0121(03/2/27)-0140(03/4/6)

今日の禁断 ナウモフ

 最近、迷惑メールが増えて、困っています。別に実害はないのですが、毎日毎日何十通と届く何の役にも立たないメールをいちいち削除するのも、いい加減煩わしくなってきました。私の場合、サイトでアドレスを公開していますから、全くの無防備状態、まるで花柄のパンツ一枚で外を歩いているようなものです。そこで、遅きに失したきらいはあるのですが、私が作っているサイトから、全てのメールのリンク(mail to)をはずすという作業を、きのうと今日にわたってやってみたのですよ。まさか、こんな事態は想定していませんでしたから、最初の頃は全てのページに親切のつもりできちんとmail toを付けていましたから、それを外すのは、予想通り大変なことでした。なにしろ、600以上のページをすべてチェックするのですからね。だから、もしかしたらまだ外し忘れているものもあるかもしれませんので、見つけた方はご一報下さい。何か記念品をお送りしますよ。もちろん、連絡用のツールは必要なので、メールではなくフォームデコード、つまり「アンケート」は残しました。これだと、アドレスを公開しなくても私のところにはメールが届きますから、大丈夫・・・なはずですが。
 そんな、おびただしい迷惑メールに混じって、瀬尾さんからのメールが届きました。これを削除してしまっては大変です。じつは、先月仙台でリサイタルをやった直後にこちらから出したメールに、いつまで経っても返事をくれないので、ちょっと心配になっていた矢先ですので、これは待ちに待っていたメールでした。というのも、あの時にも書きましたが、コンサートの前の日にせっかく焼肉パーティーの案内を頂いていながら、練習があるというので、そのお誘いをむげに断ってしまったので、そのことを根に持って、もう私などには連絡はよこさないことにしたと思っていましたから。「ヒレカツ」も、ちょっとおちょくっているようなところもありましたし。しかし、それは杞憂に過ぎませんでした。なんでもパソコンがぶっ壊れて、その修復に時間かかかっていたというのです。そのメールの中で、瀬尾さんは素晴らしいお知らせをしてくれました。なんでも、テレビの30分番組に出演されるというのです。それは、東京だと6チャンネル(TBS)で、毎週月曜の深夜12時50分からの「ジョン万次郎」という、島田紳助がナビゲーターを務めるドキュメンタリー番組。「海外で夢を食って生きている日本人の活躍を紹介する」ものだそうで、瀬尾さんが出番の分は3月17日にオンエアになるそうです。タイトルは「パリでフルート」、そのまんまですね。これは、仙台にもきちんとネットされていますが、曜日が変わって水曜日(時間は同じ)、早ければ3月19日ですが、2、3週遅れることもあるので、26日、4月2日も要チェックですね。もちろん、1チャンネル(東北放送)です。
 メールの用件はもう一つあって、先日チラシを配ったフェランディスのコンサートが今日あるので、それの確認。瀬尾さんは、このフェランディスとは去年日本でも共演していますから、仙台の様子が気になるのでしょう。確かに、お客さんの入りは悲惨でしたが、演奏はなかなか楽しめました。その模様は、おそらくヒレカツ先生が熟達の筆致で描写してくれることでしょう。
aventure number : 0121 date : 2003/2/27


今日の禁断 読書三到

 末廣合奏の2回目は、2日連続、さるやんごとなきお方にちなんだ名前で一躍有名になった、仙山線の愛子駅のそばにある広瀬文化センターが会場です。ここは、ニューフィルが使うのは初めて、少し早めに着いたら、まだ楽器も届いてなくて、ステージの反響版をセットしているところでした。中ホールといった感じのところ、ステージも結構広いのですが、両脇の反響版をつけてしまうとちょっとオーケストラには狭くなってしまうので、上と後だけにセット、それでも、実際に椅子を並べてみたら、ステージはいっぱいになってしまいました。
 最近、私は自分の音にかなり自信が持てるようになってきました。最も豊かな音が出るポイントがやっと見つかったのですが、そこをもっと追求すると、さらに良い音が出そうな感じだったので、もっぱらそのポイントの絞込みが、このところの課題だったのです。ただ、今日はなんだか調子が良くありません特に、C#のオクターブが、なんか滑らかにいかないのです。上がった高音のC#も、なぜか余裕のない響き、ちょっと不安です。まず全曲の通しから始まった合奏ですが、どうも音程が決まりません。しかも、今までは何の問題もなかった、1楽章最後のソロも、伸ばしのC#が、オクターブ上がり切らない無残な音になってしまったのです。それからは、ひどいものでした。完全に口が固まってしまって、高音は全く出ません。ですから、3楽章のソロなどは、まるでフルートを習い始めて3ヶ月の初心者のような、情けないものでした。マーラーの5番のフルートが、トゥッティがほとんどであまりソロが出てこないことを、これほどありがたく思ったこともありません。
 通しが終わったところで休憩です。ロビーに出ていっても、なんだか皆が私のことをバカにしているように思えてきます。「あの人、ほんとはヘタだったのね。」。「愛人ばっかりかわいがってるから、バチがあたったのよ」。・・・実力が勝負のこの世界、何を言われても、私には返す言葉はありません。いくら音出しをしてみても、もはや自分の口ではないような感じは、そのままでした。しかし、次の合奏が始まった時、ダメモトで、全く反対のポイントを使って吹いてみました。なんと、そこには、きのうまでの伸び伸びした音があったではありませんか。そんなものなのですね。良い傾向だと思っていたポイントが、いつのまにか行き過ぎてしまっていたことに、気づかなかったのです。ちょっと修正してやれば、なんなく正しいところへ戻ることが出来たのですね。これで大丈夫です。それからの合奏では、末廣さんの小気味良い練習を、存分に楽しむことが出来ました。
 
