0361(04/5/16)-0380(04/6/20)

今日の禁断 受験生

 キリ番は、今までの予想と、おとといの「禁断」の双方の顔を立てるかのように、14日と15日のまさに境目、0時ちょうどに達成されました。これは、いくら更新してもそれ自体のカウントは加算されないという設定をしたカウンター表示の専用ページを監視して、刻一刻のアクセスの推移を見守って確認できました。今回はちょうど監視できる時間帯だったので、そんなことができたということ、なかなかドラマティックでしたね。ですから、多寡をくくって朝起きてからカウンターを確認した1号様あたりは、すでに139ヒットも過ぎていたことに言葉を失ってしまったわけですね。
 その1号様は、前回の問題を完璧にお解きになったようです。掲示板で色々な例題を書き込んでいますが、分からない人にとってはいったい何のことだか?でしょうね。せっかくだから、もう少し遊ばせてください。なんでも、友人の友人は瞬時に分かってしまったとか。ちょっとした文学的な素養があれば、いとも簡単に解けてしまうものなのかもしれません(引っかけ?)
 ところで、昨日教育テレビで放送していた、高田渡と高石ともやのドキュメンタリーは、なかなか興味深いものでした。日本のフォークソング史の黎明期を生きたこの二人、今でもしっかり現役として活躍しているのですが、見た目はもうすっかり爺さん、特に、高田渡の方は、殆どただの酔っぱらいに過ぎません。そんな彼のもっとも有名な曲は「自衛隊に入ろう」というタイトルを持ったもの、まるで本当に自衛隊員を勧誘しているような歌詞を、軽やかなメロディー(これはカバー)で歌ったものです。もちろん、これは逆説であり、何もしなくても痛烈な反戦のメッセージが伝わるという、究極のパロディなのですよ。番組の中で、ちょっとしたコンサートがあって、そこで参加者が「今まで受けた誤解で、一番印象に残っているのはなんですか」と質問したら、「それはもちろん『自衛隊〜』です」と言っていたのは、ある意味当然のことでしょう。と言うか、彼にしてみれば、「♪自衛隊に入ろう 自衛隊に入ればこの世は天国 男の中の男はみんな 自衛隊に入って花と散る」と言う歌詞が額面通りに受け入れられた場面もあったと言うことは、とてつもない快感だったことでしょうね。私は前からこのシンガーは大好きでしたが、これを聞いて、さらに彼のことが好きになりました。本当は私も、「禁断」で書いたことを額面通りに受け取って「『楽都仙台』と言うコピーををおちょくっているのは、コンクールに対する誹謗中傷だ」と息巻いていた人に対して、平然と「まさにその通り。それが分かったあなたは偉い。」と答えたあとで、後ろを向いて「やった!」と叫びたかったのですが、つい挑発に乗ってしまいました。まだまだ修行が足りませぬ。ですから、それをサラッとやってのけた高田渡には、尊敬の念すらわいてくるというわけで。
aventure number : 0361 date : 2004/5/16


今日の禁断 シベリウス

 練習場に入ってくるなり、ひろしくんは「あれ、わかんねぇ」ですって。この間中から「禁断」や「ボード」を賑わしている問題、まだ分からないのだそうです。1号様が解けたというのも、しゃくにさわるとか。でも仕方ありません。なんと言っても「1号様」では付くけれど、「ひろしくん」では付かないのですから。
 お約束通り、「かいほうげん」は発行されました。しかし、ここにたどり着くまでには数奇な運命に翻弄されなければならなかったのです。まず、今回はなんと「20ページ」仕立てになっていますよ。ただ、最後のページのノンブルはいつもの通り「16」です。これは、ほかの、ノンブルが入ったページの印刷が終わった時に、「こんな新聞記事があります」という情報が入ったため。どうやら、それは新聞の紙面1ページをまるまる印刷しないと意味のないものでしたから、ページを差し替えてスキャンした画像を取り込むよりは、普通に縮小コピーを取った方が手間もかからないし、仕上がりもずっときれいになります。それで、A2の紙面をA3に縮小して、二つ折りにして挟み込もうと思ったのですが、そうすると真っ白い面がでてしまって、なんだか間抜け。そこで、「おやぢ」だったら潤沢にストックがありましたので、それを裏面にプリントして、結局5枚綴じにしたということです。そんなに厚くなって、果たしたホチキスが通るかどうか心配でしたが、それは全く問題なし、かくして、「かいほうげん」史上3度目の「20ページ版」が完成してしまいました。ですから、「8ページ」の次が「8−2ページ」とか、ちょっとごまかしが入っていますが、それはご容赦を。
 もう一つ、第1面には来年春の指揮者の情報が早くも載っています。このページはいつも最後に作って、出来るだけ最新の情報が反映できるようにしているのですが、これは最新も最新、なんせ、指揮者の新田さんから正式にOKの返事が来たのが昨日の夜のことだったのですから。ほんと、印刷間際の記事差し替え、こんなスリリングなことはありません。編集も印刷も私一人でやっているというフットワークの軽さで、これは可能になること、多分、「記事の新鮮さ」という点では、この体制はうってつけなのでしょう。その分、私の趣味がかなりの程度出てしまうことは、避けられません。「全員が満足する会報などあり得ない」とは思っていますが、「独断」ほどみっともないことはないとも思っていますので、忌憚のないご意見は大歓迎です。
 それにしても、最後の1枚の表面の印刷が殆ど終わった時に、いきなり「サービスマンコール」が出てプリンターが動かなくなってしまったのには焦りました。そんな時に限って「サービスの都合がつかないので、しばらくお待ち下さい」などと言われてしまいます。結局、定着ユニットの全交換というかなりすごい修理が終わるまで、2時間程度のロス、それでもきちんと間に合うのですから、このスリルと言ったら。
aventure number : 0362 date : 2004/5/18


