1721(11/6/5)-1740(7/13)

今日の禁断 100周年

 今日パリンカの練習に行ったら、約3人の方に、「新聞、見ましたよ」と言われました。「見たことのある場所だったので、もしや・・・」とか、やっぱり新聞の威力は大きいものですね。そのせいかどうか分かりませんが、ヴァイオリンを演奏する方が入団希望のメールを寄こしてきたりもしていました。確かに、これは大きな宣伝になるはずですから、これを機会にもっと入団希望者が集まってくれればいいのですがね。あ、管楽器は今のところ空きがありませんから、入団は弦楽器の方に限らせていただきます。ほんと、フルートあたりはしっかり4人出席していますから、この間みたいに楽譜を渡してその場で合奏、なんて時には、ちょっと困ってしまいます。管楽器の場合はパート譜は1パート1部しか用意していないものですから、2人分しかパートがない時には、もう1枚ずつコピーしないと、演奏できない人が出てきてしまうのですよ。きちんと乗り番が決まっていればそんなことは必要ないのですが、今回はそんなことはやっていられませんでしたから、みんなで吹くためにきちんとアシの分まで楽譜が用意されていないと困ってしまいます。さいわい、すぐそばの職場にはコピー機がありますから、夜中にそこに忍び込んで、何度コピーをやったことでしょう。最初から来る人数分だけコピーしてあれば、そんなことをする必要はないのですが、管楽器の事情を知らない人にそこまで要求するのは酷なことですからね。なんたって、必ずしも全員が来るというわけでもありませんからね。そんな、ちょっとしたことで気を使わなければならないのが、今回の一連の練習で、ちょっとストレスになってしまったことでした。早いとこ曲目が全部決まって、普通に自分の役割のパートだけを吹けるようになりたいものです。
 パリンカでは、練習が終わってから役員会がありましたが、こちらも今年の定期演奏会をどうしようか検討中です。6月の20日に青年文化センターで演奏会の予定だったものが、結局そのホールの再開は7月からになったので、会場は使えませんでしたし、練習もできませんでしたから延期になっていたのですよ。それが、あくまで会場が見つかったら、という話ですが、11月末か12月頭に演奏会を開くことになってしまいました。もし会場が取れたりしたら、私にとってはとんでもないスケジュールになってしまいますね。最悪、3週間連続本番という事態です。まあ、なにしろ会場の事情が流動的ですから、いったいどうなることやら。
 もう終わってしまった演奏会では、その後始末があるようです。NYに行って来た「萩」のメンバーが、「演奏会の感想文を、ネットで見られるようにしてほしい」と言ってきたのですね。実は、「萩」のメンバーの中には、「コール青葉」に参加している人もたくさんいます。「青葉」のサイトには以前から掲示板があったので、そのうちの何人かが、そちらにNYのことを書き込んでいました。それを見て、なぜ本家の「萩」で同じことが出来ないのか、と思ったのでしょうね。私も、そういうこともあろうかと、一応専用のブログを用意しておきました。コメント機能を、掲示板として使ってもらえれば、と思ったのです。しかし、実際にやってみると、コメントは字数が限られていて、ちょっと長い文章だと送れないことが分かりました。今さら掲示板を新たに設置するのも面倒なので、結局テキストをメールで送ってもらって、私がブログに貼りつけるというやり方をとることにしました。というか、もっぱら「青葉」の掲示板をコピーして、「萩」のブログに貼りつける、という作業ですね。
 というのも、「青葉」の掲示板は、認証がかかっていて、「萩」の人全員が見られるわけではありません。ですから、「萩」のことを書いたものでも、こんな手間をかけないと読めないということになっているのです。それぞれに、同じ大学の合唱団OBが中心になって作った合唱団ですが、こんな風に簡単には「相互乗り入れ」が出来ないのは、なぜなのでしょう。
aventure number : 1721 date : 2011/6/5


今日の禁断 ブラームス

 この前の「かいほうげん」を発行したのが2月1日でしたから、なんと4ヶ月ぶりとなる最新号が、今日発行されました。なんか、感慨無量ですね。まあ、記事を集めて編集、ファイルを作って印刷して製本と、すべて私一人でやっているので、その感慨はなんとも個人的なものにならざるを得ませんが、私の中では、これでワンステップ先に進めたな、という気がしています。ページ数も前と同じ、しっかり16ページを確保していますしね。
 この前書きましたが、先週までに必要なものはほとんど出来上がっていました。あとは、事務的な入団希望者の紹介とか、人事異動に関することが事務局から届くのを待つばかりだったのです。いつもは、遅くとも金曜日までにはFAXが届いていましたから、楽々印刷が間にあっていたのですが、今回届いたのが月曜日(つまりきのう)の午後3時過ぎだったのですから、ちょっとヤバい感じでした。結局、きのうはそれをとりこんでページを作っただけで作業はおしまい、残りの仕事は今日に持ち越しというギリギリの進行になってしまいましたよ。
 今日になってやったことは、個別に作っていたトピックスを、16ページの大きなファイルにまとめるという作業です。そうしておけば、印刷の時にそのファイルだけを開いておけば、あとはページを指定するだけでいいのですから、とても楽になります。というか、今までは見開きの印刷用の2ページ分のファイルだけを作っていたものですから、急にページを差し替えたりした時にはとても面倒くさいことになっていたのですね。
 実は、そういう全体のファイルを作るのは、印刷の都合だけではなく、サイトに乗っけるためにも必要なことでした。いや、もともとはその目的のためだったような気がします。もうすでにこっそりアップしてありますから、公式サイトの「データ」あたりから探していくとダウンロードのリンクが見つかるはずです。最新号ももう少ししたらそこに入れますが、とりあえず、こちらから直リンクでダウンロードが出来ますよ。
 ただ、これはどなたにも見ていただきたいのはやまやまなのですが、あまりおおっぴらにしてしまうのも問題がありそうなので、認証をかけてむやみやたらにアクセスは出来ないようにしてあります。もちろん、ここにきてらっしゃる方であれば「不特定多数」ではないので問題はありませんから、入手したい時にはメールフォームでパスワードなどをお問い合わせください。
 そのメールフォームというのは、こちらです(トップページからも行けます)。つまり、私のメールアドレスを公開しなくても連絡が取れるというツールで、ここに書き込んで送信していただければ、私のところにメールが届きます。同じように、ニューフィルの公式サイトのメールフォームも、やはり私に直結しています。ですから、ニューフィルに対する問い合わせなども私のところに届くのですね。最近の○北新報のように。これが有効に作用するのは、入団希望の人が連絡を取りたい時などです。今まで、何回ここ経由で「釣れた」ことでしょう。
 そんな、入団希望のメールがこの間届きました。待望のヴァイオリン・パートの希望者です。今のニューフィルは喉から手が出るほどヴァイオリンを必要としていますから、これを逃すわけにはいきません。ところが、こちらから連絡を取ろうとそのメールに返信したら、エラーになって戻って来てしまったのですね。これが、メールフォームの落とし穴、自分で記入したアドレスが間違っていた時には、返信が出来なくなってしまうのですね。せっかく希望しているのに、連絡が付かないために逃してしまうなんて、あまりにも残念です。もし、お心当たりのある方は、アドレスを確認して再度メールを送ってくださいね。
aventure number : 1722 date : 2011/6/7


今日の禁断 ビバホーム

 仙台市内で、ともに有数の活動実績を持っているオーケストラと合唱団に、私は所属しています。オケは、なんたって宮城県の芸術選奨を去年頂いたりしていましたからね。実は合唱団の方も、だいぶ前に同じもの、ただし「新人賞」の方をもらっていたことを、最近知りました。確か、その頃合唱コンクールの全国大会に出場して金賞をかっさらってきたのですよね。つまり、この賞に関しては合唱団の方が先輩だったことになります。その授賞式が去年は今頃あったのですが、今年はまだそんなニュースを見ていないような気がします。震災のため、それどころではなくなっているのかもしれませんね。
 そんな由緒ある団体が、現在、両方とも練習を私の職場で行っている、という状況に置かれています。これはもちろん、今まで練習会場に使っていたところが使えなくなってしまったためなのですが、これはもしかしたらかなりすごいことなのではないのか、と思うようになってきました。なにしろ、私が行かないことには練習が始まらないのですからね。つまり、厳密なことを言えばお寺としてそのような全く関係のない特定の団体に施設を「貸す」ということは、あまり好ましいことではないのですね。ですから、これは、単にそこの職員である私が、誰も使っていない時間帯に自分の趣味で職場の施設を使う、という位置づけなのですよ。それが一人ではできないオーケストラや合唱なので、仲間を呼んで一緒にやっている、ということなのですね。どうです。すごいでしょ?
 ですから、もし私が風邪でもひいて練習に行けなくなってしまったら、いったいどうなるのでしょうね。その時は練習もお休みです、なんてね。いや、まさかそんなことにはならないでしょうが、突き詰めていくと自分の立場がそこまでのものになっていることに気が付いて、ちょっとびっくりしているところです。まあ、そんなことにはならないように、一日も早く本来の練習場が復旧してくれることを願っていてください。
 ニューフィルの時には、7時から合奏が始まることになっていますが、6時になるともうやってくる人がいます。私としては、出来るだけ楽をしたいものですから、今では極力部屋の準備はしないようにしていて、そんな早くやってきた人たちに手順を覚えてもらうようにしています。まず最初に机を端に寄せるという作業があるのですが、その時の机の置き方とか重ね方ですね。そんな「極意」を「伝授」した人がだいぶ「育って」きましたから、そうなれば私は何もしなくてもよくなります。
 終わった後も、とても面倒なことのように思われていた襖の復元も、だいぶ理解してもらえるようになってきました。実は、この前ご紹介した襖の文字なども、そんな必要性のために「かいほうげん」に載せた、という意味もありまして。
 パリンカの場合は、別のことでちょっと大変なところがあります。それはピアノの移動です。最初のうちはキーボードで間にあわせていたのですが、コンクールの曲にはどちらもピアノ伴奏が付くことになったので、やはり本物のピアノが必要になったのですね。ピアノ自体は去年の「かやの木コンサート」で使ったように、本堂に置いてあるものがあったのですが、それを団員総出で会館まで運んできました。床を傷つけないように、茣蓙を敷いた上に一旦ピアノを置いて休みながら、さんざんな目にあってやっと運び終えましたね。そのピアノも、練習が終わるとじゃまにならないところに移動しなければならないので、それも結構大変、「若い人」が8人はいないと運べないのですね。アップライトでも。
 なんとか、そんなに人手が集まらなくても移動できないか、と考えてみました。さいわい、会館はバリアフリーになっていて、敷居の部分で持ち上げる必要はありませんから、コンパネをもう1枚買ってきて、前にあるもう1枚とを交代に敷いた上を転がす、ということを試してみようと思っています。これだったら、腰を痛めることもないでしょう。「若い」団員でも、ピアノを運んだ翌日は腰が痛くなる、という話ですからね。「私の趣味」でそんなことになってしまったら、申し訳が立ちません。
aventure number : 1723 date : 2011/6/9


