1801(11/11/12)-1820(11/12/19)

今日の禁断 ミシン

 明日は選挙の投票日、今日も朝から選挙カーがやかましく走り回っていましたね。中には、こんな風に私のマンションのベランダ側の空き地に車を停めて、堂々と演説会をやっている人もいましたよ。なにかを訴えたい、という気持ちは痛いほど分かりますが、こうなってくるとほとんど「暴力」ですね。なんせ、こっちは家の中から逃げ出すわけはいかないのですから、そこへ向けて強制的にメッセージを送りつけるというのは、抵抗できないものに無理やり聴くことを強いるれっきとした「暴力」であることに、この、一見優しそうな候補者は気付かないのでしょうか。つまり、彼女がやっていることは、おそらく思想的には正反対にあるはずの「右翼」の宣伝カーとなんら変わらないのですね。普通、これだけの「暴力行為」を受けたらば、そんな人には政治を任せようなどとは思わなくなるのではないでしょうか。つまり、今回立候補した候補者たちは、このような「暴力行為」を白昼堂々とやっている人ばかりなのですから、誰も議員になる資格などないということになります。いや、でも、一切街頭演説をやっていない候補者がいたとしたら…あいにく、そういう人はだれにも分かりませんから、結局投票されることもないということになりますね。

 そんな、自分の都合ばかりを優先して、他の人のことを何も考えていないのが、今の朝ドラの主題歌です。椎名林檎が自分で作った歌。彼女のことは、独特のセンスを持ったミュージシャンだとは思っていて、それなりに評価もしていたのですが、今回は見事に朝ドラにはふさわしくないものを作ってしまいました。ここで彼女が作り出した、それこそ「世界観」は、ある特定の人には受け入れられても、この時間帯にこのドラマを見ている大多数の人にとっては苦痛でしかないものなのではないでしょうか。はっきり言って、彼女の歌はヘタ、そんな人が、半音階や倚音を多用した、まるでできそこないのサティのような不自然なメロディラインの曲を歌いこなせるわけがありません。
 今の多くのソングライターの例にもれず、彼女の、言葉と音楽に対する感覚も、稚拙この上ないものです。音楽の段落と言葉の段落とが、ことごとく乖離しているのですね。正直、最初はなにを言っているのか全く分かりませんでした。なんたって、「心を育ててるのね」と伝えたいはずなのに、彼女が作った音楽の切れ目はしっかり「こころ/をそ/だて/てるのね」になっているのですからね。これではまるで、「金太、待つ、神田」と同じことではありませんか(いや、逆だったかも)。
 もう一つ、このドラマには決定的な「勘違い」があります。それは、「プログレッシブ・カメラ」の使用です。なんでも、このカメラを使うと、画面がとても緻密になって奥行きが出るのだとか。実際、去年の大河ドラマでは使われていましたね。それと、コンサートのライブなどはほとんどこれで撮られているようですね。確かに画面そのものは美しいのかもしれませんが、なにか、今までの「インターレース・カメラ」と比べると、映像としてのリアリティが欠けているように感じられます。映画とテレビ(インターレースのもの)を比べると、その違いが分かるはずですが、テレビの方がより滑らかな動きで、自然に見えるのですよね。それは、「フレーム」、つまり「コマ数」の違いによるものです。インターレースの場合は1秒間にほぼ60コマですが、映画では24コマなので、動きが鈍くなるのですよ。
 ただ、「60コマ」というのは、実は走査線を1本おきに表示しているので、画像そのもののクオリティは落ちてしまいます。それを、きちんと1本ずつ表示しようというのが「プログレッシブ」、そのために、コマ数は半分の「30コマ」になってしまい、映画のように動きが悪くなるのです。ですから、今まで見慣れたテレビの画面とは、とても違って見えてしまうのですね。この朝ドラは、最初からもう画面が気持ち悪くてしょうがありませんでした。朝ドラぐらい、「ふつうの」画面で見たいものです。せっかく、面白い台本なんですから。
aventure number : 1801 date : 2011/11/12


今日の禁断 ブルックナー

 一応「会員」なので、毎年のコンサートにはほぼ欠かさず参加している「仙台フルートの会」ですが、当初予定されていた春のコンサートに、ぼちぼち練習に行ってみなければ、と思っていた矢先にあの震災でしたから、完全にテンションは下がってしまっていました。結局、そのコンサートは12月に延期ということになったのだそうですが、なんだか風の便りでは練習に来ている人があまりにも少ないので、いっそコンサートを取りやめにしたら、などという話にもなっていたようなのですね。そもそも、ほとんどが日曜日の夜に練習ですから、私には別の予定がびっしり入っていて、とても出席はできないはずでしたからね。
 しばらくすると、会の人から電話がかかってきました。「アルトが全然いないので、ぜひ出てください」というのですね。どうやらコンサートは予定通り決行することになったのだそうです。まあ、これは予想された事態でした。アルト・フルートを吹く人の絶対数が少ないので、主催者としては一縷の望みを託して泣きつくしかないのですよね。まあ、その頃には「別の予定」が、すっかりなくなってしまいましたから、なんとか行って行けないことはありません。仕方がありません。
 それで、きのう、1年半ぶりに練習に参加してきました。行ってみたら、「結局、アルトは6人になりました」なんて言ってます。もう、「先生」の伝手などを頼って集めまくったみたいですね。フルートのパートも、なんだか半分近くは「先生のお弟子さん」で占められそうな気配です。かなりヤバい状況ですね。
 アルトのメンバーは、もしかしたら私一人で初見の楽譜で頑張らなければならないのか、と覚悟していたのですが、あと2人、来てました。これなら楽勝ですね。全然吹いた記憶がなかったシューベルトの5番ですが、初めて開いてみた譜面に見覚えがあります。明らかに私の筆跡で音を直したりしているのですよね。すっかり忘れていましたが、どうやらしっかり本番で吹いたことがあったのですね。頭では忘れていても指が覚えていました、なんてね。
 なんせ、12月と言ったらニューフィルで2週間連続で本番を控えています。もちろん、その日は練習には行けないのですが、まあ、これだったらなんとかなるでしょう。それにしても、こんな年末に3つもコンサートなんて。
 本番にエキストラが大量に必要なのは、ニューフィルも同じことです。ヴァイオリンなどはほぼ半数はエキストラになってしまいます。でも、これはあくまで一過性のものだと思いたいものです。その「担保」として、ニューフィルの今までのメンバーの一覧表を作ってみました。実は、これは「かいほうげん」用のネタ。なんたって今年は「30周年」なのに、肝心の演奏会が震災のせいで1年延期になってしまいましたから、せめてなにか「記念」になるようなものを残しておきたかったのですよ。とは言っても、これは実は7年ほど前にやったものの修正版、単にそれ以降のデータを加えただけのことなのですがね。
 演奏会のプログラムに掲載されているメンバー表を、エクセルに移していくだけのことなのですが、結構面倒くさい作業でしたね。つまり、行が、入団した順序になっているので、いまいる団員をチェックしようと思うと、上から下まで探さなければいけないのですよね。つまり、入った時期がまさに「30年」の隔たりがあるということが、こういう作業をやっているととてもよく分かるのですよね。ヴァイオリンのパートだけを集計すると、こんなことになりました。なんか、クセナキスの楽譜みたいで面白いですね。

 こんなものを「かいほうげん」に印刷したら、それだけで24ページを使いきってしまいますから、載せるのはダイジェストのデータだけにして、生データはネットで見られるようにするつもりです。実はもうアップしてあります。ヴァイオリンヴィオラ以下管打の3つのファイルが、公式掲示板の認証で開きます。
aventure number : 1802 date : 2011/11/14


