1661(11/2/8)-1680(3/18)

今日の禁断 レ・ミゼラブル

 この間、BSでミュージカル版の「プライド」をやっていましたね。別に格闘技でも、キムタク主演のテレビドラマでもなくて、こちらは一条ゆかりのマンガが原作です。

 このマンガは、そのころ大流行だった(今でもそうみたいですが)オペラをテーマにしたものでした。そこに、古典的な少女マンガのプロットをはめ込んで、ともにオペラ歌手を目指す2人の女性の間の葛藤を描いたものなのでしょう。というのは、1巻を見ただけで大体先の予想がついたので、結局それ以上読むことはありませんでした。最終的には単行本で12巻まで発行される、大作となったのですね。
 しばらくして、この作品が映画化されました。それも、WOWOWでだいぶ前にやったものを見てみました。

 これは、マンガで描かれていた音楽が、そのまま音となって味わえる、という興味深いものでした。中でも、お互いに憎しみ合っていたはずなのに、一緒にデュエットをしてみると、なにか惹かれあうものがある、という場面を、実際に歌わせているのが、とても面白く仕上がっていましたね。それぞれが相手にしかけたことを、逆に相手が返してくる、みたいな、真の意味でのコラボレーションが、見事に描かれていました。ただ、この映画はまだ連載が終わっていない、結末の分からない時点で作られたものなので、ストーリーの方はなんだかどこに収束していくのか分からないところがあったような。真の結末は、原作で味わってくれ、ということだったのでしょうか。

 そして、連載も終わり、衝撃的な結末も明らかになった後で、去年の12月に発表されたのが、このミュージカル版でした。映画は、おそらく、その時点までのマンガの内容にかなり忠実に作ってあったのでしょうが、ミュージカルの方は、出演者を4人だけに絞る、という大胆な「演出」で登場です。つまり、原作に出てきてとんでもないキャラクターを披露する萌の母親などは登場しません。その代わり、その辺の絡みとか、これまでの話の流れなどが、出演者のセリフによって語られるのですね。この手法、あのワーグナーが「リング」などで多用していましたよね。
 なにしろ、女2人、男2人ですから、当然のことながら男女間の情愛がしだいに変化していくさまが克明に描かれます。「四角関係」なんですってね。そして、映画しか見ていなかった人が驚くのが、いつの間にか萌が妊娠していることです。となると、相手は神野しかあり得ませんよね。そう、史緒と婚約していた神野は、あろうことか萌と関係をもってしまっていたのですよ。
 聞いたところでは、マンガでは、この後大地震があって、萌は死んでしまうのだそうですね。そして、生まれた子供は神野と史緒が育てるのだと。しかし、ミュージカルでは、この結末をさらに大胆に変えていました。確かに萌は死ぬのですが、神野はその遺体を運び、史緒との婚約を解消してしまうのです。史緒は、蘭丸と結婚、萌の子供を育てることになって、ある意味めでたしめでたしですね。・・・って、これはウソですからね。ここまでくれば、そんな結末もありかな、と、作ってしまいました。
 それにしても、この東宝のミュージカルで歌っていた人たちは、てっきり劇団四季みたいに音大を出た人だと思っていたら、全然そうではなく、今まで専門的な教育を受けたことはなかったのに、集中的にボイトレを受けただけで、「カスタ・ディーヴァ」などをきっちり歌えるようになっているのですから、ちょっとすごいですね。
aventure number : 1661 date : 2011/2/8


今日の禁断 かりんとう

 近所にできた「ヨークベニマル」には、ヨーカ堂やセブンイレブンと共通のプライベート・ブランド商品が置いてあります。この手のものはあまり信用していなかったのですが、最近、これらの商品のすごさに気付かされました。朝食の時に必ず食べているプリンで、今まではウジエスーパーにしか売っていないと思っていたものが、このシリーズで出ていたのですね。パックの裏側に製造した会社の名前が書いてあるのですが、それを見てみたら、いつも食べていたプリント同じ会社、試しに買ってみたら、全く同じ味だったのですよ。つまり、これはOEMだったのですね。もちろん、値段も少し安くなっているし、わざわざ遠くまで買いに行く必要もないので、それからはずっとそれを買っています。

 おやつ関係でも、「亀田」とか「でんろく」といった、なかなか侮れないメーカー品が、そのままセブン・ブランドで出ていますから、こちらもずっと愛用することになりました。目下のお気に入りは「ピーナッツ入りかきっ子」です。ただの「かきピー」とは一味違う、絶妙の辛さ加減、思わず食べてしまい、すぐなくなるので、買うときは3袋ぐらいまとめて買ってきます。
 もう一つの方は、ネーミングがすごいインパクトだったので、迷わず買ってみました。「有機むき甘栗」ですよ。まあ、気持ちは分かります。甘栗の皮をむくのは面倒くさいし手も汚れるので、あらかじめ皮をむいてある甘栗を用意したのでしょう。これは前からありましたが、そこに流行の「有機」という、なんだか体に良さそうな言葉をくっつけたんですね。と、理屈では分かるのですが、この名前、なんだか居心地がよくありません。その原因は2つあるのだ、と、分かりました。まず、「有機」なのは原料である「栗」なのですから、正確には「甘有機栗」とすべきではないでしょうか。順序が間違っています。「むき甘有機栗」というのが、正しいネーミングなのです!・・・ちょっと無理ですがね。
 そして、もう一つ、「有機」のあとに「むき」という言葉が来ると、私の場合は「無機」という漢字を、つい思い浮かべてしまいます。何せ大学は理学部の化学科、「有機化学」やら「無機化学」に囲まれて生活していた時代があったのですからね。ちゃんと「有機剥き甘栗」としてくれれば、そんな連想は決して起きないと思うのですが。ただ、常用漢字では、この字は「はがす」としか読めないそうなので、こんなことになってしまっているのでしょうね。
 しかし、もっと気になるのは、この「有機」という言葉です。「有機野菜」、「有機農業」のような使われ方をしている語感からすると、なんだか「天然に由来するもの」みたいな意味があるような気がしませんか?確かに、この手の「有機」には、そのような意味合いが含まれています。しかし、私が学んだ学問の世界では(偉そうに!)、ちょっと違っていました。「有機物」、正確には「有機化合物」というのは、「炭素原子を含んだ化合物」と定義されているのです。確かに、たんぱく質や脂肪、炭水化物といった生物に由来する物質にはすべて炭素原子(C)が含まれていますが、それだけではない、人工的に合成された炭素を含む化合物も、「有機化合物」と呼ばれるのです。早い話が、石油から作られた製品はすべて「有機化合物」なのですよ。つまり、「エコ」の方面からは目の敵にされているポリ袋や、環境破壊の元凶と言われていた「ダイオキシン」だって、実は「有機化合物」だったのですね。これは学術的な定義ですから、今さら変えるわけにはいきません。ですから、本当は「エコ用語」の「有機」の方を変えた方がいいのでしょうけどね。というか、この方面の関係者は、言葉だけでなく、そもそもの本質を知らない(知ろうとしない)くせに、他人の口車に乗って騒ぎ立てる人が多いようですので、そんなことはどうだっていいのでしょうがね。
aventure number : 1662 date : 2011/2/10


今日の禁断 駐車場

 いよいよ、時任さんとの初顔合わせとなりました。私は、早めに行ってウォーミング・アップをしたかったので、1時ちょっと前に会場の若林に着いたのですが、あいにくまだステージへ行くドアにはかぎが掛かっていました。仕方がないので、ロビーへ戻ってみると、ちょうど団長が着いたばかり、その横には、写真でしか見たことのなかった時任さんその人が、キャリング・バッグをもって立っていました。まだ知り合いでもないのに、とりあえずご挨拶です。
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 椅子を並べて音出しをしていると、時任さんがホールの様子を見にやってきました。そして、舞台袖に置いてあった「かいほうげん」を取り上げて眺めています。なにしろ、表紙が時任さんの写真ですから、当然興味がおありだったのでしょうね。そのまま持って、楽屋へ帰られました。どんな感想をお持ちになったのでしょう。

 今日の予定は、前半が私の出番、まずはブラームスです。とりあえず1回通して、テンポや「ため」を一通り示してから、細かい練習に入る、という手順です。開口一番「よく出来ているところと、出来ていないところがありますね」と、当たり前のことをおっしゃいます。テーマの木管あたりはまず合格、という感じでしょうか。しかし、それからの練習では容赦のないダメ出しが続くことになります。ブラームスならではの粘りのある音楽を一緒に作り出そう、という熱意がストレートに伝わってきます。初対面だから遠慮して、なんてことは一切ありません。かなりハードルの高い要求が次々に出されます。この調子で行ったら、予定の時間では最後まで行かなくなるので、延長するのかな、と思っていると、変奏曲の一部やフィナーレは「また明日」ということで、予定時間ぴったりに休憩となりました。久しぶりに、あくまで時間通りに練習を終わらせるという、気持ちの良い指揮者とご一緒出来るような予感です。末廣さんみたいに、早目に終わって帰れる、なんてことは期待できないでしょう。
 いろいろ指示があったのですが、それは「書かないで!」というのが、面白いところです。書いてしまうと、次に来る時には自分の指示とはまるで違うものになっていることがよくあるのだそうです。あくまで「覚えてください」ということを要求されました。うん、確かにこれは一理ありますね。文字で書いてしまうと、その時点で別物になってしまうのですね。文字に頼らず感覚で覚えこめば、それだけ自分のものになるのかもしれません。問題は、次にいらっしゃるのが1ヶ月後だということ。覚えたことを忘れてしまったのでは、何にもなりません。頑張りましょう。
 次にやったのはヴェルディです。これもまず全曲通します。途中、テンポが倍になる部分で、今までやってきたのとはかなりテンポ感が違っていたので、ついに止まってしまいました。まずゆっくり始って、エンディングに向けて猛烈に煽っていく、というやり方のようですね。これが成功すれがきっと盛り上がることでしょう。そして「返し」になると、私のピッコロが入る前のイントロの部分で、まず打楽器が捕まってしまいました。弦との掛け合いになっている「タタタ」という引っ掛けのリズムが、なかなか揃わないのですね。そして、チェロの甘いメロディが出てくるところでは、オペラ経験の豊富な時任さんならではの、とびきりのカンタービレのご指南です。これが出来るようになれば、きっとニューフィルの音楽はよりダイナミックなものに変わっていくことでしょう。これも、「残りは明日」です。
 これからの練習も、気の抜けない真剣勝負が待ってそうですね。
aventure number : 1663 date : 2011/2/12