aventure number : 0122 date : 2003/3/1


今日の禁断 単身不妊

 朝はすごい風でした。夕方のニュースでは、どこかの家屋が倒壊した時の現場にいた人が、「風のふー・・・風速が」と言っていたのが印象的でした。恐らく彼は、生涯でただ一度の全国放送のコメントという機会に舞い上がってしまい、つい「風の風速」という、使ってはいけない言葉を発しそうになったのですが、かろうじてそれに気づいた理性が、「風速」というのをためらわせて、しばしの間の「ふー・・・」(結構長かった)となったのでしょう。
 広瀬文化センターでの合奏2日目の予定は、10時からまず弦だけで4楽章ということでした。だから、管楽器の人は11時までに集まれば良かったので、風の中でも余裕の出発です。日曜日ということもあって、道路も空いていて、会場に着いた時は、「アダージェット」の真っ最中でした。末廣さんの指揮のもと、弦の人たちは、とても緻密な音楽を作り上げることに、全力を尽くしているようでした。ホールの椅子に座って見ていると、プルトの後ろの人までが、しっかり末廣さんの棒を見て、真剣に弾いているのがよく分かります。出てきた音も、末廣さんの指示に確実に反応して、どんどん変わっていきます。なんだか、朝からとても気持ちの良いものを聴かせてもらったような感じがしてしまいましたよ。(こんなことを書くと「Y江さんが聖人君子のように思えました」と、某編集長に言われそう)
 われわれの出番は5楽章から。例によって1回通したあと、面倒くさいところを取り出して細かくさらっていきます。かなり根気良く、「末廣さんって、こんなに手をかけてたっけ?」と思ってしまうほど、丁寧な指導です。ただ、今回はトゥッティが主体、ソロに関しては、この間必要なことは言ってしまったので、そんなに捕まったりはしてませんでした。お陰で、1番フルートのソロが出てくる難所も、私としては不本意な出来だったのですが繰り返してやらされることはありませんでした。一人できちんとやっておけ、ということなのでしょう。3楽章も、やはり私のソロは1回通しただけ、助かったという気持ちと同時に、ほんとにこれでいいのかなという不安もわいてきます。しかし、今回の末廣さんは、時折「とても悪くないですよ」などと、彼にしてはほとんど手放しに近い誉め方をしたりしています。あの、チャイコフスキーや「巨人」での末廣さんを知っている私たちとしては、まさに「聖人君子」のように見えてしまって、しょうがないのですが。
 3楽章をやっている時に、客席に、帽子を目深にかぶった不審な男が、忍び込むようにそっと入ってきました。その男は、そのまま椅子に座って演奏を聴いています。団員の誰かが借金でもしていて、その取立てにでもやって来たのでしょうか。なんか目障りですね。休憩になっても、その男は座ったまま、でも、なんだかヴィオラの人たちがそばに行って話をしているみたいですね。あっ、もしかしたら。そう、その不審な男は、あの1号様だったのですね。「帽子」というものが、これほど人の印象を変えてしまう物だったとは。そうなれば、私もそばに行ってご挨拶、久しぶりのご対面に、愛人の目はかすかに潤んでいるようでした。
aventure number : 0123 date : 2003/3/2


今日の禁断 アルバム
 3月になったというのに、「寒の戻り」とか言うやつで、季節は一気に真冬並み。お昼過ぎには、まるで吹雪のように、本気になって雪が降っていましたよ。お陰で、練習場の駐車場も、地面はツルツルに凍り付いています。例によって腹ごしらえと、セブンイレブンでおでんを買って外に出てみたら、お店の前がやはり凍っていますので、転んで笑われたりしないように、気をつけて歩きます。と、私のあとから出てきた網タイツにミニスカートのおねえさんが、ものの見事に、足を滑らせてひっくり返っていましたっけ。見事な太ももが、惜しげもなく露出されて、なかなかの見物でしたが、ちょっとかわいそう。・・・すみません。また作ってしまいました。転んだのは、むさいおやぢ、でも、やっぱりかわいそう。
 今日の練習はリュッケルトからですから、私は降り番、いつもより少し遅く着いてみました。日曜日に末廣さんとやった時はあっチャンが休みだったので代吹きをやってましたが、今日は大丈夫でしょう。このおでんも、休んでいる間に食べようと思って買ったものですから。行ってみると、もう椅子並べが終わっていて、ちほさんも来ていますが、あっチャンの姿はありません。せっかくゆっくりしようと思っていたのに、また代吹きをしなければいけないのかな、と思っていたら、ギリギリであっちゃん登場。良かったですね。今日の午前中に届いたばかりの「Magi」も、ゆっくり配ることにしましょう。今月は、ジャズ/ワールドのページの頭に、広告と見開きの2ページで私の原稿が載っています。もちろん、これは全く専門外のアイテム。乗せられて書いたのはいいのですが、やはりちょっと恥ずかしい出来でした。
 1時間ほどでリュッケルトは終わり、後半は交響曲の1、2楽章。おとといまでの末廣合奏の成果は見事なものがあり、なかなか高次元の音楽が出来ていたのは、うれしいことです。もっとも、おとといやったばかりのものが、簡単に忘れられていては困ったものなのですが。しかし、いままでは、もしかしたらそんな事を繰り返していたのが私たちだったのかもしれません。指揮者練習でやった事をきちんと忘れないでいられるようになったという事実こそが、末廣さんに「誉めてるんだから、喜んでくださいよ」と言わせた原動力だと、これからも信じていていいのでしょうか。
 ところで、指揮者練習があった広瀬文化センターには、図書館が併設されていて、他の図書館と同じカードで本を借りる事が出来るようになっています。そこで、最近ちょっと欲しかった資料を探してみたら、見事に見つかったので、喜んで借りてしまいました。それにあった写真を使って、ついきのう作ったばかりなのが、このコンテンツです。じつは、この話は、先日「グラミー賞」の中継があったとき、ゲストのピーター・バラカンがしゃべっていた事なのです。まさに、目から鱗が落ちる思いだったので、まだ知らない人のために私なりの構成で仕上げたものです。今日になって、画像を2枚付け加えました。ぜひ、覗いてみてください。
aventure number : 0124 date : 2003/3/4


今日の禁断 六月の歌声

 この次の末廣さんの練習は若林文化センターでしたよね。その下見というわけではないのですが、愚妻に誘われて、女声合唱の演奏会があるというので、行ってみました。仙台の合唱団と、辻正行という人が指揮している「クロスロード・アカデミー・コア」という東京の合唱団のジョイント・コンサートです。この辻さんという方はその世界では大変有名な人で、一度は聴いてみたいと思っていました。自分が作った合唱団がいくつかあるのですが、その全てに「クロスロード」という枕詞がついているそうです。あとで気がついたのですが、これは「交差した道」ですから、自分の苗字そのものになるのですよね。
 「ジョイント」ということで、最初は仙台の合唱団。無伴奏でバードのモテットです。見ると、「女声合唱」なのに、アルトのパートには「男声」が一人いるではありませんか。イギリスあたりの「混声」合唱団で、アルトパートに男性がいるのを見たことはありますが、女声合唱に男性が参加しているのは初めてです。もちろん、最近では「男声アルト」の進出は目覚しいものがありますから、音楽的には何の問題もないはずです。ただ、アマチュアの団体としての活動で、女性ばかりの中に男が一人というのは、ちょっと抵抗があるでしょうね。演奏はというと、ちょっとソプラノが弱く、というか、発声がこの時代の曲にあまりふさわしくなくて、ちょっと楽しめませんでした。何よりも、ハーモニーの荒さが気になります。純正調でハモらせようとする意識が全く見られないのにはがっかりさせられます。
 次のステージは「クロスロード」が加わった合同演奏。曲は仙台の合唱団の指揮者の作品ですが、まるで見違えるように声が前に出てきます。男声アルトは3人に増えました。「クロスロード」のほうはほとんどプロのような活動をしているそうですから、響きの補強という点では、男声を加えるこということには抵抗はないのでしょう。指揮の辻さんは、とても柔軟性のある活き活きとした指揮ぶりで、ちょっと陳腐な曲から、素晴らしく生命力にあふれた音楽を引き出していました。合同でこれだけのものを聴かせるのですから、3ステージ目の「クロスロード」だけの演奏では、予想通り仙台の合唱団とは比較にならない充実したものを聴くことが出来ました。高嶋みどりという人が作った、童謡の断片を対位法的に組み合わせるという難しそうな曲ですが、いとも楽しげに歌っていましたし。久しぶりに、良い女声合唱を聴いたと言う感じです。ピアノ伴奏をした人が、また素晴らしくて、完全に合唱の中に溶けこんでいるにもかかわらず、しっかり歌うべきところでは歌っているという、いままで仙台では聴いたことのない、ちょっと次元の違う伴奏を聴かせてくれました。最後がやはり合同演奏、伴奏もこの人です。2ステージと同じ、仙台の人の作品ですが、さっき弾いた仙台の伴奏者とは全く違っていました。さっきの人は、正直あまり音楽的でない伴奏をそのまま、だから、かなり無神経に弾いていましたが、この人は、同じつまらない伴奏から、遥かに魅力的なものを引き出していたのです。
aventure number : 0125 date : 2003/3/8


