0521(05/3/10)-0540(05/4/14)

今日の禁断 チャイ5

 パソコンを買い換えて、慌ただしく過ごしている間に、いつの間にか41万のキリ番が迫ってきました。いくらパソコンがおかしくてアクセスできなくても、カウンターだけはしっかり上がってくれているのですね。けなげなやつ。あわてて案内のマーキーを出しましたが、その下には、恒例の「チケットプレゼント」のマーキーも出たので、2列になって迫ってきます。双方とも、よろしくお願いします。
 最近のパソコンをお店で見るにつけ、そのディスプレイの美しいことには感激させられていました。それが自分のものになって、しみじみ、そのあたりのレベルの向上を身をもって体験しているところです。一番うれしいのは、私がよく使う「丸ゴシック体」が非常に綺麗に表示されるということ。今までだと、「ワード」あたりではきちんとそのフォントがディスプレイで確認できたものの、ウェブ上では変な出っ張りがあってかなりみっともなくゆがんだ形にしか見えなかったのが、いつも気になっていたのです。ところが、最近はOSのせいなのか、ディスプレイのサイズのせいなのかは私にはわかりませんが、これが本来の「丸ゴシック」らしい、綺麗なカーブを描いた見るからに柔らかいものになっているのです。「デンコードー」の店頭でBフレッツのデモをやっていたマシンを使ってJPを見て、その美しい「丸ゴシック」がウェブでもきちんと表示されるのを初めて見たときの衝撃は、いまだに忘れられません。というか、古いパソコン上で見えていたものとのあまりの格差に、正直驚いてしまいましたよ。最近のパソコンで見れば、ネット上でのJPは、作っている本人が思っていたのより遙かに美しいものだったのです。
 「かいほうげん」では、すでに美しさに関しては十分に追求されているはずです。その一つの成果を、今回の最新号で見ることが(もちろん、団員だけですが)出来ることでしょう。おととい、休憩時間にそれを配ったときのみんなの驚いたような顔。これは、最初にカラー印刷を導入したとき以来の驚きだったに違いありません。今までのものもすでにカラーだったにもかかわらず、「カラー印刷なんですね」という声があちこちから聞こえてきたということが、いかに今回の紙面が衝撃的であったかを物語っています(ちょっと大げさ)。要は、むらなく印刷できるプリンターが使えるようになったということで、今まで白いバックだったところをテクスチャーで塗りつぶした、というものなのです。
 ただ、体裁はともかく、内容としてはちょっと中途半端なものになってしまいました。秋の演奏会のメインの曲がまだ決定していなかったので、5曲を「候補曲」としてしか掲載できなかったものが、その日の技術委員会ですんなり1曲に決まってしまったのですから。しかし、最新の情報を織り込むために、未練たらしくもう1週間待っていたりしたら、大変なことになっていましたね。新しいパソコンには、なんとプリンタ用のパラレル端子が付いていなかったのですよ。それに気づいてあわててメーカーにUSBのオプションを付けてもらうように頼んだところですが、それは来週にならないと部品が入ってきません。つまり、そもそも日曜日の合奏に発行するのは、物理的に不可能だったのです。
aventure number : 0521 date : 2005/3/10


今日の禁断 コントロールパネル

 新しいパソコンへの移行で、最後に残った課題が無線LANの設定でした。ルータもLANカードもNTTからのリースですので、初期設定はすべてサービスで担当者が家まできてやってくれて、私は全くタッチしていません。一応そばで見ていたのですが、なんだか前もってマニュアルで見ておいた手順とは違っているし、やっている最中でも変な事故があったりしたので、ちょっと自分では手を出すのはおっくうだったのです。でも、一応24時間体制で電話によるサポートを行っているというので、いざというと時にはそれを頼りにするということで、始めてみることにしましょう。それが、一昨日の夜のことです。ところが、最初のカードの認識の段階で、すでにマニュアルにはないダイアログが出てきて、うろたえてしまいます。「デバイス・マネージャ」を見てみても、失敗したのは明らか、いよいよ電話に頼るほかはありません。
 サポートセンターの「エンドー」さんは、さすがに慣れたものです。インストールの失敗をすぐ指摘してくれて、認識は無事終了しました。ところが、いざ設定となると、うちのものではないIDからアクセスされているのがわかり、エンドーさんの方がうろたえてしまったのですよ。「もっと勉強しないと、私には処置出来ません。通信専門の高度なサポートがありますので、そちらで聞いてください」と、見放されてしまいましたよ。仕方がないので、その「IT機器なんたら」というところの「フジモト」さんのサポートの出番です。しかし、1時間以上あれこれやってみても、ついにLANがつながることはありませんでした。フジモトさんも「少し調べておきますので、明日の夕方まで時間をください。8時にまたお電話します」と、完全にギブアップです。
 次の日、つまり昨日、3時頃に、なんと職場に電話がかかってきました。「カワノと申します。パソコンはお手元にありますか?」って、フジモトさんはいったい何と申し送りをしたのでしょう。自宅の電話番号を言ったにもかかわらず、設置をしたときの連絡先に、しかも時間を間違えて電話をしてくるなんて。さらに、「夜に自宅へ」と言ったにもかかわらず、いっこうに電話はかかってきません。こちらからかけても例によってすごい混みようで、一向につながりませんよ。やっとつながって出てきた「マエヤマ」さんに、別の電話に出ているカワノさんへの伝言をお願いしたら、折り返しやっと電話がかかってきました。なんと、一生懸命職場の方へ電話をしていたというのですから、もうオマヌケとしか言いようがありませんね。
 LANの方は、暗号を設定するだけでいとも簡単につながってしまいました。何でこんなことが、エンドーさんとフジモトさんには分からなかったのか、不思議でたまりません。これでBフレッツはめでたく再開通したとは言うものの、繋げなかったこの2日間のまるで世界から取り残されたような空虚さは、たまりませんでした。今までそこにあることが当たり前だと思って慣れ親しんでいたものとの離別という辛い事件を乗り越えるために、それは通過しなければならない儀式のようなものだったのかもしれません。
aventure number : 0522 date : 2005/3/11


