0921(07/2/19)-0940(3/22)

今日の禁断 富士山

 土曜日は丸1日練習でしたが、翌日曜日もまたまた練習という、とんでもない週末でした。まずは、会場の朝市へ向かいます。
 そこでちょっと時間があったので、長い間気になっていたことを解決してみようと思い立ちました。目的地は、すぐそばのエンドーチェーン(「イービーンズ」と言うべきでしょう)です。かつてはよくここにある本屋さんへ来たものでした。6階7階の2フロアを占めていたのが「ジュンク堂」、その上の8階ににあるのが、マンガの専門店「喜久屋書店」です。ところが、しばらく前にすぐそばに「ロフト」がオープンして、そこに「ジュンク堂」が入ってからというもの、もっぱら行くのはそちらの方になってしまいました。というよりも、「ロフト」に出来た時点で「エンドー」の方のお店はなくなってしまったと思ったのです。だって、あんな目と鼻の先にかなり大規模な同じ本屋さんが2軒もあるなんて、普通は考えられませんよね。ただ、「エンドー」の壁に付いているボードには、いつまで経ってもその本屋さんの名前が掲げられています。撤去する費用がもったいないのでそのままにしているのか、とも思いましたが、いくらなんでも長すぎます。そこで、この機会に実地に検証してみようと思ったのです。
 なぜか「エンドーチェーン入り口」などと書いてある朝市側の入り口を入ってエレベーターの前に行くと、確かに「ジュンク堂」も「喜久屋」も名前が書いてありました。そして、それに乗って6階まで行ってみると、あの、懐かしい空間がそのまま広がっていたのです。かつては家具売り場だったところを改装して書店にしたというその内装は、全く変わっていませんでした。確かにこのお店は、「ロフト」に別の店が出来たあとも、全く変わらずに営業を続けていたのですね。しかし、よくそんなことが出来るなあ、と思うのはやはり当然のことでしょう。見た感じ、日曜日にもかかわらず、こちらのお店はかなり「空いて」いました。品揃えはこちらの方がずっと充実しているような気がします。並んでいる順番はいい加減ですが(「順不同」・・・前にも使ったネタ)。これからは、こっちに来るようにしようかな。「喜久屋」は相変わらずレアなマンガを並べていましたし。
 と、積年の疑問が解けたところで、練習の始まりです。実はこれは予定にはなかったもの、コンサートが近づいても不安なところがあるということで、急遽東京から指揮者が来て行うことになったものです。男声2時間、混声3時間という、やはり長丁場です。
 セカンドは私一人といういつものパート、ほば大過なくいけるかと思っていたら、それまで出来ていたベース、バリトンから4度で引き継ぐ音程が、急に分からなくなってしまいました。1度出来ないと、もうどうにもならなくなって、ひたすら小さくなっている私です。その頃から、喉のコンディションも最悪、ピアノでの高音など、全然出てくれません。まだまだ、「合唱のリハビリ」は完了はしていないようです。
 ただ、休憩時間に他の人が持っていたチョコレートを食べてみたら、ずいぶん楽になりました。もしかしたら、のど飴よりもこちらの方が私に合っているかもしれませんね。
 後半の混声は、指揮者の飽くなきダメ押しでみっちり練習、これだけやられれば、自然に暗譜も出来てきます。
aventure number : 0921 date : 2007/2/19


今日の禁断 ANNO

 「コール青葉」は、メンバーとその周辺の人を含めると200人以上になる大組織です。その人たちの交流の場として、最近掲示板が設置されました。もちろん、そんな大規模なことをやるのは私ではありません。私のように出来合いの掲示板をそのまま使う、などということもなく、最初からプログラムを組んで作り上げたのは、東京でのメンバー。プロのウェブマスターです。設置されるやいなや、沢山のメンバーから投稿が始まって、大いににぎわいを見せるようになりました。その投稿の中で目立つのが、コンサートで歌う曲に関しての蘊蓄です。なにしろ、みんな学生時代には熱い語らいを日々行ってきた人ばかりですから、弁が立つことにかけては他の人に負けていない、という論客揃い、そこで、それぞれの曲に関してのマニアックなデータが、山のように書き込まれることになりました。
 そんなコアな話にはとても付いていけない、と思いつつふと思ったのは、今回の「組曲津和野」に関しての私の思い入れ、作詞の安野光雅さんのことはもう30年以上も「追っかけ」てきたものですから、そのあたりの体験には、他の人より年季が入っているはずです。というより、そもそも「絵本」などに関心を持つような人はそうそういないはずですから、このジャンルでは「負けない」自信があります。そこで、「安野さんのことなら任せなさい」みたいなことを書き込む私でした。
 実は、具体的に書くことなどはなにも決めていなかったのですが、とりあえず手元にあった2001年発行の安野さんの作品のアンソロジーを眺めていたら、その表紙に「TSUWANOの星座」というのがありました。

 分かりますか?左端、鉄砲を持った男の子は「T」、その隣のおじいさんは「S」、全部合わせると「TSUWANO」となる星座なのです。2001年といえばこの年に津和野にオープンした安野光雅美術館、そう、来月私たちがおじゃまするところにちなんで発行されたものです。この表紙は、実は美術館オープン案内のポスターの原画なのです。
 これを見て、私には「これだ!」ひらめくものがありました。「津和野組曲」の中に「つわのいろは」という曲があります。これは、そのタイトルの通り「命短し/老化は早し/花のさかりは/20まで」といった具合に、「いろは」48文字を全てのフレーズの頭に盛り込んだという手の込んだ作品です。その中の、「れんげの畑/空にはひばり/つらい子守の/合歓の歌」という部分に「つ」を重ねてなぜかローマ字で「TSUWANO」という歌詞が出てくるのが気になっていたのですよ。ですからこれは、その星座の絵に引っかけて、安野さん(もしかしたら作曲家の森ミドリさん)が仕掛けたちょっとした悪戯だったのですね。

 この曲には、もう一つ「仕掛け」が施されていました。これは、安野さんのファンだったらすぐ分かること。そんなことをさも得意げに書き込む私、長いこと安野さんのファンだったことを、これほど幸せに思ったこともありません。
aventure number : 0922 date : 2007/2/21