今日の禁断

 CDを聴いたりビデオを見たりするのに忙しくて、なかなか本を読む時間がありません。しかし、井上ひさし(付かない)と清水義範(付く)だけは、新しい文庫本(ハードカバーでないのがミソ)が出れば必ず読むようにしています。特に、清水義範はソノラマ文庫から出ていたかなり初期のジュヴナイルものも含めて、文庫本として出ているものは殆ど手元にあるはずです。ですから、新聞の広告などで新刊を見つけると、すぐ本屋さんに行って購入していたのですが、最近はかなりメジャーな文庫でもスペースの関係か新刊がすべて置かれている書店など殆どありません。ましてや、幻冬舎文庫から出た「遺伝子インフェルノ」などというマイナーなものは、通りがかりに立ち寄れるような小さな本屋さんには当然置いてなくて、ちょっと足を伸ばさないと手に入りませんでした。それはそれで買うことが出来て、幸せな気持ちで、そのちょっと気持ちの悪い近未来の物語を楽しむことが出来たのですが、読み終えて裏表紙のリストを見ると、その幻冬舎文庫から、まだ読んでいない「蛙男」というのが出ているのが分かりました。もちろん、これもすぐ手に入れたいと思ったのですが、なんせ2年前に発売になったもの、それから折を見てあちこちの「大型店」で探してみたのですが、どこにもありません。アエルの「丸善」や、免許センターへ行く通りの「八文字屋」といった「付く」お店にさえないのですから、当然「天花」のロケで使われた南町通りに近い一番町の「金港堂」などという「付かない」お店にはあるはずもありません。結局、仙台ではもっとも品揃えが充実していても、全集などは番号順に並んでいないという難点のある、ロフトの「ジュンク堂」(「順不同」、ですね)で、やっと手に入れることが出来ましたよ。
 その「蛙男」ですが、ちょっと設定がいつもの清水義範らしくなく、SFだかホラーだか分からないという、はじめは読むスタンスが取りにくいものでした。ただ、少し社会性に欠ける男女の間の心の交流が描かれ始めると、作者の慈しむような視点にある種の「期待」を感じつつ、なんかほのぼのとした気分で読み進むことが出来ます。ところが、最後の最後に、その「期待」が見事に裏切られてしまうのですから、ちょっとやりきれないものを感じてしまいました。あえてハッピーエンドにしなかったことで、「恐ろしさ」は強調されていますが、私としてはもっと別なものを味わいたかったという思いです。
 「期待」していないと、掘り出し物に出会えることがあります。私のCD棚をなんとなく眺めていたら、チョン・ミョンフンとウィーン・フィルが演奏した、ドヴォルジャークの「3番・7番」という、買ったことさえも忘れていたCDが見つかりました。その後出た「6番・8番」で、指揮者が完全にオケになめられているのを見て、聴く気すら起こらなかったものです。しかし、この7番を聴いてみると、あの8番で見られたとげとげしさが全く感じられなくて、流れはとても自然、ちょっとびっくりです。ウィーン・フィルの響きをとことん大事にした、とても気持ちの良いものでした。はたと気付いたのは、ここでフルートを吹いているのは(多分)フルーリー、8番で吹いていたのはシュルツでしたから、その印象の違いも大きかったのでしょう。でも、多分下野さんはこういう演奏はしないでしょうね。
aventure number : 0363 date : 2004/5/20


今日の禁断 算数

 「付く」、「付かない」といった言葉が、私のまわりで飛び交っています。ヨーロッパから届いたメールにも「付いているY江さん」などというのが時候の挨拶の前に付いているという(確かに「挨拶の前」には付きますね)具合ですから、これは全世界的な広がりをみせている、ということになりますよ。別に、私のオリジナルではないので、そんな大きな顔は出来ませんけれど。
 この件で「元団員」さんあたりが書き込みをしてくれたお陰で、普段はひっそりとしている掲示板の方も、いつになく活況を呈しています。(余談ですが、最初「投稿好きの元団員」というのを、「書き込み好きの〜」と間違えて読んでしまって、全く別の人が改心して自らの非を認めたのかと勘違いしてしまいましたよ。そんなことは「未来永劫」あり得ないのに。)さすがに、あれだけ出てくると、もう答えは分かりそうなものですが、こういうものは一度はまりこんでしまうとなかなか思考パターンを切り替えるのが難しいものなのでしょうね。
 ところで、ひところはやった格言みたいなもので、「心に太陽を、唇に歌を」というのがありました。「歌声運動」みたいなものがもてはやされていた時代の名残なのでしょうが、さすがに現在ではこんな脳天気な呼びかけには、誰も賛同はしないことでしょう。これは、健康的で明るい「歌」がしっかり存在してこそ成り立つテーゼであって、ひたすらイジイジと自己主張を語るだけのヒップホップ系がもてはやされている現代では、全く意味を失ってしまいます。しかし、そんなことを言う前に、私にはこの言い方そのものにずっと引っかかっていました。確かに、前半はなかなか壮大でいいのですが(もちろん、心臓が太陽だったら焼け死んでしまう、といった突っ込みはなし)、後半がちょっと私の趣味というか、センスには完璧に合わないのです。「歌」を作り出す器官を「唇」に代表させてしまったという点が、その最大の引っかかり。「唇に歌を」では、いかにも口先だけでヘラヘラ歌っているような場面が目の前に浮かんでは来ませんか?そこには、横隔膜で押し出され、声帯でビブラートを掛けられ、仕上げに口腔や鼻腔で共鳴を付けられた輝かしい「歌」というイメージが、全くわいては来ないのですが。と、これだけ書けば、分かったでしょう?
 掲示板の方では、1号様が新手のクイズを提案してきましたね。これは簡単。すぐ分かりました。
 「肉まん」にはあるが、「餡まん」にはない。
 「サザン・オールスターズ」にはあるが、「桑田佳祐」にはない。
 「かあさん、白髪がありますね」にはあるが、「甍の波と、雲の波」にはない。
 ってところでしょうか。
aventure number : 0364 date : 2004/5/21


今日の禁断 アマゾン

 久しぶりに自分だけの時間が出来たので、街中のCD店巡りをしてみました。最近は、もっぱらCDを買うのは通販に頼っています。新しいものはいち早く入手できますし、なによりもカタログが豊富、とてもこの街ではそれだけのものを揃えている店などありません。この通販のシステムが活用できるからこそ、「おやぢの部屋」ではまだ誰も聴いたことがないような珍しいアイテムをいち早くご紹介できるのです。それでも、一番町のHあたりは、しょっちゅう通るところですから軽く足を運ぶことが出来るので、それなりに覗くことはあります。しかし、その他のRとかTとかSは、ちょっと日常的な経路からは離れているところにあるので(Tは8階まで昇らなければいけませんし)、こんな時でもなければなかなか足を運ぶことはありません。
 老舗のRには、ほんとに久しぶりに行きました。お店に入ってみて驚いたのは、新譜コーナーに殆ど品物がなかったこと。面陳の部分には、それなりに最近のものが置いてあるのですが、下半分の棚が空っぽ、いったいどうしたことでしょう。以前は、ここは、小さなお店の利点を生かして、どこよりも安い価格でCDを販売していたのが最大の利点でした。しかし、もろもろの事情で今ではそんな価格設定は不可能になってしまったようです。そのせいなのか、新譜がぎっしり棚に詰まっていた昔の面影は、もはやこの店にはありません。かつて、広々とした専用のクラシックコーナーを持って、仙台一のアイテムを供給していたTが、クラシック部門から撤退(最低限のものは残っていますが)したのには、このRの脅威があったからだといわれています。それがこういう状態になってしまったというのは、地方都市でのクラシックCDの需要がいかに落ち込んでいるか、というひとつの証なのかもしれません。
 TにしてもHにしても、最近はとみに輸入盤の新譜が少なくなってきたように感じられます。というか、どの店に行っても、置いてあるものは殆ど限られていて、いずれも黙っていてもある程度の売り上げが見込めるものばかり、マニアが喜ぶような珍しいものなどはまずありません。それはある意味当たり前のことで、そんなものは、日本全国で数十枚しか売れないのですから、都心の大型店や通販で買うしかないのですよ。
 そうしてみると、Sが、今でもワンフロアを占領してクラシックを売っているというのは、殆ど奇跡のような気がしてきてしまいます。TやRであれほど落ち込んでいるものを、いったいどうやって確保しているのだろうと、他人事ながら心配になってしまいます。ここでは、普通の店ではとっくになくなっている古い製品が残っていることがあります。「品揃え」といえば聞こえがよいのですが、それが「不良在庫」だった場合には、楽観は許されません。いずれにしても、およそクラシックの売り上げが好調だとは思えないこの街、これも「楽都」のひとつの姿です。
aventure number : 0365 date : 2004/5/23


