1701(11/4/26)-1720(6/3)

今日の禁断 エントロピー

 待望の東北新幹線が、やっと仙台まで開通しましたね。それなりに重要なことなのでニュースでは確実に取り上げられるだろうとは思っていましたが、まさかあれほどの扱いになるとは、予想していませんでした。なにしろ、地方局では仙台駅から生中継で列車が走りだす瞬間を伝えたり、なんと東京のワイドショーのスタッフが、実際に1番列車に乗って仙台まで来たりしていたのですからね。やはり、新幹線の開通というのはいわば「復興」の象徴なのでしょうから、まあ大騒ぎしたくもなるのでしょう。でも、そんな映像からも、仙台駅の駅舎の外壁を修理するために設けられた足場が見えたりするのが、なんとも生々しいですね。
 そして、それに続いて起こった運休騒ぎの方は、実は私にはしっかり予想が出来ていました。正直言って、あれだけの被害があったものが、たった1ヶ月半やそこらで復旧するなんて、とても信じられませんでしたから。そもそも、そんな長期間走らせていなかったものが、そう簡単に元通りになるわけがありません。実際にお客さんを乗せて走らせてみなければわからないようなトラブルが、きっと起こるのではないか、と思っていたのです。きのうの停電事故も、結局原因が分かってそこが改善されたのですから、こんな風にしばらくはトラブルが続くはずだ、と思って鷹揚に構えていればいいのではないでしょうかね。原発とは違って、こちらは大事故になる前に確実に止めることは出来るのでしょうし、そこで見つかった不具合を直しさえすれば、きちんと元に戻すことが出来るのですからね。それに、まだまだ余震の可能性は残っていますから、それで停止してしまうことだって確実にあるはずですからね。
 新幹線は、そんな風に、きちんと修理をしさえすれば、間違いなく震災前の姿を取り戻すことは出来ますが、その原発ではとてもそんなことは言っていられないのは、もはやだれしもが知るところとなりました。ですから、地震によっていま停止している原発は、そのまま動かさないでおけばいいのに、と思うのも、至極当たり前の考えだと思うのですが、世の中にはそうは考えない人もいるのですね。女川にある原発に、県と町の代表の人が訪れたというニュースをやっていましたが、それを見ていると、どうも関係者は今止まっているこの原発を、また動かすことを考えているようなのですね。とても信じられません。あ、そんな時に必ず出てくる勘違いも甚だしい反論である「足らない電気はどうするのだ」というのは、全く無視しましょうね。電気が足らないことと、「フクシマ」の二の舞になることを同じ次元で話すことの無意味さは、誰にでも分かることなのですから。
 今は電気が足らないとか言っていますが、それは何十年もかけて電気を無駄に使う社会を作って来てしまったから、今になって困っているだけの話です。考えてみたら、エアコンにしても、あれだけ自然に反したことをやっているものもないのではないでしょうか。つまり、熱湯に氷を入れたらぬるま湯になる、というのが、自然の法則なのですが、エアコンの原理は、その逆、ぬるま湯から熱湯と氷を作り出すという作業なのですからね。そのためには並々ならぬエネルギーが必要になるのは自明の理です。しかも、エアコンの場合、確かに「温度が下がる」ところを作り出すことは出来ますが(氷)、その分、「温度が上がる」ところも出来てしまうのですからね(熱湯)。それで高くなった温度を、さらに下げようとするという、なんとも愚かなスパイラルに陥ってしまっているのですよ。
 震災の日、電気がすべて消えた時に見上げた夜空は、美しい満天の星でした。仮に、夏の暑い日に日本中のエアコンを切ったとしたら、もしかしたら打ち水と団扇だけでしのげるぐらいになっているかもしれませんよ。
aventure number : 1701 date : 2011/4/26


今日の禁断 泉中央

 今日は震災の「四十九日」にあたる日なのだそうです。仏教では、この日をもって亡くなった人が成仏するとされている大切な日です。そんな日に合わせて、仙台じゅうのお寺では、あの地震が起きた時間に鐘をついて、法要を行っていたはずです。私の職場ではあいにくその鐘はつけない状態になっていましたから、別の小さな鐘で代用です。3時少し前には、あちこちから鐘の音が聴こえてきて、まるで街中が悲しみをこらえているようでした。こんな時間だったんですね。あれが起きたのは。
 そして、明日からは大型連休が始まりますが、それに合わせたかのように、今まで部分的にしか開通していなかった東北新幹線と、仙台市の地下鉄が全線開通することになりました。地下鉄などは最初はもう1ヶ月ぐらい先になるような話だったのですが、こんなに早く「復旧」するなんて、頑張ってくれましたね。というか、確かに、「四十九日」でなにか一区切りをつけるという思想は、それなりの意味を持っていることが納得されました。
 この地下鉄が不通だったのは、台原から北の部分でした。ですから、その代替輸送の手段として、台原の駅前から無料のシャトルバスが出ているという話は聞いていました。しかし、私の場合、そちらの方面へ地下鉄で行くことはまずないので(行くとすれば旭ヶ丘ですが、それも、目的地である市民センターや青年文化センターが休業中ですから、必要ありません)、あいにく、そんなバスには乗ったことはありませんでした。まあ、台原の駅前には小さなバスプールのようなものがあったはずなので、そこから出ているのだな、ぐらいの感覚でしたね。
 きのう、たまたまそのあたりを車で通ることになって、実際のその様子を見てびっくりです。旭ヶ丘や、さらに幸町まで通じている広い道路で台原の入口にさしかかったら、そこに大型バスが5〜6台駐車していて、車線をふさいでいたのですね。そこには誘導員がいて、やってくる車を真ん中の車線に誘導しています。そして、その前の歩道には、ものすごい人の列が出来ていました。プラカードを持った人が、地下鉄を降りた人を、やはり誘導しているのですね。確かに、バスを利用して北に行く人はたくさんいるのでしょうから、とても小さなバスプールでは人が並ぶスペースもないのでしょうね。さらに、その周辺の道路は、反対側も自家用車がいっぱい駐車しています。これも、「お迎え」の車の群れなのでしょうね。いやあ、こんな状態が、地震以来ずっと続いていたなんて、初めて知りました。さっき地下鉄のサイトを見てみたら、今日の最終便でこのシャトルバスも終了するんですって。良かったですね。
 この49日間というものは、今までとはガラリと生活パターンが変わってしまった時でもありました。カレンダーに書いてあった予定などは、ことごとくキャンセル、ですから、後片付けなどがひと段落つき、ライフラインが復旧してしまうと、かなり時間的な余裕が出てくるようになったのは、皮肉なことです。おかげで、今までたまりにたまっていた録画していたドラマなども、すっかり見終わってしまうことが出来てしまいましたよ。満杯だったハードディスクも、それでかなり余裕が出てきました。そこで、この際、今まではDVDスペックで録画していたものを、BDスペックに切り替えてみました。モニターが大画面になってくると、やはりDVDスペックでは物足りなくなってきましたからね。まだしばらくはそれらを見る時間は確保できるはずですから、HDがいっぱいになることはないでしょう(BDレコーダーはそのうち)。
 そんなきれいな画面で見ると、映画などはほとんど映画館と変わらない感じ、エンドロールの小さな文字もはっきり見えるようになったのに感激しているほどです。でも、今日WOWOWでやっていた「みんな私に恋をする(原題:When in Rome)」では、グッゲンハイム美術館に展示してあったアートで、自動車が宙づりになっているのを見て、なんと無神経な、と思ってしまいましたね。もちろん、それは勝手な思い込みで、映画の製作者に罪はありません。
aventure number : 1702 date : 2011/4/28


今日の禁断 石巻

 きのうの東北新幹線の全線再開で、ついに青森から鹿児島まで1本の線路でつながったのだそうですね。正確には線路は「2本」なのでしょうが、そんな突っ込みはやめましょうね。でも、いくら「線路」がつながったといっても、青森から鹿児島まで直通の列車なんてものはまだありませんから、なんだか観念的な言い方ですね。ご存じのように、「つながった」のは実はもっと前のはずでした。しかし、つながる1日前にあの地震があって東北新幹線が不通になってしまったため、「線路」自体ははつながっていても「観念」としての「線路」はつながることはなかったのです。ですから、なおさら今回は「つながった」喜びが大きかったのでしょうが、あの九州新幹線の「観念的」なCMを真似して、沿線でプラカードを振り回していたりしたのは、なんだか嫌な気がしました。インタビューで「震災復興」に結び付けて大はしゃぎしているボランティアを見ていると、正直腹が立ってしまいます。ほんとに、最近はこんな勘違いに腹が立ってばかりです。
 きのうはヨドバシに用事があったので、完全復旧した仙台駅がどんなものか、ついでに見てきてみました。新幹線のみどりの窓口には、以前のように長い列が出来ていて、やっと再開されたことを実感できました。改札の前でも、しっかり到着や出発の列車の案内が出ていましたしね。さらに、「えきなか」も、ほぼ全部のお店が営業を再開して、それぞれ大声でお客さんを呼び込んでいました。
 そんな中に、こんなお店もありました。

