3021(18/10/2)-3040(18/12/13)

今日の禁断 イーグルス


 楽天があんなざまだったので、今年の「日本シリーズ」は全く興味はなかったのですが、この分ではソフトバンクが日本一になるのでしょうか。それは、明日以降にならなければ分かりません。
 でも、かなりの接戦が続いていたようで、連日テレビのニュースやワイドショーでは、この話題で持ちきりです。そこで、ちょっと気になったのが、そういう番組の中では例外なく「日本シリーズ」を「にっぽんしりーず」と発音しているんですね。私は、これまではずっと「にほんしりーず」という発音しか聴いたことがなかったような気がしますし、自分でしゃべる時にも絶対「にっぽん」とは言ってなかったはずなので、これには強い違和感がありました。
 それで、ちょっと調べてみたら、どうやら数年前に「『にっぽんしりーず』と呼ぼう」ということになったのだそうです。それに、アホなマスコミ各社は追随した、と。
 そういうことなら、そのように言わなければいけないのかもしれませんが、私の感覚では大多数の人は「にほんしりーず」派のような気がするんですけどね。現に、今日ラジオで聴いた「本間ちゃん」は、しっかり「にほんしりーず」と言ってましたからね。
 私の独断的な感覚では、「にほん」という言葉にはなにかしっとりとした美しさがありますが、「にっぽん」になるとなにか粗野で下品な感じがしてしまいます。そう感じるのはこの「っ」という「促音」が持つ、ある種の「無駄な力」のせいなのではないでしょうかね。「にほん」はすんなり流れていくのに、「にっぽん」だとそこでちょっと堰き止められる、というか。私は、極力無駄な力は使いたくないと思っているので、やはり「にほん」の方が好きですね。
 おそらく、オリンピックなんかになると、これは間違いなく「にっぽん」が連呼されることでしょうね。やはりスポーツは「戦い」ですから、そういうところでは軟弱な「にほん」ではダメなんでしょう。まあ、力を込めて勇ましく「にっぽん」と叫び続けていれば、きっと「勝利」はやってくると信じている人は幸せです。せいぜい頑張ってください。
 そう言えば、オーケストラの名前でも、「日本(にほん)フィルハーモニー交響楽団」や「新日本(しんにほん)フィルハーモニー交響楽団」というのがある一方で「読売日本(よみうりにっぽん)交響楽団」というのもありますね。「よみうりにっぽん」は、パンフレットに「拍手は指揮者がタクトを降ろしてから」と書いている恥ずかしいオーケストラですが、「にほん」フィルの方はどうなんでしょう。
 その「読売日本交響楽団」の親会社の「日本テレビ」は、「にっぽんてれび」だということを初めて知りました。ずっと「にほんてれび」だとばかり思っていましたからね。というのも、同じ系列のラジオ局は「にっぽんほうそう」なのに、なぜテレビが「にほん」なのかと不思議に思っていたんですよ。これで長年の疑問が氷解しました。普通は「にってれ」と言ってますから、分かりませんよね。
 まあ、普通はそのように、それぞれの「趣味」で棲み分けが出来ているわけですが、この「日本シリーズ」のような「にっぽん」の押しつけがこれから進んでいくのだとしたら、これはちょっと私の美意識からは離れていくようで、強烈な嫌悪感を抱かずにはいられません。
 さいわい、私たちが使っている言葉は今のところ「にほんご」で大丈夫みたいですね。これが「にっぽんご」なんて汚い呼び方をされるようになったら、もうこの国は愛せません。
 「汚い」といえば、さっきの本間ちゃんの番組のCMで、「お仏壇のほこだて・・・」とか言ってましたが、別に「仏壇」にまで「お」を付けなくてもいいような気がしますけどね。これだと「汚物檀」だと思ってしまいますから。
Aventure Number : 3021 date : 2018/11/2


今日の禁断 ストコフスキー


 来週のニューフィルの練習は、前半は「第9」、そして後半は次の定期演奏会のレパートリーの前半2曲の「初見大会」となります。そのうちの「魔法使いの弟子」では、私は「幻想」とともに1番を吹くことになっているので、一生懸命にさらっているところです。昨日も今日も、パフォーマンス広場がオープンと同時にいつもの穴倉に入って、たっぷり練習してきましたよ。この時間だと、あのやかましいブレイク・ダンスのやつらがまだ来ていないので、伸び伸び吹くことが出来ました。お昼近くになると、そろそろやってきたので、こちらは退散です。あいつらは、私が行くときには必ずいましたから、休日は毎日来ているのでしょうかね。別にダンスは構いませんが、あんな暑苦しい大音響は犯罪的です。あれに比べれば、ピッコロの音なんてかわいいもんですよ。
 しかし、このデュカスが書いたフルートのパートも、ある意味犯罪的と言ってもいいほどの大変さです。私は今まで数多くのオーケストラのパートを吹いてきましたが、これほど面倒くさいのは初めてです。これに比べると、マーラーだってもう少しマシだと思えてしまいますからね。
 せっかくそんな曲を練習しているのですから、これに関したトークも今度の「かいほうげん」に載せてみようと思っています。その一部はすでにこちらにアップしてますが、それだけではちょっと内容が薄いので、もう一品考えているところです。それで、スコアを見ながらこの曲を聴いていると、あれほど面倒くさいフルートのパートは、ほとんど聴こえてこないんですよね。悪戦苦闘して吹いているのに、結局お客さんに聴こえないなんて最悪ですよ。
 ですから、フルートにとっておいしいのは、最初の部分でしょうね。もっとも、ここは確かに聴こえはするでしょうが、かなり難易度が高いので、うまく行かなかった時の悲惨さも相当なものがありそうですから、やはりいやですね。
 今調べているのは、この曲が出来る時に作曲家が参考にしたゲーテのバラードです。これはオリジナルのドイツ語のテキストも、それを日本語に訳したものもネットにありますから、簡単にその内容は知ることが出来ます。
 そうすると、前のトークに登場したディズニーのバージョンは、必ずしもこのゲーテのプロットに忠実に作られているわけではないことも分かりました。まず、オリジナルでは「魔法使い」はオープニングではすでにどこかへ出かけてしまっているのですが、ディズニーには最初から登場して、
こんなあくびをしていますから、たぶん昼寝でもしに行くのでしょう。この時に流れているのが、こんなフルートのソロです。
 いかにも、眠気を誘うようなメロディには聴こえます。
 しかし、ゲーテのオリジナルにはそんなシーンはありません。このあたりで音楽が付けられる元になった描写と言うと、たぶん「水の精霊」のような気がするのですけど。つまり、ここで「弟子」が魔法をかけるのは、「ほうき」だけではなく、その前に「水の精霊」を呼び出して、水を湧き出させているのですね。それを、「ほうき」が汲みに行く、という段取りなのですよ。
 まあ、音楽による物事の描写なんて、そんなものですよ。いくら作曲家がそのつもりで作っても、それが伝わらないことの方が多いのではないでしょうかね。ディズニーの「あくび」は、とてもこの音楽にはマッチしていますからね。
 もう一つの相違点は、オリジナルでは「ほうき」はまさかりで「2つ」に砕かれるだけなんですね。決してディズニーのように粉々にされて、それぞれがまた全部再生されるという大げさなものではないのですよ。
 でも、ここはやはりこのぐらいの「ほうき」が出てこないことには、インパクトは半減しますよね。
Aventure Number : 3022 date : 2018/11/4


今日の禁断 ミッキー


 このところの私のFacebookのカバーは、演奏会の前でチラシが出来上がっている時は、そのチラシをあしらった写真を使っています。そして、まだチラシがない時には、前回はその時に練習している曲のスコアの画像を使っていました。今がそんな時期なので、何にしようか考えたら、例の「魔法使いの弟子」の画像が使えそうな気がしてきました。あんだけ有名な映像ですから、ネットを探せば何か適当なのが見つかるはずです。
 そうしたら、こんなおあつらえ向きのが見つかりましたよ。
 真ん中にあの「弟子」が入っていますし、まわりのフィルムの画像の中にも、彼が登場するシーンがありますからね。下に余計な字がありますが、これは横長のカバーですから使う時には消えてしまいますし。
 と、最初のうちは満足していたのですが、この「フィルム」の画像を見ていると、何か違和感があります。確かに、写真のフィルムだとこんな風にスプロケットが入る「穴」(正式には「パーフォレーション」と言います)が画像の上下についていますが、映画用のフィルムはそれを縦にして使っているので、パーフォレーションは画像の左右にあるはずなんですよね。いや、もしかしたら「アイマックスではフィルムを横に使うのだから、これは『ファンタジア』をアイマックス用にプリントしたものだ」と、マニアックなことを言いだす人がいるかもしれませんね。しかし、百歩譲ってこれがアイマックス用のフィルムだとしても、そうなるとパーフォレーションの「向き」が違います。
 こんな風に、アイマックスであれ、スタンダードであれ、パーフォレーションは画像の左右に「横長」で開いているのですよ。ですから、このフライヤーを作った人は、「映画」を使ったコンサートのはずなのに、「映画フィルム」のことは全く知らないかったのでしょうね。もっとも、今ではフィルムを使う映画、いや、その同じフィルムを使っているカメラでさえ、絶滅してしまいましたからそもそもフィルムの現物を見る機会なんてありませんね。
 でも、私はこれは自分のページに載せるのは許せないので、そのパーフォレーションの位置を変えてしまいました。
 ちょっと、フレームの境界がバカ太いのが気になりますが、まあとりあえずこれで納得です。
 さらに、これを見ているうちに、前回書いた「かいほうげん」のネタにこれが使えるのではないかと思い始めました。あのアニメの画像をキャプチャーして、それであらすじを紹介するつもりだったので、その画像をいっそこのフィルムの中に入れたら、ちょっとカッコいいのではないか、と。それで、作ってみました。
 ねっ、いかにもそれっぽいでしょ?これは前篇、実際は後編もあります。
 せっかく作ったので、これもカバーに使いましょう。
 これが、現在のカバーです。下の文字はやはり邪魔なので、すべて消しました。下にはストコフスキーもいたんですね。カバーにすると消えちゃいますが。
 もし、お使いになりたいときはこちらからダウンロード出来ますよ。
Aventure Number : 3023 date : 2018/11/7


