0041(02/9/23)-0060(02/10/26)

今日の禁断 拉致事件

 今日はお彼岸の中日、日に日に秋の色が濃くなってきました。もうしばらくすると、あちこちでキンモクセイの香りを嗅ぐことができるようになり、否が応でも秋であることを実感しなければならなくなってくることでしょう。ところで、キンモクセイという名前を聞くと私が思い出すのは「サザエさん」です。なんと突拍子もない連想だと思われるでしょうが、まあ、訳を聞いてみてくださいよ。
 1973年8月8日、当時の韓国(大韓民国)の独裁政権の主だった朴正煕氏に、その2年前の大統領選挙で善戦を果たし、韓国国内の民主主義運動の旗頭として国民の期待を寄せられていた金大中氏が、滞在先の日本のホテルから、何者かの手によって拉致されるという事件が起こります。その事件の真相は、30年近く経った現在でも明らかにはなってはいないのですが、当時の日本ではそれこそ誰しも訳がわからない思いに駆られていたものでした。連日マスコミでは事件に関与したと思われる韓国の人物の名前が報道されます。その頃は、正確な表音表記などは行われてはいませんから、金大中は「キンダイチュウ」と呼ばれていました。そして、なぜか事件関係者の姓も「金」が多かったのです。そこで、しばらくして、朝日新聞に連載中だった「サザエさん」で、このようなネタが発表されるのです。
波平(出勤途中、キンモクセイを眺めながら)
 秋だなア
(通りがかった近所の人に)
 きんもくせいが匂ってきましたなア

近所の人(頭をかきながら)
 イヤァ、つい、今朝、テレビみなかったもンで
(真顔で波平に)
 そりゃ、どういう人物なんでス?
(首をかしげて)
 どーも、金(きん)大中事件は、わからンですなア

(ずっこける波平)
 説明の必要はありませんね。「近所の人」がキンモクセイを人物の名前と思ったのが、ミソです。しかし、そんなレベルの話ではなく、長谷川町子がこの4コマの中で見事に描ききった、この事件に対する一般国民の感情こそが、驚嘆に値すると気付いたのは、実はそれからかなり時間がたってからでした。今、テレビで毎週お約束のようにオンエアされているアニメがつまらないのは、原作の持つそのようなある種の力が見事に消え去っているからに他なりません。
 ところで、おとといは合唱のコンサートに行くか、「仙台フルートの会」の例会に行くか、最後まで迷っていました。ニューフィルの定期までにはもう例会はないはずですから、チケットを配るのはこの日しかなかったからです。結局、コンサートの方を選んでしまったのですが、これが正しかったことは、最近アップされたフルートの会の予定を見て明らかになりました。なんと、定期演奏会の当日は、しっかり例会の予定が入っているのですから。
aventure number : 0041 date : 2002/9/23




今日の禁断 パユ

 今月も残りわずか、例によって最新号の「Magi」が届けられる時期になりました。宅急便で着いた梱包を解くと、真新しいインクの匂いの本が束になって出てきます。原稿を送ったのはもう20日以上前のことですから、いったい何を書いたのかは、もうすっかり忘れてしまってしまっています。ですから、改めて自分の原稿が活字(もはや、こんなものは使ってはいませんが、便宜上)になったものを見てみると、忘れていたはずのあの頃の思い出が蘇ってきてほのかな感傷にひたってしまいます。本当にこんなことを書いていたなんて、信じられないような思いに駆られることもしばし、あんまり覚えがないので、元の原稿と比べてみたら、そこには編集者の手が入っていたとか。
 今月号では、私はクラシックだけではなく、ジャズのページにもレビューを書いています。ついに「ジャズ・ライター」の領域にまで、その活動範囲を広げたというわけです。もっとも、それはクラシックを素材にしたジャズアルバムということで、あくまで私の力の及ぶクラシックの分野に強引に引きずり込んで書いたものですから、そんな大それたものではありませんが。割付も、白黒ページの3分の1だけですから、そんなに目立つものでもありませんし、まあ、分相応というところでしょう。来月はいったいどんなアイテムが回ってくるのか、楽しみでもあり、不安でもあるところです。例のパユの新譜も出るということですが、これについてのコメントを私が書くということはまずないでしょうね(本当は書きたくてウズウズしている)。
 私がもっとも書きたいと思っているのは、現代音楽と合唱。前にも書いたように、普通のクラシックというのは、実は苦手なところがあります。クラシックの場合、どんな「衝撃的な演奏」といったところで、その「衝撃」さにはおのずと限度があります。せいぜい異なった版から別の音をもってくるとか、テンポを変えたり表情を大げさにする程度のことしか出来はしないのです。ところが、現代音楽の場合だと、そんな制限はほとんどありません。同じ曲であっても、演奏者が異なればまるで別な曲のようになってしまいます。もちろん、ジョン・ケージあたりの音楽は、最初から確定した形を想定していない、いわゆる「不確定性」がウリですから、演奏者、テイクによって違ってくるのはあたりまえです。しかし、きちんと楽譜を書いて音を確定するという作曲家の場合でも、そういう傾向があるから、面白くなってきます。それを痛感したのが、最近聴いたリゲティのチェロ協奏曲とヴァイオリン協奏曲。デ・レーウの新しい録音が出たので、ちょっと前に出ていたブーレーズが演奏したものと比べてみたのですが、それは、まさに「別の曲」でした。一つには、それぞれの協奏曲の一部に設けられている、ソリストによるカデンツの長さが全く違うということがあります(そういう、演奏者に任された部分が、往々にして現代曲にはあります)。それだけではなく、複雑に入り組んだスコアの中からどの声部を表に出すかというのが、それぞれの指揮者によって全く異なっているのです。その結果、同じ曲でも、完璧に2通りの楽しみ方が出来たということ、こんなこと、マーラーあたりでは絶対に味わえません。
aventure number : 0043 date : 2002/9/28


