0161(03/5/19)-0180(03/6/24)

今日の禁断 トゥナイト

 40年以上も前に作られた「ウェスト・サイド物語」が、「ニュープリント・デジタルリマスター」として蘇ったという噂を聞いて、わざわざ東京まで見に行ったのは、去年の末のことでしたね。結局、画面には見苦しいノイズが出ているし、音も、会場のせいで(映画館ではない、普通のホール)サラウンドが全く味わえず、がっかりしたものでした。それこそ、各種のメディアで伝えられる情報がいかに無責任で、良心のかけらもないものかを、身を以て体験させられたものです。「広告表現の可能性」などと言うものは、情報を間違いなく伝えた上でしか成り立たないことを、その方面に携わる人は知るべきです。
 その映画が、利府のMOVIXで上映されていたのは、だいぶ前から知っていました。ここだったら、少なくとも音に関しては問題がないはずですので、ぜひ見に行きたいと思っていましたが、なかなか時間が取れないでいるうちに、とうとう今週いっぱいで終わってしまうことになってしまいました。そこで、今日の午後、仕事をやりくりして行ってくることにしました。なんといっても、月曜日は「メンズ・デー」で1000円で見れますし。さすがに、そんなに人が殺到するようなものではありませんから、上映されていたのは9番シアターという、利府では一番小さいシアター、それでも90人ぐらいは入りますし、スクリーンも大きすぎず、良い感じです。時間になったので入ったところ、私が一番乗り、ど真ん中の音の良さそうな所に座ります。ところが、後に続くお客さんがいつまで経っても現れません。下手をすると、私(達)だけで貸しきりかなと思い始めた頃、ぼつぼつ入ってきました。結局その回に集まったのは、全部で11人、そのうち二人連れは3組だけ、あとの5人は1人で来ていましたね。これだけだと、果たして私に連れがあったのかどうかというのは分かりませんが、その辺はご想像に任せましょう。
 期待していたとおり、音は、東京の「ル・テアトル銀座」とは比べものにならないほど見事なものでした。これでしたら「デジタルリマスター」と言っていたのも納得です。最新の映画館の音響に対応できるだけのクォリティは十分確保できるものに仕上がっています。もちろん、最初からクォリティの低いトゥッティでのひずみなどは仕方がありませんが、細かいソロ楽器の音が、とてもはっきり浮き上がって聞こえてきたのは、ちょっと感激ものでした。序曲でのハープとか、「マンボ」でのトランペットのハイ・ノートなど、なんだか初めて聴いたような気になった部分も何カ所も。もちろん、サラウンドもきっちり決まっています。それから、びっくりしたのは、東京で最も我慢の出来なかった画面のノイズが、全く見えなかったこと。ドクのキャンディストアで、決闘の相談をしているシーンに、ほとんど1リール全てに渡って、画面中央に現れていた見苦しい数多くの点々が、本当に全然見えなかったのです。これがどういうことなのかは、知るよしもありませんが、全く思いがけなく、音だけではなく画面も素晴らしく(多少の褪色はありましたが)蘇った「ウェスト・サイド」を見られて、またまた幸せな思いに浸っているところです。
aventure number : 0161 date : 2003/5/19


今日の禁断 麻疹

 やはり、練習は火曜日にやるものだというのが、はっきりしましたね。(実質的に)全員出席のコントラバスの8人を筆頭に、新入団員を迎えたチェロパートは9人(全部で何人?)、ヴァイオリンパートも、殆ど欠席者は思い当たらないほど、ぎっしりとホールを埋め尽くしていましたよ。それに引き替え、管楽器は色々都合があって、ちょっと寂しい感じではありましたか。何しろ、始まったときは木管前列は私1人だったのですから。ちほさんが休むのは、先週聞いていたのですが、今日になってあっチャンから「熱があって行けません」というメール。どうやら、「メールとり、じゃない、ミイラとりがミイラになった」ようで、もしかしたら、同じ病気にかかったのかも知れませんね(もちろん、最後が「S」の病気ではありません)。そんなわけで、少ない管楽器は、殆どフル編成の弦楽器に、まるで囲まれているような状態で、練習は進んでいきます。これだけの弦がいると、吹いていてとても楽な感じ、特に、シューマンの場合(あ、まだシューマンだけです)、フルートは殆どヴァイオリンの上塗りですから、頑張って吹かなくても軽く乗っかるだけでいいということが、如実に体験できます。このような「出席するのが当たり前」という思想が、弦の人たちの間にきちんと浸透したのを見ると、嬉しくなってしまいます。
 指揮の鎌サンは、久々に曲に対して燃えているみたいです。まだ、本番の指揮者が来る前だというのに、きちんとひとつの形を作り上げようと、本気になって指導していると見ましたが。以前は、彼が何か言っても演奏の方でついて行かなくて、1人で落ち込んでいるという場面が多かったのですが、最近のニューフィルは違います。何か要求したものが、もちろん全てではありませんが、ある程度の変化となって現れてくることに、手応えを感じているに違いありません。正直、吹いていても以前のように「いい加減にしてくれ」という(実際、そうでした)気持ちはあまり起こりませんし。だから、吹き詰めで結構疲れたはずなのに、ある種の満足感みたいなものが得られているのは、何にも代え難い収穫です。やっぱり、練習は楽しくなくっちゃ。
 ところで、先日の菅英三子さん、実はこの間の定期演奏会を聴きに来ていたことは、愚妻から聞いて知っていました。声楽関係でチケットが渡ったのだと、その時は思っていたのですが、実は団員からのお誘いでいらしていたということが、分かりました。その団員○号は菅さんと個人的に大変親しい間柄だそうで、「私が呼んだんですよ」と大いばりでしたから。まるで私が瀬尾先生(そうそう、先生からのメッセージ、読みましたか?この呼び名が、さる掲示板で定着しつつあります)を呼んだときのように。そうだ。せっかくのご縁なのですから、ぜひニューフィルと共演して頂きましょうよ。昔々「第9」をやったのはまだ無名の頃、もう誰も覚えていませんから、今度はマーラーの4番なんか、良いと思いません?
aventure number : 0162 date : 2003/5/20


