0101(03/1/16)-0120(03/2/25)

今日の禁断

 「かいほうげん」は思いのほか手間取りました。きのうまでに12ページ分は印刷が終わっていて、今日は残り4ページ、つまり表裏1枚を印刷するだけだったので、楽々出来あがると思っていたのです。ところが、きのう、新年会の時に小耳に挟んだ演奏会の案内を入れてみようと思ったのが、いけませんでした。5号とか鎌サンが何やら動き回っていて、どうやらニューフィルの団員が20人近く出演するという演奏会ですから、これを記事にしないわけにはいきません。とりあえず日にちとか曲目を5号に教わって、少しスペースが空いている新入団員のページに入れてみました。ところが、夜遅くになって、「ポスターの画像があるから、それも載せてくれ」というメールが届いたのです。仕方がありません、やってみましょう。
 というわけで、レイアウトに時間がかかって、印刷が終わったのは午後になってから、それから紙を折って4枚束ねてホッチキス止めという製本作業にかかれば、完成するのはほとんど練習の直前になってしまいます。もちろん、これは余裕を持って仕事を進めていたから、こんなアクシデントがあってもきちんと予定日には出来上がるという、私の段取りの良さこそが、誉められなければならないでしょう。もっとも、こんな予定を組んでしまったために、明日仙台でコンサートがある瀬尾さんからの「ご一緒に焼肉を食べませんか」というせっかくのお誘いも泣く泣くお断りしなければならなくなってしまうのですが。なんでも、ギターの大萩さんもご一緒するとか、残念なことをしました。
 そんな忙しい日に、「Magi」から、「ちょこっともう1本書いてください」と、サンプルが届きました。明日までに原稿が欲しいのだそうです。いくら当てにされても、そんなわけで今日は音すら聴けませんでしたし、明日は免許の書き換えに行ってくるので、やはり大忙しです。私の誕生日が今度の21日(練習日ですよ、さあ、どうする)なので、明日しか行く暇がないのですよ。それで、夜は瀬尾さんのコンサート、とても原稿なんか書いている時間などありません。今度こそ、私のライター生命は危機に瀕しています。その前に、雑誌に穴があいてしまうかもしれませんけど、おらしらね〜。
 さて、練習です。最初は少なかった弦楽器も、このころにはかなり集まっていて、コントラバスは7人もいましたね。でも、こんなにたくさんのコントラバスを見ると、つい、さっきの、とても明日中には書けそうもない原稿を思い出して、へこんでしまいます(アイテムは「オルケストル・ド・コントラバス」)。へこんでいるのは、「あの人」に嫌われたのも、原因なのかもしれませんし。
aventure number : 0101 date : 2003/1/16


今日の禁断 こばやし

 行ってきました。瀬尾さん。ですが、その前にもいったところがあります。それは、運転免許センター。掲示板にも書いたように、去年から更新期間が延長になって、誕生日の1ヶ月あとまで行けばよいことになっていたのは、じつは分かっていました。まあ、いかに切羽詰った状況で原稿を書かなければならなかったかというリアリティを出すための「創作上のイマジネーション」だと、お考え下さい。変わっていたのはもう1点あって、免許証の写真を撮る時にめがねを外しても良くなったのです。たまたま撮影の部屋のドアに控えめに書いてあったので分かったのですが、これはうれしいことです。早速、めがねを取って何年ぶりかに本当の素顔を撮ってもらいました。出来あがった免許証には、予想に反して人相の悪いおやぢの姿がプリントされていましたが。
 というわけで、本日のメインイヴェント、瀬尾さんと大萩さんのコンサートです。しばらくぶりに行った電力ホールは、前にパユを聴いたところですが、すっかりリニューアルされて、真新しい椅子になっていました。しかし、開演15分ぐらい前になっても、お客さんの入りはあまり芳しくありません。間近になって買った、ちょっと後ろ目の私の席など、同じ列の右側には誰も来ていません。そのうち、やっと隣の席に人が来た気配。なんだか女性みたいなので横を向いてみたら・・・・。なんと、その、私の右隣の席にはあのあっチャンが座っているではありませんか。こんな偶然ってあるでしょうか。○○の絆、みたいな物を、真剣に感じないわけにはいきません。じつは、最初の予定ではここには愚妻と一緒に来る予定でした。チケットを買う段になって飲み会が入ったとかで、私の分だけ買ったのですが、もし一緒に買っていたら、一体どんなことになっていたのでしょう。おそらく、こんな風にパソコンに筆を走らせている私の姿などなかったことでしょう。
 瀬尾さんは、2年ちょっと前のコンサートに比べて、確実に大きくなっていました(身長ではありません)。詳しいことは、おそらくまたヒレカツ先生がお書きになることでしょうが、あの広い電力ホールいっぱいに響き渡った瀬尾さんの音は、今でも耳に残っています。今回は、大萩さんともども、マイク片手に軽いおしゃべりを入れるというリラックスした演出もあって、そちらも楽しめました。ただ、瀬尾さんは緊張していたのか、もともとそうなのか、ちょっとおしゃべりは固め、楽器のピッチを「442キロヘルツ」などと、とんでもないことを口走っていました。そんな高周波、聞こえませんって。
 終わってロビーに出たら、人がいっぱい、サイン会があるというのでみんな待っているのでしょう。まだ出てきていないようなので一言ご挨拶と楽屋に行ったら、奥様だけがいらして、「もうあっちに行ってます」ですって。演奏が終わるやいなや、サインを始めたのですってね。慌ててまたロビーに引き返したら、確かに長蛇の列を前にして、一人一人に握手してCDにサインをしている瀬尾さんの姿がありました。とても声をかけられるような状態ではなかったので、そのまま帰ってきました。あっチャンもいつのまにかいなくなっていましたし。
aventure number : 0102 date : 2003/1/17