今日の禁断 たわしコロッケ

 今朝職場へ出勤してみると、社長(ではないか)が私に聞きました。「すごいピアノの秘曲があるっての、知ってるか?」。なんか、話を聞いてみると、テレビのワイドショーでそんな曲をとり上げていたというのです。社長(ではない)は、音楽は好きですが、私のような専門的で偏った知識をもっているわけではありません。だから、もちろんそこで話題になっていた曲の事は知ってはいません。いろいろ、「演奏できない曲」だとか「弾いた人は指が血だらけになってしまう」とか、言ってきます。私は驚いてしまいました。そんな曲、クセナキスの「シナファイ」しかありません。「シナファイか?」と聞くと、「そう、シナファイと言ってた」と社長(ではないって)は答えます。これは、私が「おやぢの部屋」でとり上げた、最新のCDに収録されているもの。私がこれをアップしたのが22日、件のワイドショー(フジテレビの「とくダネ!」)が放送されたのが25日ですから、「おやぢ」を見た人が番組を企画したということもありうるわけです。しかし、よく聞いてみると、ネタの出所は、どうやら0040でも触れたメーカーのインフォメーションみたいですね。
 いずれにしても、ワイドショーでクセナキスが取り上げられたなんて、空前絶後の出来事です。その反響はものすごいものがあるだろうと思われるのは、この件を詳しく調べようと思って検索してみたら、こんな最近のことなのにすでに「Google」で5〜6件引っかかってしまったから。こんな短期間で引っかかるなんてよっぽど運の良いサイトです。JPでも検索できる最新のファイルは1ヶ月前のもの、だから、あと一月もしたら、この件を扱ったサイトは膨大な数が見つかるはず。そのぐらい、多くの人の関心を引いたということです。今では、もしかしたら、「真珠夫人」の「たわしコロッケ」よりも、「シナファイ」のほうが知名度が高いかもしれませんよ。現に、輸入盤でしか手に入らないこのCDは、大型店では飛ぶように売れているといいますから。「癒し系」もそろそろ飽きられてきた頃です。これが引き金になって、クセナキスのようなクラスター系の音楽がヒットする時代が来ないなどと、誰が断言できるでしょうか。「クラスター・エヴァー!」なんてものが出たりしたら、今のCD業界を少しは見直そうという気にもなることでしょう。
 ところで、JPでのこのところの関心事は「17万」でした。アクセス解析を新しくしてから初めてのキリ番ですから、今回はそのあたりのアクセス状況が手に取るようによく分かりました。トップページに行くとカウンターが上がるので、私自身は直接カウンターのサイトでその瞬間を見守っています。「あと10」ぐらいまではぼちぼちのペースだったのですが、それからいきなりペースが上がって、たちまち170005ぐらいになってしまいました。直近ログを調べてみたら、やはり、あの○ルマシアのサーバからのアクセスが12件連続しています。ピクニックのMIDIで、芋煮会の景気付けに余念のない1号様、どうか、ちさ子の、もはや時代遅れになろうとしている「癒し系」で、英気を養ってください。
aventure number : 0044 date : 2002/9/30


今日の禁断 アンケート

 今、まさに台風21号が仙台に向かって接近しているところです。「戦後最大」ということで、関係者は大騒ぎ、ニューフィルにもそんな関係者がいるみたいで、反応は機敏です。とりあえず、練習は少し早めに終わらせて、あまり荒れてこないうちに帰ろうということが、提案され、そのような措置を取ることになりました。ホールの中にいると、外の様子はほとんど分かりませんが、窓ガラスにはかなりの雨粒が打ち当たっているのはよく見えました。
 こんな天候ですから、蒸し暑いのなんのって。期間が過ぎれば決して冷房は入れないというお役所仕事の非情さを、これほど恨んだこともありません。半袖を着ていって、ほんとに良かった。といっても、今日は前半がコンチェルトという、変則的な時間割りですから私は前半が降り番で休みということになります。こういう経験は久しぶり。だから、中には勘違いして、コンチェルトだけの出番の人が後半に来たら、もう終わってしまっていたということもありました。日程表にはちゃんと書いてあったのですが、実際に間違えるということは、やはり伝達の仕方に問題があったのでしょう。これからは、きちんと間違いなく伝わるような方法を考えていきたいものです。結局、真意を他人に伝えるというのは、本当に困難なことなのです。伝える側ではなく、受け取る側の気持ちにたった伝達をしないことには、どこかで不完全な情報しか流れないことになってしまいます。
 そんなわけで、ラフマニノフでみんなが絞られている間、○○サンにお願いされたアンケートを考えたり(けっこう面倒くさいものでしたが、調べたい内容は実によく分かります)、ロビーでゴロゴロしていたら、見慣れない若者がやってきました。そこで思い出したのは、ヴィオラの入団希望者のこと。まず私のところへメールをよこされたので、そのままヴィオラパート転送、その後の経過は、さっき1号様に聞いたところでは、「今日来るかも知れない」ということでした。その方なのでしょう。何でも、携帯で今日は早く終わる予定だから、来るなら早めに来いと言われたのだとか。1号様はマメに連絡をおとりになっていたのですね。東京から今仙台についたばかりで、その足でまっすぐここまで来たそうです。その熱意で、もはや入団は確定ですね。これで、やっとヴィオラにも明るい話題が出来ましたね。12月までの限定というのでなければ、さらに明るいのでしょうが。
 後半のフランクは3楽章だけ。あっという間に終わってしまい、私としては物足りなさでいっぱいです。まあ、こんなこともあるでしょう。実は、精神的にちょっと不安定にならざるを得ない状況があったのですが、そんな時にどのくらい集中して演奏できるか、という、私の中での実験みたいなことを試みてみたのです。結果的には、満足とはいきませんが(かなり音をはずした)、まあ、自分でコントロールできる範囲内で物事が進んでいたので、良しとしましょう。こういう訓練をしておけば、本番の前にかなりの大事件があっても、充分対処できることでしょう。
aventure number : 0045 date : 2002/10/01


今日の禁断 ハムスター

 トップページが少し変わりました。実は、今日という日は、この「ジュラシック・ページ」にとって、記念すべき日になったのです。つまり、このサイトが晴れて「仙台ニューフィル」から離れて独り立ちできたということです。タイトルバナーの下の「定義」を見てもらえば分かりますが、かつての「web版かいほうげん」という言い方に代わって、「私による、音楽の話題満載のwebsite」という表現が見られるはずです。「かいほうげん=私」みたいなところはあるので、そんなに違わないだろうとお思いでしょうが、この違いは私にとっては大きなこと。これを達成させるために、これまでに段階的にマイナーチェンジを行ってきたことは、お気付きのことと思います。まず、オフィシャルサイトが出来た時点で、コンテンツのうち、ニューフィルに関係深いものの一部を移しました。それから折をみて、残りのものを移してゆき、やっと今日、最後の「団員の投稿」と、「素顔の団員」を移し終えたのです。その前の段階で、この日記も「ニューフィル」とは関係のないネーミングに変わっていましたしね。
 そもそもこのサイトを立ち上げた時には、それまで発行されていた「かいほうげん」をそのままコンテンツとして使っていました。そのときそのときに練習していた曲について書きなぐったコラムが、かなりの量たまっていて、それが充分公開に耐えうると思ったからです。秀逸な団員の投稿もありましたし。ですから、この、ニューフィルの会報はいわばこのサイトの生みの親にあたるわけです。とても足を向けては寝られないという恩は、一生忘れることはないでしょう。しかし、発足してしばらく経つと、その関係は逆転してしまいます。それは「モツレク」を作ったあたりからでしょうか、ニューフィルの曲目には関係なく、私の興味の向くものに対してもいろいろ書きたいと思い始めてきたのです。もちろん、サイト独自の「日記」とか、「新譜紹介」といった企画も、どんどん加わっていきます。アクセスしてくる人も、ニューフィル関係者といった狭い世界だけではなく多岐に渡り、本ものの雑誌編集者や本ものの評論家、そして、本もののCDバイヤー、さらには本もののアーティストと広がっていったのです。
 だいぶ前に新装なったこの「禁断」も、ニューフィル以外の話題が多くなってきたのも、自然な流れでした。正直言って、スタート時からの定番だった練習日の日記ほどつらいものはありませんでした。練習でくたくたになって帰ってきても、いつもの家事を省くわけには行きません。洗濯物を取り込んで、アイロンをかけ、たたんで箪笥にしまうころには、もう日付が変わっています。ハムスターや鶉にも餌をやったりして、それから日記にかかるわけですから、もう意識は朦朧、気の利いた言い回しなど、出てくるはずもありません。それでも、楽しみに待っていてくれる人は確実にいると信じて、眠い目をこすりながら、仕上げているのです。だから、たまには不用意な言い方が出てしまうこともあるのでしょう。しかし、これは誓っても良いことですが、私はニューフィルの人たちの誰にでも、悪意を持って接したことはありませんし、そんな文章を書いたこともありません。その辺のことは、もちろん愛人達はよく分かってくれています。しかし、そうではない人の中に、私が本気で悪意を持って書いたと誤解されてしまったのは残念でなりません。というか、そんな辛い思いをして「禁断」を書く意欲など、全くうせてしまいました。ですから、これからは、練習日にすぐ「禁断」ができることは期待しないで下さい。他にいいネタがあったときには、練習のことすら書かないかもしれませんし。そもそも、このサイトをニューフィルから切り離したのも、私がニューフィルを辞めても「ジュラシック・ページ」は続けていきたいと思っているからなのですから。
aventure number : 0046 date : 2002/10/02


