バックナンバー19

(01/9/2-01/10/30)


9月2日

 竹内まりやのニューアルバムは、初登場でオリコンチャートのトップを獲得したそうですね。昔からのファンとしてはちょっと複雑な気持ちなのですが、まあ、良いものが多くの人に聴かれるというのは、うれしいことではあります。ところで、かつてアイドルだったまりやが歌っていて、ずっと聴きたい思いつづけていた曲があります。それは、「アップル・パップル・プリンセス」という、加瀬邦彦(元ワイルドワンズ)の作品。NHKの「みんなのうた」で放送されたもので、シングルなど出ていないと思っていたのです。ところが、実はちゃんとリリースされていて、それが、なんと、今日ON AIRになった、「サンデーソングブック」という、山下達郎がDJを務める番組で放送されたのです。フルコーラスノーカットで。この番組は毎週MDで録音していますから、長年の願いがついにかなったというわけですね。
 最近のまりやも素敵ですが、この頃のものもやっぱりいいですね。本当に良いものであれば、年月が経っても風化しないで新鮮な感動を与えつづけてくれるのです。
 ところが、開発されたばかりの電気製品とかだと、そのようなことは当てはまりません。私が愛用してきたデジカメはFUJIFinePix 700という3年前の製品、発売された当時は、画素数が多い、画期的なものとして大騒ぎになったものなのですが、最近他の人が使っているのに比べると、操作性にかなり難があるような気がしてきたので、きのう電器屋さんに行って最も新しい4800Zという製品に買い換えたところです。それで、実際に使ってみたところ、操作性が著しく向上しているのが分かります。スイッチを入れればすぐ写せるようになるし、1枚撮り終わると、すぐ次の撮影がスタンバイできます。実は、こんなことは昔からの銀塩カメラだったら当たり前のことだったのですが、3年間にはとてもできなかったこと、というか、この機種では出来なかったことなのです。この間の技術の向上というものに驚くのと同時に、3年前に買ったものは中途半端な試作品に過ぎなかったのだという悔しさも味わってしまいました。まあ、そんなこともあるということで。
 実は、新しいデジカメを買おうと思ったのは、操作性に嫌気がさしていたこともありますが、今日瀬尾さんに会う予定があったから。もしツーショットの写真を撮ってもらえるような機会があったら、だれでも失敗なく写せるカメラの方が好都合だと思ったからです。しかし、結局瀬尾さんとは、一緒に並んで座ってフルートの演奏を聴いたり、終わってから一緒にお茶を飲んだり、奥さんのご実家まで車で送ってあげたりという、まるで普通の友人のような行動をとってしまい、一緒に写真を撮ってもらうという一介のミーハーみたいな事はとてもできませんでした。

9月4日

 さすが、指揮者練習の次の週とあっては、出席もまばら、おまけに、私以外の2人のフルートパートは揃って残業で遅くなるということでした。そんなスカスカの状態でただでさえ音が目立って緊張するというのに、今日は、さらに緊張を引き起こされるような事態に陥っていたのです。今や、この日記の主役の座を、あっチャンからすっかり奪い取ってしまった感のある瀬尾さんが、なんと、ニューフィルの練習の見学に来ていたというのですから、気の弱い私はもう最高に緊張しまくって、大して暑くもないのに大汗をかいていました。
 なぜ、瀬尾さんが練習を見にくることになったのかということに付いては、様々な憶測が流れていますが、そんなわけで(どんなわけ?)瀬尾さんと、瀬尾さんの奥さん(やはりフルートを勉強された方)、それから、奥さんのお友達(麺類・乳製品研究家)という3人が、しばらく後に座って見学されていましたが、一体どんな感想をもたれたことでしょう。
   ところで、見学をしていたのは瀬尾さんたちだけではありませんでした。休憩時間に団長の崇サンが紹介してくれたところによると、ずっと後に座っていた方は、Vnの入団希望者だったのだそうです。さらに、先週やはり見学されていた方が2人、今日はセカンドの中で弾いていましたし、いよいよVnの自力演奏も、あながち絵空事ではなくなってきたのだとは、思いませんか?

9月8日

 世の中の一般的なお父さんというのは、お休みの日には何をしてすごしているのでしょうかねぇ。子供はばあやに預けて、美しい奥様と一緒に美術館に足を運んで、日々のストレスを癒すなどという方もいらっしゃるでしょうか。帰り道には、定禅寺通りのカフェテラスで黄色くない、本物の白いモンブランを食べたりするんです(そんな奴ぜったいいないな)。
 普通は、午前中はガーデニングに汗を流したあと、美しい奥様の手料理でお昼ご飯を済まし、午後はボウイングのチェックと、念入りな練習、火曜日の練習に向けて、完璧な準備に余念がありません(どこが普通だって)。
 私などは、そんなどこにでもいるようなお父さんとは違いますから、休みともなれば一日中ゴロゴロしてテレビばっかり見ているという、怠惰な生活です。折りしも、地上波ではなかなかやらないプロ野球の近鉄戦がNHKでかかっているとあれば、もう他のことなんか手につくものですか。今年のパリーグは、この時期に上位3チームが1ゲーム差で並ぶというすごい状態。首位のダイエーに勝てば、即順位が入れ替わるという大事な試合ですし(午後5時現在)。
 裕史サンと違って、スポーツネタなどまず扱わない私ですが、近鉄だけは父親の代からのファンだったといいますから、今の状況は久々に期待が持てるものです。何しろ、最後にリーグ優勝したのが10年以上前、赤いラグラン袖のユニフォームも普通のものに変わり、キャッチャーだった梨田が監督になってしまったのですからね。
 スポーツネタと言えば、今日からいよいよ宮城県での国体(夏季大会)が始まりました。国体自体には何の関心もないのですが、昔からおかしくてしょうがなかったことがあります。選手を年齢で区分して、「少年」とか「成年」とか言っているのですが、これに男女区分が入ると、なんと「少年男子」と「少年女子」になるんですって。「少年女子」ですよ。私の中では「少年ジェット」、「少年探偵団」の例を引き合いに出すまでもなく、「少年」というのは「男の子」、国語辞典でも「としの若い男子」ですから、この用法は明らかな間違い、「男なのか女なのかはっきりしろ!」ぐらいは言いたくなります。
 はっきり言って、主催地の人でなければほとんど知ることがないというこのマイナーなイヴェントを、膨大な地域のエネルギーを注ぎ込んで毎年開催しようという特殊な感覚がないことには、こういう面白い言い方を堂々と使ったりは出来ないのでしょう。もちろん、こういう感覚の持ち主に、競技場を作ったり道路を整備するお金のほんの一部でも、オルガンつきのコンサートホール建設に向けてくれなど願うことは、見当外れ以外のなにものでもありません。