今日の禁断 成人式
 1号さまだけでした。前々回の「禁断」でそれとなくお知らせしていたにもかかわらず、私の誕生日に何らかのアクションを起こしてくれたのは、もはや団員なんだかそうでないのかすら誰にも分からないという、この1号さま=びよ様一人だったのです。それは、こんなグリーティング・カード。素敵でしょう?1号さまの暖かいお心に嬉しさを隠しきれない気持ちとは裏腹に、「あの人」からはもはや祝ってもらうことはないのだという冷たい現実にも直面させられてしまったのです。○年前、私が生まれた日も、今日のように冷たく雪が降りしきる日だったそうです。冬に生まれた子は我慢強いと言います。私も、このつらい仕打ちに打ち勝つほどの、更に我慢強い人になれればいいのですが。
 などと、アホなことを考えながら雪の中を歩いてパルシティの音楽室についた時は、もう時間は6時半だというのに、まだ誰も来ていませんでした。今日はパート練習の日、管楽器はここで分奏というのが今日の予定です。仕方がないので事務室で鍵を借りて、ドアを開けてみたら、ものすごい熱気です。暖房のかけ過ぎなのでしょう。そう言えば、隣でフォークダンスをしていたグループもドアを開け放してやっていましたが、ほんと、これではとても締め切ることなど出来ません。あまり暑いので事務室に電話をしたのですが、一向に埒があきません。壁を見ると、「暑い時は、クーラーを入れてください」と書いてありますよ。いつもこの会場を使っている人にいわせると、これは冗談でもなんでもなく、現実のことなのだそうです。なんという無駄なことをしているのでしょう。この音楽室を管理している自治体は、最近ではごみの分別収集には一方ならぬ熱意を傾けている様子が全国レベルで紹介されているようですが、こういう不思議なことを何の疑いも持たずにやっているんですから、その実態はおのずと明らかでしょう。
 ちょっと狭目のこの音楽室、今日は木管と金管が向かい合わせに座るという配置になってみました。前にトランペット、後ろにトロンボーンとチューバが、ほぼ全員出席していましたから、その迫力はすごいものです。てゆーか、普段は後ろからしか聞こえて来ませんから、誰がどのパートを吹いているかよく分からないところがあるのですが、こうすれば一目瞭然、なんか、金管の人たちの正体を初めて知ったような気になりました。それにしても、マーラーの5番は大変な曲です。こうして分奏をやっていてもまだまだ穴だらけ、といって細かいところに時間をかけるわけにもいかず、とばしとばしやっても、結局最後まではいかないのですから。あと1回合わせたら、次はもう末廣さんですね。
 「かいほうげん」にも載せた今度の土曜日のコンサート、チラシやチケットは和紀クンの手作り(プロだから、そういういい方は変かな)なのはいいのですが、そのチケットが6枚続いたシートで出演者には渡されているようでした。だから、私が行きたいと言ったら、あっチャンはシートのままよこしましたっけ。「どの愛人と行くんですか?」って。
aventure number : 0103 date : 2003/1/21


今日の禁断 独身貴族

 天気予報が当たりました。今日の午後から大雪になって、夜中いっぱい降り続くというものです。実際はもう午前中には降り始めていました。ほんのパラパラと、大雪の予兆のような細かい雪だったのですが、たいして降っていないように見えていて、じつは30分も経つと地面が真っ白になってしまうほどの、侮れない雪だったのです。休むことなく細かい雪が降って、確実に積もっていくさまは、なまじ「大雪」という感じがない分、恐ろしいものです。事実、ひとまわり雪かきをして元のところへ戻ってくると、すでにそこは1pほどの新しい雪が積もっているのですから。お昼頃、ちょっと出かけてみたら、ほんのちょっとした坂道で立ち往生している車(タクシーでさえ!)を見かけました。固まりやすい雪質のようで、もがけばもがくほど滑りやすくなるという、たちの悪いものです。もちろん、夕方に帰って来る時でさえ、道路に除雪やら融雪の手が入った跡は全く見られませんでした。あれだけ天気予報で大騒ぎしているのに、そちらの担当者は何の手も打たなかったのでしょうね。某パルシティでは我慢できないほどの暑さで使用者を迎えるという大サービスをしているというのに。この自治体は。
 東京では雪はどうだったのでしょう。じつは、四谷で孤独な生活を送ってらっしゃる1号さまの近況を、やっと知ることが出来ました。というのも、今まで「びよ様日記」は「お気に入り」に登録していたので、トップページを経由しないで直接アクセスしており、去年の末の飲み会の報告のあと、ばったり書きこみが途絶えていたので、さぞやハードな生活で更新もままならない状況だったのだと思いこんでいたのです。ところが、今年になったとたん、今までの愛人、ではなくファイルを見捨てて、別のところに新しい愛人、ではなくファイルをお作りになり、そちらのほうで着々とやらしいこと(R18)とか書かれていたのですね。すっかりご無沙汰してしまいましたよ。しかし、私のサイトではこのような「うっかり」は起こり得ません。というのも、私の場合にはこのように新しいファイルに続く時には、必ずきちんとリンクを設置するようにしているからです。こういうものはサイトを管理しているもののいわば常識というか、ルールのようなもの。しかし、このルールを満たしていないサイトの、なんと多いことでしょう。少しでも他人に見てもらいたいと思うのならば、見に来た人がきちんと目的のページにたどり着けるだけではなく、迷わずに元に戻れるようになっているというのは、当たり前のことだと思うのですが。
 と、言うだけだったらいかに簡単かというのは、最近まで公式ページの「団員の投稿」から「Back」で戻るといきなり「ジュラシック・愛人」になってしまうようないい加減なリンクの設定をしていた私には、痛いほどよく分かるというものです。あれは、前のリンクを直すのを忘れていたため、多分気がついた人はいないことでしょう。それにしても、私の字は、え〜ぇ、え〜ぇ、ヘタですよっ。なんせ、自分でも読めないぐらいですからねっ。せめて「あの人」ぐらいきれいな字(絵も)が書ければ良いのですが。
aventure number : 0104 date : 2003/1/23


今日の禁断 不特定多数

 掲示板に、ちょっと意味不明の書き込みがありましたね。これは、決して「あらし」ではなく、ただ単に当事者にしかわからない内容だというだけなのですが、むげに削除をするのももったいないので、その謎解きを。「四季」というのは、「劇団四季」、ではなくて、もちろんヴィヴァルディの「四季」。春の第1楽章で、ソロ・ヴァイオリンが三連符のものすごいソロを弾く直前に、トゥッティで「ジャララララン」という上行のスケールが「2回」現れます。こんな譜面です(パートは上からVn Solo,VnI,VnII,Va,Vc/Cb)。
 ところが、最近はこの部分を「4回」演奏するのが主流になっています。こうですね。
 なんでも、マンチェスターの図書館に保管されているパート譜にこういう書き込みがあったとかで、ナイジェル・ケネディあたりが(もっと早い人がいたかもしれませんが)こういうことを始めたら、それからこの曲を演奏する人はこういう風にしないのが時代遅れだといわんばかりに、ある種の流行になってしまいました。とうとう下段のように、きちんと印刷された楽譜まで出版されてしまったというわけです(ホグウッド校訂のベーレンライター版)。このことを、「あの人」に言ったところ、こんなことは今まで全く気がつかなかったそうで、早速、ご自分のコレクションで確認をしてくれた、というわけです。
 「四季」を演奏するにはちょっと大き目かもしれない編成の新しいグループ、「MAS」のコンサートには、誘う予定だった「あの人」が急に仕事が入ったということで、一人で行ってきました。会場は「スタジオホール」という、客席がひな壇になっていてお客さんはステージから上に上っていくという変わったところです。メンバー37人のうち、何らかの形でニューフィルと縁がある人がほとんど、そうでない人は、私の知る限り6人しかいないという、まさに「ニューフィル室内管弦楽団」といってもおかしくないような団体です。しかも、弦はピックアップメンバーの様相を呈していますから、かなりの高レベルのものが楽しめました。あいにく、ホールが全く響かないところだったために、せっかくのアンサンブルも潤いのないものになってしまったのは、ちょっと残念。青年文化のコンサートホールあたりだったら、きっと素晴らしい響きが味わえたことでしょう。指揮の和紀クンは、前半と後半でシャツの色を変えるというオシャレなことをやりつつの熱演、メンバーも、最初のうちは硬さが見えたものの、次第にリラックスして楽しんでいるようでした。ところで、木管セクションでは、ニューフィルのメンバー以外の人が微妙に浮いて聞えたのは気のせいでしょうか。普段はあまり気がつかなくても、確かに毎週顔を合わせている私たちの間には、何か不思議な一体感が生まれているのかもしれません。
aventure number : 0105 date : 2003/1/25