今日の禁断 ジェイコー


 1か月前にこんなことを書いていました。長年、腎機能の検査値、つまりクレアチニン値が高く、それから推算できるeGFR(推算糸球体濾過量)が低いという異常状態が続いていたので、2年前に腎臓病の権威であるさる大病院を受診したところ、腎臓自体には異常が見つからないのに、検査値だけが高いのは理由が分からないと診断されました。ですから、その結果を受けて、かかりつけの病院では特に大きな数値の変化がなければ、そのまま減塩食などを続けるようにとの指導を受けていたのですね。
 それが、ずっと横ばいだったその数値が、急にかなり悪くなったので、もう1度その大病院で診察を受けることを勧められました。その結果も2年前と同じことで「理由が分からない」ということだったのですが、そこで提案されたのが、今まで続けてきた塩分制限を一旦解除して、「塩分を気にせず食事をする」ことを1ヶ月続けるという「実験」だったのです。その時には、塩分を増やすと血圧も上がるので、今まで飲んでいた薬に加えてもう1種類の薬を追加されました。
 まあ、考えてみればずいぶん大胆な話で、世間の常識に真っ向から刃向うわけですが、これはとても興味があったので、それをしっかり実践させていただきましたよ。今まで残していた味噌汁は全て飲み干しますし、わざわざ「塩抜き」と注文していたフライドポテトも普通に塩がかかったものに変えます。さらに、大好きだったのにもう何年も食べることを「封印」していたスナック類、えびせんとか柿ピーなども、もしかしたらこんなものが食べられるのもこの1ヶ月限りになってしまうかもしれないと、心置きなく食べまくりました。
 その間に、自宅で血圧のチェックです。血圧計は薬を飲み始めた時に買ってあったのですが、その機械で測ると病院で測ったのよりかなり高めの数値が出るようでした。ですから、それを見てがっかりするのが嫌なので最近はもう使うことはありませんでした。でも、今回はどうなのか一応測ってみると、この機械ではありえないような低い数値が出るようになっていましたよ。それからは毎日測っていますが、一度として高い数値が出ることはありません。新しい薬のせいなのでしょうが、確実に血圧は下がっているようですね。
 そして1ヶ月経って臨んだのが、きのうの検査です。予約は午後3時だったのですが、1時半には病院に着いて、まずは採血と採尿を行い、その検査結果が出るのを待ちます。
 そこで、自分で血圧を測るようになっているので測ってみたら、
 こんな、自宅では決して出ることのなかった値でしたよ。やはり、自宅の血圧計は高めに表示されていたようですね。
 そして、予定より30分ほど遅れて、先生に呼ばれました。そこでまず血液検査のデータを見せてもらうと、腎機能の数値が明らかに改善されています。誤差の範囲をはるかに超えて、間違いなく良好な数値に変わっていたのです。
 先生もこの結果には納得のよう。説明によると、腎臓の血管に塩分が含まれるようになると、そこに水分が集まってきて血液の流れがよくなり、腎臓の機能も向上するのだそうです。ただ、これはそうなる人もいるというだけで、すべての人に当てはまるわけではありませんから、もちろん塩分は控えるというのは一般的な治療法ではあるんですね。まあ、私の場合はお酒は全く飲みませんし、もちろんタバコも喫いませんから、そんな体質になっていたのかもしれませんね。来週もう1回検査をして確認するようですが、これでおそらく食生活はこんな塩分制限なしのものに変わることでしょう。
 となると、今までのずっと塩分控えめという辛い生活は、いったいなんだったんでしょうね。でも逆に、そんな辛さから解放されたという喜びの方が、何倍も勝っています。辛かった時期が長かっただけに、それはひとしおです。
 ほかのことでも、こんな風に喜べるようになればいいのですが。
Aventure Number : 3024 date : 2018/11/9


今日の禁断 バラード


 「かいほうげん」向けに、ゲーテの「魔法使いの弟子」のオリジナルのテキストを和訳して載せようと思い、ネットを探したら、さる高名なドイツ文学者の翻訳が見つかりました。まあ、そんな権威のあるものですから、これをそのまま使わせてもらおうと思ったのですが、どうも文体は古臭いしところどころ誤訳、とは言いませんが、ちょっと不正確なところも見つかったので、この際だから自分で翻訳してみようと思いました。それだったら著作権などを気にすることは全くありませんからね。
 それで出来上がったのがこれです。
 これは定型詩ですから、きっちり8行と6行で出来た連が全部で7個あります。当然脚韻が踏まれていますが、そこまで考慮すると安っぽい日本語のラップみたいになってしまうので、逐語訳にとどめました。それでも、多分に意訳の部分もありますので、深くは追及しないでください。
お年を召した魔法使いのお師匠様は
今日はどこかへお出かけ!
だから今は先生の霊たちは
おれの命令に従わないといけないのさ
お師匠様の呪文やしぐさ
そしてその使い方はチェック済み
おれの精神力で
お前たちをびっくりさせてやる
溢れろ溢れろ
大きく波打て
目印のところまで
水よ溢れろ
たっぷりの湧水で
泉になるまで注ぎ込め
さあ今度はお前だ 古びた箒よ!
その汚いルンペンのようなぼろ布を着ろ!
おまえには下男あたりがちょうどいい
さあおれの命令を果たせ
2本の足で立ち上がれ
頭を高く持ち上げろ!
急いであそこまで行ってこい
水瓶を持っていくのだぞ!
溢れろ溢れろ
大きく波打て
目印のところまで
水よ溢れろ
たっぷりの湧水で
泉になるまで注ぎ込め
見ろ やつは走って水岸に近づいていく
本当だ! もう水際に着いてしまったぞ
まさに電光石火だ
すぐにこちらに来て水をあける
もう2回目だぞ!
なんと たらいはもう満杯!
あらゆる器がいっぱいだ
水であふれかえっているぞ!
ストップ!ストップ!
おれたちは見届けたぞ
おまえの仕事ぶりを
よくやった!
あっ そうだった! なんてこった!
あの呪文を思い出せない!
ああ 魔法を終わらせる呪文
それは箒を元の姿にもどすもの
ああ やつはめまぐるしく走り回っている!
もうおまえは元の箒にはもどらないのか!
どんどん新たな水を
こっちに素早く運んでくる
ああ あちこちから水が襲ってきて
溺れてしまう
いや これ以上
放ってはおけないぞ
お前を捕まえなければ
いたずらにもほどがある
ああ!でも心配だ
なんて顔つきなんだ!なんて目つきなんだ!
おまえは悪魔だ!
この家全部を水に沈めるつもりなのか?
あらゆる入口から
水がすごい勢いで入ってくる
この邪悪な箒め
これが聴こえないのか!
おまえは元の棒にもどり
また静かに立っていろ
終わりにしたいのだが
そうはさせてくれないのか?
捕まえてやる
おとなしくさせてやる
そしてその古い木材の体を
鋭い斧で二つに裂いてやる
ほら また大急ぎでこっちにやって来た
おれはやつの上に飛び乗るだけさ
このいたずら小僧 すぐに倒れたな
この鋭い刃物をくらえ
やった うまく切れたぞ!
ほら 真っ二つだ!
これでやっと安心できる
一息ついたな
ああ! なんてこった!
二つに割れた箒が
すぐさま立ち上がって
下男になってしまった
それも 前よりでっかいやつに!
助けてくれ ああ!全能の神よ!
二人は走り回る! どんどん水を持ってくる
広間も階段も水浸しだ
なんて恐ろしい水攻めなんだ!
お師匠様! おれの叫びを聴いてください!
あ お師匠様がやって来た!
お師匠様 とんでもない災害です!
霊を呼び出したところ
もはや手に負えなくなってしまいました
(魔法使いの呪文)
「控えおれ
 箒よ!箒よ!
 元の姿に戻れ
 霊として動き回るのは
 目的があって この年老いた魔法使いに
 呼び出された時だけじゃ」
 こんな挿絵も見つかりました。確かに箒は「二人」なんですね。
Aventure Number : 3025 date : 2018/11/11