今日の禁断 コーヒー

 そして、指揮者練習2日目です。午前中はチャイコフスキー、午後はヴェルディとブラームスというスケジュールですから、私はゆっくりお昼を食べて、ニューフィル用とパリンカ用という2種類の荷物をもって出発です。ニューフィルの方は楽器とパート譜、スコアなどですね。その他に雑多な資料なども入っていますから、1週間ぐらい外泊が出来るほどの量の荷物になってます。パリンカは、演奏会1回分の楽譜(これが結構な量です)と、小さなキーボード、それとメトロノームなども用意します。パート練習に使ったりするんですよね。
 若林に着いたときは、ちょうどチャイコフスキーの練習が終わったところ、みんなご飯を食べにホールから出て行ってしまったので、ステージには私一人だけが残って、思う存分音出しが出来ました。ホールをまるまる借り切って個人練習ですから、なんと贅沢な。
 そして、レストランでの食事に時間がかかったということで、10分押しで午後の部が始まりました。まずはヴェルディから。やはり、まずは全曲を通して、きのうのリハーサルの成果を確認です。冒頭の打楽器は、きのうあれだけ突っ込まれたので、緊張の極致、なかなかうまく合いません。しかし、時任さんは、指揮者に合わせるのではなく、自分たちで合わせるように、根気よく指導、さらに、一番目立つ楽器に他の楽器が合わせるようなサジェスチョンを与えます。すると、見違えるような出来になりましたよ。なにか、みんなホッとしたような感じでした。
 しかし、今日はトロンボーンがつかまってしまいましたね。「なんか、音階が変ですね」と言いだした時任さんは、トロンボーンを一人ずつ吹かせます。確かに、減七の分散和音なのに、微妙に違っていましたね。なんとも、珍しいことです。
 次のブラームスでは、ヴィオラとチェロが、最後の6連符→4連符のリタルダンドというところで、なんとプルトごとに弾かされていました。これは怖いですね。管楽器は別に一人で吹かされるのはなんともありませんが、弦の人がこれをやらされるのは、かなりかわいそう。しかも、そのあとは声に出して歌わされたりしていました。こんなことをさせる指揮者は、最近ではいませんでしたね。大昔にトヨタでやってきたK分さんという方が、似たようなことはやっていましたが。まあ、これも一つの経験です。頑張りましょう。
 結局、練習全体も正確に10分押しで終わりました。それからあとかたずけをして、そのまま今度はパリンカの練習場に向かいます。こちらは、うって変わってのアトホームな雰囲気の中で、和やかに新しい曲のパート練習やら、全体練習では、しばらくやっていなくてほとんど初見状態の曲などを、忘れないように、と練習です。確かに、これは前に1回だけ練習して、あとはずっとやっていなかったものですが、しっかり覚えていましたね。最近は、合唱の方でも譜読みの勘が戻ってきたようで、このくらいの曲だったらなんなく初見で歌えるようになっているのはうれしいことです。
 練習が終わると、「役員会」です。一応、私もなぜか「役員」に名を連ねるようになってしまったので、付き合わなければなりません。しかし、うれしいことにその会場が、すぐそばの「レストラン・パリンカ」なのですよ。その名の通り、ここのシェフはパリンカの元団員ですので、なにかと便宜をはかってくれて、こんな夜遅くなのにしっかりテーブルを用意して待っていてくれました。そう、その「役員会」では、希望すればレストランの料理も食べられるのですね。もちろん私も頂きました。前菜にマメのスープ、メインはパスタ、それに、特別にチョコレートケーキのデザートがついて、1260円ですって。これだったら、毎週「役員会」でもいいですね。ニューフィルみたいに時間もかけず、食事が終わるころには議事も終わっている、というスマートな進行でしたしね。
aventure number : 1664 date : 2011/2/13


今日の禁断 チリドッグ

 今乗っているノートが車検を迎えました。そこで、日産の人が代車として貸してくれたのが、キューブでした。本当は同じ車種が理想ですが、出払っていてそれしかなかったのだとか、それでなければ軽になってしまうので、仕方がありません。私はともかく、愚妻は軽には乗りたくないでしょう。というか、もしかしたら軽に乗ったことなんかなかったかも。
 ノートもキューブも、ベースはほとんど同じだと聞いていたので、そんなに違和感はないだろうと思ったのですが、実際に乗ってみるとかなり違っていましたね。車高がずいぶん高いものですから、なんだか視界が違って見えます。それと、最大の違いは、シフトレバーが床ではなくハンドルの横に付いている「コラムシフト」だという点です。私も、この言葉は久しぶりに聞いたぐらい、もはや今の車にはほとんどなくなってしまったと思っていたものが、まだ残っていたのですね。でも、私が免許を取った頃は、実はこちらの方が主流でした。フロアシフトなんてものは、ごく一部のスポーツタイプの車にしか装備されていなかったものでしたよ。あ、もちろん、オートマチックではなく、マニュアルのギアチェンジです。「バック」は手前に引いて上に上げる、とか、「ロー」から「セカンド」にシフト・アップする時には、手前の下にあったレバーを、一旦真ん中にもってきて向こう側に押し込み、さらに上に上げる、みたいなたいへんなことをやっていたはずです。もちろん、その間にはクラッチ・ペダルを踏んでいるんですよね。今、そんな面倒くさいことをやれと言われても、とてもできません。
 でも、今回のオートマチックのコラムシフトを使っていると、そんな大昔のシフトレバーの感覚がよみがえってくるのですから、面白いものですね。1回覚えたものは、体が忘れないのでしょう。ただ、やはりすっかりフロアシフトに慣れてしまっていますから、バックの時などについ左手が床のあたりにさまよってしまうのは、仕方のないことです。
 ということで、旭ヶ丘でのニューフィルの練習にも、キューブで行くことになります。予定では前半のヴェルディだけの出番だったのですが、後半のチャイコフスキーも1番がお休みになって代吹きですから、フルに出番になってしまいました。そうなってくると、晩御飯を食べるのが遅くなりそうなので、たまには練習前にどっかで食べて行くことにしましょうか。という時に行くのが、鶴ヶ谷の入口にある「フォレオ」です。イメージ的にははるか遠くにあるように感じますが、新しい道路が出来てからというもの、台原からたった5分で着いてしまうほど近くなってしまいました。旭ヶ丘にだって、10分あれば着けますから、そこの「モス」あたりで食べてから行っても、充分に練習には間に合うことになります。そんな予定を組んで、駐車場には音出し20分前には到着出来ました。正確には、6時39分にゲートを通ったんですね。
 おとといまでみっちり時任さんに絞られたせいでしょうか、出席はあまりよくありませんでしたね。最初のうちは、前の方はスカスカ、ヴェルディに必要な打楽器もいませんでした。まあ、そのうちにぼちぼち集まってきましたが、なんかいまいち乗れないままにヴェルディは終わり、チャイコフスキーは、私にとっては指揮練での代吹きのリハーサルのつもりで、頑張りましょう。とりあえず、1楽章はソロもそつなく吹けましたから、大丈夫なのでしょうが、問題は2楽章と4楽章、これは指揮練でのぶっつけになるのでしょうね。
 普通に終わって、何も考えずにそのまま帰り支度をして駐車場に行ったら、時計が9時39分になっていました。ここは1時間ごとに料金が上がるので、今精算すればギリギリ3時間分で済みます・・・と思って駐車券を入れた時には、もう9時40分になっていました。たった1分の違いで、1時間分の料金が加算されてしまうなんて(まあ、100円だからいいんですが)。
aventure number : 1665 date : 2011/2/15