今日の禁断 モーツァルト

 天気予報では、東京の最高気温は16度、仙台とは10度近くの違いがありますから、いったい何を着ていったら良いのか、それがまず問題でした。さすがに冬のコートは着るつもりはありませんが、春のライナー付きのコートのライナーを取るか取らないか、それで悩んでしまいます。結局、仙台に夜帰って着たときの寒いのでは、ということで、ライナーは付けておきましょう。
 しかし、東京駅に降り立っても、そんな「暑さ」は感じられません。これだったらそんなに汗をかくことはないでしょう。今回は愚妻の「荷物持ち」を口実に一緒にやってきたのですが、東京駅まで来れば後は全くのフリー、そこで、以前から考えていたことを実行してみようと思いました。それは、私が以前住んでいたところを訪ねてみるという、言ってみれば思い出をたどる旅です。
 30年ほど前、私は大宮にあるさる化学会社の工場に勤務していました。その向かい側には有名な「大正製薬」があるのですが、私が退職した後、そのそばに新幹線が通るようになったのです。ですから、新幹線でこのあたりを通るたびに、その大正製薬の看板が目に入って、一度は昔の工場が今はどうなっているのか見てみたいと思っていたのです。
 愚妻と東京駅で別れてから、京浜東北線で、まず西川口まで行ってみました。ここは、私が住んでいたところ。最初は西口に会社の寮があってそこにいたのですが、そこが閉鎖されるということで、そのあと東口に木造のアパートを借りていたのですよ。まず西口に降りてみると、駅前の様子が全く変わっています。かなり大胆なフーゾク街が広がっていたのにはちょっとびっくり、昔はちょっと歩けば車もあまりこないような寂しいところだったのが、もう、なんだか堂々たる大都会、もちろん、寮があったところなど全く見当も付きません。東口も同じような変わりようでした。駅前には、いつも食料を買って帰っていたスーパーがあったはずなのに、影も形もありません。道路もおそらく区画整理かなんかで変わってしまったのでしょう。昔の面影は、何一つ見つけることは出来ませんでした。
 次に行ったのは、その川口の安アパートを引き払って移った、その当時出来たばかりの公団住宅です。同じ川口市内ですが、駅は隣の蕨、広大な敷地に15階建てのアパートが何棟も建っているのが電車から見えて、ここに引っ越そうと思ったところなのです。蕨駅を降りてしばらく歩くと、その壮大な建物群は見えてきました。ただ、外観がえらく新しく見えます。もしかしたら、建て替えたのかもしれません。近くに行ってみると、確かに外壁は新しくなっていましたが、内部は昔のまま、ほっとした反面、こういう公団住宅にありがちな管理の杜撰さが目に付いてしまいます。エレベーターも昔と同じ、ふつうのマンションだったら籠だけでも取り替えているはずです。住んでいた部屋の前に行ってみると、ドアは傷だらけ、ほとんどスラムの様相を呈しています。階段を下りてきたら、「立ち小便禁止」などという張り紙が。ということは、実際にそのようなことが行われているのでしょう。かつて、出来たばかりの頃は、敷地の中にスーパーやレストランがあって、ちょっとした複合施設のような楽しい雰囲気がありました。しかし、今ではそこが学校や保育園の敷地になっていました。ほんと、これではただの巨大なスラムです。
 大宮駅の東口は、30年たった今もほとんど変わらない姿をしていました。しかし、西口は一歩出ただけで、もはや全く別の世界になっているのが分かります。元々あまり開けていないところでしたから、「再開発」という波にのまれてしまえばひとたまりもありません。その西口から出ている「ニューシャトル」という乗り物が、今回一番乗ってみたかったものです。東北新幹線が出来たときに、その高架の両側にぶら下がるように設置した、ちょっと小振りの電車、これも、新幹線から見るたびに実際に乗りたくなっていました。もちろん、その沿線に昔の工場があるはずなので、そこで降りてみたい、という願望もありましたし。はぼ15分おきに発車しているその電車は、かなり車体が老朽化していました。それよりもみすぼらしいのは、降りてみたその駅舎です。ほんと、客が集まらない観光地のケーブルカーの駅のような寒々しいものでした。
 目指す工場は、その駅から遙か彼方にありました。さすがに、そこまで歩く間にはかなりの汗をかいていました。工場の敷地の周りを一回り、私がいた頃の建屋は、すっかり変わっていて、まるで別の工場、正面ではなにやら立派な建物を新築しているところでした。でも、正門を入ってすぐのところにある建物は見覚えがあります。確か事務所があったところ、周りが全部変わっている中で、一つだけ昔のままの姿をしているというのも、異様なものです。
 これで、私の「旅」は終わりました。変わったものと変わらないものが同居していた蕨の公団は、確実に収穫といって良いかもしれません。時間がたてばどんなものでも変わってしまうという、当たり前のことがこんなに端的に理解できるなんて。
 まだ、仙台に帰るには時間があります。今度は、これも一度乗ってみたかった「埼京線」にチャレンジです。昔は、大宮から池袋に行くには、赤羽で「赤羽線」に乗り換えたものですが、それが今では直通、ものによっては「臨海線」にもつながっているというのですから。それの快速だったら、渋谷まで30分ちょっと、これは魅力です。ホームが地下にあるというのも初めて知りましたし、「新宿の次は渋谷」などというのにもびっくり、さらに、渋谷駅では、とんでもないところにホームがあるのですね。「動く歩道」を何本も乗り継いで、やっといつものハチ公前にたどり着くのですから。
 そこからは、久しぶりの「タワレコ」です。クラシック売り場は、さすがに豊富な品揃え、たっぷり1時間以上かけて、お買い物です。最後に東京駅に戻ってきたときには、まだ少し時間に余裕があったので、この前きて寄れなかった「丸善」へ。じっくり見るにはもっと時間のあるときにこなければいけないことを実感させられた、やはり豊富な品揃え、「鎌倉物語」の最新刊が手に入ったのですから、少ない時間にしてはすごい収穫です。
aventure number : 0522.5 date : 2005/3/12


今日の禁断 大正製薬

 昨日は、今日行われる合唱団のコンサートに出演するために東京へ向かった愚妻を送りがてら、一日東京周辺で遊び回っていました。いえね、私には、こんな機会でもないとなかなか実行できないような計画が前からあって、それがついに叶ったということです。今でこそこんな(どんな?)生活をしていますが、かつて私にもサラリーマンだった頃があって、そのころ過ごした場所を○年ぶりに訪れてみたのですよ。実は、そこは新幹線の沿線にあって、いつも東京に行くときに見えるところ、ずっと気になってしょうがなかったその場所へ、実際に行ってみて、なんか、長年の肩の荷が下りたような気分になりました。さんざん歩き回って、仙台に帰ってきたのは7時半、それから今度はフルートの会の練習、もう私の体はぼろ雑巾のようにくたくたになっていました。
 そして、今日は指揮者練習です。疲れた体にむち打って、這ってでも出かけなければなりません。もちろん、そんなことで演奏の質を落とす訳にはいきませんから、午前中はしっかり個人練習をしておきます。
 駐車場も混むでしょうから、少し早めに行ってみると、案の定、青年文化センターの駐車場は満車、それでも1台しか待っていなかったのですぐに空くだろうと思っていても、一向に動く気配はありません。これでは早く来た意味がないので、地下鉄の駐車場へ行ったみることにしましょう。こちらはまだ楽々駐車できたので一安心、会場の「交流ホール」へ向かいます。しかし、そこに行ってみるとなんか様子が変です。この時間、ニューフィルの人はまだ誰も来ていないはずなのに、そこにはたくさんの見知らぬ人たちが出入りしているではありませんか。どうやら、別の団体がここを借りてしまったようですね。あわてて事務室へ行って確かめてみます。何しろ、最近は会場の手配はネットで行うようになっていますから、正式な「貸出票」みたいなものが手元に残りません。ただ、貸し出しの際のログだけはきちんと保存してありました。それによると、確かに申し込みはされているが、その後の正式な手続きがなかったために、キャンセル扱いになってしまって、ほかのところに貸してしまったということが分かったのです。単なる「うっかりミス」だったのですね。
 しかし、そんなのんきなことは言ってられません。あと1時間もしたら、80人の団員と、そして、東京からはるばるやってくる新田さんが到着してしまいます。楽器も、この会場ですから、隣の市民センターから人力で運ぶことになっていて、トラックも手配してありません。今からほかの場所を手配するにしても、移動や運搬を考えたら、とても無理な話です。そこで考えたのが、地下にある「パフォーマンス広場」を使わせてもらうことでした。事務室の人に相談してみたら、「人が入って演奏する」ことに関しては全く問題はないとのこと、しかし、「椅子などをお貸しするわけにはいきません」という、答えでした。そういうことを許すと、ほかの利用者にしめしが付かないのだそうですよ。この緊急事態に、よくそんなことを言ってられるものだと呆れかえりながら、しかし、マジで立ったまた練習する様子を想像してしまいましたよ。いったい、この状況はどのように収拾されるのでしょう。その顛末は、また別の機会に。
aventure number : 0523 date : 2005/3/13


今日の禁断 おやぢ

 昨日書き忘れたのですが、41万のキリ番は昨日の午前11時半頃に出ました。練習に行く前に、チェックしていたら、かろうじて出かける前に結果を知ることが出来たというわけです。前回に比べるとやや日数がかかった、つまり1日のアクセス数が少なかった理由はおそらくおわかりのことでしょう。そう、あの看板コーナーが閉鎖されてしまったから。今までは1日にそこだけで100件近くのアクセスがあったコンテンツでしたから、その影響はやはり大きなものでした。まあ、しかし、視聴率ではありませんが、アクセスが全てでは決してありません。良いものを作らなければ何の意味もないわけですから、納得のいくものが出来るようだったら再開したい、というスタンスです。期待しないで、もうしばらくお待ちください。
 さて、昨日は気を持たせてしまいましたが、練習会場の方は結局どうなったのでしょうか。事務室では、依然私と職員との押し問答が続いています。「非常事態なのですから、何とか目をつぶって椅子を貸してはいただけないでしょうか」、「いや、規則は規則、それを守るのが、私たちの使命です」。こんな不毛な言い合いが果てしなく続くと思われたとき、さっきダメモトで聞いてみようと隣の市民センターの電話番号を調べていたMさんが、満面の笑みを浮かべて入ってきました。「市民センター、取れました!」。なんと、キャンセルがあって、うちが使いたいと思っていた1時から5時までが完璧に空いていたというのです。これはほとんど奇跡です。
 それからの対応は見事としか言いようがありませんでした。まさに運び出そうとして、エレベーターの前に待機していた大型楽器はその場で運搬を停止、団員にはそれぞれ携帯で連絡を取って、会場が変わったことを知らせあいます。驚いたことに、この決定がなされてからものの10分も経っていないというのに、そのことはほぼ全ての団員の知るところとなったのでした。情報社会の一端を、まさにかいま見た思いです。「1時から」ということで借りた会場ですが、15分前には鍵が到着、それから総出のセッティングで、1時少し前には、もう全員が着席して、完璧に音出しが可能な状態になったしまっていましたよ。結局、何事もなかったように練習が始まったのは、1時15分、終わったのが5時15分でしたから、こんなアクシデントにもかかわらず練習自体は予定と全く変わらない内容で終わることが出来たのです。
 しかし、いまだにこんなに都合良く事が運んだのが信じられない思いです。何か、人知を超越した大きなものが私たちを護ってくれていたのでは、などという感慨さえわき起こってくるほどです。もちろん、こんな事態は、私がニューフィルに入って初めての体験、ちょっとしたトラブルはさんざん経験してきましたが、肝心の所では良い方向に進んでいたものでした。こんなアクシデントも、きっと何か良いことの前兆なのでしょう。
aventure number : 0524 date : 2005/3/14


