0281(03/12/28)-0300(04/1/27)

今日の禁断 モーツァルト

 篠崎さんの続報です。この間メールを頂いた時に、「批評の文章を読ませて頂けませんか?」とおねだりしてあったのですが、それが早速送られてきました。「英語のままで結構です」といったのですが、わざわざ日本語に訳して下さいました。あちらでは、こういう演奏会の批評が直ちに新聞に載ります。これも、「Los Angeles Times」に12月8日に掲載されたもの、3日間の演奏会が全て終わった時点で、すぐ批評が読めるということです。これは、前にメールを紹介したページからリンクされていますから、お読みになってみて下さい。いかにもプロの批評家が書いたものという感じの、格調高い、しかし、執筆者の本心はどのようにでも読み取ることが出来るような文章です。もちろん、篠崎さんの演奏に関しては、非常に好感を持って受け止めていることがはっきり分かるのではないでしょうか。それから、プロフィール用の写真も送って頂いたので、共演者のページの写真も新しいものに差し替えました。この方が、前のちょっとおっかない写真よりもずっと素敵ですね。
 ところで、篠崎さんの批評のリンクのやり方が、ちょっと今までとは違っているのに気が付かれました?この「禁断」のページでも使っている、今までのリンクのやり方は、リンクのタグ(<A>)の中に「target="_blank"」というパラメーターを入れて、新しいウィンドウを開いてリンク先を表示するというものです。これは、今見ているウィンドウと同じものをもう一つ開くわけで、ツールバーやタスクバーなども、そのまま表示されていますし、例えば「お気に入り」のようなフレーム表示のときも、そのまま反映されてしまいます。篠崎さんの批評の場合は、どうでしょう。よけいなものが何も付いていない全画面表示になっていませんか。さらに、ウィンドウが開く場所や、ウィンドウの大きさも決まっています。これは最近おぼえた技で、「JavaScript」を使ったものなのです。これを使うと、あのようなすっきりしたウインドウを開くことが出来るのですよ。ただ、今使っている「ホームページ・ビルダー」には、こういうことを自動的にやってくれる機能は備わっていないので、全てタグ打ちでやらなければいけないのが面倒なところですが、一度作っておけばあとはコピー&ペーストで好きなところに使えます。もし使いたければ、どうぞご利用下さい。<HEAD>の中の<SCRIPT LANGUAGE="JavaScript">から</SCRIPT>までをコピー、リンクのタグを<A href="javascript: openWindow1()">とするのがミソです。ウィンドウの属性は、<SCRIPT>タグの中のパラメーターを変えることで、自由に操作することが出来ます。さらに、2つ目のウィンドウからは「openWindow2」とすれば、複数のウィンドウを開くことも出来ます。
 実は、これを使ったページはこれが3個目。例えば、ニューフィルの公式サイトの「練習日程」では、練習会場の画像ファイルに直接リンクしています。画像のサイズに合わせてウィンドウの大きさをきちんと設定してありますから、スクロールしなくても、全体の地図が見えるようになっているはずです。
aventure number : 0281 date : 2003/12/28


今日の禁断 南利明

 ついにアメリカで狂牛病が発生、日本への輸入が停止という事態になって、関係各位は頭を悩ましておられることでしょう。もはや、輸入牛肉は私たちの生活になくてはならないものになっていますから、そのうち、じわじわとその影響が現れてくることでしょう。一番ありがちなのは、こういう機会に実は潤沢にあるものを出し惜しみして価格をつり上げる奴(そう言えば、今年のお米はどうなのでしょう)。トイレットペーパーで懲りているはずなのに、まだまだ「千載一遇」を狙う人は、後を絶ちません。昔々のことですが、「銀の値段が上がった」といって、フルートの価格を2倍(!)にしたメーカーがありましたが、誰も何も言わないで従っていたのですから。
 そんなご時世に逆らって、最近よく焼き肉屋に行っています。前からちょっと気になっていたお店にたまたま行ってみたら、なかなかリーズナブルな値段でたっぷり食べられるのが魅力で、すっかりお気に入りになってしまいました。それだけではなく、そこは、チェーン店であちこちにお店があるのですが、それぞれ内装に凝っていて、ちょっとした別世界に入ったような体験ができる仕掛けが施してあるのです。例えば、ごく最近、22日にオープンしたばかりの八幡町店では、
こんな風に、昭和初期の町並みを再現した、レトロな造りになっていて、看板を出しているそれぞれのお店が個室になっています。トイレは銭湯の中。BGMも、その頃の「流行歌」、「上海帰りのリル」みたいなのを流していますし。他の店の写真を見ると、軒先に大根を干してある農家をテーマにしたものとかあるみたい、BGMは「南部牛追い歌」でしょうか。
 この「やき組」という焼肉屋チェーンを経営しているのは「京王ズ」という仙台の会社なのですが、ここがやはり経営しているのが、「京の蛍」という、和食のチェーン店です。ここにも一度行ってみましたが、そこもやはり大がかりなジオラマといった感じの内装になっています。吹き抜けになっていて、真ん中には川が流れて、橋が架かっていて、という、まるで「千と千尋」に出てくるお風呂屋さんのような感じです。ただ、ここの料理は最低、2度と行くことはありません。
 「やき組」の方は、さっきも書いたように味には全く問題はありません。しかし、店によっては店員の対応が極端に鈍いので、注意が必要。水を持ってきてもらうだけで、いったい何人の店員を呼びつけたことでしょう。
【禁断崩し・・・280青ひげ】
 もう「パーフェクト・オペラ・ガイド」は入手されましたか。あの中のバルトークの「青ひげ公の城」での「準推薦盤」のブーレーズ盤のジャケ写が、私のコレクション。ところが、そのコメントにミスプリがありました。歌っているのはノーマンではなく、トロヤノスです。
aventure number : 0282 date : 2003/12/29


今日の禁断 あがり

 2003年も、あと数時間で終わろうとしています(みたいな、今日、さんざん聴かされたであろう紋切り型の表現は、普段そんなことをやらない「禁断」という場でこそ、光を放ちます・・・なんてね)。しかし、この1年のなんと早かったことでしょう。時間の流れなどは相対的なものに過ぎませんから、これは私にとっていかに今年が多彩であったかという証になるわけです。そんな中で、なんと言っても最大の出来事は、瀬尾さんとの共演でしょうか。「こんなことが、いつか出来たらいいな〜」と漠然と思っていたことが、ひとつのきっかけであれよあれよという間に実現してしまったのですから、すごいものです。しかも、障害らしい障害は全くなかっただけでなく、このサイトや「かいほうげん」で題材として楽しみつつ進めていくことが出来たのですから、思い切り充実した体験でした。
 指揮者では、久しぶりにお会いして話をすることが出来た下野さんと、ついに共演出来るところまでこぎ着けましたし。しかも、曲目も、念願のドヴォルジャークの8番に決まるのは、ほぼ確実視されているのは、衆目の一致するところ(なわけないだろう、という声は、あまりにも弱々しいものです)。来年も、やはり時間は早く過ぎていくことでしょう。
 指揮者といえば、ロスの篠崎さんとも、改めてコンタクトを取ることができました。来年はフリーの身となり、ニューフィルの指揮台に立つことだって、ないとは言えないという感触も得られましたし。しかし、これだけランクが上がってしまうと、ギャラはかなりのものを覚悟しなければならないのかも。
 ネガティブな面でも、さまざまなことがありましたね。それまで多くの理不尽な要求を突きつけたり、会心の出来だと思って発送した原稿を、なんの断りもなく無惨に改竄したりしていた編集者との確執が、ついに絶えきれないものとなり、私のプロのライターとしてのキャリアは終わらせざるを得なくなりました。ライターとはいっても、私には、対象に対しての誠実な論評を行うという以上の能力はありませんから、それを超えた別の能力が求められる媒体には、そもそも無理なところがあったのです。しかし、同じ時期にここの仕事を始め、半ばライバルのような形で意識していた篠田綾瀬さんという、こちらは本物のプロの方が、ついに音楽之友社という大メジャーから単行本(共著ですが)を出されたという知らせには、度肝を抜かれました。読んでみると、これが面白い(○さん風)、同じステージで競っていたものが、はるかに水を空けられてしまったような感じです。私も負けられません。来年こそは・・・(なんのあてもありませんが)。
 そんなわけで、来年もよろしくお願いします。
aventure number : 0283 date : 2003/12/31


