0021(02/8/20)-0040(02/9/21)

今日の禁断 海外旅行

 空が抜けるように晴れ上がった、まるで秋のような一日でしたね。台風のなごりの風が吹きまくっていましたが、空気はとても爽やかで、いつぞやの暑苦しさはもう完全に去ってしまったと思いたいところです。そんな風に、休みを取っている間に季節が移り変わってしまったものですから、2週間ぶりの練習場にはも、はや冷房がなくてもほとんど暑さを感じないほどの心地よさがありました。
 前回の予想のとおり、お盆期間中のふるさとや行楽地から持ち帰ったお土産は、そこら中で飛び交っていました。私の場合は、それだけではなく、仕事に絡んだお渡しものが。まず、1号と9号からは、私は忙しくて行けなかった、ヴィオラパートというよりは、他のパートからも大勢参加してほとんど団の公式行事のようだったとの噂の飲み会の写真(CD)。まだ見てませんが、きっとこれが公開される日は近いことでしょう。次に、3号からもらったのは、新潟のJAOフェスティバルの写真とプログラム。これで、参加者全員のレポートも着いたことだし、次回の「かいほうげん」は楽勝です。そして、5号からは、スコアを貸してあげたお返しに「青ざし」の羊羹。6号もにこにこしながら近づいてきたので、受け取る体制に入ったら、これは単なる練習会場の連絡で、がっかり。
 そして、いよいよ本来のお土産です。盛岡とか、場所不明のものとか、得体の知れないものがどんどんまわってきます。しかし、極めつけは、31号の「シンガポール土産」です。例のライオンの形をしたクッキー、みんな珍しそうに、特に2号あたりは「これ、おいしい!」と大喜びです。しかし、それだけではありません。「愛人にしていただいて、ありがとうございました」と、密かな「贈り物」を手渡してくれたのです。これだけ聞くと、なんだかものすごいシチュエーションのようですが、何のことはない、先日の愛人手当て「Magi」のお礼なのですね。そうなのですよ。ここ仙台では決して店頭では入手することが出来ない、貴重な雑誌、最近では私の原稿だけではなく、他のライターさんの記事、例えば篠田先生のインタビューなども注目されて、その人気はうなぎのぼり(と、言っておこう)。
 ところで、0008で入院された事務局長が、無事手術を終えられて練習に来られました。その前に電話で留守中のものを渡す打ち合わせをしたのですが、そのとき「Magiもぜひ」とおっしゃってましたっけ。
aventure number : 0021 date : 2002/8/20


今日の禁断 パー練

 ヨーロッパ中部を襲った大洪水(ドイツ語だと「Hochwasser」といいます)は、ひとまずは収束の方向へ向かっているようですが、この水害がもたらした傷跡は、人々の生活に大きな影を投げかけています。0019で書いた、ドレスデンの有名な歌劇場、「ゼンパー・オペラ」では、その影響は特に深刻です。オペラ上演に必要な衣装などは地下の衣装倉庫に置いてあったのですが、浸水したために出すことが出来なくなってしまっていたのです。劇場の衣装係は、悲痛な声でこう叫びました。「ドレス、出ん。」・・・。
 失礼しましたっ。このところすっかりドイツにはまり込んでいたものですから。お盆も一段落して、自販機のチェックも必要なくなってきたので(本当はそれだけが仕事ではないのですが)、前からちょっと準備をしていた「トーク」をまとめてみようと思ったのです。ところが、資料をネットで調べているうちに、ほとんど同じようなことをすでにやっているサイトが見つかってしまいました。実は、ここは私にはお馴染みのサイトで、かつて「モツレク」や「ベーレンライター版」などでマスターと情報交換をしあったことがあるという、懐かしいところでした。今回は私の方が先手を取られた形になってしまいましたが、真似をされたと思われるのはしゃくなので、こちらは画像で勝負をしようということになりました。最初は、ネットで公開されている地図を使ってみようとも思いましたが、なかなか目的に合うものは見つかりません。ここは、自分で作るしかないでしょう。そこで役に立ったのが、やはり0019で買ったばかりの世界地図です。これをもとにして、ドイツの州別の地図の画像を作るというのが、今回の目玉と。出来上がったものは、自分でも惚れ惚れするほどの出来栄えでした。特に、今回、テキストの入れ方について、今までいい加減にやってきたものをきちんと勉強し直して(レイヤーとか)、ほぼマスターできたのが大きな収穫です。こうやって、人は少しずつ賢くなっていくのでしょう。
 冒頭のドイツ語の単語も、ドイツ中の放送局のサイトを見ているうちに自然に目に入っておぼえてしまったものです。サイト作りを通じてより幅広い教養を身につけることが、今ほどウェブマスターに求められている時はありません。そんなわけで、さきほど出来上がったのが、「ドイツの放送オケ」です。ご参考までに。
 そんなことをやっていたので、きのう借りてきた「納涼パート練習」の写真を見るひまなどありませんでした。夜になって、CDを開いてみてびっくり、1号のは100枚、9号のは、なんと200枚近くの写真が入っているではありませんか。合わせて300枚近くの中から、ニューフィルの公式サイトにふさわしい格式と品位を備えていて、なおかつ読者をとらえて離さないインパクトを持った物を選ぶとなると、これは大変なことですよ。「今週中にアップ」という1号の願望には、したがって、応えてあげるのは極めて困難な状況であるということを、知っていただきたいものです。
aventure number : 0022 date : 2002/8/21


今日の禁断 豚汁

 今ヴィオラパートの掲示板では、河原に鍋を持ち込んで、石を組んで作った即席のかまどに薪をくべ、鍋料理を作るパーティーの真っ最中。「芋煮会」という、東北地方独特の野外パーティーの話題が振られていたので、「芋、2回」などとしょうもない茶々を入れたところ、マスターの1号様がすっかり舞い上がって、収拾がつかないほどの大騒動になっています。

