0641(05/10/18)-0660(05/11/22)

今日の禁断 ロイズ

 もはや、演奏会本番まで10日しかなくなってしまったのですね。来週の週末には定期演奏会が開かれるなんて、ちょっと実感が湧きません。今日あたりも、私の出番は後半だけなので、それまで別なところへでも行って時間をつぶしてようと思ったぐらいですから。しかし、やはり時間になれば練習場へ向かうというのは、殆ど習慣と化していますから、着いたのはいつもの時間、やはり殆ど誰も来ていない、という状態です。
 やはり本番が近づけば、何かと慌ただしい雰囲気が練習場には漂うようになります。それに伴う仕事の連絡などもありますから、やはり普通通りに行っておいて正解だったと、気づくことになります。まず、今日頼まれたのはプログラムの校正です。見てみると、もはや完璧な版下が出来上がっていますから、最後のチェックということなのでしょう、いろんな人に見てもらって、さらに完璧を期すというわけです。もちろん、私が見たところでも文字の間違いはなし、ちょっと気になったところを指摘しただけです。
 もう一つ、これは演奏会とは直接の関係はないのですが、ヴァイオリン・パートの「募集大作戦」が展開されているという話で、それに関係した連絡です。このところ、このパートの人数は減る一方、なんとかそれに歯止めをかけようと、「団員急募!」というチラシを作ってあちこちに貼って回っている、ということなのですよ。このチラシを作ったのが、この「禁断」の「ひよこバージョン」バナーを作ってくれたNさん、ヴァイオリンを大きくあしらったデザインはインパクトがありますから、きっとこれを見て「入りたい」と思う方が現れてくれることを望みたいものです。このチラシ、明日になったらこのサイトのトップページにも貼り付けますので、見て下さい。もちろん、公式サイトにも載せますよ。それで、その事を「かいほうげん」にも載せようということで、チラシの現物と資料を頂いたわけです。
 その「かいほうげん」、演奏会の前には出そうということで作り始めているのですが、そんなわけでいろいろなネタが集まり、上手くすると私のコンテンツは別に作らなくても済みそうな気配が濃くなってきました。一番ありがたかったのは、この前名古屋で行われたJAOのフェスティバルの「報告書」が届いたことです。チューバのTさんが送ってくれたその「報告書」は、文章だけではなく、すでに写真を貼り付けてきっちり3ページ分のレイアウトが完成している、というすごいものでした。後は、せっかくですから、土曜日のソリストとの練習の模様を写真に撮って、それを使えば、殆ど完成です。
 練習は、初めてシンフォニーを全曲通してみました。実際には時間がなくて4楽章は殆どカットしたのですが、やはりこの時期に通しておけば、いろいろ問題が出てきて、本番へ向けての格好のチェックとなります。私も、やはり集中力が欠けてきて、肝心の3楽章で落ちてしまいましたから、まだまだ練習が必要だということを自覚できたわけですし。
aventure number : 0641 date : 2005/10/18


今日の禁断 ミネラルウォーター

 今日のお天気、「斉藤さん」は「絶好の洗濯日和」と、自信を持って言い切ってましたね。確かに、朝のうちは抜けるような青空、それを見て何も疑わずに洗濯物をベランダに干すことを決心した私は、何ら責められるものではありません。いざ干すとなった時点でもはや青空は消え、雲に広く覆われていたとしても、しばらくしたらまた晴れてくることには、なんの疑いも持ってはいなかったのです。しかし、その雲が消えることはありませんでした。それどころか、お昼近くになったら、なんと、雨が降り出したではありませんか。洗濯担当の私としては、これは一大事、外に干すか中に干すか、というのは私の権限で決定されていますから、そのせいで洗濯物が乾かないとあっては、私の家庭内における信用は失墜してしまうことは目に見えています。気象予報士を全面的に信用して、自らそれを確かめることを怠った責を、長期間にわたって愚妻から糾弾されることだけは、どうしても避けたい、そんな思いが、昼食後に私を自宅まで引き返させたのです。
 そこそこ乾いてはいたものの、このまま出していても乾くわけはありません。全て取り込んで、除湿チェンバーに収納して、また職場に戻ります。夕方に帰った時には、見事に乾いていましたよ。
 その頃のニュース番組では、各局のお天気お姉さんが軒並み「お詫び」を述べていたのが印象的でした。明日の朝、「斉藤さん」がどんなオーバーアクションで謝罪をするのか、今から楽しみです。
 「週間予報」によると、今度の日曜日は「晴れ」ということになっていますが、これもどうなることでしょう。実はこの日には、私にとって非常に大切な行事が控えているのですよ。ちょうど1年前もここに書いたので、コアな読者でしたらひょっとして覚えているかもしれませんが、毎年この頃にはマンションの火災訓練が行われるのです。外に出て実際に消化器(「消火器」の変換ミス。胃や腸ですか?)を使ってみたり、バケツリレーを体験したりと、雨が降っては出来ないことばかりですから、ぜひともお天気には恵まれていたいものなのです。しかも、今回は3年間にわたる折衝が実を結んで、「ぐらら」という地震体験車を借りることが出来ました。この車は最近の防災ブーム(という言い方は不謹慎)で、あちこちのイベントで引っ張りだこ、やっとの思いで借りられたというものですから、これも雨で台無しにはしたくありません。皆さんも、この日のお天気が良くなるように祈っていて下さいな。
 つまり、去年に続いて、こういうことのお膳立てを全て私がやるという、全く私のキャラには似つかわしくない役目を引き受けさせられているということなのです。それで、きのうはその本番に備えて、担当のスタッフを集めてのミーティングがありました。もちろん「スタッフ」といっても持ち回りで役目が巡ってくるものですから、中には小さなお子さん連れで参加する人もいます。そこで私が、訓練の意義とか、当日の段取りとかを説明することになるのですが、当然、その小さなお子さんたちは黙っているはずなはなく、大声で何ごとか叫んでいます。そんな中での私のプレゼン、ただでさえボソボソとしたしゃべり方しかできない私は、ますます萎縮して、不明瞭な説明は出席者の顰蹙を買うのでした。
 この訓練の本番の前の日はニューフィルの練習、そして、当日は合唱の練習の予定。この週末はいつになくタイトなスケジュールが待っています。月曜日あたりはのんびり出来ると良いですね。
aventure number : 0642 date : 2005/10/20


今日の禁断 洗足

 いよいよ来週は本番です。そして、今日は、最後となる長時間の指揮者練習が行われます。会場は青年文化センターの交流ホール、半年前にちょっとした事件があったので、その事が脳裏をよぎりますがもちろん、何ごともなくきちんと準備されていましたよ。ですから、ここは私達にとっては久しぶりの練習会場となるわけです。
 ちょっと小雨模様でしたが、隣の市民センターからも無事に楽器を運びおえ、練習が始まります。今日の予定は、前半にシンフォニー、そして序曲をやったあと、ファゴットの小山さんをお迎えしてコンチェルトということになっています。シンフォニーはそろそろ「仕上げ」モードでしょうか、「これだけはぜひ直しておかなければ」というような感じで、細かいチェックが入るのは、いつものことです。河地さんには全曲通そうという目論見もあったようなのですが、管のメンバーが少し抜けているのを見て、それは次回に持ち越しということになりました。「メンバー1人1人が、それぞれの役割を持っている」という言葉が、身に染みます。
 しばらくして、まだシンフォニーをやっている最中なのに、何だかどこかで見かけたことのある人がウロウロしているのが目に入りました。その方が、どうやら小山さん、私は写真でしかお目にかかったことがありませんが、これがリアル小山さんなのですね。後ろに座って練習を眺めているようでしたが、河地さんが「小山さん、来てるね」などと声をかけると、いきなり立ち上がって「ご無沙汰しております!」と元気の良い声が帰ってきました。ニューフィルとはもちろん初顔合わせなのですが、メンバーの中には知っている人もいるので、そういう意味での「ご無沙汰」なのでしょうね。しかし、このノリの良さ、これだけで小山さんのキャラクターがすっかり分かってしまいましたよ。
 確か、今まで新しいソリストの方が見えた時には、団長あたりが前に出て紹介する、といった場面があったものですが、小山さんに限ってはそんなことは全く必要がないみたいですね。コンチェルトの出番になったら、前に立つなり「自己紹介」を始められてしまいましたからね。それも、喋ることがいくらでもある、といった感じの流暢さですから、聞いていて面白いこと。おそらく、オケの方も緊張感などはすっかりなくなってしまったことでしょう。私は降り番ですから、写真を撮りつつ、そんな様子を楽しく眺めていましたよ。
 演奏が始まると、ほんとに上手い!しかも、自分で吹きつつ、しっかりオケのメンバーにも的確な注文を出したりしているのですから、すごいものです。これは本番がとても楽しみ、河地さんとは長いおつきあいだと言いますし、小山さんに煽られてオケもノリノリになって、きっとすごい名演が誕生する予感です。トップページのチケット・プレゼント、郵送する時間を考えるとそろそろ閉めるタイミングですが、ぜひ申し込まれて、この素敵なファゴット協奏曲を味わってみて下さい。
aventure number : 0643 date : 2005/10/22