今日の禁断 パリンカ

 車検に出したノートが帰ってきました。やっぱり、いつもの車はいいものですね。しかも、点検の時に注文を出しておいたところが見事にクリアされていて、生まれ変わったような乗り心地になっていましたよ。それは、ブレーキのちょっとした不具合でした。いや、別に問題があるというほどではなかったのですが、なんか、感覚的にちょっとへたっているな、と感じられるところがあったのですよ。ブレーキをかけた時に、なにかざらざらした感覚が足の裏に伝わってくるのです。なんか、ディスクとパッドの間に異物が入っているような、そんな感じでした。そのことを、点検ごとに何度も営業の人に伝えたのですが、その人が運転してみると特に異常は感じないというのですね。まあ、おそらくその程度のことなのでしょう。単に私が神経質だけなのかも。
 しかし、せっかくの車検ですから、ここは徹底的に見てもらいたいものです。私があまりしつこく言うもので、営業の人も「では、ディスクの表面を研磨してみましょう」とか言ってくれましたので、それでお任せすることにしました。確かに、タイヤ交換の時に、なんだか少しサビが出ているような気がしていましたから、そこを磨くだけでなにかが変わるかもしれません。
 そして、帰ってきた車に乗ってみると、ブレーキ回りが改善されているのはすぐに分かりました。ペダルを踏んだ力が、そのまま伝わっていく感じ、これは、確かに新車の頃にはあった感覚でした。やはり、他の人には気づかなかったことも、長い間一緒に走っていると分かってくるものなのですね。これで、何のストレスも感じないで運転を楽しめそうです。
 長年使っているものは、他にもあります。まず、フルートでしょうか。私の愛器「パウエル」は、もうすっかりなじんで、逆に楽器の方から私の吹き方に注文を付けてきます。それに従って微妙な手直しをやっていると、みるみる音がよくなっていくのが分かります。以前の「ムラマツ」は、ちょっと気取っていて、なかなかそこまでの関係にはなれませんでしたね。ただ、ピッコロはちょっと微妙。以前に比べたら格段に吹きやすくはなってきたのですが、ほんのちょっとした加減ですっかり調子を落としてしまうことがたまにあるのですよ。そうなると、いくらなだめすかしても元には戻りません。ちょっと放っておいて、また無心に取り組むと、いつもの調子を取り戻すのですがね。
 それより手に負えないのが、私の「声」です。楽器ほどには手をかけていないし、そもそも、どうしたらいい「音」が出るようになるのかなんて、全く分かりません。しかも、ある程度コントロールされた声が出るようになるのは、歌い始めてからしばらく経ってからなのですね。どのぐらいのウォーミング・アップをすれば、そんな状態を作れるのか、いまだに手探り状態で、なんとか他のみんなに迷惑をかけないで合唱の中で歌っている、という感じですね。
 そんな私が、なぜか、セカンドテナーの「サブ・パートリーダー」というものになってしまいました。「サブ」というのは、一応今までのパートリーダーはいるのですが、多忙でなかなか練習に出て来れないので、それを補助するためにパートリーダーに代わってパートの面倒を見る、ということなのですよ。つまり、音取りの指導をしたり、パートの声をまとめたり、という仕事ですね。そんな大役、務まるのかな、と、不安でたまりません。まあ、開き直って、決して背伸びをしないで、出来ることだけをやってみよう、と考えているところですがね。
aventure number : 1666 date : 2011/2/17


今日の禁断 盗撮


 愚妻が明日本番だというので、今日は最後の練習、午後からまるまる夜まで時間が空いてしまいました。久しぶりに、映画でも見に行ってみましょうか。ほんと、このところそんな時間は全くありませんでしたから、せっかく溜めていたポイントも有効期限が切れてしまいましたよ。この際ですから、ずっと見たいと思っていた「白夜行」でも見てみましょう。
 時間を調べてみると、もう公開が始まってだいぶ経つので1日2回のシフトになっていました。しかも、上映時間が2時間半もありますよ。ですから、映画を見終わってそのまま帰ってこないと、練習のお迎えに間に合わないという、ギリギリの時間でした。でも、最近使っている新しい道路を使うと、利府がずいぶん近くなっていますから、大丈夫でしょう。ほんと、この道路の恩恵は驚異的、新幹線が「はやぶさ」なんて大騒ぎしていますが、あれなんか仙台−東京間だと5分しか早くなりませんが、こちらは15分は早まりますからね。
 この作品はもちろん東野圭吾の原作はだいぶ前に読んでいました。まるで聖書のように分厚い本でしたから、これを映画にするのはそもそも無理なのではないかと思っていましたが、普通より長い2時間半という尺で、どこまで原作に迫れるのか、というあたりが、最大の見どころでしょうね。思っていた通り、原作のエピソードは半分以上刈り込まれていましたね。まあ、亮司に関するこまごまとした「事件」は正直煩わしいだけなのでカットしてもそれほどの問題はないのでしょうね。しかし、前半の雪穂の周りに起こる「事件」については、おそらく原作を読んでいないことにはいったい何が起こって、それがどういう意味を持っているのかを知るのは、かなり困難になってくるのではないでしょうか。これが、いつも感じる映画化の時の制作者の独りよがりの現れです。作っている人は、どんな場合でも「初めて見る観客」にはなりえないのですよね。当然彼らはすべての成り行きを知っているわけですから、何も知らないという気持ちをもって作ることがそもそも不可能、こういう不親切な作り方は永遠に解消されないのでは、と思ってしまいます。
 原作をカットしただけではなく、設定を変えてしまったところもかなりありましたね。まあ、それも仕方のないことなのでしょうが、最後の笹垣の亮司に対する「呼びかけ」は、ちょっと理解不能です。彼がなぜ亮司に対してこれほどの気持ちを抱くようになったのかは、原作では語られてはいませんし、この映画の中にもそんな伏線はどこにもありませんでしたからね。
 堀北真希が雪穂を演じると知った時には、冗談だと思ったものです。確かに彼女は「美少女」ではありますが、同時になんとも親しみやすい一面ももっているのではないか、と常々感じていましたからね。そういうキャラに雪穂を演じるのは無理な話、実際に映画を見ていても、「冷たい女」というものを一生懸命演じているのはよくわかるのですが、たとえば顔の下半分のふくよかな部分などが、それは絶対無理なことを物語っているものですから、なんとも悲惨でした。
 音楽は、久しぶりに物語を邪魔しない、それでいてその場の雰囲気を的確に語っている素晴らしいもののように、最初のうちは思えました。コントラバスをメインにした渋いアレンジが、なかなか光っていたな、と。しかし、これも、最後の方になるとやっぱり音楽が出しゃばって来て、なんとも場違いなクライマックスを作り上げているのですから、がっかりです。もはやまともな「映画音楽」を作れる人は、いなくなってしまったのでしょうか。
aventure number : 1667 date : 2011/2/19


今日の禁断 ロリポップ

 パリンカのチラシに載せる写真を修正したのは以前のネタでしたが、あの時渡されたのはサービス版にプリントした写真でした。ちょっと小さめだったので、目いっぱい解像度を上げてスキャンしたものを使っていました。それは、チラシには問題なかったのですが、ポスターにするとちょっと粗さが目立つというので、再度、今度は元のデータを借りて、大きく印刷できるものを、同じように修正しました。
 そのCD-Rは、去年の定期演奏会の時の写真集でした。それを見てみたら、全部で80枚以上、せっかく頼んで撮ってもらったのに、団員の中では公開されていなかったようなので、いっそこれをネットにアップして、ダウンロードできるようにしてみようと思いました。って、勝手にそう思って、ダメモトで作業を進めてみたのですよ。「必要ない」と言われても、別にその分私のスキルが上がるので、無駄にはなりませんし。
 ニューフィルでやっているのと同じやり方、エクスプローラーで写真ファイルを全部開いたものを画像にして、それをサムネイルの見本にし、その中からいいものを選んでダウンロードしてもらう、という方法です。今回、それをもっと発展させて、その画像にイメージ・マップで領域を指定して、サムネイル1枚ずつから、個別の写真にリンクを張る、ということをやってみました。ただ、問題は、今使っているヤフーのブリーフケースだと、画像そのものにはリンクが張れないのですよね。URLがしばらくすると変わってしまうのですよ。仕方がないので、写真が表示されるページにリンク、そこを1回開いてもらって、画像をダウンロードというちょっとめんどくさい手順を踏んでもらうことにしました。
 きのうは、愚妻の合唱団のコンサート、会場に送って行ったあとはヒマなので、そのサイトの手直しなどをやっていると、ふと、レンタルサーバーって、どんな感じで借りられるのか調べてみたくなりました。そうしたら、なんと1ヶ月100円で2GBのサーバーが借りられるところがあるのが分かりました。これだったら、ヤフーなんかよりずっと使いやすいはずです。それを思いついたのが11時ごろ、コンサートは2時からですから、あまり、というか、ほとんど時間はありません。しかし、それからそのサーバーを借りる手続きをして、FTPを設定、画像ファイルを送りこんでサイトのリンクを写真の枚数分直す、という一連の作業を昼ご飯を食べる暇も惜しんで(結局、カップ麺でした。こんなことを思いつかなければ、「とらの子」あたりでゆっくりたべていたのに)続けた結果、なんと、1時にはすべて終わってしまいましたよ。これで、夜のパリンカの練習の時には、みんなに連絡できます。担当者の了承が得られたら、ですが。
 そして、大急ぎでコンサートに向かいます。

 日本の曲、外国の曲、さらにはアニソンまで、バラエティに富んだ、というより、一歩間違うと散漫になってしまいそうなプログラムでしたが、それぞれにこの合唱団の持ち味がよく出ていて、最後までとても楽しむことが出来ました。いや、最初のうちは多少身構えて、細かいところが気になっていたのですが、聴いていくうちに次第にとても暖かい気持ちにさせられてくるのですね。聴き終ったら、なんかとても安らかな思いになっていましたよ。そんな中で、一番手ごたえを感じたのが、この写真のウカシェフスキでした。
 会場に、「担当者」が来ていたので、写真のことはその場で了承してもらえました。そんなわけで、パリンカのサイト、認証用のサイト、そしてデータ収納のサイトと、3つのサーバーを駆使してのダウンロード用のページが稼働を始めました。ニューフィルも、次回からはこれでやってみましょう。
 今、新サーバーの案内を見なおしてみたら、ここではベーシック認証が使えるだけではなく、.htaccessファイルや.htpasswdファイルを簡単に設置できるツールまで備えてあるんですね。これは、思いっきり使い倒せそう。
aventure number : 1668 date : 2011/2/21