9月11日

 中部地方に大きな被害をもたらした台風15号が今日は東北地方に近づくということで、仙台市内の小中学校や一部の高校は、夕べのうちから早々と休校が決まっていました。今日は指揮者練習の予定でしたが、東京からの新幹線もおそらく運休になってしまうでしょうし、何よりも、雨と風が激しくて、とても練習場までたどり着くことすら出来なくなってしまうに違いありません。
 しかし、今朝起きてみると、たまに集中的な大雨はあるものの、別に学校を休ませるほどのことはなかったのでは、という感じ、末廣さんも、お昼過ぎには、「予定通り来られます」という情報が掲示板に載ったので、まずは一安心、というか、拍子抜け。
 練習の方はというと、第九になると緊張しまくってしまう私は、相変わらず前半は最悪、途中で落ちてしまって、合奏を止めてしまったのは、完璧に私の責任です。後半は持ち直すのですから、最初からそいなく(仙台弁)吹けばよさそうなものを。
 1楽章と2楽章をやったあとは、タンホイザーのマーチを、初めて末廣さんの指揮でやりました。トランペットのファンファーレも「出来れば12本でやりたい」などとおっしゃっていたので、4人の現行メンバーは目いっぱい張り切って吹いていましたから、ホールいっぱいに響き渡ったその音は、とてつもない密度を誇っていました(言い換えれば、うるさかったと)。
 このトランペットの音量に充分太刀打ちできるほど、ヴァイオリンパートはすごいことになっています。新しい人が加わったセカンドは、なんと13人、はるか昔に確かに実現していた「トラなし16型」の再現は、近いうちに必ず可能になることでしょう。
 練習が終わる頃、瀬尾さんがひょっこり現われたりしたので、あっチャンは大パニック。サインをもらったり、一緒に写真を撮ったりと、すっかり舞い上がってましたっけ。このツーショット、例の新しいデジカメで撮ったのですが、やはりものすごく使いやすいですね。オーボエの理恵ちゃんも握手などをしてもらって感激していましたが、「写真とってあげようか」と言ってすぐそのままシャッターを押してもきちんと写るのですから、もうこれからはシャッターチャンスを逃すようなことはないでしょう。
 外に出ても、そんなに雨が降ったような形跡はありませんでした。家に着いてみたら、ワールド・トレーディング・センターとペンタゴンに飛行機が突っ込むという大事件を報道してました。台風は一体どこへ行ってしまったのでしょう。

9月14日

 とうとうまともな暑さが戻らないまま、今年の夏は終わろうとしています。しかし、楽しかった思い出はいくつも作れました。なかでも、ミニ浴衣のギャルとお茶を飲んだことと、ワコールのバスが見れたことは、一生忘れないでしょう。
 それはともかく、大切な出会いというものはその他にもたくさんありました。そんな中、夏の初めに、近所の行きつけのスーパーで出会ったのが、ブラック・ジンジャー、人の名前ではありません、キリンビバレッジから新しく発売された飲み物、通称「ブラジン」です。いかにも、デビューしたてという初々しさで、別仕立ての棚の中に並んでいたのが、きのうのことのように思い出されます。まず、その重厚なパッケージという外見ですっかり気に入ってしまった私は、その場で2、3本、カートの中に誘い入れたのでした。「一緒におうちまで行こうね。」
 冷蔵庫で冷やすのももどかしく、どうれ、さっそく味見といきましょう。「初めてなの。やさしくしてね。」(というのは、きのう見た広末涼子主演の「秘密」という映画の中での彼女の台詞。父親であり、夫でもある相手役の小林薫が、末廣さんとよく似てるなという、新鮮な発見がありました。)なんて、かわゆいやつ。
 いたわるようにキャップを開け、その芳醇な液体を口に含んで、舌の上で転がすと、まるで弾かれたように全身にジンジャーの香りが広がります。同じジンジャー・エールでも、「カナダドライ」とは全く異なるピリッとした緊張感、とても大切な物が私の人生に加わったという、劇的な瞬間でした。
 それ以来、「ブラジン」と私との間の幸福な日々は続きました。片時も手放したくない、「ブラジン」のない生活など、とても考えられませんでした。
 ところが、一体どうしたことでしょう、発売当初はどこに行っても、このいぶし銀のようなPETボトルが見られたというのに、まず、コンビニあたりから徐々に姿が消えていったのです。気がついたときには、身近で手に入るのは荒巻セントラルプラザ(ローカル!)内の「ダルマ薬局」だけになってしまっていました。幸い、在庫は潤沢にあるようだったので、今シーズンは間に合うぐらいのまとめ買いをしておきました。
 今日、久しぶりにここに行ってみたら、棚にあった「ブラジン」は1本だけ。ひょっとしたら、来年の夏にはもう会うことはできないのかもしれないという感傷的な思いに駆られた私は、その最後の1本を、慈しむように買って帰ったのでした。

9月22日

 秋のお彼岸真っ盛り、今年は、いつになく秋の訪れが早く、朝晩はまるで身を切るような寒さです。仙台市内のお寺でも、飲み物の自動販売機を手回し良く「ホット」に切り替えたところも出てきて、急な季節の変化に戸惑っている参拝客に喜ばれているようです。
 さて、今日と明日は末廣さんの練習、それぞれ6時間ずつかけて、集中的に仕上げようというわけです。会場は、名取市文化会館の大ホール、私はここにオーケストラを聴きに来たことはありますが、ステージに立つのは初めて、楽しみです。
 お昼過ぎに仙台を出たら、国道を中心にかなり車は多め、すっきり晴れ上がってお天気も良いことですから、行楽関係の渋滞でしょうか。しかし、町中は混んでいたものの、バイパスに出たら気持ちよく流れ出し、かなり早めに着いてしまいました。あ、もちろん、車は私一人ではなく、○○チャンが一緒だったのは、言うまでもありません。
 なんだか分かりづらい入り口を通ってホールの中に入ってみたら、もうすでに椅子や楽器は並べ終わっていて、団員も結構集まっていました。気合の入り具合はなかなかのものですね。この大ホールは、シューボックス型の、良い響きがしそうな形をしています。楽器を出してステージの一番後ろで反響板に向かって音を出してみたら、ホール全体に響いた音が背中に感じられました。定位置に座って、客席に向かって吹いても、気持ちよい反響が戻ってきます。
 練習は、まず前回やりかけだった「第九」の2楽章を通しました。今回の版は、すべての場所をリピート、実際に全部続けてやったことはなかったので、とても大変でした。末廣さんはどんどん煽ってくるし、これだけでぐったり疲れてしまいましたよ。これが、いわば肩慣らし、6時間の長丁場でしたが、終わってみれば、何か爽快な充実感が残っているのですから、辛いなりにも、中身の濃い練習だったということでしょうね。
 3楽章の時に、末廣さんは「プロの人でも知らないようなことを教えましょうか」と言って、「アポジャトゥーラ」の話などを始めました。ファーストの前打音は装飾音ではなく、きちんと音価を持った音符と解釈すべきだ、というアカデミックなお話です。これを聞いて思い当たったのが、今日UPされた「おやぢの部屋」のゲルギエフの「春祭」の話。最後の一撃の前の装飾音を、ゲルギエフは「アポジャトゥーラ」と解釈したのではという思いが、何の脈絡もなく思い起こされたものでした。
 明日は、一体どんな話が聞けるのでしょうか。

