2041(13/1/25)-2060(13/4/14)

今日の禁断 カンガルー

 オリンピックを東京に招致しようという運動が行われているのだそうです。私は全く関心がありませんし、東京ではもうすでに1回やっているのですからなんでもう1回やろうとするのかが分からないので、ずいぶん無駄なことをやっているような気がします。それと、このタイミングでオリンピックではないだろう、という思いもありますね。そんなことにお金を使うのなら、もっと別のことに使った方が絶対いいのではないか、という思いです。そんなことは誰でも分かりそうなものなのですがね。でも、いくらこちらでやりたいと思っても、決めるのは東京都ではありませんから、どうせこの間みたいにダメになるからいいのですがね。
 しかし、その招致運動の激しさは、なんだか常軌を逸しているような気がしませんか?この間東京に行った時には、本当に街中に「オリンピックを東京に!」みたいな旗がはためいていましたよ。まさか、東京の人たちが全員そんなバカではないはずですから、やはりご近所に気を使ってしぶしぶ飾っている人もいたのでしょうね。
 そして、この間まで、そんな決定に重要な要因となるはずの、主催者のお偉方の視察がありましたね。なんだかずいぶん手の込んだ「おもてなし」を行ったそうで、見ていても涙ぐましいほどの真剣さが伝わってきます。なにしろ、一国の総理大臣までも、幼少の頃の思い出を交えて、記憶のかなたにある「オリンピックの歌」を披露してくれているのですからね。

 メロディが全く別物だったのに、しっかりこの「海を越えて友よ来たれ」という曲を見つけ出して、すぐテレビで流した放送局の勘の良さには感心しましたが、もちろん私はあの活舌の悪いデタラメなメロディの歌からも、すぐにこの歌だと分かりました。同時に、これは確か仙台市在住の作曲家が作った曲だったのではないか、という思いにも駆られました。
 そこで、すぐ調べてみると、その人が作ったのはこれではなく、こちらの方だったことが分かりました。なんせ小さい頃の記憶ですから、ごっちゃになっていたのですね。これは間違いなく「この日のために」という、当時仙台で指導的な立場の作曲家、福井文彦さんが作った曲です。さっきの、総理大臣が歌った曲よりも、なにか垢ぬけてスマートだったな、という気がしたことも思い出しました。
 今になってこの曲を聴いてみると、もう福井さんの作風丸出しであるのが分かります。「悔いなく競う」という部分のコード進行などは、そんな一例、そして、もっと特徴的なのが、独特のリズム感です。この曲をカウントしながら歌ってみると、なんだか途中から小節の頭がずれているようには思えませんか?実は、4拍子で始まったこの曲は、途中で2拍子の小節が1つ入って、まるでプッチーニの「ネッスン・ドルマ」みたいになっているのですよ。ただ、そのあとでもう1小節2拍子があるので、最終的には全部4拍子のようになるのですが、その途中の部分はなんだかビートが合わなくて居心地が悪くなっていますね。
 福井さんは、合唱曲なども作っていましたが、校歌などもたくさん作っていました。実は、私が卒業した中学校の校歌も福井さんが作曲しています。それがこちら。MIDIがリンクされていますから、聴いてみてください(ブラウザによってはMIDIファイルがダウンロードされてしまうかもしれません)。これも、やはりカウントしながら聴いていると、途中で合わなくなってしまうはずです。こちらは、なんと4拍子の曲の中に、1小節だけ3拍子が入っているのですよ。まさに福井さんならでは、です。なんでこんなことを覚えているかというと、私は、全校生徒の前でこの校歌の指揮をさせられたことがあって、その時に音楽の先生から、この3拍子の部分の振り方を特訓されたからなのですよ。
aventure number : 2041 date : 2013/3/7


今日の禁断 エピス

 今日は、愚妻の合唱団の定期演奏会でした。開場前にホールに着くと、まだ列は出来てなくて、みんなその辺の椅子に座ったりして待機しています。私も、チラシ置き場などをチェックです。もちろん、ニューフィルのチラシはしっかり置いてありました。そこからちょっと離れたところにあったのが、「METライブビューイング」のチラシです。仙台でも上映されているので、こういうところにも置いてあるのでしょう。これは、あのカウフマンがタイトル・ロールを歌っている「パルジファル」ですね。

 でも、私はこのチラシを見て、一瞬阿部寛だと思ってしまいまいましたよ。いや、他のカウフマンの写真を見ても絶対にそんなことは思わないのですが、この写真だけはもう雰囲気が似すぎ。そのうち、阿部寛がパルジファルを演じるかもしれませんね。
 そんなところで遊んでいないで、コンサートを聴きに行かねばの娘。
 まずは、新装なったこのホールの音響のチェックです。変わってからは、オケと合唱で、自分たちの演奏を体験したことはありますが、きちんとした合唱を聴くのは初めてですからね。これはもう、驚くほどの変わりようでした。何度もこの同じ場所で聴いてきたこの合唱団が、さらに深みのある響きで聴こえてきましたよ。やはり、後にしっかり反響板を付けた効果は絶大ですね。
 今回も、いろいろな曲を演奏して楽しませてくれましたが、なかにしあかねさんの作品が、よく練れていて素敵でしたね。伴奏が作曲者自身というのも、面白いものでした。ステージのアンコールとして演奏された「今日もひとり」は、まさに時価薬籠中の完璧な演奏でした。ウィテカーのステージも、この合唱団によく合っていて、聴きごたえがありましたね。「Lux Aurumque」の最後のピアニシモなどは、鳥肌が立つほどのすごさでした。
 ただ、カーペンターズの曲を信長貴富が編曲したものは、ちょっと余裕がない感じ。こういう曲でこそ、合唱団の持ち味である楽しさいっぱいの演奏を聴かせて欲しかったのですが。
 ブラームスの「ドイツ・レクイエム」から1曲だけ演奏したのは、次回に全曲をオケ付きでやるために予告編でしょうか。なんでも、この曲のために賛助団員を募集するそうですよ。どんなブラームスになるのか、楽しみですね。

 私は、ブラームスを歌う気は全くありませんが、ヴェルディの「レクイエム」を東北大が演奏するのに、その合唱を私の大学時代の合唱団のOBなどが中心になって結成された合唱団が担当するということを最近になった知ったので、一応エントリーして、初めてその練習に参加してきました。会場は、老朽化した練習場を取り壊して、新しく建てられた男声合唱団の練習場です。そんなに広くないところに100人近くのメンバーがぎっしり入っていました。椅子が足らなくなったのだそうです。もうすでに1月から練習は始っていたので、しっかり予習はして行ったのですが、どうもまだ付いていけなくなるほどの仕上がりではなかったので、一安心です。というか、今日、「サンクトゥス」の二重合唱を初めて全体でやったのだそうですが、一番後ろに座ったら私の歌う第2コーラスのテナーの声が全く聴こえて来なくて、ちょっと不安になってしまいましたよ。
 毎回、本番の指揮者が練習をするという、とても贅沢な体制での練習計画が作られているようです。それはそれで素晴らしいことなのですが、私としてはパート練習をみっちりやってほしいところ。でも、もしかしたら、もうすでにそういう段階は終わっているのかもしれませんね。
aventure number : 2042 date : 2013/3/9


今日の禁断 サンクトゥス

 いつものように事務室で仕事をしていると、どこか遠くから梵鐘の音が聴こえてきました。時計を見ると3時少し前、そうだったんだな、と思って一人で黙祷をしてみます。低い周波数がはるか遠くまで伝わって聴こえるのが、日本の梵鐘の特徴です。風景の中を這うように伝わってきた音が、「音」ではなく「気配」として感じられる時、まるで静寂の中に身を置いているような不思議な錯覚にとらわれます。たぶん、こんな静寂の中だからこそ、私の思いも遠くまで伝わるのではないか、と、勝手に想像してみたりします。
 2年前のこの日も、やはり同じこの部屋にいました。いつまで経っても激しい揺れが一向に収まらないのに、言いようのない不安感が募ったことは鮮明に憶えています。ひとしきりの揺れが収まって外に出てみたら、鐘楼の屋根が完全に崩れ落ちていました。いまだに、復旧工事は始っていませんが、たぶん今年中には再建出来ることでしょう。来年のこの日には、今度はこちらから静かな低周波を送れたらいいな、と思っています。
 この日に合わせて、世の中では様々な行事が目白押しです。合唱仲間が参加して、モーツァルトの「レクイエム」を演奏するコンサートなども催されているそうです。たぶん、フォーレやデュリュフレなどの作品だったら、心から犠牲者を悼む気持ちにはなれるのでしょう。ただ、激しい曲調の「セクエンツィア」のテキストが含まれるモーツァルトはまた別の機会に聴いてみたいような気がします。同じように、ヴェルディの作品なども、当日からは少し離れた時期に聴きたいですね。いや、出来れば実際に歌ってみたいですね。
 実は、私はデュリュフレ、フォーレ、モーツァルトの作品は実際に歌ったことがあります。モーツァルトはほんの1年前にやったばかりですが、他の2曲ははるか昔、学生時代のことでした。もちろん、混声の曲ですから、歌ったのは所属していた大学の男声合唱団ではなく、エキストラで参加してそのまま居ついてしまった市民合唱団です。デュリュフレなどは仙台初演、その合唱団の指揮者の魅力にも惹かれて、とても素晴らしいレクイエム体験だったような気がします。フォーレも同じ合唱団で歌いました。
 最近は、一度再開した合唱もちょっと行き詰って来たので、しばらく休もうと思っていたところに、その指揮者(まだご存命です)がオーケストラと一緒にヴェルディの「レクイエム」を演奏するというニュースが、どこからともなく伝わってきました。ただ、どんな団体が歌うのかはいまいちよくわかりません。それが、この間の三善のワンナイト・スタンドの時に会った仲間からかなり詳しいことを教えてもらえました。そして、これだったらこの前の某○リーン合唱団のように、賛助出演枠で、ちゃんとした手続きを踏んで参加したのに、心ない一団員から「団員の社交辞令を真に受けてのさばり始めている。迷惑な話だ。」と罵られて辞めざるを得なくなるようなことはないだろうと、即刻ネットで参加を申し込みました。そう、この団体は、そういうことにもかなり熱心な事務局が仕切っているのでした。申し込んだ時点でメルマガにも登録され、翌日には連絡事項が届いていましたからね。