今日の禁断 バケツリレー

 お天気など、先のことなどは分からないのだから、天気予報などはほんの気休め、とは、常に私が抱いている信条なのですが、それにしても気まぐれな天気予報を、今日ほど恨んだことはありません。消防訓練当日の今日のお天気は、きのうまではしっかり「晴れ」の予報でしたから、何も心配はしてはいませんでした。今朝も、起きてみたら晴れ間が広がっていたので、きちんと予報が当たったな、と思っていたのです。しかし、しばらくしたら何だか暗くなって、雨が降り出したではありませんか。それも、かなり激しい雨です。こんな状態が続いたら、とても消防訓練どころではないではありませんか。テレビで最新の予報を探してみても、やはり午後一杯は雨が止むことはない、ということです。
 そんな心配をしていたら、なんと、消防署から自宅に電話がかかってきましたよ。管理人に電話してもまだ来ていなくて出ないので、私の所に直接かけてきたのです。なんでも、今回の訓練の目玉の地震体験車「ぐらら」というのは、雨が降っていると使えないものなのだそうで、それがない場合の訓練の流れはどうなっているのか、というようなことを聞いてきたのです。そんなことを今さら言われても、雨が降った場合の代替案など何も考えていませんでしたから、私は電話口でおろおろするばかりでした。「空も少し明るくなってきたし、もう少し様子を見させて下さい」と答えるのが精一杯でしたよ。それからは、もう気が気ではありません。何度も外に出て西の空を眺め、訓練が始まる午後1時までには何とか雨が止んでいて欲しいと祈るばかりです。
 そんな祈りが通じたのか、その時間になったら雨は殆ど降っていない状態になったので、訓練の開始です。しかし、安心したのも束の間、しばらくしたらまた結構な降りが始まってしまいましたよ。仕方がありませんから、用意していた訓練メニューを一部カットして、何とか雨の中に長時間いることだけは避けて、最後の「ぐらら」に全てを託します。その頃にはもうその車は到着、別に少しぐらいの雨が降っていても支障なく出来ることが分かって、さっきの消防署の心配はなんだったのか、という思いが募ります。こんな雨の日も想定しているのでしょう、きちんと履き物を脱ぐすのこの上にはブルーシートなどを張って、そこだけは雨が当たらないようにして、いよいよ地震体験の開始です。テレビなどではよく見ていますが、実物を見るのはこれが初めて、振動の再現だけではなく、スピーカーでものが崩れる音を出したり、大画面のモニターでそれらしい映像を流したり、なかなか凝ったものなのですね。結局40人ぐらいの人が体験、私も最後にやってみましたが、いやあ、これはすごいものですね。「震度7」というのがどういうものなのか、まさに身をもって体験できましたよ。もうこうなると単なる「揺れ」ではなく、殆ど「移動」という感じですね。
 そこまでやったところで、「消防隊長」としての私の役目は終わりです。後かたづけなどは他の人に任せて、もうとっくに始まっている合唱の練習に駆けつけるのでした。
aventure number : 0644 date : 2005/10/23


今日の禁断 仕切り線

 痛恨のミスでした。今日の発行へ向けての「かいほうげん」の印刷、きのうは1日他のことで忙しくて手が付けられなかったので、今日の仕事ぶりに全てがかかっている、という、まさに「背水の陣」状態で臨んだのでした。それでも、先週のうちに半分の印刷は終わっていましたから、単純に印刷の時間だけを考えれば、充分に間に合うだけの見通しはありました。そして、その見通し通り、作業は淡々と進んでいきます。最終的に今日まで残ってしまったものが3ページ分あったのですが、それらはほぼ朝のうちに完了、あとは印刷用のファイルを作って、いよいよ印刷の開始です。
 結局、今回は自分で書いたものは「おやぢ」だけ(それも、もちろん使い回しです)、原稿やらネタやらがたくさん集まったので、楽に出来てしまったような気がします。その分、校正には時間をとって、間違いは厳しくチェックしたつもりでした。しかし、前半の協奏曲の練習が終わった休憩時間に、後ろの方から各パートごとに配り始め、前のファーストまで配り終わって後ろに戻ってきたら、トランペットパートのしできさんと響パパが、なにやら表紙を指さして騒いでいます。「間違ってますよ」。・・・確かに、その指の先を見てみると「23日」であるべきものが「22日」になっているではありませんか。ここだけは何度も何度もコンマスに渡された日程を見直して完璧にチェックした場所だったのですが、肝心の部分で間違っていたとは。こんな悔しいことはありません。
 実は、その前に、確実にミスと思えるものがありました。それに気が付いたのは全部印刷し終わってから。ただ、これは非常にはっきりしたミスではあるのですが、実際にプリンターのことをよく知っている人でなければ、ちょっと気づかないようなものです。ですから、これをネタに、「間違いを探してみて下さい」と、千秋オケのようなことをやってみようと楽しみにしていたのに、別のところでこんな分かりやすいミスプリがあったのではなんにもなりません。なんと間抜けなことでしょう。
 その千秋オケの間違い探しは、実は今回「かいほうげん」に載せるつもりでいたのですが、他のものでページが埋まってしまったので、載せずに取ってある、という贅沢な扱いを受けています。いつか、記事が少ない時にでも載せようかと。そうしたら、響ママが練習の終わりに、「間違い探しのCDが出るんですってね?」と聞いてきましたよ。こんなことなら、無理をしてでも載せておくのでした。もちろん、中身は前にここに書いたものと同じです。ちなみに、ブログにコピーした同じものが、「千秋」と「間違い」で検索すると一番最初にヒットするのですから、ちょっとしたものですよ。
 練習の後半で、シンフォニーを初めて全曲休みなく通しました。もっとハードだと思ったら、私にとってはあっけないほど楽に最後まで行ってしまいました。3回目ともなれば、こんなに楽に感じられるのですね。なんか、今回はいつになく楽な思いをさせてもらっているような気がします。
aventure number : 0645 date : 2005/10/25