今日の禁断 ちひろ

 68万のキリ番は昨日の夕方に出ました。踏んだ方はカミングアウトを。私が絵本マニアだというのはだいぶ前にカミングアウトしてありますが、その中でも安野さんのものは別格、「絵本」という範疇には収まりきれない一つの表現作品として、常に刺激を与えられるものでした。傘寿を迎えられたということですが、いまだにその創作意欲は衰えを見せていないようです。つい最近も「週刊朝日」に新しい連載が始まったということで、さっそく覗いてみました。これは例の掲示板で書き込みがあったもので、「安野学の大家」(掲示板ではそう呼ばれています)としては、見逃すわけにはいきません。
 もう一つ、その掲示板には気になることが書いてあったので、それを確かめるという目的もありました。それは、最近の安野さんのお体についてのコメントだったのですが、ちょっとギクッとするようなことが、確かに書かれていました。逆に、これほどオープンに書くからには、そんなに心配することではないのでは、という気にもなりますが。ここで見ることが出来る安野さんの最新作は、黄河のスケッチなのですが、その色合いはとても荒涼としたもの(何でも、現地の砂を絵の具として使ったのだとか)、しかもそのフォルムは極めて簡略化された、抽象の一歩手前といった趣です。もちろんカラー印刷なのですが、そこからはモノクロの水墨画のような世界を感じてしまいます。安野さんはここまでのところに到達してしまったのか、という感慨がわいてくるほど、それは深いものでした。
 その掲示板では、求められるままに私の蘊蓄を披露しようと、書き込んだのがこんなネタ。もっとも、これはファンだったら誰でも知っていることなのですが。
 私が最高傑作だと思っているのは「旅の絵本」の第1巻ですが、今手に入るものは教会の屋根葺きのページが最初に出版された時のものとは違っているのです。どこが違っているかというと、瓦が葺かれている位置です。初版では上から葺いていますが、これだと雨が漏ってしまいます。それを読者から指摘されて、その部分を書き直して、下から葺いているものが、今では使われているのです。
 しかし、この「書き直し」は、およそ安野さんらしからぬ雑な仕上げになっていますよね。オリジナルを見なくても、書き直した跡ははっきり分かってしまいます。おそらくこれは安野さんご本人の手による修正ではないのではないか、そんな気がしてならないのですが。
 それともう一つ、この修正版は色合いがまったく違っています。確かに印刷の時のムラということはあり得ますが、他のページではそれが全く違和感のないほどの違いなのに、このページだけが全く別の色になってしまっています。これも、おそらく原稿を差し替えた時の製版のコンディションなどで、違ってしまったのでしょうね。ですから、渋い色合いの初版本は、たとえ瓦の葺き方が間違っていても、私にとってはかけがえのない宝物です。
 (と、これは掲示板のコピーになってます。あちらは会員制ですから普通の人は見れませんが、せっかくだからこちらのコンテンツにもしたいという貧乏根性の現れ、Mさん、お許しを。)
aventure number : 0923 date : 2007/2/23


今日の禁断 拍子木

 前回は掲示板の書き込みをそのまま「禁断」にするという「手抜き」をやったため、軽く各方面に疑惑を投げかけてしまいました。掲示板の方は一応パスワードがなければ入れない「閉じた」コミュニケーション・ツールですから、例えば絵本の画像などを掲載しても「私的使用」として言い訳が立つのでしょうが、それを「禁断」のような不特定多数の人が自由に閲覧できる場に置いた場合には、ちょっと心配になってしまいます。表紙だけならまだしも、本文となるとこれはれっきとした著作権の侵害でしょうから。最初はそんなことはなにも考えずに同じ画像をそのままアップしたのですが、しばらくしてそんな「心配」が脳裏をよぎったのですよ。そこで、アップして数分後に画像を削除、それに合わせて文章も若干手直ししました。ですから、ちょっと不自然な書き方になっているかもしれません(というか、携帯バージョンはそのまま)。そこをついてきたのが、1号様でした。おそらく携帯を読んでからPC版を見たら、画像がないので不審に思ったのでしょう。「画像が表示できないんですが」という連絡をよこされましたよ。
 例によって週末は合唱の練習、土曜日に東京に行って今帰ってきたところです。今回は新幹線が止まることもなく、無事に乗って来れました。先々週と全く同じ場所、同じ時間帯ですから、今朝は日暮里から京成線に乗り換えて青砥まで向かいます。日暮里駅でドアが閉まりかけているのに飛び乗った電車が特急だったので、ノンストップで青砥まで行きます。そのせいか、かなり混んでいて座席はいっぱいでしたが、前の車両が少し空いていそうだったので、車内を移動してみました。と、座っている人に見覚えがあります。それはなんと、今回のコンサートで一番難しい曲を指揮する仙台のO先生ではありませんか。何という偶然、と思ってご挨拶をしたら、すぐそばに立っていた人が「あ、気がつきませんでした」とこちらを向きました。その人も同じ合唱団員、すぐそばに先生がいたのに全く気付かなかったそうなのです。青砥に降りたら、その電車には団員がごっそり乗っていたことが分かりました。その数は10人以上、先生を中心ワイワイ話しながら、「モーツァルト・ホール」へと向かうのでした。
 午前中はその先生の指揮で男声をみっちり、そして午後はピアノの小原さんや作曲家の森さんをお迎えして混声をみっちり、もう声はヘトヘトですが、今回はチョコレートを用意しておいたおかげで、少しは楽になっていたかもしれません。練習の合間に一口チョコレートをほおばるのが、どうやら私の喉のためにはよいことのようです。私が用意したのは、森永のダース・ビター(ダース・ベイダーではありません)、一口サイズになっているので、胸ポケットに入れておいて休憩時間に口に入れるにはとても便利です。これからは、このスタイルが練習の時の習慣になるな、と思いました。ポケットに入れておくと、次第に暖まってチョコレートがドロドロになってしまうのに気付くまでは。

 さっきの画像の件、練習の時にもう一人の人から指摘を受けました。「画像が消えた」というのです。アップしてあったほんの数分間にアクセスしていたのですね。これは京成線で知り合いに会うこと以上の偶然です。
aventure number : 0924 date : 2007/2/25


今日の禁断 打楽器

 お気づきの方はまずいないと思いますが、トップページの一番下に「ビジター」というものを貼り付けてみました。アクセス解析の一種なのですが、これは今開いているサイトに、現在何人の人がアクセスしているか、というのを表示してくれるものなのです。その表示の文句も自由に作ることが出来て、私の場合は「現在、あなたを含めて○人の方がここを訪れています。」という言い方にしてあります。つまり、「1人の方」だった場合は他には誰もアクセスしていない、ということになりますね。これはちょっと寂しいもの、出来ればこういう表示はみたくないものです。幸い、このサイトの場合はそういうことはあまりないようで、今のところ最高は「5人」でした。これはストレートにアクセス状況が分かって、なかなか手応えのあるものですよ。こういう感触、実際にサイトを作っている人でないとあまり良くは分からないかもしれませんが。
 ニューフィルの方は、そろそろチケットやチラシが出来上がってくる頃ですから、いよいよ本番モードにシフトです。そうなってくると、私も色々仕事が増えてきます。とりあえず、今週末までには企画書を作らなければなりませんし、ポスター貼りの手配もしなければなりません。また今回も、いつもの方々にお願いする予定ですが、ご協力をよろしくお願いしますね。もちろん、出来る範囲で構いませんから、無理な時には言って下さい。これも、なかなか「手応え」のある仕事のような気がしますし。
 その間を縫って、新しい「かいほうげん」の発行のための準備です。ネタは揃っているので来週にでも出せないものかと考えてはみました。つまり、そこを逃すと20日まで全員の合奏がないので、ちょっと遅くなってしまうからです(10日の指揮者練習の時に出す、という手もあるのですが、その日は私がいませんから)。しかし、それはどうも物理的に無理、新入団員の写真を撮ろうとしても、6人のうち4人が欠席でしたから。
 こうなったらじっくり他のことに集中することにしましょうか。なにしろ、合唱の本番まで2週間を切ってしまいましたからね。ただ、どうやら完全に暗譜をする必要がなくなったようで、少しこちらの負担が軽くなったのは、有り難いことでしょうか。もちろん、私はきちんと暗譜をするつもりでいますが、全員譜面を持ってステージに立つということですので、もしもの時にも安心という、1ランク厳しさが減った状態になりました。ただ、暗譜以外にも気がかりなことがありますから、気を張っていなければならないのは前回以上です。風邪などひいたらおしまいですから、それも気をつけなければ、
 そうそう、他のホームページの面倒も見なければいけないのですよ。風邪をひいている暇などありません。
aventure number : 0925 date : 2007/2/27