 これは、私が書き込みをした直後に、わざわざ私のところに送ってくださった「芋煮の起源」という、さる文献に登場する挿絵です。何でも、山形県の酒田港で、船頭さんたちが内陸への荷役の時間つぶしのために、手近にあった松の木に鍋をかけて芋を煮たのが「芋煮」の始まりだとか。その松は、今でも「芋煮の松」と呼ばれて文化財に指定され、山形県の人たちの心のよりどころになっているそうです。たかが松一本にこれだけの思い入れを持てることでも分かるように、山形の人たちがこの「芋煮」に寄せる情熱には、想像を絶するものがあります。毎年、シーズンが始まる頃には、河原に東京ドームほどの大きな鍋を用意して、芋や肉をダンプカーで投入、パワーシャベルの先につけた巨大なヘラでかき回すという、壮大な料理ショーが展開されるのです。もちろん、醤油はタンクローリーで運びます。う、うそじゃないですよ。さすがに「東京ドーム」はちょっとやりすぎですが、その他はまさに、実際に白昼堂々行われている、紛れもない真実なのですから。
 そんな山形の意気込みには到底ついていけないと悟っているクールな宮城県人は、同じ「芋煮」でも全く別の料理で、そのアイデンティティを主張しています。芋は里芋ではなくじゃが芋、肉は牛肉ではなく豚肉、そして、醤油ではなく味噌を味付けに使うという、ほとんど「豚汁」そのものというのが、宮城県の芋煮なのです。
 最近では、バーベキューセットなどを持ち込んで、ほとんどキャンプか何かのノリで芋煮をやっているグループも多いそうですが、やはり「鍋」と「薪」にこだわった本来の芋煮のほうがうれしいですね。掲示板では、山形出身の28号と3号が、かたくなに「山形風」を主張されていましたから、宮城勢との軋轢は避けられないのは必至です。どのような芋煮会が実現するのか、興味はつきません。ザリガニの刺身という選択肢も残っていることですし。
 ところで、先ほどの「豚汁」ですが、私はずっと「ぶたじる」というのが正しい発音だと信じてきました。しかし、最近この辺では「とんじる」と言わないと馬鹿にされるということに気がついたところです。あなたはいったいどちらの見方ですか?
aventure number : 0023 date : 2002/8/22


今日の禁断 ミッチ

 芋煮会実現へのきっかけとなった、先日の「納涼大パート練習」ですが、予定を大幅に早めて公式サイトに写真集をアップすることが出来ました。私は参加していませんから、そちらにも書いたように、「練習」の模様の詳細なレポートが待たれるところです。何でも、チェーンメールで寄せ書き形式の原稿が出来つつあるとか、きっと素晴らしいレポートが私の元へ届けられることでしょう。楽しみです。
 きのうと今日は妻が家にいなかったので、家にこもってひたすら家事をこなすかたわら、写真CDと格闘していたというわけです。ご覧になってお分かりのように、今回のテーマは「変容」。一人の人間が、状況に応じてどれだけ変わることができるのか、それを極限まで追求したものが、このコンテンツだと思っていただければ、それほど見当はずれではないでしょう。300枚もの写真の中から、このテーマに沿った作品を選ぶのは、私にとっては楽しみですらありました。ただ、1枚ぜひ使いたいものがあったのですが、どうしても人物が特定できず、泣く泣くあきらめたものがあります。

 これがそうなのですが、いったい誰だと思います?私は「か」クンではないかと思うのですが、なんか、女性のような艶かしさもあるし、いまいち自信が持てません。1号様でないことだけは、髪の長さから確実なのですが。
 これは公式サイトの話ですから、内輪で盛り上がっていれば済む話なのですが、「JP」の場合だと、外部との関係でさまざまな問題が起ることもあります。実は今、さる、日本有数の楽器メーカーのサイトに対してクレームを申し立てているところ。そのサイトでは、さるアーティストの説明をしたページをアップしているのですが、その文章が、私が作ったものと瓜二つなのです。私がアップしたのが今年の1月24日、あちらは7月4日ですから、あちらが剽窃しているのは明らかなのですが、何も知らない人が見て私の方が逆にマネをしたと思われたりするのは癪なので、「私のサイトを参考にしました」というコメントを入れてくれるように申し入れたところです。おそらく、あの○○○のことですから、こちらの要望を素直に受け入れてくれるわけなどありえません。元になる資料は一緒なのですから、「マネなどしていない」といわれるのがオチでしょう。しかし、こんなこともあろうかと、私はこのページを作った時に、密かにある仕掛けを施しておきました。文章としての体裁を整えるため、意図的に事実とは異なることを書いておいたのです。○○○さんは、その部分を見事にそのまま引用してくれましたよ。
 いったいどんな回答が来るのか、楽しみですが、回答が来た時点、あるいは黙殺された時点で、両方のページをご覧に入れますから、どのぐらい似ているか確かめてみてください。「プロだったらもっとうまくやるよな」と誰しもが思うはずですから。
aventure number : 0024 date : 2002/8/24


今日の禁断 AV

 私のAVシステムの中核をなしていたテレビが、調子が悪くなっていました。10年前に買った25インチのモニターなのですが、まず最初に画面の左右が縮まってしまったのです。このぐらいだったら、それほど支障はなかったのですが、そのうちに、今度は画面全体が下に移動するようになりました。これも、最初のうちは「叩く」と直っていましたが、そのうちに、いくら叩いても元に戻らないようになってしまいました。こうなると、困ったことが起ります。映画の字幕が見えなくなってしまうのです。いくらヒヤリングに多少の自信があるといっても、これは困ります。普通のブラウン管のテレビだったら今では相当安くなっているので、この際買い替えることにしましょう。
 ということで、きのうの朝、新しいテレビが届きました。この10年間に、テレビを取り巻く状況は大きく変わったことが実感されることになるのですが、まず、古いテレビを引き取ってもらうのに、お金が必要だというのには、実際に体験してみると理不尽さが募るばかり。本当に「リサイタル」などやっているのでしょうか。それから、BSチューナーが標準装備なのには驚きました。10年前はチューナーだけで2〜3万円はしていたものが、ワンチップになってしまうのですから、デジタル技術の進歩には目を見張らされます。その一方で、もうなくなってしまったと思っていた「MUSE-NTSCコンバーター」用の端子などがついているのも驚きです。NHKの意地だけで開発が続行されたというこのアナログのハイビジョン用の圧縮技術、デジタルハイビジョンが出来て無用の長物になっていたと思っていたのですが、考えてみたら、だまされた買ってしまった人はいたわけですね。
 やっと正常のプロポーションで見られるようになって、早速見たのが「3Tenors」です。ワールドカップのイベントとして12年前から行われているこのコンサート、前回や前々回は確か生中継されたはずですが、今回はなぜか今ごろ放送、会場も屋外ではなく「横浜アリーナ」、なんか気合の入れ方が今ひとつです。放送が始まってステージのセットを見たら、その気合は全く見当外れな方に向いていることが分かりました。広大なステージの背景は、なんと富士山の絵、昔日本のあちこちで見られたに違いない「銭湯の看板絵」そのものですよ。その前に反響板として置いてあるのは、障子の桟を丸くデザインした屏風、コカコーラの「まろ茶」の世界です。そして、床に赤い絨毯が敷いてあれば、これは完璧に「外国人が見たニッポン」そのもの、これを見ただけでコンサートへの期待(もともとそんなものはありませんでしたが)は完全に萎えてしまいました。
 コンサートの中身については、敢えて多くは語りますまい。予想されたこととは言え、パヴァロッティはもはや「かつてパヴァロッティとして知られていた歌手」でしたし、ドミンゴも絶不調、その二人をカバーしようとするカレーラスほど醜いものはありませんし。しかし、腐っても「3テナ」、アンコールの「オー・ソレ・ミオ」はまさに至芸でした。パさんが歌っている間にドさんとカさんが打ち合わせをする振りをするというお約束の使い古された芸は、まさにエンタツ・アチャコの「早慶戦」(註)を彷彿とさせるものがありました。
註:誰も知らないでしょうが、そういう漫才のコンビがいたのですよ。でもって、その当たりネタが「早慶戦」。「漫才の古典」として知られているものだそうですが、私はこれを聞いてどこが面白いのかさっぱり分かりませんでした。
aventure number : 0025 date : 2002/8/26


