0661(05/11/24)-0680(05/12/23)

今日の禁断 混声

 今年も、後輩の合唱団から演奏会の案内が届きました。大分前からOBのところには招待状が送られて来てはいたのですが、もはや合唱とは全く縁を切っていたので、聴きに行くことはありませんでした。その状況が大きく変わったのは、4年前、この合唱団の50周年ということで、思いがけなく何十年かぶりに他のOBと一緒にステージで歌ってからです。そのOBの合唱団もその後段々エスカレートしていって、ついに東京のオペラシティでコンサートを開くようになってしまったのですよね。そんなわけで、この現役の合唱団に接することになったのですが、私達がいた頃の面影はすっかりなくなってしまい、メンバーが十人ちょっとというあまりに悲惨な有り様、これでは、「聴きにいってあげなければ」という気持ちにならない方が不思議です。お客さんもあまり多くはありません。それにいち早く気づいた団員は、今まで長いこと使っていた「記念講堂」というだだっ広い会場を見限ってもっと小さなホールで演奏会を開くようになりましたしね。それでも、満員にはほど遠い状態、ですから、案内が来れば、出来る限り行くようになったというわけです。
 そんな、昔いたところとつながりが出てくると、その頃のことが色々気になったり、最近のOBの合唱団のネットワークからもさまざまな情報が飛び込んできたりします。今度の「角田第9」で歌伴の指揮をされる工藤さんも、なんと私の先輩だったことが判明したりして。そこで、またまた思い立って、その頃のプログラムなどを探し出したりしてみます。お目当ての合唱団のものはあいにく見つからなかったのですが、その頃の別の合唱団のものが出てきたりして。それは、同じ大学の合唱団が、モーツァルトの「ハ短調ミサ」を演奏した時のものでした。そこで共演しているオーケストラが、「仙台フィル」というのですから、おかしいですね。もちろん、これは今ある仙台フィルとは全く別の団体、こちらに書いたように、この合唱団のために作られたアマチュアのオーケストラです。こういう名前のオーケストラがあったことを知っていたため、うちのオケは出来た時にわざわざ名前の前に「ニュー」を付けたのでしたよね。もちろん、今の仙台フィルがこの名前に決めた時には、関係者は誰1人としてそんな故事などは知ってはいませんでしたから、いとも安直にこの名前を使ってしまったのでしょう。同じような例が「仙台市民交響楽団」だというのも、このコンテンツを読んで頂ければ分かるはず。
 つまり、同じ名称でも、人によっては全く別の団体のことを指し示すことがあり得る、ということが言いたい訳なのですけどね。人と人がコミュニケーションをとろうとしている時に障害になるのは、こんなちょっとした勘違いというか、誤解なのでしょう。同じ言い方がそれぞれ全く異なる意味で使われていたとしたら、双方が理解し合えるわけはありませんよね。
 そんな「同じ名称でも、人によって当てはまる概念が異なる」という例で最近気になっているのが、「洋楽」という言葉です。あなたは、この言葉から、どんなものを思い浮かべることでしょう。もしよろしかったら、アンケート掲示板で知らせて頂ければ。
aventure number : 0661 date : 2005/11/24


今日の禁断 鳩サブレ

 「ALWAYS三丁目の夕日」は予想通り大ヒットだそうですね。何しろ「絶対見に行かない」と言い張っていた1号様までがご覧になって、しっかりハマってしまったそうですから。私が見に行った日に買ってきた「オフィシャル・ガイドブック」には、駄菓子屋のペーパークラフトなどもついていて、なかなか楽しめます。セットの見取り図なども載っていて、ぜひもう一度観て細かいところを確かめてみたいと思わせられるものです。ただ、私が最も知りたいと思っていたVFX関係には殆ど触れられていなかったのはちょっと残念でした。ただ、あのようなものはあまり「仕掛け」が分かってしまうと、かえって夢がなくなってしまって、興ざめかもしれませんね。
 あの作品の原作者西岸良平さんについては、デビュー当時から読んでいるという大ファンです。デビュー作というのも、確か今でもどこかに取ってあるはずですが、今のほのぼのとした絵柄とは全く異なった筆致でしたからね。何しろ、キャラクターがまるでピカソの絵のようなキュビスムの手法を取り入れたアヴァン・ギャルドなものだったのですから。彼の奥さんが木村泰子さんという、絵本作家であることは、ご存じでしょうか。その事は、以前「BSマンガ夜話」で指摘されて私も初めて知りました。それで、これも家にあった彼女の作品を見てみたら、もろ「西岸キャラ」がその中にいたのにはびっくりしてしまいました。奥さんに影響されたのか、あるいは奥さんが実際に書いているのかと、微妙なことが「マンガ夜話」では語られていましたね。
 西岸さんの作品はなんでも好きなのですが、今一番ハマっているのは「鎌倉物語」です。これも長いこと月刊誌に連載されていたもので、最新のものは22巻。大体年1回ほどのペースで新刊が出てはいるのですが、普通の本屋さんではなかなか見かけることがありません。それでも、21巻までは東京に行った時などに大きな本屋さんで手に入れられました。それ以来注意していたのですが、とうとう仙台の本屋では最新巻が出たことは確認できませんでした。ですから、今回頼ったのは「Amazon」です。
 今回も、いつもながらのおもしろさでした。鎌倉を舞台に小説家である一色先生がお得意の推理で難事件を解決するというものですが、「鎌倉は妖怪の住むところ」というアイディアが、その事件にとんでもない広がりを与えているのが、最大の魅力になっています。ここで描かれている妖怪が、まさに「木村キャラ」なのですけどね。一色先生は、推理能力だけではなく、さまざまな趣味、男の子だったら夢中になるような鉄道模型などに、オタクぶりを披露してくれるのも見所、このあたり、西岸さんが楽しんで書いているのがよく分かります。
 私があこがれるのが、一色先生の奥さんの亜希子さんです。かなり年の差がありそうなとても可愛いまるで少女のような奥さん、締め切りが近づいている一色先生を巧みに励ましたり、お料理を作ったり、もちろん先生と一緒に鎌倉のスポットに足を伸ばしたり、こんな風に大切にされたいな、と、いつも密かに思っています。
aventure number : 0662 date : 2005/11/25