9月23日

 集中練習の2日目、音出しは10時なので、9時前には家を出なければなりません。なんと言っても、今日は○○チャンだけではなく、あっチャンも乗せていかなければならないのですから。もしかして、きのうの○○チャン=あっチャンだと思った方がいたでしょう。残念でした。そういう(どういうんだ?)人はいっぱいいるというわけでして、顔写真入りのバナーを作ってリンクしてあげたら大喜びしていたしのぶとか。
 そんなことを言っていたら、青森にいるはずの○○さんが打楽器の代奏で(代打って言うんですって)来ていたのでびっくり。お久しぶりです。
 さて、今日はタンホイザーから始まったのですが、1回通したあとで、「木管の音の追加は入ってますか?」という末廣さんの指摘。金管のパートにFAXを送ったのに、それが木管に通じてなかったのですね。「休憩にします。スコアを見て書き込んで置いてください。」と、スコアを木管に放り投げてスタスタと楽屋に引っ込んでしまいました。一瞬、会場が凍りつきます。また、つまらないことで怒らせてしまった。
 しかし、10分もしたら、ニコニコして戻ってきたので、まずは一安心。何事もなかったかのように、練習は再開されました。タンホイザーのあと、2楽章をもう1度やって、昼休みにはちょっと早いので3楽章のおさらいが終わったら、時計は12時6分でした。「1時間休みましょう。1時6分まで。」いかにも末廣さんらしいコメントですね。
 お昼の時間に技術委員会があって、そのままさっちゃんたちとロビーでご飯を食べていたら、「下野さんブザンソンで優勝したんだってね」という話。今朝の新聞に、そんな記事が載っていたのだそうです。慌しくて、新聞にきちんと目を通していなかったので、ここで初めて知ったのですが、そうなのです、あの、小澤や佐渡が優勝したコンクールで、今回は下野さんが優勝。「ニューフィルと共演した人はビッグになれる」という、あのジンクスが、またもや実証されたのですよ。嬉しい反面、これで、再度の共演はもはやかなわないだろうな、という、ある種の寂しさも。
 午後の部は1楽章。きのうの練習からなのですが、末廣さんから時折「悪くないですよ」とか「なかなかいいですよ。これは誉めてるんですぅ。」とか、「巨人」の時には絶えてなかった発言が聞かれるようになっていました。私は自分の出番の心配で精一杯でしたが、割とヒマなあっチャンは「ずいぶんベートーベンらしい音がしてましたねぇ」と、帰りの車の中で話していましたし。
 そう、もうやるべきことはやり尽くしたと判断したからなのか、あるいは、単に2日連続6時間は疲れただけなのかは定かではありませんが、予定より1時間半も早く練習が終わってしまったので、○○チャンは予定の時間にならないと来ない楽器運搬のトラックを待たなくてはならず、帰りの車は私とあっチャンの2人きりだったのです。

9月25日

 14日にこの欄で「ブラジン」のことを書いたら、さっそく掲示板に、「ウィルキンソンってどうよ?」(もちろん、こんな2ちゃんねるばりの下品で許しがたい言い方ではありませんが)という書き込みがありました。いやぁ、懐かしい名前、私はご存知のように下戸ですが、父親はすごい呑んべえ、「ウィルキンソンタンサン」というのがいつでも家にあったものでした(昔々の話ですが)。ただ、ジンジャーエールは飲んだ覚えはありません。
 さっそくネットで調べたところ、こんな、たかがジンジャーエール1本にここまで熱くなれるのか、という、すごいサイトが見つかりました。そもそも、ウィルキンソンの場合は、「ジンジャー」ではなく「ジンジャエール」というのだということや、ずっと輸入品だと思っていたのが、実は創業以来国産品だったという、基本的な認識を新たにさせてもらえる、なかなかのサイトです。それよりも、ここに集まっているウィルキンソンファンの濃さといったら、「これを飲んでしまったら、ほかの物はとても口に入らない」という過激なもの。この飲み物の仲間とのっぴきならない関係になってしまった私としては、多いにそそられるものがありました。
 ごく限られた酒屋さんにしか置いてないというマニアックなところにも惹かれるものがあったと言っても過言ではありません。さっそく、近所の「ヤマヤ」に行ってみたところ、有りました、赤いラベルの「ジンジャエール」が。冷蔵庫で冷やすのももどかしく、どうれ、さっそく味見といきましょう(あっ、使いまわし!)。しかし、別にカナダドライあたりと変わらない味、こんな物であんなに大騒ぎできるものなのでしょうか。
 不審に思ってもう1度このサイトに行ってみたところ、この赤いラベルは「ドライ」という、甘口の物だということが分かりました。「普通はこれしか置いてない店が多い」とも。やはり、そう簡単に入手できるものではなかったのですね。
 ここで思い当たったのが、「明治屋」です。輸入食品やお酒を扱っているお店ですから、ひょっとしたらあるかも知れない、そんな藁をもつかむ思いで電話をかけてみたら、「辛口だけですが、置いてございます」という返事。そう、その「辛口」が欲しかったのですよ。
 晴れて口にしたエンジ色のラベルの「ウィルキンソンジンジャエール」、その味は、想像をはるかに超えるものでした。最初に感じるのは、やや甘味は少ないけれど、馴染みのあるまろやかな味、ところが、次に襲ってくるのが、のどの奥を刺激する強烈な生姜のエキス、「辛い」というようなものではなく、直接粘膜に働きかけるすごい感覚です。1瓶飲み干すと、体中からじわじわと汗が噴き出してきます。風邪をひいたときなどには効きそう。
 結局、「ブラジン」とは全く異なる味わいでしたが、これで1つ、私の好きな物が増えたことになりました。kazuさんありがとう。