 初めて行ったのがこの間の土曜日、行ったことのない場所だったので入口が分からずに、それらしいところから入ったら、目の前にこちらを向いて団員が座っていました。知っている顔がたくさんいて、口々に「なんで今頃来たの」とか、「もうそろそろ来る頃だと思ってたよ」とか、微妙な挨拶を寄こしてくれます。どうやら、これで私のヴェルディを歌いたいという願いはかなえられそうです。
 出席をチェックしようと思って受付に行ったら、すでに私の名前も印刷されていました。さすがです。
aventure number : 2043 date : 2013/3/11


今日の禁断 モリナガ

 先週までは、もろ合唱モードに入っていました。なんせ、今まで一度も歌ったことのないヴェルディの「レクイエム」を、もうすでに2か月みっちり練習している人たちに混ざって歌わなければならなかったのですからね。その前に、まず楽譜を入手しなければなりません。実は、その前にこんなこともあろうかと楽譜だけは買ってあったのです。ただ、その時にamazonには音友版のヴォーカル・スコアしかなかったので、それを買いました。ところが、今回の合唱ではカワイ版が指定されていました。とは言っても、中身は同じですから、別に音友版でもかまわないだろうと、それを使って音取りをやっていたのです。しかし、サイトを教えてもらって、そこにアップしてある練習音源を聴いてみると、指揮者は「では○○ページから」、と、ページ数で指定していることが分かりました。音友版でそのページを開くと、全然関係ないところですから、これはやはりカワイ版が必要だと、もう1回、今度はamazonに在庫があったので取り寄せます。
 まあ、別に同じ楽譜が2つあったっていいんですよ。カワイは練習に行く時に使いますし、音友は職場に置いておいて、ヒマな時には眺めていればいいんですからね。でも、この2つを比べてみると、カワイは音符が小さくて見ずらいですね。それと、すぐ分かるようなミスプリントがいっぱいあります。正確さでは音友の方が優れているみたい。
 いずれにしても、楽譜の心配はなくなったので、しっかり音取りに励みます。この間まで三善なんかをやってましたから、ヴェルディの場合は音自体はそんなに難しいことはありません。難しいのは、言葉をリズムの中にはめ込む作業ですね。同じテキストでもモーツァルトとは全然違う嵌め方をしてますからね。ヴェルディの流儀に慣れないことには。
 それだけの準備をして行って、2日間の練習に臨み、実地にみんなと音を合わせて行きます。2日目などは、他の合唱団の予定が重なっている人が大量にいたために、男声はガタッと少なくなっていました。なんせ、少し早目に練習場に行ったら、男声は私だけしかいなかったぐらいですからね。結局テナーは5、6人、こうなると、もろに譜読みの正確さが試されます。これはかなりのプレッシャーですが、久しぶりにスリリングでもあり、楽しい体験でした。高い音も、なんだか楽に出せるようになってましたし。
 そして、今週いっぱいは、目いっぱいオケモードに入らないとやって行けない状況となっています。なにしろ、たった1回の指揮者練習だけで、「第9」全曲を仕上げなければいけないのですから。いくら12月にやっていたからと言って、ここにきて急にこの大曲を吹く(今回も1番です)までのテンションにするには、結構大変です。指揮者も全く知らない人ですから、正直きのうの練習が始まる前はかなり緊張していましたね。それでも、諸々の用途に使うための写真は撮らなければいけません。今までだと、ストロボを使わないで指揮者を撮ると、動きについていけなくてなかなかきれいな写真が出来なかったことを踏まえて、今回は撮影モードをちょっと変えてみました。ただ、シャッタースピードが速くなる分、画質が粗くなってしまいますが、それは仕方がありません。冒頭の空虚5度の間に撮ったのが、これです。

 練習が始まると、その指揮者の方は、かなりオーソドックスな音楽の作り方をすることが分かって来たので、変に考えずに素直に吹けるようになりました。ちょっと吹き方を変えただけで「とてもよくなりました」なんて言われますから、やりがいもあります。とは言っても、やはり第9全曲は大変です。久しぶりにグッタリ疲れてしまいましたね。
 そう言えば、きのうの練習場には主催者のスタッフが見えてましたね。終わってからテーブルの上を見ると、大量の飴の入ったレジ袋が置いてありました。きっと、スタッフの差し入れだったのでしょうね。それにしても飴とは・・・。実は、だいぶ前にもこれと同じことがあったことを思い出しました。その時は角田のスタッフだったのですが、やはり飴、というか、「のど飴」系をたくさん持ってきたのですよ。確かに、合唱の人たちにとってはこれはありがたいものですが、我々は別に・・・。(ばっくなんばあ2007年11月21日参照)
aventure number : 2044 date : 2013/3/13


今日の禁断 リエンツィ

 この前、「おやぢの部屋」でこんなこんなレビューを書いてみました。リンクはブログ版ですが、そちらでは2件ほど外からのコメントが入っています。こんな風に何かしらの反応があるのが、ブログのメリット、というか、デメリットというか。実際、最初のコメントは削除してしまってもいいぐらいのいやな内容だったのですが、逆にこんなのを残しておくのも面白いかな、と、あえてそのままにしておきました。今時、いるんですねえ。「音楽評論家」の言っていることが「正しい」と信じ切っている人が。
 もう一つは、こんな楽譜に対するコメントです。

 この赤丸の中の記号は、装飾記号の一つ、「転回ターン」というものです。ですから、ふつうの「ターン」というのももちろんありますね。

 「ターン」というのは、その形のように音が上から真ん中通って下に行くというもの、上のように、「ラ」のあとにこれが付くと、下のように「ラ」のあとに「シラソラ」という細かい音符が付きます。ここに書いたのは、とてもゆっくりとしたテンポの場合、「おやじ」の譜例もそんな風に演奏されます。いや、「おやじ」の場合は、「ターン」ではなく「転回ターン」でしたね。ぐにゃぐにゃの記号の真ん中に縦線が入っていますね。これは文字通り「ターン」をひっくり返して、装飾音が下から上に付きます。だから、「ラ」のあとには、「ソラシラ」という音符が来ることになります。
 という、昔習った楽典を思い出しながら、上の歌の譜例の場合は、シ♭からの転回ターンですから、装飾音は「ラシ♭ドシ♭」となるのですが、「おやぢ」の中では♭は取って「ラシドシ」と書いておきました。これで十分意味は伝わるはずですからね。
 そうしたら、「これは、ヘ音記号で読んでいるのではないか」というコメントが届いたのです。一瞬、なんのことを言っているのか全く分かりませんでした。ヘ音記号だと「ドレミレ」と読むだけですからね。
 いろいろ考えているうちに、ある考えがひらめきました。コメントを寄せられた方は、この転回ターンの記号自体がある場所に、音があるのだと思っているのではないか、と。こういうターンは前の音の上下に音が付く装飾だ、という知識がなまじあったために、そんなことは思ってもみなかったのですが、確かにこんな風に五線の中に記号が来れば、その通りに音があると考えた方が、逆に自然だと思えてきますね。これをヘ音記号で読んでみると、「ラシドシ」のあたりに音があるように見えてきますからね。
 要は、元の楽譜が変なところに記号を書いたから、そんな誤解を生むことになってしまったのですが、そういう見方もできるな、と思えるような新鮮な発見でした。そうなると、最初のコメントも、本当のことを知らないための誤解、という風に思えてくるから不思議です。
aventure number : 2045 date : 2013/3/15