今日の禁断 ジュード・ロウ

 テレビで「マラ5」やってましたね。放送されたのは金曜日の深夜でしたが、ビデオに撮ってあったものを、やっと見ることができました。例の、サイモン・ラトルがベルリン・フィルの音楽監督に正式に就任した記念コンサート、ライブ録音がCDにもなっているやつですね。収録直後にハイビジョンで放送されて、そんなハイテクを持っていない私としては悔しくてしょうがなかったのですが(「か」くんは見れたことでしょう)、やっと普通よりちょっとハイテクなテレビでも見ることができたということです。演奏の印象は、CDで聴いていたのと変わりませんが、画像で見ると、ベルリン・フィルの、特に弦の人たちの積極的な「動き」というのは、すごいですね。「あれは、テレビ向けのアクションだ」とかいう人もありますが、確実に「動き」が「音」になって出てきているのですから、単なるアクションではあり得ないことでしょう。それから、この演奏の「目玉」ともいうべき、第3楽章でのソロ・ホルンの扱いは、やはりかなりのインパクトがありました。録音でも、オケの中で吹いているのとは全く違ったその特異な音場はうかがい知ることができましたが、画像で見るとこの楽章がホルンソロのためにあるというのが実によくわかります。このパートを吹いたシュテファン・ドールの音の柔らかなこと。ここはぜひ、ニューフィルでも、「ピンクのスポット」はいいですから、昭雄サンを前で吹かせてみたいですね。この時間に放送していたのは、この他にマーラーの8番とラトルのベルリン・フィル就任のドキュメンタリー、これから見るのが楽しみです。
 もう一つ、きのう見たのは「A.I.」。一昨年の夏に鳴り物入りで公開されたものの、評判の方は今ひとつだったというスピルバーグの映画です。でも、なかなかおもしろいじゃないですか。だれるところの全くない運びで、話はどんどん進んでいきますよ。「後半が拍子抜け」みたいな話を何人かの人から聞いたこともすっかり忘れて、もう最後まで、息つく暇もなく見てしまいました。私の場合、結構自分勝手な見方をしていて、最終的に頼りにするのは「退屈したかしないか」ということ、ちょっとでも退屈だと、欠点はどんどん増長されていきますが、この映画のように退屈さえしなければ、数々の不可解な部分も笑って許せてしまいます。確かに、後半は想像を絶する展開、というか、はっきり言って「無理だろう」というプロット。しかし、そこに不自然さを感じさせないのが、この映画の持つ力です。結局「ロボットが人間になる」という、現代版「ピノキオ」を具現化させるためには、「2000年」という時間が必要だったのでしょう。それでもなおかつウィリアム・ハートは何だったのか、という疑問は残りますが。
 実は、この文章は「ATOK16」を使って書いています。今まで使っていた「MS−IME」がバカだというのはうすうす感づいてはいましたが、まさかこれほどだったとは。これでこそ、まともな「文房具」です。あんな欠陥品をずっと使っていたかと思うと、残念でなりません。
aventure number : 0126 date : 2003/3/10


今日の禁断 ハチャコン

 たまにはリンク先のサイトでも覗いてみようと、リンクのページをあちこち眺めていたら、瀬尾さんのホームページが少し変わっているのに気がつきました。このサイトは瀬尾さんのお友達が運営しているのですが、「瀬尾さんのwebsiteができました」というコメントで、リンクが張ってあります。そういえば、だいぶ前にご自分のドメインを取得して、いずれはそちらにサイトを移したいようなことを言ってましたっけ。やっとその構想が実現したのですね。それで、早速そのサイトを見に行ったら、日仏英の3カ国語に対応しているという、さすがのインターナショナルぶり、やはりすごいですね。ただ、サイトを作り込むにはなかなか時間がないのでしょうか、あちらこちらで未完成のコンテンツがあるのは、やむを得ないことでしょう。しかし、コンサートの予定はしっかりアップされています。オペラシティの自主企画とか、いよいよメジャーの仲間入りを感じさせるようなラインナップです。と、しげしげとその予定表を見渡してみると、ニューフィルの秋の定期の本番の日が空いていることに気がつきました。そういえば、この定期の曲目はまだ決まってなくて、近々その件で技術委員会が開かれるはず、そこで、ダメモトという感じで「ニューフィルでコンチェルトをやりませんか」と聞いてみたのです。そしたら、なんと「日程は問題ないので、共演できたら嬉しいです」という返事が来てしまいましたよ。
 この前のリサイタルでも感じたのですが、瀬尾さんはもはや世界を照準に定めて着々と足場を築き始めています。もちろん、演奏の水準はまさに世界的なレベル、近いうちには、間違いなく世界中から引っ張りだこのフルーティストになることでしょう。そんな人が、アマオケと演奏するのを楽しみにしているというのです。こんな機会を逃したら、もはや二度と共演などできっこありません。私は、なんとしても、秋の定期での瀬尾さんとの共演を実現させようと、そのとき決心したのです。
 きのうが、その技術委員会の日でした。それまでの私の準備に怠りはありません。前もって各パートの希望曲を技術委員長に送ることになっていたのですが、そこにはもちろんフルート協奏曲を記入、瀬尾さんの予定がきちんと空いていることを併記することも忘れません。さらに、候補曲の演奏時間と楽器編成まで。じつは、本当は、完璧を期してもう少しやっておきたいことがありました。それは、愛人への根回し。しかし、それはちょっとためらわれます。何しろ、今や愛人軍団の勢力たるや、各パートに根を下ろした絶大なものになってしまっていますから、ちょっと指令を出しただけで私の希望は難なくかなってしまうのは明白です。私には、そこまでして我を通す気は毛頭ありません。誰しも納得させられる方法をとるのが、なんといっても王道でしょうから。
 技術委員会での私のプレゼンが真に説得力を持っていたのは、終わった後に誰一人として口を差し挟まず、感動的な静寂が会場を支配したことでもわかります(単に、いつも茶々を挟む人がたまたま欠席しただけだったということですが)。多くの対立候補を押さえて、晴れて瀬尾さんは秋の定期のソリストに決定したのです。
aventure number : 0127 date : 2003/3/12