今日の禁断 大掃除

 私はニューフィルではパートリーダーや役員をやっているので、たまに運営委員会などに出席しなければいけません。とは言っても、だいたいは練習の時の休憩時間に集まって立ち話、という感じですがね。先々週も、そんな会議がありました。まあ、演奏会場の予定(県民会館は、まだはっきりした再開期日がわかりません)とか、新入団員の承認とかですが、一通り終わったところで、団長が私に「では、ここからは○○さん(私のこと)には退席していただきます」と告げました。私が居てはいけないような案件を、これから討議する、ということなのでしょうね。まあ、そこは大人らしく、何事もなかったように従い、中に入って練習を再開します。
 でも、気になりますよね。私が居ないところで、いったい何を話し合っているというのでしょう。まあ、思い当たることがないわけではありません。例えば、この「禁断」にあることないこと書きまくって、なにか迷惑がかかった団員から「もう、書くのはやめてくれ」という申し出があったとか。もっと切実なことだったら、もうとてもニューフィルでは通用しないほどヘタになったので、退団を勧告しようとしている、なんてことも考えられますね。○リンカとは違って、技術の衰えた管楽器奏者に対しては容赦のないニューフィルですから、これはあり得ないことではありません。
 結局、先週は何の話もなかったので、そんな恐ろしいことは却下されたのだと思っていました。これで一安心、まだニューフィルを続けられますね。しかし、安心したのも束の間、きのうになったら、とんでもない通告が待っていたのです。
 前半の練習が終わったところで、指揮をしていた団長が、なんだか事務局長に合図を送って、「アレを持ってきてください」みたいなことを伝えていますよ。それにこたえて事務局長が、何やら封筒に入った書面のようなものを団長に手渡します。やっぱりそうだったのですね。きっと、あの封筒の中には、私に対する「退団勧告書」みたいなものが入っているのでしょう。みんなの前でそれを私に手渡し、こういう怠け者の末路はこうなるのだという見せしめにでもするのでしょうね。
 しかし、団長は全く予想していなかったことを話し出しました。この間までお寺の会館を借りて練習できたことに対して、とてもありがたいことだった、というのですね。あそこが借りられなければ、無事に演奏会を開けるようにはならなかったのだ、と。ついては、そのお寺に対して、改めてお礼を差し上げたい、ということなのだそうです。私としては、規定の使用料はきちんと払ってもらっていたので、それで充分だと思っていたのですが、やはり感謝の気持ちを表したい、というのが、先日の運営委員会での結論だったのでしょうね。確かに、私が居たのでは話しづらい案件です。つまり、封筒に入っていたものは、お金だったのですよ。あまりのことに、しばし呆然とする私、一応は固辞しましたが、ぜひにという気持ちをくんで、ありがたくお預かりすることにしました。私の首もつながったことですし。
 ま、ほとんど作ってしまいましたが、お礼を頂いたのは本当です。その封筒は次の日社長に届けることにして、封を切らずに愚妻に見せると、「1万円てことはないね、2万円ぐらいでしょう」と、まあ私が思ったのと同じような感想を述べていました。実際に社長に渡して開けてもらったら、それよりはるかに高額だったのには、驚いてしまいました。社長も恐縮していましたよ。お気を使っていただいて、かえって済みませんでした。私としては、お役に立てただけでも十分うれしかったのですよね。あの半年間は、なんかとっても暖かい思い出になっています。
aventure number : 1803 date : 2011/11/16


今日の禁断 LED

 今週の週末はニューフィルでは末廣さんの練習ですが、実は同じ時期に合唱コンクールの全国大会が開かれることになっています。もし、パリンカがそこに出場なんてことになっていたら、いったい私はどうしていたのでしょう。いずれにしても私は別に関係のない話ですが、愚妻の合唱団がこの前の東北大会で代表に選ばれたものですから、行かなければなりません。会場は青森市、あんな遠いところまで、一人で行くというので、今朝は駅まで送ってきました。上野発の夜行列車は、もう青森駅に着いたでしょうか。今頃は、凍えそうなカモメを見つめて泣いているのかもしれませんね。
 いや、実際に乗ったのは東京発の「はやぶさ」ですけどね。たった1時間半で青森に着いてしまいますから、かえって暇を持て余していることでしょう。駅からの帰りに市役所前を通ったら、いつも年末はイルミネーションで飾られるどでかいヒマラヤスギが見えてきました。まだ青々とした葉っぱしか見えませんから、電球をつけるのはこれからなのでしょうね。なんて思いながら近くまで来てみると、なんと、その下にクレーン車が居て、今まさに電球をつける作業が始まったところではありませんか。これは珍しいものを見てしまいました。ということは、今年も例年通りのイルミネーションが見られるのですね。

 「光のページェント」もしっかりやるようですし、まあいつもと変わらない年末になるのでしょう。いいんじゃないですか。ケヤキの木が何本も倒れたりしていましたが、そのこととこの催しとの因果関係なんて、いまさら誰も問題にしないのでしょうしね。これもやっぱり「安全神話」なのでしょうか。放射能には敏感に反応する人でも、こういう生態系の破壊については、あまり真剣に考えようとはしない人の方が多いのかもしれませんね。放射能と同じことで、その影響がはっきりするまでにはとても長い時間がかかるのでしょう。結果が出た時には、もうすでに手遅れなんですけどね。
 愚妻が居ない間に、私は、もちろんニューフィルの練習に行かなければいけませんが、その他にやらなければならないことが待っています。それは、私の部屋にうず高く置いてある本や資料の移動です。我が家のリフォームがいよいよ来週に迫ってきたので、壁一面に作った棚を一旦解体して外さなければならないのですね。そのためには、当然その中にしまってある物を出さなければいけないのですが、それを家の中に置いておいたのでは、暮らす場所がなくなってしまいます。そこで、それをとりあえず職場の、今はすっかり空っぽになってしまったポンプ室に一時保管しておこうというのですね。実は、これはもう2週間前から取り掛かっていたことなのでした。しかし、段ボール箱をたくさん持ってきて、中に詰めてみても、とてもそれだけでは足らないのですね。それで、近くのスーパーに行って使えそうな箱をもらってきて、また運ぶ、ということを繰り返していたのですが、物は一向に減りません。そこで、またまたスーパーに行ってみると、もう、いい箱はほとんどなくなっていました。本当はみかんやリンゴの箱が一番いいのですが、そんなことは言ってられないので、ニンジンの箱でなんとかごまかすしかありません。じゃがいもは中が泥だらけでしたしね。おそらく、明日練習に行く前に運び出せば、棚はすっかり空になって解体出来るようになることでしょう。しかし、なんせ私の手作りですから、そこを空けてクロスを貼ったあとで、また元通りに組み立てられるかは、だれも保証は出来ません。
aventure number : 1804 date : 2011/11/18


今日の禁断 東龍門

 定期演奏会前の、最後の指揮者練習がきのうと今日行われました。会場の都合で、1日目は交流ホール、2日目は市民会館大ホールという変則的な使い方になってしまいましたが、この段階で目いっぱい時間を取るためには必要なことでした。つまり、2日目も連続して交流ホールを借りていたのですが、その日は午前中しか空いていなかったのですよね。でも、今回は楽器の移動には大きなトラックが使えますし(つまり、お寺の会館では、途中に仙山線のガードをくぐるために、このトラックは通れないのですよ)、大きなホールを練習に使うぐらいのぜいたくは、今まで我慢してきたんですから許されるでしょう。最初の指揮者練習なんか、かなりひどいところでしたからね。
 1日目は、末廣さんは風邪をひいているようでした。「なんで風邪なんかひくんでしょうね」などと、いつものように笑いをとっていましたが、しょっちゅうハンカチで鼻を拭いたりして、かなり辛そうでしたね。それでも、エネルギッシュな練習ぶりは元気な時と変わりはありません。まあ、最後に「『春』はあしたにしましょう」と言ったぐらいが、ちょっと弱気なところを見せたところでしょうか。
 でも、今日になったら、見た目、風邪はすっかり治ったような感じでした。我々も震災後は初めて中に入った市民会館ですが、末廣さんは学生時代に1度来たことがあるそうで、なんか懐かしそうでしたね。「相変わらず、汚いですね」なんて言ってましたが、実はホールの壁が全く新しいものに変わっていました。かなり損傷がひどかったのでしょうね。偶然、改修前の写真があったので比べてみてください。上が2006年10月の、新田さんの定期の前日リハ、代理の指揮者による練習の時のもの、下が、同じアングルの今日のホールです。

 その他にも、こまごまとしたところが変わっていましたが、こんな、ブロンズ像が倒れないように紐みたいなもので縛りつけてあったのには笑ってしまいましたね。

 練習は、ヴァイオリンのエキストラがだいぶ加わって、やっとオーケストラらしい音がするようになってきました。でも、こんな間際の指揮者練習なのに、木管にも金管にもトップが代奏というパートがあったのは残念ですね。みんなで作り上げてきたテンションが、突然切れてしまう感じ、どんな事情があったのかは知りませんが、困ったものです。
 お昼の休憩のときに、ロビーで昼ご飯を食べたのですが、そこからすぐ目の前を流れている広瀬川を見てみたら、かなり遠くなのに、川の中に魚が群れをなして泳いでいるのがはっきり見えました。サケでしょうかね。ちょっと感激。

 ところで、青森に行っていた愚妻は、なんとか無事に帰ってきました。青森はずっと雨だったんですってね。コンクールの結果は「銅賞」だそうです。同じ宮城県代表の「グ」さんは、今年もシード付きの金賞なんですって。まずは、おめでとうございます。小編成のグループでは、「ハルモニア・アンサンブル」が、去年に続いてシード付き金賞、これは当然のことでしょうね。
aventure number : 1805 date : 2011/11/20