今日の禁断 泡盛

 さあ、合宿です。まる二日缶詰になって合唱の練習だけを行うという、何十年かぶりの体験が土曜日から始まります。その日の朝、いつになく早く目を醒ましてしまったのは、自分では意識していなくても、気持ちが高ぶっていたせいなのでしょうか。
 確かに、練習をすること自体は新鮮な体験で楽しみなのですが、「合宿」という形の集団で寝食をともにするということには慣れていないので、そちらの方が本当に心配だったのです。実際、久しぶりに乗った各駅停車の新幹線の駅を降りて会場のシャトーなんたらのバスを待っている間、まわりには知った顔が殆どいなかったのには、暗澹たる気持ちになってしまいました。しかし、そのバスに乗り込んだところ、たまたま隣にいつも仙台で一緒の人が座って、あれこれ話しかけてきたので、そんな気持ちはどこかへ行ってしまいました。その、私とは一回りも上の先輩と、同じサークルの仲間だというだけでいとも気軽に喋り会えることが出来るのですから、これからの2日間が楽しくないわけがないと思えてきたのです。
 会場に着いたら、休む暇もなく分刻みのスケジュールが押し寄せてきました。昼食を食べたら、そのまま全体練習が始まってしまったのです。そのシャトーなんたらの一番大きな研修室は、120人の参加者が入っただけでもう満杯になっています。隣の人と体が触れあうほどのぎゅうぎゅう詰めの中で、練習は進みます。
 それが終わったら、次のメニューはパート練習。テナーは、その建物から外へ出て、敷地内にある「茶室」というところへ移動です。みんなで歩いていったのですが、優に10分はかかろうというとんでもないロケーション、実は、先頭集団からはぐれた私達は、危うく道に迷ってしまうところでした。そこでは、今日渡されたばかりの楽譜の音取りです。声を出すことについては未だに自信が持てないのですが、おそらく楽譜を読むことにかけては他のみんなには絶対引けを取らないだけのものがあります。このあたりが、合唱とは別の分野で精進していたことのメリットでしょうか。
 その日の最後には、本来の男声だけの練習でした。総勢80人ほどのメンバー、セカンドテナーだけでも20人近くいるなんて、今まで仙台でやっていた時とは雲泥の差です。ほんと、たくさんいるパートの中で無理をしないで自分の声を他の人に溶け合わせるという体験なんて、学生の時以来、確かに味わったことのあるあのころの充実感が次第に蘇ってくるのが分かります。
 しかし、本当に「あのころ」が実体として戻ってきたのは、夕食の時の宴会ででした。盛り上がって来るに従って、自然に「あのころ」の歌がまわりから沸き起こってくると、もはや私はすっかり合唱団の一員に戻ってしまっていましたよ。何年も歌っていなかった歌の、私のパートが、何もしなくても出てくるのですからね。周到なスケジュールを用意したスタッフは、しっかり二次会用のスポットも準備していました。少し大きめの客室に70人以上の元団員が詰め込まれ、歌集まで用意した「フォークギター」弾きが伴奏を始めれば、もうそこは70年代の「フォーク喫茶」です。「あのころ」への郷愁だけではない、確かな「生きた証」がそこにはありました。
aventure number : 0663 date : 2005/11/27


今日の禁断 ハーモニーホール

 合宿2日目、なんと朝の8時から練習などというすごいスケジュールになっています。前の晩は遅くまで(話を聞いたら、2時頃まで起きていた人もいたそうな)盛り上がっていたというのに、きちんと集まるのですから、すごいものです。
 実は、この合宿の予定が、始まる前の日になって急に変更になっていました。あまりに参加人数が多かったので、急遽別の場所にあるホールを借りたということが、直前になってホームページに載っていたのです。このシャトーなんたらでしたら、新幹線の駅までバスで送っていってもらえるのですが、そこになってしまうと、果たしてどのようにして駅まで行くことになるのか、ちょっと不安です。
 お昼ご飯を食べ終わったら、そのホールまではバスが出ます。殆ど山の中、まわりにはお店など何もないという辺鄙な場所とは異なり、そのホールは市街地の真ん中にありました。
 遠目に見ると、円形のドームと普通の四角い建物が並んでいるというユニークな外観、私は思わず「前方後円墳」を思い浮かべてしまいましたよ。そういえば、きのう「茶室」に行く途中には「竪穴式住居」もあったような。しかし、バスが、そのドームの前を通っていく時には、「2001年」に出てきた宇宙船のようにも見えてくるのですから、「太古」と「未来(もはや過去になってしまいましたが)」が共存しているというコンセプトなのでしょうか。バスを降りる時に、運転手さんに駅までの交通手段を聞いている人がいましたが、近くにはバス停もなく、タクシーもなかなか通らないような感じ、ますます不安は募ります。
 中に入ってみると、ドームは小ホール、そして、四角い方が目指す大ホールでした。1000人ちょっとのキャパのそのホール、バルコニー付きのシューボックスという、なかなか音の良さそうな設計です。ステージの後ろもバルコニーですが、オルガンぐらいは置けそうなスペースがありましたから、いずれは設置する予定なのでしょうか。羨ましい。すでに山台まで組んであったのですが、ステージもかなりの広さがあって、合唱の入った大規模なオーケストラでもゆうゆう乗れるだけのスペースがあります。来週行く「えずこ」の倍近くはあるでしょうか。そんな素敵な場所で練習が始まります。客席にはボイストレーナーの先生たちが座って、適宜チェックをして頂くという段取りになっていたのですが、ひとしきり歌ったあとで 、まず頂いたコメントが「いいホールですね」というものでしたから、確かにいいホールなのでしょうね。
 ほんのちょっとだけ休憩があったのでロビーに出てみたら、紙コップに注ぐタイプの自販機がありました。県民会館などに置いてあるようなものなのですが、なんと、それは、注ぎ終わると自動的に取り出し口が開くようになっていたのですよ。世の中、日進月歩ですね。それだけではありません。使い終わった紙コップを捨てる容器が、途中で引っかかるようになっているのです。どうやら、これはコップが何枚か重なった時に、その重さで落ちるようになっているようなのです。確かに、こうすればバラバラに入れるよりも容積を少なくすることが出来ますから、今の世の中には大切な仕掛けですね。私の知らないところで、人類の叡智は確かに役に立っていたのです。
 一番心配だった交通の問題も、用意周到な幹事がしっかり人数分のタクシーを手配してくれて、一気に解決してしまいました。最後まで完璧なマネージメント、実りの多かったこの合宿を締めるにふさわしいものでした。
aventure number : 0664 date : 2005/11/28


今日の禁断 葛根湯

 合宿も終わり、いつもの生活が戻ってきました。実は、合宿に行く前からちょっと喉の調子が悪くて、風邪、とまではいかないもののそれに限りなく近い状態が続いていました。もちろん、そんな体調で丸2日も声を出し続けていれば、症状が良くなるわけはありません。まあ、合唱と違って、楽器を吹くのに喉の状態がそれほどシビアに効いてくることはない、という事は長年の経験で分かっていますから、それほど悲観的になることはありませんが。
 最近は、ちょっと仕事も谷間、割と暇がありそうだったので、ちょっと前にメディアテークに行って、本を借りてきてありました。実は、そこに行ったのは少し暖めてあるネタの参考文献(それほどのものでも…)を探すためだったのですが、泉図書館にはあったものが、見当たりません。この施設、外見の華やかさとは裏腹に、蔵書のお粗末さには呆れてしまいます。「図書館」と名乗るのが恥ずかしいので、「メディアテーク」などというしょうもないネーミングをしたのか、と勘ぐりたくなるほど。ただ、今でも本屋で買えるような新刊はそれなりに揃っているので、前から読みたいと思っていた「古楽」と、「サリエリ」の本を借りてきたのです。
 1週間もあれば楽々読めてしまうだろうという目論見はもろくも外れ、他のことで忙しいことにかまけて放っておいたら、もう明日が返却期限になっていましたよ。それで、慌ててとばし読みをして、練習が始まる前に車で行くには便利な泉図書館に寄っていこうと思ったのです(市内のどこの図書館でも、返却できるという便利なシステムになっています)。
 夕方の混んだ時間帯ですから、少し早めに職場を出て、まず近くの電機屋に車を置きます。ここは全くのフリーの駐車場ですから、ここに車を置いて近くの図書館とか、もう少し足を伸ばして本屋さんあたりにも行ってみようという魂胆です。一応そこの電気屋でも「お客さん」としてプリンター用紙などを買って、歩いて駐車場を出ようとしたら、「近隣施設のための駐車場のご利用は禁止します」みたいな張り紙が目に入りました。誰も考えることは同じなのですね。私もそれを見て、とりあえず今回は図書館だけにしておこう、と思い直しましたもの。
 そんなわけで、少し早めに用事を済ませてしまったので、旭ヶ丘に着いた時にはまだホールの電気は点いていません(つまり、誰も来ていない)でした。しばらく待って、やっと電気が点いたのが6時半、これはいつものことですね。今回は、エキストラの方々もそんなに早くは来てはいなかったようです。
 2週間ぶりの旭ヶ丘、久しぶりにここで音を出すことになります。いつも通りに楽器を組み立てて吹いてみると、何だか随分きつい音に聞こえます。というか、耳の中で音が鳴っているような感じ。どうやら、喉がおかしいのが耳にも影響しているようなのです。合奏で吹いている時も、自分の音がよく聞こえません。確かに、音を出すことには支障がないものの、こんな形で現れてくるのですね。どんなことにも、万全の体調でなければうまくは行かないということ、土曜日までにはきちんと治さないと。
aventure number : 0665 date : 2005/11/29