 宮城県の特産物を扱うお店なのですが、ここの目玉が「さいちのおはぎ」、しばらく休業していたようなのですが、ここもめでたく「再開」したところ、もうすでに列が出来ていましたが、まだ間に合いそうなので私も並びます。でも、一人5パックまで買えるので、もしかしたら途中で終わってしまうかも。そんなとき、頼りになるのが、このお店にも登場している「むすび丸」。最近はあの顔で「がんばれ宮城!」と一生懸命やってくれていますから、うれしくて。やっぱり、何も知らないよそ者に言われるよりも何倍もうれしくなりますよね。そのおかげで、無事におはぎを買うこともできましたし。
 別に、今回の地震には関係ないのでしょうが、スーパーでこんな飲み物を見かけました。

 「伊達サイダー」というのは、地元の飲料メーカー「トレボン」の商品です。「シャンメリー」なんかも作っているところですね。別になんということもない単なるご当地グッズですが、これは他の地域では売ってはいないのでしょうね。買いたければ仙台まで来い、ということなのでしょうか。そうすれば、「復興」にもつながるのでしょうね。もう一つの「仮面サイダー」は、ダイドーですからどこでも買えるのでしょうね。こんなベタなネーミングがうれしいですね。でも、これも原作者は宮城県出身ですから、関係なくもありません。その人の「萬画館」も、被害に遭って今は休館中だといいますし。
aventure number : 1703 date : 2011/4/30


今日の禁断 坂本九

 前回の「伊達サイダー」は、もしかして「伊達騒動」?まさかね。
 お寺の会館を使っての練習も、すでに3度を数えたパリンカ、最初はいったいどうなる事かと思っていましたが、なかなか快調な滑り出しとなっています。部屋は、50畳敷きの座敷が2つあって、真ん中が襖で仕切られている、という間取りになっています。ニューフィルでパート練習を行う時には、襖を閉め切って1部屋を使うだけで充分に間にあうのですが、パリンカにはちょっと狭いので、最初から襖を開けてぶち抜いておきます。そうして、練習には片方の部屋を使い、もう片方にはご法事に使う机がセットしてあるので、そのままにしておいてお菓子や飲み物を置けるようにしておきます。この机は、座敷用に少し低めの椅子とセットになっています。最近ではご法事でも座布団を敷いてお膳というような形はめっきり少なくなりました。生活様式が完璧に洋式に変わってしまったのもありますが、お年寄りはかなりの人が膝が悪くなったりして正座が苦手になっているので、もはやこういうものを用意しないと困ってしまうのですね。ですから、その椅子はそのまま練習の時も使えます。パイプ椅子とは違って、畳に優しい造りになっているので、引きずったりしても大丈夫、これが50脚ぐらいありますから、足らなくなることはありません。
 机に合わせてちょっと低めの椅子ですが、そんなに違和感なく座っているみたいですね。というか、畳の時には椅子の高さはそんなに高くない方が快適なことを発見です。床には直接置きたくないような荷物なんかも、畳だったらそのまま置いてもなんの抵抗もありませんしね。音に関しては、すでにニューフィルで使っているときになかなか良い響きであることは分かっていました。合唱で使う時にも、やはり非常に歌いやすいし、特に他のパートの音がよく聴こえるということでなかなか好評です。気になる遮音性も、なかなかのもののようでした。実は、きのうあたりは、庫裏で小さなお子さんが大騒ぎをしていたそうで、今日行ったら「うるさくなかった?」と聞かれてしまいましたが、そんな声は全く聞こえてきませんでしたしね。反対に、あちらでも、練習の声は全然聴こえなかったそうですよ。もっとも、実際に声を出して歌っていた時間はそんなに長くはありませんでしたけどね。
 そうなんですよ。やはり、あんなことがあった後ですから、まずはみんなの近況報告やら、これからの方針を話し合うやら、なにかと「離陸」までの手続きが必要なものですから、今までやってきたような「練習」には、まだほど遠い状態なんですね。あとは、コンクールのために練習を始めていた曲が、ちょっと歌うのはまずいだろう、ということになって、別の曲が決まるのにも時間が必要でしたし。つまり、こういう状況では「海」を扱った曲を歌うのはちょっとどうなのか、というような空気が、合唱関係者の間に蔓延しているのですね。まあ、私などは必ずしもそうは思えないのですが、やはりこの時期に敢えて「海」はないだろう、というのが、大勢の流れなのですよ。ですから、コンクール用に決まっていたトルミスの「古代の海の歌」が、真っ先にアウトになってしまいました。別の合唱団でも、有名な「水のいのち」を演奏会に用意していたところが、困り果てているのだそうです。「海」とか「海よ」というのがありますからね。もっとも、NYに行く(もうすぐですね)合唱団「萩」は、果敢に「海はなかった」を歌ってくるそうです。まあそれも一つの見識ですね。
 でも、「海」関係はともかく、良かれと思って歌っても反感を持たれてしまう曲というのは、あるのかもしれません。愚妻などは「『上を向いて歩こう』なんて他人から言われたくない」と言ってますし、私も、最近の「復興」コンサートでは定番になっている「故郷」は、本当にやっていいのかなあ、と常に思っていますしね。だって、いつかは必ず帰れての「故郷」なのに、その「故郷」をなくしてしまって、もしかしたら永遠にそこには帰ることが出来ないかもしれない人だって、被災者の中にはいるのですからね。そういう勘違いだけはしたくないな、と、常々思っていたのに、まさかその2曲ともパリンカで歌うことになろうとは。
aventure number : 1704 date : 2011/5/2


今日の禁断 三菱

 今年の大型連休は、「自粛」の波の中でもそこそこの観光客は東北地方にも戻って来ているのだ、ということです。少なくとも、秋保温泉には東京方面から50人ほどの人がやって来ているはずですから、大丈夫でしょう。きのうから3日間の日程で、合唱団の合宿をやっているのですよ。それが終わると、いよいよNYまで行って本番を迎えることになります。被災地のメンバーが中心になった日本の合唱団がカーネギー・ホールで演奏、これはこの時期には格好の話題となることでしょう。頑張って来てください。
 まあ、「頑張って」というのは、こういう時に使う分にはいいのでしょうが、何も考えないでこの言葉だけを連呼するような人には、腹が立つばかりです。ことさら言われなくても、頑張るのは当たり前の話、他人から言われて頑張っていたのでは、生きていけないのが被災地なんですよ。
 そんなわけで、自主的に「頑張って」いるにもかかわらず、家の中の片づけは遅々として進みません。いや、何しろ今までしまいこんであったものなどがすべて飛び出してしまったという状況だったものですから、単に元に戻すという「復旧」作業ではなく、この際だからそんな要らないものを全部撤去して、前よりも住みよい状態にしようという「復興」作業にシフトしてしまったために、かえって大ごとになってしまった、というだけの話なのですがね。
 ですから、そんな「復興」作業を行うには、こんな大型連休しかないことになります。それに備えて、今まで使っていた掃除機が、あまりの酷使に耐えきれず、ホースがねじれてしまって全然ゴミを吸わなくなってしまったものですから、新しいのを買って来なければいけません。掃除機こそは、「復興」になくてはならない最大のアイテムですからね。しかし、今の掃除機ときたら、いろんなメーカーが似たような機能でそれぞれ主張しているものですから、どれを買っていいのか分かりません。ただ、一つだけ明らかに軽い本体のものがありました。確かに、掃除機は軽いに越したことはありませんから、それにしようと思ったら、なんだか品番違いで2種類置いてあります。どこが違うのかチェックしているところに、すかさずやってきた店員さんが、「こちらは、自走式になっております」と言うではありませんか。確かに外見は同じですが、片方はなにもしなくても「自分で」前に進んでいきます。もう片方は力いっぱい押してやらないと、進みません。いやぁ、掃除機って、ここまで進歩していたんですね。自掃除機ですね。これで決まり、その、軽くて自分で動くやつを買ってきました。

