1361(09/6/30)-1380(8/7)

今日の禁断 岩沼

 今日の練習も、後半がモーツァルトなので、いつもより早く帰れる予感はありました。しかし、8時ちょっと過ぎにはもうマーラーが終わってしまったのは、嬉しい誤算、なんせ、月替わりでコラムの更新もしなければなりませんし、あしたからの小旅行に備えての準備もありますから、早いに越したことはありません。
 でも、すぐ帰れるわけではなく、休憩時間に技術委員会などがありますから、それにはおつきあい。その中で、日程表の間違い、というか、ペーパー版とサイト版とで食い違いがあることが指摘されました。その時には、携帯サイトをチェックしてみてもペーパー版とは違っていなかったので、何かの間違いでは、と思ったのですが、帰ってきてPCサイトを見てみたら、やはりここだけ違っていました。考えてみたら、青年文化の練習室で「管・打」となっていたのですから、それはおかしいことに気づくべきでした。やはり、同じものを3種類の媒体で流していると、たまにはこんなうっかりミスが出てくることもあります。ご寛容に。
 PCサイトでは来年の春の指揮者、田中先生の日程が固まったので、今まで空白だった2月と3月の予定もきちんと記入されています。これは携帯でも見れますので、チェックしておいて下さい。
 実は、この3月の予定、というのが、私にとっては重要なもので、早く知りたいと思っていたのですが、先週になってやっと連絡が取れたようで、公開されるようになりました。なにが重要かというと、毎年東京でやっている私の大学OBを中心にした合唱団のコンサートの日とぶつかっていないか、ということなのです。初台の東京オペラシティで開かれるコンサート、来年は会場の都合でいつのも日曜日ではなく、3月13日の土曜日に行われることはだいぶ前に決まっていました。そして、やっと明らかになったニューフィルの指揮者練習は、まさにその日に行われることになっていたではありませんか。今年は、土日の練習というのがそもそもなかったのでなんの問題もなかったのですが、このようにもろにぶつかってしまったのでは、当然どちらをとるか、という選択を迫られることになります。でも、去年もそんな風にぶつかってしまって、まあ、2番しかやらないから大丈夫だろうと思って他の人に代吹きを頼んで東京に行ってきたら、その次の練習の時に「2番はこの間と別の人ですね」などと言われて、非常に傷ついたことがありました。ですから、その時点でもうニューフィルの方をとることは決めてあったので、今回もなんの迷いもなく東京をキャンセルするつもりです。
 この合唱団、最初は愚妻が入っていて、あまりに楽しそうなので私も出ることにしたのですが、その愚妻が、今回は地元の合唱団の予定などを優先して早々とリタイアを決めていました。私も、わざわざ東京まで行かなくても仙台で同程度、あるいはもっと刺激的な体験が出来そうな合唱団に入れてもらえそうな予感があります。腰を落ち着けて密度の高い練習に参加したい、今、そんなことを考えているところです。
aventure number : 1361 date : 2009/6/30


今日の禁断 犀星

 きのうは更新をお休みさせて頂きました。なんせ、2泊3日の旅行に行ってきたものですから。
 行った先は金沢と富山、JR東日本の「12000円乗り放題パス」が、なぜか「西日本」のこんな都市にも適用されているものですから、めいっぱい使ってみようという魂胆です。東北新幹線で大宮まで行って上越新幹線に乗り換え、越後湯沢から在来線で金沢、というコースです。その在来線のコースが、今回初めて知ったのですがJRではない最近出来た「ほくほく線」とかいうローカル線を経由して、最短距離で結ぶというものでした。でも、その線はほとんどがトンネルの中、たまに外に出るとそこが駅なのですが、特急「はくたか」がそこに停まることはありません。正味5時間で着いてしまいます。
 金沢駅で迎えてくれたのが、こんなポスター。しっかり「街の顔」になっているようですね。

 彼らの本拠地、石川県立音楽堂は駅のすぐ横、こちらでも、井上さんの大きな顔で迫ります。

 その反対側にあったのが、なぜか「やかん」のオブジェ。あとで気が付いたのですが、この裏側には「ふた」もありました。

 何はともあれ市内観光、兼六園と金沢城は外せません。10年ぐらい前に修復されたというこのあたりは、なまこ壁の色合いがとてもモダンです。

 しかし、期待していた21世紀美術館には、失望させられました。どうでもいいような展示を見るのにばか高い入館料が取られますし、この建物全体を覆っているどうしようもない特権意識。「現代美術」というものは、ある意味「現代音楽」よりも始末の負えない袋小路に追い込まれてしまっているのでは、という印象を再確認するものでしかありませんでした。


 市内の名所を見て歩くのに、こんな周遊バスが走っていました。500円で1日券を買うと、何回でも乗れるというのがお得。これは男の人が運転していますが、それ以外のバスでは、全て若い女の人が運転していた、というのも嬉しいところです。不案内な観光客の質問に気さくに答えてくれたりしますし、けっこう細い道を走ったりするので、大きな車が駐車している間を見事にすり抜けてお客さんから拍手をもらったり、それに応えて「久しぶりに汗をかきました」などと言ったりして、まさに観光ガイド顔負けのドライバーです。その付近で車窓から見えたのが、こんな木造4階建ての建物です。

 ですから、こんな可愛い人を邪な心でねらっているオトコなどにも出会うことになります。それは、いかにもというデブでメガネの若者だったのですが、相手にもされないのに何かとドライバーさんに話しかけます。すぐ向かい側に座ったそのオトコは、なにやら細かい字でメモをとっていたのでのぞいてみると、そこにはドライバーさんのフルネーム(車内にプレートが掲示してあります)が書き込まれているではありませんか。どうやら、ほかのドライバー(もちろん女性)の名前もありそう、いやですねぇ。
 バスのドライバーだけではなく、金沢の女性にはきれいな人が多いような気がします。その上、ファッションビルなどで出会う人たちのセンスが、店員さんも、そしてお客さんも、仙台あたりよりはるかにいいのですよ。もしかしたら、東京よりも洗練されていたかも。なんか、街全体がそんなハイセンスに支配されているようでしたね。
 しかし、それを象徴するような立派な駅舎の前に、こんな看板があったのにはびっくり。こんな注意書きが出ると言うことは、実際に駅の構内を自転車で走っている人がいるのでしょうね。

 そして、なによりも驚いたのが、駅の改札口に「人が立っている」ということです。これはある意味カルチャー・ショック。駅の改札といえば全て自動改札だと思っていた世界観が、根底から覆されてしまいましたよ。たった5時間で、こんな異次元に旅が出来るなんて。今、新幹線の工事の真っ最中、これが完成する頃には、この駅にも自動改札機が設置されていることでしょう。日本の原風景が、また一つ消えてしまうのでしょうね。飛騨あたりには新幹線は通らないのでしょうから、古い建物と同様、こんな光景も残しておいて欲しいものです。
aventure number : 1362 date : 2009/7/3


今日の禁断 シック

 裏日本にまで行ってきたというのに、それほどの疲れを感じていないのは、あまり無理をしないでのんびり旅をしたせいなのでしょうか。いや、これからは何かと忙しい状態が続きますから、そんなことで疲れているヒマもないはずです。
 そんな旅の思い出を反芻しようと、先日の周遊バスのドライバーさんのフルネームなどを検索してみたら、こんなブログが見つかりましたよ。日付が同じなので一瞬「あいつ」かな、と思ったのですが、これはちょうど1ヶ月前のエントリーでした。プロフィールを見ても全く別人のようですし、同じような変質者はいっぱいいるのですね。フルネームと写真をアップするなんて、ヤバすぎ。
 楽しい思い出だけではなく、ちょっと悔しい思いもしてしまいました。せっかく「音楽堂」のある街に行くのだからと、前もってコンサートの予定などを調べておきました。でも、あいにく当日にはなんの予定もありませんでした。次の日だったらオーケストラのコンサートがあったのですがね。ところが、ホテルに泊まって次の日の朝刊を見たら、そこには前夜にあったという高橋悠治のコンサートの記事が掲載されているではありませんか。音楽堂以外にクラシックのホールなんて知りませんから、その記事にあった「金沢市アートホール」なんて、かすりもしませんでしたよ。これも、駅のすぐ前にあるんですね。去年の「せんくら」で仙台まで来たというのに、別の予定があって行けなかったので、もし分かっていれば絶対聴きに行ったのに!
 旅の恥はかき捨て(ちょっと意味が違う?)、金沢に行った次の日には富山に行きました。といっても、こちらはそんなに時間がなかったので駅前の物産センターに行っただけ。その前に立っていたのが「富山の薬売り」の親子でした。