今日の禁断 第九

 秋の定期で演奏することになっているブルックナーの8番について、いろいろ調べているところです。まず、その最も基本的な楽譜に関する事柄は、こちらにアップしてありました。もちろん、それは、団内の会報「かいほうげん」に掲載したもののコピーだったわけですね。それをお読みになった団員の方が、「こんな情報もあります。役立てて下さい」と言って教えてくれたのが、指揮者の高関健のツイッターです。彼が、ブルックナーの8番周辺の楽譜の問題についてつぶやいたものをひとまとめにしたサイトですね。高関さんといえば、このような楽譜に関するこだわりはかなりマニアックなところがあるのは知っていましたから、興味深く読ませて頂きましたよ。言ってみれば「答え合わせ」のような感じ、それぞれの稿、版の成り立ちについて、私が今までに知り得たことに間違いはなかったか、という確認の作業になるわけですね。たまに、ネットのいい加減な情報を真に受けてひどい目にあったりしますから、これは本当に役立つ情報でした。
 ところが、最後の方になって、私が全く知らなかったことが登場してきます。第2稿のノヴァーク版を使っているチェリビダッケが、第1楽章の5小節目と6小節目に入っているクラリネットを、ファゴットに変えている、というのですね。しかも、音まで違っているというのです。さっそく、1990年のミュンヘン・フィルとの東京ライブCDを入手して、確認してみました。いやあ、びっくりしましたね。高関さんも、これを初めて聴いたときにはぶったまげたと言っていましたが、その気持ちがよく分かります。もっとも、私の場合は、この演奏はNHKで何度も放送されて聴いていたのに、その頃は別に「8番」、いや、ブルックナーそのものをこんなにマニアックに聴いてはいませんでしたから、全くなにも感じなかったのが、最近になってやっとそんな境地になれた、というだけのことなのですがね。確かに、チェリビダッケは音を変えていました。楽譜では「G-G-D-D」という5度の上向音程なのですが、聞こえてきたのは「C-C-G-G」という、5度下に移調した音型だったのです。音も聴けます。こちらが、スクロヴァチェフスキの普通の演奏(クラリネットがよく聞こえます)、そしてこちらが、チェリビダッケの演奏です。
 楽譜で確認です。これが、ノヴァーク版のスコアの最初のページです。クラリネットは移調楽器ですから、B♭管で吹いているときには楽譜よりも全音低い音が出てきます。記譜は「A-E」でも、実音は「G-D」になるのですね。

 一方、チェリビダッケがやっているのは、こうなります。

 ここではファゴットのパートは「へ音譜表」に書かれていますから、これで「C-G」になります。ということは、どちらも音符が「第2間」と「第4間」にあって、その場所だけ見れば全く同じ譜面になっていますね(実は、下の楽譜も上の楽譜のクラリネットのパートをファゴットの部分に張り付けただけです)。

 これは、第1稿のスコアです。ここではこのクラリネットは入っていません。改訂の時にブルックナーが新たに加えたのですね。その際には、第1稿の写筆稿の上に書きこんでいったそうなのですが、その時に1段間違えて、ファゴットの段に書くべき音符をクラリネットの段に書いてしまったのでは、というのが、高関さんがチェリビダッケの変更から導き出した結論です。こうすることによって、ソロの管楽器が低弦の「C」とヴァイオリンとホルンの「G」によって作られている「C-G」という「空虚5度」の中に入ることになって、整合性が取れますし、その先ffになって同じ形が繰り返されるところでも、トロンボーンがやはり「空虚5度」の中の音形を演奏していることとも呼応している、と、高関さんはつぶやいています。
 高関さんは、実際にこのファゴットによる「C-G」を、演奏会で実践しているそうです。末廣さんは、どのようにされるのでしょうね。
aventure number : 1669 date : 2011/2/23


今日の禁断 ジュラシック・パーク

 きのうの「てっぱん」では、村上錠がとうとうやってくれましたね。これまでの展開では、このドラマのオープニング・テーマがとんでもない意味を持っていたことが明らかになっていました。「ひまわり」という名前のその曲は、なんと、あかりの実父である作曲家が、あかりの実母のために作ったものだったのですね。それをプレゼントされたあかりは、トランペットで演奏して、みんなに聞かせます。もちろん、錠もそれを聴いて、複雑な思いに駆られるのでしょうね。そして、尾道に帰ってきたあかりの前で、この曲をハミングしてみせるのです。「ここまで覚えたんじゃ。いい曲じゃな」とね。いやあ、いい話じゃないですか。養女のあかりとは違って、音楽的な素養は全く持ち合わせていない錠が、うろ覚えの曲を一生懸命練習して、あかりの前で口ずさむ、これは、並大抵の努力で出来ることではありません。そこに、錠ならではのとびきりの優しさを感じて、全国の視聴者はテレビの前で涙するのですね。まあ、パターンっちゃあパターンですが、この黄金のプロットこそが、NHK朝ドラの命なのです。
 ところで、この時に錠がハミングしたメロディは、その前のシーンで流れていたトランペットによるEs-dur(楽譜はF-durですが、B♭管のトランペットで吹いているので、出てきた音は1音下のこの調になります)のものと全く同じキーであることには、驚かされます。しかし、それより驚いたのは、一部でメロディが変わっていたことでしょう。オリジナルは移動ドでは「ソ・ド・ソ・レ・ソ・ファ・ミ・ド」(→音源)なのですが、錠が歌っていたのは「ソ・ド・ソ・レ・レミ・ファ・ミ・ド」(→音源、ちょっと聴きとりずらいかもしれません)と変わっているのです。これを聴いて私が思ったのは、錠はなにかほかの曲とごっちゃになっているのではないか、ということでした。たとえば、キーは違いますが、あまりに有名なこの曲「ファ・ド・ソ・レ・レミ・ファ・ミ・ド・レ」(→音源)なんかとです。
 おそらく、橘公一(決して、葉加瀬太郎ではありません、なんてね)がこの曲を作った時も、頭のどこかに、このジョン・ウィリアムスのメロディがあったのではないでしょうか。
 ところで、この間契約した新しいレンタル・サーバーは、とても使い勝手がよくてすっかり気に入ってしまいました。この前の.htaccessだって、ディレクトリを指定してIDとパスワードを入れてやるだけで、瞬時に出来てしまいましたからね。このファイル、絶対パスなどを書かなければいけないのですが、それが意外と面倒なのですよ。それが、なにも考えなくても自動的に生成されているのですから、すごいものです。そこで設定したパスワードを使って、たとえば「かいほうげん」をダウンロードできるようになるかもしれませんから、楽しみにしていてください。もっとも、「かいほうげん」だったら団員には現物が渡っているので、あえてサイトから入手する必要もないかもしれませんがね。まあ、身元のしっかりした人で、どうしても読んでみたい、などという人がいたら、こっそりパスワードを教える、みたいな使い方でしょうか。
 もちろん、容量も問題ありません。この前のパリンカの写真などは楽々収納出来ていますし、今までは容量オーバーが気になってなかなか使えなかった、さっきのような音声ファイルも、こちらに入れておいてリンクすれば、何の気兼ねもなくバンバン使えるようになりました。実は、前回のブルックナーの音源なども、すでにこちらを使っています。いっそのこと、サイトを丸ごと引っ越してしまった方が、容量の心配をする必要がなくてありがたいのですが、全文検索やアクセス解析のこともありますし・・・。
aventure number : 1670 date : 2011/2/25


今日の禁断 サン・サーンス

 最近、パソコン関係のトラブルが頻発しています。と言っても、パソコン本体ではなく、ソフトや周辺機器なのですがね。本体は今のところ、何のストレスもなく軽やかに働いてくれていますから、なんの問題もありません。最初におかしくなったのは、このサイトを作るときにも使っている、ホームページの作成ソフト「ホームページ・ビルダー」です。テキストを張り付けたりといった、なんということはない操作をしただけで、フリーズしてしまうのです。それが急に来ますから、保存してなかったりしたファイルは、もう1度最初から更新し直さなければなりません。それも、同じ手順でフリーズしたり、という繰り返し、全く更新が出来なくなってしまったので、その日はもうサイトの更新はあきらめようとさえ思ってしまいましたよ。結局、HTMLファイルをテキストファイルに直して、そこからタグを直す、という最後の手段を使って、なんとか更新は出来たのですが、これからもこんな面倒くさいことを続けていかなければならないのか、と思ったら、暗澹とした気分になってしまったものです。
 なんせ、今使っているバージョンは、今から10年ぐらい前のものですからね。その頃買ったIBMのノートパソコンに、インストール用のCDロムと一緒に付いてきたのを、そのまま使っています。その頃のOSはWIN98ですから、いまの7とは相性が悪いのかもしれませんしね。ただ、かなり前に同じようなトラブルがあった時に、修正プログラムをインストールしたら解決したことがあったのを思い出しました。でも、もはやこのソフトはIBMの手を離れて、別のところが扱うようになっていますから、そんな昔のバージョンのサポートなんかやっているのかな、と思いつつ探してみたら、なんと、IBMではこれよりももっと前のバージョンからの修正プログラムを、ちゃんと提供してくれていたのですね。まあ、これだけの人気ソフトですから、そういう需要はまだあるのでしょう。それをダウンロードしてインストールしたら、全く何事もなく使えるようになったので、一安心です。
 もう、そんな古いバージョンは見限っては、というサインかもしれないと、最新の、今ではジャスト・システムズから発売されている「15」というバージョンのことを調べてみたら、なんだかものすごい進歩を遂げているような感じでした。CSSなども、簡単に利用できるようになっているみたいなのですね。そこで、本屋さんに行った時に攻略本を立ち読みしてみたのですが、なんだか、中身自体は前とほとんど変わっていないようでしたね。CSSにしても、テンプレートが付いてくるだけというのですから、別にそんな画期的なものでもありません。こんなものをヘタにインストールして、使い勝手がガラッと変わってしまうよりも、今のものを使い続ける方がずっと楽だな、と思ってしまいました。
 もう一つのトラブルは、USBメモリーです。自宅と職場のパソコンで同じデータを扱うために、これはもう欠かせないものとなっていたのですが、それが全く認識されなくなってしまったのですよ。まずフォーマットをしてくれ、という指示が出てしまいます。そんなことをしたらデータが全部消えてしまいます。いや、実はこのメモリーは、以前も一つのフォルダーだけ丸ごと消えてしまった(正確には、正体不明の別のファイルに変わっていた)、ということがあったのです。どうやら、USBメモリーには寿命というものがあるのだそうですね。書き込みの回数が限られているというのですよ。私の場合は、データをハードディスクに移さずに、そのままUSBメモリーの中で更新などをしていましたから、確かに書き込みの量はかなりのものになるはずです。これからは、そういうことはしないように、という、これもサインだったのでしょうね。
 データが消えた時には途方に暮れてしまいました。ここにしか保存していなかったものがかなりあったのですよ。特に、ニューフィルの曲目を決める時の資料などは、すごく面倒くさい手間をかけて作ったものですから、それを最初から作るなんて、考えただけでも気が遠くなります。でも、探してみたら、今のメモリーの前に使っていたものに、ほとんどすべてのデータが残っていたので、最悪の事態は避けられました。でも、「おやぢの部屋」1回分は、丸ごと最初から思い出しながら書きなおさなければなりませんでした。これからは、しっかりバックアップを取れというやはりサインだったのですね。
aventure number : 1671 date : 2011/2/27