今日の禁断 ブルーシート
 

 職場の墓地の北のはずれに、大きな桐の木が立っていました。それが、もうすっかり枯れてしまっていたのですね。
 葉っぱも生えていて、一見大丈夫そうですが、もう幹はすっかり枯れていて、このままでは倒れてくる危険性もあるということで、伐採してもらうことになりました。これは7月初めの写真です。
 実際に伐採工事が始まったのは、先週のこと。総勢6人のチームがやって来ました。
 通路の前には、安全のために旗が立ってました。
 まわりのお墓を傷つけないように、シートで覆ってあります。
 一人が、ロープだけで木に登っていきます。
 さらに上に上ります。
 そして、もっと枝の先まで登り、
 そこに滑車を取り付け、ロープを入れます。
 そこから下に降りて、枝にロープをしばりつけます。
 枝の根元をチェーンソーで切ります。
 それを下から引っ張って、折ります。
 あとは、縛ってあるロープを緩めて、
 切った枝をゆっくり地上に下ろします。
 こんな作業を何回も繰り返して、枝から幹まで全て短く切って下におろします。
 次の日現場に行ったら、すべての作業が終わっていました。
 残っているのは切り株だけです。
 見事な職人技ですね。
Aventure Number : 3026 date : 2018/11/14


今日の禁断 モノリス


 不思議な「事件」がありました。私がいつもニューフィルで作っている「かいほうげん」は、もちろん無料で団員に配られているものですが、私はそれによって「手間賃」としてなにがしかの金銭を団から頂いています。まあ、この仕事自体は全くのボランティアですから「報酬」として頂くわけではなく、「諸費用」として、コピー代などを請求しているだけなんですけどね。それは、毎回発行日に領収書を会計さんに提出して、頂いています。
 そうしたら、そろそろ年末だということで団の会計を締め始めていた会計さんが、「前々回の領収書がありません」と言ってきました。私は、印刷が終われば自動的に領収書を書いて届けているので、そんなことはあり得ないのですが、なぜか会計さんの手元にはないのだそうです。だいたい、その請求をするときには、「かいほうげん」だけではなく、その前後にかかった、たとえば練習会場の使用料なども請求しているので、何枚かの領収書をまとめて出しているのですが、私のところにはそれも全然残っていませんからね。
 でも、きっちりとした会計報告を身上としている会計さんとしては、やはり領収書は必要なので、新たにそれを発行してくれと言ってます。もちろん、その時にお金もいただけるので、なんだか得をした気分ですが、まあそれでみんなが納得するのであれば、別にかまわないでしょうが、謎です。「奇跡」です。
 ですから、その領収書は、来週新しいのを発行する時の領収書と一緒に出すことになりますね。そう、少し早いペースになっていますが、実は今日、あたらしい「かいほうげん」がめでたく完成して、あとは印刷と製本だけ、ということになったのです。今回は思いのほかネタが集まって、特に発行を遅らす理由もなかったので、ほぼ1ヶ月の間隔で発行となりました。本当は今週出すことも出来たのですが、1枚だけ必要な写真が撮れてなかったので、それをきのう撮って晴れて素材が全部そろったのですね。
 そして、来週には来年秋の演奏会の曲目を決める会議が開かれるので、そのための資料も作らなければいけません。これも、各パートからの希望曲の締め切りが昨日だったのに、まだ届いていないパートがかなりありますね。もう明日中には完成させるつもりなので、それまでに届かなければ資料に載せませんからね。
 などと、忙しい毎日を続けていて、なかなか、たとえば東京までコンサートを聴きに行くなどということはできないようになっていますが、もう、これは無理にでも予定を入れないことには一生こんな状態が続きそうだなあ、と思っていたら、絶対に聴きに行きたいコンサートがあることを知って、ウキウキしているところです。
 それは、来年ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団の定期演奏会でリゲティの「レクイエム」が演奏される、という情報です。この曲はあの「2001年」のサントラとして有名になった曲で、私はほぼすべての音源を持っていますが、まだ生で聴いたことはありません。調べてみたら今までに2回ほど日本でも演奏されたことがあったのだそうですね。しかし、今回のノットは、すでに録音も出していますし、リゲティに関してはまさにオーソリティですから、リゲティ・ファンとしてはこの機会を逃すわけにはいきませんよね。
 ただ、実現にはまだいくつかのネックがあります。コンサートの日は7月の20日(サントリーホール)と21日(ミューザ川崎)の、土日の2日間なんですが、このあたりはニューフィルの指揮者練習が入る可能性が非常に高いのですね。まだ先方と交渉中だそうで、具体的な日にちは全く分からないのですが、ここでバッティングしていたら練習を休んで行くわけにはいきませんからね。まあ、堂々と代吹きを立てて休む人もいますが、やはり指揮者練習だけはどんなことがあっても休まないというのは、管楽器奏者としての矜持だと思っていますからね。私は。
 もう一つはチケット。去年行ったメシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」のようなマニアックな曲でさえ、発売当日に完売してしまいましたから、これもどうなることか。ただ、もし取れなくても、当日券を当てにして行ってくるかもしれませんね。
 いちおう、会場も違うので両方とも聴いてきたいと思っていますから、当然東京でのお泊りとなるでしょうね。そんな非日常、考えるだけでそわそわしてしまいます。
Aventure Number : 3027 date : 2018/11/16


今日の禁断 オッポ


 前回の「禁断」では「リゲティのレクイエムはほぼすべての音源を持っている」と豪語していましたね。この作品は、初演は1965年3月14日にストックホルムで、ミヒャエル・ギーレン指揮のスウェーデン放送管弦楽団と合唱団によって行われました。あいにく、この音源は今のところ公にはなっていないようですので入手は出来ません。そして、最初にレコードとしてリリースされたのが、同じギーレンの指揮で、フランクフルト放送交響楽団と、バイエルン放送合唱団によって1968年11月に録音されたWERGO盤でした。
 しかし、それ以前の1967年12月15日に、フランシス・トラヴィス指揮のバイエルン放送交響楽団と合唱団によってこの曲が演奏され、それがラジオでドイツ全土に放送されたそうなのです。この音源を、スタンリー・キューブリックが「2001年」のサントラに使用したのですね。このあたりの経緯はこちらと、そのあたりのリンクで詳しく述べられています。
 ただ、この音源はサントラ盤などには収録されていますが、単独でリリースされたことはありません。でも、私はそのCD-Rを持ってます。
 これはかなりの「お宝」なのではないでしょうかね(「1968年」と書いてあるのは、間違いでしょう)。指揮者のトラヴィスのウェブサイトというのがあって、そこにメールアドレスも明記されていたので、ダメモトでそこにメールを出してみたら(もちろん、英語で)しばらくしたらこのCD-Rと彼の直筆のメッセージが届いてしまったのですよ。そこには、確かに「キューブリックがこの音源を映画の中で使った」と書いてありましたね。
 それ以降のものがリリースされるようになるのは、21世紀に入ってから。2002年録音のジョナサン・ノット指揮のベルリン・フィルによるTELDEC盤、2006年録音のフリーダー・ベルニウスの指揮によるCARUS盤、2008年録音のペーテル・エトヴェシュ指揮のケルン放送交響楽団のBMC盤と続きます。私が持っているのはのこの3種類だけですが、もしかしたら、他にもあるのかもしれません。
 この中のエトヴェシュ盤は、なんと2枚組になっていて、普通のCDの他に、今は亡きDVDオーディオが入っているのですよ。それを入手した時には、そんなフォーマットのソフトを再生できる環境になかったのでそのDVDオーディオは聴けなかったのですが、今回改めてそのパッケージを取りだしてみた時には、そんなソフトでも再生できる最強のプレーヤーを入手していましたので、さっそく再生してみましたよ。
 もちろん、これは私にとっては「DVDオーディオ初体験」となるものでした。ですが、やはり「初めて」の時はいろいろ不都合が起きるもので、これもカウンターは動いているのにモニターには何の画像も出ないし、音も全然出てきませんでした。やはり、さすがのマルチプレーヤーも、こんな落ちぶれたフォーマットには対応できないのかな、とあきらめかけましたが、リモコンのメニューあたりをいじってみたらやっとメニュー画面が現れました。そこには、音声フォーマットもきちんと「5.1サラウンド」が選べるようになっていたので、それを指定して再生を始めると、もうまぎれもないサラウンドで迫ってきましたよ。おそらく、最初からサラウンドでの録音を想定しての配置で演奏していたのでしょうね。合唱などはしっかりサイドから前面までを覆うかたちで半円状に定位しています。それで、あのリゲティのポリフォニーがそれぞれのパートから発せられるのをそのまま聴き取ることが出来るのですから、それはものすごいインパクトです。もうすっかり圧倒されてしまいました。
 これは、もしかしたら生の演奏より生々しい音が聴けるものかもしれませんね。よくぞこんなものを作っておいてくれたものです。
 でも、やっぱり「生」は聴いてみたいものです。
Aventure Number : 3028 date : 2018/11/18