今日の禁断 曲目解説

 CDが出来たのが1983年ですから、もはや20年以上の歴史を持ったことになります。久しぶりに、80年前半に作られたCDを聴き返してみましたが、音質は全く変わっていません。当初、「音が劣化することはない」と言っていたことは、ひとまず本当だったことが確かめられてことになります。こういうものは、出来た時に色々な場合を想定して、その有効期限を保証してみてもなんの意味もないことは分かり切ったこと、10年なり20年なり経過させてみて、初めてその耐久性が立証できることになるのですから、CDではまず問題は起こらなかったと見て良いのでしょう。少なくとも「劣化」という点では、LPをはるかにしのぐ特性であったことが、実証できたのです。
 当初、CDの輸入盤は確かクラシックでは4200円で売られていました。それが今では2000円前後になってしまったのですから、技術の進歩というか、コスト削減の成果には驚かされます。もっとも、本気になって安くしようと思えば、1枚300円ぐらいでも十分やっていけるというのは、BRILLIANTなどを見てみればすぐ分かることなのですが、大勢はそこまでは行かないということからは、CDが単なる工業製品ではない、「芸術」を売り物にしているのだという、ある種の誇りみたいなものも感じられることでしょう。これは外国盤の場合ですが、国内盤ですとそのあたりの価値観はさらに自信に満ち満ちたものになってきます。なによりも、この国ではCDは「再販制度」に守られていて、一定期間は決して安売りをしてはいけないという、いわば文化の一翼を担うものとみなされています。ですから、それなりの価格設定は当たり前という、殆ど使命感に近いものを、この業界は誇り高く掲げているのです。もちろん、付加価値を高めるための努力も惜しみません。この国では、クラシック音楽は「学ぶ」もの、CDを聴く際にまず必要なのは、そこに録音された音楽をきちんと受け取るための手引き書です。ですから、国内盤のブックレットには必ず、経験豊富な音楽の聴き手である大先生の筆による「このCDの正しい聴き方」という、とてもためになる一文が掲載されることになります。その先生は、自分がその演奏を聴いて感動した部分を、熟達の筆致で伝えてくれますから、私たちはそれをなぞっていけば、全く同じ感動を味わえるというわけですね。こんな素晴らしい体験ができるのですから、たとえ3000円ぐらい払ったとしても、それは自分を高めるための出費だと思えば、決して高いなどとは思わないことでしょう。
 ですから、最近の輸入盤の規制問題は、そんな価値のある国内盤を買おうとしないで、ただ値段が安いというだけですぐ輸入盤に飛びついてしまう、「学ぶ」ことをしようとしない軽薄な人たちが騒いでいるだけなのでしょう。さらに、そのような人たちでさえ、アジア諸国で作られているCDの逆輸入の規制に関してはしっかり容認しているのですから、少しは安心させられます。そんなに安くできるものなら、いっそ最初からそこで生産させてしまおうという、家電業界や、ユニクロ的な発想が全くみられないというところに、CDが単なる工業製品ではなく、あくまで文化を伝えるものだ、という崇高な思想を感じることが出来るのです。この著作権法の改正を味方にして、国内盤にはその課せられた重大な責務を全うして欲しいものです。お金のことを声高に叫ぶなどというのは、卑しい人間のすることなのですから。
aventure number : 0366 date : 2004/5/24


今日の禁断 クレープ

 このところのお天気は、本当にヘンですね。もう5月も終わりだというのに、とても半袖などは着ていられないような寒さ、夕方になればストーブが欲しくなるほどです。そんな肌寒さが感じられるような夕方、ニューフィルの練習はパートごとに行われる日に当たっています。管楽器は木管、金管合同の分奏、会場は久しぶりの東昌寺です。この会場は、日中は使われてはいなかったので、一歩足を踏み入れると、ひんやりした冷気に包まれてしまいます。人が入ってくれば少しは暖まるのでしょうが、誰もいない100畳敷きの座敷は、完璧に冷え切っていました。
 分奏の常で、メンバーの出足は決して良くありません。したがって、音出しは「7時半」ということになりました。その頃には、代奏も含めて、各パートは殆ど人が集まってきています。さすがの大広間のも、人数分の椅子が並べられると狭く感じられてしまいます。石段を歩いて登ってきたというりっちゃんが、「隣でお祭りでもやっているのですか?」と聞いてきました。そう、昨日と今日は、お隣の青葉神社の由緒ある「青葉祭り」の日なのですよ。もう、ここの常連さんでしたらご存じのとおり、今日が仙台藩の藩祖、伊達政宗の命日に当たると言うことで、彼を祀ってあるこの神社では大々的にお祭りを行っているのです。そして、これもご存じでしょうが、その上前をはねて全市を上げての観光行事としたものが、先週行われたいわゆる「青葉祭り」なのです。そちらの方は大々的に山車を出したりして盛り上がりますが、こちらはあくまでもローカルな、せいぜい参道にいくつかのお店が並ぶと言うほどの、こぢんまりとしたもの、しかし、いかにも「お祭り」という風情は、あちらよりも残っているかもしれません。
 そんな雑談も終わって、練習が始まります。フルートパートの新人、まっすーが仕事で遅れるということで、最初にやったスラブ舞曲は私が1番を代吹きです。ところが、この譜面がとっても大変、一応さらってはいたものの、そんなものでは高音の連続で指がもつれて合奏の中できちんと吹くのはまず無理なのはすぐ分かりました。ごまかしごまかし大奮闘しているうちに、体が温まってきてさっきからの寒さはすっかり気にならなくなりました。部屋の中の空気も、確実に上がっているようです。確かに、スラブが終わって廊下に出てみたら、相変わらずヒンヤリとした寒さでした。
 後半はシンフォニーをほぼ全部通し。こちらの方は、難しいけれどスラブのような「無茶な」ところはないので、まずは楽に吹くことが出来ます。やっかいなのはリズムの合わせ、これは慣れるしかないでしょうね。本番の指揮者下野さんは、なかなか時間の都合がつかなくて、我々と合わせられるのは10月になってからになってしまいましたので、それまでは手探りの状態、逆に、どんな指揮をされても対応できるようになっていなければならないというのは、かなり大変なものがあります。
 練習が終わって、青葉神社の下を通ったら、もうお店はすっかり畳まれて、車に積み込まれているところでした。祭りの終わりの一抹の寂しさ、しかし、私たちのお祭りはまだまだ先のことです。
aventure number : 0367 date : 2004/5/25


