1961(12/9/25)-1980(12/11/4)

今日の禁断 クリスマス

 山下達郎のニューアルバムが発売になりましたね。いや、本当の発売日は明日の26日なのですが、ネットで予約しておいたら、もう昨日発送して今日現物が届いてしまいましたよ。普通のレコード屋さんでも発売の前の日には店頭に並ぶそうですから、ネットで買っても店頭と同じタイミングで手に入れられることになります。ここまで便宜をはかってくれるのですから、もう、わざわざお店まで出かけてCDを買ったりする人はいなくなってしまうのではないでしょうか。なんにしても、さっそく聴いて、あしたの「おやぢ」にはアップ出来るはずですので、詳細はそちらをご覧になってください。
 そこではあまり書かなかったことですが、今回のアルバムはベスト盤ということで、ジャケットがいつもと違ってこんなイラストになってます。

 これは、達郎おかかえ(?)のマンガ家、とり・みきが書いたものです。どこかで見たことがある、とおっしゃる方もいるでしょうが、おととし達郎のコンサートに行った時に買ってきた「せんべい」に、これと同じイラストが描かれていたのですよね(その写真は「おやぢ」で)。せんべいが入っているケースに印刷されていたのと、せんべい本体にも「焼印」になって、これが押してありました。なんでも、これは達郎のファンクラブで出している会報で登場するキャラクターなんだそうですね。これは、愛用のテレキャスターを弾いているところですが、このCDのブックレットには、いたるところにこのキャラが登場して、色んなことをやってます。
 いや、正直、このベスト盤が出るという話を聴いた時にも、買ってまで聴こうとは全然思いませんでした。最近はコンサートに行ったり、そのコンサートを撮った映画を見たりしていますから、一応「ファン」ではあるのですが、別にアルバムを全部集めてる、といったようなコアなファンではありません。それに、「ベスト」というのは、言ってみれば二番煎じですから、そんなに重要には思えなかったのですよね。でも、最近になってこのジャケットが発表されたら、なんだか無性に欲しくなってしまったのです。まさに「ジャケ買い」そのものですね。
 そう、そんな風に、ジャケットを見ただけで買いたくなるようなものがあるという事実こそが、「フィジカル」としてのCDの魅力なのでしょうね。音だけだったら配信でいくらでも入手できるような時代にあって、敢えて「物」としてのCDを買うという意味が、そこにはあるのです。達郎も言っていたように、世の中は間違いなく「物」を通さずに直接「音源」を手に入れる方向に進んでいます。業界のだれもが口をそろえて「もはやCDの時代ではない」と言いきっています。確かに利便性を追求していけば、もはやCDの存在価値はなくなっているのは明らかです。だからと言って、このような「物」を切り捨てて、すべてをネット配信のようなものに切り替えてしまうのは、なにか間違っているような気がしてなりません。そこには、経済性だけを追求していくうちに、発電を原発に依存して行った愚か者の姿を見ることは出来ないでしょうか。
 なんてね。ちょっと飛躍しすぎましたが、コンピューターに頼り切っていると、今に取り返しのつかないことになるのでは、というのは、すでに鉛筆では難しい漢字を書くことが出来なくなってしまった私自身の体験からの警鐘です。
 さっきのブックレットの中のイラストは、見ていてほんとに楽しいですよ。冬はサンタクロースの格好、夏は日に焼けてサーフィンをやってたりします。一番気に入ったのは、ダッフルコートを着ているやつです。
aventure number : 1961 date : 2012/9/25


今日の禁断 ブルックナー

 なんか最近、Facebookのフォントが変わって読みづらくなったような気がしませんか?ほんとにここは、何の予告もなく勝手に仕様を変えてきますから困ります。ニューフィルのFacebookページで「いいね!」をクリックしているのに、それが反映されないこともたびたびありますしね。今日クリックしていただいたOさんのもそう。もう2回目になるのに、2回とも「新規いいね!」に入れてもらえませんでした。めげずに、再度挑戦してくださいね。そういえば、そのOさんの前に「いいね!」してくれたのが、この間取材に見えた音楽雑誌のライターの方だったのに今気がつきました。名刺を頂いた時、どこかで見たことがある名前だったのですが、やっとわかりました。はたして、どんな記事に仕上がったのでしょう。
 Facebookは、そんな風に自分ではどうにもならないところがありますが、ブログだったら好きなように変えたりできます。私のブログはもちろん毎日見ているのですが、いつの間にかタイトルのバックグラウンドの画像がなくなっていることに気がつきました。たまにダウンロードが遅くて表示できないことがあるので、あまり気にしていなかったのですが、いつまで経っても出て来ないので、調べてみたら、サーバーに送った画像ファイルがなくなっていたのです。これでは、いつまで経っても現れるわけがありません。なぜなくなったのかは分かりませんが、再度送る時に、気分を変えて別の色のものを作ってアップしてみました。これがなかなかカッコ良くて、気に入ってます。前はタイトルの文字と同じ灰色系でまとめていたのですが、それを、画像だけ赤紫(#C96669)にしたのですよね。こうなってくると、本文のタイトルの赤(#FF0000)が完全な原色ですから、とても下品に見えてしまい、それも同じ色に変えてしまいました。それだけのことで、ブログの画面がとてもアダルトになったような気がします。ただ、そのタイトルはスタイルシートで指定しているのでスキンを直すだけで全部変わってしまうから問題はないのですが、演奏者や品番などはもともとのジュラシックからのコピペですので、本文の中のタグをいちいち直さなければいけません。まあ、最近のものは直しましたが、昔のはそのままですので、気にしないでください。
 「直す」と言えば、今週末から新幹線のダイヤが変わります。それで、愚妻が駅に行って時刻表をもらって来てくれました。

 この前東京に行った帰りに、偶然「E5系」に乗れたのですが、この時刻表では、「はやぶさ」以外にその車両を使っている列車が分かるようになっています。これがあれば、最初からE5系を狙って乗ることが出来ますね。これを使って、たまには東京までコンサートでも聴きに行きたいものです。
 今年は、ジョン・ケージの生誕100年ですから、それに関連した催し物もあったのでしょう。とは言っても、同じケージを、私がケージその人の演奏で聴いた1970年代と今とでは、ケージの聴き方は全く変わっているのでしょうね。もちろん、ケージ自身はそこまできちんと予想していたに違いありません。この間も、BSでケージ関係のドキュメンタリー・フィルムと、スタジオライブが放送されていました。ドキュメンタリーは、彼の出版社であったペータースとの関係が、興味深いものでした。プリペアド・ピアノの楽譜には、最初のうちはプリペア用のネジやゴムがワンセット付いていたんですってね。

 スタジオライブで、一柳慧さんが出てきたのには驚きました。もう80歳近くのお歳のはずですが、外観は昔と殆ど変っていませんね。彼より若い高橋悠治がまぎれもない「爺さん」になってしまったのとは対照的です。さすがに、しゃべり方はいくらか不自由でしたが、プリペアド・ピアノの演奏は矍鑠たるものでした。それに比べると、次のコーナーで出てきた若い演奏家は、逆にケージの音楽に身構えているのが、ちょっとみっともなかったですね。ケージ自身は、もっと楽しんで演奏していましたよ。
aventure number : 1961 date : 2012/9/27


今日の禁断 ダークグレー

 きのうの「おやぢ」に書いたことですが、カール・リヒターが指揮をしたモーツァルトの「レクイエム」という「歴史的名盤」では、その録音年代に関して様々な表記がなされているようなのですね。この録音はTELEFUNKENで行われたものなのですが、そのドイツのレコード会社は日本ではキングレコードが出来た時から提携関係にありました。そもそも、キングのマークはTELEFUKNENのマークをもとにして作られたものですし。

 ですから、もちろんこのリヒターのレコードも日本ではキングレコードから発売されていました。それは、TELEFUKNENがDECCAと提携してTELDECと社名を変えても続きます。しかし、1990年にTELDECはWARNERの傘下に入ってしまったために、日本での提携先もワーナーミュージック・ジャパンに変わりました。「レクイエム」の録音年代の表記が変わったのはこの時です。LPについては資料がありませんが、CDになってからはキング時代の1988年にリリースされたものでは「1961年10月」となっています。それが、ワーナーに変わって1994年に「ドイツ・レクイエム」との2枚組でリリースされた時には「1960年頃」になっていたのですよ。その後、ワーナーからは1995年と2002年に単品でリリースされますが、それはどちらも「1960年」と表記されていました。もちろん、2012年のSACDでも「1960年」です。

