今日の禁断 |
サムシング |
電気、水道と開通し、生活はかなり楽になりました。ただ、都市ガスが、おおもとのLNGプラントが津波で破壊されてしまっているので、回復にはあと数カ月はかかるだろうという見通しですね。まあ、でも電気さえあればお湯は沸かせますし、この時期はそんなに汗をかくこともないでしょうから、お風呂もまあまあ我慢できるでしょう。あとは、食料や日用品を手に入れるのに、まだ少し手間がかかることでしょうか。スーパーなどは電気が来始めたらすぐ営業を開始してくれましたが、何せ仕入れが少ないものですから、常に長蛇の列。2〜3時間待つのは普通のことになっています。それと、ガスがないために、一番欲しいカセットボンベが、ほとんど手に入りません。そして、前回書いた石油ですね。でも、これは、たとえばスーパーできのうは一人10品しか買えなかったのが、今日は15品まで買えるようになった、という具合に、確実に良い方向へ向かっている、という感触がありますから、もう少し待てば普通に近い状態で買い物が出来るようになるに違いありません。焦ってパニックにならず、冷静に待っているという姿勢が大切なのでしょうね。都会の人のように、十分に足りているのにやみくもに買占めに走る姿は、本当に醜く感じられます。そういう人たちに「がんばれ、東北」とか言われても、なんのありがたみもありませんよ。
生活がままならないのですから、音楽の練習などはいつも通りのことなんか出来るわけがありません。まず、物理的に、いつもの練習場が損傷を受けたり、避難所に使われていたりするものですから、練習する場所がありません。さらに、今日と明日はニューフィルでは東京から本番の指揮者が来てのリハーサルの予定でしたが、ご存じのように東京と仙台の間は新幹線がストップしていますから、そもそも仙台に来ることが出来ません。普通の練習でも、車が必要なところでは、ガソリンがなくて車で来ることが出来ない人がたくさんいます。そして、さらに深刻なことに、演奏会を行うホールが、軒並み被害を受けているそうなのです。ニューフィルの春の定期演奏会は、宮城県民会館で行う予定でしたが、被害が大きく、確実に使うことができません。まだ新しい萩ホールも、内壁が落ちてきたそうで、これもしばらくは使えない状態、まだ結論は出てはいないようですが、これだけの悪条件が重なっていては、到底予定していた4月23日に演奏会を開くのは不可能なのではないでしょうか。チラシやポスターも出来上がり、私の担当部分はもうすべて配り終わったというのに。
こういう時に問われるのが、「音楽」の持つ意義、でしょうか。ガスやガソリンとは違って、音楽なんてなくても、生活は出来ます。快適な生活があってこその、音楽の役割、というあたりが、まず平均的な感覚なのでしょうね。それはそれで正しいことでしょうし、それに反駁できるほどの意味もとっさには思いつきません。でも、人が食事を求めておなかが減るように、音楽がなかったらなんだか満たされない気持ちになってしまう、ということも多いのではないでしょうか。今、私の部屋では、壁一面に収納していた本やCD、ビデオテープが床に積み重なっていたのを、1枚1枚撤去する作業に追われています。テレビはひっくり返っていますし、CDプレーヤーやアンプも埋もれていました。それがやっと使えるようになったので、まずは音が出るかのテストで、そばにあった「Abbey
Road」をかけてみました。1週間ぶりに聴いたちゃんとした「音楽」、それは、間違いなく乾ききっていた私の体の中にしみわたってきましたよ。格別聴きたいとは思ってはいなかったのですが、実際に聴き始めると、いかにそれまで音楽が聴けなかったために心が飢えていたのかが、実感できたのです。おそらく、この感覚が、音楽を聴きたい、あるいは音楽を演奏したい、という気持ちの原点なのではないでしょうか。理屈では分からない人間としての本能、こればかりは、地震や津波、ましてや原発事故ごときに、破壊することは出来ないはずです。
明日からは、多分「おやぢの部屋」も再開するつもりです。 |
aventure number : 1681 |
date : 2011/3/19 |
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