今日の禁断 チワワ

 いよいよ表立った「天花バッシング」が始まったようですね。しばらく我慢して見てみたけど、これはどうしようもない、ということにやっと気が付いたのでしょうか。かといって、今さら手直しをしてもしょうがないでしょうし、結局あと4ヶ月、このとんでもない駄作に付き合わされることになるのでしょう。実は、以前、放送が始まる前の日にローカルで特集番組をやったことを書きましたが、その時からこうなる予感のようなものはあったのですよ。その時には主人公の女優(いまだに名前すら覚える気も起きません)が生出演していました。その時の彼女は、信じられないことですが、ひたすらおどおどして、アナウンサーの質問にもまともに答えられないような、いとも頼りない状態だったのです。というか、聞き手が「・・なんですよね」と聞いてはじめて「そうなんです」と答えるような、全く自分の意志では行動が出来ないような主体性のなさが、ミエミエだったのですよ。これが、出演が決まった直後とか言うのなら分かりますよ。最初はおどおどしていた新人というのは、今までいくらもいたものです。しかし、その時点ではかなり収録は進んでいたはず、いかにドシロートとは言っても、現場で場数を踏めばある程度のプロ意識みたいなものは出始めているはずだと、誰しも思うことでしょう。ですから、少なくとも、主人公の芝居については、殆ど期待は出来ないことは、その時にはっきり分かってしまいました。
 しかし、いかに頼りのない新人でも、まわりを固めるベテランの人たちが一生懸命盛り上げて、その子を一人前に見せる、というのが朝ドラのお約束、そこは、それなりの人材とちゃんとした脚本さえあれば、さしたる破綻はなくドラマは進行するはずなのです。ところが、肝心のその脚本が、全くのやっつけ仕事の産物でした。現実には到底あり得ない突拍子もないキャラクター設定、距離感覚を全く無視した地域設定、そして、全く不自然きわまりない登場人物の行動、この脚本家は、ドラマの基本すら押さえることの出来ない、ある意味主役の女優以上のドシロートだったのです。そのデタラメさを数え上げれば、おそらく「禁断」5〜6回分のネタにはなることでしょうが、とりあえず許せない行動をひとつ。天花が一時失明することで、大いに盛り上がる週がありましたが、あの怪我を負った責任は、ぼさっと突っ立っていた天花と、それを突き飛ばした学生(だったかな)には確実にありますが、その時たまたま仲良くしていたところを覗き見されていた竜之介と薫には全くないのですよ。それなのに、その後のその二人の「私たちのせいで」という取り乱しようは、いったい何なのでしょう。プロの脚本家だったら、この二人が確実に責任を感じられるような展開を作り出すためには、いくらでも他の設定を作り出すことが出来ますよ。それと、細かいようですが、あの時竜之介がいしかわじゅんの喫茶店から持ち出したケーキ皿(紙ナプキンを一緒に持ってくるのがすごい)は、いったいどうしたのでしょう。
 今週あたりは、もっと投げやりな展開、いきなり倒れ込んだ天花を見て、仕事をする意欲を失ってしまった人も多かったことでしょう。しかし、「天花のせいで、仕事が出来なくなった」などと言ってはいけません。それでは責任天花、いや、責任転嫁になってしまいますよ。
aventure number : 0368 date : 2004/5/27


今日の禁断 ぽち

 合唱の名曲に、「水のいのち」というのがあります。田三郎という、もう亡くなった人の作品ですが、混声合唱のレパートリーとして、おそらく現在もっとも人気のある曲なのではないでしょうか。そもそも、オリジナルは女声合唱だったのですが、需要の多い混声版が今ではスタンダードな形になってしまっています(実は男声版も出版されています)。今手元にその混声版の楽譜があります。昨日ヤマハで買ったばかりなのですが、その奥付を見てみると、これは5月1日に増刷されたばかりのもので、なんと「第102刷」ということになっています。初刷りが1965年、1回に何部印刷するのかは知りませんが、40年の間に101回も増刷されているなんて、ものすごいことだと言わなければいけないでしょう。実は、その時買ったもう一つの楽譜があって、それは初版が1956年なのですが、まだ「18刷」しか印刷されていません。それは石井歓の「枯木と太陽の歌」という、男声合唱としては古典的な名曲なのですが、男声合唱自体がマイナーですし、最近はこんな曲を演奏する団体もあまりないのでしょうね。
 いずれにしても、その「水のいのち」、楽譜を見直して歌詞をきちんと読んでみると、昔学生時代に歌った(やっていたのは男声でしたが、女子大の合唱団−もちろん女声−とジョイントコンサートがあって歌う機会がありました)時には思いもしなかったような、新鮮な発見がありました。というか、あの頃は歌を歌う時に歌詞の意味を考えるというようなことはあまりやっていなかったような気がします。殆ど呪文のような感じで「音」として感じていたのでしょうね。野喜久夫という人の詩なのですが、これは基本的に「水」を擬人化して表現したものになっています。ですから、これを単純に読んで、「たかが水のことでなんと大げさことを言っているんだ」と突っ込むことはいとも簡単。例えば2曲目の「水たまり」の、「流れるすべも目当てもなくて、ただ黙って溜まるほかはない」というくだりなどは、笑えますよね。3曲目の「川」では、「山にこがれて石を身ごもり、空にこがれて魚を身ごもる」ですから、なんというふしだらな「水」なのでしょう、とか。
 しかし、実はそのような「水」の行動がさらに「人」の生き様のメタファーになっている、という、いわば二重の比喩の構造を取っていることに気付いた時、この詩はもっと普遍的な魅力を持つことになります。そのあたりが、この曲がこれだけ長い間多くの人の間でヒットしているひとつの理由なのでしょう。
 なぜ、今頃そんな曲の新しい楽譜を買ったのか、それは、もしかしたらこの2曲が含まれるコンサートで私が「歌う」かもしれないから。本番の日程が、まだニューフィルの予定が確定していない時なので、実際に出るかどうかは分かりませんが、とりあえず練習には出てみようかというスタンスです。
aventure number : 0369 date : 2004/5/29


今日の禁断 プライド

 まるで真夏のようだった昨日のお天気、それに比べて今日はずっと涼しくなる、というのが「天気予想」でした。もちろん、そんな「予想」があたるはずもなく、雲ひとつない青空となった「衣替え」の初日です。そんなお天気に合わせたわけではありませんが、コカ・コーラの「C2コーラ」のサンプルが手に入りました。コーラの味は変えずにカロリーを半分以下に減らしたという注目の新製品、一般に出回るのは来週以降ですが、一足先に味見をしてしまいましたよ。確かに、「カロリー・ゼロ」をうたっている「ダイエット・コーク」のような薬臭さはない、本家「コカ・コーラ」の味がしっかりしていました。
 そんなお天気だというのに、旭ヶ丘のホールに冷房が入るようなことはありません。一足会場に入っただけでムッとする熱気、これは辛い物があります。そんな会場を嫌がったわけでもないのでしょうが、相変わらず弦楽器を中心に出席は良くはありません。半分ぐらいでしょうか。ヴァイオリンに、ぜひ会ってお話をしたい方がいるのですが(いえ、べつに、次の「かいほうげん」の原稿をお願いするだけなのですが)今回もお会いできませんでした。そして、3人いる練習指揮者がすべて出席できないという、もしかしたらこの制度が出来てから初めてかも知れない事態にまでなってしまったのですから、大変です。そこで、ピンチヒッターとして全合奏の指揮者デビューとなったのが、コンマスと団長です。
 最初はそのコンマスの指揮で交響曲、この時期ですから、まだ通しを主体に、部分的には声部ごとの練習を挟むなど、ユニークな進め方でした。指揮、というよりは、持ち前の良い耳で気が付いた点を指摘する、という、これからの練習を示唆するようなやり方も、なかなか効果的だったはずです。
 後半の協奏曲は、実はこれがまだ2度目の合わせ。その割には、団長の棒に導かれて出てきた音が交響曲よりはるかに活き活きしていたのは、みんなこの曲をある程度知っているからなのでしょう。そして、殆どソリストといっても構わないほどの存在感のある代弾きのチェロと合わせた、前回は全く形にならなかった第2楽章のカデンツァも、今回はしっかり様になっていましたし。もっとも、スコアを見ながらあっチャンたちをチェックしていた私は、後半に2番が入るところをすっかり落としてしまっていましたが。
 というわけで、ここで「天花」ネタのコーナーです。先週、静がうどん屋の開店祝いを持って天花の住んでいるところへたずねてきた時に、「天花さんには何も持ってこなかったわ」と言っておきながら、上がるように勧められると「ちょっと待ってて下さいね」と言って、その辺のケーキ屋に行ってプリンを買ってきます。初めていったお店でしょうに、なぜか「とってもおいしいんですよ」と言えるのが、まず不思議。もっと不思議なのは、静が帰ったあとそのプリンを食べた天花と父が、「これはうまい、負けた」と、静のセンスの良さを思い知らされて落ち込むこと。3年もそこに住んでいて、どうしてそんなおいしいケーキ屋さんのことを知らなかったのでしょう。と、唐突にこんなことを書いたのは、これが明日更新予定の「おやぢの部屋」で重要な意味を持つからなのです。
aventure number : 0370 date : 2004/6/1


