1881(12/4/16)-1900(12/5/26)

今日の禁断 LG

 最近、携帯の調子が悪くなっています。ポケットに入れておいて出してみると、いつの間にか電源が消えてたりするんですよね。そしてきのうのこと、ついにその日がやってきました。モニター全体が真っ青の色に変わってしまったのです。そして上の方には「Gang Image Mode」という、意味不明の不気味な文字が。これには焦りましたね。もう完全にフリーズ状態、どこのボタンを押しても全く反応しなくなっているのですからね。ショップに持って行かないことには、これは治らないのでしょう。
 それにしても、あの異様な言葉が気になりましたから、ネットで検索してみました。そうしたら、やはり、同じメーカーの携帯電話に関してこの言葉が使われている英語のサイトがたくさん出てきましたよ。こんな目に遭ったのは、私だけではなかったのですね。もはやこれは国際的な問題なのでした。その中を読んでみると、なんだか「バッテリーを外して、もう1回押し込んでみろ」みたいなことが書いてありました。そこで、もしやと思い、裏ぶたを開けようと携帯をいじっていると、突然モニターが初期画面に戻ったではありませんか。どうやら、バッテリーが少しずれたかなんかしてたんですね。よかったよかった。やはり、ズボンのポケットに入れて圧力を加えたりするのはあまり良くないのでしょう。気をつけなくては。
 もう一つのモニターは携帯と同じメーカー製。職場の新しいパソコンにつないだ23型ワイドは、あまり大きすぎてかえって使いこなすのが大変です。全画面を使っていると、端から端までマウスを移動させるのが一仕事です。設定で速度を「最速」にしても、一回持ちあげないと届かないこともあります。そもそもこれを買ったのは、ブルーレイ・オーディオのモニターにするためでした。音だけしか入っていないBDですが、設定や曲の選択など、モニターがないとうまくいかないものですから。

 それで、せっかくだからパソコンにも使おうとしたら、あまりにも画面が広すぎて、かえって大変なことになってしまったのですね。しかし、数日使っていると、なにも全画面で使う必要なんかないことに気づきました。ウィンドウを今までと同じぐらいにすれば、別の画面を同時に表示することが出来るのですよね。そんなこと、こういうモニターを使っている人には常識なのかもしれませんが、私は実際に使ってみて、初めてそのことに気づくことになるのでした。これをやってみると、とても快適ですね。住所録と、会費の集計表を一緒に出しておけば、それぞれを比べながら作業を進めることもできますし。「かいほうげん」を作る時も、きっと能率が上がることでしょう。
 ところで、新聞広告で安野光雅の新作絵本が出たというので、さっそくAmazonに注文したら、届いたのがこれです。

 正確には「新作」ではなく、1969年に出版されたものを復刻したものなのですが、なんと表紙以外の挿絵をすべて新しく書き直したのだそうです。確かに、本の中の絵はこの表紙とは全然タッチが違っています。表紙は、安野さんの初期の絵本に見られる細密なものですが、本文は最近の、すっかり力の抜けた水彩画になっています。図らずも、安野さん自身の43年の足跡を、1冊の絵本で実現したようなものですね。
 テキストが井上ひさし、まだ直木賞を取る前ですから、この頃はこんな仕事もしていたんだなあ、という感慨もわいてきます。後に、安野さんと井上さんは本の装丁や、戯曲のポスターなど、数多くのコラボレーションを行うことになるのですが、この頃は顔も知らなかったのだとか。そこで、安野さんは書き直す際に、この絵の中に井上さんへのオマージュを込めました。いろんなところに井上さんみたいなキャラが登場、中には「ひょうたん島」のキャラまで現れますよ。色んな意味で楽しめる絵本です。
aventure number : 1881 date : 2012/4/18


今日の禁断 ヤマハ

 職場で新しく導入したパソコンは、いとも快調に働いてくれています。今まで何台もパソコンを使ってきましたが、そのどれもが、最初から何らかの問題を抱えていたのに、これは今のところ不満らしい不満は全く見当たりません。まあ、最初のうちだけなのでしょうけどね。そんな風に思うのは、やがていろいろ使っているうちに、何かしら欠点が見えてきて、そのうちそれが我慢できないほどいやになってくるという、まさに人間関係にも当てはまるような個性を、それぞれのパソコンは持っていたのでした。
 なんたって、最初に買ったのは富士通製「95」のデスクトップでしたからね。当然ディスプレイはCRT、この頃のマシンはよくフリーズを起こしたり、全く起動出来なくなったりなんともトラブルが多かったものです。そのたびに電話をかけていちいち操作方法を教えてもらうのですが、そういう時のオペレーターさんたちの落ち着いた対応には、いつも感心させらていました。どうやったら、あんなにパソコンのことに詳しくなれるのだろうと本気で尊敬していましたね。
 そのうち、自宅でも使えるようにノートパソコンを買いました。IBMの「98」ですね。その頃には、もう「95」は明らかにガタがきていて、ほとんど使い物にならなくなっていたので、毎日自宅と職場の間をこのIBMが往復していました。そんな無理がたたったのか、ある日突然動かなくなってしまったんですね。パソコンがないことにはサイトの更新もできませんから、あわててヨドバシに行って、その辺にあるのを買ってきたのが、富士通の「XP」でした。これもやはり自宅と職場の両方で使うことになります。
 しかし、そんな「二重生活」は破綻するに決まっています。ですから、そうなる前にと、職場のデスクトップをちゃんとしたものにしておこうと思い、買ったのが日立の「VISTA」、一体型のデスクトップです。職場では依然としてダイヤルアップでネット接続でしたから、探した中で唯一モデムが付いていた機種ですね。これで、晴れてまっとうな生活を送れるはずだと思ったのですが、この「VISTA」がとんでもないアバズレでした。もう最初から動作が不安定なのですね。仕方がないので、最初が肝心とリカバリーをやって、まっさらになってもらおうと思ったのですが、なかなか腐った性根は治りません。DVD再生などは悲惨でした。画面は粗いし、動きもなんだかコマ落ちしているようなぎこちなさなのですからね。3回に1回は起動できませんし。
 その間に、自宅の「XP」もそろそろ危なくなってきたので、DELLの「7」に買い替えます。これは、OSはなかなかすっきりしていたのですが、なんか今一つマシンがピリッとしません。一番の期待はずれはディスプレイ。「ワイド」と言ってますが、単に上下を狭くしただけなので、もう小さいのなんの、今まで使った中では最低のディスプレイです。そして、職場もエプソンの「7」に替えると同時に、23型ワイドのモニターを導入、やっとすべての面で満足できるものに出会えたような気がします。こういうのを「遍歴」って言うんですかね。
 そういえば、自宅のピアノも買い替えていましたね。最初は普通のグランドだったのですが、下に住んでいる住人がちょっと頭のおかしい人で、きちんと時間を決めて弾いているのに狂ったように文句を言い続けていました。とても話して分かるような人間ではないことが分かったので、仕方なくサイレントに買い替えたのですよね。
 そのピアノが、震災の時には、足を乗せていたインシュレーターから飛び出して、部屋の中を走り回ったようなのですね。そして、何度も壁にぶち当たり(比喩ではありません)、とうとう天版の蝶番が2つともちぎれてしまったのですよ。1年経って、きのう、やっと修理の人に来てもらえました。蝶番のまわりの木がはがれてしまったので、接着剤を入れてこんな風に万力で押さえてあります。ピアノは、こうすれば元通りに治るから、いいですよね。パソコンは、一度ダメになったらもうおしまいですからね。
aventure number : 1882 date : 2012/4/20


今日の禁断 ティーレマン

 今週の折り込みチラシの中に、「BIG BOY」のが入っていました。それは、ちょっと衝撃的な内容、なんでも、すべてのメニューにスープとご飯とサラダと、そして「カレー」の食べ放題が付くことになった、というのですよ。今まではセットでご飯+サラダバーみたいに何種類かの選択肢があったのですが、イッキに選択肢なしの全品目食べ放題に方針転換したのですね。これは、どう見ても「ステーキ・ガスト」のパクリでしょう。おそらく、あちらの成功を知って、同じようなことを始める気になったのでしょう。となると、やはりこれが単なるパクリなのか、あるいは真の独創性を持ったものなのかを実地に確かめなければいけません。最近は「食べ放題」はやめにして「腹八分」がポリシーになった私ですが、こういう状況ではやむを得ません。
 お昼ちょっと前に行ったので、すぐ座れましたが、それからしばらくするとどんどん待っている人が増えてきましたから、たしかに評判を聞きつけてやってきた人が多くなっているようでした。そして、「カレー」の鍋の前は、すでにたくさんの人であふれていましたよ。どうやら、お店の目論見はあたったようですね。ただ、「ガスト」の場合はご飯の他にパンもありましたし、デザートのようなものもあったのですが、こちらはカレーとご飯が今までのサラダ・スープバーに加わっただけです。パンを食べたい人はどうするのでしょうね。
 チラシにあった写真では、カレーにはかなりの濃度でお肉が入っていました。

 しかし、予想通り、現物はこんなものでした。まあ、仕方がないでしょうね。チラシみたいな豪華なカレーを出していたのでは、やって行けないでしょうから。こんな「薄い」カレーでも、瞬く間になくなって、新しい鍋と交換していましたからね。

 そう、世の中なんでも同じものがずっとあるはずがありません。こちらはちょっと悲しい写真ですが、1週間ぐらい前に録画したBDを見ていたら、ウィーン・フィルの2番フルートに、なんだか見慣れない人が写っていました。