今日の禁断 15000

 かつて、私のサイトのアクセスカウンターが15万になった時のキリ番争奪戦は、大奮闘の甲斐あって、1号様の大勝利に終わりました。あのときの1号様の執念、どんなことをしてでも取ってやる、という熱意は、とても美しい思い出として、私の心の中に残ったものです。そしてこのたび、その1号様のサイトがやはり15万、ではなくて、1万5千を迎えることとなりました。あのときの熱意にお答えするのが、何よりの恩返し、あらゆる策を弄した甲斐あって、見事、キリ番をゲット出来ましたよ。これが証拠の画像です。見てください。燦然と輝く「015000」の文字。

 しかし、正直に告白しますと、正しい「15000」は実は別の方が取っているはずなのです。私が行った時は、すでに「15009」になっていました。それなら、なぜこんな画像がここにあるのでしょう。それは簡単なことです。私の画像処理の技術を持ってすれば、「9」を「0」に変えることなど、全く造作もないことなのですから。まあ、カウンターなどというものは、状況によっていくらでも増えたり減ったりするものですから、たかが9ポイントぐらい、リロードを繰り返すことを思えばどうということはないでしょう。
 と、ヤ○○のサイトのようなズルをするのはこのくらいにしておいて、今日は久々のパート練習でした。久々というよりは、今回の定期の練習では唯一の木管パート練習になってしまいました。今までパー練(飲み会ではありません)というと出席が悪く、なかなかちゃんとしたことが出来なかったので、敢えて金管と一緒に分奏をやっていたのですが、「1度くらいパートを」というたっての希望で、急遽東昌寺を会場に手配したというわけです。
 蓋を開けてみると、出席はなかなかのものでした。フルート、クラリネットは全員、オーボエとファゴットも2人ずつという、穴の空かない練習ができるだけのメンバーがきちんと揃っていましたよ。一部本番面子が欠けていたのは、まあ良しとしましょう。次のパー練(いつのことだか)に期待することにして。冷房なんか要らないと思っていても、吹き始めるとやはり必要になってきました。結構蒸し暑い夜です。椅子を丸く並べて、お互いの顔を見ながらの練習、いまいち、主体性に欠けると言うか、もっとお互いの感想をどんどん言い合うだけの土壌がないというのが物足りないところでしょうか。いつも指揮者に言われてばかりという「上意下達」の習慣は、なかなか抜けないものなのかも知れません。アンサンブルのノリでやればよいのですが、そこまでフランクになりきれないのが、ちょっとした弱点。そうは言っても、降り番の人もちゃんと最後まで個人練習をしていて、なかなか充実したひと時だったのではないでしょうか。
 秋を迎えて、団員の身辺にも色々変化が出てきそうですね。あやちゃんは「白紙撤回」などにはならずに、もうすぐゴールイン。あっチャンもいよいよラストスパート?あっ、そう言えば、0024の被写体は、やはり「か」クンでした。
aventure number : 0026 date : 2002/8/27


今日の禁断 ヤマハ

 いよいよ「チケットプレゼント」の季節となりました。チケットが団員に配られて、流通にGOサインがでたのがおとといの練習の時、それからチケットやチラシの画像を用意して、きのうから受付ができるようになっています。トップページのこのバナー

をクリックしていただければ、しかるべき指示が出ますから、それに従って申し込んでください。
 さて、0024でちょっと振っておいた話題について、述べなければいけない時がやってきました。わりと有名なサイトですが、あのヤマハが主宰している「おんがく日めくり」という、その日に生まれた音楽家などを紹介しているところがあります。ほんのちょっとしたきっかけで、ここの7月4日のコンテンツが、私が作った物に瓜二つだということを発見してしまったのです。その日は「ミッチ・ミラー」の誕生日、熱心なジュラシック・マニアのあなたは、すぐ「まちがい音楽用語辞典」を思い浮かべられることでしょう。このミッチ・ミラーに関する説明は、私が言うのもなんですが、かなり出来の良いものではないかと思っています。それだからこそ、こんなメジャーなサイトがパクりたくもなったのでしょう。これを作ったのは今年の初め。別の方面で必要があったので、「ミッチ・ミラー」で検索をかけてみたのですが、その時点ではまとまった評伝のようなものは何一つありませんでした。そこで、一つ自分で作ってやろうと、入手できる限りのCDを集めて、そのライナーノーツを元に、私自身の体験を織り交ぜて作ったのが、このコンテンツです。ですから、この文章の中には私にしか書けないような言い回しがたくさん含まれています。例えば、「CBS house symphony orchestra」という得体の知れないオーケストラは、誰も知らないのをいいことに、「CBSラジオ交響楽団」などと勝手に訳していますし。
 「おんがく日めくり」の2002年7月4日のコンテンツは、一目見たときから、私のページのパクリだというのが分かりました。何といっても、「CBSラジオ交響楽団」をそのまま使っているのですから。早速、担当者にメールを送りました。「うちのページをマネしたのは明らかだから、その旨のコメントを入れてくれ」と。前にも書いたように、相手はあのヤマハです。そのときは、素直に聞き入れてくれることは全く考えていませんでした。ところが、予想に反して、その返事が来てしまったのです。「担当ライターを問い詰めたところ、おたくのページをパクったことを認めた。ついては、コンテンツの最後におたくへのリンクをいれさせてもらいたい。」パクリの事実を認めながらも、企業のメンツもあるので、単なるリンクだけで勘弁して欲しいという趣旨です。結局、私としては多少不満でもその線で納得するしかないと告げたところ、たちどころに「★ミッチ・ミラーについて詳しい情報のある「ジュラシック・ページ」」というリンクが付きました。早急に決着をはかりたいという魂胆がミエミエです。
 ここで、その「日めくり」の現物をお見せできるといいのですが、先ほど見に行ったところ、なんと、このコンテンツがまるごと削除されているではありませんか。差し替えられているのは、2年前の7月4日のコンテンツ、こんなことなら、ちゃんと保存しておくのでした。現在の目次の7月4日からも消えています。唯一生きているキャッシュも、しばらくしたらなくなって、この剽窃行為の痕跡は何一つなくなってしまうことでしょう。
aventure number : 0027 date : 2002/8/29


