2901(18/2/2)-2920(18/3/18)

今日の禁断 オペラ


 ニューフィルの公式サイトの掲示板や、公式Facebookではお知らせしておきましたが、団員のSさんが急にお亡くなりになったそうです。私のところにそんな情報が届いたのはきのうの夜中、Sさんご本人からはかなり迂回した経路での情報でした。そんな得体のしれないところからなので、もしかして何かの間違いで、ツイッターを乗っ取られてデマが流されたのかも、と思ってしまいましたよ。
 でも、今日になってきちんとお通夜やお葬式の日取りも伝わってきたので、紛れもない事実だったのだと受け止めざるを得なくなってしまいました。
 だって、ほんの数日前にはぴんぴんしていたはずですよ。私の誕生日にもコメントをくれたりしましたし、私にハイレゾの音源を貸してくれるということで、おとといの練習の時にはUSBメモリーにお返しのつもりの音源を入れて渡そうと思ったのですが、来てなかったので珍しいな、と思ったぐらいです。その日だったんですね。亡くなったのは。言葉になりません。ご冥福をお祈りするばかりです。
 Sさんと私は、学生時代からの知り合いでした。大学の男声合唱団の他に入っていた仙台放送合唱団で、ほとんど私と入れ替わりに入ってきたような記憶があります。ですから、その頃は直接話をしたようなことはほとんどありませんでしたが、その頃まだ合唱団にいた愚妻や妹とは親しくしていたようでしたね。それからだいぶ経って、建築士だったSさんが建てたO先生のお宅の新築祝いに伺った時に、お目にかかっていたでしょうか。
 そして、それからさらに長い時を経て、今度はなんとニューフィルの団員としてSさんを迎えることになってしまいました。彼は合唱団員でしたが、妹の話によるとそれ以外にピアノも上手だったそうですが、ニューフィルにはコントラバスを抱えて入ってきたのです。なんでも、その半年前ぐらいからその楽器を始めて、先生に実際にオーケストラに入って勉強することを勧められた、というのですね。そんな人が、ニューフィルでやっていけるのかな、と、最初は思いましたね。
 でも、Sさんはとても熱心に練習に通ってきました。他のパートのことは私には分かりませんが、少なくとも邪魔をしているようには見えませんでしたね。しばらくすると、立派にパートの一員になっていたようでした。それよりも、他の団員とのコミュニケーションがすぐに取れるようになっていたのには驚きました。もう昔からの団員のように、ごく自然にオケの中に溶け込んでいたのですね。
 ニューフィルに加わる時期と前後して、私が仙台フィルの定期演奏会と東京公演の合唱団員としてベルリオーズの「レリオ」を歌った時にも、彼と一緒に歌っていました。サントリーホールの前で控室が開くまでの時間には、いつの間にか彼と昔の合唱団の話をし合っていましたね。
 最近では、オーディオ・マニアでもあったSさんと、いろいろな情報交換を行っていました。ハイレゾの話なども、かなりマニアックなことまで語ることが出来ましたね。ですから、おすすめの録音を貸してあげたりもしていましたね。その中で、2Lのブルーレイ・オーディオには、本当に素晴らしい音だと驚いてくれました。そういうところで共感できる人が、今までは周りにいなかったので、私もとてもうれしかったですね。
 それで、Sさんも、自分の持っている音源のリストを送ってくれて、何か聴きたいものがあればコピーしてくれるというので、その中で毛色の変わったピンク・フロイドやジョージ・ハリスンあたりをリクエストしておきました。さっき書いたUSBは、それをコピーしてもらうために渡そうと思っていたものです。
 今となっては、彼のご自慢の「サクラダ・ファミリア」にお邪魔できなかったのが心残りです。コンサートには何度もお誘いを受けていたのに、いつも都合が付けなくて行けませんでした。どうせいつかは、彼の手作りのスピーカーの音を聴くことができるだろうと思っていたのに、それはもうかなうことはありません。
 ヨットに乗ったり、練習にはキャンピングカーで乗り付けたりと、アウトドア派で健康には自信があったように見えていたのですが・・・
 安らかにお眠り下さい。
Aventure Number : 2901 date : 2018/2/2


今日の禁断 フローラル


 今日は、夕方の7時からSさんのお通夜があるというので、少し早目に夕食を食べてから出かけようと思っていました。会場がちょっと遠くて広瀬文化センターのあたりですから、まあ6時ごろには出発する必要がありましたからね。そこで、妹も一緒に行くことになったので、その頃に迎えに行くとメールを出した後、念のためということで時間を確認してみたら、そこには「17時」とありましたね。どうも、連絡を受けてからの動揺がまだ収まっていないのでしょうか、なんか注意が散漫になっています。あわてて訂正のメールを出しましたよ。
 結局、少し早めに行っておきたかったので、4時少し前に出発して、会場に向かいます。途中で広瀬文化センターによって、出来たばかりのチラシとポスターを置かせてもらいます。いつもはわざわざここまでやってこなければいけないのに、「ついで」で済んでしまったのも、Sさんのお蔭です。
 会場についたら、けっこう広いはずの駐車場がもうほとんど満車になっていました。幸い私は駐車スペースに停められましたが、あとはもう通路の中に押し込まれるように係員に誘導されていましたね。中に入ると、昔の合唱団の仲間が受付をやっていました。そして、ホールに入っていくと、すぐそこにニューフィルの人たちがまとまって座っていましたよ。正直、ニューフィルの人はそんなに来ないのではないか、と思っていたのですが、どうやらコントラバスのパートはほぼ全員、それに他の弦楽器の人もたくさん来ていましたし、金管の人も2人は見かけましたね。改めて、Sさんの交友関係の広さを思い知らされました。いや、それよりも、なんでこんな人まで、と思われるような音楽界の重鎮の顔触れがゴロゴロしていましたから、ちょっとびっくりです。おそらく、200人近くの人が集まっていたのではないでしょうか。椅子に座りきれず後ろに立っている人もたくさんいましたね。
 ホールには、オルガン・バージョンのフォーレの「レクイエム」が、とても小さな音で流されていました。Sさんらしい、素敵なチョイスです。
 ただ、案内に「通夜祭」とか「葬儀祭」とあったので、もしかしたら、と思っていたのですが、これはキリスト教ではなく、私は初めて体験する神道による葬儀でした。というか、そちらではすべての儀式が「祭」と呼ばれるのだそうで、それでこういう呼び方になっていたのですね。ですから「祭」は宮司さんが仕切ります。祝詞というのでしょうか、あまり意味の分からない言葉を述べるところで、なんだか具体的な名前や日にちがでてきたのでちゃんと聴いてみると、そこでは故人の経歴を、宮司さんが語っていましたね。その中に、故人の仕事に関係して「デザイン」とか「バランス」などという言葉が入っているのが面白かったですね。でも、これで初めて、Sさんの詳細な経歴と、家族構成までを知ることが出来ました。
 そして、最後には参列者の「焼香」ではなく「玉串奉納」が始まります。そんな人数ですから、途中で玉串が足らなくなって、奉納されたものを回収してさらに配る、ということをやっていましたね。全部で3回も。ですから、とても時間がかかり、結局全部の「祭」が終わったのは18時半でした。
 残された私たちにとっては、とても残念に思えて仕方がないSさんの死ですが、さっきの宮司さんの祝詞や、最後にあったご遺族のご挨拶などを聴いていると、彼自身はとても充実した一生を送ったのでは、という気になってきました。これだけ多くの人たちに送ってもらえるというのが、その証拠です。
 ホールには、彼の「遺品」が展示してありました。帰り際に見てみると、
 カープ・ファンだったSさんならではのカープ・グッズ
 そして、彼の最後のステージだったニューフィルでの、まさにこの間まで使っていた、チャイコフスキーのパート譜です。
 そういえば、ニューフィルで現役の団員を見送ったというのは、今回が初めてだったのではないでしょうか。次は私の番?
Aventure Number : 2902 date : 2018/2/4


今日の禁断 ムソルグスキー


 先週の土曜日に、いつもの、ニューフィルの定期演奏会のチラシやポスターを袋に詰めたりする作業が行われました。つまり、その時点から具体的な宣伝活動が開始されることになるわけです。私は、それに備えて、配布する場所と担当者のリストを作っておきました。というか、いつものことですから、前に使った時に手直ししたものを、そのまま使うだけなんですけどね。ただ、今回もそれで行こうと思ったら、ハタと気が付きました。前回のリストでは、その前の日に訃報が届いたSさんが担当していたところが7か所もあったんですよ。たしか、まだ行く人が決まらなくて空欄になっていたのを見つけて、「私行きますよ」と言ってくれたんでしたね。しかも、その中には彼が自分で見つけてきた新たな場所も加わっていましたからね。
 仕方がないので、それらは全部私の担当にして、新たなリストを作って、みんなに配ることにしました。その次の日にあったお通夜の帰り道に、その中の場所が1か所あったので、そこも前もって場所を調べておいて、置いてきましたよ。
 そして昨日の練習の時に、担当者全員にそのリストを配りました。そうしたら、「Sさんの担当されていたところ、私が行きますよ」と言ってくれた人がいたではありませんか。正直、そのエリアは私が行くにはかなり不便なところだったのでどうしようかと思っていたのですが、これですべて解決してしまいましたよ。そうやって、いなくなってしまった人の分もきちんとカバーしてもらえるような体制が出来ているのが、とてもありがたいですね。
 私は、週明けはそんなチラシやポスターを郵送したり、タウン誌向けの企画書を発送したりと、かなり忙しく働いていました。前回から、案内を出してもらっている月刊誌の校了のタイミングの関係で少し早目に送ることにしているので、企画書自体はすでにもう先週のうちに作ってありましたから、プレゼント用のチケットが入手できたら即刻送れるようなスケジュールにしてありました。
 それともう1件、今回の会場が県民会館なので、そこのプレイガイドにチケットを置いてくるということもやってきました。そんなことがあったので、本来の業務には今日になってやっと手が付けられるようになりました。それは、先月届いた振替用紙の集計です。
 先月ほどではありませんが、今回も大量の振替が送られてきましたから、それを項目別に仕分けして金額を確かめる、という作業です。多い時だと1日に何十枚という振替用紙のコピーが届きますから、まずはそれを1日分で集計しなければいけません。それは単純な作業なので、まず間違うことはないのですが、ある日の分だけ、何度計算しても金額が合わないのですね。送られてきた振替用紙の金額を合計しても、それをまとめた伝票の数字と違っているのですよ。いったい何がいけないのか分からなくなって、1枚1枚チェックしていくと、なんと、こんなものが入っていたことに気づきました。
 送金した人が記入した金額と、それを受け取ったゆうちょ銀行の金額とが、1桁違っていたのですよ。なんでこんなことが起こったのかはすぐわかりました。「口座徴収料金」というのが80円になってますね。これは、ATMで送金した時の料金なのです(窓口だと130円)。間違って千円札を入れてしまったのでしょう。ただ、普通はそのあとで金額をタッチパネルで確認しますから、そこで分かりそうなものですが、そこでも間違えていたのでしょうね。これでは、いくら計算しても合わないはずです。確かに、誤差は「9000円」でしたから。
 一応、ゆうちょ銀行に電話できいてみました。そうしたら、やはりこれは今となっては調べようがないのだそうです。送った方もまさかこんなことになっているとは思ってはいないようですから、ここはきちんと受け取ったということで、処理を行うことにしましたよ。長いことやってますが、こんなことは初めてです。
 まあ、世の中には間違いはいくらでも横行していますから、こんなことは別に気にはなりませんけどね。きのうの「おやぢ」のためにNMLで「禿山」の「原典版」を検索したら、
 こんなに(もっとあります)一杯「原典版」が出てきましたよ。いつの間に、こんなに広まっていたのか、と思ってチェックしてみると、ちゃんとした「原典版」はこの中には4つぐらいしかありませんでした。それ以外の30件はすべて「デタラメ」だったのですよ。いくらなんでも、これはひどすぎます。「間違い」では済まされませんよ。
Aventure Number : 2903 date : 2018/2/7