今日の禁断 ケータリング

 きのうと今日は、多賀城での「第9」のリハーサルと本番でした。きのうは、実質的なお彼岸の入り、ギリギリまで仕事をして、多賀城に向かいます。着いてみると、もうステージのセッティングは終わっていましたが、スペースの半分以上を占めるのが合唱団の席なのには驚きます。150人分以上の椅子が並んでいるでしょうか。壮観です。
 まずは、オケだけの練習ですが、この間の練習では殆ど通す程度で終わってしまったのをとり返すかのように、細かいところをていねいに繰り返し練習しています。やりたいことがあまりにたくさんあり過ぎるけれど、なんとか最良の成果を限られた時間で上げられるようにとの指揮者の熱意には、ついこちらも引きずり込まれてしまいます。結構、今までお座なりにしていたようなところがズバズバ指摘されますから、油断はできません。というか、こういう突っ込み方も新鮮です。
 そこで、長い休憩になりました。軽い食事が出たのですが、なぜそんなに長かったかと思ったら、その間にゲストのリハーサルがあったのですね。ホールでその秋川さんと、多賀城の小学生の合唱団が、「千の風」の練習です。しっかりPAを用意、伴奏はカラオケですが、ステージでの練習が終わっても、秋川さんは客席に小学生を集めて、歌のレッスンをしています。その時には生声で実際に歌って聴かせているのですが、その声はホール全体に響き渡っています。これだったら、PAなんか使わなくても充分なのに、と思ってしまいました。まあ、カラオケとのバランスもあるのでしょうね。小学生の歌もしっかりマイクで拾っていましたからね。
 そして、合唱が加わったリハーサル。誰のアイディアかは分かりませんが、ここではソリストが4楽章が始まってからステージに現れるという、少なくとも私は今までどんなコンサートでも経験したことのないような「演出」が取り入れられていました。確かに、3楽章が終わったところで仰々しく出てくると、音楽の流れが断ち切られてしまうことがありますから、これも一つのやり方でしょう。合唱は、なんだか男声に見慣れた顔がたくさんいたような気がします。男声全体がかなり少なめでしたから、多賀城の人たちだけでは足らなくて、仙台の合唱団からも応援に駆け付けていたのかもしれませんね。実は、楽屋のあたりを歩いていたら、急にマスクをかけた見知らぬ女性に声をかけられて、一体なんだろうと思ったら、マスクを取ると知り合いのピアニスト、最初は私もその合唱団から参加したのかと思っていたようでしたが、「オーケストラです」と言ったらびっくりされてしまいましたよ。しかし、4楽章を丸々2回通したのは、ちょっと尋常なやり方ではありません。
 そして、今日は9時前には多賀城に着いていなければいけないので、6時に起きていつもの「家事」をこなしてから、出発です。今日の練習も、ギリギリまで、あくまでオーケストラの可能性を最大に発揮させるための練習が続きます。殆ど本番の力が残っていないほどのリハーサル、こんなのは久しぶりです。
 昼食を頂き、ステージわきに集まるために、控室を出ると、すでに合唱団の人たちが、通路を埋め尽くしてスタンバイしています。その中を、我々が楽器を持って通ると、口々に「よろしくお願いします!」などと声をかけられるので、恥かしいったらありません。袖で待っていると、最初の出番の秋川さんが現れて、軽い体操をしたり歩きまわったり、さすが芸能人のオーラが漂っていましたね。女性たちは「足が細〜い」とうっとりしてました。
 本番では、指揮者の石川さんは譜面台を置かずに暗譜で指揮をされていました。練習の時よりさらにエモーションたっぷりに指示を与えてくれますから、ついつい乗せられて演奏させられてしまいます。案の定、1楽章が堂々と終わった時点で、盛大な拍手が沸き起こりました。2楽章の終わりでも、拍手が入らないわけがありません。3楽章はアタッカで4楽章につながりましたが、これも予想通り、「vor Gott!」で盛大に盛り上がった後の終止で、拍手を頂けました。
 割と自由な時間がある打楽器パートの人たちにも手伝っていただいて、そんな写真をたくさん撮ってきました。その一部はFacebookにアップしてありますから、ここではそれ以外の写真をご紹介します。

 きのうの「夕食」。

 本番のロビーには、このコンサートのスポンサーの掲示がずらり。こういう趣旨のコンサートだったんですね。

 プログラムには、しっかりニューフィル定期のチラシも挟み込まれていました。

 今日の「昼食」です。ご飯は温かいまま、豪華です。

 終演後の客席、ちょっと分かりずらいかもしれませんが、ほぼ満席です。

 ステージで、秋川さんがテレビ局のインタビューを受けていました。これは遠くからの写真ですが、近くで撮ろうとした人は、手前のマネージャーから制止されていましたね。
aventure number : 2046 date : 2013/3/17


今日の禁断 オーボエ

 この間からの懸案だった定期演奏会のための仕事が、やっと終わりました。それは、プログラムに載せる曲目解説の原稿書きです。シューマンの「ゲノフェーファ」序曲を、例によって他に書く人がいないと泣きつかれ、引き受けたものです。出来上がったのはこんな感じ。
 
 今年はヴェルディとワーグナーという「イタリアオペラ」と「ドイツオペラ」を代表する作曲家が揃って200歳を迎えることでオペラ界は盛り上がっています。彼らが生まれるほんの128年前には、バロックの2大巨星バッハとヘンデルがやはり同じ年に誕生する奇跡があったばかり、人類の歴史では時々こんなすごいことが起こります。
 しかし、ドイツ人であるヘンデルが作ったのが紛れもない「イタリアオペラ」だったように、かつては「オペラ」と言えば「イタリアオペラ」のことでした。名実ともに「イタリアオペラ」と肩を並べることのできる「ドイツオペラ」が完成するには、ウェーバーを経てワーグナーの登場を待たなければならなかったのです。
 確かに、ワーグナー以前のドイツ・ロマン派の巨匠、シューベルトもメンデルスゾーンも、そしてシューマンもオペラは作っていました。しかし、今日では彼らの作品はほとんど顧みられることはありません。シューマンが1849年に完成させた彼の唯一のオペラ「ゲノフェーファ」も、本日の指揮者山下一史氏によって日本初演が行われてはいますが、到底オペラハウスのレパートリーに入るようなものではありません。ただ、十字軍に出征したブラバントの領主が、彼の留守中に新妻が不義をはたらいたことに激怒して刺客を送るも、後に誤解に気づかされ、許しを乞うて幸せに暮らす、といういかにもロマンティックなシナリオを見事に音楽的に表現した序曲だけは、折に触れて演奏されることがあります。
 ソナタ形式によるこの序曲、非常にゆったりとした序奏の冒頭は、いかにも不安定な情緒をかきたてる「ソ・シ・レ・ファ・ラ♭」という「フラット・ナインス」の和音です。序奏の最後に現れる、「ラメント」と呼ばれる悲しげな下降音型の断片は、アップテンポに変わる主部では、提示部の第1主題となって切ないストーリーを語ります。そこに第2主題として聴こえてくるのが、ホルンによる勇壮なファンファーレ。これは、領主ジークフリートのモティーフでしょうか。その後には常に新妻ゲノフェーファの貞淑さを思わせるような優雅なモティーフが続きます。このセットは全部で4回登場しますが、2回目の展開部ではこの二つのモティーフの間を邪魔者が引き裂きます。それが、再現部とコーダではまた仲良く寄り添っているのですから、思わず「ゲノフェーファ、よかったね」とつぶやかずにはいられません。
 シューマンの隠れた逸品を、ぜひご堪能ください。
 頼まれたのは600字ですが、軽く1000字を超えてしまいました。それで、最初の2つの段落をカットした「ショートバージョン」も用意してあります。どちらが使われることでしょう。送ってしまってから、1ヶ所訂正したくなりました。赤字の部分がそうです。
aventure number : 2047 date : 2013/3/19


今日の禁断 ユーマチック

 この間アップした、渡邉暁雄とヘルシンキ・フィルのシベリウスは、もっと書きたいことがあったのですが、字数の関係で大幅にカットしてました。ですから、ちょっと残念だと思っていたところに、きのう発売になった「レコード芸術」でのそれに関してのレビューがちょっと私の情報と異なっていたもので、この際その書き足らなかったことをここで付けくわえてみようと思いました。
 このSACDは、「おやぢ」にも書いたように、以前はCDで出ていたものでした。それを今回シングルレイヤーのSACDで再発したのですね。もちろん、一番の関心は、どれだけ音が変わったか、ということです。ただ、録音されたのが1982年というのが、ちょっとした不安をかきたてられるものでした。この時期は、世の中はそれまでのアナログ録音に代わって、徐々にデジタル録音が主流になっていた頃ですから、これはもしかしたらデジタル録音かもしれないのですね。今となっては笑い話ですが、その当時は本気で「デジタル録音の方がアナログ録音より優れている」と信じられていました。なんと言っても、いくらダビングを繰り返しても音が劣化しない、というのが最大の売り物だったような気がします。それは確かにそうなのですが、今となってみれば、元の音は明らかにアナログ録音の方が優れていたのですね。つまり、当時の「デジタル」録音で用いられていた機材は、殆どSONYのPCM-1610(のちにPC-1630)というデジタル・プロセッサーで、そのフォーマットはCDと同じ16bit/44.1kHzだったのですよ。

 ということは、この頃「デジタル録音」されたものは、すべて16/44.1だと考えていいのですね。ということは、SACDのフォーマットは、PCMに置き換えると24/96程度となるものなのですから、そこにCD並みのフォーマットで録音されたものを入れたとしても、まさに「CD並み」の音しか期待できないことになります。収録時間は伸びますが、音質的にはSACDとしてのメリットは何もないことになってしまいます。実際、このシベリウスのSACDのマスタリングを行ったALTUSというところは、今までにこのような「CD並みのSACD」を数多くリリースして来ていて、そのたびに「SACD並み」の音を期待していたユーザーを裏切ってきているのですね。
 そこで、まずこのSACDのブックレットを隅から隅まで見てみましたが、そこには録音のフォーマットは何一つ書かれてはいませんでした。かつてのCDには必ず「AAD」とか「DDD」といった、元の録音がアナログかデジタル化という表示が入っていたものですが、それすらもありません。ただ、実際に聴いた音からは、かすかにヒスノイズのようなものが聴こえてきたので、たぶんアナログだろうな、という気はしました。しかし、アナログをSACDにした時に感じられるような立体感が全くありません。まあ、それは元の録音のせいなのだろうと思いました。
 しかし、帯にも宣伝の入っていた「伝説のクラシックライブ」という本を読み返してみると、そこには、この録音が「TDKオリジナルコンサートでは最初となるデジタル録音」と誇らしげに書いてあるではありませんか。やはりそうだったのですね。ヒスノイズのように聴こえたのはラインノイズかなんかだったのでしょう。
 そこで「レコ芸」です。「新譜月評」として歌崎さんという方が、同じ時期に出たALTUSとTOKYO FMのSACDを紹介しているのですが(99ページ)、これについてはしっかり「82年の(アナログ)録音」と書かれていました。かっこ付きというのが、なんかいい加減でいいですよね。
 でも、そもそもはFM放送をカセット・テープで「エアチェック」して満足していたような音源ですから、そんな細かいことを言う必要はないのかもしれませんけどね。データを明記しなかったのは、最初から音に自信がなかったからなのでしょう。
(3/23追記)
 ブログに転載したら、「CDにはAADという表記があった」というコメントが寄せられました。ということは、CDではバックアップのアナログ録音がマスターになっていたのでしょうか。いずれにしても、SACDのマスターが何かは、どこにも表記されていません。
aventure number : 2048 date : 2013/3/21