今日の禁断 マニフィカート

 世界へ向けて良質の情報を発信し続けている「ジュラシック・ページ」ですから、先刻からお伝えしているようなさまざまな影響が引き起こされることになります。何においても自信の持てない私としては、このようなことが勃発すると、ひたすら守りの姿勢に入ってしまいます。ですから、相手に求めるものは、何を置いても私のコンテンツの正当性の認識、私が他人のものをマネしたのではないことを明らかにするための措置が、最も重要なものになってきます。ですから、今回相手が全面的に非を認めて、コンテンツそのものを削除したというのは、100%満足のいく結果でした。
 しかし、立場が異なれば別な考えを持つ人もいるものです。現に、知り合いの編集者は、もっと柔軟な対応をして、あわよくば私自身のライターとしての評価を広めることに利用すればよかったのに、みたいなことを言っていたと、人づてに聞きましたし。もちろん、私にはそんな発想など全く起きもしなかったのは言うまでもありません。人の弱みに付け込んで自分を売り込むなどという行為は、私にとってはもっとも軽蔑すべきこと。そもそも、ライターの仕事も求めがあるからやっているのであって、こちらから新たに「やらせて下さい」などというつもりは、毛頭ありませんから。私は、人にマネされるほどのものを作れたことで満足、生業としての必要性から他人のものを剽窃した結果、自ら取り下げざるを得なくなるような哀れなライターは、とことん蔑まれればよいのです。掲示板にも書きましたが、そのテキストはメールをいただければお送りします。ぜひ、あざ笑ってやりましょう(もちろん、これは裏返しの自戒でもあります)。
 そうかと思えば、思いもよらないようなメールが飛び込んで来てびっくりすることもあります。昨日のお昼頃、メールチェックをしたら、相変わらずウィルスでも混ざっていそうな、差出人に心当たりのないメールがどっさり届いていました。そんなものは片っ端から削除するのですが、その中に「Philip Cave」、subjectに「Magnificat」という、見覚えのある文字がありました。「Magnficat」というのは、イギリスの合唱団、「Cave」というのはその指揮者、そのCDを何度か「おやぢの部屋」で紹介したことがあります。メールを開いてみると、英語で(もちろんですが)「ごめんなさい。私、あなたのウェブサイト、読む、できません。あなたがMagnificatのCDのだいたい、何考える、知ることを愛します。英語で私に知らせる、できますか?」と書いてありました。「おやぢ」にはCDの画像と、英語でのタイトルなどが入っていますから、どうやらケイヴさんは自分の合唱団で検索をかけて、私のサイトにたどり着いたのでしょう。この合唱団は、例えばタリスあたりだと、今最も素晴らしい演奏をする団体です。そこの指揮者からじきじきにメールが来るなんて、ちょっとすごいことだと思いません?
 実は、このレビューに対するアーティストからの反応というのは、今までにもあったのです。でも、それは「マリンバ・トロピカーナ」とか「FEED」といった、国内のマイナーどころ。でも、今にこれが呼び水になって、パユあたりからメールが来たりすれば面白いのですが。
 もちろん、ケイヴさんには、「英語」で返事を送りましたよ。「I am a pen.」とかね。
aventure number : 0028 date : 2002/8/31


今日の禁断 テルミン

 9月に入ったというのに、この残暑はいったいなんなのでしょう。お陰で、きのうニュースでやっていた例の山形の「大」芋煮会、30℃という猛暑の中で湯気の立つ芋煮を食べるという、ちょっとそこには居たくないようなコンディションだったそうですね。もっとも、私あたりはやっぱりパワーショベル(2台も!)というのに抵抗があって、決して行ってみたいとは思いませんが。今回は牛肉の安全性を大々的にPRしていたようですが、それほど食べる物に神経を使う人たちが、パワーシャベルでかき回した芋煮を何事もないかのように口に入れている姿は、どう考えても異常です。
 ニューフィルの芋煮会も、着々と準備が進んでいるようですね。先日の「パー練」の原稿も出来たようですし。ニッカ仙台工場には、手ぶらで行けばよいのでしょうか。せめて、オヤツぐらいは持参するのでしょうね。遠足の定番「カルミン」とか。という訳で、唐突に映画「テルミン」へ話題を振ろうとしています。先日このコンテンツを作った時、この映画がちょうどかかっていたので、ぜひ見たかったのですが、ついに行けずじまい、パンフレットだけ買ってきて参考にしたという思い出があります。こんなマイナーな映画ですから、ビデオにもならないのかなと思っていたら、なんと、今日テレビで放送されていたのですよ。いやぁ、もう完全に見入ってしまいましたね。ドラマではなくドキュメンタリー、しかし、ドラマ以上にスリリングなストーリー展開です。アパートに訪ねてきたテルミン博士の前でクララ・ロックモアが演奏する「サマー・タイム」には、クララの万感の思いが込められていて、思わず目頭が熱くなりました。最後に博士の手を取ってニューヨークの街中に出かけてゆくクララの足どりは、とても80を超えたとは思えない、まるで少女のような軽やかなもの、長年の思いがやっとかなったという満足感にあふれていました。その直後に博士が亡くなるというのも、出来すぎですね。
 そのようなメインの画像とは別に、私がびっくりしたのは、ブライアン・ウィルソンの画像でした。「ザ・ビーチ・ボーイズ」のリーダーとして、と言うより、ほとんど自分ひとりのプロジェクトとして作った「グッド・ヴァイブレーション」の中で、このテルミンを使っているというので、インタビューに応じているのですが、その姿の若々しいこと。実は、全く偶然に、きのう、やはりテレビでビーチ・ボーイズの特集番組をやっていて、そこにもブライアンが出演していたのですが、それはほとんど紛れもない老人の姿。「テルミン」からはまだ10年も経っていないというのに、この変わりようは一体なんなのでしょう。同じ番組には、ブライアンの娘のカーニーも出演していましたが、彼女も数年前の「ウィルソン・フィリップス」での醜い肥満体とはまるで別人、あちらのミュージシャンというのは、薬物の多用でちょっと見てないうちに外見が大きく変わってしまうようですね。
 日本のミュージシャンの場合はどうなのでしょうね。往年のアイドル野口五郎は、外見的にはほとんど変わらないで、ドラマの中でいい味を出していますよね。最近、なんか身近に良く似ている人がいると思っていたら、それは裕史サンでした。
aventure number : 0029 date : 2002/9/2