 物産センターにも、「薬売り」のコーナーがありましたよ。そこの売店にあったのが、こんな洗面器。よく温泉の大浴場などで見かけるやつですよね。こんなところに売っているなんて、さすが富山。

 そして、これが「はくたか」のフロントです。「新しい『新幹線』」みたいにバカ長い形ではなく、適度にバランスが取れていて美しいものです。

 旅の疲れにかかわらず、仙台での2日連続のコンサートの予定は消化しなければなりません。まずは仙台が誇る緑の森の合唱団の定期演奏会です。前の定期が「ヨハネ」という大作だったあとだからなのでしょう、今回は割と軽めの曲を並べるという趣向。最近ちょっとレベルが落ちてきたかなというのは、当事者たちも感じていたらしく、合唱の原点に立ち返って真摯な演奏を目指すという意気込みが感じられるものでした。そうなれば、もともと素質もあり、指導者も立派なのですから、怖いものはありません。旅の疲れでしょうか、猛烈に襲ってくる睡魔の間に、時折ハッとさせられるようなものを聴くことが出来ました。

 あしたは、末廣さんと仙台フィルです。
aventure number : 1363 date : 2009/7/5


今日の禁断 副市長

 予定通り、きのうは末廣さんのコンサートでした。コンサート自体は仙台市の市制施行記念日かなんかに毎年開催されているもので、去年は確か「市制施行119周年」とか言う、ハンパなタイトルでしたね。でも、今年はめでたく「120周年」です。おめでとうございます。なんでも、政令指定都市になってからももう20年も経つのだそうです。早いものですね。
 このコンサートは入場無料、ただし、往復はがきで申し込んで抽選にあたらなければなりません。そして、当日そのはがきと交換に、座席券をもらう、という仕組みです。その交換が開演の2時間前、5時から行われます。関係者の話だと、真ん中の良い席から順に配っていくのだそうですが、そういう場合の「良い席」というのは、概してオーケストラを聴くには適していないことが多いものです。ですから、少し時間を遅らせて5時半頃に交換するようにしてみました。その作戦は大成功、中央通路の後ろのステージ全体が見渡せて、音も良く聞こえるところがゲットできました。
 オーケストラはもちろん仙台フィル。しばらくぶりに聴いた様な気がしますが、開演前にステージで音出しをしている人も、いったん袖に下がった上で、一斉に入場して来るという、今までにはなかったような入場方式に変わっていました。前は確か、アメリカのオケみたいに始まる前から全員がステージにいて練習していたんですよね。これは、この間「おやぢ」で取り上げた山響の影響なのでしょうか。
 最初の「フィンガルの洞窟」では、フルートのトップは芦澤さんでした。実は、この間富山に行ったときに、平日なのに仙台駅でなんだかイベントをやっていて、そのアトラクションでその芦澤さんが演奏しているところを偶然通りかかってしまいました。見慣れない木管の楽器を吹いていたので、休憩時間に見せてもらったら、最近使い始めたというヤマハだったのですが、その楽器を使っていましたね。仙台フィルで木管フルートというのは、これが初めてかも。銀でも柔らかい芦澤さんの音は、さらに柔らかくなっていました。
 次のブルッフのヴァイオリン・コンチェルトもやはり芦澤さんは木管です。ソリストはこの前の仙台のコンクールの入賞者。どこかでは聴いていたはずなのですが、全く印象に残っていませんでした。この日のソロも、いまいちメリハリのない演奏で、末廣さんはかなり合わせにくそうにしています。その分、オーケストラだけの部分になったら思い切りのハイテンション、末廣さんの黄金の左手がまさにオケを輝かしいものに仕上げていました。

 と、休憩が終わってステージにオケのメンバーが現れるのでは、と思っていると、そこにひょっこり末廣さんが一人で出てきましたよ。どうやら、演奏の前にお話があるようですね。「私が出てきて、皆さんの頭の上にはたくさんのはてなマークがついたことでしょう」という軽妙なツカミで、ただの雑談が始まるのだと思っていたら、それは結構すごい話でした。これからやる「展覧会の絵」を、ムソルグスキーが最初に作ったのに近い形で演奏してみる、というのです。「今日来たお客さんはラッキーですよ。こんなもん、二度と聴けませんから」と、得意げな末廣さん。
 そうなると、聴く方もいったいどこが違っているのか、真剣になって聴かなければなりません。オケにとってはこれはすごく嫌でしょうね。絶対に「間違える」わけにはいきませんからね。でも、やはりあちこちで「事故」は起こっていましたから、本当の「違い」を見つけるのは結構大変、私は「殻をつけたヒヨコ」の最後の音が一つ多いのしか分かりませんでした。
 アンコールは「花のワルツ」、コンチェルトを含めて、末廣さんはすべて暗譜で振っていました。土曜日には、このしなやかな指揮を見せてくれた人が、ニューフィルの前に立つんですね。
aventure number : 1364 date : 2009/7/7


今日の禁断 バスドラム

 前回の「禁断」、あまりにマニアックになってしまうので、肝心のことを書かないでおいたら、なんだかわけが分からないものになってしまいましたね。あれだけ読むと、ピアノ版とラヴェル版では音が違っているのではないか、と思われてしまうかもしれません。あのコンサートで末廣さんのトークを実際に聴かれた方は別に問題はないのですが、そうではない人のために、少し注釈を。
 そもそも、ムソルグスキーの「展覧会の絵」が最初に出版されたときには、自筆稿そのままではなく、リムスキー・コルサコフによって校訂の手が加えられた形になっていました。「アカデミック」な教育を受けていなかったムソルグスキーの楽譜には、普通に考えたらちょっとおかしいような部分がたくさんあったので、リムスキー・コルサコフがそれは間違いだと解釈して、正しく見えるように変えてしまったのですね。こういうケースは、ほかの作曲家でもよくあること、私もベートーヴェンなどの校訂の課程などをかじったりしていると、そんなことによく出会います。「第9」の4楽章に出てくる半音のぶつかり合いなども、一見間違っているように思えても、デル・マーあたりは「ベートーヴェンがそのような響きを求めた」と解釈して、あえてヘンなままにしてありますからね。もっと有名なホルンのシンコペーションも、誰が聴いても「おかしい」と思ってしまっても、それがベートーヴェンの狙いだった、というのが今では主流の考えになっているようですしね。なんせ、ベーレンライター版だけではなく、ブライトコプフ新版でもこれが採用されているのですから。もっとも、演奏の現場では、新しい楽譜を使ってもここだけは昔のままのおさまりのよいパターンに従っている場合が多いようですが。
 そんなわけで、「展覧会の絵」(もちろんピアノ版)は、作曲者が最初に書いた少し「不自然」な部分が直された形で出版されてしまいました。その時にはもうムソルグスキーは亡くなっていましたので、チェックしようにもチェックは出来なかったのですね。というより、末廣さんに言わせればムソルグスキーという人はおよそ管理能力に乏しい人だったそうで、自分の書いた楽譜もどっかへ行ってしまっていたのだそうです。
 ラヴェルがこの曲をオーケストラに編曲するときには、この楽譜しかありませんでしたから、音やダイナミックスは当然それに従うことになります。しかし、最近になってムソルグスキーの自筆稿のファクシミリが出版され、それを底本にした楽譜も何種類か出版されるようになりました。それは、当然のことですが、ラヴェルのオーケストラ版とはあちこちで異なっています。末廣さんは、その部分を自筆稿に合わせた形に直して演奏したのです。そんなものは出版されてはいませんから、パート譜に書き込みをして直して演奏したのでしょうね。
 実は、こちらに書いたように、そのラヴェル版でもちょっと不可解な部分があるのですが、そこは末廣さんは「フツー」に演奏していましたね。
 というわけで、ちゃんと書くとやっぱりマニアックになってしまいましたね。
aventure number : 1365 date : 2009/7/9