 なぜ、そんなに詳しく発売になった年が分かるかというと、我が家には「レコード芸術」の毎年年末のオマケ「レコード・イヤーブック」が、1981年から2012年までの33年分すべて揃っているのですよ。これがあれば、国内盤に関してはそのリリースがすべてわかるということになっています。まあ実際は必ずしもすべてが載っているわけではありませんし、そもそも国内盤のリリースのデータなどは、なんの役にも立ちませんから、こんなものは貴重でも何でもないのですが、たまにこんな風に役に立つこともあるので、殆ど惰性で集めているだけなのですけどね。
 それで、国内販売元が変わったことによって、録音データまでもが変わってしまったわけですが、これは別に珍しいことではありません。ERATOに録音されたデュリュフレの「レクイエム」の自演版も、RCAからWARNERに変わった時に、年代が変わっていましたからね。まあ、普通はあとで出た方が正しいと考えるべきなのでしょうね。リヒターの場合も、今回のSACDのマルPが1961年になっているので、このリリース年代が正しいとすれば、1961年の10月に録音されたものが1961年に製品になっているのは、ちょっと早すぎるような気はしますし。
 ところが、ちょっと前に出た野中裕さんの「カール・リヒター論」では、録音は「1961年11月」となっているのですね。これでは、とてもその年中にリリースするのは無理です。いったいどれが正しいのか、私にはとてもわかりません。
 この野中さんの本は、買って読むほどのものではないので、駅前の「丸善」で立ち読みをして得たデータです。読んでみると宇野功芳がリヒターの来日の際に書いた文章が載っていたりして、この評論家の愚かさが端的にうかがえる面白いものでした。でも、買いません。買ったのは「音楽作品名事典」(2009年第3版)と冬物のコート、同じビルの3階にあるユニクロで、1ヶ月前から目を付けていたUUブランドの新製品が、ついに3割引きになっていたので、迷わずに買ってしまいました。
aventure number : 1962 date : 2012/9/29


今日の禁断 ブリジストン

 車が定期点検を受けることになったので、一緒にタイヤも新しいものに替えてもらうことにしました。実は、その前の点検の時に、もうかなり擦り減ってきているので、そろそろ替えた方が良いですよ、みたいなことを言われていたので、乗っている間もちょっと不安なことがありました。確かに、縁のあたりはもうすっかり溝もなくなっていて、雨の日にスピードを出し過ぎたら怖いな、という感じだったんですよね。それで、普通に走る時もちょっと速度を控えめにしたりして。
 それが新品のタイヤになったら、乗った感じが全然変わってしまいました。これは、まさに新車を運転している時の感覚ですね。タイヤが道路をがっちりつかむのと同時に、とても滑らかに転がっているな、という感じです。これは、今まで使っていたタイヤでは味わえなかったもの、やはり、すり減ったタイヤは交換したほうが良いに決まってます。まあ、使っているうちに愛着がわいて手放したくなくなる、というものは確かにあるのかもしれませんが、タイヤに限ってはそんな感傷的なことは全く通用しませんね。いや、愛着があると思っていても、実は中身はぼろぼろで、もはや持っているだけで害を及ぼす、というものもなくはありませんから、日ごろのチェックは必要ですよ。人間で言ったら善人か悪人かの見極めでしょうか。敵か味方か、とかね。

 そんな、他人を評価する能力が、殆ど信じられなくなってしまうのが、「24」です。「トゥウェニー・フォー」ですね。24時間の間に起こった事件をリアルタイムで演じるというドラマです。つまり、見る方も24時間、テレビの前で見続けなければいけないという、まさに型破りのドラマ・・・という風に聴いていたのですが、実際は「1時間」ごとに区切って、毎週放送していたそうですね。それを、土曜日の夜から24話まとめて連続放映するという暴挙をWOWOWでやってくれたものですから、HDDの大半を占めていたオペラを泣く泣くBDに焼いて(こうすると、もはや見ることはまずなくなります)容量を増やし、1シーズン(1日)分を丸々録画してしまいましたよ。
 それを、日曜日から集中して見ているところです。さすがに24時間をリアルタイムで、というのは無理ですが、実際は画面に時間が出てきて1話で「1時間」経つことになっているのは、実際には42分ぐらいしかないことが分かって、少しホッとしているところです。つまり、アメリカで放送される時にはCMが流れている部分でも時間は経過しているということで、「CM込みで1時間」ということだったのですね。それを、日本でCMを抜いてしまうと、その間でいきなり4分とか進んでしまうので、そもそも「リアルタイム」ではあり得ないのですけどね。
 しかし、ストーリーはほんとに目まぐるしく状況が変わっていくので、ついて行くのが大変です。敵だと思っていたのが、いつの間にか味方になっていたりとか、「8時間」まで見たところで、もう頭の中はグジャグジャです。
 私が「24」を見始めていた頃、郡山では合唱コンクールの東北大会がリアルタイムに進行していました。いつものように、夕方になって各方面からその審査結果が伝えられることになるのですが、私の場合はまずFacebookで知った、というあたりが、今までとちがうところです。パリンカは銀賞ですから、全国大会に行くことはできませんでしたが、エピスは残念ながらダメ金だったようですね。詳細を見てみると、去年ダメ金だった福島の団体が、入れ替わりで全国代表に入っていましたっけ。この世界も、状況が目まぐるしく変わって、ついて行くのが大変です。というか、一人だけ全く「予測不可能」な審査員がいたみたいで、なおさらややこしいことになっていました。 
aventure number : 1963 date : 2012/10/1


今日の禁断 コヴェントリー

 この間、BSでブリテンの「戦争レクイエム」のライブを放送していましたね。この曲が作られてから50年、半世紀経ったという記念で、初演が行われた場所で、初演を行ったオーケストラが演奏した、というものです。それ以外の、例えば指揮者とかソリストとかはもはや鬼籍に入っておられますから、参加は出来ません。「50年」というのは、そのぐらいの時間なのですね。
 この曲には、初演の直後に録音されたDECCA盤という「極めつけの名演」があります。というのも、そもそもブリテンがこの作品を考えた時に想定したソリストが、完全な形で参加できているからです。初演の時には、ソプラノのソリストにと希望していたヴィシネフスカヤが当時のソ連から来ることが出来なかったのですが、録音の時にはめでたく参加できていて、テノールのピーター・ピアーズと、バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウとの三役揃い踏みが実現できたのでした(プロデューサーのカルショーの手記によると、ヴィシネフスカヤは待遇にごねて危うく帰ってしまうところだったそうですが)。
 ただ、この録音は何度も聴いていましたが、今一つ共感できるものではなかったのですね。これも、ブリテンの他の作品と同じ駄作に属するものだ、とその時は思っていました。
 でも、今回のライブを聴いてみると、結構いいんですね。一番の違和感の元だった小さなアンサンブルの扱いも、ここでは難なく馴染んでいました。改めてDECCA盤を聴き直してみると、やたらテンションが高いのが分かります。今回はいともあっさりとした扱い、その辺の違いが悪印象の原因だったのかもしれません。
 俄然、この曲に興味がわいてきて、そういえば、この録音のすぐ後に日本でも初演されていたことを思い出しました。1965年の2月に、オケは読響、本当はブリテンが来て指揮をするはずだったのが、それが出来なくなってDECCA盤での合唱指揮者デイヴィッド・ウィルコックスが代役で来日したというところまでは思いだしたのですが、その時のソリストが誰だったのかは、はっきり覚えてはいませんでした。ネットで調べても、それに関しては見事に何も見つからないのですね。確か、さっきの3人が来てたような気もしますが、いくらなんでもそこまでは出来なかっただろう、と、気になって仕方ありませんでした。
 実は、私は昔からの音楽雑誌をかなり集めています。ちょっと探してみたら、その時の記事が載った「音楽の友」が見つかったのですよ。

 この号には、当時の音楽評論家が、この演奏会について感想を述べたりしています。そして、写真も載ってます。

 テレビカメラもありますから、おそらく放送されたのでしょう。なんか、そんなのを見たような記憶もあるような気もします。
 しかし、この頃の日本の音楽界は、まだまだ「発展途上」だったことが、こんな雑誌を今頃読んでみるとよくわかりますね。ちょうど、東京都交響楽団が団員のオーディション(その頃はそんな言葉はなかったようで「団員選抜」とか書いてありましたね)を行っていたころで、世の中には賛否両論が渦巻いていたそうです。この号の巻頭言が、その都響に関するもので、野村光一は「立派なオーケストラを作るためには、余計な演奏を引き受けないで、定期演奏会に集中しなければいけない」などと、アホなことを書いていましたね。そういう時代だったんですよ。1965年というのは。
 あ、日本初演のソリストは、すべて日本人でした。ソプラノが 伊藤京子、 テノールが中村健、 バリトンが立川澄人(清登)です。懐かしい名前ですね。
aventure number : 1964 date : 2012/10/3


