今日の禁断 |
蚕 |
CDを聴いたりビデオを見たりするのに忙しくて、なかなか本を読む時間がありません。しかし、井上ひさし(付かない)と清水義範(付く)だけは、新しい文庫本(ハードカバーでないのがミソ)が出れば必ず読むようにしています。特に、清水義範はソノラマ文庫から出ていたかなり初期のジュヴナイルものも含めて、文庫本として出ているものは殆ど手元にあるはずです。ですから、新聞の広告などで新刊を見つけると、すぐ本屋さんに行って購入していたのですが、最近はかなりメジャーな文庫でもスペースの関係か新刊がすべて置かれている書店など殆どありません。ましてや、幻冬舎文庫から出た「遺伝子インフェルノ」などというマイナーなものは、通りがかりに立ち寄れるような小さな本屋さんには当然置いてなくて、ちょっと足を伸ばさないと手に入りませんでした。それはそれで買うことが出来て、幸せな気持ちで、そのちょっと気持ちの悪い近未来の物語を楽しむことが出来たのですが、読み終えて裏表紙のリストを見ると、その幻冬舎文庫から、まだ読んでいない「蛙男」というのが出ているのが分かりました。もちろん、これもすぐ手に入れたいと思ったのですが、なんせ2年前に発売になったもの、それから折を見てあちこちの「大型店」で探してみたのですが、どこにもありません。アエルの「丸善」や、免許センターへ行く通りの「八文字屋」といった「付く」お店にさえないのですから、当然「天花」のロケで使われた南町通りに近い一番町の「金港堂」などという「付かない」お店にはあるはずもありません。結局、仙台ではもっとも品揃えが充実していても、全集などは番号順に並んでいないという難点のある、ロフトの「ジュンク堂」(「順不同」、ですね)で、やっと手に入れることが出来ましたよ。
その「蛙男」ですが、ちょっと設定がいつもの清水義範らしくなく、SFだかホラーだか分からないという、はじめは読むスタンスが取りにくいものでした。ただ、少し社会性に欠ける男女の間の心の交流が描かれ始めると、作者の慈しむような視点にある種の「期待」を感じつつ、なんかほのぼのとした気分で読み進むことが出来ます。ところが、最後の最後に、その「期待」が見事に裏切られてしまうのですから、ちょっとやりきれないものを感じてしまいました。あえてハッピーエンドにしなかったことで、「恐ろしさ」は強調されていますが、私としてはもっと別なものを味わいたかったという思いです。
「期待」していないと、掘り出し物に出会えることがあります。私のCD棚をなんとなく眺めていたら、チョン・ミョンフンとウィーン・フィルが演奏した、ドヴォルジャークの「3番・7番」という、買ったことさえも忘れていたCDが見つかりました。その後出た「6番・8番」で、指揮者が完全にオケになめられているのを見て、聴く気すら起こらなかったものです。しかし、この7番を聴いてみると、あの8番で見られたとげとげしさが全く感じられなくて、流れはとても自然、ちょっとびっくりです。ウィーン・フィルの響きをとことん大事にした、とても気持ちの良いものでした。はたと気付いたのは、ここでフルートを吹いているのは(多分)フルーリー、8番で吹いていたのはシュルツでしたから、その印象の違いも大きかったのでしょう。でも、多分下野さんはこういう演奏はしないでしょうね。 |
aventure number : 0363 |
date : 2004/5/20 |
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