今日の禁断 隠れんぼ

 普段何気なく見ているホームページですが、その中身と言うか、成り立ちについては、実際に作ったことがある人以外にはそんなに関心があるものではないでしょう。しかし、いやしくも独り立ちしたサイトのマスターとしては、いったい「ジュラシック・ページ」がどのような仕組みになっているかということは、きちんとお話しておいた方が良いのではないかと考えます。退屈でしょうが、しばしのお付き合いを。
 ホームページの単位は、ご存知「HTMLファイル」というもの。今ご覧のこのページのように、一つの画面の中に入っていて、スクロールできる範囲のものを指し示します。全てのファイルには名前が付けられており、このファイルだと、「kindan.htm」と言うのがその名前です。「.htm」というのは、HTMLファイルをあらわす拡張子ですね。「ジュラシック・ページ」の場合、全部で600以上のHTMLファイルでサイトが構成されています。それらのファイルは、私が加入しているプロヴァイダのサーバの中の「www.ne.jp/asahi/jurassic/page」という場所に収納されています。「/」という記号はフォルダをあらわします。つまり、「asahi」という名前のフォルダの中の「jurassic」というフォルダの中の「page」というフォルダの中に、600以上のHTMLファイルと、無数の画像ファイルが納められているのです。いい忘れましたが、HTMLファイルというのは画像をページの中にどのように入れるかを指定するだけのものですから、例えばこのページの「TopPage」といったボタンや「JM」といった壁紙の画像は、別に用意しておかなければなりません。
 もちろん、「page」フォルダの中にそのまま全部のファイルを納めてもよいのですが、それでは取り扱いが大変なので、その中にさらにフォルダを作ります。このページのファイルは「kindan」というフォルダの中に入っています。したがって、このページのあるところは「www.ne.jp/asahi/jurassic/page/kindan/kindan.htm」ということになるのです。このフォルダには、その他にバックナンバーのファイル「kindan_01.htm」と「kindan_02.htm」、それにバックナンバーの目次「kindan_00.htm」が入っています。
 これら全てのファイルが、トップページである「index.htm」というたった一つのファイルから、クリックすれば別のファイルを呼び出せるという「ハイパーリンク」、いわゆる「リンク」で、まるでねずみ算のようにつながって、「サイト」を形成しているのです。このリンクは、場所さえ指定すれば、どこにでもつなげることは出来ます。つまり、さっき述べたフォルダの中にないファイルにもリンクすることはできるということです。0046で「オフィシャルサイトから切り離した」と言ったのは、ファイルの場所は全く変えずにそのリンクだけを変えて、オフィシャルサイトのある「www.asahi-net.or.jp/~cd4a-yme」からつながるようにしただけのことなのです。
 ところで、先日「愛人規約」という新しいファイルを、期間限定で公開、ということは、このサイトの中にリンクしました。運の良い方はもうご覧になったことでしょうが、別に全世界へ向けて発信するほどのものでもないので、今ではリンクを切って、どこからも見ることが出来ないようになっています。つまり、サイト外に存在しているというわけです。そういう時は、直接そのファイルにアクセスするという方法があります。フォルダ名は「人目を忍ぶ」、ファイル名はもちろん「愛人」、捜してみて下さい。
aventure number : 0047 date : 2002/10/05


今日の禁断 華王飯店

 3月に一緒に鎌倉に行った人妻と一緒に、今度は日帰りで横浜まで行ってきました。その人妻がかつて出演したことがある、仙台で初演されたオペラが、全く別の演奏家で再演されるというので、見に行ってきたのです。なぜ私が行くことになったかというと、それは、一人で行くよりも、男と女のペアで行った場合、新幹線の料金がかなり安くなるというキャンペーンを見つけたからです。なぜか男同士、女同士では割引がきかないということ、やはり、相手は私しかいなかったのでしょう。
 待ち合わせは、仙台駅の新幹線の改札でした。しかし、発車の時間が迫っているというのに、その人妻はなかなか現われません。もしや、何か不測の事態が発生したのかもしれません。愛人を差し置いて、別の人妻に走った報いでしょうか。何よりも、「男女ペア」で安くなるチケットですから、片方が来ない時にはいったいどうなってしまいのでしょう。一人しかいないことが分かった時には、差額の料金を、払わなければいけないのでしょうか。あれやこれや、よからぬことを考えていると、やっと来ました。何でも、東口のパルシティに、属している合唱団の会場の予約に行っていたのだとか。彼女のご主人が嫉妬に狂って外出を阻んだわけではなかったのですね(それはありえない)。
 新幹線に乗り込むと、車掌が廻ってきてチケットをチェックするのは、お約束の手順です。その車掌が歩いてきたのでチケットを用意したのですが、なぜか通り過ぎていってしまいました。結局チェックはなしで東京まで着いてしまいました。この謎は、帰りの新幹線で明らかになったのですが、自動改札を通った時点で、指定席に乗り込む乗客のデータが車掌に送られるようになっているので、車掌はそこに人がいることさえ確認すれば、チケットを見る必要はなくなっているのだそうです。しかし、これは、私達のような「男女ペア」限定の場合でも、ちゃんとそのようにデータが来ているのでしょうかね。そこでもし、車掌が男の二人連れを発見した時には、どのような措置を取るのでしょうか。これは、ぜひ、実地に確かめてみたい気がします。
 横浜に着いたのはお昼前、オペラは4時からなので、近くの中華街で食事でもしようと、とあるお店に入りました。別にガイドブックで前もって調べたわけでもなく、店先にあったコースのメニューがおいしそうだったので、たまたまそこを選んだだけなのですが。店の中はほぼ満員、奥の大きな丸テーブルが空いていたので、無愛想な中国人の店員は、有無を言わせず相席にさせようと「奥のほう」と指定します。言われるままにそこに座り、オーダーを検討していると、妻(おっと、「人妻」でしたね)がびっくりしたような顔をしました。我々に続いてそこのテーブルに案内された客の一人が、なんと彼女の知り合い、やはり同じオペラで一緒に歌った仲間だというのです。こんな偶然ってあります?何百とある中華料理のお店のたった一つに、こともあろうにはるばる仙台から来た、しかも知り合い同士が同じテーブルにつくなんて。彼女は、私が相手になんと思われているかを考えたら、とても食事など喉を通らなかったことでしょう。
 あかりにせがまれていたので、東京駅で「人形焼」を買いました。ついでにニューフィルのみんなにと、「サザエさんケーキ」を買ったのですが、家へ帰ってみるとあかりは「サザエさん」のほうがいいと言います。だから、ニューフィルには「人形焼」を持っていきましょう。
aventure number : 0048 date : 2002/10/06