 新しい掃除機のおかげで、復興作業は大幅にはかどるようになりました。なんと言ってもジャマだったのが、家電を梱包していた箱です。あの中に入っている発泡スチロールを、細かく割って「プラごみ」の袋に入れるときに、どうしても小さなスチレンのかけらが飛び散ります。やつらは静電気を帯びているので始末に負えないのですが、そんなものは簡単に吸いこんでくれますしね。
 出てきたのは、邪魔者だけではなく、思いがけない懐かしいものもありました。


 何十年か前、私が職場のバンドのメンバーとして、NHKのテレビに出演した時の写真です。その頃はビデオなんて簡単には買えませんでしたから、テレビの画面を写真に撮ってくれてた人がいたのですね(生放送でした)。私の担当はキーボードとボーカル。テレビでは「テイク・ファイブ」なんかをやっていましたが、クリスマスのシーズンなどには、ダンスパーティーで沢田研二の「危険な二人」なんかをカバーしていたんでしたっけ。もちろん、ボーカルは私です。
aventure number : 1705 date : 2011/5/4


今日の禁断 金港堂

 今年は、もしかしたら筍が不作な周期に入っているのかもしれません。いつもですと、連休が終わった頃には掘りきれないほどたくさんの筍が伸びているものですが、今の時点ではなんともさびしい感じなのです。確かにいくらかは出てきてはいるのですが、数日経ってもあまり大きくならないようなのですね。しかも、そのうちの何本かを掘ってみて実際に食べた人は、なんだかずいぶん硬かったと言っていましたから、確かにいつもとは違います。いつもだったら、こんな出始めの筍はとても柔らかいはずですからね。
 実は、明日は旭ヶ丘の市民センターに置いてある大型楽器を、新しく練習会場に決まった私の職場に運んでくることになっています。来週からはいよいよニューフィルでも練習が再開されますからね。ですから、それに合わせて毎年恒例の「筍、掘りたいかい?」を開催できるのでは、と思っていたのですが、どう考えても明日は無理な状態です。これからもう少しして、もしかしたら筍が思い直してどんどん伸び始めるようなことがあれば、その時にまた考える、ということで、ご了承ください。
 確かに、何年かに1回は、こんな風に筍が不作の時はありました。でも、今年の場合は、そういう周期よりも、やはり地震が何らかの影響を及ぼしているのでは、という気がするのですが、どうでしょう。地表はあれだけの揺れだったのですから、地面の中でもなにか大きな振動があって、そのために芽を出したばかりの地下茎が損傷を受けたなんてことは、考えられないでしょうか。そういえば、竹やぶの脇にある池には、今年はザリガニの姿は見かけません。その代わり、オタマジャクシの大群が池を埋め尽くしていましたよ。ほんと、池中が真っ黒になっていますからね。こんな光景も久しぶりに見たような気がします。
 連休最後のきのうは、地震のために休業だった「タピオ」が、連休に合わせて再開されたというので、行ってみることにしました。ただ、再開したのはタピオだけ、隣接しているアウトレットは、6月までは休業なのだそうです。まわりは塀に覆われていますし、タピオとの連絡橋も、あちこちにブルーシートが巻きつけられて痛々しい姿をさらしていましたね。


 でも、まだ修復工事のところも残っているタピオでは、そこにブルーシートではなく、こんなおしゃれなシートを使ってカバーしていましたね。なんか、場違いなような気もしますが、さすがはファッション・モール、出来るだけ見苦しいものは見せないのだ、という意気込みなのでしょうか。
 一応全館開業とはなっていましたが、駐車場からすぐの楽器屋さんが、シャッターを下ろしてまだ休んでいましたね。その他にもちらほら開店してないところもあって、なかなか大変なことがうかがえます。いつも行く本屋さんは、きちんとオープンしていました。そして、一部の人気雑誌などは、きちんとバックナンバーまで用意してありましたね。「音楽の友」なども、久しぶりに立ち読みできましたよ。なんか、震災の音楽界に及ぼす影響とか、ちょっと勘違いっぽい特集をしてましたっけ。仙台フィルあたりの活動も、格好のネタになっていましたね。月刊誌の宿命で、「ラ・フォル・ジュルネ」の最新情報が漏れてしまったのは、ちょっとかわいそうでしたが。
aventure number : 1706 date : 2011/5/6


今日の禁断 ポンプ室

 来週からはいよいよニューフィルでも練習が再開されます。それに備えて、大型楽器が保管されている旭ヶ丘市民センターから楽器を運び出す、という作業が、きのう行われました。こういう運搬には普通は大型トラックを借りていたのですが、運ぶ先に線路のガードをくぐる道があるので、それは無理、結局、団員のワンボックスカーをメインに、小さなものはそれぞれの車に分けて載せるということで、作戦開始です。あ、参加者は全部で9人、そのうち3人は女子です(どうでもいいことですが)。
 まず、久しぶりにいつもの駐車場に駐めようと思ったら、下にあるスーパーの看板が変わっていました。ここは確か今再建中、前の名前のお店は整理されてしまったのでしょう。そのぐらいしばらくぶりの旭ヶ丘でした。

 そこから、まず事務所の前に通じる階段を上ろうとしたら、かなりやられていましたね。

 入口にはなんと「黄紙」が貼られています。

 入ってすぐのところに、被害状況を知らせるための写真が貼ってありました。いつも使っている4階の大ホールは、天井が落ちてきてしまったそうですね。館長さんのような人がいたので聞いてみると、修理の申請は出してあっても、なかなか他が忙しくて、こちらまでは手が回らないということでした。再開はまだまだ先になりそうです。

 こんな表示もありました。我々は特別にエレベーターも動かしてもらって、4階に向かいます。

 倉庫の中はこんな状態。実は、地震の直後、3月19日に一度片づけを行っていたのですが、その後の大余震で、また元の状態に戻ってしまっていました。

 ティンパニがぶつかった石膏ボードの壁には、穴が開いています。

 楽器自体は大丈夫だったので、エレベーターで1階まで降ろします。バスプールにある出口のまわりは、タイルが派手に剥げ落ちていました。まるで模様のように見えますね。

 とりあえず楽器も揃い、あさってからは2か月ぶりに練習が始まります。決して頑張りすぎないで、出来ることから少しずつ、ですね。
aventure number : 1707 date : 2011/5/8


今日の禁断

 震災後、2ヶ月間のブランクがあったニューフィルですが、ついに練習が再開となりました。今までどおり、毎週火曜日の夜7時からという練習時間は変わりませんが、会場が私の職場の大広間、というのですから、なにかとたいへんです。
 とりあえず、広さはフルオケには十分との感触はあったのですが、何せ今まで実際に総勢60人以上のオーケストラがこの部屋に入ったことはありませんから、昼間のうちからシミュレーションのために、椅子を並べてみることにしました。まず、真ん中を仕切っている襖を取り外します。これで、本当に広々とした空間が生まれました。まず指揮者用の譜面台を真ん中に置いて、その周りに椅子を並べて行きます。案の定、幅は充分過ぎるぐらいありますが、奥行きがちょっと足らないので、木管2列とホルン1列を正面に並べると、セカンドやヴィオラは1列しか並びません。まあ、仕方がないでしょう。チェロだけは、普通の高さのパイプ椅子にします。
 まずは、そのままにしておいて、6時ちょっと前にカギを開け、電気を点けておきました。今までだと、6時にはやってくる団員がいましたからね。それから一仕事して、6時過ぎに大広間に行ってみると、やはり、もう、コントラバスの人が2人来ていました。しばらくすると打楽器の人も来たので、この前しまってあったところからティンパニなどを運び出します。そのうちに団長もやって来て、並び方の微調整(ホルンはヴィオラの後に来て、正面の弦が2列に)、譜面台なども並べてスタンバイです。
 コントラバスと管楽器の人は、いつもよりずいぶん早く集まっていました。しかし、ヴァイオリンとヴィオラはほとんど空席です。でも、音出しの7時になると、しっかり合奏に必要な人員は集まっていました。ヴァイオリンあたりは、地震の前はしばらく来ていなかったのでもうやめたのだと思っていた人が、しっかりまた来ていましたよ。なんか、みんな本当に合奏の場を求めているのだな、というのがひしひしと分かる感じです。
 予定通り、「第9」の4楽章を1回通します。史上初めて、この大広間がフルオケの響きに満たされる時です。やはり、良く響きますね。というか、さすがにこれだけの人数だとちょっとやかましい感じがしてしまいます。一応、合奏が始まる前に、ティンパニを派手に叩いてもらっている間に外に出て聞いてみたのですが、しっかり塀に囲まれているのでほとんどやかましいという感じはなくなっていました。実際に曲をやった時はどうだったのか、明日聞いてみることにしましょう。