今日の禁断 シュトラウス

 あけましておめでとうございます。年始に当たって、初詣などに出かけるというのは、まっとうな日本人のあり方、かといって、それを言い訳にして○国神社に参拝したりするのは、一国の首相としてはあまりにも情けない行いですが。しかし、私が行ったのは青葉神社、藩祖伊達政宗を祀った神社ですから、きっと安全でしょう。なにしろ、境内の太い杉の木にしめ縄を「ミニョン巻き」にしているぐらいですから(本当ですよ。あまりにも思い入れが強いので、なんでもそれに見えてしまったというわけでは、断じてありません)。
 毎年、この時期はオーケストラの生放送が外国から入ってきます。その第1弾がベルリン・フィルの「ジルヴェスター・コンサート」です。なんでも、あまりに視聴率が低いので、来年以降は放送がなくなるという噂が飛び交っていますが、そうなってくると、これは貴重な最後の「生中継」となるわけですね。ラトルが音楽監督に就任してからのこのコンサートは、クラシックに限らない選曲で、なかなか刺激的なものになっています。今年(去年)も、ヴォーカルにジャズのダイアン・リーヴスを迎えて、ガーシュインのナンバーを聴かせるというもの。それを挟んで、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」と「ダフ・クロ」を演奏するという構成になっていました。これは、そんな、最後を飾るにふさわしい(誤解を招きそうな言い方)素晴らしいコンサートでした。なによりも素晴らしいのが、ダイアン・リーヴスの歌。この人、名前は聞いたことがありますが、きちんと歌を聴くのは初めて、顔も初めて知ったというくらいですが、最初の声を聴いた瞬間からすっかり引き込まれてしまいました。その声は、とても素直に心に染み入る力を持っていたからです。正直言って、私はいかにも「ジャズ」という、ビブラートびしゃびしゃのダミ声はちょっと苦手。独特のアクの強い歌い方は、「通」だったら好きにならなければいけないものなのでしょうが、私はそこまでの境地には達することは出来ません。よく、「音楽にジャンルはない」などという暴言を吐く人がいますが、これはまちがい。ジャズ・ファンには決して受け入れられないクラシックがあるように、クラシック・ファンは決して親しめることのないジャズというものは、厳然として存在しているのです。そんなわけで、ジャズヴォーカル、特に女声は今まで進んで聴くということはありませんでした。ところが、ダイアン・リーヴスは違います。基本は、とても伸びのある自然な発声、その上にジャズ特有のフレーヴァーが被さっているという感じ、これだったら、クラシック・ファンでも全く違和感なく聴くことが出来ます。しかも、ベルリン・フィルのバックがしっかりジャズになりきっています。なによりも、アンコールの「A Foggy Day」でヴィオラの2プルト(!)の人が見せたソロの素晴らしかったこと。「ジャズ・ヴィオラ」などというものを生まれて初めて聴きましたが、これはすごいものでした。
 それに反して、おそらくかなりの人が期待していたであろう「ダフ・クロ」でのパユのソロは、悲惨もいいところでした。華麗さには程遠いテクニックと、どんくさい歌い方、あの、かつては飛ぶ鳥を落とす勢いだったフルーティストの姿は、どこにも見あたりません。
【禁断崩し・・・282南利明】
 レトロな「やき組」には、さまざまな小道具が飾られています。大塚製薬のホーロー看板もその一つ。レジの上には「ハヤシもあるでよ」のボンカレーの看板がありました。(その他には、由美かおりとか水原弘とか浪花千栄子、大村崑もあったかな。)
aventure number : 0284 date : 2004/1/1


今日の禁断 フィンランド

 新年にあたって、年賀状や年賀メールを受け取るのは楽しいものです。篠崎さんからは、昨年のクリスマスカード・メールに続いて、奥様とのツーショットが添付されたメールが届きました。この写真、ニューフィルの皆さんには「かいほうげん」に掲載してお見せ出来るでしょう。その代わり、サイトの方には、例のロスのおばさんがコンサートに行った時に入手したプログラムが、奇しくも元日に届いたので、その写真をアップしておきました。先日の批評のページの下にありますから、見てください。日本のプログラムとは違って、1ヶ月分の情報が網羅された、まるで雑誌のような体裁になっています。確かに、ノンブルの横には「パフォーマンス・マガジン」と書いてありましたし。
 初詣についても、ある方から面白い報告が届きましたよ。私が行ったのは明治時代になってから出来たという、いわば新興の青葉神社ですが、仙台には、それこそ伊達政宗その人が建てた由緒のある「大崎八幡宮」(平成10年に、それまでの「大崎八幡神社」から、改名したそうです)というのがあります。国宝にも指定されている桃山様式の立派な拝殿は、今は改修中ですが、ここで行われる「どんと祭」は全国的に有名、もちろん、初詣に訪れる善男善女の数も、おびただしいものがあります。そんな中で、彼女は参拝を待つ長い列の中にいました(多分、2時間待ちぐらい)。ところで、282で紹介した「やき組」という焼き肉屋さんは、この大崎八幡宮のすぐそばにあります。参拝のお客さんは、このお店の前を通ってから、八幡宮の鳥居をくぐり、石段を上がって本殿までたどり着くという経路をたどります。そこで、彼女が目にしたものは、「大崎八幡宮とやき組とはなんの関係もありません」という看板だったのです(ちょって、ディテールが違ったかも知れませんが)。やき組の店構えは、こんな感じ
確かに、これでは、神社と間違えて入ってしまう人がいるかも。というか、実際に間違えた人がいて、苦情が神社に届いたので、そんな看板を作ったのでしょうね。新春早々、こんな楽しいネタを提供してくれた7号さん、ありがとうございました。
 年賀状では、近況なども知ることが出来ますが、去年の9月にひょっこりと現れた京都のコタケッチが、あの時にはすでにご結婚なさっていたというのには、びっくりしてしまいました。そして、もっと、もっとびっくりしたのが、○号がやはり人妻になっていたという知らせです。お相手が、なんと同じ団員、ちっとも知りませんでしたよ。皆さん、知ってました?あの二人が・・だったって。正月早々こんなショッキングなニュースをもたらした○号って。次の「かいほうげん」では、1面トップでツーショット。
aventure number : 0285 date : 2004/1/2