今日の禁断 メトロ

 最近、渋谷駅が大幅に変わったということで、大騒ぎをしていましたね。東急東横線の駅が、今まで地上2階にあったものを地下5階に移動、さらに、一夜にして線路を付け変えて翌日の始発からはそのまま新しい駅を使うというとてつもないことをやっていたのですから、確かにこれだけ騒ぐ価値はあるのでしょう。もちろん、そんなことは私にはなんの関係もありません。あんな、迷路のようになった駅で何万人という人が右往左往している姿は、なんだか哀れさを誘うもの、あんな人たちの仲間には決してなりたくないな、という思いの方が先に立ってしまいます。
 でも、その週の「サンデーソングブック」を聴いていたら、達郎が意外なことを言っていたので、ちょっと驚いてしまいました。竹内まりやが作った「駅」という歌は、あの東急東横線の旧渋谷駅をモデルにして作っていた、というのですね。まりやがその思い出の駅をしのんで、この「駅」をかけてくれるように達郎に頼んだのだそうです。もちろん、そのあとにこの名曲がかかっていました。
 竹内まりやは、昔から好きなアーティストでした。どちらかというとRCA時代の「アイドル」としてのほうがポップで好きなのですが、結婚後WARNERに移籍して、自分の作品を歌うようになってからも、もちろん大好きです。その中で最も好きな曲と言われれば、私はためらいなくこの「駅」をあげるでしょうね。ご存じのない方は、こちらで。歌詞も付いてます。
 この曲は、1987年に、移籍後の2番目のアルバムとしてリリースされた「REQUEST」に収録されています。まりやが他の人のために作った曲のセルフカバーが中心になっていますが、この曲は中森明菜が最初に歌っていましたね。いかにも「歌謡曲」然とした循環コードが、ちょっとそれまでのバタ臭いものとは違っていて、妙に心をそそられる曲です。

 実は、私がこれまで抱いていた、この曲に現れる「駅」は、郊外の小さな駅のようなイメージでした。昔好きだった男と偶然同じ電車に乗り合わせ、同じ駅で降りてそれぞれに自分の今の世界に帰っていくという雨上がりの情景が、そんな住宅地の駅前のような感じがしたのですね。ですから、これが本当はあんな渋谷の雑踏の中だったのには、ちょっとショックを受けてしまいました。あの哀愁を含んだモトカレが、渋谷駅から歩いて行けるところに住んでいたなんて。
 でも、その前から、この歌詞の意味がちょっと分からないところがありました。最初に見覚えのあるレインコートのモトカレを見つけた「たそがれの駅」と、「改札を通ると雨がやんでいた」駅とは、別の駅のような気がするのですよね。だから、一つ隣の車両に乗って、気づかれないように横顔を見ている、というシチュエーションが成り立つわけですね。その辺の時系列が、ちょっとこの歌詞からは判然としないと思うのは、私だけでしょうか。
 いや、そんなことはどうでもいいんですよ。だったら、その横顔を見ていただけで、「私だけ愛していた」ことを知るののも、なんという自己中と思うしかないじゃないですか。
 正直、私にとっては、ヒット曲の歌詞の内容などはあまり耳に入ってきません。もっぱらメロディとかコード進行がまず入ってきます。この曲の場合、確かに単純な循環コードではあるのですが、そこにちょっとインパクトのある工夫が感じられました。この曲のキーはC#minorですが、簡単にするためにAminorに直すと、Aメロのコードは、「Am-Dm7-G7-Cmaj7-Am-Dm7-B7-E7-Am」となっています。ここで注目したいのが、「胸が震えた」という歌詞の部分の「B7-E7」というコード、普通はその前のDm7からすぐE7になるのに、その間にB7を挟んだのがとても新鮮です。これは、「ドッペル・ドミナント」ですよね。コードはカッコいいのですが、それに乗ったメロディはかなり難しいものになってしまいます。私などは、初見では歌えないでしょうね。
 さっきのYoutubeとは別のところで、この曲がダニエル・ビダルの「小さな鳩」という曲のパクリだ、という書き込みがありました。確かに良く似たメロディですが、ここのコードは「駅」のようにB7が入ったりはしていない、ごく当たり前のコード進行、「パクリ」というのは、悪質な言いがかりに過ぎません。私は、ダニエル・ビダルも大好きなんですが。
aventure number : 2049 date : 2013/3/23


今日の禁断 スラー

 だいぶ前、そう、震災が起きたちょっと前に、私の部屋には大きな薄手の本立てが運びこまれて、CDやら楽譜やらがやっと整理出来るようになりました。それ以来、今まで雑多に並べていたCDを、ある秩序の元に並び変える、という作業をやって、いかにもシステマティックな検索が出来るような環境が整った、と思っていました。ところが、そのようにきちんと法則を決めて収納した結果、目的のCDを探し出すのには以前以上に時間がかかるようになってしまったのは、なぜなのでしょうか。おそらく、ああいうものは、手に入れた時にしまった場所が、その時点で頭の中に刷り込まれてしまうようになっているのではないでしょうか。いくらそれをきれいに並べ変えてみても、いざそれを探そうという時にはつい最初にあった場所に目が行ってしまうのですね。あの山下達郎も、「レコードを整理したら、かえって分かりづらくなった」と言ってましたから、これはそういうコレクターには共通の悩みなのかもしれません。
 楽譜なんかも、悲惨です。こちらはCDと違って大きさがまちまちですから、なかなか「定位置」というものを確保できません。いきおい、棚に入れないでその辺に重ねて置いておく、なんてことになりかねません。こうなってしまうと、もう、それがあったことすら忘れられてしまいますから、恐ろしいことです。
 今日などは、新しい「ヨハネ」のCDが届いたので、その資料として「第2稿」の楽譜を見てみようと思ったのが、そもそもの間違いでした。これは、間違いなく買ってあった、という記憶だけはありました。しかも、それはポケットスコアがまだ出ていなかったので、大判を買ったのも覚えています。そんな大きなものですから、本棚の一角にそういうサイズのものをまとめていたところあたりにあるはずだ、と思ったのですが、そこには確かにモーツァルトの「ハ短調ミサ」のシュミット版とか、それこそ「ヨハネ」のドーヴァー版はあるのに、めざすCARUSの「第2稿」はありません。となると、そんなきちんとしたところではなく、いつの間にか合唱の楽譜までが混じって収拾がつかなくなっている、あのあたりでしょうか。最近では、ダウンロードしたものを印刷したスコア、などというのもどんどん増えていて、そんなのは片っ端から積み上げてありますから、もう触るのも恐ろしい地帯になっています。
 でも、そこを探索しないことには、前へ進むことはできません。真横から眺めてみると、ちゃんとした大判のスコアがあるのは分かりました。でも、それは最近買ったメンデルスゾーンの「5番」ですし、こういうものは往々にして変なところに隠れているものですから、面倒くさくても1冊1冊点検して行かなければ、結局またここに戻ってきてしまうことになります。それを上からどけて行くと、その中に薄っぺらなポケットスコアがありました。まさに埋もれている、という感じで挟まっていたのは、ブライトコプフ新版のベートーヴェンの「1番」でした。えーっ。これは、今練習の時に毎回持ち歩いているはずだから、カバンの中にあるはずなのにーっ。しかも、開けてみるとなんの書き込みもないまっさらな印刷面。ということは、どうやらやってしまったようですね。だいぶ前にネットでドイツから買ってあったことをすっかり忘れて、今回のためにアカデミアから買っていたのですね。CDでは今まで何度もそんなことがありましたが、ついに楽譜でもやってしまいました。

 これは、送料込みで12ユーロで買ったものだと、挟んであった伝票で分かりました。アカデミアで買った時は1440円でしたね。もし、欲しい方がいれば、「時価」でお譲りしますよ。全くの新品ですから。この楽譜は、パート練習などでとても重宝しています。なんせ、旧版のスコアもパート譜もいい加減ですから、何か問題があった時に、すぐこちらで「正しい」情報が分かるのですからね。第2楽章の133小節目にあるヴァイオリンのタイも、原典版ではなくなっていることが分かりますよ。

 「ヨハネ」の「第2稿」は、なんとLPに挟まれて置いてありました。そう言えば、そんなところにとりあえずしまったような記憶が。
aventure number : 2050 date : 2013/3/25