今日の禁断 悪魔

 きのうの「おやぢ」で取り上げた「オルフェイ・ドレンガー」ですが、曲目などの確認のために録画しておいたDVDを取り出してもう一度見直してみたら、なんと、間宮芳生の「コンポジション」を演奏しているではありませんか。前に見た時にはこの曲を実際に歌うことなど想像すらしていませんでしたから、あっさり聴き流して、記憶にも残っていなかったのですね。ほんのちょっとした経験で、あることについての関心が全く変わってしまうということの、まさに実例と言えるでしょう。
 今では、しっかりこの曲を練習していますから、隅々までよく知っているようになっています。そうなると、冷静にこの演奏を聴くことが出来ます。まず、なによりも「うまい」のには驚かされます。我々はこの曲、本当に苦労していました。特に難しいのがリズム、というか、各声部のタイミング。楽器だったら、リズムさえつかんでいればすぐ音を出すことは出来ますから、そんなに難しいことではないのですが、合唱の場合は「音を出す」というのが、まず大変なのですよ。絶対音を持っていない限り、なにもないところから正しいピッチの音を出す、というのはまず不可能です。ですから、前の音をおぼえていて、それから何度の音程ということで、次の音を出すことになります。この曲の場合は、その音程がとても厄介、その上、変則的なリズムで入らなければなりませんから、休んでいる間にその音を確かめていたりすると、もう次の入りが分からなくなってしまいます。
 そんな難しいことを、彼らは本当に簡単にやってのけているのですよ。それはまさに、楽譜の細部まできちんと音として完璧に再現しているという、ほぼ奇跡的な演奏でした。「クラシック音楽は、楽譜を介在して成り立っている音楽」という定義を素直に受け取る限り、それは全く理想的な姿のように見えます。
 ところが、そんな完璧さとは裏腹に、その演奏にはなにか違和感がついてまわったのも事実です。この「コンポジション」という一連の作品は、素材として日本の民謡やわらべうた、声明といったものを使って、それを高次元の合唱曲として再構築したものです。元の日本のメロディは、装飾音やグリッサンドを駆使したとてつもなく細かい記譜法で「楽譜」として書き記されています。それを忠実に「音」にすることさえ出来れば、そこからは元の民謡などが持っていた雰囲気を感じ取ることは出来るはずです。ところが、このスウェーデンの「世界一」とも言われる男声合唱団の演奏からは、その様な「日本」の要素がほとんど伝わってこなかったのです。そこから聞こえてきたものは、確かに西洋音楽が持っていた語法とは隔たった世界ではあっても、特に特定の国を意識させられることはない、もっとグローバルな音楽の姿だったのです。同じ音符から私たちだったらもっと別なものが感じれて、それが全く別の表現になるのだろうな、という感慨が、その「違和感」の原因だったのでしょう。
 今クラシックの世界で使われている西洋音楽の記譜法は、確かに優れたものではありますが、こと民謡のようなものに関しては楽譜にすることによって抜け落ちてしまう情報も少なくはないはずです。間宮さんはそのあたりをどのように考えていたのか、聞いてみたいような気もします。
aventure number : 0926 date : 2007/3/1


今日の禁断 チューバ

 最近車を運転していて、ちょっと変わった習慣が広がっていることに気付きました。横道から割り込もうとした車が、誰かに譲ってもらえた時に、お礼の意味なのでしょうか、ハザードランプを点滅させるというものです。もちろん、これはこのランプの正規の使い方であるわけはありませんから、誰かが始めたことがいつの間にか広がってきたのでしょうね。確かに、譲ってあげたお礼の気持ちを現してくれるのは、いやなものではありません。この殺伐とした社会の中で、なにかそこに暖かい人情のようなものを感じたとしても、それほど見当外れなことではないでしょう。ただ、私自身はこういうことを進んでやりたいという気持ちには、到底なれません。そもそも、ハザードランプを操作する、というのは、ハンドルを切ったりウィンカーを出したりというような、普通の運転中の動作の中には含まれていないものですから、それをやろうとすると余計な神経を使ってしまいます。つまり、前を向いたまま操作できるものではなく、それを行うためにはいちいちパネルの方を見なければいけませんから、一瞬でも「前方不注意」の状況になってしまうのですよ。そこまでの危険を冒してまでお礼の気持ちを伝えるという気には、さらさらなれません。
 それと、ちょっと気になるのが、とても「お礼」の意味でやっているのではないと思われるようなケースも、たびたび見られることです。タイミングとしてはとても入れないようなかなり無理な入り方をしてその直後にこれをやられると、そこからは「ありがとう」という意味ではなく、「いや〜、悪りぃ、悪りぃ」みたいな、ちょっと確信犯的なメッセージが感じられてしまうのです。相手をヒヤッとさせるような危険なことをやっていても、この信号さえ送れば全て許される、といった「甘え」のようなものが、この中に含まれていると思えてしょうがありません。
 まあ、でも、何らかの意思表示をするだけ、マシなのかもしれませんね。と言うのも、最近、他人に何かしてもらっても全く何のリアクションも示さない、という困った人にであったばかりですから。10日ほど前のこと、ニューフィルのアンケート経由でメールが届きました。メールの主はさるアマオケのファゴット奏者の方、なんでも今度グラズノフの「コンサート・ワルツ第2番」を演奏することになったそうなのですが、楽器編成で分からないところがあるというので、つい最近同じ曲を演奏したことのあるうちのオケなら分かるだろうと思って、「どういう楽器編成ですか。もし出来たら、スコアを見せて頂けませんか」と聞いてきたのです。そんなのは造作もないことですから、手元にあったスコアの最初のページをスキャンした画像を添付して、返信してあげましたよ。「もし必要なら、スコアの現物も送ります」とまで書いて。しかし、彼女(「祐子」というんだから、女性でしょうね)からは、今日になるまでなんの反応も届いてはいません。とりあえず自分の知りたい情報が得られたので、あとはどうでもいいとでも思っているのでしょうか。
 そういえば、最近はこのサイトに相互リンクをお願いしてくるメールもよく届きますが、その中に自分で「紹介文」を添えて、「このように書いて下さい」といってくる人が増えました。これも、私の感覚ではちょっと理解不能。お願いされたからといって、リンクするかどうかはこちらの判断によることです。紹介文はあくまで私の感想として書きたいと思っていますから。もちろん、こんな風に言ってくるサイトで面白いものはありませんから、こちらからリンクすることはまずありませんが。
aventure number : 0927 date : 2007/3/3


今日の禁断 こうせつ

 待ちに待った工藤さんとの初練習が、愛子の広瀬文化センターで行われました。「待ちに待った」というのは、ご存じの通り先月行われるはずだったものがなくなってしまったからです。今朝は別に電話もかかっては来なかったので、まず何ごともなく始まることでしょう。
 日曜のお昼だというのに、道路はガラガラに空いていましたから、かなり早めに会場に着きました。もうすでに楽器は運ばれ、椅子も並び終えられています。弦楽器の人も、すでにボツボツ到着、管は私がほとんど一番乗りだったでしょうか。
 このホールはステージが狭いので、後に反響版を下ろすとかなり奥行きが短くなります。ですから、管の座る位置のまわりに弦楽器が取り囲むように座らなければなりません。今回の配置は工藤さんの要望で対向配置、フルートのサイドにはチェロが来ますから、こんな風に並ぶとすぐ隣りにチェロが座っていることになります。これはちょっと珍しい体験でした。
 工藤さんはスニーカーにジーンズとシャツというラフなスタイルで登場です。10年以上前にニューフィルにいらっしゃった時には、確かまだ眼鏡もかけていなくて、髪も長めだったような気がしていましたが、その時とは外見的にはかなりお変わりになったような感じです。