今日の禁断 シグネチャー

 私のフルート遍歴は、ムラマツのスタンダードモデルから始まりました。これは、オール銀製のハンドメイド、まだろくすっぽ吹けもしなかったのに、楽器だけはちゃんとしたものを持ちたかった、殆ど見栄っ張りの買い物でした。その頃大騒ぎされた村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の中で、「フルートはムラマツにしてくれ」というセリフがやたら印象的で、ぜひムラマツの楽器が欲しかったというのもありましたし。
 次に買ったのが、今でも使っているムラマツの銀、DN。その頃はスタンダードモデルと言うグレードはなくなっていましたが、それに相当する「AD」よりも1ランク上のものです。それだけではなく、今までの「C管カバード」ではなく「H管リング」、これは、なんと言ってもそういう仕様の楽器を吹いていたスーパースター、ゴールウェイと同じものを持ちたい、という、やはり見栄っ張りのチョイスです(あちらは金やプラチナですけど)。ニューフィルに入った時にはもうこの楽器ですから、ニューフィルの中ではこれだけを吹いてきたことになります。この楽器、なかなか気むずかしい楽器で、吹き手のコンディションがもろに吹きやすさに現れます。すべての条件がベストの状態の時には思い通りの音を出すことが出来ますが、少しでも不調な部分がある時には、いくらがんばっても鳴ってくれません。逆に言えば、自分の奏法をチェックするにはとてもありがたい楽器、よく鳴るポイントを探していけば、それで正しい吹き方を探し出すことが出来ます。この楽器に教えられながら、自分の音を磨いてきた、と言うことになるのでしょうか。もはや、私にとってなくてはならない先生のような存在になっていました。
 しかし、この楽器を使い始めてもう20年、最近、さすがにあちこちにガタが出始めていました。そのことを決定的に知らされたのは、そのムラマツの修理の人に、「もうこの楽器はダメですね。新しいのを買われたらいかがですか」と言われた時。商売っ気丸出しの言い方には、悲しくなってしまいましたが、確かにそろそろ大規模な修理に出さなければいけない時期に来ていたのは、まちがいのないことなのです。
 そうなると、修理の間に使う楽器が必要になってきます。最初に買ったスタンダードモデルはまだ健在ですが、実は、これは女子大生の愛人に貸してしまってあります。そこで、新しい楽器を買うことを真剣に検討、ただ、出来れば同じ仕様で、総銀製というのだけは譲れません。しかし、ムラマツの一番安いグレードのGXは、C管ならすぐ入手できるのに、H管だと「1年から2年」待たなければならないというのです。もちろん、もっと上のグレードだと、それ以上待たされるのは目に見えています。そんなに待っているわけにはいきません。すでにパッドはベタベタ、いつ破れて音が出なくなってしまうか分からないような状態になってしまっています。早急に新しい楽器を手配しないことには・・・・。
aventure number : 0371 date : 2004/6/3


今日の禁断 インライン

 昨日の続きです。実は、「つなぎ」の楽器として考えていたのは、ムラマツのGXだけではありませんでした。最近何かとあちこちで目に付くパウエルの「シグネチャー」も、候補のひとつだったのです。このアメリカのメーカーの楽器は、国産に比べて倍近くの値段がするもの、本来ならそうおいそれと手に入れることなど出来るものではないのですが、「セミハンドメイド」ということでオプションなどを認めない分コストダウンをしたとする戦略的なモデルが、今大人気。「吹いてみました」とか、「買ってしまいました」というような書き込みが、フルート関係の掲示板を賑わしていました。実際、この値段でしたらそんなに無理をしなくても買えそう、なによりも、「H管リング」が標準の仕様になっているのが、魅力です。ただ、やはり相当な人気商品のようですから、現物があるかどうかが問題になります。とりあえず、パウエルの代理店の大阪の楽器屋さんに電話をして、そのあたりを聞いてみることにしましょう。
 その担当者は、いかにも商売上手そうな人。「やはり、皆さんに欲しがっていただいておりますので、ちょっとお待ち頂くことになりますね」と、やはりすぐには手に入らない様子でした。ただ、「最速で、1ヶ月です」。ムラマツとはスパンの感覚が根本的に違います。それで決まり、早速注文してしまいましたよ。その時に、雑談で東京にある代理店の人を個人的に知っているとか、私の所属する団体とかを話しておきました。少しは、気に留めて楽器が早めに届くことでしょう。ところが、その電話を切って5分もしないうちに、先方から電話がかかってきました。「たった今入ってきた荷物を開けてみたら、そのモデルが入っておりました。今すぐでもお送り出来ます」ですって。人のつながりというのは、大切ですね。
 それから代金を送ったりして、その楽器は一昨日の朝には届きました(つまり、昨日の「禁断」を書いた時にはもうスペアの楽器があったというわけ)。私にとって、20年ぶりの新しい楽器、これは緊張しますね。初対面の時どういう風に接したのかなんて、もう忘れてしまっています。おずおずと、まるでさぐり合うように、私の唇とシグネチャーのマウスピースが重なりあい、熱い息が吹き込まれます。最初のうちは遠慮していたシグネーチャン、しかし、心が通い合うのにさしたる時間は必要ありませんでした。まるで私の気持ちが分かるかのように、息を押し入れるたびに自分から気持ちよさそうに声を出し始めたではありませんか。それからのことは、もはやここに書くことは・・・。
 ちょっと、熱くなりすぎましたね。しかし、誇張ではなく、ほんの数分吹いただけで、この楽器は今まで使っていたものとは全く違うタイプのものであることが分かりました。全部の音域で恐ろしく反応が良いのにまずびっくり。特に3オクターブ目のC、C#、Dあたりは、音程が良いことも相まって、今まで出したことのないような輝かしい音が、何もしなくても出てくれます。これはもはやスペアなどではなく、十分にメインで使える楽器、入院中のムラマツ婆さんがいない間は、誰に遠慮することなくいちゃつくことが出来ますよ。
aventure number : 0372 date : 2004/6/4