今日の禁断 アンケート

 定期演奏会まで、あと1ヶ月を切ってしまいました。これを機に、Facebookを使ってお客さんを集めよう、と考えてみました。Facebookには「イベント作成」という機能があるそうなのです。というのも、今まで何回かそれによって「イベントにご招待します」という案内が届いたことがあったからなのです。それは、主にコンサート関係でしたね。もちろん、それらは「友達」からのものでした。例えば、そのコンサートの指揮者からの直々の「招待」などは、やはりうれしくなりますね。もっとも、そのためにわざわざ東京に行くわけにもいかないので、丁重にお断りのコメントを書きこみましたが。
 そんな便利なものなので、ぜひ一度実際に使ってみたいと思っていました。やはり、やってみないことにはその機能の詳細は分かりませんからね。それで、ニューフィルの定期を「イベント」にして、「招待」しようと、実際の行動に入ります。手続きそのものはごく簡単でした。「イベントの作成」というところに入って、日時や内容を書き込めば、それで「イベント」は出来上がります。あとは、「招待」する人の名簿の作成です。なにもしなければ、「招待」はすべての「友達」に届いてしまいます。その中にはニューフィルの団員もいますから、そんなのは意味がありません。ですから、「友達」の中から、団員以外で仙台在住、もしくは当日仙台にくる可能性のある人を絞り込みます。いくらなんでも、ドイツから聴きに来れるわけはありませんからね。「北海道」というのも、普通は無理だな、と思うのでしょうが、まんざら可能性がなくもないので、リストに入れました。
 ところで、今まで「招待」された時に、ふと考えることがありました。普通は「招待」と言えば文字通り入場料を払わなくても会場に入れる、ということのはずです。でも、他の人のコメントを見ていると「チケットはどこで手に入りますか」などと聞いている場合もあったりしますから、どうやらこの「招待」というのは、単なる「お知らせ」、つまり「告知」なのだな、と思った方がいいことに気付きました。確かに、Facebookには「招待状」を送るといった機能まではありませんからね。それを実際に「招待」にするためには、主催者の一言が必要なのでは、と思いました。そこで、もちろん私はマジで「招待」したいと思っていましたから、案内の最後に「置きチケット(もちろん無料)を用意します」と書き添えました。これだったら、行きたくて都合がつく人ならば、気兼ねなく来ることが出来るでしょうからね。
 そんな風にして絞り込んだ「招待者」は、全部で31人でした。そのうちの何人が来てくれるかなんて、まさに初体験の試みですから全く見当がつきません。もしかしたら、一人もいないかもしれませんね。それはそれで仕方のないことですが、それではあまりにもさびしいな、と思っていたら、なんとその日のうちに3人もの人から「参加します」の連絡があったではありませんか。いや、もうこれだけで十分なような気になってしまいましたね。まあ、でもまだ1ヶ月ありますから、本当はもっと来てほしい、という欲は正直出てきましたよ。ご都合のつく「友達」の方、ぜひご参加ください。新たに「友達」のリクエストを寄せられた方には、「招待」をお送りしますよ。
 いや、別に「友達」ではなくても、あるいはFacebookに登録していなくてもここの常連さんであればチケットはお送りします。どうぞこちらからお申し出ください。
aventure number : 1965 date : 2012/10/5


今日の禁断 ピエロ

 世の中は三連休、しかしニューフィルは後半の2日が指揮者練習なので、のんびり休めるのはきのうの初日だけでした。とは言っても、夕方には愚妻の合唱団の送り迎えがありますから、そんなにヒマがあるわけでもありません。全国大会には行けませんでしたが、今月もう一つの単独ステージがあるので、その練習があるのだそうです。
 そんなわけで、「送り」から「迎え」までの少しの時間を利用して、HCDのコンサートをちょっとだけ覗いてきました。「HCD」とは、「ヘンタイCD」のことではなく、「ホームカミング・デー」なのだそうです。私が出た大学が、卒業生を対象に毎年行っているイベントですね。私も合唱団のOBとして何度か参加したことがありますが、最近は合唱から遠のいているので、こんな風に、ニューフィルのチケットをあげた人からお返しのチケットを頂いたりしないことには、まず来ることはなくなりました。そういうイベントなのに「有料」というのも不思議ですし。
 会場はもちろん萩ホールです。開演は6時ですが、少し早めに行ってみたら、駐車場はすでにほぼ満車、実はここではコンサートだけではなく、いろいろな催しが午前中からずっと行われていたのですね。その最後にコンサートがあるという構成でした。なぜかお客さんは1階席だけにしか入れられず、しかもバルコニーにも入れないようになっていました。本当は2階席で聴きたかったのに。あとで気がついたのですが、2階席は出演者の控えの場所になっていたのですね。
 出演するのは、男声合唱団と混声合唱団の現役団員とOB、それとオーケストラです。なぜかそこに「邦楽」が混ざるんですね。最後にはオーケストラと全員の合唱で「アイーダ」などをやるのだそうですが、そこには「邦楽」は入らないのでしょうね。つまり、私は、今度は「迎え」があるので、前半の合唱だけを聴いて出てきてしまったので、そこまでは聴いていないのです。
 最初は、男声OBの合唱団、現役も一緒に(といっても9人しかいません)歌っているので、かなりの大人数です。

 実は、このメンバーには仙台の人だけではなく、東京からわざわざ参加した人も混じっています。12月にこの合唱団(現役)の定期演奏会があるのですが、今年は創立60周年記念に、OBが入ったステージが設けられていて、少し早目のゲネプロ、みたいな感じなのでしょう。考えてみれば「50周年」の時には私も参加して、それが長年離れていた合唱をまた始めるきっかけとなったのですが、それは10年は続かなかったことになりますね。飽きっぽいんです。私って。
 次のステージは、混声合唱団のOBです。こちらも、最近50周年を迎えて、すっかり体制が整ったようで、なんか定期的に演奏会を開くような活動を行っているみたいですね。

 ここまではなんとか写真を撮りましたが、そのあとの現役の時には、もう写真は撮りませんでした。混声合唱団などは圧倒的に男声が多いという珍しい編成で、ぜひお見せしたかったのですがね。それというのも、開演前に「写真撮影は禁止されています」という、最近はやりのバカな告知があったのもですから、本当に必要なもの以外はちょっと撮るのがはばかられたのですよ。いったい、なぜ写真を撮ることを禁止するのか、私には分かりません。おそらく、聴いている人の迷惑になるからなのでしょう。しかし、私は極力、他の人の迷惑にならないように遠慮してますし、それを言うなら、お客さんの座っている通路の前に堂々と立ちはだかって写真を撮ったり、ステージの前を左右に移動している「公式」のカメラマンのほうが、間違いなく「迷惑」なのですがね。こういうのを野放しにしておいて、観客が写真を撮ることを禁止している神経は、全く理解できません。
aventure number : 1966 date : 2012/10/7


今日の禁断 ウィルキンソン

 そして、連休の後半は末廣さんとの指揮者練習でした。本番まであと1カ月近くありますが、まとまった練習はこの回が最後、あとは平日の夜に1回やっただけでゲネプロ・本番ですから、実質的に最後の指揮練みたいな感じになりますね。ただ、1日目は会場が取れなかったので、午後/夜の6時間ではなく、夜だけ3時間という短めのスケジュールです。
 そんな、殆ど本番と同じ体制で臨むことが望まれる練習ですから、特に弦楽器のエキストラなどは本番と同じぐらいの人が集まるはずでした。この写真では、かなり椅子に空席が見られますが、これは2日目が始まったばかりなので、まだ来ていない人や、あるいは1日目にだけ来れた人のための席なのですね。ですから、2日間を通せば、ほぼ満席のメンバーが集まった、ということになりますよ。

 まあ、実際は満席の「つもり」だったのですが、それでも今までの練習に比べれば格段の増員です。フルートの右はじなども、セカンド・ヴァイオリンが迫って来ていて、そのままではちょっと窮屈な感じがするぐらいでしたからね。そうなると、末廣さんは、やっと「弦が増えた」時に言おうと思っていたことを、しっかり伝え始めました。弾き始めと弾き終りの徹底ですね。これがしっかり全員に浸透すれば、ブルックナーの形が見えてくるのももうすぐです。
 この練習では、末廣さんは、時折合奏を停めて、「この部分で、メロディを弾いていると思う人は、手を挙げてください」という質問を出していました。確かに、そこは自信を持って「メロディ!」とは言えないようなパートばかりですから、誰も手を挙げません。昔の末廣さんだったら、そこで怒って帰ってしまっていたのでしょうが、今はきちんと根気よく付き合ってくれます。最終的には、「オーボエです」とか声が上がるのですが、そうなって誰がメインかということが自覚できると、俄然アンサンブルがすっきりしてくるのが分かります。「末廣マジック」ですね。
 でも、そういうサジェスチョンを、きちんと守って即座に演奏に反映できるという能力を、このオーケストラはしっかり持っているのだ、ということは、今回は何度も体験しています。特に金管の人たちは、1回「ちょっと聴こえないので、もっと強く」などと言われようものなら、次にやる時には目いっぱい大きく吹いてアピールしていますしね。きのうも、さっきの「メロディ当てクイズ」で自分たちがメロディだと分かった後のホルンは、即座に今までとは全く違う音を出してくれましたし。
 きのうは、お昼休みがあったので、ホールの前のロビーで、向かいのスーパーから買ってきた「団子」なんかを食べていました。そこに、たぶんホール内のレストランで食事をしてきた末廣さんが通りかかり、私を見るとなにか話したそうに近づいてきました。特に目立つようなミスはしていなかったはずですが、何か問題のあるようなところを注意されるのでしょうか。なんだか、不安がよぎります。
 「ちょっと聴きたいことがあるのですが」・・・きました!いったい何が悪かったのでしょう。
 「メーカーは分からないのですが」・・・ん?楽器のことでしょうか。私の楽器が変な音なので、メーカーを知りたいとか。
 「辛口のおいしいジンジャーエールのこと、ごぞんじですか?」・・・えーっ!そんなことだったんですか。
 なんでも、最近おいしいジンジャーエールを見つけて、そんな話を食事の時に他の団員にしたら、それだったら私に聴いてみたら、と教えられたそうなのですね。いやあ、そんな話でしたらいつでもお相手が出来ますよ。「あれ、ほんとにおいしいですねえ」と、すっかり意気投合、末廣さんも、すっかり「辛口」のファンになってしまったそうです。
aventure number : 1967 date : 2012/10/9


