今日の禁断 |
フォーレ |
この間モーツァルトの「レクイエム」を歌ったことで、今までずっと聴くだけでいた合唱曲の名曲を、自分で歌うことが出来るということを「発見」してしまいました。いえ、私はもともと合唱出身ですから、実は、かつてそういう曲を歌ったことはありました。最初にそういう「名曲」で歌ったのが、デュリュフレの「レクイエム」だったものですから、結局その曲も好きになって、今ではほとんどの録音を集めてしまうほどの「マニア」になってしまったのですからね。ただ、私がそれを歌ったのは、なにしろおそらく「仙台初演」だったぐらいの時代でしたから、もちろん楽譜通りにオーケストラと一緒に、なんて歌えるわけもありませんでした。その時は、作曲家でもあった指揮者が、確かエレクトーンとピアノ、それにティンパニとチェレスタという編成に編曲したものを使ったはずです。その時に、ティンパニやチェレスタを演奏していたのが、同じ合唱団の団員だった、I先生だったのですね。楽譜も手に入りませんでしたから、指揮者の手書きの合唱パートをコピーして使っていましたね。そんなわけですから、原曲とは程遠い音だったのですよ。
しばらく合唱から離れていて、私がまた戻ってきた頃には、そんな苦し紛れの編曲を使わなくても、実際のオーケストラを使って演奏することだって出来るような環境が出来上がっていました。まあ、水準はいろいろでしょうが、曲がりなりにもCDで聴くのと同じような音での演奏を実際に体験することが出来るようにはなったのですね。
ですから、モーツァルトでプロのオーケストラと一緒に、まさにCD並みの演奏を自分でやってのけたというのは、かなり嬉しい体験でした。今まで、オーケストラでは、まあ一応「CDなみ」とはいかないまでも、そこそこ鑑賞には耐える演奏はやっていたところに、合唱でも同じことが出来る可能性が開けてきたのですからね。今まで聴くだけだった曲を、実際に自分でまったく同じように歌うのは、なににも代えがたい喜びでした。
そうなると、つい欲が出てしまって、バッハの「ロ短調」まで歌ってみようとしたのは、さすがにぜいたくすぎる話だったようです。考えてみれば、オーケストラでも合唱でもそんなおいしい思いが出来る人など、かなり限られているはずです。自分では意識しなくても、妬みを持たれてしまうことはあったに違いありません。まあ、こんなごちそうはやはりお正月だけ、と思うことにして、次の機会を待つことにすれば、余計なストレスがかかることはないはずです。
「一生のうちにぜひ一度は歌いたい」と思っていた「ロ短調」からは少し遠ざかってしまいましたが、そんな曲はまだまだいっぱいありますから、そのうちきっとどれかは歌えることでしょう。オーケストラ版のデュリュフレなんか、仙台フィルで取り上げないでしょうかね。
あとは、オルフの「カルミナ・ブラーナ」なんかも、いいですね。この曲はほんとに大好きで、CDも手当たり次第に集めていたら、もう30種類ぐらい貯まっていました。多分、明日も「おやぢ」で「新譜」を書くはずですが、それを聴いている時に、15曲目の後半でソプラノ・ソロが出てくるところで、確かノンブレスで歌っていたはずのところを、途中で盛大にブレスをしているのに気付きました。確かに、楽譜では30秒以上のフレーズを一息で歌うように書かれています。フルート2本が美しいメロディを歌っている間、ずっと「D」の音を伸ばし続けていなければならないのですよね。こうなると気になりますから、全部調べてみたら、10枚ではちゃんとノンブレスで歌っていましたね。でも、余裕で伸ばしていたのはエディタ・グルベローバとか、ルチア・ポップぐらい、あとは出来るだけ「息を使わないで」歌っているのがミエミエ。あと2小節ぐらいのところで息絶えてしまったパトリシア・プティボンみたいなかわいそうな人もいましたね。
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aventure number : 1861 |
date : 2012/3/9 |
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