今日の禁断 ゼティマ

 この時期、「かやの木コンサート」の話題で盛り上がるのが「禁断」のお約束になっていましたが、今年はもろもろの事情でそのコンサートはありません。そもそも、それはお寺の檀家さんの行事の一環だったわけですが、その「会」が何周年かを迎えるということで、全部で5つのお寺が合同でイベントを開催することになったのです。会場は市内でも有数のホテル、そこの宴会場をワンフロア分借り切って、300人以上の参加者を迎えるという、大規模なものになりました。
 私の役目は例によって受付ですが、第1部が法要、第2部が宴会という構成のイベント、お客さんの希望が法要だけで帰るとか宴会に出る人数がさまざまとか、なかなか複雑で現場での混雑が予想されるため、出来る限りの簡素化を試みてみました。前もって希望を聞いて、出席予定の人にはすべて葉書を発送、それには番号を振って、人数分の会費もそれぞれ印刷しておきます。それと同時に名前と金額と、そして葉書と同じ番号を印刷した領収書も用意して、番号順に並べておきます。そうしておけば、受付では葉書を受け取って、その番号に対応した領収書を渡せば、すぐに完了してしまいます。不慣れなお手伝いの人でも、ミスは起こりません。案の定、本番の受付業務は、なんの滞りもなく実にスマートに完了してしまいましたよ。ところが、他のお寺の場合、その場で名前を聞いて領収書を書くなどということをやっていましたから、殆どパニック状態になっていましたね。
 宴会では、アトラクションとして前に「かやの木」にも出演してくれたハワイアンバンドの他に、東京のお寺の「知り合い」という、「歌手」がやってきました。実は、宴会が始まる前に地味なおねーちゃんが受付の前をうろちょろしていて、「チラシを置いてください」とか、明るく話しかけてきました。チラシの写真を指さして、「これ、私なんですよ」とか。プロフィールを見てみると、松下里美というその方は、16才でデビューして東芝EMIという超メジャーに所属、アニメの主題歌とか「みんなのうた」採用曲とか、そこそこのヒットはあったようなのですが、結局鳴かず飛ばずでレコード会社もインディーズに移籍、今では「新曲」を持って全国を回っているという絵に描いたような「その他大勢」の歌手だということが分かりました。昔は、こう言うのは「演歌」のパターンだったのでしょうが、この人のような「ポップス」でもそのようなことをやっているというのが、時代、なのでしょう。
 「本番」では、ブルーのアダルトなドレスで、振りもたっぷりに持ち歌を歌ってくれました。歌い終わると、その衣装のままで客席を回って、「新譜」の即売会です。もちろん、お買いあげの方にはサイン入り色紙と握手のサービスです。かつて「ニューミュージック」と言われていたジャンルのアーティストも、「あゆ」や「宇多田」になれるのはほんの一握り、いつかブレイクできる日を信じてこんな風にドサまわりをやっている人は、いったいどのくらいいるのでしょうね。
aventure number : 0373 date : 2004/6/6


今日の禁断 ダイエット

 「コカ・コーラC2」が世界に先駆けて発売になったとたん、梅雨に入ったと思われる時期になりましたね。2、3日前まで紫外線の心配をしていたというのに、この変わり様は体に良くないに違いありません。「C2」だって、人工甘味料がたっぷり入っていて、これも確実に体に悪そう。カロリーを摂らずにおいしい思いをしようとすれば、どこかに無理が生じるのは明らかです。そういえば、コカ・コーラとは密接な関係にある「マクドナルド」を扱った「スーパー・サイズ・ミー」という映画が、アメリカで大ヒットしているそうですね。この映画を作った監督自身が、1ヶ月間マックだけをお腹いっぱい食べ続けたらどうなったかという、体を張ったドキュメンタリーだそうです。「華氏911」のマイケル・ムーアといい、最近はこの手の映画が元気ですね。
 そして、相変わらず蒸し暑い旭ヶ丘市民センターは、暑すぎて体に悪いのか、あるいは汗をかいて健康になれるのか、それは誰にも分かりません。ただ、確実に言えるのは、そんな、楽器を演奏するのに必ずしも適しているとは思えないようなコンディションでも、私には何の障害にもならないということです。そう、いよいよ今日は「しぐねぇちゃん」のニューフィルデビューの日、これまでこの楽器を吹いてきて、どんな過酷な体調の時でも変わりない音を出してくれることが、殆ど確信されるようになってきたからです。事実、最初のうちはこの暑さの中で、「ねぇちゃん」と私の接触部分は体液でぐちょぐちょになっているにもかかわらず、それが音に及ぼす影響は以前のムラマツの比ではなかったのですから。
 少し演奏しているうちに、汗(これが体液)もおさまり、いつもの調子で吹けるようになると、予想していたとおり、この楽器の音程が非常によいことがはっきり分かるようになってきました。いきなりなんの調整もしないで出した音が、見事に他のパートと溶け合っているのです。これも、ムラマツでは体験したことのなかったこと、特にDの音程の正確さには、目を見張るばかり。高音のEも、面白いように決まります。立ち上がりも良いし、ロングトーンもすごく楽、「簡易Eメカ」の威力は、なかなかのものがあります。
 これで、難しいパッセージもちゃんと指が回って音が抜けることがなく、正確なテンポをキープして他のパートを追い越したり休みを数え間違えたりすることがなければ、何も言うことはないのですが、そればかりはいくら楽器が良くてもどうにもなりません。それこそ暑さのせいにして、勘弁してもらいましょう。
 しかし、新しい楽器というものは、見た目だけでも気持ちがよいものです。遠くからでもはっきり分かる白光りした銀の輝き、喩えてみれば、穢れを知らない若い女性のようなものでしょうか。これから、彼女を思い通りにてなづけることが出来るのですから、こんな楽しみなことはありません。
aventure number : 0374 date : 2004/6/8


今日の禁断 ローズ

 さあ、30万アクセスまで秒読みの段階となりました。明日の朝方というペースなのですが、キリ番直前には駆け込みのリロードが殺到するという前例を踏まえれば、今夜中に達成される可能性も無くはありません。狙っている方は、くれぐれも注意を怠らないようにしていてくださいね。しかし・・・30万ですか。最近は、ブログなどからリンクを張ってくださる方も多く、益々発展の兆しが感じられるJPです(メールをいただければ、相互リンクをします)。
 ところで、最近夜中に車で出かけることが多くなっていますが、そんな時にラジオから聞こえてきたコーラスグループに、一瞬聴き入ってしまいました。大好きなTAKE6によく似た、気持ちよくハモるア・カペラ、バックのアレンジもなかなかセンスがよいものです。しかし、曲が終わってDJをやっていたゴスペラーズのメンバーが、「これは、全部人の声で演奏しています」といった時には、本当にびっくりしてしまいましたよ。その曲、バックで演奏されていたと思っていたリズムやシンセは、すべて人の声で出していたというのです。「ボイス・パーカッション」という、口でリズム楽器のような音を出すテクニックについてはもちろん知っています。しかし、この「ボイパ」、どんなに上手な人がやっても、かつてのリズムマシーンのようないかにも機械的な音しか出せないものです。しかし、このグループのリズムはとことんリアル、特にベースなどは、どう聴いても本物でした。DJのゴスペラーズというのは、演奏はともかく(メジャーになってからの彼らのライブはひどいもの、全くハモっていないのですから)こういうR&B関係の知識は相当なものがあります。そんな彼らが、「初めて聴いたけど、これはすごいね」と言っているのですから、これは殆ど知られていないグループなのでしょう。
 その時メモをしておいた「ナチュラリー・セヴン」という名前を、早速検索してみたところ、つい最近国内盤が出ていることが分かりました。なんでもプロモーションで来日して、「いいとも」にも出演していたことも。しかし、東芝EMIから出ているその国内盤は、しっかり「CCCD」仕様、そこで頼るのは通販です。それが届いたのが今日のこと、早速聴いてみます。ライナーのプロフィールに「テナー、ワウワウ・ギター」などとあるのがすごいですね。正直、そんな楽器の真似のすごさだけに注目していたのですが、アルバム全体を通して聴いてみると、そんなものはほんのちょっとした小技にすぎないことが分かってきました。コーラスはとことん上手ですし、なによりもキャッチーな曲、聴いて心から楽しめる曲が多いことに、驚かされます。ここまで気に入れば、これは格好の「おやぢ」ネタ、クラシックファンにも十分楽しめるアイテムですよ。
 レコード店の通販ではこのニューアルバムしか手に入らなかったのですが、AMAZONを覗いてみたら、なんと、どこにもなかったデビュー・アルバムが「あと2枚」などとあるではありませんか。もちろん、これもすぐ注文です。
aventure number : 0375 date : 2004/6/10