 1回通しただけで、合奏はおしまい、あとは今後の活動についての話し合いです。これまでにさまざまな情報が飛び交っていたものが、ある程度収束して、なんとか方向性は見出せたようですね。おそらく、秋には末廣さんの指揮で定期スペックの演奏会が開けそうになったのは、うれしいことです。
 初めての会場での初めての練習ですから、なにかと勝手が違っていて、いちいち私が仕切らなければならなかったので、結構つかれてしまいました。でも、ニューフィルのメンバーは、ひとことお願いすればとことんやってくれる人ばかりですから、これからは楽です。机や椅子は、見る見るうちに片付いてしまいましたし、「軽く掃除してください」と言っただけで、みんな率先して掃除機を探し出し、掃除をやってくれましたしね。
aventure number : 1708 date : 2011/5/10


今日の禁断 100周年

 ニューフィルの練習が始まり、これからの予定も次第に明らかになりつつありますが、そこで障害になるのが仙台のホール事情です。誰でもご存じのとおり、この仙台の地には、文化的な都市であればまず間違いなく備わっている「音楽専用ホール」というものは一つもありません。いや、それに良く「似た」ものはいくつかありますが、たとえば青年文化センターのコンサートホールは収容人員が800しかありませんし、川内萩ホールはホールに付随した設備があまりにお粗末すぎます。そして、決定的に「コンサートホール」と違うのは、両方ともパイプオルガンが設置されていないということです。
 それでも、仙台市の文化団体は、そのような劣悪なホールを使う時でも、決してホールのせいにすることはせず、あくまで団体の力を磨くことによって、お客様に訴えられるだけのものを作り上げようと頑張って来ているのです。音響的には問題だらけの宮城県民会館や、イズミティ21でも、常に全力を出して出来る限りの演奏をしようと、心がけていたはずです。
 しかし、今回の震災で、そのような、不満ではあっても音楽の演奏には欠かせないホールが、軒並み使うことが出来なくなってしまいました。2か月経った今でも、はっきり再開の日時までが示されているホールは、まだありません。ただ、確定はしていなくても間違いなくこの頃には再開しているだろう、ということで、一縷の望みをかけてさるホールを最優先で押さえようと働き掛けてはいるようですが、どうなることでしょう。なにしろ、指揮者のスケジュールなども絡んできますから、そういうあいまいな状態ではなかなか先に進まないのですね。
 音楽の演奏には必ずしも適していなくても、キャパなどは充分なところで、すでに運用が始まっているところもあります。一つは、電力ホールというところ。ここは残響がほとんどないので、クラシックのコンサートには最悪なのですが、実は私が入った頃のニューフィルはもっぱらここを使って演奏会を行っていました。

 しかし、いつの間にか再開していたこのホールの予約状況を調べてみたら、もうずっと先までいっぱいになっていたのだそうです。それはそうでしょうね。音楽団体に限らず、ホールの需要は多いはずなのに、まともに使えるのはここしかないのですから、予約が殺到するのは当たり前です。
 そんな中、伏兵として、「国際センター」というところが浮上してきました。そこのホールが、ちょっと先なら指揮者の予定とも合致した日が、たまたま空いていたのだそうです。さっそくそこをひとまず押さえておいて、本命のホールの再開を待つ、というのが、どうやら今の状態のようですね。こうなったら、ほとんど祈るような気持ちです。
 その国際センターホールは、実は4年前に実際にステージに立ったことがありました。

 一応「ホール」とはなっていますが、ちゃんとした音響設計が施されているわけではなく、なんでも、音が外に漏れてしまうので、センター内の他の場所でなにか行事があるときには音を出すことは出来ない、という、「音楽ホール」以前の代物なのですよ。この時も、生音ではなくPAを通して客席に音を流していたはずです。ですから、出来れば音の良いホールを使いたいですよね。そんな贅沢を言ってられる場合ではないのでしょうが。
aventure number : 1709 date : 2011/5/12


今日の禁断 こだま

 市内の本屋さんに行ってみると、一番目立つ所に今回の震災の「写真集」がうず高く積まれています。その表紙は、あの惨状がカラー写真でくっきりと写っているものばかり、いったいどのぐらいの種類のものが出ているのか分かりませんが、おそらくこれらはかなりの売り上げとなっているのでしょうね。まさに「空前のベストセラー」といった感じですが、私にはこの様子がとても不快に感じられます。つまり、こういう写真集というのは、たとえばオリンピックとか、皇室の結婚式とか、誰でも喜んだり感動したりしたことを写真を見ながら反芻して、その時の気持ちを再確認するために発行されるものなのでしょう。しかし、あの震災の惨状の写真を見なおして、あの時の思いをもう一度味わいたいなどと思う人など、いったいいるのでしょうか。もちろん、「報道」という「大義名分」で、「後世に伝える」ということは大切なことかもしれません。しかし、それはそれで別に書店の店頭を賑わせなくても記録に残すことは出来るはずです。それを、まるで競うかのように、衝撃的な写真をこれ見よがしに掲げている様は、とても醜い商魂が見え隠れして、腹が立ってきます。こんなことを使って、商売はしないでくれ、と言いたい気分なのですよ。
 他の人はどうなのかは分かりませんが、私はそれらの写真集を手にとって見ることすら、なにか悪いことをしているように感じられてしまいます。テレビであれだけ繰り返し見せられたものを、さらにスティル写真で見なおすことに、いったい何の意味があるというのでしょう。不思議なことに、おそらく実際に身近に被害に遭っている人もいるはずのその書店のお客さんが、何のためらいもなくそれらを見ているのですね。中にはそれを買っていく人だっていますよ。私には、そんな人の気持ちが理解できません。こんな災害なんか、一日も早く忘れたいと思っているはずなのに。
 そういう中で、たとえばニューフィルなどが、「演奏」という形で何かできることがあるのか、ということを考える時には、やはり人によって様々なとらえ方があるはずです。それでも、6月の11日(土)に、石巻でミニコンサートを開催することが決定しました。避難所の近くにある大きな病院のロビーをお借りして、そこでオーケストラやアンサンブルの演奏を行うことになっています。他の人はどうか知りませんが、私自身は、「音楽で被災地の人たちを慰める」などといった大それた考えは、全く持っていません。それどころか、今この国の中(いや、外国でさえも)に蔓延している、ある種の使命感を持ってそのような演奏の場を設けている風潮に対しては、かなり冷ややかな視線を送ってきていました。そういう人たちの、あまりに楽天的な「音楽の力」を信じる気持が、とても嘘くさく感じられてしまうのですね。正直、私には音楽にはそれほどの力があるとは、とても思えないのです。
 それにもかかわらず、この演奏会に参加しようという気になったのは、もっと別の意味で音楽の持つ可能性を確かめてみたいような気持があったからです。それは、私自身が体験した(それは、だいぶ前の「禁断」で告白してあります)、精神的な飢餓感を埋めてくれるような意味での、音楽の「力」、いや、そんな大層なものではなく、言ってみれば「作用」ぐらいのものでしょうか。
 「はっきり見えてこそ、『心』は他人に伝わる」という、私の大嫌いなあの「ACジャパン」のCMのような押しつけがましいところとは全く無縁なスタンスで、そんな「作用」を実際に確かめることが出来たら、これに勝る幸せはないような気がします。
aventure number : 1710 date : 2011/5/14


