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(00/3/5-00/4/25)


3月5日

 角田のための特別の練習日です。ひょうたん島の大統領を再度お迎えしての練習というわけ。
 日曜日というのは、やはりなんといっても集まりやすい日ではあるわけで、なかなかの出席状況でしたね。これが毎週続いたりすると、家庭内離婚の発端になったりするわけですが、たまになら許されるでしょう、か。
 ただ、そろそろ春めいてきたこともあって、これからの土日や祝日はお祝い事が目白押し。なんたってその白眉は3週間先のしできさんなわけですが、今日もYUMIさんあたりは結婚式帰り。もちろん、ご自分の式ではありませんが、(彼女だったら自分の式が終わってからでも練習に来る?)休日のおとうさんおかあさんの中にあっては、そのあでやかな姿はひときわ華やいでいましたよ。父親としては(またまた)、娘の晴れ姿をせめて一目でも見てみたいものだなぁと、感慨深げ(なわけないって!)。
 冗談はさておき、寿一さんとの練習は、前回とはうってかわってまとまりのあるものになっていました。第九の始まりの低弦なども、ちょっと音程を注意されただけで見違えるようになりましたし、「大祝」のTpだって、前回とは別物。彼の適切な助言で、オケ全体が生まれ変わったようになるのですから、たいしたものです。ご自身でも「二年前よりうまくなってるね。」とおっしゃってられましたしね。ただ、「社会人オケで、だんだんうまくなるってのは、珍しいよ。」という暴言については、「スラブ行進曲みたいな曲はあまりこまごまとはやりたくない」という極論とあいまって、後々各方面に多大な波紋を投げかけることでしょう。ねっ、和紀クン
 さて、先週の目玉は、何と言ってもメータ/イスラエル・フィル。とても感動したのですが、前にも書いたように何事にも自信のない私は、他人の口を通して語らせるという、とても卑怯な藤木くん(@ちびまるこちゃん)に成り下がってしまいました。言うまでもないことですが、ヒレカツ先生の言葉はすべて私の本心です。(バラしてどうする)
 さらに、JPにとって画期的なことも。この欄でもお知らせしたオーケストラ時代のJ・ゴールウェイの録音リストのことが、どのような経緯からか、ゴールウェイ自身の知るところとなり、その結果、彼のオフィシャルサイトからJP、正確にはリストのページにリンクが張られてしまったのです。その"FAVORITE LINKS"のリンク先で日本のサイトはここだけ。つまり、JPというのは、日本で唯一ゴールウェイのオフィシャルサイトとの相互リンクを果たしたサイトなんですよ。もちろん、これは実際にリストをお作りになったKさんやTさんのお手柄なわけですが、それをネット上に具体化した者としては、大いに誇らしい気持ちにはなってくるということなのです。

3月7日

 おととい練習があったばかりのせいか、2割引き程度の出席でしたね。まあこんなもんでしょう。Vaの鎌さんはこのところずっと休んでいますが、噂によるとギックリ腰で寝たきりになったとかならないとか。Vaは決して少ないわけではないのですが、やはりあの体積が空間を占めていないことには、見た目の充足感は乏しいのです。
 前半はしできさんの指揮で第九のおさらいをしたあと、後半で角田の合唱を指揮されている安久津先生の練習が入りました。オケ伴で合唱団が歌う曲の譜読みというわけです。
 じつは、先生はおとといいらっしゃった寿一さんとはお知り合いだそうですね。それで、「しょーもないおやぢギャグをかますけど、笑ってやって下さい」と言われてたものですから、そのてのものには目のない私としては、非常に楽しみにしていたのですよ。まあ、しかし、初めてのオケを前にしてそんな悠長なことをやっていられるほどの度胸がおありであれば、別の方面で活躍されていたことでしょうから、とうとう最後までギャグは出ずじまい。その代わりと言ってはなんですが、歌伴ということもあって、オケを振りながらみごとな歌を披露して下さいました。生カラってやつですね。
 先生は、たしか大分前にニューフィルに在籍されていて(クラリネット)、その時はなにかクールで厳しい方という印象がありました。「おやぢギャグ」の件も意外だったのですが、こうしてそのご指導に接してみると全く先入観を覆されるキャラクターで、心底驚いてしまいました。ほんと、第一印象などというものはあてにはならないものです。
 などと、冷静に状況を分析できたのは、私が歌伴に関しては降り番という客観的な立場にいられたからです。中で演奏していたら、きっと吹き出してしまい、あっチャンやYUMIさんのようにきちんとは吹けなかったことでしょう。
 というわけで、今度の土日は角田の本番です。念のため言っておきますが、日曜日は10時集合。以前「かいほうげん」や練習日程表で9時半集合とあったのは間違いです。まあ早く着くぶんには問題は無いわけですがね。
 もうひとつ、服装のことについても何の連絡もありませんでしたが、以前と同じであれば黒−黒でしょう。黒い靴もお忘れなく。
 というような、ちょっとした連絡ミスがのちのち増幅されていかないことを、心から願っています。やはり、実務担当者が練習のときに常時出席できないという状態は、どう考えても望ましいことではありません。これは事情を考慮するというようなこととは全く違う次元の話、問題が起きてからでは困ります。