今日の禁断 東北限定

 私はウニが大好きです。「うまい鮨勘」に行っても、ウニの軍艦巻きは必ず注文します(あとは白魚の軍艦巻き)。そんなことはほとんどありえないことですが、もし今目の前にウニが山積みにされたいかだ(というのかな。木で出来た四角い枠)があったとしたら、ほんの数分でそれらのウニは私のお腹の中に入ってしまうはずです。
 有名な棒状の焼き菓子「○リッツ」に、「ウニ味」があるのを知らされたのは、だいぶ前のことでした。ご当地限定のアイテムだそうで、東北地方でしか販売していない、レアなものだそうなのです。しかし、○リッツとウニとの結びつきは、ウニ好きの私が考えてみてもちょっと想像がつかないものがありました。そのときは話だけで実際に食べることはありませんでしたが、ウニ好きの私のことですから、いずれこのウニ味○リッツを食べる日が来るのではないかという予感のようなものは、確かにありました。
 私がそれを口にする日は、意外と早く訪れました。それは今日の練習の時。おととい東京で買ってきたお土産を配ろうと準備をしていたら、29号がいそいそと大きな箱に入ったその名も「雲丹味○リッツ」を持ってきました。「試作品で〜す。ぜひ食べてみてくださいね〜」と甘ったるい声で囁くのです。考えてみたら、29号の職場は、このお菓子を作っているメーカーでしたね。1本づつ袋に入って箱の中に20本ほど、しかし、確かにその袋には何も印刷されていなくて、いかにも試作品という感じでした。それは、だから、私のお土産と一緒に、主として愛人達へ配られることになるのです。しかし、気になるのは、ぜひとも私に食べてもらいたいという、29号のすがるような目つき。このような珍しいお菓子、ぜひとも私に味わってもらいたいという、ひたむきなまでの思いのたけが、痛いほど伝わってくるではありませんか。
 みんなに配ってまわっていたら、1号様のところで全部貰い手がついてしまい、私が食べる分がなくなってしまいました。残念ですが、私はほんの少し割っていただいたかけらを口にするしかできませんでした。しかし、29号の真心を受け取るには、これだけでも充分でしょう。普通の○リッツの味に混じって、なんともいえない、確かにウニの香りが、口いっぱいに広がります。飲み込んだあとでもそのエキスの味は口の奥に残り・・・残り・・・残り・・んっっ!これは!なんという気持ち悪さ。唾を飲み込むたびに、その不思議な、はっきり言って「不味い」味が、舌の奥からしみ出してきます。この時、私は、29号の本心を知ったのです。この、とても人間の食べ物とは思えない凄まじい食感を、身をもって体験してほしいという、ひたむきなまでのいじわるな思いのたけだったのですね。はい、確かにその思いは痛いほど(気持ち悪くなるほど)伝わりましたとも。そう言えば、「2度と食べる気はしない」とも言ってたのに。
 ところで、今日が初顔合わせのピアノの佐藤さんは、素晴らしい方ですね。余裕を持って自分の音楽を作っているのがよく分かります。3楽章の、本当に難しいソロはイマイチでしたが、その他は実に堂々としたもの。あとで松尾さんがこの曲を弾くのも、オーケストラと合わせるのも初めてと言っていましたが、とても信じられません。この分だと、さっきのソロも本番までには完璧にクリアしてくるのでは。
aventure number : 0049 date : 2002/10/08


今日の禁断 巨人の星

 ノーベル賞が、いまやマスコミの話題を独占していますね。特に、化学賞の方は、そのユニークさで何かと注目を集めているようです。おそらく、これからは知人や親戚が急激に増加することでしょう。なにしろ、彼の卒業大学の地元では、学生時代に下宿していた家のおやじまでテレビに出てくる始末ですから。私だって、一応「東北大学」を卒業していますから、彼のずっと後輩(ん?)になるわけですしね。といっても、そんなものを「便乗」と非難するのは、ちょっと安直過ぎやしませんか。本当の「便乗」とは、彼に「県民栄誉賞」を与えるとおっしゃっている宮城県知事みたいな人。どう考えても、田中さんは宮城県人ではありません。
 ところで、ノーベル賞と聞いて私が思い浮かべるのは、井上陽水の「氷の世界」。73年に発売された同名のアルバムが、史上初のミリオンセラーとなるという、当時の大ヒット曲です。今聴きなおすと、スティービー・ワンダーの「迷信」そっくりで、ちょっと恥ずかしくなりますが、この中に、
そのやさしさを密かに 胸にいだいてる人は 
いつかノーベル賞でも もらうつもりでがんばってるんじゃないのか
 という歌詞があります。実は私は今まで、この部分はノーベル賞を揶揄の対象にしているものだと解釈していました。つまり、この頃はちょうど、あの佐藤A作が「ノーベル平和賞」をもらってしまった時期にあたっているので、「ノーベル賞も地に落ちた」という思いが込められていると思っていたのです。しかし、今回調べてみたら、A作が受賞したのは74年、この歌が出来た後だったのですね。だから、本当はその前年に受賞した江崎玲於奈さん(のちに雲丹プリッツを発明します)で日本中がわきかえっているのを皮肉っただけだったのでしょう。でも、まさに「がんばって」ノーベル賞を獲得してしまった人が直後に出てきたのですから、これはとんでもない偶然ですよね。
 さらに、この歌には
僕のTVは寒さで 画期的な色になり
 という歌詞もあります。おそらく、今見るとなんということのない歌詞ですが、これにも陽水一流の仕掛けが施してあることに気付く人は、そうは多くはないはずです。この「画期的」という単語、何も知らなければ、普通の意味にしか取ることは出来ませんが、実は当時、さる家電メーカーのカラーテレビがこの「画期的」という言葉をキャッチフレーズにして、大々的なキャンペーンを行っていたのです。だから、その当時この歌を聴いた人はこの「画期的」は、「あのコマーシャルの画期的」という、特別の聴き方が出来たはずなのですね。それから30年近く経た今となっては、そんなコマーシャルのことを知る人はいなくなって、それでも歌は歌われ、作者の意図とは異なった聴かれ方をしていくわけです。
 