今日の禁断 ボストン

 初めて行く場所というのは、なかなか緊張するものです。今夜は瀬尾さんのコンサートを楽しみにしていたのですが、何しろ「シュトラウス・ホール」という行ったことのない会場ですから、それだけで気持ちが落ち着きませんでした。実際はその近くまでは確かに行ったことはあるのですが、それはこのホールが出来る前、車でなければ行けないような不便なところですから、まず駐車場がどうなっているかが、最大の懸案事項でした。チケットを買った主催者に話を聞いてみると、どうやら少しなら駐車場はあるとのこと、ただ、場合によっては満車になることもあるので、早めに行く必要はある、という返事でした。
 6時半開場ですから、6時前に行けばまず大丈夫だろうという目論見で、職場を出発します。確かに、かなり広い駐車場はこの時間ならガラガラでしたので、まず一安心。開演間近には、いっぱいになるのでしょうね。まだホールは空いていないでしょうから、車の中で一仕事、「おやぢ」の原稿を仕上げてしまいましょう。しかし、そんなことをやって時間をつぶしていても、一向に車が来る気配はありません。これだったら、こんなに早く来ることもなかったと、ちょっと拍子抜け。
 そんな感じですから、そのホールの中もお客さんはまばらでした。やはり、こういう場所ではなかなか来づらいのかもしれませんね。でも、こういうコンサートでの常連もチラホラ、ニューフィルのフルートパートの人と一緒に座って、開演を待ちます。
 ステージに出てきた瀬尾さんを見て、一瞬びっくりしてしまいました。髪型が今まで見たことのないような、精悍な感じになっています。ちょっとアダルトな風貌、なかなか良いですね。もちろん、演奏もいつもながら、いや、いつにも増して素晴らしいものでした。今回のコンサート、まずプログラミングが凝ってます。後半に、シュブネル、ファーニホー、そしてデームスという、まず、殆どの人が聴いたことのないはずの曲が並んでいるのです。私はファーニホーはCDでは聴いたことがありますが、生は初めて、他の2曲は全くの初体験です。それもそのはず、シュブネルの曲は「日本初演」というのですからね。「ラヴェルへのオマージュ」というその曲、タイトルの通りラヴェル風のちょっとおしゃれな曲、瀬尾さんはそれこそエスプリたっぷりに演奏していましたね。ファーニホーは、今時珍しい「70年代」風現代音楽、しかし、パユのCDを聴いた時には感じられなかった「暖かみ」を、いかにも無機質なテクニックの裏に、瀬尾さんは感じさせてくれました。デームスの長大なソナタは、もろシューマンやブラームスあたりのテイストを再現したもの、第1楽章など、ソナタ形式で提示部を繰り返すという、念の入ったものです。恐るべきことに、ここで瀬尾さんは全く「ドイツ的」な音を聴かせてくれました。この、ちょっとアナクロ気味な作風に見事にマッチした骨の太い音、これがあったから、この曲の魅力が最大限に発揮されたのでしょう。
 これを聴く前に、すでに前半でのフランセの洒脱さと、ジョリヴェの殆ど異教徒の踊りのような超ハイテクに、すっかり満足していたのですから、これだけ中身のある思いをすれば何も言うことはありません。いつもながら、フルートという楽器を超えた地平まで見せてくれる瀬尾さんには、感服です。今回のピアニストはローラン・ワグシャル、瀬尾さんにピッタリより沿い、出るべき所は出るという理想的なサポートには、安心して聴いていられる心地よさがあります。これを聴いてしまうと、やはり5月のコンサートの時のピアニストは・・・。
aventure number : 0646 date : 2005/10/27


今日の禁断 TBS

 きのう、瀬尾さんのコンサートから帰ってきたら、セットしておいた留守録は無事完了していました。そう、前にお伝えした「クイズ!日本語王」のオン・エアが、きのう、まさにコンサートが行われている時間だったのですよ。前に送っておいた「たけのこ」の画像が使われるのはこの日だという連絡はあったのですが、果たして、本当に使われているのでしょうか。使われたとしても、それはまともな扱いなのでしょうか。気になるところです。早速頭から早送りで見ていくと、出てきました、「筍」という漢字が。問題は「『筍』は、なんと読むのでしょうか」という、幼稚なものでしたが、漢字の成り立ちを説明した時に、「『旬』という字には『10日』の意味があり、たけのこはたった『10日』でこんなに大きくなります」というナレーションに乗って、私の画像が出てきたではありませんか。そこで、1日目から10日目までの10枚の画像を連続して流していたのです。
1日目 10日目

 送った画像は、これと同じもの、かなりサイズが小さいのでテレビの大きな画面で見たらちょっとまずいのでは、と思っていたのですが、そこは見事に、耐えられるほどのものになっていましたね。最後のコマなど、塀の向こうにお墓が見えたりして、でも、これを見てあそこだと分かる人など、いないでしょうね。撮った人だけが分かる、密かな満足感、分かって頂けますか?
 と、自己満足に浸ったところで、夕方からは演奏会の前日リハです。私が行った頃にはもう山台は組み終わっていて、椅子と譜面台を並べているところでした。これがあると、もう「やるしかない」という気になりますね。楽器の準備をしていると、エキストラで来ていた仙台フィルのYさんが私のところに来て、「あの会報はすごいですね」と、本当に驚いた顔で言ってくれました。そういえば、この前に配った時にはエキストラの人もみんな居ましたから、渡っていたのでしょう。「これだったら、お金取ってもいいですよ」とか、「『技』もさることながら、センスがいいですね」というベタ褒め状態に、気分が良くならないわけがありません。しかし、「長年やってれば、こんなもんですよ」と、あくまで謙遜する私でした。
 曲順にやったので、前半は降り番、写真をたんまり撮りました。最初の序曲を通したあと、河地さんは、ヴァイオリンとチェロに、少し客席の方へ向かって座り直すように指示を出しました。そうしたら、本当に出てきた音がガラリと変わってしまったのですから、びっくりです。コンチェルトには初めてチェレスタが入って、その部分だけまず固めたあとに、全曲の通しです。なにやら、ソリストの音のバランスを「調整」している気配、これも最後に全曲通します。
 そして、いよいよ出番のシンフォニー、これは本当に「通し」だけで終わってしまいました。「細かいことは明日」ということのようですね。こういう感じで演奏を始めると、やはり最初は楽器が鳴らないのがよく分かります。鳴りはじめたのは4楽章に入ってから、これで最後まで行けるかな、と思ったら、Rちゃんが、いきなり譜面を落としてしまって、2ページまるまる抜けた状態で吹き始めたので、他人事ながら気が気ではありません。彼女は暗譜で何ごともないように吹いているのに、私の方が気になってしまって、そこからはボロボロ、でも、これで、本番に何が起きても大丈夫、って気になれましたから、明日は楽勝でしょう(なんて言ってると)。
aventure number : 0647 date : 2005/10/28


今日の禁断 アイコンタクト

 前半降り番というと、いつもの私ではなかなかないような今回のパート割りでしたから、演奏会が始まる前でも、のんびりしたものです。ゲネプロが始まる前も、川崎からやってきたCさんのお子さんを眺めていたり(たけのこ、前に書いたことを覚えていてくれて、実際にテレビで見たそうです。ありがたいことです)していました。開演直前も、木管の3人がロビーコンサートをやるというので、入り口のすぐそばの道路に面したところに集まって、チケットをあげた1号様や、休団中のIさんなんかと一緒に「サクラ」の役をやったりして、この企画を盛り上げにかかっていたのです。そこには行政関係の情報誌などが置いてある棚があるのですが、そこに「伊達人」という、この前ニューフィルに取材に来た県の文化財団かなにかのフリーペーパーがありました。もしやと思って中を見てみると、そこには、ニューフィルが大々的に紹介されているではありませんか。写真もふんだんに使って、知った顔があちこちに見られます。その中に、本当にいつも見かけている、私の顔もあったのにはびっくりです。シンフォニーを練習している時の木管パートがアップで紹介されていたのですね。それだけではありません。なんと、「かいほうげん」が写真で紹介されていたのですよ。
 カラー写真ですから、本当にきれいに見えます。きのうのYさんのコメントではありませんが、まるで売っている印刷物のように見えてしまいますから、嬉しくなってしまいました。これで、「かいほうげん」は宮城県全域に知れ渡ったことになるでしょう。
 そんなわけで、休憩が終わっていよいよ出番になっても、緊張感は全くありませんでした。特にこれといった事故もなく、淡々と演奏が進んでいくように見えました。しかし、これが本番というものなのでしょう。自分では冷静でいたつもりでも、次第に何か熱いもので後押しされているような感覚にとらわれてきました。それは、演奏している他のメンバーから圧倒的な力で迫ってくるもの、こうなってはとても醒めていてはいられなくなってしまいます。結局、最後の方になったら自分でもわけが分からないほどノリノリになっていたようでした。終わってからの拍手も、実に暖かいもの、どうやら、私達はかなりすごい演奏をしてしまったようですね。
 ですから、アンコールの「眠りの森の美女」のワルツは、圧巻だったことでしょう。何しろ、河地さんは客席を向いてのんびり曲目の説明をしているのかと思ったら、振り向きざまにいきなり演奏を始めてしまったのですから、我々としては必死についていくしかなかったわけでして。
 結局、終わってみれば疲労感は全くないものの、心地よい充足感が体中に溢れているのが分かりました。「東龍門」での打ち上げでは、確かにそんな気持ちをみんなで共有できたはずです。今回はそれだけでもう充分、二次会はパスして、その気持ちを反芻しているところです。1号様、ごめんね。
aventure number : 0648 date : 2005/10/29