今日の禁断 日高見

 せっかくですから、「MAS」のことをもう少し書きましょうか。というのも、明日の練習のあとに場所を変えての技術委員会があるために、それから帰って「禁断」を書くのはちょっと大変だな、という気がするからです。
 会場があるのは、141というテナントビルの中。あっチャンからチケットをもらったので、何かもっていくことにして、2階にある「ル・グレン」で物色です。こんな慣れない事をやってみる気になったのは、前にフルートの会のコンサートでチケットを配ったら、「あの人」からプレゼントのお菓子が届いてすごく幸せな気持ちになれたから。日本酒ゼリーやマドレーヌなど適当に買ったらちょうど500円、チケット1枚の値段になっていました。2枚もらったから、「半返し」ってやつですね。
 受付では、ミシン目が入ってないチケットを切るために、ちゃんとはさみが用意されていました。そこでチケットを切ってもらって、「出演者にプレゼントなんですが」と言って名前などを書こうとしたその時、奥のドアが開いて、まさにあっチャンその人が現れたではありませんか。なんという偶然でしょう。もちろん、その場で直接手渡したのは、言うまでもありません(Y江さん風)。そこで軽く立ち話、しかし、この事で私が聴きにきた事がメンバーの知るところとなり、開演前の楽屋が「取材にきたぞ!どうしよう!」とか「webに載るよ!大変だ!」といった大パニックに陥ることになろうとは、私には知る由もありませんでした。
 会場のスタジオホールの座席というのは、体育館などにあるような収納式のひな壇になっていて、使わない時には引っ込めてフロア全体を使うことも出来るようになっています。それも、恐ろしくちゃちな造りになっていますから、人が歩くたびに座席全体が揺れ動くという、ちょっと怖いもの。しかも座席には背もたれがありませんから、ちょっと落ち着きません。おとといも書いたように、その座席にはステージ側から上っていくことしか出来ないために、必然的にすでに座っている人と顔を合わせることになってしまいます。私が行ったときには、真中にしげちゃんとか賢治クンあたりがいたので、ご挨拶。やっぱり一人で来たのは正解でした。私が座ったときには、お客さんは30人ぐらい、これでは、下手をしたら出演者のほうが聴衆より多くなってしまうとマジで心配してしまいましたが、開演間近には70人ほどになったので、まずは一安心。
 演奏で一番気に入ったのは、フォーレです。こんなマイナーな曲、どこで見つけてきたのかというほどの渋い選曲ですが、シンプルな作風のなかなか魅力的なもの。弦の澄み切った響きが素敵でしたし、管の透明なハーモニーもなかなか、特に最後の曲は全体が見事に溶け合って、とても心地よく聴けました。どうせなら「パヴァーヌ」もやれば良かったのに。
aventure number : 0106 date : 2003/1/27


今日の禁断 チョコレート

 おととい、「禁断」を書き上げてメールをチェックしたら、何か、大きなファイルが添付されているような受信状態になりました。私のインターネット環境はエア・エッジの32kbpsという、超ナロー・バンド、画像などを受け取ると極端に受信時間が長くなります。しかし、このメールは今だかつて経験した事もないような重たさ、受信の進行状態を示すバーの動きは、肉眼では確認できないほど遅いものでした。こんな非常識な物を送るつけてくるような奴とは、もはやメール関係を絶ってやる!ぐらいの腹立たしさで、いつ果てるとも知れない受信完了をひたすら待っていたのです。1時間近くかかってやっと届いたメールを開けてみると、それは1号様からのもの、中身は去年の忘年会の写真22枚でした。東京での慣れない研修、孤独な生活を慰めるために酒浸りの毎日が続いて身も心もすさみ切った1号さまは、もはやこのような形でしか救いを見出す事は出来なかったのでしょう。そんな1号さまを癒せるのは、やはり「禁断の写真館」のアップしかないと気づいた私は、不憫な思いでこみ上げる涙をこらえながら、精一杯ファイルの作成に没頭するのでした。
 なんて、ちょっとこじつけ気味ですが、せっかくだから公式行事の新年会から例によってリンクしてみました。真中の金髪のコ、ちょっとすごいですね。
 さて、お約束通り、きのうは12時まで技術委員会があったので、更新はしませんでした。いくら暖房が効いているからといっても、人里離れた林の中のだだっ広い大広間に、深夜集まって議論を戦わせているというのは、ちょっと不気味なものがあります。しかし、毎回取り止めのない議論の中から確かな方向性を導き出している敬一郎クンの運営手腕には、敬服させられます。今回も、とりあえず一歩前進、新たなステップに進む事が出来ましたし。
 その前に行われたのは、指揮者練習直前のリハーサルです。一通り続けたかったのでしょうが、やはり時間は足らず、3楽章はカットせざるを得ませんでした。4楽章は弦だけですから、管の人たちは思い思いにくつろいでいます。なぜかホルンパートだけは、律儀に着席していましたが。だから、4楽章が終わって、そのまま5楽章のホルンが入ったので、みんな大慌て。それだけではなく、この日の練習はいろいろな意味でチェックの必要性を感じさせられるものでした。私自身に限っては、あまりにもつまらないミスが多すぎます。これは、先の動きが身に着いていないから、その場しのぎで譜読みをしているせい。自分では精一杯やっていたつもりが、じつはまだまださらい方が足らなかったという事なのです。まだ2日あります。この2日間で、どの場所でも完璧に吹けるように、やってやろうじゃないですか。あっチャンから誕生日のプレゼントももらったことだし。
aventure number : 0107 date : 2003/1/29