今日の禁断 パルコ

 この間、丸1日かけて録画した「24」のシーズン1は、1週間もかからずに見終わってしまいました。結局、設定こそぶっ飛んでいますが、ドラマ自体は普通のドラマとなんら変わるところはないな、というのが正直な感想です。なにもわからずに、ただオロオロして騒ぎ立てるだけの妻、なんてのが、ただストーリーを混乱させるだけの役目で登場している、なんてのも、常套手段です。あともう一人、やはり空気が読めてない「妻」というのも登場していましたね。本当に、こういう人が出てくると腹が立ってしまいます。いずれは解決されるための伏線だというのは分かっているのですが、やはりここまでやられると不愉快になってきます。
 当然のことながら、つじつまの合わないところは数知れず。シーズン1では、ジャックの乗った車がいつの間にかリムジンから普通のセダンに変わっていた、ということがありましたね。それと、大統領候補の狙撃犯を捕まえるために囮になる運動員が、その狙撃犯を自分の手で殺してしまう、というのも、あとでなにか説明があるのだろうと待っていたのに、とうとう何のフォローもありませんでした。あれはいったい何だったのでしょう。自分をだました恋人が憎かったのでしょうか。それだったら、送信機を仕込んだりする前にさっさと殺してしまえばいいんじゃないでしょうか。
 そして、衝撃のどんでん返しですが、いくらなんでもこれは無理があり過ぎ、はっきり言って反則です。
 HDDの空きがないので、1話見るごとに削除して行ってますから、そんな不思議なところを検証するわけにはいきません。と、次の週にはもう再放送がまとめて始まるようだったので、それで部分的にチェックしようと思ったら、それはシーズン2でした。せっかく空いたと思ったら、また録画しなければいけないではありませんか。そう、いくらケチをつけても、結局また見ることになってしまうのですよね。それが、こういうドラマの怖いところです。
 そのシーズン2も、とんでもない設定で始まりましたが、そうそうにおかしなところが見つかりました。ジャックが爆破犯を殺して逃げるところで使った車は、銃撃戦で窓が全部壊れていたはずなのに、いつの間にかフロントガラスにほんの少し傷がある程度で、他はすっかりきれいになっているのですね。それと、ビルが壊れたというのに、あんなに早くネットが復旧するなんて、あり得ません。あれだったら、別にデータを本部に転送しなくても良かったのでは、などと思ってしまいます。まあ、そんなおかしなところも含めての、ドラマの楽しみ、なのでしょうね。
 「24」には時計が欠かせません。今まで使っていた腕時計が、とうとう電池が切れてしまって、使えなくなりました。でも、チャチなファッション時計ですから、酷使に耐えられずあちこち傷がついて、かなりみっともなくなっていましたし、そもそも時間がかなり遅れ気味だったので(1日に数秒も遅れます)、この際新しいものを買おうと思っていました。それでも一応、気に入るのがなければ我慢して使おうと、電池を替えるために常に持ち歩いていたのですね。
 それが、初めて行ってみたお店で、格好のものが見つかりました。しかも、このお店では今の期間だと「下取り」をしてくれるというのですよ。どんな時計でも、2000円で引き取ってくれるというのでは、買わないわけにはいきません。持ち歩いていた「プーマ」を下取りしてもらって、今度は「アディダス」です。
aventure number : 1968 date : 2012/10/11


今日の禁断 リクシル

 私には、ある時期になると必ず必要になって、買ってくるものがあります。それは、ポケット型のクリアファイル。「かいほうげん」を作る時に、ページごとにプリントアウトしたものをそのファイルに入れて、ページの割り振りなどと実際にシミュレーションするのに便利ですからね。それをそのまま保存しておけますし。1回分は16ページなので、ポケットは8つ必要、ですから、いつも40ポケットのタイプのものを買ってきます。ちょうど5回分が収録できますからね。
 今回も、来週新しい「かいほうげん」を発行する予定で作業を進めているのですが、ちょうど前回でファイルがいっぱいになってしまったので、新しいものを買う必要が出てきました。そんな風にただ入れておくだけですから、一番安いので構いません。いつも近所のホームセンターに行って、そんな、1部380円ぐらいのご愛用のものを買ってこようと思ったら、なぜかそのタイプだけが売り切れになっていました。80ポケットならいくらでもあるのですが、それでは多すぎて不便です。しばらく待てば入ってくるだろうと思いつつ、何度行っても入る気配はありません。そのうちに、すぐ隣の棚に、もっと安い、1部280円ぐらいのがたくさん並んでいることに気づきました。おそらく、お店としてはこれに切り替えるつもりで、今までのものはもう仕入れないのだな、と、理解しました。そうなると、私としてはほとんど同じものがさらに安く手に入るのですから、これからはこれを使うことにしても何の問題はありません。それは、なんだかていねいに透明の袋にまで入っていて、とてもそんな値段とは思えないようなきちんとした売られ方もしていましたしね。
 ところが、見てください。

 実際に使おうと思ってさっきの袋から取り出して原稿を入れてみたら、その入口がさかさまだったのですよ。つまり、これはポケットの上下を間違えて取りつけてしまった、まぎれもない「不良品」だったのですね。だから、そんなに安かったのでしょう。袋に入れてあったのも、こういう不良個所に気づかれないように、ということだったのかもしれません。まあ、別に私としては何の不自由もないので、そのまま使っていますけどね。もしかしたら、これだけが不良品だったのかもしれませんし。でも、よく見ると「中国製」と書いてありますから、もしかしたら製造する段階で不良に気づいて、それを隠ぺいするために袋に入れていたのかもしれませんね。これが公になって、日中関係がさらに険悪にならないと、誰が言いきることが出来るでしょうか。
 今回の「かいほうげん」も、原稿自体は予定通り順調に集まっていました。メインは8月のJAOのレポート、皮算用通り、Bくんはしっかり6ページをカバーできる原稿と写真を届けてくれましたし、同じパートのSさんも、きちんと締め切り通りに別の原稿を送ってくれました。あとは、末廣さんのエッセイを2ヶ月分転載すれば、もう殆どは出来上がります。
 しかし、実はまだ肝心の表紙のページをどうするか、決まってません。というのも、来年秋の定期演奏会の日程が決まったので、指揮者との交渉に入ったところなのですが、うまくすると発行日までにそれが決まるかもしれない、という微妙な段階なのですね。ですから、今日明日中に確定すれば、その結果を載せることが出来るのですが、それがどうなるかは全くの神頼みですからね。
 そこで、もし決まらなかった時のために、別の紙面もちゃんと用意してはあります。それをやっておかないと、来週の発行が難しくなってしまいますからね。なぜ来週にこだわるのかも、ちゃんと理由がありまして、これだけは動かせないのですよ。
aventure number : 1969 date : 2012/10/13


今日の禁断 ペット

 この間の指揮者練習で、末廣さんが話していたYouTubeの「ブルックナーのシンバル奏者」というのは、これですね。Facebookには書き込んでおきましたが、こちらでも。シンバル奏者も面白いのですが、私は相方のトライアングル奏者の方が、とぼけてていい味があるのでは、と思いました。シンバルとトライアングルの取り合いは見事でしたね。
 Facebookにはいろんなアプリにリンクしている「○○診断」なんてのをあちこちで見かけますね。最近は「あなたをあらわす漢字一文字」ですか。末廣さんが登録以来初めて発信していたのが、これでしたね。「灰」、ですって。なんと言ったらいいのやら。でも、私の場合は基本的にこういうものはほとんど興味がないので、自分で「診断」をやることは決してありませんでした。
 ところが、最近お友達のHさんがやっていたのを初めて見た「フレンズ診断」というのには、ちょっと興味がわいてしまいました。Facebook上での友達と自分との「関係」を「診断」してくれる、というものなのですよ。自分にとっての「恋人」、「元恋人」、「禁断の愛」なんかが誰なのか、一目で分かってしまうというものです。いや、もちろんこれはシャレですよ。なんでも、日ごろの「いいね!」やコメントの度合いによって、どんな関係なのか推測する、というものらしいのですが、そんなものはあてにはなりません。実際はほとんどランダムに配列した、というようなものなのですが、中には思わずゾクッとするようなものがあったりして、楽しめそうな気になってきました。
 そこで、私もやってみましたよ。何回かやってみると、微妙に変わったりしますから、やはり「ランダム」というのは当たっているようですね。それよりも、なぜか、私がやるとそれがFacebookには反映されないのですね。最後にそんなボタンがあるのでクリックしてみても、全然ダメなんですよ。ブラウザを変えてもやっぱりダメでしたから、日ごろこういうものをバカにしていたばちがあたったのかもしれませんね
 仕方がないので、画像をダウンロードしてこちらに貼りつけてみました。こんな感じです。