今日の禁断 無伴奏

 仙台に住んでいる人なら必ず知っている、というか、これを知らなければ「仙台人」とは言えない、というほど有名な「森天祐堂」というスポットをご存じですか?そう、あの青葉ストリートと一番町アヴェニューが交差する地点にある、ひときわ目をひくショップです。というか、おそらく初めてここを訪れた人は、「何でこんな店がこんなところに?」と訝しがるかもしれない、そんな、はっきり言ってオンボロな店構えです。一応は額縁屋さんというのが本業、しかし、それだけではなく、絵はがきやちょっとしたグッズ、そして、もう一つの顔がプレイガイド、ちょっと店の中に入ったところに、無造作に座席表などが散乱している、という不思議なお店です。
 この場所に今のお店を構えたのは森権五郎さんという方、敗戦の焼け野原となった市街地で、いち早く復興の槌音を起こした人物です。今ではすっかり全国的にも有名になった「仙台七夕」も、この権五郎さんが中心になって始めたものなのですね。言ってみれば、一番町(というか、東一番丁)を今の繁華街に育て上げた中心人物、もっと言えば仙台の商店街の立役者のようなものでしょう。
 その権五郎さんも大分前に亡くなり、今は娘さんが後を継いで、お店を守っています。先代の遺志をついで、お店は昔のままのたたずまい、殆ど昭和30年代にでもタイムスリップしたような、そこだけが別の世界のような空間は、昔の仙台を知っている人にはとても懐かしく感じられることでしょう。
 しかし、このお店が来年早々には営業をやめてしまう、というニュースが、ほんの2、3日前に伝わってきました。地元の新聞の夕刊では、一面トップ、紙面の大半を占めて、その事が報道されていたことからも、これがいかに「大事件」であるかが分かります。何でも、ここは新しくできる地下鉄の駅になるので、再開発が必要になったのだとか。もっとも、そんなことがなくても、今のこの町の「開発」ぶりを見ていると、早晩このような周りから浮き上がったお店はなくなってしまうのは分かっていたことなのですが。
 ほんと、このところのこの町の変わりようといったら。そういえば、中央ストリートには、昔ミシンやさんのビルがありましたよね。そこの地下には音楽喫茶があって、ある時期、頻繁に足を運んでいたことがありました。ご自慢のスピーカーと、バロックを中心としたLPのコレクション、タバコの煙にまみれた穴蔵のような地下室、そこは私の今の「ベース」を築いたところでもありました。しかし、そのビルもいつの間にか建て替えられて、コーヒー屋さんになっていましたね。それもほんの少しの間だけ、今では女性下着やさんとなって、私達の目を楽しませてくれているのは、「仙台人」でしたらご存じのことでしょう。
 実は、森天祐堂のご主人は、職場の関係で個人的によく知っている方だったのです。今回の店じまいの報道、他人事として片づけるには、思い入れが多すぎます。
aventure number : 0666 date : 2005/12/1


今日の禁断 サンドイッチ

 今年の冬になって初めて、本格的な雪が降った日が、「角田第9」のリハーサルで大河原まで行かなければならない日だったなんて、何と因果なことでしょう。朝、目を開けて外を眺めたら、しんしんと降り積もる雪、何もこんな日に、という思いです。この日に備えてしっかり冬タイヤの準備をしていたのは無駄ではなかったのだと、言い聞かせるしかありません。
 しかし、その雪も派手に降っている割には、すぐ解けてしまうような軟弱なものでしたから、車を走らせるのには何の不都合もありません。それよりも街中の渋滞だけでなく、バイパスに出てからもかなり混んでいた方が大変、普通は1時間ぐらいで着くところが、大幅に時間がかかってしまいましたよ。元々、最初に練習をするステージは降り番ですからそんな焦る必要はなかったのですが、明日は少し早めに出てきた方がいいかもしれません。
 会場はいつもの通り、客席を取り払って仮設のステージを前に組んで、大半の弦楽器はその上になる、というセッティングです。いつもながらのちょっと動くとぐらぐらするような造り、本物のステージとの境目を足で踏んでみたら、もろにへこんでしまうのが分かります。そんなことをしていたら、セカンドの人の譜面台が倒れてしまったりして。この程度の耐震設計でしたら、もし地震でも来たら倒壊してしまうのでしょうね。
 客席に座って第1部の初めての合唱とオケの合わせを聴いていると、何だかやたらと赤い上着を着た人が目立ちます。女の人だけでなく、男の人も赤いジャンパーのようなものを羽織っています。近くに行って見てみたら、
そう、これは「角田第9」のスタッフジャンパーだったのですよ。去年まではなかったような気がするのですが、気合いが入っていますね。
 指揮をしていたのは工藤先生。毎年仙台で「メサイア」を演奏しているだけあって、「ハレルヤ」は手慣れた演奏のように思えました。今年新しく演奏されるのが「サウンド・オブ・ミュージック」のナンバーですが、なかなか凝ったアレンジ(私がこれを聴くのは、初めて)、ちょっとオケもとまどっているようですね。こんな合唱を聴いていると、私も一緒に歌いたくなってしまうのも、去年まではなかったことです。オケは降り番なのだから、混ざって歌うこともできたかもしれませんね。
 「第9」はそれこそ手慣れたものですが、相変わらずオケが頑張りすぎているな、という感じはしますね。寿一さんも、去年と同じように「ここは少し押さえましょうね」と言っていましたが、なかなか。合唱はそこそこ人数は集まっていても、男声が少ないのはかなり辛いところでしょう。ほんと、うちの合唱団から少しまわしてあげたいほど。
 恒例の夕食ですが、休憩時間があまりにも短いという事で、食べられない人には持って帰れるように袋が用意されていました。確かに、食事の時間を取られるよりは、こんな雪の日は早めに帰れる方がありがたいものです。家に着いたら駐車場の車にはしっかり雪が積もっていましたし、地面もすっかり凍り付いて、ツルツルでした。明日も寒そう、早起きは大変です。
aventure number : 0667 date : 2005/12/3