今日の禁断 川井郁子

 通販で頼んでおいたCDが届きました。最近では、もはや実際にお店に行って買うことは少なくなり、種類も豊富で値段も安い通販がお気にいり。その中には、だいぶ前に注文した時は品切れで、やっと入ってきた「魔笛」もありました。以前、新しいコンテンツを作ったときに書きましたが、あの時に、使っている楽器がチェレスタかグロッケンシュピールかを調べるためにやはり通販で買ったCDが6〜7組あった、追加分です。でも、必要なデータは聴かなくても分かっていたので、すでにそちらのほうには載せておきました。その、ウィリアム・クリスティ指揮のERATO盤(余談ですが、親会社のWARNERがクラシックから手を引くということで、このレーベルはもはや新しい録音をすることはありません。同じグループのTELDECから、同様の理由でリストラされたアーノンクールが、「ニューイヤー」をDGから出したのにはそんな訳があるのです。)の実物を手にして、ライナーノーツなどを読んでいたら、なんと、演奏者のメンバーの中に、ちゃんとグロッケンシュピールのプレーヤーまで載っているではありませんか。おまけに、使用している楽器まで「1995年、ロビン・ジェニングスにより製作」と、きちんと書いてあります。さすが、このあたりのオリジナル系はデータがしっかりしていますね。だから、私も、コンテンツに書いたことがきちんと実体として見ることが出来て一安心です。そこで、同じ頃のやはりオリジナル系のガーディナーのライナーも読んでみようと思って(必要なところを聴いただけで、ライナーまで見てませんでした)リーフレットを開いてみたら、一番最初に「この録音に使われたグロッケンシュピールは・・・」と、わざわざ注釈があるではありませんか。その楽器も、やはりジェニングスさんが作ったもの、おそらく同じ物でしょう。世の中は狭いものだと、最後のページを開けてみたら、そこには、そのジェニングス・グロッケンシュピールの写真があったのですよ。あのコンテンツを作るときに散々捜しまわった写真が、実はこんな手元にあったなんて。
 その時にネットで検索してもこれが見つからなかったわけは、すぐ分かりました。あの時の検索キーワードは「keyboard glockenspiel」、ところが、ガーディナーでもクリスティでも、ライナーでの表記は「keyed glockenspiel」だったのです。もちろん、意味は全く同じことなのですが、確かに「keyboard」というのは「keyboard percussion」という言い方でそれこそ「グロッケン」やマリンバなどを指し示すことがありますから、このほうがより正確な言い方かもしれません。そこで、「keyed glockenspiel」で検索したら、有りましたよ、ジェニングスさんのサイトが。その一番下には、あるでしょう?グロッケンシュピールが。
 あれを作ったときに、きちんとライナーさえ読んでおけば、もっと説得力のあるものが作れたのに、と思っても後の祭、しかし、もちろんコンテンツのほうはこの辺のところを折り込んで更新しておきました。そのようなマメな努力が、19万になんなんとするアクセスを獲得できる秘訣なのでしょう。そう、あと1週間ほどでカウンターが19万になる予定です。今回は1号さまは無理でしょうから、キリ番狙いはチャンスですよ。記念品は美人ヴァイオリニストのライブビデオにしましょうか。
aventure number : 0108 date : 2003/1/31


今日の禁断 アポジャトゥーラ

 2月になって最初の土曜日、春の定期の最初の指揮者練習のためにはるばる名取まで向かう車の中にいた私は、すぐ後ろを走っている車のドライバーが、大きく手を振っているのをバックミラーの中に見つけました。それはどうやら9号のようですが、なんだか雰囲気が違います。そうか、髪が黒いからだ!つい最近、あでやかな金髪の写真を見たばかりなので、その印象がなかなか拭えなかったのでしょう。じつは、あっチャンの車も私を追い越していったそうですが、それには気が付きませんでした。
 会場の大ホール入ってみると、暖房がまだ入っていないのか、ひんやりしています。暑がりな私には、このぐらいがちょうど良いのですが、他のみんなはしきりに寒がっています。ここは、先日無駄な暖房でさんざん顰蹙を買った自治体とは別の自治体の管轄、なかなか立派な見識があると見ました。椅子や譜面台を並べ終わって、客席で楽器を広げていたら、ちほさんが近づいてきました。大きな紙袋を手渡してくれて、「遅くなりましたが、お誕生、おめでとうございます」ですって。いやぁ、あっチャンに続いてちほさんからまでもいただけるなんて、感激です。そう言えば、バレンタインデーの前の日が、練習日でしたね。いえ、別に、何の意味もありませんが。
 さて、末廣さんの練習は、まず楽譜を直すことから始まりました。なんでも「2002年改訂版」というのが出版されているそうで、それに基づいての直しです。しかし、どうやらこの改訂というのは、従来の楽譜にあった明らかな印刷のミスをきちんと直したもののようですね。最近のラトルのCDの宣伝で、「多くの個所を新しくした」というのがありましたが、それはこのことだったのでしょう。フルートに関しては、明らかにディミヌエンドなのにクレッシェンドになっていたところがやはり直っていましたし。
 その、楽譜のチェックだけで30分使ったあと、ようやく音出しが始まります。まず、5番を一通り通すということで、最後までやってみました。結局、「2楽章が一番ダメだね」ということで、2楽章をもう一回やったのですが、ぐじゃぐじゃでどうしようもなかったところが、テンポを遅くしたりして丁寧にやっているうちに、見違えるようになっていくのですから、やはり末廣さんは大したものです。最初に予定していた3楽章をきちんとやって、最後には予定になかったリュッケルトまで、きちんと時間内に収めて、第一回目の練習は終わりました。予想通り、末廣さんのマーラーはとことん狂気をはらんだもの、こういうのが好きではない人もいるかもしれませんが、私たちはこれにとことん食らいついて、お客さんに中身の濃い熱いマーラーを聴かせられるようになるのが、当面の課題です。
aventure number : 0109 date : 2003/2/1


今日の禁断 和菓子

 練習に行く時にはいろいろな用事をこなさなければいけないのはいつものこと。今日の場合だと、必ずやらなければならなかったことは、「かいほうげん」のための、新入団員の写真撮影でした。この間出したばかりだなどと言わないで下さい。新しい「かいほうげん」が発行されると同時に、すでに次の号のための準備が始まっているというのは、全く「Magi」と変わりはないのです。ですから、今月末に発行予定のものであっても、今後の練習のスケジュールを考慮すると、今日しか写真撮影をする日はないということを、熟達の編集長は知っていなければならないのです。その他にも、仙台フルートの会関係で、借りていたパート譜を返すことと、エキストラの手配という仕事もありました。さらに、前に共同購入したリュッケルトのCDで1枚余っていたものに買い手がついたので、その受け渡し、おまけに、日程表発行のためのデータの収集。大体、いつもこれぐらいのことを練習以外にこなさなければいけないわけで、まず一つか二つは忘れて帰ってくるのが当たり前なのですが、今日は珍しく全部出来てしまいました・・・。と思っていたら、帰ってきてから一つだけ忘れていたことを思い出しました。やっぱりな。これは、前々回、前回に続いて、またまたプレゼントを、最近キャラクターの一部を書き換えた愛人の一人から頂いてしまったことと無関係ではないのでしょう。これしきのことで舞い上がって仕事の段取りを忘れてしまっていては、来週(そう、バレンタインデーの前日)が思いやられます。なんてね。
 そんな私たちの挑戦に、明るい希望の光が刺し込んできましたよ。なんでも、末廣さんがつきっきりで指導されている「都民響」のヴァイオリンのメンバーが、手弁当でニューフィルの定期に参加してくれるそうなのです。しかも二人。これは、前に「巨人」をやった時に管楽器のメンバーが加わったのとは全く別の次元の話、あの名門オケの人たちが参加しても恥ずかしくないような演奏が出来るようになる日は、必ずや訪れることでしょう。もちろん、自前の新入団員もクラリネットとヴァイオリンに一人ずついたようですし。
aventure number : 0110 date : 2003/2/4