今日の禁断 マサムネ

 きのうの朝のこと、ニューフィルの本番前の予定が確定したので、公式サイトの日程表を更新しようと思いました。最近は、そんな風になにか変ったことがある時に更新することにしているので、かれこれ3週間ぶりぐらいの更新になります。私が昔からサイト作りに使っているのが「ホームページビルダー」というソフトです。昔IBMのノートパソコンを買った時に付いて来たものを、ずっと使っていますから、バージョンはかなり前のものです。そもそも、今では製造元がIBMではなくジャストシステムズに変わっていますし。もちろん、すべてをHPB任せにしていたのでは、私のサイトは作れませんから、適宜別の画像ソフトや、直接HTMLを書き込むような作業も交えつつ、日々の更新を行っているのですね。中でも、転送は、その日に更新したものを自動的に検出してFTPで転送するという機能が充実していますので、これはとても重宝しています。
 そんなツールで、いつものように日程表を更新、まとめて転送しようとすると、エラーが出て途中で止まってしまいました。これは変ですね。たまに、転送先のサーバーに不具合があって、こんな感じで転送を受け付けない状態になることがありますので、チェックしてみたら、やはりニューフィルと同じフリー・サーバーを使っている「萩」なども、同じように転送が出来なくなっていました。その他のサーバー、たとえばこれがアップされている2つのプロバイダのサーバーや、さらに別のサイトに使っている2つのレンタル・サーバーも何の問題もなかったので、この「忍者ツールズ」というフリー・サーバーだけが何らかの異常を起こしているのは間違いのないことは分かりました。
 そこで、「忍者ツールズ」のサイトで確認してみると、特に障害は起こってはいないようでしたが、ちょっと気になる告知がありました。これは、以前メールで届いていた内容と同じものなのですが、ここが行っているホームページのサービスで、「インフラの変更」がある、というのですよ。要は、サーバーを引っ越すということなのですね。それが、ちょうど今の時期に順次行われていて、私のサイトは既に変更が完了していました。もしかしたら、変更直後のゴタゴタで何かが起こっているのかもしれないと思い、しばらく様子を見ていたのですが、状況は一向に変わりません。FTPがつながらないのですよね。これでは更新は不可能なので、とりあえず、ニューフィルの日程だけは公式掲示板に書き込んでおきました。その時に、ニューフィルのサイトにアクセスしようと思ったら、今度は「Not Found」のエラーが出ています。良く調べてみると、トップページだけがなくなっているみたいなのですね。その下の日程表などはURLを入れてやればちゃんと表示されますから。
 いったい何が起こったのか、「忍者ツールズ」のヘルプのフォームがあったので、聞いてみることにしました。その返事は半日ほどして届きました。それによると、私と同じ「ホームページビルダー」を使っている人から、やはり同じような報告があったというのです。そちらは、転送しようとすると、サーバーにあるそのファイルが削除されてしまうというのですね。これだったんですね。最初の転送の時に、トップページが削除されてしまっていたのでした。そして、「私どもでは手に負えないので、HPBのサポートセンターに問い合わせてください」ですって。これにはあきれましたね。今まで何の問題がなかったし、今でも他のサーバーではきちんと対応できているものが、「インフラの変更」を行ったために問題が生じてしまったのですから、それは100%「忍者ツールズ」の責任なのではないですか。そんな報告があったのであれば、それこそ自分で「サポートセンター」に連絡をとって、自分のところの欠陥を是正しようと務めるのが、まっとうなサーバー管理者の在り方なのではないでしょうかね。
 そもそも、ここは以前から札付きの問題サーバーでした。だいぶ前には「FTP」ではパスワードが盗まれるということで「FTPS」しか対応できないようにしたら、あちこちでトラブルが続発して、結局元に戻していますし、1年ほど前には、勝手に「htaccess.」ファイルを送りこんで、ニューフィルのサイトも一時アクセス不能にさせられてしまったこともあります。とにかく、現実にはわざわざ別のFTPソフトをインストールして、手作業で一つ一つのファイルを転送しなければいけない状態になっていますので、面倒くさくてしょうがありません。この状況を改善するつもりは全くないような感じなので、別のサーバーにサイトを移すことも考えています。ほんと、「忍者ツールズ」は、もう使えません。
aventure number : 1806 date : 2011/11/22


今日の禁断 みずほ銀行

 この間ネットのトラブルがあったと思ったら、またまた私の責任ではないトラブルに巻き込まれてしまいました。きのうは休みだったので午前中にメールをチェック、そこで、借りていたものを返さなければいけないことが分かったので、梱包してメール便で発送したりしていました。それから、次の日から始まる大規模リフォームに備えての、最後の準備、本やCDを取り除いた本棚の撤去にかかります。

 このように、壁一面に作りつけた本棚を、分解して取り外したのですね。いや、「本棚」なんて言ってますが、ただのラワンの板を買ってきて壁の梁の下の部分に合わせてはめ込んだだけのものなのですがね。適当な長さに切ったり、足らないものはつないだりして縦枠を作り、その間に同じ板を60pの長さに切った棚板を置いた、というだけです。ですから、数か所で固定されているネジを外しさえすれば、簡単に解体出来るはずでした。しかし、実際にやってみると、たとえば表だけが固定されているのだと思ったら裏側にも止められていたというのが分かって(なんせ、作ったのは20年以上前ですから、そんな細かいところまで憶えているわけがありません)、えらい苦労をしてその「裏側」のネジを外さなければならなかったとか、いろいろの障害がありました。
 でも、なんとか全部をバラバラにすることは出来て、一安心です。作った本人さえ分からないものが、リフォームの業者に分かるわけはありませんから、これだけはなんとしてもやっておかなければいけなかったのですよ。
 一区切りついたので、さっきの、借りものを送り返した人にメールを出そうとパソコンを開いてみると、なんだかネットがつながらなくなっていましたよ。ちょうど1年ぐらい前に電話料金を払い忘れて、「止められ」てしまった時と同じ状態、ルーターの前でネットに接続できなくなっています。でも、今度は電話はちゃんとつながっていますから、そんなはずはありません。少し前に銀行にお金を入れてきたばかりですしね(残高をみたら、次の月の支払いは出来ない金額でした。危ないところでした)。
 原因が分からないので、NTTが工事をした時に置いて行った仕様書の修理部門の電話番号に電話してみました。もしかしたら番号も変わっているかもしれませんし、どうせそこでも分からなくてあちこちたらいまわしにされることを覚悟していたのですが、その電話はちゃんとつながりました。しかも、利用者のIDを言っただけで、しっかり、今何が起こってネットが切れているのかが、その場ですぐ分かってしまったのですよ。もちろん、これが本来のサービスの在り方なのでしょうが、今までこんなにすんなり対応出来たことはほとんどなかっただけに、なにか感動的でしたね。
 なんでも、その日の午後に私のマンションでトラブルがあったという通報を受けて修理に行ったらば、交換すべき部品がすぐには手に入らないものだったので、その部品の到着を待って、回復は翌日の午前中になる、ということらしいのです。そんな細かいことまで、分かっていたのですね。というか、こちらから電話しないことには、それは分からなかった、というのには、ちょっと不信感を持ってしまいますがね。
 まあ、でも原因が分かったので一安心です。ですから、きのうはサイトの更新は出来ませんでした。毎日更新されるはずだと思って来てみた方は、ちょっと不審に思われたでしょうね。そんなわけですので、ご安心ください。決して夜逃げしたわけではありませんから。
 今朝は、リフォームの立ち合いで朝のうちは自宅にいました。どうせ、ネットもすぐにはつながらないだろうと思っていたら、9時過ぎにはもうルーターのランプがつながった時の表示になっていましたよ。朝一でやってくれたのですね。ですから、その場で半日遅れできのうの分の更新をしてしまいました。
aventure number : 1807 date : 2011/11/24