aventure number : 0050 date : 2002/10/10


今日の禁断 モツレク

 定期演奏会を明日に控えて、今日は会場の県民会館で練習です。しかし、今の私は、本当のことを言えば練習などに行くどころの話ではない程の切羽詰った状態にあるのです。それは、毎月の「Magi」の原稿が、締切をとっくに過ぎているのに出来上がっていないからです。いつもきちんと仕事をする私にしては珍しいことですが、なんせ、サンプルの音源が届かないのですから、どうしようもありません。今回の原稿は、同じテーマを持つ5点のCDを聴いて、それぞれのレビューを書くとともに、全体を統括するテーマにも言及するという壮大な、というか、私にとっては無謀なものです。なにしろ、全体のテーマを考察するためには、全てのCDをきちんと聴きこんで、底を貫く共通のモチーフを探し出さなければなりません。ところが、4点までは揃ったのですが残りの1点がいつまで経っても届く気配がないのです。
 このまま手をこまねいているわけには行きませんから、とりあえず原稿の構想だけは考えました。おそらく、全体の字数は2,000字程でしょう。だから、1枚のCDについて400字、それに話の枕として400字、さらに、もっと多い字数を要求された時のために300字程度のネタも用意しておきましょう。これでもう安心です。あとは字数にあわせて書きさえすれば良いのですから。今あるCDもちゃんと聴いたし、あとは練習の後半は降り番ですので、その間に書く内容を考えさえすれば、残りのサンプルが届く時には、それ以外の部分は完璧にできているという寸法です。
 しかし、前半の出番が終わって客席で佐藤さんのピアノを聴いていたら、思わず身を乗り出して聴き入ってしまうほどの演奏だったので、そんな原稿のことなどさっぱり忘れてしまいましたよ。もう圧倒されっぱなし、演奏しながらオーケストラや客席の方を眺め回して、余裕たっぷりの彼が作り出す音楽は、とても活き活きして柔軟なものでした。0049で「イマイチ」と書いたところも、難なくクリア、恐ろしいほどのテンポで弾ききっています。結局、原稿は構想を考えただけで全くの手付かず、今月こそは本当に落ちてしまうかも知れません。
 ところで、今日明日の仙台フィルの定期では、モーツァルトのレクイエムをやるというので、妻が今日の分を聴きに行っていました。私と違ってモツレクなど聴いたこともなかったのですが、所属している合唱団の指揮者が出演するというので行ったというわけ。帰ってきて言う事には、指揮者の外山雄三が、曲の途中で「モーツァルトが作ったのはここまでだから、私はここで演奏を終わります」みたいなことを言っていたそうなのです。プログラムを見たら、確かにジュスマイヤーが補筆した「Sanctus」以降は書いてありませんでした。なかなか味なことをやったものです。それも一つの見識でしょう。ただ、どうもオーケストレーションはジュスマイヤーを使っていたようですし、合唱団が100人以上というのもなんかチグハグな気がします。そうと知っていれば、ニューフィルなんかサボって聴きに行ったのに。
aventure number : 0051 date : 2002/10/11


今日の禁断 官製葉書

 やはり夕べは、禁断を書くことは出来ませんでした。今でもまざまざと思い出される、「あの人」との熱い時間。演奏会のあとの昂まりのせいとはいえ、ついに訪れたその瞬間は甘く、ほんの少しの罪悪感を伴うものでした。
 40人以上の参加者で、座る場所さえままならない打ち上げ二次会の会場「ワインバー」では、テーブルが離れていたこともあって、それぞれのゾーンで思い思いの話題に花が咲いていたようでした。「ようでした」というのは、私はフルートパートのゾーンから一歩も動かず、ひたすらあっチャンやちほさんと盛り上がっていたからです。結局、相当な酒豪とみられる佐藤豊作さんとは、最初に練習に来た時に「ホームページに掲載させてください」という会話を交わしただけ、シャイな私としては、あれだけの華々しい演奏を見せ付けられてしまえばとても気軽に話し掛けることなど出来ませんでした。松尾さんも然り。本当にビッグな人を前にしたときには、私は貝になります。
 それとは逆に、あちらから「禁断のファンです」などと言って来ようものなら、思い切り舞い上がって饒舌モード全開になるのですから、つくづくあさましい性格なのでしょう。もちろん、愛人規約にあるような正規の手続きを経られて、ここにめでたく「15号」が誕生したことは、とくに6号にはきちんと報告しておく必要があることは、言うまでもありません。以前は、確か複数のソフトドリンクを用意して私を筆頭とする下戸たちを迎えてくれたはずの一次会の会場「東龍門」で、店長にわざわざ頼んで出してもらったウーロン茶をすすりながら最近の愛人事情を告げたときの6号の取り乱しぶりは、そのぐらい大きなものでした。
 エキストラなし、自前の団員のみによる全ての弦楽器パート、1000人を超える入場者数と「久しぶり」づくめの定期演奏会は、地震というおまけ付きで、成功裏に幕を閉じました。もっとも、私はその地震のことは全く気付きもしませんでした。「お客さんがざわざわしてた」とか、「吊りマイクが揺れていた」などと語る団員の余裕をひたすらうらやむばかりです。そんな大事件にも気付かなかったとは、よほど演奏に没頭していたのでしょう。事実、今回のコンディションは最悪、バッカナールのピッコロでBランクの成果しか上げられなかった私は、メインのフランクではすっかり守りに入ってしまい、ひたすらミスだけは犯すまいという余裕のない心理状態だったのでしょう。まるで王子様のような松尾さんのコスチュームによるインパクトも、もしかしたら心のどこかに作用していたのかも知れません。
 0051で待っていたサンプルが届いたのが、定期演奏会の当日。封筒を開けてみたら新品の葉書と編集長から「Magi10月号の5ページにあるプレゼントに、愛人たちを使って応募させてください」というメッセージがありました。こんなことで私の愛人がお役に立てるならお安い御用です。早速、ゲネプロ前に10枚の葉書は配り終えました。ここで愛人に連絡です。そんなわけですので、葉書がもらえなかった人は、自分で葉書を買って応募してください。
aventure number : 0052 date : 2002/10/13


今日の禁断 モーツァルト

 定期演奏会の報告をするべきページが、やっと少しアップされ始めました。今までは「JP」とオフィシャルページが渾然一体となっていたので、このようなオフィシャルのコンテンツでも、新しいものができれば更新記録に掲載したのですが、もはやオフィシャルとは何の関係もないと言った手前、こちらのサイトで面倒を見ることはなくなります。もっとも、こんな風に逐一「禁断」で報告することになるのでしょうから、そんなに支障はないでしょうが。今回打ち上げなどですごかったのは、デジカメの応酬。私など、何度カメラを渡されてシャッターを押させられたことでしょう。せっかくですから、「これは」という写真があれば、ぜひ送ってください。適宜修正なり合成を施して掲載しますから。いや、冗談でなく、今回は愛人との会見で忙しくて(1人10分)写真があまり撮れなかったものですから、よろしくお願いしますね。
 唐突に、話は1週間以上前のことになります。公式掲示板の方に、函館のアマオケの方から、「仙台オペラ協会の公演のチケットの入手方法を教えてください」という書き込みがありました。おなじみ末廣誠さんが指揮をなさっているオケだそうで、今回末廣さんが指揮をする「コシ」を見に来たいということでした。仙台オペラ協会のホームページは、確かヴィオラのお助けマンが作った素敵なのがあったはずでしたが、もう閉鎖されているみたいで、仕方なく末廣さんつながりでこちらに訊いてきたのでしょう。誰も返事を書き込もうとしなかったので、差し出がましいようですが、私がオペラ協会の電話番号だけでもと、書き込んでおきました。それに対して「早速電話してみます」という返事があって、それから後のことはどうなったかは別に気にしていませんでした。
 今日になって、オペラ協会の事務局長(そうですよね?)の方からアンケート経由のメールがありました。それによると、その方はその函館の方から連絡を受けて、おそらく公演に来てもらうことが出来たのでしょうね。全く知らないもの同士だったのが、結局当日は終わってから牛タンとビールで大いに盛り上がるまでの仲になってしまったということです。あの書き込みがお二人の縁を取り持ったなんて、インターネットは侮れません。
 だから、逆によほど注意をしないとどこで反感を買うか分からないから、恐ろしくなる時もあるわけで。今まで何度そのような目に会ったことか。ですから、あの下野竜也さんからのメールには、「またか!」と思ってしまいました。私のOEは、ウィルス対策でプレビューが見えないようになっています。メールを開かないうちは、タイトルしか分かりません。そのメールのタイトルは、「お詫び・メール削除のお願い」、この手のメールでさんざん嫌な思いをしている私が、このタイトルからまず考えたことは、「申し訳ありませんが、私のメールでおたくのサイトに掲載されているものは、全て削除してください。おたくのような人をおちょくってばかりいるサイトに私のメールがあるのは、もはや耐えられません。」というものでした。とうとう、あの下野さんにも見放されてしまったんですね。暗澹たる気分で開けてみたら、「私名義の怪しげな添付ファイル付きメールが送信されて来ましたらすぐ削除して下さい。ご迷惑お掛けして申し訳ありません。」ですって。
aventure number : 0053 date : 2002/10/14