今日の禁断 愛媛県蜜柑工業

 0126でATOKに乗り換えたと書きましたが、あれから使い込むにつれてその能力の高さには驚かされてばかり。これは、とりもなおさず今まで使っていたMS-IMEがいかに不完全なものだったかということになるわけです。一度使った言葉ぐらい、きちんと覚えておきなさいってば。なにしろ「はちゃと」と打ち込んだ時点で、自動的に「ハチャトゥリアン」が出てきてくれるのですから、これは重宝しますよ。あ、別に「ハチャトゥリアン」に深い意味はありませんが。
 そのATOKとか、ワープロソフトの「一太郎」などを作っている「ジャストシステム」という会社が、実は徳島にあるということは、ごく最近知りました。宮城県の「笹かまぼこ」と同様、「一太郎」は徳島県の地場産業だったのですね。デパートの7階ホールで半年に一回やっている「全国の銘品展」かなんかで、「阿波踊りまんじゅう」と一緒に徳島県のブースに並んでいるのが「ATOK」だったなんて。そういえば、この名称、「Advanced Technology Of Kana-kanji transfer」の略語だなどと言っていますが、絶対違うと思います。これは、きっと「阿波」の「A」と「徳島」の「TOK」をつなげたものなのですよ。あるいは、ジャストシステムの昔の屋号が「永徳産業」だったとかね。
 今でこそ、本四架橋や、そして何よりもインターネットのおかげで、徳島にあっても何の支障もなく販売や営業活動ができるようになっていますが、かつてはこの徳島も含めた「四国」と言えば、そう簡単に行き来できるようなところではありませんでした。なぜそんなことを知っているかというと、何を隠そう、私の父親の実家が同じ四国の愛媛県にある八幡浜市だったからなのです。だから、小さい頃にはものすごく大変な思いをして八幡浜まで行った思い出があります。当時本州と四国を結ぶものといったら、「宇高連絡船」しかありませんでした。おぼろげな記憶しかないのですが、「汽車」が山口県の宇部駅に着くと、連絡船に乗るために乗客が一斉に走り出すのです。母親に手を引かれて走る様は、はたから見たらまるで最近映画で見た強制収容所に送り込まれるユダヤ人のようだったことでしょう。そういえば、我先に船に乗り込もうとする人の群れに押されて、確かに、もう少しで海に落ちてしまうことがあったことを、今思い出しました。無事船に乗っても、瀬戸内海を渡るだけでもかなりの時間がかかったので船の中の大広間のようなところででごろ寝をしてたような気がします。
 そんな過酷な旅でしたが、一つだけ楽しみなことがありました。それは、連絡船の甲板で食べられる「讃岐うどん」。刻んだあぶらげとかまぼこがトッピングされているだけのシンプルなものですが、だしの味が格別でした。それは、おそらく、私の中の四国人としてのDNAに直接訴えかけるものだったのでしょう。その味は、今でも鮮明に思い出すことができるほどです。最近はやりの「讃岐うどん」のお店では、麺に醤油をかけて食べるのがはやっているとか。だしのない讃岐うどんなど、私にとっては何の意味もありません。
aventure number : 0128 date : 2003/3/14


今日の禁断 モイーズ

 1号様が郡山に転勤になったということで、正式に「退団届」も掲載され、ニューフィル内は火の消えたような寂しさに覆われています。その思いは1号様も同じと見えて、折に触れて届く便りは哀惜の情に満ち満ちたものでした。先日も、チケットプレゼント(まだやってますよ。お早めにお申し込みください。)が解禁された直後、文面に「びよびよ」としか書かれていないメールが届いたりしました。私と1号様の間柄です、こんな、幼児語のようなメッセージでも、十分その気持ちは伝わってきます。これは、翻訳すると「ニューフィルの定期演奏会のチケットプレゼントの告知を見たのですが、どうか私にも1枚送ってください。ついでで結構ですが、"Magi"の最新号も、送って頂ければ幸いです。」という意味なのです。早速、それらのものに加えて、定期演奏会の2週間前に開催される「仙台フルートフェスティバル」のチケットも同封して、郡山の住所はわからないので仙台の留守宅の方へ送ってあげました。
 おとといになって、ご自宅に帰ってきた1号様は、私からの荷物を手にしたのでしょう、携帯メールが届きました。タイトルは「似てる、似てる」。先ほどのメールよりは、意味が誰にでもわかるものになっていますね。なぜこのように言ってきたかというと、フルートフェスティバルのチケットと一緒に送ったチラシの中に、「ちょっと似てません?」と書き込みをしておいたからなのです。それは、このフェスティバルでミニリサイタルを行う在仙のフルーティスト、W松さんの写真。このチラシを一目見たときから、この方の写真が1号様に瓜二つだということは気がついていました。ただ、それは私の勝手な思いこみ、果たしてご本人がそう思うかどうかは、私には計り知れないことだったのです。しかし、「おでこ、眉毛、目、鼻、鼻の下、口元、肩幅・・・演奏が下手だったりしたら、そっくり」というこのメールを読むと、本人でもすっかり気に入ってしまったのがよくわかります。いかに気に入ったかは、その直後にご自分の日記にわざわざチラシをスキャンしてアップしていたことからも窺い知ることができるでしょう。これが、その画像です。
 ご本人を見たことがない人のために、1号様の写真も載せてみました。もちろん↑こちらがご本人。早速掲示板に、「ぜひ、本物を見に行かねばの娘。」と書き込みましたよ。
 ちなみに、このフルートフェスティバル、本番は4月13日の日曜日です。メインはベートーヴェンの「運命」そして、W松さんのミニリサイタルでは、フランスの珍しい曲が演奏されます。去年は、1号様だけではなく、多くの愛人の方に来て頂いて、大変盛り上がったように記憶しております。今年も、ぜひいらしてください。あ、もちろん、愛人以外の方でも大歓迎ですよ。
aventure number : 0129 date : 2003/3/16


