2661(16/8/3)-2680(16/9/16)

今日の禁断 ベッド


 突然ショッキングな画像をお見せして申し訳ありません。これは、私が生まれて初めて撮った大腸内視鏡の画像です。染色液をかけて撮っているので、何とも毒々しい色になっていますから、なおさら気持ち悪いですね。
 毎年今頃受けている検便で、なぜか「陽性」という判定が出てしまったのが事の始まり、何事もなければはがき1枚が届くだけなのに、厚ぼったい封筒が届いたときには「ついに来たな」と思ってしまいましたね。開けてみると、案の定「大腸がん検診の結果、陽性となりました」という恐ろしい言葉が書いてあります。そして、「医療機関で早めに詳しい検査を受診してください」ともありました。えらいことになりました。大腸の内視鏡検査ですよ。まあ、「大腸がん」はともかく、そんな検査は一生受けたくはないな、と日頃思っていましたからね。だって、お尻からカメラを突っ込むんですよ。他人にお尻をさらけ出すなんて、とても耐えられません。
 でも、仕方がないので、仕事が終わってから行けて設備もちゃんとしていそうな病院を探して、まずは予約に行ってみます。これは、その日のうちに受けるわけにはいかず、いろいろ「前処理」が必要なんですよね。要は、大腸の中を空っぽにしなければいけないのですから、それがどういうことかは私でもわかります。
 そこで検査の日を決めて、その前々日から必要な薬と、「食事」を薬局でもらってきました。
 手前の一番小さな瓶に入っているのが「下剤」です。これを、前々日と前日に半分ずつ飲みます。「夜寝ている時に、トイレに行きたくなるかもしれませんよ」と言われてましたが、私の場合次の朝まで大丈夫でしたね。そして、「クリアスルー」というのが、前日の食事です。3食分レトルトパックが入っていて、その日はそれ以外のものは食べられません。まあ、量的には満腹にはならないまでも、そんなに少ないという感じではありませんでしたが、鶏肉なんかはまずかったですね。
 そして、検査当日に飲むのが、、手前のポリ袋に入っていた粉末を、2リットルの水で溶いたものです。真ん中の瓶の薬も一緒に入れます。それを、2時間かけて飲むことになります。10分おきににコップ1杯というペースですね。その間に何回かトイレに駆け込むことになります。次第に透明になってくるのが分かりますね。でも、これが本当にまずいのには参りました。少しでも飲みやすいようにと思ってか、なんかしゃれた味が付けられているのですが、それが最大の勘違い、こんなまずい飲み物は、小学生の時に飲まされた「海人草(かいにんそう)」以来です。
 それが収まったころ、バスで病院に向かいます。一応検査の時に麻酔をかけてもらうことにしてあるので「車では来ないでください」と言われてますから。病院では、まず着替えをさせられます。そこでは、パンツまで履き替えさせられました。それは、後ろにスリットが入っているんですね。そうか、これだったら恥ずかしいところを全く人目にさらさなくても検査が出来ますね。
 横向きになって寝そべっているところに、お医者さんがやって来て、「お尻にクリームを塗りますね」と言って、そのようなことをされたことまでは覚えていました。でも、そこで「安定剤」の注射液が入ると、それからのことは何にも覚えていません。気が付いたら、病室のようなところに寝かされていましたね。検査が始まって1時間近く経っていたみたいです。
 この病院では、大腸にポリープなどが見つかった場合にはその場で切除する、ということもやっていたので、それもお願いしてありました。いや、本当は何もないことを期待していたのですが、起こしに来た看護士さんに聞いてみたら、「ポリープ、取ったみたいですよ」と言っていたので、ちょっとがっかりです。
 それから少し休んで、写真を見ながらお医者さんの話を聞くと、ポリープは3つ切り取ったのだそうです。
 これが、さっきの写真の色素を付ける前のポリープ。
 たぶん、これが切ったあとでしょうね(あくまで、私の想像)。
 そして、これが、その傷口から出血しないようにクリップで留めたところなのでしょう。これが、一番ショッキングな画像でしたね。いま、おなかの中がこんなことになっているなんて。このクリップは、用が済めばそのまま外に出てくるのだそうですけど。
 そして、お医者さんの最後の言葉、「切り取った組織を検査に出しますので、2週間後にまた結果を聞きに来てください」が、それからずっと重くのしかかることになります。もしものことを考えると、夜も眠れませんでした・・・というのはウソですけどね。
 きのうが、その2週間目の日。お医者さんはモニターで検査結果の文書を見ています。日本語ではないので、ちょっと私には分かりません。と、「何も異常はありませんでしたね」という彼の言葉。「よかった!」と、心から思いましたね。そこで、調子に乗っていただいてきたのが、これらの画像です。ちょっと嫌がってましたが、強引にいただいてきましたよ。ま、こんなものを公開できるようになったのが、一番うれしいですね。別の結果が出ていたら、いくらなんでもこんなことはできませんからね。
Aventure Number : 2661 date : 2016/8/3


今日の禁断 パトナ

 いよいよ、明日が本番になってしまいました。七夕に出かけるついでに、お寄りになってみてください。お声掛けくださればチケットを用意(もちろん無料)しますよ。
 今回も、私がプログラム・ノーツを書いています。こんな感じの曲を演奏しますので。 
 半年ごとに開催されてきた私たち、「杜の都合奏団」の演奏会、今回は「ハ長調の魅力〜大作曲家の知られざる傑作を聴く〜」というテーマが設けられています。
 「ハ長調」というのは、ピアノの鍵盤の白鍵しか使わない西洋音楽の最も基本となる単純で明確な意志を持つ、言ってみれば「わかりやすい」調性です。しかし、今回取り上げた2人の作曲家、シベリウスとシューマンは、ともに非常に繊細な神経の持ち主だということもあって、そこには一筋縄ではいかない「ハ長調」の音楽が出来上がっています。

シベリウス:交響曲第3番ハ長調
 ジャン・シベリウスは、交響曲第1番(1899年)、交響曲第2番(1902年)、そしてヴァイオリン協奏曲(1904年)によって、世界的な大成功を収めていました。しかし、この交響曲第3番は、それまでとはガラリと作風の変わったものになっています。その要因の一つとなったのが、1904年に、それまで暮らしていたヘルシンキを離れ、近郊のヤルヴェンパーというところに新しい住居を構えたことでしょう。豊かな自然に囲まれたまるで山小屋のようなこの家には、彼の妻アイノの名前にちなんで「アイノラ」という愛称が付けられました。
 大都会の喧騒から離れたこのくつろいだ環境の「アイノラ」には多くの芸術家が集い、新しい時代の芸術について語り合っていました。そして、シベリウスは彼らとの交流の中からこれまでとは違う作風を模索するようになります。その結果、この交響曲はそれまでの交響曲とは違い、自らの主観的な思いを強く打ち出したものになりました。当然、1907年に初演された時には、聴衆は大きな戸惑いを感じたそうです。しかし、この曲を作ったからこそ、後の交響曲がさらに深みのあるものになっていったのです。
 この曲は、一応3つの楽章から出来ていますが、その最後の楽章は2つの異なる楽想を持つものがつながったものと考えられますから、非常に古典的な「アレグロ−アンダンテ−スケルツォ−フィナーレ」という4つの楽章から出来ているように見えます。さらに、第1楽章は「ソナタ形式」という、まさに古典的な形式によって作られています。
 しかし、それはあくまでそのような形を借りているというだけのことで、その内容はとても複雑なものになっています。さらにシベリウスは、いくつかの曲を同時進行で手掛けるというスタイルで作曲を行っていくタイプの作曲家でしたから、それぞれの作品の間でモティーフのやり取りなども行われています。この交響曲の場合も、未完に終わってしまった「マルヤッタ」という作品からのモティーフが反映されているのです。シベリウスが何度も作品の題材とした長編叙事詩「カレワラ」の最後を飾るこの物語では、マルヤッタという女性が処女懐妊し、救世主たる息子が誕生します。彼は受難の後埋葬されますが、やがて復活を果たし、カレリアの王となるという、まさにイエス・キリストその人が主人公となったこの物語を元に、シベリウスは3部から成るオラトリオの構想を練りますが、結局完成には至りませんでした。しかし、その精神はこの交響曲の中に息づいているのです。

第1楽章:冒頭からチェロとコントラバスのユニゾンで聴こえてくる素朴なモティーフが、この楽章のメイン・テーマです。それを飾るように木管楽器が細かい音符のキラキラしたモティーフを重ねます。これらのモティーフは、この後も形を変えて重要な場面で登場します。その先に現れるのがチェロによって奏される哀愁に満ちたサブ・テーマです。一旦音楽が落ち着いて、弦楽器だけで静かにため息のようなフレーズが歌われるのが展開部への橋渡し、その後にフルート・ソロが先ほどのキラキラしたモティーフを、まるで小鳥の鳴き声のように奏します。それは弦楽器にも引き継がれて、テーマの展開が始まります。ここでのハイライトは、先ほどチェロで奏されたサブ・テーマがファゴットやクラリネットで朗々と歌われるのを、このキラキラモティーフでひたすら追いかけるヴィオラ・パートの孤高の姿でしょう。再現部では最初のテーマが、出てきた時とは全く異なるオーケストレーションで再現されます。そして、エンディング、フルートのキラキラモティーフに導かれて弦楽器がピチカートで場面を転換させると、次に木管とホルンによる「救世主の誕生」を表わすようなコラールが響き渡ります。それは弦楽器でも繰り返され、「アーメン終止」でこの楽章の幕が下ります。

第2楽章:この楽章では「救世主」は死に、マルヤッタは墓地で息子の運命を嘆きます。流れるような4分の6拍子の中、低弦のピチカートに乗って2本のフルートで歌われるのは子守唄とも葬送行進曲とも感じられることでしょう。この哀愁に満ちた歌は、このゆるやかな流れに従って歌われると思いきや、時折ベースのリズムがちょっとずれたシンコペーションを産み出していますから油断はできません。しかも、そのあたりでは一瞬「ナポリの6」というちょっとびっくりするような響きが現れますよ。その後には、3つのパートに分かれたチェロによる、まさにマルヤッタの嘆きとでも言うべきコラールが響き渡ります。もう一度、今度はヴァイオリンのピチカートも加わって、「子守歌」が聴こえてきます。そのピチカートが次第にテンポを上げていくと、木管楽器が一陣の風を舞い起します。そして、3度目の「子守歌」が弦楽器によって歌われ、第2楽章が終わります。

