1681(11/3/19)-1700(4/24)

今日の禁断 サムシング

 電気、水道と開通し、生活はかなり楽になりました。ただ、都市ガスが、おおもとのLNGプラントが津波で破壊されてしまっているので、回復にはあと数カ月はかかるだろうという見通しですね。まあ、でも電気さえあればお湯は沸かせますし、この時期はそんなに汗をかくこともないでしょうから、お風呂もまあまあ我慢できるでしょう。あとは、食料や日用品を手に入れるのに、まだ少し手間がかかることでしょうか。スーパーなどは電気が来始めたらすぐ営業を開始してくれましたが、何せ仕入れが少ないものですから、常に長蛇の列。2〜3時間待つのは普通のことになっています。それと、ガスがないために、一番欲しいカセットボンベが、ほとんど手に入りません。そして、前回書いた石油ですね。でも、これは、たとえばスーパーできのうは一人10品しか買えなかったのが、今日は15品まで買えるようになった、という具合に、確実に良い方向へ向かっている、という感触がありますから、もう少し待てば普通に近い状態で買い物が出来るようになるに違いありません。焦ってパニックにならず、冷静に待っているという姿勢が大切なのでしょうね。都会の人のように、十分に足りているのにやみくもに買占めに走る姿は、本当に醜く感じられます。そういう人たちに「がんばれ、東北」とか言われても、なんのありがたみもありませんよ。
 生活がままならないのですから、音楽の練習などはいつも通りのことなんか出来るわけがありません。まず、物理的に、いつもの練習場が損傷を受けたり、避難所に使われていたりするものですから、練習する場所がありません。さらに、今日と明日はニューフィルでは東京から本番の指揮者が来てのリハーサルの予定でしたが、ご存じのように東京と仙台の間は新幹線がストップしていますから、そもそも仙台に来ることが出来ません。普通の練習でも、車が必要なところでは、ガソリンがなくて車で来ることが出来ない人がたくさんいます。そして、さらに深刻なことに、演奏会を行うホールが、軒並み被害を受けているそうなのです。ニューフィルの春の定期演奏会は、宮城県民会館で行う予定でしたが、被害が大きく、確実に使うことができません。まだ新しい萩ホールも、内壁が落ちてきたそうで、これもしばらくは使えない状態、まだ結論は出てはいないようですが、これだけの悪条件が重なっていては、到底予定していた4月23日に演奏会を開くのは不可能なのではないでしょうか。チラシやポスターも出来上がり、私の担当部分はもうすべて配り終わったというのに。
 こういう時に問われるのが、「音楽」の持つ意義、でしょうか。ガスやガソリンとは違って、音楽なんてなくても、生活は出来ます。快適な生活があってこその、音楽の役割、というあたりが、まず平均的な感覚なのでしょうね。それはそれで正しいことでしょうし、それに反駁できるほどの意味もとっさには思いつきません。でも、人が食事を求めておなかが減るように、音楽がなかったらなんだか満たされない気持ちになってしまう、ということも多いのではないでしょうか。今、私の部屋では、壁一面に収納していた本やCD、ビデオテープが床に積み重なっていたのを、1枚1枚撤去する作業に追われています。テレビはひっくり返っていますし、CDプレーヤーやアンプも埋もれていました。それがやっと使えるようになったので、まずは音が出るかのテストで、そばにあった「Abbey Road」をかけてみました。1週間ぶりに聴いたちゃんとした「音楽」、それは、間違いなく乾ききっていた私の体の中にしみわたってきましたよ。格別聴きたいとは思ってはいなかったのですが、実際に聴き始めると、いかにそれまで音楽が聴けなかったために心が飢えていたのかが、実感できたのです。おそらく、この感覚が、音楽を聴きたい、あるいは音楽を演奏したい、という気持ちの原点なのではないでしょうか。理屈では分からない人間としての本能、こればかりは、地震や津波、ましてや原発事故ごときに、破壊することは出来ないはずです。
 明日からは、多分「おやぢの部屋」も再開するつもりです。
aventure number : 1681 date : 2011/3/19


今日の禁断 仙台駅

 きのう「おやぢも再開」なんて書いてしまいましたが、もう少し私の生活情報を続けさせてください。
 私は、今年はたまたまマンションの町内会の番が回って来ていたものですから、今回の震災でもなにかと駆り出されています。きのうも長い時間会議がありました。その議事録を作るのが私の仕事なので、プリンターを使うために今朝は職場へ行くことにしました。ガソリンがもったいないので、この間のお墓の中の道を歩いていきます。

 その途中に、花屋さんがありました。今は春のお彼岸ですので、お墓に供えるための花を用意しているのでしょうが、それだけではなく、プランターに植えるような花の苗までお店の前に並べていましたよ。なんか、すごくいい感じ、しませんか?

 しかし、いつものお彼岸だと、お墓参りの人でいっぱいのはずなのに、人影なんてありません。やはり、交通手段がなにかとネックになっているのでしょうね。それだけではありません。

 こういう張り紙が、墓地のあちこちに立っています。震災で、墓石が倒れるなどの被害がたくさんあったのですが、余震でさらに倒れたりしてけがなどをしてほしくない、という警告なのですね。実は、これは河北新報でも写真入りで紹介されています(実は、その時に取材に来た記者に、私の母親がインタビューを受けて、それも新聞に載りました)。ですから、危険を冒してまでお墓参りに来ることもない、と判断した人もたくさんいるのでしょうね。テレビに、自分で棹石を起こしている人が写っていましたが、あんな恐ろしいことはやめてくださいね。
 職場にいる間に、またかなり大きな地震がありました。あの11日の地震に匹敵するほどの揺れです。あわてて自宅に電話すると、「なんでもなかったよ」と答えていました。こんなこともあるんですね。しかし、帰ってみるとエレベーターが止まっていました。やはり、それなりの震度があったのですね。また7階まで歩いて登らなければなりません。
 午後は少しヒマだったので、ネットでお店の営業状況などを見てみました。そうしたら、電気屋などの状況が、かなり詳しく分かりました。近々行ってみようと思っていた「ケーズデンキ」が、いまだに休業中だとか、やはり無駄にガソリンを使わなくてよかったですね。その代わり、駅前の「ヨドバシカメラ」が、すでに18日から通常営業を開始しているというのですね。これには焦りました。もう、愚妻が欲しがっている電気鍋などは、とっくになくなってしまっているかもしれません。でも、こうなったら行くだけ行ってみなければ。駅前あたりがどんなことになっているのか見てみたいですしね。ガソリンを使いたくないので、車は職場に置いて、地下鉄で駅前に向かいます。途中で「ツタヤ」に入ってみたら、ちゃんと開店していましたが、新しい雑誌は入っていませんでしたね。
 震災以来初めて乗った地下鉄は、フツーに走っていました。台原以北はまだ行けませんが、ここだけ見るといつもと変わりません。ただ、乗客の数が、いつもの日曜日とは格段に少なくなっています。大きな袋やリュックサックを持った人もたくさんいますね。駅前ではかなりの人が乗り降りしていました。そのまま地下道からバスプールに出て、ペデストリアン・デッキから駅の中に入り、そこから駅裏に出てヨドバシに行こうと思ったのですが、パスプールから上がった先が封鎖されていて、先に進めません。

当然、自由通路も行けなくなっているのでしょう。そこでプランB、地下道を通って駅裏へ行く、という作戦です。もう1度地下鉄の改札まで戻って、反対側に進んでいくと、なんだか電気製品の箱を持っている人に出会いました。そういえば、この付近にも「ヤマダ電機」があったのですね。地下道からエスカレーターが直結、そこは、ほんとに信じられないほどフツーの営業を行っていましたよ。テレビやパソコンが、たくさん並んでいます。しかし、上の階の調理家電のコーナーへ行ってみると、コーヒーメーカーや炊飯器はいくらでもあるというのに、目指す電気ポットなどはすべて売り切れていました。この分では、ヨドバシでも買えるかどうか。
 また地下道に戻り、駅裏へ向かう通路を進んでいくと、途中、エスパルに入る部分で通行止めになっています。どうやら、仙台駅は地上だけではなく、地下まで含めて封鎖されているようですね。こうなったら、地上を通って駅を横切らなければなりません。その最短路線は、北目町のガードでしょう。
 ようやくたどり着いたヨドバシでは、さすが、在庫がいっぱいあるようでした。電気ポットこそ売り切れていましたが、代わりに「電気ケトル」が手に入りました。お湯を沸かすだけだったら、これでも充分です。それを保温しておくために、普通の保温ポットも大きめのを買いました。わざわざ来たかいがありましたよ。見た感じ、もう少しすれば新しいものが入荷するのではないか、という感触でした。ガスが使えない生活が長引きそうですが、おそらくその間に役に立つような電気製品が、ここだったらいずれ入手できるようになるのではないでしょうか。でも、その頃になっても、駅舎は復旧してるかどうか。
aventure number : 1682 date : 2011/3/20