今日の禁断 ゴーン


 この間西口を走っていたら、こんな事故車を見かけました。
 ちょうど事故処理が始まったばかりのようで、本当はここを右折したかったのですが、警官さんに止められたので、まっすぐにしか行けませんでした。
 しかし、この車はかなりひどいことになっているように見えますね。バンパーやフロントグリルなんか「裂けて」いますからね。でも、それにしてはボンネットは曲がっただけなのは、ちょっとアンバランスな感じがしませんか?これは、ボンネットとバンパーは素材が違うからです。私も割と最近気が付いたのですが、そもそも、昔の車にはゴムでできた「バンパー」が別についていたものですが、最近はそれが一体化して、塗装も同じですからまるでスチールで出来ていると思ってしまいます。でも、実際はこのあたりはポリウレタンなどのプラスティックで出来ているんですよね。ですから、ちょっとぶつかっただけでこんなに簡単に壊れてしまいます。それで、衝撃を弱めているのですけどね。
 車と言えば、私のディーラーさんからこんなDMが届きました。
 絶妙のタイミングですよね。さっそくFacebookにアップして笑ってやりましたが、ネットでは他社のディーラーが同じことを考えて炎上しているみたいですね。それはそうでしょう。
 もう一つ最近知ったことと言えば、PCのUSBについての驚くべき事実です。いや、単に私が知らなかっただけの話なんですけどね。
 今使っているラップトップがかなりくたびれてきたので、買い替えを考え始めているのですが、ネックが2つあってちょっと迷っているところでした。一つはOS。これが変わると確実に使えなくなるソフトがあるのですが、今まで使い慣れたものなので、代替品になるとかなり作業効率が落ちそうだ、ということ。そして、もう一つはUSBの問題です。今のには、「USB2」と「USB3」の2種類のポートが付いています。それを見ると、
 「2」はこうですが、
 「3」はこうなので、形は似てますが全く別物のように見えます。しかも、これの「Bタイプ」だと、
 こんな風に「2「とは全然違っています。
 ですから、これは全く互換性のないものだとずっと思っていました。ですから、最近のPCのカタログなどを見てみると、「3」はたくさん付いているのに「2」は一つしかなかったりとか、もう「2」は全く付いていないものがあったりするので、今まで使っていたUSB2は、もう使えないのだと思ってしまっていました。
 でも、これはちゃんと「上位互換」がなされているのだ、ということを、実は昨日初めて知りました。それで試してみたら、ちゃんと「2」でも「3」のポートに入って、きちんと認識されるんですよ。なあんだ。
 考えてみれば、それは当たり前の話なんですけどね。世の中には「2」のUSBメモリーなどがあふれかえっていますから、それが新しいPCではすべて使えなくなるなんてことはあり得ませんからね。さっきの「Bタイプ」にしても、あれのメスは確かに半分だけ使えば「2」がぴったり入りますからね。
 この間まで、ICレコーダーで録音したものをPC経由でアップロードするということを頻繁に行っていました。その時に、レコーダー本体のUSB端子をPCに差し込むのですが、さっきの写真のように「2」のポートにはマウス用の受信機が1つ占領しているので、これがあるとレコーダーを挿入することが出来ないんですよ。ですから、その時はマウスを使わないでタッチパッドに切り替えるとか、面倒くさいことをやっていました。これは、反対側の「3」のポートを使えば、何の苦労もなかったんですね。
 この頃は、真剣に「2」と「3」の「変換機」を探していました。いくら探してもそんなものはなかったので、その時点でこのことに気づくべきでした。愚かでしたね。
Aventure Number : 3029 date : 2018/11/21


今日の禁断 ヴァイオリン


 きのうの「おやぢの部屋」は、もっと書きたいことがあったのですが、私が決めたフォーマットで字数が制限されているのでそれらはカットしてしまいました。それは、リマスタリングに関することです。なんせ40年前に録音されたアルバムですから、それをそのまま出すのではなく、あそこにも書きましたが「現代に通用する音で楽しめることになった」と思われるようなものにしなければいけません。つまり、これはかつてLPで出ていたもので、すでにCD化はされています。ただ、それはかなり昔のことだったのでそのままでは今聴くととてもしょぼく感じられてしまうので、それをもっと聴きばえのあるものに直してCD化した、ということなんですね。具体的には、トランスファーのレベルを思い切りあげて、今のCD並みの音圧を確保する、ということでしょうね。
 ですから、確かにちょっと聴いた分にはとても元気のある音が聴こえてくるような気がします。実際、この中に私が昔買った1985年に作られたCDの中にも入っている曲が1曲だけあるのですが、それを比較してみると、同じ音量で聴こえるようにするには、ヴォリュームの数字を1.5倍ぐらいにしなければいけませんでした。でも、そのようにレベルを揃えて聴いてみると、明らかに昔のCDの方が音がいいんですよね。というか、音の質が全く変わってしまっているのですよ。この曲は、バックにバンドではなくオーケストラが入っているので、特にストリングスの質感などで、その違いがはっきりします。昔のCDではいかにも弦楽器らしい繊細なテクスチャーが再現されているのに、新しいCDでは何か高音が強調された機械的な音に聴こえてしまうのです。
 そうなってしまったのは、おそらくマスターテープの劣化が原因なんでしょうね。確かに、リマスタリングのノウハウは大幅に進化していますから、全く同じ音源からのリマスタリングだったら、新しいものの方がよくなるのでしょうが、今回使ったマスターテープは、出来てから40年も経っていますから、これはもう磁気テープの宿命で音が劣化していないわけがありません。おそらく、それは分かっていて、出来る限りの補正は施してあるのでしょうが、そういうテクニックでは到底カバーできないほど劣化が進んでいた、ということなんでしょうね。
 ですから、「最新リマスター盤」なんてうたい文句でよく昔の録音が再発されたりしますが、それは音質的には何の期待も出来ないことを、しっかり知っておく必要があるのではないでしょうか。正直、「リマスタリング」によって音が劇的に良くなることなどありません。これは、レコード会社が広めた単なる「迷信」にすぎないのですから。
 あと、ブックレットのミスプリントは、公式サイトでは訂正されていますね。

↑ブックレット

↑公式サイト

 迷信と言えば、今日は「勤労感謝の日」ですけど、これだって決して「勤労」に「感謝」する日ではありませんからね。そもそも、私は昔からこの状況がまるでイメージできませんでした。とても感謝なんかできない職種の「勤労」だってありますからね。まあ、そもそもは天皇家の行事だった「新嘗祭」を言い換えただけのことなんですけどね。これは収穫に感謝する行事でしょうから、「収穫感謝の日」ぐらいにしておけばよかったものを。ですから、そういう出自のせいで絶対「ハッピーマンデー」にはなりません。
 でも、今年はそれが金曜日なので、ラジオを聴いていたら「金曜感謝の日」だと思っていた人がいるという出来過ぎの話まで紹介されていましたね。それはそれで、金・土・日と三連休になるのですから、この際そのように改名して、常に金曜日になるようにしてくれてもいいんじゃないでしょうか。
Aventure Number : 3030 date : 2018/11/23