 しかし、練習が始まると、あの歯切れのよい指示が飛び交い、当時の思い出が蘇ってきました。しかし、その前にまず「幻想」を一通り最後まで通すという連絡が入っていましたから、ちょっと緊張です。普段の合奏でも全曲を通したことはなかったので、どうなることかと思ったのですが、まずはなかなかハイレベルの(あくまで普段の合奏に比べたら、ということですが)演奏が出来ていたのではないでしょうか。曲の最後は割とあっさり短めに切り上げていたので、そのつもりで5楽章の最後もあまり伸ばさないのだと思ってブレスをしなかったら、最後の音だけ信じられないほど長く伸ばしたので、ほとんど酸欠状態になってしまいましたがね。
 そこで一旦休憩、そのあとは、最初から細かいチェックが入ります。1楽章などは、最初の数小節だけでも何度繰り返しやり直しをさせられたことでしょう。ほとんど全ての音符について、細かい注文が出されます。しかし、こういうリハーサルはみんな嫌いではないはず、何かを言われるごとにその的確な要求を受け入れつつ、何とかそれに近づこうとがんばっています。そんな充実した時間があっという間に過ぎて、予定通り3楽章までがほぼ時間通りに終わってしまいました。
 その間、なんだか注意を受けていたのは弦楽器ばかりだったような気がしましたが、時折盛り込まれるユーモラスなジョークで、適度のリラックスも与えられて、退屈することはありませんでした。前回の時の歯切れ良さはそのままに、指揮者として一回り大きな姿を私たちの前にあらわしてくれた、そんな感想は多分間違ってはいないことでしょう。これからの合奏が楽しみです(といっても、次回は合唱の本番があるので、休まなければなりませんが)。
aventure number : 0928 date : 2007/3/4


今日の禁断 グノー

 いつもニューフィルの合奏に使っている旭ヶ丘市民センターですが、そこに隣接されている駐車場が使えなくなる、という噂が飛び交っていました。いや、それは根拠のない噂ではなく、駐車場の入り口にきちんと「建築計画」が掲示されているので、確固たる情報なのですがね。そこを見てみると、確かに「工事期間」というのがあって、「平成19年3月1日から」と書いてありました。ですから、果たして今日の合奏の時には駐められるのか、行ってみたら工事が始まっていて、車を置く場所がなかったなんて、悲劇ですよね。
 そこで、朝の出勤前に、ちょっと寄り道をして果たして工事が始まっているかどうか確認することにしました。行ってみると、駐車場はなにも変わっていないように見えましたが、その向かい側の空き地になにやら新しい看板があります。

 どうやら、ここにコインパーキングが出来て、それが3月19日から使えるようになる、という事みたいですね。ということは、おそらくこれを今の駐車場の代わりに確保した上で、本体の工事が始まる、ということなのでしょうか。となると、18日までは使えるのでしょう。しかし、その間に分奏が入りますから、今度ここに来るのは20日のことになります。その時には新しいパーキングがオープンしているはずですから、もう今の駐車場を使う機会はなくなってしまうのですね。ちょっと寂しい気がします。
 そもそも私がニューフィルに入った時から、練習はこの旭ヶ丘でやっていました。ただ、その頃はこんな有料駐車場は出来てなくて、まわりはただの空き地、車はどこにでもただで置き放題という嬉しい環境でした。それが出来なくなったのは、地下鉄が開業してからです。地下鉄駅のすぐ前という、こんな便利な場所にただで駐車できるなどという話があるわけはなく、しっかり柵で覆われた今の駐車場が出来たというわけです。まあ、料金が30分50円という、街中では考えられないほどのものですから、有料になったとしてもそんなに負担には感じられませんでしたがね。
 今度出来るパーキングの料金を見てみると、「2時間200円」ですから、今と変わらないように見えます。確かに、今も最初の2時間は200円ですが、そこから先は30分刻みに50円ずつ加算されていきます。これからは、2時間を過ぎると、4時間まで一律400円ということになりますね。我々のように、ほぼ4時間弱駐めている人は今までと同じですが、例えば2時間5分でも400円、今までは250円で済んでいましたから、実質的な値上げなのでしょうね。
 今の駐車場は、新しく立体駐車場になるのだそうです。その時の料金は、おそらくもっと上がっているのでしょうね。
 そんな、記念すべき日の合奏、後半はワルツで降り番でしたから早く帰れるつもりでいました。ところが、前半の幻想がそろそろ終わろうかという頃に携帯メールが。休みの小節の時に開いてみたら、「急なことですが、代吹きお願いします」と、ワルツの1番担当の人からもものでした。2番は葺いたことがありますが、1番は初体験、ちょっとビビッてしまいました。
 コンマスが口頭で言っていましたが、4月の予定が大幅に変わっています。ペーパー版の日程表を出すまでは、掲示板と公式サイトの日程表をよくご覧下さい。
aventure number : 0929 date : 2007/3/6


今日の禁断 マッサージ


 ちょっと前の新聞広告に「傑作コメディ」と書いてあったので、篠田節子の「百年の恋」(集英社文庫)を読んでみる気になりました。この作家、クラシック音楽を素材にした作品を沢山書いているのでそういうものはよく読んでいるのですが、それ以外のジャンルのものも、なかなか緻密な構成で読み応えがありますから、結構好きで機会があったら読むようにしています。しかし、正直言ってそのくそ真面目な描写がややうざったくかんじられることもあります。自分ではユーモアだと思って仕掛けている「くすぐり」が、見事に外れていることもありますし。ですから、本当に面白くて一気に読めてしまうものがある一方で、どうにも入り込みようのない取っつきにくいものがあるのも事実です。この間出た「コンタクト・ゾーン」(文春文庫)などはいかにも面白そうだったので、張り切って上下巻まとめて買ってきたのですが、上巻を読んでいる途中でどうにも話について行けなくなって、ギブアップしてしまいましたよ(あ、私には、この手のものをハードカバーで買うという習慣はありません)。
 そんな篠田の「コメディ」が読めるというのが、この本を買ったきっかけです。お世辞にも「笑い」のセンスが良いとは言えない彼女が、一体どんな「コメディ」を書いたのか、それが興味の対象でした。
 出だしは確かに意表をつく設定でした。売れないライターがインタビューに行った先の銀行でのエリート社員に一目惚れ、とても自分とは釣り合わない高嶺の花だと思っていたものが、トントン拍子につきあい始め、そのまま結婚してしまうというものです。しかし、いざ結婚して一緒に生活してみると、その女はとんでもないだらしなさの持ち主であることが分かってしまいます。部屋は散らかし放題、家事は全く行わないというおよそ「嫁」にはふさわしくない女だったのです。こういう成り行きですと、確かにコメディにはなるでしょう。実際、仕事が忙しいことを口実にして、休みの日はゴロゴロ寝てばかり、結婚したら一緒にヨーロッパへオペラを見に行くのは無理だとしても、せめて九州あたりの温泉にでも一緒に行きたいものだと思っていた男の何とも言えない絶望感は(そんなことまでは書かれてはいませんが)、格好のコメディの素材になるはずですから。
 しかし、女が妊娠したというあたりから、物語は安っぽいソープオペラの様相を呈してきます。父親がもしかしたら自分ではないのかもしれない、という考えを男が抱くようになったのです。このあたりの描写にはなかなか引き込まれるものがあります。本気で、これはそんな裏切りの物語だと思ってしまうほどの筆致、それはそれで面白いのでしょうが、「コメディ」と断ってあることがかろうじてそんな救いようのない結末ではないはずだと思わせられる担保になっているのでしょう。
 案の定、自分そっくりの女の子が生まれてきたことによって、男の疑惑はあっけなく氷解します。全ては自分の取り越し苦労だと悟るあたりに「コメディ」を感じて欲しいということなのでしょう。まあ、良くできた話ではありました。
 この「小説」のもう一つの仕掛けが、他の作家が書いた「育児日記」をそのまま挿入したというものです。そこだけゴシック体で印刷してあって、それが分かるようになっています。その様にすることによってなんとしても盛り込みたいものがあることはよく分かりますが、ちょっとこれは本体とは全く異質、小説の方を「日記」に合わせてかなり強引にねじ曲げてあるのがありありと分かってしまいます。こんなものがない方がもっとスッキリと「コメディ」が仕上がったのではないか、という気はします。
aventure number : 0930 date : 2007/3/8