今日の禁断 緘口令


 合唱を始めるようになってから、今までとは違ったルートで楽譜を買ったりするようになっています。そんな合唱専門のお店の中に「パナ・ムジカ」というところがあります。一度通販でリゲティの「ルクス・エテルナ」の楽譜を買ったら、そこからメルマガが届くようになりました。ほとんどが、それこそ狭い「村」の中のどうでもいいような情報ばかりなのですが、ごくたまにはちょっとそそられることが書いてあったりするので、むげに削除するわけにはいきません。そこで、「日本の合唱史」という新刊のことを知ったので、さっそく買ってみました。私の場合、合唱に関しては何十年かのブランクがあります。久しぶりにその世界に足を突っ込んでみると、全然聞いたことのないような作曲家が活躍したりしていて、まさに浦島太郎状態だったのですね。ですから、その間を埋めてくれる情報がもしかしたら得られるのではないか、という期待があったのですね。まあ、そこまで行かなくても、最悪「おやぢ」のネタにでもなれば、ということなのですが。
 しかし、読んでみると、それほど面白い本ではありませんでした。私が知りたかったことに関しては、全くと言っていいほど触れられていなくて、書いてあったのは私が昔合唱をやっていた時に得た知識でも十分カバーできることばかりだったのですね。作曲家のことでも、それなりに評価の固まっている昔の人たちに関してはきちんとその業績が述べられているのに、本当に知りたかった最近の作曲家については、最後に一覧表として列挙されているだけで、正面きってのコメントは全くないのですからね。おそらく、今活躍している人たちへの評価などは、この本を作った人にとってはタブーなのでしょうね。そういう「村」根性は、こういう世界にはありがちなことですから、仕方がないことです。
 結局、その程度の本なのだろう、こんなものは特に語るに値しないな、と思いかけて、さっきの一覧表を眺めていたら、とんでもないミスプリントを見つけてしまいました。それは、作曲家を生年順に並べているのですが、高橋悠治が西村朗や鈴木憲夫(かつて「ケンプくん」と呼んでいた、同じ合唱団の仲間です)と一緒に「1953年生まれ」になっているのですね。彼がそんな年代ではないことは、いやしくも日本の作曲家を語る立場にある人であれば、当然分かるはずなのに(正しくは1938年生まれ)。もしかしたら、この本を作った人は悠治本人のことはなにも知らなかったのかもしれません。これはミスプリント以前の恥かしいこと、そもそもそんな人がこういう本を作ること自体が間違いだったのでしょう。
 だいぶ前にこんなこと(認証がかかっていますが、ID=kindan, PW=dankinで開きます)を書いていましたが、私は高橋悠治が最前線で活躍していたころに、もっぱらこの「現代の音楽」という番組で情報を得ていました。そういう人は他にもいたようで、さっきの「禁断」を見た人が、ご自身でエアチェックしていた膨大なテープをCDに焼いて、私に送ってくれたぐらいです。
 ところが、そんなコアな音源が、なんと新たにNHKのマスターテープからマスタリングを行ったCDとして販売されることになったという情報を、たまたまネットで見つけました。初回のリリースは、悠治と同年代、1933年生まれの三善晃のオーケストラ付きの合唱曲、それが初演された時のライブ録音という貴重なものです。NAXOSはすごいことをやってくれました。とは言っても、そのリストの中には悠治の名前が見当たらないのでは、喜びも半減ですが。というより、NAXOSには以前ニューフィルの演奏会の時にチラシを挟んでやった、という「恩」があるはずなのに、この件について私にはなんの知らせもなかったのが、とても残念です。
aventure number : 1724 date : 2011/6/11


今日の禁断 クラシカ

 32型の液晶テレビを買ってから、HDDの録画モードを、すべてのデータをフルで記録できるDRモード(要するにBDモード)に切り替えたのはだいぶ前のことです。それから、ドラマや映画、コンサートなどを録画したものをさんざん見てきたわけですが、気が付くと、もうすっかりそれに目が慣れてしまって、もはや元には戻れなくなってしまっている自分に気が付きます。正直、映画などは劇場に行かなくても、これで十分なのではないか、とさえ思ってしまいます。音だって、サラウンドこそ無理ですが、クオリティだったら劇場に負けてはいませんからね。最近はかなり改良されてきましたが、それでも劇場の音は「クオリティ(音質)」よりは「クオンティティ(音量)」重視ですからね。あんなバカでかい音でなくても、我が家の書斎の方がよっぽど繊細な音が出せますって。
 もっとも、仙台では劇場で見ようにも、震災の影響で映画館そのものがずっと休業状態が続いていました。「仙台フォーラム」あたりはかなり早い時期に再開されていたようですが、正直、あんなしょぼいところにわざわざ行って映画を見る気にはなりません。やはり、見るならちゃんとしたシネコンで見たいじゃないですか。
 それでも、利府のMOVIXは先月から再開しましたし、長町のMOVIXもやっと来週からは開業されるそうですので、とりあえず行きたい時には行ける体制は整うことになりました。まあ、もはや、間違いなくWOWOWで放送されるような普通の映画を見に行くことはないでしょうが、3Dとかだったら行くかもしれませんし。もっとも、これもアイマックスの3Dというのを体験していますから、普通のサイズでは物足りなくなって1回行ったら充分、ということにもなりかねませんがね。
 実は、利府のMOVIXでは、震災前にはMETの「ライブビューイング」をやっていました。METの今年のプロダクションを、本来はオンラインでリアルタイムに映画館で上映するシステムなのでしょうが、日本では少し遅れて送られてきたデータを上映しています。利府で去年まではやっていたのかどうかは分からないのですが、今年になってこの告知を見つけて、とても楽しみにしていました。なんたって、METの上演そのままに、しっかり休憩時間を取って全曲を丸ごと体験できるのですからね。というか、他のブログなどでこれのレポートを見てると、うらやましくてしょうがなかったのですよね。ただ、場所が場所ですからね。利府のような辺鄙なところで、オペラだけを見るために3時間も4時間も映画館に座っている人がどのぐらいいるのか、そんなのも実際に「体験」してみたかったのですよ。いや、もしかしたら私一人でオペラハウスを貸し切り状態に出来たかも、とかね。そんな贅沢なことは、利府だからこそ出来ることですね。とりあえず、最後の演目、6月からの「ワルキューレ」だけは、どんなことがあっても行くのだ、と、固く心に決めていました。

 全部で12の演目が予定されていたのですが、その半分が終わった後に、あの震災が起こりました。利府ももちろん甚大な被害を受けて休業に追い込まれたのですが、いくらなんでも6月までには復旧出来て、その「ワルキューレ」には間にあうだろう、と考えていました。実際、5月には再開されたので利府のサイトに行ってみると、しっかり「METライブビューイング」のバナーがあったので、勇んでサイトに飛んでみると・・・なんと利府だけ「上映中止」ですって。単純に、劇場が再開すればこれも再開できると思っていた私が甘かったのですね。だったらバナーなんか貼らないで欲しいものです。もしかしたら、あまりにお客さんが少なかったので、利府にしてみれば望むところだったのかも。うーん、来シーズンはどうなるのでしょうね。ぜひ「MET貸し切り」を実現させたいのですが(そっちか!)。
aventure number : 1725 date : 2011/6/13