今日の禁断 モノリス

 ちょっとマニアックな話ですが、ご存じのように、私はリゲティの音楽が大好き、特に、最近出た「レクイエム」の新録音には驚喜してしまいました。というのも、「おやぢ」にも書いたように、これほど有名であるにもかかわらず、この曲の録音というのは今まで1種類しかなかったからなのです。もちろん「有名」といっても、かなり限られた世界での話でして、こちらに書いたように、「2001年宇宙の旅」のサントラとして有名だということです。この映画には「レクイエム」も含めてリゲティの作品が3曲使われていて、そのいずれもが、WERGOというレーベルからリリースされている、というのが今までの私の認識でした。ところが、「おやぢ」のレビューを書くためにもう一度調べてみたところ、サントラに使われている「レクイエム」は、WERGO盤のギーレンによる演奏ではなく、フランシス・トラヴィスという人が指揮をしたものだということが分かったのですよ。そういえば、ギーレン盤のデータでは録音したのは68年の11月、映画が公開されたのが68年の4月ですから、そもそもサントラに使うのは物理的に不可能ですし。つまり、キューブリックは、ギーレン盤の前に存在していたこのトラヴィスの録音を聴いて、それを採用したということになるのです。となると、「おやぢ」のノット盤は2番目ではなく3番目の録音になります。その辺をきちんとさせたいのは私の性分ですので、このトラヴィス盤がどういう素性のものなのか調べてみました。しかし、どこを探しても、そんな録音が出ていたという記録はありません。このトラヴィスさん個人のサイトもあったので見てみましたが、そこにはディスコグラフィーすらありませんでしたし。そこで、ダメモトで、このサイトにあった「連絡先」に、メールを出してみましたよ。もちろん、英語で(どう書いたかは、聞かないでください)。
 そうしたら、なんと、そのトラヴィスさんご本人から返事が来てしまったのです。こちらのでたらめな英語など全く意に介さない風で、丁寧に私の知りたいことを教えてくださいました。それによると、やはりあの録音は商品になったものではなく、68年にバイエルン放送局で録音した放送用の音源だったというのです。さらに、「CDがコピーできるから、住所を教えてくれば送ってあげますよ」ですって。そう、あと数週間すれば、私はとてもレアなCD、世界に何枚とないものを手に出来るのですよ。そのほかにも、トラヴィスさんは、その音源に関してのキューブリックとのやりとりなども書いてきてくれました。それは、現在様々な形で伝えられている、このサントラに関する証言とは若干異なるもの(たとえば、リゲティ本人と相談して曲を決めたと、キューブリックが言っていたとか)、これが本当だとすれば(ちょっとあり得ませんが)、今までの定説を根底から揺るがすような証言になりかねませんよ。それはともかく、68年の録音ということは、少なくともアレックス・ノースに渡したテンプ・トラックには含まれてはいなかった、ということだけは確実になりますね。最後までマニアックですみません。ちょっと興奮気味。
aventure number : 0163 date : 2003/5/23


今日の禁断 チョコレート

 きのう、かなりマニアックなことを書いたのですが、それにちゃんと応対してくれるだけのマニアックな人がそばにいるのは、嬉しいものです。私に会うなり、「昨日の見ましたよ」と話し始めて、休憩の間中「2001年」談義でしたから。実は、今日あったのは「仙台フルートの会」の練習、2週間後の本番へ向けての集まりなわけですが、やはり会員のK村さんは、こういうことに関してはとことんマニアック、ちゃんとアレックス・ノースのことも知っていましたし。それよりも、以前私がハチャトゥリアンのフルート協奏曲のCDのリストを作ったときに、唯一現物を持っていなかったガロワ盤について、「持っている方はご連絡下さい」と書いたら、早速次の日に「私が持ってます」とメールをくれたぐらいの、オタクなのですよ。それをコピーしたCDを(ジャケまできちんとコピーしてくれました)、今日持ってきてくれました。ついさっき、とりあえず1楽章だけ聴いたのですが、これはすごい。共同購入したランパルは、もちろんランパルが編曲をしたもので、その楽譜も出ていますが、このガロワ盤は基本的にはランパルとと同じ姿勢でありながら、ガロワ自身が編曲したものなのです。ですから、所々耳慣れないところがあって、それは元のヴァイオリンパートをガロワ風にフルートに直した部分なのですね。圧巻はカデンツ。このころのガロワのお気に入りの重音なども取り入れた、ブッ飛んだ仕上がりになっていましたよ。瀬尾先生は、「基本的にはランパル版を使うけれど、適宜オリジナルを参照して手を入れるし、カデンツもランパルのものは使わない」とおっしゃっておられましたから、あるいは、このガロワ盤にかなり近い演奏になるのでは、というのが私の予想ですが、果たしてどうでしょう。
 ハチャトゥリアンと言えば、ニューフィルの合奏で初めて通すときに、ソリストの代吹きとして私が当てにしていたYUMIさんとは、2年ぶりの再会となりました。2年間、遠いところに行っていた(「塀の中」ではありません)ものが、晴れて仮釈放(ちがう!ちがう!)で帰ってきたのです。本当は南米のパラグアイに住んでいたので、仙台は寒くてしょうがないと、なんと革ジャンにマフラーという真冬のスタイルで、練習場に現れました。指揮者が来ないのを良いことに、積もる話を立ち話、もちろん、他の人も懐かしがって寄ってきます。とても、2年も離れていたなどとは思えないほどです。顔も2年前と全然変わっていません。ただ、ちょっと話し方が不自然だったのが気になりましたが、それも、帰国してすぐ始めた歯の矯正のせいだと分かりました。あ、そうすると、ちょっとしばらくはフルートをちゃんと吹くことができないと言うことになるではありませんか。となると、いったい誰がハチャトゥリアンのソロを吹くのでしょう。あっチャンでしょうか。ところが、そのあっチャン、恐ろしいことに、前々回に書いたことが本当になってしまって、なんと、「か」くんにうつされた病気で入院することになってしまったのです。何の病気なのかは、本人の名誉のためにここに書くことは出来ませんが、もしかしたら・・・。
aventure number : 0164 date : 2003/5/24