今日の禁断 オペラシティ

 チケット、チラシ、ポスターといった印刷物が出来上がり、いよいよニューフィルは本番モードに突入です。今回のチラシはこんな感じ、「おフランス」の雰囲気が出ているでしょうか。

 これがチケットと一緒に団員の手に渡るのは明日になるのでしょうが、私は一足早く段ボール箱いっぱいのチラシとポスターをもらってきました。広報係としていつもの通り色んなところへ配るためです。もちろん、私だけではなく、他の人にも手伝って頂きます。それはおそらく来週以降の仕事になるますが、今日は別の仕事、「企画書」を発送してきました。出来上がったばかりのチケットを「プレゼント」用に同封して、マスコミやフリーペーパーに送りつけるという、いつもの仕事です。いつもですと間際になって企画書を作るのですが、今回は余裕を持って作ってありましたから、チケット解禁と同時に発送できたというわけです。工藤さんとの顔合わせも無事終わったことですから、あとはいよいよ仕上げにかかることになります。
 その工藤さんですが、みんなに「昔は髪が長かった」だの「イケメンだった」などと言っても誰も信用してくれないので、「かいほうげん」のバックナンバーを引っ張り出して最初にいらっしゃった時の写真を探してみましたよ。どうです?

 そして、明日といえば、いよいよ合唱の本番で東京へ行くことになっています。今回は去年に比べて何かとヘビーなことが多かったのですが、ついにコンサート当日が目前になってしまいました。当初は全曲暗譜のつもりでいたのですが、最終的に「持ちましょう」ということになってしまったので、ちょっと意気込みがそがれた様な感じがしていましたが、やはり楽譜は持ってもきちんと暗譜で歌いたいという私の決心は変わりませんから、そのための悪あがきが今日と明日は続くことになるのでしょう。
 前から、「チケットは入手困難」と言っていましたが、今回はいつにも増して争奪戦が厳しそう。なにしろ、予備のチケットが用意されているはずの指揮者関係でも、掲示板に「余ったチケット、ありませんか?」などと書き込んでいるのですから、これは本物です。もちろん当日券などもありませんから、チケットが手元にある人は本当に幸運な人なのでしょう。歌う方も、満席となった中で演奏できるのはこの上ない喜びです。
 去年は三木稔さんが聴きに来られましたが、今回も間宮芳生さんがいらっしゃる予定になっています。多田武彦さん(まだご活躍なんですね)もご招待したそうなのですが、別の予定が入っていてだめだったとか。もちろん、レコーディングはあの小貝さん、そんな人々の期待を裏切らない、精一杯の演奏が出来ればいいなと思っています。では、ニューフィルをお休みして、行ってきま〜す。
aventure number : 0931 date : 2007/3/9


今日の禁断 チョコレート

 東京での演奏会が終わって、ついさっき帰ってきたところです。とても無事に帰って、いえ、行くことすらできないと思っていましたから、これは殆ど奇跡です。
 金曜日あたりから、ちょっとした腰の痛みはありました。良くあることで、だいたい翌日にはなんともなくなっているのですが、今回はちょっと違っていました。土曜日の朝に一番早い「はやて」に乗るために早起きをした時も、まだ痛みは少し残っていました。それは別に運動に支障のあるほどのものではなかったのですが、ちょっと物を取ろうと体をひねった途端、起きあがれないくらいの痛みが襲ってきたのです。こうなると、もう歩くことすら出来ません。というか、まともに立っていることすら出来ないのですから、とてもそのまま新幹線に乗って東京へ行くなんて、出来るわけがないと思ってしまいました。ステージ衣装の他に、「楽器」の入った鞄も持たなければなりませんでしたし。そう、今回の合唱の演奏会で、私はある「楽器」を弾かなければならないことになっていたのですよ。その楽器というのは「拍子木」です。日本民謡を素材にした曲の中で、演奏しながら拍子木を叩くという部分があるのですが、それを私と、東京のもう一人の人が「ソリ」をすることになっていたのです。この拍子木、かなり堅い木で作られていて、かなりの重さがありますから、腰痛の時にこんな物を持ったら大変です。合唱だったら私が一人ぐらいいなくてもどうということはありませんが、この拍子木のパートは急に他の人に代わって叩いてもらえるほど簡単な物でもありませんし(いや、リズムはどうということはないのですが、2人が揃えるのがかなり大変、数回一緒にやってみて、やっと合うようになったばかりなのです)。
 とりあえず、愚妻が使っていたコルセットを締めてみると、少しは楽になったので何とか歩くぐらいは出来るようになりました。荷物も全部持ってくれるというし、地下鉄で駅まで行くつもりだったのをタクシーに切り替えて、不安な旅の出発です。
 新幹線ではおとなしく座っていたので、降りる時にはまず普通通りに歩けるぐらいにはなっていました。そのまま中央線、京王新線と乗り継いで、オペラシティのリハーサル室に無事到着、練習をやっている間はそんなに気にならないほど、痛みは少なくなっていました。この分だと、一晩眠れば痛みは嘘のように消えているかもしれません。
 ところが、今朝の本番の日になっても、ちょっと寝返りを打つだけで激痛が走る状態は変わってはいませんでした。相変わらずコルセットなしではどうにもならないのに変わりはありません。愚妻は、前に病院で出してもらった薬を飲んでみるように勧めます。こうなれば、藁をもつかむ思いでそれを飲むしかありません。
 それが効いたのか、コンサートのリハーサルと本番は、まず大過なく終わらせることが出来ました。打ち上げの頃には、ほとんど痛みはなくなっていましたから、多分効き目があったのでしょう。帰り道は、荷物を持っても大丈夫なぐらいになっていました。本番で使った拍子木はその合唱団の物でしたから返してきました。そう、帰りの荷物は「拍子抜け」だったのですよ。
 愚妻の助けなしには、とても東京までの往復など、出来なかったに違いありません。
aventure number : 0932 date : 2007/3/11


今日の禁断 DSD

 今年も行ってきました。東京オペラシティのコンサートホール。ここのステージに立つなんてなかなか得難い体験でしょうから、昨年に続いてバックステージなどの写真を撮りまくってきました。
 まずは、去年はとうとう行けなかった「出演者ロビー」です。このホールがあるのはオペラシティの3階なのですが、楽屋などは3階と4階にあります。テナー系の楽屋が3階なので、わざわざ階段を上ってまでも行くことはないと思い、去年は行きませんでした。奥に見えるのが喫煙コーナーというのが、ちょっと気になります。出来ればきちんとブースで仕切ってもらいたかったところです。

 3階のステージ裏手には、こんな棚があります。出演者が楽譜や楽器を置いておくための物なのでしょう。本番の時は、ここは各人の楽譜や「水」でいっぱいになりました。もちろん、私の「拍子木」もここに置きました。

 その向かい側に、サインボードがあります。ここを使った演奏者が記念に書いたもの、左端にはスクロバのサインがありました。


 その脇には、去年と同じスタッフにより、録音(奥)と録画(手前)の機材がセットされていました。今年もまた素晴らしいCD(SACDも可能)やDVDが出来上がってくることでしょう。もしかしたら、CDのマスタリングに私も立ち会えるかもしれませんし。