今日の禁断 講談社


 ちょっと前ですが、「ハヤシライス」がどうのこうのというドラマをやっていましたね。原作が東野圭吾だったので、読んでみたかったのですが、その時にはまだハードカバーしか出ていなかったので、いずれ文庫本が出たら読もうと思っていました。ドラマの方は、別に真剣に見るほどのクオリティがないような気がしたので、真面目には見ていませんでした。というか、いずれ原作を読むことになるので、いい加減なドラマで変な先入観を持ちたくはなかったのでしょうがね。
 その文庫本が出たので、さっそく買って読んでみました。かなり厚い本なのに、3分の1ぐらいのところでほとんど犯人が分かってしまったような展開だったので、この後の3分の2ではもう何も面白いものはないのでは、と思っていたら、とんでもない、最後の最後で信じられないようなどんでん返しが待っていましたね。さすがは東野さんです。もっとも、これはいかにもそういう結末を作り上げたいがための、ちょっと技巧に走り過ぎたやり方のような気はしますが。というか、いくらなんでもあの「真犯人」は、とは思いませんか?もう反則ギリギリの設定ですね。でも、まあいいんです。そんな「意外性」は充分楽しませていただきましたから。
 それと、いつものことですが、東野さんは登場人物の心の綾を描くのが上手ですね。特に、「禁断の恋」に陥ってしまった静奈の気持ちの移ろいは、読んでいて切なくなってしまいます。ちょっと甘いのかもしれませんが、最後の結末には、泣けました。
 ところで、読み終って最後のページを見てみると、そこには「著者は本書の自炊代行業者によるデジタル化を認めておりません。」というコメントが掲載されていました。一瞬、これは誤植なのではないか、と思ってしまいましたよ。なんで「自炊」なんて場違いな言葉がこんなところにあるのだろう、と。それと、「自炊」と「デジタル化」という、全く何の脈絡のない単語が並んでいるのも異様ですね。そもそも「自炊」って、独身者などが自分で料理をすることですよね。それを「代行」してくれるような商売があるのでしょうか。そんなところに頼まなくても、コンビニで弁当でも買ってくれば、ずっと簡単なのに。
 いや、もちろん、そんなのはおとぼけ、iPadやスマートフォンが出てきて、「電子化書籍」が見る見るうちに市民権を獲得していくと、正規に「電子化」されたものではなく、自分で本のページをスキャンしたデータを作る人も出てくるわけで、そんな、言ってみれば「海賊版」を作る人に対する牽制の意志表示なのだ、というのは分かっていましたよ。「紙」で本を作っている出版社にしてみれば、ロイヤリティも入ってこないこのような行為は死活問題になりかねませんから、最近は出版物にこのような表記をするようになったのでしょう。そういうことを商売にしようという「業者」は、ダメだよ、ということなのでしょうね。
 しかし、この手の新しい言葉が出てきても、今までだったら難なく対応できていたものが、この「自炊」にはちょっと戸惑ってしまいました。普通はそういう「造語」には何か即座に納得できるセンスの良さが備わっているものなのですが、この言葉に関してはそういう気配が一切感じられないのですね。つまり、私の中では、さっきのような本来の意味がしっかりまだ根付いているものですから、それ以外の意味でこの言葉を使われるのに、ちょっと抵抗があるのですね。それを、言葉を商売にしている出版社までが、こんな風にさも常用されている単語のように使っているというのですから、ちょっと違くない?と思ってしまうのですよ。
 なんたって、これは「2ちゃん」による造語なのだそうですから、そもそも薄汚い出自を持ったものです。それと、字面が、ちょっとここには書けない「自○」という、もっと薄汚い言葉を連想してしまうものですから。
aventure number : 1711 date : 2011/5/16


今日の禁断 海賊

 まだまだ先の見通しの立たないニューフィルですが、当面の石巻の演奏会に向けての練習がきのうも行われました。とは言っても、まだ曲目なども決まっていないので、まずは合奏の勘を取り戻すための肩慣らしです。そこでやってみようということになったのがドヴォルジャークの「新世界」です。この曲だったら、殆どの人がやったことがあるので、楽譜も持っているだろうと。でも、実際には必ずしもそんなわけではなく、フルートパートでもパート譜を持っていたのは私だけ、人数分コピーしておきましょう。ですから、弦の人などはどうするのかと思っていたら、気をきかせて他のオーケストラで使っていたパート譜をプルト分用意してきた人がいましたね。これで、晴れて合奏がスタートです。
 やったことがある人が多いのでは、とは言っても、実際には、私は1番を本番で吹いたことはありませんし、オーボエなどは二人とも初見でした。それでも難なく通ってしまうのが、2か月休んでももともと実力のある人たちの集まりであるニューフィルのすごさです。もう1曲、これは弦のパート譜が1部しかなかったので、急遽私が職場のコピー機でコピーして揃えた「フィンランディア」。これも軽いものです。
 それが終わった後は、石巻のレパートリーを決めるための、誰も今までやったことのない曲をその場で楽譜を配って即座に演奏をするという、正真正銘の初見大会です。まずは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」。最初、12/8拍子の中に四分音符が並んでいる譜づらだったので、何かな、とは思ったのですが、これは単なるヘミオレだったので難なくクリア、途中にはなんとフルート・ソロもあって、なんの問題もなく通ってしまいました。次に持ちだしたのは、手書きのスコアを、切り貼りして作ったパート譜、フルートは1番と2番が一緒に書いてあるという見にくい譜面で「ウルトラセブン」です。途中で聴き慣れたホルンの咆哮が聴こえてきたら、思わず吹き出してしまって、あとが吹けなくなってしまいました。これはボツになりそう。さらに、今度は「スター・ウォーズ」などの譜面もまわってきましたよ。これはそもそもパートが全く足りません。フルートは最低でも4人は必要なのに2人しかいませんし。そして、このオーケストレーションはとてつもない難しさでした。持って帰ってじっくりさらわなければとてもできそうにない代物、いくらニューフィルでも、これは初見なんて絶対に無理です。
 そんなことをやりながら、しばらくはこんな調子で試行錯誤が続くのでしょう・・・と思っていたら、今日になったら、なんと、石巻の演奏会自体が中止になってしまったという連絡が入りました。予定にはなかった、会場の被害個所の修理のために、ロビーが使えなくなったからなのだそうです。まあ、先のことは分からないのは大震災で経験済みですから、これしきのことでめげる私たちではありません。
 練習の時に、事務局長からSDカードを渡されました。以前、地震直後に旭ヶ丘の楽器庫を片づけに行った時に撮った写真なのだそうです。これは貴重なものを。これを見てみると、なんだか2回目の地震の時の方が被害は大きかったような気がします。だから、広瀬隆が言ってましたが、最初の時のマグニチュード9.0というのは、インチキだったんですよ。
 これは、1回目の時に壁に開いた穴です。

 そして、これが2回目。さらに2ヶ所(赤丸)増えていましたね。
aventure number : 1712 date : 2011/5/18


今日の禁断 チャイコフスキー

 レコーダーの録画モードをハイビジョン対応に変えてからもう3週間以上経ちましたが、その効果は絶大のものがあります。やはり、大画面の液晶モニターになると、その違いははっきりしてしまいますね。正直、これまではこれほどの違いがあるとは思っていなかったので、これはかなりショッキング、なにしろ、エンドロールがどんな小さな文字でも、くっきりと見えるというところで、歴然としたものがありますから、映画を見ていてもストレスが全くありません。いきおい、映画を録画しておくことが多くなってきましたね。最近は見る時間も結構確保できますから。ただ、WOWOWなどでは、たまにハイビジョンではないチャンネルで映画をやってたりしますから、これは要注意、ハイビジョンに慣れた目には、その大雑把な画面はとても耐えられません。それから、NHKで放送されるオペラなどでも、もしかしたらハイビジョンではないのかもしれないような画面に遭遇したりしますから、怖いですね。つまり、BSが3波から2波に減った分、今までハイビジョンでなかったものがすべてハイビジョンになったものですから、その辺のしわ寄せも出てきているのでしょう。
 そんな中で最近見たのが、上映時には大評判だったフランス映画「オーケストラ!」です。あまりに評判が高かったので、ぜひ劇場で見たかったのですが、つい見逃してしまったものです。でも、結果的にはわざわざ劇場まで見に行かなくて正解だったな、と思えるものでした。確かに、これは「感動的」な映画なのでしょう。でも、その「感動」のさせ方があまりにも強引過ぎるのですね。そこには制作者の「これだけやれば確実に感動してくれるだろう」という計算が垣間見えてしまって、どうしても素直になれないのですよ。つくづく損な性格だとは思うのですが、仕方ありません。つまり、私の場合、設定のいい加減さがある限度を超えてしまうと、もうそこで入っていくことが出来なくなってしまうのですね。この手のもので設定を云々するのは意味のないことだとは分かっているのですが、こと音楽を扱っているときには、まずそこをきちんとやってから、暴れてほしいと思ってしまうのですね。
 おそらく、この映画では「奇跡」を信じることのすごさを伝えたかったのでしょう。しかし、「奇跡」を生むためにはそれなりのおぜん立ては絶対に必要です。30年間演奏をしていなかった人たちが集まって、それが全くのリハーサルなしにオーケストラとして演奏した時に、それがきちんとした音楽になるなどというのは、「奇跡」以前、ただのホラ話に過ぎません。ごていねいに、オケだけの出だしはひどいものだったのが、ヴァイオリンのソロが入ったとたんにきっちりとまともな演奏になってしまうですからね。いや、気持ちは分かりますよ。そういう「あり得ない」ことが実際に起こるのだから、「感動」を呼ぶんでしょう?でも、そこに持っていくには、それなりの仕込みは絶対に必要です。世の中には決して起こり得ないということは確かにあるのですよ。そういうことが起こることを前提として物語を作るのは、反則なのではないでしょうか。そこまでして「感動」をもぎ取りたいのでしょうかね。