今日の禁断 シューボックス

 もしやと思って、きのうのニューフィルの練習に臨んだのですが、やっぱりこの前アンケート経由で入団希望をされた方は、来ませんでした。もう1度連絡をもらえるように、と、公式サイトでお知らせしていたのですが、見てはもらえなかったのでしょうね。貴重なヴァイオリンのメンバー、せっかく連絡を頂いたのに、本当に残念なことをしました。本当に、ヴァイオリンの団員は少なくなってしまいましたね。きのうだとファーストが2プルト、セカンドが3プルトぐらいでしょうか。まあ、いつもは来ててきのうはいなかった、という人もいたので、実際はもう少しいるのでしょうが、練習が再開してまだ1回も顔を見せていない人が一人いるのが気になります。その人はニューフィル創立時からのメンバーという、今となっては貴重な団員ですし、退団や休団の報告も受けていないので、何か特別な理由があって来ないのかもしれませんね。畳の部屋では演奏できない、とか。そういえば、この人のことを演奏会の打ち上げで見かけたことがありません。
 この会場、直接日が差し込むことはなく、建物自体は鉄筋コンクリートなので、今頃の陽気だと部屋の中はひんやりしています。しかし、みんながぼつぼつ集まってきた頃から、机を隅に寄せたり、椅子を運んだりしていると、軽く汗ばんでくるほど暑くなってきます。半袖のTシャツでも汗をかいてしまうぐらいです。その上に、これから50人以上の人が集まれば、それだけで温度は高くなってしまうはずなので、最初からエアコンを入れておくことにしました。先週は、暑くなってから入れようとしたら、なかなか冷えなかったものですから、早目に入れておこうというわけです。あ、念のため言っておきますが、この会館用のエアコンはガスで作動するものですから、電気はあまり使いません(だから、地震の時に電気が来てても暖房が入らなかったのですね)。
 しかし、何しろ広い空間なので、なんだか冷房されているという感じにはなりません。そういえば、暖房も数時間前から運転しておかないと暖かくはならないのでしたね。結局、練習が終わるまで、冷えているのだかいないのだか分からないような状態が続いていました。まあ、それでも例年の今頃の旭ヶ丘の状態を考えてみれば、かなり過ごしやすいとは言えるのではないでしょうか。あちらは日中はもろに日が当たるので、きのうみたいな暑さだと夕方に行った時点で、すでにホールの中が蒸し風呂状態でしたからね。
 旭ヶ丘の市民センターがいつ頃から改修工事が始まるのかは皆目分かりませんが、県民会館はいよいよ工事が具体化したそうですね。つまり、改修工事のための予算が、県議会で承認されたそうなのです。面倒くさいんですね。壊れてから3カ月もかからないと、予算一つ決めることは出来ないんですね。というか、ああいうところは地震保険などには入ってはいないのでしょうか。
 しかし、その予算というのが8億円だ、ときいて、なんだか複雑な気持ちになりました。確か、萩ホールが改修された時には、建設費が16億円だったような気がします。「改修」とは言っても、あちらは外観はそのままにして、内部を骨組みから変えて全く別の形にしてしまったのですから、かなりの大工事だったはず、いくら地震の被害があったからと言って、その半分の額がかかるほどの工事が、県民会館では必要なのでしょうか。そんなところにお金をかけるぐらいだったら、いっそのこと、建て替えて新しいものにするという発想は出て来なかったのでしょうか。
 萩ホールの場合は、新しくなったらトイレがウォッシュレットになっていましたね。これは青年文化センターにもなかったものですから、ちょっと感激したものです。ですから、県民会館も、どうせ改修するのなら、全部ウォッシュレットにしてほしい、というのは、愚妻のリクエストです。
aventure number : 1726 date : 2011/6/15


今日の禁断 悲愴

 佐渡裕とベルリン・フィルのコンサートの模様は、NHK-BSで全曲放送されていました。なかなか時間が取れなかったのですが、きのうやっとまとめて見ることが出来ました。もちろん、HDモード(=DRモード=BDモード)です。ショスタコの方はコマ切れですがメイキングでさんざん見ていたので、まずはその前のプログラムの武満徹の「From Me Flows What You Call Time」が楽しみでした。まだこの曲は聴いたことがなかったのですよね。というか、以前篠崎靖男さんが2003年12月にLAフィルの定期演奏会を指揮した時に、やはりこれを演奏してたのですよ。その時に、「素晴らしい曲ですから、機会があったらぜひ聴いてみてください」とおっしゃっていたのですが、やっとその「機会」が巡ってきました。
 リハーサルの映像ではショスタコの時にもこの曲のための打楽器などがセットされていて、それが指揮台のまわりなどにもあったのですごいな、と思っていたのですが、本番ではさらに、なんだか「地鎮祭」の時に飾るような長〜いリボンが天井からぶら下がっていましたね。それが5色のリボンが上手と下手に2組あるものですから、このコンサートホールには完全にミスマッチでしたね。実は、それは単なる装飾ではなく、そのリボンの先にウィンド・チャイムのようなものがつながっていて、ステージからそれを引っ張って音を出すという、りっぱな「楽器」だったのですけどね。
 パユのフルート・ソロで曲が始まると、なんと、客席の後ろから、5色のジャケットを着た打楽器奏者が、サンバル・アンティークを叩きながらの登場です。「シアター・ピース」という、これもこのホールには似つかわしくない仕掛けだったんですね。それぞれの奏者が定位置について、様々な打楽器を演奏するのは、なかなかスリリングなものでした。スティール・パンが大活躍してましたね。結構、即興的に奏者に任されたような部分もあったようですが、このソリストたちは、初演からずっと(篠崎さんの時も)カナダの「ネクサス」というグループが担当していたそうです。昔、武満がプロデュースしていた「MUSIC TODAY」で彼らの演奏を生で見たことがありますが、ボブ・ベッカーとかラッセル・ハーテンバーガーなどというメンバーは、あのスティーヴ・ライヒとも縁が深いんですよね。でも、今回は全然別の人たちでした。どういうところからきている人たちなのかな、と思っていたら、後半のショスタコでは、その人たちが全員燕尾服を着て座っているではありませんか。つまり、彼らはベルリン・フィルの団員だったのですね。これはちょっとすごいことですよ。しかも、ソロの出番の後もオケの中で演奏しているなんて、プロではなかなかないことです。
 あとで調べてみたら、佐渡が西宮でこの曲を演奏した時には、ちゃんと「ネクサス」が来たそうなのですね。このあたり、ベルリン・フィルとコンサートの打ち合わせをする時にどのような交渉がなされたのか、興味がわいては来ませんか?佐渡はぜひ「ネクサス」とやりたかったのに、ベルリン・フィルの事務局に「うちの団員で十分だ」と言われて、渋々引きさがったとか。というか、実際「ネクサス」を呼ぶよりは、だいぶ経費が少なくてすんだことでしょう。演奏の質はどうだったのか、私には、比較する材料がないので、分かりません。正直なところは「ネクサス」で聴いてみたかったですが。佐渡も、おそらく「ネクサス」とやりたかったのではないか、と思うのですがね。つまり、この件では、佐渡よりも篠崎さんの方が優遇されていたような気がするのですが、どうでしょう。まあ、ベルリン・フィルのメンバーの打楽器も、技術的には遜色はなかったのでしょうが、あくまで「気持ち」の問題で。
aventure number : 1727 date : 2011/6/17


今日の禁断 北山

 仙台市の市民センターなどは、ぼちぼち使用できるところが出てきています。7月になると青年文化センターなどもオープンするそうで、その頃に演奏会を予定していたところは、中止や延期にならずに、そのまま演奏会が開けるようになるのだそうです。3ヶ月半経って、ひとまず大きなところが使えるようになるのは、うれしいことです。
 パリンカは、今までは、月1回ぐらいのペースで強化練習をやってきていました。ただ、それをやっていた午後の時間帯にはさすがにお寺を使うわけにはいかなかったので、しばらくはそれは中止していたのですが、やっと市民センターが取れたので、久しぶりの昼間の練習が行われました。
 会場は、おそらく一番早く復旧していた、北部の市民センターです。以前「コール青葉」で1回使ったことがありましたが、ちょっと駐車場などが使いずらいところがあったような記憶があります。ですから、その時は自宅から歩いて行きました(そんなご近所です)。そのあと、去年に建て替えをして、すっかり新しい建物になっていましたね。ですから、被害も少なくてすんだのでしょう。
 今日は、ここは昼間だけ使って、夜はいつものようにお寺へ行かなければならないので、車を使います。実は、ちょっと前にこのそばを通ることがあったので、駐車場の様子などを前もって調べておいたのですよ。前よりずっと使いやすくなっていたので、安心して車で来ました。久しぶりの夏のようなお天気だったので、日陰を選んで駐車です。
 中に入ると、まだ塗料の匂いなどが残っている、本当に新しいところでした。スリッパに履き替えなくても、そのまま靴で入って行けます。練習に使った会議室もエアコン完備、実際は住宅地の中なので、騒音対策として窓を開けない代わりに、きちんとエアコンが設置されているのでしょう。ピアノも真新しいアップライトが置いてありました。これはなかなか使いやすいところですね。ただ、他の人は場所が分かりずらいと言っていましたね。私は昔から知っているので、アクセスは何の問題もないのですが。
 夕方には、お寺に移動です。少し時間があったので、近くのスーパーで愚妻に頼まれたに今日の特売品のハーゲンダッツを買って、それを自宅に置いてから行こうと思いました。ところが、そのスーパーの駐車場がものすごく混んでいて、屋上駐車場に続くスロープまで車でいっぱいになっています。仕方がありません、かなり並んでやっと車を置いて、アイス売り場に行ってみると、お目当てのキャラメルクリスピーサンドはあと1個しか残っていませんでした。それから家へ寄って、ついでに晩ご飯も食べてお寺に行くと、もうみんな集まっていて、鍵が開くのを待っていましたよ。指揮者などは、駐車場の車止めの上に座って待ってましたね。申し訳ないことをしました。あわてて鍵を開けて中に入ってもらいましょう。
 今回は、この間買ってきたコンパネを使って、実際にピアノを動かしてみる日でした。廊下にまずござを敷いて、その上に新しいコンパネを置いて、そこにピアノを転がしていきます。思っていたほど素直には動いてくれなかったのですが、とにかく持ちあげずに運べることは出来ました。まあ、大成功と言っていいでしょう。
 練習が終わってピアノを片づける時には、もうみんなは要領を飲みこんでいて、私はのんびり写真を撮ってられました。