今日の禁断 ベートーヴェン

 やはり、夕べはかなり冷え込んだようですね。今日は「えずこ」で10時音出しですから、それに間に合うように8時過ぎには家を出ようと駐車場に行ってみたら、車のガラスにはしっかり昨日降った雪が凍り付いていました。やはり、今期初めての霜落としから、一日が始まります。しかし、走り出してみるともはや道路には雪のあとはなく、たまに屋根に少し積もった雪を乗せたまま走っている車が少しおかしく見えるほどでした。
 日曜日の朝だと道は空いているのか、1時間ちょっとで「えずこ」に到着しました。お馴染みの銅葺きの特徴のある屋根ですが、その緑青が来るたびに汚くなっているように見えてしまいます。今回特にそのように感じたのは、お向かいにあるショッピングモールがリニューアルしてすっかりきれいになってしまったからなのかもしれません。
 まずはオケだけで「第9」の1〜3楽章。今までの例だと、そんなにみっちりとやらないで要所だけを重点的に練習する、というのが寿一さんのやり方でした。今年も疑いなく「まさか、通しはしないだろう」という見通しで望んだのでしたが、その目論見はもろくも崩れてしまいました。2楽章から初めた時に、後半のスケルツォもしっかりやったので、ちょっと嫌な予感がしたのですが、結局、全ての楽章を最初から最後まで省くことなくやってしまったのです。ちょっと、これは辛いものがありました。なによりも、ステージ上が 異様に暑いのが、それに追い打ちをかけます。
 その分、4楽章は1回通しただけで、あとは言葉による注意だけだったのは、まだありがたいものでした。しかし、フルートが休みのところで後ろから合唱が聞こえてくると、つい一緒に歌いたくなってしまいますから、困ったものです。きのうなどは、そのせいで入るところが分からなくなったこともありましたし。
 歌伴は、写真も撮りたいので客席に行ってみようと思って、ロビーに出てみたら、いつもの大きな垂れ幕がかかっていたのが見えたので、それを撮ろうと1回ホールの外に出てみました。何しろ、あまりに大きいので、中にいたのでは全体を見ることが出来ないのですよ。「かいほうげん」に使えそうないい写真が撮れたと喜んで、もう1度中へ入って、客席に行こうとしたら、例の赤いスタジャンを着たおばちゃんに、「チケットがないと、入れませんよ!」と、叱責されてしまいましたよ。見れば分かりそうなものなのに(って、それは無理)。写真を撮ったあと、客席に座ってそのステージのリハーサルを全部聴いていましたが、オケの音がすごくよく聞こえましたね。ホールが良いという事もあるのですが、前にも同じ場所で聴いたニューフィルの音とは、明らかに違った、まろやかな響き、特に弦がすごくふくよかに聞こえてきたのには、ちょっとびっくりしてしまいました。
 本番も、このステージの写真を撮ろうと客席にいたのですが、開演の時にちょっとしたハプニングが。まず合唱が左右の袖から入ってきて、そのあとオケが入る、という段取りだったのですが、上手は大人のベースとアルトだけだったものが、下手からはソプラノとテナーが入ったあとに、子供合唱が入ってきたのです。だから、上手のオケは入ってこれるのに、下手はまだ入れない、という事になってしまって、こんな風に半分だけ入った状態で固まった、という珍しいことが起こったのでした。
 それでも、「第9」の本番は、前半は暑さでかなりコンディションが悪かったものの、まずまずの演奏はできたのではないでしょうか。
aventure number : 0668 date : 2005/12/4


今日の禁断 ココス

 先日の「第9」はお疲れ様でした。今回も、演奏会のコンテンツを作りましたので、こちらをご覧下さい。「入場券見せてよ!」ときつい言葉で追求された代償の、ホール外側からの写真も載ってますよ。来年からは、何があっても外に出て写真を撮ることはないでしょう。まあ、スタジャンとか、なかなか面白いネタがあったので、楽しめるはずですよ。これを作りながら、「今年はニューフィルが頼まれて10回目だったはず」と思って、公式サイトを見直してみたら、なんか、数が足りません。何回数えても「8回」しかやってないように見えるのですよ。それで、前のプログラムなどを取り出して確認してみたら、やはり私達が参加しはじめたのは1997年の「第5回」からでした。つまり、私が作り始める前のデータには、角田のデータが2回分欠落していたのですね。こんな大事なことに今頃気づくなんて、ですが、この際ですのできちんと入れておきました。ついでに、「第何回」というのも付け加えました。確かに、今年の「第14回」で、めでたく10回目の共演を成し遂げた、という事になりますね。ただ、指揮者の寿一さんは、1回休んでいるので9回目です。それと、私も1回休んでいますから、やはり参加は9回、「皆勤」にはなりませんでした。
 このコンテンツを作っている時に届いたのが、1号様からの携帯メールです。「仕事」の手を休めて返信をしてあげたら、とても喜んでブログで早速取り上げてくれましたね。南国パイナップルは、砂糖を入れると本当に美味しいですよ。
 そして、「第9」が終わったので、晴れてブルックナーの練習が始まりました。例によって「末廣シフト」、ヴィオラが外、チェロが木管のすぐ前に入るという配置です。ホルンもフルートのすぐそばになってます。まず、何はともあれ最後まで通す、という事で、淡々と1楽章からやっていきます。弦はちょっと少なめ、最初の部分はそれこそ練習指揮者が言っていたような、ちょっと初心者っぽいものだったのは、しょうがないことでしょう。しかし、金管のコラールが入ったとたん、そこだけ「ブルックナー」という感じがしてきたのには、嬉しくなってしまいました。結局、最初の段階では弦は管には及ばない、という、いつものパターンが現れたという事でしょう。これが、数ヶ月たつと弦が見違えるように素晴らしくなってくるのですから、楽しみです。管はというと、最初の段階からなかなか劇的には向上しない、というのがある意味限界かもしれません。
 しかし、実際にやってみて、ブルックナーというのはなかなか不思議なことをやっている人だというのが分かります。セクエンツの半音進行などという斬新なこともやっていますし、2番フルートのソロ、などという、まるでドヴォルジャークのようなことも。フルートに限れば、高音で使っている最高音がAという事は、この曲が作られたのはまだそういう楽器しか使われていなかった時代だったのだ、などというのが分かったりします。いずれにしても、全く初めての曲、というのは、なかなか面白いものです。
aventure number : 0669 date : 2005/12/6


今日の禁断 ハング・アップ

 51万のキリ番、今日の4時過ぎに出ましたね。このサイトの掲示板に投稿があった時には、携帯にメールが届くように設定してあるので、リアルタイムで踏んだ人が書き込んだことが分かったというわけです。ところが、同じような内容の3通が連続して届いたので、何ごとかと思って、掲示板を見てみたら、1度投稿したものを何回か書き直していたのですね。新しく書き直すたびにメールが届くという、ちょっと煩わしいサービスでした。
 それだけではなく、アンケートでも「近くを踏みました」という申し出が、同じ頃にありました。こんな、反応の早いキリ番も珍しいことです。前回の記念すべき「50万」の時には、結局誰からも申し出がなかったので、今回は記念品も奮発することにしましょう。これで、在庫が底をついてしまったので、しできさんのところにまだ余っていれば、まわして頂ければ(あ、もうないんだったら、いいですよ)。
 サイト全体はこのように51万カウントになったのですが、いつの間にか「おやぢの部屋」がなんと20万になっていましたね。こちらは、カウンターがスタートしたのが2003年4月ですから、2年半で20万、大健闘と言えます。最近のサイト運営の中心になっているのは、実はこのコンテンツ、殆どこれにかかりきりになっていると言った状態です。何とか他の「トーク」や「ルール」も作りたいとは思っているのですが、今の自転車操業が今後も続くことは目に見えていますから、そちらに関してはあまり期待をしないで下さいね。といいながら、つい最近一つネタになりそうなものを作っていたことを思い出しました。そこで、「禁断」を書く手を休めて、30分ほどそちらを一仕事、そこで出来たのがこれです。「かいほうげん」用に作ってあったものからテキストだけをコピーして、それをリストにするだけ、という、実に安直なものですし、何しろこんなものを必要とする人など、それこそアマオケの団員ぐらいしかいないだろうという差別感むき出しのコンテンツですが、よろしく。
 そこで、また「おやぢ」に戻るわけですが、ブログの方でもおとといのアクセスが「87」というとんでもない数字を出したばかり、これだけの手応えがあれば、頑張らないわけにはいかないでしょう。なによりも、「コメント」で実際にさまざまな情報が寄せられるのも、たまりません。最近知ったのが、「Take6」の新譜に寄せられたコメントから、70年代に活躍した「シンガーズ・アンリミテッド」のメンバーのレン・ドレスラーが亡くなっていた、というニュースです。4人の中では最も目立たない、それこそ縁の下の力持ちのベースのパートを担当していた人ですが、たまに味のあるソロを聴かせてくれていたこともありました。私が一番好きなのは、「Four of Us」に入っている「Jennifer's Rabbit」という曲、ここでの彼の温かいソロは絶品です。
 70年代といえば、今アバの「ギミー・ギミー・ギミー」がものすごいことになっていますね。この曲のイントロがラジオでかからない日はないというぐらいの露出。ただ、聴けるのはイントロだけで、そのあとにマドンナのボーカルが入るという、いわゆる「サンプリング」なのですがね、
aventure number : 0670 date : 2005/12/7