3月11・12日

(11日)
 第九のリハーサルで角田まで行ってきました。お供はなぜかあっチャン。何回も来てる道だし、自分で地図まで書いているので、よもや間違えることはないと思っていたら、いつの間にか角田の市内に入ってしまっていました。会場は市街地の東のはずれ、どうやらいつも曲がっている場所を見落としてしまったみたいですね。よっぽど話かなんかに夢中になっていたのでしょう。
 それでも、会場には余裕をもって着いたので、のんびり音出しなどをしていたら、YUMIさんから電話がかかってきました。「変なところに来ちゃってます〜。」うすうす心配はしてはいたのですが、やっぱり。あとで聞いたら、大分前の岩沼あたりで別な道に入ってしまったみたいですね。でも、なんとか最初の曲には間に合って、よかった、よかった。
 毎度のことですが、体育館の寒いこと。大型のストーブをくべていますが(余談ですが、夏にはクーラーを「くべる」んですね)何の効果もありません。困ったのはピッコロです。寒いので水滴が着きやすく、すぐ穴がふさがってしまいます。特に高音のGは少しでもふさがるとまず出ないので、ヒヤヒヤもの。「大祝」では2勝1敗かな。
(12日)
 日曜日だというのにいつも通りに早起きをしないことには、角田でのゲネプロには間に合いません。道はすいていたので早めに着いたのですが、みんなはもっと早くてほとんどの人がすでに着いてました。もしかして「9時半集合」のつもりで来てたのかも。地図が分かりずらくて、とんでもない方向にいってしまったと、「かいほうげん」に苦情を寄せられた人もこの時間には来ていたので、多分そうなのでしょう。
 練習が終わって昼食を食べようと控え室に戻りかけたら、さっちゃんに呼び止められました。しできさんの結婚式の入場行進曲の譜読みをしてみようというわけです。メンデルスゾーンとかワーグナーといったありきたりのものではなく、和装だから和ものでというリクエストだとのこと。で、「南部牛追い唄」のフルート+弦楽クワルテット版があるので、私にもお声がかかったというわけです。低弦が、第九のレシタティーボを一生懸命練習しているそばでひと通り合わせてみましたが、フルートのカデンツが大変。しずしず歩いてきたのが、ここで急にずっこけたりしたらえらいことですね。
 演奏会の方は、特訓の甲斐あって、見事な低弦。しかし、基本的にこういう場所でのこういう趣旨の演奏会はもう勘弁してほしいもの。写真を撮りに客席に行ってみましたが、とても冷やかなお客さんでしたし、いくら義理とはいえ、演奏団体のことすらきちんと認識できていない方の祝辞を聞かされなくてはならないのは、正直言って耐えられません。
 帰り道に、せっかく来たのだからと、「仙南シンケンファクトリー」に寄ってみました。地ビールと手造りソーセージをしこたま買い込んで、どうやらこれが、今回の最大の収穫だったみたいです。