今日の禁断 ジュンク堂

 丸1日フりーの身となった私が出没したのは、泉中央、一番町、東口の2軒の図書館、2軒の本屋、そして1軒のCD屋でした。2軒目に行った図書館が、私にしては処女地である「仙台メディアテーク」。入ってみると、すぐ右手にデザイン関係の本などが置いてあるショップがありました。一見なかなか良いセンス、さらに、チラシ置き場には横浜で行われるクセナキスのコンサートのチラシとか、いかにも「アート」といった雰囲気があるところです。しかし、そのあまりにもはまりすぎたたたずまいは、私あたりには反感を買ってしまいます。得体の知れないCDなども置いてあって、いかにも取り澄ましたカルチャー指向は、逆にうさんくささをプンプン発散させるものでしかありません。かつて池袋の西武美術館にあった「アール・ヴィヴァン」のように、少なくとも、この価値観はもはや21世紀には通用しないものです。そういう思想は、この醜悪な建物全体にも蔓延しています。私にとっては、この施設は、最近よく見られる「デザインのためのデザイン」とか、「広告のための広告」のように、本来の目的を見失った独りよがりの産物以外の何者でもありませんでした。
 そんな風に、悪態をつきながら探していたのは、このところ続いているマニアックな興味を満足させてくれるような資料でした。さんざん歩き回った甲斐あって、色々収穫がありましたよ。最大の収穫は、「2001年」に使われていたリゲティの音楽は、3曲ではなく4曲だったというのが分かったこと。これはエンド・タイトルには何の記載もないのですが、最後に出てくる「アトモスフェール」のあとで、効果音のように聞こえていたものが、「アヴァンチュール」という作品だったというのです(「あばんちゅうる」ではありません)。ただ、オリジナルの形ではなく速度を変えたり、フィルターをかけたりして、元の形とは全く別物になってしまっています。巷間、「リゲティは無断で自作を使われたのを怒って、訴訟を起こした」みたいな言い方が流れていますが、どうもそれは正しくはなく、実際は選曲の段階で何らかの話し合いがあったことが明らかになりつつあります。それは、先日のトラヴィスのメールなども傍証になるのでしょうが、ですから、リゲティが怒ったのは、無断で使われたからではなく、この「アヴァンチュール」のように、勝手に手を入れられてしまったからなのでしょう(その気持ちは痛いほどよく分かります)。そういえば、その前の「アトモスフェール」にも、たぶん作った本人には我慢ならないほどの無神経なSEがダビングされていますしね。それから、有名な「ツァラトゥストラ」、エンド・タイトルを見直したら、この曲だけは唯一演奏者のコメントが入っていませんでした。だから、公開直後に出たMGMサントラ盤では「ベーム/ベルリン・フィル」となっていて、それを信じている人は多いのでしょうが、実際に映画の中で聴けるのは「カラヤン/ウィーン・フィル」の演奏。そのことを明らかにしているRHINOのサントラ盤も、「レクイエム」の尺が合わなかったり、その「ツァラ」も、MGMのサントラ盤のミスプリを鵜呑みにして「ブール/南西ドイツ放響」と書いてあったりと、混乱の極みです。このあたり、いずれちゃんとしたコンテンツにするための覚え書きだと思ってくださいな。
aventure number : 0165 date : 2003/5/25


今日の禁断 八幡浜

 まず、きのうの地震ですね。全国ニュースであれだけ報道されればやっぱり心配になるんでしょう、きのうは電話がなかなか通じなかったようですが、今日になって、四国の親戚からもお見舞いの電話をいただいたりしました。なんでも、地震の規模は神戸の時と大して変わらないそうなのですが、目立った被害はなかったのは幸いでしたね。今のところ、だれ1人亡くなっていないと言いますし。自宅はマンションの7階ですから、揺れはすごいものがありました。ちょうど夕食が終わったところ、お茶を飲んでいたらいきなり来ました。確かに、私は今までに体験したことのないほどの揺れでした(宮城県沖地震の時は仙台にいませんでした)。机の上に置いた湯飲み茶碗からお茶がこぼれて、机の上はびしょびしょ、隣の部屋には家具調の仏壇を置いてあるのですが、扉が開いていたので中に置いてあった香炉が飛び出して、畳の上は灰だらけ、さらに、そこに仏前の花瓶や茶碗の中の水が落ちてきて、一面泥の海です。これを掃除するのが、大変といえば大変だったでしょうか。それから、前にやはりちょっと大きな地震があったときもそうでしたが、私の部屋のビデオテープの山は、見事なまでに崩壊していました。元はどこにあったかも定かではないほどの散らばりようでしたから、ある程度分類しておいてあったものはもうメチャメチャ、見ていないものがいったいどこにあるのか知るのは、もはや不可能です。ただ、本棚の中にあったものは外に落ちたものは殆どありませんでした。今朝になって勤務先に行ってみると、例のCD棚も全く無傷、棚の中で少しCDが倒れていたぐらいでした。でも、交通機関の乱れはかなりあったよう、特に新幹線は、今日になっても完全には復旧していないみたいですから、夕べあたり、その日のうちに東京あたりに帰らなければならなかった人は、焦ったことでしょうね。
 いずれにしても、そんなに大きな被害がなかったからこそ、いつも通りの練習も出来るというものです。しかも、管分奏の会場であるパルシティの空調設備は、全く何のダメージも受けなかったと見えて、建物に入るなりむっとするような暖気を感じてしまいました。ただ、これは今までかけ続けていた暖房の余熱だったようで、音楽室に入っても、さすがにかつてのような暴力的な熱気はなかったので、一安心。それで、クーラーをつけてみると、かなり過ごしやすい室温になってきました。人が揃って合奏を始めようと、椅子を並べてみると、フルートの席のすぐ上にクーラーの吹き出し口があるので、さすがにちょっと涼しめ。やはり、冷房の時期になっても、この会場の空調には悩まされそうです。
aventure number : 0166 date : 2003/5/27


今日の禁断 ブーレーズ

 「現代音楽」というジャンルが「過去」のものになろうとしている象徴的な出来事として、ルチアーノ・ベリオの訃報を受け取るべきなのでしょうか。ケージ、メシアン、クセナキス、武満といった、ほんの少し前までは「現代音楽」を牽引していた才能たちがいつの間にかもはや新たな作品を作ることが出来なくなってしまったと思っていたら、まだまだ現役で活躍していたベリオが鬼籍に入ってしまったのですから。
 ベリオの音楽は、常にエンタテインメントの要素を備えたものとして、私の前にはありました。最初に生で聴いたベリオの曲が、例の「Opus No. Zoo」だったということが、そのような印象の刷り込みに大きな力があったのは明らかです。かつての西武劇場で行われたその曲の日本初演は、現代音楽にはあるまじき「楽しい」ものとして、その作曲家のキャラクターを強烈に印象づけたのです。木管五重奏の演奏者たちは、内側に丸く向いてそれぞれの音を聴き合うというような、ある意味聴衆を排除したような姿勢を見事に放棄して、5人全員がまっすぐ前を向いて座っていました。その曲にとって、アンサンブルに配慮するよりも大切なことは、聴衆に向かっての語りかけ、普段、楽器を演奏することに命をかけている管楽器奏者たちは、その時までには全く修練の経験などなかったであろう「朗読」という大仕事に挑まなければなりませんでした。「現代音楽」で語りが使われるときは、意味を持たない、音素材としての役割を担うというのがそれまでの相場、そうではない、きちんとした物語を演奏者自身にしゃべらせるという試みは、その拙い棒読みと相まって、確かな愉悦感を与えてくれたのです。「スゥイングル・シンガーズ」などという、明らかにクラシックとは別のジャンルに属しているアーティストとのコラボレーションを難なくやっとのけたフットワークの軽さも、「ダルムシュタットの三羽烏」には到底望み得ない資質として、歓迎されたものでした。これは、一時期、公私ともにパートナーであったキャシー・バーベリアンの嗜好が反映されていることは、疑いのないことでしょう。
 考えてみれば、作曲家という職業は、相当高齢になっても続けられるものです。そういう意味で、77歳というベリオの行年は、ちょっと残念な気がします。中には、ペンデレツキのようにこれ以上生きていても到底良い作品は作れそうもない人もいますが、リゲティなどにはまだまだ生き続けて、新しいものを聴かせてもらえる楽しみを残しておいて欲しいものです。
 というような、マニアックな話題を盛り込みつつ、「禁断」は続きます。もちろん、ここで言う「禁断」とは「〜あばんちゅうる」のこと、「〜の写真館」は、コンテンツに不可欠な1号様の写真がないことには、到底作ることは出来ません。晴れてこのサイトにアクセスできるようになった6号の感想が、○ックスではなくメールで届くのは、いつのことでしょう。
aventure number : 0167 date : 2003/5/29