今日の禁断 マラ4

 練習が始まる前というのは、独特のコミュニケーションの時間になっています。ちょっと早目に着いたらホールの中は真っ暗、ロビーの椅子に「か」クンだけが座っていました。0024の写真の件もあったので、しみじみ顔を見てみたら、なかなか端正なつくりなのですね。荷物を置いて楽器でも出そうかなと思っていると、れいこサンが近寄ってきて、「鱒と供養との関連性」についての討論、以前の「君が代」みたいに、ここから、またネタが生まれればよいのですが。話の途中で割り込んできたのがしげちゃん。あることで全国的に有名になってしまったピアニストSさんのリサイタルのチラシを配りに来たのです。そのチラシの写真は、かつてのりりしい若者の姿ではなく、いかにも一癖ありそうな中年男のものでした。人間というのは、苦労(というか、快楽)を重ねるとここまで外見が変わってしまうものなのですね。
 楽器を組み立てていると、入ってきたのが「野口」裕史サン。新しい「Magi」をあげたら、ラカトシュに見入ってました。そのうち、さっきの「か」クンも一緒になって、「マギ・マジ」とか、しきりとネタ探し。結局、「司郎かブイヨン」というところに落ち着いたみたいですが。そう、今日は月に一度のMagi配達日、29号が早めに現われたのをいいことに、「28号以降」を一括して配ってもらいましょう。ついでに積もる話などもしっぽりと・・・。と、その逢瀬を妨げたのが、1号様です。例の15000番の記念品を渡してくれたのですが、これが、この世に300枚しかないという、超レアなCD、1号様の青春を刻み込んだ、バッハホールでのライブ録音です。このような貴重なものをいただけるような資格は、果たして私にはあるのでしょうか。
 28号がにこにこしながら近づいてきた訳は、察しがついていました。「やくわ堂」で大々的に募集しているコメントに、つい出来心で投稿してしまったのですが、そのあまりのつまらなさをあざ笑いにわざわざ(ホールの隅から隅まで)やってきたのでしょう。案の定、意味深な笑みをたたえて、「いま、ページを作ってます」。あんなつまらない作品が公開されたら、恥ずかしくてニューフィルに顔向けが出来ません。音出し間際に飛び込んできたのはりっちゃん。「間に合ってしまった」という名台詞は、そこにいたあっチャンをいたく感動させていたようでした。
 ねっ。ニューフィルって、すごく楽しそうなところでしょう?これで練習がなければもっと楽しいのに、などということは思っていても決して口に出さず、ひたすら演奏に集中です。フランクの2楽章なんて、なんだかずいぶん久しぶりにやったような気がします。クラリネットの後を受けてフルート2本でBbとHが脈絡なく出てくるソロを吹く部分では、見事に間違えてしまいましたし。
 ところで、先日限定6名の方にお譲りしたマーラーの5番のCDですが、同じ演奏者でのマーラーは今のところ「4番」しか出ていません。その4番のCDが、やはり1枚1500円でお譲りできることになりました。実は、私はこれを聴いていないので、どんな演奏かは全くお伝えすることはできません。そんなわけで、内容の保証は出来ませんが、あの5番が気に入って別の作品も聴いてみたいという方は、聴いてみるのも悪くはないことでしょう。今回は枚数の制限は全くありません。金曜日のお昼ぐらいまでに連絡をいただければ、来週の練習には現物をお届けすることが出来ます。
aventure number : 0030 date : 2002/9/3


今日の禁断 ショパン

 斡旋品のマラ4には、今のところ3人の方が申し込まれています。土曜日ぐらいまででしたら間に合いますので、よろしく。実は、ニッカの芋煮会ではありませんが、人数がまとまると少し安く入手できそうなので、この際お求めになっておくのがお得ですよ。
 ところで、桑田佳祐の一番新しい曲に、「東京」というのがありますね。かなりヒットしましたから、どこかでは聴いたことがあるでしょうが、一応こちらに誰かが作ったMIDIがありますので、参考のために聴いてみてください。イントロがかなり長くなっていますが、聴いていただきたいのは歌の本体。いつもの桑田の作品とはちょっと異なったテイストを持った、というか、はっきり言って桑田の作品らしくない曲です。私が最初にラジオでこの曲を聴いた時の印象は、「クラシックにこんな曲があったはず」というものでした。メロディーやコード進行がそっくりな曲が、確か、ショパンあたりの作品の中にあったような気がしたのです。ただ、膨大なショパンの曲の中からそれを探し出すのはちょっと面倒くさかったので、それ以上調べることはしませんでした。それ以来、この「東京」を聴くたびに、何かやり残したことがあるような気持ちにさせられたものです。
 そんなことはほとんど忘れかけていた今日のこと、さる、ジャズのピアノトリオのCDを聴いていたと思いねえ、八つぁん。それは、ピアニストの趣味で、クラシックをテーマにした曲を集めたものでした。お約束のバッハから、寝技のモンポウまで、なかなか趣味のいい、というのは、あまり原曲にはこだわらない、きっちりジャズにこだわったアレンジが素敵でした。だから、ものによっては元の曲が分からないほどになっていることもあります。ショパンの「前奏曲第4番」もそんな曲。1回聴いただけでは、このショパンがどんな曲だったのか全く分かりませんでした。そこで、たまたま楽譜が手許にあったので、ピアノで弾いてみました(ピアノぐらい弾けます)。そうしたら、私の指が奏でたメロディーと和声は、まさにあの、ずっと気になっていた「東京」そのものだったのです。これがその曲です。