今日の禁断 クイーン


 三連休の真ん中の日、特に予定もなかったので久しぶりに映画を見に映画館に行ってきました。たまたま見たいものが2本あったので、この際だから両方見てやろうと「二本立て」の計画を立てようとしたら、その「竹内まりやシアター・ライブ」と「ボヘミアン・ラプソディ」の上映時間が見事に重なっていました。この2本は客層が違うのだと判断されてしまったのでしょうかね。でも、「ボヘミアン」はIMAXでもやっていて、それだと「まりや」の初回を見てから昼ご飯を食べても十分に間に合う時間に始まりますから、それに決めました。
 初回は9時からなので、映画館は8時半にオープンすることは分かっていました。ただ、ここが入っているパルコ2はそんなに早くは開かないので、1階から特別に入れるようになっているのは、前にも同じことがあったので知っていました。その時は、2階の前で待っていても開く気配がなかったので、変だと思ったら1階だと分かってそれからあわてて行ったので、後れを取ってしまいました。今回は、まだ時間前だったのに1階は開いていたので入って行ったら、エレベーターの前にもう行列が出来ていましたね。しばらくして映画館のスタッフがやって来て、ちょっと早めにエレベーターが使えるようにして、そのまま中に入れました。
 座席の予約状況はネットで見ていたのですが、どちらもかなり早い時点で半分近く埋まっていました。私が狙っていた席はどちらまだ空いていたのでもほぼ希望通りの席をゲットできました。
 まずは「まりや」の方からです。こちらは圧倒的に中高年の世代が多かったですね。彼女がアイドルの頃をリアルタイムで知っている世代でしょう。それから40年も経っているのですから、ファンも年を取るはずです。
 この映画は、彼女の最近のライブの映像を編集したものです。2000年、2010年、2014年の3回のツアーが収録されています。2000年の頃はまだ35ミリのフィルムで撮っていたのでしょうか、サイズもスタンダードで画質もさえませんが、それ以降のものはワイドになって別物のようなクリアな画質に変わります。この頃は当然HDのビデオ撮影でしょうね。
 音も、やはり後期の方がよりクリアですが、そのあたりはあまり期待はしていませんでしたから、クオリティは二の次です。というか、この2000年のライブは、すでにCDになっているんですよね。それと、この映像自体もそのあとのアルバムの初回限定おまけのDVDで見たことがありました。ただ、それはほんの数曲しか入っていなかったので、今回、そのCDの元になった映像をきちんと見られたのは幸せでした。「駅」などは、本当に号泣ものでしたね。
 ただ、それ以降のライブでは、歌われているのが割と最近の曲だったりすると、ちょっとつまらないな、と思うところもなくはありません。「人生の扉」みたいな歌は彼女には歌ってほしくないな、と思っていますからね。
 そんなライブ映像のほかに、インタビューとか、初めて見る達郎の録音スタジオの内部などは、とても興味深いものでした。まあ、これで2800円というのは妥当なところでしょうか。ただ、ブックレットが3500円もするのは、ちょっとぼったくり。帰りにこれが入ったポリ袋を後生大事に持って帰る中高年の方を見かけましたが、私にはそれほどの思い入れはありませんから。
 しかし、彼女は本当にいつまでも若々しいですよね。なんか、いつもよく似た人を見ているな、と思ったら、ヴァイオリンのYさんでした。どちらもとてもお美しい。
 そして、ランチタイムを挟んで「ボヘミアン」ですが、その前にリニューアルしたエスパルの地下街へ。めざす「まめだ」は、地下通路に面してました。さすが、長蛇の列です。
 「ボヘミアン」が上映されていたのは、このシネコンで一番大きいIMAX用のスクリーン6。ここは300席近くあるのですが、それがほぼ満席だったのが、まずすごいことでした。こんなにお客さんがたくさんいるところで映画を見たのは本当に久しぶりです。こちらも、平均年齢はかなり高め。
 やはり、まずはサウンドをチェックですが、これはまさに生のコンサートをそのまま聴いているようなものすごい音でしたね。もちろん、クオリティは度外視したあくまで音量と超低音で迫るというロックコンサートならではの音ですけどね。それを、300人のお客さんがじっと座って聴いているというのが、ちょっと不気味。てっきり、これのために新しく録音したのかと思ったら、オリジナルをそのまま使っていたようですね。
 映像的にも、あの最後のアリーナのシーンはものすごいリアリティでしたね。あれはCGだったのでしょうか。
 物語は、事実をかなり都合よく捻じ曲げて、しかし、そのためにドラマはとても感動的に仕上がっていました。映画だからそれでいいんでしょう。オープニング・クレジットでマイク・マイヤーズの名前があったのでいったいどの役なのだろうと見ていたのですが、最後まで分かりませんでした。後で調べたら、「ボヘミアン・ラプソディ」をボツにしたEMIのお偉方でした。これは、知ってても分からなかったでしょうね。それと、「ジュラシック・パーク」で恐竜オタクの子供を演じていたジョセフ・マゼロが、ベースのジョン・ディーコンを演じていましたね。これは、確かに面影がありました。大きくなりましたね。
 ベースと言えば、「まりや」でのバンドのベーシスト伊藤広規は、2000年には達郎みたいな長髪だったのに、それ以降は短髪になって、なんだか普通のおじさんみたいになってましたね。
 「現実」の「まりや」と「非現実」の「ボヘミアン」、それぞれに刺激的な部分がたくさんあって、とても楽しめました。
Aventure Number : 3031 date : 2018/11/24


今日の禁断 デアゴスティーニ


 もはや旧聞に属しますが、この間の日曜日は竹内まりやのファーストアルバムがリリースされた日ということで、まさに「デビュー40周年」にあたるその日だったんですね。それは、同じ日に放送されたFM東京の山下達郎の「サンデーソングブック」でも語られていて、そのファーストアルバムからの曲が流れていましたね。しかし、それだけではなく、なんとNHK-FMでは5時間45分に渡って竹内まりやの特集番組を流していたんですね。そのことを当日、何人かの人からの情報で知って、あわててカーラジオをかけてみたら、確かにそんな番組をやっていました。
 もうそれは終わり近かったのですが、どうせラジコの「タイムフリー」で聴けるだろうと思っていました。でも、あとで聴こうとしたら「この番組は対象外です」みたいな扱いでしたね。確かに、前にN響のライブを聴こうと思った時もそうでしたから、この局はほとんど「タイムフリー」の恩恵にはあずかれないんでしょうね。残念でした。
 ただ、その、ほんの少しだけカーラジオで聴いた中で、MCが「まりやさんは、プロテスト・ソングのような曲は絶対に歌いたくないと言っていた」と言っていたことが、とても印象に残っていました。確かに、彼女はあくまで音楽は楽しいものだというスタンスで歌を歌い、曲を作っていたような気がします。おそらく、そのあたりが私が好きになれたポイントだったのでしょう。
 ですが、この間のシアターライブを見た時に「『人生の扉』みたいな歌は彼女には歌ってほしくないな」と書いていましたよね。あれはずっと前から感じていたことなのですが、なぜそのように感じたのかが、うまく説明できませんでした。それが、さっきのMCの言葉によってとてもすんなり納得がいきました。あの曲は、まさに「プロテスト・ソング」ではありませんか。普通「プロテスト」というと「抗議」といった意味になるのでしょうが、この動詞には「主張する」という意味合いもあるので、そこまで含めた意味での「プロテスト・ソング」ということなのですね。
 この曲は、曲調もなにか「軍歌」のような感じもありますし、何よりも歌い方が強烈に「主張」しまくっているんですよ。ライブの時には、こぶしを振り上げていましたからね。これが、私が抱いた違和感の原因だったんですよ。彼女は、いつの間にか歌いたくないと言っていた「プロテスト・ソング」を堂々と歌う人になってしまっていたのです。とても悲しいですね。私にできるのは、これから毎月リリースされるデビュー時代のアルバムを買い集めて、あの頃の彼女を偲ぶことだけです。
 その時に一緒に見た「ボヘミアン・ラプソディ」がらみで、とうとうクイーンのLPまで買ってしまいましたよ。それは、あしたの「おやぢ」のネタですが、そこにはやはりまりやも登場します。アルバムの中にあった「You're My Best Friend」という曲のイントロが、まりやがライブでも歌っていた「Forever Friends」とそっくりなんですよね。彼女は確かクイーンも好きだったはずですから、つい刷り込まれていたんでしょうね。
 この曲では、歌い方に関してとても気になることがあります。最初のフレーズの
どんなに長く 無沙汰をしてても
電話ひとつかけるだけ 学生(くせい)に戻れる
で、「」と「」を鼻濁音で歌っているのですよ。
 これも、どっかのアイドルが言っていたことで、まりあの曲を歌った時に「鼻濁音で歌う」ようにアドヴァイスされたというのがありますから、これは彼女の信条なのでしょう。確かに、本来鼻濁音になる音を濁音にするのは、非常に醜いものですが、その逆も同じように醜いことを彼女は知るべきです。特に、NHKのアナウンサーは頻繁にこの間違いを犯していますからね。「毒ス」とか「窓ラス」とか。
Aventure Number : 3032 date : 2018/11/28


今日の禁断 アニバーサリー


 私が最初に自分のウェブサイト「ジュラシック・ページ」を作ったのは、1998年のことでした。ということは、今年はその「20周年」の年になっていたんですね。うすうすそんな気はしていたのですが、なんとなく確かめられなくて「先送り(@僕らは奇蹟でできている)」してました。たしか、そのサイトにそのあたりの日付を記録していたページがあったはずだと思って探して見たら、やはりこちらにありました。それによると正式開通は1998年5月31日午前11時30分となっていますね。もう半年も前に「20周年」は終わっていたのでした。
 まあ、遅まきながら自分でお祝いをしてやりましょう。
 それにしても、よくこんなに長く続いたものです。というか、これを作った時に最初に目指したのが「相互リンク」作りで、その頃有名だったサイトとつながった時はうれしかったですね。その「リンク」もずっと更新していなかったのでこの間チェックしてみたのですがすでにリンクも消えていてサイトがなくなっているところもある中で、結構その頃のサイトがまだしっかり生き延びていることも分かりました。私の感覚では、最近は一から自分で作るサイトはほとんどなくなっているような印象がありますね。というか、どっちかと言うとウェブサイトではなくブログとかが主な発信の元になっているのでしょうし、さらにはSNSで何もしなくても簡単にネットでのつながりをもてるようになっていますから、手間暇をかけてサイトを運営するようなことはなくなっているのではないでしょうか。
 ただ、それとは別に、その20年前にウェブサイトを作っていたような人は、淡々と自分のスタンスでサイト作りを続けていたのでしょう。私もそんな中の一人、ということにしておいてください。
 さっきの「顛末」のページにも書きましたが、私のサイトはニューフィルの団内紙「かいほうげん」のコンテンツを集めたものが最初の形でした。これは、第16号から私が担当するようになっていて、その時点では100号近くになっていました。それまで「かいほうげん」の中でその時どきの演奏曲目に関する様々なエッセイを書き続けていて、それがある程度好評だったしけっこうの量がたまっていたので、これだったらよそに出してみてもいいかも、と始めたのでした。
 「ジュラシック」が出来る前に、ニューフィルのウェブサイトというものもすでにありました。もちろんそれは別の団員が作っていたのですが、私はまだパソコンが使えなくて、「かいほうげん」も当時の「ワープロ」を使って作っていたぐらいでした。ですから、そんなネットの仕事も広報係の私の仕事なのに、と、そういうスキルを持っていないことをとても残念に思っていましたね。
 まあでも、私は、とりあえず今までやって来た紙媒体による広報を地道にやっていこうと思って、そんなネットのことは関わることはないだろうと思っていました。でも、しばらくして、ひょんなことからパソコンを使い出したら、ほぼ自動的に自分のウェブサイトが出来てしまったので、そこに公式サイト的なコンテンツも作るようになっていました。そしてちょうどその頃は、元からあった公式サイトは更新もされずにほったらかしにされていたので、そちらの面倒も私が見るようになったのです。それで、サーバーも新しくして、1999年の9月1日に私独自のデザインでリニューアルされています。
 それ以来、私は「ジュラシック」と「仙台ニューフィル公式サイト」の2つのウェブサイトを管理することになり、それぞれと関連付けたブログとFacebookも同時に管理、そして、もちろん「かいほうげん」の編集、制作と、言ってみればニューフィルのすべての情報の発信元としてたった一人で頑張っているのです。
 いずれは、他の人にこの仕事を引き継いでもらうことになるのでしょうが、これだけのコンテンツを有する、とても複雑なサイトが構築されてしまったので(公式サイトの方は、階層が入り乱れて私でもファイルのありかが分からないことがあります)、任された人は大変でしょうね。私だったら、最初から作り直しますね。
Aventure Number : 3033 date : 2018/11/30