今日の禁断 考古学

 定期演奏会は終わりましたが、私の仕事は終わってはいません。公式サイトのウェブマスターとして、演奏会のデータや写真を集めたページを作る、という仕事です。本当はきのうあたりには出来ていなければなかったのですが、1日遅れでやっと出来上がりました。こちらをご覧下さい。いつになくシンプルな造りになってしまい、特に「打ち上げ」関係にあまり力が入っていないのは、まあ致し方のないことでしょう。おそらく、ニューフィル史上初めての、打ち上げに参加しない指揮者だったのですから。これからは、「打ち上げに出られること」を、指揮者選定の条件にしませんか。
 昨日忙しかったのは、映画を3本も見てしまったせいです。「3本立て」ってやつですね。知ってますか?かつては映画館での興業が「2本立て」、「3本立て」というのが当たり前の時代がありました。もちろん今のような総入れ替えなどもありませんから、時間さえあれば1回入場すれば3本の映画を、何回でも見ることが出来たという時代です。もちろん、そんなもの、今はやっているわけがありませんから、この「3本」というのは、劇場で1本、BS2で1本、そしてWOWOWで1本という意味なのですがね。
 まず、最近よく行くMOVIX仙台での「ティム・バートンのコープスブライド」です。この前見た「チャーリーとチョコレート工場」と同じ時期に並行して撮っていたという作品、あそこに出ていたジョニー・デップやヘレナ・ボナム・カーターが声優で出演しているストップモーション・アニメです。予告編では分からなかったのですが、ちょっとしたミュージカル仕立てになっていたのですね。音楽はやはり「チャーリー」と同じダニー・エルフマン、これは楽しめました。人形の表情、とくにコープスブライドの目が素敵、ヴィクターとピアノを連弾する時に見せるちょっとすねた顔が、とびきり魅力的でした。気持ち悪いのは前から分かっていましたが、唐沢なおきみたいな「半切り」のボディまで行くと、何も言えません。とても美しい物語、最後にはやはり泣けました。
 家へ帰ってからは、昨日録画しておいた「寅さん」です。これも、何回も見たものですが、予定調和の完成された姿に、毎回新しい発見があります。
 そして、内容は全く知らなかったのに、ユアン・マクレガーが出るというのでとりあえずチェックをしておいた「ビッグ・フィッシュ」です。見始めたら、驚いたことにこれもティム・バートンの作品だったのですよ。H・B・カーターも、もちろん出ていますし。父親のホラ話を嫌がっていた息子が、最後にはそのホラ話を自ら語り、それがいつの間にか現実になっているという、やはり非常に美しい物語でした。ヘレナはここで二役をやっているのですが、その関係が見事、彼女の表情は、先ほどのコープスブライドそのものでした。ここで出てきた「大きな人」と「小さな人」、「大きな」ほうは最近亡くなったそうですが、「小さな」ほうは、「チャーリー」のウンパ・ルンパでしたね。
aventure number : 0649 date : 2005/10/31


今日の禁断 御挨拶

 定期演奏会、お疲れ様でした。「第9」のスケジュールが立て込んでいるので、休みを入れずにいきなりの練習開始です。予定では、全曲を通して、引き続き恒例の「懇談会」ということで、誰しもさらっと通すことを期待していたに違いありません。しかし、練習指揮者はもっと高い次元のものを想定していたようです。出だしの弦の引っかけから、何度も何度も要求を出してきます。考えてみれば、来週は分奏ですから、次の合奏の時にはもう指揮者が来てしまうのですね。ですから、ここでしっかり細かいところまでチェックすることは、必要なことだったのですよ。ただ、時間が足らない、ということで、あんまりていねいにやっていたら、ついに「もう時間がないよ」という声が飛ぶようになってしまいました。兼ね合いが難しいと言うことですね。
 私は、定期で楽をした分、今回は大変です。なんたって「第9」ですから、そこに必要なスタミナたるや、「チャイ5」の比ではありません。止まり止まりやっていたおかげで、第1楽章では休みながら吹いていられましたが、時間が押してきて通しになってしまったらもうたまりません。きちんとペースをわきまえないと、大変なことになってしまいそう、そうならないように、もう少し筋トレなどをやることにしましょうか。
 体力的には辛いものの、音符に関してはさすが毎年やっているとかなり馴染みが出てきているのは嬉しいことでした。指がもう覚えているというか、考えなくても次の音が出てくるようになっているのは、一つの成果でしょうか。ただ、ここでいい気になって気を抜くと、本番には落とし穴が待っていることがあるので、注意は必要ですよ。ほんと、私の場合そんな油断をしていて何度痛い目にあったことか。
 そして、ほんの30分ほどしか残りがなくなったところで、懇談会の始まりです。そんな時間ですから、いつものように全パートに喋ってもらう、ということは出来ず、各セクションの代表が、ほんとに要約したコメントを出して終わる、という状態でした。いつものように私はMDで記録をしていましたが、これだと原稿起こしも楽なことでしょう。ちょっと込み入った話もあるにはありましたが、これはもちろん記録には載せずカットするつもりですから、手間もかかりませんし。
 会場では、もちろん演奏会のCDやDVDが渡されていました。今回は、CDが2枚組のケースに収まっているという、さらなる進化を遂げていましたよ。こうなると、もう「団の誇り」みたいなものですね。もう一つ、演奏会の時に渡しそこねた、例のニューフィルの紹介が乗っているフリーペーパーも、一山テーブルに積まれていました。単にスペースを埋めただけのことなのかもしれませんが、私にとっては「かいほうげん」がこのように扱われたのは密かな「誇り」です。まだ沢山あることだし、それこそキリ番の景品にでもしようかと思っているほどですから。
aventure number : 0650 date : 2005/11/1


今日の禁断 ファウスト

 ニュースやワイドショーで、「ブログ」が大きな話題になっていますね。ちょっと前までは、私でさえこんな単語は知らなかったのに、今では日本中の人がその「名前」だけは知るようになったのですから、すごいものです。あるニュースでは、「日記形式の簡易ホームページ」と言っていたのには、笑ってしまいましたが。まあ、言葉だけが一人歩きをして、その実体は決して正確に理解されることはない、というのは良くあることです。ちなみに件のブログ、探してみましたがすでに削除されていましたね。キャッシュは残っていましたが。
 そのワイドショーのコメントで、心理学者だかによる、「こういうものは、ネットで他人に見られることを想定しているのだから、本当の日記であるはずはなく、虚構が混ざっているものだ」というのがありました。こういうものの本質をよく理解している適切な発言だと、思わず頷いたものです。中には本気で「日々の生活」などを包み隠さず書いている人もいるのかもしれませんが、私は最初から「虚構」のスタンスを保って書き続けています。考えてもみて下さい、全世界に向けて自分の日常生活をさらけ出す人の存在など、私とってはあり得ないことです。毎日の生活からヒントをもらって作り上げた一つの物語というのが、私が目指しているものなのです。
 というわけで、映画好きの主人公は、今日も利府のMOVIXへやってくるのでした。最近は見たいものが目白押し、「ブラザーズ・グリム」をまず押さえておきたかったのですが、ちょっと出遅れて初回には間に合わなかったので、第2希望の「春の雪」です。三島由紀夫の原作はかなり昔に4作全部読んでいたので、そそられます。もちろん、今回はその第1作だけですから、あの「豊饒の海」に込められていたとてつもない世界観はすっぱり切り離され、もっぱら単なる悲恋物語という扱いになっていましたが、それはそれで結構なことでしょう。そのストーリー自体が、三島が描いた爛熟の世界を過不足なく再現してさえいれば、それで充分満足のいくものになっているのですから。事実、映画としての完成度の高さには驚かされます。その第1の功績は、撮影監督の手腕でしょう。冒頭のシーンから非常に手の込んだワンカットの長回し、ここには息をのむほどの美しさがありました。「逢い引き」のシーンでも、壁の死角を上手に使ったアイディアには感服させられました。
 音楽の使い方も、なかなかのものでした。蓄音機からマーラーの「アダージェット」が聞こえてきた時には「ありえねえ」と思ったものですが、それが徐々に正規のサントラに変わっていって、その間に達筆でしたためられた恋文が、開封もされず燃やされる(今だったら、メールの受信拒否でしょうか)というシーンが語られるのは、かなり印象的なものです。もちろん、竹内結子がそんなきれいな字で書いているわけはなく、エンドロールにはしっかり「代筆」というスタッフの名前が見られました。
 そう、この悲恋をになうべき主人公の彼女の、ちょっとしたそぶりの中に、ほんの少し感じられる「安っぽさ」が、この作品のわずかな傷なのかもしれません。ですから、私が最も心を打たれたのは、襖の陰で姿を見せずに嗚咽を漏らすシーンだったのです。
aventure number : 0651 date : 2005/11/3