今日の禁断 シルヴェストリ

 行ってきました。下野さん。以前「かいほうげん」にチラシを掲載してお知らせしたように、6年前(もうそんなに経つんですね)にニューフィルと共演された下野竜也さんが仙台フィルを指揮するコンサートがあったのです。ご存じのように、内外の大きな指揮者コンクールで立て続けに優勝されて、今や押しも押されぬ若手のホープとして大活躍の下野さんの、今の生の姿を見てみたいと、楽しみにしていたものです。少し早めに家を出たのですが、台風の影響か、道がかなり混んでいて、会場の岩沼市民会館に着いた時には、もう開場時間を過ぎていました。幸い(?)そんなにお客さんが集まるようなものではなかったようで、無事座れましたが、これはちょっと意外。実は、下野さんが来るのなら、こんな時間に来たのでは、もうまともな席はなくなってしまっていると思いこんでいたのです。しかし、クラシックのコンサート、特に地方のコンサートは、こんなものなのでしょうね。
 会場には、知っている顔がたくさんありました。もちろん、全てニューフィル関係者。ただ、このコンサートのことを最初に教えてくれた3号の姿がなかったのは意外でした。瀬尾さんのテレビの時みたいに、すっかり忘れていたのかも知れませんし。中には、とても新鮮な組み合わせで一緒に来ていた二人連れもあって、「こんなのもありかな」と納得。しかし、いつの間に。私は、もちろんいつものヒレカツ先生と一緒。ですから、コンサートの模様はそちらにお任せです。
 終わったら、こちらは1人で来ていた「か」クンが「楽屋に行ってみません?」と誘うので、さっきのペアと一緒に楽屋に行ってみました。下野さんは、楽屋のドアの前で、誰かとお話中、しかし、我々が近づくとすぐ気づいてくれて、「あ、Y江さんだ」なんて、ちゃんと覚えていてくれたのには感激です。写真も撮れましたし。

 6年ぶりの下野さんは、以前よりさらに気さくになっていました。これだけランクが上がると普通は逆のはずですが、下野さんの場合は全くそんなことはなし、そういえば、コンサートの最後でも、そのてきぱきとした指揮ぶりとは裏腹に、とてもオケの人たちを大事にしている様子が態度に表れていて、とても好感が持てたものです。そんなキャラクターにつけ込んで、「ニューフィルを振ってくれませんか?」と聞いてみたら、スケジュールさえ合えばOKみたいな感触が得られましたよ。(曲は)「何だってやりますよ」とまで言っていたので、あながち外交辞令だけではなさそうです。来年の春は、もしかしたら共演できるかも。
aventure number : 0168 date : 2003/5/31


今日の禁断 ヴェルゴ

 リゲティの「レクイエム」がらみで、「2001年宇宙の旅」のサントラについて調べざるを得なくなったというのは、このところの「禁断」の話題です。先日サントラ盤の現物を入手して聴いてみたところ、色々なことが分かりましたので、とりあえず覚え書きということで。
 私が手に入れたサントラ盤は、1968年リリースのポリドール盤と、1996年リリースのターナー/ライノ盤の2種類です。もちろん、ポリドール盤のマルピーは初出のLPのもので、CDになったのはもっと後のことです。このLPは、「MGM」名義ででた公式のサントラ盤だったのでしょうが、CD化にあたって、「ルクス・エテルナ」を、音質上の問題から別の演奏者のものに差し替えています。これはきちんとコメントがありますから、そのほかの曲は映画の中で流れたものと同じものだろうと、普通は思うでしょうね。確かに、それらはエンド・クレジットにある演奏者と同じものになっています。ところが、なぜか、もっとも有名なメインタイトルともいえる「ツァラトゥストラ」については、演奏者のクレジットはないのです。
 その辺の疑問に答えたかに見えるのが、ターナー/ライノ盤です。このCDは、きちんと「映画の中に流れた音楽」と「補助音源」とを分けた構成になっていて、実際に使われた音源がはっきり分かるようになっています。そこでは、「ツァラ」の演奏者は、68年のサントラ盤に収録されていた「ベーム/ベルリン・フィル」ではなく、「カラヤン/ウィーン・フィル」となっています。そして、「MGMのサントラ盤には使われたが、映画では使われなかった」というコメント付きで、「補助音源」として別の録音が収録されています。ですから、それがベーム盤だと思うのが当たり前なのでしょうが、そこにあるクレジットは「ブール/南西ドイツ放響」、これは、リゲティの「アトモスフェール」を演奏しているのと同じ演奏家ですね。そうなってくると、いったい何を信じて良いか分からなくなってきませんか。しかし、この「ブール指揮」は、どう聞いても68年盤サントラの「ベーム指揮」と同じものです。大体、ブールが「ツァラ」を録音したなんて、聞いたこともありません。こんな曖昧な表記を野放しにしておくのは許し難いことなので、ここは厳密に検証してみようと思い、それぞれの元になった音源を入手して、比べてみましたよ。そうしたら、映画に使われていたのは、確かにカラヤン/ウィーン・フィル、59年録音のDECCA盤でした。冒頭レガート気味のトランペットや、いかにもカルショウらしいティンパニの響きなど、間違いありません。一方の「未使用音源」は、やはり最初のサントラ盤の表記通り、58年録音のベームによるDG盤でした。トランペットが出る前のオルガンの一瞬の途切れや、3回目のトランペットの低めの音程などが、明白な特徴です。
 ターナー/ライノ盤の間違いは、これだけではありません。映画のクレジットにもなかったリゲティの「アヴァンチュール」をきちんと取り上げたのまでは良いのですが、それが「リゲティ指揮」ですと。これも手持ちの「マデルナ指揮」のものと聞き比べてみましたが、全く同一の録音でした。
aventure number : 0169 date : 2003/6/2