今日の禁断 ヤマト

 我が家のリフォームも3日目に入りました。きのうのうちに一部屋が壁のクロスと床のカーペットがすっかり完成していましたので、今日はいよいよ私の部屋になります。なにかと面倒くさいものが置いてあるので、できれば1日中私が家にいる時に立ち会いたいと思っていたら、うまい具合に工事の日程が合ったので、朝から付きっきりで工事を見学していましたよ。
 その前に、きのう出来上がった部屋のカーペットを見て、愚妻が「サンプルと違ってる!」と言い始めました。見本の中から選んでくれというので、さんざん迷ったあげく決めたものが、全然別の色になっていた、というのですよ。「絶対に、連絡ミスがあったはず、プロとは思えない」と、ものすごい剣幕です。私あたりは、貼られた現物はなかなかいい色だと気に入っていたので、たとえ間違えたにしてもそんなに問題ではないと思ったのですが、「そういう問題ではない!」というのですね。「貼り替える必要はないけれど、誤りは認めさせなければ」と、一歩も引きません。担当者に連絡したら、彼は真っ青になってとんできましたよ。もうサンプルは返してしまったので、その現物を持ってきてもらって、付き合わせてみなければ。
 もう、担当の人は、かわいそうなぐらいおどおどしていますよ。既に資材は注文してありますから、これから変更するなんて大変でしょうね。責任を取らされて、クビになってしまうかもしれません。しかし、その、こちらが指定したサンプルと部屋に貼ったカーペットを比べてみたら、それは全く同じものでした。サンプルの小さなかけらでは、大きくした時の見え方が分からなかったのですね。まずは一安心、担当の人は、「本当によかった」という顔をしていました。全く、お騒がせなことです。
 と、心配事はなにもなくなったので、晴れて工事の一部始終の観察です。まずは、部屋の中を空っぽにしなければいけませんから、家具類を全部運び出します。要は、空いた部屋に押し込むのですね。もう、全部で5人の人が寄ってたかって運びますから、すごいものです。へたにいじられると、元に戻せなくなってしまうものがたくさんありましたから、こまごましたものは前もって私が運んでおきました。そして、一番の問題は、例のAVラックです。キャスターをつけて部屋の中を動かすようにはしてありましたが、それを外に出すことは想定していませんでした。案の定、狭い廊下を通って、それをそのまま別の部屋まで持って行くことは出来ません。仕方がないので、向かいの部屋(これは、物がいっぱい入っています)に半分だけ突っ込んで、とりあえず部屋から出すことは成功です。でも、電源もアンテナのケーブルも外してしまいましたから、当然録画は出来ません。5時半からWOWOWでぜひ録画しておきたいものがあったのですが、それまでに元に戻せるのでしょうか。
 クロスを貼るのはこの前見ましたから手順は分かりますが、カーペットは初めてです。ちょっとよそに行っている間に、古いのはすっかりなくなっていました。ずいぶん簡単にはがせるんですね。でも、新しいのを敷き始めた時に、その早さのわけは分かりました。てっきり接着剤で床に貼りつけているのかと思ったら、そんなことはしないで、ただ敷いたものの端を、ヘラで押し込んで固定しているだけだったんですね。ですから、貼る時も簡単に終わってしまいました。これは、貼ることよりも、その前の、部屋を空っぽにする、という仕事の方が手間がかかるものだったのです。もう4時前にはすっかり終わってしまい、録画も楽勝です。
 これで、私の部屋は見違えるようにきれいになりました。まるで、新築の家に引っ越してきたみたい・・・と思ったのですが、カーテンはボロだし、置いてある家具も汚いものばかりです。あまりきれいすぎると、そんな古い家具がとてもみすぼらしく見えてしまうのですね。
aventure number : 1808 date : 2011/11/26


今日の禁断 山羊革

 きのうは、リフォームの工事もお休みで、久しぶりの休日でした。このところ、私の財布がちょっと危ないことになっていたので、新しいのを物色しようと、出かけることにしました。今使っているのは、いつごろ買ったのかも忘れてしまったほどの、ほとんど私と一体化している財布なのですが、寄る年波には勝てず、小銭を入れておくところのファスナーが、バカになってしまったのですね。ファスナーというか、ジッパーは、左右の留め金が一つ置きに挟まれるようになっているものなのですが、たまに片方がうまく引っかからなくなって、隙間が空いたりするのですよ。これはとても危険な状態です。一見閉まっているようでも、ちょっと力がかかったりするとそこから簡単に裂けてしまって、中のお金がばらまかれることになりかねません。だましだまし使っていましたが、これは早急に改善しなければいけない案件だったのですね。
 行ったのは、泉の「タピオ」でした。ここだったら、どこかのショップには気に入ったものがあるのでは、という愚妻の提案です。そこで、1階から順に財布がありそうなお店をしらみつぶしに見て回ります。まず1軒、前にTシャツを買ったことのあるショップで、候補になりそうなものを見つけたので、一安心です。最悪、これを買って帰れば、目的は果たせます。ただ、ちょっと厚みがあり過ぎるのと、素材が安っぽいのが気になりますが。
 2階に行ってみると、「バック・ステージ」というバック屋さんがありました。いえ、ほんとは「バッグ」なんでしょうが、なんか和むネーミングですね。そこには、ものすごい種類の財布が置いてありました。もう、どれも買いたくなるようなものばかりです。さっきの「候補」は、もうすでに選外になってしまっていました。この中だったら、間違いなく気に入るものがあるはずです。
 迷いに迷ったあげく、最終選考に残ったのは、2つです。片方は色といいデザインといい、申し分ありません。小銭を入れるスペースも、お札のスペースと同じだけの広さがあって、たくさん入りそう。でも、そこで愚妻が口を挟みます。「これ、絶対使いずらいよ」。確かに、これは私の愛用の二つ折りにして使うタイプのものなのですが、小銭がその折り目あたりに集まると、ちょっと曲げにくくなりそうな感じです。その意見は確かに合理的、たまにはいいことを言うものです。ですから、それはきっぱり却下されて、残ったもう一つのものが、晴れて私の持ち物となることになりました。それは、今使っているのとほぼ同じタイプで、カードを入れるスペースが大幅に拡充されています。そして、結果的にこれが最も安いものでした。なんか、久しぶりに納得のいく買い物が出来た感じです。

 そして、今日からまた工事が始まります。朝から仕事を始めた職人さんに鍵を預けて、夕方帰ってみたら、部屋中がゴム用ボンドの匂いだらけでした。カーペットを階段に敷くときに、接着剤を使ったのだそうです。確かに、狭い階段では、挟んだだけでは固定できませんね。窓を全部開け放して風を入れても、しばらくこの匂いは取れないのでしょうね。
 それよりも、重大な工事ミスが発覚してしまいました。トイレのクロスを、まわりの壁は柄物を貼ることにして、サンプルから選んでいたのですが、それが天井にも貼ってあったのですね。担当者との打ち合わせで、天井だけは白にしてくれ、とお願いしてあったのに、職人さんに伝えてなかったのですね。前のはそうなっていたので、同じように、と思ったのですが、実際に天井まで柄がはいると、全然落ち着かなくなってしまいますね。もちろん、これはすぐ貼り替えてもらうことにしましたよ。やはり、担当者はクビ、でしょうか。
 私の部屋のリフォームはすっかり終わったのですが、工事の前に取り外した棚は、まだ手つかずです。これからは、週末はほとんど予定が入っていますから、とてもそんなことをやっているヒマがないのですね。もしかしたら、来年になっても棚だけは出来ていないかもしれません。
aventure number : 1809 date : 2011/11/28


今日の禁断 オーディション

 いよいよ明日からは師走、あわただしい日々が続きます。なんたって、演奏会の本番が3回もあるのですからね。もちろん、本来の仕事でも年末の顧客DMの発送が待っていますから、よっぽどきっちり予定を組んで仕事をこなしていかなければ、年末のあいさつが届くのが来年になってしまうかもしれませんよ。いや、そんなことにはならないように、発送物の中身だけは既に11月中にすべて準備をしておきました。さらに、封筒のあて名書きもすべて終わっています。ですから、あとはそれぞれを封筒に入れるだけで、完了することになっています。とは言っても、なんせ1200通ですからね。大変です。
 その合間にやっているのが、新しい「かいほうげん」の編集です。定期演奏会が終わってからでは中身が多くなりすぎてしまうので、今のうちに出しておかないとまずいのですよね。この前書いた「30周年記念企画」がメインなのですが、実はこれについてはまだ手つかずの状態です。いったいどうやったら、あの膨大なデータを見やすく提示できるか、というところで迷っているところ、結局、なにがなんだかわからないものにしかならないような気がします。
 それともう一つ、今回から新しい企画をスタートさせることになりました。それは、今まで毎号掲載していた「素顔の団員」というコーナーのリニューアルです。タイトルも「私とニューフィル」と改めて、全く新しい切り口で団員の姿を浮き彫りにする、という企画です。なんて、中身はほとんど変わっていないんですけどね。というか、今まで、この団員一人一人の「自己紹介」を毎回ずっとやって来たのですが、ここにきていよいよ次に書いてもらう人が居なくなってしまったのですよ。これは、最初は「ヴェテラン団員の紹介」とかいうタイトルで始まったものなのですが、その書き始めを当時のコンマスのSさんにお願いしたのが、「74号」だったのですね。発行されたのは1995年の12月、今から16年前のことです。この前に出したのが「208号」でしたからそれまでに135人の方にお願いしてきたのですね。もちろん、これはすべて別の人(正確には、どうしても間にあわない時があって、1回だけ人間以外の方に書いてもらっていますが)ですから、書く人が居なくなってしまったのは当たり前の話です。最近では、入団してすぐの人にもお願いせざるを得ないこともたびたびでした。それはそれでフレッシュなコメントは楽しいのですが、出来ればある程度ニューフィルを体験してからのほうが、やはり「深み」が出てくるでしょうし。
 そういうわけで、この「私とニューフィル」では、「ふたまわり目」の人にお願いすることになりました。16年も経っていれば、以前に書いてもらったこととはまた違った魅力が発揮できるはずですからね。これで、あと16年はネタ切れになることはありません。
 せっかくですので、原稿を書いてもらうのも、ネットで簡単に出来るようにしてみました。公式サイトの中にこんな投稿用のフォームを設置して、ここに直接書いてもらって、そのまま送信できるようにしたのですね。今までは「できるだけメールで」と言って記入用紙を渡していたのですが、たまに「生原稿」をくださる方がいると、結構タイピングが面倒くさいのですよね。もっとも、フォームの場合はすべての項目に記入して一気に送ることになるので、じっくり文章を練ったり出来ないかもしれません。そのあたりは、おいおい様子を見ながら手直ししていきましょう。
 その第1号となる原稿が、前シリーズでは3番目にお願いした(1番目と2番目の人は、もう団にはいません)Wさんから届きました。さっそく、「かいほうげん」の紙面でも少しデザインやフォントを変えて作ってみました。一応考えていた通りのものが出来上がったので、満足しているところです。現物には「第9」開けの練習で、お目にかかれるはずです。
aventure number : 1810 date : 2011/11/30