今日の禁断 裏焼き

 初売りが終わっても、すかさずバーゲンが始まり、商店街はまるでお祭りのような騒ぎです。そんな喧噪の中に身を置いてみるのも嫌いではないので、とりあえず街へ繰り出す私。普段あまり行くことのない少し遠くのCD屋さんにも行ってみましょう。お正月ですから、クラシックだけではなくポップスもチェックです。3階(ジャズ・ポップス・ワールド)をしげしげと見回ってみると、「レイ・コニフ」などというコーナーもちゃんとありました。最近国内盤でもベスト盤が出たので、それが置いてあるのでしょう。しかし、良く見てみると、なんだか見慣れない輸入盤が混ざっています。もしやと思ってジャケットを見てみると、やはり、それはオリジナルアルバムの2on1だったのです。「2on1」という言葉、あまり馴染みがないかも知れませんが、昔のLPをCDにする時に、2枚分を1枚に収録したものを指し示す専門用語(そんなたいそうなものではありませんが)です。ポップスの場合、普通LP1枚の収録時間は30分ちょっとですから、楽々2枚が収まってしまうのです。今となってはとても入手出来ないような貴重なレコードが、2枚まるまる、しかも安い価格で手にはいるのですから、こんな嬉しいものはありません。
 ここで、ちょっと疑問が起きませんか?クラシックの場合、例えば「運命」と「新世界」が表と裏に入っていたLPってありませんでした?LPって、1時間以上入れることが出来るフォーマットではなかったのでしょうか。そうです。確かに「クラシック」の場合は、1枚に1時間以上入れることは可能です。しかし、ポップスでは、特にロックなどの場合、どんなに頑張っても45分以上は無理なのです。音楽の種類によって収録時間が違うなんてあり得ない、と思うかも知れませんが、これは厳然とした事実。その鍵は、このLPの溝を撮った写真に秘められています。
 左がポップスの溝、右がクラシックの溝。ポップスが割と均質に見えるのに対して、クラシックでは濃淡の差が激しいのが分かるはずです。LPの溝というのは、さすが「アナログ」というだけあって、音の大きさがそのまま溝の幅になっています。フォルテシモからピアニシモまで、音量の幅の大きいクラシックでは、その音量の変化がそのまま溝の広さの違いになって、目で見ることが出来るわけです。ですから、ピアニシモが続くようなところでは、溝を刻むピッチを狭くして、単位面積あたりの溝の量を増やすことが出来ます(ヴァリアブル・ピッチといいます)。しかし、ポップスの場合は、常にリズム帯がビートを刻んでいますから、音の大きさは常にほぼ一定になり、クラシックのようにピッチを稼ぐということは出来ず、収録時間は短くなってしまうのですよ。
 というわけで、思いがけなく手に入れた3枚の「2on1」と、最初から2枚組で出ていた「サハラ・タホ・ライヴ」、これから聴くのが楽しみです。
aventure number : 0286 date : 2004/1/4


今日の禁断 広辞苑

 初詣ネタの続編です。しかし、今頃気が付いたのですが、私は「初詣」などという気取った言い方はしなかったはずですよね。普通は「元朝参り」、いつの間にか「貴公子」になってしまった私は、つい仙台人である自分を忘れてしまっていたのです。それはともかく(このぐらいでは、「乳母」さんからのアラシはないでしょう)、先日の「やき組」の件は、結構シビアなことになっていることが、ネットを検索して分かりました。7号さんが見かけたという張り紙の現物が、これです。
 これは、開店早々町内各地に張り出されたもののようですので、どうやら神社だと思って間違って「やき組」に入ってしまったお客さんからのクレームでこういう警告を出したというわけではなさそうです。これは、どちらかというと、「鳥居」に問題がありそう。そう、前の写真では分かりませんが、他のチェーン店同様、このお店の前には、シンボルというか、看板代わりに大きな鳥居が立っているのです。事実としては、このお店が出来る話があった時に、この鳥居の件を気にした神社側が鳥居を建てないように申し入れたようなのですね。お店の名前も、そもそもは「大崎八幡宮店」という風にしたかったとか。私あたりは、このぐらいの遊び心があっても良いのではと思ってしまいますが、神社側にしては許し難いことだったのでしょう。結局、店名は「八幡店」と変更されたのですが、鳥居は聞き入れてもらえなかったとか。この張り紙は、ですからそんな理不尽な対応に怒りを露わにした神社側の抗議の表明だったのですね。鳥居というものは、単なる建造物ではなく宗教的な意味合いを強く持っている、言ってみれば信仰の対象みたいなものなのでしょうから、そのすぐそばにただの飾りにしか見えないものが立つのは迷惑なことなのでしょう。
 しかしな〜。そうなってくると、毎年年末年始に一番町に立てられる鳥居などは、いったいどうなるのでしょうね。そう言えば、昔は、この商店街の鳥居、どんと祭のときにこの大崎八幡まで運んできて、火の中にくべていませんでしたか。確かに、テレビであの大きな真っ赤な鳥居が赤い炎の中であえいでいる姿が記憶に残っているのですが、それは気のせいでしょうか。もちろん、今ではそんなことはしていませんが、もしかしたら、これも神社側からの「申し入れ」で中止になったのかも知れませんね。
 いかにもお正月らしい話題で燃え上がり、いや、盛り上がりましたが、テレビのお正月番組でも、今年の芸能人の話題で盛り上がっていました。しかし、「ことし破局する人たち」という言い方には、ちょっと引っかかってしまいます。別に、そんなどうでも良いことをやるなと言うわけではなく、「破局する」という言い方が・・・。普通、「私と○号は破局を迎えた」という風に、「破局」のあとには「迎える」みたいな別の動詞を付けるものだと思っていましたから、「破局する」という、単独での動詞的な使い方にはちょっと違和感があるというだけです。しかし、これだけテレビで繰り返し使われれば、いずれは誰も疑わずに使うようになってしまうのでしょう。もしかしたら、もうすでにこんなことを考えるのは、私だけなのかも。
aventure number : 0287 date : 2004/1/5


今日の禁断 脱線トリオ

 いよいよトップページに「25万」のマーキーが出ました。早ければ今週中にはこの大台が達成出来ることでしょう。最近、このカウンターも調子が悪くなってきて、いつまた消えてしまうか分からないという不安定な状態ですが、もうしばらく頑張って頂きましょうか。どうやら、このカウンター、JPのような大量のアクセスには対応出来ないようなスペックのようで、アクセス解析も少しログがたまりすぎると、もう動かなくなってしまうような情けないものですから、これもお払い箱になるのは時間の問題でしょう(お払い箱にしたはずのSTさんは、しぶとく戻ってきましたが)。
 普通のカウンターサービスでは対応出来ないほどの人気サイトですから、誰が読んでいるか分かりません。ついうっかり見過ごしてしまったミスも、鋭く突っ込んでくれる人も多くなってきます。中でもすごいのは、ちょっと前に掲示板に書き込んでくださった、MIDIのまちがいの指摘。決していい加減に作っているわけではないのですが、こういうものは一度作ってしまうととりあえず聴いてみて特に違和感がなければ、まず見直すということはしません。それにしても、いくら楽譜が掲載してあったからといっても、あのまちがいに気付くとは。おそらく、実際にモーンダー版の「モツレク」を歌ったことがあるのかも知れませんね。そうなのですよ。昔合唱をやっていたとはいっても、私はフォーレとデュリュフレのレクイエムと、「ヨハネ」しか歌ったことがありません。「モツレク」にはフルートも入っていませんから、これからも自分で演奏する機会はないわけで(もはや、合唱が出来る声ではありませんし)、この辺が実際に歌ったことのある人との大きな違いになってくるのかもしれません。「ベーレンライター版」などと大きな顔をして言っていられるのも、実際に演奏した体験があるからこそなのですよね。
 もう一つ、最近寄せられた指摘は、「南利明」です。リアルタイムで「ハヤシもあるでよ〜」を体験している人間としてはある意味自信を持っていたのですが、「ホーロー看板」に気をとらわれてとんでもないミスを犯してしまいました。あれは、「大塚のボンカレー」ではなく、「オリエンタルのスナックカレー」だったのですよ。そもそも「オリエンタル」というのは名古屋の会社、だから、あんな名古屋弁のCMを作ったのですね。「もうすでに、どなたかから突っ込まれたかも知れませんが」と、その方は書いておられましたが、もちろんこれが初めての指摘。きっと、みんな私同様、「ボンカレー」と信じて疑わなかったのでしょうね。
 そう言えば、「ミニョン巻き」に異常に敏感な反応を示されていた「乳母」さんのような方もいましたね。ぜひ一度お会いして、ペ・ヨンジュンの魅力について語り明かしたいものです。
【禁断崩し・・・286裏焼き】
 「サハラ・タホ・ライブ」の裏ジャケがこれ。分かります?トロンボーン、クラリネット、ハープなどを見ると、完璧に左右が逆になっています。もちろん、オリジナルのLPではこんな「ミス」は犯してはいません。
aventure number : 0288 date : 2004/1/7