 リズムは全く違いますが、その他はほとんど「同じ曲」と言っても構わないぐらい良く似ているとは思いませんか?実は、そのとき聴いていたCDは来月の「Magi」のための資料。まず原稿を書かなければいけないのに、そのとき私がやったことは、上のMIDIの作成でした。「禁断」のネタを仕込むためならば、仕事のほうは後回しになっても構わないというこの杜撰な態度、締切間近の編集者の狼狽しきった顔が、目に浮かぶようです。
aventure number : 0031 date : 2002/9/5


今日の禁断 ロジェ王

 見ましたか?岩村さん。N響のアシスタント・コンダクターを務めていらっしゃる岩村さんのN響デビューコンサートの模様が放送されてましたね。もう一人のアシスタント・コンダクターの齋藤さんと一緒に「天下のN響」を前にしての晴舞台です。普通のコンサートではなく、いわば「色モノ」の企画コンサートでしたが、そんなことはどうでも良いこと、私達の定期演奏会を2度指揮してくださった指揮者が、全国放送でオンエア、しかもインタビューまであったのですから。岩村さんの担当分は、音楽的にもほぼ満足のいくものでした。「運命の力」はきっちりとした演奏でしたし、「ラプソディ・イン・ブルー」も、ピアニストの暴走をきちんとコントロールしていました。私達の前で見せてくれた、あのエモーショナルな表情も、たっぷり味わうことも出来ましたし。
 しかし、ご覧になった方はお分かりでしょうが、コンサート自体はとてもゴチャゴチャしたもので、決して心から楽しめるというようなものではありませんでした。何よりも、コンサートのコンセプトがちょっと見当外れの方を向いていて、「またか」と溜息をつかざるを得ないことになるのです。いくら親しみやすいコンサートにしようと思ってカジュアル・ウェアに身を包んでも、演奏がいつに変わらぬ杓子定規の堅苦しいものでは何の意味もありません。「ウェストサイド・ストーリー」があれほどガタガタのリズムだったら、聴いていた子供は「ヘタだね」と思うだけ。小手先で聴衆をだますのは、もうやめて欲しいものです。
 例によって、NHKの女子アナが司会をしていましたが、段取りが悪く、コンサートの流れがブツブツ、放送局が仕切っているにもかかわらず、マイクの風防対策すらまともにできないというお粗末さには、信じがたいものがあります。もちろん、MCもお笑いモノ。岩村さんが「運命の力」を演奏する前になんと言ったと思います?「ワールドカップで一躍有名になったヴェルディの作品」ですよ。確かに、ヴェルディが作った「凱旋行進曲」は、クラシック・ファンが恥ずかしくなるほど有名になりましたよ。しかし、「ヴェルディ」という名前は、試合中継のアナウンサーが時間つなぎに無意味に叫ぶことはあっても、この作曲者自身や、彼のほかの作品が「一躍有名」になることなどは、ついになかったのですから。
 これは、今のクラシックの聴かれ方の定番。先頃、さるメーカーがクラシックのランキングというのを行ったそうですが、そこで1位になったのがこのヘビーローテーションの「凱旋行進曲」。さらに、上位にランクされたものはほとんどCMなどで何回も聴かされて耳に馴染んでしまっているものばかり、そこからは何の脈絡も見出すことはできません。「私を泣かせてください」が3位になったとしても、ヘンデルの「リナルド」全曲が聴かれることなどは殆どありえないのです。かつて、クラシックの「上位」は「運命」、「未完成」、「新世界」が占めていた時代がありました。もはや、そのようなのどかな光景は、「村の鍛冶屋」や「胸の谷間」のように、ただ懐かしむだけのものになってしまったのでしょうか。
 女子アナといえば、きのうアルフィーの坂崎幸之助と「チューリップっていいですねえ」などと喋っていた人が、今日のN響の生中継で「シマノフスキのロジェ王のあらすじは」などと言っているのも、ちょっとシュールなものがありますね。
aventure number : 0032 date : 2002/9/7


今日の禁断 鵞鳥

 「やくわ堂」というサイトのマスターからメールが届いたのは、10日ほど前のことでした。鳥のキャラクターが可愛らしいセンスのよいサイトなので、以前からファンでしたし、お互いにリンクもし合ってましたが、個人的にメールを頂いたことなどありませんでした。「お願いしたいことがあるのです。」という書き出しのそのメールは、控え目ながら、私のサイト、もしかしたら私自身に対する好意のようなものすら感じられる、心温まるものでした。「お願い」ということでしたが、どんなことでも叶えてあげたい、素直にそんな気持ちにさせられるような素敵なメールだったのです。
 その「お願い」とは、「やくわ堂」の特別企画で、掲載されてあるイラストの吹き出しの中に入れるセリフを考えてほしいというものでした。なんでも、回答がたくさん集まったら、それを集めたページを作りたいとか。そのイラストには、がちょうさんと小鳥さんが会話をしているもの、がちょうさんのセリフに小鳥さんが固まっている、という設定です。これは難問です。メールの調子では、私だったら、さぞ気の利いた素敵なセリフを考えてくれるだろうという期待がありありとうかがえます。そんなこと、私には出来るわけがありません。しかし、何かは考えなければ、失望させてしまいます。切羽詰って、私は、谷啓の往年のネタ「ガチョーン」と、「がちょう」をかけて、「がちょ〜ん」と書いて、送ってあげたのです。なんという低次元のギャグでしょう。あまりの手抜きに自分自身が許せなく、送った後も後悔にくれる毎日、眠れぬ夜が幾度続いたことでしょう。そもそも、こんなギャグ自体、今時知っている人などいませんものね。
 そして、とうとう恐るべき事態が発生しました。ついにそのページが完成したというのです。何でも、寄せられたものを全て掲載したとか。少なくともボツにだけはならなかったようで少しは安心ですが、しかしなあ。でも、せっかくですから見に行ってあげようと、行ってみました。ところが、私の作品につけられたマスターのコメントは、私が想像だにしなかったものだったのです。そこには、心底、私のくだらないギャグにはまってしまった様子がありありと見て取れました。それよりも驚いたことに、マスターは谷啓というか、「ハナ肇とクレージー・キャッツ」のこのギャグのオリジナルの形を知っているようなのです。
 どうやら、私はとんでもない思い違いをしていたようでした。メールやサイトの様子から、このマスターはまだ若い女性だと思い込んでいたのですが、こんな、半世紀近く前のギャグを正確に知っているなんて、この方は、私などよりもっともっと人生経験の豊かな、多分私より年は上に違いありません。そうだったのですね。これからも、ぜひ、今までの体験を活かした素敵なサイト作りをしていただきたいと、尊敬を込めて願わずにはいられません。
 ・・・というぐらい、驚いてしまいましたよ。のすりさん。
 ところで、好評のチケットプレゼントですが、ご応募いただいた方には「もれなく」チケットを差し上げます。お早めにどうぞ。
aventure number : 0033 date : 2002/9/9