 ピアノを次のコンパネに移動します。→コンパネとござを持ちあげ、ピアノの先に置きます。→新しく敷いたコンパネにピアノを移動します。
aventure number : 1728 date : 2011/6/19


今日の禁断 palinka

 かつてこのサイトを始めたころには、「リンク」というのが重要なコンテンツになっていました。別に大した内容ではないサイトでも、とりあえずリンクだけでも充実させれば、それなりに役に立つものになっていたのですね。でも、最近ではそんなリンクだけのサイトや、サイトの中にあるリンクのページなどはほとんど使われなくなっているのではないでしょうか。なにしろ、今では検索サイトがとても高性能になっていますから、別にリンクに頼らなくても目的のサイトは簡単に探し出すことが出来るようになっているのですからね。
 ここでもかつては頻繁に「リンクのお願い」という目的のメールが届き、それに対応してリンクに加える、という作業を日常的に行っていたものです。そういうリンクのお願いがあった時には、代わりにこちらのサイトもリンクしてもらうという「相互リンク」で、サイト同士がコミュニケーションを取れているような気分にもなれたものです。「相互リンク」の数を競うのも、ある意味サイトのステイタスのような感じだったのでしょうね。
 しかし、やはり検索サイトの隆盛を境に、そんな「お願い」もバッタリ届かないようになっています。ですから、今ではリンクのページに手を入れることもとんとなくなりました。しかも、試しにリンクをたどって行ったりするともうそんなサイトは存在していないという表示がでるという「リンク切れ」の状態になっている物も数知れず、ますます役に立たないものになっています。
 そんな時に、久しぶりに「お願い」が届きました。ニューフィルの公式サイトに向けてのもので、弦楽器などを扱っているお店の通販サイトから、新しいサイトが出来たというご案内とともに、「ぜひ、相互リンクを」というお願いでした。ここは、コンテンツとして音楽大学やオーケストラのリンクがとても充実しています。オーケストラはプロとアマチュアとに分かれていますが、アマチュアに関してはサイトを持っているところはほとんど全部網羅されているのではないでしょうか。いや、中にはサイトのないものまでありますから、かなり熱心に探してくれたのですね。
 一つ、面白いサービスがあって、相互リンクをしてくれたアマオケは、特別に別枠にまとめて紹介する、というのですね。確かに、アマチュアオーケストラのページに行ってみると、「注目オーケストラ」という欄がありました。そこに載せてくれるのでしょう。私が見に行った時には、そこには何も入っていませんでしたね。ま、別に減るもんでもないので、すぐニューフィルの公式サイトのリンクに加え、その旨を返信しておきました。
 次の日になってそのページをのぞいてみると、確かにニューフィルがその「注目オーケストラ」の中に入っていました。他にはなかったので、私が一番乗りだったようですね。ということは、最初に「一番」を取っておけば、そのあと相互リンクが増えて行ってもずっとその「一番」の位置にいることが出来ることになるのでしょうかね。今の時点では12のオケが入っていますが、ニューフィルの「一番」は変わることはありません。同じような扱いは、各県ごとのオーケストラ一覧にもあって、ニューフィルはやはり一番最初、しかも、タイトルの色が違っています。これは、ちょっと気持ちのいいことではないでしょうか。どれだけの人がここを訪れるのかは分かりませんが、確実に「ニューフィル」の文字が目に入るのですからね。ま、そのうち「人気投票」かなんかがあって、ランクが下がってしまうかもしれませんがね。
 今日のニューフィルの練習も、まだパートが決まらない中での試運転ですから、どうもテンションが上がりません。合奏の途中に届いた携帯メールを見る余裕もあるぐらいです。届いたのは、生まれたばかりの赤ちゃんの写真(id=今回のタイトル、pw=私の苗字を半角ローマ字で)。これを見せながら「私の子供じゃないですよ」と言ったら、みんな一様に引いてましたね。
aventure number : 1729 date : 2011/6/21


今日の禁断 ホーマック

 このところ、また大きめの地震が起きていますね。きのうの朝は震度3、そして、ついさっき、やはり震度3の揺れがありました。さっきのはなんだか最初に下から突き上げるような垂直の揺れがあって、そのあと横揺れが来るという不気味な揺れ方でした。しばらくこういう大きな地震がなかったので、ちょっと怖い感じがしましたね。もしかしたら、もう1度震度4を超えるような余震が来るのかもしれませんね。
 しかし、あの震災以後家具の耐震補強とかいろいろのことをやってきましたが、最初のうちこそ一生懸命やっていたものが、あるときからぱったりとその進捗状況が鈍ってしまっているのはなぜなのでしょう。本棚が倒れて来ないように鴨居に取り付ける金具なども、とりあえず持ち合わせの1個だけつけただけで、あとは新しい金具を買ってきてあるのにまだ付けられてません。私の部屋の壁に作りつけた自作の本棚も、本棚自体はしっかり固定されているものの、本やCDはむき出しで置いてありますから、震度5を超えるとそれが外に飛び出してきます。そうならないようにと、プラスティックの鎖を大量に買ってきてあります。お店にあったものを全部買い占めてきたのですが、それでもちょっと足らないのですね。しかし、いまだに、それが取り付けられることはありません。
 ですから、そういうことを早くやっておけ、という、催促の意味でのこのところの地震なのかもしれませんね。いや、そんなことをするぐらいなら、来てくれない方がよっぽどありがたいのですが。
 まあ、それほど切実でないものは、そんなふうにまだほったらかしですが、本当に必要なものはしっかり対策を講じていますよ。このパソコンだって、ちょっと高いところに置いておいて、ひどい目にあってますから、使わない時には必ずどんな地震が来ても絶対安全なところに置いておくようにしています。つまり、どこだったら安全か、ということが、2度の大地震の経験でよく分かっているものですから。それと、常に中身がぶちまけられて手のつけようのなかったライティング・デスクも、こんなのを付けてみました。

 一番単純な金具なんですが、場所を考えるとこれがベスト。実は、最初買ったのはよくある緑色の塗装の安っぽいものでした。それしかなかったので仕方がなかったのですが、ある日ビバホームに行ってみると、こんな重厚な塗装が施された(エンボスで模様まで入ってます)ものがあったので、前の3倍もする高価品だったのですが迷わずこれに付け替えました。いえ、元が100円ちょっとだったので、「3倍」でも大したことはないのですがね。中に物を入れたら、これを閉めるのはもう習慣になりました。
 ところで、この前、パリンカの練習の時に、指揮者が「まちりょく」を大量に持ってきました。

 これは、本当は「3月15日」に発行するはずのものだったのですね。当然、その前に大幅に中身を修正しなければならない事態となってしまったので、3カ月遅れで、こんな形で発行になったのだそうです。当初掲載される予定だった記事の中に、パリンカの紹介があったので、たくさんもらえたのですね。確かに、その部分の演劇の記事などは今読むとなんともノーテンキに思えてしまうようなものでした。それよりも、いつもだったら1ページ全部を一つのイベントの紹介にあてていたものが、画像は全部省いてテキストだけを詰め込んで並べただけ、というイベント紹介が、なんとも惨めですね。巻末に市内のホール事情などが載っていますが、目新しい情報はなにもありません。最悪なのは、「文化人」から寄せられたコメントの間抜けさ。まあ、これだけのことがあってもこの程度のことしか言えないのが「文化人」だとしたら、彼らが担ってきた「文化」がどの程度のものだったのかも分かろうというもの、そういう意味で、これは得難いイシューとなることでしょう。
aventure number : 1730 date : 2011/6/23