 ステージの模様を見るための小さな窓が、壁に開いています。そこから、開場直後の客席を撮ってみました。今年も客席は超満員、少し遅く来た人は一番後とか、バルコニーにしか座れなかったそうです。

 そんなお客さんを前にしての演奏、リハーサルまでは何かと心配なことがあったのですが、本番には見違えるように心を一つにした「熱い」ものがあったはずです。最前列のお客さんの顔などはすぐそばに見えますが、中には涙を拭っているような素振りを見せる方もいらっしゃいました。「津和野」を作った安野さんと森さんも、1階席のど真ん中に並んで座ってらっしゃいましたが、森さんの陶然とした表情は、遠目にも分かりました。アンコールは全部で3曲、最後の「虹に続く道」が終わるまで帰るお客さんは殆どいなかったのは、この演奏会の「常連」がしっかり育ったせいなのでしょう。休憩を入れて2時間半のコンサート、ステージの上も客席も、どちらも満足したに違いありません。
aventure number : 0933 date : 2007/3/12


今日の禁断 ファウスト

 腰の方は相変わらず一進一退ですが、別に楽器を吹くのに不都合なことはありません。きのうは木管のパート練習、私は降り番の曲だったのですが、休む人がいたので顔を出しました。というより、「かいほうげん」用の写真で、金管の人がまだ一人だけ撮れていないものがあったので、もしその人が出席するようであれば駆けつけられるように(金管は長町でやっています)待機している、という用事もあったのです。その人が来たらメールが来ることになっているので、携帯を確認しながらの代吹きです。結局終わり近くになってもなんの連絡もなかったので、もう行く必要はないと、まずは一安心、こんな寒い中、北山から長町まで行くのは正直いやでしたから。その人の写真は次回に撮影、発行日を25日にすればいいでしょう。
 もう一つ、練習が終わると同じ場所で技術委員会がある、という予定もありました。今まで使っていたパイプ椅子を片づけてもらって、隣の部屋に並べてある例の机と椅子を出してもらいます。「こんなのが、うちにあったらいいな」なんて言っている人もいましたね。
 他の場所でパート練習をやっていた人が三々五々集まってきて、技術委員会が始まります。茂木さんが指揮をする秋の演奏会の曲目の最終的な詰め、というか、茂木さんが出されてきた案に対する検討、といったところ、おそらくもうすぐ結論が出ることでしょう。
 今日は、忙しくなる前に片づけてしまおうと、一気にチラシ配りをやってしまいました。まず、広瀬から始まって、西道路→4号線→286号線経由で太白、そこから、この間も通った三百人町への近道を使って若林、さらに連坊小路から宮城野というコースでまず市民センターをまわってしまいました。その勢いで、駅前のシルバーセンターに行ったあと、青葉通りを端まで走って川内の博物館と美術館、そして最後は泉の県立図書館です。すごいでしょう。1時に出発して、帰ってきたのは5時でした。
 川内を走っている時に、スポーツセンターがなくなっているの気付きました。だいぶ前に取り壊すという話を聞きましたが、もうすっかり解体工事は終わっていたのですね。そこで気になったのが、すぐそばにある東北大学の記念講堂です。リニューアル工事をやっていると言うことですがどうなっているのか、興味があったので扇坂を上って寄り道です。
正面
側面
 今の状況はこんな感じ。「一部を残して、新しく作る」みたいなことを聞いていましたが、これを見ると外側はそのまま残すように見えますね。工事が始まってどのぐらい経ったのかは分かりませんが、壊すのであればもうこんな感じではないような気がします。一体どんな風になるのか、楽しみですね。
aventure number : 0934 date : 2007/3/14


今日の禁断 コルセット

 先週の今頃は、ちょっと腰は痛いものの次の日にまさかあれ程ひどい事にはなるとは夢にも思っていなかったのですね。それからはや1週間、今度は津和野へ向けて準備中です。静養の甲斐あって、何とか普通に生活できる程には回復しましたが、まだまだ気を抜いてはいけません。今度こそはなんの不安もなく心おきなく楽しんできたいと思っていますからね。言ってみれば、明日(そう、もう「明日」なんですよ)の津和野での演奏会は私にとっての「リベンジ」なのです。実は、腰痛以外にもちょっと楽しんで歌えなかった要因があったものですから、今度こそはちゃんとした「合唱」をやってみたいと。
 先週の東京でのコンサートには、津和野町からもわざわざ聴きにくれた人たちがいました。

 なんと、町長さん自らのお越しに加えて、町議会議長さんに副議長さん、教育委員長さん、そして安野光雅美術館の館長さんと、総勢5名のVIPがコンサートに、そして終わってからのレセプションにも参加して下さっていたのです。その時の美術館長さんのお話では、美術館では何度かクラシックの演奏家を招いてロビーコンサートをやってきたのですが、こんな大人数の出演者は初めてだというのです。なんたって総勢80人ですからね。ですから、会場の設営も大変なのだそうで、何とか140人分の席は確保したとか、それ以上来られると座ってもらえなくなりますし、かといってあまり来ないと出演者の方がお客さんより多くなってしまうといって、心配なさっていましたね。
 これはもはや町を挙げてのイベントとなっているのだそうです。恐らく、町中にこの間ご紹介したポスターが貼ってある事でしょう。それにしても一度に80人も泊まれるところはないというので、我々は旅館とペンションの2ヵ所に別れて泊まる事になっています。私は夫婦者として当然(何が当然だか分かりませんが)ペンションが割り当てられたのですが、地図を見てみると思いっきり駅や美術館からは離れたところにあります。果たしてそこまでの交通手段は確保できるのか、ちょっと心配なところはあります。案外、駅に着いたら人力車が待っていたりするのかもしれませんね。駕籠、でもいいですね。
 なんにしても、もう少ししたら新幹線で東京まで行って一泊、明日の朝の早い新幹線と山口線を乗り継ぐと、ちょうど今頃(午後2時過ぎ)には津和野に着いているはずです。そこは私にとってのある意味「聖地」、「腰」には邪魔をされないで行ってきたいものです。
aventure number : 0935 date : 2007/3/16


今日の禁断 ポプラ

 「聖地」巡りは終わりました。それは私にとって、かけがえのない体験となった、とてつもない旅でした。この2日間のことは、一生忘れる事はないでしょう。
 なにしろお彼岸間近の週末ですから、まるまる休んでしまうのはちょっと気が引けるものです。ですから、金曜日にはしっかり準備を整えて、他の人でも代わりにできるような段取りを付けるのに余念がありませんでした。そして夕方に出発、その夜は東京に一泊です。
 土曜日の朝は久しぶりの東海道・山陽新幹線です。これに乗るのは妹の結婚式で岡山まで行って以来ですから、一体何年ぶりになるのでしょう。そもそも5時間も同じ席に座りっぱなしなんて、東京までの新幹線が1時間半で終わってしまうのに慣れた身には、かなり堪える事のはずです。「腰」もあることですし。
 しかし、車窓から見える景色は、ちょっと曇りがち、一部では雨が降っているというお天気では、ちょっと富士山は見えなくて残念ではありましたが、昔々、このあたりに住んでいた思い出を蘇らせるのには十分なものがありました。中でも静岡のお茶畑などは、なんか原体験をつつかれてしまう程のインパクトのあるものでしたよ。
 何ごともなく新山口まで行ったあとは、まさに初めての体験、「山口線」へ乗り換えます。新幹線を降りたホームには、同じ列車に乗っていた合唱団のメンバーがたくさん、殆どの人がこれで来たようですね。