今日の禁断 銀兵衛

 3年半ぶりの末廣さんとの練習が、始まりました。今回の曲目はマーラーの9番、第50回目の定期演奏会と言うことでの大盤振る舞い、こんな時にお呼びするのが、この指揮者なのです。言ってみれば特別のご馳走、とっておきの食事のようなものです。
 ただ、私としては、今回の練習にはパート内にやむを得ない欠席者がいるもので、その人に代わって別の人が吹くのだ、と言うことを、始まる前に末廣さんに伝えておかなければならない、という、ちょっと憂鬱な仕事がありました。こういうことをきちんとやっておかないと、なんか気分がスッキリしませんしね。
 でも、それは、思いもしないことで簡単に済んでしまうことになりました。きのう、2日目の予定が変わってしまったために練習の時間割を変えることになったという携帯メールが団長から回ってきたのですが、それは本来末廣さんに当てたもので、私たちにはBCCで回ってきたものでした。それをうっかり「全員に返信」してしまったものですから、団長だけに行くつもりのものが、末廣さんにも届いてしまうことになってしまいました。そこで、わけの分からないメールを送られて迷惑だと思われないように、そのアドレスに「間違えてしまいました」と書いて、送っておきました。
 それに、瞬時に末廣さんからの「気にしないで下さい」という返事が届いてしまいましたよ。ですから、図に乗って今度はパートの変更のことを書いたメールを送って、用事を1件片づけてしまった、というわけです。
 というわけで、練習には気楽な気持ちで臨むことが出来ました。開口1番、「これは大変な曲です」というキメの言葉、「一生に一度演奏すればもういいような、本当に大変な曲です」と、念を押されます。まず最初に全曲を通そうとしたようですが、やはり途中で止まってしまい、なんともたどたどしく、間に休憩を挟んで2時間ほどかかってやっと最後までたどり着きました。



 「ああ疲れた」とか言ってましたが、その指揮ぶりや指摘はいつにも増して適切なもの、ちょっとリズムの難しいパートにはきちんとキューが出されますから、いつも苦労している人たちもかなりちゃんとできるようになっていましたね。今度こそは、末廣さんの要求に多くの部分でこたえられるような演奏を、仕上げたいものです。
 夜には、国分町で「囲む会」が催されました。

 そば打ちの話から始まって、オペラの話など、楽しい話題で盛り上がります。しかし、最後に副団長が「なにか一言」と言ったとたん、末廣さんの目がきらりと光りました。そして口をついて出てきた言葉は「てめえら、ちゃんと吹けよ!」というものでした。楽しそうにしてはいても、やはりこんな演奏ではまだまだ腹に据えかねるものがあったのでしょうね。

 でも、こんな顔でしたから、それが冗談だというのは、すぐ分かります。あしたも、頑張りましょう。
aventure number : 1366 date : 2009/7/11


今日の禁断 古川

 末廣さんとの練習の2日目、きのうの日曜日は、最初にモーツァルトという日程だったので、我々マーラーだけの出番の人は少しゆっくり行けば良いことになっていました。ただ、直前に予定が少し早まったもので、1時間ほど早めに行く必要はありました。でも、前の日の飲み会も早々とお開きになって、そんなに大変なことではありません。だれかが末廣さんにもっとお酒をすすめようとしたら、「実は私、あした仕事なんですよ」とかわされてしまいましたし。
 私は、少し早めに行ったのですが、まだモーツァルトの練習の最中でした。見ると、オケの配置が前の日とは変わっています。

 こんな風な、ファーストとセカンドが向かい合う対向型、コントラバスは下手奥にありました。そういえば、飲み会の時のそんな話も出ていましたね。でも、マーラーでは普通の配置でやることが暗黙の了解みたいになってますから、後半に並び方を変えるのでしょうかね。それこそ、ムラヴィンスキーのモスクワでのコンサートのように(これは冗談ですからね。多分ご存じでしょうが、ネタはこちらで)。でもあとで弦の人に聞いてみたら、これはためしにやってみただけなのだそうです。つまり「これ1回きり」、ほかに客席にいた人はいませんから、私は貴重なものを見せて(聞かせて)もらったことになりますね。
 末廣さんといえば、この間の「展覧会の絵」のことがありました。あれ以来、正確なところはどうなっているのか知りたくてあちこち調べまわり、とうとう楽譜まで買ってしまいましたよ。

 スコアは昔、それこそ末廣さんの指揮で演奏したときに買ったものですが、これには一番下の段にオリジナルのピアノの楽譜が付いています。ただ、それは「初版」の楽譜が「オリジナル」なものですから、ムソルグスキーの自筆稿とは多くの場所で異なった音やダイナミックスになっている、というのが、これまでに知ったことでした。それを、具体的に楽譜で確認しようとして買ったのが、大きなピアノ譜、なんと春秋社という日本版です。「春秋社」などというと、ちょっと前まではいい加減な楽譜として有名、私もずっとそう思っていたのですが、最近ではちょっと事情が変わってきているようです。ヘタな外国の楽譜よりよほど正確で、最新の情報を盛り込んだ楽譜を作るようになっているのだそうです。2005年に出版されたこの楽譜も、おそらく「原典版」としては最も信頼の置けるものなのだそうですよ。何と言っても校訂報告が「日本語」で読める、というのがすごいところです。
 末廣さんと仙台フィルで聴いたときに、ラヴェル版と違っているところは1箇所しか見つけられませんでしたが、確かに、なにも知らないで聴いて気づくのは「殻を付けたヒヨコ」の最後の部分だけかもしれませんね。オケ版は続けて書かれていますが、ピアノ譜を見るとこれは実は間にトリオを挟んだ三部形式、ダ・カーポで戻って最後はコーダにはいる、という形です。ただ、そのコーダに行く前の2小節が、どう見ても余計なので(校訂報告でも、「その方が音楽的に正しい」とあります)ラヴェル版はそこをカット、ですから、それを自筆稿通りに演奏するとすぐ分かる、ということなのです。
 もう一つ目立っているのは、「ビドロ」のダイナミックス。オケ版は「ピアニシモ」で始まって徐々にフォルテまでクレッシェンドするようになっていますが、自筆稿は最初から「フォルテシモ」なのです。ただ、これをオーケストラでやっても、あまりよく分かりませんでした。でも、ここでチューバが派手にヘクっていたのは、いつもよりはるかに大きく吹かされて戸惑ったせいなのかもしれませんね。
 自筆稿を元にした「原典版」は、春秋社の前にもウィーン原典版やヘンレ版などが出版されています。手元にあった2001年録音のキーシンのCDでは、しっかり自筆稿による演奏になっていましたね。
 末廣さんにはいつも驚かされますが、ニューフィルの本番の日にも、なんだかサプライズを用意しているみたいですよ(いや、演奏以外で)。
aventure number : 1367 date : 2009/7/13