今日の禁断 DATE FM

 最近のテレビドラマは、「音」にもずいぶんこだわっているんですね。いつもの「てっぱん」ですが、このまえ錠のセリフ、ではなくてハミングを取りこんでみたら、まわりのSEがあまりに大きかったものですから、音だけ聴いたら肝心のそのハミングがほとんど聴こえなくなっているほどでした。不思議なもので、画面と一緒に聴いているとはっきり聴きとれたものが、画面がなくなってしまうととたんにまわりの音にマスクされてしまって聴きずらくなってしまうんですね。「カクテルパーティー効果」でしたっけ。雑踏の中でも目の前の人の声は選択的に聴きとれるという能力が、我々には備わっているのですね。
 今日だって、「古くなった冷蔵庫などを御引き取りします」という、廃品回収のマイク音は、てっきり自宅のそばに本物の業者が来ているのだと思ってしまいましたよ。同じような声のテープを使った車がよく来てますからね。でも、再放送の時にも全く同じ声が聴こえてきたので、これはドラマの中で流れている音だったのだと、気付きました。気を付けて聴いていると、本当にいろいろの「音」が、まわりから聴こえてくるのが分かります。それが、とても自然なんですよね。こんなにセリフ以外の「音」について手をかけるようになったのは、いつ頃からなのでしょうね。それと、スタジオに作ったセットだって、細かいところまでものすごく気を使っているのが分かります。こんなところ、誰も見ていないのに、なんていうところまでしっかりこだわっているんですよね。尾道の村上家には、「尾道信用金庫」のカレンダーがしっかり貼ってありますしね。
 ですから、それだけまわりが高いレベルでの仕事をしているにもかかわらず、肝心のドラマの台本がいい加減なのが、すごく残念なんですよ。あと、なんとか視聴者から笑いを取ろうとしているのがミエミエというのも、非常に見苦しいですね。それを考えると、「ゲゲゲ」で時たまさりげなく出てきたギャグは、秀逸でしたね。「嫁なら読め!」というのは、今でも強烈に残っていますよ。それを真似して、ダウンコートの色を黒と白のどちらにしようか迷っていた愚妻に、「白にしろ!」と言ってしまったぐらいですから。
 ラジオのCMなんかでも、とてもマニアックで面白いのはたくさんありますよね。なんと言ってもすごいのは、達郎の番組の時のジャックス・カードのCMでしょう。「吾輩は寝込んでいる」とかね。ただ、実際はつまらないCMの方がはるかに多いのは、仕方のないことでしょうね。なんと言っても、CMで要求されるのは「面白さ」よりも「訴えかける力」なのですからね。くだらないとは分かっていても、強引に押し通すことが必要なところの方が、圧倒的に多いのでしょう。
 ただ、本当に困るのは、当人たちはあくまで真面目になにかを訴えたいと思って作っていても、それが聴く者には全く伝わらないという、いわば作り手の「勘違い」でしょう。その最たるものが、この地方の民放ラジオでは30分に1回は必ず流れてくる、こんなCM(→音源)です。これにはいろんなバージョンがあって、これはスポンテニアのMCが入っていますが、オリジナルは後半の高校生のつたないアナウンスだけが入っているものです。なにが勘違いって、この内容を訴えるのに、この音楽はないでしょう。どうですか?こんなノーテンキな音楽をバックに「飲酒運転、根絶」なんて言われたって、たちの悪い冗談にしか聴こえないのではないでしょうか。というか、なにがなんでも音楽を付けなければならない、という発想がそもそも勘違いです。それと、この高校生の、いかにもスタイリッシュを装ったアナウンスです。ここに高校生を使ったことの意味は、もちろん私は痛いほど分かっています。だからと言って、こんなファッションだけを優先させたような語りをさせることに違和感を抱かないほどの「勘違い」に陥っている制作者は、絶対、心の深いところで病んでいます。
aventure number : 1672 date : 2011/3/1


今日の禁断 シュッツ

 6月に定期演奏会が行われる合唱団パリンカでは、もう先週の練習の時にチラシが出来上がって、みんなに渡されました。本番の4か月前に、すでに臨戦体制に入っているのですね。今年は会場が青年文化センターのコンサートホールですから、少しでも早く準備を進めて、たくさんのお客さんを集めようということなのでしょう。800人入るホールですから、500人以上は入らないことには、なんともさびしいことになってしまいますからね。ほんと、毎年ここで別の団体のコンサートをやる時には、300人いるかいないか、という状態で、いつもわびしい思いをしていますからね。いつぞやは、ステージのすぐ前で子供が走り回っていましたからね。いや、パリンカの場合は、出演者がホール内を走り回っているかもしれませんよ。
 仙台ニューフィルの場合は、もうすでに本番まで2か月を切ってしまったというのに、やっと今日になって印刷物が出来上がってきました。ちょっとのんびりし過ぎ、なにしろ、いつも月刊誌にチケットプレゼントの案内などをお願いしていますから、下手をすると締め切りに間に合わなくなってしまいますからね。気が気ではありませんでしたよ。
 それでも、私としては、物が出来上がりさえすればすぐにでも行動が起こせるように、準備はすべて整えておきました。企画書とか、案内状は印刷を終え、封筒に貼るあて名シールも打ち出してあります。そして、今日の午前中に、事務局から印刷物が届いたという連絡が入ったので、すぐさま仕事を抜け出して車で事務局へ向かいます。といっても、歩いても1分ぐらいで着いてしまうほど近いところに、その「事務局」はあるのですがね。そこで出来上がったばかりのチラシの束と、大きなポスター、プレゼント用のチケットと、必要な封筒類を頂いて、職場に戻り、あとはひたすら封筒詰めです。送り先によって微妙に中身が違いますから、間違えないように細心の注意を払います。お昼前にはコンビニに行ってそれをメール便で送って、作業は完了です。
 と、物さえそろえばあとは何度もやっていることの繰り返しですから、仕事はすぐに終わります。というのは確かに効率的なことではあるのですが、やはり私にとっては少しオーバーワークかな、とは、ずっと思っていたことでした。昔は「かいほうげん」だけを作っていればよかったものが、いつの間にかこういう表向きの「広報」まで私がやらされるようになってしまったのですよ。さいわい、ニューフィルの中では、そういう仕事の偏りを是正しようという動きが出てきているようですから、次回あたりからは解放されることを期待しているのですがね。
 これが、出来上がったチラシです。いつもながらかっこいいですね。どっかの教会の天井のドームなのでしょう。今回は序曲が「夕べの祈り」ですし、中曲は「コラール」をテーマにした変奏曲なので、こういう宗教的なコンセプトになったのでしょうかね。

 ただ、メインの交響曲は、特に宗教的な意味合いはないはずです。使われているテーマは、どちらかというと「民謡」っぽいものですからね。でも、そのあたりは、デザイナーのK君は抜かりはありません。なんと、このドームは、しっかりその作曲家の肖像画が描かれているという、彼にはとてもゆかりの深いところだったのですからね。
aventure number : 1673 date : 2011/3/3


今日の禁断 多賀城

 NHK-BSの音楽バラエティ(と言うんだかなんだか)「名曲探偵アマデウス」については、以前こんなことを書いていましたね。2年前のことです。実は、その1年ぐらい前にすでに始まっていたこの番組を、私はやっとこの頃から見るようになっていたのですね。それ以来、ほとんど欠かさずに見てきましたが、まさかこんなに長いこと続くなんて、思ってもみませんでしたよ。その間には、「所長」のファッションも、さらにケバくなっていきますし、「響くん」も、この頃のような丸顔ではなくなっていきましたね。実は、この間2時間ドラマを見ていたら、顔は全く知らない人なのですが、声が確かにどこかで聴いたことのある人、というのが、看護師役で出ていたのですね。顔もよく見るとなんだか面影がいつも見ている人だった・・・うーん、誰だったかなあ・・・と思いつつ記憶をたどってみたら、この「響くん」だったのですよ。こんな明るい「助手」とは全く違った暗い役だったので、分からなかったのですね。芸の幅も広がってきたのでしょう。
 先ほどのエントリーに書いたのは、私が見るようになる前に放送された分で、指揮者の新田ユリさんが出演している回があったので、再放送をやってくれないかな、ということでした。今は、野本某という、いかにも一昔前の「音楽評論家」然とした不細工なおじさんが出てきて、ピアノを弾きながらアナリーゼを行う、というのがパターン化していますが、最初のころはいろんな人が出てきて、それぞれの専門分野でお話をしていたのですね。この時はシベリウスの「フィンランディア」がテーマだったので、日本における若手のシベリウスの第一人者、新田さんに依頼がきたのでしょう。まだ見ることのなかったこの放送がオンエアされたのが、2008年の6月6日、実はこの時期、ニューフィルでは新田さんその人と一緒に練習をしていたのですよね。10月には、チャイコの1番とか「アンタール」をやっていますからね。
 それ以来、心待ちにしていた再放送が、ついにおととい、行われました。苦節2年半(ちがうか)、やっと願いがかなうことになったのです。ひとしきりいつものドラマ(?)が続いた後、デュトワとN響の演奏で(高木綾子さんが、トラで乗ってましたね)「フィンランディア」が始まり、新田さんの出番です。