今日の禁断 新潟

 ニューフィルの春の定期演奏会が、正式に中止となることが決定しました。物理的に無理なのは分かっていましたが、それがついに現実になってしまったのですね。もちろん、こんなことはニューフィル始まって以来のことです。今年はニューフィルが生まれて30年目、それだけ長生きしているといろんなことがあるのだな、ということでしょう。
 東京あたりでは、地震直後こそは交通状態などの影響でしょうか、「中止」になるコンサートも多かったようですが、今ではフツーに開催されることもあるみたいですね。中には「チャリティ」という「大義名分」を立てて、「堂々と」開催されることもあるのでしょうね。まあ、それが被災地を「励ます」ことになるのだと信じて疑わない人たちにとっては、なんとも誇らしい行動に違いありません。せいぜい「がんばって」くださいね。
 中止の最大の、というか、決定的な要因は、会場の宮城県民会館が損傷が激しくて使えない、というものでした。最悪、他のホールが使えれば、という一縷の望みもあったのでしょうが、「川内萩ホール」までもが使えない状況になっていたのでは、どうしようもありません。それにしても、県民会館の被害はかなりのものだったようで、おそらく秋の定期演奏会でも使えないのでは、ということのようですね。そんなに時間がかかるのなら、いっそのこと建て替えたらいいのでは、とは思いませんか。なんせ、築50年の「物件」ですからね。それこそ、神戸の震災のように、復興の象徴となるような立派なホールでも作れるようになれば、それはそれで素晴らしいことなのでは、と思います。
 ですから、私あたりも、震災によって被った被害を、務めて良い意味に受け取るようにしています。足の踏み場もなくなった家を片づけるのは、もう殆ど大掃除のノリで取り組むしかありません。この機会に、長いことしまいこんであって到底使うことのないものはすべて潔く捨ててしまいましょう。私の場合は、ビデオテープがそれにあたります。BSの音楽番組を手当たり次第に録画していたら、VHSが何百本という単位で集まってしまいました。そんなもの、これから何年経っても絶対見るわけはありませんから、それを捨ててしまうにはいい機会です。仙台市の「中」のごみ袋で、10袋ぐらいにはなったでしょうか、これで少しは収納スペースが広がります。
 もう一つ、絶対に使わないものが、アナログのBSチューナーです。地デジ化と同時に、BSもデジタルだけになってしまいますから、こんなものはただのゴミにすぎません。もちろん、今ではアナログチューナー付きのレコーダーがそもそもありませんからね。それを処分して、今までいろんな機材を接続しては取り替えてきたAV関係の配線を見なおしてみたら、使わなくなっていたケーブルが山ほど出てきましたよ。このあたりも、地震でもなかったらずっとしまいこんでいたものです。しかも、VHSのデッキの配線がどうなっていたのか分からなくなっていたものも、きちんとつないですぐ見れるようになりましたよ。本当に厳選したVHS(「ステージ101再結成コンサート」とか)を、これで楽しむことが出来ます。
 そんなことをやっていたら、私の部屋の復旧作業はしだいにはかどります。こちらが、9日前、13日の様子です。

 これが今日までの成果、あと一息です。なんだか、時間がかかりそうだった都市ガスの復旧も、かなり早まりそうですし。
aventure number : 1683 date : 2011/3/22


今日の禁断 ハニー

 ニューフィルの定期演奏会が中止と決定したので、それに伴う事務処理を行っているところです。というのも、いつもの通り、演奏会の企画書を作って各メディアに発送したり、刷り上がったばかりのポスターとチラシをホールや市民センターにすでに配ってあったものですから、そういうところに「中止になりました」という連絡をする必要があったのですね。チラシ配りなどは地震の前の日、10日の午後にまとめて行ってしまってありましたから。あと1日遅かったら、そんな手間はかからなかったのに、と思うと同時に、もしかしたら配っている間にあの地震に遭っていたかもしれないので、難を逃れたのかもしれない、など、気持ちは複雑です。
 ただ、実際に電話をかけたりしていると、そんな必要もなかったのかも、というようなケースもありました。メディアにしてもホールにしても、やはり被害に遭っていてそれどころではないのですね。送ったものもどこに行ってしまったのか分からない、というようなところもありましたしね。ですから、最終的にはとりあえずFAXを送って、伝えることだけは伝える、ということにしました。自宅にはFAXはないので、きのう職場に行ってそんな作業を行います。もちろん、歩いていったので、ついでに北仙台駅前に行ってみて、まず「ツタヤ」で雑誌の入荷状況を見てみます。店員さんにきいてみると、新しいものはもちろん入っていなくて、おそらく入荷が復旧した時点での最新のものしか入ってこないのでは、ということでした。週刊誌だったら、2号か3号分ぐらいは、結局読めなくなってしまうのでしょうね。
 それから「ミスド」の前に行ってみたら、なんだかお店は開いていて、その前に軽く列が出来ていましたね。どうやら、きのうからの3日間だけ11品目だけですが一人10個までは買えるということのようなので、買って帰りましょう。こんなところまで通常に近い営業が始まっているのはうれしいことですね。
 それから自宅まで、バス通りをひたすら歩きます。途中にある八百屋さんや肉屋さんにも、なんだか普通に商品が並ぶようになっていましたね。と、いきなり「○○さん!」と私のことを呼ぶ声が聴こえました。一瞬耳を疑ってしまいまいましたが、それは、自転車に乗ってやってきた合唱関係の仲間、Sさんでした。そういえば、ご近所の人以外の知り合い、オケや合唱関係者には、メールや電話などで連絡はとっていましたが、実際に顔を合わせるのは初めてのことでした。なんか、とっても懐かしい感じでしたね。練習会場で彼らと一緒になれる日はいつのことなのでしょう。ニューフィルは、しばらくは会場も使えないので練習もありません。正直、練習どころではありませんがね。
 午後には、すぐ近くにあるヨークベニマルに行ってみました。朝の開店前は長蛇の列だったのに、この時間はすぐ入れるようになっていましたね。中に入ってみると、なんとお米が山積みになっています。水も6本入りの箱が潤沢に並べてあります。鮮魚や肉類も、普通にショーケースに並んでいました。野菜だってなんでもありました。ですから、早朝から並ばなければ手に入らないのは、それこそカセットボンベぐらいのものなのではないでしょうか。そのガスにしても、具体的に作業日程が示されてきましたから、見通しが立つようになっていますしね。
 そういえば、このあたりではガソリンスタンドの前に列が出来ることもなくなりました。これも、いずれ確実に入手できるといいう情報が伝わってきたために、みんな冷静になれているからなのでしょう。実際、すぐそばのスタンドには、タンクローリーがやってきていましたし。

 でも、いまだにかなり強い余震が続いているのは不気味ですね。それよりも、震度4を超えるとエレベーターが止まってしまうのには困ってしまいます。もし、乗っているときに余震が来たら、と思うと、ちょっと怖くて使えません。
 記録のつもりで、しばらく「禁断」のバックナンバーをしまわないでおきましたが、元に戻しました。でも、最近の「禁断」はほとんどブログにもコピーしてますので、必要な方はそちらまで。
aventure number : 1684 date : 2011/3/24


今日の禁断 アマゾン

 ライフラインの中では最後まで復興していなかった都市ガスが、急ピッチで再開されようとしています。今回初めて知ったのですが、新潟からのLNGのパイプラインというものが白石を経由して仙台まで伸びていて、それから直にガスを引くことが出来るそうなのですね。ただ、それは今まで使っていたガスに比べると、多少熱量が不足しているそうなので、その分は料金を下げることでカバーするそうなのです。そんなことはどうでもよく、ガスさえ通ればこちらは満足なのですから、なんの問題もありません。
 ただ、各戸に引く際には、きちんとガス管の補修をしなければいけませんから、その工事を行ったうえで晴れて開栓ということになります。そのために、全国のガス事業所から、なんと1000人以上の応援隊がやってきたということです。ありがたいですね。その工事の進捗状況は、ガス局のHPで逐一公開されていますから、ここを毎日チェックしていれば、そろそろうちの番かな、などということが分かるのですね。我が家のブロックは、始めたのは一番早かったのですが、なんせ、スタート地点から最も遠いところなので、まだしばらくかかりそう、とかね。
 我が家の中でも、補修工事が始まっています。いや、別に業者を呼ぶわけではなく、自分で出来そうなものを自分で治す、ということなのですがね。すぐ隣にあるホームセンターが通常通りの営業を始めているので、そこに行って足らない工具や部品、接着剤などを買ってきて、こまごまとしたものを修理しています。食器棚などは、倒れた時に扉の蝶番が見事に折れてしまったので、到底修復は無理だと思っていたのですが、ホームセンターに行ってみると、もしかしたら合うのではないか、という蝶番が見つかったので、ダメモトでそれを買ってきて付けてみたら、ご覧のようにぴったりでした。右が本来の蝶番、左が買ってきた蝶番、ネジ穴がちょっとずれているだけです。たった700円かそこらで、捨てるしかないと思っていたものが元通りになったのですから、これは感激です。