9月27日

 パ・リーグの優勝が決まるかという、きのうのオリックス−近鉄戦、さすがはNHKで、試合開始から終わるまで、CMも入れないで(あたりまえ)完全生中継してくれました。いつかカミングアウトしたように、私は近鉄ファン、12年ぶりの胴上げがリアルタイムで見られるかもしれないという期待で、放送開始からテレビの前に釘付けになっていたことは、言うまでもありません。
 先取点こそ取ったものの、エラーがらみで3点も取られたり、最終回にだめ押しとも言えるホームランを打たれたりと、試合自体は決して近鉄サイドに有利には進んではいませんでした。しかし、奇跡が起こったのはその後、3点差で迎えた9回裏に飛び出した代打満塁逆転サヨナラホームラン、ふだんは冷静沈着な私でも、思わず立ち上がって「すごっ」と叫んでしまいましたよ。
 今日練習が終わったら、私が近鉄ファンであることを昔から知っている数少ない団員の一人、姫が、「夕べは泣きましたか?」と訊いてきました。もちろん、熱烈な西武ファンである姫のことですから、「この前優勝した時には、日本シリーズで恥ずかしいことしたのよね〜」と付け加えるのも、お約束。相手の巨人に3連勝しておきながら、「巨人なんかたいしたことないね」と暴言を吐いたとたん、4連敗してしまったという昔々のことを覚えている人は、もちろんそれ相応の「齢を重ねている」(演奏会の日に、このネタが明らかになることでしょう)というわけですね。
 ところで、休憩時間にロビーに出たら、団長の崇サンが、「ちょっと紹介するので来てください」と真剣な顔で私のことを呼びに来ました。行ってみると、そこにはとても美しい女の人が。一体これは・・・
 実は、この方は「ラジオ3」という、FMラジオで番組を持ってられる方。2週間ほど前に、「番組に出てください」という団宛のメールを下さったのです。そのメールは運営委員会に転送して、崇サンが代表で出演することになったのですが、最初にメールを受け取ったということで、私も紹介されたというわけです。「ホームページ素晴らしいですね」というありがたいお言葉を頂きました。
 この番組のON AIR10月6日土曜日(練習日ですね)の午後1時〜2時、「ラジオ3」の周波数は、76.2MHzです。
 

10月2日

 1時間半もかかってしまいました。何のことだとお思いでしょう。この前の練習の時に、エクセルを使い慣れない私は、2枚あったタブのうちの1枚しか気がつかず、半分しかコピーできませんでした。その不手際をカバーするために、残りもきちんとプリントした物を、パート練習にもかかわらず、すべての会場に配達していたら、そんな時間がかかったというわけです。
 今日のパート練習は、全部で5ヶ所の会場を使って行われています。コースとして最初に選んだのは、水の森、北部の森の中です。6時ちょっとすぎについたのですが、やはり、だれも来ていません。幸い、部屋は開いていたので、机の上に置いておきました。次は、東に向かって、黒松、林の中ですね。ここには敬一郎クンが一人だけだったので、2パート分預けます。さらに、すぐそばの旭ヶ丘は丘の上。この頃になると、だいぶ人も集まっていました。一番の難所は、駅裏のパルシティ。ここだけは渋滞の町中を通らなければなりませんから、大変です。ここに着いたのが7時過ぎ、それから東昌寺まで帰ってきたら、7時半を過ぎていたという、行動経路です。
 そんな思いをして配り終えた「末廣語録」、木管のパート練習では、大いに活用させていただきました。なんせ、「第九」全曲の問題のある箇所など数え切れないほどありますから、ポイントをきちんと記録したものはほんとに役に立ちます。「末廣語録を笑う者は、末廣語録に泣く」というのが、ニューフィルの金科玉条(カバ丸だと、略して○○)になる日は、そう遠くはないでしょう。
 もっとも、最初にやったのが例の4楽章のマーチですから、そこに時間をたっぷりかけたら、あとはほんの舐める程度しか出来ませんでしたが。
 ところで、練習が終わった時に、あっチャンが「これ、私からのプレゼントですぅ」と言って私に差し出した物があります。一体なんだと思いますか?それは・・・「乙女の純潔」・・・まさか!
 気を持たせないでさっさと公開しますと、それはウィルキンソンジンジャエール、もちろん辛口です。あっチャンの勤務先のそばが例の明治屋。それでわざわざ買ってきてくれたのだそうです。日記の反響はすごい物で、他の人たちも「飲んでみたかった」と言ってましたので、さっそくコップと栓抜きを持ってきて、ジンジャパーティーが始まりました。初めて飲む人の反応を見るのは、なかなか楽しい物ですね。みんな一様に生姜の刺激にびっくりしてましたっけ。ブラジンはなくなっても、これは終売になることはまずないでしょうから、これからも楽しみましょうか。
 しかし、あの日記、キリンビバレッジの社員の方が読んだというのは、笑えましたね。あれがきっかけで、ブラジンの生産が再開されるようなことがあったりすれば、ちょっとびっくりですが。

10月6日

 今日のタイトルは「トライアスロン」。一体何のことだと思われたことでしょう。実は、これは「ちぇろぱーとの掲示板」からのパクリ。長時間にわたる過酷な練習のことをこの競技になぞらえたのは、ここの常連のケンタローさんでした。
 朝から気持ちよく晴れ上がった空の下、広瀬川の河畔では芋煮会の煙がインディアンののろしのようにたなびいて(これも某ラジオからのパクリ)いるというのに、人工的な冷房の中で半日練習に明け暮れるというのは、それだけで充分過酷な体験です。その練習を仕切るのが、一息たりとも気を抜けない末廣さんであれば、もはや、これは体力と精神力の限界に挑む体験と言っても過言ではないでしょう。
 とは言っても、「今日から連休だというのをすっかり忘れてました」と、開口一番電車の遅れを謝っていた末廣さんは、ちょっとテンションが低めに感じられてしまったのは、気のせいでしょうか。「時間、何時まで?」と訊かれたコンマスが「8時までです」というと、「えっ!?」というリアクションがあった時から、今日もこの前のように早めに終わると予想はできていたのです。案の定、1時間半早く終わって、家に帰ると不審な顔をされるというのも、お約束のデ・ジャ・ヴュ。しかし、この分だと、明日も早く帰れるかも、などと油断していると、何が起こるか分かりませんよ。「トライアスロン」かどうかは、終わって初めて分かるのですからね。
 嬉しかったのは、前回さんざんだった4楽章のマーチが「リズムは良くなりました」と言われたこと。パート練習で一生懸命やったことがきちんと評価されて、報われた気持ちです。「音程は悪いね」と言われたぐらいでは、へこたれるもんですか。
 さて、恒例の「かいほうげん」、今回はなかなか良い物が出来たのではという自己満足。最新の情報を盛り込めたこともありますし、見た目で写真がきれいに印刷できたのにも満足です。新しいデジカメのクオリティは確かにあがっており、ヨーロッパに行っていたために古い写真しか使えなかった元サンの写真と比べると、その差は歴然。ただ、1つ心残りなのが、末廣さんのアップの写真。ストロボを使わないで3倍ズームだと、どうしても手ブレしてしまって、あんなものしか撮れませんでした。ところが、手動モードだと感度を変えられて、シャッタースピードを早くすることが出切ることが最近分かり、それで撮ったのがこれです。もっと早く分かっていれば・・・。
 あと、前号の仕掛けはバラしましたが、今回も最初のページのジャケットにはかなり手間がかかっています。探してみてください。 