第3楽章:冒頭に現れるオーボエのソロは、なんとものどかな雰囲気を醸し出していますが、曲が進んでいくと次第にそれは切迫の様相を呈してきます。この楽章のシベリウスのオーケストレーションはとことん奇妙、4つの声部に分かれたヴァイオリンはそれぞれが全く反対の方向を向いた音型を演奏するというハチャメチャさです。その間を縫って、他の楽器もとてもスリリングなアンサンブルに加わらなければなりません。先ほどのマルヤッタからのコンセプトでは、この部分は「受難」を表わしているのだとか、そう、ここは演奏者にとっても多くの受難が待っている部分なのです。しかし、やがて光は見えてきます。8分の6拍子の中からかすかに聴こえてくるヴィオラによる4拍子のフレーズは、「神への祈り」のテーマです。このテーマは、すでにホルンでも暗示されていたものですが、ここになってはっきりその形を表わします。そこからは、まさに「復活」の喜びが、オーケストラ全体で歌い上げられるのです。

シューマン:交響曲第2番ハ長調
 ロベルト・シューマンは、交響曲を「4曲」作ったとされています。ただ、今までこの演奏会で演奏してきたメンデルスゾーンやシューベルト同様、それは額面通りに受け止めることはできません。まず、1841年に作られた「第1番」の前にも、1832年に着手したものの、結局第2楽章までのオーケストレーションが済んだところで力尽きてしまった幻の交響曲(当時住んでいた地名に由来する「ツヴィカウ交響曲」という名前で呼ばれ、何種類かの録音もあります)が存在しています。そして、「第1番」と、今回取り上げた「第2番」との間にも、もう一つの交響曲を完成させています。それは、「第1番」と同じ年(この1841年は、シューマンの「交響曲の年」と呼ばれています)に完成されていますが、出版には至っていません。それは、10年後に改訂され、そののち出版されて「交響曲第4番」と呼ばれることになります。現在では、改訂前の「初稿」も出版されていますし、実際の演奏もかなりの頻度で行われていますから、初稿と改訂稿を別の作品とみなせば、シューマンの交響曲は全部で「6曲」あることになるのです。
 前回の演奏会で取り上げたシューベルトの「交響曲第8番」を発見したのがシューマンその人だということは良く知られています。その曲を知ったことが、彼が交響曲を作るきっかけになったとも言われており、そこで生まれたのが「1番」と「4番(初稿)」だったわけですが、それから数年経って、彼は再度そのシューベルトのハ長調の交響曲、「第8番」を聴く機会がありました。その直後、彼はメンデルスゾーンに「このところ、私の頭の中では、ハ長調のトランペットが鳴っています。ここから何かが起こるか、私にもわかりません」と語っていたそうで、この体験が、彼の新たな交響曲の作曲への意欲を駆り立てたのでしょう。

第1楽章:序奏では、ゆったりと波打つような弦楽器をバックに、先ほどのトランペットを含む金管楽器が、まさにハ長調のファンファーレを荘厳に吹き鳴らします。次第にテンポが速くなるにつれて聴こえてくるのが、付点音符の軽快なモティーフ、やがて音楽は高速にギアチェンジしてそのモティーフがメインとなった主部に突入します。時折聴こえてくる緩やかに流れるようなテーマが、この楽章の隠し味。

第2楽章:ファースト・ヴァイオリンが常に細かい音符を刻んでいるという印象が強い、スケルツォの楽章です。その間に、三連符に支配された軽快な第1トリオと、しっとりと歌い上げる第2トリオが挟まります。この第2トリオの美しさは、この交響曲の白眉でしょう。最後のコーダでは、ファースト・ヴァイオリンはさらに大活躍、1990年にレナード・バーンスタインによって創設された「パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル」でこの曲を取り上げた巨匠は、この部分でファースト・ヴァイオリン全員を立ち上がらせ、暗譜で演奏することを要求していましたね。

第3楽章:シューマンは、この曲に取り掛かる前の年を自ら「フーガの年」と呼んでいるように、そこでバッハなどの対位法を研究しています。その影響でしょうか、この楽章のメイン・テーマはバッハの「音楽の捧げもの」のトリオ・ソナタのテーマに酷似しています。とても穏やかなこの楽章は、続く第4楽章の喧騒の前の小休止。

第4楽章:大袈裟な幕開けの上向スケールに続いて、メンデルスゾーンの「交響曲第4番(イタリア)」のテーマが高らかに鳴り響くのには、驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。これはそんなイケイケの楽章です。ただ、その後に軽やかな木管の三連符に乗ってヴァイオリンが急速に上昇と下降を繰り返す流れるようなテーマの中に、先ほどの第3楽章のテーマが潜んでいるのを見逃すわけにはいきません。エンディングに向かってさらに高揚してくると、ベートーヴェンの歌曲からの引用と言われているコラール風のテーマも絡み合って、神々しさまでも加わり、壮大なクライマックスを迎えるのです。

Aventure Number : 2662 date : 2016/8/5


今日の禁断 リントゥ


 今回の「杜の都 合奏団」のコンサートは、私にとっては初めてと言っていいほど仕上がりが悪かったですね。いままで30年近くオーケストラをやってきて、本番前に自分のパートが完全に吹けていないことなんかなかったのに、今回はどうしてもクリアできないところが残ってしまったんですよ。一人で練習している時にはちゃんと吹けるのに、合奏になると突然メロメロになってしまうという、たぶんにメンタルな要素が高いもののようですね。まだこんなところに弱点があったなんて、やはり私も普通の人間だったんですね。
 ということで、もう前日リハーサルの時点でもそこはクリアが出来ないと分かったあとは、もうそこは捨てることに決めました。出来ないものは仕方がないので、それがほかのちゃんとできるところに影響を及ぼさないように、「切除」してしまったんですね。まあ、そのせいかどうかは分かりませんが、いつもよりちょっと遅めのテンポで始まったシベリウスは、とても冷静に、そしてアンサンブルを楽しみながら演奏できるぐらいの余裕がありました。結局、第1楽章の後半にはテンポが上がってしまったので、問題の箇所は散々でしたが、その結果がそのあとの演奏に尾を引くことは全くありませんでしたね。あとでヴァイオリンの人に言われて気が付いたのですが、この本番の前に、この交響曲を全曲通して演奏したことは1回もありませんでした。それだけ難しい曲で、どんな時でも止めざるを得ないような事態が発生してしまい、楽章ごとには何度か全部を通してはいたものの、それを全部つなげての通しというのは、全くやれていなかったんですね。まさに「一発勝負」の本番だったわけです。
 後半のシューマンでは、2番の担当でしたからこれは余裕でした。もうシベリウスをさらうのに精いっぱいで、こちらはほんとにざっとしか見ていなくて、2楽章の第2トリオなどは、1番より2番の方が難しくて最初はかなりてこずりましたが、前日までにはきっちり吹けるようになっていましたからね。
 いずれにしても、シューマンは前にニューフィルでやっていましたが、私は1アシだったのでそれほどの思い出もなく、シベリウスに至ってはまともに聴いたこともほとんどなかったような曲ですから、果たして本番までにきちんと自分のものとして演奏できるのかという不安はあったのですが、終わってみれば特にシベリウスの3番の方は今の時点ではシベリウスの曲の中では一番好きなものになっていましたよ。これは、演奏もさることながら、ある意味強制的に書かされたプログラム・ノーツのせいかもしれません。正直、この2曲について何かちゃんとした解説が書けるような自信は全くなかったので、手を付けるまではとても気が重かったのですが、仕方なく色々資料を当たっていたらとても面白いことがたくさん分かってきて、出来上がってみれば大幅に指定字数を超えてしまうものになっていました。ですから、元の原稿からほぼ半分ぐらいまで削ったのが、あの完成品です。そこで新たに知ったことは、本当に興味深いものでしたから、俄然演奏に対するイメージも湧いてきましたしね。
 この解説については、メンバーは当日初めて目にして、「これを前に読んでいたかった」というようなご意見を打ち上げで聞かされて、とてもうれしかったのは事実ですが、逆にあれは単なる一つの見方として、すべての人が共有してしまうのにはちょっと危険な面もあるのではないか、という気にもなっています。まあ、そんな、私が好き勝手に書いたものとして、あくまで「参考」にしていただければ、というのが本音ですね。つい、ふだんやっている「おやぢ」のノリで書いてしまうと、あまりにマニアックすぎて役に立たない、ということがありますからね。
 きのうはなんせ仙台七夕の初日でしたし、ものすごく暑いお天気でしたから、わざわざこんなところに足を運ぶような人は、あまりいなかったのでしょうね。入場者数は95人と、このオーケストラとしては史上最低の集客になってしまいました。でも、そんな「数え切れるほど」のお客さんでも、とても温かい拍手をいただけましたし、人前でちゃんとした曲をきちんと演奏できるという場があるだけでしあわせなのですから、人数などはあまり気にはなりません。
 なんたって、ニューフィルではまず演奏できないような曲を、たっぷりやることが出来るだけで、本当にハッピーになれます。今回は、そのことを演奏の最中にしみじみと感じていました。それを一度味わってしまうと、もはやこれは私にとってなくてはならないものになってしまっていることに、気づかされます。
 なにかとせわしなかったので、私は1枚も写真が撮れませんでした。それで、メンバーのKさんがFacebookに上げた写真をお借りしました。
Aventure Number : 2663 date : 2016/8/7