今日の禁断 ライド・オン・タイム

 今朝の新聞で「音楽プロデューサー。殺人容疑で逮捕」という見出しを見たときには、本当にびっくりしてしまいました。その人の名はフィル・スペクター、いまや、世界中のミュージシャンで彼の名前を知らない人はいないという、超大物プロデューサーです。とは言っても、彼の活躍のピークは1960年代、ですから、年齢が「62歳」と報じられていたのには、さらにびっくりしてしまいました。つまり、60年代初頭に数々のヒットを世に送ったときにはまだ20代だったなんて(ちなみに、私はまだ生まれていません)。
 その頃の日本の音楽シーンといえば、「カバー・ポップス」の全盛期でした。今では「洋楽」と呼ばれているアメリカやイギリスのヒット曲は、ほとんどリアルタイムで日本語の歌詞がつけられ、日本人の歌手が歌ってやはり大ヒットしていたのです。スペクターの作品も、たとえば、ガールグループ「ロネッツ」の「ビー・マイ・ベイビー」あたりは、漣健児の訳詞で確か弘田三枝子が歌っていたのではないでしょうか(もちろん、私がそれを実際に聴いていないのは、言うまでもありませんが)。確か、「♪〜忘れられない瞳/離れられないその魅力〜♪」みたいな歌詞でしたよね(と、突っ込まれて同意してしまうあなたって・・・)。余談ですが、この訳詞を作った人は「さざなみけんじ」と発音しますが、当時の洋楽カバーの訳詞を一手に引き受けていたというものすごい人。中尾ミエの「かわいいベイビー」とか、飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」とか、例をあげればキリがありません。今歌われているクリスマス・ソングも、「赤鼻のトナカイ」や「ママがサンタにキッスした」など、殆どが漣の手になるものです。去年角田で「第九」をやったときのカップリングで、クリスマス・ソング・メドレーを演奏しましたが、その中にも「ママが〜」が入っていたので、プログラムにはちゃんと訳詞者がクレジットされていましたね。「健児」って(それは「ハス」だろうが!)。
 話をスペクターに戻しましょう。確かに、彼自身のプロデューサーとしてのピークは60年代でしたが、彼が開発した「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれるたっぷりエコーのかかった分厚いサウンドは、後のミュージシャンやプロデューサーに多大の影響を与えることになります。多少でも豪華なサウンドを導入したいと考えた時、誰しも取り入れたのが、スペクターのノウハウだったのです。日本で言えば大滝詠一や山下達郎がその継承者、「スペクター・フォロワー」と言えるでしょう。
 そんなスペクター、しかし、新聞記事を見る限り「ビートルズのプロデューサー」としかコメントされていないのでは、あまりに寂しすぎます。確かに、ビートルズの最後の(リリースされたのが)アルバム「レット・イット・ビー」は彼の最大のヒットアルバムではありますが、たとえば「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」のアレンジでポール・マッカートニーを激怒させたというように、作品としては見当はずれのものなのですから。事実、この曲の元の形を、今では「ビートルズ・アンソロジー」として公式にリリースされているもので聴いてみると、あのストリングスと女声コーラスのダビングがいかに余計なものであったかが、はっきり分かってしまいます。
aventure number : 0111 date : 2003/2/5


今日の禁断 キューブ

 190000のキリ番は、きのうの朝10時ちょっと前に達成されました。私なりの予想(かなり正確)ではちょうど真夜中、1時か2時ごろのはずだったので、もしかしたら全く偶然に、あまり関心のない人がゲットしてしまうことがちょっと心配だったのですが、なぜか、アクセスのペースが少し落ちてくれたため、「取りにきた」人には都合のよい時間帯になり、キリ番はめでたく「あの人」の手に。もっとも、まだ私のもとには正式な表明はありませんが、意識してリロードしてたのはまちがいないので、そのうちメールでも届くことでしょう(この「あの人」というのは、「私が知っている人」ぐらいの軽い言い方です。決して「ま」さんや「な」さんを特定したものではありません)。

 話変わって、今朝の朝日新聞に面白そうな本の紹介があったので、早速本屋に行って買ってきました。それは、草野厚さんの書いた「癒しの楽器 パイプオルガンと政治」(文春文庫/298)。実際、本当に面白い本で、1時間ぐらいで読めてしまいましたよ。この草野さんという方、政治学者として有名なのでしょうが、じつは、芸大の指揮科を受験したこともあるという(事実、最後の2人まで残ったそうで、その時の合格者が小泉和裕)ぐらいの音楽好き、というか、音楽のことがよくわかっている人なので、非常に具体性に富んだ議論を展開してくれています。オルガンを自分で演奏することもあるといいますし。だから、いわば、「ハコモノ」行政に関する告発本という、どこにでもありそうなものが、彼の楽器に対する愛情のお陰で、ちょっと毛色の変わった仕上がりになっています。なにしろ、草野さんは、実際にホールにあるオルガンを弾かせてもらうことによって、管理者の楽器に対する思惑を探り取るという、彼にしか出来ないようは楽しいルポルタージュを試みているのですから。そのおかげで、私たち、ちょっと音楽や楽器のことにはうるさい人間に対しても、かなりの説得力を持つ内容となりました。公共の施設に設置されたものの、殆ど使われることなく無駄に遊んでいるオルガンに対して、単に税金の無駄遣いと決め付けるのではなく、もっと開かれたものとして住民が触れられるようになって欲しいという視点には、好感が持てます。
 なぜか、引き合いに出されているのが白石と中新田という宮城県勢(「宮城スタジアム」まで!)。特に、白石の場合、アドバイザーとしてビルダー(オルガン製作者)の選定からかかわっていたさる音楽家(というか、実体は実業家)が、開館後はコンサートの企画などで多額の利益(年間7000万!)を得ているという事実は、この方とまんざら無関係ではない私たちには興味深いことです。そういえば、かつて出演者の人選に難色を示したなんてこともあったな〜。
 ただ、著者が、いくらバブル期の衝動買いの愚を責めても、芸大奏楽堂のオルガンのビルダー選定の不可解さ(鈴木雅明って、そんな人だったんだ)を暴いても、やっぱりオルガンつきのホールは欲しいっ。仙台市長が、白石市長程度の見栄すら持ち合わせていなかったことが、バブルが去った今となっては大いに悔やまれます。
aventure number : 0112 date : 2003/2/9