 しかし、この人は、よく見るとフォーグルマイヤーのような気がしてきました。

 よくよく考えてみたら、これが収録されたのが去年の8月なので、彼はまさに闘病中、抗がん剤の影響で、髪と眉がこんなになっていたのでしょう。何事もないように演奏していましたが、これから半年もしないうちに亡くなってしまったんですね。「記録」というのは、ある意味残酷なものです。
 しかし、何も変わらないものだって、なくはありません。昔の車を変わらずに愛し続けているという人もたくさんいるのですね。そんな人が、自慢の愛車を持ち寄ったイベントが、市役所前広場で行われていました。去年は震災の影響で中止になったのだそうで、2年ぶりの開催ですね。

 私のお気に入りの「メッサーシュミット」の現物があったのには驚きました。前後に並んで座るツーシーター、小さな子供が乗せてもらって喜んでいましたね。私も乗ってみたかったのですが、ちょっと恥ずかしいので遠慮しましたよ。

 あとは、マツダの「オート三輪」です。横にある「実用車」の自転車とペアなのでしょうね。横にお店の名前が書いてありましたから、今でも現役で走っているのでしょう。「ALWAYS」の世界は、まだ健在です。
aventure number : 1883 date : 2012/4/22


今日の禁断 制服

 遅かった桜もやっと咲いて、今仙台は満開の時期を迎えています。私の職場もあちこちできれいに咲いた桜の木を楽しむことが出来ますよ。これは、おそらくもっとも最近植えられた桜の木、この建物が出来た時に一緒に植えたものですが、10年以上経ってだいぶ大きくなりました。この前を車が通るので、もうちょっとしたら枝の先が車に触れてしまうようになってしまうかもしれません。まあ、その時は先の方だけちょっと切って、どこかに活けておきましょうか。

 春の訪れはここだけではなく、池の中でも見られますよ。この間卵だったカエルが、すっかり孵ってこんな小さなオタマジャクシの群れになっています。気持ち悪いかもしれませんが、我慢してください(ピントが水面に合ってしまいました)。

 「梅ちゃん先生」も新学期が始まり、毎日の講義に明け暮れていますね。今日はドイツ語と化学の時間が紹介されていました。教科書がないので、板書したものを書きとるという、まさに学校教育の原点のようなハードな講義の模様には、今の大学では到底見られない真剣さがうかがえますね。しかし、この化学の時間に黒板に書かれた化学反応式は、なんだか私が習ったものとはちょっと違っています。

 黒板を拡大すると

 例えば、2行目は、塩酸を二酸化マンガンに加えて塩素ガスを生成させる化学反応式なのでしょうが、私が習った塩酸は「HCl」でしたし、二酸化マンガンは「MnO2」だったはずです。それと、反応の前と後の間にあるのは「=」ではなく「→」でしたね。おそらく終戦直後のあたりでは、このように書いていたのでしょう。これがいつ頃から今のような反応式に変わったのか、ご存じの方はご教授ください。
 今日はニューフィルの練習、今週の週末には指揮者練習が、本来の指揮者を迎えて行われるので、その前の最後の仕上げです。結局、今回は正規の指揮者との集中練習は1回しかなくなってしまったので、練習時間を少し延長して、みっちりやっていただくことになりました。これは、かなりヘビーなことになるでしょうね。おそらく、私はさらに体重が減るはずです。いや、今日だって、一人アクシデントがあって欠席だったので、全曲1番を吹いたら、さすがに疲れましたね。さっき体重を測ったら、きのうに比べて0.8キロ減ってましたよ。
 その他、すでに次の演奏会へ向けての楽譜とかパート割の話になっています。今度のブルックナーで使う楽譜は末廣さんの指定でハース版なのですが、このスコアがちょっと手に入りにくいので、普通に買えるノヴァーク版に、足らないページを追加して使ってもらうことにしました。それは団長がやってくれたのですが、実はそれだけではなく、細かいところで非常に多くの相違点があるのですね。そんな話をしていたら、つい、「かいほうげんにきちんと載せます」なんて言ってしまいました。いや、実はもうすでに2つのスコアを見比べて、メモだけは作ってあるのですよね。つまり、去年の今頃そんな準備をしていたのですが、結局震災でボツになってしまった企画なのですよ。そのメモを見返してみると、よくもこんな面倒くさいことをやっていたな、と、感慨深いものがあります。まあ、言ってしまったのですから、これはぜひともきちんと仕上げなければなりません。ほんと、面倒くさいったら。
aventure number : 1884 date : 2012/4/24


今日の禁断 山下一史

 当初は、定期演奏会の前になんとか新しい「かいほうげん」を発行したいと思っていたのですが、その時点ではコンテンツに関してはちょっと不安な面もありました。なにも目玉と言えるようなものがなかったのですよね。仕方がないので、ブルックナーの楽譜に関してかなり詳細なレポートを作って、それで紙面を稼ごうと思いました。しかし、その作業を始めてみるとかなり時間がかかりそう、はたして発行日までに間に合うのか、一抹の不安がよぎります。
 ただ、このところ次々と新しい情報が入って来て、そちらの方でかなり紙面を充実出来そうな予感です。いずれも、1年先の定期演奏会のことなのですが、まず会場が決まりました。来年の春ですが、この時期は県民会館が使えないのですよ。改修工事のために1年以上も使えなかったものが、やっと治ったと思ったら、今度はさるカンパニーがロングラン公演を行うために貸し切ってしまったんですって。痛し痒しですね。そうなると、他の公立のホールはかなりの高倍率、案の定どこも取ることはできませんでした。そんな時に頼みになるのが、「萩ホール」です。もともとこのホールが改修されて音楽専用ホールになったのも、ある程度こういう需要を見込んでのことだったのですが、その目論見は見事に当たったことになります。ほんと、このホールがなかったら、ニューフィルは仙台市内では演奏会が開けないところでしたよ。ただ、このホールはなんとも高飛車な貸し方をしているのが気になります。本気でホール事情の改善に貢献したいと思っているのだったら、今のような訳の分からない手続きはあまり好ましいものとは思えないのですがね。正直、今回も、「ほぼ間違いなく借りられるが、確実とは言えない」という、蛇の生殺し状態が結構長く続いていましたからね。公立のホールだったらその日のうちに一発で決まるものを。というか、普通に借りられて交通の便の良い音楽ホールを新しく作るという構想は、もうなくなってしまったのでしょうかね。
 というわけで、会場は萩ホールに決定です。日程が決まったところで指揮者の候補に挙がっていた人と交渉をしたら、第1候補の人がすんなり決まりました。まずは順調な滑り出しですね。この2点だけで、最初のページは完成したも同然です。
 そんなことを、ニューフィルのFacebookページにアップしてみました。写真にコメントを付けてアップするというのが普通のやり方なので、会場が決まった時には萩ホールの内部、そして、指揮者が決まった時には、指揮者の写真を使うのはちょっと抵抗があったので(Facebookに顔写真を載せるのは、なんだかいやなんですよね)、外から見た萩ホールの建物付近の写真を載せました。まあ、まず「萩ホールで演奏会をやることが決まった」というのに続いて、タイムラインにしたがって「そのホールでやる演奏会の指揮者が決まった」という、私の中ではきっちり整合性の取れたアップの仕方だと思っていたのですね。
 しかし、その書き込みに対する反応を見てみると、この「萩ホール」は、我々が思っているほどの認知はされていないのだな、と気づかされてしまいます。つまり、外観とホール内部とでしっかりワンセットだと思っているのは、何回かこのホールを使ったりなにかを聴きに行ったことのあるごく限られた人だけなんですよ。というのは、「外観」の写真に対して、いまだに「記念講堂」と返してきた人がいたからです。たしかに、あの外見は50年以上前に作られた姿と全く同じですから、普通は中身があれほど変わってしまったなんて思いもしないんでしょうね。その「記念講堂」さんは、内部の写真に対して目を丸くして「ずいぶん変わった」と言っていましたからね。
 このホール、最初は全部取り壊して新しいものを作ることも考えていたのでしょうね。しかし、やはり思い出のある建物だから外観だけは残して、ああいう形で改装が行われました。それが果たして良かったことなのか、ちょっと気になるところです。
aventure number : 1885 date : 2012/4/26


今日の禁断 ヤマハ

 いよいよゴールデンウィークに突入ですね。私の場合は普通に暦通りのお休みですから、「9連休」なんてことはありません。休みではない日には、しっかりニューフィルの練習もありますしね。
 まずは、連休に向けて、池のオタマジャクシの観察です。休んでいる間に大きくなってしまったらまずいので、一応まだ小さなうちに写真を撮っておきましょう。

 そのついでに、竹藪をのぞいて今年の筍の具合を見てみます。今年は寒かったので、筍の成長も例年より遅いのでは、と思っていたのですが、予想に反してもうこんな立派なのが出てきていましたよ。