今日の禁断 アンデルセン

 きのうのニューフィルの練習、なにしろ指揮者練習の次の次の日ですからそんなに出席者は多くないだろうと思っていたのですが、さにあらず、終わりごろにはけっこうな人数になっていましたね。素晴らしいことです。と同時に、弦の人達の音が、先々週(先週はパート練習でした)とはまるで変わってしまっていたのにもびっくりです。末廣さんの指揮によって何かに目覚めさせられた、といった感じ、確かに、「音楽」に近いものができかけているな、という気にさせられます。
 でも、4楽章はフルートにとっては本当に待ち時間が長く感じられますね。そういうときにはスコアを見ながら待っている、という手もあるのですが、私の場合は極力パート譜だけを見るようにしています。そんなところだけが、本番用のシミュレーションみたいですけど、なにしろ本番でスコアを見ることは出来ませんから、こうやってパート譜の空白に他のパートの音を記憶しておく、という作業が、私にとっては大事なのです。他の人はどうかは知りませんがね。
 ところで、この前の「展覧会の絵」はまだ引っ張っています。原典版の楽譜を買ってはみたものの、それ以前の「初版」、つまりリムスキー・コルサコフによる改竄版としてはブージー&ホークスのスコアの下に付属していたピアノ版しか手元にありませんでした。それは、当然のことながらラヴェルのオーケストラ版と同じサイズのものですから、この間問題にした「殻を付けたヒヨコ」の最後の部分は、ピアノ譜でもコーダの前が原典版よりも2小節少ない形になっています。当初は、この形が初版だと思っていたのですよ。ただ、春秋社版の校訂報告で、この部分について「ラヴェルは2小節省いた」と書いてあったのが、ちょっと気にはなっていました。「リムスキー・コルサコフは」ではないのですね。
 そのあたりを調べるには、初版に基づく「ピアノ用の」楽譜を見れば一目瞭然なのですが、ちょっと楽譜やさんへ行ってくるようなことも出来ないので、とりあえず「音」で調べてみました。そんな時に役に立つのが「NML」、検索すると何十種類という音源が見つかったので、片っ端から聴いていきます。しかし、どれ一つとして、ラヴェル版と同じ終わり方をしているものはありません。つまり、末廣さんの演奏を聴いて「違うな」と思ったような形でしか終わっていないのです。SPレコードを音源にしたようなヒストリカル録音のものでもそうなのですから、ピアノの場合は、あの「不自然」な終わり方が「普通」のものとしてずっと昔から演奏されていたのでしょうね。
 この曲のピアノ版は何度となく聴いてきたはずなのですが、こんなところには気づきもしませんでした。いや、聴いてて「変だな」とは思っても、そんなに深く考えなかったような気もします。
 どうやら、この部分についてはリムスキー・コルサコフは関与していなく、ラヴェルの「単独犯行」のようですね。
 先ほどの「NML」で、ここを末廣さんのようにピアノ版の形で演奏している録音がないものか、探してみました。まさかと思ったのですが、ジャン・ワーグナー指揮のオーデンセ交響楽団によるDANA CORD盤 で、見事にそれが聴けるではありませんか。やはり、末廣さんみたいなへそ曲がりは他にもいたんですね。
aventure number : 1368 date : 2009/7/15


今日の禁断 富沢
 この間金沢に行ったときには、街全体がまさに「観光地」としての顔を持っていたことに感動をおぼえたものでした。それを象徴するものが、例の周遊バスです。ドライバーに若い女性を揃えて、それだけで魅力的なものに仕立てようとしています。実際、彼女たちの細やかな対応には、とても好感が持てました。それだけのことで、また来てみたいな、と思ったものです。またバスに乗って、○林曜○さんに会いたいな、と。
 人が立ち寄る名所には、ボランティアのガイドがスタンバイしていて、(おそらく)無料で観光案内を買って出てくれています。金沢城に行ったときなどは、石垣の写真を撮っていたらテントの中にいたおばさん(ほとんどお婆さん)が出てきて、何も聞いてないのにその石垣の由来などをとうとうと話してくれましたし。

 実は、私が住んでいるところだって、よその土地の人から見ればれっきとした「観光地」なのですよね。そこに住んでいる人には分からないことなのかもしれませんが、もしかしたら私が金沢で味わったような感慨を、例えば鳥取県とか岐阜県あたりのド田舎からやってきた人が、同じようにこの場所で味わうことなど、あるのでしょうか。そういえば、ここにも金沢の周遊バスと良く似たバスが走っているのを見かけます。「るーぷるなんたら」というネーミングで、調べてみたらかなり広い範囲をカバーして走っているのですね。ちゃんと城址(お城はありませんが、そこに行くまでの石垣が、最近修復されて素敵です)まで連れて行ってくれますし、そこで降りて伊達政宗の騎馬像などを見て歩くことも出来るはずです。あ、その前の「瑞鳳殿」に行けば、座像も見れますし。一回、観光客になりきってこのコースを乗ってみたいですね。でも、ドライバーはおそらくオトコばっかりでしょうね。
 ガイドブックによれば、ここでは「牛タン」と「萩の月」が、おいしいものの筆頭なのだそうです。でも、正直「萩の月」がなぜあれ程の人気を獲得しているのか、私には分かりません。あの手のカスタードケーキでもっとおいしいものは、他にいくらでもあるのでは、と思うのですが。
 「牛タン」に関しては、確かにおいしいものだ、という認識はありました。特に「利久」というお店の牛タンは、肉厚なのに柔らかく、これだったらわざわざ遠くから来て食べていく価値はあるのでは、と、思っていました。でも、そんなものはいつでも食べられる、という気持ちがあるのでしょう、機会もないまま、もはや最後にそれを食べたのはいつのことだったのか思い出せないほどの時が流れていました。そんな時、愚妻の合唱団の練習場のすぐそばにそのお店の支店があることを発見、送り迎えの時間つぶしに、そこで久しぶりに牛タンを食べてみようと思ったのです。
 確かに、そこで食べた牛タン定食は、昔食べたものと同じような外見でした。厚く切ってはありますが、表面に切れ目が入っていて、簡単にかみ切れるようになっている・・・はずでした。ところが、そのうちの1片があまりに硬くて、とてもかみ切れるようなものではなかったのです。仕方がないので丸ごと口に入れて噛んでみても、とても飲み込めるようにはなりません。仕方なく、こっそり外に出してしまいましたよ。そんなのがもう1片、他は柔らかかったものの、なんだか味も昔と違います。油の味がとても邪魔になって、ちっともおいしくないのですね。
 もしかしたら、私の味覚が長い間に変わってしまって、この味を受け付けないようになってしまっていたのかもしれません。いずれにしても、あと数年は牛タンを食べなくても、なんの不自由も感じなくなったのは確かなことです。
aventure number : 1369 date : 2009/7/17


今日の禁断 ニャロメ

 今朝の「題名のない音楽会」に、富田勲が出演していましたね。なんでも番組の45周年だとかで特別企画の一環なのだそうです。それで、だいぶ前から宣伝の映像が流れていたのですが、その中に「モーグ3」が写っていました。でも、ほんの一瞬しか出てきませんから、それが果たして本物なのかどうかはよく分かりません。なんだかパネルに貼り付けた写真のようにも見えたのですよね。つまり、しっかり録画の用意までして見始めたのは、ひとえに「モーグ3」を見るためだったのですよ。富田勲なんかどうでも良くて。

 「M1」の間は、それはオペラシティのステージ上手に、布で覆われておいてあるように見えました。それが晴れてステージ中央に運ばれてきたとき、それは確かに「本物」の「モーグ3」であることが分かりました。キャビネットに入った「3C」というタイプですね(↑)。それだけでなく、その横にこれはポータブルタイプ(3P)のケースに入った追加のモジュールが置いてありました。パッチコードなどもつなげてあってさも音が出そうですが、富田さんはモーグに触る気配もありません。せめて、昔よくラジオでやっていたホワイトノイズから口笛の音を作るぐらいのことをやって欲しかったものですが、もはや音は出なくなっているのでしょうか。いや、そもそもアンプにもつないでありませんでしたし。
 でも、オーケストラと一緒に「展覧会」から「卵の殻を付けた雛」を「共演」してくれたのは、せめてものサービスだったのでしょう。もちろんモーグの音源は30年以上前に録音されたマルチトラックから抜き出したメロディ部分だけで、それを指揮者の佐渡裕が聴きながらオーケストラを指揮する、という趣向です。イヤフォンからは、多分クリックなども聞こえてくるのでしょうね。なかなか大変そう、というか、かなりずれてしまっていましたけどね。
 午後からは、やっと時間が出来て楽譜やさんに行くことが出来ました。目的は、その「展覧会」のピアノの楽譜です。まず、カワイに行ったらSCHOTT版などがあったのが大収穫。1954年に最初に出版されたこの楽譜は、どうやらラム版そのもののようですね。面白いのは、全音版が、音といいページ割りやレイアウトといい、これにそっくり。まさに「完コピ」といった感じです。1984年のUNIVERSAL版、つまり「ウィーン原典版」も、音友のリプリントがありました(「リプリント」というのは、元の版をそっくりそのまま印刷すること、さっきの「完コピ」は、元の版を真似て、新たに版を起こすこと、全然違います)。これも、やはりラム版が元になっているようですね。
 最も見たかった1992年のHENLE版がここにはなかったので、一番町のハズレにあるヤマハまで歩きます。その途中、アーケードの中では三社祭の御神輿が練り歩いていて、うるさいし邪魔だし、なんとも迷惑なことです。でも、ヤマハでは待望のHENLE版を見られたので、許しましょう。思っていた通り、これは自筆稿に忠実な版でした。おそらく、キーシンはこの楽譜を使ったのでしょう。
aventure number : 1370 date : 2009/7/19