今日の禁断 祭り

 今年最後の「かいほうげん」の発行は今度の火曜日、そろそろ印刷に入らなければなりません。今回は2つの演奏会が間に入ったことになりましたから、ネタは豊富です。名古屋JAOの報告書も3ページ分届けられましたし、雑誌から転載している毎月のエッセイも、2ヶ月分たまっていますから、全部載せると、実はいつもの16ページを軽く超えてしまいます。そこで、いったん20ページ版を作ろうと思ったのですが、これだけのコンテンツが次回も集まるという保証は何もないので、エッセイ1回分は次回のために取っておくことにしました。そうしておけば、名古屋のレポートがまだまだ集まるはずですから、次回も楽を出来るというわけです。
 その名古屋レポートですが、最近は単なる「レポート」ではなく、かなり手の込んだ、最終的なレイアウトまで指定して送られるようになってきています。前回のTさんの場合は、「かいほうげん」の版下そのものであるファイルでしっかり作り込んできてくれましたし、今回のSさんも、画像とテキスト、そして、レイアウトの見本まで添えて「出稿」してくれたのですから、私としては非常に助かることになります。このお二人のレポート、並べて読んでみるとちゃんと一つの流れが出来ているのが面白いところです。それは、レセプションの時の「ゲリラ・ライブ」の話。毎回、演奏会に先だってホテルかなんかの広い場所で出演者全員が集まるパーティーが開かれているのですが、その時の「余興」として、楽器を持ってきたメンバーがその場でアンサンブルを披露したりするコーナーがあるのだそうです。前回のTさんのレポートでは、その中でトランペットのグループがしっかり準備をしたものを演奏してその場にいたみんなを唖然とさせた、と書いてきてくれました。そこに挿入されていた写真には、やはり参加者であるSさんによく似た人が写っていたので、「もしや」を思っていたのですが、今回の、Sさん本人のレポートで、その謎が見事に氷解する、という仕組みになっていたのです。詳しくは現物を読んで頂けば良いことなのですが、団員以外には読めるわけもないので、こっそりネタバレをしてしまうと、その6人のトランペットのメンバーは、バンダで出番が少ないという好条件を最大限に利用して、しっかり「仕込み」を行っていた、というのです。その曲は「正露丸の主題による四つの変奏曲」だとか、一度聴いてみたいですね。
 これらのレポートには、会場となった「愛知県芸術劇場」の写真がふんだんに登場します。それを見ると、ステージ後方には立派なパイプオルガンが設置されています(実は、そのコンソールの前がバンダのステージ)。ほんと、今ではどこに行っても、こんなホールが当たり前のように見られるというのに・・・。
aventure number : 0671 date : 2005/12/9


今日の禁断 心の四季

 寒くなってきましたね。夕べから今朝にかけては、本格的に雪が降っていたようで、朝外を見てみたらまわりの家の屋根の上は真っ白な雪に覆われていました。こうなると、「雪が全てを真っ白に包む」という、今練習している合唱曲の歌詞が自然に口をついて出てきてしまいます。この歌詞は「冬がそれだけ汚れやすくなる」と続きます。こんなにすんなり歌詞が出てくるという事は、殆ど暗譜している、という事になりますね。というか、この演奏会の本番には「全曲暗譜」で臨むべし、というきついお達しが告げられているのですよ。3月の本番に向けて、そろそろ暗譜モードに入らないことには、この参加資格が満たされなくなって、ステージには立てなくなってしまいます・・・というのはウソですが、やはりやるからには中途半端な形ではなく、要求された通りのものを成し遂げたいじゃありませんか。それこそ、私よりずっと上の年代の人も「お正月中には暗譜する」と宣言しているぐらいですから、はるかに若い私に出来なければ恥ずかしいわけですし。
 そんなことをやっているうちに、季節は確実に冬本番に向かっているわけで、昨日、毎年やっているインフルエンザの予防接種を受けようと、かかりつけの病院に電話をしてみたところ、「2日前に、品切れになりました」という冷たい返事が返ってきました。そろそろあぶないかな、と思っていた事が、現実になってしまったわけです。仕方がないので、確かおととしも行った割とヒマな病院で無事受けることが出来たのですが、そこの明るい院長には「本当は11月に受けなければ駄目なんだよ。あはは。」と、バカにされてしまいましたし。抗体が出来るまでは2週間かかるそうですから、確かに微妙なところです。
 何でも「東」の方では流行が始まっている、というその院長の話でしたから、今日は利府まで映画を見に行くのはやめにして、近場で買い物です。お昼は、この前も行ったロフトの「大戸屋」、「チキンかあさん煮」というネーミングが気に入ったので、それを食べてみました。確かに母親によく似たチキンでしたね(それは「かあさん似」)。
 4時過ぎに市役所前の駐車場に車を置いて外に出てみたら、市民広場がなにやら大にぎわい、そういえば、明日からは「光のページェント」ですから、それの関連のイベントでもあるのでしょうか。一番町まで行ってみると、そこではティッシュと葉書を配っている人がいました。その葉書を見ると、「AUツリー点灯式、17:00〜」と書いてありました。そう、これは去年もすごいと思った大きな木にイルミネーションを付けたものが、もうすぐ点灯される、という案内だったのです。偶然、こんなタイミングに来られたのはなんとラッキーと、「点灯」する瞬間を見届けるために141の前で5時ちょっと前に待機することにしました。まわりには、デジカメや写真付き携帯を構えた人が、沢山スタンバイしています。しかし、5時を過ぎても一向に点灯する様子はありません。どうやら「5時」というのは「点灯式」が始まる時間であって、「点灯」の時間ではなかったようですね。その「式」の会場まで行ってみたら、なにやらへたくそなゴスペルグループがクリスマスソングかなんかを歌っています(しかし、ゴスペルの人達は、なぜあんな画一的な歌い方をするのでしょう。あのフリは、到底日本人になじむものではありません)。そこにも葉書を配っている人がいたので聞いてみると、「5時から5時半の間に点灯の予定」ですって。こんな寒い中、待ってられませんから、帰ることにしました。それから車を出してきても、まだ「ツリー」は暗いままでした。本当は、ここに写真を載せたかったのに。
aventure number : 0672 date : 2005/12/11