3月14日

 第九も終わって、いよいよ定期演奏会に向けて、本格的な取り組みがはじまります。一月後には指揮者も来ることだし、もう譜読みは十分やったはずですから、あとはもういかに音楽的に向上するかが問われてくるのです。
 と一応は言ってみましょう。現実はいかにままならないかということがはっきりしましたね。やはり継続がいかに大切かということです。一ヵ月休んでいる間に、ブラームスはすっかり振り出しに戻ってしまいました。まあ、でも、目標は出来たわけですから、頑張るしかないというわけ。
 ヘアスタイルを変えて、ほとんどキムタクと化した和紀クンも久しぶりの指揮台。ところが、せっかくの的確な指示なのに、それに水を差すようなだだをこねるのはいけませんよ。言いたいことがあっても、その場の空気を台無しにしないような配慮をするのが、大人というものです。その点さっちゃんはさすが。
 後半はしできさんがショスタコのチェロコンを指揮する予定だったのですが、なにかと多忙なのでしょう、結局練習に来ることはできず、引き続きカニさん、じゃない、あすか、じゃない、キムタクの和紀クンが担当です。裕史クンが代弾きで大活躍、終わったら拍手の嵐という熱演ぶりからは、新入団員の加入と相まって、Vcパートの充実の兆しを感じられたのは、私だけではないはずです。
 結局、時間の都合で、ブラームスもショスタコも最終楽章はやれずじまい。そういえば、楽器を調整してからはまだあのソロを吹いていませんね。まっ、金管も来てなかったし、いいんじゃないですか。
 話変わって、仙台フィルにくっついてヨーロッパに行ってたHrの仁サンが、おみやげのチョコレートを持って無事帰ってきました。そうなのですよ。仙台フィルは、角田第九の当日はヨーロッパ、体育館で市長さんを前に演奏を披露するなどという芸当は不可能なのですね。それとも、あそこに居たのは留守番をしていた予備軍?まあ、こんないぢわるな話はこれまで。それよりも、ヨーロッパの土産話が聞きたいものです。「かいほうげん」の原稿は今月末までで大丈夫。ねっ、仁サン。
 チョコレートで思い出しましたが、今日はホワイトデー。ヴァレンタイン・デーのお返しに、「ロワイヤル・テラッセ」のホワイトチョコレートをプレゼントしようと、前々から心に決めていたのですが、練習前にお店に行ってみたら、なんと売り切れじゃないですか。泣く泣くアーモンドパイなどをお渡ししてしまいましたが、これはとても不本意なことなのですよ。来年こそは早めに準備をしておかねば。えっ、誰にですって?そ、そんなのどうでもいいじゃないっすか。

3月23日

 先週は角田に行ったあと1日休んだだけで練習でしたが、今週は会場の都合で木曜日が練習日になってしまったので、1週間+2日の休み。だから、なんだかずいぶん久しぶりに練習に来たような気がします。で、例によって木曜日ですから出席はとても悪いっと。
 チェロ協奏曲から始める予定だったのですが、多忙なしできさんが遅れて来るというので、急遽ブラームスに変更。それを聞いて喜んだのが、わがフルートパートでした。というのも、チェロコン担当の白百合コンビが、今日に限って二人とも仕事で遅れるとの電話だったものですから。そうなんですよ。あのあっチャンも晴れて社会人、しっかり「残業」などがあるんですと。亮クンも来てたから、人はいたんですよ。だけど、できればショスタコだけはやらずに一生を終えたいというのが、男性二人共通の願いだったのですよ。
 本来、こんな事をやっている場合ではないのに、しできさんは久しぶりにショスタコの4楽章の指揮。やはり大変な曲ですよ。こればっかりは、他の人にはできません。お疲れさま。
 ほんとにしできさんは大変なことをやろうとしています。披露宴の進行表というのを見せてもらいましたが、新郎自身がここまで詳細に仕込みをするなんて前代未聞。木五をやるには面子が足らないので、いないパートをフリューゲルホルンに書き替えるなどという手間のかかることまで平気でやってのけてしまうのですから、ここで譜面を渡されてあさってぶっつけとはな〜などと弱音ははかず、とことん協力させていただきましょう。ほんと、微力ですが。
 なぜか、練習が終わってから、私に「こんど新しいお墓に古いお墓からお骨を移したいんですけど、和尚さんにお経を読んでいただく時には、いくらぐらいお払いすればよろしいのでしょうか」などという相談をされた方がおられました。春のお彼岸は今日まで。