今日の禁断 トイレ

 劇団四季の「ウェストサイド物語」を見てきました。だいぶ前に東京での公演を見たことがあったのですが、それが全国ツアーに出ていて、今日は仙台での最終日です。会場は、いつも彼らが使っている県民会館です。
 東京では生オケがピットに入っていましたが、地方公演でしたから当然カラオケです。ただ、PAのスピーカーがやけにちゃちなのが気になります。「携帯電話の電源はお切り下さい」みたいなアナウンスも、なんだかいつもより不明瞭に聞こえますし。
 こういう公共のホールですから、開演前にはホール備え付けの緞帳が下りています。金の糸などが入った豪華なもの、真ん中には蔵王のお釜、下の方には松島と、「宮城県」の観光地があしらわれているという、ご当地ならではのデザインとなっています。まあ、ミュージカルが始まればこれは見えなくなってしまうのですから、別にどうでもいいのですが。
 ところが、場内が真っ暗になって序曲が始まると、この緞帳は下りたままで、そこにカラフルで強烈なライトが当たったではありませんか。この幕開けの照明は東京と同じプラン、映画の印象的なオープニングに呼応したものです。「マンボ」のテーマが始まると真っ赤になったりと、非常にインパクトの強い、まさにこの作品の濃密な内容を予言するようなものなのですが、その強烈な光の中に「蔵王」やら「松島」が浮き上がっているというのは、なんともシュールな光景でした。下の端には「七十七銀行」ですからね。お客さんは、ひとときの間、日常を忘れて殺伐としたニューヨークの下町に身を置きたいと思っているのでしょうが、これでは今住んでいる土地そのまんま、笑うほかはありません。
 しかし、一度幕(つまり緞帳)が開いてさえしまえば、そこには、さっきの東京での公演をはるかに上回るレベルのステージが広がっていたのですから、嬉しくなってしまいます。東京での主役級の人たちの歌のあまりのひどさには、劇団四季そのものへの信頼さえもなくなってしまうほどの憤りをおぼえたものですが、今回は全然違います。まず、トニー役の福井晶一さんが、東京でのキャストとは雲泥の差、きっちり「音楽」を聴かせてくれていましたよ。もともとバリトンなのでしょうから、テノールのトニーを歌うのはちょっと苦しいところもあるのでしょうが、そこはうまく処理をしていましたし。そして、マリア役の高木美果さんは、伸びのある本格的なベル・カント、しかし、オペラ歌手のような過剰なビブラートはありませんから、まさに余裕でミュージカル・ナンバーをこなせる、という人でした。もっとも、この人はお芝居は歌と、そしてダンスほどは得意ではないようで、ちょっとセリフなどにはまだまだと言うところはありますが、おそらく修練次第でもっと上手になる可能性は秘めている、と見ました。
 そんな、音楽的に極めて充実した舞台で、このオリジナル版を見直してみると、例えば映画版では「第一幕」に移ってしまった「Gee, Officer Krupke」が、本来の「第二幕」で歌われるときのテーマの重さを噛みしめることが出来るようになります。映画で見ると、このナンバーは、一警察官への単なるおちゃらけのような「明るい」歌に聞こえてしまいますが、「事件」が起こったあとに歌われるこの曲は、なんという「暗さ」を秘めていることでしょう。
 さらに、映画ではカットされている「Dance Sequence」も、あの映画が持っているリアリズムの世界には馴染まないものだったことも、とてもよく理解できます。
 初めて気が付いたのですが、ジェット団とシャーク団のスニーカーの色が違っているのですね。「アメ公」のジェッツは全員白、プエルトリカンのシャークスは全員黒なんですよ。映画版を確かめてみたら、これも全く同じ、半世紀近く経って、初めて知ったことでした。
  見ている間中、私の涙腺は緩みっぱなし、そんな、ストレートに人の心を打つために欠かせない完成度を、この公演はしっかり備えていた、ということです。心配だったPAも、逆にうるさすぎないで、とても気持ちのよいものでした。
aventure number : 1371 date : 2009/7/20


今日の禁断 曲目

 この前「かいほうげん」を出してから、もう2ヶ月以上も経ってしまいました。こんなに間が空くなんて、私にしてはちょっと珍しいことです。まあ、目玉になるような情報が固まらなかったのが、最大の要因だったのですがね。
 でも、末廣さんの初練習は終わったし、来年の指揮者の予定もやっと固まったので、晴れてあした印刷、発行できる運びとなりました。きのうのうちにほとんどのページは完成、あとは事務的な項目(新入団員の名前とか)が事務局からFAXで届くのを待つばかりです。印刷の前の日の午後、などというのはもう慣れっこになっていますから、別になんでもありません。ギリギリあしたの午前中でも充分対応できるはずですし。
 そんなわけで、かなり押し迫ってのFAXでしたが、必要なものは全部届いて、あとはそれを紙面にまとめるだけです。と、事務局から電話で、なんでも数日前に団員の記事が新聞に載っていたのだ、と教えてくれました。全国紙ではなく地方紙ですから、私の家ではとっていないので分からなかったのですが、職場にはまだ回収に出していないで残っているはずですから、さっそく探してみましょう。
 確かに、夕刊の1面のほぼ全ページにわたって、その記事は掲載されていました。写真も2枚付いています。ネット版はこちら。写真のうちの1枚は、ニューフィルの練習場で撮られたものでした。そういえばだいぶ前にカメラを持った人がやってきましたね。その時には別に紹介もされなかったので分からなかったのですが、あれがこれを書いた記者さんだったのですね。その写真、主役の「2人」の後ろに、木管のメンバーが小さく写っていますね。これはぜひ載せねば。予定してあったページを今回はボツにして、これに差し替えましょう。
 そこで、まず画像の取り込みです。新聞の方はかなり大きな紙面ですから、A4のスキャナーには収まりません。仕方がないので、横にして2回に分けてスキャンします。それを、あとで貼り合わせて完成させることになります。大きさはそれでいいのですが、いつもこういう新聞をスキャンするときに問題になるのが、裏の面の処理です。新聞紙に限らず、両面印刷してあるものは、必ず裏の印刷が透けて見えるものです。現物を見ている分には気にならなくても、それだけを印刷するとかなり邪魔なもの、これをどうやって消すかが、腕の見せ所となってきます。果たして、きれいで見やすいものに仕上がっているでしょうか。
 もう一つ、末廣さんの飲み会の時の写真も載せました。前に「禁断」にも使った、本当に嬉しそうな顔をしているものです。実は、最近ネットで写真を可愛いイラストに変換してくれるところを見つけて、密かに愛用しています。せっかくですから、この写真をそこに送って出来上がったイラストも、一緒に載せてみました。
 あ、もう一つ印刷しなければならないものがありました。
aventure number : 1372 date : 2009/7/22