今日の禁断 おひさま

 このところ、テレビで東野圭吾の原作によるドラマをよくやっていますね。きのうまでは、なんと「3週間連続スペシャル」ですって。「連続ドラマ」ではなく、3本の別の話を「連続」してドラマ化するというのですから、なんと贅沢な。まあ、この手のものは失望させられることの方が多いのですが、ダメモトで、「動く」東野圭吾を体験するのも一興でしょう。
 なにしろ、ほとんどの作品を読んでしまったものですから、タイトルを見ただけでは逆にそれがどんな話だったのかが分からないようになっています。あまりにも数が多いので、どれがどの話だったのか、ごっちゃになってしまっているのですよね。ですから、あえて原作はチェックしないで1週目から見始めることにしました。
 それが、「11文字の殺人」です。これは、ドラマが始まると読んだことがあることが分かりました。ただ、なんだか設定がずいぶん変わっているようですね。主人公のもと夫などという、原作にはなかったキャラが登場して、これはこれでなかなか効果的でしたね。もっぱらファッショナブルなインテリアやファッションに目が行ってしまいますし、何より気になる永作博美が主役だったので、楽しめました。
 次の「ブルータスの心臓」は、確かに読んだことがあると思っていたのに、全くの初見、これは藤原竜也のクサい演技にちょっと引いてしまいましたが、ストーリーに破綻はなく、安心して見てられました。これは、もう原作を読む必要はないでしょう。
 しかし、きのうの「回廊亭殺人事件」は、ちょっとひどい出来でしたね。これも原作はまだ読んでなかったのですが、いくらなんでもこれを見ただけで終わってしまったのでは原作者に失礼な気がしたので、さっそく原作を買って読んでしまいました。なんせ、最後の部分の整合性が全く取れてないものですから、そんなわけはない、と思ってしまったのですね。その結果、このドラマでは原作の中にある絶対外せない部分を、いとも安直に扱っていたことが分かりました。脚本というよりは、演出と編集の問題なのでしょうが、確実に見ている人に伝えなければならないところを、見事に伝え損なっているのですね。まあ、この手の「勘違い」は、ハリウッドでも往々にして犯しているものですから、それ以上のものをたかが日本のテレビドラマごときに求めるのは酷なことなのでしょう。それと、キャストとの絡みなのでしょうが、原作の「老婆」を「若い女性」という設定に変えてしまったことで、無理が生まれてしまったのでしょうね。
 でも、このドラマではちょっと前まで別のドラマで出ていた人が、全く別の役で(当たり前ですが)出ているのが、面白いですね。というか、私は日本のドラマはほとんど見ていないのですが、それでもこれだけかぶっているというのですから、もっときちんと見ている人なんかは、混乱してしまうことはないのでしょうか。つまり、前回の朝ドラのかつお節屋の社長が、亡き財閥当主の甥だとか、子連れの下宿人が刑事を演じていたりとか、さらには今まさにやっている朝ドラの主人公の兄が弁護士の助手になって出てくるというのが、わたしにはなんとも理不尽に思えてしまうのですね(親友の父親が、その弁護士ですし)。せめて、同じ時期に放送しているドラマには、掛け持ちはしてほしくないな、と思うのですが、どうなのでしょうか。
 この際だから、もっと言わせてもらうと、今のテレビではドラマが多すぎやしませんか?あんなにたくさんのドラマを垂れ流しにしてると、クオリティが下がってしまうのでは、と心配になってしまいます。いや、実際はとてつもなくレベルの低いドラマが横行しているような気がするのは、錯覚でしょうか。というか、あんなどこを見ても同じようなバラエティやドラマをやっているテレビ局の1つや2つ、この際だからなくしてしまっても構わないとは思いませんか?数字的には何の根拠もありませんが、そうすれば原発1基分の電力ぐらい、節約できるのではないでしょうか。うん、原発と放送局は、もうこの国には必要ありません。どちらもただ被害をばらまくだけのものでしかないのですからね。
aventure number : 1731 date : 2011/6/25


今日の禁断 ディープ・パープル

 去年は、町内会の役員をやっていたのは、しばしばネタにしていました。うちの町内会は輪番制なので、役員と班長は毎年交代することになっていて、私の場合は役員の次の年には班長になる、というローテーションになっていますから、普通に行けば今年は班長、かなり仕事的には楽になるはずでした。しかし、役員改選の時に、さる筋から「こんな時期だから、もう1年役員を続けてもらえないか」というようなお願いが伝わってきたのですよ。「全員が無理だったら、せめて幹部だけでも」とね。つまり、震災の後なにかと「地域」の重要さが増しているので、継続的に仕事をしてもらいたい、というのですね。一応私も「幹部」に該当する役職にありましたから、これは困ったことになったと思いました。なぜか、いろんな行事が日曜日にあったりするので、それがもろパリンカとかぶってしまって、調整が結構大変だったのですよ。
 さいわい、去年の会長さんが熱心な方だったので、その方が引き続き会長を引き受けるということで、丸く収まり、私は予定通り班長に落ち着いたので、まずは一安心です。
 でも、実際は班長の方が面倒くさい仕事は多かったんですね。町内会費の集金なども、何回行っても留守のお宅があって、かなりてこずりましたね。そして、やはり今頃になると、7月末に行われる、町内会最大の行事「夏祭り」へ向けて、班長も駆り出されて打ち合わせが頻繁に行われることになるのです。きのうが、その最初の会合でした。なんと、パリンカと同じ時間にその会議が始まるというのですね。でも、これはなんたってパリンカ優先でしょう。私が行かないことには鍵は開かないし、ピアノも運べませんからね。でも、なぜかこの日はピアノは使わないという予定だったので、早目に鍵だけ開けておけば大丈夫かもしれません。
 というわけで、「1時間ちょっと遅れます」と連絡を入れて、まず町内会から片づけることにしました。議題はやはり夏祭りのことでしたが、これは私が最初から行っておいて正解でした。去年の実績をもとに今年の計画を立てる、というものなのですが、考えてみれば「去年」の詳細を一番良く知っているのは私だったのですね。というか、食券の実務などは、私以外知っている人はいなかったのですよ。そんな感じで盛り上がっていると、気が付いたらもう2時間近く経ってしまっているではありませんか。
 雨の中、焦ってパリンカの練習場へ駆けつけると、そこではコンクールの自由曲のパート練習をやっていました。この曲、ちょっとパート割が変則的で、男声3部が2群という、6つのパートになっています。ですから、セカンドの人はテナーとバリトンに別れてしまい、私は2群のバリトンということになっています。「2群落ち」なんですよね。それで、本当は6パートそれぞれにパート練習をしなければいけないのですが、そんな部屋もないので、1、2群が一緒になって3か所でパート練習をやってました。私のパートは今のところバリトンのパートリーダーのソッチーさん(フルネームは「ソッチー・ホワイトレス」というイギリス人)と一緒で、総勢5人、ただ、曲の中でそのパートがさらに「ディヴィジ」になるところがあるので、2人とか3人で1パートなんてこともあります。私はソッチーさんと同じ上のパート、ソッチーさんはパート練習の指揮をしていたので、私が行くまでは1人しか歌っていなくて、ちょっと大変だったそうです(あ、会話は日本語で)。
 そんなわけで、久しぶりに2つのことを同時にこなさなければなりませんでした。町内会はあと2回ほど、やはりパリンカの練習と、もう一つ、コンサートが同じ日にかぶっています。それをどう折り合いをつけるか、なんてことを悩まなければいけないのは、もしかしたらかなり贅沢なことなのかもしれませんね。
aventure number : 1732 date : 2011/6/27


今日の禁断 フーミン

 梅雨の真っただ中、雨の多い日が続いています。まあ、雨が降るのは仕方がないことなのですが、火曜日の夕方だけは晴れてくれればいいな、と思っています。というのも、ニューフィルの現在の練習場では楽器倉庫から大型楽器を運び出す時には、一旦外に出なければならないので、雨が降ってるとちょっと困るのですよね。さいわい、今まではずっと火曜日には雨が降らないで来ていました。先々週あたりは日中は降っていたのに、夕方は晴れてしまっていましたから、「雨が降ったら休む」と言っていた打楽器の○○さんは残念がっていましたっけ。
 今週も、天気予報ではずっと雨ということだったので、ちょっと心配していました。実際、断続的に雨が降ったりやんだり(変な言い方)していたので、これはいよいよシートの出番かな、と思っていたのですが、これも奇跡的に夕方には晴れてしまいました。きっとこのまま、楽器を運ぶ時には雨が降らない、という「ツキ」が、ずっと続くんですよ。
 市の練習会場などもかなり使えるところが増えてきて、青年文化センターでは昨日まとめて、施設の使用申し込みをネットで行いました。先着順で空いているところから申し込む、というやり方なので、そこに一斉に殺到したらどうなるのかと思っていましたが、ニューフィルの場合は結構「大漁」だったみたいです。指揮者練習用の会場が、いっぺんに取れてしまって、最悪、「東昌寺で指揮者練習」という事態まで考えていたものがすっかり解決してしまいました。
 そんな「釣果」も踏まえて練習計画が発表されたのですが、依然として通常の練習に使っている旭ヶ丘の市民センターの見通しが立っていないものですから、11月の「第9」のための平日の指揮者練習の会場が、その「東昌寺」になっていましたね。まさか、そんなに先まで旭ヶ丘が開かないなんてことにはならないとは思うのですが。
 もう一つ、きのうは演奏会に向けての進展がありました。メインの曲だけは決まっていたのですが、その前に演奏する曲でちょっと指揮者との間で合意にまで至っていなかったものが、やっと双方が納得できる点が見出せた、といったところでしょうか。それは、グリーグの「ペール・ギュント」です。これは、私にとってもありがたいものでした。もちろん「かいほうげん」がらみです。というのも、実は今から16年前にやはりニューフィルでこの曲を演奏していたのですが、その時にはゲストをスポンサーが呼んでくれるという「冠コンサート」だったので、この曲に当時売れっ子だったアイドルのナレーションを入れられたのですよ。こんな人です。