3月25日

 仙台は朝から大吹雪。二人の幸せな門出を祝うにはふさわしくないお天気ではありましたが、そんなものは易々とはねかえすだけの熱気が、そこにはありました。
 以前からたびたびご紹介しているしできさんの結婚式の、いよいよ当日なのです。会場は、最近出来たばかりの「メルパルク」。私は初めて行ったのですが、エントランスロビーの中央が吹き抜けになっていて、そこにずーっと上の方まで階段がついています。で、披露宴が始まる前に、式を終えた新郎新婦がその階段を歩いて降りてくるというのが、この会場の目玉。しできさんのとっておきのこだわりを反映して、BGMは全て生演奏。しかし、こともあろうにこの時の演奏を担当したのが、私のフルートが入った弦楽四重奏とは。金管のファンファーレ(ペリ)に続いて弦だけのイントロを待つ間、私は今日の新郎よりも緊張していました。
 予定では15分ぐらいかかるということだったので、音楽が早く終わってしまったらどうしようということばかり考えていたのですが、いざ始まってみると、まだ曲が半分も終わってないのに、新郎新婦はさっさと我々の横を通り過ぎていってしまうではありませんか。機転のきく人がキューを送ってくれなかったら、残された私たちは、150人の聴衆を前にしてのコンサート状態があと2分は続くところでした。
 などというようなハプニングはいたるところであったものの、大筋では、しできさんの綿密な準備に基づいた「音楽披露宴」は、とどこおることなく進行していくのです。
 そのハイライトは、新郎と新婦がふたりとも参加する金管合奏。純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁が颯爽とチューバを演奏する姿などは、私の一生の中ではもう二度とお目に掛かることができないような、印象的なものでした。
 さっちゃん率いるニューフィル弦楽四重奏団と、ニューフィルゆかりの奏者が集まった金管アンサンブルは、おちおち食事もできない程の過密スケジュールで演奏をこなしていました。お酒が大好きな姫などは、まわりでガブガブ飲んでいるのを横目に、さぞ悔しい思いをしていたことでしょう。
 会場には教え子の高校の吹奏楽部の人達が待機していて、要所要所でBGMを流していたのですが、その中に入って一緒に演奏するという段取りになっていたので、私たち木管奏者も油断はできません。吹奏楽でマーチを吹くなどという、生まれて初めての(ほんとですよ)体験ができたのも、しできさんのおかげです。
 場所を移しての二次会では、それこそ大合奏大会。別の練習があったので、とりあえず楽譜を持っていった「シランクス」をソロで演奏するなどという恥ずかしいことをやって「吹き逃げ」してしまった私には、その模様をお知らせすることができないのが、本当に残念です。

仙台ニューフィルの創設者である、団長の山路厚雄さんが、3月25日にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

3月28日

 土曜日に団長急死という報せが入ってからの、初めての練習です。
 本来はブラームスの3楽章から始める予定だったのですが、いきなり賑やかな曲は、ということで、まず2楽章を通すことにしました。
 その前に、まず全員で1分間の黙祷。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 自然に様々なことが去来して、とても長く感じられた静寂のあとにフリギア旋法の主題がホルンで聞こえてきた時、この緊張感はいったいなんなのだと思ってしまいました。その主題がオーボエに引き継がれ、いよいよフルートの番です。出だしの高音のEは前にも書いたようにとても合わせるのが難しい音。しかし、私とあっチャンのユニゾンはピッタリ揃っていました。続く木管のアンサンブルも、今まで聴いたことのないような密度の高い響き。弦楽器も、まだ人が集まってなくて、人数こそ足りませんが、確かな主張が感じられます。
 何かが違います。メンバー全員が、はっきりとは分からないけれども、何かひとつのものを目指しているのです。団長に対する追悼の気持ちもあるかもしれませんが、それはあくまできっかけ。もっと普遍的な精神の高みへの欲求みたいなものが、まちがいなく顕在化しているのです。
 この音楽の中で必要とされている音を、確かにいま自分が出しているのだという実感。それと同じ感覚を、私だけでなくメンバー全員が共有していることがひしひしと伝わってくる不思議な感じ。今まで音楽をやってきて、本当によかった、音楽というのはなんて素晴らしいものなんだ、そんな大袈裟なことがごく自然に考えられてしまうような、言いようのない充実感に包まれている自分が、確かに感じられるのです。曲が終わった時には胸が一杯で、なんか目頭が熱くなってしまいました。
 本当に、音楽というのは不思議なものです。心をひとつにすることで、能力やバックグラウンドの違いをやすやすと乗り越えることが出来るのですから。
 本当に良い音楽、心から楽しめる音楽を作りあげる上で、最も大切なものはなにかということさえ分かっていれば、自ずと道は開けてきます。私たちは音楽をやりたいから集まった、それがそもそもの始まりなんですよね。
 後半は臨時の団員総会。練習が終わってもこまごまとした打合せ。これからしばらくはこのような状態が続くことでしょう。決してあせらず、最良の結果が得られるように考えていきたいと思っています。
(3月
29日追記)
 たった今、団長のお宅に行って、お線香を上げさせていただきました。厳しい病状をおくびにも出さずに、強く立ち向かってこられた奥様を前にしては、なかなか言葉が出ませんでした。これからは、みんなで助け合ってさらにニューフィルをいいものにしていきましょう。