今日の禁断 リコー

 かねてから御案内のように、きのうは「かいほうげん」の発行日でした。長いことやっていますが、今まではただの一度も、予定していた日に発行できなかったということはありませんでした。もちろん、もうちょっとで発行できなくなるのでは、というあぶないときは何度かありましたし、そもそも言ってみればいつ発行できなくなってもおかしくないような綱渡りの連続なのですがね。でも、不思議なことにそれが現実のものになった、というのはなかったのですから、私には幸運の女神でもついているのでしょうね。
 ですから、最近ではなにか不都合があったとしても、印刷の当日までにはその女神様が全て解決してくれるのだ、と思うようになっていました。信じていれば、必ず報われる、「かいほうげん」の発行の日には、いつでもそんなことを実感していたものでした。
 今回も、そんな、いつもと変わらないスタンスで、印刷作業を始めます。特に何ごともなく、きれいに印刷は進みます。ただ、なにしろ同じ面を100枚以上印刷しますから、次第に色が変わっていくのは我慢しなければなりません。これさえなければなにも言うことはないのですが・・・。
 両面印刷の裏側を印刷するときに、ちょっとしたトラブルが起こりました。軽い紙詰まりが起こってしまったのです。それは、給紙トレイのすぐ先で軽く紙がカールするぐらいで済みましたから、とりあえず別のトレイに紙を移したら、何ごともなく再開できるようになったので、一安心です。
 16ページから成る「かいほうげん」は、A3の用紙を4枚使って両面印刷を行いますから、全部で8面の印刷をすることになります。その最後の用紙の表側、つまり7面目がまさに終わろうとする頃、それは起こりました。紙詰まりのサインが出て、止まってしまったのです。そんな時には機械を開けて紙を取り除いてやればいいことは分かっていましたから、あちこちの扉を開けて中にあった3枚の用紙を取り除きます。それでふたを閉めれば再開するはずなのですが、まだ最後の部分にもう1枚残っているというサインは消えません。そこはコピーの最後に熱を加えてトナーを定着させるユニットなのですが、ちょっと開けるのが面倒。やっと開き口を探し当てて開いてみると、そこには2つのローラーに挟まれてチリチリになってしまった最後の紙がありました。普通にはさまっていれば、ローラーを回してやれば取れるのですが、なんだか出口にある金具に引っかかっているようです。注意深くそのあたりをローラーを回しながら外していくと、部品の一部がポロッと取れてしまいました。慌てて元に戻そうとしても、その外れた部分がなんだか曲がってしまっています。これではいくら機械に強い私でも、自力で直すのは不可能です。その部品が外れた状態では、もはやこれ以上印刷を続けることも不可能、ついに私も女神様に見放され、その日のうちに「かいほうげん」を発行することは出来なくなってしまうのでしょうか(つづく)。

 いえ、そんなことはなく、しっかり新しいのが発行されたのはご存じの通り、いつも読んでくださっている方にもしっかり送ってありますから、ご安心下さい。それからサービスを呼んで、部品を交換、2時間ぐらいのロスで作業を再開することが出来ましたから。
aventure number : 1373 date : 2009/7/24


今日の禁断 カズシック

 2日連続で、ものすごい雷に見舞われた仙台市です。雷が鳴れば梅雨は明けると言いますが、まだまだそんな気配はありません。もしかしたら、梅雨明けしないうちに東北のお祭りシーズンに突入してしまうのかもしれませんね。
 もちろん、東北の夏祭りと言えば仙台七夕に決まってます。全国から観光客が集まって、とても自分たちの街とは思えないほどの変貌を遂げてしまうこのお祭り、しかし、企業の名前ばかりがでかでかと目立つ吹き流しの中を歩いていると、そこにはいつに変わらぬ懐かしい歌が流れているのですから、ちょっとしたノスタルジーをかき立てられ、このお祭りが細々と昔のままの面影を残していることを感じることが出来ます。その歌というのが、島倉千代子が歌っている「七夕おどり」という曲です。と言ってみても、そんなタイトルなど、今調べてやっとそうなのか、と思ったほどで、曲を作った人やタイトルなども忘れられても人々の間で歌い継がれているという、ほとんど「パブリック・ドメイン」と化した扱いを受けているのではないでしょうか。「PD」であれば、その歌詞をネットで公開してもなんの問題もないはず、ちょっとうろ覚えですが書いてみましょうか。 
♪晴れて楽しい 星空見れば
青葉城下は 笛太鼓 笛太鼓
年に一度の 七夕祭り
キンキンキラキラ お星様も嬉しそう
笹に花咲く 街飾り
 つまり、なにも見なくても即座にこんな歌詞が出てくるというあたりが、「PD」たる所以です(いや、本当は丘灯至夫作詞、遠藤実作曲というれっきとした著作物、著作権協会あたりの関係者がご覧になっていたら、見なかったふりをして下さい)。
 実は、この曲が作られたときに私はすでに物心付いていたものでしたから、まわりの大人たちが「島倉千代子なんて、メランコリックすぎる」とか言っていたことも未だにおぼえています。それこそ学校でもこの曲の「振り」を、全校生徒が学ばさせられたというような思い出も残っています。「振り」って、要するに「盆踊り」ですがね。そう、七夕だけではなく、この曲は町内の盆踊りでのメイン・レパートリーでもあったのです。というか、盆踊りを使ってヘビー・ローテーションを展開しようという、今の音楽業界顔負けのプロモーションが行われて、仙台市民であれば誰1人として知らない人はない、というほどの認知度を確保してしまったのがこの曲なのですよ。今思えば、これはとてつもないことですね。もっとも、「き」で始まるあの曲には到底及びませんが。
 いや、実はそんな「認知度」に乗っかって、この曲を再度ヒットさせようと目論んでいる人たちがいます。島倉千代子のトラックを若手演歌歌手が歌い、それに地元ラッパーがからんでヒップ・ホップに仕上げたという、おぞましいものです。どうせやるなら島倉千代子そのものをサンプリングした方がずっといいと思うのに、わざわざ「新人」に歌わせるあたりに、なんとも露骨な「商売」を感じてしまいます。いや、きちんとオリジナル通りに歌ってさえくれればなんの問題もないのですが、「♪笛太鼓 笛太鼓」を「♪ふえだいこ ふえだいこ」と歌っているのにはがっかりです。罪滅ぼしに、さっきの「き」で始まる曲をヒップ・ホップにしてみたら?そういえば、あの曲の著作権って・・・。
aventure number : 1374 date : 2009/7/26


今日の禁断 北中山

 ニューフィルのコンサートの本番はまだまだ先ですが、そろそろ印刷物の手配など、動き出したところがあります。そうなってくると、私のいつもの仕事、企画書の作成も動き出さなければなりません。特に、今回は記念すべき第50回目の定期演奏会です。末廣さんを呼んでマーラーの9番などという大曲を演奏するのも、会場である宮城県民会館(正しくは「東京エレクトロンホール宮城」)との共催事業を推進するのも、全て「50回」という節目のコンサートだからなのですよ。
 ですから、企画書も当然「記念演奏会」らしくいつもより立派なものを作ろう・・・とは全然しないで、前に作ったものをそのままひな形にしたものに、結局はなってしまうのでしょうがね。でも、とりあえずタイトルだけでも、いつもは単に「○回定期演奏会」としていたものを、「50回記念定期演奏会」と直せば、いかにも大事なコンサートだということは分かるはずです。ただ、チラシなどにはどうなっているのか一応確かめないと、企画書だけの暴走になってしまいます。確か、もう印刷所に原稿が入っていると言っていましたから。
 しかし、確認してみると、別に「記念」という文字を入れることは考えていなかった、というか、考えもしなかった、ということでした。それならそれで、多少士気は盛り下がりますが企画書にも「記念」を入れる必要はないでしょう。ただ、事務局の一存では決められないので、一応運営委員会を練習のあとに開いてみんなの意見を聞きましょう、ということにはなりました。
 そこで、今日の練習は弦と管打が別れての分奏だったので、市民センターで練習していた我々管のメンバーは、練習が終わったところで隣の青年文化センターの地下にある練習室へ向かうことになるのです。そこでこの提案が出されると、やはり「記念」を付けた方が良いのでは、という意見が多数を占めたようでした。ただ、ポスターやチラシには英語で「50th Concert」と書いてあるので、「『記念』は英語でどう書くの?』という話になりました。「memorial」という声が上がりましたが、これだとさもなにか人物とか大事件を「記念」したもののような感じがあって、単なる「50回記念」というのとはちょっと違ったニュアンスになってしまいます。結局、英語の表記はそのままにして、日本語の部分だけ「記念」を入れることで決着しました。
 でも、そんな単にキリ番だけの「記念」という意味は、本当は英語ではなんというのでしょうね。「justy」とか。そういえば、「memorial」というのは、「故人」の「思い出」をしのぶ、という意味で、葬祭会館の名前としてよく使われていることを思い出しました。なんでも「仙台メモリアルサービス」という会社が、泉区にあるそうな。
aventure number : 1375 date : 2009/7/28