 ここで新田さんは、この曲に込められた「リズムの秘密」を、説明されていました。ピアノを弾いたり、時には、右手で指揮、左手でピアノといった「技」を使って、さすが、いとも分かりやすい説明でしたね。野本某のようなもってまわったしゃべり方などは全くなく、あくまで、いつも指揮をされている時のままのスタンスで、必要なことを的確に話されていたのではないでしょうか。
 この頃の「禁断」では、指揮をされる時のソルフェージュがあまりに素晴らしいので、「指揮者にしておくのはもったいない」などと書いていましたが、こうなると、別の意味で「指揮者だけではもったいない」と思えてしまいますね。あるいは、最近はそんなお仕事も入ってたりして。なにしろ、この時以来、演奏会のたびに新田さんをお呼びしようとしているのですが、ことごとく予定が合わなくて実現していません。そろそろまた、「生」新田さんにお会いしたいものですね。
aventure number : 1674 date : 2011/3/4


今日の禁断 才色兼備

 きのうは、東北新幹線に新しくE-5系の特急「はやぶさ」が運行された日です。そんな記念すべき日に、東京へ行ってきました。それこそ「はやぶさ」に乗っていけば格好のネタになったのでしょうが、あいにく、この日の指定席券は20秒だか30秒ですべて売り切れてしまったそうですから、とても無理な話ですね。でも、とりあえず、ホームではこの新しい新幹線の乗降口を示す案内を、誰よりも早く見ることが出来ました。それがどうした、と言われそうですが。

 私が乗ったのは9時半ごろの「はやて」ですが、座席に置いてあるJRのフリーペーパーでは、「はやぶさ」の特集をしていたので、時刻表が載っていました。それを読んでみると、私が乗った新幹線と、東京からの「はやぶさ」の一番列車が、途中ですれ違うことが分かりました。大体時間を計算してみると、10時15分ぐらいに、すれ違うはず、そこで写真でも撮っておけば、一生の記念になるのでは、と思い立ちました。もちろん、ものすごい速さですれ違うので、見えるのはほんの数秒、でも、あの特徴的な色ですから、きっと分かるはずです。そこで、少し早目、10時10分ごろにはすでにカメラをスタンバっていようと、準備に余念はありません。ところが、なんと、10時8分ごろに、その緑色の車両はあっという間にすれ違ってしまったではありませんか。気が付いた時には、もうすでに影も形もありません。というか、その前に何度か普通の新幹線をすれ違っていたのですが、その時に感じた風圧と、「はやぶさ」の風圧とは、全然違っていたのですね。いともさりげなく、ほとんど音も立てずに通り過ぎた、というような感じです。あの、空気抵抗を極端に減らしたデザインが、こんなところでも効果を発揮していたのでしょうか。というわけで、運行初日の「はやぶさ」の写真はありません。
 東京に行くことになったのは、今日、「コール青葉」のコンサートがあったからです。もちろん、もう私はこの合唱団は「卒業」しましたので、「歌う」のではなく「聴く」ために行ってきました。そうなると周辺から、「サウンド・オブ・ミュージック」がもうすぐ終わる、というような声が聴こえてきました。そう、例の映画にもなった、ロジャース/ハマースタインの名作ミュージカルを、最近あのアンドリュー・ロイド・ウェッバーがプロデュースしたものが発表され、それを「劇団四季」が上演しているのですよ。なにかと評判のこの「ロイド・ウェッバー版」を一度は見てみたいと思っていましたから、この機会に前の日から東京に行って、コンサートとミュージカルを両方楽しんでこようと思いました。ただ、きのうのマチネーはもういい席はほとんど残っていなかったので、ソワレのチケットを取りました。そうなると、結構時間が空くので、せっかくだから、コンサートの前日の練習も見に行けるのでは、と思い、それもスケジュールに入れてみたのです。
 というのも、その会場は、私は実際に行ったことはありませんが、川崎のなんとか会館の「ホール」だというのですね。ネットで調べると平面図があって、どうやら客席は2階までありそう、これだったら、2階席の後の方に忍び込んだら、合唱団のメンバーには気づかれずに練習の様子を見ることが出来るのでは、と思ったからです。貴重な前日練習、変に気を使わせても迷惑でしょうからね。
 会場は、川崎駅から歩いてすぐのところでした。前もって調べていたように、「2階」へ通じる階段を登ってドアを開けようとしたのですが、なぜかカギがかかっています。やはり、こうなると多少目立っても1階の客席に行くしかないのかもしれません。そこで、1階の入り口を開けてみると・・・なんと!そこには客席なんかは全くありませんでした。

 合唱団が座っていたのは、普通は客席として使われるスペース。そこにあった可動式のひな壇みたいな座席をすべて壁に収納して、平らになったところを全部使って、練習を行っていたのですよ。私が入って行ったのは、指揮者のすぐ脇、つまり、合唱団のすべてのメンバーからすぐ見える場所ですから、とんでもなく「目立って」しまいましたね。今さら帰るわけにもいきませんから、覚悟を決めてみんなに見られているところに座って、ひたすら練習を聴く、という状況に耐えなければなりませんでした。なんと恥かしい。休憩時間には、知り合いがみんな怪訝そうに私のことを眺めながら、通って行きます。ひたすら愛想笑いをふりまいて、「明日は頑張ってね」と声をかける私でした。
 2時間ほどそうしていた後、ミュージカルの開演に間に合うようにそこを抜け出し、浜松町の「春」へ向かいます。ここには何度も来ているのですが、客席に入ると、今までここでは見たことのない、オーケストラ・ピットが目に入りました。なんと、このミュージカルはカラオケではなく、生のオケが入っているのですね。知りませんでした。メンバーを見ると、管楽器は「リード」となっていて、どうやら本格的なマルチリードのようですね。あとはサンプリング・キーボードが4台とホーン、そしてほんの少しの弦楽器とリズム、という編成です。これで十分なんですね。なんか、とても得をしたような気分です。
 「ロイド・ウェッバー版」は、オリジナルとはかなり変わっているようでした。もちろん映画版ともずいぶん違います。でも、「My Favorite Things」が、最初に修道院長によって歌われる、というのはオリジナル通りなのでしょう。こんな大事なことを、映画ではカットしていたのですね。確かに、ドラマとしての完成度は、こちらの方が格段に高くなっているようでした。舞台装置も、紗幕を多用して、かなりスマートに転換を行っていましたね。なんと言っても、子役がうますぎ!
 そして一夜が明け、今日はオペラシティでのコンサートの前に、まず荷物を東京駅のロッカーに預けます。昼ご飯を食べようと八重洲口のあたりをウロウロしていると、なくなったはずの地下の「リラックマ・ショップ」が1週間だけオープンしているという案内を見つけたので、さっそく行ってみましょう。

 ショップの脇に、千社札を作る機械があったので、試しに作ってみました。これが、今回の最大の収穫でした。さっそく、ケータイのストラップに貼り付けておきましょう。

 コンサートは、2階バルコニーの正面に座りました。

 こんなところから「自分の」合唱団を聴くのは初めてです。知っている顔が、この立派なホールのステージの上にいるというだけで、なんだかウルウルしてきます。なんたって、客席は3階まですべて満席、1700人ぐらい入っていますからね。2年前までは、私もあの中にいたのですよね。前日の練習では混声の曲しか聴かなかったので、まず男声のステージが興味のあるところです。タダタケのステージは、今回が初めての若い団内指揮者。作品に対する熱い思いをそのまま表現しようとしている指揮ぶりが素敵でした。その思いは、確実にメンバーの歌の中にも込められていたはずですが、それが直接「音楽」として伝わって来にくかったのが、ちょっと残念だったかも。客演指揮者によるオルフは、なんだか、聴き慣れたこの曲のイメージがガラリと変わってしまうような、なんとも風変りな表現に、最後までなじむことができませんでした。すべては、指揮者の責任なのでしょう。
 前日聴いていた混声ステージは、まるで見違えるようになっていました。練習の時には、意欲は感じられるものの、なにかまだ収まるべきところに収まっていないな、という気がしていたところが、見事に全体がハマって、完成されたものになっていたのです。ア・カペラでの不安な音程は修正されていましたし、リズムも、自発的なものに変わっていました。
 それにしても、休憩を含めて2時間半というステージは、聴いている方もかなり体力が必要だな、と、しみじみ感じてしまいました。小原さんのピアノに煽られて生まれる異様なテンションは、受け止めるのにはハード過ぎます。一度、もっとサラッとしたピアノと一緒のコンサートが聴けたらな、と、ふと思ってしまいました。
aventure number : 1675 date : 2011/3/6