今日の禁断 つなぎ

 自宅のリフォームがやっと終わりました。正味8日間、結構長い期間でしたね。一応、毎日朝の8時半から夕方5時半まで仕事ということになっていたのですが、そのあたりは工事の進み具合で結構いい加減でした。というか、最初のころは予定の仕事が終わってしまったので少し早めに帰る、みたいなことになっていたのですね。ですから、この調子だと8日もかからないで予定よりも早く終わってしまうのではないかと、余計な心配もしてしまったぐらいです。でも、最後の2日間ぐらいになったら、まだ手をつけていない仕事がいっぱいあって、かなり焦っていましたね。結局、最後の日は休憩も取らないで7時ごろまでかかって、やっとすべての仕事が終わったようなありさまです。まあ、なんでもそういうものなのでしょうね。最初のうちは余裕でも、始めてみると意外と時間がかかることが分かって来て、最後は追い込みと。
 それにしても、普通に生活している家をリフォームするというのは、大変なことなのですね。前にやった地震の修復工事の時は、壁のクロスを貼り替えるために、壁際の家具を全部移動させられたのですが、今回はそんな生ぬるいものではなく、床のカーペットまで張り替えるのですから、部屋の中を完全に空っぽにしなければいけません。最初の業者との打ち合わせでは、そういうことはすべてやってくれる、という話だったのですね。なんせプロですから、どうにか隙間を見つけて荷物を運び出し、とりあえず一部屋を空けて、そこの仕事をするというのです。ですから、朝鍵を渡しておけば、夕方帰ってきた時には、壁や床はすっかり新しくなって、家具も元通りになっている、というのですね。
 そんなうまい話があるはずがない、とは思っていましたが、実際にやってみるとやはりそんなに都合よくいくものではありませんでした。同居人の部屋などは、何にも片づけないで出かけてしまっていたので、帰ってみてみたら物がすべてぐちゃぐちゃになっていたと、嘆いていましたよ。それは当たり前の話、他人が使っている部屋を、すっかり元通りにするなんて、いくらプロでも出来ることではありません。
 ですから、本当に動かされたくないものは、自分で責任を持って管理するしかないのですね。当たり前のことです。私の部屋の場合は、1ヶ月前から綿密に計画を立てて、じゃまになりそうなものは他の場所に移しておきましたし、スピーカーやアンプは、誰でも簡単に動かせるようにひとまとめにしてキャスター付きのキャビネットに入れておきました。配線もしっかりまとめて、間違ってもキャスターに絡まったりしないような配慮です。それだけの準備をしておいたからこそ、何一つなくすことなく、すっかり元通りの部屋にすることが出来ました。逆に考えれば、すべて業者任せにしたのでは、決して満足のいく物にはなりえないことになるのですね。
 荷物の運搬に関しては問題がありましたが、工事自体はまさにプロの仕事でした。本当に手際よく、それでいて細かいところまで丁寧にやってくれましたね。一度、連絡ミスでトイレのクロスを間違えて貼ってしまった時にも、気持ち良く貼り直してくれましたしね。そのトイレの壁に貼ったクロスは、幅が足らないのでところどころで貼り合わせてあるのですが、それが見事に柄がつながっているのですね。私は、こういう柄を見るとついつなぎ目を探したくなるという悪い癖があるのですが、今までいろいろ見てきた中で、こんなにきれいに柄がつながっているクロスを見たのは初めてです。

 そして、なんと言っても畳がすっかり新しくなったのには感激です。なんせ、20年以上前に入居してから一度も替えていなかったもので、畳表はすっかり擦り減って、まさに「貧乏長屋の畳」と化していたのですからね。緑色の畳に、イグサの香り、久しぶりに味わうものでした。やっぱり畳と○○は新しい方がいいというのは、本当のことですね。
aventure number : 1811 date : 2011/12/2


今日の禁断 ずんだ餅

 今年の「角田第9」、1日目は大雨、2日目は大風という、波乱含みの道のりを大河原まで走ることになりました。1年ぶり、震災後は初めて通る道ですが、内陸部のこともあって特に目につくような被害はないようでした。しかし、会場のえずこホールに着いて、楽屋代わりの平土間ホールに入ってみると、スタッフの人が「地震の時はガラスが割れたので、近づかないでください」などと言っています。さらに、駐車場と荷物の搬入口の境目には、かなりの高さの段差が出来ていました。やはり、それなりの被害はあったのですね。
 大ホールの中はいつもの通り、客席を少し取り払ってそこに仮設のステージが設置してあります。今回はなんと「20回目」、入場料も無料だといいますから、もしかしたらここに入り切らないほどのお客さんが集まるかもしれませんね。合唱も、指揮者の寿一さんの関係で浦和フィルの「第9」に出た合唱団の方々が加わってくれるのだそうで、総勢100人ぐらいになっています。オケにも、ヴァイオリンに2人、その浦和フィルの団員がトラで出演してくれました。
 1日目のリハーサルでは、まずは「サウンド・オブ・ミュージック」の練習です。実は、今回は私はこのステージは降り番だったのですが、他のメンバーの都合で急遽1番を吹くことになってしまいました。去年同じものを吹いたことはあるのですが、今年はまだ練習をやっていなくて、これが私にとって最初の指揮者練習なのですよ。案の定、最初のトリルの入りが全然分からなくて戸惑ってしまいました。あわてて、ヴァイオリンのパート譜をのぞいて、タイミングの確認です。まあ、そのあとは去年より楽に吹けましたから、本番は楽勝でしょう。去年と違って、冒頭に修道女たちの合唱が、本物の修道女さんたちによって歌われます。

 それが終わったところで、いきなり「黙祷の練習をします」なんて言い出しましたよ。オケにとっては初耳なのですが、ちょうど第2ステージの始まりが、あの「2時46分」付近になりそうなので、それに合わせて出演者とお客さんが全員で黙祷をしようというのです。ちょうど、前のステージで使ったチューブラー・ベルがありますから、それを鳴らしながらの黙祷という段取りですね。叩くのは、もちろんHさんです。
 2日目の本番は、10時からリハーサル開始なので、8時前には出発です。ということは、その前に家事を済ませなければいけないので、6時には起きなければいけません。せっかくのお休みの日なのに、これは辛いですね。そんな寝不足は「第9」の3楽章でてきめんの効果を発揮しました。2番は休みが多いので、もう眠くてしょうがないのですね。後ろからはクラリネットがまさに子守唄にはもってこいのメロ―なメロディを奏でていますから、もうこのまま眠ってしまいたい誘惑に誘われてしまいます。もちろん、そこはプレーヤーの性、出番になればしゃきっとして吹き始めるのですがね。
 リハも終わってお弁当の時間、去年まであった1日目のサンドウィッチが今年は出なかったのでちょっと心配していましたが、ちゃんとありました。でも、相変わらずメインが見当たらない地味なお弁当ですね。

 お腹がいっぱいになったので、ステージ衣装に着替えます。と、ズボンをはいた時になんだかやたら窮屈な感じがありました。食べ過ぎたせいなのでしょうか。ファスナーを閉めようとしても全然閉まらないのですよ。そこで、その時私はとんでもない事態に遭遇していることに気づくのです。今朝、私の部屋のクローゼットから、確かに私は黒い礼服を取り出してカバンに入れました。しかし、それは、もう何十年も前に買った、その頃の体型に合わせた礼服だったのですね。そんなもの、今の体型で着れるわけがありません。リフォームした時にクローゼットの中もクロスとカーペットを張り替えたので、その時に中身を全部出して、元に戻す時には全然別の並びになっていたのですね。それで間違えてしまいました。ベルトを思いきり締めてみても、ファスナーが上まで閉まるには程遠い感じ、ベルトの下に出来た三角形の窓からは、白いワイシャツがもろ見えです。それよりも、もうファスナーが極限状態ですから、思いきり息を吹き込んだりしたら、取り返しのつかないことが起こるかもしれませんよ。こんなんで、はたして2時間の本番を乗り切ることが出来るのでしょうか。
 さいわい、一旦座ってしまえば余計な力はかからないようですが、やはりいつもやっているような激しいブレスはちょっとセーブしてしまった結果、「第9」の1楽章で出てくる10小節半のAの伸ばしは途中で息がなくなってしまったのが、残念でしたね。でも、とにかく最悪の事態だけは避けられたようで、演奏が終わるやいなや、前を隠して着替え室に走り込み、そのズボンをはき替えたのは、言うまでもありません。
aventure number : 1812 date : 2011/12/4