今日の禁断 祝ご出産

 今、私が住んでいるマンションでは、大規模修繕の工事が始まろうとしています。建物の周りに足場を組んで、外壁をすっかり洗って塗装し直すという大工事です。そのために、ベランダに置いてあるものは全て撤去しなければなりません。一応管理組合でもそのためのスペースを用意するのですが、何しろ限られた敷地ですから、全ての住人の荷物を置くわけにはいきません。私はその辺の話に関係していたので、自分で別のところへ運ぶことにしていました。幸い、職場にはそんなスペースはいくらでもありますから、何の問題もありません。問題は、それらを運ぶ手段です。ベランダに置いたものの大半は、ガーデニングのプランター、まさかこんな事態が起ころうとは予想もしていなかったために、毎年新しい苗を買ってきて植えていたら、ベランダ中がプランターだらけになっていましたよ。中には、かなり大きなものがあって、それを一人で運べるかどうかが、まず心配です。それと、この日に備えてというか、灯油を買ってくるときにも使うので、ホームセンターで台車を買ってありました。しかし、安さにつられて買ってしまったその台車は、いとも粗末なキャスターが着いていて、動かすとものすごい音がするのです。これにプランターを積んで何回も廊下や駐車場を騒音をまき散らしながら走り回るのは、ちょっと恥ずかしいものがありました。
 今週からいよいよ工事が始まり、着々と足場が組み上がっていきます。もはや猶予は許されないので、思い切って運搬作業を敢行することにしました。いったん職場に行って、まず車の中のものを全て空にします。私の車はふつうのセダンですから、荷物を載せるのには適していません。とにかく後部座席にもブルーシートを敷いて、プランターぐらいは載せられるように準備をして、家へ戻ります。そうそう、台車も、職場にあった音のしないものを持って行きましょう。
 その台車にプランターを載せて、エレベーターで5、6回往復したら、車の中はいっぱいになってしまいました。それでも、すでに半分は収まっています。この分だと、2回往復するだけで、全てのものを運んでしまうことが出来てしまいます。始める前は、いったい何回で運び終えるのか見当も付かなかったものですが、実際にやってみると意外とあっけないものでした。そんなことを繰り返して、全ての作業が終わるまでたった2時間しかかからなかったのも、予想を遙かに上回る成果でした。しかし、ベランダから台車へは全て手に持って運んでいったのですから、それを35回(プランターは、全部で35個ありました)繰り返した代償は、いつか降りかかってくることになるのでしょう。
 幸い、今日のうちは腕にも腰にも何の問題はありません。パルシティでの木管パート練習でも、体の節々が痛くて楽器も構えられない、などというみっともないことはありませんでしたから。しかし、明日になったら・・・
aventure number : 0525 date : 2005/3/15


今日の禁断 のだめ

 ご存じでしょうが、約20日ぶりに「おやぢの部屋」が再開しました。タイトルも「おやぢの部屋2」と改めて、リセットというか、リニューアルオープンです。と言っても、基本的な編集方針は全く変わっていません。変わったのは担当者。今までの「渋谷さん」は、ライター暮らしの不安定な生活に愛想を尽かされて、奥さんに逃げられてしまったという悲惨な目に遭ってしまい、とてもこんな個人サイトの面倒を見る余裕がなくなってしまったのですよ。幸い、「佐久間さん」という方が続けてくれることになって、まずは一安心。果たしてどの程度のペースで仕事をしてもらえるか皆目見当が付きませんが、ぼちぼちやっていただくことにしましょう(あの・・・こういう書き方、私のスタイルですから、あまり突っ込まないでくださいね)。
 「2」になって、変わったのは担当者だけではありません。それに伴って、壁紙が少し変わりました。そこからどんな意味をくみ取るかは、皆さんの自由ですが。そして、トップページのバナーも、少し変わりました。これは、実はパソコンを換えたことに関係しています。今まで、ジャケットの画像を作ったりしていたのは、最初に買ったWin95に入っていた「フォトデラックス」というソフトでした。スキャンしたジャケットをきれいにトリミングして、大きさをそろえ、外側に境界線を引くというのが、主な作業です。さらに、内蔵の「KPT」というフィルターを使って、「ページめくり」という処理をしたものが、今までのバナーだったのです。HP用に新しくWin98のマシンを買ったときも、引き続きこのソフトをインストールしました。ただ、OSとの相性が少し悪いのか、メニューを開くときにエラーメッセージがでたりしますが、キャンセルすれば何事もなく動くので、そのまま使っていました。そして、今回のXPへの乗り換えです。しかし、もはやこのソフトはXPではかなりヤバいことになってしまっていました。何しろ、画像を開くとあちこちに亀裂が入ったり、モザイクのようにバラバラになったりと、とても使えるような状態ではなかったのですから。
 画像ソフトがないことには「おやぢ」は作れないので、新しいマシンの内蔵ソフトをチェックしてみましたが、「フォトレタッチ」のようなものはあっても、必要な機能が充分ではありません。そこで思い出したのが、だいぶ前に買ってあった「フォトショップ」です。買ったはいいけど、あまりの操作性の難しさにとても使いこなせなくてギブアップしていたもの、この際ですからまた一からチャレンジしてみることにしましょう。幸い、今まで使っていた「フォトデラックス」というのは、同じアドビの、言ってみれば「フォトショップ入門ソフト」のようなものですから、用語などは全く同じ、操作方法さえ分かれば、同じ作業をすることはそんなに難しいことではありませんでした。ただ、上級機種だというのに、今まであった「ページめくり」の機能がどこにもないのです。よく探せば、どこかにあるのかもしれませんが、この際、一行程減らして、ふつうのバナーはめくらないようにしてみました。ロールオーバーで初めてめくる、という方が、インパクトもありますし。
 「おやぢ2」をアップして2時間もしないのに「再開ありがとう」というアンケートが届きました。待っていてくれた人はいたのですね。何よりの励みです。
aventure number : 0526 date : 2005/3/17