今日の禁断 ドボ8

 今週の日曜日はいよいよ松尾さんの最後の指揮者練習、今日は、その前の総仕上げと位置付けされるべき練習になることでしょう。それにしては、団員の集まりはあまり良くありません。ラフマニノフはやらないので、その他の曲の総仕上げです。最初にバッカナールを指揮したのは、久しぶりのしできさん。冒頭のピチカートの音程とか、普段気が付かないような細かいところのチェックです。そうこうしているうちに、メンバーもだいぶ集まってきました。ヴァイオリンやコントラバスは、もはや確固たる巨大な集団になりつつあります。最近は、コントラバスのスペースを確保するために、指揮台の位置、つまりオーケストラの位置をかなり動かしていることでも、それは分かるでしょう。そうなってくると寂しいのはヴィオラです。最初は2人しかいなくて、それでも、終わる頃には5〜6人にはなったようですが、それでも他のパートに比べれば、少なすぎます。そんな惨状を見かねたのか、先日、このサイトあてにヴィオラの入団希望者のメールが届きました。私が持っていてもしょうがないので、そのままパートに転送、1号様が返事を書いて、練習見学に来る手はずになっていたと聞いていたのですが、今日はだれも来た気配はありませんでした。果たして、ヴィオラパートには、明るい未来はあるのでしょうか。
 しできさんは、引き続きアンコールの練習に入ります。テンポを変えたり、ルバートをかけたりと、松尾さんに何をされてもいいような下地作りでしょうか。さっきはピッコロでしたが、この曲から私は1番、しかし、吹いているとなんだか無意識にパユのマネをしている自分に気が付かざるを得ません。これは、最近集中的に、パユがベルリン・フィルの中で吹いているビデオを見たためです。あの独特のオーバーアクションは、ちょっと気をつけないとすぐ癖になりますから、用心が必要。形から入って、あのような女たらし、男たらしになったら大変です。ちなみに、見たビデオは、退団のきっかけとなったとんでもないミスをやらかした99年のジルヴェスターコンサートと、再入団を果たした直後の、今年のヨーロッパコンサートです。今年のコンサートで見られたのは、指揮者を無視して自分で音楽を仕切ろうという傲慢さ。ああはなりたくはありません。
 練習が終わる頃には、芋煮会の日程が決まっていましたよ。1号様の奔走で、10月19日(土)に、ニッカ仙台工場で行うそうです。基本的には山形風醤油味だそうですが、場所柄から、「ウィスキー味」なんかも期待できる・・・わけないか。
aventure number : 0034 date : 2002/9/10


今日の禁断 ベンゼン環

 2〜3日前にアップした新作「ヴァイナル」はご覧になっていただけましたでしょうか。画像ツールで文字を入れるやり方をマスターしたのがうれしくて、ここは一つ化学式でも使ったものを作ってみようと思ったのが、そもそものきっかけです。おそらく、あのような化学式には、先天的に嫌悪感を持っている方もいらっしゃることでしょう。何もここに来てまで、昔嫌な思いをした物を目にすることはないと思う人に無理にすすめることはしませんから、どうか無視してください。
 意外に思われるでしょうが、私が大学で専攻したのは有機化学、あんな化学式ばっかりを相手にする毎日でした。音楽と化学式というもののミスマッチを最大限に生かしたものとして、最近文庫化された茂木さんの「オーケストラ楽器別人間学」に、ハードカバーには入っていない、その後の連載から収録されたものがあります。「弦素、管素とその化合物」という、なかなかよくできたエッセイなのですが、残念ながら、そこに掲載されている化学式は、私のような専門家が見ればとんでもない間違いだらけ。気持ちはわかるけど、「化学」を全く知らない人が作ったのがバレバレです。なぜ、いきなりベンゼン環が出てくるのか、とか。
 ところで、私のエッセイの方ですが、実は、これの元になったものは、なんと15年以上前に出来ていたのです。当時の状況はあそこに書いたような、LPからCDへの移行期、ただ、まだCDソフトもプレーヤーもかなり高く、それほど浸透はしていませんでした。しかし、私はCDの将来性は見越していましたから、いち早くCDを導入、LPの欠点を身を持って体験していました。そこで、プラスティックスの知識(実は、その道のプロでした)を元に、「レコード芸術」に投稿したのです。趣旨はあのエッセイと同じもの。ただ、若干過激な表現がたたって、LPに対するノスタルジーが捨てられない人からは反感を受け、自宅あてに脅迫まがいの電話がかかって来たりしたものです。次の号には、「反論」まで掲載される始末。だから、私としては引くに引けず、もう1本投稿を掲載してもらうことにしました。これは、前作に輪をかけて挑戦的な内容になっています。この2本の投稿、当時の「レコ芸」がまだ残っていたので、あのエッセイからリンクできるように、さっき原稿を起こしてアップしたばかりです。若い頃の文を読んでみてください。
 しかし、内容こそ過激ですが、文章自体は今書いているものとほとんど変わっていないという事実には、愕然とさせられました。「かいほうげん」を作るようになったのは、この投稿から少ししてから、それから穴埋めにさんざんエッセイを書きなぐって、さらにこのサイトがスタートしてからは、全く別のテイストの文章をたくさん書いてきたはずなのに、正確には17年前の文章と何一つ変わっていないというのは、この間の進歩が全くなかったということなのでしょうか。
 結局、人間というのは、いくら努力してみても、なかなか変わることなど出来ないものなのかもしれませんね。
aventure number : 0035 date : 2002/9/12