今日の禁断 ソリッドステート


 いろいろ迷っていましたが、ついに新しいPCを買いました。Windows10です。今まで自宅で使っていたノートPCは、その少し前に買ったデスクトップ(もちろんWindows7)がとても快調に動いたので同じメーカーのものにしたのですが、それがとんだ食わせ物でした。両方とも通販でカスタマイズしたものを買ったのですが、自宅の方はディスプレイの解像度が高すぎて、とても文字が小さくなってしまいました。「ハイビジョン対応」なんて言っていたので信用したのですが、それはものすごく見づらいものでした。
 それと、肝心の速度が明らかにデスクトップよりも劣っていました。インターネットも遅いし、Wordなどはイライラするほど鈍くさい動きです。さらに、キーボードを使った感じがとても安っぽいんですよ。キーによって叩いたときの音が違うんですから、気になって仕方がありません。完全な粗悪品でしたね。
 それが届いたのは、2015年2月8日でした。でも、交換してもどうせ同じものしか来ないでしょうから、我慢して使い続けましたよ。もう最近ではアプリの立ち上がりがすっかり遅くなって、起動してから他のことをやっていないともう時間がもったいなくて仕方がありません。起動しても何かというとフリーズしてしまいますしね。それでも使い続けたのは、ひとえにOSを変えたくなかったからです。
 ただ、逆に、もし今まで使って慣れ親しんでいた古くさいアプリが「10」で使えないことがわかったとしても、まだ今までのPCが使えるうちはなんとか時間を稼いで、その間に新しいバージョンのアプリを試すことができるはずですから、それを確かめるためにも、早いうちに「10」を体験しておきたいような気にもなってきました。
 そして、きのう、もう通販は信用できませんから、ヨドバシまで行って前から目をつけていたFujitsuを買ってきました。このメーカーは、私が最初に使ったデスクトップ(Win95)と同じです。それ以降IBM(ノート/98)→Fujitsu(ノート/XP)→Hitachi(デスクトップ/Vista)→Dell(ノート/7)→Epson(デスクトップ/7)→Epson(ノート/7)→Fujitsu(ノート/10)というのが、私の「遍歴」です。
 新しいPCは、何よりもセットアップが大変なことになっていました。とにかくやたらユーザー登録が求められるのですよ。そのたびにキーワードも設定しなければいけませんし、もうこれだけで嫌気がさしてくる人はいるのではないでしょうか。そのせいなのでしょうが、メーカーのサポートに関してもかなりしつこく勧誘を迫られたりします。実際、この機種ではストレージがHDDの他にSSDも使われていて、それぞれDドライブ、Cドライブに分かれています。ですから、プログラムはCドライブ、ファイルはDドライブに保存するようになっているはずです。そのあたりがちょっと引っかかったので店員さんにも聞いてみたら、「自動的に振り分けられますよ」と言ってましたから、大丈夫なのでしょう。
 ところが、家へ帰って箱を開けてみると、マニュアルが入っている袋の中に、1枚だけ特別なご案内として別の紙が入っていました。そこには、「ドキュメントや写真などを収納するフォルダーはCドライブ(SSD)に入っているので、使用前にそれらをDドライブ(HDD)に移してください」と書いてあります。話が違いますね。というか、こういうことはメーカーでやっておくべき案件なのではないでしょうか。正直、それはかなり面倒くさい操作が必要でしたから、あまり知識のないユーザーだったら絶対に挫折してしまいますよ。だから、サポートが必要だというのなら、本末転倒じゃないですか。あくまで、使いやすい製品を提供するのが、メーカーとしての務めだと思うのですがね。
 そんなことで手間取ってしまいましたが、心配だったHTMLエディターと画像処理ソフトは、何の問題もなくインストールできてしまいました。あまりにあっけないので、拍子抜けしてしまいましたよ。やってみるもんですね。ただ、今までは32ビットだったものが64ビットになったせいでしょうか、画面の見え方がそれこそWin95みたいなクラシカルな感じに変わっていましたね。まあ、使えればいいんです。
 そんなわけで、昨日のサイトの更新は、なんとかその日のうちには終わらせることができました。
Aventure Number : 3034 date : 2018/12/2


今日の禁断 ジュラシック


 新しいPCの話は続きます。きのうはまでは、ほぼ強制的にインストールされた「ATOK」を使って文章を書いていました。この日本語変換ツールはだいぶ前に使っていたことがあったのですが、なんかクセが強くて馴染めなく、結局IMEに戻っていました。でも、せっかくインストールさせられたのですから、しばらく使ってみようと思いました。確かに、昔とはかなり使い心地が変わっていますね。ケータイみたいに、「変換予測候補」なんてのも出てくるんですね。でも、これはかえって煩わしい気がします。いや、実は、そのあとIMEにしてみたら、こちらも同じように「変換予測」が出るようになっていましたよ。いつの間にかそんな世の中の流れになっていたんですね。
 まあ、ですからその点では仕方がないのですが、ATOKで一番気になったのが、「聴く」という感じがすぐには出てこなかったことです。まあ「聴く」ぐらいでしたらしばらくやっていると出てきたのですが、ちょっと変化させて「聴きたくなる」なんてのになると、最初は絶対に出ませんでした。これは私にとっては一大事、なんたって、音楽は「聞く」のではなく「聴く」ものですから、それがすぐには出てこないというATOKのセンスは許し難いものです。
 それともう一つ、IMEではいったん変換が決定したもの、あるいはひらがなの部分を選択して「変換」キーを押すと、そこで別のものに変換できたのに、ATOKでは同じ作業をやると変なウィンドウが出てきて、先に進めなくなってしまうのですよ。この作業はもう完全に習慣になっているので、これをやるたびにこんな風に邪魔が入ってしまうのでは、全く使い物にはなりません。ですから、もはやATOKを使うことはないでしょう。2度まで見捨てられたのでは、もう関係を修復することは不可能だと思ってください。
 Windows10自体は、昨日も書いたような煩わしいパスワードの件を除いては、内容的にはそんなに大きな変化はないような気がします。ただ、最初ちょっと困ったのが、エクスプローラーの右クリックメニューで「プレビュー」がなくなってしまったことです。同じウィンドウの中にプレビュー画面を作って、選択したファイルだけを見ることはできるのですが、前のように「スライドショー」のようなことができる機能がなくなってしまったのかと、最初は思ってしまいました。でも、よく見たら
 確かに、以前は上のほうにあった「プレビュー」という項目はなくなっていますが、その代わりに「プログラムから開く」というのがあって、そこで「CyberLink Power Media Player 14 for FUJITSU」を選択すると、
 前とよく似た、こんな画面が登場しました。以前はただの「Media Player」だったんですね。でも、これは「for FUJITSU」とあるぐらいですから、OSの違いだけではないのかもしれませんが。
 でも、やはりマシン自体の速度が格段に向上しているので、今まではあきらめていたことがサクサクできるようになったのは、うれしいことです。めでたくインストールが成功した、もう20年近くも前のHTMLエディターでは、前のPCではもはや大きなサイトになるとそれらをきちんと「サイト」とみなして編集することができなくなっていました。その「サイト」を作ろうとすると、あまりにファイルが多いのでフリーズしてしまうのですよね。仕方がないのでリンクを外して個別に編集を行うことになるのですが、そうするとファイル間で設けたリンクが、「絶対パス」になってしまうのですよ。それは、そのPCの中でしか使えないパスなので、ネットにアップするときには「相対パス」にいちいち書き換えなければいけません。ですから、これができなくなってからは、かなり作業効率が落ちていました。しかし、それを新しいPCでやってみたら、昔と同じように「サイト」ができるようになって、最初から相対パスが生成されるようになっていました。
 もう一つ、これにはサーバーに転送するときにも、更新したファイルだけを選択して転送するという機能が付いていたのですが、それがもう使い物にならなくなっていました。ですから、手作業でいちいち更新したファイルを選んで一つずつFTPで転送してましたね。それも、今回の引っ越しで完全に復旧できていました。もう駄目になっていたのだと思っていたアプリが、新しい環境で息を吹き返したんですね。これは、全く予想していなかった出来事でした。この状態が末永く続くことを、切に願っています。
Aventure Number : 3035 date : 2018/12/3