今日の禁断 もののけ姫

 もうお彼岸だというの、今朝は雪がちらつくというふざけたお天気です。日中もまるで冬に逆戻りしたような寒さ、おかげで、自販機に入れてあったホットの「一」は瞬く間に売り切れてしまいました。PETボトルはたくさん仕入れたのに、ホット用の缶タイプは残っても困るので一ケースしか取らなかったのが、最大の誤算でした。明日からは暖かくなって、せっせとPETがはけるように願うだけです。
 誤算といえば、XPに乗り換えてから、思いもよらぬような事態が起こって、ちょっととまどっているところです。それはmidiの扱い。このサイトには私が作ったmidiがたくさんアップされています。昔はちょっとした説明にもいちいちmidiを作って、実際に「音」を聴いてよりわかりやすく理解してもらうようにしていました。でも、最近はとんとご無沙汰、作り方さえも忘れてしまっているかもしれません。というか、このmidiを作るソフトもWin95時代のものですから、もしかしたらこの間の画像ソフトのように、XPではもう使えないのかもしれませんし。
 新しいマシンに換えてから、ちょっと思い立って、このmidiを聴いてみようと思いました。しかし、なんだか様子が変です。私の場合、midiを聴く時にはヘッドフォンのバナーをクリックすると、新しいウィンドウが開いてそのページで自動的に演奏が始まるようにセットしてあります。ところが、そのウィンドウが開いても、一向に音が出てこないのです。よく見てみると、midi再生用のプラグインが表示されていません。どうやら、XPにはもはやmidi再生だけのためのプラグインは装備されてはいないようですね。midiだけではなく、ほかの規格の音声ファイル、さらには画像ファイルまで再生することの出来る「Media Player」があれば、かつての「Midiplug」などはもはや必要がなくなってしまっているのでしょう。ですから、そのプラグイン用のタグがあっても、プラグインそのものがなければ、再生は出来ないことになってしまいます。おそらく、今では直接midiにリンクして、Media Playeを開いてそのmidiを再生させるというのが、一般的なタグの書き方なのかもしれません。これはえらいことになりました。今のままのタグでは、XPユーザーにはmidiを聴いてもらうことは出来ないということになるのですよ。これは、私がXPを使うようになって初めて分かったこと、ということは、今までにも私のmidiが聞けないでいた人はたくさんいたのですね。
 こうなったら仕方がありません。すべての<EMBED>タグを<A>タグに書き換えることにしましょう。幸い、midiが入ったページはショートカットの一覧表が出来ていますから、書き換える対象は全て把握できるようになっています。問題はその量。暇を見ておいおいやりますので、どうか気長に待っていてください。どうしても聴きたい人は、ソースを見て直接「.mid」を開けば、聴けるはずです。
aventure number : 0527 date : 2005/3/19


今日の禁断 モノラル

 鳴り物入りで始まった「おやぢ2」、始まってはみたものの、今までのことがありますから果たしてどうなることかと思われたものですが、今のところは順調に更新が続いているようですね。どうやらストックも潤沢にたまっているようで、しばらくはこのペースで更新できるということ、これがこのままが維持できればいいのですが。ところで、昨日のアイテムは、パウエルのファゴット協奏曲、もちろん、この曲はニューフィルの秋の定期の曲目に決定したものですね。初演直後にアンチェルとチェコ・フィルというものすごいメンバーによって録音されたものがCDになって再発されるという情報はだいぶ前に得ていたので、しっかり網を張っていたら、先日店頭に並んだということで、早速入手して聴いてみたものです。もちろん、私が聴いたものはほとんど佐久間さんも聴けるようになっていますから、その流れでしっかり「おやぢ」にも取り上げてくれたと言うことです。単なる参考のための音資料だと思っていたものが、佐久間さんの手にかかると音楽史をしっかり見据えた中でこのCDの価値を論じるという、思いもかけないものに仕上がるのですから、たいしたものです。逆に、この演奏そのものについては何の言及もないというのが、潔いというか、物足りないというか。
 元々は参考演奏として買ったものですから、そのあたりが本当は最も気になるところ、それで、演奏については私の出番、ちょっとした感想を書いてみましょう。まず、第1楽章の冒頭では、シンコペーションのリズムが実にキビキビと決まっていて、とても爽やかな印象が伝わってきます。機械的なシンコペーションではない、真に躍動的なリズムが、オケの全員によって自発的に作り上げられているのが、よく分かります。それに続いて出てくるのが、第2主題でしょうか、とても甘い曲想。このあたりのモードの切り替えも、とても見事です。ファゴットソロのビドロは、さっきのリズミカルな部分ではちょっとノリが悪かったものの、ここに入るとまるで水を得た魚のように、コテコテに歌いまくってくれていますよ。第2楽章になると、その「歌」はオケともども、最高潮に達します。バックを彩る弦楽器の響きが、とてもピュアに響いているのが心地よい感じです。第3楽章はまさにヴィルトゥオーゾ的な掛け合いが見事。一糸乱れぬ弦楽器や、ソロと絡み合う管楽器のアンサンブルには、目を見張るものがあります。さすが、黄金時代といわれたアンチェルとチェコ・フィル、キビキビした颯爽とした演奏で、この同時代の作品に確かな共感を持って演奏しているのがよく分かります。
 これほどレベルの高い演奏は、正直アマチュアには無理ではないかという思いに駆られてしまう、これはかなりすごい演奏です。正直、こういう演奏を目指すという「参考演奏」としてではなく、純粋に曲を深く味わうためにこそ聴きたい演奏、こちらから入手できるはずですので、興味のある方はぜひ聴いてみてください。あるいは、私に連絡をいただければ、何らかの配慮の労を執ることも吝かではありません。
aventure number : 0528 date : 2005/3/21


今日の禁断 イズミティ

 ニューフィルの中では、私は「広報係」ということになっています。実際、団内の広報誌である「かいほうげん」を発行したり、ネットでは公式のウェブサイトを管理しているなど、広報の仕事には余念がありません。ただ、これらの「仕事」は、言ってみれば私が楽しみながら、ということは、場合によってはかなりハメを外してやっていますから、全く負担には感じられないもの、「仕事」などと呼ぶのがはばかれるような作業なのですよ。ところが、今度の演奏会に向けて、新たに広報に関した「仕事」が割り振られることになりました。それは、ポスターやチラシをいろいろな施設に置いてくる、というものです。以前から事務局の方でやってはいたことなのですが、少し幅を広げて演奏会の「広報」を行おうという方針が打ち出されたため、「広報」という名前の係を標榜している私にも、仕事の一端を担うことが求められてきたわけです。
 具体的には、事務局が廻りきれなかった少し遠くにある文化施設などに行って、チラシとポスターを置いてくることです。そのほかにも、私が必要と思うところにもどんどん置いてくれ、ということになっています。そこで、まず手始めに、日曜日に街に行く機会があったので、クラシック売り場のあるCD店に行ってみることにしました。といっても、仙台市内にはそんなところは3ヶ所しかありません。ただ、その中の○MVは、ちょっとそんな演奏会のチラシを置いておくようなコーナーはなかったような気がしたので、とりあえず○コライと、○星堂に行ってみましょう。○コライはおなじみのスポットですから、すんなり受け取ってもらえましたが、問題は○星堂、確か奥まったところにちょっとしたAVコーナー(ベッドが置いてあって・・・どんなコーナーだ)があって、なにやら新聞の音楽記事を切り抜いたスクラップなどが置いてあったりしましたから、たぶん大丈夫だろうとは思いましたが、ここにチラシを置いた実績はなかったはず。もしかしたら、一悶着あるかもしれませんね。あるいは体よく断られるとか。そうなったときのダメージを少しでも小さくするために、カウンターにいる店員さんをチェック、優しそうなおねえさんと、ちょっと無愛想なおじさんがいたので、おねえさんの方に頼もう、と、心に決めるのでした。その前に、件のAVコーナーを一回り、新譜のチラシはあっても、アマチュアのコンサートのチラシなどは置いてないようなので、不安は一層募ります。意を決してカウンターへ向かうと、なんと、さっきの優しそうなおねえさんはどこかへ行ってしまって、そこにはいなくなっているではありませんか。初対面の人とは恥ずかしくて口もきけない私が、むさいおじさんと話をしなければならないなんて。でも、そのおじさんは予想に反してとても気さくな人でした。「どうぞ、置いていってください」と、めでたく商談成立です。
 今日は、午前中少し時間があったので、若林文化センターと、「パルシティ」という、「東部」を攻めてみることにしました。若林まで行く途中はかなり渋滞がありましたが、荒町に入ればもうガラガラ、新しくできた三角公園からの近道を通って、すぐに着いてしまいました。そこから「パル」も、連坊小路から新しい道路を通ればほんとにすぐ、ですから、予想外の早さで「仕事」はすっかり終わってしまいましたよ。この分だと「西部」の広瀬文化センターまで行ってこれるかもしれないと思って、最短距離を通ってみたら、見事お昼前に職場に帰ってくることが出来ました。明日は、「北部」にでも行ってみることにしましょうか。
aventure number : 0529 date : 2005/3/23