4月4日

 なにかとお取り込みが多いということなので、事務的な機能が停滞しないようにと、先週あたりから事務局の仕事を少しずつ、時間がある人の間で分担するようになりました。で、私に回ってきたのは、練習予定表作り。
 HPでもやはり予定表を掲載しているので、軽い気持ちで引き受けたのですが、出来たものをただ写すだけとは違って、最初から作るというのはけっこう大変な事でしたね。
 流れとしては、技術委員会なり、今回の指揮者との交渉係である和紀クンなりが作ったスケジュールにそって、会場確保係の姫が使用手続きをして、その結果を私がとりまとめるということなのです。
 でも、なかなかマニュアル通りにはいかないのが世の常というもの。今回も姫から、演奏会本番の前の日の会場を取る日に、あいにく仙台にいないということで、代わりに行ってくれないかという電話をもらいました。ところが、その時は気がつかなかったのですが、その日は別な用事が入っていたのです。仕方がないので、代わりの代わりにあっチャンに行ってもらうことにしました。その用事というのは、実は結婚式。私のではないですよ。大体、私の結婚式であっチャンがヒマなんて、おかしいじゃないですか。(いったいど〜ゆ〜意味?)
 まっ、それはいいことにして、運が悪いと取れないこともあるというので、ちょっと気になりながらも結婚式の親族紹介かなんかを神妙に聞いていたら、突然携帯が振動。多分あっチャンからだとは分かっていましたが、今出るわけにはいかないので無視。隙を見て小声で掛けなおしたら、ちゃんと取れたという知らせで、一安心。
 いやぁ、こんな大変なことを毎週やっているのですから、姫の苦労は並大抵のものではありませんね。
 そんなわけで、会場は取れたものの、こんどは指揮者練習の予定がなかなか入ってこなくて、印刷出来たのは今日になってから。ところが、練習に行く間際に和紀クンから「指揮者練習の曲目が変更になりました」という電話。結局、張り切って始めた私の予定表作りの初仕事も、最後は一枚一枚マジックで塗りつぶすというみっともない作業で終わるという情けないものになってしまいました。まっ、世の中ってこんなもんでしょう。
 今日の練習は分奏。一通り各パートは揃っていてもFlは私しかいません。ブラームスの1楽章をていねいにやっているとき、またまた携帯が振動。あっチャンから遅刻の連絡です。またまた、あの結婚式の時みたいに、ひそひそ声の受け答え。

