今日の禁断 |
卵 |
今日は、復活祭なのですね。イースターとも呼ばれるこのキリスト教の行事、名前だけは知っていましたが、今まではイマイチ正確なところが分かりませんでした。それが、今回教会でその復活祭へ向けての礼拝として「マタイ受難曲」を演奏したことで、それがどういう意味を持つものなのか少し分かったような気がします。「受難」というのは、キリストが十字架につけられた日、そして、その時までの様子を音楽で表現したものが「受難曲」になるわけですね。しかし、ご存じのようにキリストは十字架上で亡くなった後、3日経つと「復活」します。ですから、大切なのは「受難」なのではなく、そのあとに起こる「復活」なのですよ。この「奇跡」をお祝いするために、キリスト教徒は大々的に礼拝を行うというのです。
キリストが生まれた日は世界中で有名ですが、そんな風に「復活」した日については、なんだか不思議な特定の仕方をするのだ、ということも今回知りました。それは、「春分のあとの最初の満月の次の日曜日」というものらしいのです。確かに、おとといあたりは満月がきれいでしたね。ですから、「復活祭」は何月何日と決められているものではなく、その年によって全く別の日になる、という、なんとも理解不能なものなのです。今年は4月12日ですが、来年だと4月4日になるというのですから。
ですから、3日前の4月10日の金曜日が、「聖金曜日」と呼ばれる受難の日になり、そこで「受難曲」が演奏されたことになるのです。これはもちろん昔から決まっていたことで、バッハの時代にも同じこと、つまり、バッハがライプツィヒで受難曲を演奏したのと同じ日(つまり、復活祭の前の金曜日)に、教会で受難曲を演奏した、という、なんだか感動ものの体験をしてしまったのですよ。そんな風に、コンサートホールではなく、教会で礼拝の一部としてこの曲を演奏したというのは、なにか特別なもののように思えてしまいます。それは、別にキリスト教徒ではなくても、確実にバッハとの結びつきが強まっているものだ、という風に感じられます。そう、悔しいけれど、バッハの音楽を産んだのは仏教ではなくてキリスト教の土壌だったのですからね。
そんな余韻も醒めないうちに、もう一つのニューフィル以外の出番のための練習が、今日ありました。今週は練習や本番が4回もあったことになります。今日のは、「フルートの会」、いつもの練習室ではなく、交流ホールという広々としたところでの、本番でのソリストやエキストラの管楽器が入っての練習です。普通のフルートも、ほとんど本番通りのメンバーが揃っていた中、アルトフルートは私ともう一人だけという、ちょっと寂しい陣容でした。始まる前に急に電話が入って、1人来れなくなったのでした。というか、本番には何人になるのか、私自身にも分からないという頼りなさです。5人から6人という噂なのですけどね。
最初にモーツァルトのフルート協奏曲が、ソリストの山元さんを初めてお迎えして演奏されました。カデンツァのコピーが指揮者の譜面台に載っていたので見せてもらったら、レイモン・ギオーの手書きのカデンツァでしたよ。山元さんはそれは全部は吹かないで、あとは本番でのお楽しみ、といった感じでしたが、なかなか面白そうなカデンツァでしたね。
最近は、アルトを長く吹いていても、そんなに右手が痛くはならなくなってきました。長いことやっているうちに、体が楽器に慣れてきたのでしょうか。今回は曲目は多いものの、そんなに難しいところはないので、満足のいく演奏が出来そうです。 |
aventure number : 1321 |
date : 2009/4/12 |
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