今日の禁断 エキサイト

 ちょっとこちらをごらんになって下さい。これは、今使っているブログの設定の中の「レポート」という項目を開くと現れるページです。もちろん、パスワードなどが分かっているブログ管理者にしか見ることの出来ないもの、こんな風に毎日のアクセス数が記録されています。「おやぢの部屋2」のコピーが入っているこのブログ、ごらんのように、昨日めでたく1万ヒットを達成したので、お知らせしようと思いまして。「集計開始日」が1月となっていますが、実際には1月と2月のものはテストだけしていったん閉鎖していましたから、実質的には右のように3月開始ということになるのです。1万を達成するのに8ヶ月もかかったなんて、決して多い数字ではありませんが、ごく最近のデータでは、最高で77アクセス/日などというのもありますから、まあ、立派なものなのではないでしょうか。
 この「おやぢ」で、明日アップする予定のアイテムが、「コンサート・フォー・バングラデシュ」のDVDです。本体のレビューは明日読んで頂くことにして、ここでは最初に発売になったそのレコードについての思い出などを。
 今回DVDの発売を知ったのは、通販サイトででしたが、そこにあったジャケットの写真が私が昔買ったLPと同じデザインだったのを見つけて、即座に買うことに決めました。難民の子供が、空っぽの食器を前にして座っているという姿のジャケットは、とても衝撃的なものでした。家の中を探して見たら、その現物が出てきたのですが、それは立派なボックスに入った3枚組のセットだったのです。それは、確か全世界で同時に発売になったもので(違っているかもしれませんが)、国内盤ではなく、外国(多分イギリス)でプレスしたLP、ブックレットも英語だけで、日本版には別に日本のレコード会社が印刷したちゃちなブックレットがついているというものでした。当時はそんなことはよく分からなかったのですが、このDVDのメイキングにそのLPのことが出てきて、そこにある品番が全く同じものだったので、今さら、そんなことに気がついたということです。ですから、今となってはかなり貴重なものを持っているということになりますね。殆どのLPは処分してしまったのに、これが残っていたのは、やはり、他にはない「重み」のようなものがあったせいなのでしょう。
 このLP、それこそすり切れるほど繰り返し聴いたもので、ジョージのMCなどまで覚えてしまえるほどのものでした。ただ、1枚目に入っていたラヴィ・シャンカールのインド音楽だけは、1度聴いただけでそれ以後は全く聴くことがなかったのは、当時の私の嗜好のせいでしょうか。しかし、その部分をDVDで見てみると、思わず引き込まれるような、とても素晴らしいものでした。こういうものを聴いて面白いと思えるように私の嗜好が変わったのか、あるいは映像によって、音だけでは得られない独自のグルーヴを感じられたのかは分かりませんが、思いもかけない嬉しい体験ができたことは確かです。30年以上経って、やっとその良さに気づくこともあるということ、まだまだ楽しいことが未来にはいくらでも待っていることでしょう。
aventure number : 0652 date : 2005/11/5


今日の禁断 無機化学

 合唱関係のおつきあいが広がってくると、いろいろなコンサートのお誘いが増えてくるのは前にも書きましたが、今日もこんな所へ行ってくることになってしまいました。
 仙台で「童謡」を専門に歌うという活動をなさっている団体が、20周年を迎えたという、その記念のコンサートなのだそうです。これは、指導者の方が、殆どお一人で作り上げ、育ててきたという、ちょうど出来たばかりのニューフィルのような団体、20年たった今も、その体制でしっかり固まっているようで、その間には会員のお子さんやお孫さんが参加されたりして、相当な人数を抱える団体に成長された、ということです。なんでも、その指導者の方のお子さんが、ピアニストとして全部の曲の伴奏を担当されていましたが、しっかり後継者も育ててらっしゃる、とお見受けしました。実は、この方のご主人というのが、私が行っていた大学の同じ学部の同じ学科の教授、私もその講義を受けたことがありますが、その方が、会場で精力的にDVDビデオなどをとっておられました。昔と殆ど変わらない元気なお姿を拝見して、ちょっと懐かしくなったものです。
 何を隠そう、私は大の「童謡マニア」ですから、このコンサートは楽しく聴くことが出来ました。馴染みのものに加えて、ここでしか聴くことの出来ない、その指導者の方が作詞をされた曲なども、興味深く聴くことが出来ましたし。演奏も、創立当時から参加されている、かなりお年を召した方々の大合唱から、お子さんの頃から参加されて、今では高校生となったトリオまで、バラエティに富んでいまいしたし。このトリオの「赤い靴」は、ちょっと聞きものでしたよ。
 夕方に家へ帰ったら、郵便受けに荷物が入っていました。しできさんがわざわざ届けてくれた定期演奏会のDVD、この間の練習の時には品切れだったので、こんなお手間をかけて下さったのですね。いつも済みません。さっき見終わったところですが、今回はボーナストラックが充実していましたね。実は、最初のステージは降り番だったので袖でブラブラしていたら、いきなりカメラを渡されて、団員がステージに入るところを撮らされてしまったのですよ。初めて使うカメラですから、ちょっと勝手が分からなくて、夢中で撮ったものですが、思ったほどまずいことにはなっていなくて一安心。そう、最初に団員と河地さんが入場して、「ウィンザー」の演奏が始まるまでのカットは、私が撮影したものなのです。終わりの方で木管のアップがあるのは、そういうことだったのですね。
 それから、随所に最近生まれたばかりの「ジュニア」の姿が散りばめられていますから、これはまたとない記録でしょう。響くんなどは、しっかり歩いていましたね。打ち上げの様子も、まんべんなくコンパクトに編集されているのも、全体の模様が分かっていいものですね。県民会館を出たところで「お休みなさい」となっているのは、しできさんも二次会には行かなかったということなのでしょうね。
 もう少しで、このサイトも50万というアクセス数を迎えます。その時のキリ番の景品には、このDVDが付くかもしれませんよ。
aventure number : 0653 date : 2005/11/6


今日の禁断 人魚姫

 おとといは、恒例の合唱の練習がありました。男声2つ、混声2つと、全部で4つのステージを歌うことになっているのですが、混声の1つがちょっと面白いものです。今まである曲を歌うのではなく、新たに曲を準備して一つのステージを構成するというもので、そこにピアニストの小原孝さんが加わってピアノで「乱入」するという趣向になっています。そこで使う曲はヒット曲や民謡など、よく知られた曲が主になっているのですが、今回は、そこに、新たに作られた曲が加わります。それは、「津和野の風」という曲です。詞を書いたのが、絵本作家の安野光雅さん。私のアイドル的な存在ですから、この話を聞いた時には、本当に嬉しくなってしまいました。森ミドリさんがその詞に曲を付けたものが届いて、練習が始まりました。「1番」はこんな歌詞です。
夢に津和野を思ほえば 見よ城跡へうすけむり 泣く子寝入るや鷺舞ふ日 遠雷それて風たちぬ
 文語調でなかなか格調の高い歌ですね。懐かしくも美しい風景が眼前に広がってくる素晴らしいものです。しかし、この曲を実際に演奏会で指揮をする指揮者が東京から練習にやってきた時にした話には、愕然としてしまいました。この歌は、「いろは歌」だというのです。つまり、いろは48文字を全て1回ずつ重複なく使った歌だったのですね。多くの「だまし絵」を作ってきた安野さんの、まさに面目躍如といった作品ですね。
 ご存じの方もいるかもしれませんが、安野さんの故郷山口県の津和野には、彼の作品が展示されている「安野光雅美術館」というものがあります。そこの入り口に、彼の直筆で掲げられているのが、この歌だったのです。これを見た森さんが早速曲を付けることを思い立ち、新たに追加の歌(これは、別にいろは歌にはなっていません)を作ってもらって、曲を完成させたということです。それをなぜ我々が歌うようになったのかは、そんな人とコネのある人が大勢OBにはいる、ということなのですね。
 この安野さんは、その絵本が「アンデルセン賞」というものを受賞していますが、その名前の由来であるデンマークの詩人、童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンは、今年生誕200年を迎えたそうです。確かに、本屋さんなどにいけば、アンデルセン関係のコーナーが大々的に展開されていますね。もちろん、本国では大騒ぎでしょう。たまたまデンマークに行ってきた知り合いにもらったのが、このチョコレート、アンデルセンの作った童話が箱に描かれている美しいものです。これは「裸の王様」でしょうね。しかし、このリアルさはちょっとすごいですね。私が昔見たものは、パンツぐらいははいていたものですが。
 おとといは、その合唱の練習を早引けして、「アイーダ」を見てきました。久しぶりに味わったまともなオペラ、これで、本当に久しぶりの「吉田ヒレカツ」が出来ました。
aventure number : 0654 date : 2005/11/7