今日の禁断 井上ひさし

 そして、「北部」です。練習が始まる前に少し時間が取れたので、とりあえず「イズミティ」だけには行くことにして、余裕があったら近くの図書館あたりを廻ってみようと思いました。その前に、街中で落ちていた「メディアテーク」に、先に行ってみましょう。あそこには確かチラシのコーナーがあったはずですし、何よりも「文化情報発信源」みたいなことをを謳っているのですから、こんな文化的な催し物の宣伝を断るわけがありません。ところが、建物の前に行ってみると、中の電気が消えていて、周りでは何か工事をやっています。案の定、正面入り口には、「工事のため休館」という看板が出ていましたよ。残念。
 イズミティはちゃんとやっていましたから、しっかり「仕事」は出来ました。その余勢を駆って、すぐそばの泉図書館へ行ってみます。しかし、ここは「休館」。木曜日って、こういう施設の休館日でしたっけ?仕方がないので、「仙台市文学館」というのが、やはり近くにあるのを思い出し、行ってみることにしました。ところが・・・ここもやっぱり「休館」だったのですよ。なんということでしょう。まあ、こんな日もあるさ。
 と、こんなことを昨日から書いていたら、「ポスター貼り、ご協力しますよ」という連絡が届きましたよ。県北に行くことが多いので、そのあたりはまかしてほしいというのです。これはもう大歓迎です。どんどんお願いしてしまいましょう。もし、他にも心当たりがある方がいれば、ぜひご協力をお願いします。
 さて、市民センターは火曜日が休館日だったので、木曜日の練習です。しかし、管楽器に関しては、曜日が変わろうが、出席状況には変わりはありません。正規のメンバーがほぼ全て揃っていたというのですから、すごいものです。今日に限らず、最近の管は、きちんと自分のパートを吹く人が出席していて、頼もしいものがあります。やはり、本番で吹く人がしっかり練習の時も音を出しているというのが基本、これからも続けて行って欲しいものです。ただ、ちょっと矛盾することかもしれませんが、こういう状態でなければならないという意識があまりに強すぎるのも、ちょっと息苦しいものです。代わりの人がいるのだから、どうしても無理なときには休んでも構わないと言えるぐらいの風通しの良さがあっても、アマチュアの場合は許されるのではないかと思うのですが、どうでしょう。
 弦楽器の場合は、曜日の変更はてきめん出席に響いていました。こんなに少なくては合奏をやっている意味がないのではと思えるほどの悲惨さ。このあたりの管と弦との温度差が、アマチュアであることを端的にあらわしていて、逆に和めます。様々な思いを乗せながら、気が付けば定期演奏会まで1ヶ月を切ってしまったという時期、月日の経つのは、早いものです。
aventure number : 0530 date : 2005/3/24


今日の禁断 えずこ

 木曜日に行ってみたら軒並み休館日だったという、用意周到な私としては珍しいミスでしたが、なんとしても当初の目的だけは達成したいので、再チャレンジ、次の日の金曜日に行ってきましたよ。目標はメディアテーク、泉図書館、仙台文学館というリベンジ組、もし時間があったら県立図書館まで足を伸ばしてみましょう。
 メディアテークで1階のちょっと高飛車な受付の人に「チラシとポスターを預かって欲しいのですが」と言ったら、その、いかにもこのような客の応対には手慣れているといった風の女性は、待ってましたとばかりに、「それでしたら、2階の受付までお願いします」と、冷たく言い放つのでした。予想していたとおり、この施設の取りすました横柄さは、相当のものでした。「2階の受付」へ行ってみると、そこの担当者の物腰にはまず接客を職業としているものに必要な程度の和やかさこそあったものの、「必ずしも掲示できるとの保証はございません」と、肝心なところでの冷ややかさは徹底されています。この施設がいったい誰に向けて開かれているものなのか、その一端がよく分かるようなこの応対、我々市民はとんでもなく無駄なものを作るために税金を払わされていたのですね。
 同じ市の施設でも、仙台文学館の対応は、とても気持ちの良いものでした。入り口を入ってすぐのところの受付には2人の女性が座っていましたが、私が近づくと2人とも立ち上がって「いらっしゃいませ」とお辞儀をしてくれます(前の施設の職員は、終始座ったままでした)。用件を話すと、「早速、あちらのロビーに掲示させていただきます」という、うれしい返事が返ってきました。これが、普通の対応ではないでしょうかね。ちなみに、ここには初めて来たのですが、ロケーションはまさに山の中、駐車場に着くまでに結構な坂道を上ったり、建物が谷の間に建てられていたりと、なかなかユニークなものでした。そういえば、森林公園の中を歩いていると、ここへの案内板があったりしましたが、ほんと、この場所は元は原生林の中だったのですよね。私は、街中の取りすました施設よりは、こちらの方がずっと気に入りました。今度ゆっくり、誰かと一緒に来てみたいものです。
 泉図書館には、前もって電話でチラシをおけるかどうか聞いておきました。その時に聞かれたのが、「市や県で後援していますか?」ということ。そうだったのですね。毎回あれだけ手間をかけて後援の申請をしていたのには、そのような効果があったのです。しかるべき後援がないような催し物のチラシは、このような公共施設には置いてはもらえないのですね。ここでは、受付ではなく事務室に行かされました。そこでチラシとポスターを渡すと、「ポスターの方は・・・」と、丁寧に押し返してきます。そういうポリシーなのでしょう。県立図書館では、最初に警備のおじさんに話をすると、電話を入れてからやはり事務室に案内してくれました。すごいものものしい感じ。そんなわけで、たかがチラシを置くだけでもそれぞれのスタンス、ひいてはその施設が目指すものまでが透かして見えてくるのですから、なかなかおもしろい体験でしたよ。残るは「南部」だけです。これは「月曜休館」というのが多いので、たぶん行くのは火曜日でしょう。
aventure number : 0531 date : 2005/3/27


今日の禁断 楽楽楽

 東北放送の気象予報士、「斉藤さん」の予言通り、ものすごい強風が吹き荒れる中、残った「南部」へ行ってきました。車に乗っているときはあまり感じなかったものの、一歩外に出ると吹き飛ばされそうになるほどの強い風です。そんな中をわざわざやってきたからではないのでしょうが、名取市文化会館や岩沼市民会館の職員は、なかなか暖かい対応を示してくれていました。ここまで来たのなら、もう一歩足を伸ばして大河原の「えずこホール」まで行ってしまいましょう。通い慣れた道ですし、そんなに渋滞もないので、すぐ着いてしまいました。ただ、ここには何回も来ているにもかかわらず、事務室がどこにあったのかはいまだに分からないままでした。普通のホールだと、客室の入り口の他に事務室専用の入り口があるものなのですが、「えずこ」には、周りを一回りしてみても、そんなところは見あたりません。思いあまって、ホールの中の掃除をしていたおばちゃんがいたので聞いてみたら、「こっからはいらいん」と、ホールの入り口を開けてくれました。なんと、ここの事務室は、ホールのロビーの中にあったのですよ。これだと、ホールで何かやっているときには中に入ることが出来ないのでは、というのは老婆心でしょうか。とにかく、そこに行って若いおにいさんにチラシとポスターを渡します。それを見ておにいちゃんは「ニューフィル、県民会館ですか」、さすが、毎年ここで「第9」をやっていますから、事務員の人にはニューフィルのことが知られていたのですね。と思っていたら、「学生時代に、受付のバイトやりました」ですって。いやぁ、こんなところでそんなつながりが発見できたとは。
 帰り道は、途中でバイパスから旧4号線に入って、「たいはっくる」へ。それから市内へ向かって、そのまま職場まで帰ろうとしたのですが、東二番町がものすごい渋滞。そこで、このまま渋滞にはまっているのも無駄なので、南町通りから大橋を渡って、美術館にも寄ってきました。結局3時間で5ヶ所を廻ることが出来たという、効率の良さでした。これで、今回の私の「仕事」はおしまい。次からは、このデータを元に、他の人にもやってもらいましょう。
 練習の方は新田さんによる指揮者練習。そして、もうひとかた、本番の前の日に代わりに振ってくださる佐伯さんもいらっしゃっていました。「きちんとやっていれば、音楽の方が助けてくれます」という新田さんの言葉を信じて、もう一踏ん張りです。
 練習が終わって譜面代をたたんでいたら、ヴィオラのMさんが近づいてきました。なんでも、週末にさいたまのアマオケの練習に行って「ニューフィルです」と言ったらよく知っている人がいて、話を聞いてみたら「フルートの人が作っているサイトを見ている」ということだったのだそうです。それで、サイトのファンだと言うメッセージをことづかって来たと。またまた、こんなところでつながりが発見できましたね。
 もう一つ。リンクの逆探知でこんなブログを発見。昔から知っている人なのですが、これも一つのつながりです。
aventure number : 0532 date : 2005/3/29