今日の禁断 サイ


 毎年のことですが、お盆の前の8月9日は、私にとっては最高に忙しい日になります。それは、「お施餓鬼会」という行事です。「おせがきえ」と読みます。知らない人は「おせがきかい」と言ったりしますけど。「え、そうかい?」。あるいは、「よせがき」だと思い込んで、ずっとそう言ってる人もいますし。これは、かつてはお盆には和尚さんが檀家さんのお宅を回ってお経をあげ、先祖供養を行うという風習があったものが、最近では特に都市部ではそのようなことが難しくなったために、お寺で全部の檀家さんの供養をまとめて行うために行われるようになった催し物です(諸説あります)。ですから、檀家さんは実際にお寺に出向いて直接その法要に参加するのもよし、行けない人でも、今この時間に我が家のご先祖も含めた全檀家さんの供養が行われているのだ、と思いながら過ごすのもよし、という、ありがたい法要です。
 それに備えて、前日には「施餓鬼棚」というのが設置されます。
 この外観を整えるのが、私の仕事。竹藪に行って竹を1本切り倒し、その枝をつかって四方を飾り、このようなカラフルな幡を吊るします。
 当日には、この祭壇に野菜やお米などがそなえられ、「餓鬼」に「施す」所作が行われる中、ほぼ1時間近く読経が続き、最後にはそれぞれの和尚さんによって、すべての檀家さん(ここでは1200軒以上)の名前が読み上げられます。
 私は、この日は朝から受付に貼りついていなければいけません。実際に始まるのは午後1時からなのですが、その時間には都合の悪い人などが受付だけを行って、帰っていくこともありますから、その応対をしなければいけません。その時に、記念品などのほかに、毎年発行している「会報」を一緒にしてお渡しするのですが、その会報は全ての檀家さんに渡されるべきものなので、後日来れなかった人には郵送します。そのために、実際に手渡しをした方をチェックしておかなければいけません。そのために、1か月前に案内のハガキを発送してあって、当日はこれを持ってきていただいてそれと引き換えに記念品を渡すというシステムになっています。さらに、せっかく来るのだから、例えばお墓の掃除の費用などの、それぞれの方に分担していただいている経費の支払いなども一緒に行いたいという人のために、そういう現金の授受も行っています。それを、ピーク時には瞬時にそのような作業を行わないと混乱をきたしてしまいますから、そのハガキには前もってお支払されるものの詳細を印刷してあります。ですから、ハガキとお金を持ってこられた方にその内訳をうかがって、それをはがきにチェックして、お金と一緒に積んでおくのですね。
 そういう仕事は、ふつう3人ぐらいいないと完全にはこなせません。私以外にもう2人必要なのですが、今年はその中に初めての方が入ることになりました。単純な仕事ですから、なんと言うことはないのですが、なんせお金を扱いますから、一通り説明をして、あとは実地に応対していただきながら、私が後ろからダメを出す、ということになりますね。でも、その方はとても勘の良い方で、すぐに仕事を呑みこみ、さらにご自分の個性までそこに反映させることにまで成功していましたよ。その方が受け取ったハガキを今日チェックしてみたら、その仕事ぶりは完璧でした。というか、私が長年かけて築き上げてきたシステムには、そのような最小の指導だけで実を結ぶほどの完成度があったのだ、ということなんでしょうね。
 そんな「知的」な喜びに浸っていると、本堂の中に置くためにレンタルしてあったパイプ椅子の撤去に、業者がやってきました。まだ終わったばかりで、他の人は別のことで忙しく、椅子を片付ける人は私しかいません。業者は中に入らないで外で待っているだけなので、私一人でほぼすべての椅子を畳んで入り口まで運んで手渡す、という作業を行わなければいけませんでした。久々の体力勝負、それが終わったらニューフィルでマーラーを吹かなければいけないというのに。
Aventure Number : 2664 date : 2016/8/10


今日の禁断 トスカニーニ


 職場の行事が終わったあとは、その後始末に追われます。当日受け取ったはがきと現金をつきあわせてそのリストを作成した後は、行事に来た人以外に「会報」を発送する作業が始まります。行事が9日、その集計が10日、そして、11日に発送用の名簿作成と、封筒への印刷です。ハガキをまず50音順に並び替えて、フルの名簿から行事に来た人を削除し、そのデータを印刷するんですね。いくら、一部を削除したからって、まだ1000人近く残っていますから、それを封筒に印刷するには優に丸一日必要です。この間、プリンターの調子が悪くなった時には別のプリンターを使ってあて名シールに印刷してそれを封筒に貼る、という作業をやってみましたが、それは本当に大変だったことを痛感しましたから、新しく買い換えたプリンターは本当にありがたいものでした。
 印刷は封筒さえ供給しておけば、一人でやってくれますから、その間に「会報」を封筒サイズに折っておきます。これは前もってやっておけることだったのですが、他のことに紛れて途中までしかやれてなかったものが、結局印刷の合間に出来てしまいましたね。ですから、あとはその封筒に畳んだ「会報」を入れて封をするだけのことです。これも、今日一日あれば終わって、明日には発送できるでしょう。
 と思っていたら、実は「明日」は発送は出来ない日だったのでした。普通の郵便物だったら、ちょっと大きめの郵便局に持っていけば受け付けてもらえるのですが、わが社がこのところ利用している「ゆうメール」の場合は、土日は受付が出来ないのですよ。ということは、今日中、できれば午前中に封筒詰めを終わらせて、午後に持って行ってもらうというスケジュールで進めないと、発送が来週にずれ込んでしまいます。せっかく時間をフルに使ってやってきたのに、そんなロスは許されません。でも、果たして午前中に1000通の封筒詰めなんてできるのでしょうか。
 そこで、まず、果たして今日中に集荷に来てもらうことは可能なのか、試しに100枚ほどやってみましたよ。そうしたら、ほぼ15分で終わってしまいました。1枚当たり9秒ということになりますね。まあそんなもんでしょう。このペースだったら、全く休まないで作業をすれば2時間半で完了することになります。実際は、その間に適宜休憩が入りますからもう少しかかるでしょうが、これで間違いなくできることが分かったので、午後の3時に取りに来てもらうように電話をしておきました。あとは、ひたすら単純作業に邁進するだけです。
 ほぼ予定通りに終わらせる目途がついたので、自販機のチェックもしておきましょう。新しい自販機に替えてから、初めてのシーズンですから、いろいろ気になります。まずは、最も期待していた、カラム連動機能の効果です。これは、大量に出る可能性がある品目を、最初から複数のカラムにセットして、それを、順番に作動させていく、という機能です。例えば、3つのカラムでグルーピングしておいて、それに対応するボタンも複数セットしておくと、どのボタンを押しても、その3つのカラムの中から順番に品物が出てくる、ということができるようになっています。前の機械ではそんなことが出来なかったので、単純にボタンごとにカラムを設定していたのですが、そうすると、必ず右側のボタンの方が多く押されてしまい、片方のカラムだけが早く無くなる、ということになってしまいました。そうなると、そこに新しい瓶を供給すると、まだ冷え切ってない商品が出てくることになってしまいます。それが、今ではきちんと順番で出てきますから、どのカラムも同じペースで売れていき、かなりなくなっても、まだ冷えている商品はたくさん残っている、ということになるのですからね。これだったら、多少チェックをサボっていても、余裕をもって作業ができます。期待通りの働きでした。
 ですから、忙しい間でも新しいCDを聴いたりも出来ます。きのうの「おやぢ」もそんな感じでざっと聴いて思ったことをそのまま書いてアップしておきました。それが、あとでもう少し裏を取ろうと検索してみたら、かなり重要な事実が分かって焦ってしまいました。ですから、あとで「追記」を2つほど加えておきました。でも、あの「テクニカル・ノーツ」は、読めば読むほどさらに胡散臭く感じられるようになるのは、なぜでしょう。他人のCDの「捏造」を科学的に実証できるスキルを持った人だからこそ、完璧な「フェイク」を作ることが出来たのではないか、と。
Aventure Number : 2665 date : 2016/8/12


今日の禁断 カルミナ


 オリンピックは盛り上がっていますね。「ニッポン」が頑張ってくれることは別にかまいませんが、それを伝えるテレビのアナウンサーの絶叫にはなかなか慣れることが出来ません。なぜ、あれほど声高に「感動」を演出しなければいけないのか、シャイな私には到底理解できません。なんせ、本当の感動というのは、もっと深いところからジワジワと伝わってくるものだ、と日頃強く思っているものですから。
 テレビを点ければいやでもそんな「感動的」なシーンが放送されていますから、つい見てしまいます。そこでは、そんなアナウンサーだけではなく音楽も嫌でも耳に入ってきます。それが、NHKの場合は、そのサビの部分だけを繰り返し流していますから、聴かないわけにはいかず、いつの間にか無意識にハミングを始めているという、半ば「洗脳」状態にあるのが、情けないですね。
 でも、何回もそのフレーズを聴いて、さらに歌ってみると、それがなんだかどこかで聴いたことのあるとても有名な曲とよく似ていることに気づきました。それは、スティーヴィー・ワンダーの「 I just called to say I love you」(邦題は「心の愛」でしたっけ)、この曲のAメロの冒頭と、サビを組み合わせると、このNHKの曲のサビとそっくりになるんですよね。別に「パクリ」だなんて決めつけるつもりはありませんが、この曲を作った人は「 I just called to say I love you」から多大な影響を受けていることは間違いないと言い切ることぐらいはできるのではないでしょうか。なぜか、ヴォーカルの入ったオリジナル・バージョンを聴いたときにはそんなことは気が付かなかったのに、インスト・バージョンになると、それがはっきり分かるんですよね。
 職場の方も昨日あたりは盛り上がりはピークに達していましたが、今日になるとやっと先が見えてきたので、午後からは休みにして街に行ってみました。ちょっと、プレイガイドの様子を見てみたかったんですよね。今度のニューフィルの定期演奏会のチケットは今月の初めにはもう団員には渡っていて、プレイガイドも、私が行くことになっているホールの事務室にはチラシやチケットが出来てすぐ持って行ったのですが、そのほかのプレイガイドは業者任せなので、いつごろ持って行ったのかなどは私にも分かりません。担当者が別なので、その人に聞くのも面倒くさいし、実際に行ってもう販売が始まっているかどうか確かめた方が手っ取り早いですからね。そこで、三越のプレイガイドに行ってみたら、きちんと売り出されていました。ここでは、扱っているコンサートなどのチラシを、わざわざ縮小コピーして棚に並べる、というユニークな展示をしているのですが、そこにちゃんとニューフィルのチラシのミニチュアがありました。
 さらに、チラシが置いてあるスタンドを見てみると、ニューフィルのチラシもありました。ただ、それはまだ先のものなので、奥の方に置いてありましたから、無断で一番前に出しておきましたよ。これは、全部ファイルに入っているので、お客さんでニューフィルに興味があった人がチラシを出して、そのまま一番前に置いておいた、ということで、許してもらえるでしょう。
 車は市役所前の駐車場に置いてあったので、そこに行く途中に道路を挟んだ県庁側の公園を見てみると、こんな異様な光景が広がっていました。
 公園にいるほぼすべての人が、スマホを手に持って俯いているように見えますね。こういうものに何の興味も持てない私にとっては、この人たちは、なにか大きな力によって操られている、魂をなくしたゾンビの群れのようにしか見えません。とても醜い、あるいは恐ろしいものを見せられているような不快感だけが否応なしに募ってきます。こんなブームは、早晩すたれてしまうことを切に望みます。「被災地にたくさんの人に来てもらいたい」という理由で、このバカげたブームを盛り上げようとしている人が、とても愚かに思えます。
Aventure Number : 2666 date : 2016/8/14