 すっかり嬉しくなって、まわりの落ち葉を少しどかして良く見てみようとしたら、そこには大きなカエルがまだ冬眠から覚めないのか、動かないでいましたね。こいつが、池に卵を産んだのでしょうかね。まわりを見てみると、もう何本も筍が見えてます。去年は殆ど出て来なかったのですが、今年はちゃんと育っているようですね。しかし、せっかく豊作が期待できるというのに、ちょっと嫌なニュースが飛び込んできています。宮城県内で採れた筍が、放射能の規制値を超えているというので出荷できないでいるというのですよ。最初は南部の丸森だけだったのですが、今日になって白石産の筍もダメということになってしまったんですって。ですから、こうなるとうちの筍も、ちょっと食べるのが怖くなってしまいますね。いや、実際はなんでもないとしても、もはや「風評」として「宮城県産の筍はあぶない」ということになってしまいそうですから、ちょっとこれを他の人にあげるというのは気が引けてしまいます。ほんとに、原発というのは困ったものです。まだこんなものの再稼働を考えている人がいるのが、全く信じられません。
 というわけで、連休恒例の「筍掘り大会」は、開催のめども立たないまま、ニューフィルの指揮者練習が始まりました。つまり、今年の春の演奏会は指揮者の都合で5月に開催されることになったので、いつもだったら演奏会はとっくに終わっている連休の、まさに初日に指揮者練習の予定が入ってしまったのですよ。
 なにしろ、この間の指揮練が代役だったので、今回は時間を延長して練習が行われる予定になっています。実際、少しは早く終わるだろうという甘い期待はあっさり裏切られ、今日の練習は予定の9時までびっちり行われました。しかも、チャイコフスキーの第2楽章の最後の木管のコードを、「あしたまでに、きちんと仕上げて来い」という指揮者の命令で、木管セクションは自主的に「居残り」をやっていましたから、ホールを出たのはもう9時半近くでしたよ。そして、明日は朝の9時半から練習開始ですって。いきなりハードな連休の始まりです。

 ところで、今回ヴェルディの曲で使うことになった「チンバッソ」が、この日初めてお披露目になりました。浜松まで奏者のTさんが新幹線で取りに行ったのだそうです。ヤマハのピカピカの試作品、Tさんはすっかりこの楽器に馴染んでいましたね。晴れて、この楽器がステージで見られることになります。まだチケットプレゼントはやっていますから、これを見たい方は、ぜひメールフォームで。
aventure number : 1886 date : 2012/4/28


今日の禁断 夕焼小焼

 「東北復興大合唱祭」というコンサートが行われました。東北6県の合唱団が、全国から寄せられた被災地へ支援のお礼に、「これだけ元気になりました」という意気込みを示すもの、みたいなものなのだ、というのが、そのコンセプトだ、というように聞いていました。そのために、各県合わせて1000人以上の合唱団員が、仙台フィルをバックに一堂に会して演奏を行います。会場は萩ホール、まさかこのステージに1000人も乗るわけはないので、コンサートは4ステージ構成、それぞれに250人ずつを割り振ることになります。それにしてもやはり全員がステージに乗るだけのスペースはありません。それで、乗りきらなかった分はステージの下、客席の前の通路と、このホールの名物、前方のバルコニーで歌うことになりました。
 開演は2時半、チケットは前もって買っておいたのですが、駐車場が開く12時半に行ってみることにしました。そうしたら、無事駐車場には入れたものの、ここが満車になった時に予備で使うはずのホール前の広場が、すでに東北各地から来たたくさんの観光バスで一杯になっているのですよ。早目に来てて良かったですね。

 当日券が100枚だけ発売になるといので、売り場前にはすでに長蛇の列が出来ていました。1時から売り出しを始めたのですが、かろうじて並んでいた人は買えたようですね。1時過ぎに来たらもう売り切れ、実は、開場を待つ列に並んでいたら、当日券目当ての知り合いがやってきたので、「もう売り切れたよ」と教えてあげたら、残念そうに帰って行きましたね。あとは、「いわきから来たんですが、誰かチケット持ってませんか?」ときいてまわっている人もいましたね。ホールに入ってみると、1階席の前の方はすべて「出場者席」となっていましたが、こんなことをしなければ、もう少し「普通の」お客さんも入れられたのに。
 ただ、なにしろこのホールはこれだけの人数をスムースに誘導するにはとても大変、ある程度は客席に入れておかないと、進行がうまくいかなくなってしまうのでしょうね。全員の控室などはありませんから、一旦外に出て別の敷地の講義室かなんかを使っていたのでしょう。その間には道路がありますから、移動も大変だったようです。これで雨でも降ったら目も当てられなかったことでしょう。ほんと、お天気が良くて良かったですね。
 仙台フィルは、8.6.4.4.3という、殆ど室内オケの編成でした。ですから、最初の「蔵王」が始まった時には、まさに250人の大合唱の迫力がもろに伝わってきました(オケ版では、ピアノ版にはない素敵なイントロが付くんですね)。全員が一緒に合わせたのは昨日のリハーサルが初めてだったのでしょうが、声もまとまっていましたし、なによりもとても細かい表現が出来ていましたね。オケが合唱に完全に負けているという、ちょっと珍しいケースでした。全曲やるのだと思ったら、3曲カットされてましたね。オケ版「樹氷林」なんか、聴いてみたかったですね。
 次の「水のいのち」は、殆ど知り合いが参加しているステージでした。私もパリンカを続けていれば出ていたことでしょう。でも、こうして2階席でのんびり聴いている方がずっと楽しいですね。合唱はまさに大人の音楽でしたが、ここではなんだかオケが合唱の邪魔をしているように感じられて仕方がありませんでした。いや、仙台フィルがダメだということではなく、オリジナルのピアノ伴奏のオーケストレーションが、なんだか納得のいかないものだったのですよ。オケの中にピアノが入っていて、それが肝心なところでそのままオリジナルの伴奏を弾くようになっているのですね。これが、ものすごくダサく聴こえてしまいます。アルペジオなどは、それこそハープに弾かせればいいのに、とか、ここでドラはないだろうとか、そんなことばかり考えて、あまり演奏に集中できませんでした。
 ここで、休憩前に「全員合唱」ということになって、山下さんの指揮のもと、「ふるさと」が会場内の全員で歌われました。私は乗り気ではなかったのですが、一応みんなと歌っていると、3番の歌詞の「志をはたして、いつの日にか帰らん」というところになったら、なんだかこみ上げるものがあって歌えなくなってしまいました。そうなんですよ。これは被災地を応援するために歌われるものではなく、被災地の人たちの「怒り」が込められたメッセージなのでは、と、その時気が付きました。帰ろうと思っても金輪際帰ることが出来なくなってしまった「ふるさと」、この歌が、そんな状況を招いてしまった原発に対する怒りでなくてなんなのでしょう。ステージでは、パリンカのボスが涙を拭いていたようなそぶりを。彼はどんな思いで歌っていたのでしょう。
 後半の第3ステージは、高校生などの若い人たちが集まったメンバーでした。ほとんどが暗譜で、小さな曲を4曲歌ったのですが、そこでオケなしのア・カペラで歌われた信長さんの「こころよ うたえ」が、やはり、そんな「被災地」からのメッセージとして重たく迫ってきました。非常に高いレベルの合唱団の集まりが、素直な発声でのびのびと、しかし、決然と歌う言葉には、圧倒されてしまいましたよ。
 最後のステージは、三善晃の「唱歌の四季」を、オーケストラ用に編曲したもの。かなり難易度の高い、ちょっとうるさすぎる伴奏にも惑わされずに、やはり若い人たち中心の合唱は、たしかな命を吹き込んでいましたね。
 そして、やはり「全員合唱」ですが、今度は「上を向いて歩こう」ですって。今までの流れの中でこれが歌われるのは、ちょっと抵抗があります。私には、とてもこんなにあっけらかんと歌うことなど出来ません。ですから、ひたすら打楽器のおねえさんが、軽やかに踊りながらマリンバやシロホンの間を飛び跳ねているのを楽しんでいましたよ。
 そのあとにもう1曲、今度は全日本合唱連盟のボス、浅井先生のアジテーションで、いつの間にか客席から立ち上がって「大地讃頌」を歌わされていました。必然的にスタンディング・オヴェーション、いやあ、盛り上がりましたね。ただ、このフィナーレを、おそらく前半に出場した人たちは味わえなかったのではないでしょうか。せっかくのお祭りだったというのに。
aventure number : 1887 date : 2012/4/30


今日の禁断 セシウム

 結局、今年の「筍、掘りたいかい?」は中止することにしました。まあ、実際にこのあたりの筍の放射能がどのぐらいあるか、なんてことは分からないのですが、現実に県の南部では出荷停止という状況なので、内輪で食べるのは構わないとしても、それをよその人に配ったりするのはちょっと控えておきたいな、という感じです。そんなわけで、今日1本だけ太めのを掘ってきました。今あく抜き中、ちょっと大き過ぎたので、なかなか柔らかくなりません。

 竹やぶのそばには、この間とてもきれいに咲いていたミズバショウの群生地があるのですが、どうなったのかと思ってみてみると・・・

 左がこの前、右が今日の写真です。なんと、葉っぱがこんなに大きくなっていましたよ。まるでキャベツ畑みたいですね。あんなに可憐だったミズバショウがこんな風になってしまうなんて、なんだかがっかりです。誰とは言いませんが、若い時にはかわいかったアイドルが、年を取ってもいつまでもテレビに出て醜態をさらすようなものですね。世の中には知らなかった方が幸せでいられることもあるのですね。
 ところで、前回の「禁断」をブログに転載したところ、アクセスが倍増していました。Googleの検索結果でも、おそらくニュースや主催者関係の記事ではない一般のブログとしては最初ぐらいに出てくるようになっていますね。あの中にはホール内の写真が入っていましたが、開演前にYさんの陰アナで、「著作権の問題がありますので、許可された方以外の写真撮影はお断りします」みたいなコメントがあったものですから、「著作権」まで持ち出されたのではちょっとまずいかな、と、写真は控えておこうと思っていたのです。でも、あんな盛り上がりを見せられてしまっては、「著作権」なんかはこの際問題ではないだろうという気になって、1枚だけ撮ってしまいました。というか、コンサートの趣旨を考えたら、そんなにガチガチに縛り付けるのはあまり良くないのでは、と思うのですがね。なんせ、パリンカのEさんなんかは、朝日新聞の写真をそのまま載せていたぐらいですからね。
 ですから、私も同じ写真をスキャンしてみたのですが、これこそ「著作権」に触れる行為ですのでちょっとアップは差し控えましょう(ばっくなんばあだったらいいかな)。