今日の禁断 野村玲子

 おとといの朝日新聞(当地で読める版)に、例の吉田純子さんが、東京都交響楽団の勤務評定みたいなことについて書いていましたね。先日の「のだめ」の記事で正体がばれてしまったので(あれから、他の人が、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタのことを「連弾曲」と書いていた、と突っ込んでいるのを見つけました。彼女はほんとにシロートだったんですね。)、どこまで事実に基づいているのか信用出来ないというのが難点ですが、とにかく、オーケストラの団員の査定を、「素人にも分かる」ような方法で行うようになるのだそうですね。例えば、一般団員であれば「聴衆に不快感を与えないようステージ・マナーを励行した」ことが求められ、首席奏者であれば「セクション内のチームワークと調和はもとより、指揮者及び他セクションとの調和に努めた」ことが要求されるのだそうです。いやぁ、「指揮者との調和」というのが良いですね。ゴールウェイなどは、練習の時には指揮者の言うとおりに演奏していても、本番では違うことをやっていたそうですから、この査定基準からは見事にはじかれてしまうことでしょうね。「税金を投入している」から、というのが最大の理由なのだそうですが、これが日本の行政の実態なのです。音楽のことなど何も分からない野暮天のお役人に文化や芸術のことを任せるのが、どれほどみっともないことか、そんな簡単なことも分からない東京都の管理下にある限り、都響の団員がこんな情けない指標で査定されるのは永久に免れないことでしょう。
 これが、同じ文化でも、クラシックと違って確実に利益の上がる分野のものだと、話は違ってきます。なんでも、劇団四季の総帥、新郎の浅利慶太氏が、静岡市に対して「四季」の専用劇場の建設を要請、市長もまんざらではない回答を寄せたと言うことです。しかも、この同じ要請が、広島市と、そして、仙台市にも持ちかけられているとか。「オペラ座の怪人」に続いて「キャッツ」を県民会館を借り切ってロングラン、それがかなりの好評を以て受け入れられているのですから、その実績にどっぷりつかってしまって、年中「四季」が見られたら、と思い始めている市民を味方にすれば、この新郎の野望は、案外すんなり達成出来てしまうかも知れませんね。もちろん、確実に「経済効果」の恩恵に預かれる人たちにも大歓迎でしょう。こんなことは、連日大入り満員の公演を半年間も続けることが出来るという集客力があってこそ可能なこと、間近になって躍起になって招待券を配らないことには決して満席には出来ないクラシックの世界では、したがって、最低限の音響と、設備を満たした音楽専用ホールでさえ、未来永劫建つ見込みはありません。
 私も2回ほど見ましたが、確かに「キャッツ」はすごいミュージカルです。しかし、作品として見た場合、音楽はともかく、あの訳詞はとてつもなく稚拙に感じられてしまいます。ただ言葉を置き換えただけの、聴いていて恥ずかしくなるようなお粗末な日本語に気を留めるような細かい感性を持っていれば、あの、有無をいわせぬ力でねじ伏せる浅利慶太の演出と、そして野望に対して、少なからぬ疑問を抱くのも難しくはないはずです。
aventure number : 0289 date : 2004/1/8


今日の禁断 ドボ7

 25万も無事達成、相変わらず快調なペースで、アクセスは増え続けています。ただ、「セキュリティ・ソフトを導入したら、カウンターが表示されなくなった」という声を聞いたのが、ちょっと気がかりなところ、他の方も、その辺の情報を、ぜひお寄せ下さい。
 きのうは、ニューフィルの新年の恒例行事、団員総会と新年会が行われました。県民会館の会議室で開かれた総会は、この年に1度の大切なイベントにぜひ参加しようという熱心な団員が詰めかけたため、相当大きな部屋を借りたにもかかわらず、座りきれない人が出てくるという盛況を見せていました。そんな、多くの団員の熱気で、外は真冬の寒さだというのに、会場は蒸し返るほど、もちろん、コートなどを着ている人はいませんが、シャツ1枚、中には上半身裸などという過激な人もいましたよ。そんな人は、もし今年も去年と同じプロ野球チームが優勝したりしたならば、下半身も裸になってしまうことでしょう(下半身タイガース)。熱のこもった議論で、団内の懸案事項は全て解決、新しく選出された役員のメンバーたちの、これからのニューフィルの更なる発展を全団員に固く約束するというメッセージとともに、総会は終了しました。
 場所を変えての新年会までには、少し時間があったので、秋の定期演奏会の曲目についての技術委員会が、引き続き行われることになりました。下野さんから提案のあったドヴォルジャーク・プログラムの、メインの交響曲の、最終的な決定がなされるというわけです。もちろん、結果はすでに明白なものがありました。それでも、民主主義のルールにのっとって、他の候補曲、交響曲第6番と、交響曲第7番のプレゼンに、それなりの時間を費やすことも忘れてはいません。そして、そのようなしかるべき手続きを経た後に、技術委員全員による投票が行われました。もちろん、全員一致で交響曲第8番がメインの曲目に決定したのは、言うまでもありません。この瞬間、私の中に、この秋の定期演奏会は、おそらくニューフィルの歴史の中でも特筆されるコンサートになるに違いない、という予感のようなものがわき上がってくるのを感じないわけにはいきませんでした。去年の5月の岩沼市民会館、仙台フィルを相手に演奏されたこの曲は、とてつもなく衝撃的なものでした。ポピュラーな名曲として、ある意味軽く聴き流されることも多くなっているこの曲から、下野さんは思ってもみなかったような新鮮な魅力を引き出していたのです。もちろん、プロの仙台フィルとは土俵が違いますが、逆にアマチュアだからこそ、下野さんのやりたかったことはさらに徹底されて、ものすごい名演が誕生するはずなのです。もちろん、これは誰でも知っている「8番」という曲だからこそ、普通のお客さんにもその凄さが分かろうというもの、これが、初めて聴く「6番」や「7番」では、たとえそれがいかに卓越したものであろうが、お客さんにはその本当の違いは分かるはずはないのですから。
 新年会には、総会に出席した人はもちろん全員参加しましたし、都合で間に合わなかった人も駆けつけて、大いに盛り上がりました。2号、3号、5〜9号、15号、29〜31号、そして、もはや団員ではないものの、わざわざ来てくれた1号に囲まれて、私は本当に幸せでした。
 これって・・・初夢?
aventure number : 0290 date : 2004/1/11