4月11日

 いや〜。なんという寒さでしょう。各地からは桜の便りも聞かれるというのに、夕方には確かに雪のようなものが降っていましたよ。
 このところ、私の頭を悩ませているのが、フルートの入団希望者のこと。ここ2週間のあいだに、立て続けに3人の方から引き合いがあったものですから。
 フルートを吹く人というのは増える一方です。プロを目指している人でも、オーケストラに就職するなんてことは、いまや都民響のチケットを入手するよりも困難なこと(ちょっと違うような)。この際アマオケにでも入って腕を磨き、いつあるかわからないプロオケのオーディションに備えようとする人すらいると聞いています。
 ところが、我々のような社会人のオーケストラの場合、その気になって、事情が許しさえすれば、いくらでも居つづけるのは可能です。なによりも、新しい団員を入れようと思ったら、出来るだけ長くやってもらえるような人を探しますしね。そのために、代吹きとかエキストラとかで実際に参加してもらって、技術的にはもちろんのことですが、仲間として問題なくやっていけるかどうかを、長い時間をかけて徹底的にチェックするのです(ほんとかよ)。
 そのような難関(どこが)を乗り越えて、ニューフィルの団員として在籍しているのが、今の5人の精鋭メンバーだということなのですよ。
 もちろん、さまざまな事情で、なかなか出席がままならないという人も確かにいます。これはまあ、目をつぶりましょう。しかし、遅刻の連絡にかこつけて、吹いているタイミングを見計らって、わざと携帯をかけてくるのだけは許せません。そういう人は即刻退団して、別の、入りたがっている人に道を譲るべきです(あはは、あっチャンどうする)。
 冗談はさておき、そんなわけで、うちのようなアマオケでは、フルートに関しては、極めて狭き門になってはいるのです。
 確かに、これからオケに入りたいと思っている人には、割り切れない気持ちは残ることでしょう。オケによっては、定期的にオーディションをやるとか、1回欠席したら即クビとか、きびしいことをやっているところもあるそうですが、今のところそこまで踏み切る勇気はなさそうですし。
 というようなつらい立場を、どうか理解して欲しいものです。
 こんなことを他のパートに話したら、すごく羨ましがられましたね。「ヴィオラにまわしてよ」とかね。ままならないものです。
 さて、今度の土曜日は、いよいよ指揮者練習。「かいほうげん」の発行が少し遅れてしまって、篠崎さんの顔写真を載せることが出来ませんでした。まっ、こんなところで。