 この写真は、第2ステージが終わった後の「ふるさと」を歌っている時のものです。ですから、知った顔がたくさん写っています。最後列にいたパリンカのKさんは、本番ではすぐ前に背の高い人がいて、2階席からでも全く見えませんでしたが、この写真ではちょうど斜めから撮っているのでしっかり見えますね。手前のステージ下には、あの「天敵くん」もいますし。
 その「天敵くん」がツイッターでバラしていた三善晃のオペラ、「遠い帆」の再々演も、公式に概要が発表になりましたね。最初はコンサート形式のような噂が飛び交っていたので、それだったら挑戦してみようかな、とも思っていたのですが、蓋を開けてみれば立派なオペラじゃないですか。合唱も1年半前から練習を始めて、半年前からは立ち稽古なんて、大変ですね。もちろん、私はそんなところに参加するほどのうぬぼれ屋ではありません。というか、それこそ「天敵くん」に嘲われそう。
aventure number : 1888 date : 2012/5/2


今日の禁断 レモン

 「梅ちゃん」は、今週に入ったところでコーラを作り始めましたね。友達の旅費を稼ぐためにコーラのコピー商品を作って、お金は入ったものの勉強するヒマのなかった梅子は再試を受けなければならなくなった、という流れでしょうか。コーラを学校に持って行って同じ班の友達に飲ませたら、「これ、作れる」といったのが弥生、さっそく、その根拠となる「化学反応式」を黒板にサラサラと書き出しました。

 これは、前の週に「本職」の化学の先生が黒板に書いた化学反応式とは、あらゆる点で今普通に私たちが教わっている形に近づいているのは、驚異的です。「=」は「→」に変わりましたし、分子式もより見慣れた順序に元素が並ぶようになっていますね。これは、ある意味「師を超えた」と言えるほどのものなのではないでしょうか。そんな、いい加減な大人の言いなりにならず、あくまで真実を追求する医学生の姿を描くというのが、このドラマのテーマなのでしょう。
 ただ、この反応式でも、ちょっと意味不明のところがありますね。これは、「クエン酸」に「重曹(炭酸水素ナトリウム)」を加えると、「クエン酸ナトリウム」と「二酸化炭素」と「水」が出来るという、有名な反応、そこで出た二酸化炭素によって、コーラに必要な「炭酸水」が得られるというものですね。ただ、ここで書かれている「クエン酸」や「クエン酸ナトリウム」の化学式は、単なる「組成式」なものですから、一体どんな反応が行われたかは、ちょっと分かりにくくなっているのですね。終戦直後の「医専」はともかく、今の「大学」だったら、こんな感じに書くことを教わるのではないでしょうか(紙面の都合で、縦に並べてあります)。

 つまり、クエン酸に3つある「カルボキシル基」の一つが反応している、ということですね。
 まあ、こんな些細なことはどうでもいいのでしょうが、そのどうでもいいことが積み重なって行くと、せっかく高視聴率を維持しているドラマだというのに、その根幹がいい加減であるように思われてしまったりしますから、本当はもっときちんと作って行った方がいいのですがね。いや、実際、その「根幹」である台本自体が、なんだかものすごくいい加減なのではないか、と思われるようなことが、すでに何回も出てきていますから、本当はかなりヤバいような気がしているのですが。
 でも、所詮ドラマなんですから、そんな程度の台本だと割り切ってしまえば、そんなに嫌な思いをすることもありません。過度に期待を持つからがっかりするだけのことで、最初からあきらめていれば、なんだって我慢できるものです。
 主演の堀北真希があんまり勉強が出来ないのとは対照的に、WOWOWでやっていたちょっと前の映画「白夜行」での彼女は、勉強は出来るは、人の心は操れるはと、全く非の打ちどころのない悪女を演じていました。「梅子」を見たあとで「雪穂」を見ると、そのあまりの落差の大きさに戸惑ってしまいます。それが女優というものなのでしょう。
 この映画は、劇場で見たのですが、原作とのあまりの違いにも、戸惑ってしまったものでした。その時は具体的なところはチェックしたわけではないのですが、今回改めて読み直してみると、もう全く別の話のように変わっていることが分かりました。なんせ文庫本で800ページ以上の大作ですからすべてのエピソードを盛り込んだらとても2時間では終わらないので、ある程度刈り込む必要はあったのでしょうが、その結果人物の設定まで変わってしまっているのは、ちょっと問題です。ドラマでも映画でも、脚本を書く人には、とんでもない才能が必要なのだ、ということだけはよくわかります。
aventure number : 1889 date : 2012/5/4


今日の禁断 お見合い

 恒例の「『梅ちゃん』名場面集」(いつの間にそんなのが?)です。先週は全科目で再試験を受けなければならなかった梅子の、涙ながらの奮闘ぶりが描かれました。その割にはドイツ語の試験の途中に勝手に外に出て友達にお節介を焼くという、学業をなんと心得ているのか、と言いたくなるような不真面目ぶりでしたが、同じ班の友人のとりなしで事なきを得る、という感動が最後に待っていましたね。その時の、ドイツ語の先生の言葉が、これです。

 ドイツ語の聴きとりなんて、全く自信がありませんが、おそらく「Sie haben, ja, gute Freunde」とでも言っていたのでしょう。念のため、その部分の音声を。
 でも、これを聴くと、なんだか「ズィー・ハーベン・ヤー・グーテ・フロイデ」と言っているように聴こえませんか?「友達」だったら、「フロインデ」ですよね。「フロイデ」なら、「Freude」、有名な「第9」の歌詞ですから、「歓喜の歌」と言っているぐらいですからこれは「歓喜」という意味でしたね。このドイツ語の先生は合唱団員かなんかで(いい声ですね)、つい練習していた「第9」の歌詞が出てきてしまったのだ、とか。
 そんな揚げ足取りばっかりやっているものですから、とうとう警察につかまってしまいました。本当ですよ。きのう夜道を車で走っていたら、後にパトカーがぴったり付いてくるのですね。なんだか、私の後を付けてくるみたいな感じ。ちょっと焦りました。そこで、試しに、普通の車はあまり通らない横道に入ったのですが、やはりそこにもしっかりパトカーが追ってくるではありませんか。と、いきなり、「前の車、左に寄って止まりなさい」と拡声器で呼び掛けてきましたよ。私の前には他の車なんかいませんから、それが私に向けられた警告であることは明らかです。しかし、このパトカーは一体いつから私の後にいたのでしょう。家のまわりに張り込んでいて、私が外に出るのを待ってずっと付けてきたのかもしれませんね。そういえば、私が黄色信号で交差点を通過した時には、パトカーは信号待ちになっていたのですが、いつの間にかまた真後ろにいましたからね。それよりも、その信号で対向車が赤になっているところを突っ込んできたのに、そのパトカーは明らかな信号無視に対しても何の反応も示してはいませんでした。あくまでターゲットは私だったのでしょう。
 私が観念して車を停めると、パトカーから降りてきた警察官は、いきなり私の体をつかむと、腕ずくで車の外に連れ出し・・・すみません、作ってしまいました。その警官は外に立ったまま、「ブレーキランプが切れてますね。すぐ替えてください」ですって。両方とも切れているというのですね。さいわいもう一つ、真ん中にあるのは大丈夫だったので、かろうじてブレーキを踏んでいることは分かるのだ、と。別に反則切符を切られることもなく、「注意」だけで済みましたよ。
 どうせディーラーは連休で休みでしょうから、近所のスタンドで直してもらおうと思いました。ところが、そこではテールランプのケースを外すことが出来なかったのですね。ボルトを外しても、他のところが引っかかっていてどうやっても外れないので、それ以上やると壊れそうだと思い、そこはあきらめて、ディーラーに持って行きました。電話をかけたら、連休でもやっていたのですね。最初から行っていればよかった。
aventure number : 1890 date : 2012/5/6