今日の禁断 勝山

 どんと祭の朝は、吹雪でした。それほどの雪の量ではないのですが、車はライトを点けてないとまず見えないぐらいの降りではありました。根性なしの娘が「学校まで乗せてって」と言うものですから、出勤前に、そんな悪天候の中を桜ヶ丘にあるさる女子大まで寄り道です。途中、坂道を登ったり降りたり、今はまだ大丈夫ですが、もう少し降ってくると上れない車も出てくるかも知れません。下りにしても、ちょっと油断をするとスリップの可能性だって・・・。免許を取ったばかりの娘にそんなことを話ながら走っている時には、まさかそんなことが現実に目の前で起こるとは思いもしませんでした。しかし、かなり急な坂道が左折しているポイントで、それは起こっていたのです。ハザードランプを点滅させて止まっている車がいたので変だとは思ったのですが、視界が開けたら、その前にもう1台、見事に正面衝突事故が起こった、まさにその直後だったのです。なんだか男があわててケータイをかけている前を、気の毒そうな顔をして通り過ぎていく間にも、雪はどんどん強く降ってきていました。
 目的地の大学の前まで来た時に目にした光景は、今見たばかりの事故よりさらにインパクトのあるものでした。大学の向かいのグラウンドのそばにある空き地は除雪車の待機場になっているのですが、そこには数台の除雪車が何事もなかったかのように放置されてあったのです。除雪車というのは、雪が降った日に、道路の雪を除くために使われるものなのではなかったのでしょうか。それがこんな日に使われずにおいてあるなんて、どういうことなのでしょう。しかし、考えてみれば、いつ降るか分からない雪のために常時要員を待機しておくことの方が、どう見ても非現実的なのは分かり切ったこと、「万全の除雪体制をとってます」などと言う戯言を信じた私の愚かさに、もっと早く気付くべきでした。
 午後には雪は小降りになったものの、道路は凍り付いています。青葉神社の石段も、ちょっと危なげ。こぢんまりとしたご神火に松飾りや縁起物のダルマなどを投げ込んで(火ダルマだ)、無病息災をお祈りしましょう(御利益は確かにありました。去年お参りした甲斐があって、風邪ひとつひくことはありませんでした)。本殿にお参りするついでに、この間見かけた「ミニョン巻き」のしめ縄の証拠写真を撮ってみたので、見てください。
 後ろに裸参りの一団が写っています。これを撮った時は気付かなかったのですが、その先頭にはあの仙台伊達家18代当主、泰宗さんが、上下(かみしも)姿で立っていたのです。こんな寒いのに、「休むね」とは言わないで、しっかりお参りに来たのですね。あごひげに白いものが混じっていますが、「伊達政宗の子孫」というオーラが漂っているのは、さすがです。
 どんと祭の次の日が「成人式」という時代は終わってしまいました。この行事がどういうものであるかを身を以て知ることが出来た今年の成人の日でしたが、「第2月曜日」などと言う、ただ休日が確保出来ればよいという軟弱な発想から決められた日程になってからというもの、この式典の無意味さが加速されてきたのは明白です。晴れ着業者以外にはなんの価値もないこのばかげた式典を早急に廃止するのが、真の文化国家であることを気付くには、この国は愚かすぎます。
aventure number : 0291 date : 2004/1/14


今日の禁断 打楽器

 きのう練習にいく途中、台原の地下鉄駅のそばで、1車線分がまるまるパイロンを使って閉鎖されていて、パトカーが止まっていました。取り締まりでもやっているのかなと、こわごわ近づいてみると、それは事故処理の現場でした。かなり大規模な追突事故があったみたい、このところ、こんなものばかりに遭遇しています。事実、旭ヶ丘の駐車場脇のセブンの前はツルツルに凍っていましたから、ちょっと油断をすると大きな事故につながりかねません。滑ってぶつかった瞬間に、人格が入れ替わってしまうとか(それは「あたしンち」かな)。
 なんせ、岩村さんとの初練習まであと一月もないのですから、もちろん練習は大事、「魔笛」のEs-Durのハーモニーも何回かやっているうちに決まってきましたし、十六分音符の「転び」も次回頃には解消されているでしょう。「ブラ1」の木管の掛け合いだって、あと何度かやればきちんとお互いが聴けてきれいにつなげることが出来るようになっていることでしょう。そんな、実りの多い合奏でしたが、例によって「かいほうげん」モードに入っている私は写真撮影の手配に余念がありません。今回は新入団員だけでも全部で4人、来週はパート練習ですから、他のパートの人には、もう写真に入ってもらう機会はありません。先週のうちに撮っておくのだったという後悔の念にさいなまれながら、祈るような気持ちで出席者をチェックです。さいわい、木曜日という悪コンディションにもかかわらず、4人のうちの3人までは無事撮影を完了することが出来ました。「素顔の団員」も、前もってアポを入れておいたお陰で、事なきを得ました。しかし、最も期待されていると思われる、今回の新郎新婦のツーショットは、新婦○チャンの強硬な抗議にあって、その実現までは幾多の困難が横たわることになってしまいました。でも、いいんです。この二人の写真だったらMOの中に腐るほどありますから、より取り見取り、きっと何とかなることでしょう。
 しかし、困ったのは残りの1人の新入団員です。いつも練習場に誰よりも早く現れてウォーム・アップをしていたので、よもや休むはずはないと思ってなんの手も打っていなかったのが、敗因でした。どうしましょう。最悪「NOW PRINTING」で逃げる手はありますが、そういう事態を招く前に、まだなにか打つ手はあるはずではないでしょうか。そんな思いでその辺にあった、まだIT化される前の銀塩写真の束を眺めてみたら・・・ありました。新入団員とは言っても、実は再入団、しかも、エキストラとして演奏会には来ていたこともあったので、5年前の「角田第9」のときに撮った写真の中に、格好のアングルで写っていたのですよ。この演奏会、実は私は参加していなくて、しできさんに頼んで撮ってきてもらったもの、自分で撮ったものではありませんから、何が写っていたのか全く記憶にはなかったので、ほんとにびっくりしました。
 しかし、この写真にも問題はありました。なんと、同じパートの人の顔が、でかでかと前をふさいでいたのです。仕方がありません。ここはひとつ、私の合成技術の登場、かなり無理はありますが、何とかそれらしい処理が完成しましたので、再来週にはその成果をご覧下さい。
【禁断崩し・・・291勝山】
 裸参りのグループは「勝山酒造」の社員。普通裸参りは例の「大崎八幡宮」に行くものなのですが、この会社だけはなにか問題が起きて、ある年から青葉神社に来るようになりました。それがなんだったのか、忘れてしまいましたが。
aventure number : 0292 date : 2004/1/16