今日の禁断 ハンドルネーム

 定期演奏会のページ、打上げの模様が追加されました。皆さんお待ちかねの「禁断の写真館」はまだです。おそらく、芋煮会の当日にでも、密かにブツが手渡され、今までにも増して過激なページ、公式サイトには決してふさわしくないページが出来上がることでしょう。一つお願いですが、写真をメールで送ってくださる方は(まだ誰もいません。そう言えば、私も誰にも送っていませんでしたね。)、タイトルをきちんと書いてみてください。見慣れないアドレスから添付メールが届くと、ためらわず削除されてしまいますから。実は、きょう「か」クンのアドレスで添付メールが届いたのですが、なんかあやしげな雰囲気が漂っていたので(なんでわかる?)電話で確かめてみたのですよ。そうしたら、やっぱり「出してません」ということで、悪質なウィルスメールであることが分かったばかり。あの下野さんのような大指揮者でも感染してしまうのですから、用心に越したことはありません。もっとも、大指揮者であることと、インターネットのセキュリティに長けているということとは、全く何の関係もないのですが。
 ところで、0054の後日談になるのですが、函館のアマオケの方から、御礼のメールが届きました。ところが、実際の物事の経過は、あそこに書いたこととは全然違っていたようで、今さらながらいい加減な憶測がまかり通っている「禁断」です。そもそも、掲示板に書き込みをされた方のHNが「ごんた」とかいう勇ましいものだったので、てっきり男の方だと思い込んでしまったのがまちがいの始まりでした。オペラ協会の事務局長さん(実は、この肩書きも私の勝手な思い込みでした。正確には「役員待遇」です・・・っと。いえいえ、普通の「事務局員」だそうです。)は女性だというのは知っていたので、たった数通のメール交換で見知らぬ男女があそこまで盛り上がれるなんて、私のような奥手の人間にはとても想像のつかない世界でしたから、「インターネットってすごいんだなぁ」と思ってしまったわけで。よく出会い系サイトで親しくなった話を聞きますが、メールだけでそんなに打ち解けられるなんて、とても私にはできるはずのない芸当です。ですから、函館の方が実は女性、2人のお子さんのお母さんと知って、やっと納得できたというわけです。
 ところが、その「ごんた」さんは、仙台までオペラを見に来たことに味を占めて、なんと、来年春のニューフィルの演奏会にはツアーを組んでやってきたいなどとおっしゃっていますよ。函館に末廣さんが行かれたときには、ほとんどマネージャーのようにお世話をなさっているとか、娘さんが同じオケで打楽器を弾いているので、何かと末廣さんにお世話になっているとか、家族ぐるみ、団ぐるみで末廣さんの熱烈なファンだというのです。大変なことになってしまいましたね。わざわざ函館から聴きにいらっしゃる方の期待に応えられるだけの演奏など、私達にはできるのでしょうか。いやいや、徐々に私の愛人が増えてきたヴァイオリンパートであれば、必ずや立派な演奏をしてくれることでしょう。もっとも、愛人であることと、ヴァイオリンの演奏に長けているということとは、全く何の関係もないのですが。
aventure number : 0054 date : 2002/10/16


今日の禁断 伐採作業

 だいぶ前の台風の影響が、まだ残っているとは思いませんでした。私の職場は広大な林の中にあります。ちょっとした用事があって、その林の奥に入ってみたところ、大きな木が倒れて、遊歩道(そんなたいそうなものではありませんが)をふさいでいるではありませんか。しかも、すぐそばの電話線に引っかかって下手をすると電話線に悪い影響がありそうです。この広大な敷地は、最近は業者に清掃を任せているので、なかなか目が行き届かなくなっていました。もっとも、この辺は業者もなかなか入ってこないところなのですが。いずれにしても、このままにはして置けないので、何とかしなければいけません。これが例えば大きな松の木とかだったたら植木屋さんを呼ばなければならないのですが、このぐらいでしたら、私一人の力で何とかなりそうです。なにしろ、私は木を切ることにかけては専門家です。特に、竹などは日常的に切っていますから、任せてください。という訳で、愛用のチェーンソーを持ってきて、その木は首尾よく取り除くことが出来ました。これは焼却炉まで運んで、燃やしてしまいましょう。でも、お昼になってしまったので、それは午後にまわして、ひとまず食事です。チェーンソーももう使わないから、倉庫にしまいましょう。と、歩いていったら、駐車場になんだか見慣れた人が立っていて、挨拶してきました。それは、しできさん。そのときの私の格好といったら、汗でびしょぬれになった作業用の派手なTシャツにゴム手袋、手にはチェーンソーと電工ドラムという、ほとんど植木職人、これでヘルメットでもかぶっていたら、完璧に造園業者です。しできさんもびっくりしたみたいですね。これがしできさんでよかった。もし、愛人の誰かにこんな姿を見られようものなら、誰も私のことを、今のような尊敬のこもったまなざしで見つめることはなくなることでしょう。
 しできさんが来たのは、演奏会のCDとDVDを届けてくれるためでした。いつもすみません。早くても芋煮会の時だと思っていましたから、感激です。早速、CDは職場で聴いて、意外とミスが目立たなかったのに安心し、家へ帰ってDVDを見たところです。明日の芋煮会には、お昼過ぎに来られるそうですので、きっとみんなにもCDとかが渡されるでしょう。
 ところで、末廣さんの演奏会でのマラ5のカップリングの候補曲が先方から示されて、技術委員会の中ではその情報が回っています。これを見て私がさすがと思ったのは、モーツァルトの交響曲第21番という、おそらくほとんどの人が聴いたことがないような曲があがっていたことです。もちろん、この辺りのモーツァルトが大好きな私には愛聴曲、とても爽やかでいい曲ですよ。だから、マラ5のような大げさでやかましい曲と組み合わせると、演奏会全体としてのイメージがとてもすっきりしてくるのですよ。31番も候補に上げていますが、これは太鼓やラッパも入って、中途半端になってしまいます。もう一つ(全部で3曲)の曲が、おそらく大多数の支持を集めるものと見られますが、これはいかにもありがちなカップリングで私にはよいセンスとは思えません。フルートも3本入って、降り番もなくなるし。
aventure number : 0055 date : 2002/10/18