今日の禁断 ヘヴン

 最近は祝日が月曜日に移ってしまったものが多くなって、何かと実感が伴わないことが多くなっていますが、今日の「建国記念日」だけは別。どんなことがあっても、なんせ日本が作られた日なのですから、これは休みの都合に合わせて日にちを変更するというような暴挙が許させるはずはありません。今の世の中では失われてしまった、「確固たる」存在の貴重な実例として、この国の体制が変わらない限り、生き延びて行くことでしょう。
 そんな「確固たる」ものなど最初から存在していないというのが芸術の世界です。オークションに出された絵が、ゴッホの描いたものだと分かった途端に、一挙に値段が1000倍以上になるというのですから、笑ってしまいます。ここでお金に換算されることによって、数字で表されたこの作品の価値というものは、芸術作品としての、見るものに感動を与える度合いでは決してなく、単に有名な画家が描いた絵だからという、骨董的な価値でしかないという、非常に分かりやすい話ですね。これは音楽の場合でも往々にしてありがちなこと。名工が作ったというだけで、法外な値段が付けられている弦楽器の場合とよく似ています。
 これが、「演奏」になると、どうでしょう。自分の耳で聴くものだから、自分が感じたままを味わえばそれでいいのだ、よい演奏はおのずと感動を与えてくれる、と信じている人は、幸せです。この世界では、なんと「鑑定者」の多いことでしょう。CDを購入するにあたっても、まず頼りにするのは宇野コーホーセンセイや吉田ヒデカヅセンセイのご意見です。センセイたちのお勧めのものを買ってはみたものの、なんか違うぞ、と感じても、きっと自分の感受性がまだ未熟なのだと納得してしまう奴の、なんと多いことでしょう。そんなことはないのです。もっと自分の耳を信用してください。
 そうは言ってはみたものの、なかなか試聴する機会に恵まれなければ、その手の評論家の意見が大きくものを言うという現状は、しばらくは変わることはないのでしょう。シロートのくせに、自分のサイトで「このサイトの批評を参考にして、CDを購入してください」などと臆面もなく言っている奴がいるぐらいですから。私にしてからが、「おやぢの部屋」はともかく、毎月「Magi」では、おそらくそれを目安にして実際にCDを買うことが確実にあるであろう人たちを相手にレビューを書いているのですから、恐ろしくなります。決して「鑑定者」にだけはなりたくないとは思っていますが。
 その原稿、今月もたっぷり書かされていますが、いつも通り、締め切りに遅れることはないでしょう(締め切りが本当はいつなんだという疑問はさておいて)。さらに、今月はちょっと新境地を開拓できるかも。いくつになっても「初体験」があるなんて、わくわくしますね。
aventure number : 0113 date : 2003/2/11


今日の禁断 007

 いらっしゃいませ。見つけられました?あることないこと、人の迷惑も顧みず書き連ねているこの駄文、そもそもトップページのような晴れがましい場所にあるべきではなかったのですよ。これからはひっそりと、サイトの奥深くで、本当にこの文章を楽しみにしてくださっている人たちのためだけに書くことにしましょう。いたずらを真に受けて、あらぬ言いがかりをつけるような人には、読んでもらいたくはありませんからね。そんな人は、このサイトにアクセスする資格はありません。
 前回の「禁断」で「新境地」などと書いたものですから、そんな、本当のファンの「あの人」には、「何のことですか?」などと聞かれてしまいましたよ。やっぱり、本決まりになるまでは書かなければよかったのですね。そんな早手回しの見せびらかしなども、不快に感じる人はいるのかもしれませんし。結局、あの話は1日でお流れ、ぬか喜びというやつでした。それよりも、目の前にある締め切り前の原稿を片付けねば。
 さて、バレンタイン・デーの前の日に練習が行われることになったので、ある程度の期待はしていたのですが、まさか本当にチョコレートをいただけるとは。この場を借りて、お二人には感謝の気持ちを伝えさせて下さい。一月後にはお礼の気持ちのマカロンなどが届けられることでしょう。さらに、団員以外の方からも、心のこもった贈り物が届いています。それは、ボーナスDVDもついた「ボンド」の最新アルバム。サンプル盤というのがミソですが、「ボンド」に引っ掛けた、「編集部より愛を込めて」などというしゃれたメッセージに見られる、送り主のセンスのよさに思わず心が和んだものです。分かりますよね、モトネタ。
 練習の方は、例によって木曜日の常で出席は芳しくありません。マラ5の3楽章をやったのですが、楽器が足りなくてスカスカ、マーラーのオーケストレーションの妙味を変なところで実感出来てしまいました。あっチャンとちほさんが揃って休むというハプニングがあって、フルートパートは私とまことクンのオトコ二人という珍しいことになっていました。そして、後半のリュッケルトでは、当然のことながらフルートは二人とも代吹きということになります。「真夜中に」をやっているときのタセットの弦楽器に、しっかり注目されているという体験は、ちょっと怖いものがあります。
 練習が始まる前には雪が降っていましたが、終わってみると雪はやんだものの駐車場は地面が凍ってツルツル、車はドアが凍り付いて、簡単には開かないほどでした。ウィンドウはもっとひどく、どうやっても下りてくれません。だから、料金は外に降りて払わなければなりませんでした。
aventure number : 0114 date : 2003/2/13


今日の禁断 彩華

 おいしい中華のお店を見つけました。もちろん、おいしいのはそのお店で作っている料理ですが(お約束)。じつは、去年の暮れに人妻と「東京ミレナリオ」を見に行ったとき、横浜の中華街で食事をしたのですが、そのお店が見事に「ハズレ」。これだったらご近所の「とらのこ」のほうがよっぽど旨いと、がっかりして帰ってきたことがあって、それからは機会を見つけて、横浜まで行かなくてもすむようなお店を探していたのです。今日行ったのは、稲荷小路の、最近建て替えて新しくなった3階建てのお店。席に座ると、簀巻きにしたお絞りとジャスミン茶を持ってきてくれました。そのジャスミン茶、茶碗にふたがしてあるのですが、開けてみると中にお茶っ葉が入ったままです。一瞬、どうやって飲むのかと考えてしまいましたが、そのお茶っ葉が入った容器を取り出して、先ほど外したふたを裏返した上に置くようになっているのですね。そんな「初体験」だけで、まず嬉しくなってしまいます。五目やきそばとシューマイを頼んだのですが、そのシューマイが、なんと7個入って350円、あとで外にあるショーウィンドウを見てみたら、このシューマイだけは創業以来ずっと値段を変えないで来たんですって。もちろんやきそばもおいしかったし、さっきのジャスミン茶はお代わりももらってしまいましたよ。
 のんびり外で食事が出来たのは、今月分の「Magi」の原稿を全て書き上げて、今朝送り終わったから。いつになくヴァラエティに富んだラインナップで、文章力に難のある私としてはかなり大変な思いをしていたので、完成した喜びもひとしおです。フルートと合唱と現代音楽はまあ専門だからいいとしても、残りがヴァイオリンとイギリス音楽と、アジアのコンピですからね。しかし、ここではたと思い当たったのは、なぜか私への依頼にヴァイオリン物が多いということです。それで、今まで書いてきた「Magi」をひっくり返してデータを取ってみました(物好きな)。一昨年の11月号から、今書き上げた今年の3月号まで、インタビューは除いた、ライターが執筆した形のレビューの中で、ヴァイオリン奏者に関係したものが全部で24本あるのですが、そのうちのじつに13本を私が書いていたのですよ。私以外では、「鈴木」さんが7本、「篠田」さんが3本、そして「編集部」さんが1本。いかに私がヴァイオリンに関して珍重されているか、一目瞭然ですね。しかし、この結果を見て、私自身には釈然としない思いが残りました。大体、私はヴァイオリンとか弦楽器に関しては全くのシロート、とても演奏を聴いてきちんと批評するなどという能力はないと思っています。そのような力だったら、「鈴木」さんや「篠田」さんといったその道のプロの方の方がずっとあるはずです。おそらく、一番最初に原稿を書いたとき、「もう1本お願いします」と軽いノリで頼まれたサラ・チャンのレビューが、自分で言うのもなんですが、割と良い出来だったので、編集者は勘違いをして注文を続ける気になったのでしょう。この世界、そんな甘いものではありません。いつまで、この付け焼刃が通用することでしょう。
aventure number : 0115 date : 2003/2/15