今日の禁断 合唱

 新しいパソコンも、だいぶ手になじんできました。基本的にこういうものは「道具」ですから、なにごとにも慣れが大事です。キーボードも、文字の配列は皆同じですから問題はないのですが、よく使う「Delete」とか「Back Space」といったキーの位置が、メーカーによって微妙に異なっているので、それが一番の問題でした。これは、車で言えばアクセルとブレーキの位置のようなもの、つい、反対側の文字を消してしまったことが、いったい何度あったことでしょう。
 マシンだけではなく、画像ソフトも、先日書いた「フォトショップ」には、だいぶなじんできました。今までのソフトでやってきたことは、ほとんど全部出来るようになりましたし、ものによってははるかに楽に出来るようになったものもあります。それが、「ドロップシャドウ」という技です。写真や文字に「影」を落として、立体的に見せるという効果を上げるもの、文字に関しては、別のソフトがあったので簡単にタイトルなどを作れていたのですが、写真ではかなり手間がかかったので、ほとんど使ってはいませんでした。つまり、前の「フォトデラックス」では、別のレイヤーに画像をコピーした後に、それを塗りつぶして周りをぼかし、手作業で移動させて「影」を作る、という面倒くさいことをやっていたのです。それが、「フォトショップ」では、ほんと、ワンタッチで出来てしまうではありませんか。
 そこで、やってみたのが、新生「おやぢ」の画像を、全てドロップシャドウ化することでした。今まででも、たとえば境界線は0.5ピクセルにするとか、ある程度のこだわりを見せている部分はありました(つまり、最初は2倍のサイズの画像を作って、それに1ピクセルの境界線を付け、全体を半分に縮める、というやり方です)。それが、これ。
 そして、今回作ってみたジャケ写が、これです。
 「ぼかし」を大きめにして、「距離」を少なくすることによって、影が出来る反対側にも、かすかに影が付けられる、というのがミソです。このように真っ白なジャケットの場合、それが非常に効果的になってきます。ただ、問題は、ウェブ用の画像として「jpg」にした場合、影の周りが背景として残ってしまうことです。真っ白な壁紙だと問題はないのですが、うちのように部分的にロゴが入っていると、そのロゴの上に画像が乗った場合、その「背景」がバレてしまうのですね。「gif」にすればある程度解決は出来るのですが、完璧とは行きませんし、そもそもこのファイルはジャケ写のような精密なものには適していないのは分かっていますから、使う気はありません。まあ、これはその気になって見ないと分からないでしょうから、そんなに気にしてはいませんが。
 と、見た目にはさらにランクの上がった「おやじ2」ですが、肝心の原稿の出来がイマイチというのが、ちょっと悩みの種です。佐久間さん、確かに鋭い見方ではっとさせられる部分はありますが、どうもパターンが一本調子で、ちょっと力みすぎ、もっと、心の底に訴えかけるような文章を書いて欲しいものです。
aventure number : 0533 date : 2005/3/31


今日の禁断 コンヴィチュニー

 私の「仕事」だったポスターやチラシの配達を「手伝いましょうか」といってくれたのは、1号様でした。この間の練習の時に顔を見せるというので、しっかり配達物を5セット袋に入れて、網を張っていたら、休憩時間に外の椅子に座っているのを発見、早速それを渡して、「仕事」をお願いしましたよ。翌日には、石巻で「石巻市民会館」と、「石巻文化センター」、そして、昨日は古川周辺、「古川市民会館」、「岩出山スコーレハウス」、「中新田バッハホール」と、きっちり5ヶ所に配ってくれたのです。ご苦労様でした。そんなわけで、今回の広報活動は北は岩出山から南は大河原まで、広範に展開されることになりました。別に成果云々といった細かいことをいわなくても、実際にニューフィルの演奏会のポスターやチラシをこれだけの場所で見ることが出来るようになっている、という事実は、なかなか価値のあるものなのではないでしょうか。
 それだけのことをやってくれた1号様には、お礼に明日の「仙台フルートの会」のチケットを差し上げました。そう、団員の皆さんには、それこそ「チラシ」を「かいほうげん」に折り込みましたので、ご存じとは思いますが、明日が、この仙台に春を呼ぶ行事の本番なのですよ。もしお時間がありましたら青年文化センターのコンサートホールへ、ぜひ足をお運びくださいな。中学生のピアノソロが、素敵ですよ。ご連絡いただければ、チケットを受付に用意しておきますので、毎年いらしているあなた、ぜひご来場ください。
 本番の前の日なので、もちろん夜には練習があったのですが、昼間は暇だったので、久しぶりに利府に映画を見に行ってきました。見たいものはいっぱいあったのですが、2ヶ月前に見た「オペラ座の怪人」をまだやっていたので、もう1回見てみましょう。この間東京で「劇団四季」を見てきたばかりですから、そちらとの比較にもなると思って見たのですが、やはり、これをわざわざ2回見ただけのことはありました。前回気が付かなかったことがたくさんありましたし、舞台版との違いも、こんなに多かったのかと、再発見です。一番びっくりしたのは、例の今回新たに作られた主題歌「Learn to Be Lonely」が、エンドロールで歌われるだけだと思っていたのが、本編の中でもしっかり使われていると分かったことです。しかも2ヶ所で。それは、「マスカレード」の最後の部分、ファントムが姿をあらわしたところと、本当の最後、年老いたラウルがクリスティーヌの墓参りに訪れる場面。前回は全く気づきませんでしたが、かなり印象的な使われ方をしていたのですね。というか、これは舞台版にはない曲ですから、いかにうろ覚えだったかということになります。ただ、これはコール・アングレによるインスト版、やはり歌詞がないことには、なかなか記憶に残らないのでしょうか。
 プロットも、さすがに映画は丁寧に作ってありました。たとえば、カルロッテがファントムによって「カエルの声」になってしまうあたり、舞台版はただ魔法をかけられたように声が変わるだけなのに、映画版では、彼女が普段使っている(というシーンが、ちゃんと伏線として登場)喉のスプレーをすり替える、というシーンがキチンを加えられているのです。
 こんなことに気づくことが出来たのも、東京までミュージカルを見に行ったり、わざわざ2回も映画を見たがった愚妻のおかげ、訳の分からない新演出のオペラのDVDを見るのより、はるかに楽しいものがあります。
aventure number : 0534 date : 2005/4/2


今日の禁断 クロマイ

 少し、指の爪を伸ばしすぎていたな、とは思っていました。朝、車に乗ろうと思ってドアを開けたら、いきなり角に右手の親指をぶつけてしまい、一瞬息が出来ないほどでした。実は、こんな体験は2週間ほど前にも味わっていたのです。その時は右足の親指。風呂場の入り口に思い切りぶつけてしまって、爪の間からダラダラと血が噴き出していました。どうやら、爪の境目の皮膚が、完全に裂けてしまっていたようですね。消毒して、抗生物質を塗っておいたら、別に化膿もしないで1週間ほどで新しい皮が上がってきたので、一安心ですが、その間は親指にガーゼを巻き付けて、お風呂にはいるときもお湯に入れないよう、足を上げていたとか、かなり大変な思いをしたものでした。ですから、また同じようなことをやってしまって、今度は手の指が使えないようになってしまったのでは、と、心配になったのも、当然のことでしょう。見てみると、親指の爪には横に白い線が入っていて、その部分が強い力で折り曲げられたようになっています。もしかしたら、そこから爪がはがれてしまったのかもしれません。大変なことになりました。今日は「フルートの会」の本番、右手の親指は特に力が入るところですから、そんなことになっていたらとても演奏なんか出来ません。しかし、かなり痛みはあったものの、どうやら爪がはがれることはなかったようで、一安心です。しばらく経てば、痛みも引いてくることでしょう。
 その演奏会、ステージの準備、ゲネプロ、本番と、淡々と予定をこなしていると、指の痛さなどを気にしている暇もないほどでした。前半のピアノ協奏曲は、ソリストが中学生、でも、しっかりしたタッチで、第3楽章あたりは余裕さえ漂うほど、一緒に吹いていてとても楽しく感じられました。しかし、本番の後半になって、最前列に座っていた小さな子供二人が、退屈して動き回っていたのには参りました。椅子の上で足を投げ出したり、ほとんど立ち上がって歩き出しそうな感じ。すぐ目の前ですから、いくら見まいとしても視野に入ってしまい、邪魔でしょうがありません。楽章の間に睨みつけてやったのですが、全く効果はありませんでしたし。母親がすぐ隣にいるのに、なんの注意をするでもなし、困ったものです。そんなことに神経をすり減らして、気づいてみたら、アルトフルートの吹き詰めがたたったのでしょうか、もう腕も指もほとんど感覚がなくなるほどになっていました。無理な姿勢で、いかに過酷なことを強いられていたかが分かろうというものです。演奏会が終わったら、今までになかったような疲労感がどっと押し寄せてきましたよ。
 今見てみると、指の爪は白い線も消えて、すっかり元のようになっていました。まだちょっと痛みは残りますが、どうやらたいしたことはなかったようですね。それにしても、すごい回復力です。
aventure number : 0535 date : 2005/4/3