今日の禁断 エキサイト


 最近、私が使っているブログの様子が少し変でした。私の場合、「ジュラシック」に書いたものをそのままブログに転載しています。その時には、アップロードのためのページを開いてそこにテキストをコピーするだけで、簡単にブログが出来上がります。そのテキストの中には、画像へのリンクも含まれています。それも一緒になったテキストを送るだけで、最初のモニターにはリンクしている画像も出てきますから、まさにワンタッチで終わってしまいます。普通は、テキストと画像はそれぞれ別にアップロードしているのでしょうけどね。
 つまり、私のサイトではだいぶ前から、プロバイダーのサーバーでは画像を転送するだけの余裕がなくなっているので、画像だけは別のレンタルサーバーにアップして、そこへのリンクを付けていたのですね。こういうことができるのが、ウェブサイトの面白さなんです。サイト内にはないものが、そのまんまページの中に納まっているように見えるんですからね。
 そういう仕組みになっていますから、それをブログにアップしてもそのままの関係は維持されて、やはり同じように画像も一緒に見えているんですね。それが、アップされた実際のページだけではなく、その前のモニターの画面でもしっかり画像が見えていたんですね。
 それが、最近は、モニターでは画像が見えないようになっていたのですよ。ただ、それをアップしたページでは今までと全く変わらず画像が見えていたので、あんまり気にしてはいませんでしたね。まあ、ブログのサーバーがちょっとおかしくなったのかもしれない、ぐらいのことでしょうと。
 ところが、事態はそんな生易しいものではなかったのです。それからしばらくしてなんとなく目に入ったのは「重要なお知らせ」というブログの管理者からのお知らせでした。そこには「このたび、SSLに移行します」とありました。SSLってなんだっけ、と思ってしまいましたが、そこには「httpからhttpsへ」とあったので、すぐにその内容は分かりました。最近はよく見かけるセキュリティを強化したウェブサイトのことですね。ブラウザではこのように表示されています。

 調べたらこれは「Secure Sockets Layer」の略だとか。なにやら、一旦暗号化してアップするという、ちょっとシロートには難しいような技術のようですが、まあ、セキュリティが向上するのなら歓迎すべきことなのでしょう。ただ、その説明の中で、実際に「SSL化」されたページを見ることができるようになっていたのでそれで見てみると、なんと画像が消えてしまっているではありませんか。それは、その前から体験していた、アップする前のモニター画面そのものだったのですよ。
 なぜそうなったのかは、やはりその説明で分かりました。画像を普通のhttpから始まるURLにリンクしていた場合は、そのリンクが無効になってしまうのですよ。それは確かにそうでしょうね。せっかくセキュリティを強化するための措置なのに、そこに無防備なリンクが混ざっていたのでは何にもなりませんからね。
 その対策として、まずはリンク先をSSL化してhttpsにすることだ、とありました。でも、これは非現実的。レンタルサーバーに行って調べてみたら、確かにそれなりの対応策はありましたが、そのための手順がとても大変のようでした。それと、そのあとも結局ブログの画像へのリンクを全て書き換えなければ行けないのですから、膨大な作業が必要になってきますよ。
 ですから、私が取ったのは、画像のリンクを削除して、普通にブログに画像をアップするという方法でした。もうすでに去年の12月以降の画像は全てそうやって入れ替えてしまいましたから、あとはぼちぼちやっていれば、そのうち全部入れ替えることはできるでしょう。ただ、それにも問題があって、このブログの場合、アップできる画像の容量は全部で1GBしかないのですよ。1GBあれば十分ではないか、と思われるかもしれませんが、PCにあるブログにアップすべき画像を調べてみたら、それをはるかに超えていましたから、これではすぐに足らなくなってしまうのですよ。そうなれば、画像は無制限という有料コースに変更すればいいんですけどね。
 というわけで、とても煩わしいことが起こっているのですよ。まあ、普通はブログと言えばその場限りのような使われ方でしょうが、私の場合はある意味「資料」としての位置づけなので、そこまでやらないといけなくなってしまいます。仕方がありませんね。
Aventure Number : 2904 date : 2018/2/9


今日の禁断 ジンジャーエール


 「三連休」とか言ってますが、この3日間は、私はオーケストラの練習に費やすという大変なことになっていました。ニューフィルだったら連続2日というのは普通にあることですが、今回はそれに続けて「杜の都合」が1日続いたので、こんなことになりました。「杜」はもうこれが最後ですから、おそらく、これ以降は起こり得ない事態です。
 ということで、まずは2年半ぶりの末廣さんとのリハーサルです。
 まだ練習は始まっていない中で、みんなウォームアップ中ですが、末廣さんはこんな時にはだいたいこんなところに座ってゆったり皆を見回していますね。見えるでしょ?右端、セカンドの「ラストデスク」に座ってますね。
 そして、いよいよ合奏が始まります。ところが、開口一番「1年前に病気になりました」という爆弾発言。なんでも、救急車で運ばれて即入院、仕事を全てキャンセルしたのだそうです。「私は死んでいたかもしれません。今こうしてここにいるのは奇蹟です」という言葉は、1週間前にSさんを見送った身としては、複雑な思いです。でも、末廣さん、生きててよかった!
 練習は、いつも通りの厳しい中にもユーモアのあふれた、とても楽しいものでした。なによりも、ニューフィルの音が、末廣さんの一言でガラリと変わってしまうのですから、すごいですね。今日やった「禿山」なんかは、「もう、明日本番出来るね!」とまで言ってくれましたからね。もちろん、それからもう1度頭から通した時には、何度も何度もダメ出しがありましたけどね。
 1日目の夜は、歓迎会です。末廣さんとご一緒するのは久しぶりですが、以前は常に話の中心にいた、という印象があったのですが、なんだか今回は聞き役に徹しているようなところがあったのが、ちょっと変わったな、という感じです。いや、もちろん、肝心なところでは末廣さん一流ギャグで笑わせてくれましたけどね。「アンコールは『ハルサイ』ね」といった感じです。
 ところで、いつもコンサートの時などにチラシまきをお願いしている業者さん(本番当日の受付も委託)のサイトで、ニューフィルのコンサートが紹介されていますが、そこからリンクされているチラシの裏側の画像が、なぜか最終段階で手直しした完成版とは違っていました。ここではチラシをお願いすると、それをスキャンしてサイトにアップしているはずなので、なぜこんな画像があるのかとても不思議でした。そうしたら、うちの担当者がすでにだいぶ前の時点で公式サイトからリンクされていたPDFを送っていたことが分かりました。確かに、あれはだいぶ前にアップしてあって、最近になって更新したばかりですからね。ですから、すぐに訂正してもらうようにお願いしておきましたよ。おそらく、こんなことに気づく人は私以外にはいないでしょうが。
Aventure Number : 2905 date : 2018/2/11