今日の禁断 みさえ

 劇団四季の専用劇場を作る動きは、ついに市長によってゴーサインが出されてしまったようですね。追加公演のチケットが先行発売になって、千秋楽の分は10分足らずで売り切れてしまったと言いますから、多分ペイ出来るものはあるのでしょう。その楽日のチケット、とても電話はつながらないと見た愚妻の根性は、成人式の朝早くにプレイガイドに並ぶという気合いの入った行動によって、入手を可能にしてしまいました。こんなプラチナ・チケット、手に入っただけで良しとしなければいけないのに、余りよい席ではなかったので、その前日にきちんとした席をインターネットで購入することも忘れてはいません。さらに、この、好きな座席がネットで自由に選べるというシステムに味を占めた愚妻は、「ラム・タム・タガーに連れて行かれたい」などと言い出しましたよ。「キャッツ」というのは、ステージと客席の境界を取り払った演出が売り物なのですが、その中でそう言う名前の猫が観客の一人をステージ上に連れて行って、一緒に踊るというネタがあるのですよ。その連れて行かれる人が座っているあたりの席をゲットできれば、そんな夢のような体験がもしかしたら実現出来るかも知れないというのですね。そのために、まず、会員の先行販売が行われている今日中に、その正確な席を確認するために、実際に劇場の中に入って、公演を見ることにしたのですから、いやはや。もっとも、3階席の一番後ろの列が、毎日当日券で20枚以上売り出されるという情報はあまり知られていないようで、3000円のそのチケットは、難なく買うことが出来ました。もちろん、連れて行かれた人の席は、しっかりチェック、家へ帰ってすぐ、そこが空いている日にちを探して、予約したのは言うまでもありません。親子並んで前後に座るのだとか。もしかしたら、連れて行かれるのは娘かも。
 そんなわけで、私にとっては3回目の「キャッツ」でしたが、すぐ横に6ヶ月ぐらいの赤ん坊を連れた夫婦が座っていたのには驚きました。案の定、2幕になったら大声を出し始めて、迷惑なのは明らか。しかし、子供を抱いた妻は、外に出る気配はありません。そのうちダンナが立ち上がって、妻に「迷惑だから、外に出ようよ」、しかし妻は「だって、私、これ見たいし〜」、ダンナ「お前がそんな奴とは知らなかった。今すぐ分かれようぜ」(と、ドアから外へ)、妻「あ〜ん、待ってよ〜。すぐ怒るし〜」(あわてて追いかける。しかし、ダンナの決意は固く、二人はついに離婚)・・・
 まさかそんなことはないでしょうが(あったりして)、そもそもそんな子供を連れてくること自体が非常識だとはさらさら思わないような人が堂々と見に来るようになるのが、「ロングラン」の実態なのかも知れません。そうだとしたら、劇場を作ることが本当の意味での文化的な貢献になるのかは、はなはだ疑問。もっと以前に、関係者がこれを果たして文化ととらえているのかというほうが、もっと疑問。そもそも、「3歳以下のお子さんは、抱いても構わない」と、常日頃コンサートへの未就学児の入場は無理と考えている私たちの常識からはとても考えられないようなことが、「四季」のチラシには堂々と明記されているのですから。
aventure number : 0293 date : 2004/1/17


今日の禁断 クラプトン

 このところ、私の周りではミュージカルといえば「キャッツ」一色ですが、ちょっと前にテレビで同じ作曲家がもう少し前に作った「ジーザス・クライスト・スーパースター」が放送されていました。1971年に作られたこの作品、73年にはノーマン・ジュイソンの手で映画にもなり、それこそ「劇団四季」がミュージカル路線を突き進むようになる最初の時期の演目にもなっていましたね。今思えば、あの頃の浅利慶太は、ちゃんと「演出」をやってましたっけ。これなどは、確か舞台を江戸時代に置き換えたバージョンがあったりして、市村正親が花魁姿のヘロデ王を演じて、大評判になったのではありませんでしたかねえ。その頃は、PA関連の技術もまだ未熟、今のようにマッチ棒のようなワイヤレスマイクを自由自在に使えるという時代ではありませんから、使っていたのはワイヤードのヴォーカル・マイク、「ロック・オペラ」という肩書きを逆手にとって、まさにロック・シンガーのノリでマイクを操っていたものでした。
 今回放送されたのは、ごく最近、2000年にブロードウェイのキャストによって撮影されたもの、ステージではなく、セットを使って映画のような作り方がされたものでした。何十年かぶりに見てみて感じたのは、この作品の音楽の完成度の高さ。どのナンバーをとってみても、特にそのキャッチーなメロディーには、まさに天才的なひらめきが感じられてしまいます。特に、今回再確認出来たのが、「私はイエスが分からない(I Don't Know How to Love Him)」というバラードの素晴らしさ。ジュイソン版の映画のイヴォンヌ・エリマンの歌ではあまり感じなかったのですが、今回聴いた時にはAメロからBメロに移った瞬間に、歌われている世界ががらりと変わってしまうのがよく分かってびっくりしてしまいました。この「Bメロ」の魅力というものは、おそらくロイド・ウェッバーの作品が心を打つひとつの要因なのに違いありません。「キャッツ」の「メモリー」も、まさにそんな曲なのですが、あいにく、今仙台で聴けるその歌からは、そのような高次元の表現を味わうことは不可能です。それはもちろん歌い手の力量に負うところが大きいのは明白ですが、それ以上に歌詞からの訴えかけが全く期待出来ない醜悪な訳詞のせいに違いないと、私は密かに信じているのですが。
 ところで、その「キャッツ」を見に行ったきのうの禁断、「3歳以下のお子さんは、抱いても構わない」というフレーズは、とんでもない読み取られ方もあり得るということを、ある人から指摘されました。もちろん、これは「抱きかかえて」ということなのですが、ある種の欲求不満が蓄積されているような人が読むと、「抱く」という言葉に敏感に反応してしまって、あのマイケル・ジャクソンのようなイメージがわいてしまうというのです。「劇団四季はすごいことを奨励しているのですね」と、その人の文面は笑っていました。
aventure number : 0294 date : 2004/1/18


今日の禁断 チャーリーズ・エンジェル

 来週が「かいほうげん」の発行日だということで、編集作業は大詰めを迎えています。総会の議事録のMD起こしも完了、出された意見が多かったので、これだけで4ページは稼げるという、いい仕事です。しかし、今回はどう工夫してみても2ページほど足りません。今までは、JAOのフェスティバルに参加した人たちのレポートが毎月送られてきたので楽勝だったのが、全員書き終わってしまったら、その分が足らなくなったというわけですね。仕方がありません。ここはひとつ、しばらく仕事をしていなかったヒレカツ先生にお願いして、何か原稿を作ってもらいましょう。「キャッツ」はご覧になっていたみたいですし。というわけで、出来たのがこれです。さすが、仕事の速いヒレカツ先生だけのことはあります。夕べのうちにきっかり2ページ分の長さの原稿が届きましたよ。ですから、これは昨日のうちにアップしたもの、一応更新情報のバナーは変えておいたものの、目に付くところで案内をするのはこれが初めてです。ところが、アクセス解析でこのファイルへのアクセスを見てみると、すでに今までに7人の人が見に来ているのですね。日々の暮らしに追いまくられて、「禁断」と「おやぢ」しか更新していないため、トップページの更新のバナーは1ヶ月以上も同じものが出ていたのに、それをきちんとチェックしてくれる人はいたのですね。ありがたいことです。
 この中で、ヒレカツ先生はご自分のことを「高名な評論家」などと持ち上げていますが、もちろんこれはお遊びでしょう。私同様、いかにもありそうなことを書いて人を煙に巻くのが大好きな先生のことですから、大目に見てあげて下さい。実は、ちょっと前の「禁断」でも、メインの曲が決まったことをかなり複雑な仕掛けを施して書いたら、今日の管分奏のときに、「あれって、8番に決まったってことですか?」と訊いてきた人がいたくらいですから、罪作りなものです。
 というわけで、今日の練習は久しぶりにパルシティで分奏でした。新しく入った人で、ここに初めて来る人がいるので、先週あたりは「すごく暑いよ」と言ってあったのですが、やはり、本当に、あの暑さは健在でした。前はクーラーを入れれば、とりあえずダクトの真下だけは「涼しく」なったものでしたが、今日は、そのダクトからはなま暖かい風が降りてくるだけ、この会場の空調事情は、更にとんでもないものになっていました。確か、あと1回ここを使うはずですが、その後はうまい具合に「抽選」にはずれたために、青年文化の練習室になっていましたから、このままはずれ続けてくれれば良いな、と願うばかりです。
 練習指揮者の陣容も少し変わって、新鮮な顔ぶれが登場し、今後の分奏への期待がうかがえました。もちろん、定時に始まってしっかり定時までやるという密度の濃さ、出席者も多く、実のある練習だったことでしょう。相変わらず、新郎新婦には写真撮影を拒まれてしまいましたが。こうなったら、マジで合成を考えねば。
aventure number : 0295 date : 2004/1/20