今日の禁断 ラストラール

 きのうの「おやぢ」では、バッハの「ヨハネ受難曲」の楽譜についても触れました。今まで、この曲の楽譜についてはいろいろ調べたり、実際にさまざまの稿による楽譜を入手したりしていたのですが、その中で「未完のスコア」というものの位置づけがいまいち納得できないところがあったのです。これは、バッハが実際に「ヨハネ」を3回演奏(それぞれ、第1稿、第2稿、第3稿という別のバージョンを使用)した後、もう1度演奏する前の1739年に作られたものなのですが、それは途中で中断されていて、残りの部分はほかの人が1749年に完成させたといわれているものでした。1749年といえば、この曲が4回目に演奏(第4稿を使用)された年ですから、当然このスコアを使って演奏したと思ってしまいます。現に、高名なバッハ研究家で、指揮者でもある樋口隆一氏は彼がこの曲を演奏したCDのライナーノーツの中で、「バッハは最晩年(1794年)に至って≪ヨハネ受難曲≫を再演し、その際、上述の未完の総譜を、助手のヨハン・ナタエル・バムラーを使って完成させている。これが最終稿とみなされるべき第4稿にほかならない。」と言い切っているぐらいですからね。
 しかし、実際に「第4稿(1749年稿)」と表記されている楽譜(CARUS)と、「未完の総譜」を元に校訂が行われた新バッハ全集の楽譜(BÄRENREITER)を比べてみると、実際にバッハが書いたとされる最初の10曲は、レシタティーヴォのメロディ・ラインが違っていたり、コラールの最後がピカルディ終止になっていたり、アリアの後奏がカットされたりと、全く別物であることが分かります。しかし、この新全集を校訂したアーサー・メンデル自身が、前書きで「第4稿にたいしては、総譜の浄書が、写譜家によって完成された。」などと言っているのですから、さらにそんな誤解は助長されかねません。

 そんな時に、やはりこの間「おやぢ」でご紹介した「伝統稿」(CARUS/2012年)の前書きを読んでいたら、校訂者のペーター・ヴォルニーがそんなあいまいさをきれいに拭い去ってくれるようなことを書いていることが分かりました。その骨子は、
  • バッハは、以前「マタイ」でも行ったように、「ヨハネ」でも決定稿を作るために1739年から作業を始めた。
  • 第10番のレシタティーヴォの途中、20ページまで書き終えたときに、その年の「ヨハネ」の上演を中止するよう勧告を受け、作業を中断する。
  • 10年後の1749年に、弟子であったコピスト(写譜家)、ヨハン・ナタエル・バムラーJohann Nathanael Bammlerにスコアの未完部分の作成を依頼、バムラーは当時はまだ残っていた(現在は消失)第1稿のスコアをほぼ忠実にコピーして、新しいスコアの21ページ以降を完成させる。
  • このスコアを用いて、バッハは1749年の演奏を指揮したが、その改訂は演奏家のパート譜には反映されてはいなかった。したがって、ここではバッハの改訂は音にはなっていない。しかし、バッハ自身は、将来はこの改訂稿で演奏することを考えていたはず。
 つまり、ヴォルニーは、「実際に演奏されたことのない稿」ということで何かと批判されることの多い新バッハ全集の形を、しっかり「オーセンティック」であると弁護しているのですね。そうなると、この楽譜のタイトル「Traditionalle Fassung(1739/1749)」の持つ意味がよくわかります。確かにこれはバッハ(1739年)とバムラー(1749年)の二人の手になる稿なのですからね。つまり、普通に「第4稿」と同じ意味で使われている「1749年稿」とは全く別物だと解釈しなければいけないのですよ。これも、輸入楽譜の専門店、アカデミアが、「第10曲までは未完の改訂スコア(1739)に基づき、それ以降は第4稿に依っています。」と、見事に誤解していましたね。実際は、第4稿の第20曲などは「バムラー稿(笑)」とは歌詞が違っていますからね。ただ、楽器編成などは新全集にならって第4稿のものになっています。
 バッハ自身の手によって最初に作られた(ヴォルニーは「スケッチ」と言ってます)全体のスコアは失われてしまいました。したがって、この「バッハ/バムラー稿」が現存するこの曲の唯一の自筆稿(?)となるため、19世紀の「旧全集」では、これがそのままスコアとして採用されました。その後、実際に使われたパート譜などの研究が進み、現在のような詳細な稿の変遷が明らかになってきたのです。はたして、「バッハ/バムラー稿」は、先日お亡くなりになった小林義武さんが言うように「第3.5稿」としての地位を獲得することができるのでしょうか。
aventure number : 2051 date : 2013/3/27


今日の禁断 プレゼント

 ニューフィルの定期演奏会まで、あと4週間となってしまいました。いよいよ本気で演奏会モードに入らなければいけません。とりあえず、これからは他の予定はすべてキャンセルして、ニューフィルの練習にあてることにしなければ。運の悪いことに、これから2回、土日連続の指揮者練習があるのですが、その両方ともこの間から行き始めたヴェルディの「レクイエム」の合唱練習の日と重なっているのですよ。全部で4日間ですから、これはちょっと痛いのですが、仕方がありません。すべてお休みにしなければ。それと、ニューフィルの本番の日まで合唱の練習が入っていますから、全部で5回。ニューフィルでこんなに連続して休んだらもう完全にクビになってしまいますが、合唱ではそんなことは決してないだろう、という甘い態度が通用するというあたりが、なんだかなあ、ですが。
 このあたりになると、企画書を送ってあったメディアに、そろそろ形となって記事が出始めるようになります。というか、その前哨戦として、掲載記事に関する問い合わせが頻繁にあるようになります。一応企画書には私の携帯番号が連絡先になっていますから、いろいろなパターンの問い合わせに対応しなければいけません。一番ありがたいのは、しっかり記事の内容が決まっていて「これで間違いないか、チェックしてください」というものですね。一応、企画書には必要なことはすべて書いてありますから、それをもとに自由に書いてもらって構わないのですが、中には思ってもみないようなことを書いてくるところがないとも限りませんからね。そんなところがあったので、書き直してもらったのが、さるフリーペーパーです。スペースが小さいので、演奏曲目が「シューマン:歌劇「ゲノフェーファ」序曲ほか」となっていました。たしかに、企画書ではこの曲が一番最初に書いてありますから、それがメインだと思う人もいるかもしれませんが、これはニューフィルの団員の中でさえ知らない人がいるぐらいの超マイナーな曲ですから、そんなのだけを書いてもらったってちょっと集客は見込めません。いや、そんなことを言ったら、メインのショスタコーヴィチだって、まだまだマイナーな曲ではあるのですが、とりあえず私の中ではこちらを書いて欲しい、というところがあったので、これはしっかりショスタコに直してもらうようにお願いしました。
 そして、おそらく最初に「活字」となったのが、河北新報の案内記事でしょう。これが出てすぐにスキャンして、Facebookページにアップしたところ、なんだかものすごく反響があったようなのですね。以前も書きましたが、Facebookの管理者だけには、この書き込みに対してどのぐらいの人が見たかというデータが知らされるのですが、載せた翌日にはそれが400人を軽く越えてしまっていたのですね。いままでだと、最高でも300人ぐらい、それも、1週間以上経ってそのぐらいというのが最高でしたから、これは並はずれた数字です。これはその後も増え続け、いまでは、こんなことになっています。

 700人を超えるのも、時間の問題ですね。つまり、そのぐらいの人がこの記事に関心を寄せているということになるわけですね。その人たちがすべて萩ホールに来てくれたら、それだけで満員になってしまうという数字、これはすごいです。
 その他に、「S-Style」と「りらく」に案内が載っているのは確認しました。あとは、毎日新聞が4月5日ごろに掲載してくれるということなのですが、あいにく近親者で毎日を取っている人がいないので、もしこの新聞を購読している人がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。あ、もちろん、宮城県内でしか記事は載りませんから、東京や富山の人がいくら探しても、無駄ですからね。
aventure number : 2052 date : 2013/3/29