 山口線のホームまでは階段があります。もちろん、エスカレーターなどというものは付いていませんから、重たい荷物もそうそう愚妻に持たせる訳にはいかず、腰に負担がかからないように半分だけ持ち上げてみます。どうやらこの程度だったら大丈夫、しばらくは急な腰痛もない事でしょう。ホームは、沢山の人でごった返していました。特急「スーパーおき」という名前とは裏腹に、この車両は全部で2両しかありません。1両が指定席、もう1両は自由席です。もちろん私達は指定席を買ってあったので、その人垣をかき分けて自分の席へ向かいます。しかし、自由席の方はなんだかとんでもない事になっているようです。一緒に来た人の中には指定席が買えなかった人もいたようで、見慣れた顔の人がデッキに立っていました。普段はそんなに人が乗る事はないこのローカル線にとっては、こんな大人数の人が押し寄せるのはどうやら予想外の事態だったようですね。「本日はご迷惑をおかけしております」みたいなアナウンスもありましたし。
 1時間程で、目指す津和野に到着です。駅にはペンションのオーナーが車で迎えに来てくれていました。1回では運びきれないので、2回に分けてのピストン輸送、最初に乗ってしまった私達は、オーナーの観光案内を聞きながら、ちょっと遠くにあるペンションへ向かいます。
 一服する暇も惜しんで、リハーサル会場の小学校へ向かいます。そこでは、予定していなかったイベントが待っていました。校庭にいる安野さんと森さんの前で、城跡へ向かって歌を歌うということになったのです。いよいよ、「城跡コンサート」の幕開けです。

aventure number : 0936 date : 2007/3/18


今日の禁断 鷺舞

 なんせ大人数ですから、着替えも大変です。大半の人は美術館のすぐそばにある旅館に泊まったので、男声はそこで着替えて、ステージ衣装で歩いてきます。我々ペンション組と女声は、美術館の中で着替えます。男声にはなんと「館長室」が用意されていました。その広い部屋の中にはもちろん安野さんの本なども置いてありますが、何より目を引いたのが、この「つわのいろは」のオリジナルです。

 いろは48文字を全て1度だけ使ってつくられた「いろはうた」、安野さんはその中に故郷津和野を見事に歌い込んでいます。この歌が、何と言っても今回のプロジェクトの出発点、感慨もひとしおです。ここに出てくる「しろあと」は、今でも山の上に残っている「城跡」のことですが、「この歌を城跡で歌ってみたいね」と誰かが言ったために、津和野でのコンサートが実現しました。実際に城跡で歌うのは無理ですから、せめて城跡へ向かって、というのが、前回の小学校の校庭でのパフォーマンスだったわけです。
 着替えが終わって、実際に「城跡コンサート」が行われる美術館のエントランスへ行ってみると、会場のセッティングはすっかり出来上がっていました。壁一面に描かれた巨大な「魔法陣」をバックに歌うというプランです。ただ、問題は合唱団が乗るための山台です。場所が狭いものですから、そこには写真屋さんが集合写真を撮る時に使う、ちょっと狭くて乗るのにはおっかないスタンドが用意されていたのです。かなり段差のあるものですから、女声がドレスの裾を引っかけたりしないように、立ち方のリハーサルです。本当は全員が並んでみて、一度でも声を出してみれば良かったのでしょうが、そんな時間はありませんでした。

 本番前に待機している場所は、「展示室」です。さっきまでは美術館を訪れた人たちが最も神経を集中して展示物に見入っていたであろう、メインの部屋の中を、今は自由に歩き回って、そこの安野さんの原画を心ゆくまで見る事が出来るのですよ。そこにあったのは最近「改訂版」が出たばかりの「旅の絵本2」の原画、印刷された本も従来版と改訂版の両方が置いてありますから、それぞれを比べて見る事も出来ます。確かに今回のものは印刷の精度は上がっていますが、色合いなどは原画と比べてしまうといまいちというのが良く分かります。これはもう印刷技術の限界なのでしょうね。
 私の「安野マニア」ぶりはもはやメンバーの中に浸透していますから、原画を前にしながら色々聞いてくる人もいます。「聖地」のまっただ中に今自分がいるのだというだけで舞い上がっているというのに、そんな風に頼りにされるなんて、つくづく長年のファンであった幸せを噛みしめる私でした。
 いよいよ演奏の始まり、不謹慎だとは思いましたが、一応デジカメをポケットに忍ばせて山台に立ちます。機会があれば客席の様子を撮ってみようという「編集長」精神です。しかし、そんな心配は無用、曲が始まる前に森さんがMCをやっていると、安野さんも立ち上がって話を始めたり、とても和んだ雰囲気でしたから、写真を撮ってもなんの邪魔にもなりませんでした。こんな風に、エントランスは150人程のお客さんでいっぱいになっていました。
aventure number : 0937 date : 2007/3/19


今日の禁断 星空

 演奏は、会場での声だしが全くないというブッツケ状態で始まりました。自分たちの声が一体どのように届いているのか全然分からないのが不安です。歌っていると、自分の声すら良く聞こえない感じ、他のパートもあまり聞こえてこないので、果たして正しいハーモニーで歌っているのか、とても不安になってしまいます。
 後の方を見ると、先ほど車で送り迎えをしてくれたペンションのオーナーが、本格的なカメラを構えているのが分かりました。このオーナーはカメラマンだそうで、ペンションには彼の作品がたくさん展示してありました。今録っている映像は、翌日の朝食の時に見せてもらえるそうなので、楽しみです。

 私達の演奏は前半がこの前のコンサートの最後のステージで歌った色々な曲を「時を超えて」というテーマでまとめたものです。オペラシティでの時には小原孝さんがピアノを弾いて、それこそただの伴奏ではない、インプロヴィゼーションも交えつつのぶっ飛んだコラボレーションが展開されていたのですが、津和野には同行してはいないので森ミドリさんのピアノです。小原さんに負けじと森さんが考えたのは(誰のアイディアかは分かりませんが)、津和野の小学校や中学校の「校歌」を、それぞれの曲のイントロとして使う、というものでした。多分、ここに聴きにきている人たちにはお馴染みに違いないメロディーが森さんの手によってちょっとおしゃれに響いたあと、「少年時代」とか「さくら」が始まる、という趣向です。
 その森山直太郎の「さくら」が始まった時、一番前に座っているおばさんが、とても気持ちよさそうに歌い始めたのが目に入りました。その瞬間、なんだかとても熱いものがこみ上げてくるような気持ちになってしまったのです。お客さんが一緒に歌い出すなどという現場には何度も遭遇していたはずなのに、このときばかりは涙さえ出てきて、しばらく歌が歌えない程になってしまいましたよ。なんというのでしょう、音楽を通して確かなコミュニケーションが成立した瞬間に立ち会えたような、殆ど感動に近いものがあったのです。その頃にはちょっと違和感のあった会場の音響にもだいぶ慣れてきて、一体感は深まるばかり、終わって先ほどの控え室に引っ込むと、指揮者は「すごく声が出てる」と言っていました。我々には分からなくても、向こう側にはきちんと声が通っているというのです。恐らく、後の「魔法陣」のタイルが、良い反響板になっていたのでしょう。
 後半、この曲のためにここまでやってきた「津和野」は、一番前に座っている安野さんの表情ですっかりメッセージが伝わっている事が分かりました。全曲が終わった瞬間には、安野さんは立ち上がって拍手を送ってくださいました。
 この演奏会には、安野さんの誕生日(実際は20日)という意味もあったので、打ち合わせ通り「ハッピー・バースデイ」を歌ってプレゼントを差し上げました。斜めがけにしているショルダー・バッグがそのプレゼントです。