今日の禁断 小田和正

 角田の「第9」が終わったので、「かいほうげん」のコンテンツはすべて揃いました。当初は角田に1ページ、そしてもう一ネタに1ページと割り振って、2ページ分の余白があったのですが、いざ行ってみると、とても1ページでは収まりきらない内容でした。なんと言っても「20周年」という節目ですから、それなりのことをやっていたのですね。まず、休憩時間にロビーに行ってみたら、たくさんのボードを並べて、その表と裏を使って、第1回目からずっとチラシとプログラムを展示していましたよ。これはぜひ写真に撮って、載せたいじゃないですか。なんたって、ニューフィルは5回目からずっと出演しているのですからね。
 さらに、私は全乗りだったので、降り番の人に頼んで写真を撮ってもらいました。カメラは、私が前に使っていたもの、まだまだしっかり使えます。それを渡して好きなように撮ってもらったら、なかなかいいのが撮れたので、それも載せなければ、などと言っていると、もうそれだけで2ページがすっかり埋まってしまいましたよ。
 ですから、もう一品考えていたものは、1ページ目に持ってこざるを得ませんでした。それが何かは、見れば分かるのですが、震災の前と後とでの練習場の違いです。そこに、この間市民会館で指揮者練習をした時に撮っておいた、やはり震災前後の内部の違いを、並べて1ページにしようと思っていたのですね。まあ、市民会館のは、いずれ次回にでも掲載しましょう。
 角田の写真の加工に手間取ってしまい(寿一さんの写真には、かなり修正が入っています)結局きのう中には版下は出来ませんでした。ですから、今朝になってから最終的に16ページ分のファイルが出来上がったのです。そして、いよいよそれをバラバラにして見開きのページごとに印刷を始めました。順序としては中にあるページから先に印刷です。一番外側のページは、ギリギリになって直しが入ることがあるのですよね。と、その時携帯メールが届きました。この間書いた「私とニューフィル」の第1回目の原稿に、少し手を入れたい、というのですね。このページも一番外側にありますから、それは簡単なことです。しかし、このメールがあと1時間遅かったら、いや、もしかして気がつかないでいたら、もう印刷が終わってしまっていたかもしれませんね。こんな綱渡りが出来るのも、すべて私が手作業で作っているからです。
 それを持って、練習に行くと、なんだか出席者が少なめです。また、大量に「かいほうげん」が残ってしまいそう。しかし、やはり一つ本番をやった後ですから、いかに次の週がまた別の本番だと入っても、なかなかその気にはなれないのでしょうね。確かに、ブラームスなどはずいぶん前の状態に戻ってしまっていたような感じでした。それを、今週末のリハーサルと本番でどこまで高められるか、まあ、ここが正念場ですね。
 そんな、今度の会場のことなどの連絡もあったのですが、なんとこのホールでは、楽屋で音出しが出来ないのですね。しかも、男性の控室は楽屋ではなく普通の会議室のようですから、なおさら音を出すわけにはいきません。こんな状態をちょっと前に体験していたことを思い出しました。大学の100周年記念式典の時に、合唱で参加していたんでしたっけ。その時は、オケの団員と一緒に大きな会議室に閉じ込められて、音はもちろん出せませんが、外に出ることも禁じられていたのですね。えらい人がいっぱい来るので、うろちょろされると目障りだ、という、ずいぶん失礼な扱いを受けていたのですよ。今度は一体どういうことになるのでしょうね。演奏以外にも、なんだか面白いことがありそうです。
aventure number : 1813 date : 2011/12/6


今日の禁断 お弁当

 ニューフィルの公式サイトに、この間の「角田第九」の模様をアップしました。とは言っても、今までのように新しいページを作ったわけではありません。いつもだと、時期的にはまずサイトを更新してから、「かいほうげん」の記事を作る、という手順になっているのですが、今回は、この演奏会が終わったすぐ後に「かいほうげん」を発行する予定になっていたので、まずそちらの原稿を先に作ってしまいました。手順が逆になってしまったのですね。普通は、サイトにもそれと同じ写真を使ったりして、新たにページを作ることになるのですが、今回はかなりカッチリしたものが出来てしまったので、いっそのこと、それをそのままPDFにしてリンクしてやろうと思いました。これだと、まず元のWORDファイルをPDFに変換してサーバーにアップロードするだけですから、ほんの一瞬で出来てしまいます。言ってみれば「手抜き」ですが、まあこんな多角的な活用もいいのかもしれません。今回はたまたま「かいほうげん」が先にあったから出来たことなので、これから先、さしあたっては今週の定期演奏会の様子などは、どうなるかは分かりません。
 もう一つ、最近恒例になった、「かいほうげん」全体のアップロードも、今終わったところです。パスワードが分かる方は、ダウンロードしてみてください。本当は、きちんと製本できるようなプリンターがあればいいのですがね。ただ、これを見ていて、プリントするよりもPDFのままの方がメリットがあることも分かりました。それは、今回の特集の団員の在籍時期のデータなのですが、印刷してしまうと小さくなってほとんど見えなくなってしまうエクセルのデータが、PDFのままで拡大表示にすると、見事に見えてしまうのですね。こんなに高い解像度だったとは。これだったら、本文の中に書いたようにわざわざデータだけをアップしておかなくても良かったのですね。紙媒体よりも、ネット媒体の方が情報量が多くなっているという、実例でした。
 かといって、「かいほうげん」をすべて「電子化」してしまおうなどとは毛頭考えていません。あれはあれで、なににも代えがたい味がありますからね。
 そういえば、だいぶ前にFacebookに登録してあったことを、最近思い出しました。実は、登録をした日というのが、3月11日だったのですね。一通り登録を終わって、あれこれテストなどをやっていたら、突然あの地震がやってきたのでした。そんなつまらないことをやっていたから地震が来たのだ、などと無茶なことを考えて、それ以来Facebookには全く近づく気にはなりませんでしたよ。しばらくぶりにのぞいてみたら、「友達かも」というのがとんでもない数になっていたので、やはりそんな厄介なものはやらない方がいいな、とおもって、またご無沙汰していたら、今度は知り合いから「お友達希望」が来ていたので、それをきっかけにぼちぼちいじり始めているところです。私が試しにブログの「いいね!」からリンクしておいたものが、「3月11日」の日付でそのまま残っていたのが、ちょっとショックでしたね。いまだに使い方が全く分からないのですが、とりあえず「いいね!」ボタンをクリックすると、こちらにリンクが出来るようになっているのですね。今のところはFacebookを使ってなにかをしようとは全く考えてはいないので、おそらく毎回の「おやぢブログ」の更新の時だけ、リンクが出来ることになるのでしょうね。まあ、そのうち、使い方にも慣れてくることでしょう。
aventure number : 1814 date : 2011/12/8


今日の禁断 ハープ

 最近は、レコード業界に関して最新の情報を得るツールがなくなってしまったので、いつも行っているブログに、「EMIのレコード部門がユニバーサルの傘下に入った」などと書いてあったのにはびっくりしてしまいました。あわてて調べてみると、もう1ヶ月も前の話だったのですね。EMIをレコード部門と音楽出版部門に分割して、それぞれユニバーサルとソニーが買収した、と発表されたのだそうです。こんなビッグ・ニュースに1ヶ月も気がつかなかったなんて、私には、こんなサイトをやっている資格はありません、なんてね。
 でも、よくよく考えてみたら、こちらにあるように、ユニバーサルが保有する最大のクラシック・レーベルであるドイツ・グラモフォンは、もともとはEMIの前身である英グラモフォンのドイツの会社だったのですから、巡り巡って元の鞘に収まったのだ、と言えなくもありません。さらに、ソニーだって元をたどればこれもEMIの片割れの英コロムビアの流れなのですから、100年以上経って元のところに戻ってしまったことには、なりませんか?そう思ってみると、別に大騒ぎするほどのことでもないのかもしれません。
 ちょっと前にソニーがBMGを買収した時には、「CBS」と「RCA」が同じ会社から発売されることに、最初のうちは違和感がありましたが、そのうち、両方のレーベルにまたがったボックス・セットが出てくるようになると、こんなのもいいな、と思えるようになってきましたね。おそらく、これでユニバーサルはEMIの音源も含めた、あり得ないようなボックスを出してくるのでしょうね。ただ、こんなことはあくまでも昔のカタログに関することでしかありませんから、クラシックに関しては間違いなく新しい録音は激減してしまうことでしょう。メジャー・レーベルがクラシックにそっぽを向き始めてからだいぶ経ちますが、その傾向はさらに加速されることになりました。
 親会社が買収されたのですから、その日本の会社もどうにかなってしまうのでしょうね。かつてBMGジャパンのクラシック部門の社員だった人は、リストラにあってしまい、今ではカフェをやっているのだそうです。でも、EMIミュージック・ジャパンの場合、もうとっくにクラシックの正社員はいなくなってしまったそうですから、そんな心配もないでしょう。
 そんな、業界のごたごたは、アマチュアの音楽団体の真摯な活動には何の影響も及ぼすことはありません。明日、ついに1年ぶりの本番を迎えるニューフィルは、初めてヴァイオリンがほぼ全員そろった状態で、いつも通りの末廣さんの熱心なリハーサルを受けていました。最後の練習ですから、本番通りの順番で進みます。最初は、弦だけの「杉西ハル」あるいは「杉田ハル」です。急にエキストラが加わったためか、「第9」が間に入ったためか分かりませんが、最初のうちはアンサンブルはガタガタでしたね。でも、それが末廣さんの的確な指摘によって、みるみるカッチリしたものに変わっていくのですから、これはちょっとスリリングでした。目の前で、弦がどんどん本番モードに変わっていきます。
 それは、「ペール」でも同じこと、ここに来て初めて、末廣さんは本気で本番向けの仕上げにかかってきたように思えてしまいます。やはり、きちんとフルメンバーが揃ってこその練習なのですね。ブラームスだって、これだけのヴァイオリンがいなければ、なかなか本気にはなれないのでしょうね。
 そんな、合奏のレベルがワンランク上がった中で吹いていると、いい加減なことは出来ないという緊張感で、とても疲れてしまいます。考えてみたら、フルートでは全乗りは私だけだったのですね。でも、これは心地よい疲れ、一晩休めば、明日はもっと快適な疲れを味わうことが出来ることでしょう。
aventure number : 1815 date : 2011/12/10