今日の禁断 スタミナ

 あっチャンから、「今日だけ練習を休ませてください」というメールが届いたとき、私の最後の望みの糸は切れてしまいました。ハチャトゥリアンのフルート協奏曲のソロパートの代吹きを、私がやるしかないことが、そこで決定してしまったのです。今日の練習はハチャトゥリアンの最初の合奏、、うすうす私が吹くことが周知のこととして伝わっていましたから、始まる前はみんなそれとなく声をかけてきます。そんな中で、敬一郎クンが一番嬉しそうに、いかにも私が嫌々吹くのを楽しみにしているかのように、いそいそと立ち回っていました。「指揮者の脇、少し空けておきますよ」とか、譜面台を持ってきて、その、指揮者とコンマスの間にしっかり立てておくとか。出来ることなら、普段吹いているところで目立たないように座って吹こうと思っていたのですが、ここまでお膳立てが整ってしまうと、もうあきらめて前で吹くしかありません。そんな、普段とは違ったものを珍しがるというのは、みんなに共通していることなのでしょう。私が前に立っただけで、いきなり拍手が起こってしまいましたし。見せ物じゃないっつ〜の。
 しかし、こんな多くの人を前にコンチェルトのソロをやるなんて、やはり普通の精神状態では出来ませんね。おまけに会場は例によって冷房なんか入っていませんから、暑いのなんのって。もう、コンディションは最悪、特に息が全く持たなくなってしまって、ブレスは普段の2倍。第1楽章は特にやっかいな箇所がたくさんあるのですが、ことごとく失敗してしまいます。それでも、1楽章が終わったところでまた拍手ですから、とにかく最後まで出来ただけでも良かったのでしょう。2楽章になると、指はそんなに難しくなくなるので、いくらか余裕が出てきましたが、それでも息は持ちませんでしたね。3楽章あたりになって、やっといつものコンディションが戻ってきたでしょうか。ただ、ここは元々難しくてつっかかっていたので、もちろん、完璧にはほど遠い出来。終わるやいなや、楽譜をたたんで、逃げるように席へ戻りましたよ。
 そんなわけで、私的にはさんざんな演奏だったのですが、まわりの人は一様に「お疲れ様」とねぎらってくれたので、まあいいかな、という感じです。「良くあれだけさらいましたね」とまで言ってくれた人がいたのには嬉しくなりましたし。そもそも、このソロを吹く気などは全くなかったのが、定期演奏会の打ち上げの時に「Y江さん、やってくんねえすか?」と言われて、一応他に2、3当てがあったので(それは、ことごとくダメになってしまいましたが)、代吹きの代吹きぐらいの気持ちでさらい始めたものでした。その時は、正直言って、最後まで吹くのが不可能にさえ思えました。自分で吹かなければならないのが現実味を帯びてきた頃から必死になってさらって、やっと、ごまかしごまかし最後まで吹けるようになったということ。考えてみたら、ハチャトゥリアンのフルート協奏曲を、一介のアマチュアがフルオーケストラをバックに演奏できるなどというのは、とてつもなく得難い経験だったのですね。こんな素敵な機会を与えてくれたニューフィルの皆さんに、感謝です。
aventure number : 0170 date : 2003/6/3


今日の禁断 ジンギスカン

 先日のハチャコンのソロに関しては、その後多くの方からメールなどでご感想を寄せて頂きました。その中には、私がこれまでの生涯ではかつて受けたことのない様な好意と賞賛に満ちたものなどがあり、ひたすら恐れ入る次第です。この場をお借りしまして、御礼を申し上げたいと思います。さらに、今まで知らなかったであろうこの曲に対して、かなり良い印象を持って頂けたのは、嬉しいことです。私は長いこと愛聴してきて、自信を持って選曲で推したものでしたが、半ば強引に決めてしまったところが無いわけではなかったので、これから半年近く練習をする人が、「これからが楽しみです」と言ってくれたのは、何よりも心強く感じられます。こんな曲です。どうか、存分に楽しんでください。さらに、念のため付け加えておけば、言うまでもないことですが、本番での瀬尾先生は、音、テクニック、表現力、どれを取ってみても私などとは比べものにならない、全く別の次元の演奏をなさる方です。そういう意味で、私ごときの拙い演奏で、ある程度の魅力を感じられたと言うことは、瀬尾先生だったら間違いなくものすごい感銘(「感動」と言って良いかも知れません)が与えられることが確実に約束されているということになります。そんな手応えを感じることが出来たという意味で、この代吹きは意義のあるものだったのではないでしょうか。
 そんな、すごい演奏は期待できないかも知れませんが、なにかほのぼのとした雰囲気を楽しみたいというのでしたら、格好のコンサートがありますよ。それは、毎年この時期に、北山の名刹「東昌寺」で開催される、「かやの木コンサート」です。境内にある国の天然記念物「マルミガヤ」の前で行われる野外コンサート、実は同じ日に行われる檀家さんの行事のアトラクションとして開催されるものなのですが、もちろん、部外者の方の参加も大歓迎です。去年はなぜかハワイアンバンドが出演しましたが、ほぼ常連状態で出演しているのが、例の「仙台フルートの会」です。そう、0164でのネタになっていた「本番」というのは、今度の日曜日、6月8日の3時から行われる、このコンサートだったのです。あのメンバーですから、もちろんニューフィルのフルートパートからは会員ではない人(ちほさんとか)や、団員でない人(M山さん)、元団員(あのYUMIさん)まで動員して、補強に余念がありません。さらに、低音でチェロやコントラバスが加わりますが、これも全員ニューフィルの団員です。
(昨年のコンサート)
 何しろ、屋外ですから、一番心配なのは当日のお天気、どうか、大雨などが降らないように、祈っていてください。もちろん、お暇があれば、ぜひ足を運んでみてください。あっチャンお気に入りという住職の前説だけでも、十分楽しめるはずですから。
aventure number : 0171 date : 2003/6/5