今日の禁断 トミイズ


 ブログがSSL化されるということで、それへの対処に大わらわな毎日です。なんせ、2月21日になるとブログ上の画像がほとんど見えなくなってしまうというのですから、焦りますよね。あと1週間ですよ。そもそも、そのような告知が公になったのが、1月22日だったというのですから、猶予は1ヶ月しかなかったというのが、ひどい話です。まあ、普通の人は毎回きちんとブログのサーバーに画像をアップしているのでしょうから何の影響もないのですが、私の場合はかっこつけて他のサイトへのリンクなんかにしてしまったので、こんなことになってしまいました。
 問題は、画像を全部アップしなおした時に、果たして無料契約の限度内に収まるか、というところでしたね。毎日チマチマやっていたら、ほぼ1年分は完了したのですが、そこで残量を確認してみると、ちょうど1/10だけ使っていたことが分かります。ということは、私がこのブログを始めたのが2005年だったので、もう10年以上続けていますから、下手をすると全部はアップできないかもしれませんね。
 と、がっかりしかけた時、今のように画像を実際にアップするのではなく、他にアップしたものにリンクするという方式を始めたのはいつだったのか調べてみたら、それは2014年の2月6日だということが分かりました。そうなんですよね。そもそもレンタルサーバーを使うようになったのが2011年ですし、その頃はまだプロバイダーのサーバーも余裕があったので、そちらに画像はアップ、そうなると、画像へのリンクは相対パスになりますから、そのままではブログにアップする時にはリンクは出来ないので、ブログのサーバーにもいちいち画像をアップしていたのでした。
 ということは、高々3年か4年の話ですから、すべての画像をアップするのは楽勝ですね。いや、私のPCのフォルダーの容量がものすごいことになったので焦っていたのですが、よく調べてみたら、そこにはアップする前の元の写真のデータなども一緒に入っていましたから、そんな大量になっていただけで、実際にそのうちからサイトに使ったのはそんなに多くはなかったんですね。
 ですから、まずは1/4ぐらいの作業は終わったことになりますね。あとは、時間との勝負、あと1週間で、残りの3/4を終わらせることができるのでしょうか。というのも、それを過ぎると、ブログからはリンクしている画像は全てなくなってしまいますから、とても作業が面倒くさくなるのですよ。大元の「ジュラシック・ページ」にまでもどってみて、そこにある画像を探してアップする、という、気の遠くなるようなことをやらなければいけませんからね。
 実は、今やっている作業も、最初は大変でした。最初はChromeでやっていたのですね。そこでは編集画面ですでに画像が消えている、ということは前にも書いたのですが、1ページに1枚しか画像がない時は問題ないものの、複数の画像を使っていた時には、その順番が分からなくなってしまうんですよ。一応ファイルに番号は振ってありますが、それは必ずしも順番通りではないんですね。もう、とても面倒くさくて、やめてしまいたくなりましたよ。
 ところが、ひょんなことでIEでやってみたら、こちらには編集画面でもちゃんと画像が残っているんですね。同じブログなのに、ブラウザによって見え方が全く違っていたのですよ。ですから、こちらだったら作業はどんどんはかどりました。
 おそらく、こんなことを書いていても、その内容が正確に伝わってはいないのではないか、という気がしてなりません。まあ、いいんです。あくまでこれは私のための覚え書きみたいなものですからね。
 いずれにしても、おそらく後しばらくはブログを有料化したりする必要がないだろうと分かったので、安心して大き目の画像もアップできそうです。さっそく、この間各所に送った企画書の最初の成果をご覧ください(一部、テキストを消してあります)。こんな案内を載せてくれるのだそうです。どっちの画像が良いのか聞いてきたので、迷わず「チラシの方」と答えておきました。それでよかったんですよね?
Aventure Number : 2906 date : 2018/2/14


今日の禁断 ソロチンスク


 今回の「かいほうげん」では、もうだいぶ前から準備を進めていたつもりでした。でも、気が付いてみたらもう来週の火曜日に発行しなければいけないという事態に陥っていましたよ。なんか、もっと先のことだと思い込んでいて、他にやることを優先した結果なんですけどね。というか、もう私が作るページは完全に内容が固まっていて、あとはそれを実際にテキストやら画像で表現していけばすぐにでも完成してしまうということが経験的に分かっていましたから、ちょっと油断をしていたというか。
 つまり、最初はテキストだけでやってしまおうかと思っていたのに、やっぱり画像を入れた方が分かりやすいかな、ということでどんどん画像を増やしてしまったら、それの処理に思いのほか時間がかかってしまったのですよ。
 具体的に、その作業内容を振り返ってみると、そもそもは今回ニューフィルで演奏する「禿山」と「火の鳥」には複数のバージョンがあるので、それらについて丁寧に解説をするという、私の得意技を披露するためのページを作ろうと思いました。実は、「火の鳥」に関しては、それを演奏した20年前にもほとんど同じことをやっていたのですね。もちろんその頃はインターネットなんて今ほど一般的ではありませんでしたし、そもそも私はPCすら使っていませんでしたからね。その頃は「ワープロ」というものを使って「かいほうげん」を作っていました。その時に、「火の鳥」のいろんな組曲の成り立ちを一覧表にした図を作ったのですね。後にそれをネットにアップしたのが、こちらです。
 今にして思えば、よくワープロでこんなものが作れたものですね。あんまりよくできているので、これをそのまま使おうとまで思ったのですが、データとしてこれをPCに取り込むことはまず不可能だと気づきました。そこで、これと同じものをまず作ることにしました。それはだいぶ前のこと、結局、これよりももっと精密な表が出来上がりましたね。それでもうこの仕事は殆ど片付いたな、と思いました。
 確かに、「火の鳥」に関してはこれ以上のことはもう何もないのですが、「禿山」の方は初めて手掛けるので、とりあえずその成り立ちをしっかり調べてみることにしました。この曲に「原典版」という、全く別の曲と思えるほどのものがあることは知ってましたし、聴いたこともありますから、それが今の形に他の人の手によって大幅に変えられている、という知識は一応持っていました。でも、調べてみると、その2つが直接つながっているのではなく、その間にもう一品、別のバージョンが入っていたのですね。ムソルグスキーについて深く調べたことはなかったので、そんなことは全然知りませんでしたよ。ですから、私が知らないのならばきっと他の人も知らないだろうな、という発想で、これについて掘り下げてやろうじゃないかと思ってしまいました。
 それは、意外なところで情報が得られていました。なんと英語版のWIKIなんですよ。そこにはこの曲の成り立ちから途中の経過、そして最終形まで克明に記述されていました。録音のリストなども充実していましたから、大いに参考になりましたね。これを頼りに音源を探して実際に聴いたり、そのジャケットを探したりもできましたよ。ただ、やはりWIKIはWIKIだな、というところもあって、それらの音源の録音年がかなりいい加減なんですよね。というか、リリースされた年を録音された年として表記していたりしています。それと、そもそも全然間違った音源を挙げていたりもしてますから、変な意味で安心してしまいます。そんなもの、今だったら簡単に分かるはずなのに。
 それと、今回は、この間亡くなったSさんの追悼ページも、きちんと作ろうと思っていました。なんたって現役の団員が亡くなったのですから、普通はそれが分かった次の練習の最初には黙祷ぐらいするのでは、と思っていたのに、全くそんなそぶりもありませんでしたから、正直かなり失望していましたからね。まあ、私とは感覚が違うのでしょうから、それはそれで目をつぶればいいことなので、私の力が及ぶところでは全力で追悼したい、ということなんですよ。うまい具合にちょうど1ページの余裕がありましたから、そこを存分に使わせていただきました。
Aventure Number : 2907 date : 2018/2/16


今日の禁断 セプテット


 結局、「かいほうげん」は今回も休日に家に持ち帰っての製作となってしまいました。まあ、金曜日の時点で出来ていなかったのは最後の1ページだけでしたから、そのぐらいだったらきのうの間に出来てしまうだろうと思っていたのですが、その目論見は大幅に狂ってしまって、作成作業は今日までずれ込み、ついさっきやっと完成したところです。
 世の中は、「金」だ「銀」だと大騒ぎになっていますが、私にはそんなものに巻き込まれてしまう時間などありませんでした。とは言っても、あの決勝の瞬間には、マーラーの練習をやっている間にもかかわらず、iPhoneで途中経過を見てたりしましたけどね。管楽器は何小節か休みがあるので、そんな時にチラチラ見ているんですよ。でも、いくらなんでも出番が続くところではチェックはできませんから、やっと「ヒマ」になって開けた時には、もうすっかり結果が出てしまったあとでしたけどね。
 そんなわけで、きのうは半日はオケの練習があったので、作業はあまり進みはしませんでした。ただ、その未完のページを埋めるためのネタを探しているうちに、そこに今年の「アンサンブル大会」のスケジュールと会場の告知を入れることを思いつきました。本来、これは最初のページに入れるつもりだったのですが、もう一つのネタがかなりのスペースを占めてしまったので、それだったら、ほとんどスカスカだった最後のページに入れた方がいいな、と思ったんですね。ですから、そこに去年の同じ催しの写真を入れることにしました。ちょうど、お亡くなりになったSさんが、私のカメラでたくさん記録写真を撮っていてくれましたからね。
 もちろん、それは「かいほうげん」に載せるために、出番のある私に代ってSさんが引き受けてくれたものでした。ただ、実際はもう一人、しっかりステージ写真を撮ってくれていた方がいたので、その時はそちらの方を使わせてもらいました。ですから、「お蔵入り」になっていた写真をこういうタイミングで使わせてもらうのも、一つの「供養」なのかもしれない、という発想ですね。
 それを始めると、もう作業自体は単純作業の繰り返しですが、とても時間がかかってしまいます。写真の場所を変えたり、レイヤーを入れ替えたり、傾け方を変えたりと、いくらやっても不満なところが出てきて、なかなか終わりませんでした。そもそも、今日は久しぶりに私の予定が何も入っていない休日だったので、まず愚妻をあちこち連れまわさなければいけませんでしたからね。
 それでも何とか、こんなのが出来たので、それを紙面にはめ込むと、今度は全体のバランスが何かしっくりしません。変なところに空白が出来てしまうんですね。そうしたら、おあつらえ向けに、この前企画書を送ったタウン誌から最近届いたゲラが、そのまま使えることが分かったのですね。というか、半年前にも同じことを考えてやっていたんですけどね。ですから、それを使って画像を作ってみたら、その空白が見事に埋まってしまいましたよ。
 でも、これを明日きちんと製本できるまでにまとめて現物を印刷してみると、きっとまた直したいところが出てくるんでしょうね。いや、これを書いている時点で、すでにタイトルを直さなければいけないページがあったことに気づいたりしていますからね。ですから、印刷と製本はおそらく発行日の午前中ということになるのでしょう。前回は、印刷直前にプリンターの調子が悪くなってあわててサービスを呼んだりしたのですが、今回はそんなことが起きないように祈るばかりです。
Aventure Number : 2908 date : 2018/2/18