 この前ツタヤに行った時には、もちろん新しい雑誌はありませんでした。私が一応(ほんとに仕方なく)毎月購読している「レコ芸」は、毎月そのお店で取りおきしてもらっています。ですから、こういう時にはどういう扱いになるのか、そこにいた店員さんに聞いてみたら、おそらく3月20日に発売になった4月号はもう入ってこなくて、落ち着いた時点で取り寄せになるのでは、という話でした。まあ、いずれそういうことになった時のためにと、念のため名前と連絡先を教えて、帰ってきました。そうしたら、翌日電話があって、「4月号、1部だけなんとか確保しました」と言うではありませんか。さっそくお店に行ってみると、確かに「4月号」を渡してもらえましたよ。いったい、どういうルートで入手したのでしょうね。ツタヤも捨てたものではありません。
 その「レコ芸」を読んでみたら、欲しいCDと、読んでみたい本が見つかりました。さっそくそれぞれいつものネット通販で注文したところ、CDはなんということなく受け付けてくれたのに、本の方は「配達不能なので、カートから削除しろ」という メッセージが出て、それ以上進めなくなってしまいましたよ。なんという冷たい対応なのでしょう。別に、今すぐ送ってくれというわけではなく、配送が正常化したら送ってもらえればそれでいいのですから、せめて注文だけでも受けてくれればいいのに、と思うのですが、この書店サイトは「被災地」に対してそこまでの配慮は出来ないのですね。これが「復興支援」の実態だとしたら、こんな悲しいことはありません。
aventure number : 1685 date : 2011/3/26


今日の禁断 原発

 ご近所のヨークベニマルの数量制限が、15品目から20品目に増えたそうです。その中にはお弁当やお総菜は含まれないといいますから、まずは必要なものや大体買うことは出来るレベルになったようですね。職場に歩いて通う途中に「自然野菜」を売っているお店があるのですが、この前は1個390円だったキャベツも240円に下がっていましたね。足元を見る商売も、きちんと見極めるようになっています。消費者は。かと思うと、北仙台駅前では、なんだか怪しげな一団が「投げ込みヒーター」を売ってました。浴槽に水を張って、これを入れて電気でお湯を沸かす、というものです。なんだかチャチな、実際にお風呂を沸かすのには何時間もかかりそうなガラクタを、なんと2万円近くで売ろうとしているのには、呆れてしまいます。もちろん、そんなもの、誰も買おうとはしていませんでしたね。
 そんな風に、確実に必要なもの(必要でないものも)が割と簡単に手に入るようになってきたのに、ガソリンだけはまだまだ楽に買えるような状態にはなっていません。朝の3時からスタンドの前に並んだとか、わざわざ高速に乗ってサービスエリアで給油してきたとか、相変わらず異常な話がまわりでささやかれています。私としては、もうあの4時間半待ちの給油などということは2度と体験したくないので、ひたすら歩いてガソリンを節約、待たなくても買えるようになるまで持たせようと思っています。
 交通機関も、東京まで行く新幹線は相変わらず使えませんが、どうやら4月下旬には全線開通する予定、という力強い見通しも発表されていましたね。つまり、連休前にはなんとしても復旧させるのだ、という意気込みなのでしょうか。あの「はやぶさ」はデビューから1週間もしないうちにお蔵入りになってしまいましたが、今はどこでどうしていることでしょう。錆ついて、最高速度が出なくなってたりして。でも、これで「ラ・フォル・ジュルネ」を聴きに行けるようになるかもしれませんね(笑)。
 そんな不自由ななか、わざわざ富山からたくさんの救援物資をかついで、妹夫婦がバスで仙台まで来てくれました。「必要なものは何でも持って行くよ」とは言われていたのですが、まさか電気鍋なんかを頼むわけにはいきませんから、とりあえずカセットボンベがたくさんあれば、というリクエストだけは送ってありました。それが実家に届いているので、取りに来て、という連絡があったので行ってみると、それは段ボール箱いっぱいの膨大なものでした。

 これがうちの分、その他にも実家の分もありますから、いったいどんだけの荷物になっていたのでしょう。全く、感謝の言葉もありません。中でも、カセットボンベが9本もあったのには、本当にうれしくなってしまいました。これで、ほとんど普通と変わらない調理が出来るようになるのではないでしょうか。別に、私が作るわけではないのですが。なんせ、都市ガスの復旧状況が、当初期待したほどには早まらなかったので、これは助かります。
 もはや、このガス局のサイトを覗くことは、毎日の日課になっています。進捗状況のテーブルなど、しだいに項目が増えて行ったりして、確実になにかを伝えようという気持ちが伝わってきます。毎日毎日「開栓」の地域が広がってくるにつれて、早くその中に自宅の地名が出て来ないかと期待しているのですが、今日あたりやっと「北中山」あたりが入ってきましたから、あと3、4日、という感じでしょうか。なんか、プレゼントを指折り数えて待っている少年のような気分です。休日返上で作業にあたっている2000人近くの人たちは、サンタさんでしょうか。
 でも、過度の期待は禁物。「すぐガソリンが入ってきます」と言っていた時の県知事はまさにサンタさんでしたが、そんな約束が空手形だったことが分かってしまうと、ただのほら吹きにしか見えてきません。いや、もっと凄い「ほら吹き」が、いっぱいいましたね。
aventure number : 1686 date : 2011/3/28


今日の禁断 丸善

 自宅の電話機周辺も、地震の時にルーターやら電話機やらが床の上に落っこちて、その勢いで電話とネットを分配している二股モジュラーが壊れてしまいました。ケースが外れただけだったので、元に戻せば治ると思ったのですが、ちょっとした結線の具合でつながらなくなっていました。300円ぐらいで買えるものなのですが、電気屋が開いていなかったので手に入りません。仕方なく、モジュラーをネットだけにつないで復旧を待ちます。どうせ固定電話などにはほとんどかけてくる人はいないはずですから。4日目にはつながるようになったので、サイトの更新なども出来るようになりましたから、数日間そのままにしておきました。
 実は、その二股は職場にもファックスとネットを切り替えるために付けてあったことに気付き、さっそく持ってきて自宅につなぎました。そうしたら、いきなり遠くの親戚や知り合いから電話がかかってくるようになりました。確かに、携帯の番号なんか知らない人はたくさんいるのですから、固定電話の復活をずっと待っていたのでしょうね。いくら電話をしても出ないものだから、焦っていたことでしょう。たかが300円の部品が、とんだ迷惑をかけてしまっていました。
 職場の方も、いちいちモジュラーを差し替えるのは面倒くさいので、その後の仙台駅周辺はどうなっているのか視察がてら、またヨドバシへ行ってみることにしました。すでに、21日には自由通路も通れるようになっているということでしたし。

 仙台駅の駅舎は、一面シートに覆われていました。まだ建物が見えるところにも足場が組んでありますから、全部覆って、外壁を修復するのでしょう。大工事です。

 ヨドバシへ通じる自由通路、エスパルの向かいのお土産屋さんはシャッターを下ろしています。トリアージ票も「危険」になっています。

 駅のコンコースは立ち入り禁止、「はやぶさ」のポスターが虚しいですね。携帯をかけている女の子は、待ち合わせでしょうか「ステンドグラスの前に行けなくなっちゃってるよ」と話していました。

 自由通路は、普通に通れました。このあたりはいつもと変わらない人通りです。ヨドバシもかなりの人出、この前来た時にはすっかり売り切れていた電気ポットや電気鍋は「売るほど」おいてありました。ただ、なんでも揃っているように見えて、単一の乾電池だけが全くないというのが、やはり異常ですね。

 在来線の改札口。まだ、ほんの一部しか開通していないのでガラガラです。発着案内もほとんどが空白になってます。

 1階部分では、エスカレーターが破損しているようでした。
 そのまま、本屋さんに行ってみたら、「震災以降発行された本は入っていません」という表示がありました。ですから、雑誌などはまだ先月号が並べてあります。そうなると、この間のツタヤの対応が、すごいことのように思われてきます。誰も手に入れられない「レコ芸」の4月号が手元にあるのですからね。ちなみに、これを見て注文したCDは、発送した翌日に届いていました。

 ここまで来たので、次の地下鉄駅まで歩こうと中央通りへ入ったら、人通りは多いし、お店は開いてるし、もうすっかり「復興」しているように見えてしまいましたよ。この垂れ幕が、そんな元気さを物語っているようです。ほんと、負けてられません。
aventure number : 1687 date : 2011/3/30