今日の禁断 ザルツブルク

 紅葉がそろそろ見頃になったきたかと思ったら、もはや雪の便りも聴かれるという、秋と冬が混在しているようなこの頃です。昼間こそ暖かかったものの、夕方になったら底冷えがするような寒気に包まれ、おまけに雨まで降ってきたというのは、練習に行くにはちょっと辛い環境です。職場を出る時にはほんの小降りだったものが、途中で「はごろも」を買いに立ち寄った台原のセブンに着く頃には、土砂降りになってきましたから、ちょっと大変です。
 今日の練習は管と弦が分かれての分奏です。管楽器と打楽器が旭ヶ丘のホール、弦楽器が青年文化センターの練習室という陣取りになっていました。打楽器を運ぶのは大変だということで、こういう部屋割りになったのですが、コントラバスなどは、各自運んだのでしょうね。ただ、譜面台だけは借りるとお金がかかるので、始まる前にこちらの倉庫から台車のまま一箱持っていきましたっけ。ですから、今日顔を合わせた弦楽器の人は、それを持ちにきた男子2人だけ、あとの弦の人、特に女子は、全く顔を見ることが出来なかった、という寂しい火曜日でした。
 しかし、定時になってもメンバーが集まらないという寂しい状態でなかったのは、嬉しいことです。フルートパートなどは、都合で来れない人もいたので、ちゃんと代奏を立てるということまでやっていたのですからね。
 終わった人が帰れるように、編成の大きい部分から、練習は始まりました。まず、打楽器がたくさん入る4楽章のマーチからです。この部分、実はフルートはお休み。その代わり、ピッコロが大活躍をするということになります。「第9」は初めてというピッコロの女子は、入る部分でちょっと苦労していましたが、そこさえクリアしてしまえば、あとは伸びのある音で生き生きと吹いていました。それに刺激されて、そのあとで入るフルートの男子と女子も、自然と頑張って吹いてしまう、という良い影響が、そこには見られたはずです。
 練習指揮の男子は、このあたりにかなり時間をかけて、来週からの本番指揮者の男子が来るのに備えようという目論見です。しかし、ここばかりに時間を取るわけにはいきませんから、残りの楽章に移り、殆ど軽く通しただけで、結局全曲を一通りやることが出来ました。私には、最後にやった第3楽章は、やはり難関です。しかし、先週よりは楽に吹けるようにはなりましたから、前のように苦労することはないような感触はありますね。
 歌伴の譜面も渡っていました。「サウンド・オブ・ミュージック」のナンバー、「ドレミ」と「ひとりぼっちの羊飼い」ですが、さっきのピッコロの女子は「この曲知らない」と言っていました。このミュージカルが映画になって、その中の曲をみんなが口ずさむほどになっていたのは、はるかに昔のことだったのですね。
aventure number : 0655 date : 2005/11/8


今日の禁断 佐久間

 50万のキリ番、お昼過ぎには出るはずだと思って、チェックする予定だったのですが、その時間にかけてあちこちに連絡しなければいけないことがあってバタバタしているうちに、気が付いたらもう3時半になっていました。慌ててサイトを開いてみると・・・
 と言うわけで、私自身が限りなくキリ番に近いところを踏んでしまいましたよ。どうぞ、プラマイ10カウントというか、この時間にアクセスした覚えのある方はお申し出下さい。
 とうとう50万ですね。このサイトが始まったのが1998年、それだけ長くやっていれば、まあこのぐらいのアクセスにはなるのでしょう。まさに「継続は力」ということです。というのも、同じ頃に他のサイトを回ってリンクなどをお願いしまくったのですが、その中には、もはや今では存在しないものも多くなっているのです。ですから、私程度の古さのものでも、もはや「老舗」という感じ、ネットではいっぱしの先輩面が出来てしまうのですよ。
 最近では、ご存じのように「ブログ」がおおはやりですよね。こんなサイトみたいな手間をかけることなく、ちょっとしたコツさえ飲み込んでしまえば簡単に自分のサイトが持ててしまえるのですから、敷居の低さから言ったら比較にならないものです。ほんと、ラジオを聴いていると「私のブログを見て下さい」と言っているDJやアーティストの多くなったこと。ところで、ニューフィル関係者内でのブログ人口はどのぐらいなのでしょう。今のところここからリンクしているのは1号様のものだけ、そんなわけはないと、密かに思っているのですが、どうでしょう。
 その1号様も大好きな映画、ほんと、最近は日本の映画も水準が高くなっていますから、侮れません。今、絶対見たいと思っているのが「ALWAYS 三丁目の夕日」、原作はもちろん西岸良平、これはもう、予告編を見た段階でウルウルでしたから、大いに期待が持てるところです。ストーリーはもちろんですが、あの昭和30年代の町並みを再現したというCGは見物でしょうね。
 ちょっと前の日本映画で「ホワイトアウト」というのを、今WOWOWで見終わったところです。いやぁ、プロットといい、大がかりなロケといい、しっかりハリウッドしてましたね。もろ「ダイ・ハード」の日本版といった感じですよ。最後の方でストーリーが分からなくなってしまうのも、まさにハリウッドと言ったら、褒めすぎでしょうか。実は私は小さい頃ダムのそばに住んでいたので、オープニングでこんなダムの映像が出てくるだけで嬉しくなってしまいます。川の流れをせき止める巨大なコンクリートのかたまり、これをすぐそばで見ながら育った私には、そのコンクリートの表面の汚れまで、いとおしく感じられてしまうのです。
aventure number : 0656 date : 2005/11/10


今日の禁断 指輪

 見てきました。「ALWAYS三丁目の夕日」。いやぁ、圧倒的な迫力でした。これはまさに「ジェットコースター・ムービー」、動き始めたら、もう停まることは許されず、ひたすら最後まで走り続けるしかないという、ものすごいものでした。これは、殆どアクション映画でしか用いられることのない用語だとは思うのですが、こんなほのぼの系の人情映画でそんなことが起こっていたのですから驚きです。
 とっかかりは、もろ出だしからありました。「東宝映画」というタイトル、最初は普通の、というか、今使われているものが出るのですが、次のカットでは、それが昔のもの、それこそ昭和30年代のものになっていたのです。この瞬間、そういうディーテイルに関しては失望することはないだろうという確信が得られました。そして、続くオープニングのシーンで、それこそ私の目はスクリーンに釘付けになってしまったのです。それは、とてもあり得ないカメラワークで、まるでワンカットでつなげられたようなシークエンス。ラジオの前にいたカメラが、いつの間にか空を飛んで行ったと思うと、行き着く先は都電通りの向こうにそびえている建設中の東京タワー。その瞬間私の目からあふれ出した涙、それが、この「号泣ジェットコースター」の始まりでした。次から次へと惜しげもなく繰り出されるツボを刺激するエピソード、ほんと、それらは全て正攻法のテクニックなのですが、ハマるはハマるは、殆ど涙を流していない時はないというほどの猛攻だったのです。最後の方などは嗚咽で座席が振動しているのがもしかしたら隣に座っていた人にも分かってしまったかもしれません。でも、いくら恥ずかしくてもそれを抑えることなんか、とても出来ませんでしたよ。細かいことは「ネタバレ」になりますから、実際に味わってみて下さいな。これは、どんなひねくれた人でも、そして、もちろんそうでない人でも間違いなく心を動かされる映画です。
 東京タワーを始めとしたCGではなくVFX(「ヴィジュアル・エフェクツ」の略語だそうです。かつてはSFX「スペシャル・エフェクツ」と呼ばれていましたよね)は、予想通りの素晴らしさでした。上野駅の外観もすごいのですが、本当にすごかったのはその内部。私自身、かつて何度もその場にいたことのあるあの懐かしい空間が、見事なまでに再現されていました。最近は上野などは素通りして東京まで行ってしまいますから、いつか降りてみて、どのぐらい変わっているのか、実際に見直してみたいものだと、切実に感じてしまったぐらいです。そして、実際に動いているダイハツ・ミゼット、観音開きの扉が特徴のトヨペット・クラウン、都電通りにはヒルマン・ミンクスやダットサン・ブルーバード、これだけお膳立てが整っていれば、見ているものは人格ごとそのままあの時代にタイムスリップして、そこで繰り広げられたあの時代ならではの人情模様にどっぷり酔いしれないわけにはいかないではありませんか。このテクノロジーは、単に昔の風景を再現しただけの映像技術ではなく、その時代の精神のレプリカまでも観客の心の中に作り上げた、恐るべきものだったのです。
 劇場内の観客は、最近見た「春の雪」などとは全く異なる年代の人たちでした。普段はわざわざ映画館までは足を運ぶことなどないような初老のご夫婦たち、彼らはきっと満足しきって家路についたことでしょう。私だって、もう1度見てみたいと思っていますし、その帰りには隣のジャスコの本屋さんで、しっかり「オフィシャル・ガイド」を買ってしまっていましたからね。
aventure number : 0657 date : 2005/11/12