今日の禁断 エルパーク


 お盆が終わって今週はニューフィルの練習もお休み、やっと一息つけるようになったと思っていたら、相変わらず各方面の仕事で追いまくられる日々が続いています。まずは、今度の日曜日に迫ったニューフィルの「アンサンブル大会」です。去年は一応広報係として、出演者のスケジュールや当日のプログラムなどを「かいほうげん」の中に印刷してみんなに配って、それで済んでいたのですが、今年は発行のスケジュールと照らし合わせてみると新しい「かいほうげん」を作るだけの時間が物理的に足らないので、結局プログラムは私が作って当日持っていくことになりました。もちろん、その内容は係の人が作ってくれるので、送られてきた原稿をそのまま使えばいいのですが、私のことですから表紙に凝ったりしてしっかり4ページの冊子に仕上げました。そこでハタと気が付いたのは、その本番の日にはマンションの消火訓練があったことです。ただ、これは午前中には終わるので、そのまま直行すればリハーサルには間に合いますから問題はないのですが、プログラムは、午前中からやっているリハーサルの人にも配らなければいけませんから、朝一で持っていかなければいけません。それは無理なので、係の人のところに送ることにしました。それは、きのうにはもうファイルは出来ていたので、そのまま印刷して送ったところです。
 そのきのうは、私が出演メンバーに名前を連ねているアンサンブルの練習の日でした。モーツァルトのフルート四重奏曲(Fl, Vn, Va, Vc)をやろうというお年頃の人たちが集まって、これが3回目の練習となりました。会場は職場の会館でしたので、私はセッティングをした後いったん家に帰って、8時からの練習に備えて待機していると、メンバーから「もう集まってますけど」という電話が届きました。やっぱり、でしたね。この前の練習の時に「8時から」と決めたのですが、もしかしたら、最初の練習の時の「7時」に来る人もいるのではないか、と思っていたのですよね。まあ、お年頃の人にはありがちな勘違いでした。ですから、すぐに家を出て会場に向かいましたが、一人だけちゃんと8時に来た人がいたので、練習が始まったのは予定通りでしたね。
 1回目の時にはそれなりに形にはなったものの、ちょっと物足りないところもあったのですが、3回目ともなるとかなり演奏が練れてきて、これだったらどこに出しても恥ずかしくないかな、と思えるほどに整ってきましたね。まあ、本番ではいろいろ事故も起こるでしょうが、これだけ底上げされていれば、なかなかのものになるのでは、という予感です。
 実は、私はもう一つのグループからも主演することになっています。これは、いつも一緒にやっている同じパートのメンバーですから、それこそ一発で出来てしまうぐらいの感じなのですが、この間チラッとやってみて、「花のワルツ」の編曲がいまいちだったので、私がちょっと手を入れてみることにしました。その編曲では原曲が大幅にカットされていて、あまりにシンプルすぎるので、せめて最初のイントロだけでも加えたいと思ったのですよね。そこで、原曲ではフルート以外の木管とホルンで演奏されているコラールを、フルート4本のために直してみたのです。ホルンがinFなので、とっさに音が読めないのが難点でしたが、何とかそれなりに出来上がりました。1か所、チャイコフスキーはやっていないのですが「ナポリ」にした方がいいな、というところがあったので、そこだけ変えてみました。誰も気が付かないでしょうね。これも、おそらくこのメンバーは初見でも吹けてしまうでしょう。
 そして、同時進行で手掛けていたのが、定期演奏会用の企画書作りです。まず、指揮者の写真を探してみたら、この間の指揮練の時に撮ったのがほとんど使いもになりませんでした。ポーズがいまいちだったり、ピントが少し甘かったりして、ちょっとメディアに送るには満足できないものばかり。でも、かろうじてこんな写真で折り合いをつけることにしました。
 あとは、テキストを直して、いつも手間取る「企画の趣旨」も何とか書き上げ、これもチェックしてくれる人に送ったところです。OKが出れば発送作業が待っていますが、それが終われば今度は新しい「かいほうげん」の編集が始まるんでしょうね。松戸に行く暇なんてあるんでしょうか。
Aventure Number : 2667 date : 2016/8/17


今日の禁断 チャーシューメン


 きのうは、家に誰もいなかったので、近所の中華料理店「とらの子」に晩御飯を食べに行きました。最近は例えばニューフィルの練習に行く前などによくここに食べに来ています。そういう時は、練習前なのであまり重くない麺類を食べることにしています。でも、きのうはちゃんとしたものを食べたかったので、お店に入る前までにしっかり注文するメニューを頭の中で暗唱していました。やっぱり、この暑さですから辛いものがいいですね。とか。ですから、お店に入ってテーブルの前に座るや否や、メニューも見ずに、お水を持ってきたお姉さんに「アンニンドーフと半ライス、それと餃子を1枚お願いします」と注文しました。そうしたら、そのお姉さんはなんだか不思議なものを見るような目で私を見ています。普通だと注文の内容を機械的に反復してそのまま立ち去る、というのが、こういうお姉さんのパターンなのですが、なにか違います。というか、彼女はかすかに笑い顔を見せています。いや、それは、なにか「笑いをこらえている」とさえ見えるような表情でした。
 と、目の前に置いてあったメニューの写真に目が行きました。そこには、私が注文しようとした料理の写真が載っていたのですが、その下には「マーボードーフ」と書いてあるではありませんか。そこでやっと、私は今自分が置かれている状況に気づきました。どうやら、私は「マーボードーフ」を注文するつもりで「アンニンドーフ」と言ってしまっていたのですね。それに気がついて、あわてて、「いや、間違えました。マーボードーフです」と言ったら、お姉さんは堰が切れたように大声で笑いだしましたよ。アンニンドーフをおかずにご飯を食べるなんて、絶対おかしい、と思っていたのでしょうね。私も笑いながら「アンニンドーフはキャンセルします」と言ってやりました。なんか、ハッピーなひと時でしたね。
 でも、彼女が真に受けて、本当にアンニンドーフとご飯を持って来たらどうなっていたんでしょうね。私のことですから、決して自分が間違ったことなど悟られないように、そのまま食べていたことでしょうね。確かに、ここのアンニンドーフもご飯も私は大好きですが、それを一緒に食べるとなると、かなりの苦痛を伴っていたことでしょう。
 おととい送ったのに、なかなか返事が来なかったのでちょっと心配になっていましたが、おかげさまで、ニューフィルの定期演奏会の企画書もOKが出たので、今日は朝からその発送の準備です。タウン誌などに送る分にはプレゼント用の招待券も同封するので、「ご招待」というハンコを押したりします。ただ、こういう招待券はこういうところだけではなく、普通にご招待する時にも同じハンコを押して差し上げたりしているので、今回はプレゼント用のチケットの半券の方にちょっとした目印を付けておきました。演奏会が終わったあとの集計で「入場者数の内訳」を発表するのですが、その時に招待券は何枚、といったようにカウントされるので、もしかしたらその中にこのプレゼントの分がどのぐらい入っているのか、分かるかもしれません。送付先まで分かるようになっていますから、これからの広報活動の貴重なデータになるかもしれませんよ。
 送付先はせんだいタウン情報、りらく、ぱど、せんだいリビング、河北ウィークリーなどです。
Aventure Number : 2668 date : 2016/8/19


今日の禁断 ボヘミアン


 ニューフィルの恒例行事としては、春には「たけのこ、掘りたいかい?」がありますが(これは非公式行事)、夏の恒例行事は去年から始まった「あんさん、ぶりたいかい?」ではなく「アンサンブル大会」でしょう。きのうは、そのイベントの当日でした。スケジュールとしては朝のうちからリハーサルがあって午後1時半から本番が始まる、というものですが、ご存知のように私はリハがお昼すぎだったのでその頃までに行っていればいいということ、その前にまずマンションの防火訓練の「避難訓練」(外階段を使って駐車場まで避難)だけに参加して、出席を取った後、前もって別の所に置いてあった車に乗って会場に向かいます。そのタイミングで車を正規の駐車場から出そうとすると、そこは消防車が邪魔をしているので出られなくなってしまうことが分かっていましたから、朝早く隣のパチンコ屋に移動してあったのでした。
 旭ヶ丘についてもまだ時間があったので、いつもの広場で軽く練習です。いちおうモーツァルトを全曲通しておかないと不安ですからね。リハがおわったメンバーなどが何人か来てましたね。そして、上の交流ホールに行って、まずはフルートだけのアンサンブルのリハーサル。去年はこの段階でかなりヤバいところがあったのですが、今回はそんなことのないようにしっかり練習をしてきましたから、何の心配もありません。
 そして、別のグループを挟んで、モーツァルトのリハです。結果的に、D-durの全楽章をやることになっていたので、参加グループの中での最長の演奏時間になってしまいました。練習の時にはそんなに大変だとは思わなかったのですが、リハとはいえ周りに聴いている人がいるとなんだか余計なところに力が入って、すぐにばててしまいますし、なんてことのないところでミスをしたりして、こうなるとただの「ヘタな人」になってしまったな、という気がしてしまうほどの演奏になってしまっていました。恐ろしいですね。ここで、第2楽章には休むところが1ヵ所もないことに、ハタと気が付きました。今までそんなことはなかったのに、もう楽章の後半は全く初心者以下のアンブシャーになってしまいましたよ。
 それから、あわてて買っておいたパンをその場で食べて、本番に臨みます。出番は最後近くですが私は最初から写真を撮らなければいけませんからね。去年も思いましたが、みんな本当に素晴らしいですね。もちろん上手なんですが、それが高い次元で音楽になっているという感じが、間違いなく伝わってくるものばかりですよ。こうなると、私の演奏なんかがこんなところで披露できるものなのか、自信が全くなくなってきます。
 本番はモーツァルトの方が先、さっきのようなふがいのない演奏にはならないように、適度に緊張感をもって臨みます。それでも2楽章はちょっと怖いので、極力無駄な力は使わないように、伸ばすところは早めにブレスを取ってひたすら休むことだけを考えていました。まわりの人たちもちゃんとついてきてくれていますし、全体の演奏に破綻はないはずです。まるで本当のコンサートのように、楽章の間の拍手も起きず、とうとう最後まで一気に演奏してしまいました。
 そのあとは、フルートだけの「くるみ割り人形」。私のパートから始まる曲だったのに、2つ目で一瞬メガネがずれて楽譜が読めなくなり、別の音を出してしまうというハプニングがありましたが、まあまあ大事故もなくいったことでしょう。
 打ち上げは、久しぶりに料理がとてもおいしいところでした。最初の冷しゃぶが絶品、これだったら期待できるな、と思っていたら、ここの専門である焼き鳥が期待通りのおいしさ、さらに、厚揚げなどというサプライズまで。これは、定義山にはかないませんが、なかなかでした。演奏についても、お互いに相手を褒めあっているという和やかさ、とりあえず、聴いている人に何らかの印象は確実に与えられたことだけは分かって、ほっとしているところです。
 思いがけなく、モーツァルトの四重奏曲をきちんとやる機会が出来たので、私としてはベストを尽くしたつもりですが、やはり場数を踏まないことには解決できないところもあることを痛感です。たぶん、来年も、こんどはC-durあたりを演奏できそうですから、楽しみです。
Aventure Number : 2669 date : 2016/8/22