今日の禁断 GWH

 この前ガソリンを満タンにしたのは、2週間以上前のことでした。しかし、それ以降は簡単に給油できる見通しもなかったので、ひたすら車は使わないようにして、通勤などにはもっぱら歩いて行っていました。そのおかげで、使ったガソリンは10リットルにも満たないほどの少しの量で済んでいました。このまま節約していけば、普通どおりに流通するまで持つのではないか、そんな腹積もりでしたね。
 ですから、今朝も歩いて職場まで行って私に来た荷物(結局、アマゾンからも届きました)などを確認していると、愚妻からの「ガソリンスタンドが開いているよ」という電話です。自宅からは、すぐ向かいにあるスタンドが丸見えなので、きのうまでは柵がしてあったものが、さっき見てみたら車が出入りしているというのです。「全然並んでないから、入れときなよ」と、強引に迫ります。なにも今日入れることはないと私は思っていても、とにかく入れられる時に入れておかなければ気が済まないのでしょう。そこまで言うのなら、仕方がありません。また自宅まで歩いて、行ってみることにしましょう。
 車を出して、スタンドへ向かう道へ行くと、確かにスタンドの手前の信号から坂の上に向かって長い列が出来ていました。ということは、歩いてくる間に情報を聞きつけて車が集まってきたのでしょうか。そのまま坂を登っていくと、「最後列」という看板を持った人が数人立っていました。この前ほど長い列ではなかったので一安心、これだったら、1時間ぐらい待てば大丈夫でしょう。でも、かなり流れは速く、30分ぐらいでさっきの信号まで来てしまいました。そこで、やはり整理にあたっていた人から番号札をもらいます。これを、目に付くところに置いておくんですって。

 そこの信号で少し待たされたあと、ゴーサインが出たので行ってみると、前に車はいなく、そのままスタンドまで入れるようになっていました。愚妻はこれを見て、「並んでない」と思ったのでしょうね。交通渋滞を招かないように、3車線になった信号の前で待機させて、スタンドが空いたら番号札のある車だけを誘導する、という方式になっているのでしょう。ですから、中には反対側から来て、開いていると思って入ろうとしている車なんかも出てきます。それも、店員が出て行って、丁重にお断りしているようでした。ただ、言うことを聞かないで強引に入って来て、大声でケンカしている人もいましたよ。見苦しいですね。
 この前は給油は店員が現金と引き換えにやってくれたのですが、今日はもう普通どおりセルフでカードも使えました。私の場合は、目いっぱい入れても9.6リットルでしたよ。まあ、2週間たって、待ち時間が4時間半から30分になったので、好転はしているのでしょう。少しは痩せ我慢しなくても良くなりそうです。
 少しずついろいろなことが元に戻りつつある中で、ぼつぼつ練習を再開する音楽団体も出てきています。市民センターが使える見込みが全く立たないので、まだそれどころではないだろうとは思うのですが、「日本一」のさる合唱団は、民間のスタジオをいち早く手配して体制を立て直したようですね。週2回はそこだけでは確保できないので、もう1日はさるお寺を借りて、4月早々から完全復活するそうですよ。そういえば、パリンカも別のお寺を使えないか、私に打診してきましたね。もちろん使っていただくのは全く問題ありませんので、多分そこを使うことになるのでしょう。でも、会場の問題だけではありませんから、実際に再開されるのはもっと先になることでしょう。正直、ガソリン事情がもう少し好転してほしいし、ガスぐらいはきちんと使えるようになってからでなければ、とても練習に行く気にはなれない、と言っているのは、やはり4月から練習を再開する全国レベルの合唱団の団員である愚妻です。
aventure number : 1688 date : 2011/4/1


今日の禁断 TVfan

 東日本大震災(というのが、公式のネーミングになったそうですね)からもう3週間以上経ってしまいました。いや、「まだ」3週間というべきでしょうか。その間に、私が住んでいるあたりはインフラ、物流ともに飛躍的な復興を遂げ、殆ど震災前と変わらないレベルに戻ったものもあります。そこには、あまり見えては来ませんが、多くの人たちの努力の積み重ねが、確かに反映されているのでしょう。そんな方々に、心から感謝です。
 とは言っても、いまだに復旧には程遠い面も残っているのも事実です。雑誌の配送などがそんなものでしょうね。なにしろ、3週間たっても、新しい雑誌は全く届かないのですからね。やはり、その他の物資を優先させ、そのような「娯楽品」は後回し、ということなのでしょうか。でも、そんな「娯楽」が逆に必要になっている面も、軽視はできないはずです。だいぶ前の新聞に1冊の「少年ジャンプ」を回し読みさせている仙台市の書店の話が載っていましたが、それが今さらバラエティ番組のネタになっているほどですからね。あ、3月20日に発売だったはずの「レコード芸術」と、「ビッグコミック・オリジナル」は、なぜか私の手元にありますから、回し読みしたい方はどうぞ。
 今は、都市ガスの復旧が急ピッチで進められています。着手してから1週間とちょっとで3割以上のところにガスが供給されるようになったのですから、すごいものです。ただ、なぜか私の自宅周辺だけは取り残されているイメージがあるのは、ちょっとさびしい気がします。きのうもこんな光景を目撃しましたが、おそらくこのあたりは地中に埋設したガス管の破損が激しかったので、その修復に時間がかかっているのだ、と思うことにしましょう。確かにものすごい数の人が全国から集まって作業を進めているのですが、実際にこのような工事を行う人や機材は、そんなに多くはないはずですからね。

 私の家の中でも、さらに「修復」は進んでいます。私の部屋のテレビは、以前はこんな感じででした。

 前にブラウン管テレビを使っていた時と同じものを、そのまま使っていたのですが、スチール製の棚の上にテレビが乗っていました。これが、地震の時には、棚は前に倒れ、テレビは後ろに倒れるという「膝カックン」状態になってしまったのですね。あおむけに倒れたテレビには、しばらくの間たどり着くこともできなかったので、心細かったことでしょう。そこで、この際こんな不安定なものではなく、もっとしっかりした棚を自分で作ってみようと思いました。近所のホームセンターで用意したものは、幅が40p、長さが180pの棚板が2枚と、木ネジが14本です。板をのこぎりでカットして、ネジで留める、というだけのことですから、ほんの3時間ほどで完成です。設計上のポイントは、左右で棚の高さを変えたことです。こうすることで、ネジを効率的に留めることが出来ます。とりあえずDVDとCDのケースの高さに設定したのですが、いずれはここにレコーダーやアンプを収納して、みっともない配線をなくす計画です。そのためには、今の配線を全部外さなければなりませんから、せめてガスが出るようになって、気力がもう少し充実しないと、着手できません。

 そして、このようにテレビの足をしっかり固定してあります。これで、まず倒れることはないでしょう。

 のこぎりは、掃除機をそばに置いて部屋の中で使いました。ベランダは寒いし、かえって後片付けが大変ですから。そのせいでしょうか、花粉症が全開になってしまいました。おがくずもいけないんでしょうね。
aventure number : 1689 date : 2011/4/3


今日の禁断 議案書

 まだまだだと思っていたガスの復旧が、実にあっけなく終わってしまいました。ガス局のHPで翌日の再開地域の一覧が出るのですが、自宅のエリアは順調に西側から進んでいたな、と思っていたら、ある時からバッタリ進捗が止まってしまっていたのですよ。すぐ隣まで来てたのに、いつの間にか反対側に行ってたりして。だから、もういい加減腹をくくって、思い切り最後になるのだな、と思っていました。だから、前回のようなことを書いたのですが、実はその日のHPに、うちの地域が載っていたのですよ。
 そうなると、ちょっと困ったことが起こりました。ガス局の人が来た時には、かならず立ち会わないことにはガスを開けてはもらえないのですね。ただ、何時頃に来るか、までは教えられていないので、1日中待っていなければならないのですよね。なにか用事があって出かけている間に来たりすると、その家だけは飛ばされてしまうのですね。だから、たとえば愚妻がトイレにいるときに来たりすると、アウトなんですね(いや、実際はそうではなく、留守の家には何回か時間をずらしてきていましたが)。ですから、私も、とりあえず待機していなければならないのです。しかも、、その地域には「○○2丁目の一部」とあるので、必ずしもその日に来るとは限りません。無駄に1日待っているかもしれないのですね。
 でも、まあベストを尽くそうと、まず朝早く職場へ行ってタイヤを交換しておきます。スタットレスは燃費が悪いですからね。それから、おそらくガス局が仕事を始める時間までには帰っていようという予定です。タイヤも無事交換、これでリッター3キロは増えるな、と自宅へ向かっていると、前の方で大きなバスがパチンコ屋の駐車場に入ろうとしていました。それも2台。別に七夕でもないのに、観光バスとは、と思って見てみると、そこには作業服姿の人がいっぱい乗っていました。そうか、こうやって、バスをチャーターして作業の人を運んでいたのですね。ということは、やはり間違いなくこのあたりでの作業が始まるのでしょう。
 それから1時間もしないうちに、その人はやってきました。「広島ガス」の職員の人です。それはもうテキパキと圧力を測ったりして、その場でガスが使えるようになりました。あんまりあっさりしていたので、気が抜けてしまうほどです。ガスコンロは使えるようになりましたし、待望の温水も出るようになりました。夜はなんと25日ぶりのお風呂です。そんなに長い間お風呂に入っていなかったなんて、おそらく私の生涯でも初めてのことではなかったでしょうか。もうすっかりお風呂の入り方なんか忘れてしまっているのでは、と思っていましたが、なんの問題もなく入れましたよ。
 次の日(つまり今日)は、まだしばらくはガスが来ないはずの実家にいる母を、自宅に連れてきてお風呂に入れてあげました。なんたって、地震の日には泊めてもらいましたし、食料を分けてもらったり、そして大活躍してくれた電気ポットを貸してくれたのですから、このぐらいはしてあげないと。こちらには「大阪ガス」の人が来てたので、てっきりすぐガスが来るのかと喜んだのに、その人たちは単に点検に来ただけで、再開はもっと先になると聞いてがっかりしてましたしね。
 お向かいのガソリンスタンドも、すっかり平常モード、待ってる車の列なんかありません。