今日の禁断 サスペンダー

 ニューフィルの定期演奏会モード、まずはこの週末の指揮者練習でした。土日を丸々6時間ずつ使って、山下さんの指揮者練習です。会場がなぜか多賀城市民センター大ホール、つい2週間前に「第9」の本番をやったばかりのところではありませんか。これは全くの偶然、最初に山下さんのスケジュールに合う会場を探した時には、市内のホール類はみんなふさがっていて、ちょっと遠くのここしか空いてなかったのでした。それを予約してしばらくした時に、私のところに多賀城市文化センターから突然電話があって、「急に『第9』をやることになったのだけど、頼んだところには全部断られて、ニューフィルさんにお願いできなければ演奏会が開けません」と泣きつかれ、急遽引き受けることになったのでしたね。
 きのうは、その多賀城での練習の前に私には一仕事、いや、正確には二仕事ありました。ニューフィルでは練習場以外の場所で指揮者練習や本番をやる時には、旭ヶ丘の市民センターにある倉庫から大型楽器を運び出して会場まで運ばなければなりません。この前の「第9」から、その楽器を4階の倉庫から1階まで降ろしてトラックに積んだり、逆にトラックから降ろして倉庫に戻したりするという作業を当番制にすることになりました。いつも同じ人ばかりしか集まらないので、みんなに参加してもらおうということですね。それで、今回運び出し作業の当番が木管チームになっていたのです。一応私が「リーダー」になっているので、まずそれを手伝わなければいけません。それで、12時までに旭ヶ丘に行くことになっていました。同時にもう一つ、会場の多賀城で、ホールの鍵を開けてもらうという仕事もありました。本当は団長の仕事なのですが、彼は山下さんを出迎えに行くので、代わりに私が頼まれました。そのためには、1時前には多賀城に着いていなければなりません。となると、楽器を運び出してから出発すると、間に合わなくなってしまうかもしれません。ちょっと綱渡りみたいな感じ。
 ところが、ほぼ12時に旭ヶ丘に行ってみると、もう他の木管チームは来ていて、殆どの荷物は運び出し終わったところでした。こういうところが、うちのメンバーのすごいところです。ですから、私はトラックに積み込むのはその人たちに任せて、そのまま多賀城へ向かいます。
 一番渋滞が少なく、間違いなく早く着ける道を知っているので、そこを走ったら、1時15分前にはホールに着きました。そのまま事務室に行って鍵をもらおうと「仙台ニューフィルです」と声をかけたら、別のお客さんの応対をしていたおばさんが、いきなりこちらにやってきて、「ニューフィルさん、先日は大変お世話になりました」とご丁寧に挨拶をしてくれるではありませんか。名札を見ると、その人は私に電話をかけてきた、あの「第9」の演奏会の担当者でした。そうか、普段はこういうところで受付をするようなこともあるのですね。さっそく、「あの時電話を受けたのは私です」と言ったら、びっくりしていましたね。「本当に素晴らしい演奏でした」などと盛んに褒めてくれるものですから、つい、「またなにかありましたら、喜んでお引き受けしますから」などと、心にもないことを口走ったりしましたよ。これを「真に受け」られたりしたら、どうしましょう。
 そんな「雑談」をしてからホールへ向かったら、もう搬入口が開いていて、さっきのトラックが到着、運転手の人と、殆どトラックと同時に車で来たニューフィルのメンバーが、荷物を降ろし始めていました。ずいぶん早かったんですね。というか、トラックに積み込む仕事までやっていたら、確実にトラックに先を越されているところでした。
 結局、他の人はなかなか着かなかったので、殆ど私+3人ぐらいで楽器降ろしと椅子並べをすべてやり終えてしまいましたよ。一緒に楽器の運び出しをやっていたフルートパートの人は、それから1時間近く経ってからやっとホールに現れました。なんでも、途中で道に迷ってしまったのだそうです。
 2日間の山下さんのご指導で、ニューフィルの演奏は完全に変わりました。的確なポイントの押さえ方で、曲に対するアプローチがより的確になったような気がします。山下さんは、単に情熱的に煽るのではなく、もっと客観的に納得できる形で曲の作り方を指示してくれます。その「意味」を、文学的な言葉ではなく、音楽的な言葉、具体的には和声の理論を使って説明してくれます。以前、下野さんも同じようなことを言ってくれたことがありましたが、それは正直私には難解でした。ところが、同じことが山下さんが言うと、これがとてもよく理解できるのですね。なんか、素晴らしい演奏会になりそうな予感です。
aventure number : 2053 date : 2013/3/31


今日の禁断 マナー

 きのうの朝日新聞(我が家はずっと朝日、もちろん紙の新聞です)の宮城版を広げたら、とんでもない記事が目に入りました。

 こんな大きなスペースを取って、「仙台市では、条例でエスカレーターは左に立つことに決まった」ということを報じているのです。いつの間にそんなことが決まったのか、全然知りませんでしたよ。それにしても、「右」にしろ「左」にしろ、エスカレーターに立つ場所を決めて、空いたところは急いでいる人たちが歩いて通れるような通路にしておくという発想自体、私にはずっと馴染めないものでした。そもそも、エスカレーターの正しい乗り方は、歩かないでじっと立っていることだ、と、エスカレーターを作った会社の人が言っていることを聴いたことがありますし、混雑した時には片側しか乗らないと、ずっと下で待っている人が増えてしまいますから、そんな通路なんか開けないで、みんな詰め込んだ方が結局早く上まで行けるはずなんですよ。仙台市は、なんというバカな決断を下したのだ、と、怒りにも近い感情が湧いてきましたね。こんなつまらないことを市民に強要する前に、もっと取り締まるものはあるのではないか、とも思いました。例えば、自転車は必ず道路の左端を走れ、とかね。あ、これはちゃんと法律で決まっているんでしたね。でも、自転車に乗っている人は誰もそのことを知らないのではないでしょうか。そういうことをきちんと市民に教える方が、こんなエスカレーターでどうのこうのと言う前にやらなければいけないことでしょう。ドン!(机を叩く音)
 と、興奮しながら読んでいると、なんだかこれは違うのでは、という気がしてきましたよ。冷静になって読んでみると、文章のあちこちが妙な雰囲気を持っています。そう言えばきのうは4月1日、もしかしたら、と最後をみたら

 やはりそうでした。見事に騙されてしまいましたよ。朝日新聞もやるもんです。なんといっても、そんなことは絶対にやりそうもない場でやってしまった、というところが、インパクトをさらに与えてくれたのでしょうね。普段は冗談一つ言わないような管理職の人が、にこりともしないでダジャレをとばす、みたいな感じでしょうか。
 さらに、おそらく、読んでいる人に対しても、ちょっと感心してしまうことになるのでしょう。こういう冗談をきちんと受け止められる読者が、「朝日新聞の宮城版」というステージで育っていたのだ、という、殆ど感動に近いものがこみ上げてきましたよ。ただ、同時に、本当にそうなのかな、という、一抹の不安もよぎります。いくらエイプリルフールでも、こういうことを本質的に喜ばない人たちというのは、必ずいるものです。朝日の快挙をたたえつつ、そんな人たちのリアクションがちょっと気にはなりました。
 今日になったら、私の危惧は現実のものとなりました。

 まだまだ、世の中はそこまでのレベルには達していなかったのですね。正論で迫られれば、こんな謝罪記事も出さざるを得なかったのでしょう。でも、これで「読者」の「見識」がよく分かったはずですから、朝日新聞社仙台総局は、来年からはもっと賢い切り口で、もっと鮮やかな「うそ記事」を書いてくれることを、心から期待しています。
aventure number : 2054 date : 2013/4/2


今日の禁断 デンオン

 最近はLPというか、レコードというか、あるいはヴァイナルというか、そういった名前の録音媒体が、人気を取り戻しています。あの、直径30pの円盤に溝が刻んであって、そこに針をあてて音声信号を読み出すという、今のCDの前に隆盛を極めたメディアですよね。それは、CDの出現によって、ほんの10年ぐらいの間に完全にこの世から姿を消してしまいました。なんと言っても、使いやすさの点ではCDには全く勝ち目がありませんからね。
 それが、このところ見直されてきて、ごく普通に新しい「LP」が店頭に並んでいたりします。なによりもすごいのは、あの「ビートルズ」の全アルバムが新しくLPで発売されたりしているのですからね。これは、別に懐古趣味とかそういったものではなく、これまでのCDの音に満足できない人が増えてきたためなのです。つまり、出来た当時はそれまでのアナログ録音よりもすぐれたものだと思われていたデジタル録音が、実はそんなにいい音ではなかったことに、人々が気付き始めたのですね。正確には、CDの規格のデジタル録音では、ということなのですがね。
 その結果、現在では録音の現場ではCDよりも解像度の高いデジタル録音(ハイレゾ)が当たり前になり、それと同時に、見捨てたはずのアナログ録音が見直されてくることになりました。つまり、今のオーディオ界では、CDに物足りなくなった人たちが目指したのが、SACDやハイレゾデータといったデジタルの進化したものと、昔ながらのLPという、まったく反対を向いた2つのものだという、不思議なことが起こっているのです。ハイエンド・オーディオの一つの雄、ノルウェーの「2L」というレーベルでは、早い時期からSACDはもちろん、ハイレゾデータをブルーレイ・ディスクに収録したパッケージを出していましたし、同時に、最近では同じ音源をLPでもリリースするようになっています。
 かく言う私も、それまでLPのノイズにはさんざん悩まされてきましたから、CDが出た時には間違いなくLPを超えるものだと思い、持っていたLPを殆ど全部処分してしまったほどです。しかし、長年CDを聴いてくると、だんだんその音に物足りなさを感じるようになってきます。昔LPで聴いたものをCDで聴いても、何かが足らないような気になって来たのですね。ですから、SACDがある程度普及してくると、それを積極的に聴くようになりました。そんな時に、「新しい」LPが数枚、BOXでそんなに高くなく出たので買ってみて、聴いてみたら驚きです。それはSACDでも満足のいかなかったところを、軽々とクリアしてくれていたのですからね。それからは、意識してLPを買うようになりました。
 一番新しく買ったのが、オペラのLPでした。それまでは人の声の入ったものはあまりなかったのですが、これを聴いてみると、いつものようにとてもCDでは聴くことのできない生々しい音がオーケストラの部分では充分に楽しめるのですが、歌がなんだか歪みっぽいのですよね。それでも、CDよりははるかに存在感のある音ですから、まあ、この程度の不安定なところがLPなのかな、と思う反面、もしかしたら、もう針がかなり摩耗しているのではないか、という気にもなってきました。
 今使っているカートリッジは、DENONのDL-301という、MC型です。実は、これが2代目、まず、DL-103という有名なカートリッジを買ったのですが、あまりに音がおとなしすぎるので、その頃出たばかりのDL-301にしてみたら気に入ってしまい、だいぶくたびれるまで使って今のものに新しくしたのです。MCの場合、「針交換」と称して、新品よりほんの少し安い価格で新しいものに交換してくれるのですが、やはり、今まで使ったものも手元に置いておきたいので、新しいのを買いました。それも結構使った頃に、CDが現れて、それ以来使っていなかったものを、また今になって使い始めた、というわけ、間違いなく針は摩耗しているはずです。
 そう思うと、すぐに結果を知りたくなりますから、さっそくヨドバシに行ってみると、すでにこの製品は製造が終わっていて、型番がDL-301IIとなっていました。「マーク2」ですね。