 「イングロリアス・バスターズ」でクールな映画館主の役だったメラニー・ロランがヴァイオリニストを演じていたので、ついつい最後まで見続けてしまいましたが、はたしてそれが幸せなことだったのか。いっそ途中で消去して「なにも見なかった」ことにしてた方が良かったのかもしれませんね。
 さいわい、これはディスクに焼くことはなかったのでいいのですが、本当に「感動」出来たものでも、いまだにDVDにしか出来ないのも、そろそろ物足りなくなってくるのでしょうね。BDのソフトを届けてくれるような奇特な人でも出てくれば、いよいよBDプレーヤーを買うのでしょうが。
aventure number : 1713 date : 2011/5/20


今日の禁断 白鳥

 「いいニュースと悪いニュース、どちらから先に聞きたい?」といういい方は、よくアメリカあたりの映画やドラマに登場しますよね。そういうのを見慣れたせいなのか、日本のドラマでもたまにこれを使ったりしていると、なんともみっともなく見えてしまいます。こういう気取った言い方は、日本の文化とは完璧に相容れないのだ、という気がするのですが、どうでしょう。
 とは言いつつも、私も一度はこれを使ってみたかったので「まず、いいニュースから」始めてみます。
 愚妻が、久しぶりに土曜日か日曜日に練習をやっている合唱団に、震災後初めて参加することになりました。パリンカより少し前に再開していたのですが、やっと今頃になっていく気になってみたいですね。ですから、私の送り迎え人生もまた再開することになりました。ただ、今日は「送り」には行けましたが、「迎え」は、パリンカの開始時間と重なってしまうので行けません。少し早めに集まって、みんなでピアノを運ばなければいけないのですね。いずれにしても、午後は一人なので、お昼御飯を久しぶりにあの「櫻家」で食べてみようと思いました。考えてみたら、震災の後はずっと行っていなかったのですね。
 お店に入ってみると、もうそろそろランチタイムは終わるころなのにカウンターはいっぱい、仕方なくテーブルに座りましたが、ここの人気は衰えてはいないようです。というか、なにか前よりも活気があるような気さえします。久しぶりのお店の中を見渡してみると、「禁煙にご協力ください」という張り紙が目に入りました。おお、ついにこの日が来たのですね。いや、何度もここに書いてきましたが、ここのとんかつは確かにとてもおいしいのですが、何しろ常に目の前には灰皿が置いてあって、何回かに1度は実際に店内で煙草の匂いに悩まされることがありました。このお店が全面禁煙になったら、どんなにかうれしいことだろう、だけど、そんなことはありえないのだろうなあ、と、ず〜っと願っていたのですね。その願いがやっとかなったのですよ。
 帰りがけに「ついに禁煙になりましたね」と給仕のおばさん(?)に言ってみたら、おばさんはなんだかすまなそうに、「私たちも、煙草はいやだったんだけど、なかなかタイミングがねえ」などと、言い訳をしていました。いやいや、これは「大英断」なんですよ。自信を持ってください。これで、愚妻がここに来るのをためらう理由はなくなりました。
 「いい話」はもう一つ。今市内の演奏会場が軒並み使えない状態にあるために、音楽団体などは会場探しに苦労していますが、そんなところに市内の某女子大学が、キャンパス内にある大講堂を無料で提供したい、という申し出をしてくれました。この講堂は収容人員が1000人、大きなオルガンも入っている、コンサートにはもってこいの会場なのですよ。使えるのは土日と祝日で、来年3月までの催し物に対応できるというのですね。これは「大朗報」です。なにしろ、ニューフィルも秋には演奏会をやりたいと思っているのに、いまだに確実な会場が確保できていないのですからね。唯一取れているのが、角田の第9の次の週だというのですから、ちょっと落ち着きませんし。
 そして、「悪いニュース」です。さっそくその大講堂を借りようと大学に連絡を取ってみたら、ものすごい数の問い合わせが殺到したそうで、大学関係のものを優先的に入れて行ったら、結局ニューフィルが借りることは出来なくなってしまったのだそうです。残念でしたね。
aventure number : 1714 date : 2011/5/22


今日の禁断 フィンランディア

 今日は、仙台藩主伊達正宗の命日なのだそうです。伊達家の霊廟のある瑞鳳殿では、毎年恒例の供養が行われたそうです。そして、これも毎年恒例の「青葉祭り」も、この命日に合わせて開催されています。いや、今年は震災の影響で、「青葉祭り」は中止になったのではないか、という方もいらっしゃるかもしれませんね。確かに、観光客目当てに5月の第3日曜日という、正宗の命日とはなんの関係もない日に毎年行われていた、いわば「でっち上げ」のお祭りは、中止になっていますが、そんな震災ごときで取りやめになるようないい加減なものではない、本当の「青葉祭り」、つまり、伊達正宗を祀った「青葉神社」のお祭りは、しっかりこの日に行われるのですよ。

 ご存じのように、この神社では地震によって「顔」とも言うべき大鳥居がものの見事に崩れ落ちてしまいました。なんせ石造りですから、撤去もままならないまま、かろうじて人が歩けるぐらいの隙間だけを開けて、いまだにその無残な姿をさらしています。しかし、だからと言ってお祭りを中止するようなことはありません。おかげで、すぐ隣の私の職場では、ひっきりなしに聴こえてくる、まるで地鳴りのような花火の音で、「また地震か」という恐怖心をあおられてしまうのですよ。
 夕方になると、今度は何やら威勢のいい太鼓の音が聴こえてきました。なかなか盛り上がっていますね。これでこその「祭り」です。
 そんな賑やかな音も、ほとんど聴こえない会館の中で、今日もニューフィルの練習が始まります。実は、前もって今日は新聞社の取材が来ることを伝えてあったので、なんだかみんな少し早めに集まってくるみたいですね。そう、先週のことですが、練習場の確保もままならないようなこういう状況にあって、様々な方法で活動を開始した団体を取材させてもらいたい、という依頼があったのですよ。それは、ニューフィルの公式サイトのメールフォーム経由の連絡でした。そこに書き込んだメールは、私のアドレスに届くような設定になっているのですね。ですから、こういう公式の依頼も、まず私が最初に目にする、という形になります。それから、しかるべき役職の人に連絡する、という手続きを取るのですね。ただ、この依頼の場合、ちょっと気になることがありました。「○○さん(私の本名)」のサイトで、ニューフィルがお寺の会館を借りて練習を始めたことを知った、というのですね。私は、自分サイトには一切本名は出さずに、芸名で通していますから、この記者の方はもしかしたら私の知り合いの関係者なのでは、という気がしたのですよ。そこで、「つかぬことを」とお伺いしてみたら、やっぱり私の勘が当たっていたことが分かりました。世の中狭いですね。
 そこで、今日がその取材の日でした。カメラを抱えた「家人」さんは、まず団長と話をしていましたが、なんだか団長ともつながりがあったようで、ほんと、世の中は狭いんですね。

 取材が来ると知って、オーボエの人などは「写真に写りたくない」と言って、目立つトップの席を他の人に代わってもらったりしていました。でも、写真はこんな感じで「後ろから」しか撮ってませんでしたから、彼の心配は全く無用のものだったのですね。
 練習が終わって、その場で引き続き技術委員会がありました。移動の時間がない分、早く終われるのはうれしいことです。でも、秋の曲目は「新世界」ですんなり決まるのだと思っていたら、なんと別のオケが同じ時期に同じ曲を演奏会でやるという情報が提供されて、お流れになってしまいました。世の中、狭いですね(ちょっと意味が違う?)
aventure number : 1715 date : 2011/5/24


今日の禁断 斉太郎節

 まさかこんな大ごとになるなんて、誰も予想していなかったのではないでしょうか。おそらく、当の出演者たちは、いとも淡々と演奏会をこなそうと準備をしていたはずです。しかし、蓋を開けてみれば会場は5階席まで満員だとか、最後の曲が終わる前に、すでに半数の人はスタンディングだったとか、なによりも日本からのマスコミがわざわざ会場まで乗り込んできていたというのですから、みんなびっくりしたでしょうね。
 私も、こんな事態ですからある程度の露出はあるのではないか、という予想はありました。しかしそれは例えばローカルニュースで軽く触れられる程度のものなのでは、と思っていたのです。ですから、日本時間では早朝にあった演奏会の模様が、その夜のNHKの全国ニュースで大々的に報道されたのには、本当に驚いてしまいました。かなり長い間演奏の映像を流した後には、団長のSさんのインタビューもしっかり放送していましたからね。スタンディング・オベーションの模様も、その映像からしっかり確かめることもできましたし。
 ただ、新聞には、私がとっている朝日に関してはなんの記事も載ってはいませんでした。しかし、それはやはり夕刊は配達されない地方版レベルの話ではなかったのですね。あとで知ったのですが、やはりその日の夕刊に、大々的に紹介されてたというのです。そして、これも後で知ったのですが、私はとっていない河北新報では、なんと夕刊と、そして全く同じ記事と写真が次の日の朝刊にも共同通信からの配信として載っていたのですね。