今日の禁断 般若心経

 「和尚が二人だと、おしょうがツー、おめでたいですね。3人だと和尚サン。」これでやめるのかと思ったら、「和尚が4人だとおしょうしい」まで引っ張るのですから、「かやの木コンサート」の主催者、東昌寺住職のおやぢ度は、私ごときには到底及びもつかないものがあります(最後は、東北地方以外の方には説明が必要でしょう。「おしょうすぃい」というのは、東北弁で「恥ずかしい」ということなのです。)。普段慣れているはずの私でさえ、アンコールの前にこれをやられて一瞬フルートが吹けない状態になってしまったのですから、慣れてない他のメンバーはさぞ大変だってことでしょう。そんな具合に、今年のコンサートは200人近くのお客さんをお迎えして、和やかな雰囲気のうちに終了しました。おそらく、演奏のレベルも、今までやった中では一番高かったのではないでしょうか。暑すぎず、寒すぎず、大風も吹かずと、コンディションも絶好でしたし。一般のお客さんに混じって、例の「か」クンと、ちほさんのご主人も。前回私が振ったのを受けて、「前説だけで楽しめました」ですって。
 しかし、毎度のことながら、この催しに私自身も演奏者として参加する場合は(去年はご存じハワイアン・バンドでしたから、裏方だけで済みました)、もうメチャメチャなスケジュールになってしまいます。まず、職場に着いたのが朝の8時、それから、昨日運び込んでおいたPAのセッティング、重たい「ボーズ」のスピーカーなどを1人で運んで据え付けます。その辺に落ち葉などが散らかっているので、竹箒で掃除などをしていると、そろそろメンバーが集まってきました。あっという間にGPの時間ですね。チェロの裕史クンなどもめかし込んで到着したので、箒を片づけて大急ぎでスーツに着替えて合流したら、その裕史クン、あまり着替えが早かったので びっくりしてましたっけ。
 念入りなGPが終わると、お昼ご飯、「梅田」のお弁当です。みんなで大広間に座って、ワイワイ言いながら食べるのも楽しいもの、しかし、私は、お寺の行事の受付をやるために、ご歓談もそこそこに席を立たなければなりませんでした。案の定、まだ時間前だというのに、すでにお客さんはみえていて、お手伝いの方がおろおろしているところでした。その時点から、私はただ1人その場の流れの全てを掌握している有能な事務員として、催し物に訪れるお客さんの応対を仕切るべく、八面六臂の活躍ぶりを見せたのです。
 3時になれば、本番です。そして、それが終わったあとは、Tシャツに着替えてPAの撤収作業。いったい、私は今日、何通りの役を演じたのでしょうか。
(今年のコンサート)
aventure number : 0172 date : 2003/6/8


今日の禁断 ペアシート

 いつもの時間に練習場に行ったら、なんと、不治の病の床から奇跡的に生還したあっチャンがもう来ているではありませんか。実は、私はもう「かやの木コンサート」の時に会っているので珍しくはないのですが、他の人には久しぶり、何よりも、あっチャン自身が本当に久しぶりのニューフィルでした。その、長いブランクあけの仕事が、「はげ山」のピッコロというのですから、大変ですね。それで、早めに来てさらっていたのでしょうか。今日の練習は前半がその「はげ山」の初めての合わせ、そして、後半がシューマンですから、晴れて私は降り番で早く帰ることが出来ます。
 「はげ山」の指揮は、久しぶりの和紀クン。いきなり普通のテンポで始めましたから、それはすさまじいものがありました。音はバラバラ、リズムはガタガタ、しかし、それでも十分なドライブ感をもって音楽が進んでいくのですから、ニューフィルの底力はたいしたものです。圧巻は、真ん中辺の金管のファンファーレ、ここが聴かせどころと、我が自慢の金管群はフルスロットルで日頃の鬱憤を晴らすかのように吹き上げます。余談ですが、昨日行ってきた「109シネマズ富谷」には、「チャーリーズエンジェル・フルスロットル」のポスターが所狭しと並べてありました。また、キャメロン・ディアスのナイスバディが見れるのですね。しかし、ここは椅子があまりにもお粗末、もっと悪いのはスクリーンの照度不足。こんな欠陥シネコンには、二度と足を運ぶことはないでしょう。あ、「はげ山」でしたね。その和紀クン、最後の「トランクィロ」までインテンポで押し切ったのは、ソロを吹く身にはちょっと辛いものがありました。半分とは行かなくても、もう少しゆっくりやってもらわないと、なんだか落ち着きません。それよりも問題なのは、最後のhigh-Fisの伸ばし。自分でもあれほどヤバイとは思っていませんでしたから、これから少しメンタルなトレーニングをしないといけません。これが半音高いGだったら難なく決められるのですが。なにはともあれ、今日はこれでお役ご免、休憩時間にあった技術委員会が終われば、普段より1時間以上も早く帰ることが出来ます。これで、きのうの「シカゴ」の疲れも、癒せるでしょう。いくら好きな網タイツでも、あれだけしつこいと疲れてしまいます。そして、もっと疲れたのはあの音楽。音楽がつまらなくてもヒットするミュージカルというものは、確かに存在するのですね。
 しまった!早く帰れるのがあんまり嬉しかったので、仕事をひとつやり忘れてしまいましたよ。それは、「素顔の団員」の写真撮影。これで、「かいほうげん」を来週発行するという可能性は、全くなくなりました。実際、今回はネタが少なすぎ。再来週はパート練習なのでもちろんダメですが、その次までには、例えば、来年春の定期の指揮者あたりが決まっているかも知れませんから、それまで待つことにしましょう。
aventure number : 0173 date : 2003/6/10


今日の禁断 ヘップバーン

 「シカゴ」を見に行ったのは、月曜日のことでした。その前の日曜日に、例の「かやの木コンサート」があって、一応「出勤」したものですから、いわば代休みたいに時間が空いていたということです。本当は利府の「メンズデー」でしたから、そっちに行きたかったのですが、時間を調べたら、朝の10時を逃すと、次は午後4時、とても10時になんか間に合わないので、「2時」というのがあった富谷に行ってみることになったのです。ジャスコに行くと、いつも前までは通りますが、中に入ったことはなかったので、いい機会でしたし。しかし、時間と上映シアターを調べて分かったのですが、あれほど前評判が高かったこの映画も、もはや集客は殆ど見込めないという「窓際」シフトになっていたのですね。一番小さなシアターで、1日3回の上映というのは、もはや「敗戦処理」待遇以外の何者でもありません。アメリカであれほどヒットして、アカデミー賞も受賞した作品でも、2ヶ月も経てばこんなものになってしまうのでしょうか。
 そんな、おそらく入場者数も10数人程度のものでしょうから、当然自由席になっているものと思っていました。ところが、チケット売り場(利府に比べたら、格段に不親切な案内表示。上映時間すら分かりません。)に行ったら「指定席になっております。前と後ろとどちらがよろしいでしょうか」と聞かれてしまいましたよ。その訳は、シアターに入ったら分かりました。この109シネマズでは、座席の配置が普通の映画館とは全く異なっていて、ど真ん中には二人並んで座るためのペアシート(これが前回の外題)がドッカーンと並んでいたのです。ここは値段も4000円(つまり、1人2000円)と高く設定されているので、いくら空いていても勝手に座ることが出来ないように、全席指定にしてあったのですね。赤い色のシートで、なんだか下品、普通の椅子もクッションは堅めで、利府のような快適なものではありません。なぜかペアシートに女同士で座っている人もいましたが、予想通り、お客さんは10人ちょっと、そこへ持ってきて恐ろしく暗いスクリーン、とても寂しい思いがしたものです。
 この映画は、ミュージカル。私が最初に見たミュージカル映画が「ウェスト・サイド物語」だったというのは、ある意味不幸なことだったのかも知れません。とりあえず、「マイ・フェア・レディ」あたりは楽しめましたが、「サウンド・オブ・ミュージック」となると、ロバート・ワイズの無能さが露呈され(冒頭、アルプスの俯瞰は前作の二番煎じです)、音楽のつまらなさ(かつて某販促誌に心にもないことを書かされた覚えがありますが、リチャード・ロジャースは筋金入りのイモです)もあいまって、完全に失望させられました。それ以来、数々のミュージカル映画を見てきても、「ウェスト・サイド」と同等に楽しめたのは、「ジーザス・クライスト・スーパースター」ぐらいのもの、他は全くのクズでした。もちろん、期待に違わずこの「シカゴ」も、紛れもないクズでしたね。少なくとも、1920年代風の音楽に普遍性を持たせようというのは、日本では全く不可能なことなのです。もう一つ、戸田奈津子の好き放題デタラメ字幕は、放っておくと大変なことになりますよ。
aventure number : 0174 date : 2003/6/12