今日の禁断 超暖房

 新年度も始まって、何かと慌ただしい時期になりました。私の方も、今年の行事についてマンションの管理人と打ち合わせ、などという、基本的に私には似つかわしくないようなこともやらなければいけないような季節でもあります。こういうことは取りかかるまでがものすごく億劫で、あれこれ考えると夜も眠れなくなってしまうほどですが、いざ実際に体を動かして行動にかかると、全く問題なく事が運ぶものなのですね。あれこれ悩むよりも、次のステップへ向かって着実に進んでいった方が、どれだけ健康的なことでしょう。
 そんな年度の切れ目とは関係なく、定期演奏会へ向かっての練習は続きます。今日は東口のパルシティでのパート練習です。いつもここへ行くときには、駅のすぐそばにある駐車場に車を入れていました。駐車料金が30分100円という安さのためなのですが、そのためには、かなりの距離を、重い楽器と譜面代を抱えて歩かなければならなかったのです。ところが、この間ここでやったときに、すぐそばに同じ料金のコイン駐車場が有ると言うことを知らされました。この建物のすぐ裏手だと言うこと、そこで、まずそれを探してみることにしました。時間はたっぷりありますから、見つからなかったらいつものところへ引き返せばいいだけですから。無数の「楽天」の旗がぶら下がっている宮城野大通りの一つ南側の道路に入って、パルシティの裏側を通ってみると、それはあっけないほどすぐ見つかりました。確かにここならずっと近くですから、そんなに歩かなくても済みますね。これからはここに入れることにしましょう。
 まだ時間は早かったので、このあたりのコンビニにでも寄ってみることにしましょう。お目当ては、いつも練習前には必ず食べている「はごろも」の杏仁豆腐です。大通りに出てみると、駅と反対の方向に「ファミマ」の青い看板が見えました。いつもここはパルシティまでしかくることはありませんから、それより東側は私にとっての処女地、ちょっとした探検です。ファミマに向かって歩いていると、その前に「サンクス」の赤いマークが見えました。それはちょっとコンビニらしくない体裁のお店、中に入ってみると、床はフローリングですし、通りに面したコーナーはカフェになっていて、なかなかおしゃれ。ただ、「はごろも」は残念ながらおいては有りませんでした。ついでにマンガを立ち読みしてここはおさらば、なおもファミマへと向かいます。しかし、たどり着いたファミマにも、やはり「はごろも」はありませんでした。
 仕方がないので、何も食べずに練習です。「フィンランディア」と「ポホヨラ」を、ほぼフルメンバーでみっちり、なかなか和気藹々とした、実りのある練習でした。終わる頃に、同じ場所の別の階で練習していた金管のしできさんが、おとといの「フルートの会」のビデオを持ってきてくれました。もうすでに発送用のクッション入りの封筒は買ってありますから、明日には注文分は全て発送できるはず、いつもながらの気持ちの良い仕事ぶりには感謝です。
 駐車場では、少なくとも3台はニューフィルの車を発見、考えることは一緒なのですね。悲願の「はごろも」は、帰りがけに「セブン」に寄って買って帰り、家へ着いてから食べました。これで、心残りはありません。
aventure number : 0536 date : 2005/4/5


今日の禁断 袖口

 私は花粉症持ち、でした。一昨年までは。だいたいお彼岸ぐらいになるとまずくしゃみが止まらなくなります。最初の症状はこんな感じ。まず鼻の奥がムズムズしてきて、とても気持ちが良くなってきます。このムズムズ感は、なんだか分かりませんが、もっともっと味わっていたいような欲望を伴うものです。ここでくしゃみをしてしまってはなんにもならない。もっと激しくこのムズムズ感を高めて、絶頂に達したときにこそ、「発射」しなければ、そんな、何かに似ているような感覚です。そして、時間をかけて、丁寧に、丁寧に登りつめたものが、一気に爆発します。それは、なんという快感を伴うものなのでしょう。
 しかし、気持ちがいいのはここまでです。爆発に伴って発散されるおびただしい量の体液(鼻水ね)、それを拭き取るやいなや、また次のくしゃみがおそってきます。1回出てしまえば、もはやそれは止まることはありません。もちろん止めどもなく流れ出るどろどろとした鼻水。ひとしきりの嵐が収まると、今度は水のようなサラサラの鼻水が出てきます。これは、もう鼻の奥から何もしないのにこんこんとわき出る泉のようなものでしょうか(そんなきれいなものでは・・・)。ティッシュなど、何枚有ってもたりませんよ。もちろん、目も痒くなってくるし、涙は止まらないし・・・。
 ところが、です、去年はそんな症状がほとんど出なかったのです。たまにくしゃみぐらいは出ることはありましたが、すぐ収まってしまいそれが苦痛になるなどということが、まずなかったのですよ。「もしかして」と思いました。なんかの拍子に、私の花粉症はどこかへ行ってしまったのではないか、と。そして、今年です。世間では早い段階で花粉症の様子が報じられていました。例年になく、花粉の飛散量が多いはずだと。しかし、去年同様、私にはなんの症状も現れることはなかったのです。やはり、私は花粉症を克服してしまったのでしょうか。
 おととい、仙台では25度を超えるという異常気象、もはや冬タイヤも必要ないと、タイヤの交換をすることにしました。ジャッキアップを始めた時点でもう大汗をかいているほどの暑さ、その時、襲ってきたのです。あの、しばらく忘れていた気持ちのいい感覚が。ゴム手袋をはめている両手では、流れ出す鼻水を拭うことすら出来ません。ほとんど「ボーちゃん」状態の鼻提灯、とても人に見せられるような顔ではありませんでした。結局その日は、最高潮の花粉症まみれ、練習しようと思って楽器を出しても、息を吸い込むたびにくしゃみですから、そもそも音を出すことが不可能です。やはり、私は花粉症持ちから逃れることは出来なかったのでしょうか。
 しかし昨日は暑さも収まった雨模様、そのせいか、あれほどひどかったくしゃみは1度として出ることはありませんでした。そして、強風が吹き荒れる今日です。私は敢えてなんの予防策も講じないで、風の中を外へ出てみました。例のプランターに水をやったり、自販機のチェックをしたり。しかし、やはり、くしゃみが出ることはありません。さて、いったい花粉症は・・・。
aventure number : 0537 date : 2005/4/8