 奥がDL-301、手前がDL301IIです。久しぶりに、ピンセットを使ってリード線をつなぐ、なんてことをやってみましたよ。
 やはり、かなり摩耗が進んでいたようで、カートリッジを交換したら今までちょっと不安定だったところがきれいになくなってしまいました。人の声は全くひずみがなくなり、オケの音はさらに深みを増しています。もうこうなると、ハイレゾなんて目じゃなくなってきますね。試しに、「Abbey Road」をかけてみたら、B面の頭のギターの音が、今まで聴いたことのなかったようなゾクゾクする音になっていました。続けてリマスターCDをかけてみたら、あまりの平板な音に完全に失望です。CDって、これほどまでにひどい音だったんですね。
aventure number : 2055 date : 2013/4/4


今日の禁断 ラララ

 年度が新しくなって、テレビやラジオの番組もリニューアルされているようですね。地上波のテレビなどはほとんど見ることのない私にはあまり関係のない話なのですが、それでもちょっと戸惑うようなことも起こります。ついさっきまで、車に乗っていたのですが、だいたい土曜日の午後5時台というのは車の中でFMを聴いているような行動パターンになっていますから、そこで聴くのは「サントリー・サタデー・ウェイティングバー・アヴァンティ」ということになります。ところが、さっき5時半ごろから聴き始めた番組は、なんだか全然別のものでした。そもそも、スポンサーがサントリーではなく、三菱自動車ですからね。いったいどうなっているのでしょう。確か、先週同じ番組を聴いた時には、バーテンのスタンさんが故郷の牧場を継ぐためにアメリカに帰ってしまうので、次の、なんかイタリア系のバーテンに替わるのだというような話をしていたじゃないですか。スタンさんが、その前のジェイクさんから交代した時も、何事もなく続いていたというのに。
 なんでも、この番組は21年間も続いていたんですってね。まあ、それだけ続いたのなら、仕方がないような気もしますがね。それにしても、あの番組で常連さんが最初に飲み物を注文する時に「スタン、いつもの」と言ってますが、あれで思っていたのと違うものが出てくるということはないのでしょうか。いや、そんな時には、メンツにかけてもそれが正しかったのだ、という態度を取るのでしょうね。私も一度はそんなことを言ってみたいものです。いつも行くとんかつ屋さんに行って「いつもの」と言うと、マスターは黙って「上ロース」を作ってくれるんです。
 テレビでも、NHK-BSで「デスパレートな妻たち」のファイナル・シーズンの放送が始まりました。その前のシーズンがどんなふうに終わったかなんてすっかり忘れていましたが、ベティー・スアレスのお父さん役のトニー・プラナが殺されたんでしたね。それはいいのですが、番組の中盤で驚くべきことが起こります。いや、別にとんでもないどんでん返しがあるとか、そういうことではなくて、画面の右下にロゴが出たかと思うと、なんとCMが始まったのですよ。もちろんNHKですから、洋酒や車のCMではなく、自局の番組の紹介なのですが、これは本当にびっくりしてしまいましたね。もともと、外国のドラマには間にCMが入っているのですから、言ってみればこれが自然の形なのでしょうが、ちゃんと料金を払っているのですから、これは馴染めません。WOWOWなんかは、CM込みで時間をカウントしている「24」でもCMをカットしているというのに。

 もう一つ、BSで日曜の朝早くにやっていたN響のフル中継が、なくなっていましたね。こんな時間帯なので、つい録画しそこなって悔しい思いをしょっちゅうしていたのですが、とうとうなくなりましたか。いよいよNHKもクラシックを見限ったのか、と思ったら、それは地上波に移っていました。Eテレの日曜9時から11時ですって。逆に、これは大英断、今までそんな変な時間帯だったものが、こんな「ゴールデン」に変わったのですからね。そもそもこの時間帯は、1時間ですがかつては「N響アワー」をやっていた時間でした。それが、去年から小説家がホストを務めるとことんつまらないクラシック番組に替わっていました。何回か見るたびに腹が立っていたのですが、それが今度は2時間枠ですよ。あまりの変わりように、ちょっと心配になってしまうほどです。でも、その「つまらない」番組がなくなったわけではなく、土曜日に移動、こちらは30分枠になっていましたね。
aventure number : 2056 date : 2013/4/6


今日の禁断 フリーペーパー

 ニューフィルの定期演奏会の案内を、各種のメディアに掲載してもらうという、いつもながらの私の仕事は、今回はずいぶん手ごたえがあるような気がします。今までは企画書をそういうところに送った時に、連絡先だけは前の事務局にしてあったので、何か問い合わせがあった時には事務局長が応対することになっていました。それが、必要なものは私のところに流れてきてはいたのですが、何かワンクッションあっていまいち手ごたえが感じられませんでした。それが、前回からは全面的に私のところが連絡先になったのですが、それでもあまり問い合わせのようなものはありませんでしたから、そもそもそんな感じだったのかな、と思っていました。でも、今回は全然違います。メールではなく、電話で直接聴いてくるのがたくさんあったのですね。ところが、私はそういう「公的」な電話に応対することはまずありませんでしたから(この前の「多賀城第9」はレアケース)、最初にそういう電話が携帯に来た時には、ちょっと焦ってしまいましたね。なにしろ、「非登録」の番号からかかってくれば、それはまず間違い電話か、しょうもない勧誘に決まってますから、受ける時には務めて無愛想に話すようにしています。その電話も、なんだか聞いたこともないような会社の名前を名乗っていましたからね。それが、話しているうちに、どうやら企画書を送った「お客さん」であることが分かってきますから、もう私としては恥かしくてしょうがありません。ひたすら、手のひらを返したような不必要に明るい声で電話を続けるのでした。
 そんな、今までリアクションがなかったところで私が初めて受けたのが、毎日新聞と産経新聞でした。毎日さんは「載りますよ」という連絡だけだったのですが、産経さんはあとでメールできっちりと記事が載る日にちまで教えてくれましたよ。それが、今日だったのですよ。ですから、朝一でコンビニに行って新聞を買ってこようと、職場のカレンダーにはしっかり印を付けておきました。でも、この週末は大風邪は吹くは、雷は鳴るは、さらに、私の人生で初めてのことを体験するはで、そんなものはすっかり忘れてしまいましたよ。今日、そのことを思い出したのは、もうお昼過ぎのことでした。こんな時間になってしまったら、もうこんなマイナーな新聞は売り切れてしまっているかもしれませんよ。でも、そんなことは言ってみなければ分かりませんから、行くだけ行ってみることにしましょうか。職場からは、石段を降りたところにセブンがありますから、歩いて行ってみることにしました。ところが、外に出たらまだものすごい風が吹いています。こんな、まともに歩けないほどの風なんて、久しぶりです。石段の上にはかなり大きな松の木の枝が横になっています。しかも、上からは大量の松ぼっくりが落ちてきますから、おっかないのなんのって。
 そんな暴風の中をセブンにたどり着いた私を待っていたものは、このコンビニではそもそも産経新聞は扱っていないという非情な事実でした。新聞売り場の棚には、それぞれにプレートが付いているのですが、そこには産経はおろか、朝日すらもなかったのですよ。どなたか、こんな珍しい新聞を取っている方がいらっしゃいましたら、ぜひ写真を送ってくださいね。
 かと思うと、買いに行かなくてもちゃんと送ってくれるような殊勝なところもありました。いや、そこは普通に各戸にタダで配達してくれるのですがね。しかし、郵便受けには、普通の投げ込みの他に、こんなメール便が入っていました。「ぱど」が7部も入っていますよ。タダで。
 しかし、中を開けてみると、目指すニューフィルの記事はどこにもありません。何回見なおしてもそれらしいものはないんですよ。でも、記事が載っていないものをわざわざ送ってくるわけはありませんから、きっとどこかにあるはずだという信念を持って探すと、やっと見つかりました。こんなちっちゃな記事だったんですね。
aventure number : 2057 date : 2013/4/8