今日の禁断 シマホッケ

 昨日行った利府のMOVIXで食事をする時には、殆どCOCOSに入るようになってしまいました。この敷地、「ペア・ガーデン」と言うそうですね。2人連れで来るところだから「ペア」だというのではありません。同じ「ペア」でも「pair」ではなく「pear」、つまりこの町の特産物である「梨」を取り入れたネーミングなのです。ここにはその他にもラーメン屋さんとかトンカツ屋さん、イタリアン、そして最近出来たばかりの、例の「ひな野」まであるのですが、一通り食べてみたあげくの結論が、ここが一番無難だ、ということなのです。特に、最近大幅にリニューアルされて、さらに魅力が増しました。それは、ドリンク・バーの格段の充実です。以前は一通りのソフトドリンクとコーヒー類という、どこにでもあるようなものだったのですが、まずそこにココアが加わりました。「ロイヤル・ホスト」には以前からあって、お気に入りだったのですが、それが、この価格帯の低いお店で味わえる、というのは画期的なことです。そして、これは「ロイホ」すらもしのぐのではないか、と思えるのが、紅茶類です。
 こんな風に、カウンターにはトレイ、ポット、カップ、そして砂時計というパーツが一式用意されています。お茶も、ティーバッグではなく、1回分の葉が袋に入っていますから、それをポットにあけ、お湯を注いで砂時計を倒し、時間が来たらカップに注いで飲むという、ちょっとリッチな感じの味わい方が出来るようになっているのです。お茶もいろいろな種類があって、今は「南国パイナップル」というのにハマっているところです。食事と一緒ならたった180円でこんな楽しい思いが出来るなんて(もちろん、その他のドリンクも飲み放題)毎回来たくなる気持ち、分かるでしょう?
 今日行ったのは「大戸屋」。最近愚妻が初めて行って、すっかり気に入ったというお店です。なんでも「半田屋」のような感じ(と言っても分からないでしょうが)を想像して今まで敬遠していたのですが、行ってみたら全然違っていたのですっかりファンになったとか。私は東京に行った時渋谷の店に行ったことがありますが、仙台では初めてです。ロフトのレストラン街にあるのですが、ここはかつて瀬尾さんと行ったインド料理のお店があったところ、全面改装されてから来たことはありませんでした。すっかり様子が変わっていて、もちろん、そのお店は跡形もありませんでしたね。食べ終わる頃には外に10人以上待っていて、かなり繁盛しているようでした。
 そこから、毎日行くことはないだろうといわれそうですが、今日は利府ではなく「仙台」のMOVIXで、「ブラザーズ・グリム」。これは、完全に「外れ」でした。テリー・ギリアムならではのプロットを期待したのですが、その思惑はまったくはずれ、いたずらにおどろおどろしい映像だけが見られるだけで、なんのメッセージも伝わっては来ません。冒頭の伏線は、完璧に外していましたし。いかにつまらなかったかは、途中で眠さが襲ってきたのに負けて、しっかり寝てしまったことからも分かります。どんなに体調が悪くても、普通の水準の映画でしたら、私は決して眠ることはありません。
 この話は、1815年前後の設定になっています。そこで、イタリアという遠い国で1817年に初演された「どろぼうかささぎ」が演奏されていたのはちょっと変。まあ、この程度の誤差なら許されるかもしれませんが、1868年に作られた「ブラームスの子守歌」が堂々と歌われていたのは、いくらなんでも、と思ってしまいます。
aventure number : 0656 date : 2005/11/13


今日の禁断 角田

 今日は「第9」の指揮者練習。いつも通りの時間に練習場に行こうとエレベーターを降りたら、ホールの中からヴァイオリンの音が聞こえてきました。普段、こんな時間に来ているのは木管楽器か打楽器の人だけですから、珍しいな、と思って中にはいると、それは今回お呼びしたエキストラの方でした。2人来ていたのですが、女の方は椅子まで並べてくれていましたね。慌てて「もっと人が集まったら、私達でやりますから」と言ってしまいましたが、ちょっと恥ずかしい気がしました。ほんと、最近では「6時半集合」というのは、すっかり空文化しています。
 それでも、音出しの時間になれば人も集まってきます。ヴィオラとかチェロのメンバーが、なかなかの出席を示していて、頼もしい限りです。そんな中で、「今年も、こんな季節がやってきましたね」という、毎年お馴染みの寿一さんの御挨拶で、年中行事の「第9」の練習が始まりました。まず、1楽章を1回通します。いつもながらの分かりやすいボディー・アクションで、曲がどんどん前へ進んでいく感じ、このドライブ感は、なかなか気持ちのいいものがあります。しかし、部屋の温度はかなり高め、練習が始まった時にはまるで蒸し風呂のような暑さだったのですが、暖房を切るようにお願いしても、まだ熱はあちこちにこもっていますから、大変です。1番フルートのパートは、最初のうちは殆ど休みがありませんから、こんな暑さでは汗で楽器が不安定になっても、拭き取ることも出来なくて、ますます不安定になるという悪循環に陥ってしまいます。それでも、最近は不安定でもそれなりの音が出せるようにはなってきましたから、何とか最後までたどり着きました。そこで寿一さんのコメントです。「音色が、絞られていない」ということ、これは、見方によってはかなり次元の高い指摘なのではないでしょうか。
 もう1度1楽章を返し、2楽章も通した後軽く返すという感じで、休憩となりました。休憩後は3楽章をていねいにやったため、4楽章は1度通しただけで終了予定時間を大幅に過ぎてしまいました。
 今回、ヴァイオリンのメンバーが大幅に入れ替わって、いつもファーストを弾いているHさんが、セカンドで私のすぐ前に座っています。終わったら私の方を向いて、両耳を押さえながら「うるさかったわよ」ですって。それはそうでしょう。ファーストの位置では遠くにあった管楽器のもろ前なのですから、うるさくないわけがありません。ご迷惑をおかけしました。
aventure number : 0657 date : 2005/11/15