 そのうち、タンクローリーがやって来て補給していましたから、もうガソリンも大丈夫でしょう。

 これで、まず必要なものは充分に手に入るようになりました。そんなタイミングで、ニューフィルもそろそろ動きだしたようですね。週末は、パリンカ、ニューフィル、そして町内会の予定が入って、なんか先に進んで行けそうです。
aventure number : 1690 date : 2011/4/5


今日の禁断 青葉神社

 自宅にガスが供給されるようになった次の日あたりから、ガス局のHPによる案内がちょっと変わってきました。それまでは翌日の供給開始予定地域を町名で示しただけだったのですが、きちんと地図が表示されるようになったのですよ。つまり、「○○町の一部」などと書いてあっても実際に自分の家が入っているのかどうかは分からなかったものが、具体的に地図の上に赤線でその区域を表示したものが見られますから、余計な心配をすることがなくなるのですね。ただ、それだけ詳細な情報が得られることが分かったからでしょうか、このサイトがとてもつながりにくくなってしまっています。毎日更新される時間もほぼ一定の時間に決まってきたので、その前後はほとんどつながらないのですよね。たまにつながったとしても、そこからリンクされた地図の画像にも、アクセス出来なくなっていたりします。せっかくの情報が、これでは何の役にも立ちません。困ったものです。
 きのうは、なんとか地図も見ることが出来たので、職場付近が今日、供給対象になっていることが分かりました。確かに「○○町」でしたが、同じ町内のお隣さんとの間で赤線が引いてあり、こちらはセーフという、微妙なところでした。でも、地図にまでしっかり範囲が示されているのですから、間違いなく今日中にガスが来るはずだ、と1日待っていたのですが、結局夕方になるまでガス局の人は来ませんでした。なんだか、すぐそばでそれらしい人の姿はあったようなのですが、その人が来ることはなかったようです。私は5時過ぎに帰ってきたので、もしかしたらそれ以降に来ていたのかもしれませんが、おそらく明日に持ち越しなのでしょう。せっかく期待していたのに、残念でした。まあ、ニューフィルが使う予定の土曜日までには、間違いなくガスが来ているでしょうから、暖房は大丈夫なはずです。
 そんな風に、着々と復旧が進んでいる中で、福島の原発だけはいまだに予断を許さない状態が続いているのは、本当に心が痛みます。いかに想定外の事態だったとはいえ、ここで露呈された危機管理のお粗末さには、許しがたいものを感じてしまいます。実際には、まさに「命を張って」復旧作業にあたっている人たちがいるのですから、そんな状況を招いたことにやり切れない思いは募ります。今日も浪江町の商工会議所の若手たちのドキュメンタリーを放送していましたが、彼らは原発がこれほど危険なものであることを全く認識してはいなかったのですね。東京電力の「絶対に安全」という言葉を信じて疑わなかったのだそうです。広瀬隆が1981年に「東京に原発を!」という本を書いた時点で、そんなことをまともに信じる人などいなくなったのでは、と思っていただけに、これはショックでした。本当に危険なのは原発そのものよりは、そのような「安全神話」を懸命に植え付けようとする人の心なのではないでしょうか。
 今にして思えば、ほんの少し前までは「原発こそは、地球温暖化を招かないクリーンなエネルギー源」などと、世の「知識人」たちは主張していたんですよね。そういう人たちは、放射性同位元素よりも、二酸化炭素の方が「害」があるものだと、本気で考えていたのでしょうか。ある意味、こんなえせ「知識人」たちも、「安全神話」の被害者だったのかもしれません。
 今回の事故は、単に一つの原子力発電所の問題ではありません。そもそも原子力で電気を作ろうとする思想そのものが危険なのだという意識を持たない限り、さまざまな形での被害が報われることはないでしょう。 
aventure number : 1691 date : 2011/4/7


今日の禁断 サロンパス

 震災の被害も次第に収まり、やっと一息つけるかな、と思っていた矢先の、大規模の余震でした。「余震」なんて言ってますが、普通の時だったらもうこれだけで「立派な」大地震として独り立ち出来るぐらいの地震ですから、たまったものではありません。
 録画したままでたまっていた「グレイズ・アナトミー」を見ているときに、それはやってきました。あの震災以来、多くの余震を体験してきましたが、それらはあのものすごい破壊力に比べたら、いともおとなしいものばかりでした。普通の時だったらびっくりして外に飛び出すほどの地震でも、なんか、余裕を持って眺めていられたのですから、「慣れ」とは恐ろしいものです。だいたい、それらの余震の時には、タンスが倒れるなんてことは全く起こりませんでしたからね。倒れそうになる、ということもなく、それは、あの震災がいかに特別のものかを物語っていました。もう決して、あんな体験をすることはないだろうとさえ思っていたのです。しかし、ゆうべのそれは、そんな甘い考えを頭から否定してしまうものでした。私の部屋には、かなり背の高いビデオラックがあるのですが、それが大きく揺れ始め、ほとんど倒れそうになってしまったのです。また中身を全部ぶちまかれては大変ですから、必死になって押さえます。と、その間に反対側の壁一面に作った棚から、本やCDが飛び出してきます。結局、ラックこそ倒れませんでしたが、私の部屋はあの時と同じ、足の踏み場もない、ほとんどゴミ集積場と変わらないものと化してしまいましたよ。

 しかし、あのときは見事に転倒してしまったテレビだけは、全く変わらずに元の場所にありました。この間作ったテレビ台は、りっぱにその役目を果たしていたのですね。
 揺れが収まったので、ほかの部屋に行ってみると、これはもうあの時と変わらない惨状でした。恐ろしいのは、和室に敷いた布団の上に、倒れた箪笥が覆いかぶさっていたことです。ヘタをしたら、もう布団に入っているときにこの地震が来たかもしれないと思うと、なんか「生かされている」という実感すら湧いてきます。とにかく寝る場所だけは確保しなければいけませんから、真夜中に大汗をかきながら、あの時と同じように馬鹿力を発揮して箪笥を一つ一つ起こしていきます。電気もガスも止まることがなかったのは、幸いでした。あのときみたいな真っ暗やみの中では、到底眠ることすらできなかったことでしょう。
 今朝になって、まず危険な割れた食器などを片付けたら、職場に行ってみました。恐る恐る部屋のドアを開けてみると、あの時には動いてしまった棚は、ビクともしていませんでしたよ。CDなんかは、外に飛び出したものは1枚もありません。やはり平屋は揺れが少ないのですね。ところが、奥に行ってみると床がびしょぬれになっていますし、なんかとんでもない匂いが漂っています。それは、珍しい飲み物が好きな私へのいやがらせのために、ネット仲間が送ってくれた「ルートビア」でした。棚に置いてあったものが床に落ちて、破裂してしまったのですね、2缶とも。

 これは、ある意味倒れた箪笥よりも厄介なものでした。カラメルソースのようなものが入っているので、それが床の上で固まって、雑巾で拭いたぐらいでは落ちないのですね。おまけに、なんとも言えないハッカ臭、これこそが、「生かされている」者の試練なのかもしれません。
aventure number : 1692 date : 2011/4/8