今日の禁断 シベリウス


 もうだいぶ前のことのような気がしますが、ちょっと興奮してしまうような「発見」があったもので、それをお伝えしておきましょう。ニューフィルでは毎年12月に角田市の合唱団の方々と一緒に「第9」を演奏させていただいています。毎回その前プロとしてオケ付きの合唱曲も加わります。それが、今年は今まで演奏したことのない曲をやる予定だ、と聞かされていたのですが、タイトルだけ分かってもそれがどういう曲なのかは全く分かりませんでした。そもそもオリジナルなのか、楽譜が発売されているものなのかも分かりません。でも、今頃はもうすでに合唱の練習は始まっている時期でしょうから、なにか情報があるのでは、とおもって、その団体のサイトを探してみたら、団員の方のブログがリンクされていて、そこにしっかり初練習の模様がレポートされていたではありませんか。どんぴしゃですね。
 さらに、そこにはその日に練習した曲の楽譜の写真までアップされていました。確かに「第9」と、「ふるさとの四季」という楽譜の表紙です。ちょっと小さくてよく分からなかったのですが、確かにそれは印刷されて出版されている楽譜のようでした。
 そこで、そのタイトルを元に検索してみたら、すぐにそれがカワイ楽譜から出版されているものだということが分かりました。表紙が全く同じだったんですよね。それはピアノ伴奏の楽譜でしたが、カワイのサイトでは、オーケストラ用のレンタル譜も用意されているということで、楽器の編成もしっかり書いてありましたよ。これだけで、情報としては十分です。フルートパートが何人か、というのは微妙な問題ですからね。
 さらに、編曲者の名前を頼りに検索してみたら、それを実際に演奏している映像が山ほど見つかりました。それは殆どピアノ伴奏のものでしたが、そこからリンクされて、なんとオケ伴奏の映像まで見つかってしまいましたよ。それを両方聴き比べてみると、オケ版はピアノ版よりイントロや間奏が長くなっているようですね。さらに「村祭」ではピッコロの長いソロまで入っていますよ。これはいったい誰が吹くことになるのでしょう。
 その映像は、カメラを3台使って適度にアングルを変えたカットに切り替えたりしている、かなり高度なものでした。これが、メインの中央からの画像です。
 ピアノまで入ってますね。これはさっきの編成に確かにありました。合唱専門の人がオーケストレーションを行うと、よくピアノが入ります。ただ、面白いことに、さっきの楽器編成にはなかった楽器がここには見られます。
 少し下手よりのカメラからの画像だと、それがよく分かります。バリトン・サックスと、ユーフォニアムでしょうか、あるいはチューバ?。金管にはあまり詳しくないので、よく分かりません。このオケにはどうやらオーボエとファゴットが足らないようで、おそらくファゴットのパートをバリトン・サックスで代用させているのでしょうか。そんな、いかにも「手作り感」満載の映像です。
 さらにもう1台のカメラで指揮者の顔もアップにされています。演奏はともかく、曲全体のイメージはとてもよく分かる映像ですから、何度も見ることはありませんが、一度ぐらいは見てみたらいいのではないでしょうか。ニューフィルのFacebookページからリンクされています。
 そういえば、今度の日曜日には千葉県でJAOのフェスティバルがあるんですね。入場ハガキだけは入手してあったのですが、なんせ会場がアクセスのとても不便なところなので、行くかどうかはギリギリまで待ってみました。でも、最寄りの駅からホールまでの道をストリートビューでシミュレーションしてみたら、どうやら地下道を通って線路を横切る場所があるようなので、行ってみることにしました。それでも「徒歩15分」ですって。でも、いくら遠くて不便でも、まともな音楽ホールがあるだけ、ましだとは思いませんか?宮城県でこのフェスが開催されないのは、そんなホールがないせいなんですから。
Aventure Number : 2670 date : 2016/8/24


今日の禁断 ディレクター


 朝ドラは快調に高視聴率を維持しているようですね。毎週のランキングで1位にならなかったことなんてなかったのではないでしょうか。オリンピックなんかがあっても全く関係なく独走を続けていましたね。1回だけ、10分ちょっとでしたが全局同時に放送していたトーク番組があったので、あれには負けたかな、と思ったのですが、なぜかそれは視聴率はカウントされていなかったようですね。なぜなのでしょう。というか、あれはそもそも「番組」ではなかったのかもしれませんね。なんたって「玉音」ですから。
 視聴率が高いのはいいのですが、ドラマと現実との間にかなりの隔たりがあるのが気になります。でも、逆にこれはドキュメンタリーではないのですから、あまり「史実」にこだわるのもどうかな、という気はしますね。
 ですから、今週の朝ドラは、商品テストも始まって、これからいよいよ「暮らしの手帖」の最も輝いていた時期が描かれていくのでしょうが、その波に乗って行われた「クラシックレコード」の「テスト」に関しては、決して扱われることはないはずです。それがどんなものなのかは、こちらにまとめてみました。要は、あくまで「商品」としての「レコード」に優劣をつける、というやり方です。いろいろご意見はあるかもしれませんが、私自身はこの記事にいたく感銘し、今でも影響を受けていると思っています。やはり、CDやら、ダウンロードの音源は「商品」であることに変わりはないのですから、消費者の満足のいくものを作ることが絶対に必要です。もちろん、音楽それ自体は全く個人的な趣味に作用されるところが大きく、これを一つの基準で決めつけて優劣をつけるのは明らかに間違っています。そうではなくそれ以前のところで全く消費者のことを顧みていない「商品」があまりにも多すぎると、いつも感じています。編集ミスで音が途中でなくなっているようなものを平気で売り付け、そのことを指摘しても何の対応もなされない、というレコード会社はいくらでもありますからね。
 ちょっと微妙なところでは、単なる身内だけの間で聴かれる程度のお粗末な演奏なのに、普通の販売ルートに乗っている商品というのもありますね。かつては「レコードになっているのだから、一応の水準に達しているものだ」という認識があったはずなのに、そんな認識は完全に今ではなくなってしまいました。こういうものも、やはり縁もゆかりもない人にまで買ってもらおうという図太さには、しっかり釘をさす必要があるのでは、と思っています。実は、今日聴いた、合唱団もオーケストラも、そして指揮者も全く聞いたことのない人たちが演奏した「ロ短調」のCDなどは、一応オーケストラはまともなのですが、合唱が完全なアマチュアで、練習もしていないし、そもそも団員のレベルがかなり低いものですから、もう聞いていられないほどのひどさなんですよ。それが、普通のレーベルから、2枚組ですから4000円ぐらいで売られているのですね。まあ、そんなに有名なレーベルではありませんし、輸入盤ですから、買うのはかなりのマニアだけ、こんな演奏でも笑ってすまされるぐらいに寛容な人たちなのかもしれませんが、もし、今まで「ロ短調」を聴いたことがなくて、試しに聴いてみようとこのCDを買った人がいたとしたら、それは悲劇以外のなにものでもありません。だから、わたしはこういうCDを見つけた時には、「買ってはいけないCD」として、その劣悪さを知ってもらうためにネットにエッセイをアップすることにしています。
 そんなラディカルなことをやっていた人を演じているのが唐沢寿明だと聞いたときには、ちょっと違うのでは、と思ったのですが、とりあえずさまにはなっているようですね。ただ、あまりに頑固な面だけを強調しているあたりが、やはりドラマだな、という気にはなってしまいます。
 彼の妻を演じているのが奥貫薫だというのも、なんだか変な感じです。この二人は三谷幸喜の「ラヂオの時間」という映画で共演していましたよね。もう20年近く前に作られたものですが、この機会にもう1回見直してみようと録画してあったのを見てみたら、唐沢はあまり変わっていなかった(役の上でも)のに、奥貫は全くの別人になっていましたね。映画を見た時にはとても魅力的だったのですが、今ではすっかり輝きがなくなってしまって、「影の女」みたいな役回りが多くなっているのが、とても残念です。
Aventure Number : 2671 date : 2016/8/26


今日の禁断 ハンバーグ


 この週末は、愚妻が合唱団のコンクール全国大会のために青森まで行っていたので、私は一人取り残され、丸2日いろんな所へ行ってみました。まず土曜日はニューフィルのチラシを配りに、ちょっと遠くまで。そこに行ったら、事務室の受付の前に「田んぼアート」の案内が置いてありました。毎年のイベントですが、今年はいつも駐車場に使っているところに病院が建ってしまったので、どうなっているのかな、と思っていたのですが、どうやらちゃんと見学者用の駐車場も確保されているみたいですね。
 これを見るとちゃんとしたスペースがあるようですが、行ってみると歩道のちょっとした空地に入れるようになっていただけでした。行ってみたけど分からない、という人も多いのでは、と思ってしまいます。
 そして、去年までは看板が邪魔で見えにくかったのを解消するために、ちゃんとした見学スペースが作られていましたね。足場はしっかりしていますが、床に渡した板が薄っぺらで乗るとしなりますから、ちょっと怖いですね。
 田んぼはこんな感じ、両脇にたくさん案山子が立ってるのがかわいいですね。でも、デザインはいまいち、渋すぎてインパクトに欠けるのは、青森あたりのものを見てしまったからでしょうか。まあ、ああいうものとは違うところを目指しているのでしょう。
 そして、日曜日は、こんな時でもないと一生行くことはないだろうという「JAOフェス」を覗きに千葉県まで行ってきました。前もって調べておいた会場の大きなホールは、ものすごく不便なところにあるので、実際にそこまで一人で行けるのか、と不安でしたが、実際に行ってみるとストリートビューと同じだったので迷うことはありませんでした。
 要所要所にちゃんと案内板がありましたし。ここから、新京成線の下を通る歩道に向かいます。
 しばらく歩くと、目指すホールが現れます。
 ここに来るまでに17分かかってしまいましたね。私は歩くのは早い方で、途中で同じ行き先に向かう人を何人か追い抜いていたのですが、それでもこんなにかかりました。案内には「徒歩15分」とありましたが、それはウソでしたね。
 これがホールの中、2000人収容のシューボックスです。ステージの反響版などはオーチャードホールとそっくりでしたから、同じ設計者なのでしょうね。それにしても、この内装は何とも成金趣味で、馴染めませんね。まあ、あるだけいいんですが。何度も言いますが、私の住んでいるところにはこういうものが一切ないにもかかわらず、おおっぴらに「楽都」だと宣言しているのですから、その厚かましさは驚かされます。もう慣れましたが。
 どうやら2階と3階は出演者たちの席のようで、出番ではないオケのメンバーがいましたね。私も、本当は2階席あたりから聴きたかったのですが、最初からそこへ行く階段は通行禁止になっていました。それで座ったのが、この1階のバルコニーです。ちょうど萩ホールのバルコニーみたいで、音もよかったですね。ただ、始まる前に陰アナが「ホール内での写真撮影は固く、固く禁止させていただきます」みたいなことを言っていたので、肝心のステージは全然撮れませんでした。外国のオペラハウスなどでは、カーテンコールではフラッシュを使って写真を撮っているお客さんもいるというのに、相変わらずの不思議な感覚です。おそらく、ちゃんとした写真はニューフィルから参加しているBさんがいずれ提供して下さることでしょう。
 それより、普通のお客さんがこれしかいなかったのには意外でしたね。1階席にしか入っていないのに、両脇はガラガラでしたからね。
 一番心配だったのは、お天気でしたが、雨も降らず、かといってあまり暑くもなく、ホールまでの往復はとても楽でした。でも、明日はこのあたりは台風の直撃を受けそうで、もうすでに学校は全てが休校になることが決まっています。そのため。ニューフィルも明日の練習は「自由参加」になることが決定しました。といっても、実際に行く人はまずいないのではないでしょうか。私も行かないつもりです。こんなことは、おそらくニューフィルにとっては初めてのはず。いや、震災の時は別ですが。
Aventure Number : 2672 date : 2016/8/29