今日の禁断 日本酒ゼリー

 職場のコピー機は、何度この欄に登場したことでしょう。「かいほうげん」の印刷にも使っていますから、おなじみのものでしょう。もちろん、常に何か異常を発生させているという、あまり嬉しくないことでおなじみになっているはずですが。今日もそうでした。練習に持って行くために、新しい日程表と、「5×6」の印刷を今日中にやらなければならなかったのですが、相変わらず調子が良くありません。連続して印刷していると、すぐ紙が詰まってしまうのです。そのたびに紙を取り出して、またしばらくいいと思っていると、いきなり紙詰まり。これはとても我慢できませんので、サービスを呼ぶことにしました。
 サービスマンがくるのを待っていると、宅急便で大きな荷物が届きました。これは、通販で一月ぐらい前に注文したCD棚です。増え続けるCDを何とかきれいに収納しようと、今までピアノが置いてあったスペースを空にして、そこに置くために買ったものです。もちろん組み立てをしなければなりません。何しろ1600枚収容ですから、かなりの大きさ、部屋の荷物を外に出して、組み立てを始めます。ちょうどそのころ、サービスマンも到着したので、コピー機の点検はそちらに任せて、私はひたすら組み立てに専念します。しかし、この棚は、組み立てがかなり大変。相当力を入れてねじを回さないと、きちんと仕上がりません。部品にも少し壊れかけたものがあって、それを修理しつつの作業です。全部の棚をネジ止めし終わって、補強の金具を取り付けようとしたら、棚の間隔が狭くてドライバーが入らないことがわかって、せっかく付けた棚板をわざわざ外してネジを止めたりと、もう大汗をかいてしまいましたよ。そんな頃には、コピー機の点検も終了、やはり部品を交換しなければだめだそうです。今まで何度部品を交換したことか、次に買い換えるときは、もう○コーはやめましょう。
 と、練習が始まる前に体力と気力を使い果たしてしまった私は、しかし、大事な使命があるので、いくら疲れていても休むわけにはいきません。その使命とは、ホワイトデーのお返し。予定していたマカロンは「入荷してません」と言うことで、あえなく放棄、結局、去年と同じ、「ル・グレン」の詰め合わせとなるのでした。今年のお返しは3人、人数こそ去年と同じですが、去年とは全く違う人というのがミソ。このことから、私に対するバレンタインデーのプレゼントがいかに広い層からのものであるかがうかがい知れることでしょう。
 ただ、疲労は確実に蓄積されていたと見えて、楽器倉庫から譜面代の乗った台車を運んできたら、ドアの前でいきなり足がつってしまいました。そのまま椅子に座り込んで足を引っ張っていると、ちょうどあっチャンやちほさんやってきて、「大丈夫ですか?」と心配してくれます。原稿はメールで送ってくれればいいのに、わざわざ手書きで持ってきた29号もそんな一人、その献身的なマッサージで、すっかり足の調子は良くなったので、タイピングの手間は許すことにしましょう。
aventure number : 0130 date : 2003/3/18


今日の禁断 ジオラマ

 おととい届いたCD棚にCDを入れてみました。写真を撮ったので、見てください。もちろん、これが全部ではなく、この部屋にはあと1000枚ぐらい入る棚が別にあります。今までは、そこにレーベルごとに並べていたのですが、とうとう入り切らなくなってしまったので、この棚を買ったというわけです。ここには、使いやすいように私のよく使うものを、系統立てておいてみました。バッハのカンタータで1段、モーツァルトのオペラで1段という具合。そんな中で、一番上の段は、「Magi」編集部からのサンプルと、「貢ぎ物」です。原稿料があまりに安いということを常々気にしている編集長は、折に触れてCDの現物支給という形で、プレゼントをしてくれるのです。ジャケットが見えているものは、前にも書いたバレンタインデーのプレゼント。もう少しはっきり見たいときには、このジャケットをクリックしてもらえば、もっと大きな画像を見ることができますよ。そうなのです。今日の「禁断」は、「イメージマップ」という、未だかつてこのサイトでは使ったことのないテクニックのお披露目という、画期的な意味を持っているのです。正面を向けているジャケットのあたりをクリックすると、拡大した画像が出てきますので、お楽しみになってください。
BOND JURASSIC 仙台ニューフィル PDQバッハ シンガーズ・アンリミテッド トゥーランガリラ交響曲 ジンマン リゲティ スクロヴァ モツレク ゴールウェイ デュリュフレ ブーレーズ ビートルズ
 ご覧のように、この新しい棚はまだがらがらです。しかし、おそらくこの中が隙間なく埋まるまでには、そんなに時間はかからないことでしょう。ただ、買うだけかって、ついぞ聴くことのないものがだんだん増えてきているのは、ちょっと気になります。一番下の段のブリリアントのカンタータ全集など、封さえも切らないで並べてあるだけ。一番上の、ショルティのワーグナーも、全部聴き終わるのはいったいいつのことになるのでしょう。
aventure number : 0131 date : 2003/3/20


今日の禁断 パスタ

 お彼岸の真っ最中、私の職場では、この時期にはたくさんの人が集まります。そして、なぜかたくさんの量のゴミを残していくのです。最近は多くの観光地では、ゴミは持ち帰るのが原則になっていて、屑籠などは設置していないところが多いのですが、私の職場の場合はそうはいきません。ピーク時には瞬時に屑籠がいっぱいになってしまって、ゴミが入りきらないようになるので、定期的に1カ所に集めて焼却するのが、この時期の私の重大な仕事になるのです。
 すっかり暖かくなった午前中はそんな肉体労働に汗を流し、午後からは芸術的で文化的な作業に従事するというのが、今日の私の生活、この大きな落差は、クセになります。というわけで、定期演奏会を1ヶ月後に控えての末廣合奏です。今回のメニューには、分奏が入っていて今日は弦、明日は管・打という布陣、ですから、今日のところは、会場の若林文化センターには4時までに行けばよいということになっていました。少し早めの3時頃に着いたので、ホールに入ろうとドアを開けたら、ちょうど「アダージェット」が終わろうとしていたところ、最後のモレンドのフェルマータが終わるまで、ちょっと入っていくのは憚られるような、緊張した雰囲気がありました。それから休憩もとらないで、さらに1時間ほど弦分奏が続いたのでしょう、ご苦労様でした。明日は、管がこれをやるのですから、ちょっと辛いでしょうね。「続いたのでしょう」と書いたのは、そのあとはロビーであっチャンとしゃべったり、同じ建物の中にある図書館に行って本を読んだりしていて、練習を聴いていなかったからです。
 休憩になったので、ステージに行ってみたら、管の分の椅子は並べてありましたが、譜面台はまだ置いてなかったので、そのセッティング、しかし、なんだかずいぶん狭苦しいような気がします。この前練習で使った広瀬文化センターとよく似たホールで、ステージも同じぐらいの広さなのですが、微妙に前後の幅が足らないような感じです。少し暖房が効きすぎているような気もするし、ちょっとやりづらい感じ。しかし、末廣さんの指揮が始まれば、そんな不都合も全く気にならなくなるほど、演奏に集中させられてしまうのは不思議なものです。「今日は思い切り細かいところをやっていきますよ」という言葉通り、今までちょっと甘めに演奏していたところに、容赦なくメスが入っていきます。末廣さんでこんなつっこんだ練習をやるのは、なんだかすごく久しぶりのような気がします。ということは、いよいよ本気になって私たちと音楽を作っていこうというモードになってきたということなのでしょうか。なんだか、演奏会がすごく楽しみになってきました。こんな気持ちになれるというのも、すごく久しぶり。食事休憩で館内のレストランに行った人のオーダーが間に合わなくて、開始時間が遅れてしまうというハプニングもありましたが、予定の8時ちょうどには練習は終了、外に出てみれば、昼間とはうってかわった肌寒さで、春の訪れにはまだ間があることが実感されたものでした。
aventure number : 0132 date : 2003/3/22