今日の禁断 アルデンテ

 7日の余震で相変わらず部屋は散らかったままですが、そんなことにめげているわけにはいけません。世の中は確実に「復興」モードに移行していますから、まず部屋の「復旧」は後回しにして、震災以来活動を休止していたいろいろな音楽団体もそろそろ動きだそうというタイミングに乗らなければ。ほぼ一月が経過した4月あたまごろから、そんな動きは見え始めていたのはご存じのことでしょう。みんな考えることは同じなのでしょう、私が所属している2つの団体が、まるで申し合わせたようにきのうの夜に役員会やら合同委員会やらのスケジュールを組んだのですよ。どちらも、最重要課題は練習場の確保です。そこで、まずパリンカが私の職場を使えないかという打診をしてきました。もちろん、これは、私の方から言いだそうと思っていたぐらいですから、使っていただく方向で進めることになり、そんな話の詰めをきのうの6時からセットしていました。私がいないと会場の詳細が決められないので、必ず出席してくれ、ということですが、会場があの「レストラン・パリンカ」なのですから、もちろん、何をおいてもOKです。
 その次に、全く同じ日、同じ時間で委員会をやりたいと言ってきたのがニューフィルでした。こちらもやはり、いつもパート練習、大きくても分奏で使っているところを、全体合奏で使いたい、ということでした。これも、やはり私が話し合いに加わることが前提になってきますから、まずパリンカに行かせてもらうことにして、開始を1時間遅らせてもらうことにしました。
 そう、私あたりがそんなタイトなスケジュールをこなさなければいけないほど、今の仙台市の練習場事情は逼迫しているのですよ。今までいろんな団体が使っていた公共の施設が、全く使うことが出来ない状況に陥ってしまっているのですからね。しかも、それがいつまで続くかも明らかに出来ないというのですから、これは本当に困ったことです。もちろん、施設の損傷とか、物理的な要因もあるのかもしれませんが、そこには「こんな事態なのだから、文化活動などはやらなくてもかまわないだろう」という意識が潜在的に働いていることも、間違いのないことのように思えてしまいます。「こんな時だからこそ、文化活動を通して元気になろう」というような発想は、残念ながらどこからも感じることはできません。その程度のことだったんですよね。震災によって図らずも馬脚を現したこの街の文化行政、お願いですから、これからは「楽都仙台」などという恥さらしな看板を掲げることだけはやめてくださいね。
 そんなわけで、まずはパリンカで、会場の詳細を詰める話し合いです。それはもう30分ぐらいで終わってしまったので、私はそのままニューフィルの会議に行っても良かったのでしょうが、何せここはディナー付き、せっかくのお料理は、しっかりデザートまで味わいたいじゃないですか。なんとか最後の方は早目に出してもらいましたが、結局ニューフィルには15分遅れでした。
 こちらでは、たとえば指揮者練習用のホールなども、しばらくは使えるようになる見通しが立たないといったような情報が明らかにされてきます。私は、秋は予定通りにブルックナーを出来るのではないかと考えていたのですが、それは大きな見込み違いであることが分かります。もう、今年1年は、しっかり開き直って、オーケストラの原点に立ち返ったような活動をすることが必要なのではないか、という気持ちを新たに持たざるを得ませんでした。
 なにはともあれ、パリンカもニューフィルも確実に一歩を進みだしたところです。行政からのお仕着せではない、真の意味での市民の力による文化活動のたくましさを、見せつけてやろうじゃないですか。それでこその「復興」です。
aventure number : 1693 date : 2011/4/10


今日の禁断 七十七

 4月7日にとてつもない余震が来て、せっかくきれいになった私の部屋は、もう手を付ける気にもならないぐらいひどいことになっていましたね。というか、いくら片づけても今の状態ではいずれまた同じような地震が来れば、そんな労力は全く無駄になってしまうかも、と思うと、いっそもうこのままほっとこうか、という気になってしまうのですね。

 今回は、3月11日の「本震」とは、ちょっと様子が変わっていました。あの時にはテレビの下の台が前に倒れてくれたので、右手にあったライティングデスクはかろうじて転倒を免れていましたが、今回はご覧のように、もろに前向きに倒れてしまい、まるで「テルミン」のような姿をさらしてしまっていました。実は、このデスクの中には預金通帳とか印鑑など、大切なものがしまってあります。この前は印鑑は引き出しの中にあったので大丈夫でしたが、通帳はもろに散らばって、探すのに一苦労してしまったのですよ。しかし、今回はさらにひどいことに、デスクの中身がすべてぶちまけられてしまいましたから、探し出すのはもっと大変です。まあ、どうせ部屋の中から逃げたりはしないのだから、と、探しもしないでいたのですが、やはり通帳ぐらいは確保しておかないと不安です。重い腰を上げて「瓦礫」の中の捜索を始めました。
 公共料金の支払いなどに使っている通帳は、バックナンバーをすべて保存してありますので、そういう「使用済み」の通帳はたくさん出てくるのですが、肝心の今使っているものが、いくら探してもありません。この前もそうだったのですよね。要らないものばかり見つかって、本当に必要なものがなかなか出て来ないのですよ。結局、ただやみくもに探しても意味がないのだと思い、面倒くさいけれどゴミ(いや、中には大切なものも入ってます)を仕分けしながら、きちんと探すことにしました。そうしたら、一度分けておいた領収証の束の中に、その通帳はまぎれていましたね。これで一安心です。
 しかし、もう一つ、出て来ないものがありました。それは、銀行印です。確か、実印と一緒にして引き出しに入れておいたはず、それが並んでおいてある情景が、しっかり脳裏に焼き付いています。実印の方は、もう探す前に見つかっていたのでちゃんと「避難」させておいたのですが、一緒にいたはずの銀行印だけが、何度繰り返し探しても見つからないのですよ。もしや、と思い、掃除機の中も見てみることにしました。少し片付くととりあえず掃除機をかけてその部分だけは更地にする、というのが手順ですから、その時に間違って吸いこんでしまったという可能性も捨てることは出来ないのですよ。紙パック(パンパンになってました)を外し、それを破いて埃のかたまりの中を開いてみたのですが、やはりそこにもありませんでしたね。そんなことってあるのでしょうか。まあ、最悪、登録印の変更をすればいいので大丈夫には違いないのですが、いったいどこに行ってしまったのかは、とても気になります。
 ただ、だいぶ前になにかに使う必要があって、持ちだしたことがあったような気がしてきました。となると、いつも使っているバッグの中にもしかしたら・・・ありました。使い終わってからも、元に場所にしまうのを忘れていたのですね。いやあ、これで一安心です。
 でも、こんなことで心細くなっているなんて、津波で何もかも失ってしまった人に比べたら、なんともぜいたくな悩みだったのかもしれませんね。改めて、津波の被害者の方々には、心からお見舞い申し上げます。それにしても、許せないのは「人災」である原発事故です。こんな理不尽な思いを未然に防ぐためにも、今稼働している原発はすべて廃炉にしなければいけないとは、思いませんか?それをしないことには、真の復興などあり得ないと思うのですが、どうでしょう。人の生活、人の命が「利権」によって奪われるなんて、たまりません。
aventure number : 1694 date : 2011/4/12


今日の禁断 船橋

 全然知らなかったのですが、少し前に川崎市長が、福島県知事に対して津波による瓦礫の処理を、川崎市が引き受けるという申し入れをしていたそうですね。列車を使って福島県のゴミを川崎に運び、川崎の工場で処理する、というものなのだそうです。なんでも、川崎市長は福島県の出身なので、今回の惨状を見かねたのと、以前の新潟の震災の時にも、同じような支援を行っていた実績もあって、このような申し出となったのだ、ということです。ここまでは、なんともありがたい話ですね。なにしろ、今回の震災ゴミの量はハンパではなく、なんでも通常の処理をしていたのでは何十年もかかってしまうほどのものなのですからね。
 ところが、これを知った川崎市民の反応というのが、なんとも信じられないものでした。市に対して、「放射能で汚染されたゴミを持ち込むな」という電話やメールによるクレームが、なんと2000件にも及んだ、というのです。そもそも、そんな危険なものを別の場所に運ぶことなんてあり得ない話だとは気が付かなかったのでしょうかね。運び込むのは、焼却処分しても問題のないゴミに決まってます。それを「福島」というだけでこれだけヒステリックに拒否するなんて、なにかが狂っているとしか思えません。これは「風評被害」の最たるものです。川崎市民は、そんなことも冷静に考えることは出来なかったのでしょうか。
 マスコミでは、大々的に「頑張ろうニッポン」とか、「ニホンは一つのチームです」とか、本当に涙が出てくるような言葉で、被害に遭った私たち東北の人たちを応援しているという姿勢を示していました。いや、もしかしたら、本気で私たちの苦しみを共有しようと考えていた人だって、いたかも知れません。しかし、今回の川崎市民の行動は、そんなものはただのおべんちゃらに過ぎなかったことを、実に見事に証明してくれましたよ。実際に汚染ゴミが持ち込まれることなどあり得ないのに、自分たちの身に不利なことが起ころうとすると、被災地のことなどはすっかり忘れて、自らの保身にのみ走ってしまうのですね。「福島」は、「チーム」の一員とはみなされないのですよ。こんなことを実際に見聞きするなんて、震災そのものよりも悲しく、やりきれない気持ちでいっぱいです。人間の本性とは、そこまで醜いものだったのでしょうか。
 私の知り合いの合唱仲間で、いわき市に住んでらっしゃる方がいます。その方は、時折仲間うちの掲示板で、窮状を語ってくれていました。最近も、先日の大きな余震で、いったんは再開した水道がまた使えなくなったと、寂しげでした。そんな方に、今回の川崎市民の行動はどのように写ったことでしょう。きっと私同様、とても人間とは思えないあまりにも冷たいやり口に、憤りを通り越して悲しみをおぼえているのではないでしょうか。少なくとも、「日本中の人が応援してくれている」という幻想を抱くことだけはなくなってしまったことでしょう。
 そんな愚かさをさらけ出したのは、川崎市民にとどまらないのが、情けないことです。ネットなどでは、あろうことか、そんな川崎市民の態度を賞賛している人がいるのですよ。せっかく立ち直りかけたものが、先日の余震でまた振り出しへ戻ってしまったと感じている被災者は多いはずです。今回のことは、それ以上の脱力感を私たちに与えてくれました。
 今ニュースでやっていましたが、関東地方の学校に転校した福島の被災者が、みんなからのけ者にされているのだそうですね。やはり、愚か者は川崎市民だけではありませんでした。地震、津波、原発に加えて、同じ日本の「仲間」さえも、福島に被害をもたらすものだったなんて。
aventure number : 1695 date : 2011/4/14