10月7日

 トライアスロンの2日目は、会場を青年文化センターのコンサートホールに移して行われました。本日のメニューは「第九」の全楽章、はたして、最後まで落伍者がなく終わることができるのでしょうか。
 最初に、まず第1楽章をノンストップで通しました。この楽章は、私にとってはとんでもない難所づくめ、まとまった休みがほとんどないので、一度コンディションの設定を間違えると、悲惨なことになってしまいます。そんな、これまでの失敗を繰り返さないように、神経を張り詰めて吹いていると、たかが15分程度の楽章なのに、終わったときにはぐったり疲れきっていました。そうしたら、末廣さんはそのまま「休憩します」ですって。
 休憩あけに言った言葉は、「ここまで弾けるようになるとは思っていませんでした」。前回の集中練習の時から、そのような雰囲気はあったのですが、まさか、この時期に、あの偏屈な末廣さんから、こんなストレートな誉め言葉が聞かれようとは。もちろん、これはあくまで最低のレベルはクリアしたという意味であり、実際に演奏会で披露するためには、まだまだ超えなければいけない点はたくさん残っているのだ、ということは充分認識していなければならないという補足は忘れてはいませんでしたが。
 別の休憩時間に、ヨーロッパ帰りの元サンが、なにやら弦の人たちに配ってまわっています。そのうち管のほうにもやってきて、金色に光る丸い物をくれました。見ると、50フランとか書いてあります。それにしてはちょっと軽め、そう、スイスのコインチョコでした。きのうの日記だと、まるで遊びに行ったように見えてしまいますが、実はちゃんとした仕事だったということを強調したいというメッセージが込められている、と受け取りましょう。
 お昼の休憩は、ホールのVIPルームで、あっちゃんたちとコンビニで買ってきたものを食べました。大きなモニターが置いてあって、となりのシアターホールの様子(演劇コンクール)が写っているのですが、昼休みで緞帳が降りています。だれかが、「あの緞帳は下に鉄パイプが入ってるから、下ろす時は大声で注意するんだよ」と言ったので、私はすかさず「ドンチョー騒ぎだね」とまぜっかえしたのですが、このおやぢにリアクションを示したのはあっちゃんだけ、他の人には無視されてしまいました。
 結局、予定より45分早く練習は終了。となりの市民センターに楽器を運ぶのを手伝いに行ったら、なんと20人以上の人が参加していて、あっという間に終わってしまいました。末廣さんは、「仲の悪い人には第九は演奏できない」と言っていましたが、ニューフィルの場合、そんな心配は無用のようです。

10月9日

 秋たけなわですね。先週の土曜日あたりは芋煮会の最盛期だったというのは、先日の日記に書きましたが、あのときに聞いていたラジオというのが、例の「ラジオ3」だったのです。そう、崇サンが出演してニューフィルのことを紹介するという、あの番組をやったラジオです。練習が始まる前に車の中で聞きながら行ったのですが、その芋煮会の話をやっているあたりで駐車場についてしまったので、そのあとに放送した崇サンのインタビューは、その時は聞くことが出来ませんでした。
 でも、しっかり留守禄はしておいたので、今日そのMDを聞いてみました。さすがは崇サン、こういうことには慣れているとみえて、いくぶん訛りながらも、団の歴史や演奏会のことを、的確な言葉を選んで話していましたね。相手の方(山家さんと書いて「やんべ」さん)も、先日お会いした時に想像していたとおり、なかなかの聞き上手、崇サンのことを「お若いですね〜ッ!」とか、「こんなお洒落な方に指揮されてみたいですねぇ」とか、持ち上げ方も手馴れたものです。番組の中で、去年やった「カヴァレリア」の間奏曲をかけた後、「お上手ですねぇ!まるでプロのようですねっ」と、しっかりおだてまくってましたし。もっとも、「こんな繊細な方が、ホルンとは意外ですねぇ」などと、ホルン吹きには聞かせられないようなコメントも。
 まあ、そんな感じ、もし、この番組を聞いている人がいたら、確実に演奏会に行ってみようという気にさせられる、そういう意味では満足のいく内容でした。しかし、実際にこのラジオを聞いている人はどのぐらいいるのでしょうね。もちろん、私はこんなことでもなければ一生聞くことはなかったことでしょうけど。とりあえず、次回の「かいほうげん」には、MD起こしに精を出して、インタビューの全文が掲載されるよう、頑張ってみることにしましょう。実を言えば、6月に同じ番組に出演された市民響の管理人さんのように(すみません、リンクさせてもらいました)、崇サンにもレポートをお願いできれば言うことはないのですが。次号の発行予定日は、1030日です。だから、締め切りはその1週間前で大丈夫。
 実は、今夜は別のネタで日記を書く予定でした。ところが、その取材に行こうと車で旭ヶ丘に向かっている時に、一足先に現地に行っていたりっちゃんから携帯が。「もしこちらに向かっているのでしたら、来なくても良いことになりました」ですって。青年文化センターで、第九の合唱の練習が本番の指揮者のもとで行われる予定だったのですが、あまりの出席の悪さに、指揮者が怒って帰ってしまったというのです。なんという・・・。

10月11日

 今週は木曜が練習日、いつもは火曜日に比べて、出席がよくないというのが恒例のことになっていますが、今回ははたしてどうなるでしょうか。
 軽くおなかに入れる物として、セブンイレブンで選んだのは、ちょっと目先を変えてハーゲンダッツの「クリスピーサンド、キャラメル」。確か、一時品薄で販売中止になっていたはずですが、やっとここに来て、量産体制が整ったのでしょうか。きのうの冷たい雨のせいで、今日はちょっと風邪気味。喉が痛いし身体も熱っぽいので、こういう冷たい物を食べながら、ロビーの椅子で少し休むことにしましょう。
 しかし、練習場のある4階に行ってみると、その椅子には見知らぬおばさんが座ってお弁当を食べていました。他の椅子では、やはり見たこともないアベックがいちゃついていますし。ホールの中も真っ暗、もしかして、練習日を間違えたのでは、と、一瞬不安になります。その不安を煽るように、団員は誰一人として現われません。でも、日程表も間違いないし、とりあえず、さっき買ったクリスピーサンドを味わってみましょうか。ロビーから聞こえてくる、アベックの遠慮のない○○声を聞きながら、ステージに座って食べるアイスも、なかなかいけるものですね。
 そのうちに、一人、二人と現われて、やっといつもの練習場らしくなりました。まあ、しかし、やっぱり人数は少なめ、音出しの時点で木管の2列目は一人だけ、ファーストも4人ぐらいだったでしょうか。
 ところで、第九の前に演奏する「タンホイザーの大行進曲」では、末廣さんの意向で楽譜の指定どおり、バンダのトランペットを入れることになりました。正式には12人必要なのですが、今回は団員を含めて9人という折衷案で行くことになり、そのエキストラのうち、4人の方がみえていました。2列に並んだトランペットは、それだけで壮観です。本番では、どのように並ぶのでしょうかね。
 指揮の鎌サンは、そのトランペットをいじめることに生き甲斐を感じているように、執拗にダメを押しています。休憩前に出番が終わったこの方たちは、帰り際に「あまりいじめないで下さい」と懇願してましたっけ。
 後半にやった第九は、最初えらく遅いテンポだったので、細かいところが確認できて助かりました。吹いているうちに、最初はヒリヒリ痛かった喉も少しは楽になり、峠は越したという感触、これからは鼻水に悩まされることになりそうです。
 来週はもう本番、ついにキレた末廣さんは、最後にはどのようなメッセージを披露されるのでしょうか。