今日の禁断 プログラム


 台風10号は、あわや宮城県に上陸、と言われていました。そもそも東北地方に台風が上陸するのが観測史上初めてのことだというので、そんなものが来る可能性があるということであれば、やはり最悪の事態を考えないわけにはいきません。まず、きのうは早々と県内の学校がすべて休校ということが決定されていました。それを受けて、ニューフィルでも予定されていた練習をどうするのか、決断を迫られます。確かに、おとといの時点での予報では、まさに練習をやっている時間にその真上を台風が通過するということでしたから、これはとても練習どころではないというのは誰でも考えることでしょう。
 そういう時に、どういう順序で物事が決定されるのか、というようなマニュアルはニューフィルにはありませんから、とりあえず事態を見守っていたら、団長から「自由参加」という指示が伝わってきました。まあ、妥当な決断でしょうね。こういうことはニューフィル始まって以来のことかと思っていたら、私が入る前に大雪が降って、練習が中止になったことがあったのだそうです。
 私の場合は、ちょっと前に大雨が降って道路が冠水、その結果、車で自宅に帰ることが出来なかったという苦い経験がありますから、とりあえず朝のうちのまだ雨も降り始めていないころに職場に行って、作りかけの「かいほうげん」のフォルダーだけをHDDに入れて、お昼前には自宅に帰ってきました。あとは、その「かいほうげん」を作りながら自宅でひたすら台風の風雨をしのぐ、という方針です。当然、練習なんかに行けるわけもありませんから、楽器も職場に置いたままです。いや、万が一台風の被害に直撃しなくて練習ができるようになっても、それから行こうと思う人なんかいないはずですし。
 それからは、テレビをつけっぱなしにして台風の情報をチェックしていました。そのうち、ものすごい風が吹き始めて、雨も激しくなってきたので「来たな」という感じになってきたのですが、なんだかそれはあんまり長くは続きません。なんだか肩透かしを食らったような気分になってきましたね。しばらくすると、どうやら台風は宮城県ではなく、もっと北寄りの岩手県に上陸するのでは、と、進路が変わっていました。そして、予報では台風が真上に来るあたりの5時半ごろになったら、きれいな青空まで出てきましたよ。
 もうこうなれば、間違いなく台風はそれてしまったことが分かります。風はまだ少し吹いているものの、雨はすっかり上がってしまいましたよ。そうなると、別に練習に行くのに何の支障もなくなるのですが、私の場合はさっきのように楽器をまた職場まで取りにいかなければいけませんし、どうやらフルートパートで他に来る人はいないみたいですから、行ってもしょうがないのでは、という感じ、予定通りお休みすることにしました。
 ただ、台風が来なければ、きのうは絶対に行っていなければいけない日でした。「かいほうげん」の原稿も順調に集まり、あとは新入団員の写真さえそろえば、来週には発行できるという予定だったんですよね。でも、おそらく、その写真が必要な人たちが全員来る可能性はまずありませんから、写真だけ撮りに行く、という選択肢も排除されます。まあ、仕方がありませんね。今日になって、練習の状況が伝わってきましたが、やはり合奏が出来るほどの集まりはなく、何人か集まったパートはパート練習をやったり、そのほかの人は個人練習をしたり、という感じだったようですね。予想通り、私が写真を撮ろうと思っていた人たちは来ていなかったようですし。
 そのあと岩手県に上陸して、北海道まで向かった台風は、ご存知のように大きな被害をその地方にもたらすことになりました。被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。というか、実は身内が北海道に行っていて、このために帰ってこれなくなって、停電になってしまったホテルに泊まらなければならなくなった、という悲惨な知らせも届いて、他人事とは思えなかったのですけどね。
Aventure Number : 2673 date : 2016/8/31


今日の禁断 グリル


 もう9月になってしまいましたね。8月は何ともあわただしい日々が続いていたものですから、本当に過ぎ去るのが早かったような気がします。その最後の週末に行ってきたのが千葉県でしたが、そこからの帰り道、新幹線に乗るために戻ってきた東京駅で少し時間があったので、一旦駅を出て近くのデパートの12階にあるレストランで、少し贅沢な一人ディナーを楽しんでみようと思いました。やはり肉系が食べたかったので、フロアの中を回ってみたら、今までここに入っているとは思っていなかったハンバーグレストランが見つかりました。結構外で待っている人がいたのですが、時間はたっぷりあったので待つことにしましょう。
 そうしたら、どんどん列は少なくなって、あとは私の前には4人連れだけ、となったとなった時に、店員さんが出てきてその人たちに「もう少々お待ちいただければ、お呼びできます」と声をかけていました。もうすぐだな、と思ったら、彼はそのまま私の前に来て、「お一人様の席が空きましたので、お先にどうぞ」ですって。一人だとこういうこともあるんですね。ラッキー。
 連れて行かれた席は、なんと東京駅を見下ろす窓際でした。12階からの眺めですからまさに絶景ですね。ただ、そこは2人連ればかり、私の席のまわりは男女のペアが仲よさそうに、というか、はっきり言ってイチャイチャしてましたね。「ハンバーグ、おいしいわね!」とか言ってますよ。いいんです、私はそんなおいしいハンバーグを食べに来ただけなんですから。
 と、その窓の下に広がる東京駅の、リニューアルされた駅舎を見てみると、真ん中の中央口の屋根の、正面から見ると陰になる部分がガラス窓のようなものになっていることが分かりました。こんな風になっているなんて、どんな写真を見ても分からないことなんじゃないでしょうか。そこで、これをぜひ写真に撮りたいものだ、と、iPhoneを向けたのですが、さっきまではまだ明るかったのできれいに見えたものが、もう日も落ちてもろにガラス窓にこちら側が反射しています。
 こんな感じ、でも、わかるでしょ?いつの間にか左の隣にいたアベック(死語)がいなくなって、やはり私みたいな一人ディナーを、ちょっと下品な食べ方で敢行しているおじさんがいたので、その姿がほんと、ジャマですね。
 このレストラン、注文を取りに来たウエイターさんが「ソーセージがおいしくできました」と言ってました。確かにここのソーセージはおいしくて、それがさらにおいしくなっていたのなら、と、少しそそられましたが、最近は塩分も控えめにしたいので、せっかくのお誘いもお断りして普通のハンバーグにしました。あとで気が付いたのですが、このお店では、どのウエイターさんも、すべてのお客さんに対してこのセリフを発していたのですね。たぶん、毎日同じことを言っているのでしょう。
 9月になって、ニューフィルの練習会場の抽選結果の発表があるので見てみたら、なんと、希望していた会場がすべて取れていましたよ。まあ、その月はパート練習などは入らないので、普通の大きな会場だけだったのですが、新しいスタッフがこの仕事を始めて、こんな風に一発で決まってしまうのは初めてです。勢いに乗って、12月初めの角田第9までの予定表を、全部作ってしまいましたよ。「第9」ですよ。もう、今年も終わってしまいますね。
Aventure Number : 2674 date : 2016/9/2