今日の禁断 109

 末廣合奏の2日目、午前中は管・打の分奏です。休みの日だというのに、10時からの音出しに間に合わせるためにはいつもの平日と同じ時間に起きなければなりません。淡々といつもの家事をこなして、ふと携帯を見ると、着信履歴があるではありませんか。朝の7時頃にかかってきたものです。それにはまことクンからの「親戚に不幸があったので、欠席します」という留守電が入っていました。実は、今日は私も午後から練習を抜け出して仕事に行かなければならなかったので、午後からは代吹きの人を手配していました。早速あっチャンに電話してその人(あっチャンの友達)に連絡を取ってもらおうと思ったのですが、電話はむなしく呼び出し音を発するだけ、仕方なく留守電だけ吹き込んで、返事が来るのを待つことにします。
 出かけようと車を走らせたら、待望のあっチャンからの電話。「代吹きの人、10時には無理だけど、10時半なら来れます」ということだったので、まず一安心です。音出し30分前にはホールに到着、まだほとんど誰も来ていない中で、ウォームアップに余念がありません。そして、おそらく末廣さんとは初めてとなる管・打分奏が始まりました。「まずリュッケルトから」というのは、予想もしないスケジュール、おかげで、代吹きの人も交響曲が始まる頃までには間に合うことでしょう。練習の内容は、昨日と同様、キチンとした意思を持って吹いていないところの磨き上げです。しかし、基本的に和気あいあいとしたものだったというのは、「こんな楽器があったらいいのに」という末廣さんの話が聞けたことでも分かります。「三つ又になっていて、抜き差ししなくても交換できるクラリネット」とか「ブレスの必要のない金管楽器」とか、ほんとにあったらどんなに便利だろうというものばかりです。それで私が思いついたのは、「フルートの一部になっていて、持ち替えなくてもすむピッコロ」。これがあれば、第3楽章の最後なんか助かるでしょうね(4小節の間に持ち替えなければなりません)。
 昼休みになったので、私は近くのラーメン屋に徒党を組んで出かけた木管陣を横目に、職場へ向かいます。仕事を終わらせて家へ帰ったら、今度は愚妻のリクエストで富谷におとといオープンしたばかりの「ジャスコ」を見に行くことになります。地図で大体の見当はつけていたので、方向は分かっていましたが、そばまで行ってみると、地図にも載っていないような新しい道路が出来ているではありませんか。もちろん、開店直後ですから、あちこちに案内表示があるので迷うことはありません。ただ、さすがに駐車場は混んでいて、さんざん遠回りさせられて、道路から1段上がった屋上に置かされることになってしまいました。そこからエスカレーターで降りてゆくと、なぜかさっき道路と同じ平面だと思っていたところが「3階」になっています。ですから、お店がある1階と2階は、地下に降りていくような感覚になります。床に絨毯が敷いてあるという、ショッピング・モールにあるまじき豪華な内装の2階のテナントには、お気に入りの「COX」があったので、花柄のシャツを買いました。しかし、やはりお気に入りの「TAKEO KIKUCHI」もあったのですが、そこには私がほしいと思っていたものはありませんでした。
aventure number : 0133 date : 2003/3/23


今日の禁断 青ひげ

 年度末というのは、何かとあわただしいものですね。ただでさえ道が混んでいるのに、この時期になると決まって、全く必要のない道路工事などをおっぱじめるものですから、そのあわただしさにはいっそうの拍車がかかることになります。とは言っても、私の場合、とりあえず忙しい時期は終わってしまったので、日頃なかなか出来ないことに精を出すことにしましょう。それは、「おやぢの部屋」の原稿書き。忙しさにかまけて、最近はあまり書いていませんでしたので(高橋さんのショパンも私ではありません)、この辺で「量産」しておかないと、「おやぢ」が乗っ取られてしまいますから。幸い、原稿になりそうな新譜はふんだんにあります。あとは、それを聴いて、1000字程度のレビューを仕上げるだけ、考えるだけだったらこんなに簡単なことはありません。もちろん、考えたことがそのまま実行されることなど、この世の中にはあるわけはありませんから、遅々として原稿はできあがらないのですが。
 同じように、なかなか思い通りに行かないことはたくさんあります。「かいほうげん」を発行し終わったので、例によって公式サイトのデータを書き換えたのですが、一時は100人を超えていた団員総数が、とうとう90人を割ってしまいましたよ。もっとも、100人以上いたときにはほとんど退団同然だった人が含まれていて、その人たちをキチンと手続きをとって退団扱いにした結果、こういうことになったのですが。それにしても、特に弦楽器は年度の変わり目にかけて異動が激しく、どんどん減っていくのはちょっと辛いものがあります。ヴァイオリンとヴィオラ、新しく入られる方は大歓迎ですよ。今なら、団費1年分免除の特典が・・・付くわけはありませんが。
 しかし、こんなことを言っているのも、実はちょっと前に比べたら格段に贅沢なことだというのに、最近気づかされました。何を隠そう、「かいほうげん」の第1号(そのころはまだ名前が付いていませんでしたが)が発行になったのが、1983年の5月10日、そう、次に新しい会報を発行する頃には、「20周年」を迎えていることになるのですよ。ですから、それをネタにしようとそのころのものを読み返してみたら、およそ今では考えられないようなことが問題点として指摘されていたのですから、まさに隔世の感があります。たとえば、曲目にしても、「とてもチャイコフスキーやブラームスなどは演奏することは出来ない」と言いきってます。同じ団体が20年後には難なくマーラーを演奏できるようになるとは、おそらく想像だに出来なかったことでしょう。もう一つ、面白い発見がありました。そのころは練習場として、管楽器のパート練習のたびに登場する「パルシティ」を使っていましたが、いろいろ不都合があるので、今の旭ヶ丘に引っ越しすることになりました。その不都合の一つとしてあげられているのが、「冷暖房の効き過ぎ」。てことは、あそこの欠陥空調は、20年前からのものだったのですね。
aventure number : 0135 date : 2003/3/27