10月13日

 みやぎ国体がいよいよ開幕しましたね。入場行進では、何百人というブラスバンドが、たった4人のロックバンドにすっかり負けていたとか、選手宣誓では考えられないようなミスが出るとか、なかなか興味深い物があります。どうせ開催地が優勝する出来レースなのですから、こんなハプニングは大歓迎。
 ハプニングといえば、平穏無事だった私の人生に、とんでもない出来事が勃発してしまいました。「ジュラシック・ページ」の呼び物としておなじみの新譜紹介コーナー「おやぢの部屋」、執筆を担当されているのは、渋谷さんというプロのライター(近々オペラ関係の著書が出版されます)の方ですが、ごくたまに私が代理で書いていることもあります。そんな、本当にわずかの原稿が、偶然、とある編集者の目にとまってしまったのです。その方は、レコード店などに置いてある新譜情報の雑誌を作ってらっしゃるのですが、たまたま、来月号で取り上げたかったCDの紹介文を「おやぢ」の中に発見して、「これをそのまま使わせてください」と、メールをよこしたのです。詳しく聞いてみると、こういう原稿を、注文通りに期日までに書けるライターというのは、なかなかいないのだそうなのです。私の書いたものが、見事に注文に合致していたとか。
 出来た物をそのまま使うのですから、別に依存はないので、その話はOKしました。ところが、その原稿がよっぽど気に入ったと見えて、そのあと、「もう1本新しいものを書いてはいただけないでしょうか。金曜日に資料を送りますから、月曜日までにお願いします。」と、まだメーカーにしか届いてなくて、どんなお店にもないCDのサンプルと、山のような資料を送りつけてきました。こうなれば、もうヤケです。その日のうちに原稿を仕上げて、送ってやりました。
 そうしたら、「恐るべき早さですね。そして巧い。しかも、安い(原稿料が)」という返事、俺は牛丼屋か。「本名を出してもいいですね?肩書きはどうしましょう」とも書いてきたので、よっぽど「(吉野家)にして下さい」と言おうと思ったぐらいで。それは冗談ですが、おそらく(ウェブライター)ぐらいの肩書きのプロのライターが、いつの間にか誕生してしまっていたのですよ。
 そうなってくると、大変ですよ。「ジュラシック・ページ」は半分私の趣味だからいいとして、「かいほうげん」に私が書く原稿には、原稿料が発生してしまうという状況になってしまうのですよ。今回は5本書いてるから、2万円とか(そんな安いんか!)。

10月16日

 私のプロデビューを祝って、さっそくメールなどで励ましてくださった方もいらっしゃいました。この場を借りて、お礼などを。ついでと言ってはなんですが、このネタにもう少しお付き合いください。
 原稿を書くにあたって、編集者の方にお願いして、この雑誌の見本誌を送ってもらったのですが、その号は、「映画音楽とクラシック」が特集になっていました。最近の映画を取り上げて、クラシックとの関わりを論ずるという、一つ間違うと陳腐で感傷的なものになってしまう危険なテーマなのですが、その記事はなかなか読み応えがありました。執筆者を見て納得。今、この手のものを書かせたら、おそらく右に出るものはいないだろうという勢いの「サウンド&ヴィジュアル・ライター」、「モ」さんその人が、書いていたのではありませんか。
 私の原稿は来月ですから、同じ号に載ることはないのですが、このような該博である上に、極めて高度の表現力を持った大先生と、いわば、同じ土俵に乗ることができるというのですから、2回連続でネタに使うぐらいの大事件だと言ってよいのでは。
 ところで、この記事の中で紹介されていたのが、今大評判の「コレリ大尉のマンドリン」です。主演のニコラス・ケイジが音楽家の家系だったなどということもはじめて知ったのですが、音楽的にもなかなか興味深い映画のようです。しかし、ここではたと思い当たったのですが、この「コレリ」さんは「Corelli」というスペルですから、オペラファンだったらフランコ・コレッリ、弦楽器のファンだったらアルカンジェロ・コレッリを即座に思い出す、「コレッリ(かつてはコレルリと言ってましたが)」と全く同じ名前なのですね。予告編などでも「レリ」と、最初の音にアクセントが有ったから、ちょっと気がつかなかったのです。コレッリは「コッリ」ですからね。
 そこで、行き着くのは、いつもながらの配給会社の邦題に対する無神経さ。「コレッリ大尉〜」としておけば、それだけでクラシックファンはなにか音楽的な匂いを嗅ぎ取るはずですから、絶対興味を持って映画館に足を運ぶと思うのですがねぇ。
 本番前の最後の分奏だというのに、余計なことばかり書いていたら、もう紙面がなくなってしまったではないですか。どうしてくれます。もうあとは合唱が入って、お祭騒ぎになることは必至の練習しか残ってはいません。一体どうなることでしょう。