今日の禁断 朝日ウィル

 風邪が流行っているようですが、私のまわりではあいにく風邪の人は見かけませんから、イマイチ実感がありません。と思っていたら、久しぶりに届いた瀬尾さんからのメール(といってもBCC)の中で、瀬尾さんがひどい風邪にかかっていることを告げてきました。お大事に。肝心の用件は、前にも掲示板に書き込んだラジオの話です。この前のうちの定期のすぐあとに東京でリサイタルがあったのですが、その模様がNHK−FMで放送になるという件を、確認してきたわけです。念のため、もう一度書いておくと、23日金曜日(つまりあした)の19:20から21:00までの「ベスト・オブ・クラシック」で、このリサイタルが、おそらく全曲放送になります。ぜひ、聴きましょうね。といっても、私は自宅ではFMを聴ける環境にないので、職場のシステムで留守録です。LPモードのMDを導入しておいて、良かったですね。
 業務連絡はそのぐらいで、実は、今コンサートに行って帰ってきたばかり。菅英三子さんと、東京ゾリステンというメンバーによる「ニュー・イヤー・コンサート」です。例によって菅さんのファンの愚妻が、だいぶ前から行きたがっていたのですが、プログラムを見ると菅さんの出番は半分ぐらいしかありません。それで入場料が6000円といいますから、ちょっと買うのはためらっていました。そこで頼りにしたのが「チケットプレゼント」、この間ニューフィルがやったみたいに、この菅さんのコンサートも、いろんなフリーペーパーでペアチケットのプレゼントが応募出来るようになっていました。それに片っ端から出したみたいですが、結局そのうちの2件で当選してしまったのです。1枚は別の人にあげて、残りの1枚で、私と行ってきたというわけです。
 会場の電力ホールは、それだけばらまいてもあまり効果がなかったようで、6、7分の入りといったところ、遅れてきた客が曲の途中で堂々と前の方の席に座ったりと、ミュージカルに限らずクラシックでも、マナーは地に落ちています。お客さんは殆ど菅さん目当てで来ているようですが、コンサートの方はまず東京ゾリステンでなんとヴィヴァルディの「春」全曲です。これが、オーソドックスというか、芸がないというか、今どき珍しい楽譜に書いてあることだけを演奏するというスタイル。今の時代にこんなヴィヴァルディを演奏するのになんの意味があるのかと不思議になってしまいますが、これが普通のプロの演奏家の実態なのでしょう。そういう意味では、東京の演奏家というのは、最もオーソドックス、言い換えれば世界の趨勢からは取り残されている人たちなのかも知れません。刺激的な演奏は外タレに任せておこうと。
 肝心の菅さんですが、愚妻でさえ「ちょっとひどいね」というぐらいの、以前教会で聴いた時とはまるで別人のようなキレの悪さ。音程は決まらないし、コロラトゥーラはガタガタだし・・・。ちょっとガッカリです。もし6000円出して聴いたとしたら、さぞや落ち込んでいたことでしょう。
【禁断崩し・・・294クラプトン】
 ジュイソン版でマリアを歌っていたイヴォンヌ・エリマンは、その頃エリック・クラプトンのツアーにバック・コーラスで参加していましたが、アジア系の顔なのですぐ分かりました。今はどうしているのでしょう。
aventure number : 0296 date : 2004/1/22


今日の禁断 宮本亜門

 夕べから降り続いていた雪、今朝起きてみたら一面の銀世界、駐車場の車は久しぶりにすっぽり埋まっていました。今年最大の積雪となった道路ですから、出来るだけ坂道は避けて、平らな道を走るようにしましょう。当然のことながら、朝になれば確実に雪が積もると分かっていても、夜のうちに除雪車を出動させるなどという体制は、この都市ではとられてはいませんから、路面はバスのチェーンで固められた雪がアイスバーンと化しています。もちろん、ミシュランのスタットレスタイヤですから、走行に全くの不安はありませんが、激しい凸凹の堅い道を走るのはかなり辛いもの、運転しているだけでぐったり疲れてしまいます。もちろん、道路にいるのは車だけではありません。道の両側は、車がはねのけた雪がうずたかく残っていますから、歩いている人は大変、すこしでも歩きやすいところと、車が走るゾーンに(バス通りでも、歩道はありません)降りてきますから、ドライバーは細心の注意が必要です。歩く人たちがどのように行動するのかを予測して、それに対応するためには、必然的にノロノロ走ることになってしまいます。それが、ルールというものです。
 ところが、そんなルールなど全く念頭にないのが、自転車に乗った人たちです。そもそも、彼らは自転車は道路の左端を走らなければならないという、最も基本的なルールさえ、もしかしたら知らないのかもしれません。右であろうが左であろうが、車が少ないところであれば他の人の迷惑も顧みず突き進む姿は、あの傍若無人なオバタリアン(死語。ATOKでも変換出来ませんでした)そのものです。ですから、こんな、雪で走行出来る範囲が狭まっているような時には、その無謀な行動は殆ど自殺行為、彼らは、真っ正面から近づいてくる車に危険を感じることはないのでしょうか。
 ルールと言えば、コンサートや舞台などを楽しく味わうために求められるのは、他人が見たり聴いたりしているのを決して邪魔しないというごく当たり前のこと。ですから、最近は「携帯電話の電源はお切り下さい」という陰アナが入るのは、どこの会場でも見られる風物詩になっています。それほど、無用の騒音には敏感になっているというのに、あの劇団四季が未就学児の入場を禁止していないのは、全くの暴挙としか思えません。誰でも分かるように、3歳以下の幼児が、2時間の公演中に一言も鳴き声を発しない可能性などは、全ての自転車が左側通行になることよりもはるかに少ないものなのですから。
 今朝の新聞に、あの「パーフェクト・オペラ・ガイド」(もう読みましたか?「新国」の音楽監督の裏話は、必読)で紹介されていたバーンスタインの「キャンディード」のチケット発売の広告が載っていました。もちろん、これは紛れもないミュージカル。その広告の中にあった「未就学児のご入場はご遠慮下さい」というフレーズは、これがこの世界の最低限のルールであることを公に知らしめているものに他なりません。このプロダクションと劇団四季の対応のどちらが興行主に求められているものかは、今朝の雪のように明白です(くさっ)。
aventure number : 0297 date : 2004/1/23