今日の禁断 シベリウス


 「かいほうげん」は、予定通りきのう発行されました。しかも「おまけ」まで付いて。
 中に挟み込んであったのは、さる外来オケのコンサートのチラシと、それを割安で入手できるサイトの案内書です。もちろん、それらは私が用意したわけではなく、ちょっと前に主催者から公式サイトのメールフォーム経由で、「団員の皆さんに配布をお願いできないでしょうか?」というメールが来て、それを実際に私の自宅まで送ってきたからです。あちらもそれほどあてにはしていないようで、それぞれ15枚がホチキスで止められていましたね。それは郵便で来たので、まあ、次の練習の時にでも持って行って机の上に置いておけばだれか持っていくだろうう、と思っていました。
 そうしたら、その何日か後、こんどはレターパックで別の分厚い荷物が届きました。差出人も宛先も全く同じものだったので、前に出したのでは足らないかもしれないと、メンバー全員に渡せるぐらいに追加したのでしょうね。ちょうどいいので、これを「かいほうげん」に挟み込んでやろうと思いました。「かいほうげん」を出すことを、先方は知っていなのでしょうか?
 そこで、印刷も全部終わったので、その荷物を開けてみると、中にはこんな手紙が入っていました。
 なんと、あて名が違います。どうやら、封筒に住所を書く時に間違えたのでしょうね。うちに来たのはこういう文面でした。
 こういう場合、私が取るべき態度は。
 1.宛名を「えずこホール」に直して、代わりに送ってあげる。
 2.送り先に送り返す。
 3.何もしないで、そのまま使う。
 でしょうが、別にこの人のミスをフォローする義理なんてありませんから、迷わずに3.を選びました。もちろん、そのことはきちんとメールで伝えましたけどね。
 というわけで、私の手元には100枚以上のチラシが集まったことになるので、皆さんにお配りしたというわけです。私は、早いうちに安い席を買ってしまいましたから、これは使いませんが。なんせ、イズミティなんで、高い席で聴く必要は全くありませんからね。
 肝心の「かいほうげん」本体ですが、Sさんについての記事は、十分なものが出来たのでは、と思っています。まあ、あくまで私の感覚で進めたことなので、他の人にはあるいは「ちょっと余計だね」ぐらいの感想を持たれるのではないか、とは思ってますけど、そんなのは知ったことではありません。正直、これでも足らなかったな、と思っているぐらいですからね。
 そうしたら、なんと、これをSさんのご遺族に渡したい、という人がいました。わたしも、できれば渡せたらな、とは思っていましたが、それこそ余計なことだと言われそうだったので、何のアクションも起こしてはいなかったのですが、そういう風に考えてくれた人がいたなんて、とてもうれしかったですね。さらには、定期演奏会の招待状も差し上げたら、というような人もいて、たぶんそれらは実現することになるでしょう。捨てたもんではありませんでした。あとは、プログラムには載せるのかどうか、という選択も迫られるでしょう。私は、載せてあげられたらいいな、とは思っていますが、どうなることでしょう。というか、それによってニューフィルの姿勢、あるいは「心」が計られるのではないでしょうか。
Aventure Number : 2909 date : 2018/2/21


今日の禁断 ブラインシュミット


 ブログのSSL化がとうとう実施されました。確かに、その日になったら私のブログのまだ未対応のページでは、画像が見えなくなっていましたね。その日までに間に合わせようと、すべての画像を入れ替えようと思っていたのですが、結局間に合いませんでした。なにしろ、ほぼ毎日更新していて、それごとに画像を入れていましたから、1ヶ月分の画像を入れ替えるだけで1時間ぐらいかかってしまうんですね。それを4年分ですから、とてもじゃないけど、1週間やそこらで終わるわけはありません。
 ただ、なぜなのかは分かりませんが、Chromeでは消えてしまった画像がIEではまだちゃんと見えているんですね。ですから、作業自体はこれまでと変わらず続けられるので、あとはぼちぼちやっていけば、いつかは終わるはずです。
 というか、今の時点で残っているのはもう10ヶ月分しかなくなっていますから、軽いものです。そこで、これまでにどのぐらいの画像をアップロードしたのか見てみました。
 こんな感じ、まだ15%ぐらいしか使っていませんでした。13年使ってこれですから、これだったらほとんど無制限、という感じですね。あと何年生きられるか分かりませんが、もう死ぬまで使えそうな気になってきましたよ。
 そんなことに根を詰めたせいなのかどうか、先週あたりからちょっと喉と鼻の調子が悪くなっています。発端はこの前の土曜日の「杜の都合」の練習の時でした。小節を数えている時間が長くなると、ものすごい眠気が襲ってくるのですよね。まあ、最近寝不足の気味もあるのでそんなに気にはしていなかったのですが、なんだか体全体も少し重たく感じていました。
 日曜日になると、喉の奥がちょっとヒリヒリしてきました。こんな時は葛根湯を飲んでゆっくり休むに限ります。次の日の職場に行く頃には、そんな喉の感じはだいぶ収まっていました。しかし、そこで突然、毎年の「花粉症」が現れてきたのですよ。もう鼻水は出っぱなし、ちょっとでもくしゃみをしようものなら、いつまで経っても収まりません。いつもだともう1、2か月先のことなので油断をしていたのですが、まさに不意を突かれた感じ、もうひたすら耐えるしかありません。
 それで、火曜日にニューフィルに行った頃は、その症状は最悪でした。鼻水を拭うためにポケットにティッシュを入れておきましたが、フルートを続けて演奏しているとそんな暇もなく、鼻水がマウスピースにまで伝わってきましたよ。参りましたね。
 でも、なんとかその次の日には治まってきて、今では軽く鼻水が出るぐらいで済んでいます。明日の「杜の都合」には、たぶん普通のコンディションで臨めることでしょう。
 ただ、ピッコロ担当の人がお休みという連絡が入ったので、急遽シュトラウスの「ドナウ」のピッコロをさらっています。まあ、前にも1回吹いているので大丈夫でしょうが、その時に楽譜に1か所ちょっと不審なところが見つかっていました。
 この矢印の部分で、ワルツのテーマが戻ってくるので、今までフルートを吹いていたものをピッコロに持ち替え無ければいけないのでは、と思ったのですね。ただ、スコアを見てみると、ここはこのパート譜と同じように何の指示もありません。でも、ここは絶対にフルートではありえないと思ったのでCDを聴いて見たのですが、なんだかよく分かりません。
 そこで、映像で確認することにして、今までBSで放送されたウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのBDをチェックしてみました。そうしたら、殆どの年でこの部分にバレエの映像が入っていて、オーケストラは写っていないんですね。それでもしつこく探したら、やっと2014年と2012年で確かにこの部分でピッコロを吹いていることが確認できました。明日は、だからここはピッコロで吹くことにしましょう。
 でも、高音のF♯が出てくるんで、嫌なんですよね。ウィーン・フィルでも1か所外していましたっけ。 
Aventure Number : 2910 date : 2018/2/23


今日の禁断 パンケーキ


 何の予定もない日曜日だったので、久しぶりに泉区にある「タピオ」に行ってみました。しばらく来ていなかったので、本屋さんなどは入り口付近の様子が変わっていて、新刊書のディスプレイがなくなっていましたね。雑誌の配置も微妙に変わっていて、目指すコーナーを探し出すのに、ちょっと手間取ってしまいました。全体的に書籍の売り場が少なくなって、代わりに文房具などのスペースが広がっているような気がしましたね。ですから、確実に書籍の点数も減っているようですね。一番まずいのは、私が毎月購読しているテレビ番組の雑誌がなかったことです。今ある同じ種類の雑誌の中で、唯一BSの番組にきちんとページを割いている雑誌ですから、マニアックではあるのですが、これを置いていないのではまっとうな本屋さんとは言えません。そろそろ、この店もヤバいのではないでしょうか。
 それから本館の方に行ってみると、
 エスカレーターを降りたところの正面にあるシャツ専門店に、なんと、ニューフィルの定期演奏会のポスターがディスプレイされていたではありませんか。
 拡大するとこんな感じ。なにが「ついに登場!!!」なんでしょうね。
 もっと先に行くと、こんどはショーウィンドウの中にまで、ポスターが。
 さらには、センターコートのこんな目立つところにもありましたよ。
 そんなおしゃれなところだけではなく、2階のレストラン街でも
 そして、1階にあるこんなお店でもしっかりポスターを展示してくれていましたよ。
 広報係の私を差し置いて、誰がこんな素敵なことをやってくれたのでしょうね。心当たりがないわけでもありませんが、その方の力をもってしても、こんなことをやれるのは極めて短期間のことなのではないでしょうか。おそらく、明日になったらもう全部撤去されているような気がしますね。
Aventure Number : 2911 date : 2018/2/9


今日の禁断 シュトラウス


 この間までかかりきりになっていた新しい「かいほうげん」のコンテンツをこちらにアップし終えたところです。実は、他にも同じように「かいほうげん」のために書いたもので、アップしなければいけないものがあるのですが、そこまで手が回らなかったので、それは後日、ということで。
 こんな感じで、このところまとまった原稿を書く機会が多くなっています。しばらくこういうことをやっていなかったので、その反動で書きたいものが増えてきたのでしょうかね。
 これは、自主的に書こうと思ったものですが、それ以外に「頼まれて」書いているものもあります。まずは、もう本番まで1ヶ月を切ってしまった「杜の都 合奏団」のためのプログラム・ノーツの執筆です。今回が本当に最後ということで、マエストロも張り切ってプログラムを今までの4ページから倍増の8ページにしたいとおっしゃっていますから、自動的に私のページも増えて、今回は3ページ分の原稿を頼まれてしまいましたよ。
 とてもそんなに書く自信はなかったので、なんとか余白を増やしたり行間を広げたりしてノルマを果たそうと最初は思っていたのですが、書き始めてみるといつもの通り書くことがどんどん増えていって、結局今までと同じ書式で楽々3ページ分の原稿が出来上がってしまいました。
 これには、自分でも驚いているところ。そもそもマーラーに関してはあまり詳しくはないので、この再勉強してみようとこの間の「5番」の時に買い込んだ資料をとことん読み倒して、私なりに再構築していたら、そのぐらいになってしまったのですね。なにもないところから生み出すわけにはいかないので、こういう知識を他人に頼ることは絶対必要だと実感しています。
 一応は書き上げたのですが、これはまだまだ納品できるクオリティにはなっていないので、これからしっかり校正をおこなって、今週中には脱稿したいと思っているところですが、どうなることでしょうか。
 ただ、そんなにこれだけに構っているわけにはいきません。その次の「仕事」も控えているんですよね。さっきの「かいほうげん」への記事は、団員のための参考資料として書いたのですが、それを見たプログラム係が、私にニューフィルのプログラムにも「禿山」の解説を書いてほしいと言ってきたのですよ。まあ、うすうす予想はしていたのですがね。最近はこちらの方には書いていなかったので、これは「スプリングコンサート」で「カルメン」の解説を書いて以来になるのでしょうか。こちらも、締め切りにはまだ日数がかなりありますから、「おもしろくてためになる」原稿をかいてやろうじゃないですか。
 ところで、その定期演奏会のメディア関係の告知も、前に送った企画書によって続々と寄せられています。その中に、今まであまり反応のなかった某新聞社からのものもあったのですが、そこから寄せられた相談として、「指揮者の名前の『廣』という字が使えないので『広』に変えてもよろしいでしょうか?」というのがありました。これには、目を疑いましたね。いまどきのメディアで、人の名前を本人の希望通りに印刷できないところがあるなんて。「櫻田」さんとか「渡邊」さんは、まともに自分の名前をこの新聞の紙上では見ることが出来ないんですね。一応「できないのなら仕方がありません」と答えておきましたが、こんなところが新聞社としてやっていけるのか、本気で心配になってきましたよ。確か、その新聞の名前はかつては「産經新聞」だったはずですが、メールでは「産経新聞」になっていましたね。
Aventure Number : 2912 date : 2018/2/28