今日の禁断 ニッカウヰスキー

 愛子(あやし)バイパスは思いのほか渋滞していました。洗濯物を干すのに手間取ってしまい、家を出たのは10時ちょっと前、これでは10時半の集合時間には間に合わないかも知れません。ニューフィル始まって以来の芋煮会、油断をして少し寝すぎてしまったことをこれほど悔やんだ時はありません。しかし、愛子駅入り口を過ぎると、嘘のように車が流れ出したので、まず一安心。と、携帯が振動、あっチャンからの電話です。「今どの辺ですか〜。渋滞がひどくて、遅れるかもしれませ〜ん。」と、私がさっき心配したのと同じ辺りで困っている様子。「そこを過ぎれば空くはずだよ」と言ってやりましたが、私の走ってきたすぐ後をあっチャンが走っているなんて、なんか不思議ですね(道は決まっているのだから、それはあたりまえだなどと言わないで)。
 ちょうど10時半に、目ざすニッカ工場に着きました。近くを通ったことはありますが、中に入るのはこれが初めてです。初体験、ってやつですね。広い敷地を通って、川べりの駐車場に車を置き、歩いてゆくと、たくさんのテントがあります。透明な防風シート越しに、幹事の1号様の姿も見えますね。前へまわってみると、もうすでに10人以上のメンバーが集まって、なんか、バーベキューのようなことをやってました。見ると、ビールも生ビールの飲み放題、すでに鎌サンあたりは存分に体内に注入したことが見て取れます。もう10時前には集まって、すっかり盛り上がっていたのですね。肝心の芋煮はというと、大きな鍋がガスコンロにかけられて、野菜が煮えるのを待っている状態、完成にはもう少し時間がかかりそうです。しかし、この光景は、私がついさっきまで抱いていた芋煮会のイメージとは大きく異なったものでした。実は、私にとっての芋煮会は、鍋と薪と食材を抱えて、河原の石で炉を作り、火をおこして煙たい思いをしながら作るものでした。何を隠そう、私は火をおこすことにかけては木を切るのと同じほどの専門家、手際よく火をおこし、居並ぶ愛人たちのハートも燃え上がらせようと(くっさ〜っ!)てぐすねを引いていたのですが、これにはちょっと拍子抜け。
 と、私が勝手に残念がっている間に、芋煮のほうはおいしそうに出来上がりました。中身は牛肉、大根、人参、牛蒡、葱、蒟蒻、シメジ、あとなんだっけ、あっ、里芋。味付けは山形風の醤油味ですが、なかなかいけますね。これも私には初体験。あやちゃんが宇都宮から持ってきた餃子も参加して、さんざん食べたり飲んだり(お茶ね)、河原まで行って石を投げたり、ニッカの工場の中を見学して、試飲会を楽しんだり(巨峰シロップね)、大自然の中で思う存分リフレッシュ出来ました。1号様、ありがとう。
 河原の石に座って食べれば、もっと「大自然」だったのでしょうが、テントの中にゴザとテーブルが用意されているのもこれはこれで味なもの、こういう健康的なイベントも、公式行事として定着すればいいですね。なんにしても、30人近くの団員が集まったのですから。しかも、その半数近くが、私の愛人なのですから。
aventure number : 0056 date : 2002/10/19


今日の禁断 再結晶

 予想通り、芋煮会の会場を舞台としたブツの授受は、白昼堂々行われました。200になんなんとするそれらのブツは、上物あり、クズ同然のものもありと、まさに採取されたままの姿、そこから成分が確かで効き目が高そうなものを選び出し、精製して、闇の流通ルートに乗せられるだけの品質にするのが、私の仕事です。そのような、まさに熟練の技をもって厳選されたものが、「禁断の写真館」には集められています。今回の「写真館」を読み解くキーワードは「個別化」と「変容」。(このフレーズ、もう少しすれば別のところでお目にかかれるはず。特に愛人の皆さんは、心して記憶にとどめて置いてください。)同じニューフィルの団員でも、いかに個性豊かなメンバーが揃っているか(「個別化」)、さらに、彼らがほんの数時間の間にいかに異なる表情を見せられるか(「変容」)というテーマが、極めて重要な意味をもってくるのです。くれぐれも、ただの酔っ払いが興に任せて撮りまくったものだなどとは思わないで下さい。よしんば、素材がそのようなものであったとしても、私の手によって、純度を高められたそれらのブツは、確かな効能をもって、その存在を全世界へ向けて主張しているのですから。
 そんな写真を集めて、今度の「かいほうげん」は発行されます。あ、「そんな」というのは、「写真館で使った」という意味ではなく、演奏会の当日の写真、ということですから、ビクビクすることはありませんよ。そちらに使うのは、「打上げ」にあるような、ちゃんとした写真です。中には松尾先生のように、決して「ちゃんと」はしていないものもありますが、まあ、それはキャラクターとして。しかし、ああいう具合に早口で面白おかしく喋られると、かなりキツいことをおっしゃっても全く耳に残りませんから得をしています。彼女ほどの地位の方だと、いろいろな場でご挨拶をする機会がおありでしょうが、あの調子だったら、主催者は戸惑うことでしょうね。それがアーティストというものなのでしょう。「はなはだ簡単ではございますが、これをもちましてご挨拶の言葉と代えさせていただきます」などというような常套句は、彼女の口からは絶対に出ては来ないはずです。
 話がとんでもない方へ行きそうなので、それは明日にとっておいて、その演奏会のページが見開き2ページ。もちろん、芋煮会の模様もしっかりレポートが掲載されるはずです。レポーターは、この画期的なイベントを成功に導いた幹事の1号様のたってのご指名の○○○さん。「どうしよう」とか言ってましたが、2〜3日中には500字程度のレポートが寄せられて、1ページ分が完成することでしょう。そうすれば、「懇談会」の議事録で2ページは確保できるはずですから、あとは毎月の連載物を作れば、めでたく16ページが完成するはずです。まさに「〜はずです」のオンパレードになってしまいましたが、これは要するに「皮算用」ということ、実際にそのように事態が運ぶ保証など、どこにもありません。だから、うまく行かない場合のスペアもきちんと用意するという周到さがないことには、到底、こんなことは続けられません。例えてみれば、振られた時の取り繕い方をきっちり用意してから、「好きだよ」と告白するようなもの(ちょっとちがうか)。
aventure number : 0057 date : 2002/10/21


今日の禁断 男爵

 また「第九」の季節がやってきました。しかも、今回は去年に続いて全楽章の演奏、ちょっとつらいものがあります。練習前に少し体力をつけておかねばと、セブンイレブンまで行ってしまったのが、間違いのもとでした。ほんの軽いものを少しだけおなかに入れておこうというつもりだったのが、中に入っておでんの匂いをかいでしまったから、もういけません。しかも、おでん売り場には、去年まではなかったはずの「じゃがいも」があるではありませんか。1個まるごとをそのまま具にしたもの、じゃがいもにかけては目がない私としては、これをまず食べてみないわけには行きません。ついでに大根も入れてもらいます。ホールの前の椅子に座って、まず大根を食べてみましょう。すっかりトロトロになっていて、箸でつかむと簡単に崩れるほど、汁が中まで染みていて、とてもジューシーです。お目当てのじゃがいもも、箸で小さく割ってまず一口。とてもじゃがいもとは思えないほどの甘い味が、口いっぱいに広がります。ハフハフいいながら、全部食べてしまいました。う〜ん、これはヤバイ。ここで後悔してみても、もはや遅すぎます。おなかが一杯になるまで食べてしまって、大丈夫なのでしょうか。
 そこで、1番とピッコロと、どちらがよりきついかを検討した結果、やはりピッコロは避けたほうが良いという結論に達した私は、あっチャンに無理やりピッコロを押し付けて(「無理やり押し倒して・・・」ではありません)、それでも決して楽ではない1番に、再度挑戦することにしたのです。まあ、しかし、本番を2回も経験したという実績は確かに蓄積として残っていて、以前はパート譜の1ページ目の最下段のC#→F#という跳躍にたどり着く頃にはバテきっていたものが、今回はなんなくクリアできたのには、ちょっと驚いてしまいました。前のようにギリギリの状態で吹いているというのではなく、きちんと客観的に自分の音が聴けるほどの余裕すら出てきた感じ、少しは楽しく演奏することができるかもしれません。結果的に、おでんは決して演奏の妨げにはなりませんでした。これからは、まずじゃがいも。
 ヴァイオリンあたりは、大幅に入れ替えが行われたようで、フルートからの眺めがガラリと違ってしまいました。これはこれでなかなか良いものです。いつも必ず来てる人が居なかったのはちょっと気がかりですが。それよりも、ヴィオラの1号様の姿が見えなかったのが、本当に気がかり。でも、懇談会が始まる頃には現われて、私が指摘したホームページのフレームのタグのまちがいを確認するために、わざわざHTMLをプリントして持ってくるという熱心振りを披露してくれました。「ここのhight=を消せばいいんだよ」などと専門家ぶっている私の姿を、愛人達はどのように見ていたことでしょう。さっき見てみたら、その部分は見事に直っていました。しかし、1号様の発言は意味深、果たして、その真意は・・・。
aventure number : 0058 date : 2002/10/22