 今気がついたのですが、ここにいる人が全部分かる人は、世の中には私以外には誰もいないのですね。なんか不思議な感じ。ですから、これはそもそも自分だけでひっそり楽しむもので、他の人に見せるようなものではなかったのですね。というか、そんなことを逆手にとって、若干私の都合のいいように修正してある部分もありますからね。そもそも、ブログのサイズに合わせて縮小するとちょっと見づらくなってしまうので、横の幅だけを少し縮めたりしてありますし。
 興味がある方は、こちらまで。でも、Facebookに登録していない人は、そもそも「友達」がいないので診断しようがありませんし、登録していても友達を非公開にしていれば、やはり診断材料がないので、結果は出ません。当たり前ですね。
aventure number : 1970 date : 2012/10/15


今日の禁断 コントラバス

 予定通り、きのう「かいほうげん」の最新号が発行されました。結局来秋の指揮者に関してはまだ進展がなかったので、当初予定していた通りのページ割での発行です。そうなると、すでに前に日のうちに完パケは出来上がっていますので、朝一で印刷にかかることが出来ます。しかし、何事も最終的な点検は必要なので、もはや見慣れた紙面ではありますが、もう1度目を通すことにしました。
 結果的には、この作業は非常に大きな意味を持っていたことが明らかになりました。なんと、最初のページの発行日が間違っていたのですよ。とんでもないことですね。正確には「月」が間違っていました。本当は「10月」であるべきところが「11月」になっていたのですね。今まで、こんなところで間違えたことなんてなかったのですが、しばらく考えてその原因が分かりました。いつも、この版下を作る時には、その前の号のものに上書きしています。その時には、発行されたのが9月4日でした。最近は、ほぼ2ヶ月毎という発行時期が確定しているものですから、新しいファイルを作る時にも、何の疑いも持たずに2ヶ月先の11月にしてしまったのですね。いや、わたし的にはもうとっくに2ヶ月ぐらい経っていたような感覚でしたし。
 今回は、原稿はすぐに集まりましたから、こんなに早く次の号を出すことが出来ました。これが今までの本当のペースだったのですね。なんとか、最近の怠惰なペースを、このぐらいに戻せるようになりたいものです。いずれにしても、これは即座に直しましたので、ちゃんとしたものを印刷することが出来ました。気がつくのが印刷する前で、本当に良かったですね。
 あとは、いつものようなルーティンで、作業は滞りなく進み、午前中には印刷と、そして紙折りまでが終わってしまいました。400枚です。お昼御飯が終わったら、製本を始めましょう。楽勝ですね。
 お昼休みには、こんな風に忙しい日にはそのまま仕事を続けるのですが、きのうは余裕で、いつも通り軽く楽器に触ります。なんせ夕方は練習ですから、きちんと準備はしておかないと。さいわい、いつになく好調に「かいほうげん」作りは進んでいますから。
 まずは、2つに折った4種類の紙を、順番通りに揃えていきます。乱丁などはあるわけがありません。またひとつ、新しい「かいほうげん」の誕生です。さっき直したばかりの1ページ目には、この間新聞に載った記事の切り抜きが印刷されています。しかし、この記事は取材に来た翌週に早々と載ってしまいましたからね。本当はもっと演奏会と近くだったら、より宣伝効果があったと思っても、まあ仕方がありません。せっかくスペースも大きく取って載せてくれたのですから、なにも不満なんかありませんよ。それにしても、11月の本番なのに、2か月も前の9月に出てしまうなんて・・・ん?「9月」?・・・いや、ここにあるのは「3月」じゃないですか?えーっ!!マジで「3月11日」ってなってますよーっ!あんだけ見なおしたのに、なんで気がつかなかったんでしょう。
 そうなんですよ。見事にやってしまいました。「9」が、なぜか「3」になっていたんです。これはごまかしようがありません。絶対に見た人は気付くはずです。刷り直し?でも、そうなると丸々100枚の両面印刷をした用紙を捨てなければなりません。そんな無駄なことは、許されませんよ。でも、「3」にちょっと書き足せば、「9」に見えないこともないんじゃないですか。うん、そうしましょう。ちょっとみっともないけど、全部刷り直しよりはよっぽどマシです。

 ということで、こんな風に直してみました。100枚。気がついた人、いましたか?
aventure number : 1971 date : 2012/10/17


今日の禁断 シングル

 最近、オーディオの世界では「LPレコード」が見直されているような気がしませんか。いや、そもそも真のオーディオ・マニアというのは、CDなんかには最初から見向きもしない「アナログ人間」なのでしょうが、そういうコアな次元での話ではなく、ごく普通の感じでLPが販売されるようになっているな、という気がしているものですから。あのドゥダメルがウィーン・フィルを指揮したメンデルスゾーンの「スコットランド」などは、CDにはならないでLPだけの販売という、考えられないようなことをやっていましたからね。そして、もう少しするとビートルズの全アルバムがLPで発売になるんですよ。
 ただ、これはちょっと複雑な気持ちですね。LPなんだから、アナログのマスターテープからそのままカッティングすればいいと思うのに、これはわざわざデジタル変換したものをマスターにしているというのですからね。まあ、これはどんな音になっているかは、とても興味のあるところです。

 そして、最近ちょっと食指が動いてしまったのが、こちらのLPボックスです。各方面でとても高い評価を得ているサンフランシスコ交響楽団の最新のマーラー・ツィクルスは、そもそもすべてSACDで出すぐらい音の良さでは知られていたものですが、それをLPにして出したのですから、すごいですよね。ほんとに、これはもうちょっと安ければ間違いなく買っていたでしょうね。
 そこに、タイミング良く、こんなLPのことも含めてこのオーケストラのことを紹介した本が出ました。それについては明日の「おやぢ」を見ていただければいいのですが、その中に、「45回転のLP」という言葉があったのですね。実は、さっきのリンクでも、「45回転」については情報がありました。しかし、それはあくまでボーナス・ディスク1枚だけの話で、本体のシンフォニーやリートはちゃんと「33回転」と書いてあったのに、この本ではすべて45回転であるかのような記述なのですよ。もしそれが本当なら、これはちょっとすごいことです。ご存じでしょうが、LPは確かに音が良いものの、内周に行くに従ってだんだん音が悪くなるという欠点があります。これは、外周と内周との針に対する線速度の違いなのですね。それを、45回転にすれば、内周でも33回転の外周と同じか、それ以上の線速度が確保できますし、外周だったらさらに余裕でいい音を出すことが出来るのですよ。もし、これが全部45回転だったら、この値段でも充分なだけの価値があるな、と思ってもおかしくはないでしょ?
 そこで、それに関して確かめてみようとネットを探してみたら、実際にこのボックスを買った人のブログなどという、まさにど真ん中のものが見つかってしまいました。それを読んでみると、特に「45回転」というような言葉は出て来なかったので、これは普通のLPなのだろう、と推測することが出来ました。さらに、その書き込みには、決定的にこれが45回転ではないことを裏付けるようなことが書かれていたのです。ちょっと引用すると、
23枚目のレコード=「リュッケルトの詩による5つの歌曲」のピアノ版に針を下ろした。
いやあ、これは凄い。歌声が聴こえてきた瞬間、いったい何が起きたのか分からなかった。冥界からの声が歌い手の肉体を通して届けられたかのような不可思議な感覚。まるで、男声がファルセットで歌っているようでもあり、黒人のソウルシンガーのようでもある。クラシカルではあり得ないヴィブラートや大きな音程の巾。しかし、それが濃密な味となって私の魂を激しく揺り動かす。その感動の質は、本物のゴスペルを聴いたときに近い。
思わず歌手の名前を確認すると、スーザン・グラハム(メゾ・ソプラノ)。いや、そんなはずはない。同じセットのオーケストラ・バージョンでは、極めてノーマルで正統派の歌声を披露しているではないか。とても同じ歌手とは思えない!
 お分かりでしょ?「23枚目」というのは、まさにさっきのボーナス・ディスク、しっかり「45回転」と表記のあるものでした。このブログの筆者は、それを33回転で再生したのですね。それでは「同じ歌手とは思えない」のは当たり前です。
あまりにも感動して、昨夜からもう4回も聴きかえしては余韻に浸っているほどだ。
 なんだか、かわいそうになってきますね。4回も聴いて、おかしいことに気づかないのでしょうか(それとも、この書き込み全体が、巧妙に仕組まれたネタ?)。
 ですから、ボーナス以外のLPは、間違いなく33回転(正確には33 1/3回転)なんですよ。
aventure number : 1972 date : 2012/10/19