今日の禁断 バス


 最近、90歳を少し超えたあたりの人の訃報が目につきませんか?ちょっと前だと80歳を超えれば、もうそろそろ、という感じだったのに、なんだかとても寿命が延びたような気がするのは、気のせいでしょうか。こういうデータに関しては割と身近な私の職場の資料でも、もはや100歳を超えてからお亡くなりになるような人も珍しくなくなっていますからね。
 94歳でお亡くなりになったのが、大中恩さんです。だいぶ前から健康を害していたようなうわさは聞いていたので、ついに、という感じですね。そんなころから思っていたのが、この方がもし亡くなった時に報道で付けられるのは、絶対に「『サッちゃん』と『いぬのおまわりさん』の作曲家」という「肩書」なのではないか、ということでした。本当にその通りになりましたね。どちらの曲も、おそらく知らない人はほとんどいないほどの超ヒット曲ですが、おそらく曲は知っていてもその作曲家の名前を知っている人はあまりいなかったのではないでしょうか。
 これらの曲は、言ってみれば昔の「小学唱歌」のような「パブリック・ドメイン」として広く認識されているような気がします。「サッちゃん」は矢野顕子もカバーしてましたからね。
 もちろん、小学唱歌にしてもきちんと作曲家は存在していますから、それよりずっと新しいこれらの曲では、その気になればそれを作った大中恩さんの名前はすぐにわかるはずです。さらに、この方は、あの「椰子の実」の作曲をした大中寅二の息子だということもわかるでしょうね。
 大中恩さんがこれらの、いわゆる「童謡」を作った時には、その前の世代の専門の童謡作曲家とは一味違う質の高い、言い換えれば鑑賞に堪えうるだけの「童謡」を目指していたのではないでしょうか。「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね」という「ぞうさん」を作ったのが團伊玖磨、「♪ブランコ揺れる、お空も揺れる」という「ぶらんこ」を作ったのが、芥川也寸志といった重鎮たちですし、「インディアンがとおる、アッホイアッホイアッホイオイ」という「インディアンがとおる」を作ったのは「前衛作曲家」の湯浅譲二でしたからね。
 そんな中にこそ、大中恩さんの多くの子供のための作品が位置付けられるはずです。何より、大中さんはそんな作品を、大人が歌える「合唱曲」としても世に問うたのですからね。かつて彼が主宰していた「コール・メグ」という合唱団でそれらの曲を聴いた時の衝撃は、今でも忘れられません。もちろん、それは大中さんの中ではそのほかの合唱曲と同じスタンスで作られたものだったのでしょうね。そう、合唱関係者であれば、彼の名前を知らない人は誰もいなかったはずです。
 その大中さんに、実際に会ったことがありました。大学の時の合唱団の連絡組織のようなものが、そのコンサートの指揮者として、大中さんを招待したのです。その時には、混声合唱団の合同演奏を指揮したので、私たち男声合唱団は実際に指揮をされたわけではありませんが、その前に公開リハーサルのようなものがあって、それに参加することはできました。
 そこでの大中さんの指導ぶりにも、とても驚かされましたね。その曲の「楽しさ」を、体をもって表現してくれて、歌っていた人たちの意識がまるで変ってしまったのを、つぶさに感じることができました。
 ちょっと記憶があいまいですが、その時の男声合唱の指揮が、あの多田武彦さんだったのではないでしょうか。彼の指揮、というか指導は、大中さんに比べるとあまりに杓子定規で全然面白くなかったことだけは、よく覚えています。
 まあ、90歳を超えれば、誰しも自分のやりたかったことはあらかたやり終えているのではないでしょうか。そのあとは、だれにも迷惑をかけることなく、ひっそりと世の中から消えていくような生き方(死に方)ができれば、幸せではないかと、しみじみ思います。
Aventure Number : 3036 date : 2018/12/5


今日の禁断 カーペンターズ


 岡ア光治さんが亡くなりました。行年83歳、まだまだ亡くなるのには早い年齢でした。
 私が岡アさんに初めて会ったのは、大学3年の時だったでしょうか。私が属していた男声合唱団のOBだということは知っていましたが、当時は仙台放送合唱団の指揮者を務められていましたね。そのころは、仙台の放送局が毎年芸術祭参加作品として、合唱曲を委嘱していて、一応そこの専属の合唱団だった仙台放送合唱団がそれを録音していました。その時に男声が足らないということで、我々後輩にエキストラとして参加が要請されたんですよね。
 面白半分に行ってみたら、そのなんともエネルギッシュな指揮ぶりには、とても圧倒されてしまい、とうとう大学の合唱団と掛け持ちでその合唱団にも入ってしまいました。ピアノを弾きながら各パートの音を的確に指示していく姿などは、ほとんど奇跡のように感じられましたね。
 岡アさんは作曲家でもあったので、そのほかのラジオの番組のために編曲も行っていました。ハワイアン・バンドと一緒にハワイアンを録音したこともありましたね。もちろん、しっかりした合唱のレパートリーもたくさん歌いました。今では私の最愛の曲となったデュリュフレの「レクイエム」を初めて知ったのも、岡アさんのおかげです。おそらく仙台初演だったはずのそのコンサートでは、今のようにヴォーカルスコアが簡単に手には入らなかったので、スコアをもとに岡アさんが自ら合唱譜を作り(手書き)、オーケストラのパートは確かピアノとハモンドB3、それにチェレスタとティンパニという編成で岡アさんが編曲したものを演奏していました。その時にチェレスタとティンパニの担当だったのが、今の合唱連盟の理事長、今井邦夫さんでした。今井さんは、岡アさんの元で副指揮者を務めていましたね。
 そして、何よりも楽しかったのが、これもおそらく仙台では初めての試みだった、合唱団による「ポップス・コンサート」です。もちろん編曲は岡アさん、それを、団員がそれぞれ楽器を演奏してバックを務めます。私はそのころはまだフルートはやっていなかったので、ギター(フォークギター)を弾いてましたね。
 これは集合写真。
 岡アさんのアップです。
 それ以来、仙台からも合唱からも遠ざかっていたのですが、少し前にはまた岡アさんのそばで演奏するようなこともありました。こちらはひたすらご無沙汰を決め込んでいたのですが、あちらから駆け寄ってきて「やあやあ〇〇くん!」なんて握手してくれるんですから、うれしかったですね。
 お通夜は9日(日)の6時から、お葬式は10日(月)の2時からだそうです。会場は北四番丁の「斎苑」です。
 私も参加したいのですが、どうなりますか。というのも、私の身内が岡アさんが入院されていた病院と同じところに入院しているのです。しかも同じフロアの3つ隣の病室でした。身内の看病の時にそのことに気が付いてびっくりしましたね。岡アさんの病室の前まで行ってみると入り口が開いていたので、中を覗いてみたら、カーテンの陰で姿は見えませんでしたが、軽い寝息のようなものが聞こえてきました。それが昨日の4時頃だったのですが、そのあとの9時45分に鬼籍に入られたのだそうです。
 晩年こそ不義理を通してしまいましたが、若いころに私の音楽性を育んでくれた岡アさんの御恩は、忘れたことはありませんでした。安らかにお眠りください。
 その身内も、もうしばらくしたら天に召され、56年前にこの世から去った最愛の夫に再会できるはずです。