 これは、YouTubeに投稿された映像からのキャプチャー、元はTBSのニュースです。つまり、この演奏会は、間違いなく全国レベルのニュースとして、かなり多くの人たちの目に留まることになったのでしょうね。「快挙」と言ってきた人もいましたね。
 そもそもの発端は、合唱界の重鎮O先生が、それまでに係わりのあった人たちを集めて行った「百貨店」という演奏会でした。その時の打ち上げで、NY在住のとあるメンバーが「このメンバーで、NYでのコンサートが開けたらいいね」という、いわば「酒の上での」提案をしたそうなのです。それからしばらくしてその話が具体化したものが、今回の「合唱団『萩』」という、O先生ゆかりの人たちが集まって作った合唱団が、NYのカーネギー・ホールで演奏会を開く、というプロジェクトです。実際は、「萩」の単独コンサートではなく、「日米合唱祭」みたいな、現地の合唱団との合同コンサートなんですけどね。開催日は2011年5月20日、その約1年前から月2回のペースで練習を始めて、3ステージ分の曲を仕上げようという計画でした。
 そのまま計画通りに事が運べば、それは、よくある「ウィーンのムジークフェライン・ザールで歌ってきました」みたいな、ある意味物見湯山的な海外ツアーとなっていたかもしれません。しかし、「3・11」によって、その辺の事情がガラリと変わってしまいました。いや、変わらざるを得なかったのです。NYへ行くためには。かくして、ほんの思い付きから始まった企画は、「『被災地』からやってきた合唱団のコンサート」という位置づけで、一躍、おおげさにいえば「全世界」からの注目を集めることになってしまったのです。ですから、今回の報道も、なるべくしてなったものだとも言えるのでしょう。
 私はといえば、当初からかかわらざるを得ない立場にはあったものの、実際にNYへ行くことなどは全く考えていませんでした。とてもそんな時間はとれそうにありませんでしたし、実際震災が起こってみると、別の意味で日本を離れることは出来なくなっていましたからね。ですから、もっぱら公式サイトの作成という立場でのみ、協力をしてきました。ご覧になっていただければ分かりますが、トップページではS団長のNYへの思いが語られています。なんでも、現地ではこのレジメのコピーを持って報道関係者が訪れたのだとか、そんなパブリシティの役割も、知らないうちに引き受けていたようですね。
 なにはともあれ、お疲れ様でした!
aventure number : 1716 date : 2011/5/26


今日の禁断 ミシオネス

 毎年この時期に職場で行われる「総会」が、いつもどおりに開催されました。これには「かやの木コンサート」というアトラクションがあるので、それを目当てにやってくる人もいます。去年はそこにパリンカが出演したのですよね。今年の演目は「アルパ」ですって。セーターじゃないですよ(それは「アルパカ」)。
 震災以来、お墓参りにもなかなか来れなかった人が、久しぶりに集まる機会です。しかし、いつもどおりに受付に座って外を眺めると、正面に見えるはずの鐘楼は屋根がすっかりなくなって、その無残な姿をさらしています。左手には、背の高さをはるかに超える高さの石灯籠が、丸ごと倒れたままになっています。直してもいつまた余震で倒れてしまうかもしれないのでそのままにしているのもありますし、そもそも、石屋さんや大工さんが他の仕事が忙しくてここまでは手が回らないんですね。
 お客さんの様子を見ていると、これには一様にショックを受けているようでした。お客さんの中には90歳を超える、長老さんがいるのですが、その方などは鐘楼を見るなりその場に立ちすくんで、かなり長い時間ずっとそのままの姿勢でいました。その後姿には、言いようのない悲しみがあふれていました。そんなのを見てしまうと、私自身も震災の傷跡はまだまだ癒えてはいないのだという現実に引き戻されてしまうのです。
 今年のアトラクションは、副社長の知り合いの知り合いという間柄の夫婦のアルパ・デュオです。ご主人の方が世界的に有名なパラグァイのアルパ奏者、奥さんはJICAでパラグァイに行った時にその方のアルパにハマり、ご自身もアルパ奏者と、その方の奥さんになってしまったという日本人です。そんなプロフィールを読んで、この前の新聞記者さんではありませんが、なにかひらめくものがありました。同じような国に行ったJICA関係者の元ニューフィル団員が、何人か頭に浮かんだのですよ。そこで、出を待つ間(出のタイミングを知らせるのは、私の役目です)聞いてみたら、大当たり、フルートのYさんも、オーボエのRちゃんも、よく知っているのだそうです。ずっと連絡の絶えていたYさんの近況まで教えてくれましたよ。アルゼンチンあたりに住んでいるのだとか。

 実は、アルパを生で見たり聴いたりするのは初めての体験でした。下見に来た時に、「できれば板の間で演奏したい」と言っていたので、畳の上ではなく廊下で演奏していただいたのですが、この楽器は音が下から出てくるのですね。それが床に反射して響くという仕組みですから、畳では音が吸われてしまうのでしょう。リハーサルで初めて聴いたアルパの音は、想像以上に大きなものでした。
 奥さんの軽妙なMCもあって、会場の人も私も、すっかりアルパの魅力に取りつかれてしまいました。そもそも半音が出せない楽器なので、本来のレパートリーではない日本の歌などを演奏する時には、半音の部分でちょっと音色が変わってしまうのですが、それも、それこそピリオド楽器のように、素朴でいいものですね。
 アンコールでわざわざ「上を向いて歩こう」をシング・アウトです。前もってお客さん用に歌詞カードを作っておいたのですが、それを彼らに渡しておいたら、きちんとその通りにやってくれましたね。これには、ちょっと感激。でも、その歌詞カードを作るときに改めてフルバージョンの歌詞を読んでみたのですが、これのいったいどこが「応援ソング」なのか、「元気がもらえる歌」なのか、やっぱり私には分かりませんでした。「上を向いて」という歌詞にだまされてしまいがちですが、これは決して前向きな歌なのではなく、本当は、昔あった悲しいことをいつまでも忘れられないという、イジイジした歌なんですけどね。ただ、「悲しみをいつまでも忘れないで」というメッセージだというのならよく分かります。私もついさっきも、そんな感慨に浸ったばっかりですからね。でも、それは被災者には辛すぎるメッセージなのではないでしょうか。
aventure number : 1717 date : 2011/5/28


今日の禁断 和田誠

 三谷幸喜さんが朝日新聞に毎週連載しているエッセイは、多分始まった時から読んでいたはずです。三谷さんの芝居や映画(+ドラマ)は大好きで、見る機会があったものはすべて見ていました(当たり前ですね)。なによりも、笑いのツボが絶妙なものですから、どんなものでもまず見終わって失望を感じたことはありません。そのエッセイは、まさにそんな彼の「ツボ」が見事に反映された、読み応えのあるものでした。文章の構成が見事で、時折どんでん返しなども交えながら、とても楽しめるものになっていました。読み始めたころは、ほとんど「はずれ」はなく、とても完成度の高いものが毎回続いていましたね。そんな、さすがプロ、というエッセイを楽しみながら、これは絶対に不遜な思いなのですが、いつか私もこんな文章が書けるようになったらいいな、と、思っていたものです。なんせ、そのころから、毎日1回はなにか文章を作る、という生活を始めるようになっていましたからね。三谷さんの文章は、まさに私にとってのある意味「お手本」だったのです。いや、もちろん冗談ですがね。
 そんなエッセイの最新号で、三谷さんは最近マスコミをにぎわしたご自身の「離婚」のことに触れておられました。普通、こういう「芸能人」同士の離婚だと「記者会見」とかやったりするのでしょうが、彼らの場合はそれはなし、おそらく何もせずに、まあ、いろいろ憶測は飛び交うでしょうがそれは賢くやり過ごすのだろうと思っていました。ですから、これはちょっと意外でした。そんな「私生活」には作用されないところで「仕事」を進めて行く人のように漠然と思っていましたからね。でも、考えてみれば、このエッセイは今までずっと、実は「私生活」をさらけ出す場でもあったわけですから、当然のこととも言えるかもしれません。ただ、彼の場合は「私生活」をネタにする場合にも、それはあくまで材料に過ぎず、「作品」としての必然性があるから触れていた、という風にも思ってもいたので、そこにまさに「直球勝負」の離婚の話を持ってきたのですから、やはりちょっと違うな、という気がしました。
 その中で、三谷さんは慎重に離婚のきっかけみたいなものを語っていました。それは、まさにそのエッセイがらみのことでした。最初の頃、彼は頻繁に奥さんのことをこのエッセイで取り上げていました。正確には「材料」にしていたのですね。ところが、あるときに奥さんから、「もう私のことは書かないで」と言われたそうなのです。これが相当ショッキングだったであったであろうことは、私には容易に理解できます。実は、私も今までに何度も同じような体験(もちろん、状況や程度は全く異なりますが)を味わったことがありますからね。正直、私の場合は、そういうことがあるとひどい自己嫌悪に落ち込みます。材料にした相手との信頼関係をうまく築けなかったことに対する嫌悪感ですね。もちろん、悪いのは私なのでしょうが、こちらとしては何でそこまで怒るのか、という気持ちがいつもついて回るのですね。それを見抜けなかったのは、私の思考回路に根本的な欠陥があるのではないか、とかね。ですから、そんなことがあった後は、心が萎えてしまってなにも前向きには考えられないようになってしまいます。それはおそらく自業自得なのでしょうけれど。
 三谷さんの場合もそうだったのかなどということは、私にはわかりません。そんなことが引き金とはなったものの、全く別の経路で離婚という結論に至ったのでしょう。ただ、私には別の意味で、ちょっと思い当たることがありました。彼のエッセイが、最近は昔ほど面白くないのですね。長い連載のうちに、読者がパターンに慣れてきた、ということはあるのかもしれませんが、昔は確かにあったはずのピリッとしたセンスが、なにかほとんど見当たらないようになってしまっているのですね。もしかしたら、「そのこと」が、エッセイを書く上でのテンションを微妙に変えてしまったのでは、と、どうしても私は感じてしまうのですが。
aventure number : 1718 date : 2011/5/30