今日の禁断 高木綾子

 このところ、MDプレーヤーが私の必須アイテムになっています。そもそも、MDが出始めた頃、弁当箱ぐらいの(そんなには・・・)プレーヤーを買って、それなりに使い込んだものです。その後のこのフォーマットの浸透ぶりは目覚しいものがあって、それに伴い、いつの間にかそれまで74分しか入らなかったディスクが80分入るのが当たり前になったり、プレーヤーのほうもどんどん小型化が進んで今ではマッチ箱程度になったりしていました。さらに、録音時間も標準の2倍や4倍を選べるようにもなっていましたし。ですから、もはや買い換えるのは時間の問題だと思っていたところに、例の「Magi」の編集部から「インタビューでもやりませんか?」という話があったので、良い機会だと思って新しいプレーヤーを買ったのでした。そのインタビューというのは、さる美人フルーティストとのもの。せっせとそのコのサイトに通ったり、別の、そのコのCDを出している会社のディレクターのサイトで情報収集をしたりして準備に余念はなかったのですが、なにしろ超売れっ子のアイドルフルーティストですから、スケジュールが合わなくて、結局そのインタビューは実現はしませんでした。ちなみに、巷間囁かれている、先方が、私の愛人癖に危惧を抱いて断ってきたというのは、全くの風説に過ぎません。
 その、軽くて使いやすいMDプレーヤーは、それからは指揮者練習の時などに大活躍をしてくれました。2倍モードで録音しても、音質にはほとんど遜色はありませんので、連続して2時間半は録音できますから、止めに行ったりする時間を気にしないで、演奏に集中できるのが最大のメリットです。マイクも、本体にじかに差し込んで使えるもの、モーターの振動を拾ってしまうので、そのノイズは少し気にはなりますが、使いやすさはその欠点を補って余りあるものです。
 おとといの懇談会では、そのMDプレーヤーで議事を記録してみようと思い立ちました。もともとインタビューのために買ったわけですから、少し人数が増えても対応できるはずです。ただ、なにしろ広いホールにバラバラに座っている人のそれぞれの声をとらえるのですから、おそらく聞き取れない声も出てくることでしょう、MDはあくまで補助手段、結局はいつもながらの手書きのメモが頼りになるのはやむをえないと思っていました。しかし、録音されたものを聴いてみて、びっくりしてしまいました。そこでは、はるかかなたで喋っている人の声でさえ、極めて明瞭に聴こえてきたのです。すぐそばにいた私などは、ほんの囁き声さえもきちんと録れているのですから。「・・仙台フィルの陰謀だね・・」とか。これだったら大丈夫、完璧な記録が出来ますね。もはや、あとで読み返してみても全く判読不能な走り書きの文字に自己嫌悪を覚えることもないでしょう。もっとも、こんな便利なものを使って、一時停止をしながら直接パソコンに入力するようなことをやっていたら、ますます手で書く字が汚くなってしまうでしょうけれど。
 仕上がったMD起こしの議事録は、正確さと精密さでは、メモによるものの比ではありませんでした。たった30分しかなかったのに、たっぷり2ページ分の原稿が出来てしまったのですから。さっちゃんが「ここ、議事録に載せないでね」とおっしゃっていた部分をまるごとカットしたにもかかわらずですよ。
aventure number : 0059 date : 2002/10/24


今日の禁断 ハーレム

 お待ちかね、芋煮会の公式レポートがアップされました。おとといあたりに、ニッカのカメラマンが撮ってくれた集合写真が1号様のところに届いて、直ちに私のもとにスキャンしたものが送られてきました。あのときに工場見学に行った人が写っているものですが、なぜか、参加者全員は入っていません。あの時、工場見学はしないで芋煮会場に残っていたのは、愛人14号、29号、30号、31号の4人。男性(!)1人、女性3人という組み合わせで、いったい何をしていたのでしょう。マージャンでもしていたのでしょうか。それとも・・・。
 寛容な私はそんなことは全く気になりません。マスターに隠れて何をしようが勝手ですが、せっかく行ったのに写真に入らなかったのは残念なので、一足先に仕事があって帰った方と一緒に、その集合写真に焼き込むことにしました。幸い、1号様の撮った写真の中におあつらえ向きのものがあったので、それを使います。これでめでたく、全員が揃った写真が出来上がりました。せっかくですから、男性2人には樽の中に入っていただきましょう。これが第1段階、ここでひとまずアップしました。
 レポート全体は、「かいほうげん」と同時進行で作っていました。発行までのケジュールを考えると、きのう中にこの芋煮会関係のページを半分でも印刷しておかないと、間に合わなくなってしまいます。そのためには、おととい中にのすりさんの原稿が届くことが必要になってきます。彼女は、果たして期日までに原稿を送ってくるでしょうか。おそらく「Magi」の編集長は、毎月こんな思いで原稿が届くのを待っているのでしょうね。
 そして、待望のメールが届きました。「芋煮レポートです」というタイトル、これこそ待ちに待ったものです。はやる心を押さえてダブルクリック、しかし、肝心の原稿はどこにも見当たりません。おそらく、別ファイルを添付するのを忘れたのでしょう。「原稿付いてません」という返信を出してはみたものの、もうかなり遅い時間ですから、よい子ののすりさんはもうパソコンをしまってお休みになってしまったかも知れません。祈るような気持ちで待っていると、1時間ほどして、今度はちゃんと添付ファイルが付いたメールが来ました。これで一安心、今度は余裕を持ってダブルクリック、ところが・・・、次の瞬間私の目に入ったのは、「この添付ファイルは安全でないため、メールからのアクセスが削除されました」という非情なメッセージでした。実は最近、ブラウザをもっとも新しいバージョンにアップグレードしたばかり、セキュリティ面ばかりがやたら強化されて、付属のメーラーでもこんなおせっかいなことが起こってしまうのでしょう。IE6のばかっ!
 今度こそ、送った「本文に貼り付けつください。」というメールは読まれることはないでしょう。と、完全に諦めていても、奇跡というのは起こるもの、それからさらに1時間して、やっと原稿をこの手に抱きしめることが出来た時の私の喜びが想像できますか。もちろん、印刷はこれでOK、公式ページにも、めでたくレポートが掲載されました。「禁断」もあるので、楽しんでください。
aventure number : 0060 date : 2002/10/26

02/10/28-12/5