今日の禁断 大川市

 というわけで、30万が出たのは今朝の10時頃でした。特に作為的なリロードはなかったと思われる、まずは穏当なアクセスのアクションだったようです。突拍子もないようなアクセスがあると、何か良からぬことがあるのではないかと勘ぐったりしてしまいますから、このような平穏なカウンターの動きの方がどれほど安心できることか。
 さて、今日は待ちに待った「のだめ」第9巻の発売日、前に本屋に寄った時に新刊案内を見てみたら「9日発売」、二ノ宮先生の日記では「10日発売」とあったので、2日間無駄足を運んだというわけ、3度目の来店で、やっと手に入れることが出来ました。そこまでして早く見たかったのは、この前の単行本ではコンクールのファイナルに進んだところで終わっていましたから、その結果が、ていうか、結果は分かっていたのでその過程が知りたかったから。やはり、のだめはただ者ではありませんでした。なんと、そのファイナルで、課題曲の「ペトルーシュカ」を、自分のイメージで再構築して演奏するというすごいことをやってくれたのですよ。コンクールがその演奏家の音楽性を評価する場であるならば、これは大いに素晴らしいこととしてポイントが高くなっても良いのではないかと、門外漢は考えたりしますが、もちろんそんなことは許されるはずもなく、のだめは落選してしまうのでした。しかし、これは世界的に権威のある「マラドーナ・ピアノ・コンクール」、落選したからといって、今どこぞで開催されているコンクールのように、落選者だけを集めたコンサートに出演させられるというような屈辱的な思いは受けることがなかったのは何よりの救いです。そう、門外漢には到底理解できないことなのですが、そんな予選落ちをした人によるコンサート(もちろん入場フリーですが)や、小中学校での音楽教室が、この街では「市民との交流」という名の下に、当然のことのように行われているのですよ。予選を落ちたら、ガッカリして国に帰ってしまおうと思っているような小心者は、このコンクールは受けられないのでしょうね。
 千秋はというと、新しいメンバーを迎えたオーケストラのコンサートです。嬉しいことに、しばらくこれといった突っ込みどころのなかった二ノ宮先生は、ここで、トランペットとトロンボーンがいない「ティル」とか、そこではファゴットの隣のクラリネットの首席がバスクラを吹いているといった、とびっきりの「おかしな」絵を描いてくれました。やはり、このぐらい抜けていてこその「のだめ」です。そして、この先の展開としては、二人揃ってのパリへの留学となるのでしょう。「講談社漫画賞」も受賞されて、二ノ宮先生のペンには、ますます磨きがかかってきています。のだめの家族も、初めて登場してきましたし。
aventure number : 0376 date : 2004/6/11


今日の禁断 竹下景子

 「ナチュラリー・セヴン」のファースト・アルバムをAMAZONで見付けて注文したあと、カタカナではなく英語で調べてみたら、いつもの通販のCD屋さんにも在庫があることが分かりました。しかし、値段は2000円以上、AMAZONだと1700円、しかも送料がかかりませんから、ずっとお得です。さらに、配達も迅速、木曜日に注文したものが、昨日の土曜日にはもう着いてしまいましたよ。これからはこちらの方がいいかも。
PRIMARILY A CAPPELLA/PAC2800
 ですから、昨日の「おやぢ」でも、タイトルのアルバムだけでなく、この「Non Fiction」という4年前に出たアルバムのことを含めた、立体的なレビューを書くことが出来ました。・・と、今これを書きながら見ている「火の鳥」から、ベートーヴェンの「悲愴」の第2楽章のメロディーが聞こえてきたではありませんか。全くの偶然なのですが、実は、このアルバムの最初と最後に収められているのがこの曲、もちろん、男声ア・カペラのアレンジだったのです。その他にも、「第9」のテーマが断片的に使われている曲があったりして、このグループの指向性がただのR&Bではなかったことが、スタートの時点からはっきりしていたことが分かります。しかも、なんと「明日に架ける橋」などという思い切りベタな曲のカバーまでやってますよ。これが、彼らの手にかかると、思い切りソウルフルなゴスペルに変わるのですから、すごいものです。しかも、「オー・ハッピー・デイ」とのメドレーという凝ったこともやってますし。
 このアルバム、予想していたとおり、ニューアルバムでの売りだった「ヒューマン・オーケストラ」はほんの試み程度のことしかやってはいません。そういう小手先のテクニックよりは、基本的なア・カペラをとことん追求した爽やかさがあります。ほんと、ここで聴くことの出来る彼らのハーモニーは、まさに完全無欠、かつて「テイク・シックス」を聴いてびっくりした以上のクオリティの高さがあります。分かりやすくいうと、「シャンティクリア」と同程度のレベル、場合によっては、リズム感に勝る分こちらの方が優れているかもしれません。したがって、「ジングフォニカー」などははるかに水をあけられた蚊帳の外、「キングス・シンガーズ」さえもはや太刀打ちは出来ません。ベースにこれだけのレベルのものがあったからこそ、「ヴォーカル・サンプリング」(そういう名前のキューバのグループがあるのですよ)のような楽器のマネも楽々とこなし、なおかつコーラスの質はいささかも落とさないという離れ業が可能になったのでしょう。なんでも、「What Is It?」は、CD屋さんのクラシックフロアでも扱いはじめたとか。もしかしたら、この「Non Fiction」の方が、クラシックファンにはアピールするかもしれませんよ。
aventure number : 0377 date : 2004/6/13


今日の禁断 菊川教授

 とても梅雨とは思えないすがすがしい日が続いています。こんな時は仕事もはかどるもの、昨日などは午前中に通販で届いたCDを聴いて、午後にはそのレビューを「おやぢの部屋」にアップする、という早業をやってしまうぐらいの時間が取れてしまいましたよ。もっとも、たとえ仕事が立て込んでいても、このアイテムだったらそのぐらいのことはしていたでしょうが。なんと言っても「リゲティ全集」の最終巻、このレビューだけは、どこよりも早くネットに載せたいという意地みたいなものもありましたし。
 そんなわけで、昨日のパート練習に関しては、リゲティほどのインパクトのある出来事もなかったし(そんなことがいつもあったら大変ですが)、家へ帰ったらサッカーのお陰で時間が繰り下がっていた「CSI」を見ているうちに眠くなってしまったので、「禁断」は書きませんでした。「おやぢ」か「禁断」どちらか1本、というのが、私の正しい日課になりつつあります。
 ところで、「CSI」の前にやっている「ドーソンズ・クリーク」は、最初のシーズンからずっと見ているお気に入り、出演しているケイティ・ホームズのことは何度かここに書いたので、それはお察しのことでしょう。結局「ビバ・ヒル」化してしまって、ただ単に男女の組み合わせを変えるだけの展開になってしまっているのは辛いものがありますが、小気味よいセリフの勢いは相変わらずで、なかなかやめられません。このドラマに、最近ペイシーのレストランの新しいオーナー役として新しい人が出てきているのですが、この女性、どこかで見たことのある顔だと、ずっと考えていました。特に、目の横にあるホクロが印象的、一時期、かなり集中してこんな顔を見ていたはずだ、と、思っていたら、突然思い出しました。この人は、あの「ツイン・ピークス」に出ていたちょっとアブナい女の子、ホテルの社長の娘かなんかの役でしたね。タイトルで名前を確認してみたら、そう、シェリリン・フェン、すっかり思い出しましたよ。あの頃は、ほんと、ただの女の子という感じだったのが、すっかり大人になって、今ではペイシーを誘惑する、まさにゴージャスなオンナですから、すごいものです。
 こんな風に、昔から知っていた人が、成長してガラリとイメージを変えるのを見るのは、なかなか面白いものです。かと言って、ナタリー・ポートマンみたいに、ただの女優になってしまうのを見るのもちょっとイヤだし、ダコタ・ファニングちゃんにはいつまでも小さいままでいて欲しいと思っているのですが。そういえば、「白い巨塔」の最初の映画(1966)を見たのですが、船越英二ってものすごくカッコ良かったんですね。
aventure number : 0378 date : 2004/6/16