今日の禁断 キタラ

 前回の「禁断」は、あちこち間違いがありましたね。本当は「記念」としなければいけなかったところが「特別」になってたりして、ついさっき気が付いて遅まきながら訂正したところです。なにしろ、あの日は練習が終わって帰ってきたら、色々ややこしいメールが届いていて、その返事を書いていたら「禁断」に取りかかったのがもう次の日になっていたものですから。睡魔と戦いながらやっと書き上げ、推敲もしないで(いや、いつもそんなことはしてませんが)更新、そのままになっていた、というわけです。
 そんなとんちんかんなことをやってしまった余韻がまだ残っていたのか、今日の更新でも、てっきり「おやぢ」の更新の日だと勘違いをして、出来たファイルを転送してからそれに気づき、その後始末に大変な目に遭ってしまいましたよ。幸い、元のテキストは手元に残っていましたから明日また同じ作業をすればいいだけの話なのですが、ビール飲みオヤジさんみたいに、全部のテキストを消してしまったりしてたら、大変なところでした。
 そんな、ハチャメチャな「禁断」でしたが、あの中で「memorial」以外になにか適当は単語はないか、と書いたら、さっそく「"anniversary"はいかが?」みたいな連絡がありました。一瞬、それが正解かな、と思ったのですが、これは「annual」から派生した言葉ですから、「50th anniversary」だと「50周年記念」になってしまいますよね。あるいは、私にちなんで「50回忌」とか。正確には、「50回忌」は「51周年」なんですがね。これこそ、本当の「メモリアル」になるわけですが。
 おとといのメールというのは、合唱団からの練習の連絡でした。6月に一般参加として歌わせてもらった合唱団が、なんだか長く続けていけそうな感触があったものですから、ついに入団を決心してしまったのですよ。ただ、今の時期、この合唱団はコンクールへ向けての練習に邁進しています。そんなところに行ってみても、せっかく作り上げたアンサンブルの邪魔になってしまうのが関の山なので、東北大会が終わってから(まず、県大会は間違いなくクリアする力を持った合唱団です)行ってみようと思っていました。ところが、先方からどうしてもコンクールに出て欲しいみたいなことを言われてしまいました。8月中は何かと忙しいというと、せめて東北大会には、などと恐ろしいことを言ってきましたよ。せっかく県大会を通っても、私が入ったために全国大会に行けなくなってしまったら、どうなるのでしょう。まあ、それなら少しでも慣れるために県大会には出ないまでも、時間があるときには練習に行きますということにしてあったので、その練習の予定の変更の連絡が入った、ということなのです。私の団員デビューは、今度の日曜日になるかもしれません。それにしても、コンクールのための講習会なんて、生まれて初めてです。
aventure number : 1376 date : 2009/7/30


今日の禁断 ストロー

 とうとう8月になってしまいましたね。これから夏真っ盛り、というのに、このお天気は一体何なのでしょう。もちろん、この地方限定ですが、ひところの暑さは全く影を潜め、ヘタをすると肌寒いほどの気候が続いています。やっぱり、夏は暑くなくっちゃ。
 そんな暑い夏には、素麺やざるそば、そして冷やし中華が何と言っても爽やか感を運んでくれます。冷たい麺類をすすって、ひとときの清涼感を味わう、というのが、昔からの日本人の正しい夏の過ごし方でした。ところが、最近ネットをさまよっているうちに知ったのですが、今の若い人の中には、この「麺類をすする」ということが出来ない人がいるのだそうです。豪快に「ズルズル」とか「ズズズズッ」と口の中に吸い込むというあの動作が、出来ないのですね。それで、けっこうコンプレックスを持つようになっている人もいるのだとか。
 私たちにとっては、それこそ本能的になんの意識もしないでやっていることなのでしょうから、いざ、体のどの部分を使ってどんな風に「すすって」いるのか、なんて、改めて考えても分からないようなものなのですが、当人たちにとっては切実な問題のようなのです。確かに、外国の人などにとっては、この「すする」という動作は馴染めないのかもしれませんね。パスタでさえ、我々はともするとすすって食べたりしていますが、西洋人にとっては、それはかなり見苦しいもののようです。つまり、そんな「見苦しさ」があって、すすることができなくなっている人が日本人の間にも出てきている、というのがネットで知ることの出来る現状のようでした。そのうちには、スイカにかぶりつく、などということもできなくなる人が出てくるのかもしれませんね。
 逆に、西洋の人には出来ても、日本人にとって難しいこともあります。「フラッター・タンギング」なども、そんなものの一つかもしれません。これは、非常に高速で音を切るという、管楽器でのワザです。「トルルル・・・」と、舌を震わせる、要するに「巻き舌」を使いながら音を伸ばすと、そういうことが出来るのです。日本人にとって、これはちょっと苦手。ただ、これは、現代音楽など、特殊なものでしか使われませんので、そういう曲を演奏することさえなければ、そんなに困ることはありません。普通にオーケストラを演奏している限り、これを使うことはまずありませんから。しかし、今やっているマーラーの9番には、なぜかこれがいっぱい出てくるのですよね。そうなると、やはりとても苦労している人がいるのが分かります。まあ、半分ぐらいの人はちゃんとできるので、カバーは出来ますが。
 もちろん、私も「ちゃんとできる」方の人なのですが、実は私も「巻き舌」は出来ません。そういう舌の形なのですね。でも、フラッター・タンギングには、巻き舌を使わなくても出来る方法もあるのです。それは「喉」を震わすやり方。つまり、「うがい」の時の喉の動きをしながら、音を出せばいいのです。こちらの方が、低音から高音までムラなくフラッターが出来るという利点もあります。
 つまり私は、蕎麦もすすれるし、フラッター・タンギングも出来るという、特技の持ち主なのですよ。「循環呼吸」ってやつも出来ますし。
aventure number : 1377 date : 2009/8/1