今日の禁断 HMV

 この間の「ジャスコ」に続いて、もう1軒、大型店がオープンしました。と言っても、今回は、以前からあったデパートのリニューアル・オープンです。というか、一度は倒産したお店が、再建をかけて装いも新たに開店したということです。それは、仙台市内で最大の売り場面積を誇る「丸光デパート」・・・と、そんな屋号、知っている人は誰もいないことでしょう。かつてはそういう名前の、駅前の一等地に昔から陣取っていた百貨店です。当時(というのは、そうですね、とりあえず新幹線の仙台駅がまだ無かった頃にしておきましょうか)、市内には、おなじみ東京に本店がある三越、そして、地元の藤崎とこの丸光の3つのデパートがありました。子供にとっては、このデパート(お年寄りは「デート」と発音していましたが)というものは、何にも代え難い娯楽施設だったのです。買い物ではなく、「屋上の遊園地」で遊んで、「7階の食堂」でお子様ランチを食べるというのが、何よりの贅沢、デパートに連れて行ってもらえるという前の日には、あまりのうれしさに夜も眠れなかったという思い出を持っている人は、決して少なくないはずです。
 この丸光デパート、3つの中では一番あか抜けしてないというか、今ひとつスマートさにかける「田舎臭さ」がありました。昔の「駅前」というのは、決して市内の中心部ではなく、言ってみれば仙台よりもっと田舎の人たちが汽車に乗ってやってくるところ、塩竃から来た漁師の人とか、岩沼から来たお百姓さんとかが風呂敷包みを持って歩き回っているところでしたから、自然とそのような雰囲気が出来上がってしまったのでしょう。
 そんなお店も、時代とともに経営母体も代わり、屋号も丸光から「ダックシティ」→「ビブレ」と変わって、新しい客層にアピールしようと懸命の努力をはかってきたのでしょう。そして、今回「さくら野百貨店」として、何回目かの新装開店となったのです。ただ、今回は一度倒産した上での開店です。生半可なことでは再建などおぼつきません。なんとしてもお客さんを呼び込まなければ、という必至の策が見られるはずです。そんなところを見てみようと、開店3日目の今日、足を運んでみました。その結果は、まあ、すぐにまたつぶれるだろうというのが正直な感想です。いくら新しいものを作ろうとしても、こういう状態ですから思い切ってお金を使うことは出来なかったのでしょう。いかにも手抜きの工事があちこち見えてしまって、悲しくなってしまうほどです。それでも、手を入れてもらえた部分はまだいいほう、あるフロアなどはなんの改装工事も行われていなくて、床のタイルは割れたまま、天井には薄暗い蛍光灯が空しく光っているという悲惨な有様です。テナントも、若者向けのアパレル関係は、なかなか注目されているようですが、かつてここにあったCDショップはもはやありませんから、私が足を運ぶ理由は何も見つかりません。ただ一つ、お気に入りの「TAKEO KIKUCHI」の下着コーナーだけは、充実した品揃えで、私を満足させるには十分なものがありましたが。
aventure number : 0136 date : 2003/3/29


今日の禁断 ボンジョヴィ

 「アリー・myラブ」も、いよいよ今日の放送分が最終回になってしまいましたね。私は最初から見ていたわけではなかったのですが(地上波のドラマはまず見ません)、あまりの評判に一度見てみたら、設定といい、出演者といい、とてもユニークですっかり気に入ってしまい、それからは欠かさず見るようになってしまいました。ここまでつきあわされたのですから、この最終回をきちんと見届けた上で、ゆっくり私なりの「アリー論」をしたためたいとは思っているのですが、どうなることやら。
 その前に見たのは、77年にウィーン・フィルと来日したカール・ベームの映像です。最後にやってきてボロボロになってしまっった姿を披露する3年前、まだ「立って」指揮をしていましたが、あちこちにほころびが出ているのは隠すことは出来ません。椅子に座ってしまって完全にダメになっていれば、まだオーケストラだけでやっていくことは出来るのですが、なまじ元気があるだけに変なぶつかり合いが出てしまって、その結果、セクションごとのアンサンブルがガタガタになっていましたね。ただ、会場の異様な熱気は、終わってからの拍手でよく分かります。なんというか、最近のコンサートでは絶対聴くことの出来ないような、全員の意思が一つになったような、ある種不気味な拍手です。それは、どこか無表情で、どこかの国で見られるような完全に統制が行き届いているような拍手。言い換えれば、絶対的な価値に対する無条件の服従といったようなものでしょうか。実は、この2年前の75年のやはり同じコンビの来日の際には、私もこのNHKホールで彼らの演奏を聴いたことがあるのです。演奏自体は全く印象に残っていないのですが、終わってからの熱狂ぶりだけは今でもはっきり思い出すことが出来るほど。なにしろ、大半のお客さんが舞台の前に押しかけて握手を求めようとしていたのですから。だから、当時のマスコミのベーム翁に対するほとんどアイドルといってよい対応は、たとえば野坂昭如みたいな門外漢さえも、日常会話としてコメントするというほどのレベルで、一般化していたものでした。これほどの広がりなど、後の朝比奈やヴァントですらなしえなかったこと、そんなクラシックの歴史の中での特別な一シーンとして、この映像は見られるべきものなのでしょう。
 さらに、その前に見たのは、ディカプリオ、ハンクス、スピルバーグという三点セットで語られることの多い「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」です。これはもう、オープニングから楽しめました。まるで「ピンク・パンサー」のような、今どき珍しいアニメーションのタイトル・バック、それだけで舞台の60年代にタイムスリップです。ジョン・ウィリアムスの音楽も、まさにそのころの彼を彷彿とさせられるような、最近のスコアには見られないアヴァン・ギャルドなテイスト。そして、何よりもびっくりさせられたのは、ディカプリオと婚約しようとした娘の家庭のテレビの中に現れた「ミッチ・ミラー」、あの、夢にまで見たミッチの姿が、カラーで動いている映像です。このワンカットだけで、この映画は、H君(仮名)の中の「アリー」のように、私にとってかけがえのないものになることでしょう。
aventure number : 0137 date : 2003/3/30


今日の禁断 4月バカ

 いよいよ新年度が始まってしまいました。いくら嘆いてももはや戻っては来ない「アリー」のことなど、さっぱりと忘れて、新しい出会いを求めて出発しようではありませんか。そんなわけで、この日に備えて、私は、春物のコートを買っていました。昼間の日差しはもはや春、こんな薄手のコートですら邪魔になるほどの暖かさです。しかし、時折吹いてくる爽やかな風を受けて、白いコートに身を包んだ私の姿は、さぞ軽やかだったことでしょう。お気に入りのジーンズともよくマッチしいます。今年の春はこれで決まり、そう思って、意気揚々と東口を歩いている私は、いつになく浮き浮きしていました。あの言葉を聞くまでは。それは、練習場の「パルシティ」にいたさる人の口から発せられたものです。「これ、○ニクロでしょう。これの色違い、知り合いが持ってたわ。後ろのベルトがかっこいいのよね。」。(お察しの通り、今日は4月1日、罪のないウソは許されるものだという教えに従って、多少、事実とは異なることを書いてしまいました。しかし、このような事態は十分に考えられること、道ばたでばったり同じものを着ている人に遭遇することが、もしかしたら本当にあるのかも知れませんね。)
 本当の「パルシティ」は、まず6号@姫のお使いから始まりました。夕方いきなり電話がかかってきて、「今日、会場の使用料を立て替えて払っておいてくださるぅ?」ですと。電話で仮に申し込んだので、まだお金を払ってないということなのです。「受付で、お金を払って頂くだけでよくってよ」。そんなわけで、まず受付に行ってみたら、私が最初で、まだ誰も鍵を持って行っていないようでした。それで、「お金を払いに来ました」と言ったら、係の陰険な親父が、「もう書いてもらっているよ」というので、中を見てみると、しゅうやくんがなにやら書類を書かされているではありませんか。おそらく、何も知らないで鍵を借りに来たら、「申込書が出てないので書いてくれ」みたいなことを言われたのでしょう。全く、お役所というのは。
 そして、当然のことながら、音楽室の中は20年前からの暖房の甲斐あってまるで蒸し風呂のような暑さ、そこに、今日は反時計回りに木管、ホルン、トロンボーン、トランペットという4方を使っての配置になっての分奏です。基本的には全曲の通し、時たま問題のある箇所をゆっくりさらうというやり方です。いつまでたっても涼しくならない中で、もう半分バテながらも、何とか最後までたどり着くことは出来ました。これで、もう暖房の期間中はこの会場を使うことは無いでしょうから、まずは一安心。お次は「冷房の効きすぎ」がどの程度のものなのか、体験させられる日々が待っています。
 終わって外に出ると、やはり北国の夜、このコートでは少し肌寒く感じられてしまうほどでした。
aventure number : 0138 date : 2003/4/1