10月19日

 さあ、追い込みです。と言ってはいけません。「最後の仕上げ」と言わなければ。定期演奏会の2日前、今日と明日で、「第九」を有料入場者の耳に耐えうるだけのレベルに仕上げる作業を行うというわけです。
 「第九」に必要なのは、合唱団、それがなんだかあまり芳しくないような噂を耳にしていれば、今日の初めての合わせは極めて重要なことになってきます。果たして何人ぐらい「残って」いるのか、音楽的なレベルはどの程度まで確保できているのか、それを実際に確かめることができるわけですから。
 と、期待半分、不安半分で練習場の交流ホールへ向かう私には、もう一つ気がかりなことが。ここに来る前にあっチャンから電話があって、仕事が終わるのが遅くなるので、練習はちょっと遅れるかもしれないというのです。まあ、今回はアシだから、少しぐらい遅れてもいいだろうと思ったのですが、良く考えたらあっチャンの役目はピッコロだったのですよね。合唱の入った4楽章を最初にやるのは分かっていましたから、始まって5分もすればマーチが始まってしまいます。ということは、私が代わりにピッコロソロを吹かなければならない、ってこと。これはあせります。
 結局、あっチャンは来ないまま、4楽章の練習が始まりました。前半のオケだけの部分、後に合唱団が控えていると思うと、なんか緊張しますね。でも、まあ、問題のありそうなところは無事クリア、と思っていたら、いきなりファーストとユニゾンのハイEでヘクリ。今までこんなことはなかったのに。
 そのあとは、いよいよ合唱が入ってきます。しかし、オケの音にかき消されて、少なくとも私が吹いている位置では、全然聴こえてきません。やはり、人数はかなり少なめだったみたいですね。そのあとのファゴットとのユニゾンでも、派手に落ちてしまいました。ピッコロのプレッシャーですね。となりを見ても。まだ来てません。やはり、私が吹くしかないようです。
 フェルマータが終わって、いよいよピッコロの出番、やはり、カチカチになっているのが分かります。合唱指揮の淳一さんがソロを歌っていたようですが、ひたすら自分のパートの調整に夢中で、他のことは全く上の空、マーチの終わりごろになってやっと平常の状態が戻ってきたようでした。
 最後まで通したら、やはり「オケがでか過ぎる」と言われてしまいましたね。その辺の調整をやったあとは、2楽章と3楽章をやって、今日は終わり、あと1日で、どこまで仕上がることでしょう。

10月20日

 今日は、「頭髪の日」なんだそうですね。10(とう)月20(はつ)日ですって。知ってました?ヤスユキさん。だから、「骨と関節の日」は10月8日しかないというように、休日などは、きちんと意味のある日でないと、本当はいけないのですよ。「体育の日」が、かつて東京でオリンピックの開会式が行われた日だということが、そのうちに忘れられてしまうことでしょう。
 というわけで、体力の限界に挑む「最後の仕上げ」も2日目、いよいよ明日は本番です。まず、4時からはオケだけで、1楽章と2楽章。末廣さんは、「気付いてないかも知れないけれど、明日は本番なのですよ。なんかもう一味出しましょうよ」と、注文をつけてきました。そんな、最後の最後までよりレベルの高いものを要求する姿勢、これは、この間の「巨人」では、最後まで見られないものでした。きっと、明日は、聴き応えのある演奏ができるのではないでしょうか。ただし、それはあくまで演奏者がきちんと伝える能力を発揮できた場合のこと。はっきり言って、私の場合は本番でそれができるかという自信は、ありません。しかし、努力だけは怠ってはいなかったということさえ分かっていただければ(今から言い訳モードでいいわけ?)。
 5時半に休憩となり、合唱の開始は6時からの予定でしたが、オケが入るのは6時半から、それまでは発声練習をしているということに。だから、合唱団が声出しをしている間、我々は交流ホールの前のロビーで、しばしのフリータイムです。誰かがコンビニに行って買ってきたお菓子が回ってきたりして、ちょっとした遠足ムード。本番前にこんなにリラックスしていていいのだろうかというほど、くつろいだひと時でした。「マーラーなんかやってたら、今ごろこんなことはやってられなかったね」と、誰かが言ってましたしね。
 いよいよ、ソリストも入って4楽章。ところが、バスの方の顔を見て、みんな一様にびっくりしてしまいました。実は、さっきのオケだけの練習の時にも後に座っていたのですが、「あれだれだろうね」と言い合ってたぐらい、およそミュージシャン離れした風貌、坊主頭にサングラスという、間違いなくソノ筋のお方という見た目だったのです。末廣さんも「あれで<Freude!>は怖いね」と言ってたぐらい。
 しかし、この方、やはり只者ではありません。プロフィールを見ると、とても華々しい活躍をされていますが、それが納得できる凄い声。おそらく、この<O, Freunde!>には、お客さんも圧倒されることでしょう。
 ソリストが入っただけで、音楽の流れがガラっと変わってしまいました。これが「最後の仕上げ」たる所以でしょう。あとは、体力と集中力だけです。

10月21日

 「忘れてるかも知れないけど、今日は本番なのですよ」というゲネプロの時の末廣さんの突っ込みは、きのうの時点で予想されたことでした。調子が悪かろうがなんであろうが、自分に与えられた仕事を淡々とこなすのが、目下の務めなのです。
 ゲネプロは意外と快調でした。舞台の空調が程よく効いていたことも、幸いしたのでしょう。殆ど汗もかかないし、まず、思い通りの音が出せたような手応えがありました。今までの長いオケの経験から言って、ゲネプロでちゃんと出来ていれば、本番ではそれほど大きく乱れるということはありませんでした。何とかなるのでは。
 例によって、パートごとにのんびり昼食を取っていたりしたら、すぐに本番です。お客さんの入りは、予想していたのよりかなり少なめ。合唱団にも当然チケットが渡っているだろうと勝手に期待していた私が愚かでした。
 それよりも、ゲネプロの時とはうって変わって、温度の高いこと。あの冷静沈着な末廣さんが、汗びっしょりになっている姿など初めて見ましたから、いかに暑かったかが分かります。当然、コンディションは最悪、汗とアンブシャーの折り合いをいかにしてつかせるかということに、余計な神経を使わなければなりませんでした。ただ、出てきた音はそれほどみっともなくなかったのは、幸いでしたが。
 ところが、終わってから、さる口やかましい木管奏者から、「ヤマエサン、音変わったね。なんかやったの?」と言われたのには、びっくりしてしまいました。本番で、いつもとは全く違う、通りの良い音が出ていたと言うのです。確かに、このところ、考えるところがあって、多少吹き方を変えていたことは事実です。ちょっと今までとは違う吹き方なので、それに馴染むまで少し苦労をしていたところなのですが、ここに来てやっと自分の物になってきたと思っていた矢先のこの指摘、本当に嬉しくなりました。他の人もそのように聴いてくれたみたいで、確かに努力した甲斐はあったなと一安心です。
 さらに、もう一つ嬉しかったのは、チケットをあげたしのぶが、手作りのアップルタルトを持ってきてくれたこと。
 そんなわけで、打ち上げは久しぶりに楽しく過ごせました。合唱に加わっていた、昔の団員もいましたし、何よりも、新しく入った人が盛り上げていたのは、とても楽しみなことです。いったん家へ帰ったしできさんが、今日を演奏会のビデオをダビングして持ってきてくれたのには、びっくりしました。今見終わったところですが、確かに、私の音は、今までになく突き抜けて聴こえてきましたっけ。音程の甘さも、はっきり分かるほど。