今日の禁断 川内

 ニューフィルの1年ぶりとなる定期演奏会は、無事終了しました。心配された会場の音響も、それほどひどいものではなく、今までの演奏会とほとんど変わらないものを提供できたのではないでしょうか。集客もまずまずでしたし。
 今日は日曜日なので、演奏会もマチネー、それで、集合時間は朝の9時半ということでした。自宅からは20分もあれば着いてしまうところですが、まあ余裕を持って9時少し前に出発です。途中、観光駐車場の前を通ります。演奏会場の国際会館には地下に駐車場がありますが、それほどの台数は入らないので、セカンドチョイスがここになるわけです。ところが、そこがその時間にすでに満車状態、ゲートの前には入場を待つ車が列を作っていましたよ。いったい、なにがあるというのでしょう。
 国際センターに着いてみると、なんと私が一番乗りでした。すでに荷物を積んだトラックが搬入口に待機しているので、とりあえず軽いものだけ私が運ぶことになります。最近はこんなことばっかりですね。ですから、山台を組んだりする時には、実務は他の人に任せて、私はもっぱら初めてのこのホールの写真を撮りまくります。

 ゲネプロが始まる前に、外に出てこのセンターの写真を撮ってみました。そうしたら、その時点でもうここの駐車場も満車になっていたのですね。これでは車で来ても止めるところがなくなってしまいます。ここは街中ではありませんから、付近にコイン駐車場などはないのですよ。そのうちに、次第にその状況がはっきりしてきました。すぐそばの美術館で開催されているフェルメール展が、最終日を迎えるということで、駆け込み入場者があふれて、駐車場だけではなく、この辺一帯がものすごい渋滞になっているというのですね。朝に見た駐車場の列は、美術館のお客さんのものだったのですね。ですから、みんなチケットを渡した知り合いには、そんな状況を説明してほしい、という連絡がありました。確かに、団員でも、車で来てはみたもののどこにも止められずに、結局家へもどってタクシーで来たという人もいたぐらいですからね。お客さんがちゃんと来れるかどうか、心配になってしまいます。

 きのうに続いての、本番の順序どおりのリハーサルで、私は最初にピッコロを吹いて、そのあとにフルート、というコンディション作りに余念がありません。これは、かなりハードな演奏になるはずです。ある程度ペース配分を考えておかないと、ブラームスの最後まで持ちこたえることが出来なくなってしまうかもしれませんからね。そこで、相変わらずピッコロのコンディションが、なかなか思い通りにならないことが分かってきます。ある意味、長くて大変なブラームスよりも、私にとっては「ペール」でのピッコロの瞬間芸の方が、ハードルが高いように思えてきました。
 ですから、本番で、思いのほか最初のピッコロの調子が良かった時には、「嵐」のハイHがクリアできた時点で、もう私自身の山は越えてしまったな、と思えてしまいました。ですから、メインであるはずのブラームスは、もはやなにも考えなくても自動的に音が出てくるような状態になれていましたよ。リハーサルまで、なかなかオーボエと合わなかった2楽章の最後の音のピッチも、本番では見事に決まりましたしね。まあ、私としては、3回目にしてこの曲がやっとマスターできたという感じですね。
 打ち上げでの末廣さんのメッセージは、「まず、いいところから」という出だしで、いい音楽が出来たとほめてもらえました。しかし、末廣さんのことですから、当然「次はわるいところ」となるわけです。ここでは、やはり今のニューフィルの最大の問題点が指摘されてしまいました。これまでの練習でも、「左半分がさびしい」とか、「下半身デブ」とか、冗談半分に言われていたことですが、これはもう何年も前に「練習の時に人数が揃っていなければダメ」と言われたことなのですよね。

 かと思うと、声を詰まらせながら、こんな状況の中で演奏会が開けたことを祝ってくれる人もいました。言われてみれば、確かに、多くの苦難を乗り越えてここまで来たのだ、ということなのでしょうが、私の中ではもうそんな段階はとっくに終わっていました。ニューフィルは、多くの面で恵まれていた、それだけのことなのですよ。
 ちなみに、入場者数は701人でした。
aventure number : 1816 date : 2011/12/11


今日の禁断 ワーグナー

 おとといの演奏会のDVDとCDが、もう届きました。いつもながらの、Wさんの手作りDVDと、手作り宅配のおかげです。ありがとうございました。いま見終わったところです。まあ、演奏自体はこうして記録を聴くといろいろアラが目立ってしまいますが、会場で見ていた人にはなかなか伝わるものはあったのではないでしょうか。
 ゲネプロの時に最初の「春」を聴いて、いつもながらの末廣さんの手腕に感心したものでした。それまでの練習ではかなりバタバタしていたものが、しっかりお客さんに聴いてもらえるグレードのものになっていたのですからね。それは、DVDでも分かります。これを聴いただけで、「やはりニューフィルはすごい」と思ってもらえたことでしょう。
 でも、私が演奏していたその他の曲は、やはり自分の演奏が気になってしまい、なかなか良さは見つけられませんでしたね。もっと歌いきっていればよかった、とか、もっと合わせられたのに、とかね。でも、第2楽章でヴィオラのメロディに伴奏を付ける部分では、練習の時にさんざんヴィオラパートから文句を言われて、なんとしても聴きあって合わせてやろう、と思っていましたから、本当に見事に「受け答え」が出来ていたように聴こえました。吹きながら感じていたことと、映像での印象がちゃんと合致していたので、これはうれしいことでした。
 4楽章のソロは、本番では結構大変でした。練習の時にはあまり全体を通してはいませんでしたから、このソロにたどり着くまでにパート譜にして丸々1ページ分の間、楽器を離すことが出来ないことに、ゲネプロになって初めて気がついたのでした。本番の時はかなり暑かったので、出来れば一回汗を拭きたいな、と思っているうちに、とうとうソロになってしまったのですね。とりあえずいつもどおりに吹けてはいたのですが、最後の低音のDが、なんだかスカスカになってしまったようでちょっと心残りだったのです。でも、録音を聴くとなんだかずいぶんしっかりした音に聴こえましたね。これはちょっと意外。なんだか安心しました。
 それと、2楽章などでは、意識して低音で「抜いた」音を使うようにしてみました。これも、聴いてみると狙った通りの柔らかい響きになっていて、これなら使えるな、と、やはり一安心です。
 でも、やはり全体的に力が入り過ぎて、ちょっと辛いですね。私もみんなも。ですから、最後のアンコールは、楽屋にあいさつにみえたTさんが言っていたように、力が抜けていて、とても素敵でした。

 今回は、客席で聴いている時間はなかったので、公式サイトに使うために、降り番の人にカメラを預けて、写真を撮ってもらいました。その中に、こんな、ブラームスの最後で私が立たされているところを撮ってくれた1枚がありました。こんな写真はなかなか撮れないので、私にとってはとてもうれしい贈り物でした。もっと嬉しいのは、まわりのメンバーがすごくうれしそうな顔をしていることです(小さくて分かりませんが)。ほんと、こんなメンバーの中で演奏出来て、本当に幸せです。
 その公式サイト、きのうのアクセスがなんと100を超えていました。これは、一番下にあるカウンターの上にポインターを置くと、1週間分のアクセスが分かるので、見てみてください。おそらく、そろそろ演奏会のページが出来ているのだろうと思って見に来た人が多かったせいなのでしょうね。本当は今日作ろうと思っていたのですが、つい、DVDに見いってしまって、もう時間がなくなってしまいました。明日にはぜひ作りたいと思っていますから、もう少しお待ちくださいね。
aventure number : 1817 date : 2011/12/13