Aventure Number : 3037 date : 2018/12/7


今日の禁断 コロナ


 自宅の居間のストーブが壊れてしまいました。スタートさせてしばらくしたら「ピーピー」となりだしたかと思ったら、突然止まってしまったんですよね。ふつう、そういうことがあればなにかエラーのサインが出るはずなのですが、それも全くないまま、再起不能になっていました。「突然死」ってやつですかね。触るとものすごく熱くなっていましたから、これはもう肝心のバーナーの制御が聞きかない状態になっていたのでしょう。こうなっては修理してもかなりお金がかかりそうな感じなので、この際、新しいのを買うことにしました。
 これは、石油のFFという、今では珍しいタイプのストーブで、実際これを作っているのはもう3社ぐらいしかなくなっていることを、6年前にこれを買った時に知りました。おそらく、今ではこれと同じメーカー1社しか残ってはいないのではないでしょうかね。大きなホームセンターに行ったら、そこのカタログしか置いてありませんでしたから。
 結局、今のと同じような外観と性能のものにすることにしたのですが、その際に、FFでは置き場所が排気口の場所によって決まってしまうので、今の置き場所ではちょっと不自由なところがありました。でも、そのカタログによると延長管をつけてスペースを広げることもできそうだったので、据え付けに際してそれもお願いすることにしました。ただ、その場にいた店員さんはストーブ担当ではなかったようで、それを担当者に伝えてまた連絡させる、ということでした。
 しばらくして、その「担当者」から電話が来たのですが、なんだか話が全然伝わっていなかったようで、まず「マンションの壁に穴をあけることなんかできませんよ」なんて言い出しましたよ。いや、もうすでに穴は開いているので、そこにつけてもらうだけでいいんですけどね。それと、「配管の延長は、うちではできません」なんて言ってますから、いったい何を聞いていたのでしょうね。どうやら、今までのストーブの配管だけを延長するのだと思っていたみたいですね。こんないい加減な申し送りで、よく商売をやっていられるものですね。
 ですから、私はとうとうと、これは新しく買い替えるための注文で、カタログにはオプションの配管の案内もちゃんと書いてありますよ、みたいな、まるで私が店員で「担当者」がお客さんみたいなアホなやり取りをしなければいけませんでしたよ。そんなんでも、結局話がまとまったのですから、不思議です。いや、実際に据え付けが完了するまで油断はできませんよ。
 一応、同じ部屋にはエアコンもあるので、それを使えばとりあえず暖房はきくのですが、今までは冬場にエアコンを使ったことはありませんでした。ですから、昨日あたりはあまりに寒いのでまさに冬のエアコンデビューになってしまいました。結構温まるものなんですね。でも、私の部屋には電気ストーブしかないので、夕べはものすごく寒く感じましたね。
 ですから、明け方近くにマンションのすぐ下にある駐車場から、なにか雪を掻いているような音が聞こえてきたときには、「もしや」と思ってしまいました。窓を開けてみると
 やはり、見事に雪が積もっていましたし、まだ薄暗い中、しんしんと降り続いていましたよ。早速この写真を撮ってみたのですが、今になって見返してみると、なかなか幻想的な風景に見えてきましたよ。車の轍が何本か見えますが、それが一つの物語になっているような気さえしてきます。
 ストーブよりもっと早くダメになっていたのが、私のノートパソコンでしたが、その後任は相変わらず素晴らしい動きを見せてくれています。やはり、なんたってプログラムがSSDに収納されているというのが大きいのでしょうね。とにかく、いままで使ったパソコンでは決して味わうことのできなかった立ち上がりには、感服し通しです。
 でも、SSD自体はiPadを使い始めたときに体験していたんですよね。要は、それと同じことがパソコンでもできるようになったということなのでしょう。Macあたりはすでにそうなっていたんでしょうけどね。いや、本当はすでにWinでもしっかり使われていたのでしょうね。私が知らなかっただけのことでした。
Aventure Number : 3038 date : 2018/12/9


今日の禁断 シベリウス


 今年も押し迫ってきて、職場でも恒例の年末に送るDMの準備が始まっています。顧客に今年1年の主な行事を紹介したり、来年へ向けてのグッズや送金用のアイテムを送るという作業です。
 それを、遅くても12月下旬までには発送を完了させるためには、その前の封筒詰めが大体1、2週間はかかることを見越して、メインの行事案内のお便りを11月中には完成させなければいけません。まあ、そんなものは私にしてみれば赤児の腕をねじるようなものですから、2日もあれば完成してしまいます。
 ただ、今年は例年行っていた行事が一つなくなってしまったので、ちょっと分量的に少なくて、ページが余りそうになってしまいました。そこで、何かいいネタがなかったか考えてみたら、格好のものがあったことを思い出しました。
 それは、10月に職場がテレビで紹介されたというニュースです。ミヤテレで平日の夕方に放送しているワイド番組「OH! バンデス」のコーナーで、まあ、「たまたま」紹介された、というものなんですけどね。実際、それは何のアポもなしにいきなりやってきて、撮影やインタビューをやっていったということでした。放送されたのが、その2週間後でしたね。
 これがコーナーのタイトル。バックが当社の前の石段です。ちょうどこの日の前の日に大きな台風が来て、松の枝が折れて石段の上に落ちていました。
 キャスターはティーナカちゃん、スタート地点が北仙台駅で、バックにはTさんのマンションも見えますね。
 まずは「北山五山」をめぐるという趣向です。
 石段を登ってきたティーナカちゃんを、副社長が出迎えるというヤラセですね。
 お目当ては、敷地内にあるこの巨木です。
 こんなキザなアングルで撮ってました。
 この日は私は休みだったので、現場にはいませんでした。いたら、生写真を撮ったんですけどね。あとで娘に「サインをもらってほしかった」と言われてしまいました。
 まあ、こんな写真を入れたら、見事に空いたスペースが埋まって、お便りは完成してしまいました。そして、ほかのものもそろえて、全部で1200通の郵便物の封筒詰めが始まりました。その作業は順調に進んで、300通まで行ったのですが、そこで、今年中に伝えておかなければいけない大きなことが起こりました。いまさら刷りなおすこともできないので、その件は「別刷り」にして追加することにしました。ですから、出来上がった300通の封筒を開いて、それを挿入するという作業が余計に入ってしまうことになっています。本当に、いくら時間があっても足りません。
Aventure Number : 3039 date : 2018/12/12


今日の禁断 クロネコ


 我が家のストーブの買い替え、第2部です。なんとも雑な「担当者」は、私の都合も聞かずに勝手に据え付け工事の日を決めてしまって、「これでお願いします」と言ってくるという具合に非常識な人でしたね。その工事の前にまず支払いをしなければいけないので今度は私の都合の良い日(その工事日の前にはそんな都合の良い日は全然なかったのですが、かろうじて時間が取れそうな日)を指定すると、その人は、「その日は、私は出社しないのでだめですね」なんて言い出しましたよ。この人は、自分がいなければほかの店員さんに対応を任せるということを考えたことはないのでしょうかね。そのあと、しぶしぶ「では、私がいなくでも大丈夫なようにしておいてあげますよ」ですって。いや、それが普通の対応でしょうが。
 ですから、私がお店に行ったときには、当然その「担当者」は、そこにはいませんでした。代わりに対応した人は、その人が言及していなかった「10パーセント割引セール」にも、きちんと応じてくれましたよ。たぶん、「担当者」では、そんなことはやってくれなかったはずですから、こちらのほうが私にとってはラッキーでした。
 ただ、その時に工事予定を確認してみると、それは「13日の朝一番から午後5時まで」なんて書いてありましたよ。確か電話では「13日の朝一」だったはずなのに。またまた「担当者」の仕事に悩まされることになりました。下手をしたら、丸1日がつぶれてしまいそう。
 そうして迎えた工事当日、私は一応出社は少し遅れることだけを連絡して、家で待っていました。そうしたら、9月半に業者がやってきたので、まずは一安心です。これで無駄な時間を過ごすことはなくなりました。なぜか、業者は3人もやってきましたよ。でも、実際に動くのは一人だけで、後の人はただ見てるだけでしたけどね。これもちょっと不思議。それから40分ほどで工事は完了しました。
 これが工事前。
 そして工事後です。
 配管用のパイプを延長してあって、その長さも少し変えられるので、こんな風にテレビ台から離して置けるようになりました。これで、もっと大きなテレビを買うことができます。というか、このテレビは大きさよりも画面に無数の縦筋が出るようになっていて、もう買い替えるしかないのですよ。
 予定より早く工事が終わったので、ちょっとした贈り物を発送するためにヤマト運輸のステーションまで行ってみました。手提げ袋に入ったお茶とお菓子を、そのまま発送したかったのですが、ここだとちょうどいい大きさの袋に詰めて送れそうで、おそらくこれからも同じものを送ることがあるはずなので、試しに送ってみようと思ったのです。
 予想通り、ぴったりの大きさの袋があって、それが使えそうでした。そこで、送り状を書くことになるのですが、そこで差し出されたのが今までよく使っていた手書きの伝票ではなく、タブレット端末でした。そのディスプレイに伝票が表示されていて、そこに入力していくようになっているのですね。そういえば、最近受け取った荷物でも、普通の個人から発送したものにこんな印字されたラベルが付いていましたね。50音のキーボードなのでとてもやりづらいのですが、何とかそれで入力して、「印刷」をタッチするとそれで送り状の現物が出来上がり、そのころには梱包も終わっていた荷物に店員さんが張り付けてくれたので、あとはお金を払ってそれでおしまいです。
 後で調べたら、企業などではまとめて住所のデータを送ると、顧客用の送り状がすぐできてしまうのだそうですね。たぶん、そのぐらいのことはできるようになっているのでは、と思っていたのですが、実際にそれを体験して、現実にこのシステムが確実に広まっていることを自覚するのでした。
 でも、まだ世の中にはこういうものに慣れていないひとも、相当数いるのではないかと思うのですけどね。そういう人たちをきちんとフォローすることができれば、それはとても「品位」のある社会といえるのではないでしょうか。
Aventure Number : 3040 date : 2018/12/13

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