今日の禁断 柳生

 菅英三子さんの大ファンである愚妻(やはり、飲み会に行くと言うと良い顔はしません。「帰ってくるな」とまでは言いませんが。)は、NHK仙台の開局75周年記念コンサートの入場整理券を手に入れるために、いったい何枚往復はがきを出したことでしょう。その甲斐あって、当選した旨が印刷してあるはがきは、なんと10枚以上も届いてしまいました。知り合いなどに配りまくっても、きのうの本番の時点で、まだ手元には6枚のはがきが残っていたのです。
 このはがきではそのまま入場することは出来ません。当日は座席を指定した「座席券」と交換して、その指定された席に座るというシステムになっていました。それも、本番が始まるのが6時半だというのに、なんと1時半から交換を始めるというのです。そんな、ちょっと常識では考えられないほど早い時間から始めるということは、きっと、ある程度座席の希望をきいて交換したりするために、時間の余裕を持たせていたのでしょう。と思って、1時過ぎに県民会館の前に行ってみたら、やはり、みんな思いは同じなのでしょう、すでに長蛇の列が出来ていました。とりあえず、私と愚妻ははがきを2枚ずつ持って、少し時間差を付けて並びました。どちらか良い方に座ろうという魂胆です。しかし、定刻より少し前に始まった交換作業は、いともスムーズに進行していきます。どうやら、希望をきくというような猶予は全く与えられないようで、ただ機械的に順番に席を割り振っているみたいです。私がもらったのは、なんと前から3番目、オーケストラを聴くには、もっとも適さないポイントでした。愚妻はもう少し後ろをゲットしていましたが、それでも1階の前のブロック、大差はありません。出来れば2階席、1階でも後ろの方を希望していた私たちが取った作戦は、残った2枚を、開演ギリギリに交換するというものでした。このNHKの配り方を見ていると、お客さんの都合ではなく、あくまで収録の(もちろん、テレビカメラが入っています)都合に合わせて、前から順に客席を埋めてゆくという方針がミエミエだったからです。その考えが間違っていなかったのは、開演30分前にいったら、見事2階のバルコニー席の一番前が取れたことによって証明されました。もっと遅く来た人は、しっかり3階に誘導されていましたし。
 菅さんの歌は、やはり素敵でした。これで、「浜辺の歌」の時にカバサを演奏していた打楽器奏者Mさんのリズム感がもっと良くて(はっきり言って邪魔でした)、PAを通さない生の声が聴ければ(県民会館でのオーケストラ演奏会で、客席用にPAを使うというセンスは全く理解できません)なお良かったのですが、それは叶わぬ望みです。そもそも、この催しをコンサートだと思って聴きにいった時点で、敗因は明らかでした。これはコンサートなどではなく、「公開録音」だったのですから。
 
aventure number : 0175 date : 2003/6/15


今日の禁断 中村紘子

 今朝の朝日新聞(こちらでは夕刊がありませんから、本当はきのうあたりかも知れませんが)に、最近のクラシックCDの話題が載っていました。そのままではなかなか売れないクラシックを売れるようにするためにレコード会社がやっていることは、他のジャンルとの融合、「聴きやすい」ものを作って、大量に売りさばこうというそのやり口が紹介されていました。もちろん、そんな潮流に嘆きを禁じ得ない担当者のコメントを載せることも、忘れてはいません。そして、最後に、そんな方向とは全く逆の、売り上げは全く度外視してきちんとクラシックを扱おうとしている、さるポップス専門の会社のことが触れられていました。ダンス・ミュージックできちんと売り上げが見込めるその会社が、いわば道楽としてクラシックを始めたことを歓迎しているような論調でしたが、しかし、元々レコード会社のクラシック部門というのは、そんなものだったのですよ。クラシックで儲けようなどとは考えず、稼ぎはポップスに任せておいて、ひたすら少ない愛好家のために良心的なアイテムを提供するというのが、この国における正しいメーカーのあり方だったはずなのです。それが、たまたまヒーリング系のコンピ物がヒットしてしまったのに味を占めて、クラシックにまっとうな流通理論を持ち込んでしまったのが、そもそもの間違いでした。確実に売り上げを見込むために、流行を作り上げ、多額の宣伝費を投じてファッショナブルな物を売り込む、そのような商法がクラシックでも通用すると、本気で信じ込んでしまったのですね。確かに、今までクラシックなど見向きもしなかった女性層などの関心をひくことは出来たようですし、それなりのセールスもあげることも出来ているかにみえます。しかし、それははっきり言って、クラシックを聴く人が増えてくることとは全く次元の違う話なのです。「イマージュ」やら「フィール」といった、メーカーが全社を挙げて売り込みに躍起になっているアイテムなど、本気になって聴こうと思っているクラシックファンなど誰もいません。というか、そんな名前すらも知らない人が大部分のはずです。そんな物を、きれいなジャケットと薄っぺらな宣伝コピーにつられて買ってしまうのは、売り手が「ライトユーザー」と決めつけている、音楽の嗜好に関して自己の主体性を全く持っていない人たちだけ、そんな人たちが、そのような手抜きのアルバムを手にしたからといって、クラシックを本当に愛するファンになることなど、全くあり得ないことなのです。
 ワーナーがテルデックやエラートといったレーベルを見限って、クラシックから手を引くという動きを見せたのは、ある意味正しい選択なのかも知れません。企業として、生産性の低い部門を切り捨てるというのは、極めてまっとうなこと、そんな世界とはかけ離れたところでこそ、趣味(あえて「文化」とは言いません)としてのクラシックが成り立っているのですから。もちろん、これはCDに限ったことではなく、コンサートや放送の世界でも同じこと。国民からの上納金で成り立っているNHKが、全てのN響定期を完全放送するという時代は、もはや終わってしまったのです。
aventure number : 0177 date : 2003/6/19