今日の禁断 一番町

 震災の時に、職場のお隣にある青葉神社の石造りの鳥居が崩壊してしまったことは、こちらで何度もお知らせしてきました。それは、ものの見事に砕けてしまい、もはや鳥居の原形をとどめるものではありませんでした。それでも、やはり一つ一つの破片はかなり大きな石の塊ですから、撤去もままなりません。とりあえず、人が通れるだけのスペースは空けて、参道の両脇に寄せられはしたものの、それ以来9カ月の間、全く手つかずでその無残な姿を曝し続けていました。その間にはお祭りなどもあったのですが、その石の塊をよけるように屋台が並ぶさまは、ちょっと異様でしたね。
 それが、やっとのことで復旧工事の手が入ることになったようです。12月12日の朝にこの前を通ると、明らかにこのための工事だと思われる資材を積んだトラックが止まっていたので、その模様を記録してみようと、逐一写真を撮り続けることにしました。

 これが、撤去作業の前の状態です。なぜか、それぞれの破片には番号が付けられていました。まさか、これをもう一度組み立て直して、鳥居にするのではないでしょうね。それは、ちょっと怖い気がします。

 まず、クレーン車が入れるように、石段を平らにする工事が行われます。最初の日は、これだけで終わってしまいました。

 13日には、いよいよ大型クレーンの登場です。

 少しずつ破片が取り除かれていきます。やはり、再利用はしないようですね。

 14日になったら、なんだか向こうの方で石を積み上げてなにかオブジェのようなものを作り始めましたよ。

 その間にも、破片の撤去は続きます。

 15日になったら、鳥居のかけらはすっかりなくなっていました。向こうのオブジェは、なんだか記念碑みたいな形になっていましたよ。

 確かに、これはある種のモニュメントとして、後世に残しておくものなのでしょう。

 このように、作られた年が掘られている石が集められています。これを見ると、「昭和3年」にこの鳥居は作られたことになりますね。80年以上もここに立っていたのですね。長い間、本当にご苦労様でした。

 これで、ひとまず鳥居の残骸はきれいに撤去されましたが、これから先はどうなるのでしょう。やはり、新たに何らかの形で鳥居を建設することになるのでしょうね。それが出来るまでは、とりあえずはこんなんで我慢していただくことにしましょうか。「使い回し」ですが、ないよりましです(いや、これではあんまり・・・)。
aventure number : 1818 date : 2011/12/15


今日の禁断 ホーマック

 ここのところ、週末はいつもコンサートの本番だったりしましたから、なかなかまとまった時間が取れなかったのですが、やっと今日になってポッカリ私だけが使える時間が出来ました。そこで、懸案だった「棚作り」にとりかかったのです。リフォームが終わって真っ白なクロスに覆われた私の部屋は、いかにもすっきりしていてさびしすぎます。なによりも、ここに本来の資料などが入っていないことには、日々の更新にも差し支えますし。

 前にあった棚をもう一度組み立てるにあたって、少し「改良」を施してみようと思いました。一番上の棚板を、幅の広いものに替えてそこにもっと物が置けるようにしようとしたのです。そのためには、新しい板材を買って来なければなりません。今のものは、もう20年以上前に作ったもので、材料はすぐそばのホームセンターから買ってきましたが、今回同じラワンの板がないかと見てみたら、もうすっかりなくなっています。仕方がないので、ちょっと遠くのもっと大きなところに行ってみたのですが、やはりラワンはなくなっていました。結局、もっと軽めの集積材を買ってきましたが、色目が全然違っています。

 一番大変だと思われた、外側の板の組み合わせは、やはり一人では大変でした。でも、なんとか頭を使って問題なく組み上がりました。
 あとは、それぞれの角をネジで止めるだけです。分解する時に金具やネジはそのまま付けておいたので、間違えることなくみんな収まるべきところに収まって、すべて完了です。



 作業を始めたのが午後2時、ここまで出来たのが午後4時、2時間「も」かかってしまいましたね。まだまだです。
 リフォームする前は、こんな汚い棚は捨ててしまって、新しい出来合いのものを買おうと思っていました。でも、実際に解体してみると、まだ十分使えるし、これほどしっくりくるものは他では売ってはいませんから、まだまだ使ってやろうという気になりました。やはり、こういうものはそうそう捨てられるものではありません。
 私にとって全く新しいツールであるフェイスブックは、どのぐらい使えるものなのか、いまだに手探り状態が続いています。とりあえずブログへのリンクを毎回張っていたら、結構アクセスが増えては来たようですが。
 ニューフィルの団員でも、結構登録している人がいるようですね。とにかく、「友達」つながりがあまり増えるのは煩わしいので、出来るだけこちらから「友達」になるのは自重気味なのですが、寄せられた希望には応えるようにしています。ただ、機能については出来るだけ極めたいといろいろいじっていたら、なんと、「仙台ニューフィル」のフェイスブックが出来てしまいました。勝手に私が「管理人」になっているのですね。ログイン情報などはどうなっているのかなどは全く考えていなかったのに、どうやら同じアカウントで切り替えが出来るようなのです。ただ、「いいね!」がある程度増えないと、まともなサイトには昇格できないようなのですね。とりあえずこちらに行って、せっせと「いいね!」をクリックしてみてください。
aventure number : 1819 date : 2011/12/17


今日の禁断 ザリガニ

 ニューフィルのFacebookページの「ファン」は、まだ4人しかいません。そのうちの1人は私ですが、残りの3人はコントラバスとパーカッション、確かに、このパートにはこういうことに渋く対応する人が揃っているみたいですね。いや、別に団員ではなくても大丈夫ですから、Facebookに登録している人は「いいね!」をよろしく。
 実は、最近WOWOWで「ソーシャル・ネットワーク」という映画を見ました。これはもちろんFacebookの創業者のマーク・ザッカーバーグを主人公にしたお話です。WOWOWでやるぐらいですから、劇場で上映されたのは1年以上前のことになるのですが、その頃はFacebookと言われてもピンとこない人の方が多かったのではないでしょうか。それが、今や、こういう「ソーシャル・ネットワーク・サービス」というものにはほとんど興味を持てなかった私までも、個人で登録しただけではなく、ページまで作ってしまうのですからね。
 映画の中でもザッカーバーグが「Facebookはファッションのように変わり続ける」と言っていたように、ほんの少し体験していただけでもこれがどんどん変わっていっているのが実感できます。さっきの「Facebookページ」だって、ちょっと前までは「ファンページ」という名前だったそうですね。ですから、登録する時にも「オーケストラ」というカテゴリーはなかったものですから、とりあえず「楽器」なんてところに放り込んであります。そのうちちゃんと「オーケストラ」というカテゴリーもできて、少しは居心地が良くなるかもしれませんね。そもそもアーティストの応援サイトのような位置づけですから、「リリース日」などという項目もあったりしましたから。
 「ファン」、つまり「いいね!」の数にこだわるのは、これも少し前までは、一定数(25人だったかな)以上の「いいね!」がないと、ちゃんとしたURLがもらえなかったからなのです。ただ、それもやはり少し変わったようで、私が登録した時には誰も「いいね!」と言っていなかったのに、ちゃんと「www.facebook.com/sendainewphil」という、私が希望したURLがなんの問題もなくもらえてしまいました。でも、それをもらった時になにか「これは正式なものではない」みたいな表示が出ていたのがちょっと気になりました。というのも、普通はURLの最初に「htpp」という、プロトコルをあらわすものがつくのですが、それが「https」という、セキュリティを強化したものになっていたからです。とは言っても、それを「http」に変えても何の問題もなくアクセスできるので、いまいちこの仕組みが良く分からないのですがね。ネットに関しては、まだまだ初心者です。
 それはそうと、やっと私の部屋の棚が出来上がったので、中にあったものを元に戻さなければなりません。例のポンプ室に段ボール箱に入れてうず高くしまっておいた本やらCDやらを、いよいよ運び出す作業を始めることにしました。まあ、職場に行ったらヒマな時に車に積んで、夕方それを持って帰る、というだけの話なのですがね。
 ほぼ1カ月しまっておいた箱は、当然のことながらどこに何が入っていたのかなどはすっかり忘れてしまっています。手当たり次第に前の方から運び出して持って行くしかありません。せいぜい一度に8箱ぐらいが限度ですから、何日かかることやら。しかし、このポンプ室は竹やぶのすぐそばにありますから、ほとんど「山の中」に建っているようなものです。そこで、一応鍵は掛かっていますが、ドアの隙間などからいろんな生き物が入ってきますね。クモとかムカデ、ゲジゲジなどといった気持の悪い足のたくさんある動物や、たまにはトカゲやカエルやヘビという、ピカピカでネバネバなんかも入ってきますよ。ですから、一番上の箱を運ぼうと持ち上げてみたら・・・・その下の箱の間には無数のクモとムカデがウジャウジャと・・・いたりしたら、本当にびっくりしますよね。いえ、いたのはほんの小さなクモが1匹だけでした。でも、こんなものを家へ持って帰ったら大変なことになりますから、しっかりおうちにかえしましたよ。
 コントラバスの胴の中に、もしかしたらムカデかなんかが入ってたりして。
aventure number : 1820 date : 2011/12/19

11/12/21-12/1/28