今日の禁断 トトロ


 いろいろ気を持たせてきましたが、来年秋の指揮者がこのたび晴れて確定しました。Facebookではすでにきのうアップされていますが、5年ぶりとなる新田ユリさんと、また共演できることになりました。実は、この情報はおとといすでに掲示板にはアップされていたのですが、チェックを怠っていたので、1日遅れの発表となってしまいました。しかし、そのおかげで、なんと新田さんの誕生日の日に公開出来たというおめでたいことになったのですから、何が幸いするのやら。さらにおめでたいのは、来年の演奏会の本番の日が、まさにそのお誕生日である10月20日なのですから、これはもうなにか深い縁で結ばれているとしか言いようがありませんね。本番当日は、きっとサプライズがあることでしょう。
 その新田さんは、先々週、上野駅の「駅コン」に出演されていました。「北欧の音楽」というタイトルで、お友達のトランペット奏者、ハルヤンネさんなどの演奏のナビゲーターを務めてらしたそうですね。この「駅コン」というのは、上野駅と仙台駅でセットになっているそうで、その仙台駅版が今週行われていたのですが、その最終日に愚妻の入っている合唱団が出演していたので、行ってきました。こちらは、本番前の公開リハーサル。

 このアングルは、3階の新幹線の改札の前からのショットです。椅子のあるところは、なんせステージが設営されていなくてベタなところで演奏していたために、とても写真などは撮れませんから、前から目を付けていたこのベスト・ポジションに陣取って、写真をとったり録音したりしました。ただ、せっかくPAがしっかりセットされているというのに、殆ど生音しか聴こえてきませんでした。まあ、それはそれで生音をきちんと尊重しようというポリシーなのでしょうから、ホールなどでは好ましいやり方なのですが、なんせここは駅の中ですから、まわりはものすごいノイズだらけのところです。こんな甘っちょろいPAでは、全然合唱もピアノも聴こえてきませんよ。

 本番になると、まわりはもっと騒がしくなってきました。実際に目の前で演奏しているのを聴く分には、そんなにまわりはやかましくは感じられないのですが、それを録音するともろに全部の音が入ってしまって、ひどいことになっていましたよ。でも、こんなところで演奏出来ただけでも、素晴らしいことだったのではないでしょうか。確か、去年の上野駅版では「ハルモニア・アンサンブル」が出演していたそうですから、エピスもハルモニアと同格ということになるのですからね。ほんと、若い人の多い合唱団で、とてもノリのよい演奏でしたね。
 ところで、この前45回転のレコードを33回転でかけたのでは、ということで、それこそ「鬼の首をとった」かのような書き方をしてしまった当のブログのオーナーが、しっかりその事実を認めたばかりか、それを指摘してくれたブログ(私の?)に対して感謝するコメントを書いていたのには、逆に恐縮してしまいました。一応文筆業の方ですから、「活字になる前に指摘してもらえてよかった」ということなのだそうです。とても謙虚な方なんですね。
 かと思うと、「活字」で堂々と間違った情報を発信している人は後を絶ちません。最新の「レコ芸」では、私も取り上げたベザリーのアルバムを紹介している方が、すごいデタラメを書いていましたね。別に私は「鬼の首」を取りたいわけではなく、間違った情報を平然と垂れ流す「ライター」が許せないだけなのですよ。自戒もこめて。
aventure number : 1973 date : 2012/10/21


今日の禁断 リング

 前回の最後でちょっと触れましたが、今月号の「レコ芸」にはちょっとした「デタラメ」の記事が載っていました。それについて、なぜそんなことを書いていたのか考えてみたら、なんとなく原因が分かったので、ちょっと書いてみますね。前にも書いたように、あくまでこれは私自身の「自戒」のためであって、決してそんな記事を書いたYさんというライターを貶めるものではありません。
 「事実誤認」の個所は、「BISに初演者ルイス・フリオ・トロの録音がある」という部分です。確かにその曲は、ここでベザリーが録音する前に別な人が同じレーベルに録音していたのですが、それは「トロさん」ではなく、マニュエラ・ヴィースラーという人が演奏しているものでした。私は、この、ヴィースラーが録音したCDも持っていたので、すぐ現物を確かめることが出来ましたし、念のため手元にあったBISのカタログでも、それを確認しました。さらに、もしかしてトロさんが別のレーベルに録音していた可能性もあるので、ネットでもそれらしいサイトで確認しましたが、彼は同じ作曲家の別の曲は確かに録音していましたが、この曲のCDはありませんでした。
 ですから、一体どこでYさんはこんなデマを見つけたのかというのが気になるところですが、それは、このベザリーのCDの英文のライナーノーツを読んでみたら分かりました。それは、こんな文章です。
Originally written for Luis Julio Toro in 1987 and recorded for BIS by Manuela Wiesler in 1989
 「もともとは、1987年にルイス・フリオ・トロのために作られ、1989年にマニュエラ・ヴィースラーによってBISに録音された」とはっきり書いてあるのですが、Yさんは「by」以下を読まなかったのですね。それで「もともとは、1987年にルイス・フリオ・トロのために作られ、BISに録音された」という文章だと勘違いしてしまったのでしょう。それをもとに、上記のような原稿が出来上がったのですね。
 例の「45回転」で「活字になる前でよかった」と言っていた方も、結局はブログの書き込みを削除しました。ネットでも紙媒体でも、さらに書き手がプロでもアマチュアでも、その重みは全く変わらないものであることも、認識しなければいけません。もちろん、これは私自身に向けられた決意でもあります。
 この「レコ芸」には、もう一つ注目すべき記事が載っていました。それは、最近発売になった、ショルティが録音した「指環」の新しいリマスター盤についての案内です。そこでは、今回のリマスターに使われたマスターについて、そのボックスに書かれていたことが紹介されているのですが、すでにオリジナルのマスターテープは、使い物にならないほど劣化していたというのですね。ですから、今回のリマスターには、すでにハイレゾでPCMにトランスファーしてあったものを使ったのだ、と。そんな重要なことが載っているのなら、ぜひ手元に置いておきたいじゃないですか。この商品に関しては、いくらブルーレイ・オーディオ版がついていても全く関心はなかったのですが、こうなれば話は別です。さっそく注文したら今日には届いてしまったので、その部分を読んでみました。どうやら、保存状態は完璧だったようなのですね。それでもこれほどまでに劣化してしまうのですから、こういう貴重なものは出来るだけ早いうちにデジタル化、しかも、ビートルズのような24/192ぐらいのハイレゾで保存しておいてもらいたいものです。今回のショルティは24/96だそうですから、ちょっと残念です。
 このボックスには、もっと凄いものも入っていました。それは、ジョン・カルショーが書いた「Ring Resounding」の原本です。こちらで気になっていたことが、やっと解決されることになりました。その結果、予想通り黒田氏の誤訳が確認されました。それこそ、「活字」になったものは、こんな風にいつまで経っても突っ込まれてしまうのですね。
aventure number : 1974 date : 2012/10/23


今日の禁断 カラヤン

 定期演奏会の本番まで、あと1週間とちょっとになってしまいました。そんなわけで、おととい練習をやったばかりなのに、今日も練習、今日は末廣さんが来ます。会場は青年文化センターのシアターホールです。
 平日の、しかもいつもより30分早く合奏がスタートするというきついスケジュールでしたが、メンバーの出足は上々でした。ヴァイオリンのエキストラも増えて、かなりの「大人数」で時間通りに始められたのは、よかったですね。やはり、この時期になれば、みんな万難を排して集まってくるのでしょう。まあ、それがアマチュアの特徴ですから、固いことは言わないで、年に何回もない充実した練習を大いに楽しむことにしましょう。
 しかし、私の場合は、最近はとみに「楽しむ」という状態からは遠のいてしまっています。本番も近いというのに、いまだにソロがちゃんと吹けないところが残ってしまっているのですからね。こんなことは、私のニューフィル生活の中でも初めてのことのような気がします。いつもだと、まあ、ムラはありますがまず最低限のことは出来るようになっていたのに、今回は完璧に吹けたことなど、1度もないというありさまなのですからね。前にも書いていましたが、これはテクニック云々の問題ではなく、殆どメンタルな面にかかっているのですね。もう「できない」ことがクセになってしまっているので、その箇所にさしかかるととてもうまくいくはずがないという思いが顔を出してきて、そのまま討ち死にしてしまうというのが「習慣」になってしまっていたのですね。
 要は、そういう「習慣」をなくすように、「できる」という「習慣」を植え付ければいいはずだ、と思い立った私は、CDを相手に特訓を開始しました。そこで、今までまわりが見えなくて入りのテンポがわけが分からなくなっていたところを、根気強く修正することにしたのです。そうすると、ヴァント指揮のベルリン・フィルの皆さんは、とても熱心に私の練習に付き合ってくれましたよ。何度も何度も、同じところを文句ひとつ言うことなく繰り返し演奏してくれるのです(あたりまえですけどね)。これで、まわりの音にきちんとハマったソロが、なんとか吹けるようになったのではないでしょうか。
 合奏が始まってみると、最近ちょっと固くなっていたアンブッシャーが、楽に吹けるようなポイントに決まるようになっていました。これだったら、ごく自然に吹けるので、なにも考えなくても思った通りの音が出せるような気になってきます。このコンディションを本番まで維持できれば、なんの心配もいらないでしょう。
 最初はワーグナー、それが終わってブルックナーになって、しばらくしたら、急にホールの中が震えだしました。いや、これは地震ですね。なんだかかなり大きそうな感じで、合奏は止まってしまいました。誰かが「この後、横揺れが来るぞ!」などと叫んでいたと思ったら、その通りにかなり強い揺れが襲ってきました。さいわい、天井を見上げても照明が落ちてくるような気配はなかったので、割と落ち着いて揺れが収まるのを待っていられました。
 完全に揺れが止まったところで、末廣さんが「きっと、ブルックナーが(あまり演奏がひどいので)怒ったのでしょう」と言って、続きの合奏は何事もなかったように続くのでした。
 家に帰ってみると、マンションのエレベーターが止まっていました。一応このあたりは震度3だったようですが、もう少し強かったのかも。重い鞄を抱えて、7階まで階段を昇らなければいけませんでした。
aventure number : 1975 date : 2012/10/25