今日の禁断 豚の角煮

 42万のキリ番は、夕べの10時頃出ましたね。私自身が「420,010」を踏んでしまうという間抜けなことをやってしまいました。しかし、今回はかなりペースダウンしてしまったのがありあり。ひところは毎日500ヒットにもなろうかという勢いだったものが、今では400にも満たないのですから、悲惨です。とりあえず毎日更新はしていますが、肝心の新しいネタが、1月以来全く作られていないというのでは、飽きられてしまうのも当然かもしれません。
 さて、そんな些細なことでおちんこでてもいられません。愚妻とランチでも食べに行きましょうか。少し足を伸ばして、今度の土日に指揮者練習が行われる愛子の文化センターのすぐ向かいにある「旨いもん角屋」へ行ってみましょう。最近分かったことなのですが、このお店や、日頃贔屓にしている「ひな野」とか「ボーノ・マンマ」などは、経営者が全て一緒なのです。しかも、その方の奥さん(共同経営者ですが)が、私の知り合い、というか、同級生だったのです。学校は違っていましたが、大学時代に合唱団に入っていたというつながり、そのころは団レベルで、中には結婚してしまったという組み合わせもあるぐらいの交流をしていましたから、同じ学年の人はほとんど顔見知りでした。その人が、私が「ボーノ・マンマ」で食事をしているときに、たまたま視察かなんかでやってきて、顔を合わせたとたん、「同級生の・・・」ということになって、名刺などをいただいてそんなことが分かったという訳なのです。
 「角屋」の方ですが、江戸時代のお屋敷を再現したような凝った造りで、なかなか気に入りました。ちゃんと「下足番」のおじさんがいて、脱いだ靴をしまってくれて、帰るときにはちゃんとそれを出してきて足下に並べてくれる、という、徹底したサービス、もちろん食事もおいしいし、また来たいと思ったのですが、問題はタバコ。一応個室のような感じで、格子や簾で仕切られてはいるのですが、今時珍しい「禁煙」も「分煙」もされていない店内では、すぐ隣でタバコを喫われればもろに煙はこちらに来てしまいます。何とかして下さいよ、Mさん。
 ところで、もうすでにご存じかもしれませんが、2001年には「オペラ座の怪人」、そして2003年には「キャッツ」のロングラン公演を県民会館で行ってきた劇団四季が、今年の9月には「クレージー・フォー・ユー」で1ヶ月間のロングランを打つことが、ほぼ明らかになってきました。実は、この時期に劇団四季のロングランが有るということは、去年の秋に、その次の年(つまり今年)の会場を確保する時点で分かっていたことだったのです。つまり、9月いっぱいは「貸し切り」になっていて、この期間中に演奏会をやろうと思っても、閉め出されてしまっていたのです。ただ、演目については、なかなか分かりませんでした。そのころ、おそらく共同主催となるであろう○○放送のイベント担当の人とのおつきあいがあったので(あ、別に一緒にお食事とか、それ以上の関係とか、そんなんではないですよ。ニューフィル内で、チケットを売るのをお手伝いしただけ)、「今度の四季は何をやるんですか?」と、何回もしつこく聞いてみたのですよ。しかし、その人は「担当が違うので、ちょっと分かりません」の一点張り、おそらく、かなり強力な箝口令が敷かれていたのでしょうね。ところが最近、今度政令指定都市になった(なる?)静岡市で、8月に「クレージー・フォー・ユー」のロングランが行われるという公式発表がありました。これで決定的です。静岡といえば、仙台同様、「オペラ座」と「キャッツ」をやっていたところですし、そこでやったあと仙台に来るということで、時期的にも完全に符合します。これでまた、我が家は何かと盛り上がることでしょう。
aventure number : 0538 date : 2005/4/10


今日の禁断 プリントスクリーン

 また冬に逆戻りしたような、寒い一日でした。そんなおかしなお天気のせいでもないのでしょうが、最近はどうも注意力が散漫になって、仕事に身が入らなくなっています。ですから、そろそろ新しい「かいほうげん」を作り始めなければならない時期なのですが、一向にそんなモードになってくれません。このだらけた状態は1ヶ月以上も続いているようで、はたと思いついて公式サイトの団員のデータを見てみたら、先月の分がまだ更新されていませんでしたよ。いつもは、新しい「かいほうげん」が出来るとその場でサイトの方も直していたのですが、印刷が終わってしまったら(確か、あの時は直前に変更があって、ギリギリで刷り直したんでしたね)安心してしまって、すっかりそのあとのことを忘れていたのでした。しっかりしなければいけません。
 そこで、やっと重い腰を上げて、昨日あたりから「かいほうげん」を作り始めました。いつもでしたら、JPのネタがそのまま使い回せるのですが、もうそれもすっかり使い切って、何もありません。この辺も、サイトの世話をサボりまくっていたツケが回ってきたのですから、自業自得なのですが。そこで、今回考えたのが、この間中の「仕事」の成果です。一応これからの活動のためのデータとして、報告書みたいなものは作らなければいけないと思っていましたから、それをきちんとまとめれば2ページぐらいは稼げるはずです。そこで、私が考えたのが、ただの一覧表を作るのではおもしろくないので、地図を使って全ての訪問先をプロットする、というものです。まず、ネットの地図サイトで適当な範囲の地図を選んで「Word」に貼り付け、そこに「オートシェイプ」の「吹き出し」を書き込んで行きます。この「吹き出し」実際に使ってみたのは初めてなのですが、なかなか面白いものでした。一番重宝したのは、起点と終点を自由に動かすことが出来ること。当たり前の機能ですが、実際にやってみるとこれが楽しくて、20個以上のプロットをどのように配列したらきれいになるか、とことんいじり回すことが出来ましたよ。その成果がこれ。
 これは市内の分。そしてもう1枚、私が行った南部の施設と、例の、1号様の努力のたまもの、北部の分が入った「広域」地図も作ってあります。土曜日には発行できる予定、その前に突発の事態が発生して延期になることもあり得ますが、いずれにしても演奏会の前には間違いなく出るはずです。
 そう、もう来週の末には、演奏会の本番なのですよね。今週末に集中指揮者練習があって、あとは当日だけ。ですから、本当はもっとそんな気分になっていなければならないのに、今日の団内練習はなんか乗り切れないで終わってしまったような感じがあります。「なんとしても、いい演奏会にしたい」という新田さんの意気込みに答えるためにも、週末は万全のコンディションで臨もうと、堅く心に誓うのでした。
aventure number : 0539 date : 2005/4/12


今日の禁断 空港

 私の家の新聞は朝日。これは昔からのほとんど習慣なのですが、実は、絶対に他の新聞に変えられない理由もあるのです。それは連載されているマンガ。私が大好きないしいひさいちの4コマが始まって、もう何年になるでしょうか。1991年の10月に始まったのが「となりのやまだ君」、そして、登場人物や設定は全く同じままタイトルだけが「ののちゃん」に変わったのが、97年の4月ですから、もう13年半も続いているのですね。なぜ、即座にこんなデータが出てきたかというと、私は、このマンガをスタート時から1日も休まず切り抜いて、スクラップブックに保存しているからなのですよ。どうせ単行本が出るのだからとお思いでしょうが、中には出版の際に手が入ったりカットされたりすることがあるものですから、やはり「初出」をオリジナルの形で取っておきたい、という、マニアの意地なのです。事実、この作品はとうとう完全な形で出版されることはありませんでした。
 その切り抜き作業、普通は半月に1回ぐらい、まとめてやっています。ところが、今回はどういう訳か2ヶ月分も溜まってしまっていたのです。これは、この2ヶ月間、いかに私が無気力に過ごしていたかという証・・・ではありません。ただ面倒くさかったのと、パソコンをXPに変えたことが原因なのでしょう。つまり、以前のWIN98は、電源を入れてからOSが立ち上がるまで優に1時間はかかっていたので(それはあんまり)その間にこういう作業を行えたのですが、今ではそれは一瞬で終わってしまいますから、逆にそんな時間が取れなかったと・・・まあ、どうとでも取って下さいな。とにかく、2ヶ月分の新聞の山との格闘は、なかなかのものがありました。いしいさん、最近はコマの大きさを変えたり、細かいテクニックで笑わせたり、かなり「渋い」境地に入っていることが、集中的に作品を眺めると感じられてしまいます。長く続けるための知恵、というやつでしょうか。
 ところで、昨日NHKのBSで見たのが、ジャン・レノとジュリエット・ビノシュが共演した「シェフと素顔と、おいしい時間」。2002年という新しい作品ですから、これを番組欄で見つけたときには、一瞬WOWOWかと思ってしまいましたよ。早速、ビデオにもとらないで、リアルタイムで見てしまいました。冒頭のシーンから、なにやら思わせぶり、ふくらみのあるシーツのようなものが画面いっぱいに広がっていますから、これはいきなり濡れ場(死語!)かな、と思っていると、それがだんだんズームアウトして、結局はレノがかけていたアイマスクだと分かるという仕掛けです。そのレノが、ウェーブのかかった長髪という姿で出てきたものですから、「レオン」などのイメージとは全然違ってものすごく新鮮でした。もっと驚いたのは、ビノシュ。最初とんでもないメークで登場したものですから、一瞬誰だか分からなかったほど、結局レノと泊まったホテルでドレッシングをかけられ、バスルームに入ってスッピンで出てきたときに、初めてあの「ショコラ」の顔に再会できたのですが。ほんと、この人ほど濃いメークの似合わない人はいません。さっき彼女の名前をそのまま変換したら「美の主」となりましたっけ。名は体を表すというか。それで、邦題はそのことを盛り込んで考えたのでしょうが、これでは逆にネタバレになってしまって、「時差」という原題の持つ機微などは、どっかへ飛んで行ってしまっています。
aventure number : 0540 date : 2005/4/14

05/4/16-5/22