今日の禁断 フェアウェル


 このところ、毎週のように練習に通っているのが、3月21日に最後のコンサートを開く「杜の都 合奏団」です。結成者のマエストロがもう仙台にはいないので、物理的に続けることはできないのですから、残念ですがこれ以上コンサートは出来なくなっています。ぜひ、そんな最後の姿を、見に来てくださいね。
 私も、ずっとこのコンサートのためにプログラム・ノーツを書いてきたので、それもこれが最後となります。今回はそういうことでいつもの5割増しの3ページ分のテキストです。
演奏会に寄せて
 「ウィーンへのオマージュ」というタイトルの今回のコンサート、まずは19世紀後半にウィーンで大活躍していた「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世の作品を3曲お聴きください。彼が作ったワルツやポルカは、毎年ウィーンから生中継されるウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」のメインの曲目として、たびたび耳にする機会があるはずです。

ヨハン・シュトラウス二世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
 最初に演奏するのは、喜歌劇「ジプシー男爵」序曲です。実は、今年の「ニューイヤー・コンサート」では、この喜歌劇の中の「入場行進曲」が最初に演奏されていました。その時の解説によると、この喜歌劇(オペレッタ)は、第一次世界大戦が終わり、ハプスブルク帝国が崩壊したことによって独立したハンガリーとオーストリアを舞台にしており、当時の政治状況に不満を抱えていたハンガリーとウィーンの人々に一体感を与えようと作曲されたのだそうです。
 この序曲には、そんな「ハンガリーの人々」が喜びそうなジプシー(ロマ)の音楽がふんだんに盛り込まれています。さらに、この中で披露されるワルツやポルカのメロディの、なんと親しみやすいこと、シュトラウスという人は、美しいメロディを作ることにかけてはまさに天才だと思えてしまいます。それは、彼自身も自覚していたようで、同じ今年の「ニューイヤー・コンサート」では、この序曲にも出てくる、オペレッタの中のアリアのテーマをそのまま使った「フランス風ポルカ『花嫁探し』」という曲も演奏されていましたね。

ヨハン・シュトラウス二世:常動曲
 次に演奏される「常動曲」は、オリジナルのタイトルは「Perpetuum mobile」というラテン語です。これは、「永久機関」という意味で、産業革命による機械信仰が高まった結果生まれた想像の産物、「外部からエネルギーを補給しなくても、永久に動き続ける機械」のことです。「常動曲」はその思想を音楽で表現しようとしたもので、パガニーニなどにもひたすら忙しく音符を作り出す機械のような音楽がありますね。シュトラウスの場合はもうちょっとチャーミングで、オーケストラの中の楽器がそれぞれ名人芸を披露しながら楽しく音楽が「動いて」いるという趣向です。
 ただ、この曲は最後まで演奏したところで、また最初に戻るように指示されています。ですから、放っておいたらそれこそ「永久に」演奏し続けなければいけませんから、指揮者は「et cetera(そして、その他)」とか「und so weiter(この後も引き続き)」と客席に呼びかけて、笑いを取りながら曲を締めくくるのが慣例となっています。あのカール・ベームが日本でこの曲を演奏した時には片言の日本語で「い・つ・ま・で・も」と言って曲を閉じていましたね。本日のマエストロは、なんと言ってくれるのでしょうか(それとも、何も言わない?)。
 この曲の中で、クラリネット2本の流れるようなソリが終わった後にホルンによって奏でられるメロディを聴いて懐かしいと思える人は、年季の入ったクラシック・ファンなのではないでしょうか。それは、1972年から1983年まで放送されていた「オーケストラがやって来た」というテレビ番組でこの曲がオープニング・テーマに使われていたからです。毎回、指揮者の山本直純がこのホルンのメロディに続けて、マイクを片手に客席に向かって同じメロディで「♪おーけすとらがやってきた〜」と、指揮棒を振りながらだみ声で歌い出す光景を思い出せる人は、少なくなってしまいました。

ヨハン・シュトラウス二世:ワルツ「美しく青きドナウ」
 そして、このコーナーの最後の曲は、シュトラウスと言えばこの曲というほど有名なワルツ「美しく青きドナウ」です。もちろん、今回はオーケストラで演奏されますが、この曲は合唱曲としても有名で、たとえばウィーン少年合唱団あたりがよく歌っているのを聴くことができるはずです。「Donau so blau, so sch?n und blau(青きドナウよ、なんと美しく青いことか」という歌詞ですね。実際、この曲は最初は合唱曲として作られていました。ただ、その時の歌詞は「Wiener, seid froh(ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ)」というものだったそうです。作曲された当時、プロイセンとの戦争(普墺戦争)に負けて意気消沈していたオーストリアの国民を元気づけようという作詞家の意図があったのですね。もちろん、今ではそんな由来もすっかり忘れられ、「ニューイヤー・コンサート」では、必ずアンコール曲として演奏されるほどの特別な曲になっています。
 そのコンサートでは、この曲の冒頭の静かなヴァイオリンのトレモロが聴こえるやいなや、ホールを埋め尽くしたお客さんからは盛大な拍手が起こり、それをきっかけに指揮者は演奏を中断して年頭のあいさつをする、という「お約束」のシーンが用意されています。そんなことも含めて、世界中の人に愛されているワルツなのです。ただ、本日のコンサートでは、そんな臭い演出はありませんから、途中で拍手などはせずに最後までゆっくりとお聴きください。

グスタフ・マーラー:交響曲第9番
 シュトラウスが先ほどの「常動曲」を作る前年に生まれたグスタフ・マーラーが長じて指揮者・作曲家となり、ウィーンで活躍する頃には、世の中の音楽は全く別のものに変わっていました。マーラーはそんな中で、彼独自の方法で伝統的な「交響曲」というものを、形式的にも、そして精神的にもかつてなかったほどの高みに引き上げます。その最終的な成果が、今回演奏する「交響曲第9番」です。
 よく言われていることですが、マーラーが交響曲を作り続けてきて、それが「9番目」になった時に、彼の脳裏に「作曲家は交響曲を9つ作ると死ぬ」という「呪いの言葉」が浮かんだのだそうです。彼以前の作曲家で、たとえば交響曲という音楽の形を完成させたベートーヴェンは、確かに9曲しか作っていませんし、そのあとのドヴォルジャークやブルックナーも、やはり「9番」が最後の交響曲になってしまいました(ブルックナーの場合は未完)。もっと言えば、シューベルトの交響曲も、マーラーの時代は最後のものは「第9番」と呼ばれていました。そこで、この9番目の交響曲に番号を付けると、自分は死んでしまうのだと思い込み、それには番号ではなく「大地の歌」というタイトルを付けました。ところが、その次に出来てしまった「交響曲」は、さすがに番号なしというわけにはいかず、仕方なくそれに「第9番」という番号を付けますが、その後にもう一つ作ろうとした「第10番」はとうとう完成させることはできずに作曲家は亡くなってしまったので、やはりその「呪い」はあったのだと、世の中の人々は納得したのです。
 しかし、現在ではこれはほぼ完全に事実誤認だとされています。この話のそもそもの出所は、妻のアルマ・マーラーが書き綴った回想録の1908年、つまり「大地の歌」を作っている時期の記述です。それは、
彼は縁起をかついで、あえてこれを交響曲とは呼ばなかった。それによって運命の手から逃がれようとしたのだった。(石井宏訳)
というものです。ただ、もちろん、マーラーは冗談半分にそんなことを周りの人に語ったことぐらいはあったかもしれませんが、本心はそんな深刻なものではなかったはずです。まあ、この曲は、言ってみれば「歌曲集」と「交響曲」が合体したような作品ですから、別に番号を付けなくてもよかったと考えたのでしょう。ですからこれは、マーラーを悲劇の主人公に祭り上げようというアルマの策略だった、とするのが、最近の学者たちの一致した見解のようですね。実際、マーラーはその次の交響曲を作り始めた時に、何のためらいもなくそれに「第9番」という番号を与えていたことは、彼の手紙によって明らかになっているそうですから。
 ただ、現存する作曲家でもそのような「迷信」、あるいは「都市伝説」を真に受けている人はいるようで、クシシュトフ・ペンデレツキというポーランドの大作曲家は、まだまだ曲を作る力は残っているのに、「8番」を最後に交響曲を作ることをやめてしまいました。あるいは、それを逆手にとって、ドミトリー・ショスタコーヴィチあたりは、「9番」をわざと軽妙な曲に仕上げることによって、この「迷信」をネタにしていましたね。もちろん彼はその後も生き続け、交響曲は15曲も作ることになります。