今日の禁断 カルショー

 きのうの「おやぢ」では、極力あたりさわりのないことを書きましたが、今回のショルティの「指環」のニュー・リマスター・ボックスの発売によって明らかになったことは、かなり重大な意味を持つものなのではないでしょうか。それは、CD、さらにはBDがアルバム状に収納されているハードカバーの最後にあったDECCAのプロデューサーの、今回のリマスターについての詳細な記述です。そこには、普通はあまり公にはしないようなかなり具体的なマスタリングの作業の内容が書かれていたのですね。特に注目されたのは、もはや現時点(正確には、もう少し前、2009年の時点ですが、それについてはあとで触れます)では、1950年代から1960年代にかけて録音されたマスターテープは、最高の状態で保存してたにもかかわらず、もはやそこから新たに高音質のデジタル・マスターを作ることは不可能なまでに劣化が進んでいた、ということです。これは大変なことですね。まさに「文化遺産」とも言うべきオリジナルのマスターテープがそんな状態になる前に、しっかりハイレゾのPCM、あるいはDSDにトランスファーして保存しておいてもらいたいものです。
 ですから、今回のリマスタリングに用いられたマスターは、そのマスターテープから今まで何度もトランスファーされたものの中から最良のものと判断された、かつて「ワルキューレ」でアシスタント・エンジニアとして参加していたジェイムズ・ロックが作った1997年のデジタル・テープだったのです。これは、その年にリリースされた「指環」の2度目のリマスタリングCDのマスターとして使われたものですね。
 ロックは当時としては先見の明があって、普通のCDの規格である16bitではなく、24bitでトランスファーを行っていましたから、それは今回のリマスタリングにも充分なだけの「ダイナミック・レンジ」は確保できていました。ここで注意したいのは、この記述の中では「24bit」と書かれているだけで、サンプリング周波数に関してはどこにも具体的な数字は示されていないことです。現代のリマスタリングでは、それは最低でも96kHzでないと、CDはともかくSACDにするためには充分ではないのです。しかし、それが書かれていないということは、ロックのトランスファーでは48kHz、もしかしたらCDと同じ44.1kHzだったのかもしれないのですね。それを裏付けるように、このボックスの「目玉」として華々しく登場した、1枚に「指環」全曲が収まってしまうというBlu-ray Audioには、24bit/48kHzのLPCMデータが入っていたのです。
 まあ、それはそれで、間違いなくCDを超える、かなりマスター・テープに近づいたと思われる音が聴けるので、そんなに問題ではありません。なにしろ、今となっては24/96のマスターを作るのは、もう不可能になっているのですからね。
 しかし、この記述の中では、もう一つ驚くべき事実が暴露されていたのです。マスターテープが使い物にならないと判断された2009年に行われていたことは、「日本の会社」へ向けてのマスター作りだったというのです。その「会社」とははもちろん、その年に世界で初めてこの「指環」のSACDを制作したESOTERICのことですね。つまり、杉本一家さんがSACDへのマスタリングの際に用いたのは、この24bit/48kHzのマスターだったのですよ。もしかしたら、杉本さんの手元には、それがアップコンバートされた24bit/96kHzのものが届いていたのかもしれませんが、大元は24/48であったことには変わりはありません。これは、かなりヤバいことなのではないでしょうか。

 ESOTERICのサイトでは、この「指環」のSACDについて、「今回のリマスタリングは、初のSACDハイブリッド化ということで、これまでのエソテリック企画同様、使用するオリジナル・マスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業が行われました。」とありますよ。これを読めば、誰でも「オリジナル・マスターテープを使用した」と思うじゃないですか。私もずっとそう思っていました。他の事例もあるので、一連のESOTERICのSACDを作る際にはマスターテープなどは使われていないことはうすうす気がついてはいましたが、それを裏付ける証拠がここまではっきりしていたとは。見事に裏切られた思いです。
aventure number : 1976 date : 2012/10/27


今日の禁断 タピオ

 いよいよ今週末はニューフィルの定期演奏会、練習に熱が入ってくるのはもちろんのことですが、チケットの争奪戦も熱を帯びてくる時期でもあります。メンバーは、今こそ追い込みとばかりに各方面に売り込みをかけた結果、自分の持ち分をオーバーしてしまうと、チケットを追加するためにはまたお金を払わなければなりません。そこで、まだそんなに売れていない他のメンバーの残りのチケットを、なんとか確保しようとするのですね。そうなってくると、ギリギリになって「チケットほしいんだけど、まだある?」と言われても、仲間に譲ってしまってもはや手元には1枚も残らなくなってしまう、などという事態も起こりかねないのですよ。そんなことにならないように、ぜひチケットだけはお早目に確保しておきたいものです。私のところにも、今ならまだ都合が付けられますので、どうぞお申し出ください(もちろん、差し上げます)。
 そういえば、日本ではなく中国で演奏会を行っていた日本のオーケストラがありました。なんでも「日中国交正常化40周年」の記念事業として、北京のホールで武満やチャイコフスキーを演奏したのだそうです。行ったのが9月の初めごろなので、全く普通に演奏会は開催されていました。石原のアホや、野田のバカがあんなことをする前でしたから、本当に良かったですね。へたをしたら、演奏会が開けなかっただけではなく、楽器も全部略奪されていたかもしれませんからね。
 その演奏会の模様が、きのうBSで放送されていました。出来たばかりのホールの内装が、「川内萩ホール」によく似ていたのが、非常に印象的でした。

 中国との国交が結ばれたのよりもう少し前のポスターや、その頃の生活が反映された様々なものを集めた「博覧会」が開かれていたので、泉のショッピングモールに行ってきました。

 東京オリンピックのポスターなんかは、昔我が家にもあったのですが、もうどこかへ行ってなくなってしまいました。そんな、昔は普通に誰でも持っていたのに、今ではすっかりなくなってしまって「貴重品」に変わってしまった、というアイテムを集めたのが、この博覧会のメインです。言ってみれば「ガラクタ」を集めただけなのですが、そんなものが今となっては計り知れない価値を持つことになったのですね。

 この他にも、ブリキのおもちゃや、月刊のマンガ雑誌の付録について来たマンガの単行本などもありました。「わちさんぺい」とか、「一峰大二」とか「関谷ひさし」などという名前を懐かしく思える人は、今ではかなり少なくなってきました。それでも、別のところにあった7インチシングルの「ピンクレディー」や「寺尾聰」ぐらいだったら、まだそんなに古くはありません。
 一応タイトルは「20世紀」ですから、いくらなんでも私にとっては実体験が伴わないほどに昔のものもありました。今でも復刻されているビールのポスターなども、もちろん現物が使われた時代にはまだ生まれてはいませんでしたよ。その筆致を見てみると、まだパソコンも、ましてやエアブラシもなかった時代に、よくこんな味が出せたなぁ、と感心してしまいます。いや、「創意」という意味では、この時代のがむしゃらさにはとても惹かれるものがありましたね。
 でも、中には意味不明のものもありますが。よく、こんなものが検閲に引っ掛からなかったものです。
aventure number : 1977 date : 2012/10/29