今日の禁断 ヤマハ

 もう来週にはニューフィルの本番ということになってしまいました。今週末にもう1度指揮者練習があって、そのあと団内練習が1回、そして本番です。なんか、今回は私が責任を負う場面はほとんどないので、気分的には楽ですが、やたらと他の人のことが気になってしまいます。ショスタコの15番は、はたして本番までにお客さんに聴かせられるだけのものになるのか、とかね。
 演奏会が終われば、今度はまた次の演奏会に向けての練習が始まります。そこで、ぼちぼちメインのシベリウスの交響曲第1番について、例えば「かいほうげん」のネタになるようなものはないか、ということでリサーチを始めてみました。そうしたら、Facebookで団員が、スコアやパート譜についていろいろ書き込んでいるのが見つかりました。シベリウスの交響曲に関しては、確かブライトコプフとハンセン、それともう1つぐらいの出版社から出ているというぐらいの知識しかありません。1番は初版のブライトコプフ版がそのまま使われているのだ、とも思っていました。ただ、ちょっと前にこの曲をやると決まった時にポケットスコアを買ったら、以前の白地にオーケストラのメンバーのシルエットが描かれている表紙ではなく、ベートーヴェンの新校訂版と同じ青い表紙だったので、初版が模様替えをしたのかな、とは思っていました。
 そのFacebookの書き込みは、「スコアには小節番号が入っていない」というのものでした。そこで、私が持っている新しく買ったスコアを見てみたら、こちらにはちゃんと小節番号が入っています。さらによく見てみると、出版年は2008年、しっかり「原典版」とか、「シベリウス全集」といった言葉があるじゃないですか。そう言えば、シベリウスの作品全集が、いま進められているという話は聞いたことがあったような気がします。それがもうすでにポケットスコアになって、誰でも安く買えるようになっていたのですね。さすが、最近のブライトコプフはこういうことにかけては敏速です。ベートーヴェンの交響曲も、すぐにポケットスコアが出ましたからね。ついでに、校訂報告もちゃんとつけてくれると、もっとありがたいのですがね。

 Facebookでは、そのシベリウスの指揮をする新田さんが、シベリウス全集について書いたコラムのことも話題になっていました。それを読んでみると、全集版は小節番号だけではなく、かなり初版とは違っているところがあるみたいですね。初版はIMSLPで簡単にダウンロードできますから、あとで詳しく調べてみることにしましょう。さらに、ここからはパート譜もダウンロード出来ます。それは予想通り、ニューフィルで渡されたKALMUS版と全く同じものでした。当然のことながら、こちらにも小節番号はありません。そこで、せっかく全集版を持っていたので、今度の指揮者練習に発行する予定の「かいほうげん」に、この小節番号を載せてみようと思いました。練習番号はどの楽譜も全く同じですから、練習番号と小節番号の対応表を作るだけのこと、簡単にできてしまいました。
 ついでに、パート譜を全集版のスコアと比較してみると、とんでもない間違いがあちこちにあることに気付きました。というか、こんないい加減な楽譜だったら、初版は全く使い物にならないのでは、と思いましたね。ところが、それは初版のスコアでは全集版と同じように正しくなっていました。要は、ブライトコプフでパート譜を作った人が、いい加減だったということです。ですから、初版でも全集版でも、しっかりスコアと照らし合わせてパート譜をチェックしておかないと、大変なことになりますよ。
 例えばこんなところ。

 これは1番フルートのパート譜、最後の小節には、どう見てもディミヌエンドのようなものがありますね。

 同じところをスコアで見てみると、ディミヌエンドだったものは本当はアクセントだったことが分かります。しかも、パート譜には三連符の記号もありません。普通は流れで三連符であることは分かりますが、これでは不親切。
aventure number : 2058 date : 2013/4/10


今日の禁断 ボストーク

 この「禁断」では、時にはFacebookへのネタを使い回したりしています。それをブログに転載してFacebookからリンクを貼ったりしますから、Facebookの読者には「手抜き」だろ思われるでしょうが、そんな時もあるのです。
 きのうFacebookにアップしたのは、こんな写真でした。

 職場にはいろんな花が咲く木がたくさんあります。この季節はまず梅、そして桜、ハナミズキはまだつぼみです。梅と言えば、花の色は白か赤だと思っていたのですが、こんなのが咲いていたのに初めて気付きました。同じ枝に白い花と赤い花が一緒に咲いているのですよね。さらに、同じ花でも、花びらが一部色が変わっていたりして。毎年こんな風に咲いているんですって。
 この後の方に見えるのは桜です。石段の脇の斜面にある墓地の中にたくさん咲いている桜の木は、知る人ぞ知るという穴場の名所です。場所が場所ですから、シートを敷いて花見酒などというわけにはいきませんが、シーズン中は大きなカメラを持った人なんかが訪れていますね。
 一方、ニューフィルのFacebookページでは、このところの決定事項、先の演奏会の概要などが、最速でアップされています。公式サイトでは、きっちり決まったところで演奏会の案内のページを更新するというスタンス、Facebookは、とりあえず決まったことを出来るだけ早く流すというスタンスですね。こちらは、このページに「いいね!」してくれている人には、アップすると同時にその人のホームにフィードされるので、強制的に目にすることになりますから、宣伝効果は抜群です。逆に、ニューフィルの情報を知りたい方は、ぜひこちらに「いいね!」をお願いします。
 最近では、来週の演奏会の打ち上げの会場をアップしたら、結構リーチが来ましたね。全く知らない人が「いいね!」をくれたりしますから、面白くなってしまいます。打ち上げに乱入しようとしているのでしょうか。それはそれで、大歓迎です。その前に、ぜひ演奏会にはいらして下さいね。それと、この間のシベリウスの小節番号も、こちらにアップしてみました。これこそ、ニューフィルの団員以外には関係のないようなものですが、結構見に来てくれているのが面白いですね。
 その小節番号も掲載された新しい「かいほうげん」が、出来上がりました。明日の指揮者練習の時に配れるように、今日のうちに印刷を終わらせました。今回のメインは、もちろん来年春の演奏会の日程と指揮者が決まったという件ですね。ちょうどタイミング良く決まったので、余裕で載せることが出来ました。それと、その前の秋の演奏会に関して、新田さんの最新の写真が送られてきたので、なんとかそれを載せようと思って、こちらもタイミング良く5月に仙台駅で行われる駅コンの日程を入れて、その写真の中にさりげなく新田さんの写真を入れてみました。駅コンの写真そのものは、去年の秋に、愚妻の合唱団が出た時のものです。

 ところで、その新田さんが今日のFacebookにお書きになっていましたが、「ユリ」さんというお名前は、世界初の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンにちなんでつけられたのだそうですね。つまり、その年にお生まれになったというわけ、その○○年後のお誕生日が、秋の演奏会の本番の日だというのは、前に書きましたよね。
aventure number : 2059 date : 2013/4/12


今日の禁断 アクセント

 きのうと今日は、山下さんとの指揮者練習、本番前の最後の集中練習です。この前の集中練習では、山下さんの時間管理の見事さに感心したものです。こちらで用意した練習のスケジュールに従って、5分と誤差のない終わり方、始まり方だったのですね。決められた時間で必要なことはすべて行っているのですから、これはちょっとすごいことだと思いました。今回も、その時と全く同じ時間配分でしたから、管楽器の降り番の人などは、予定表の時間通りに会場に着いていればいいのですから、これは無駄がありませんね。
 きのうも、最初のベートーヴェンは時間通りに終わり、次のシューマンの練習が1時間の枠の中で始まりました。ところが、2回ほど通して細かいところを少し止めて注意したら、それで、「後は明日」と言って終わってしまいました。30分ぐらいでしょうか。そこで、「次はショスタコーヴィチ」ということになってしまったのです。焦ったのは、我々木管のメンバーです。フルートとオーボエでは、ショスタコでトップを吹く人がまだ来ていません。まさかこんなに早くシューマンが終わってしまうとは思いませんから、ショスタコには充分に間にあうように来ることになっていたのですからね。私も、トップ担当の人に電話してみると、やはり始まって15分ぐらいしないと着かないようでした。
 仕方がありませんから、2番担当の私とピッコロ担当の人とで分担して1番のパートを代わりに吹くことにしました。おそらく、1楽章の途中ぐらいには着くでしょうから、それまでのとりあえずの「つなぎ」です。
 練習が始まって、しばらくすると、1番担当は会場に到着、楽器を組み立てています。最初のソロが出てくるまでには少し時間がありますので、これでなんとか代吹きしなくても済みそう、トップの席に座っていたピッコロ担当者も、本来の席に戻りました。ところが、1番担当はいつまで経ってもステージにやってきません。いきなり吹くのは辛いので、ロビーで音出しをしているのでしょうか。こちらはもうすっかり「代吹きをしなくなってよかった」モードになってしまっていますから、もうソロのモードまでのテンションを上げることはできません。結局、私が吹いたソロは、音はともかく、息が途中でなくなってしまう悲惨なものになってしまいました。私は、こういうプレッシャーには弱いんですよ。
 でも、今日は、見事に時間通りの進行です。もう、日ごとに注文がシビアになって行って、今まで何も言われなかったところが執拗につかまります。そのたびに、山下さんは指揮台を降りて、パートのすぐ前でFace to faceの指導です。自分のパートを歌わされている人もいましたね。こんな風に、本番に近づくにつれてハードルを上げて行くというのが、山下さんのやり方なのでしょう。確かに、ここにきてメキメキ良くなってきていますから、本番にはきっと素晴らしい演奏になりそうな予感です。
 そして、これが終わると次の秋の定期演奏会への準備が始まります。今日のお昼休みにパート割も決まり、これで、本格的に自分のパートが練習できるようになりました。次回は全部ニューフィルでは初めての曲ですから、大変です。もちろん、私も初めて吹くパート、来週にはもう通しがありますから、それまできちんとさらえるかどうか。
 その、シベリウスの交響曲第1番の楽譜の件で、新しい展開がありました。今回新田さんが使うはずの「全集版」と、今までのスコアとの「訂正リスト」が、新田さんから送られてきたのです。しかも、単なる訂正ではなく、その上に自筆稿まで目を通した新田さんのコメントが付いています。もちろん、団員はすべてネットで見られるようになっていますので、掲示板のパスワードをご用意の上、こちらまで。
aventure number : 2060 date : 2013/4/14

13/4/16-13/5/24