今日の禁断 豆乳花

 世の中、ムカつくことばかりです。週末の練習のために、普段は職場に置いてある合唱関係のものが入っているケースをもって家へ帰ろうとしたら、なんか荷物が軽いような感じはしてたのですよ。帰り道にいろいろ買い物などを頼まれていたものですから、まず北山のセブンに寄ります。車に乗ってからずっと気になっていたのですが、後ろの座席のライトを点けてみて初めて、さっきからの胸騒ぎは現実であることに気づきました。財布などが入っているショルダー・バッグを、職場に忘れてきてしまったのです。ちょっと高いところにあるその職場、車で行くよりも石段を登った方が早いので、息を切らせながら坂道を往復、バッグは無事持ち帰ることが出来ました。そして、セブンに戻ったのですが、頼まれたものは置いてありません。仕方なく、他の店に行くために、「横田や」の前を曲がって、いつも通っている羽黒神社ではなく、北山霊園の脇の道へと向かいます。ところが、曲がったとたん、車が進まなくなってしまいました。そう、いつも別な道を通る時は反対方向で影響はないのですが、この道は悪名高い渋滞ポイント、荒巻交差点に向かう道だったのです。これから、まだまだ買い物があるというのに、これでは家へ帰るのが大幅に遅くなってしまいます。サンクス、ホカ弁、ダルマ薬局と寄って、最後の行き先はウジエスーパー、首尾良く買い物を済ませ、レジに並ぼうとすると、長蛇の列です。こういう時には、まだ開けていないレジの隣に並ぶのがセオリー、もうちょっとすれば、応援の人が入りますから、そこでサッと先頭に並ぼうという算段です。しかし、今並んでいるレジも微妙な進み具合、これ以上進むと、もう隣には出られなくなる、という絶妙のタイミングで、隣が開いてしまいました。もうレジを変えることは出来ません。運良くそこに入ったおばちゃんを尻目に、大根の束かなんかを袋に詰めているレジのおねえさんに、怒りをぶつけるのでした。
 まあ、そんな、何をやってもうまくいかない日もありますね。そんな時は、何かに集中してみると気が紛れます。そこで、次回のブルックナーに備えて、楽譜にあるドイツ語の指示を日本語に訳したものを作ってみることにしました。そもそもこういうことを始めたのは、1996年に長田さんとブルックナーの4番をやった時が初めてでした。それに味を占めて、末廣さんでマーラーをやった時も、同じようなものを作ったのです。今回その「4番」の資料を探し出してみると、それはたった1ページ分しかなかったのには、ちょっとびっくりしてしまいました。マーラーの時は3ページから4ページあったはずなので、ちょっと拍子抜けです。まあ、そのあたりが、マーラーとブルックナーの違いということにもなるのでしょうか。マーラーの場合は、ドイツ語で書きたいことが3倍あったと。
 そんな量ですから、スコアを見ながらリストアップしていったら、ほんの小一時間で全ての指示を抜き出すことが出来てしまいましたよ。実は、「4番」の資料を探したのには一つの目論見があって、殆どの単語はそこから使い回せるのではないかと思っていたのです。同じ人だから、使う言葉も限られているのではないかと。しかし、予想に反して、同じものは三分の一もありませんでした。残りは、また、辞書を引き引き言葉を当てはめなければなりません。こんな、スコアの中の指示に使われる言葉が年代によってどう変わっているのか、誰か調べてみたら、面白いかもしれませんね。私はご免ですが。
aventure number : 0658 date : 2005/11/18


今日の禁断 那須

 7月に始まった合唱の練習は本番までの予定のすでに三分の一以上が経過しました。ちょっと様子を見る程度で参加してみた私ですが、来てみれば人が足らないのははっきりしていたので、一生懸命通うようにしていたら、いつの間にか皆勤になっていましたよ。ゲネプロと本番の日がもろにニューフィルの指揮者練習とぶつかってしまいましたが、こうなったらもうやめるわけにはいきません。練習の日には私がいなくても大丈夫なような方策をとって、今回は合唱とオケの両立という方向で頑張ることにしました。
 練習は毎回4時間半ほど行われるのですが、その内の30分にボイトレがあてられます。普段は指揮者がやったりするのですが、今日は、あの佐藤淳一さんが来てくれました。かつて末廣さんで「第9」をやった時に、合唱の練習指揮をお願いした方ですね。市内で幾つもの合唱団の指揮をなさっていたりしていますが、もちろん、あちこちの演奏会で引っ張りだこのテノールであるのは、ご存じでの通りです。そんなお忙しい方ですが、この合唱団の母体の現役の合唱団でボイトレや指揮をやっている関係で、お呼びすることが出来たと言うことなのです。
 前に「第9」で合唱が最初に練習をした時にちょっと受付とかを手伝ったため、淳一さんの練習前のボイトレは一応見たことはありました。もちろん、その時はオケの人間としてそこにいただけで、あくまで「見て」いただけ、それから何年かたって、私が実際にボイトレを「受ける」身になるなんて、思っても見ませんでした。あの時は、まるで別の世界の出来事のようにそのボイトレを眺めていたのですからね。
 まず、最初は体をほぐすということで、柔軟体操などをやらされます。日頃ろくに体を動かしていない身には、これだけでなかなか新鮮な体験。しかし、その後で、すぐそばにいる人と2人一組になって屈伸運動などもやらされるのですから、こうなると大変です。何しろ、この合唱団は私などよりはるかに年を取った人が中心メンバー、私と組んだ人も、ずっと上の大先輩ですから、床に座って足を伸ばしての屈伸運動で背中を押すことなんて、ちょっと怖くて出来ません。逆に私がやられた時は、「体、よく曲がりますね」などと、感心されたりして。
 その後は、主に呼吸法のレッスン。これは、普段やっていることですから慣れたもの、声楽家の指摘も、管楽器の場合と全く同じことなのですが、微妙に視点が異なっていて、なかなか参考になりました。こんな感じで、「ボイトレ(=ボイストレーニング)」といっても、実際に声を出したのはほんの少しだけ、こんなことを、合唱団の人たちはいつもやっているのですね。などと、はるか昔の合唱経験などすっかり忘れてしまっている私は、感慨深げに貴重な体験を味わうのでした。
 来週になると、もっと貴重な体験が待っています。それは「合宿」。そんなもの、長いことやったことがありませんから、どうなることやら。練習はともかく、なんせ「オトコ」の集団ですから、夜中は大宴会になるのは必至、飲めない私には、ちょっと辛いかも。
aventure number : 0659 date : 2005/11/20


今日の禁断 ドレミの歌

 思い立って、私が持っているCDの枚数を数えてみることにしました。その結果、職場にあったのは約3000枚。自宅には500枚、合計3500枚ということが分かりました。これが多いのか少ないのかは、さまざまな見方があるでしょうが、私としては正直「こんなにあったのか」という思い、そもそもごく限られたジャンルのものしか買ってなかったはずなのに、こんなになってしまっていたなんて。そう、私のコレクションには、いわゆる「名曲」は殆ど揃っていません。ブラームスの交響曲ですら、せいぜい2、3種類あるかないか、メンデルスゾーンやモーツァルトのヴァイオリン協奏曲なんて、1枚もなかったはずです。モーツァルトでは、私の「専門分野」とも言える「レクイエム」でも、変わった版のものは全て揃えていますが、ベーシックであるべき「ジュスマイヤー版」はほんの数えるほどですしね。
 そんなのんきなことをやってられたのは、今日の練習は「降り番」だったからです。ずっと「第9」の練習なのですが、その時の第1部では毎年合唱団の伴奏をやっています。今日はそれの練習だけ、今回の演奏会にはきちんと3人出られることになったので、私はその歌伴からはみ出してしまい、「出なくてもいい」ことになったのです。というわけで、公然と休めるはずだったものが、一つ仕事があったために練習場には行かなければならないことになってしまいました。それは最新の「日程表」の配達。本当は先週出すはずだったものが、先の予定でちょっと確認しなければいけないものが出てきて、1週間遅れになったしまいました。何しろ、今度の「えずこホール」の地図も入っていますから、来週ではちょっと遅くなってしまいますし。ですから、いつもの時間に、楽器も何も持たずに旭ヶ丘に向かったというわけです。そうしたら、携帯メールが届きました。差出人のフォルダーは「ニューフィル団員」、一応、先週出席の確認はしてあったし、今日の昼間までにも連絡はなかったので、乗り番の人は間違いなく来れると思って楽器は持たないで来たのですが、急に何かあって来れなくなったとか。それは充分ありうることなので、恐る恐るメールを開くと・・・「ちょっと遅れます」ですって。ああ良かった。
 6時半ごろについたらば、案の定来ている人は殆どいませんでした。本当は椅子を並べ終わったところで自分で配ろうと思っていたのですが、これではまだまだ時間がかかりそう。すぐ済むと思って車は道路に置いてきてしまったので、そんなに待っているわけにはいきません。いつも早く来ているSさんにお願いしたら快く引き受けてくれたので、日程表を預けて、私はトンズラです。練習はどんな感じだったのでしょうね。
aventure number : 0660 date : 2005/11/22

05/11/24-12/23