 ということで、マーラーの10番目の交響曲である「交響曲第9番」の第1楽章は、とても静かにチェロとホルンが同じ音で呼び交わす「ターッタ・ンター」というシンコペーションのリズムで始まります。このリズムは「死の打撃」と呼ばれていて、後に大きな意味を持って盛大に登場しますから、気に留めておいてください。そして、次に第2ヴァイオリンで出てくる「ミレ(移動ド)」という2度の下降の音型で始まるテーマが、この楽章の重要なテーマとなります。この「2度下降」のモティーフは先ほどの「大地の歌」でも、最終楽章の歌詞の最後「ewig(永遠に)」にも使われていて、バロック時代の音楽でも修辞学的に「ため息のモティーフ」として知られるものです。このモティーフはこの楽章のいたるところで登場しますから、ぜひ耳をそば立ててみてください。
 それまで静かな音楽だったものが、初めての「フォルテ」になった瞬間に第1ヴァイオリンによって現れるのが、もう一つのテーマです。これらのテーマが入り乱れて、楽章は進んでいきます。冒頭のシンコペーションのリズムもホルンなどによって時折聴こえてきます。そして、始まってから20分近くに、そのリズムが銅鑼や大太鼓を伴ってトロンボーンで現れるところでは、誰しもが強烈なインパクトを与えられるはずです。これこそが「死の打撃」です。確かにここで「死」は訪れ、その後には葬列の音楽が続くのです。
 と、その行進がいきなり止まったと思ったら、そこにはフルートやホルンなど何人かのソリストがそれぞれに即興的なフレーズを競い合う、異様な浮遊感が漂う空間が現れます。それはまるで、夢の中で自分の亡骸を見ているような不思議な情景です。そして、楽章の最後には「ため息」の「ミレ」の「レ」の部分がオーボエによっていつ果てるともなく長く伸ばされ、なんとも不安定でやるせない状態が続きますが、それは弦楽器とピッコロの出す「ド(もちろん移動ド)」の音によってやっと解決されます。

 そんな、恐ろしいまでに緊密に作り上げられ、思わず背筋を伸ばさざるを得ないような第1楽章に続く第2楽章は、ちょっとホッとしたくなる、ゆったりとした3拍子の舞曲「レントラー」で始まります(パート1)。ところが、それはいきなり攻撃的でアップテンポのワルツに変わります(パート2)。この鋼のような冷たいテイストは、なんだかショスタコーヴィチの「交響曲第5番」の第2楽章のテーマに通じるものがあると感じるのは、なぜでしょう。それも、やはりいきなり、今度は冒頭よりもっとゆったりとしたレントラー(パート3)に変わります。このテーマの中にも、第1楽章の「ため息のモティーフ」が含まれていることにご注目。この3つのパートを、規則性を持たせずに全くランダムに登場させているというのが、いかにもマーラーらしいところです。

 第3楽章は、「極めて反抗的に」という表記のある、とても賑やかで激しい楽章です。言い換えれば、細かい音がたくさんあって、演奏するのはとても大変だということです。冒頭のロンド主題が何度も形を変えて登場し、時には多くのテーマが入り乱れてのフーガなども始まりますから、聴く方も演奏する方も多大のプレッシャーを与えられることでしょう。ただ、そんな楽章でも、真ん中あたりにちょっとした息抜きの部分が用意されているのには救われます。それは、シンバルの一撃とヴァイオリンとフルートの高音のトレモロによって始まる部分で(フルートには「フラッター・タンギング」という特別な奏法が要求されます)、まずはトランペットが、クリスマスの定番曲「ホワイト・クリスマス」に酷似したモティーフを演奏、それが次第に全体にいきわたってなにかほっこりとした気分を誘います。それが終わると、また音楽は激しいものに変わり、そのまま一気にエンディングを迎えます。

 第4楽章は、それまでの「最後は元気良く終わるのが交響曲」というルールをものの見事に破って、ゆったりとしたテンポでたっぷりと歌い上げられた後に、消え入るように終わるという、最後の楽章にあるまじき形をとっています。あ、でも、チャイコフスキーの「交響曲第6番(悲愴)」でも、同じことをやっていましたね。ただ、あちらはいかにも重苦しいテーマで始まるのに比べて、ヴァイオリンによる荘厳な前奏に続いて、全ての弦楽器で奏されるこちらのテーマは、なんという高貴さを湛えていることでしょう。そして、それに並んで聴こえてくるのが、第3楽章で現れていた「ホワイト・クリスマス」です。ここでは、この二つのテーマが何度も微妙に形を変えて、3つの変奏曲が演奏されます。その3つ目の変奏が始まる直前に、ヴァイオリンの高音で、第1楽章の「死の打撃」のリズムも現れます。そして最後には弦楽器しか残らなくなり、いつ果てるともしれぬ静謐な音楽が続きます。それは次第に浄化され、ついにはこと切れます。
 マーラーの交響曲はこんな風に去っていきました。私たち「杜の都合奏団」もこれでお別れですが、皆さんの心の中には残り続けます。「い・つ・ま・で・も」。
Aventure Number : 2913 date : 2018/3/2


今日の禁断 アリオ


 久しぶりにイズミティにお客さんとして行ってきました。その前にそこに行ったのは、ニューフィルで「レニングラード」を演奏した時ですから、2年半前ですね。その頃は、このホールは「イズミティ21」という名前でしたが、今では、
 こんな感じ。なんでもかんでも「ネーミング・ライツ」という愚かな風潮に、ついにこんなところまで浸食されていたのですね。もう、ついていけません。さらに、ここに一番近い駐車場の中に新しいマンションが建ったために、駐車スペースが減ってしまいましたから、確実にここに車を停められるという保証はおそらくなっているので、かなり早い時間にそこに入れておくことにしました。もちろん、無事に入れられたので、やはり新しくなってからまだ行ったことのなかったかつてのヨーカ堂のあたりを見に行ってきました。
 確かに、このあたりはかつては駐車場だったところにどんどん大きな建物が建っていて、全く景色が変わっていました。ヨーカ堂などは、建物は変わっていないのに、雰囲気が全然別物になっていましたね。「餃子の王将」なんてディスプレイが出てましたし。中には行ってみたらいつの間にかタワーレコードが入っていましたが、そこにはクラシックのCDは1枚もありませんでした。ジャズ、まではありましたけどね。
 イズミティには、BBC交響楽団を聴きに来ました。仙台でオーケストラを聴きたくなるようなホールは全然ないのですが、これは料金が安かったので、行く気になったものです。大ホールの一番後ろの席が6000円ですからね。これはお買い得。おそらく、このホールでは一番音のいい席ではないでしょうか(あくまで、個人的な感想です)。
 指揮はサカリ・オラモ。このオーケストラを生で聴くのは初めてですが、弦の配置が対向型なのに、コントラバスだけ上手奥という珍しい配置でした。最初の曲目は、ブリテンの「ピーター・グライムズ」からの4曲。このうちの3曲はニューフィルでもやったことがあるので、なじみがあります。でも、1曲目のヴァイオリンとフルートのユニゾンを聴いただけでニューフィルとは次元が違っていたことを思い知らされます。そのあとの金管の柔らかい響きも極上でしたね。
 2曲目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ソロはアリーナ・ポゴストキーナ)。なんせ響かないホールですから、ソリストの音はちょっとオケに埋もれてしまっていましたね。弦はその前の16型から12型までに減ってましたけど。それで、木管のソロがもろに聴こえてくるのにはちょっとびっくり、ただ、クラリネットの人の音色が、ちょっと異質でしたね。フルートの2番は、日本人の 向井知香(むかいともか)さんでした。
 休憩になると、1番フルートの人だけ退場しないで、次のシベリウスの5番をさらっていましたね。おととい広島で同じ曲目だったはずなのに。そのシベリウスは、とても素晴らしかったですね。これもニューフィルでやっていて、私もしっかり1番で乗っていたのですが、出だしの木管の表情がとても繊細にコントロールされていて、こちらも異次元の世界でした。これはもちろん16型に戻っていましたが、管楽器はビンビン聴こえてくるのに、弦のトゥッティでは音は出ているものの潤いがほとんど感じられなかったのは、間違いなくこのホールのせいでしょう。この曲だけ、オラモは座って指揮をしていたのはなぜなのでしょうね。
 アンコールが1曲あったので、それで終わりだと思って早めに席を立ったら、ホールを出る時に2曲目のアンコールが始まっていました。でも、シンフォニーで満足していたのでそのままホールを出たら、そこでバッタリ知り合いに会って、ニューフィルのチケットを渡すことが出来ましたよ。アンコールを聴かなくて正解でした。
Aventure Number : 2914 date : 2018/3/9


今日の禁断 チェルノボーグ


 今差し迫ってのミッションが、ニューフィルのプログラムのための原稿書きです。まあまだまだ締め切りは先ですし、いざとなればこの前作った「かいほうげん」用のトークをコピペすればいいだけですから、そんなに焦ることはないのですがね。「セルフコピペ」だったら、何も後ろめたいことはありませんから。余談ですが、最近別のことでネット検索をしていたら、さるアマオケのプログラム解説が、WIKIを一字一句変えることなくコピペしてましたね。私もそれをやってみて、「だって、俺が書いたんだもん」とか言ってみましょうかね。
 いや、そんなことを言ってないで、そろそろ真面目に準備を始めておかないと。
 ということで、「禿山の一夜」を語る際には避けて通れない「ファンタジア」について、ちょっと調べてみました。これは、さっきのネタには入れてませんでしたからね。
 「ファンタジア」というのは、ディズニーが1940年に作ったクラシック音楽だけを使ったアニメ。その中で、「禿山」は最後から2番目に登場します。「魔法使いの弟子」にはミッキー・マウスが登場しますが、こちらのキャラクターはこんな魔物です。
 これのDVDを確かに持っていたはずだと思って探してみたら、ありました。
 左側のが、2010年にアメリカで発売された「60th Anniversary Edition」のDVD、これはそれまで日本で公開されたことのなかった「オリジナル版」で、ナレーターが登場して解説をするというカットが入っています。もちろん、初出のメディアでしたので、わざわざアメリカのAmazonから買いました。そうしたら、リージョン・コードが日本とは違っていて再生できないので、「リージョン・フリー」のプレーヤーまで買わなければいけなかったんですよね。
 これが、画面も音声も、昔映画館で見たものとは全然違っていて、とても素晴らしかったのに驚きました。というのも、その前に右の1982年にリリースされたCDがあって、そこには映画の音があまりに貧しかったので、わざわざ新しく録音し直したものが入っているんですよ。でも、いま比べてみると、DVDの方がよっぽどいい音ですね。
 そう、20年近く前に買ったリージョン・フリーのプレーヤーは、まだちゃんと再生できました。そして、このDVDではサラウンドの音声も入っているのですよ。なんと言っても、この映画の売りはサラウンドでしたから、それがご家庭で聴けるなんてすごい、と思ったのですが、さすがにこのプレーヤーにはHDMI端子はまだ装備されていなかったので、それは体験できませんでした。でも、今出ているブルーレイだったら、確か7.1まで入っているはずですから、機会があったら聴いてみたいものです。
 ただ、PCだと、リージョン・コードが違っても再生できるんですね。ちゃんと切り替えられるようになってました。ところが、これは回数制限があって、全部で5回しか切り替えられないのですよ。ま、今回1回使って、あとはもう「リージョン1」をかけることはありませんけどね。必要なスティル画像も全部キャプチャーして、その中の数枚をここでも使っていますから。