今日の禁断 コンクール

 先日、1号様がひょっこり私の職場へ遊びに来ました。少し時間が空いたので、カレンダーを持ってきたというのです。わざわざ私のために持ってきてくれたのかと思ったら、袋にいっぱい、20部ぐらい入っていたでしょうか、「ヴィオラの人と、あと、ヴァイオリンの可愛い人達に配って下さい」と、しっかり、いつぞやのポスター貼りのお返しを頼まれてしまいましたよ。実は、今日は「かいほうげん」の配達日、しかも、日程表まで配ることになっています。その上にこのカレンダーの荷物、重なる時は重なるものです。
 早速、ヴァイオリンの、私が「可愛い」と思っている人に、まずお配りしておきましょう。そして、残りはヴィオラに、と。そして、休憩時間には「かいほうげん」です。今回はブルックナーのドイツ語を翻訳したものを載せましたから、早速後半の練習で使ってくれている人がいましたね。どうぞ役立てて下さい。ただ、16ページの「かいほうげん」をそこだけ開いて使うのは、ちょっとじゃまくさそう、これだけ別にコピーして渡した方が良かったかな、とも考えてしまいました。しかし、実はもっと不親切な事があったのを、練習後に指摘されてしまいました。今回は春の定期のソリストが決まったという事で、その方の名前と写真を載せてあるのですが、その人は外国人、一体どこからこんな人を連れてきたのか、不思議だ、という指摘です。確かに、技術委員会のメンバーは何度も話をしてその経過は分かっていますが、個々の団員にとっては不思議に感じても当然なのですね。これは、確かに自分だけ分かっていて、他の人も分かっているだろうと思いこんでしまった私のミスでした。
 練習の方は、ブルックナーの2回目。やはり、これは大変な曲、なかなか全体像が見えてきません。ただ、1ヵ所だけ、2楽章のBの部分の弦だけのところは、ちょっとびっくりするような深い響きが出ていたのは、素晴らしいことでした。その前が、例の3拍子と2拍子が同時に進行するというわけの分からないところで、それが過ぎて一気にトゥッティになる気持ちよいところ、こんな「美しい」瞬間が積み重なって、次第に全体が形になっていくのですね。
 この演奏会と並行してやっているOBの合唱団、本番は3月だというのに、もうチラシとチケットが出来上がってきました。オペラシティが満席になるこの演奏会、ちょっと格が違います。もし行こうと思っても、チケットを取るのはかなり難しいことですよ。こんな風に宣伝をしてしまうと、去年みたいにAさんに怒られるかも。
aventure number : 0673 date : 2005/12/13


今日の禁断 クロマイ

 もはや12月もなかば、今年も残り少なくなってきました。今年1年に思いを巡らす、というのはもう少し先になるかもしれませんが、なにげに「まとめ」モードに入り始める昨今です。確か、去年の今頃は例の腱鞘炎でひどい目に遭っていたのですよね。おかげさまで、というか、それ以後の養生が良かったせいか、あれ以来再発することなく右手は快調な日々を過ごしています。しかし、その代わりと言ってはなんですが、先週、足の方がちょっとした災難に遭うことになってしまいました。
 先週の月曜日、いつもの通り朝に職場について、車から降りようとした時、ちょっと体のバランスが崩れてしまい、地面(アスファルト)の上に手をついてしまいました。手のひらは、少し赤くなっただけで何ともなかったのですが、右足の向こうずねがもろに車止めに打ち付けられたため、ものすごい痛みが襲ってきました。見てみると、私が一番気に入っていた黒いジーンズに大きな穴が開いているではありませんか。その穴のまわりには少し血が付いています。ジーンズを脱いでみると、結構な大きさの傷でした。ただ、別にズキズキとした痛みがあったわけではなかったので、そのままにして1日過ごしました。この程度だったら、何もしないで置いても自然に治ってしまうことでしょう。
 しかし、家へ帰ってその傷を愚妻に見せたら、もう大騒ぎ。「骨が見えているじゃない!ほっといて化膿でもしたらどうするの!」と、ものすごい剣幕で、抗生物質をべったり付けたガーゼを貼り付けられてしまいましたよ。もちろん、絆創膏で押さえつけることも忘れません。これがいやなのですよ。けがをした付近は、すね毛がふさふさ(というのかな?)生えている場所、そこに絆創膏などを貼ったら、はがす時が大変じゃないですか。案の定、お風呂にはいる時にはがそうとしたら、すね毛が抜けそうになって、痛いの痛くないの。これに懲りて、それからは私が自分で、絆創膏の量を最小限にして手入れをするようにしました。
 そんな苦労のおかげで、今日、しげしげと見てみたら、きれいなかさぶたが出来て、もうガーゼを張る必要もなくなりました。見て下さい。左が「ビフォー」、右が「アフター」。
 こうなれば、もう、本当にほおって置いても大丈夫、あとはかさぶたが自然にはがれるのを待つだけです。ただ、こうなると、傷のまわりが痒くなってくるから、またまた大変です。我慢できなくなって、かさぶたまで掻いて、はがしてしまったらどうなってしまうのでしょう。
 しかし、つくづく人間の治癒力というのは大したものだと思います。1週間ちょっとで骨までえぐられていた傷が(いや、これは愚妻の勘違い。単なる擦り傷でしたよ)治ってしまうのですからね。心の傷も、このぐらい簡単に治ってしまうといいのですが。
aventure number : 0674 date : 2005/12/15


今日の禁断 井上靖

 今年も、後輩の合唱団の演奏会に行ってきました。今年の会場は「楽楽楽ホール」、地下鉄を降りてからも、迷わずホールへ向かう出口へ行けるようになっているぐらい、我々にとってはお馴染みのところです。着いたのはもう開場してから15分ぐらい経ってからですが、受付のまわりには係員以外の人が誰もいません。普通、そのあたりにはお客さんがうろうろしているものですが、それが全く見かけられないので、ちょっと不安になってしまいます。しかし、そこからホールの中に入ったらまずまずの埋まり具合のように見えたので一安心、へそ曲がりな私としては、誰も行かないような2階のバルコニーへ向かいます。そこへ行ってみると、驚いたことに座っている人は2人しかいませんでした。これでは、あまりに寂しすぎます。開演になっても、結局ここに来たのは6人だけでした(「3組」ではありません)。ニューフィルの練習の時には、ここから音を聴いたり写真を撮ったりしていましたが、実際のコンサートで座るのは初めてです。ところが、最前列に座ったら、手すりがもろに視界に入ってしまうではありませんか。まるで檻のように、ステージと私との前に無粋な金属の棒が立ちはだかるのですよ。ここを設計した人は、一体何を考えていたのでしょうか。
 後半は、下に降りてきて、横のバルコニーに座ってみました。しかし、ここももろに手すりが邪魔をしています。こういうものを審査する機関のようなものは、存在しないのでしょうかね。手すり越しにしかステージが見えないなんて、もしかしたら耐震強度を偽ることより、ある意味、悪質な設計なのかもしれませんよ。
 合唱団は、指揮者を入れて全部で17人、バランス的にはなかなかのものですが、やはりもう少しいたらなあ、という場面が多かったのは、当然のことでしょう。「トップテナー、もっとがんばれよ」みたいな。その中では、佐藤淳一さんが客演指揮をした田三郎の曲が、演奏としては最もこなれていて、聴き応えがありました。なんと言っても全員暗譜ですから、気合いが入っていますし、淳一さんの歌わせ方はさすがに大人のものでした。この曲、初めて聴いたのですが、プログラムに書いてあった「歌詞」を見てびっくり。「詩」とは言っていますが、どう見ても散文なのですね。「土地の中学生の一団と、これは避暑に来ているらしい都会の学生の一団とが擦れ違った」といった具合。これに一体どんな音楽を付けるのかと思っていたら、紛れもない「田節」、彼がもし生きていたら、今のラップのバースにも、素敵なメロディーを付けていたかもしれませんね。
 最後に歌った合唱界のヒットメーカー木下牧子の作品は、終始テンションコードとシンコペーションが支配する、まるで「テイク・シックス」の世界でした。作られたのが2003年と言いますから、まさに最新作。このあたりに、現在の作曲家が男声合唱に何を求めているかという問いに対する答えが秘められているのかもしれません。事実、この、テナーもベースも殆ど変わらないテイストを持つ合唱団は、セブンスやナインスの世界を、実に居心地よく動き回っているように感じられました。アンコールで演奏された、かつての定番であった黒人霊歌(これって、使ってはいけない言葉?)や、「Das Lied」が見限られる時代が、そろそろ来ているのかもしれません。
aventure number : 0675 date : 2005/12/16