今日の禁断 有楽町

 前回の「禁断」には、当然何らかの反応があることを想定していましたが、予想通りさまざまの意見が寄せられましたね。ブログ版には2つほどコメントがありましたので、それはそのまま見ることが出来ますし。最初のものはあまりにストレートな反論だったので、いっそ削除してしまおうとも思いましたよ。このブログには、私が承認しないことには公開されないという機能がありますからね。こんな、あまりに恥さらしのコメントは抹殺しても構わないのですが、そんな「卑劣」なこともしたくないので、あのように見えるところにさらしてあります。しかし、次のコメントは、別の面からこの事件の「真相」を教えてくれた貴重なもので、とても示唆に富むものでした。確かに、こんな時にデマに惑わされてしまうというのは人間の弱い面の現れなのでしょう。そういう意味では、川崎市民も「被害者」ということが出来るのかもしれません。
 今日になって、朝日新聞に一連の風評被害に関する記事が出ました。その中で、今回の件にも触れている部分がありました。 
 だが、風評被害は食品にとどまらない。
 川崎市では、阿部孝夫市長が被災地のがれきを受け入れると表明したところ、「放射能のごみを燃やしたら危険」などの苦情が市に殺到した。受け入れ方針が報じられた8日以降、電話やメール、封書は4千件近くに及ぶ。
 大半は「放射能を帯びた廃棄物が持ち込まれる」という誤解に基づくもの。市はホームページにQ&Aを掲載し「安全が確認されるまで受け入れることはない」などと説明。最近は「電力を供給されている立場で(がれき受け入れに)文句を言うのはおかしい」「頑張って」といった電話も増えてきたという。
 おそらく、このあたりが最も冷静に一連の動きを集約したものなのでしょう。私も、これを受けて、この件には幕を引きたいと思います。
 今回の震災は、いまだに余震が収まらないばかりか、これからもさらにマグニチュード8程度の余震が起こることが予想されているという、まさに「未曾有」の出来事になっています。ですから、復興にしても計画通りに進むとは限りません。私の家のかたずけのようなもので、これで元通りになったと思ったら、余震でまたメチャメチャになってしまうというように、それはまさに一進一退の様相を呈しているのではないでしょうか。ですから、5月の連休に行われる予定だったあの「フォル・ジュルネ」も、一旦は「予定通り開催」などと大口を叩いていたものが、その後の状況の変化で、こんなことになってしまいました。「出演アーティストの来日キャンセル」というのが、とどめだったのでしょうね。つまり、「風評被害」というものは、もはや福島と川崎のレベルではなく、全世界対日本全国というとんでもない次元の話に、すでになってしまっていたのですよ。千葉県の人たちに仲間外れにされた福島の子供と同じ目に、いま全ての日本人が遭っているのですね。
 まあいいんです。別に外タレなんか来なくても、困る人なんか私のまわりにはいませんからね。そもそも、仙台にまともな外国のオーケストラが来ることなんて、年に1回あるかないかですから。
 震災の爪跡がまだ残る仙台にも、ようやく桜が咲き始めました。来年の桜の頃には、いったいこの街、この国はどんなことになっているのでしょうか。
aventure number : 1696 date : 2011/4/16


今日の禁断 斉太郎節

 前回の「禁断」のブログ版は、アップした直後に「フォル・ジュルネ 中止」で検索すると2番目に出てきましたね。さすがに、今日あたりは12番目に落ちてきましたが、アップした頃はまだこのニュースがあまり広まっていなかったために、そこまでのランクになっていたのでしょう。これだけの重要事項なのに、本家の公式サイトでは、トップページが全く変わっていないというのがなんとも情けない気がします。

 言ったらなんですが、これはほんとに出来の悪いイラストですね。この5人の作曲家の生気のない顔ったらどうでしょう。そのせいで、バックのクリムトの渦巻きがなんだか原発の水蒸気のように見えるのは、私だけでしょうか。そしてこのコピーが、今となっては最悪ですね。来日をキャンセルしたアーティストには「音楽の力」は届きませんでしたし、その結果「音楽の輪」が広がることは決してありませんでした。担当者は、いつまでこんな恥さらしなページを公開しておくつもりなのでしょう。
 しかし、こんなバカな外国人が日本に来たくなくなるのは勝手ですが、これが嵩じて、逆に日本からのものが拒絶されるような事態は、ちょっと困ったことです。いや、「もの」で済んでいるうちはいいのですが、それが「人」にまで及んで来ないとは、誰にも言いきれないのが怖いところ、それが「風評」というものなのですからね。私の知り合いが1ヶ月後には大挙して訪米し、NYのカーネギー・ホールでコンサートを行うことになっています。由緒あるこのホールが、「放射能で汚染されたニホンジンは、受け入れることは出来ない」などと言ってきたら、どうするつもりなのでしょう。現に、カワサキの人たちはそれでパニックに陥ったのですから、あり得ないことではないと思うのですが。
 こんないやなことがなければ、きのうは久しぶりに演奏活動が再開されて、晴れ晴れとした気分になっているはずでした。奇しくも同じ日に、フルートと合唱で練習があったのですよ。まあ、それなりに充実感はあったものの、手放しでは喜べない何かが、胸に引っかかってしまっていました。
 フルートの方は、今年が3回目となる教会での「マタイ受難曲」のコンサート、というか、礼拝です。こんな時に、もしチャリティ・コンサートなんてやるんだったら絶対参加するつもりはありませんでしたが、あくまで「受難日の礼拝」という、どこに出しても恥ずかしくない「大義名分」があるものですから、出ることにしました。いや、正直ニューフィルが始まるのはまだまだ先なので、その間のリハビリという意味も小さくはない理由なのですがね。本当に、もうだいぶ前になりますが、久しぶりに楽器を吹いて、あまりの衰え具合に唖然としたものでしたから。それからはつとめて時間をとって練習していますが、長く休んでしまうと元に戻るのはほんとに大変です。本番は 今週22日の金曜日(今年の受難日)の午後7時から東北大北門前の東一番丁教会です。ほとんど宣伝などはやらないそうですから、演奏者より聴く人の方が少なくなりそうなんですって。もちろん、入場は無料です。お気づきのように、この日は本来なら春の定期演奏会の前日リハだったはず、ですから、100%出ることはなかったはずのものでした。何の因果でしょう。ただ、弦楽器の人たちはすでに他をあたっていたようで、今まで出ていたニューフィルの人たちと一緒に出たいと打診したら、やんわりと断られてしまったのが、ちょっと残念。そこで初顔合わせとなったのが、東北大オケの現役メンバーでした。私がいつか取材に行ったあのオンボロ練習場が、地震で使えなくなってしまったそうで、今はヒマなのだそうです。ニューフィルの練習場に興味があったような。
 そして、それが終わってすぐ、今度はその練習場、お寺の会館でのパリンカの練習です。30人近いメンバーが集まったのですから、ちょっと感激。ほとんどはみんなの「あのとき」の報告でした。こんなときだから、歌いに来た、という人は多かったですね。
aventure number : 1697 date : 2011/4/18


今日の禁断 ジュンク堂

 来週の月曜日には、新幹線が東京から仙台まで開通するそうですね。もうダイヤなども発表されていますから、間違いなくその日には乗り換えなしで東京まで行けることになるのでしょう。とりあえず、これで最も恵まれた地域では震災前の状態に戻ることが出来た、と言えるようになるのでしょうか。もちろん、まだまだ問題は山積、沿岸部の復興や原発の収束(こちらも具体的な日程が示されましたが、信用する人は誰もいないでしょう)などはず〜っと先の話になるはずです。さらに、また大きな余震が来れば、新幹線だってどうなる事か分かりません。いや、今回の「開通」にしても、以前より30分も余計に時間がかかるというのですから、完全復旧には程遠いものがあります。1週間走っただけで出番がなくなってしまった「はやぶさ」は、依然として車庫に眠ったままですしね。
 何のかんのと言っていても、前に進まないことにはどうにもなりません。正直、また大余震が来た時に真っ先に問題になりそうな寝室の箪笥だけは、倒れて来ないようにしておかなければと、心配でした。場合によっては命にかかわるかもしれませんからね。ただ、頃合いの転倒防止器具が、どこに行っても品薄でなかなか見つからないでいました。今日になって、たまたま近所のホームセンターに行ったら、ベルトで固定する器具が大量に入荷してたので、さっそく買ってきて取り付けたところです。鎖よりもこちらの方がなんとなく柔軟に対応できそうで、ひとまずは安心して寝ることが出来そうです。