今日の禁断 トルミス

 この間混ぜてもらった合唱団に、正式に団員として参加することを決心したまではいいのですが、実際はいつから練習に加わるのか、という点では微妙なものがありました。なにしろ、この合唱団は毎年合唱コンクールに出場して、全国大会を目指す、という強い指向を持っていますから、今のシーズンはその真っ盛りです。8月末に県大会があるので、まずはそれに向けての練習、ただ、私の場合その日はちょっと別の用事があるので出ることは出来ません。ですから、最初は9月の東北大会が終わってから行こうかな、と思っていたのですよ。しかし、それならば、県大会が終わったところで来てくれ、といわれてしまい、そういうことになってしまったのは、この間の「禁断」に書いた通りです。それからは、ちゃんとカタカナが振ってある楽譜(テキストはエストニア語です)は送ってくるは、練習の模様を録音した音源のダウンロード先を教えてくるはで、もう先方はすっかり団員扱いです。そして、きのうはコンクールのための講習会がある、というのです。県大会が終わっていきなり行っても戸惑うばかりですから、その前にも少しは行っておこうかな、というつもりだったので、さっそく参加を申し込みます。
 そもそも、私はコンクールには全く縁のない生活を送ってきました。学生の時に入っていた合唱団はコンクールには出ませんでしたし、もちろん、吹奏楽をやっていたわけでもないので、そちらのコンクールも全くの圏外です。去年から愚妻が入った合唱団ではやはりコンクールが生活の一部ですから、それを通じて色々な情報は知ることは出来ました。それを、今年は我が身を持って体験することになるのですね。
 去年のコンクールの様子などを垣間見ていると、どうもこれは「コンクール」というものに普通我々が持っている概念とはちょっと違うものなのではないか、という気がしてきました。「普通の」コンクールでは、まず年齢制限があります。つまり、コンクールというのは、あくまでこれから世に出ようとする人たちが頭角を現すためのアピールの場なのですよ。一概には言えませんが、まずここでよい成績を取れば、それからの音楽家としての道はかなり明るいものになるはずです。
 ところが、この合唱コンクールときたら、年齢制限などは全くありません。さらに、全国大会での金賞という最高の栄誉を受けたならば、もうそれ以上求めるものはないはず、その栄誉をバネにしてそこから新たに次の段階に進むというのが「普通」のコンクールのはずなのに、そういう団体がなぜか毎年毎年参加するのですから面白くないですか?ですから、名前こそ「コンクール」と言っていますが、これはいわゆる「コンクール」とは似て非なるものだ、と言って良いのではないでしょうか。「より高いレベルを求める合唱団のためのお祭り」あたりが、一番的を射た言い方なのかも。「優勝」とか「1位」といったはっきりした順位ではなく、「金賞」や「銀賞」のようなある意味曖昧な表現を使っているのも、そんなキャラクターのあらわれなのでしょうね。ですから、これを「コンクール」だと思っていた末廣さんあたりは、難癖を付けることになるのです。
 きのう、そんな「コンクール」の関連行事である「講習会」を受けてみて、そんな思いはさらに深まりました。この「お祭り」にどっぷり浸かってみるのも悪くはないな、と思い始めています。
aventure number : 1378 date : 2009/8/3


今日の禁断 ギャロップ

 ニューフィルにも、夏休み、というか、お盆休みがあります。それが来週のことなので、きのうは休み前の最後の練習、ということになりました。別に、「休み」と言っても1回なくなるだけ、そんな、何週間も休むものではありませんが。
 それで、休み明けにはまた末廣さんの指揮練があり、その時にはまずマーラーを全曲通すぞ、と言われているので、急遽そのマーラーを1回最後まで通してみようということになりました。前半、ちょっとあちこちチェックしたあと、なんせ1時間半はかかる曲ですから、8時からスタート、9時半まで止めないでやってみる、ということです。途中で落ちてしまっても、止めないので頑張って復帰して下さい、と念を押されて、いよいよ「通し」が始まります。
 結局、予想しないアクシデントなどで2回ほど止めざるを得ませんでしたが、なんとか最後までたどり着きました。弦楽器の皆さんは本当にご苦労さまでした。なんせ、予想されたことですが、フルートはかなりヒマ、別に全曲やろうがどうしようが、特にペース配分などは考える必要もないほどでした。まあ、3楽章あたりはかなりタイトですが、とりあえずそこだけ集中していればあとはもう楽勝です。終わってからみんなで、「休みが多くて疲れるから、リクライニングの椅子だったらいいね」なんて話してました。
 その分、他のパートを聴く時間は多くなります。確かに、デコボコなところが山積、でも、これをあと2ヶ月半かけて丁寧にならしていけば、きっと素晴らしいものが出来上がることでしょう。
 この日は、もう一つ先の演奏会のことも本決まりになりました。メインの曲目は「エロイカ」に決まっていたのですが、そのカップリングを3種類ばかり指揮者に諮っていたものの返事が来て、結局「イタキソ」と「マスカレード」に決定、全ての曲目が揃いました。
 「マスカレード」というのは、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」のことです。曲全体は知らなくても、最初の「ワルツ」だけは、スケートの浅田真央がテーマ曲に使ってからブレイクしていたので、聴けばすぐ「この曲だ」と分かるはずです。実は、私の場合は逆パターンで、最初にゴールウェイがハチャトゥリアンのフルート協奏曲(瀬尾さんとやりましたよね)のカップリング曲として演奏したものを聴いていました。ですから、当然それはフルートソロのオケ伴奏の形、オケにはハープやピアノまで入っています。ですから、浅田の曲を聴いて、初めてこんな曲なのか、と知ったぐらいです。

 ところが、浅田は、私のさらに逆のパターンだったことが、こんなニュースで分かりました。ゴールウェイのCDを聴いて、今までのオケバージョンから、今度は新たにフルートバージョンを使うことになりそうなのですね。いずれにしても、まだまだ「ワルツ」だけは耳にする機会が多くなりそう、ブームが来年の4月まで続いていてくれればいいのですが。だとしたら、アンコールは当然「ワルツ」、しかもフルートバージョンでしょう。
 ちなみに、1984年に録音されたそのゴールウェイのCDは、復刻されていてこちらで簡単に手に入ります。
aventure number : 1379 date : 2009/8/5


今日の禁断 広末涼子


 遅ればせながら、「おくりびと」をWOWOWで見ることが出来ました。確かに、いい映画ですね。深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、ユーモラスなシーンも満載、「笑い」と「涙」が過不足なく配分されていて、楽しめます。四季折々の「田舎」の風景も、とってつけたようなところがなく(いかにもそういうのって、よくありますよね)美しくストーリーの中に溶けこんでいました。もうこれは、ゴチャゴチャ言わずに、素直に涙を流しながら見れば、それで誰もが幸せになれるものなのでしょう。
 この映画にプロの山形交響楽団が出演しているのは、知っていました。音楽監督の飯森さんまで、しっかり「指揮者」で登場していますしね。ところが、エンドロールを見ると、山形交響楽団と一緒に、アマチュアの酒田フィルの名前も載っていましたよ。確かにあの演奏シーンは酒田市の「希望ホール」という、新しく出来た立派なホールを使って撮影が行われていました。このホールのことは、そのロケが行われたのと同じ時期にそこを会場に行われた「日本アマチュアオーケストラフェスティバルin酒田」に行ってきた人たちのレポートで知っていたので、なにか親近感があったのですよ。しかし、画面を見る限り、そのホールのステージで演奏していたのは山響のメンバーだけだったようでした。あ、もちろん、メンバー以外の本木さんは別ですが。
 ですから、なぜ酒フィルが?と思ったので調べてみたら、彼らは実は演奏が終わってからの楽屋のシーンで「出演」していたのですね。後ろの方で楽器を拭いたり、ケースに入れたりしていた人たちが、酒フィルの人たちだったのだそうです。本当は山フィルの人たちにやってもらえればよかったのでしょうが、そうも行かなかったのでしょう。そこで、確かに、普通の人よりは「プロ」らしく見える、地元のアマオケに白羽の矢が立ったのでしょうね。
 ただ、この作品の中で重要なモチーフとなっている「チェロ」とか「オーケストラ」といった音楽関係の扱いについては、やはりちょっと突っ込みたくもなってしまいます。その酒フィルが出演しているシーンでは、「オーナー」から解散を告げられるのですが、こんな唐突で一方的な「解散」などは、実際にはあり得ません。確かに、こんな流れで解散通告を受けたオーケストラはいくらでもありますが、そのまま素直に受け入れる前に、「自主運営」などである程度は踏ん張る、という課程があるはずなのですよね。あるいは、得体の知れない老人に雇われて、オペラシティで2回だけのコンサートをやるとか。このシーン、なにも言わずに楽器を持ってそそくさと楽屋を出て行く「元団員」の姿には、プロの演奏家としてのプライドなどは全く感じられなかったのが、とても残念でした。いや、演じているのはアマチュアなのだから、それは当たり前?
 もう一つ、元音楽喫茶だった主人公の自宅には、LPが山のように並んでいてよだれが出そうになるのですが、その中から選んでレコード・プレーヤーに乗せて再生が始まったときに聞こえてきたのが、久石譲の挿入曲だったというのには、唖然としてしまいました。これ一つで、映画全体がガタガタになりかねない、重大なミスだと私には感じられたのですが、どうでしょう。
aventure number : 1380 date : 2009/8/7

09/8/9-9/15