4月15・16日

(15日)
 前回の写真見ました?指揮者の篠崎さん。ねらった獲物は決して逃しはしないぞという、まるで人食い熊のような厳しい眼光。今まで多くの指揮者の方と共演してきましたが、プロフィールの写真がこんなにおっかない方ははじめてです。だから、練習に行く前の私の緊張感はハンパなものではありませんでした。今日は最初にブラームスを全曲通す予定、あの4楽章の大ソロでは、いったいなにを言われることやら。
 気休めにすぎないと分かっていても、少しでも早く音出しをしておこうと、練習場に着いたのは集合時間の1時間前。電気も点いてないようだったので、受付できいてみたら、もう入っても構わないとのこと。ただ、楽器倉庫の前の部屋が使用中なので、(「おもちゃ図書館」)楽器を運び出すのは少し面倒臭いかもしれないとも言われました。
 誰もいないだだっぴろいホールでのびのびとウォーミングアップをしていたら、和紀クンから電話で、これから指揮者、チェリストとこちらに向かうということと、オケの並び方の変更の指示を伝えてきました。むむ、始まる前から注文をつけてきたな。
 そのうちに、敬一郎クンや真樹クンが来たあたりで「おもちゃ図書館」が昼休みになったみたいなので、人数は少ないけれど楽器を全部運び出してしまうことにしました。ティンパニ1セット(4台)、コントラバス4本、バス椅子あるだけ、それに指揮台と譜面台。そういえば、前にもあったな〜、楽器運びで疲れ果てて、演奏がメロメロになったことが。
 定刻にはかなりたくさんのメンバーが揃っていました。これだけ集まったのは久しぶりという気がします。やはり人が多いというのはいいものです。
 そして、いよいよ指揮者の篠崎さんの登場。意外と小柄、なんか顔もニコニコして親しみがありますね。しゃべりかたも至って普通。あれ〜っ。なんだか写真にだまされてしまって、かなり違った印象を持ってしまっていたみたいですね。おなじ熊でも、実物はとてもかわいらしい熊さんのぬいぐるみでした。
 とりあえず、ブラームスを1回通すという予定だったのですが、1楽章をかなりていねいに返しています。これは、初日から相当気合が入っています。結局予定を30分オーバーしてブラームスは終わり。1時間半休憩なしでした。
 このあとはショスタコになるので、降り番の私はちょっと家へ帰って家事などを。もう1回戻った時には、ソリストの高麗さんも一緒に、チェロ協奏曲の頭をしつこくしごかれているところでした。ブラームスの時とはなんだか様子が違います。主に管楽器が集中的に、繰り返し繰り返し同じ所をやり直しさせらてました。なんかちょっと心配モード。
 しかし、高麗さんのチェロは絶品。オケが少しぐらい不安でも、これだったら楽々リードしてもらえることでしょう。って、まずもっともっとさらうのが先決なのは言うまでもありません。この時期、せめてピッコロぐらいにちゃんとさらっていれば、もうちょっと違っていたものを。
 しかし、良いところを褒めることは忘れません。Hrの昭雄サンの卓越した演奏には「これだけ吹ける人がいるとは思わなかった」と、最大級の賛辞です。褒められた直後にわざとミスをするあたりが、昭雄サンのご愛嬌。
 そんなわけで、案の定予定より少しはみ出して、初顔合わせは終了。技術委員会で、敬一郎クンが作ってきた練習日程の空欄になっていた部分を承認したあと、懇親会へ。
 とりあえず、乾杯の練習でもしていようかとぼちぼち飲み始めていたら、主賓も到着。なぜか、私のすぐ隣の席に篠崎さんが。座るやいなや「ホームページ見てます。すごいですね。」ですって。前からある程度予想はしていたのですが、いやぁ、とうとうこういう事態が現実のものになろうとは。なんせ、篠崎さんは仙台に来たのすら初めてのこと。そういう人が仙台のアマオケが発行している会報の中身を読む事が出来るのですから。これに懲りて(なにに?)あまりしょーもないことは極力書かないように努力したいものですが。
 しかしまあ、少なくとも悪いイメージだけは持たれてはいなかったようですから、確実に良い効果はもたらしてはいたのでしょう。それにしても、ホームページのお客様が指揮者だなんて、作っている本人にしか分からない不思議な世界です。
 帰り際に敬一郎クンが「日程表新しいの出せますか?出来たらあしたまで」などととんでもないことを聞いてきました。さっき技術委員会で決まったばかりの予定を、早く知らせたいというわけです。まあしゃーないでしょう。二次会などには行かないで、あした早起きしてなんとかしましょう。社会人になってこのところとみに色っぽさを増したあっチャンともっと飲んでいたいという下心には、この際、団のために犠牲になっていただきましょう。
(16日)
 というわけで、朝早くから職場に行って日程表作り。すぐ済ませるつもりだったのが、ちょっと凝って画像を取り込もうとしたら、いきなり「不正操作」のエラーメッセージ。なかなか予定通りにはいかないってものです。
 どちらかというとスマートで隙のない指揮者に慣れている私たちにしてみれば、篠崎さんの指揮ぶりは、ちょっと異質。止めてコメントが出てくるまでの「間」がなんともいえません。しかし、伝え方は違っても要求される中身は変わりません。ご本人もおっしゃっていたように、2日間で確実にオケの音が変わりましたし、私自身も殆ど疲れを感じない程、充実した練習のように感じています。指揮台をドンドン踏み鳴らし、おへそを丸出しにするほどのアクションでドライブする姿は、なんか3年前の下野さんを彷彿とさせるものがあるのでは。そういえば、篠崎さんは下野さんとは親密なお知り合いだとか。