今日の禁断 ハレルヤ

 仙台国際音楽コンクール、今日がファイナルの最終日でしたっけ。なんでも、当日券がほんの少ししかないということで、その争奪戦が熾烈なことになっているとか、大変ですね。そもそも、客席が800しかない会場で「国際」コンクールをやること自体が間違っていると考えた人は、誰もいなかったのでしょうかねぇ。
 劇団四季の「ソング&ダンス」も、仙台で2日に渡って公演が行われるというのに、チケットが取れなかった人たちが当日券売り場に押し寄せていましたっけ。あの「キャッツ」以来、確実に四季ファンは定着したようですね。もちろん私たちも、会員向けのチケットが発売になったと同時にゲットしたのはいうまでもありません。
 これはきちんとしたミュージカル作品ではなく、それこそ「歌と踊り」という、いってみればレビューのようなものです。気楽に四季がもつ歌と踊りのレベルの高さを味わおうという企画、それが、今全国を回っているのです。キャストを見ると、「キャッツ」ですっかりお馴染みになった名前が、そちこちに見られます。マンゴジェリーの武藤クンとか、タントミールの高倉さんとか。しかし、中には、最低のタガーだった荒川さんと、最低のガスだった渋谷さんの名前なども。これはちょっとイヤかも。
 席に着いてみると、隣りに座った老夫婦がいなり寿司を食べていましたよ。これからミュージカルみたいなものを見ようというのに、この匂いはあまりにもガッカリさせられるものです。さっきから「客席内でのご飲食はご遠慮下さい」と言っているのが聞こえていないのでしょうか。もちろん「遠慮」しているそぶりなどは全く見られませんでしたし。これがせめてサンドイッチであれば(って、そういう問題では・・・)。飲み物がCCレモンというのも最悪。せめて「伊右衛門茶」であれば(だから、そんな問題では・・・)。
 ステージにはピアノが1台置いてあるだけ、まだ客電が落ちていないのに、武藤クンが現れて、「テイク・ファイブ」あたりをサラサラと弾き始めました。さすが東京音大。これはほんのイントロ、なかなか洒落た演出です。しかし、歌が始まると、PAのひどさ(「キャッツ」ではあれほど素晴らしかったのに)も手伝って、先ほどの危惧が現実のものになってしまいました。一応「歌」担当が男女3人ずついるのですが、まともなのは仙台では歌わなかったけど他のところでグリザベラをやっていた早水さんただ一人、秋本さんなどは完璧な音痴です。
 しかし、踊りはそんな歌を補ってあまりある素晴らしさ。どうやって着替えているんだろうと思ってしまうほどの「早変わり」で、圧倒的な力を見せつけてくれました。なんと、加藤敬二さんという、「キャッツ」で振り付けをやった人が、自分も踊りながら参加しているのですから。ですから、ここでの加藤さんの振りを見ていると、「キャッツ」での色々な場面が思い出されてしまいます。オリジナルの振りと、加藤さんの振りの違いが、はっきり分かりましたよ。結局、「歌」ではなく、「踊り」を堪能した一夜でした。
aventure number : 0379 date : 2004/6/18


今日の禁断 S・ワンダー

 この前「禁断」のネタにして、「おやぢ」まで出来てしまった「ナチュラリー・セヴン」ですが、彼らのことを知ったのは土曜日の夜10時からの東京FMの番組。それから2週間たった昨日、やはり偶然この番組を聴いていたところ、このグループのことがまた話題になっていました。私同様ショックを受けた人は多かったようで、結構反響があったようですね。「テイク・シックスを超えた」と言っていたのは、ゴスペラーズのメンバーだったのか、そういう風に言っていたリスナーがいたのかは、ちょっと聞き逃しましたが、確かにそんな評価が広まっているのは確かなことのようです。まだ聴いたことのない方は、ぜひこの機会にあの超絶技巧を体験してみてください。「あれは、本当に口だけでやっているようですね」と言って、「ぜひ、生でチェックしてみてください」と言っていたのは、この秋に来日してコンサートをやることが決定したからだそうです。まさか仙台にまでは来ないでしょうが、出来ることなら実際に聴いてみたいものです。まあそれは、その頃やはり来日する小澤/ウィーン・フィルや、ラトル/ベルリン・フィルを聴くのと同じぐらい難しいことかもしれませんが。
 映画だったら、運が良ければ何回でも見ることが出来ます。ちょっと前に民放衛星でやっていた「ハイ・フィデリティ」という作品が、早くもNHKで放送されてしまいましたよ。2000年に公開されたものですから、NHKもなかなか隅に置けません。一番見たかったのは、ジャック・ブラック、最初に見た時は、レコード店のオタクな店員が、最後にバンドを率いてヴォーカルを披露してくれたので、この俳優が実はミュージシャンだったことを知ったのですが、その後で見たのが「スクール・オブ・ロック」、ですから、ぜひとももう1度そのオタクぶりをチェックしてみたかったのですよ。念願かなって、この、格別にぶっ飛んだ、レコード好きにはたまらない映画を、じっくり堪能することが出来ました。もちろん、これは主演のジョン・キューザックの切ない恋愛遍歴を描いたラブ・ストーリーなのですが、彼が経営しているのが中古レコード店ということで、そこにまつわる、極めて丁寧に盛り込まれたディーテイルを思う存分楽しむことになるのです。そもそも、オープニングから、LPに針を落とした時の「ザリッ」という音で始まるのですから、たまりません。
 ブラックのオタクぶりはとことん徹底しています。そのお店は、いかにもマニアのたまり場という雰囲気なのですが、そこへ場違いなしっかりした身なりの紳士が現れて、「娘に買ってやりたいのだが、"I Just Called to Say I Love You"という曲、あるかな」(字幕では、きちんと「心の愛」と訳していたので、合格)と尋ねると、ブラックは憮然として「そんなもんはショッピング・モールに行って買ってくれ」と相手にしないのです。いいですねぇ。まさに良くある頑固な寿司屋のオヤジのノリですね。そんな思い切りコアなブラックが、最後にバンドで歌うというので、どんなヘビーな曲で迫るのかと思っていると、歌い始めたのはなんともベタなラブ・バラード。そんなあたりも気がきいてましたね。
aventure number : 0380 date : 2004/6/20

04/6/22-04/8/1