 いつの間にか、4月も20日になってしまいました。震災から2度目の「レコ芸」の発売日です。そろそろ雑誌類の配送も復旧しつつあるという噂なので、とりあえず定期購読をしている「ツタヤ」に行ってみることにしました。朝の9時ごろに行ったら、書籍のコーナーでは大量の雑誌類を仕分けしているところでした。今日の発売分がたった今どっさり届いた、という感じです。うん、こんな状態だったら、もう普通に入ってくるようになっているのかもしれませんね。カウンターに行って「定期購読ですが」と言うと、別に「まだ入ってません」とも言われなかったので、まずは一安心、ただ、そのお兄さんは取り置きのコーナーを何度も探していますが、どうも「レコ芸」はなさそうな感じでしたね。そこで、さっきの仕分けをしている人たちのところへ行って何やら聞いている様子です。帰ってくると、「仕分けが終わったら連絡しますので、その辺にいてください」とか言ってますよ。と、その仕分け担当の人が、1冊の雑誌を持ってこちらにやってきました。「レコ芸」が出てきたみたいですね。これで、今月も無事にゲット出来ました。支払いの時に聞いてみると、4月8日以降に発行されたものは、すでにお店に入って来ているそうなのですね。ただ、その前のほぼ1ヶ月間に発行されたものは、改めて注文しないと手には入らない、ということでした。やはり、週刊誌などは、もはや普通では見られない状態になっていたのですね。
 でも、おととい、何回も棚から落ちてしまった電子レンジがとうとう壊れてしまったので、新しいのを買いがてら駅前の本屋さんに行ったら、そこの雑誌コーナーには「震災以来、新しい入荷はありません」という表示がありましたよ。たった2日で、ここまで画期的に状況が回復した、ということなのでしょうか。それとも、「ツタヤ」だけ、特別のルートで、入って来ていたのでしょうか。なんせ、絶対入りそうもなかった先月20日発売の「レコ芸」を手に入れてくれたぐらいですからね。
 そうそう、「ビッグコミック・オリジナル」も、コンビニで大量に立ち読みできるようになっていましたよ。2週目でベッドインなんて、あの「黄昏」は、展開早すぎ。
aventure number : 1698 date : 2011/4/20


今日の禁断 サンドウィッチ

 今年ももう4月が終わろうとしています。いつもだったら、この時期までにフルートがらみの演奏会が2つか3つは入っていたのですが、今年はあんなことがあったために、2つのコンサートがなくなってしまいました。そして、今日やっと、初めての私がフルートで参加するコンサートが開催されたのです。それは、今年が3回目となる、教会での「マタイ受難曲」の演奏会です。というより、この日は「受難日」になるために、「礼拝」と言った方がいいのでしょうね。特に、今年は「演奏を聴いてもらう」のではなく、「演奏で犠牲者を悼む」という意味合いが強くなったため、なにか重たい感じになっていました。
 とは言っても、やることは今までと何も変わりません。ただ、メンバーが少し変わったでしょうか。特に、弦楽器は東北大オケの若いメンバーが初めて参加していました。それと、管楽器は今までフルート2本だったのですが、今回やはり東北大オケのメンバーのオーボエが一人加わってくれました。ですから、今までは、本来はオーボエ・ダモーレ2本のオブリガートが付いたアリアをフルート2本で吹いていたものを、オーボエとフルートで吹くことになりました。このオーボエくん、最初は私のところにあいさつに来て「緊張してます、よろしくお願いします」なんて言っていたのですが、なかなか出来る人で、きっちりアンサンブルが出来て楽しめました。というか、この企画にやって来て、初めて管楽器同士でまともなアンサンブルが出来た、と言うだけの話なのですが。つまり、今まではもう一人のフルートがちょっと?で、アンサンブル以前のところで終わっていたものですから。今回のオーボエくんは、なにしろ繰り返しになったら装飾まで付けてきましたからね。正直、この曲で装飾を付けるのはあまりセンスが良くないので、私はやりませんが、なんか若さゆえの挑戦、という感じがしていいですね。
 なにしろ、一時は演奏者の方がお客さんよりも多いのではないか、などと言っていたので、ガラガラのところで演奏する覚悟をしていたのですが、始まってみると、優に60人以上の人が集まって、そこそこの入りになりましたね。なぜか、大御所のO先生まで聴きにいらしていたのですから、ちょっとびっくりです。それと、東北大オケの関係者が、結構偉そうな人まで含めてかなりいらっしゃっていたような。でも、私がカメラを渡して撮影をお願いできそうな人は誰も来ていなかったので、今回は写真はありません。
 全体の演奏も、新しい人たちによる弦セクションは、とてもまとまりのある音を出していました。ソリストたちも、今年は新顔が登場、その中でも、ヴァイオリンのオブリガートが付いたアルトのアリアは、まるでカウンター・テノールのような澄んだ声のソリストと、ヴァイオリン・ソロが光っていましたね。
 私はと言うと、いつも、第1曲が大変な思いをしていたのですが、今年はオーボエがユニゾンで加わっているのでとても楽でした。やはり、この曲は一人で頑張るものではありません。初めてノーミスで吹けた本番は、今回が初めて、やっとこれで卒業出来そうです。まあ、演奏自体はいつになく楽しめましたが、それはあくまで結果論、なにしろ、オーボエくんが入るなんて、事前には何も言われていなかったのですからね。準備していたパートが変わってしまうのは、正直かなり辛いものでした。それと、やはり何も聞いてなかったために、せっかくやる気になっていたニューフィルの人たちが、結局誰も参加しなくなってしまったのは、あまりに寂しいことでした。「世代交代」というのは、こんな風に、ほんの少しの痛みを経て進んでいくものなのでしょう。
aventure number : 1699 date : 2011/4/22


今日の禁断 ヤマハ

 いきなり見苦しいものをお見せして恐縮ですが、これは4月の13日に撮った私の右腕の肩からちょっと下の部分です。お風呂に入っていた時に何気なく見てみたら、こんなものすごいアザのようなものが出来ていましたよ。これはおそらく、その1週間前の大余震の時に、なにかがぶつかってきて出来たものなのでしょう。いや、なんだかすごく痛そうに見えるのですが、全く痛みがなかったのでそれまで気が付きませんでした。これだけひどいことになっていると、きっと跡が残ってしまって、私の体には一生消えない傷が付いたままになっているのでしょうね。それは、もしかしたらこの震災を決して忘れさせないために付けられた「刻印」なのかもしれません。このアザを見るたびに、あの惨状を思い出せ、という何かの力だったのでしょう。

 それから1週間ほど経ったときの写真がこれです。いくらか薄くなったところはありますが、やはりまだどす黒いアザは消えることはありません。

 ところが、それからしばらくすると、なんだか上の方から徐々に元のきれいな肌に戻ってきたように感じられてきました。そして、今日になったら、こんな具合、もう上半分は全く以前と同じ肌になっていますよ。

 この調子でいくと、あと少しすれば、このアザのようなものはあとかたもなくなくなってしまっているかもしれませんね。いやあ、人間の体の回復力というのはすごいものです。もちろん、ここには薬なんかは全く塗ったりしてはいませんでしたよ。津波の被災地も、こんな風にきれいに元通りになってくれるといいのでしょうが・・・。
 復興がそんなに簡単にいかないのは、私の家の中を見ただけでも分かります。今まで気が付かなかったのですが、部屋の中に置いてあるピアノが、予想以上の被害に遭っていたことが、分かってしまいました。最初に気が付いたのは娘で、鍵盤のふたが開かなくなっている、というのですね。見てみると、確かにどこかが引っかかっています。なんだか、天版が少し曲がっているような気がします。そこで、上に乗っていた荷物をどかして、天版を開けてみると、


 いやあ、蝶番が2つとも完全に壊れていました。片方はネジがすべて抜けていましたし、もう片方はネジが抜けない代わりに、まわりの板が破れてしまっていましたよ。つまり、天版は完全に本体からは離れて、グラグラになっていたのですよ。あの地震の時に、ピアノは部屋の中を転がりまわって、壁に何度もぶつかっていたのですね。そんなものすごい力が加わったのでは、蝶番なんかはひとたまりもありません。恐るべきエネルギーです。そんなエネルギーを生んだ地震によって引き起こされた津波ですから、あれほどの大きな災害を引き起こすほどのものだったのですね。
aventure number : 1700 date : 2011/4/24

11/4/26-6/3