今日の禁断 清月記

 連休が明けると、もう定期演奏会まで1週間を切ってしまっていました。演奏会に向けての練習は、もうこれ以上やっても仕方がない、というか、いまさら焦ってもどうにもならない、という状況なのですが、まあ私にとっては今までに何度も何度もやってきた演奏会の本番がまた一つ増えるというだけなので、おそらく今回も乗り切ることは出来ることでしょう。
 そういう、演奏上のことではなく、焦っているのが、本番前には出すことにしていた「かいほうげん」のことです。一応、連休の間に今回の目玉、ブルックナーの楽譜の違いについてしっかりまとめておく、つまり、パソコンのデータとして入力を終わらせたいと思っていました。しかし、そんな目標が予定通りに達成できるわけがありません。なんせ、この連休の間は世間は豪雨や竜巻で大変なことになっていましたし、私も車のブレーキランプの交換などという予定外のことが入って、そんなに落ち着いてパソコンの前で過ごす時間なんかほとんどありませんでした。いや、単にやる気が起きなかったのを世間のせいにしているだけなのですがね。
 そこへ来て、連休の最後の日には、私のとてもお世話になった方の訃報が届きました。私の母方の叔母さんなのですが、子供がいなかったので、私のことをいつも心配してくれていました。女子大学の助教授という地位にあった方で、事あるごとに私の力になってくれたのですね。特に、私のフルートの先生を紹介してくれたのは、最大の御恩だと思っています。
 ただ、私がニューフィルに入ったあたりから、ちょっと体調を崩されて、演奏会に誘うような状況ではなくなっていました。フルートに関しては、私の成長をとても楽しみにしてくれていただけに、ニューフィルの中で吹いている姿を実際に見てもらうことが出来なかったのが、とても心残りです。
 今日がお通夜、明日が葬儀という日程になったので、ちょっと「かいほうげん」の作業もかなり窮屈な状態になってしまったのですが、逆にそんな時間の余裕がない時の方が仕事がはかどったりするのですから、面白いものです。今日も、出棺の前に最後の対面をしに行ったりしている間の少し空いた時間で、そのブルックナーのページは殆ど完成してしまいました。こんな風に、無駄のない時間を使えるように仕向けてくれたのも、叔母さんの導きなのかもしれませんね。
 お通夜が終わって練習に向かったら、殆ど休む暇もなく合奏が始まりました。いつもは前に食事をしていくのですが、そんな時間もありませんでしたから、とりあえずパンを買って行って、1曲目のブラームスの後のヴェルディが降り番だったので、あわててかっこみます。そして、最後にはチャイコフスキーを全曲通すことになりました。もう、これからの指揮者練習では全曲の通しなんか出来そうもないので、ここでとにかくやっておこう、ということなのでしょう。始まる前はちょっと身構えてしまったのですが、始まってみるとなんだか段々力が抜けてきて、最後まで殆ど焦らずに吹きとおすことが出来ました。一番の課題だった2楽章の木管のやり取りも、なんだか冷静に音が出せたようで、とても奇麗に流れていたようですし。
 ということで、金曜日には「かいほうげん」の発行、土曜日には演奏会本番と、滞りなく予定が遂行できますように。
aventure number : 1891 date : 2012/5/8


今日の禁断 ゼッフィレッリ

 おとといのお通夜が終われば、次の日はお葬式です。亡くなった叔母さんは私の職場の娘、ご主人の希望もあって、ごく内輪だけのものを、その実家で行うことになっていました。言ってみれば「家庭葬」という感じでしょうか。もちろん、細かい手続きや準備は葬儀屋さんにお願いして、あとは身内である社長が式を執り行う、という形ですね。それは、もちろん普通のお葬式となんら変わることはありません。
 その当日、きのうは午後1時からのお葬式の予定でした。いつもどおりに9時ごろ出勤すると、私の母親(故人の姉)が、「ちょっとお願いしたいことがあるの」と、相談を持ちかけてきました。なんでも、入棺の時に個人が好きだった歌の楽譜などを一緒に納めていたら、ご主人がそこで、「ちょっと、これ、歌ってくれませんか」と言っていたというのですね。女の兄弟がたくさんいて、みんなそれぞれ歌が好きだったので、せっかく集まったのだからやってくれないか、ということらしかったのです。しかし、急なことで、それはちょっと無理でした。それならば、と、お葬式の時に、弔辞代わりにみんなで歌を歌ったらどうか、ということになったのだそうです。なにしろ、叔母さんはみんなで一緒に歌を歌ったりして騒ぐのが大好きな人でしたから、なによりの供養になるのでは、ということですね。もちろん、式を執り行う社長にも異存はありません。というか、なんだか自分も歌いたがっているようでした。そこで、私にもフルートの伴奏で一緒にやってくれないか、という話なのですね。
 私も、実は出来ることなら叔母さんに私のフルートを聴いてもらいたいという気持ちはありましたので、引き受けることにしました。でも、一応楽譜がないと一緒に演奏することはできませんから、とりあえず滝廉太郎の「花」をやることにして、私が楽譜の手配をすることになりました。本当は午前中は「かいほうげん」作りをやっておきたかったのですが、仕方がありません。
 そんな有名な曲ですから、ネットで伴奏も付いた楽譜が見つからないかと調べたのですが、すぐに使えるものはありませんでした。楽譜を買ってくるにも、10時半にならないと店が開きませんし、どうしたものかと昔使った合唱の楽譜のストックを眺めていたら、そこに探していた「花」のフルスコアがあったではありませんか。私の結婚式の時に、それこそ叔母さんたちが歌いたいというので買ったものですね。こんなものがひょっこり出てくるのも、叔母さんのお導き?
 それから、フルートで演奏しやすいように、前奏と歌とをそれぞれ切り取って、1パートの楽譜を作り上げました。前奏や間奏は1オクターブ上げて、歌の部分は実音でユニゾンで吹けば歌いやすいはずです。
 まさかぶっつけ本番というわけにもいかないので、始まる前に1回だけみんなで合わせてみました。みんな、なんだかこれから楽しいことが始まるようなはしゃぎようでしたね。
 でも、「本番」になったら、そうもいきません。やはり遺影を前にすればこみ上げるものがあるのでしょう、叔母さんたちは殆ど声も出せなかったみたいです。さいわい、ご主人の一人が音楽の先生をなさっていた方で、歌をリードしてくださったのでちゃんと最後まで歌えたようです。私も、なんせこんなシチュエーションは初めてですから、ちょっと間違えたりしましたが、全体の流れはきちんとつかめて、しっかりみんなのサポートは出来たはずです。
 そのあと、導師の席に座っていた社長が、そのままの格好で、「シェークスピアの研究」をしていた叔母さんのためにと、ニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」を、無伴奏で歌いだしましたよ。本当は、これも私に伴奏をしてくれないかと頼まれていたのですが、楽譜がないところで吹く自信はなかったので、断っていました。社長は、英語でフルコーラス歌いきっていました。最後に「ありがとう、さよならセッちゃん(叔母さんの愛称)」と言って終わった時には、私のそばの親戚はみんな泣いていましたね。
 さようなら、セッちゃん。
aventure number : 1892 date : 2012/5/10


今日の禁断 カントリーキッチン

 おととい、定期演奏会の前の日あたりから、急に喉がむずむずしてきて、咳が出るようになってきました。最近は風邪らしい風邪もひいていなかったのでこんな感覚は久しぶりなのですが、私にとってはこれは喉風邪の末期的な症状です。普通は、その前に軟口蓋がひりひりしてきて、しばらくするとこんな症状になっているはずなのに、いきなりそれが襲ってきましたよ。もし、合唱をやっていたら、こんな状態ではとても歌えません。さいわい、長い経験で、フルートは吹けることはわかっているので、そんなに心配はしませんでしたがね。
 しかし、その日のリハーサルは、なんとも辛いことになってしまいました。楽器を吹くこと自体は何の問題もないのですが、たまに「むずむず」がエクスタシーを迎えて、どうにもコントロール出来ないようになってしまうのですね。咳をしてしまえば収まるのですが、それは他の人がきくとものすごく辛そうに聴こえる激しいもののようなのですよ。1回やってみたら、隣の人が真顔で「大丈夫ですか?」と聞いてきましたからね。いや、正直、決して大丈夫ではありませんでした。なんとか喉のかゆみを抑えるために唾を飲み込んだり、ほんの軽い咳をしてみたりして、決して吹いている間にはそれが襲って来ないように管理しておかなければなりません。
 あと、困るのは、急激にブレスをすると、冷たい空気が喉にあたって、それで一気に爆発してしまうことがあるのですね。そういう危険は何度も訪れました。ですから、極力息は鼻から吸うようにしていました。それで足りなさそうな時は、ちょっと早めに吸い始めて、少し温まった息が喉に届くような配慮です。そういうことをやっていれば、演奏自体はいつもと全く変わりなく出来ました。「ナブッコ」の5小節続くトリルも、楽勝です。ここは、最初は循環呼吸を使おうかと思っていたのですが、頑張って一息で吹けるようにしておいて幸いでした。こんな状態では循環呼吸なんてうまくいきっこありません。
 全曲を通してしまったそのリハーサルが終わったら、もうグッタリです。こんなに神経を使いながら吹いていて、はたして本番は大丈夫なのでしょうか。まずは、少しでも喉の具合を改善させるために、葛根湯を飲んで早めに寝ることにしましょう。
 そして、昨日の本番です。いくらか咳は軽くなって、これだったらそんなに辛く聞こえることはないだろうと一安心です。ゲネプロはなんと2時間半みっちりと通しをやりました。そして、本番の通し。全く問題なくそれらをこなすことは出来たものの、それが終わったら、今度はかゆかった喉が、しっかり痛み出しましたよ。もう水を飲んでも痛いのですから、やはりこんな長丁場は、喉にかなりのダメージを与えていたのですね。
 しかし、時任さんの本番は素晴らしいものでした。最後のチャイコフスキーが始まる時に、客電が落ちてなかったので、時任さんは袖にサインを送ったりしてちょっと場が白けたりしたのですが、やっと落ちた時点で、もう1度客席に向かってお辞儀をしたものですから、すっかり空気が和みましたね。練習をやっている時から予感はあったのですが、時任さんは指揮をしながらどんどんこちらにアイディアを送りこんできます。「ナブッコ」では高音のAから始まる三連符が何回も出てくるのですが、そこでは練習では見せなかったようなとびっきりの表情としぐさで、的確にイメージを伝えてきました。一瞬時任さんと目があった時に満足しているように感じられたのがすごくうれしかったですね。
 打ち上げは、国分町です。いつものように、少し早めに萩ホールを出て、車を北仙台に置いて、地下鉄でそのお店に行くと、もうみんなは集まっていましたが中には入れないで階段の途中で待っていました。貸し切りなのですが、準備が出来ていなかったのでしょう。中に入ってみると、ちょうどいい具合に全員が入れるなかなか快適な空間でした。それよりも、まずわれわれの席にウーロン茶のピッチャーを置いてくれたのには感激です。どうして、私が飲めないって分かったのでしょう。店員さんはたくさんいて、しょっちゅう食事を持ってきたり飲み物のお代りを持ってきます。私のところにも「ピッチャーお代りは?」と来たので、ウーロン茶ではなくジュース系のピッチャーはないのか聞いてみたら、即座に持ってきてくれましたよ。

