基本的な取り決めというものは必要なものです。ひとときの感情におぼれてダラダラと関係を続けていれば、そのうち取り返しのつかないことに・・・えっ、ちがうちがう、それはユーミンかなんかの恋愛相談。大変失礼しました。きちんとパートを決めなければいけないという話でしたよね。
 そういうわけで、ちほさんの2番というのはすんなり決まったのですが、1番とピッコロをどちらが吹くかというので、私とあっチャンの間では、微妙な駆け引き、心理作戦が行われたのでした。どうしたら、相手を傷つけないで、わだかまりなく分かれることが出来るのか(ちがう、ちがう!)、愛し合っているがゆえに、なかなか切り出せない別離の言葉(も〜っ、そのまんまやってろ!)
 っと、本気にしないでくださいね。こんなこと書いてると、掲示板に「ニューフィル日記は不真面目だからキライです。サイトでの自称エッセイスト」などという書き込みをされてしまいますね。そのあとには、同じ人がべつのHNで「これを見て、ちょっとひいてしまった自分がありました」とかね。
 とにかく、めでたくパートも決まって、セクション練習に参加、にわか仕立ての1番をやることになった私は、準備不足でヒ〜ヒ〜言いながら吹いてましたっけ。

6月29日

 明け方の雷には驚かされましたね。地を這うような低音の振動で目が醒めてしまいました。しかし、夕方には晴れ間も出て、いつもの蒸し暑い日差しです。そんな中を、駅前の牛タン屋さんを探しながら、汗を流して歩いている私がいました。実は、最近新入団員や新しく就職が決まった人がいるので、木管の中でお祝いをしようという裕司サンの提案で、今日は木管の飲み会だったのです。
 目指す牛タン屋は、最近オープンしたばかりだというので、広々とした新しいお店を想像していたのですが、行ってみたら1階がカウンター、座敷は4階という構成で、店内も細長い窮屈なところでした。3組も入ればいっぱいになってしまう座敷に案内されたら、本日の出席者は7名とのこと。なんでも主賓の1人、理恵サンが風邪をひいて欠席とか、その代わり、他のパートのひろこサンがトラで参加。
 新入団員の1人、フルートのちほさんのことは、他のパートの人はあまり知らなかったみたいで、ひろこサンは何の疑いもなく「トランペットのこ○○○サンの奥さんですね。」と言ってましたから、よっぽどそのまま引っ張っていようと思ったのですが、それではあまりにもちほさんが不憫だということで、きちんとわ○○○サンの奥さんだと教えてあげました(ん?)。
 もう1人の新入団員は、高校を卒業したばかりの、オーボエのなおこチャン。おぢさん、おばさんたちの間で、物怖じせず牛タンを食べていましたから、もはやニューフィルの団員として立派に存在が主張できているというものです。それにしても、娘と同じ年齢というのは、感無量。
 さっきも書いたように、細長い座敷ですから、写真のストロボをたいたら、隣のグループのねーちゃんが「撮ってあげましょうか」と言ってきました。せっかくだからと、全員で撮ってもらったものが、これ。どこの誰かは知りませんが、一夜だけの関係とは、こういうことを言うのでしょうね。
 なぜか、裕司サンが持ち込んだ、ひろこサンの北海道土産の「とど」の缶詰などを味わうことになって(鯨、ですね)ひと盛り上がり。遠くから手を伸ばして「届かん」などとボケている人もあらわれ、楽しく時は過ぎてゆきます。
 明日はヴァイオリンの歓迎会だとか。レポートと写真、待ってます。

続き