今日の禁断 イデミツ


 今朝の「題名のない音楽会」という、もう何十年も放送され続けていて、毎週素晴らしい演奏家が出演し、曲目も演奏も、そして構成も非の打ちどころがなく、これを見ずしてクラシック・ファンとは言えない、まさにいまどきのテレビ界には珍しい良心的な番組を見ていたら、全く音楽には関係のないことなのですが、ちょっと面白いことがありました。いえ、本当にクラシックとか音楽とかにはな〜んの関係もないんですけど、曲名を読み上げたアナウンサーが、「シューマン作曲、交響曲第3番『ライン』」と言っていたんですよ。と書いても何のことか分からないでしょうが、彼女は「イン」と、普通は「ラ」にアクセントがあるはずのこの交響曲のタイトルを、「ライン」と、スマホの「ライン」のようなアクセントで発音していたのですよ。こうなると、シューマンの名曲が俄然軽薄な曲のような気がしてきますね。そんな言われ方に反発するように、指揮者はことさら重厚な演奏を心掛けていたように思えましたが。
 この日のプログラムには、この番組のスポンサーが主催する音楽コンクールの各部門での優勝者の紹介という意味がありました。そこには作曲部門というのもあるのだそうで、ここでも当然作曲家として優勝した方の作品が紹介されていました。演奏部門でしたら、その優劣を決めるのはそんなに難しいわけではないでしょうね。普通に音楽的な耳を持っている人でしたら、誰が最も優れているかは簡単に分かるはずです。でも、作曲部門というと、そんな簡単に決めることはできないのでは、と思いませんか?今まで誰も聴いたことのない曲を、おそらくまずは楽譜だけを見てどんな音楽なのかを判断し、それに「優劣」を付けるのですから、その審査員にはものすごいスキルが要求されることになります。そんな人たちが選んだ優勝作品というのは、ですから、審査員たちの審美眼こそが端的に反映されたものになってくるのでしょう。言ってみれば、この現代社会の中で「優れた」とされる音楽とはこういうものだ、と、聴く人たちに示すことになるのですからね。
 そんな選考を勝ち残ったその作品は、何とも「わかりやすい」音楽でした。技法的にはかつての「現代音楽」が持っていた刺激的なものは全く影を潜め、そのようなものが現れる以前に存在していた「伝統的」な技法のみで作られているものでした。せいぜい、その中にドビュッシーあたりの要素が混じっているあたりが「新しい」と感じられるぐらい、オーケストレーションも、それこそラヴェルの「ダフニスとクロエ」をそのままコピペしたのではないか、と思えうほどの馴染みやすさです。その結果、音楽全体はとても描写的で、具体的なイメージがはっきり浮かんでくるようなものに仕上がっていましたね。
 まあ、それはそれでこの時代の「需要」には見事に応えている作品なのでしょうが、その中にはこの曲にしか存在しない「オリジナリティ」というものがまるで見当たらなかったのですよ。これが、今の「現代音楽」の姿なのでしょうか?いや、これはあくまでもこの番組の「良心」に則って選ばれた結果なのだ、と思いたいものです。真摯に、音楽を作ることに命を懸けている人も世の中にはちゃんといるのだ、と思いたいものです。
 そんな、ちょっとおかしなことがクラシックの世界では起こるものですが、今朝の新聞広告にこんなのがあったのにも、ちょっと引いてしまいました。
 これは、見て分かる通り新しく出た「音楽図鑑」の広告です。まあ、タイトルの下にある音符のいい加減さなどは、笑って済ませられますが(それでも、これだけでそうとうにヤバいのではないか、という気にはなってしまいます)左上にある私がいつも使っている楽器のイラストには、ちょっと困ってしまいました。拡大すると、
 こんな感じ。たぶん、これは「ピッコロ」のイラストなんでしょうね。まあ、ある程度単純化して、例えば円錐状のボディーをまっすぐにするとか、ちょっと複雑なキーを簡略化して数を少なくするとか、その程度のことだったら、なにしろ「親子で学ぶ」という程度のレベルの本なのですから許しても構わないな、と思えるのですが、この楽器が左右逆になって描かれているとなると、事態は深刻です。ふつうはピッコロは右側に構えて演奏しますが、こんな楽器だったら左側に構えないと吹けないじゃないですか。「基礎からわかる」って、こんな絵を見て「基礎」を勉強されたりしたら、たまったものではありません。恥ずかしいですね。
Aventure Number : 2675 date : 2016/9/4


今日の禁断 マリンバ


 先週は台風の影響で練習はお休み(正確には「自由参加」)だったので、きのうは1週間ぶりのニューフィルの練習でした。その日がお休み(正確には「自由参加」)になってしまったので、私としてはスケジュールが散々なことになってしまいました。もうきのうには間違いなく発行できるだけの準備が出来ていたのに、肝心の写真を撮ることが出来なくて、泣く泣く発行日を延期せざるを得ませんでした。ニューフィルの場合、毎週全員の合奏をやっているわけではないので、単純に1週間伸びるだけでは済まないんですよね。結局、6日に発行できたはずのものが18日まで延期されることになってしまいましたよ。実は、その次の号の予定もすでに決まっていて、それはほぼ予定通り出すので、1ヶ月も間を空けないで次が出る、ということになってしまいました。私としては、いわば「自由参加」に決まったことで「被害」を受けた、という形なのに、なぜか、「練習が始まるころには台風の心配はなくなっていたのに、休んだりする人はニューフィルに対する愛情が足りない」などと言われてしまうのですから、たまったものではありません。
 ですから、本当は先週入手できたはずのものを、1週遅れで手に入れる、ということになってしまいました。それは、この間の「真夏のアンサンブル大会」のブルーレイです。あの時にやったモーツァルトなんて、なかなか自分が演奏する映像なんて撮ってもらえる人はいないでしょうからね。もちろん、あの時には自分でもボロボロの演奏を披露してしまったな、という印象しかありませんでしたから、本当のことを言えばもうあんなものはなかったことにしたい、という気持ちの方が強いんですけどね。ほんと、第2楽章なんてあそこまでコントロールがきかなくなってしまうなんて思ってもみませんでしたから。
 ですから、家へ帰って、まさに「怖いもの見たさ」で見てみたのですが、いやあ予想通りヘコみましたねえ。あそこまでひどかったとは。もう指は回ってないしピッチはいい加減だし、ブレスだってあんなに頻繁に取っていたなんて、自分のことながら本当にいやになってしまいました。
 実は、きのうは映像だけではなく、録音もいただいていました。Nさんが最近買ったハイレゾのレコーダーで24/96で録音したデータを貸してくれたのですよ。それを今朝になって自宅のPCで聴いてみたら、なんだか映像の音ほどひどくないんですね。なぜか、すごく走っていると思っていたところも全く気にならないほどですし、何より音に伸びがあります。これはいいな、と思って、職場できちんとFoobarとDACを使って聴いてみたら、結構いいんですよ。まあ、さっきの第2楽章なんかは、ごまかしているところはよりはっきり分かりますが、出てくる音はとてもあんなに苦労しながらやっとのことで出していた音には聴こえません。やるじゃない、って思ってしまいましたね。Nさんのお蔭で、すこしヘコミが和らぎました。まあ、課題はまだまだあることだけは分かりましたけどね。
 実は、前回新聞広告で見ただけで、そんなモーツァルトのフルートよりひどい、と思ってしまったさる「音楽図鑑」を、amazonの案内で見てみたら、ページのサンプルが公開されていました。その中に、こんなイラストがありましたよ。
 これはシロフォンでしょうが、なんだか「黒鍵」の部分が少しずれてませんか?遠近法で少し歪んで見えることを差し引いても、これでは白鍵の「真上」に黒鍵があるように見えますよね。
 実物の写真はこんな感じです。これだったら、ピアノなんかと同じように白鍵の「間」に黒鍵があることがよく分かりますよね。
 ここまでいい加減なことをやっているとなると、私としてはぜひ現物を手に取って詳細に調べたくなってしまいます。そこで、とうとうこの「図鑑」を買ってしまいましたよ。そうしたら、さらに信じられないようなことがあとからあとから出てくるわ。もう、うれしくなってしまいます。まさか、こんなところでこんな素晴らしい「ネタ」が見つかるなんて。近いうちに、窓ガラスに石をぶつけられるのを覚悟で、この「図鑑」の「商品テスト」の結果を公表する予定です。
Aventure Number : 2676 date : 2016/9/7


今日の禁断 マンホール


 夕べはすごい雨でしたね。実は、私はきのうはニューフィルの練習がありました。つい2日前にやったばかりなのになぜ?とお思いかもしれませんが、それには事情がありまして。ニューフィルの場合は、2回全体の合奏をやると、次の週はパート練習や分奏という基本的なスケジュールになっています。木管の場合はそのうち、定期演奏会の前の2回ほどはトレーナーの方に来ていただいてレッスンを受ける、ということがこのところ定例化しています。それで、今回もそのトレーナー、泣く子も黙る仙台フィルファゴット首席のMさんにお願いしてあったのですが、スケジュールの都合でどうしても1回しか取れませんでした。それならと、別にパート練習だったら何曜日にやっても構わないので、急遽きのうにお願いした、ということなんですね。
 しかし、よりによってそんな日にこの大雨がぶつかろうとは。それこそ、先週の合奏に続いてこのパート練までも「自由参加」とかになってしまったら目も当てられません。実際に、「きょうは練習ありますか?」というメールが事前に届いていましたからね。なんと言っても、ちょうど練習をやっている時間帯が最も激しく雨が降っている時間帯だ、という予報が出ていましたから、気が気ではありません。
 でも、ご近所では新しい住宅の建設がまさにクライマックスを迎えている(実は、もう完成予定より大幅に遅れている)ということで、激しく降り続く雨の中で高所作業車が出て電気の配線工事などをやってましたね。よくこんな中でやれるな、と思っても、そんな時でも作業をしないと納期がさらに延びてしまうので、仕方がないのでしょうね。ですから、練習もこの日しかやれるときはないのですから、仕方がありません。
 私は一応、いつもの会場をセッティングした後、晩御飯を食べに外に出たのですが、その時には大した雨ではありませんでした。でも、「とらの子」の駐車場に着いた途端、ものすごい量の雨が急に降りだしましたよ。でも、食べ終わって外に出るとまた雨は止んでいるという、先の読めない降り方が続いていたようですね。練習場に戻ったのが、ちょうどそんなものすごい雨がまた降り始めた時で、少し小降りになるまで車の中で待っていなければいけませんでしたよ。
 練習が始まったころは小降りだったのに、少し経つとかなり密閉されている室内でもはっきり聴こえるほど、激しい雨音です。この部屋のそばの庭の中には大きな池があって、このぐらいの雨だとその水かさが増して浸水することがあるので、用心のために排水ポンプを回しておきました。
 でも、気が気ではないので、休憩時間には外に出て、そのポンプの様子とか池の水の状態を見て回っていましたよ。まあ、このあたりでは何事もなく済んだようで、練習が終わるころにはほとんど雨は止んでいましたね。
 ところが、家に帰ってテレビを見ると、その同じ時間ごろに駅前あたりでは道路が冠水していたというではありませんか。同じ市内なのに、なんであんなところが、という感じですよね。ですから、ちょっと間が悪ければ、いつかのように家へ帰ることが出来なくなってしまうこともあり得たのですね。何ともラッキーだったとしか言いようがありません。
 今日になってその池を見てみたら、大きなザリガニがたくさん見つかりました。
 そして、新築住宅の電線の引き込み工事も、無事に終わっていたようですね。
Aventure Number : 2677 date : 2016/9/9