 調子に乗って、ジンジャーエールのピッチャーを頼んでみたら、それも持ってきてくれたのですから、すごいですね。ソフトドリンク愛好家には夢のようなお店でした。
 今回が久しぶりの復帰となったヴィオラのNさんは、「宴会部長」全開。なんと、時任さんまでこんな宴会グッズで遊ばれてしまいましたよ。もっと激しい写真は、いずれNさんから送られてくることでしょう。嫌がりもせずそれに乗った時任さんも、大好きです。

 しかし、私の喉はもう限界でした。1次会で切り上げて家へ帰ってきたら、もう12時は過ぎていましたが、とてもそれから何かしようとう気にはなれなかったので、昨日の「禁断」はお休みさせていただきましたよ。
aventure number : 1893 date : 2012/5/13


今日の禁断 レーザー

 喉の調子は、相変わらず良くありません。今日などは、久しぶりに広末涼子似のコーラの営業が来たのですが、こちらが声を出すなり「いったい、どうなさったんですか?」と心配されてしまいましたよ。よくよく見てみると、あんまり広末には似てませんでしたね。この分では、Nさんに頼まれた「最重要事項」も、なかなか手がつけられません。
 今回は、演奏はなかなかの手ごたえがあったのですが、入場者数がイマイチだったことで、ちょっとショックを受けてしまったことも回復が長引く原因だったのかもしれませんね。なんせ「630」人なんて、ニューフィル史上最低の入場者数ではないでしょうか。と、その時は思っていたのですが、今までのデータを見てみるとこれは完全に想定内の数字だったことが分かります。まずは、最近の実績をご覧ください。
第54回定期(時任)  630人(萩ホール)
第53回定期(末廣)  701人(国際センター)
第52回定期(橘 )  705人(萩ホール)
第51回定期(田中)  744人(萩ホール)
第50回定期(末廣)  998人(県民会館)
第49回定期(橘 ) 1210人(県民会館)
第48回定期(新田)  566人(多賀城)
第47回定期(保科)  922人(県民会館)
第46回定期(茂木)  927人(県民会館)
 つまり、今回は決して「最低」ではなかったのですよ。多賀城文化センターでやった時に566人という、文字通り「史上最低」があったのですね。そして、なぜこんなに少なかったのかも、すぐ分かりますね。あまりに遠すぎて、はるばる多賀城までやってくる人なんかいなかったのですよ。
 それを頭に入れてこの数字を眺めると、見事に会場と入場者数の間に相関関係があることが分かりませんか?そう、萩ホールは県民会館に比べると、極端に集客が悪いのですよ。やはり、なによりのネックは交通手段でしょうね。車を持っていない人にとっては、これほど行きにくいホールもありません。いや、車があっても、確実に駐車できるという保証はないのですから、「そこまでして行くこともないな」と思ってしまう人も多いはずです。現に私の愚妻も、「萩ホールだったら、行かないよ」と、だいぶ前からダメを出していましたからね。ちゃんと来てくれた私の母親にしても、帰りのタクシーを捕まえるのにはかなり苦労したようですし。
 ですから、今回の「630人」というのは、たしかに少なめではありますが、決してわれわれの努力が足らなかったわけではないのではないでしょうか。現に、演奏会前の売り上げ調査では、700人は超えていたはずですし、当日券は30枚ぐらい売れたのですから、チケットを持っていても来なかった人が100人いたということにはなりませんか?それほどまでに、このホールはお客さんにも、そして利用者にも嫌われているのですよ。
 それについて、今回とても嫌な思いをしました。事務室の前の机が置いてあるスペースで、まだホールが開かないので待っていると、館長なんでしょうか、事務長なんでしょうか、初老の男がウロウロしていて、何やら「タバコを吸うな」とか我々に話しかけます。そのしゃべり方がなんとも横柄なのですよね。明らかに「ホールを使わせてやっている」という態度、我々はお金を払って借りている「お客様」だという意識がまるでありません。その横柄さは、その場所でお弁当を食べて、少し机を動かしていたので、それを直そうとした時に、さらにはっきり現れました。位置を合わせるために、ほんの少し机を滑らせたら、なんとその男は「タレカしねーで、ちゃんと持ちあげろ」と叫んだではありませんか。一瞬、自分の耳を疑いましたね。「タレカ」というのは、このあたりの方言で「怠け者」という意味ですが、そのニュアンスとしてはかなり相手を卑下しているような気持がこめられています。なんでお前にそこまで言われなければならないの、とキレそうになりましたが、ぐっとこらえてその場は引きさがりました。たしか、私の学生時代などは、このホールを借りに行く時には、必ず一升瓶を持って行かなければならない、という「不文律」があったはずです。そんな体質がまだ残っているのですから、言うだけ無駄だと思ったのです。
 このホールが出来た時の内覧会では、このホールが目指す壮大なビジョンが語られていました。たしか、まわりの広場を使っての「日本のタングルウッド」を目指したい、などと熱く語っていた方もいたはずです。そんな構想をぶち上げる前に、こういう愚かな職員の意識改革が、まず絶対に必要です。
aventure number : 1894 date : 2012/5/14


今日の禁断 萩ホール

 ずっと風邪気味の体調だったものが、ようやく回復の兆しをみせつつあります。今までも風邪をひいた時には治療をしてもまず1週間は回復までには時間がかかっていましたから、やはりこれは立派な「風邪」だったのでしょう。あまり好きではないので、日ごろ体温を測ったりはしないのですが、おそらく微熱が続いていたのも間違いありません。これは、別に体温計がなくても分かります。私の場合、熱があるとヘンな夢を見て眠れなくなってしまうのですね。普通の夢はまず理解できるのでじっくり眠れるのですが、この場合はとても不条理なことが起こっていて、自分がいったいどこにいるの変わらなくなる、という、非常にコワいものなんですよ。私の体が、建物の一部になっているとかね。それが夢だというのが最後まで分からないものですから、疲れるのなんのって。
 それが、だんだん普通の夢に変わって行くのが、熱が下がってきた証拠なんですね。もうゆうべあたりはぐっすり眠れましたよ。あと2、3日あまり根を詰めるような仕事をやらないようにすれば、ちゃんと治ることでしょう。でも、ゆうべは割と楽だったので、Nさんに頼まれたものの「下準備」ということで、大量に預かった「素材」の「下ごしらえ」をやってみました。まず、大きさをきちんと揃えておかないと、作業が進まないのですね。でも、それが50枚近くもあることも分かったので、さらにどのように整理するか、ということを考えなければいけません。なかなか手間のかかるものなのですよ。
 そうやって快方に向かっているところに、突然不愉快なものが飛び込んできました。いえ、これは私の責任なのですが、前に予定していたものの、結局断念した「ロ短調ミサ」の練習予定が、携帯のカレンダーに書き込んでおいたものを全部削除したと思っていたらまだ残っていて、それが昨日表示されていたのですね。この日はニューフィルの練習はありませんから、そちらに行けるな、と思いながら書き込んでいた記憶があります。そして、削除する時には、火曜日は全く念頭になくて、木曜日と週末だけを見ていたので、こんな風に残ってしまったのでしょう。私はそんな経験がないので分かりませんが、きっぱりと分かれたと思っていたモトカノが、忘れた頃に未練たらしくメールを寄こした、みたいな感じでしょうか。ですから、これは100%私のミスだったにもかかわらず、なんだか少し腹立たしくなってきましたね。実は、この合唱に「賛助出演」を決めた時には、「参加費」というのを払わされました。1万円ですね。それを途中で辞めたのですから、それをパートリーダーに言った時には、「お返しします」と言われたのですよ。それが普通の感覚ですよね。なんたって、辞めた原因は団員の不始末なんですからね。でも、私はそれまで勉強もさせてもらったことだし、なによりも、その愚かな団員よりもまともな人間であることを示したかったので、返却はお断りしました。まあ、それだけではなく、もしかしたらチケットでも送ってくれるのではないか、という甘い期待もあったんですがね。でも、もうチケットは発売になっているのに、届く気配はありません。結局、そんなことを考えていたことがアホらしくなって、よけい腹が立ったのですよ。これでは、「天敵くん」と同じレベルの人間です。
 そう言えば、今月から来月にかけて、合唱団の演奏会が目白押しです。今月の27日にはヘンデルの「メサイア」のモーツァルト版、来月の9日には私が昔入っていた合唱団が、仙台の作曲家などの作品を演奏するのですが、そのうちの1曲が私も「初演」に参加した曲、さらに24日にはちょっと前まで入っていた合唱団の演奏会です。これは、「日本一の男声合唱団」とのジョイント・コンサートにもなっていますし、委嘱作品の初演というすごいプログラムもあります。みんな行ってみたいコンサートばかりですね。7月には「ロ短調」ですし(え、行くの?)
 ところで、「メサイア」の3000円のチケット(自由席)が1枚余ってます。1500円でお譲りしますので、ご希望の方は私まで。
aventure number : 1895 date : 2012/5/16