 その時に彼女が朗読した台本というものを入手して、その頃の「かいほうげん」に載せていました。それを、今度も載せてみようというのです。その頃いた人なんかもうあまりいませんから、これは格好のコンテンツですよ。
 しかし、なんせ16年前ですから、まだパソコンは使ってませんでした。OASYSというワープロでテキストを打って、生写真を貼りつけたものをコピー機でコピーする、というやり方でした。もちろんモノクロ、上の写真も、それからとったものです。ですから、その「台本」も、もはやデータでパソコンに取り込むことは出来なくなっています(前にはパソコン版OASYSというのがあったのですがね)。仕方がないので、プリントアウトしたものをOCRで読み取ることにしました。「お茶ペン」などではかなり高精度で読み取れていましたからね。しかし、新たに、ワープロを引っ張り出してきちんとプリントしたのに、その読み取り結果は無残なものでした。その原因は、ワープロのフォントが「丸ゴシック」になっていたため。かなり癖のあるフォントなので、明朝にしか対応できないOCRでは、ことごとくエラーになってしまうのですね。「か」などはかなり角ばっているので、例外なく「カ」か「ガ」になってましたし、頻繁に出てくる「ソルヴェイグ」は「リルガコイゲ」みたいに、全く原形をとどめていません。こんなことなら、普通にタイプした方がよっぽど楽だったかも。でも、10,000字はつらいか。
 確かに「ソ」と「リ」は区別が付きにくいですね。でも、前回のイギリス人さんは間違ってません。
aventure number : 1733 date : 2011/6/29


今日の禁断 札幌

 今朝、職場に行ってみたら、「夜中に塀が倒れた」と大騒ぎしていました。なんでも、ゆうべの10時ごろに、すぐそばの家の人から連絡があったので見てみたら、山門の脇の塀がすっかり倒壊していたというのです。確かに、地震の時にかなり傾いていて、今にも倒れそうだったのですが(上の写真の矢印部分)、その後の大余震にも耐えてしっかり立ってはいました。しかし、このところの小刻みな地震で、徐々に弱くなっていったものが、ついにちょっとした一撃で倒れてしまったのでしょうね。大雨も降りましたし。まだまだ震災の傷跡は残っています。

 きのうの「おやぢ」では、変則的に新しい新譜(変な言い方)ではなく、出たのを見落としてしまったちょっと古めのアイテムを取り上げていました。つまり、このアーティスト(フルートのケネス・スミス)のアルバムはすべて買っていたのに、なぜか引っかからなくて、最新のものに入っていたブックレットの中のリストで、まだ見たことのないアルバムがあったので、あわてて取り寄せたものなのです。そこで、おそらく彼のソロアルバムは全部揃ったはずなので、「おやぢ」をアップした後でディスコグラフィーを更新して、「おやぢ」の最後に一言付け加えたのですよね。多分、これで全アルバムを網羅したはずなのですが、漏れがあったらぜひご教授ください。
 半分は前から出来ていたもので、そのあとに新しいレーベルのものを付け加えたという形で、前半はちょっとレイアウトを変えただけで内容はそのままです。しかし、今回念のためにと現物と照合してみると、ジャケットなどをスキャンしたので確かに手元にあったはずのCDが2枚なくなっています。フルート関係のCDは全部職場に置いてあるので、震災の影響はほとんど受けていませんから、棚から飛び出してごちゃごちゃになったはずはなく、その近辺には必ずあるはずのものなのですが、それが見当たらないのですね。それは、1990年に出たファースト・アルバムと、DGのモーツァルトのコンチェルト、これはもう廃盤になっていましたね。もしかしたら、誰かに貸してあげて、そのままになっているのかもしれません。もはや、誰に貸したかも覚えていないくらいですから、確信は持てないのですが、もし心当たりの方がいたら、ぜひ返却をお願いしますね。いまさらですが。
 このケネス・スミスという人は、長くロンドンのオーケストラの首席奏者を務めていた人でした。ちょっと前まではこのオーケストラでは管楽器の首席奏者は一人しかいなくて、ということはすべてのコンサートに出演しなければならないという、超ハードな生活を送っていたのですね。普通はプロのオーケストラであれば首席奏者が2人いて、交代で休めるようになっていますから、これは本当に大変な「仕事」だったのでしょう。そんな彼も、今ではオーケストラを引退しています。最新の彼のプロフィールを読むと、「多忙なオーケストラから"escape"して」老後を送っている、みたいな書き方をされていましたね。ほんと、それだけで、いかに過酷な生活だったかをうかがい知ることが出来ます。
 アマチュアだったら、2週間連続で本番なんかあったら、かなり大変でしょうね。12月の頭には、ニューフィルはそんな思いをしなければなりません。ただ、私の場合は、どうやら最初の週は別の予定が入ってしまいそう。それも「本番」には違いないのですが、全く別の種類のものですから、少しはマシでしょう。
 そういえば、そちらの関係の、例のソッチーさんは、「転勤」になってしまい、故郷のイギリスへ帰ってしまうのだそうです。せっかく仲良くなれたのに、残念です。
aventure number : 1734 date : 2011/7/1


今日の禁断 ヴィラ・ロボス

 青年文化センターが7月1日に、コンサートホールを含めて再開されました。3ヶ月半もの間、休んでいたのですね。そこで、やっと練習室などが使えるようになったことはお知らせしましたが、今日はコンサートホールでの演奏会があったので、行ってきました。さる、有名合唱団、もちろん、震災前にこの日を演奏会に予定して、この会場を取ってあったのですが、再開日の3日後というきわどいところで、ギリギリ延期や中止をしなくても、予定通りに開くことが出来ました。こういう運のいいところもあるのですね。
 考えてみたら、この3カ月の間はコンサートなんかには行っていませんでした。というか、逆にこんなに早く普通のコンサートが開かれるなんて、ちょっと驚いてしまうほどです。これからは、どんどんこんな感じで全く「普通」にコンサートなどが開かれるようになるのでしょうね。でも、ロビーのチラシ置き場は、このようにまだまだ隙間が目立ちます。本当は、まだまだ「普通」には程遠い状態なのかもしれません。

 予想通り、ホールの中は立ち見の人が出るほどのお客さんでした。それにしても、ホール内の暑いこと。震災前は冷房が効き過ぎて凍えてしまいそうになったものですが、いくら「節電」とは言っても、これはやり過ぎ、もしかしたら苦情があったのでしょうか、後半はちゃんと快適な冷房を入れていましたね。それよりも、このホールで聴く音が、なんだか震災前とは違っていたのが驚いたところです。合唱の響きが、とてもカッチリ聴こえてくるのですね。前はなんだか残響が多すぎてモヤモヤしていたような気がするのですけど。もしかしたら、微妙に天井の位置などが変わったために、ホールの音響が変わってしまったのかもしれませんね。こちらの方が、ずっといい響きのように、私は感じました。
 ただ、音がすっきりした分、細かいアラが目立ってしまうのは、ちょっと怖いかもしれません。特に男声が、パート内の特定の人の声しか聴こえて来ないのですよ。そのせいで、いつになく仕上がりが雑な印象をもってしまいました。特に、これはコンクールの自由曲でしょうか、ウェーベルンやシェーンベルクが、かなりひどい出来でしたね。
 しかし、後半のボブ・チルコットのステージは、なかなか楽しめました。「ジャズ・ミサ」とか「フォーク・ジャズ」といった、「ジャズ」を前面に出した作品なのですが、そこに本物のジャズメンのバンドが加わったものですから、その人たちがとことん切れの良い「ジャズ」に仕上げてくれていました。合唱が、下手に力んでそのグルーヴをぶち壊しにするのではなく、いとも力を抜いてまさにそのバンドの「バック・コーラス」に徹していたのが、勝因でしょう。5拍子に編曲された「スカボロー・フェア」なんか、指揮者もノリノリで本当に楽しそうでした。
 実は、今日も例の町内会の集まりがあったのですが、もろにこのコンサートにかぶっていました。そこで、少し遅れて行くことを前もって連絡しておいて、コンサートはアンコールも聴かずに飛び出します。やっとのことで、話し合いの最後に滑り込み、仕事をもらったあとは、今度はパリンカへ向かいます。
 これは、予定が早まって、いつもの練習の30分前からパートリーダーの会議がありました。もちろん、急に転勤が決まったソッチーさんの後がまの話です。ソッチーさん自身も今日がパリンカでの最後の練習、全体の発声練習から、パート練習まで、最後の最後までパリンカは彼の存在感の大きさを思い出として残しておくことを忘れません。実は、彼が入団したのは私と同じ時期、まだ2年しかたっていないのにもうお分かれなんて、ほんとに残念です。でも、一応「遠隔地団員」として、これからももしかしたら駆けつけてきてくれることがあるかもしれません。なんたってイギリスですから、大変でしょうけれど、また一緒に歌えることを願いつつ、異国でのご活躍を期待したいと思います。
aventure number : 1735 date : 2011/7/3