 会場は大盛り上がり、最後に安野さんは「何か、校歌のようなものはないんですか?」と聞いてきました。確かに学生時代には「青葉もゆる」という学生歌を定期演奏会のオープニングで歌っていましたので、まさに勢いで「ああ、東北大」で終わるこの曲を、津和野の安野さんの前で大声で歌うという予想外の事が、そこで行われてしまうことになります。ちょっとしたこだわりがあったもので、これは決してオペラシティでは歌う事はなかったのですが、こんな形だったらすんなり歌えてしまいます。これを知ったら、悔しがる人が出てくる事でしょう。

 打ち上げは、なんと宴会形式、でも、安野さんにサインをねだったり、一緒に写真を撮ったり、とっても楽しいものでした。
aventure number : 0938 date : 2007/3/20


今日の禁断 便箋

 打ち上げの会場からタクシーに相乗りでペンションに帰ってきた時には、もう12時を過ぎていました。誰かが「ここでは11時を過ぎれば、もう寝てしまいます」と言っていた通り、その時間に外を歩いている人は「流れ」で二次会へ向かう合唱団様ご一行以外には誰もいませんでした。空を見上げると星の多いこと、仙台では絶対に見ることの出来ない美しい星空でした。
 次の朝、窓の外に広がっていたのは、まさに安野さんの作品の中の世界でした。西日本とは言え標高100メートルという山中ですから、駐車場にあった車の窓にはしっかり霜が降りていましたよ。

 7時半になると、インターホンで「朝ご飯が出来ました」とオーナーの声が聞こえてきました。食堂に行ってみると、すでにテーブルには食事の用意が整っています。久しく食べたことのない純和風の朝ご飯です。目玉焼きにはソースが欲しいところですが、我慢しましょう。そして、テレビではお約束通り、きのうのコンサートのビデオが流れていました。いやぁ、これは素晴らしいと思わず聴き入ってしまう程、声が良く出ています。昨日歌っていて感じた不安は全く消えてしまいました。これだったら、会場で聴いていた人は満足したことでしょう。実はこのペンションは森ミドリさんのお薦めで今回使うことになったのだとかで、オーナーとも親しい間柄です。そのせいか、森さんのピアノのアップが頻繁に登場していました。ピアノの後が中庭を望むガラスになっているのですが、それが鏡になってソプラノの人の顔が映っています。そこで、森さんのすぐ後ろに映っていたのが愚妻の顔、得をしていましたね。
 レンタカーで帰る人もいるので、ひとまずお別れを言いつつオーナーの奥さんに駅まで送ってもらいます。きのうは慌ただしくコンサートで出入りしただけですから、今日はゆっくり安野光雅美術館を見学、帰りの列車は2時ですから、少しは観光もできることでしょう。白壁の蔵を模した美術館の前の通りには、しっかりロゴの入った旗が翻っています。よく見ると(実は、写真を見直して今気がついたのですが)通りの名前と美術館のロゴが裏返しになっています。これも安野さんのアイディアだったのでしょうか。


 美術館では、まずショップでお買い物。ここには安野さんの著作が今手に入るものは全て揃っています。もちろん、絵本に関してはほぼ全て持っているものばかりですから今さら買う必要はありませんが、ここでしか売っていないグッズに注目です。親しい人へのお土産もありますが、私自身のお土産に、トランプを4種類全部買ってしまいましたよ。まわりを見ると、殆どが合唱団のメンバーでした。ついさっきお別れをしたばかりのペンション組も。みんな考えることは一緒なのですね。
 展示室を見る前に、プラネタリウムが始まる時間だったので、そこへ向かいます。安野さん自らナレーターをやっている楽しいもの、もちろん、最初に現れるのは「津和野の星座」です。
aventure number : 0939 date : 2007/3/21


今日の禁断 天動説

 プラネタリウムは40分程かかりました。あと少しすると、今度は安野さんのサイン会が始まります。私は別にミーハーではないので、「今さらサインなんか」と、大して乗り気ではなかったのですが(実際、買う本はありませんし)、愚妻は意気込んで物色しています。その間きのうコンサートがあったあたりをブラブラしていると、そこへひょっこり安野さんが現れたではありませんか。そばにペンション組のMさんがいたので、一緒に近づいて話をしてみました。きのうの宴会の時は、人がたくさんいたのでとうとう話をすることはできなかったのですよ。かなり緊張して、口ごもりながら「デビューの時からの先生のファンでした」とか言ってみると、Mさんも「この人は、安野さんのことなんでも知ってるんですよ」と助け船を出してくれます。安野さんは「ああ、そうですか」と平然としたものです。うん、その気持ちはよく分かります。私もほんの少し前、ショップで仲間から「『ジュラシック』、すごいですね。とても分かりやすいです」とか言われて、「いや、あれがウリなんですよ」なんて謙遜して見せたばっかりでしたからね。もちろん、全く次元の違う世界の話ですが。
 間近でお話しした安野さん、とても81歳とは思えないような若々しいオーラが漂っている方でした。「握手してくださいますか?」と言って手を差し出すと、気さくに握り替えしてくださいました。その手を伝わって、安野さんのオーラが少しは私に入り込んできたのかもしれない、と思ったのは、まさに「信者」の心境のなせるわざでした。
 サイン会の会場は「教室」です。この美術館には、昔の小学校の教室を再現したところがありますが、そこにも安野さんの「仕掛け」が満載でした。


 お分かりでしょうが、これらは全て安野さんの作ったものです。「藤本先生」は絵本にも登場しますね。「ごますり」が効いてます。


 ただサインをするだけだと思っていたら、安野さんが教壇に座って「授業」が始まりましたよ。いえ、ちょっとした雑談なのですが、それは安野さんならではの知的なひらめきが随所に感じられるものでした。立ち上がってチョークで黒板に書いた文字が、まさに「安野フォント」だったのにもびっくりです。それが終わって一人一人に丁寧にサインをして下さいました。中には自分が書いた水彩画を持ち込んで、安野さんのコメントをもらっているというすごい人もいましたね。いや、実はきのうのコンサートの時に一緒に歌っていた人が、そこにいたのですよ。この人はもっとすごい完璧な「追っかけ」、北九州からやってきて、コンサートとサイン会を満喫していたようです。こんな「同士」に会えたのも、「聖地」ならではのことでしょう。
 肝心の展示室に行っていなくても、これだけでもう十分、時間もなくなってきたので美術館に別れを告げました。また来ることもあるでしょうし。
 それから向かった、夕べのタクシーの運転手さんに聞いておいた「わらじや」というお店で食べた天丼は、ちょっとすごいものでした。大きな海老が3本も入っていて、それがご飯の上に高々と積み上げられています。それだけではなく野菜がもう5品、そのままではとてもご飯が食べられませんから、天ぷらを一旦置いておく皿が一緒についてました。その海老が、もうプリプリ、あっさりしていておいしいのなんの、もしかしたら今まで食べた中で最もおいしい天丼だったかもしれません。それで値段は1100円! 信じられない安さです。
 残った時間で町の中を歩き回っていると、知った顔に何度会ったことでしょう。こんなに楽しい時間を作ってくれた合唱団の仲間には心から感謝です。私にとってはまさに「聖地巡礼」だったこの旅によって、もしかしたら今まで引きずっていた煩わしいものからの決別ができたのかもしれません。リニューアル・ジュラシックが津和野で誕生しました。
aventure number : 0940 date : 2007/3/22

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