今日の禁断 ダイソー

 定期演奏会の録音や映像は、いつもの通り、すでに本番の次の日には私の手元に届いていました。日曜日の夜に、「1階のポストに投函しました」というWさんからのメールがあったのですが、あの頃はそれから部屋の外へ出るような元気はなかったので、次の日の朝に取り出して、職場に行ってすぐ見てみました。なんと言っても、私がチェックしたのは、思いっきり喉の心配ばかりして吹いていましたから、何かおかしなことをやっていなかったか、ということです。本番の時には夢中で気がつかなかったけれど、実はとんでもない吹き間違いをしていたとか、ないとも限りませんからね。
 しかし、演奏に関しては、特にそのような不調さに原因があるようなトラブルは見つからなかったので、まずは一安心です。ああいう最悪のコンディションでも、きちんとお客さんに聴いてもらえるだけのものは保証できるようになっていたのですね。しかし、本番の時にはごく軽い感じで咳払いをやっていたのですが、それが意外とでっかく聴こえるものだったのには、ちょっと驚きました。時任さんが「花のワルツのように」とおっしゃっていた、1楽章の木管のアンサンブルの部分が終わったところで、用心のためにとした咳が、結構はっきり聴こえるのですよ。やはり、もっとやかましいところでやっておくべきでしたね。まあ、これは本人だから気が付くのであって、他の人が見てもそんなには気にならないだろうと思うことにしましょう。
 このDVDを見たのが月曜日、実は、チャイコフスキー全曲を見ただけで、なんかまた熱っぽくなってしまったのですが、きのうあたりからやっとなんでも出来るぐらいの体調に戻ってきました。そこで、懸案の「禁断の写真館」に本格的に取り組むことにしましたよ。なんせ、写真の数がたくさんですから、全体像をつかむのがちょっと大変、まずは、真ん中に時任さんを置いて、その周りを出来るだけ女性で囲む、というあたりから始めてみました。そうやっているうちに、だんだん升目が埋まって行きます。今回は、今までで最大の4×6という升目を作って、そこに写真をはめ込むことにしていたのですね。そうすれば、全部で48枚の写真を収めることが出来ます。つまり、それぞれの升目に写真は2枚ずつ配置、カーソルを乗せると下になっていた写真が見えるようになる、という、「ロールオーバー」を使ってのアルバム作成です。
 写真を撮ったNさんは、そんな事を想定しながら撮っていたわけではないのでしょうが、こうやって並べていると、その「ロールオーバー」の効果が見事に表れるものがたくさんあるのには、感心してしまいます。1つの写真を「ON/OFF」するだけで、なんだか物語が見えてきそうなものまであったのではないでしょうか。さすがは宴会部長です。
 あとは、カーソルの操作で、まるで動画みたいに見えるものありましたね。左上の隅にあるカクバリくんの写真なんか、まさにそんな感じ。殆ど3Dみたいに感じられる写真を、楽しんでみてください。時任さんの場合は1枚しかなかったので、別のものとのペアになっています。なんだか意味深ですよ。
 ロールオーバーが、ブラウザによって見えないことがあるのは分かっていたので、一応どのブラウザでも対応できるようにスクリプトを書き直してありますから、まず間違いなく動作出来るはずです。ただ、このページはきっちり認証をかけてパスワードがないと見られないようにしてあるのですが、なぜかGoogle Chromeではエラーが出てしまいます。IEやFirefoxでは大丈夫なのに。しかも、他のところで同じような認証をかけているのは、Chromeでもちゃんと通っていたのですがね。
aventure number : 1896 date : 2012/5/18


今日の禁断 いたがき

 仙台駅の東口にあるヨドバシの新店舗が、先日オープンしました。今までの2階建てのプレハブみたいな建物の道路を挟んで向かい側に作っていた8階建てぐらいの大きなビルが、その建物です。すでに、そのビルの3階部分に直接入ることが出来るエスカレーターが設置されていて、駅からまっすぐ行けるようになっているのは分かっていましたから、なんとも優遇されたお店だな、という気はしていましたね。たかが家電店1件のためにこんな大規模な工事を行ってしまうのですからね。なんたって、こんだけ大きな建物ですから、それこそ秋葉原駅前にあるヨドバシみたいに、ビルが丸ごと全部お店という広いのが出来てしまうのだったら、そのぐらいの配慮は当然かな、とも思ったのですがね。
 しかし、開店が近づいてくると、その新しいお店はなんとそのビルの1階から3階部分までしか使わない、というニュースが流れてきましたよ。なあ~んだ、と、軽く失望させられてしまいます。それだったら今のお店とそんなに変わらないじゃないですか。
 ですから、先月末に開店した時も、そんなに熱くなって行ってみるような気には全然なりませんでした。きのうはたまたま時間があったので、そろそろお客さんも落ち着いて来た頃だろうと、行ってみることにしただけですし。
 まずは、駐車場です。今まで使っていたものはそのまま同じように使えますが、ちょっと遠くなるので、新しい場所にも出来ているようでしたので、まずはそれを目指してみましょう。確かに、裏から回ってみるとすぐ隣に大きな駐車場のビルが建っていましたね。土曜の午後だというのに、誰も並んでいませんでしたよ。そこは、直接お店の中には入れずに、一旦1階まで下りて、1階の入り口から入ります。入った感じは秋葉原のような広々とした感じでした。通路の幅が、今までの店よりかなり広くなっていますね。要は、扱っている商品はそのままで、少し広くなった分、通路のようなスペースが広くなった、ということなのでしょうね。なぜか自転車なんかも売ってましたね。オーディオ・コーナーに行ってみても、置いてあるものは殆ど変わっていないようでしたし。
 それから、仙台駅の方に行ってみようと、さっきのエスカレーターに乗ってみたら、ものすごい暑さでした。雨よけのアクリルの覆いがかかっているので、まるで温室、きのうはカンカン照りでしたから、もううだるような暑さですよ。ちょっとこれは辛いかも。
 でも、これが最終的な形ではなく、前の店の跡地にさらに大きなお店が出来る予定なのだそうですから、まだまだ楽しみは残っているということです。
 それにしても、このところの東口の変わりようといったら、ちょっとすごいですね。ほんの1ヶ月ぐらい来なかった間に、X橋からの道がものすごく広い道路に変わっていました。今までは、確かに広かった道路を、あちこちふさいで通れなくしていたものが、一気に全部の姿が現れたものですから、全く別の風景になっていました。かつて「二十人町」とか「鉄砲町」とか呼ばれていた街並みが、すっかり整備されて1本の大きな道路に変わってしまったのですね。そう言えば、昔そんな細い道に面してお店があった果物屋さんが、その広い道路の交差点で、小粋なカフェみたいなお店にかわっていましたね。

 今日は、アエルの北側に伸びている、ペデストリアン・デッキの端っこまで歩いて行ってみました。ちょうどそこはX橋を真正面から見ることが出来るのですが、すぐ横には新しい橋の橋脚のようなものが出来ていましたね。これが出来ると、さっきの広い道路が、広瀬通りとそのままつながってしまうことになるのでしょう。その時には、名実ともに「X橋」が姿を消すことになります。
aventure number : 1897 date : 2012/5/20


今日の禁断 ワーグナー

 この間お正月を迎えたと思ったら、もう殆ど1年の半分が経ってしまっていたのですね。私の職場は年の前半には大きな行事が何もないのでついついのんびりしてしまうのですが、気が付いたらいつの間にか今年最初の大きな催し物の準備をしなければいけない時期になっていたのですね。これが終わると、夏にかけてしばらく忙しいのが続くようになります。そろそろ、「冬眠」から醒めないことには。
 とは言っても、毎年のことですから仕事自体はほぼルーティンとなっています。前の年のデータを引っ張り出して今年のためのものを作ればいいだけのことなのですがね。その他にも、手土産のようなものも用意してありますので、それらをそれぞれ紙袋に入れておく、というのがまず大切な準備になってきます。その「手土産」は、毎回同じ業者に発注、というか、そんな時期が近付くとあちらから営業にやって来て、必要な分の注文を取って行くのですね。今回もそんな感じで頼んであったものが、昨日ぐらいにはこちらに届いているはずでした。まあ、そうやって物さえ揃えば、私の袋詰めの作業も始めなければなりません。
 ただ、もう着いているはずのものがまだ来ないのは、ちょっと怠けているな、という感じ、一応催促の連絡を入れておかなければ、なにかあった時に困ってしまいます。そこで、社長がそんな連絡を取ってみると、何だか様子が変だ、というのですよ。知らされてあったケイタイに電話しても、「現在、この電話はつかわれておりません」というメッセージが流れるだけ、会社があったはずのビルの大家さんに連絡をすると、だいぶ前に引っ越した、というのだそうなのですよ。つまり、この会社はいつの間にか倒産していたのですね。いくら待っても、頼んだものが届くわけはありません。長年の付き合いなので、代金は前金で払っていたんですって。いやあ、まさに「なにか」が起こってしまっていたのですね。
 まあ、つぶれてしまったものは仕方がありません。それよりも、早目に気が付いたので他の手を打てるだけの日にち的な余裕があったのは幸いでした。さっそく、他の業者に連絡して、行事に間に合うように納品できるようにはなったはずです。「なかなか来ないね」なんて言いながら、当日になっていた、なんてことになったらどうしようもありませんからね。まあ、いろんなことがあるものです。
 このところ、気に入ってずっと飲んでいたウィルキンソンの辛口のジンジャエールのPETバージョンは、いつの間にか店頭から姿を消していました。これは別に製造元が倒産したのではないのですが、やはり一過性の季節商品だったのでしょうか。と思ってAmazonなんかを見てみたら、しっかり箱入りの24本入りが売られているではありませんか。スーパーになければ、こんなんで買うしかありません。これだったら、もうしばらくは売っているのでしょうね。