今日の禁断 コロンボ

 しみじみ昔の「ニューフィル日記」などを読み返しているというのは、心の寒さを少しでも癒せればというセンチメンタリズムの現れなのでしょうか。読み始めるとついつい面白くなって止められなくなってしまうのは困ったものです。しかし、読み返してみると、誤字、脱字がかなりあるのには驚かされます。今読んでいた99年11月30日の日記では、とてもフルート吹きが書いたとは思えないような、恐ろしく幼稚なミスがあったので、あせって直したところです。いまさら直してどうなるものでもありませんが、私なりの精一杯の誠意です。そんなものがあれば、「禁断」を書くときでももっと周囲の人間に気を使えというご指摘には、「ごもっとも」とうなだれるしかない私です。そうやって人間は角が磨り減り、模範的な社会人となるのでしょう。天使が人間になるように。
 という前振りで、さっきまで見ていた「ベルリン 天使の詩」へと話をつなげるのは、とことん文章力のない書き手です。などと自虐的なことばかり言っていると、それを真に受ける人がいるからネットとは恐ろしいところ、でも、多くの人の目にとまることを前提にしているネット日記で、本気でそんないじいじしたことを書いているような人がいたら、その人は確実に精神を病んでいますよ。まあ、何を言っても理解できない人はいるということで、「天使の詩」です。この映画はずっと前から見たいと思っていたものでした。その理由の一つが、字幕を、「ドクトル・ジマク」でご紹介した池田香代子さんが担当しているということ。オペラの字幕であれほどのいい仕事をなさる方が映画ではどんな成果をあげているのか、興味がありますよね。見たかった理由はもう一つあって、これはもう察しがつくでしょうが、この映画をリメークしたという「シティ・オブ・エンジェル」との比較です。じつは、ニコラス・ケイジとメグ・ライアンという超売れっ子が出演していた、いかにもハリウッドというノーテンキな映画のほうを先に見てしまっていたのですが、これと、うわさに聞いていた「天使」のイメージとが、どうしても合致しなかったのです。今回、本家を見て、納得がいきました。この2つの映画は、オリジナルとリメークということになっていますが、作った人の志は全く別の方向を向いている、殆ど縁もゆかりもない作品だったのですよ。ヴィム・ヴェンダースの作品は、タイトルにもある「ベルリン」、しかも、統合前の、東独の中の陸の孤島としてのベルリンが、言ってみれば主役、その荒涼たる風景の中での不条理な台詞が、それこそ池田さんの的確な字幕で、ぐさぐさ突き刺さってきます。だから、物語の筋などはほんの付け足し、別に、天使と空中ブランコ乗りがどうなろうが、どうでも良いような気にがしてきます。ですから、その「筋」だけを取り出してただのラブストーリーに仕上げたブラッド・シルバーリングの作品との間に殆ど共通点を見出せないのは当然のことなのでしょう。
 「シティ・オブ・エンジェル」のタイトルが思い出せなかったので、ネットで検索したのですが、この映画をとりあげていたとあるサイトには、「当方、映画ライターです。書かせていただける媒体を募集しています」などという切実な告知がありましたっけ。
aventure number : 0116 date : 2003/2/17


今日の禁断 祥發順

 きのうのパート練習の帰り、あっチャンが「もう花粉症になっちゃいました」と言ったときは、まるで他人事のように「大変だね」としか思いませんでした。これは過敏なあっチャンに特有な症状、普通の人は、まだまだかかるはずはないと思っていたのです。今朝起きて、風邪もひいていないのに続けざまにくしゃみが出るまでは。どうやら、今年の私は異常に過敏な体質になっていたようですね。おそらく精神的にも。
 しかし、きのうの「パルシティ」の暖房の暑さは、過敏であるないにかかわらず、いつもながら誰しも異常と感じるものでした。それは、仕方がないので目いっぱい「冷房」を入れたにもかかわらず、練習が終わる頃になってやっと普通の温度に近くなってきたと言うぐらい、ものすごいものだったのです。麻里サンあたりは、コートの下はTシャツ1枚という賢い服装で防衛してました。私も次回はそれだな。いつものパート練習と違うのは、きのうは金管はそれぞれ楽器別に他のところでやっていたので、木管しかいなかったということです。この形の常として、出席者が極めて少ないというのは、今までの経験で分かっていましたから、ちほさんとまことクンから欠席の連絡があったときは、本気で練習をサボってあっチャンとどこかにしけこもうと思ったくらいです。しかし、行ってみたらクラリネットあたりは新しく入った人も合わせて4人全員、結局全部のパートが曲がりなりにもそろうという、いつかみたいな状態、2楽章を中心にした練習は、なかなか効果が上がったのではないでしょうか。本当は、こういう時こそ全員揃ってきちんとヤバいところを確認し合わなければ、という愚痴は、さっきまでよこしまなことを考えていた人には、言う資格はありません。
 ところで、この間おいしい中華のお店を見つけたのに味を占めて、またまた別のところへ行ってみたら、今度は見事にハズレてしまったというお話です。一番町の、昔丸善があったあたりの路地をちょっと入ったところにある、なんでも高名な文学者にゆかりのある由緒正しいお店がおいしいという噂を聞いて、行ってみたのですよ。お昼前だったので、お客さんは誰もいませんでした。どのテーブルの上にも最初から灰皿が乗っているのは気になりましたが、それよりも、昔懐かしい、ガラス製の蓋を抜いて中身を注ぐタイプの調味料入れには、少しそそられました。しかし、出されたやきそばのなんとお粗末だったことでしょう。色からして、にぶ〜い感じ、その原因はすぐわかりました。「もやし」が大量に入っているのです。麺もまるでパスタのような妙な柔らかさ、「焼きそば」なのに、焼いた形跡はどこにもありません。もちろん、味は最低、今まで生きてきた人生の中で、外食の料理を丸々残したというのは、初めてのこと、そのぐらいひどい味だったのです。シューマイも頼んだので、先ほどの調味料入れに入っていた「醤油」をつけたら、それがウースターソースだったという、おまけまで(普通、大、小とあれば、小さい方に醤油が入ってますよね)、もう2度と行くことはないでしょう。
aventure number : 0117 date : 2003/2/19