今日の禁断 玄米

 この前聴いて来た「コール青葉」は、メンバーの交流用のサイト(メンバー内だけで閲覧出来るように、認証が設定されています)が充実していて、演奏会前などは掲示板にさまざまの情報が飛び交っていました。本番で最高の演奏を実現させるために、最後の最後まで演奏上の細かい注意などが、書きこまれているのですね。何せ大所帯、しかも、3か所から集まってきますから、こういう情報の共有というのは、大切なことになってくるのでしょうね。
 そして演奏会が終わると、それぞれのメンバーが個人的に頂いたメールなどでのお客さんの感想を掲載するために、新しい掲示板が開設されます。ここでも、感想を個人的なものに終わらせずに、みんなで共有していこうという姿勢が見られます。こんな熱心な取り組みが、毎年のあのハイスペックのコンサートを実現させているのでしょう。
 この、感想用の掲示板ですが、その一番最初の投稿が、指揮者であり音楽監督でもあるPさんでした。そこで彼が紹介したのが、私の前回の「禁断」だったのですよ。演奏会が終わってから、夜遅くに書いたものですが、次の朝早くにさっそく見つけて、そこへのリンクを掲示板に書き込んでくれたのです。ちょっとびっくりしましたね。ですから、当然のことながら、そこのリンクを通して「禁断」にやってくる人が、きのうはものすごい数になっていました。とにかく、この合唱団の情報網は、精度の高いものであることを、改めて痛感してしまいましたよ。今日になったらグンと減ってしまったので、1度読めば、それでいいと思ったのでしょうね。決して繰り返し読むようなものではありません。
 泊りがけの東京旅行が終わって、またいつものような生活が戻ってきました。まずはニューフィルの練習のために、フルート・モードに戻らなければなりません。ただ、今日の練習は後半のヴェルディだけの出番だったので、その前にゆっくり晩御飯を食べてから練習へ向かおうと思っていたら、前半のメンバーの一人が「30分ぐらい遅れます」という連絡をくれました。なんとも微妙な遅れ方ですね。しかも2番のパートですから、30分ぐらいだったらいなくてもそんなに目立たないのに、と思って、よっぽど行くのをやめようかな、と思いました。それこそ、櫻家あたりで、しっかり食べて行こうかな、とかね。余談ですが、この、私がよくいくとんかつ屋さんは、なんだかものすごい人気のお店だったのですね。こんな、熱烈なファンがいるのですから、私も負けてはいられません(いや、別に張り合うつもりは・・・)。
 しかし、そんなケチな根性では、ニューフィル、フルートパートのパートリーダーの名がすたります。どんな時にもパートに穴を空けない、これが私のポリシーだったはずではありませんか。とりあえずとんかつはあきらめて、モスバーガーでチリドッグをかっこんで(お汁粉も付けました)、旭ヶ丘に向かいます。そろそろ、新しい「かいほうげん」用の写真も撮っておかなければいけませんしね。
aventure number : 1676 date : 2011/3/8


今日の禁断 みはし

 先日の「コール青葉」のPさんは、この前の「禁断」にもリンクを張ってくれましたね。おかげで、一度は元に戻ったアクセスが、またもや跳ね上がっています。なんとも敏感なものですね。そのリンクをたどってここに来た人もいるはずですので、乗せられてもう一ネタ提供してみましょうね。
 私は、この合唱団が「コール青葉」と名乗る前の2004年に、同じオペラシティの客席で聴いたことがありました。その時には、開場15分後に行ったらもう2階バルコニーの正面は満席でした。そこで、今回は見るにも聴くにも最高のポイントであるその2階正面席の、一番前に座ろうと、思っていました。ですから、そのためには、開場の1時間前には並んでいよう、と、固く心に誓っていたのです。開場は開演の1時間前、午後1時ですから、12時というのが、目標ですね。「リラックマ」で意外と時間をくってしまったので、手近な甘味やさんで豆カンとくずもちという変なお昼ご飯を食べた後、新宿へ向かいます。新宿駅の南口から、京王新線の乗り場までは、いつもの通りものすごい人の群れでした。ここに来るといつも感じるのですが、こんなに密集した人なんて、仙台だったら七夕の時ぐらいしかお目にかかれませんから、こんな、毎日がお祭りのようなところで生活するなんて、とても私には耐えられないでしょうね。何度も乗っている(そういえば、つい半年前にもオルフェイ・ドレンガーを聴きに、ここを通ったんですね)京王新線ですから、ホームへの道は迷うことはありません。次の電車が12時45分だと確認して、階段を駆け降りると、そこに発車間近の電車がいたので、そのまま乗りこみます。と、それは、なぜか、新宿三丁目に向かって走り出したではありませんか。オペラシティのある初台とは反対の方角ですよ。何をやっているのでしょう。いえ、別に電車が方向を間違えたわけではなく、単に私が反対側のホームに止まっていた電車に乗ってしまっただけなのですがね。結局、次の駅で乗り換えたら、それは新宿止まり、もう1本待って、オペラシティに着いたのは、12時10分ごろでした。
 もうその頃には、入口の前にはかなりの人が並んでいました。もし、この人たちが全部2階席を目指していたら、とても勝ち目はありません。まあ、でも、普通は1階席の前の方に行くものですから、そうあることを期待しましょう。このホールは、とにかく入口の前はとても広くなっていますから、すぐに最後尾がどこなのか分からないほど遠くの方まで列が出来ていましたよ。しばらくすると、顔見知りのOBが出てきて、列をきちんと並ばせたり、人数を確認したりし始めました。どうやら、待っている人が多いので、開場を早めるようですね。
 開場は、12時50分でした。そこから猛ダッシュで階段を駆け上ったら、2階席中央は、私が一番乗り、楽々ど真ん中をゲットです。しかし、そのあとは、もう見る見るうちにまわりの席が埋まっていきますよ。この時は、なぜか3階席には、人を入れないようにしていたのですね。2階までしか使わないのか、と思っていると、1階と2階が完全に埋まってしまった時点で、3階を開放したようでした。おそらく、その前にお客さんはしばらく待っていて、一斉に3階席に案内されたのでしょうね。見ていると、まるで奪い合うように席に着いていました。その中には、仙台からやってきたSさん夫婦の姿もありました。ここからだと、よく見えますね。
 せっかくいい席を取ったので、写真をたくさん撮ろうと思っていたら、開演前に「写真撮影と録音は禁止します」という、かなり強硬なアナウンスがあったので、それは断念せざるを得ませんでした。アマチュアでここまで厳しいことを言うのも珍しいことですが、小原さんあたりの肖像権がネックなのかもしれませんね。ですから、ほんの1枚写真を取るのも、まるで犯罪者のような後ろめたさが伴ってしまいました。露出も、まわりに合ってしまったので、肝心の合唱団は、顔が全く分かりませんし(これを見ると、録音用のメインマイクが、2年前とは違いますね。ステージに置いてあったバウンダリー・マイクもありませんし、小貝さんは方針を変えたのでしょうか)。

 この写真を撮ったのは、Pさんが「夢の中へ」の時に、お客さんに手拍子をさせようとしていた時でした。前の日の練習で、おそらく曲が終わった時に盛大な拍手があるはずだから、と、アンコールの準備までしていたので、私がサクラになって拍手してみようと思ったのですが、どさくさまぎれに写真を撮ろうとしていて、そんなヒマはありませんでした。結局、誰も拍手をしないまま、何事もなかったように次の曲に進んでいましたね。
aventure number : 1677 date : 2011/3/10


今日の禁断 大震災

 私は元気です。家族もみんな元気です。ご安心ください。
 最初は、それほどの揺れではありませんでした。職場は、平屋なので、動きそうな棚を押さえる余裕もあるぐらいでした。しかし、それがあまりにも長い時間続いているので、「もしや」という感じはありました。案の定、すぐ電気が消えました。そして、

外に出てみると、鐘楼が完全につぶれています。

石灯籠も、この通り、

さらに、お隣の神社では、石で出来た鳥居が、倒れて崩壊していました。

 私の部屋はこんな感じ。棚の上の方からは多少の物が落ちてはきましたが、それほどではありません。
 なにはともあれ、車で自宅へ向かいます。信号機は全部消えています。

 自宅のマンションに近付くにつれて、黒い煙が見えてきました。気が気ではありません。しかし、不安は的中。私の住んでいるマンションが火事でした。不謹慎ですが、「さいわい」私の家は赤丸の部分ですから、火事による被害はなさそうです。

 7階ですから、たまりません。すべてのものが倒れて、中のものが床に散乱していました。

 丸2日経っても、この程度しか片付きません。

 グランドピアノの足が乗っていたインシュレーターから、足が外れています。ものすごい揺れだったのですね。誰も家にいなかったのが、やはりさいわいでした。
 でも、私のところは電気も水道もすぐ復旧しましたし(ガスはまだです)、食料品などもそこそこ手に入りますので、こんなものは「被災」でも何でもありません。本当に家を失ったり、いや、生命さえ失った人に対しては、何も言うことはできません。こんなことで済んだことを、ひたすら感謝したい気持ちです。どうか、本当に大変な人たちへの援助こそ、最優先でやっていただきたいと、切に望みます。
aventure number : 1678 date : 2011/3/15


今日の禁断 1日目

 お励ましのメールやコメント、電話など、本当にありがとうございました。私からも、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りさせていただきます。また、避難所などでの不自由な生活を強いられている方々にも、私には何もできませんが、心から「がんばって!」と申し上げます。
 なんせ「1000年に1度」という大地震だったということですが、この1週間を振り返って極めて個人的なことでも、ひとまず事実関係などを記録しておこうと思います。こんなことがあったな、ぐらいに思えるような日がきっと来ることを信じつつ。
 