 ニューフィルの方は、演奏会が終わって今度は新しい曲にリセットしなければなりません。今度の曲はブルックナーの8番という大曲ですから、しっかり下準備をやっておきたかったのですが、なかなか喉の調子が元に戻らなくて、予定していた譜読みがほとんどできませんでした。それでも、1楽章あたりはなんとか大過なく通すことが出来ましたが、4楽章ともなると、殆ど初見状態だったので、もう完全にテンパってしまいましたよ。これから半年、だんだんこなれてくることでしょう。こんな珍しい楽器も加わっていますし。
aventure number : 1898 date : 2012/5/22


今日の禁断 武道館

 きのうのGoogleの検索画面に、なんか「ミニモーグ」みたいなアイコンが出てましたね。なにかの記念日によくこういうのが出るんですね。クリスマスとか。

 これは、なんでも「ロバート・モーグ生誕78年記念」というものなのだそうです。きのうはモーグの誕生日だったんですね。こんなマニアックなものが全世界で一斉に登場するのですから、「モーグ」もずいぶん有名になったものです。最初は気がつかなかったのですが、パネルにあるつまみが「GOOG」になっているんですよね。残りの「LE」はMTRにつながっているケーブルです。
 これはすごいことに、キーボードをクリックするとちゃんと音が出るんですよね。それがまさに、ミニモーグの音なのですから、たまりません。さらに、パネルのつまみは飾りではなく、ちゃんとオシレーター(VCO)やフィルター(VCF)の設定が出来るようになっているのですね。いまいちやり方が分かりませんでしたが、ちょっと動かすと見事に音が変わりましたよ。そしてそして、右側にある4チャンネルのMTRもちゃんと機能しているものなのでした。チャンネルごとに自分が打ち込んだ音をレコーディング出来るうえに、オーバーダビングまで出来るという優れものだったのです。もちろん、そこまで完璧に使いこなすスキルは、私にはありませんでしたが。
 私にできることと言ったら、伸びすぎた竹やぶの筍を処分するぐらいのことです。実は、今年は例年の筍掘りつくしプロジェクトが原発事故の風評被害のために中止になったものですから、心がけて伸びすぎないように掘っておこうと思っていたら、ついに無理がたたってとてもそんな重労働が出来ないようなコンディションになってしまいました。やっと今日あたり、体調が普通に戻ったので、遅きに失した感はありますが、とりあえず竹やぶに様子を見に行ったのですよ。しかし、予想通りもはや手遅れの状態、いまさら掘ってもどうしようもないほどに、竹は伸び切っていました。まあ、それでも少しは掘れるのもあったのでそれを掘って、前に掘って転がしておいたものを、まとめてゴミ箱に運ぶ、という作業で汗を流すことになりました。来年は、みんなで掘れるようになっていればいいのですがね。
 なんでも、山菜などは今年は全然売れなくなっているそうですね。一応検査もしているのに、やはり「風評」というのは理屈ではなかなか解消は難しいのでしょう。なんせ、被災地の瓦礫の処理も、そんな「風評」が怖くて、なかなか引き受け先が出て来ないのでしょうからね。でも、北九州みたいに、すでに問題はないことが分かっている瓦礫を「試験的」に処分するというだけで、あんなヒステリックな反対運動が起こるのを見ていると、なんとも悲しくなってしまいます。「絆」なんて言葉が、とても空しく思えてしまいませんか?
 でも、本当は「絆」ほど美しいものはないことを、最近知りました。本屋さんに行ったら、許光俊の最新刊があったので立ち読みしていたら(この人の本を買って読むことはありません)、5年ほど前に書かれた文章があって、「和解」とか「人見先生」といった言葉が目に入りました。「人見先生」というのは、元「ザ・タイガース」のメンバー、「瞳みのる」のことです。なんでも、許さんが高校の時の漢文の先生が、「瞳=人見先生」だったというのです。タイガースが解散と同時に芸能界を去って、漢文の教師として生活していた頃の、なんか暗〜い人見先生のことが書かれていました。それが、最近昔の仲間と「和解」したようだ、というようなことを書いていたのですね。
 実際に、それからしばらく経って、人見さんはタイガースのメンバーとして41年ぶりにステージに立ちました。その様子をBSで放送したものの録画を、やっと見られたのですが、それはとても感動的な映像でした。昔何があったのかは、私には分かりませんが、ドラムを叩いている人見=瞳=ピーは、とても楽しそうでした。別にタイガースのファンというわけではなかったのですが、1度だけ見た映画でのピーと全く変わらない人見さんの姿がそこに合ったのに、ちょっとウルウルしてしまったのですよ。人間って、いくつになっても変わらない面があるんだな、というのと、きっかけさえあれば変わることもできるんだな、という思いです。
aventure number : 1899 date : 2012/5/24


今日の禁断 今治市

 私の父は愛媛県の八幡浜市の出身、今でも生家はちゃんと残っていて、妹さんが守っています。もちろん、私も何度か八幡浜には行ったことがあります。実は新婚旅行も八幡浜を中心にして四国を巡る、というものでした。当然、近くの松山市にも行ったことはあります。市電が走るのどかな街でしたね。四国とか愛媛県というのは、私にとっては心のふるさとです。
 そんな松山市の山間部にある日浦小学校というところが、父兄の反対にあって北九州市への修学旅行を取りやめた、という事件は、ですから、私自身が裏切られたみたいで、もう恥かしくてたまりません。「ふるさと」の人たちがこんな愚かなことをしでかすなんて、もう土下座してでも石巻の人たちに謝りたい思いです。
 そう、先日から伝えられているように、北九州市では石巻の震災瓦礫の処理を受け入れるために、今試験的に焼却を行っているところなのですね。それに対して、なんだか異常なテンションで反対運動が起こっているということを知って、ものすごい違和感がありました。石巻の瓦礫が放射能に汚染されているということは全く聞いたことがありませんし、実際に瓦礫の現物や焼却灰、まわりの空気などを測定しても、何の異常も認められなかったというのは、もはや「当たり前」のこと、そんな、全く何の危険もないことに対して、あの人たちはなんでこんなに大騒ぎしているのだろう、という思いですね。まさに何の根拠もない「風評被害」の最たるものではありませんか。困ったものだ、と思っていました。
 そうしたら、その「風評」がこんなところに飛び火してしまったのですね。人間って、いったいどこまで愚かになれるものなのでしょう。何でも、修学旅行に行く予定だった児童の父兄全員が、「あんな危険なところに行かすことはできない」と主張したというのですね。確かに、「子供のことが心配」という気持ちは分かりますが、そんないわれのない主張の結果、多くの人が傷ついていることに、その父兄たちは気付かないのでしょうか。言ってみれば、これは「名誉棄損」とか「誹謗中傷」と呼ばれる、最も薄汚い「犯罪」なのですよ。もしかしたら、私の遠〜い親戚かもしれない人たちが、こんな「犯罪者」だったなんて、本当にやりきれません。
 母親が子供に教えるべきものは「思いやり」の心のはずです。それを、ありもしない恐怖を真に受けてこんなヒステリックな行動に走るなんて、子供からも軽蔑されてしまうのではないでしょうか。あなた方は、親として最も大切なことを、「風評」によって見失ってしまったのですよ。
 だいぶ前のことですが、東北の地から四国に行った時に一番驚いたのは、話している言葉が全く分からないことでした。私自身は四国で育ったわけではないのですが、父親の言葉からある程度のものは分かっていたと思っていたので、これはかなりショッキングでした。言葉、というか、そのまわりの文化や、社会に対する考え方までも、実際にその土地に行ってみると「東北」とはかなり違っていることが身をもって体験できます。ですから、逆に四国や九州の人たちには「東北」の思いが完全には理解できないのかもしれません。よく、東北の人は粘り強いとか言われますが、それは決して打たれ強いということではなく、人知れず耐えてしまうためにその「弱さ」が相手に分からないだけの話なのです。今回のような仕打ちに遭っても、その怒りをおおっぴらには表わせられない、そんな「東北」の人たちの心を踏みにじるような残念なことだけはして欲しくありませんでした。
 でも、私はそんな愚かな行動に走ってしまった松山市の人たちは、きっと改心して「真人間」になってくれることを信じています。なんと言っても、私の「ふるさと」の人たちなのですからね。
aventure number : 1900 date : 2012/5/26

12/5/28-12/7/5