今日の禁断 スリラー

 最近、さかんにマイケル・ジャクソンがテレビに現れていますね。最新の「密着取材」の番組が放映されたとか、日本でも来週放映になるとか、しばらく露出が続くことでしょう。そうしたら、今朝放送になったN響定期にマイケルがピアニストの役で登場してきたのにはびっくりしてしまいました。なんて、それはゲルバーだったのですが、この二人、最近とみに似てきたと思いません?そのブルーノ・レオナルド・ゲルバーさんですが、なんと右手には掌いっぱいにテーピングが。なんか、アップで写すと右手全体が水ぶくれのようにパンパンになっていたので、一体どうしたのかと思ったら、肌色のテーピングだったというわけです。そのせいかどうかは分かりませんが、演奏は昔の華麗さはどこへ行ってしまったのかという、無残なものでした。
 さて、ニューフィルの定期も、そろそろチケットの話題などが出てくるようになって、いよいよ現実味を帯びてきました。事務局の話では、来月4日の練習の時にはチラシとチケットが渡されるそうですよ。かと思えば、掲示板では熱心な方がチケットの入手について質問してきましたし。こういう書き込みがあると、確実にホームページを通して情報を提供できているのだなという実感がわいてきて、嬉しくなります(しかし、なんで「アエル」なんだ?)。
 チケットが出来る前に、「かいほうげん」は出来あがります。25日の発行に向けて、すでに印刷を開始しましたが、今回もなかなかです。内容自体は、私自身は殆ど何もやっていないにもかかわらず、きちんと16ページ分のネタが集まってしまうのですから、すごいものですね。今回はJAO関係が大いに稼いでくれました。例年のフェスティバルと、ドイツに行って演奏してくるツアーの案内だけで4ページですから。ドイツの方は、Wordのファイルのまま送ってくれたので、そのまま使えます。・・・と思ったのが大間違いでした。おそらくバージョンが違っているのでしょう、日程表のテーブルなどをそのままコピペすると、なぜか行間が大きく空いて、ページからはみ出してしまうのです。さらに、ページの体裁を飾るために、影のついたオートシェイプ(長方形)をテキストの後に配置しているのですが、この送られてきた文書でそれをやると、プレビューでは問題ないのに、印刷してみるとテキストが長方形の後に隠れて見えなくなってしまうのです。いくら配置を変えてもダメなので、結局「塗りつぶしなし」にして、影だけ別に書くという非常手段をとりました。
 「満車予報」のために、青年文化センターに予定表をもらいに行ったら、ぜひ載せたいコンサートのチラシがあったので、印刷直前に差し替えです。そのために、写真も用意してあった新年会のレポートがなくなってしまいました。せっかくですので、前にアップした新年会のページに、この写真を追加しましょう。
aventure number : 0118 date : 2003/2/21


今日の禁断 ルガー

 今年のオスカー・レースの覇者として最も期待されている作品「戦場のピアニスト」を見てきました。もし私が「映画ライター」だったなら、こんなレビューを書くことでしょう。
 「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」が演奏される中、エンディング・ロールが流れ出すと、不覚にも目頭が熱くなってしまう私が、そこにいた。ワルシャワのゲットーを脱出し、多くの人の力によって奇跡的に生き延びることができたユダヤ人ピアニストが、孤独な隠遁生活の間の心の支えとしていたものはいつも音楽だった。その彼が、終戦とともに再び聴衆の前で演奏したものは、片時も忘れることのなかったショパン。タイトルが終わるとともにその熱い思いのこもった演奏も終了、すかさず鳴り響く万雷の拍手と、スタンディング・オベーション、思わず私も拍手に参加したい衝動に駆られてしまったのも、ごく自然のことであろう。
 あいにく、映画に関してのおべんちゃら原稿を書く機会など到底ありそうもない私ですから、こんな、とことん良心にそむかなければ書けそうもないような文章を公にしないで済むのは、本当にありがたいことです。この作品については、今まで多くの先入観を植え付けられてきたものですが、正直言って、こんな映画だったとは想像もしていませんでした。最大の誤解は、ピアニストの自伝が原作になっていますから、音楽についての情熱とか、音楽の持つ力とかが、たとえ嘘でもいいからきちんと描かれていると信じていたことです。ところが、ここで見る限り、音楽が果たした役割というのは、ピアノを演奏することによってドイツの将校の庇護が得られたというだけのことではないですか。それはそれで、意味のあることに違いはありませんが、そこへ行きつくまでの過程がいかにも唐突過ぎます。瓦礫と化したワルシャワ(このセットは、さすがにすごい!)で一人サバイバル生活を続けるシュピルマン、廃屋のキッチンでやっと見つけた缶詰を開けようと苦労していて、とうとう床に転がしてしまう、その先にいつのまにか立っていたのがドイツ将校。それまでは、平気で見境もなく銃でユダヤ人を殺しまくっていたサイドの人間が、なぜか寛大で、「ピアニストだ」と言う主人公の言葉に、隣の部屋のグランドピアノを弾かせます。なぜそこに都合良くピアノがあるのかというのも疑問ですが、ここの字幕には重大な誤訳も潜んでいます。シュピルマンは「Ich war Pianist(ヘンなドイツ語ですが)」と過去形を使っていて、(その直前に「Ich bin・・・」と口篭っています)「かつてはピアニストだったが・・・」と言いたいのは明かなのに、そのニュアンスが全く伝わっていないのです。
 もちろん、実話に基づいているわけですから、事実に誤りはないでしょうが、ドラマとしての盛り上がりを求める余り、不自然な展開になってしまったと言う印象は拭えません。そしてなによりも、主人公がピアニストであることの必然性が、殆ど感じられなかったのが、この作品に感じた失望感の最も大きな原因です。
aventure number : 0119 date : 2003/2/23


今日の禁断 菊地武夫

 おととい映画を見に利府のMOVIXに行ったとき、ついでに、同じ敷地内にあるユニクロに入ってみました。別に何を買うというわけではなかったのですが、まあ、パンツぐらい見てみようかなぐらいの気持ちでした。もちろん、「パンツ」というのは、あれですよ。T−バックとか、フリルがついているとか、そんなんじゃなく、シンプルな花柄・・・ちがうって。そういうインナーではなく、下半身を足首までおおう衣服、普通「ズボン」と言ってるやつですよ。(T−バックで思い出しましたが、「シッピング・ニュース」という映画でそれを着て出てきたアバズレ女がケイト・ブランシェットだったなんて、全く気づきませんでした。あの人、あんなに胸があったっけ。)なんだか、話がおかしくなってきましたが、そのパンツ売り場で、あるものを見つけて、とても嬉しくなってしまいました。それはブーツ・カットのジーンズ。ヒッピーだった頃の私は、それこそベルボトムなどを履いていたものですが、そこまでいかなくても、お気に入りは裾がすぼまっていない形のものでした。ところが、しばらく前から、メンズのジーンズと言ったら、スリムとかストレートばかりになってしまっていたので、本当はジーンズ好きの私が、しばらく敬遠することになってしまいます。しかし、待っていた甲斐がありました。やっと、ブーツ・カットがこんな普通のお店でも売っている時代がやってきたのです。とりあえず、丈もウエストもサイズがあったものが1本しかなかったので、それしか買いませんでしたが、もし、ほかにもあったら、全部買い占めていたことでしょう。これからは、意に添わないチノパンなどを履かなくても良くなる、とても幸せな日々が待っています。
 そんな、新しいジーンズを履いての、練習でした。スタート時は、なぜか全然人が集まっていません。コントラバスあたりは一人も来ていないという、非常に珍しい光景でした。どうやら駐車場が込んでいるらしく、しばらくしてポツリ、ポツリと現れるといった感じ、それでも、終わり頃には、ほぼ全員が揃うことになるのですから、意気込みとしては全く問題なかったのでしょう。そう、今週の土日には、「末廣tutti」が待っているのですから。次号に原稿を書いてくれる愛人に、封筒にいれた原稿用紙をさしだして「これ、中に私の気持ちが書いてあります。読んでください。」とか言ってみようと思いましたが、本気にされたら困るので、それはやめました。
aventure number : 0120 date : 2003/2/25

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