今日の禁断 島田紳助

 ニューフィルの技術委員会で、瀬尾さんが次回の定期演奏家のソリストに決まったとお知らせしたのは0127でのことでしたから、3週間以上前のことでした。もちろん、そこで正式決定とはならず、客演の指揮者に報告して了承してもらって、初めて公になるという手続きを踏むことは、絶対に必要なことだったのです。そこで、しかるべきルートでこの決定結果を指揮者に伝えるべく、次のステップに移ることになります。しかし、そんな返事は折り返し戻ってくると思っていたら、いつまでたっても知らせは届きません。実は、もう団員の皆さんの手には渡っているはずですが、そこですんなり承認されることを見越して、「かいほうげん」では瀬尾さん紹介の記事を2ページにわたって用意していたのです(もちろん、例によって万が一のために差し替えようのアイテムを用意しておくことも忘れてはいませんでしたが)。結局、返事が来なかったのでそのまま掲載したものを発行してしまったのは、ご存じの通りです。瀬尾さんをソリストに呼ぶなどというのは私にとっては夢のようなことですから、あのように大々的に紙面を使って、精一杯喜びを表したつもりです。しかし、その反面、もしかしたら何か悪いことが起こっていて指揮者からの返事が遅れているのかも知れないという不安の念は、常に脳裏をよぎっていたものでした。「フルート協奏曲のようなマイナーなものを定期演奏会で取り上げることは不適当と思わざるを得ない」みたいな返答が来て、せっかくの瀬尾さんがぬか喜びに終わってしまうとか。
 瀬尾さんも、その思いは一緒だったに違いありません。ついにしびれを切らして、それとなく情報を知りたいようなメールが届いたりします。私としては、「すみません、まだ返事が来てないんです」と、ただただ平謝りするしか道はありません。そんな、まるで針のむしろに座らされているような日々が、いったい何日続いたことでしょう。家にいる間はメールはつなぎっぱなし、リアルタイムで待ちかまえていても、受信するのは「Enlarge your ○enis」みたいな迷惑メールばかりです。ですから、今日のお昼前に、「フルート協奏曲を取り上げることについては、まったく異存ありません」という返事が届いたときには、ほとんど拍子抜けしてしまったものです。何はともあれ、これでめでたく瀬尾さんが今年の秋の第38回定期演奏会のソリストに正式に決定したのです。あとは曲目を決めるという作業が残っていますが、これは技術委員会の流れでハチャトゥリアンのフルート協奏曲に決まることは間違いないでしょう(非公式発言)。よかった、よかった。しかし、何でこんなに遅くなってしまったのでしょうね。
 瀬尾さんがらみでもう一つ。前にもお知らせしましたが、「ジョン万次郎」という、瀬尾さんが出演した番組が、今度の7日の月曜日(アトムの誕生日!)の深夜12時50分から、東北放送でON AIRになります。東京あたりではすでに放映済み、実際に見た人からの情報も入ってきていますが、ちゃんとした内容のものだったそうですよ。共演者の素顔を知るために、これは必見でしょう。
aventure number : 0139 date : 2003/4/4


今日の禁断 魔法使い

 オペラを見てきました。と言っても、ザルツブルクまで行ってノイエンフェルス演出の「こうもり」にブーイングをとばしてきたわけではなく、もっと近間の新国まで行ってワーグナーの「ジークフリート」に酔いしれたというわけでもなく、もっともっと近間の、そしてもっともっと小規模な、「仙台オペラ協会」の公演です。場所は、青年文化センターの交流ホール。ご存じのように、ステージを高くすることぐらいは出来ますが、基本的には同じ平面で、椅子を並べなければコンサートは開けないという、ホールと言うよりはただのスタジオです。そこで、モーツァルトの「バスティエンとバスティエンヌ」という、12歳の時に作られたジンクシュピールを、末廣さんの指揮で演奏するというのです。しかも、出演者の一人は「リュッケルト」のソリスト、中村敦子さんですから、これは聴いてみるしかないでしょう。「かいほうげん」に案内も出しましたし。
 会場に入ってみると、いきなり山台のようなものが目に入ってきました。なんと、平らな客席の後ろ半分に7〜8段の山台を組んで、その上に椅子を並べてあるではありませんか。つまり、普通のコンサートホールのように、舞台がよく見えるように傾斜が設けてあったのです。こんな設備が、このホールにもあったのですね。それだけではなく、ステージ(客席と同じ平面)の前には花が飾ってあったり、後ろの壁にはなにやら長い布を垂らして、サロン風の装飾が施されていますよ。なかなか配慮が行き届いていますね。そのセットは、実はオペラのためではなく、その前座として行われた「ガラコンサート」のためのものだったのですが、そこでは3人の人がそれぞれ2曲ずつ(うち1曲はもう1人加わった二重唱)オペラのナンバーを歌ってくれました。驚いたことに、ピアノ伴奏だけの素の歌にもかかわらず、きちんと情景に合わせた照明が入っていました。中でも「カヴァレリア」の中のサントゥッツァとトゥリッドゥ(これが、おなじみ佐藤淳一さん)の二重唱では、最後はピアノにだけ照明が当たって周りが真っ暗というドラマティックなもの、思わず、ピアニストもビビってしまって、とんでもない後奏を弾いてましたっけ(もっとも、このピアニストはそうでなくてもかなり雑な伴奏に終始していましたが)。
 休憩の間にピアノを片づけたと思ったら、後ろの倉庫から書き割りが出てきたりして、本格的なセットが出来上がってしまいました。釣り看には雲まで下がっていますし。セットと同様、音楽も、きちんとオリジナルの音を再現したものになっていました。つまり、オーケストラのパートは弦楽四重奏とチェンバロによって演奏されていたのです。その四重奏、パンフレットには「インテルメッツォ・クァルテット」という、いかにも寄せ集めのようなクレジットだったので、てっきり仙台フィルあたりの団員だと思っていたら、なんと、これは「都民響」のメンバーだったのです。ご存じ、末廣さんが常任指揮者を務めている東京のアマオケの団員、こんなオペラの伴奏を任せられるなんて、さすがですね。バス椅子に座り、左手を腿の上に置いたまま右手だけで軽やかに指揮する末廣さん(もちろん、暗譜です)のもと、オペラはなかなか見応えがありました。中村さんも伸びのある気持ちのよい声、マーラーの本番が楽しみです。伴奏も「アマチュアにしては」という但し書きはつきますが、立派なものでした。セカンドヴァイオリンの音程の悪さには、とりあえず目をつぶるのが礼儀というものでしょうが。
aventure number : 0140 date : 2003/4/6

03/4/8-03/5/17