4月18日

 慌ただしく盛り沢山だった指揮者練習のおかげで、すっかり曜日の感覚がなくなってしまいました。気がつくと今日は火曜日、いつもの練習日です。おとといまで、あれほど沢山の人で埋め尽くされていたホールも、今はガラガラ、「宴のあと」といった風情。
 と思ったのは、音出しが始まるまでのこと。出足が多少遅かっただけのことで、いつのまにか、おとといとほぼ同じぐらいの人数が集まってしまっていました。早い時期に指揮者が来たことが、良い効果をもたらしたと考えてもいいのでは。
 演奏会当日まで綿密に決められたスケジュールに沿って、今日のメニューはブラームスの2、3楽章。指揮は和紀クン。彼の、決して押しつけがましいところがない納得のいく指摘に、最近はプレヤーの方からのいろいろな注文も加わるようになってきました。ワイワイ言い合いながら、気持ち良く練習は進みます。これはなかなか好ましい状態ですよ。気付いたことをもっともっと出し合うほうが、得るものは多いのではないでしょうか。
 ただ、中には、ちょっと的外れなことを、さも重大げに詰め寄る勘違いも。もっとも、これには和紀クンもあんまり相手をしたがらなかったようなので、それが正解。
 ところで、土曜日に練習予定が決まって、来週あたりに分奏が入ってしまいましたが、場所の確保がどうなっていたのか、ちょっと気になっていました。姫からはなんの連絡もなかったので、もしかしたら取れなかったのではないかという一抹の不安があったのです。案の定、練習が終わって敬一郎クンが来週の予定を知らせるという時になって、いきなり姫がトコトコと駆け寄ってきて、「どこも取れなかったの〜。東昌寺を貸してもらえます〜?」ですって。「構いませんよ」と言うと、すかさず敬一郎クンから目配せがあって、「来週の弦分奏は東昌寺です」。絶妙の連携プレーですね。
 最近のように、市民センターの利用者が多くなってくると、分奏の予定が決まるのがあまり遅いと、今回のように苦しい時の神頼みというか、正確には、仏に頼るというケースが増えてくるのでしょうね。
 今日はあっチャンは降り番。だから、いつものあっチャンネタはないと思ったでしょう。ところがあったんですね。やはり、練習中に携帯が振動したので、無視したら留守電が残っていました。休憩時間に聴いてみたら、切羽詰った声で「ぜひお電話が欲しいのです」。わくわくしながら掛けてみたら、「りっちゃんと話がしたいんだけど、いますか〜?」ですって。私ゃー電話取次ぎ屋さんか。ええ、ええ、言いつけどおり、しっかり携帯をりっちゃんに渡してあげましたとも。

4月25日

 おとといは、都民響を聴きに東京まで行ってきました。その話はあとでまた、ですが、ついでにムラマツに寄って楽器の調整もしっかりと。去年タンポを全交換したので、半年経っての微調整というわけです。私の楽器は、調節ネジが付いていないので、連結の調整は紙を貼って行います。それが1度はがれてしまってとりあえず応急処置をしてあったのですが、それもきちんと貼りかえてもらいました。
 おかげで、今の楽器の状態は絶好調。楽器が良いとアンブッシャーも無理がなくなり、以前のように極端なスランプ状態に陥ることがなくなったようです。毎日、高音から低音まで何の苦労もなく出すことができるこんな状態は、実は初めてのこと。ずっとこれが維持できるようであれば、未来は明るいのですけどね。
 そんなわけで、今日は管分奏。出足は悪く、フルートは終了30分前までは私ひとりでしたが、気後れすることなく伸び伸びと吹けたと思っています。自分の調子が良いと他人の音がよく聞こえるようになるもの。まわりがよく見えて、その中に自分の音を置くということがいかに大切かが、よくわかります。だから、これが出来てない人のことが耳障りになってくるという、ちょっと余裕のある感覚にひたれたりもします。しょせんアマチュアなのだし、言って変わるものではないという情けない確信だけはしっかりあるので、放っておきますがね。
 終わってからは技術委員会。結局、「悲愴」以外は指揮者のお任せということになりましたが、「イタリヤ物もやりたい」という意向も含ませるとか(回文です。うっかり読みとばさないように。)。アンサンブルが下手な人は、話し合いも下手なのだなということを発見。
 さて、おとといの都民響、感想は私の分身のヒレカツ先生に書いてもらいましたが(このところ、まだむ、ヒレカツ、jurassicと、かなり多重人格気味。本当の私はどこ。)、なによりも驚いたのは、会場でさっちゃんに会ったこと。ちょうど向かいのバルコニー席に座っていて、私が入ってくるのが見えたんですって。それで、休憩時間にわざわざ反対側までやってきて、ご対面。しかし、あんなに離れていて、よく見つけることができたものですね。よっぽど私に対する思い入れがあったのでしょうか。こんな希有な出会いを発展させて、上野公園の新緑をともに眺めるなどということができなかったのは、彼女がご主人とご一緒に聴きに来ていたため。私のほうは身軽な一人旅だったのですから、かえすがえすも残念なことでした。
 しかし、東京の大気汚染はすごいもの。桜が満開の仙台に帰ってきたら、治ったと思っていた花粉症が再発してしまいました。

続き