今日の禁断 ハ短調

 東京の合唱の演奏会、すでにチラシも出回っている(先日の演奏会でも折り込んでありました)ことはお知らせしましたが、その「目玉」、小原孝さんとの初めての合わせがあるというので、わざわざ東京まで行ってきました。もっとも、これは格安のチケット、東京まで新幹線で往復して9000円というのが使えたからなのですが。
 せっかく東京まで行ってくるのですから、なかなか仙台では手に入らない楽譜などを買ってこようと、昨日あたりは下調べをしておきました。場所が大久保なので、新宿で降りてタワーに行くことが出来ますから、そこにあるかもしれないと電話をしたところ、楽譜、というか、書籍担当のセクションでは、「クラシック担当がいないので、分かりませ〜ん」という女の子が出てきました。欲しかったのはドーヴァー版なのですが、「ドーヴァー版は目の前にあるのですが、作曲家の読み方が分かりませ〜ん」ですって。「モザートって書いてあるのがモーツァルトですよ」と教えてやると、「あ、それならありました」というので、片っ端から読み上げてもらったのですが、目指すものはありませんでした。こうなったら、地図を頼りに水道橋で降りて本郷の「アカデミア」に行くしかありません。練習が終わったら寄ってくることにして、帰りを一汽車(死語)遅らせましょう。
 会場は、「クラシックスペース100」とか言う、かつて東京交響楽団の練習場だったところです。なんでも、このオーケストラが川崎ミューザをフランチャイズにすることになって使わなくなったので、一般にレンタルをはじめた、というものなのだそう、ご覧のようにちゃんとオケ用の山台が組んであって、コントラバスとか、後ろにはマリンバやティンパニなども置いてあります。譜面台も沢山ありますし。
 この日、小原さんが来るというのはみんなに知らせてあったのですが、仙台から参加したヒラ団員は私だけでした(もう一人、指揮者がいました)。「おめ、何しに来たんだ?」と、1年上のSさんが声をかけてきたり、昨日行われた演奏会の様子を聞かれたり、おこがましくも何だか「仙台代表」みたいな感じでした。私は山台の、ちょうど金管が座るあたりに座って、練習が始まります。3時間をたっぷり使っての合わせ、まだまだ完成にはほど遠い状態ですが、小原さんのピアノの「仕掛け」が良く分かって、なかなか実のあるものでしたよ。彼の殆ど即興的な伴奏、今回も最後のステージを大いに盛り上げることでしょう。あいにく男声は参加しませんが、女声だけの「春一番」のド迫力。
 この会場、終わる時間にはえらく厳しいと思ったら、帰りの大久保駅では楽器を抱えた人に沢山出会いました。きっと、私達のあとにアマオケかなんかが借りていたのでしょうね。私はその足で本郷へ。初めて行った新装「アカデミア」は、水道橋駅から歩いてたっぷり10分以上、さすが東京、夜だというのに汗をかいてしまいましたよ。目的のドーヴァー版は、なんと「売るほど」置いてありましたし、同じ曲のオイレンブルク版もすぐ手に入りました。ただ、ドーヴァー版が、ブライトコップフのリプリントなので「シュミット版」だと思ったら、別のもの、しかしそれも、難なく注文で取り寄せることが出来ることになりましたし、ここまで来た甲斐がありました。さて、いったい私はなんの楽譜を探していたのでしょう。
aventure number : 0676 date : 2005/12/17


今日の禁断 加茂

 今朝方は、ものすごい吹雪に見舞われて、ちょっとびっくりしました。たまに青空が見えたりしていたので油断していたのですが、髪を切ってこようと思って表へ出た時には、その吹雪の真っ最中、ドアを開けたら世の中は真っ白になっていて、何も見えませんでした。車を走らせても、殆ど視界がありません。こういう状態では向かい側から来る車も見えませんから、真っ昼間からライトを点けて、こわごわ走ります。
 そんなお天気ですから、いつもの美容院はガラガラ、ひどい時には3人ぐらいのお客さんを相手にして、待たしている間はお弟子さんにマッサージなどをさせてごまかす店長さんも、今日はしっかり私一人にかかりきりになってくれましたよ。その割には、仕上がりはイマイチでしたが。
 それが終わると、なんと、合唱の練習。コンサートも含めて、3日続けて合唱関係のイベントがあるなんて、このところの「合唱漬け」を象徴するような出来事です。おとといは現役の演奏会、昨日は東京での練習、今日はその仙台支部の練習というわけです。つまり、今私が参加しているのは仙台の大学のOBの合唱団なのですが、実際は首都圏で活躍している人が圧倒的に多いのと、そもそも演奏会は東京でやるのですから、メインは東京、それに、仙台で細々と(セカンドは常にほぼ2名)練習をしていたものが月に1回ほど合流して、最終的に仕上げる、という形を取っているのです。ただ、指揮者は仙台と東京から一人ずつ出ていますから、都合を付けて行ったり来たり、昨日は仙台から行きましたが、今日は東京からやってきます。さすがに2日連続では声が持ちません。この間の合宿のようなもの、ただ、幸い風邪はひいてはいないので、回復は早いはずです。というか、半年近く声を出していると、だんだん昔の感じが戻ってきて、 まるで合唱団員のような気分になってしまうから不思議です。客観的に見たらまだまだお粗末な声のはずですが、気持ちだけはいっぱしのテナーです。
 そんな仙台支部、今年最後の練習と言うことで、終わってから、団員の自宅に集まっての忘年会のようなものがありました。しかし、この団員のお宅、広々とした部屋にグランドピアノが置いてあって、30人近くの人が押しかけても楽々くつろげるという、すごいところです。しかも、窓は二重サッシでしっかり防音されていますから、真夜中でもピアノ弾き放題、歌歌い放題という、信じられないほどの環境です。興が乗ってくれば、女声のメンバーの前で生の男声合唱を披露する、などという「芸」も飛び出して、宴は11時頃まで続きました。
 帰る段になって車を見てみたら、殆ど雪に埋もれています。坂道の多いこのあたり、果たして家まで帰り着けるのかな、と心配でしたが、幸運にも何ごともなく帰って来れました。明日からは、オーケストラモードに切り替えないと。
aventure number : 0677 date : 2005/12/18