 そんな画像の中には、こんなヤバいのもありました。この映画は、アニメとは言ってもお子様向けではなかったことが、よく分かります。
 まあ、それはあまり関係はなくて、聴きたかったのはここで演奏されている「ストコフスキー版」だったんですけどね。なにしろ、この曲がここまで有名になったのは間違いなくこの映画のお蔭ですから、その時には人々はどんな音楽を聴いていたのかは知っておく必要がありました。
 まあ、ストコフスキーのことですから、現行のリムスキー=コルサコフ版を下敷きにして、オーケストレーションを大幅に変えたものだろう、ぐらいには思っていたのですが、実際はかなりカットがありましたね。それは、ほとんどが繰り返しの部分なのですが、1つ重要なテーマがカットされていたのは、何か意味があったのでしょう。
 問題は、それを忠実にコピーしたはずのさっきのCD。最初にトロンボーンと低弦で出てくる「悪魔のテーマ」のリズムの6小節目が、リムスキー=コルサコフ版の二分音符2つではなく、原典版の付点二分音符+四分音符の形になっているのですよ。この楽譜を用意して指揮をしていたのはアーウィン・コスタル、彼の名前は、たぶんあさっての「禁断」にも登場するはずです。...to be continued...
Aventure Number : 2915 date : 2018/3/9


今日の禁断 ブージー


 今週の木管パート練習では、トレーナーのM先生がいらしてました。いつもながらの思わず目からうろこが落ちるようなレッスンでしたが、雑談の中で、「今度、学生オケでコントラ・ファゴットを吹くことになって・・・」という話になりました。何の曲だろうと思っていたら「シンフォニック・ダンス」というので、思わず、「コントラ、あるんですか?」と聞いてしまいましたよ。これは、もちろんバーンスタインが作った「ウェストサイド・ストーリー」からの抜粋で、ダンスナンバーを集めたアマオケにも人気のある組曲ですが、オリジナルのスコアにはコントラは入ってませんからね。でも、確かに、この曲にはコントラはありました。というか、編成がオリジナルとは全然違ってました。聴いた感じはそんなに違っていないんですけどね。
 そもそも、オリジナルはミュージカルですから、上演されるピットに合わせての少人数の編成になっています。木管は5人しかいませんし弦楽器もヴィオラはなし、ヴァイオリン7人のチェロ4人、コントラバス1人、全部で31人がフルメンバーです。それを、普通の16型のオーケストラで演奏するために書き換えたのですから、当然コントラも入ってきますね。調べてみたら、16型では92人必要なことが分かりました。ピット版の3倍ですね。
 「シンフォニック・ダンス」のスコアは持ってなかったですが、まあ、ニューフィルで演奏することはないだろうと買ってません。でも、出版元のサイトに行くと全部見られるんですね。前にここから直接買ったことがあったので、すぐログインが出来ました。それで、そんな人数も分かったというわけです。それで、ついでにいろいろ見てみると、このスコアは改訂版になっていることも分かりました。最初に出版されたのは1967年でしたが、このサイトで見られるのは1995年に改訂されているものでした。
 改訂と言われて一つ思い当たるのは、この中で一番有名な「マンボ」。その中で、ボンゴを除く全てのメンバーが「Mambo!」とシャウトしろ、という指示がありますね。
 これは、最近まで私にとっては謎でした。この曲の最初の録音、作曲者が1961年にニューヨーク・フィルを指揮した録音ではこんな「シャウト」は入っていなかったはずなのに、その他の演奏では必ずこれが入っていたので、いつも不思議に思っていたのですよ。おそらく、楽譜には無いことを、誰かがやり始めたらそれが慣習になったのだろうと思ってました。同じバーンスタインも、1982年にLAフィルと録音した時のものには、ちゃんと入れていますからね。おそらく、そんなことがあったので、改訂の時にこのように直されていたのでしょう。
 それと、もうひとつ気になったのが、こんなコメントです。
 これと、ここに登場するシド・ラミンのコメント(↓)とを合わせて読んでみると、この改訂に際して、この曲のオーケストレーションに関するクレジットが明記されるようになったのでは、という気にはなりませんか?
 オリジナルの方では、1994年に出版された時に、下のようにきちんとシド・ラミンと、もうひとり、前回登場したアーウィン・コスタルがオーケストレーターとしてクレジットされていましたから、これと併せて、ということなのでしょうかね。改訂前のスコアは見ていないので何とも言えませんが、そこにはたぶんこの二人の名前はなかったのではないでしょうか。私も、「シンフォニック・ダンス」の方は、オリジナルからバーンスタイン自身がオーケストレーションをやり直したのだと、ずっと思っていましたからね。
 でも、よく考えてみたら、バーンスタインのような超多忙だった人が、こんな手間暇のかかるオーケストレーションなどを自分でやっているわけはないのはすぐわかりそうなものですね。ネットでは「バーンスタインはこの二人の協力を得てオーケストレーションを行った」というような記述がよく見られますが、それは単なるクレジット上のことで、バーンスタインはただ指示を出しただけで、実際の作業はこの二人だけでやっていたはずです。「オーケストレーター」というのは、そういう仕事なのですから。
Aventure Number : 2916 date : 2018/3/9


今日の禁断 エピス


 私のFacebookに、こんな動画がアップされてました。
 そう、7年前の今日、私のFacebookのアカウントが登録されたのでした。つまり、そんな作業を行っている最中に、あの大揺れがやって来て、すぐに停電になってしまってPCも落っこちてしまったのです。ですから、Facebookを本格的に稼働させるのはそれからかなり経ってからなのですが、きちんとこれは「記念日」として忘れられないでいるのですね。
 ということは、あの日から7年経ったことになります。それがどれほどこの国に衝撃を与えたかは、そんなに年月を経てもこの数日のメディアがこの日がらみの報道に完全にシフトしていたことからも分かります。なんたって、あの時に大事故を起こした原子力発電所が、いまだに廃炉のめども立たない状況なのですから、これからもこういう報道体制は続いていくことでしょう。いくら物忘れが早いと言われているこの国の人でも、これだけは忘れることはあり得ません。
 というのは、もちろん単なる願望です。現実はそんなわけはなく、この日の周辺だけは「思い出すふり」をしているのは明らかです。まあ、それでも思い出さないよりはましなのかもしれませんが。
 でも、そんな報道の中で、さる被災地でこの日のための何かの行事を準備していた会場の体育館に、紅白の幕が張られていたのを見た時には絶句しましたね。ありえません。
 なぜか、そんな日にさる合唱団のコンサートがありました。個人的にいろいろつながりがあるので行ってきました。やはり、この日にコンサートをやるにはそれなりの覚悟があったようで、プログラムにはこの日がらみで新しく作られた曲がたくさん取り上げられていました。そんな中で、「群青」が歌われた時には、私は不覚にも涙が止まらなくなってしまいました。この曲は今まで色々なところで聴いてきて聴きなれていた、ということもあるのでしょうが、何よりもそのまっすぐでさりげないメッセージが、もろに心に刺さってしまったのですね。これは、そういう意味でこれからも歌い継がれていくべき名曲です。これに比べると、その他の「プロ」が作った多くの曲は、なんとも白々しい歌詞でなんの感慨も湧いてきませんでしたね。
 この一連の曲が終わったところで、ちょうど「あの時間」になり、会場の全員が立ち上がって黙祷を捧げました。このタイミングは、私にとってはなんとも絶妙。「群青」が終わったところで、私の顔はぐじゃぐじゃになっていて、とても前を向いて立ち上がるなんてことはできませんでした。幸い、その後に歌われた曲が全く涙を誘われないものだったので、その2曲の間に顔の表面は乾いていましたからね。
 いずれにしても、今年のこの日には、またとない体験が出来たことになりますね。この合唱団、この前聴いた時にはちょっと腕が落ちたのでは、と感じてしまったのですが、今回はとても素晴らしい響きが戻ってきたようで、とても楽しめました。
 そんな立派な合唱団なのに、お客さんの入りはあまり良くありません。今日は他のところでもいろいろな催し物があるので、みんなそちらに行ってしまったのでしょうか。ただ、そのせいで会場の響きはとても豊かになっていて、残響がビンビン聴こえてきました。
 実は、再来週の21日には、この同じホールで「杜の都」の本番があります。これが最後だというので、メンバーはそれぞれにスケジュールが立てこんでいる中で練習に参加してきました。さいわい(?)今のところそれほどのお客さんは来られない見込みなので、このホールは今日のようにとても良いアコースティックスになっているはずです。ぜひ、残響たっぷりのマーラーを聴いてみませんか?ご連絡いただければチケット(もちろん無料)をご用意しますよ。
 あ、あと、これはあくまで私の個人的な感想ですが、今日のような日のことを「さんいちいち」と呼ぶのは、大嫌い。
Aventure Number : 2917 date : 2018/3/11