今日の禁断 パーセント

 この間、家に1人でいたら電話がかかってきました。受話器を取ると、少しの間無言が続いたあとで、その相手は自分の名前も告げずに勝手に話を始めました。こちらが何かを言っても全然聞く耳を持たない感じ、なんと失礼な、と思っているうちに、その声は人がしゃべっているのではなく、合成された音声のような気がしてきました。「あなたの番号を、無作為に抽出しました。衆議院選挙に関するアンケートにお答えください」なんて言ってますよ。そうなんです。これは、あの「電話による輿論調査」だったのですよ。いやぁ、ニュースではそういうものがたびたび登場していますが、現実に私がその「調査」の対象になるなんて、思ってもみませんでしたよ。
 いや、実はそれは正確ではありません。私の場合、絶対にそんなことになるとは思ってはいませんでしたが、もし万が一そういうシチュエーションになった時には、こんなことをやってみたいな、というのは考えてはいたのですよ。今こそ、その千載一遇のチャンスではありませんか。長年の夢をかなえるのは、この時を置いて他にありません。
 ところが、私には一つの誤算がありました。つまり、そういうアンケートの電話があった時には、相手が全く想定していないような答えをしてやろう、と思っていたのですね。「誰が総理大臣になったらいいと思いますか?」と聞かれたら、「佐藤A作です」とかね。「電話アンケート」というぐらいですから、実際にアルバイトの人かなんかが電話口でそういう質問をするものだとばかり思っていたのですよ。ところが実際は、こんな合成音です。おそらく答えも三択かなんかになっていて、該当する番号をプッシュする、というやり方なのでしょう。いくらこっちが面白いことを答えても、それは決してアンケートには反映されることはないのですよ。そのことに気がついて、相手の合成音が質問を始めたのも無視して、私は受話器を置いたのです。
 まったく、アンケートぐらい、きちんと相手に向き合って話を聴いてもらいたいものだとは、思いませんか?実は、私も学生時代は、こんなアンケートのアルバイトをしたことがあります。その時などは、電話すら使わず、ひたすら指定された個人の元を訪れて実際に面と向かって話を聴いたものですよ。その頃は車なんか持ってませんから、辺鄙なところに行くには汽車の時間を調べたり、バス停を降りてもだれも住んでないようなところをとぼとぼ歩いたり、大変な苦労をしたことを覚えています。それを何ですか。今では直接電話をするでもなく、こんな風にすべて機械任せにしているとは。
 こういう調査の結果は、たいてい同じ時期に別々のメディアから発表されるものですが、それらはかなり中身が異なっていることが多いような気がします。こんな杜撰なやり方では、それも納得です。いや、ちゃんと電話をしたところでも、私みたいなへそ曲がりの相手がいたとしたら、もっとひどいことになりかねないかもしれませんがね。
 もう一つよくわからないのが、最近発表になった原発事故の際の避難状況の予測、というやつです。確か、仙台市でも市長が本気になって避難計画を立てようなどと言っていましたが、あれはあくまで原発がフル稼働している時のシミュレーションなのでしょう?つまり、いま停止している原発が再稼働することを前提として話を進めているのですよね。これって、おかしくないですか?いつの間に、そんなことになってしまったのでしょう。というか実際に知りたいのは、廃炉にしていく過程で事故が起こった時にどうなるのか、というシミュレーションなのではないのでしょうか。それとも、あれは、「原発を再稼働すると、これだけ大変なことになりますよ」という警告なのでしょうか。それならよくわかりますが、それだったらあわてて避難計画を立てることもないのではないでしょうかね。
aventure number : 1978 date : 2012/10/31


今日の禁断 ハープ

 いよいよ明日はニューフィルの定期演奏会の本番です。久しぶりの県民会館、どのぐらい久しぶりかと調べてみたら、なんと3年前の50回定期以来だったのですね。そんなに長いことここを使っていなかったなんて。あの時は末廣さんでマーラーの9番をやったんでした。
 でも、前の日はあいにく取ることは出来なかったので、今日は別のところ、青年文化センターのコンサートホールでの前日リハとなりました。実は、この会場は、行く前にとても楽しみなことがありました。まず、実際にホールに入ってみましょう。

 どうです。ステージがすっかり変わってしまいましたね。以前は、こんな感じ。

 ステージの奥に階段があって、なぜか上の方に登って行けるという不思議なデザインのホールだったんですね。オケと合唱が共演する時などは、合唱がよくこの上に乗っていたりしましたが、いまいち馴染まない使い方でした。人数が多いと、階段の上に合唱団が並ぶ、なんてことにもなっていましたから、みっともないったらありゃしない。噂によると、本当はこの上にパイプオルガンを設置する予定だったそうなんですね。確かに、それだったら納得のいく設計です。ところが、ホールは出来ても一向にオルガンを買う予算が工面できず、もう未来永劫そんなものは作れないということになって、それならこんな邪魔なものは壊してしまえ、と、この間中工事が行われていたのですね。これで、このホールもやっと普通のホールらしい外観になりました。

 今まで階段が邪魔になった分、ステージは広くなっています。後だけではなく、前にも少し伸ばしたようですね。山段もこんな感じで広々と使えそう。ただ、ステージいっぱいにまっすぐに設置されているというのが、ちょっと気になります。合唱なんかだとかなり使いずらいのではないでしょうかね。

 リハーサルはワーグナーから始まりました。フルートはしばらく出番がないので、客席からオーケストラを撮ってみました。これも、やっと普通のホールでのオーケストラ、という感じですね。
 これだけステージの形が変わったのですから、当然音も変わっているはずです。客席ではじっくり聴けませんでしたが、なんとなく残響が前ほどびしゃびしゃではなくなったような気がします。ステージでも、隣の奏者の音が前より聴きやすくなったような感じ。ただ、私のソロが、なんだかあんまり飛んでいないような感じだったのは、単に私の調子が悪かっただけなのかもしれませんがね。でも、以前はもっと楽に吹けたような気もするのですが。
 でも、本番は県民会館です。はたして、3年ぶりのあの大ホールで、どんな感じで吹くことが出来るのか、怖いような楽しみなような。
aventure number : 1979 date : 2012/11/2


今日の禁断 エキストラ

 きのうは、ニューフィルの定期演奏会の本番でした。懸案だった4楽章のソロもなんとかなりそうな見込みもつき、久々の大ホールでも演奏会を楽しんできました。
 一番心配だったのは、入場者数でした。なんせこの日は土曜日であると同時に「文化の日」なものですから、すでに他の予定が入っている人が多く、私のまわりでも同じ時間に別のところである合唱の演奏会に行く人やら(これは愚妻)、合唱の練習がいわき市で行われるのと重なっている人とかいたものですから、はたしてどのぐらい入ってもらえるのか心配だったのですね。一応Facebookでも30人ぐらいをご招待したのですが、来てくれると連絡のあった人は4人だけでしたし。
 まあ、でも、じつは4人も来てくれるなんて、全く思っていませんでした。ありがとうございます。でも、せっかく来たのにチケットがなければ何にもなりませんから、しっかり封筒に名前を書いて受付の人にお願いするのを忘れてはいけません。しばらくすると、全部の封筒を机の上に並べたので、そこにもしっかりあることを確認です。私の封筒は、ちょっと色の濃い茶封筒だったのですぐ分かります。
 ゲネプロの通しが終わったところでお弁当を食べたら、今回はロビーコンサートがあるのでそれを聴きに行きます。「サクラ」ですね。ちょうどさっきの置きチケットが見えたのですが、開場の前からもう渡し始めていて、私の封筒はすでに3枚なくなっていました。早々と来てくれたんですね。そのうちの一人は、そのロビコンを聴いていたので、さっそくご挨拶。その他にも、たくさん知り合いに会えました。普段はこの時間はステージ裏にいるので、まず会えないのですよ。

 きのうは本番前にステージのセッティングをしたのですが、椅子を並べてそこに譜面台を置いて行くと、ハープのための譜面台がないことに気づきました。本番になってフルメンバーがそろったら、団にある譜面台では足らないほどのメンバーが集まっていたのですね。実際は97人がステージに乗っていました。そんなにいたんですね。

 ですから、ヴァイオリンはものすごい密度、いつもはスカスカの木管から見て右側には、こんなに人があふれていましたよ。こんな風景が見られるのが本番の日だけ、というのが、ちょっと悲しいところです。

 最初の短い「葬送行進曲」の後で休憩が入ることになっていたのですが、なんか実感がなかったのか、なかなかハケなかったり、ブルックナーの後でもアンコールを期待している人が多かったりとか、いつのも演奏会とはちょっと勝手が違ったところはありましたが、演奏は本当に集中力が最後まで切れない素晴らしいものだったのではないでしょうか。でも、指揮者の末廣さんは、前々回のマーラーの時と同じように、本当に力を出し切って疲れ果てた、という感じで、打ち上げの席に座っておられました。文字通りの熱演でした。

 その末廣さんに、恐る恐る話しかけたら、今日のプログラムをまだもらっていないというので、団長に聞きに行ったら、なんと、プログラムはもうなくなってしまったということでした。いや、その前に今回は「1000部」印刷したという話を聞いて、それでは少ないのではないかという気がしていたのですが、それが現実になっていたのですね。まさに「うれしい誤算」でした。あとで実際の入場者数を聞いたら、903人でした。このところ700台とか、へたをすると600人を割ったなんてありさまでしたから、久しぶりの快挙です。やはり、交通の便の良い県民会館だと、きちんとお客さんは集まるのですね。
 今日になったら、もう演奏会のCDとDVDが出来上がって、自宅に届いてしまいました。実は、私はちょうどフルートが当たる場所に口内炎が出来ていて、ちょっと不本意な出来だったのですが、これを聴いてみるとほとんど分からないぐらいの傷だったので、まずは一安心です。もうあさってからは、今度は「第9」の練習が始まりますから、頭を切り替えて頑張らねば。
aventure number : 1980 date : 2012/11/4

12/11/6-12/12/14