3月11日(金曜日)
 職場から自宅へ一旦戻り、被害状況を確認した後、また職場に行きました。消防車などが来れば、もしかしたらマンションの駐車場には入れなくなると思い、車は職場に置いて、徒歩で自宅へ向かいます。裏山の墓地の中を通って行けば、15分ぐらいで行けます。帰ると、合唱の練習に行っていた愚妻が玄関で不安げに立っていました。ちょうど練習中に揺れたそうで、メンバーはみんな抱き合っていて、指揮者はアップライトピアノが動かないように押さえていたそうです。なにはともあれ、食器棚が倒れて、あちこちに食器の破片が散らばっていますから、それを取り除かなければなりません。足を怪我したりしないように、もう土足で、かけらをひたすら集めます。にんにくのタレのようなもののビンが割れたのか、ものすごいにんにく臭が漂っています。冷蔵庫まで倒れていましたから、それも起こします。
 さらに、水も電気もガスも止まっていますから、夜に備えての懐中電灯の確認です。さいわい、大きな懐中電灯が3台見つかりましたし、電池もだいぶ前に買っておいたものが残っていました。
 夜になると、仕事に行っていた娘が帰ってきました。帰るなり、愚妻に抱きついて泣き出します。職場でもとても不安だったそうです。懐中電灯の光であり合わせのパンなどでの夕食の間も、なんだか食欲がありません。それよりも、一向に鎮まる気配のない余震には、ほとほと参ってしまいました。せっかく起こした家具も、また倒れてくるのでは、というほどの大きな揺れが、間断なく続きます。7階ですから、なおさら揺れは増幅されるのでしょうね(後で聞いたら、1階や2階の部屋では、全く何も倒れなかったところもあったそうです)。こんなところで眠れる訳がありません。「避難所」という言葉も頭に浮かびました。愚妻は「実家には泊まれないの?」と聞いてきます。実は、私は実家が職場、そこにはお客さんのための広い会館などがあるので、そこに泊めてもらうわけにはいかないか、というわけです。
 確かに、こんな余震ではとても自宅で寝るわけにはいきません。しかし、実家には電話も携帯も通じないので、都合を聞くわけにもいきません。仕方ありません。夜道を実家まで歩いていくしかありません。懐中電灯を持って、外に出ます。空を見ると、そこは満天の星、仙台市内でも、まわりが真っ暗だとこんなにたくさんの星が見えるんですね。その代わり、道路はたまに通る車のあかりしかありませんから、懐中電灯だけが頼りです。さっき通ってきたお墓の中の道に入ると、もう他に歩いている人もいませんから、不気味です。昔はよく歩いていましたが、久しぶりに通る道(いや、道なんてありません)なので、ついに、迷ってしまいましたよ。行き止まりになってしまったのですね。これには焦りました。どちらに向かっても、全く道がありません。務めて冷静に、元来た道を戻って、やっと自分がどこにいるかわかりました。
 実家に着いてみると、ろうそくの光の中で、なんだかたくさんの人がいるようでした。なんでも、お孫さんの友達がたくさん遊びに来ていて地震に遭い、そのまま帰れなくなって、今晩は、私があてにしていた会館に泊まるというのです。私も泊まらせてもらえないか、と言うと、同じ棟の和室なら空いている、ということで、そこにお願いすることにします。さっそく置いてあった車に乗って自宅に帰り、布団や食料、そして懐中電灯や予備の乾電池などを積み込んで、家族3人が一夜を明かすために実家へ向かいます。
 だだっ広い和室は、もちろん暖房などは入りません。貸してもらった布団も加えて、服を着たまま床に着きます。しかし、余震は相変わらずひっきりなしにやってきます。そのたびに、部屋全体は大きく揺れ、障子の桟が大きな音を立てて振動します。まさに「余震におびえて、眠れない一夜を過ごす」という、こういう時のニュースの常套句を地で行った体験でした。
aventure number : 1679 date : 2011/3/17


今日の禁断 2〜4日目

3月12日(土曜日)
 朝は、外が明るくなると目が覚めてしまいます。トイレなどは、貯水槽にまだ水が残っていたようで、一応流れていますから助かりました。自宅へ帰る途中でセブンにたくさん車が止まっていたので、「もしや」と思い行ってみると、「閉店」の張り紙がしてあります。さらに、店の中が見えないように、ガラスの外壁はすべて内側に新聞紙を貼ってありました。仕方がありませんね。外国だと、こんな時には「暴動」や「略奪」が平気で起こるのですから、これも身を守るために必要なことなのでしょう。しかし、そこで大問題が発生。車から降りようとした時に、背中に激痛が走ったのです。これは腰痛をぶり返す前兆、もしここであのひどい腰の状態になってしまったら、家の片づけで力仕事なんかできません。箪笥はまだ倒れたままのもありますし、エレベーターも止まっていますから、そもそも7階まで歩いて登ることも出来なくなってしまうかもしれません。
 しかし、不思議なことに、家でそんな作業をしようとしたら、なんの支障もなく出来るようになっていました。「火事場の馬鹿力」という奴なのでしょうね。娘の部屋の本棚を起こしたり、箪笥の引き出しを全部抜き出して本体を起こしてからまた元に戻す、といったような重労働も、なんの苦もなく出来てしまいます。ただ、問題は水ですね。飲み水は前に一箱買っておいたのがあるので大丈夫なのですが、トイレに流す水がありません。と、上から下を眺めていると、管理人が水を入れたバケツを持っていくのが見えました。貯水タンクから、水を抜いて運んでいるようです。水道の供給は止まっても、タンクの中にはまだ水が残っていたのですね。行ってみると、蛇口にホースが付いていて、簡単に水が抜けるようになっていました。助かりました。これで、トイレの水は解決です。家中にありったけのバケツやら鍋を持って、1階から7階までの階段を何回往復したことでしょう。もう、足はパンパンです。
 この日は、愚妻と娘が買い出しに行ってきました。10時ごろ出かけたのに、帰ってきたのは午後の2時、交代でコンビニやスーパーに並んだのだそうです。どこへ行っても長蛇の列、それでもなんとかカップ麺などを手に入れてきました。なんせ、電気が来てませんから、夕方になるともう暗くなって、片づけなどは出来なくなってしまいます。ですから、早々にまた実家へ向かいます。寒く暗い中で、余震に怯える一夜がまた始まります。

3月13日(日曜日)
 また朝早く自宅へ帰って来て、掃除や片づけが始まります。そろそろ電気が来てもいい頃、娘が携帯で集めた情報だと、駅のあたりは昨夜あたりももう明るいところがあったそうですからね。いつかの地震の時にひっくり返って灰をぶちまけた仏壇は、やっぱり盛大に水が混じった(お茶を上げてありました)灰を撒き散らしていましたから、まずはその掃除です。ベランダの掃除に使っていた箒とチリトリを使って、灰を掃き集めます。でも、もう畳の目の中に入ってしまっていて、到底この上に布団を敷いたりは出来ませんね。やはり今夜も実家行きです。しかし、こんなことを繰り返していたら、ガソリンもなくなってしまいます。自宅のすぐ向かいにはガソリンスタンドがあるのですが、いつの間にかそこに車の列が出来ています。電気が来れば開店出来るのでしょうから、それを待っているのでしょうか。でも、見ていると先頭の車はずっといますが、その後ろはすぐいなくなるので、どうやら確かな情報があるわけではないようですね。
 夕方になって車で出発すると、ずっと消えていた道路の信号が点いています。ということは、このあたりにも電気が通ったようですね。でも、出てくる時はまだ家には来ていませんでしたから、家庭用はまだなのでしょう。でも、走って行く途中で、あかりが点いている家が見えてきました。そして、実家に着くと、煌煌と電気が点いていました。これで一安心、今夜からは会館に泊まることにしていたのですが、あそこはエアコンがありますから、電気さえ来ていれば寒さもしのげます。
 話を聞いてみると、もう午後3時ごろには電気も、そして水道も来るようになっていたのだそうです。このあたりは、いくらか中心部に近い分、早かったのでしょうね。実は、通り道のコンビニで、揚げ物を限定で販売していたので、それが夕食、久しぶりに暖かい部屋で暖かい食事にありつけそうです。勇んで会館の小さな和室に行って、まずエアコンのスイッチを入れます。この部屋だったら、すぐに暑すぎるぐらいになるはずです。ところが、いくら経っても温風は出てきません。そのうち、なんだかエラーが出て止まってしまいました。いや、考えてみたら、このエアコンはガスを使ったヒートポンプだったのですね。ガスが来てないのですから、温まるわけがありませんでした。仕方なく、実家からストーブを借りてきて暖をとります。

3月14日(月曜日)
 おそらく自宅にももう電気や水道は来ているでしょうから、もう自宅で寝ることが出来るはずです。娘は、仕事があるので実家から歩いて出勤、私は愚妻と自宅へ向かいます。途中、きのうのガソリンスタンドの様子を見て行こうと思ったら、やはり、開店していましたね。もう、その前は大騒ぎになっていました。これはチャンスと、私も並ぼうと思ったのですが、どこまで並んでいるのか分かりません。その辺の人が「坂の上まで続いてるよ」とか叫んでいます。確かに、それはずっと「坂の上」まで続いているようでした。こうなったら、最後尾まで行ってみようと車を走らせますが、行けどもいけども車の列は途切れません。信じられないことですが、それは、2キロ以上も続いていたのです。右下がスタンド、左上が最後尾です。

 ここまで来たのでは、後には引けません。とにかく、待ってみようと思い、列に加わります。しかし、車は止まったまま、全く動く気配はありません。もちろん、エンジンは切っておかなければ、並ぶ意味がありませんから、本当にたまに動くときだけエンジンをかけて、止まったらすぐエンジンを切る、という繰り返しです。こうなると、前後の車でなんだか連帯感のようなものが生まれてくるから不思議です。交差点などで間を空けて止まっていると、そこに割り込む車がいたりしますから、そんな時はみんなで排除します。結局、4時間半待った揚句、満タンに給油してもらえました。なんとも異常な体験でした。その間に愚妻は車から降りて、あちこちに行ってお弁当などを仕入れてきましたね。私も、止まったところに最中やさんがあったので、箱いっぱい最中を詰めてもらいましたよ。これは非常食。
 家へたどり着いたら、電気も水道も来ていました。何よりうれしいのは、掃除機を使えることです。あんなに大変だった灰の始末も、掃除機を使えばいとも簡単に吸い取ってくれます。ほんとに、掃除機というのは偉大な発明だな、と実感です。マジメな話、あの原子力発電なんかより、素晴らしい発明なのでは、と思ってしまいます。そもそも、原子力を安全に使いこなせるほど、人類はえらくはありません。
aventure number : 1680 date : 2011/3/18

11/3/19-4/24