今日の禁断 ムソルグスキー


 東野圭吾の新刊文庫が出たので、読んでみました。これももう5月には映画が公開されるというので、このタイミングでの文庫化だったのでしょう。何かと忙しいし、他に読むものもあるので、これはヒマが出来るまで読まないでおこうと思っていたのですが、チラッと最初だけ、という好奇心で読み始めてしまったら、もういけません。もう何を差し置いても読み続けるしかないという状態に陥ってしまうのは、いつものことです。本当に上手ですよね。そういう風につい、先を知りたくなるような運び方は。読み終わってみれば、なんだかどこかで読んだことがあるような設定と謎解きだったのですが、まあ、こんな感じで引き出しの中身を巧みに組み合わせて、新たなものを作り上げるというスタイルにはもう慣れましたから、十分に楽しめました。今回は「変身」と「プラチナデータ」のリミックスでしょうか。
 「プラチナデータ」と同じ嵐のメンバーによる映画化、というのも面白いですね。豊悦はあの映画にも出てましたね。これも、映画館で見ることはなさそうです。
  ニューフィルのチラシやポスターが出来上がってきたのはもう1か月以上前のことでしたが、私の担当の配布作業がやっと終わりました。ほとんどはもう出来てすぐ行っていたのですが、中には「本番の1ヶ月前でないと受け付けません!」というところがあったので、今日まで待っていたのですよ。その2か所とは仙台市民会館と、せんだいメディアテークという、仙台市で運営している施設です。普通の市民センターなどはいつ行っても掲示されるされないは保障できませんが、ちゃんと預かってはくれるのに、この2つだけは頑として「1ヶ月前にならないと」受け取ってくれないのですよね。そんなことが行くたびに起こっていたので、こちらも意地になってそれなら1か月前なら問題ないだろうと、今日まで待って持っていく、ということになるのですよ。ほんとうに、肝心のところで「文化活動」を支援したくないという「本音」が見えてしまうのは悲しいことです。
 そういえば、同じ市の団体で「青年文化センター」というところも、なんだか不思議な対応を示していましたね。こちらは、持っていくといとも丁寧な応対でチラシやポスターを預かってくれるのですが、ポスターはすぐ地下の練習室の前の掲示板に貼ってくれるものの(↓)、チラシはなかなか置いてくれないようなのですね。この前の日曜日に合唱のコンサートに行った時に、初めて置いてあるのを目にしましたからね。その時には、おそらく渡した50枚がどっさり置いてありましたから、とても1ヶ月もそこにあったとは思えません。いや、別にスペースの問題もありますから、そんな前から置いて欲しいとは思ってはいませんが、それだったら預けた時に一言言ってほしいものです。
 ということで、私のチラシ配りのノルマも全部完了したところで、いよいよ定期演奏会も本番1ヶ月前となりましたから、いつも来ていただいている人たちへのチケットの発送とか、Facebookのイベントでの「お友達」への告知とか、いつもの作業を始めることにしました。そんなタイミングで、企画書を送った雑誌などから、掲載のゲラの照会などが届いています。今回は、あんまり大きく取り上げてもらえないようですが、それでもきちんと必要なことだけは伝えなければ、と、「交響曲5番」だった原稿を「交響曲第5番」に訂正してもらったりするのです。
 それと、やはり私のノルマだったプログラム用の原稿も、先週の週末にちょっと書き始めたらそのまますんなり出来上がってしまったので、もう印刷に回しました。これで、何の心残りもなく演奏会のことだけに集中できることでしょう。なんたって、来週には私にとってはニューフィルよりはるかに大変なコンサートも控えていますからね。
Aventure Number : 2918 date : 2018/3/14


今日の禁断 ビクター


 この間、「20年近く前に買ったリージョン・フリーのDVDプレーヤー」を久しぶりに使ってみた、という「事件」があったばかりですが、きのうはもっと古い「VHSデッキ」を使ってみた、という、もっとレトロな事件を体験することになりました。製造されたのが1993年ですからもう25年も前に作られたデッキですよ。人間だったら結婚してもう子供がいてもおかしくないくらい「生きて」いる機械ですね。
 これはつい最近まで自宅のシステムのラックの中には置いてありました。ただ、そのラックを作ったのは7年前の震災直後だったのですが、考えてみればそれから一度も使ったことはありませんでしたね。その頃にはすでにDVDレコーダーは使ってましたし、もう少しするとBDレコーダーも導入することになりますから、そもそもVHSの出番なんて無かったのに、もしかしたら撮りためたVHSを見る必要が出てくる機会が出てくるのでは、と、残しておいたのですね。でも、この間BDレコーダーを買い替えた時に、このシステムを維持するためにはAVアンプを導入する必要があるという結論が出た時に、もう完全にこのVHSデッキの役目は終わったことが明らかになり、彼(VHSデッキ)が抜けたスペースにAVアンプが収まるという「世代交代」が起こっていたのでした。
 ただ、彼はそのまま廃棄はされずに、押し入れの中で人知れず隠居生活をしていただけなので、今回どうしても再生してみたいテープが出てきた時には、そのままラックの前にやって来て、配線を終えると、何事もなかったかのように動き始めたのですよ。けなげなもんですね。
 それにしても、この機械に触れるのは久しぶりなので、再生を始める前には、まず「open」ボタンを押してしまいましたね。そうすれば、中からトレイが出てくるはずですからね。でも、何回押しても「ガラガラ」というだけで、何も出てきません。その時になって、やっと、ここはまず「テープ」が入っている「箱」を入れてやらなければ何も始まらないことに気づきました。彼は、決して「どうぞ」とこちらを出迎えてくれるようなタイプではなく、ひたすらこちらが入っていくことを待っているという、シャイな機械だったのですよ。
 その映像も、何の前触れもなくすぐに始まるのも、今となってはとても新鮮です。最近は、買ってきたDVDやBDは、本編を始める前の手順が長いのなんのって、それだけで疲れてしまいますね。必要のない「予告編」が入っていることもありますし。
 ところが、見たいところをすぐ探し出す、という点では、やっぱりテープに勝ち目はなかったのだな、というのは、今さらながら痛感します。特に、うちの機械は早送りしているともう画面が出なくなっていますから、もはや勘だけが頼りになってきますからね。もう、目的地を探すのは職人技ですよ。
 これが終わったら、彼はまた押し入れの中で眠りにつくのでしょうね。
 ところで、私が使っているブログがSSLを導入したことによって、かなりの量の画像が見えなくなってしまったので、それの入れ替え作業を行っていましたが、このたびほとんど完了しました。まだちょっと残ってはいるのですが、それはもう大昔のもので別にそのままでも構わないだろうと、これで打ち切ることにしました。それに伴って、ヘッダーの画像も使えなくなっていたのですが、そこには私のスキルでは同じものを入れることはできないので、もう画像はあきらめて、バックグラウンドに色を付けるだけにしてみました。こんな感じです。
 ブラウザによって見え方が違うようですが、Chromeではこのようになっています。これもシンプルで、結構気に入っています。この色は簡単に変えられるので、季節によって変えてみたいな、とも考えていますから。こんな風に。
Aventure Number : 2919 date : 2018/3/16


今日の禁断 シベリウス


 いよいよ、今度の水曜日は「杜の都合奏団」の本番です。そこで、きのうと今日は最後の練習ということになりました。まず、きのうは初めてハープが入っての練習です。会場は青年文化センターの練習室1、確か、このオーケストラが最初にコンサートを開くことになった時には、ここで何度も練習をやっていましたね。その時には室内オーケストラのサイズでモーツァルトなどをやっていましたから、この会場はちょうど良い広さでした。でも、今回はそれからは人数が倍以上になっていますから、もうほとんど限界、なにしろ、この部屋の備え付けの椅子では到底足らないことが分かって、わざわざ他の部屋から運んで来なければいけませんでしたからね。
 もう、1回座ってしまえば、外に出ることも出来なくなってしまうほどの混雑ぶりです。でも、実際にヴァイオリンなどは本番の人数にやっと近づいてきたので、本来のバランスで弦楽器が聴こえてくるようになっていましたね。そうなんですよ。マーラーの9番をやると言って見切り発車はしたものの、練習が始まってみるといつもヴァイオリンの席はガラガラでしたからね。まるで、昔のニューフィルみたい。そこで末廣さんなんかは我慢が出来なくなって、雷を落としてましたからね。
 でも、それは至極まっとうな怒りでした。やはり、マーラーをやるのだったら、練習の段階から必要な楽器がちゃんと揃っていなければそもそも練習の意味がないのですからね。もちろん、足らないのは弦楽器だけではなく、管楽器もスカスカの状態がずっと続いていましたから、こちらは必要な音がなくなってしまうこともあるので、影響はより深刻です。
 まあ、それでも、私は毎回ひたすら練習に参加しましたよ。なんせ、この曲で1番を吹くのは初めてのことですからね。前にニューフィルでやった時には2番、その時は楽勝だったのに、1番を実際に吹いてみたら、桁外れの難しさですから、もう練習に参加するだけではなく、休みの日にはこの練習室のそばのパフォーマンス広場でほぼ毎週個人練習をしていましたからね。
 やっぱり、きちんと人数が集まっての上での合奏だ、ということを、今回ほど身に染みて感じたことはありませんでした。同じマーラーでも前回は早い段階でかなりの人数がいましたから、実のある演奏が出来るという予感はあったのですが、今回はそんな気持ちになることは全くありませんでした。正直、なんでこんなことをやっているんだろうという思いでしたね。
 でも、きのうの練習では、そんな鬱々とした気持ちがすっかり吹き飛んでしまいましたね。弦楽器は部屋の端から端まで埋め尽くしていますから、マーラーならではの芳醇な響きがビンビン聴こえてきます。もちろん、ハープも間近で聴こえますから、マーラー感は最高潮。いや、シュトラウスでも、ハープが入っただけでびっくりするほどの「ウィーン感」が漂い出しましたよ。
 そんな迫力に圧倒されたのでしょう、私の出番ではことごとく今までになかったような初歩的なミスが出てしまいましたね。これはこれで、こんなんで本番を迎えられるのだろうかと、真剣に悩んでしまいましたよ。
 そして、今日も連続で練習ですが、全体の合奏ではなく管楽器の分奏でした。これは私にとってはなかなか有意義な練習になりました。前の日に失敗したところも冷静に対処できるようになっていましたから、まあ場数を踏めば解決できるものだということも分かりました。問題は、その「場数」がもう本番の前にはないということですけどね。こうなったら、開き直ってやるしかありません。考えてみたら、この一連の「杜の都」のコンサートで、全く不安がない中で本番を迎えたことなんか、一回もありませんでしたからね。
Aventure Number : 2920 date : 2018/3/18

18/3/21-18/5/3