今日の禁断 大判小判

 オーケストラモードの始まりは、Rさんの壮行会でした。昨日の夜、平日というのに飲み会です。時間は7時半からという事で、車を職場に置いてそこから地下鉄で行くつもりでした。ただ、その前にちょっと用事が出来てしまって、いったん家まで帰らなければならない羽目に。おととい降った雪はしっかり固まって、道路はすっかりアイスバーンになっていましたから、道路はすごく混んでいます。特に、本沢交差点の、地下鉄駅に向かう方面はものすごい渋滞、ここを通ったのでは遅刻してしまいます。ただ、この道は平地ですから、スリップして動かなくなることはまずありません。しかし、本当にもう時間がなくなってしまったので、もしかしたら凍り付いて、一回停まってしまったら2度と動けなくなるかもしれないような坂道がある、仙山線の峠越えの道を、一か八かで行ってみることにしました。案の定、そこは誰も通っていなくてガラガラ、アイスバーンも難なくクリアして、しっかり地下鉄駅まで時間前に行くことが出来ましたよ。
 少し早めに着いたので、「えっち」に寄ってCDでも眺めようと2階に上がっていったら、何だか下の方でライブっぽい音が聞こえてきました。それも、良く耳にするメロディ、下に降りていったら、やはり、「サザーランド」でした。インストアライブをやっていたんですね。アコギ中心のサウンド、ボーカルも変にPAっぽくなくて、しっとりと聴けました。
 飲み会の会場は、予約席がカーテンのような布で仕切られている変わった空間、料理も美味しいし(鶏肉は絶品!)飲み物も例によってソフトドリンクの飲み放題、今回はお仲間もいたので、変に気を遣われなくて楽でした(日曜日のパーティーでは、ずっと会っていなかった面子でしたから、なぜ飲まないのか最初から説明しなければいけませんでした)。Rさんは、来年の10月には帰ってきて、「第9」から復帰すると言っていましたよ。もう、あっという間ですね。
 そして、今日は、今年最後となる練習でした。「駐車場満車予報」にも書いた通り、コンサートホールで大きな演奏会があるので、いつもの時間に着いたらしっかり満車になっていました。すぐ空いたので殆ど待たずに入れましたが、そのあとから来た人はかなり待たされていたようですね。そんなこともあって、年の最後を飾るにはちょっと寂しい集まり具合でした。
 それでも、ブルックナーはきちんと練習しなければいけません。3楽章も弦楽器はかなり大変なのですね。もちろん、4楽章はそれ以上に大変、きちんと弾ける日が果たしてくるのだろうかと思ってしまうほどの難曲でした。ただ、この楽章に出てくるテーマが、「はなさかじじい」の「うらのはたけでポチがなく」というメロディーにそっくり。あちこちから「うらのはたけ」、「うらのはたけ」と聞こえてきて、ちょっと吹き出しそうになってしまいました。幸い2番フルートがそのテーマを吹くことはないので、安心です。 
aventure number : 0678 date : 2005/12/20


今日の禁断 フォーレ

 最近は、このサイトに対する悪口などはあまりなくなってきたので、少し安心してきた矢先、ちょっとした「抗議」が届きました。確かに大分前に作ったもので、今ほどネットに対する猜疑心もなかった頃のコンテンツですから、その気になって突っ込まれれば隙だらけ、今の、「悪い心」が蔓延しているネット社会ではちょっと辛いところのある内容でしたから、即座に削除させて頂きました。
 それはそれで時の流れとして仕方のないことなのですが、問題はその指摘の仕方。自分の名前も書かずに一方的にご意見を寄せられても、私としてはなんの反論のチャンスも与えられないのですから、これほどストレスのたまることもありません。自分の名前をきちんと明かすという最低限のルールを守らないことには、いくら正論を吐かれたところで、こちらにとってはゴミのようなスパムと何ら変わらないことになってしまいますからね。もし何かご意見があれば、正々堂々とアンケートのフォームに「名前」と「メールアドレス」を記入して頂くよう、お願いします。
 と、嫌なことはすぐに忘れてと。オーケストラの方はもうお休み、来年までなんの予定もありません。もちろん、休みの間にも楽器の練習を休むことはあり得ませんが、それはもはや日常的な「条件反射」のようなものですから、なんの負担にも感じられません。ですから、この休みにはやはり合唱関係に力を入れてみよう、と思うことになるわけです。目標は年明けまでの全曲暗譜、あ、「全曲」といっても、最後のステージだけはまだ楽譜がちゃんとできていないので、除外とさせて頂きます。最終稿が出来上がるのが年明けだというので、その前に暗譜しても意味がないのです。
 実は、この間合宿をやった時に、最後のホールでの練習を録音したCDが手元にあります。これを聴くと、確かに素晴らしいホール、適度の残響がふくよかな響きを与えてくれています。もちろんまだまだ完成にはほど遠い形ではあるのですが、暗譜用のツールとしてはこれは使えます。職場で年末に発送する郵便物の袋詰めをしながらこれをかけっぱなしにしていると、自然と自分のパートを歌いたくなって、まだ憶えていないところをチェックすることが出来るというわけです。
 そんな風に一緒に歌いながら仕事をしていると、「みずすまし」という曲の最後で、なぜか涙が出そうになってしまいました。「水の優しさ」という最後のフレーズ、「ずの」という言葉につくEisの音の持つあまりに純粋な響き(我々の演奏が、という事ではなく、あくまで「曲として」ということですが)に、ついウルウルしてしまうのですよ。合唱も、なかなかすごいものです。
 今月号の「レコ芸」で、そんな合唱などの評を書いているH先生は、コルボの新録音でちょっとしたミスを犯しています。私あたりはもはや常識だと思っていたことをこの先生が知らなかったなんて、ちょっとした驚き。世の中、いかに間違ったことが横行しているかという証ですね。ですから、私のサイトに対する抗議も、ルールさえ守って頂ければ、本当は大歓迎なのですよ。
aventure number : 0679 date : 2005/12/22


今日の禁断 カノン

 世の中は3連休というか、クリスマス・イブ前夜ということで大いに盛り上がっていますね。ラジオから流れてくるのはクリスマス・メロディばかり、最近多いのは「ワム!」の「ラスト・クリスマス」でしょうか。ジョージ・マイケルの場合、男同士でイブを過ごすというのが、ユニークなところでしょうか。そういえば、エルトン・ジョンにはクリスマス・ソングはありましたっけ?あと良く耳にするのが、山下達郎ですね。20年以上前に作られたこの曲、すっかりこの時期の定番になったようですね。曲としての完成度も高く、何回聞いても飽きが来ない魅力があります。ただ、この曲の場合、聴いている分にはいいのですが、いざ歌おうとするとかなり大変なものがあるのではないでしょうか。いや、歌そのものは別に難しくはないのですが、問題は間奏として使われている一人ア・カペラ。この曲では、その部分のパッヘルベルからの引用が、最大の魅力になっているわけですから、ここを何とかしないことには、この曲を「歌った」ことにはならないのですよ。カラオケでは、この部分はどういう扱いになっているのでしょう。一つのパートだけ歌う人のために空けてあるなどという配慮があるはずもありませんから、この、結構長い間奏の間は、マイクを抱えて手持ちぶさたにしているのでしょうかねえ。その辺の事情に詳しい方、ぜひお教え下さいな。
 私にとっては、この連休は年賀状作りに充てられることになります。まず、家にあるプリンターはもうかなりくたびれて、年賀状のような過酷な印刷には到底耐えられないということで、職場にある買ったばかりのプリンターを借りていきました。ただ、このプリンターの場合、なかなか使い勝手は良いのですが、インクの残量が、なくなる直前まで分からないという欠点があるのです。前のプリンターは半分とか三分の一とか、段階的に表示されたものが、これはいきなり「マゼンタがなくなりました」と来るので、予備のインクもしっかり準備しておかなければなりません。ですから、プリンター本体と一緒に、インクを一式持っていったのも当然のことでした。案の定、私の分の年賀状を印刷している途中でその「なくなりました」という警告が出たので、用意していたのは正解でした。そこで、印刷が終わったところでインクを交換です。そのあと、愚妻の分を印刷しようと、とりあえず試し刷りをしてみると、全く色が違っていたのです。これは前のレーザープリンターでもたびたび経験した障害、トナーが1色なくなると出てくる症状と同じものでした。そこでインクカートリッジを調べてみると、さっき交換したカートリッジの隣のイエローが、なぜか外れていたのですね。つまり、黄色がまるまる抜けた印刷になっていたのです。何とも気持ちの悪い色でした。
 もちろん、そこを治して正常の色が出るようになりましたが、当の愚妻は、その失敗した葉書を見て「この色の方が良いじゃない」などと言い出すではありませんか。こちらの方が可愛いというのです。仕方がないので、フォトショップで気に入るまで色を変えてやりましたよ。
aventure number : 0680 date : 2005/12/23

05/12/25-1/28