今日の禁断 国際センター

 ニューフィルが練習を再開してから、1ヶ月近く経ちました。新しい環境での練習はおおむね順調に進んでいるのではないでしょうか。会場のセッティングやあとかたずけは全員総出でやっていますし、練習そのものも和気あいあいとした中で楽しく行われています。ただ、当初「慰問演奏」のような話があったものが流れてしまったので、練習の曲目についてはちょっと、といった状態が続いていたのは、仕方がなかったのかもしれません。なにしろ、次の演奏会をいつ開くことが出来るか、というのが、全く先が見えない状況だったのですからね。とりあえず、すぐ演奏できそうな楽譜が手元にあれば、それを持ち寄ってみんなで初見で合わせよう、ということの繰り返しですから、それがあまり続くようだと段々ストレスがたまってくるのでは、と思っていました。
 そんな、ある意味中途半端だったものが、きのうの練習の時点ではかなり先行きの明るいものに変わったのではないでしょうか。とりあえず、今まで流動的だったものが、ある程度確定したことは、かなり大きな出来事です。曲目も、演奏会へ向けて、そのレパートリーの練習が出来るようになったのは、ありがたいことです。やはり、なにか目標がないことには、なかなかテンションが上がりませんからね。
 どんな予定になったのかは、公式サイトを見ていただければ分かります。なによりも今年の秋の演奏会の会場が、普通のホールはすべて使えない状況だったので、ちょっと不本意なところに落ち着きましたが、これは仕方がありません。指揮者の日程などを考えると、他に選択肢はありませんでしたからね。すごいのは、その1週間前に「第9」を演奏しなければならなくなった、ということです。これも、前から決まっていた日程なので仕方がありません。つまり、ある時期には「ブラ4」と「第9」という大曲同士を、並行して練習しなければいけなくなってくるのですね。もちろん、別の指揮者の下で。こんな体験はニューフィル始まって以来のことなのでしょう。いやいや、もっと凄い「始まって以来」を乗り越えようとしているのですから、そんなことはなんでもないはずです。それにしても、そんな人たちの足を引っ張ろうとしている○沢のような政治屋は、なんとかならないものなのでしょうか。
 それはそうと、先週練習風景を取材に新聞記者の方がいらっしゃってましたが、その記事が今日の夕刊に掲載されていました。

 この切り抜きは、こちらにアップしてありますので、テキストはそちらを読んでみてください(ネットでこういうことをやるのは、どうなのでしょう。問題があれば即刻削除します。Mさん。)。最初は、うちだけではなく他に2、3あたってみて、そちらも一緒にしたものにしたいということでしたが、結局単独取材(意味が違う?)に落ち着いたようですね。でも、いつも思うのですが、こういう記事にはなぜインタビューした人の年齢まで明記するのでしょうか。これこそ「個人情報」の最たるものなのではないでしょうか。この時も、もし私が話を聞かれるような展開になったとしても、「年を書かれるからいやだ!」と、断固応じなかったでしょうね。
 この記事では、先週の時点での情報が元になっていますから、演奏会の情報などはちょっと変わってしまいました。日々、物事は動いているのですね。でも、依然としてホール事情は逼迫しているという事に変わりはありませんから、大げさなぐらいに危機感を煽っておいた方がいいのかもしれませんね。政治屋がなにかをやってくれるようなことは、完璧にあり得ませんから。
aventure number : 1719 date : 2011/6/1


今日の禁断

 METが来日していますね。最初に来日の案内を見た時に、あのカウフマンが出演するとあったので、一瞬行ってみたいな、と思ってしまいました。しかし、あんなバカ高いチケットを買う勇気はついに出て来なかったので、いつの間にかそんなことは忘れてしまっていましたね。というか、間際になって急にキャストが変わることもありうるので、そこまでのリスクを冒すことはないな、と思っていました。昔東京にいた時に、何度もそんな目には遭っていましたからね。例えば、初日なので間違いなくメインのシュライアーが歌うのだと思ってチケットを買っておいたら、初日の前に「追加公演」なんてものが入ってしまって、シュライアーはそちら、私が行った日は2番手のアルミン・ウーデだった、とかね。
 しかし、そのカウフマンは、結局来日しなかったのですね。私のせいじゃないですよ。もちろん、原発事故のせいです。そうしたら、もう一人の目玉、ネトレプコもキャンセルですって。ま、彼女の場合は、チェルノブイリの記憶がまだ残っている、というのですから、仕方がないのかもしれませんが。まさか、こんなところまで東電に保証しろとは言えませんね。困ったものです。
 もう一つ、ベルリン・フィルの動向も、なんだか嫌な感じですね。アジア・ツアーの途中で11月末に来日して、首都圏で3回のコンサートを行うという日程がネットに発表されたのに、次の日になったら、それがすべて削除されてしまったのですね。でも、今見てみると、1日だけ、22日のサントリー・ホールの予定だけが見られますが、なんだか変なマークが付いているのが不気味です。これも、もちろん原発事故に対してどんなスタンスをとるか、という彼らの戸惑いの現れなのでしょう。
 こんなことは、原発事故が収束しない限り、これからもどんどん増えて行くのでしょうね。ですから、管総理が辞めることは当分あり得ないということになります。それにしても、「元総理」は見事にだまされたものです。かといって、彼に管総理を「ペテン師」とののしる資格はありません。
 ニューフィルの復興のシンボル(なんて、だれも言ってませんが)「かいほうげん」も、来週の発行に向けて順調に準備が進んでいます。そもそも、本来だったら3月19日の指揮者練習の時に出すつもりで作っていたものなんですね。ですから、かなりの部分は仕上がっていたのですが、もちろん、それはそのまま使うわけにはいきませんから、新たにネタを仕込まなければなりません。そこに、新聞記事が加わりましたから、あとは余裕です。あの記事の切り抜きだけで1ページは稼げますからね。せっかくですから、写真を撮っていた記者の方の写真も、ここに載せたのとは別のポーズのものを、アップで載せるようにしましょう。
 あとは、今度の演奏会の会場に決まった国際センターの写真が、なぜか大量に手元にあったのを発見、それを使って、おそらくほとんどの人が入ったことのないはずのホールの内部をご紹介です。いえ、実は4年前にあそこのステージに立ったことがあったので、その時にたくさん撮っておいたのですね。こんな時に役に立つなんて。
 それだけやってみても、どうしても1ページ足りません。そこで思い付いたのが、練習会場である会館の襖の文字です。毎回、取り外してあった襖を元に戻してもらう時に、なぜか順序が分からなくなってしまう、あの不思議な文字の読み方を、この際きちんと説明してこう、と。何せ毎回目にするものですからね。

 読めますか?ヒントは、右から読むことと、3字ずつでひと固まりということです。同じ字が別の書体で2ヶ所に使われてもいます。正解は「かいほうげん」で。
aventure number : 1720 date : 2011/6/3

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