今日の禁断 トータス


 この間、WOWOWでとっても面白い映画をやっていました。ここでは、まだ日本では上映されていない映画、なんてものも放送される、というものもあったりします。そんな中に、ダスティン・ホフマンとジュディ・デンチが共演しているものがありました。こんな大スター(かつては、ですが)が出ているのに日本で上映されなかったなんて、と、逆に興味が湧いてきましたよ。タイトルも「素敵なウソの恋まじない」と、なんだか楽しそうですから、ダメモトで見てみることにしました。
 いやあ、久々に和みましたね。基本は、お年寄り同士のラブストーリー、一人暮らしのさびしい老人が、アパートの下の部屋に住んでいるやはり高齢の女性を好きになってしまうのですが、それを告白する勇気はありません。そこで目を付けたのが、女性が飼っている1匹の亀。女性はそのペットを溺愛していますが、「なかなか大きくならない」という不満を漏らしているという話を、ベランダを挟んでお話しする、ぐらいの間柄にはなっていますから、その関係をさらに発展させようと、彼は一計を案じます。それは、毎日唱えれば間違いなく亀が大きくなるという呪文を教えてあげる、というものです。もちろん、ほんとうにそんなことはできるわけがありません。彼は、それを実現させるために、ペットショップで100匹以上の大きさの違う亀を買ってきて、女性が留守の間に彼女の亀を自分の家に特別の道具で運び込んで、それより少し大きな亀を代わりにベランダに置いておく、という事を繰り返すのでした。しばらくすると亀は倍近くの大きさに「成長」し、女性はとても喜んで、彼の告白を受け入れる、というのが、ざっとしたプロットです。
 実は、この原題は「 Roald Dahl's Esio Trot」という、邦題とは似ても似つかないものでした。でも、「ロアルド・ダール」といえば、あの「チャーリーとチョコレート工場」の著者ですから馴染みはあります。それで、映画を見終わった時にそちらも読んでみました。それは、さっき書いたようなとてもシンプルなお話、ほんの10分ぐらいで読めてしまうぐらいの長さしかありません。正直、それだけ読んだのではあんまりおもしろくはありません。それが、1時間半の映画にするために様々な枝葉を加えられると、面白さがとても膨らんでいたのですよ。映画では、もう一人嫌われキャラを設けて、ストーリーに起伏を付けていますし、さらに物語の進行のためだけのキャラも用意して、その設定が最後になって明かされる、というサプライズまで加わっていますから、最後の最後まで楽しめます。いや、じつは、それ以上のサプライズが待っているのですが、そこまでは書きませんよ。
 演じているダスティン・ホフマンは、いくつになっても役作りが巧みですし、ジュディ・デンチなどはもう80歳ぐらいでしょうが、とてもそんな高齢とは思えないようなかわいらしさが漲っていますから、エンディングでは本当に「よかったね」と思えてしまいます。
 なぜ日本では上映されなかったかというと、これは劇場用ではなく、テレビ用の映画、BBCが制作したものでした。でも、DVDなどは出ているみたいですね。このタイトルですが、もちろん「Esio Trot」という、それこそ「おまじない」みたいな言葉が原作本の原題です。ちょっと考えれば、これが「Tortoise」を逆に読んだものだ、ということが分かります。まさに「亀」そのものですよね。ですから、それを尊重して、日本訳の本ではこんなタイトルになっています。
 でも、映画では、そのあたりの配慮が全くなされていない、つまらない邦題になっていましたね。でも、いい映画なんで、そんなことはどうでもいいんです。
 でも、同じころにやはりWOWOWで放送されていた「ギャラクシー街道」は、そんないい映画を見た後だという点を差し引いても、どうしようもなくひどい映画だと思わずにはいられません。なにしろ、泣けるところはおろか、笑えるところも全くなかったのですからね。今までとても面白い映画をたくさん作ってきたのに、こんなものを作ってしまったら、もう三谷幸喜そのものが全否定されてしまいますよ。いや、今にして思えば「清須会議」あたりでも、すでに「三谷ブランド」は崩壊していたような気が。
Aventure Number : 2678 date : 2016/9/11


今日の禁断 パーカッション


 今週は、私はニューフィルの練習はありません。先週2回分をまとめてやってしまったためですね。たまにはこんなのもいいかな、なんて思っていたのですが、いざその週が来てみると、なんか勝手が違います。なんか肝心なことをやり残しているというか、「まだ水曜日?」って感じなんですよね。やはり、私の生活の中には「火曜日」というその週のハイライトがすっかりデフォルトとして設定されているのでしょうね。言い方を変えれば、「ニューフィルに対する『プライオリティ』が非常に高い」となるのでしょうか。「プライオリティ」なんて、大嫌いな言葉ですけどね。
 そんなダラダラとした週になってしまったので、今週中にはやらなければいけない「かいほうげん」の印刷もなかなか取りかかれないでいました。もうとっくに版下は完成していたのですが、あまりに緊迫感のない進行日程なので、なんか、このまま印刷してしまってもいいのだろうか、と思えてしまうんですよね。もしかしたら、大事なことを入れ忘れていたのではないか、とか。
 そうしたら、きのう、なんとも驚くような情報が伝わってきました。それはさる方の訃報だったのですが、別に直接ニューフィルには関係はないものの、なぜかその方が在籍されていた団体の事務局から私宛に「関係の皆様にお伝え願えれば」というような文面で、そのメールが届いたのですよ。たしかに、その方は間接的にはニューフィルとも深い縁のある方だったので、とりあえずその情報をニューフィルのFacebookページにアップしておきました。私よりもっと密接な関係のある人には、ぜひ伝えておきたいことでしたからね。
 というか、私がそんなことをしなくても、そちらの団体の、それこそFacebookページなどには真っ先に載るはずだ、と思っていたのですが、そんな動きはなく、私がアップしてしばらくしてから公式サイトにそのことがアップされていたようでしたね。公式ツイッターでも全く触れられていないようですから、そんなところに私が情報をアップしたのは、なんだかお門違いなのかな、という気がしています。この辺の加減は難しいですね。いや、そもそも、あんまりまわりが静かなので、私に来たメール自体がいたずらだったのではないか、とすら思ってしまいましたからね。
 でも、公式サイトに発表されてからは、ゾクゾクとお仲間たちのコメントが表面に出てきました。実は、よくよく考えてみたら、私もたった1度だけ、ほんとに短時間でしたが、この方のレッスンを受けていたことを思い出しました。確かに、それは、それまでいろいろ迷っていたことがすっきりと解決してしまったような爽快感のある体験でした。
 ということで、おそらくこれを私は待っていたのだろう、という判断のもとに、その訃報を「かいほうげん」の最後のページに入れてみたら、やっと全てのパーツが揃ったな、という気になりましたね。これさえあれば、もう印刷してしまっても大丈夫だろうということで、今日の午前中に一気に印刷と製本を終わらせてしまいました。配るのは日曜日の指揮練の時。その4日も前に出来上がるなんて、いまだかつてなかったことではないでしょうか。
 そして、これが終わって1ヶ月も経たないうちに定期演奏会の本番になるのですが、その時にも次の「かいほうげん」を出す予定にしています。それは、もうすでにコンテンツとして期待できるものが決まっているからです。もう、私としてはその原稿が出来上がってくるのを待つだけ、おそらく、私は全く手を下さなくても、それだけですっかりページが埋まってしまうはずですから。
 その演奏会向けの企画書を送ったところから、掲載紙が届きました。これは、あさって配布予定の「ぱど」です。紙面の関係で写真も何もない小さな案内になってしまいましたが、確かにこの中には載っていますから、お宅に届いたらぜひチェックしてみてくださいね。
Aventure Number : 2679 date : 2016/9/14


今日の禁断 ベルリン


 私の自宅のラップトップは、ワイドのキーボードで右側にテンキーが付いたタイプのものです。CDのデータなどをよく打ち込んだりしますから、これは欠かせません。ですから、Enterキーも、その右側に付いている方をもっぱら使っていますね。ところが、おとといのこと、シャットダウンしようと思って、いつものようにWindowsキーを押したのち、右の矢印キーで「シャットダウン」を選択、Enterキーを押すというほとんど無意識で行う動作をしたところ、いつまで経っても画面が変わりません。仕方がないのでマウスを使ってシャットダウンはしたのですが、それ以降、そのEnterキーが全く作用していないことに気づきました。それだけではなく、テンキーも全く使えなくなっていたのです。
 まあ、Enterキーもテンキーも別のところにもう1セットありますから、それを使えばいいのでしょうが、やっぱりそれはとても使いずらいことが分かります。なぜこんなことになってしまったのか、まずはNumLockキーのチェックです。でも、これは間違えてよく押すことはあるのですが、その時には単に数字が打てなくなるだけで、そのほかの機能は使えますからね。しかも、そもそもEnterキーはNumLockとは全く無関係ですから。
 そこで、ネットを調べてみたら、もう一つ、テンキーが使えなくなるセッティングがどこを見ても書いてありました。でも、それもチェックしても異常はありません。こうなってくると、とても嫌な気持ちになって、すごく落ち込んでしまいます。原因が分からないのに異常が出ているというのは、本当につらいものです。いっそ、テンキーだけ別に買ってこようか、とさえ考えてしまいましたよ。
 しばらくして、やっとその原因が分かりました。
 それは、このEndキー。青い色で何やら絵が書いてありますが、これはテンキーのマークです。青い色の付いたファンクション・キーと一緒にここを押すと、このあたり一帯が作用しなくなってしまうという「テンキーオフ」のキーだったのです。これはもちろんこれだけ押したのでは作動はせず、もう一つのキーと同時の押さなければいけません。そんなことが偶然にできるとは思えないのに、たまたまそうなってしまったのですね。もちろん、それを「テンキーオン」にセットし直したら、以前と全く変わらない状態に戻ってくれました。
 でも、なんでこんな機能が付いているのでしょうね。わざわざテンキーが使いたいためにこのキーボードを選ぶ人がほとんどのはずなのに、それをキャンセルさせる必要なんて、あるのでしょうか。
 まあ、世の中は間違いだらけですから、そんなことを言っても仕方がありません。特に、ネットの音楽配信サイトの間違いはもう救いようがありませんからね。今回は、たまたま、ゴールウェイの昔の録音を聴いていたら無性に別のものも聴きたくなって、確か「ロ短調」をカラヤンと録音していたはずだ、と思ってNMLを検索してみました。最近は、ここでDGなどのメジャー・レーベルのものも聴けるようになったので、もしや、と思ったのですが、それは見事にありました。ところが、一番聴きたかった「Benedictus」は、フルートではなくヴァイオリンのソロでした。これが録音されたのは1973年頃ですが、カラヤンはまだ旧全集を使っていたのですね。仕方がないので「Domine Deus」だけを聴いたのですが、それだけでもゴールウェイの凄さがよく分かりました。この部分では、カラヤンではなく、完全にゴールウェイがイニシアティブをとって音楽を作っているのですからね。しかも、ソロの間は、全くブレスをとっていません。循環呼吸には聴こえませんから、うまくテープをつないだのでしょうか。
 いや、そんなことではなく、問題はこの画面です。

 小さくて見えないでしょうから、問題のところを拡大してみましょう。


 カラヤンがこの時期にウィーン・フィルを指揮するのは別に不思議ではありません。しかし、聴こえていたのは確かにゴールウェイの音、もしかしたら彼は「ウィーン・フィル」でも吹いていたことがあったのでしょうか。
Aventure Number : 2680 date : 2016/9/16

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