10月23日

 定期演奏会の翌々日だというのに、もう次の演奏会へ向けての練習が始まります。といっても、「次」というのは角田の「第九」、なんのことはない、おとといやったものと全く同じ曲です。いつもの角田だと4楽章しかやらないのですが、今年は10回目ということで、全曲。それも、おとといと同じですね。全く同じ曲を(版はちがいますが)続けて別の指揮者で演奏できるという、なかなかない体験を、この際ですからどっぷり楽しんでみることにしましょう。
 後半は、演奏会の反省会。書記担当の私は、自分のパートの感想もちほさんに頼んで、ひたすら記録に専念するつもりでした。しかし、やはり、何か一言は言っておかねば、と、「打ち上げでの新入団員の紹介」の復活(かつて、打ち上げの恒例行事として、そういうことをやっていた時期があったのですよ)を提案したら、見事に採用されそうな気配。調子に乗って、誰も知らないのをいいことに「新入団員には自己紹介と、何か芸をやってもらっていました」と言ったのはウソですから、今度の打ち上げで指名されそうな方は、信用しないで下さい。
 そう、早くも、新たな入団希望者がやってきたのですよ。2人、しかも、両方ともヴァイオリン。いやぁ、これは素晴らしいことです。反省会でも話が出ましたが、この間入団した人たちが、みんなとても一生懸命参加されていて、ものすごく心強く感じていたところですから、さらに新人を迎えたヴァイオリンパートの前途には、何の障害もありません。
 そんなわけで、ニューフィルの前途も、執行部付近の風通しをほんの少し良くして、今の献身的な作業が効率よくなされるような道を拓きさえすれば、決して悲観するようなものではないのです。
 演奏会のCDもビデオも、そんなしできさんの献身的な作業で、たった2日で手元に届きました。もう2つばかり手元に届いたものがあって、あっチャンからの「バガボンド」全10巻はこつこつ読むとして、ヤスユキさんの打ち上げ画像64枚は、チェックと発送には時間がかかりそう。20周年記念で20ページの「かいほうげん」を作ろうとしている会報係の、献身的な作業が今ほど求められている時はありません。

10月26日

 演奏会のあとというのは、何かと用事が多いものです。公式サイト用の写真を選ぶだけでも一仕事。「噂の」デジカメの調子は最高潮で、本番前と打ち上げで取った写真は、全部で60枚以上になりました。その中から、よいものを探し出して、「かいほうげん」とサイト用にサイズを調整、保存と、いつもの手順で、月曜日には作業は完了しました。そのうちの何枚かは、プリントアウトして火曜日に配ったりしましたが、「本物の写真みたい」と喜ばれましたね。「本物」とは、つまり銀塩写真のことなのですが、デジカメでも全く遜色のないものが出来るということです。
 実は、私の他にも、デジカメを撮りまくっていた人がいて、その筆頭がヤスユキさんです。前の演奏会の時にも何枚かメールで送ってもらって使わしてもらいましたから、今回も当てにしていたところ、なんと、CD−Rに焼いたものをそのまま渡してくれて、「使ってください。あと、管の人に送っておいて下さい」ですって。CD1枚なんて、ものすごい量だと思って開けてみたら、それは今まで撮ったものを全部集めたものだったので、まず一安心でしたが。しかし、今回の打ち上げの分だけでも64枚、結構あります。それを全部チェックして、面白そうなものを集めてまとめたのが、「禁断の写真館」です。ご覧になってお分かりのように、彼の写真は殆どがツーショット、これからは、「びよらん、あるいはツーショットの帝王」と呼ばれることでしょう。
 頼まれた写真の発送も、1枚1枚サイズを小さくしてそれぞれの人に振り分けて無事終了、これで、「かいほうげん」の制作に全力を投入できることでしょう。素材も集まって、ページ割もほぼ確定、あとはひたすらファイルを作るだけです。
 ところで、先日書いた私のライターデビューの掲載誌が、早々と出来上がって、送られてきました。「Magi(マギィ)」という、クラシックとジャズの新譜案内の雑誌です。ほんの2週間前に原稿を送ったばかりだというのに、恐るべき早さですね。そして巧い(レイアウトが)。しかも、安い(1部150円)。それはともかく、こうなって実際に印刷されたものを見てみると、なんだか本人ですら果たして本当に自分で書いたのか、疑問になってくるような、別世界の出来事のように思えてきます。そうだ、これは夢に違いない。こんな奇跡みたいなことがこれから続くことなどありえないのだから、これは大切な記念品じゃないですか。そう思って、編集の方にお願いして、たくさん送ってもらうことにしました。今度の練習の時持って行きますから、私の青春の1ページの思い出として、もらってやってください。

10月30日

 練習日には、楽器を出して演奏するだけではなく、ニューフィルのいろいろな仕事をこなさなければなりません。なんせ、1週間に1回しか集まれないのですから、ここでまとめてやっておかないと、また1週間伸びてしまうことになりますから。
 まずやったのは、新入団員の写真撮影。今回ではなく、次回の「かいほうげん」に掲載される予定の、例のヴァイオリンの3人娘(だと思っていたら、一人の方は、立派なお母さんなんですってね。)が、ちょうど早めに集まっていたので、3人まとめて撮ってしまいました。(もちろん、撮ったのはそれぞれ別々に、ですが。)これで、一月先の「かいほうげん」は、写真で慌てることはないでしょう。こうやって、常に先々のことを考えて作業をしていくのが私のやり方。なんせ、来週発行予定の「かいほうげん」には、3ヶ月前から準備していたネタが載るぐらいですから。(実は、単にスペースの都合で、先送りになっていただけなのですが。)
 それから、「禁断の〜」に使った写真が入っているCD−Rをヤスユキさんに返して、事務局に、懇談会の議事録のコピーを渡して、あっチャンには「バガボンド」を返して(これは仕事ではないな)、しできさんにはビデオを交換してもらって・・・しかし、今日の私の最大の仕事は、印刷したての「Magi」を持っていって、練習場でみんなに配ることです。一応、読んでくれそうな人には一通り渡しましたが、ヤスユキさんには特に「口止め」の意味も含めて、お渡ししました。(別に、やましいことを目撃されたわけではないので、いいんですけどね。)
 みんな、結構すごいと言ってくれて、まずは一安心。パンフレットに毛が生えたようなものですから、「こんなものに書いただけで喜んでるなんて、しょうがないわね〜」と思われることが、実はちょっと心配だったのですよ。「こんな立派な本だったの!」とびっくりしていた人もいましたし。
 しかし、今回のブライトコップフの楽譜は、音が違うのはいいとして、パート譜のレイアウトが違いますから、この間までの譜面に慣れた目にはすごく吹きづらくなっています。これに慣れるには、しばらく時間がかかりそう。

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