今日の禁断 ダイエット

 最近、スーパーの店頭で「ウィルキンソン・ジンジャエール辛口」という名前の飲み物が売られているのを発見しました。500ミリのPETボトルに入っています。

 これは、もちろん私が長年愛飲しているジンジャエールと同じ名前のものです。右側がその瓶入りの製品ですね。今度出たPETは、なんだかずいぶんけばけばしいデザインです。とても同じものとは思えません。でも、「辛口」と言っているのですから、中身は同じものなのでしょうか。なにはともあれ、飲んでみなければ。
 まず、色は間違いなく「辛口」の濃い茶色でした。コップに注いで、まずは一気飲み、うん、確かにあの強烈な生姜の刺激が喉に心地よくしみわたります。ついに、あのマニア向けの「ジンジャ」が、どこのスーパーでも簡単に買えるようになったのでしょうか。ところが、なにかが違っていることを、私は見逃しませんでした。そんな「辛さ」とともに、ビン入りではあまり感じたことにない微妙な「甘さ」が感じられるのです。やはり、あれはあまりに刺激が強すぎるので、少し甘さを多くしてなじみやすい味に変えているのでしょうか。しかし、この甘さは、なんだかちょっと不快な味ですよ。私の大嫌いな人工甘味料の味のよう。そこでラベルを見てみると、やはり「カロリーゼロ、糖分ゼロ」みたいな表示があります。ああ、やっぱりそうだったのですね。そのいやらし甘さは、しばらく口の中にとどまっていて、なかなかなくなりません。ちょっとこれはダメですね。こうなると、ビン入りの「辛口」とは、全く別物としか思えなくなってしまいます。もう2度と口にしたくなくなるような不快な甘さです。実は、大いに期待して2本買ってきてしまったのですが、残った1本はおそらくそのまま捨てられてしまうに違いありません。
 さいわい、いつもビン入りを買っている「やまや」に行ってみたら、このPETと並んで、今までのビン入りもちゃんと売っていました。これを新しいものに置き換えるつもりはないようなので、一安心です。ビン入りがなくなって、こんなまがい物しか飲めなくなってしまったらどうしようと思っていたのですが、おそらくそんなことは起こらないようです。というか、こういう飲み物のシリーズは、本当に一過性のものだったような気がします。本当においしいと思っていた「グリーンコーラ」だって、1シーズンで終わってしまいましたから、これも来年になったらもう見かけることはなくなることでしょう。
 ご存じでしょうが、「ウィルキンソン」なんて大層な名前が付いていますが、この「ジンジャエール」は国産品です。作っているのはアサヒ飲料、そう、「グリーンコーラ」と同じメーカーなのですよ。あんなすばらしい製品を作っていた同じ会社が、こんなできそこないを作るなんて、なんとも理解に苦しんでしまいます。というか、今までビン入りを飲んでいた人がこれに転向することなど考えられませんし、そもそも普通の人が飲んだってこの刺激はとても耐えられないはずです。そうなると、いったい、どんな人がこの飲み物を好んで飲むようになるのでしょう。スーパーの店頭から姿を消すのは、そんなに先のことではないことだけは、確実です。
aventure number : 1736 date : 2011/7/5


今日の禁断 福祉大

 今週は、なにかと懸案事項が重なって、ちょっときつい日々が続いていました。まずは、ニューフィルのパート決めです。いつも次の演奏会のための練習が始まる時には、その時の曲目に応じて誰がどの曲のどのパートを吹くのか、ということをパート内で話し合って決めています。いつもだと、その練習が始まる前にはすでに譜面も渡されていて、メンバーも決まっているのですが、今回はこんな状況でしたので、曲は決まっても本番では誰が吹くのかは分からないまま、とりあえず交代で日替わりパートを吹いてもらう、ということを、1ヶ月ぐらいやっていたのですね。それが、やっと全体の曲目が決まったので、晴れてきちんとパートを決められるようになったわけです。
 私の場合、何せ今使っている会場のセッティングから戸締りまで全部私が責任をもたなければならないので、出来れば「全乗り」になれたらな、と思っていました。始まってから終わるまでいなければいけませんから、出番でもないのにただ待っているというのは、結構辛いものがありますからね。そうなると、可能性はブラームスの2番とグリーグのピッコロという組み合わせしかありません。そうでないと、出番がグリーグのピッコロだけ、などというさびしいパートが出てきてしまいますからね。これだけは、ぜひ避けたいところ、なんせ、私が最初にニューフィルに入った時には、全部のプログラムの中で出番は「運命」の第4楽章にしか出て来ないピッコロだけ、ということがあって、非常につらい思いをした覚えがありますからね。その時は、せっかく入ったばかりなのに、もうやめてやろうと思ったものです。でも、結局それは踏みとどまり、やがて少しは中心的なメンバーに近づいてくると、そんな経験を他の人は絶対に味わうことがないように考えられるようになりましたね。それと、やはりその時に、1番を吹く立場にある人が練習には全然顔を出さないくせに、のうのうと本番だけを吹いているのを見るにつけ、私が1番を吹く時には決して練習は休まないようにしよう、とも、固く心に誓ったのでした。
 結局、私はちょっと不釣り合いですけど、ブラームスの1番とグリーグのピッコロということで、話が決まりました。でも、これはあくまで今の場所で練習をやっている間だけで、本番近くに旭ヶ丘の市民センターが再開されれば、ピッコロは他の人に代わってもらおうとは思っています。そんな、いろいろなファクターがからみ合った中でのパート決めでしたから、いつにも増して疲れてしまいました。
 その結果、なんと、合唱コンクールの県大会には出場できない事態になってしまいそうです。コンクールの日と、末廣さんとの最初の指揮者練習の日とが見事に重なってしまったのですね。2番だったら他の人に代わってもらってコンクールを取ることが出来るのですが、そんな「誓い」を立ててしまった以上、休むわけにはいきません。でも、もしかしたら、時間帯によっては練習を抜け出してコンクール、ということもできるかもしれませんね。指揮者練習は太白区文化センターですから、地下鉄で北仙台まで来て、そこからタクシーでけやきホールまで行く、とかね。それで、タクシーの中で礼服に着替えるんですよ。ホールに着いたのは出番の5分前、とか。いったいどうなるのか、見当もつきません。
 もう一つの懸案事項は、地震の被害にあった私のマンションの改修工事の調査です。結構クラックなどが入っているので、それを改修することになったのですが、各戸の部屋の中でも構造体の壁面にクラックが入っているところは、管理組合が直してくれることになっているのですよ。それの調査で、工事担当者がやってくるので、そのために箪笥などを動かして壁を見れるようにしなければいけなかったのですね。せっかく倒れないように設置した器具をわざわざ外して、見てもらいます。気が付かなかったような細かいクラックも対象になるようで、そこは壁紙を全部はがして、補修が終わったら新しい壁紙を貼ってくれるのだそうです。思いがけず、部分的ですがリフォームをただでやってもらえそう。なんせ、「2回分」の地震保険がマンションに下りたので、それで全部まかなえるのだそうです。
aventure number : 1737 date : 2011/7/7


今日の禁断 アンパンマン

 この前のPETボトル入りの「辛口」ジンジャエールを売っていたスーパーに、数日後行ってみたら、あんなにたくさんあったボトルが1本もなくなっていました。あの「伊達サイダー」はまだたくさん残っているというのに。それが、評判を聴きつけて、みんなが買って行ったためなのか、上の方からの指示で「こんなものを売るのはまずい」ということで引っ込めてしまったためなのかは、私には分かりません。
 それにしても、このところ、こんな炭酸飲料でも飲まないことにはとても乗り切れないほどの暑い日が続いています。今まで閉鎖されていた市役所前の地下駐車場が先週やっと再開したというので、久しぶりに街に行ってみましたが、地下から出てきた瞬間に襲って来る熱気には、驚いてしまいました。今年も、去年みたいな猛暑がやってくるのでしょうか。外を歩いていると、もうめまいがして倒れてしまいそう。いや、実は出かける前にゴミを出そうと袋を持ちあげたら、腰のあたりに痛みが走って、ちょっと重いものは持てないような状態になってしまったのですよ。車を運転するのも、足に力を入れると腰が痛くなるような危ない状態で、愚妻が買い物をしている間はもう駐車場で休んでいるしかないかな、と思ったら、意外と痛みが少なくなっていたので、歩いてみようとしていたのですね。だから、ちょっとこわごわ、でした。
 ところで、きのうの「おやぢ」でとりあげたビートルズの本なんて読んでしまったものですから、なんか無性に彼らのアルバムを聴きたくなって、まず「Sgt. Pepper」を改めてきちんと聴いてみました。その中の「When I'm Sixty-Four」という曲では2本のクラリネットによるオブリガートが入っているのは前から気づいていたのですが、今回聴いてみると、なんだかその他にバス・クラリネットも入っているように思えてきました。何度も聴いて来た曲なのですが、そんなこと、初めて気づきましたよ。まあ、昔聴いた時にはバス・クラリネットなんて楽器は知らなかったものが、今ではすぐ後ろでその実物が鳴っているのを聴くことが出来るようになった、という、私自身の「変化」もあったからなのでしょうがね。それにしても、こんなマニアックな楽器を使うなんて、やはりジョージ・マーティンのセンスは際立っていましたね。
 そんなことを確認するためにネットを調べていたら、こんなサイトが引っかかりました。なんと、ここでは、楽器編成だけではなく、録音の時に実際に演奏した人の名前まできちんと記載されているではありませんか。もっとも、これはきちんと出版されたそういうデータ本があって、これはそれを「参考」にしただけのことではあるのですがね。しかし、こんな風に手軽にそれぞれの曲のパーソネルが分かるというのは、ありがたいものです。試しに、同じアルバムの「She's Leaving Home」を見てみたら、しっかりハープとダブル・カルテット(+コントラバス)のメンバーの名前がありましたね。
 面白がって、いろんな曲を開けてみると、今まで知らなかったことがゴソゴソ出てきます。なによりも、ステレオ盤とモノラル盤とでは、ミックス・ダウンやマスタリングが全然違っていた、というのが、驚いたことです。この前大騒ぎになったボックス・セットでも、やはり「モノラル・ボックス」はそれなりの価値があったのですね。かといって、あんな法外な値段のものを買わなかったことは、今でも後悔はしていませんが。
 面白いのは、「Rubber Soul」の中の「In My Life」の間奏でジョージ・マーティンが弾いているピアノは、テープのスピードを半分にして録音したということ。たしかに、常々このピアノの音がなにか違和感があったのですが、そういうことだったのですね。スケールをあんなに軽やかに弾けるなんてさすが、と思っていましたが、実はそんなにピアノはうまくなかったんですってね。確かに、あの半分の早さだったら私でも弾けちゃいそう。
aventure number : 1738 date : 2011/7/9