今日の禁断 プルチネルラ

 最近、立て続けに、ブルックナーの7番を聴いています。それも、世界最高レベルにあるオーケストラのライブ映像、ブルックナーの中では、聴く時に限っては私が最も好きなこの曲が、こんなにしばしば見られるなんて、ちょっと幸せです。まず先週見たのは、ウィーン・フィルの来日公演、指揮はティーレマンです。実は、動くティーレマンを見るのは、これが初めて、およそ現代の指揮者らしくない、一時代前のようなモッサリした動きは、なかなか興味深いものでした。音楽の方も、やはり一時代前のようなゆったりとしたテンポ、そんなたっぷりとした時間の中では、ウィーン・フィルの弦の音がとても美しく響きます。しかし、しばらく聴いて、というか見ていると、このティーレマン君は全く「指揮」をしていないのではないか、という感じがしてきました。普通の現代の指揮者でしたら、体全体から発するメッセージで、どういう音楽を作りたいのかをヴィジュアル的にアピールしているものなのですが、彼の場合はそれが全く感じられないのです。その動きも、良く見てみると指揮者の方がオケに合わせて振っている様に思われてしょうがありません。さらによく見てみると、オケのメンバーはだれ1人として指揮者に注意を払っては居ません。音楽の主導権は、コンマスのキュッヘル(だったかな)、そして木管だったらフルートのシュルツが完全に握っているのがすっかり分かってしまいます。このコンサートでは、まさに、ティーレマンはオケに完全になめられてしまった、ただの飾りにすぎなかったのですね。こんな有様を見ると、改めてこのウィーン・フィルというオーケストラの凄さが分かろうというものです。そして、その演奏はとぎすまされたアンサンブルと極上の響きには支配されてはいたものの、音楽的には起伏に乏しいつまらないものであったことは、言うまでもありません。
 きのう見たのは、サイトウ・キネン・オーケストラ、指揮はもちろん小澤征爾です。彼の場合は、ティーレマンとは違ってまともな指揮者ですから、自分の意図を的確にオケに伝える技術にかけてはなんの遜色もありません。問題なのは、彼の中にあるブルックナーのイメージが、ブルックナーの音楽からははるかに遠いところにあるということ。従って、彼の指示を忠実に再現することにかけては卓越した能力を持っているこのオーケストラから聞こえてくるものは、およそブルックナーらしくないけばけばしたものだったのです。その文脈の中にあっては、首席フルート奏者工藤重典の痛恨のミスさえも、なんの違和感もないというのが、怖いところ。
 仙台ニューフィルのピックアップメンバーが中心となって結成された室内オーケストラ「MAS」の指揮者のカズキくんは、オーケストラを統率する力と、個々の作曲家にふさわしい的確な様式感という点では、ティーレマンや小澤をはるかに凌駕するものがありました。しかし、このメンバーをもってしてもストラヴィンスキーの超絶技巧の応酬や、モーツァルトのスローバラードの妙味にはとても太刀打ち出来ないところから、我々はこれらの作品が、想像を絶するほどの周到な準備と、真に集中力を持った修練とが要求されるものであることを知るのです。
aventure number : 0298 date : 2004/1/24


今日の禁断 小澤征爾

 キーロフ・オペラの「戦争と平和」の日本公演、教育テレビでやってましたね。本編だけでなく、ステージの上の回り舞台の仕込み風景など、興味深い映像も付いたすぐれもの。この舞台装置、普段県民会館でチェコあたりからやってきた巡回専門のプロダクションの簡素なものを見慣れた目には、とてつもなく贅沢なものに見えました。もっとも、これはオペラハウスのセットとしても破格の規模のもののようで、キーロフとMETとが共同で使い回して初めてペイするもののよう、それなら納得です。この作品はこれが日本初演とか、気合いが入っています。ただ、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、これが日本デビューとなるはずだったアンナ・ネトレプコが、「急病」ということでドタキャン、ダブルキャストのマターエワがナターシャを歌っていたのが、ちょっと残念でしたね。このマターエワも、もちろん初お目見えの新人で、決して悪くはないのですが、やはり、あのネトレプコの突き抜けるような印象的な声と比べてしまうと、見劣ってしまうのは仕方のないこと。もっとも、人の声などは、先日の菅さんでも分かるようにコンディションひとつでどうなるかは分かりませんから、本当はどうだったのかは、誰にも分かりませんが。
 その、ご自慢のセット、ステージの中央に、まるで亀の甲羅のように置かれている様は、なかなか堂々としたものでした。亀、ではなく、実は地球をあらわしているのだそうですが、かなりの勾配ですから出演者は大変でしょうね。それに比べると、その上に置かれた他のセットはちょっとお粗末、ナターシャが姿を現すバルコニーなどは、見るからに薄っぺらで、ぐらぐら動きまくってますし。そもそも、舞踏会のシーンと、野外の戦闘シーンを同じセットでやるというのが、無理があるのでしょうが。まあ、それは仕方がないとして、これだけお金をかけた舞台装置の上で繰り広げられたドラマの退屈だったこと。あ、これは、決して「オペラが退屈」だったということではありません。ホロストフスキーのソフトな声は、先ほどのマターエワと見事な調和をみせていましたし、合唱も重厚、もちろんオケはこの長丁場を圧倒的な力で押し切っていましたから、音楽的には殆ど不満は感じられませんでした(木管は、ちょっと・・・)。そうではなく、演出、というか、舞台の上の人間の動きが、信じられないほどトロかったのです。100人以上の出演者がステージに登場するという「壮大さ」が、この演目の目玉なのだそうですが、その人たちは、何の目的も持たずに、例の亀の甲羅のあたりをうろうろしているばかり、群衆が醸し出すエネルギーみたいなものは全く感じることは出来ません。
 もしかしたら、この演出は、オペラとしては決して水準の低いものではなかったのかもしれません。蜷川幸雄の「オランダ人」のような救いようのないものに比べたら格段にマシなのは事実。しかし、「キャッツ」のあの考え抜かれた演出に日常的に接していると、オペラの世界での「演出」など、まるでままごとのように思えてしまいます。あの回り舞台には、いったい何の意味があるというのでしょう。
aventure number : 0299 date : 2004/1/26


今日の禁断 鈴木京香

 学歴詐称とかいうことで、国会議員がワイドショーのレポーターに袋だたきに会っていますが、こういうのどかな光景を見ると、この国の学歴偏重主義というものはかなり根が深いのだと思ってしまいます。確かに嘘をつくのは良くありませんが、彼が犯したものが、果たして、こんな、全人格が否定されてしまうほどの大罪だったのか、という疑問は拭えません。結局、評価されているのは卒業したか否かであって、そこで何を学んできたのかという肝心の点は、全く問題にはされないのですから。恐ろしいのは、このような学歴偏重主義が、音楽の分野でも公然と幅を利かせていること。こんな芸事こそは、何を学んだか、そして、その結果どれほどの表現者になり得たかということが最も重要なことのはずなのですが、現実はどの大学を出たかとか、どの先生についたかということのみが評価されてしまっているのです。そのような社会から生まれた「芸術家」などは、本当の芸術家が備えていなければならないはずの自己表現能力などさらさら持ち合わせていない、ただ教わったことを器用に真似しているだけのものにすぎません。先日聴いた東京ゾリステンの演奏が、心を奮い立たせてくれるなにものも持っていなかったのは、このような音楽教育の現状を考えれば、ある意味、当然のことなのかもしれません。
 その点、学歴や楽歴などは全く問題にされることのないアマチュアオーケストラでは、真に良い音楽を作るためだけに、みんなの力が結集されることになります。必要なのは、その音楽のその場所にもっともふさわしい音だけなのです。しかし、もちろん、長い間それだけを専門に勉強してきたわけではありませんから、自ずと限界があるのも事実。それが、例えば「ドン・ファン」あたりではもろに出てきてしまうのは、致し方ありません。実際、今日のカズキくんのテンポで吹いていると、音が滑ること。しかも、それが私一人ではないわけで、パートとしてまとまった上で、オケ全体がまとまったメッセージを発するには、まだまだかなりの時間を要することが再確認出来たというわけです。それにしても、シュトラウスは大変です。私自身、この時期になってまだきちんと吹けてない箇所があるというのは、かつての「火の鳥」以来のこと、これを克服するのに、卒業証書など、ほんと、何の役にも立ちません。
 「かいほうげん」の作り方なども、もちろん学校で教わったものではありません。数々の修羅場を乗り越えてきた経験が、長い時間をかけて蓄積され、ひとつひとつの文章、写真に息づいて、あの素晴らしい会報が出来上がっているのですよ。新郎新婦に写真撮影を嫌がられたからといって、すごすごと引き下がっていたのでは、インパクトのある紙面を作ることなど出来はしません。きちんと公園のベンチなどに誘い出し、ソフトクリームなどを持たせてポーズをとらせるという手間さえかければ、自ずと目的の写真は得られるのです。
 
(新郎新婦の写真の元ネタはこちら
aventure number : 0300 date : 2004/1/27

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