今日の禁断 動く会

 梅雨の晴れ間にしては、あまりにも暑すぎる昨今です。その象徴的なニュースが、「プール開き」。連休の時には「行楽地には人がどっと繰り出し」、お盆が終われば、駅は「ふるさとで過ごした人でごった返す」のと同じように、プール開きの日には「一番乗りをした若者たちは、寒さに震えながら初泳ぎを堪能」するのが、NHKが毎年の行事のために定めた正しいニュース原稿のはずなのですが、今年はプールで泳ぐにはうってつけのお天気、ニュース担当者は、マニュアルにない原稿を書かされるという慣れていない事態に、大いに面食らったことでしょう。
 そのNHKの公開録音に行ってきた話は0175でしましたが、それのON AIRが昨日ありました。時間枠は1時間13分、本番はたっぷり2時間半かかっていましたから、どこをカットしたかというのが、興味の持たれるところでした。もっとも、本番を聴いた時点で、これはまずカットになるなと思った曲がありました。それは、指揮をした外山雄三が作った「交響的縄文」という曲。この番組、なんと言っても仙台放送局の開局記念ですから、演奏された曲は、まず東北ゆかりのドラマのテーマ曲などです。その中で、なんでも三内丸山遺跡を扱った番組があったそうで(もちろん、私は見てはいません)、そのために外山が書き下ろしたものが、この曲なのだそうです。それは、3楽章からなる堂々としたものでした。外山は、出土された石の楽器にインスパイアされたと語っていましたが、そんな縄文時代を象徴するかのような小石を叩く音から始まった曲は、3本のピッコロによる独立した時間帯を持つポリフォニックなパッセージなど、なかなか聴くべきところのありそうなもののように思えました。しかし、その期待は、しばらくして「斉太郎節」(いわゆる「大漁歌い込み」)のメロディーが堂々と鳴り響くというオバカな展開になってくると、「やっぱり」という失望に変わりました。最後の楽章では、山形の「花笠踊り」、別に、民謡を取り入れるなとは言いませんが、外山のやり方はとことん底の浅いもの。そう、あの「ラプソディー」に見られる、まるで何も考えていないかのような「八木節」の応酬と何ら変わるところはないものなのです。余談ですが、これはまず起こりえないことだと信じたいのですが、仮にニューフィルで「ラプソディー」を演奏するなどという屈辱的な事態に陥ったときには、私は決してステージに上がることはないでしょう。もちろん、予想通り、番組でこの曲がカットされていたのは、言うまでもありません。そして、最後に演奏されていた、およそガーシュインらしくないどんくさい「パリのアメリカ人」も、放送はされませんでしたし。
 菅さんの歌の時の邪魔なカバサが、居間にある普通のテレビで見たときには全く聞こえてこなかったので、NHKの音声さんが気を利かしてこのパートだけフェーダーをかけたのかと感心しかけたのですが、私の書斎の高性能AVシステム(ボカシが入らないとか、モザイクをキャンセルできるというすぐれもの・・・ちがうって!)で聴いたら、しっかり入っていましたっけ。これを聴かせてやれば、あの打楽器奏者は、練習の時にあのような横柄な態度をとるのはやめることでしょう。
aventure number : 0178 date : 2003/6/21


今日の禁断 オビ・ワン

 「シカゴ」はつまらなかったけれど、ちょっと前に上映されて、最近テレビで見た「ムーラン・ルージュ」は、とても素晴らしいミュージカル映画でした。ユアン・マクレガーとニコール・キッドマンが共演したラブロマンスという売り方だったので、すっかりひけてしまって見に行く気にもならなかったものなのですが、これが実際に見てみたら例によって予告編のイメージとは全く異なる面白さで、すっかり魅了されてしまいましたよ。つまり、前評判が高くても見に行ってがっかりした「シカゴ」とは正反対のパターンだったというわけ。
 監督はバズ・ラーマン、例の、ディカプリオやクレア・デーンズを使って、シェークスピアの原作を現代に舞台を移したという「ロミオ+ジュリエット」を作った人ですね。あれもかなりぶっ飛んだものでしたが、こちらの方はもう完全にキレまくっています。「ロミオ・・・」にも出ていたジョン・レグイザモが歌う、ナット・キング・コールのヒット曲「ネイチャー・ボーイ」で物語が始まるという仕掛けになっていますが、このミュージカルは、そのように新たに曲を作ったのではなく(少しはありますが)、昔からのヒット曲をそのまま、あるいは、メドレーにして使っているのです。エルトン・ジョン、ポール・マッカートニーから、ドリー・パートン、リチャード・ロジャースといった、古今のありとあらゆる「ラブソング」が、何の脈絡もなく押し寄せてくるのを聴くだけで、もう頭の中は爽快なパニック状態に陥ってしまいます。中でも、「サウンド・オブ・ミュージック」の使い方は秀逸、いかにも大時代的な扱いは、もしかしたらラーマンもこの作曲家の無能ぶりを私同様見抜いているのではないかと思わせられるほどです。ストーリーはラーマンのオリジナルなのでしょうが、「ラ・ボエーム」と「椿姫」という、有名な王道メロドラマ・オペラを下敷きにしているのは明らか、何しろ、「ボエーム」はラーマン自身ミュージカルとして上演もしていますし、主人公の「結核病みの高級娼婦」という設定は「椿姫」そのものですしね。余談ですが(最近使いすぎ。このフレーズが、末廣さんの原稿からの引用だと気づいていた人は、どのぐらいいたことでしょう)この「高級娼婦」という、共存し得ない二つの概念を融合させた言葉の力強さはどうでしょう。その、有無を言わせぬ説得力は、まるで「正しい戦争」や「売れるクラシック」のように、この世に存在しないものが実在するかのような見事な錯覚を与えてくれています。
 そんな音楽やストーリーのユニークさも、この映画の視覚的な力の前には、やや色あせてみえます。そう、この映画で何よりも惹きつけられるのは、CGなどを駆使したその息もつかせぬカメラワークとカット割りなのです。アニメの街の遠景から、部屋の中の実写までワンカットでズームインするときの驚くべきスピード感。音楽に合わせてめくるめく去往する細かいカット。それらの全てが、とてつもないエネルギーを持って、「表現」として見るものに迫ってくるのです。
aventure number : 0179 date : 2003/6/22



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