今日の禁断 柳生

 きのうは、パリンカの強化練習でした。午後の1時から5時まではまだ行ったことがない南部の市民センター、そして、6時から9時まではいつもの会館です。間に移動の時間はありますが、8時間にわたる練習ですから、ちょっとすごいですね。ニューフィルの指揮者練習でも、休みを含めて1日6時間というのが、普通のペースですからね。
 初めて行く市民センターは、以前はよくご飯を食べに行ったところのそばなので、そこそこ土地勘はありました。でも、細かいところは自信がなかったので、Googleで調べてみると、いつも右折していた交差点の、一つ手前の交差点で右折すれば、あとはまっすぐ目的地まで行けることが分かりました。ストリート・ビューで、その交差点付近の建物のチェックも怠りません。
 しかし、別に迷うこともなく、前もって目印にしていたお店が見えてきたので、そこが目指す交差点に間違いない、と思って右折しようとすると、そこには右折レーンがありません。さらに、どうやら右折禁止のような標識も見えてきました。そうなんですね、こんな細かい指示は、Googleには載ってないことがあるのですよ。もっとも、あとでストリート・ビューを見なおしてみたら、しっかり右折禁止の標識はありましたが。仕方がないので、そのまま直進、いつも通っていた道に入って少し戻る、という「プランB」に切り替えます。でも、さっきの交差点は反対方向で使えるはずですから、帰りには絶対通ってやる、と、固く心に誓うのでした。
 強化練習とは言っても、出席はいつものことながら、あまりよくはありません。実は8月に仮設住宅のそばでのコンサートなどという予定が入ったものですから、そのための曲の練習が主になっています。ちょっと前にやっていたものを、ちゃんと仕上げる、という作業ですね。冷房の効いた広い和室の端っこでテナー系とベース系に別れてパート練習をやった後に合わせる、みたいなことを繰り返していたら、もう4時半、移動に時間がかかるので、これで午後の部は終了です。
 帰り道は、やはり例の交差点ではすぐ手前で急に幅が狭くなっているので、確かに対面通行は無理なことを確認、そのまま、少し早目の晩ご飯を食べるために「ララガーデン」へ向かいます。来る時にここを通ったら、フレッシュネス・バーガーのことを思い出し、ぜひ行きたくなっていたのですよね。ここと、お隣の「モール」は、本当に久しぶり、もうすっかり「復旧」していたようですね。もちろん、目的のフレッシュネスも、前と同じように適度の空席とともに開店していましたよ。
 結構並んでいたのですが、その人たちが全部座ってもまだ余裕という感じ、と、前の人たちが見ているメニューの横に、新製品の案内があって、なんだか「ジンジャーエール」というような文字が見えますよ。そうしたら、前の人はそれを注文しているようでした。しかし、店員さんは「申し訳ありません、売り切れです」とか言っています。私の番になったので、そのメニューをよく見てみたら、確かに「ジンジャーエール」しかも2種類もあるではありませんか。でも、もちろん「売り切れ」こうなったら、これは近いうちにきっとどこかで(と言っても、すぐ行けるところは2ヶ所しかありませんが)飲んでやるんだ、と、またまた固く心に誓うのでした。

 結構時間があると思っていたので、食べ終わってちょっとお店の中を見て回っていたら、もしかして渋滞がひどかったら間にあわないのでは、と思うような時間になっていました。というか、もう今頃は他の人は着いているかもしれないので、社長に電話して鍵だけは開けてもらいましょう。
 結局間にあったのですが、もうすでに10人以上来ていたので、開けてもらったのは正解でした。社長が開けているところに居合わせた人は、「考えてみたら○○くん(私の本名)は、いつも早く来なければいけないから、大変なんだね」と感心していましたね。そう、きのうみたいな時は実は大変なんですよ。さらに、練習の後には10時まで役員会もあったので、「実働9時間」でしたしね。
aventure number : 1739 date : 2011/7/11


今日の禁断 茶室

 暑い日が続きます。そして、このところ「大気の状態が不安定」なのだそうで、毎日のように雷が鳴ったりしています。しかし、この「大気が不安定」という気象用語は、なんとも大胆な表現だとは思いませんか。まっ、「不安定」だから急に雨が降ったりする、という考えなのでしょうが、それが「大気」なのですから、そのまま聞くとなんだかとんでもないことが起こっているように想像してしまいます。あるところには酸素が全然含まれていない「大気」があったかと思うと、別なところは窒素が全くない、とかね。
 いや、なんと言っても極めつけは、天気予報の時の決まり文句、「明日は晴れるでしょう」とか言ってる、あれです。もうすっかり慣れてしまった言い方ですから、もしかしたら何の不自然も感じないかもしれませんが、ふつう「でしょう」というのは、語尾を上げて同意を促すいい方「でしょう?」。これに気が付くと、気象予報士さんがこれを使っている時には、常に語尾が上がって聞こえてくるのですね。そして、彼らはなんて謙虚なんだろう、と思ってしまいます。「明日は雨でしょう?」と、やんわり「そうなってくれればいいんだけど、そうでしょう?」と言っているようで。
 そんな気象予報士さんが「6時ごろ土砂降りになるでしょう?」と、確かにきのう言っていたはずでした。ですから、これはもろにニューフィルの練習が始まる前の楽器運搬の時間にぶつかってしまうのでは、と思ってしまったものです。しかし、確かに雷が遠くの方で鳴っているのは聴こえましたし、雨だって少しは降ってきましたが、それはお昼過ぎのこと、「6時」ごろには、全く雨の心配のない「大気の状態」になっていたのですよ。これで、「ニューフィルの練習前には、決して雨は降らない」というジンクスは継続されることになりました。
 今までは練習会場には、みんなが集まってから冷房を入れるようにしていたのですが、きのうは、もっと早くから入れておきました。なんせ天井が高く広い場所なのに、見た目を重視したためになんとも非効率的な設計になっているものですから、なかなか効いてこないのですよね。これは大好評、外が暑いのでなおさら、ひんやりした部屋に入ってホッと出来たみたいですね。
 でも、机を運んだり、楽器を運ぶのを手伝っていれば、やはり汗は出てきます。そんな時のために、私は団扇を持って行きました。少し汗ばんだ体に団扇で送る風、これほど気持ちいいものはありませんね。
 休憩時間に、技術委員会がありました。会館の中の小さな部屋が、最近の委員会の場所、ここは狭いのですぐエアコンが効くはずですから、まずスイッチを入れます。設定温度が、なんと「17度」などというものすごいことになっていました。やはり冷えにくくなっているので、思い切り設定を下げたのでしょうか。でも、いくらなんでもですから、せめて25度ぐらいに上げておかなければ。委員会では演奏会場の情報が伝えられました。先週萩ホールの使用申し込みが再開されたので、12月の演奏会にと、「確か空いているはず」という情報をもとにエントリーしようと思ったら、別の団体「某混声合唱団」がすでに申し込んでいたということで、ここを使える可能性はなくなってしまったのだそうです。あとは、市民会館が10月から大ホールが使えるようになるということなので、そちらにも一縷の望みを託す、ということでしたね。
 しかし、いつもだったらすぐ寒すぎるぐらいになるはずなのに、一向に冷房が始まる気配がありません。やはり、そろそろ機械がくたびれて来たのでしょうか。なんたって、終わって廊下に出たら、そっちの方が涼しいんですからね。
 今朝になって、鍵の確認のために会館に行ってみました。そして、その小部屋のスイッチを見てみたら、なんと、設定が「暖房」になっていたではありませんか。つまり、この部屋はあの地震の時に私の家族が泊まったところなのですが、その時に設定したまんまで、そのあと使ってはいなかったのですね。だから「17度」だったのでしょう。もっとも、あのときはガスが来てなくて「暖房」は全く効きませんでしたが。というか、これでは「冷房」が効かなかったのも当たり前です。
aventure number : 1740 date : 2011/7/13

11/7/15-8/22