今日の禁断 LP

 0035の話の続きです。ノイズだらけのLPにほとほと嫌気のさしていた私は、CDが出るようになる前でも、ほとんどLPを買うということはありませんでした。買うのは必要最小限のフルート関係のものだけ。大体、その頃の嗜好として、クラシックの名曲をじっくり聴きとおすなどということは絶えてなくなっていたのです。コンサートで集中して聴くのは意味のあることですが、ノイズだらけのレコードで同じ演奏を何回も聴くなどということは、どうしても重要なことには思えなかったのです。そのうちCDが出てきますから、迷うことなくLPには見切りをつけ、どうしても必要な、つまり、聞く価値があると思われるフルート関係と現代音楽だけを残して、その他のいわゆる「クラシック」のLPは残らず処分してしまいました。もちろん、売り払って得られたお金で新たにCDを購入したのは、言うまでもありません。
 それからしばらくして、新聞紙上でニューフィルのオーディションの案内を見つけ、応募してオケマンとしての生活が始まります。夢にまで見たオーケストラです。実は、そのときまで、本格的にアンサンブルをやったということはありませんでした。全てのことが初体験、自分の手で、今までレコードで聴いてきた音楽を作ることができるなんて、とても信じられないほどでした。大げさでなく、このニューフィル入団を境にして、私の生活、もっと言えば人生観がガラリと変わってしまうことになるのです。その当時、私が考えていたことは、「音楽は聴くものではなく、演奏するもの」でした。それから数多くの修羅場を経て、今のニューフィルにおける私があるわけです。
 クラシックのオーケストラ曲を、いろんな演奏で聴き比べてみるのも悪くないな、と思えるようになったのは、ごく最近のことです。プロのライターの真似事みたいなことを始めてみると、その方面の体験の少なさが致命的になってくることが痛感されるのです。同じ雑誌のライター仲間の話を聞く機会などもありますが、そんな時驚かされるのはやつらの豊富なリスニング体験です。「ザンデルリンクは弦の鳴らし方がうまい」などという言葉が、まるで日常会話のように交わされる世界、自分自身の非力さを、これほど感じることはありません。
 思えば、かつて持っていたLPには、今考えるとなかなか魅力的なものがありました。コンスタンティン・シルヴェストリの「幻想」とか、オットー・ゲルデスの「オランダ人」ハイライト、アンリ・トマジの「コルシカの歌」などは、CD化される望みは全くありません。手放すことなどせず、もっと聴き込んでいれば、今となってこれほどの悲哀を味わうことはなかったと、後悔の念にさいなまれることしきり。
 しかし、前向きな私は、もっと別な考えも持っています。LPを処分しなければ、ニューフィルに入ることもなかっただろうと。つまり、貴重なLPの代償として、私はニューフィルというまたとない宝物を手に入れることが出来たのではないでしょうか。もしかしたら痩せ我慢にしかきこえないかもしれませんが。
aventure number : 0036 date : 2002/9/14


今日の禁断 芋煮会

 今日の指揮者練習というのは、最初の予定にはなかったもの。というか、もともと14日に決まっていたのが、6月にいらっしゃった時に予定をチェックしたら15日も空いていたので、2日連続で、1日は独奏者と協奏曲の合わせ、ということになったのです。しかし、独奏者のスケジュールが合わず、結局14日をやめて15日になったという経緯がありました。ですから、もともとなかった15日に、すでに予定を入れていた人もあったのです。そのうちの一人が、コンマスのさっちゃん、もう一人があっチャンであれば、これはとても練習になどならないと、誰しも危惧の念を抱くに違いありません。
 スケジュールとしては、、午前中が弦だけによる分奏だったので、お昼ご飯を早めに食べて、会場の若林市民ホールへ向かいます。新しい「かいほうげん」の配達とか、ウォーミングアップに、少しでも時間をかけたいための早めの設定。道も空いていたので、楽々着くことが出来ました。楽屋口からホールへ向かうと、前の方になんだかさっちゃんみたいな人が、ケースを抱えて歩いています。なぁんだ、休むなんて言ってて、来れたんだ。何でも、娘さんの結婚式が昨日あったとかで、午前中の分奏はパスして、今着いたのだそうです。おめでとうございました。
 早めに着いたつもりだったのですが、細々とした用事があって(かいほうげんの他に、原稿を依頼したり、写真を配ったり、CDのサンプルの手配をしたり・・・)、音出しなどはほとんど出来ませんでした。ちほさんに「忙しそうでしたね」と言われるほど、走り回って、もう汗だくです。そう、あっチャンがいない分、ちほさんがフランクの2番とかを吹いてくれることになっているのです。ほんとは、あっチャンなんかいなくても、全然寂しくなんかないわけで。
 音出しの前に、しげちゃんがいきなり前へ出て喋りだしたのには驚きました。団からご結婚のお祝いをあげたので、それのお礼なんですって。ここまで素直に喜びを表現する人も、なかなかいないでしょうね。お陰で、その場の空気が、とても暖かく柔らかいものに変わりましたっけ。ぜひ、大ちゃんのサンプルを差し上げたいものです。
 松尾さんは、この前にも増して、早口でまくし立てていました。今回はさらに、「なぜ、こんなに早口になったのか」というお話で、しばし緊張をほぐされていましたし。もっとも懸念された、「この前言ったでしょ!キッ!」という事態にはならなかったのは、一安心、この前のことをくり返し指摘されるということはあまりなく、前回を踏まえて、さらに別の面での注意が加わっていた、と私は感じましたが。最後にやったフランクの1楽章はほんとに駆け足でしたが、その他は予定通り、密度の濃い練習が出来たことと思います。
 休憩時間に、1号様は芋煮会の参加者を調べていました。手許には分厚いファイルを携えていましたが、それを見てみると、芋煮関係の文献や、会場への交通の便のデータなどが満載、このイベントにかける熱意の程が痛いほど伝わってきます。ここでおいしい醤油味の芋煮を味わうためにも、一月後の演奏会を満足のいく物にしなければ、という決意みたいなものも、涌いてこようというものです。
 帰りは、この前みたいに松尾さんを駅まで送っていきましたが、同乗したさっちゃんとの話を聞いた限りでは、今日の練習はそれなりに評価されていたみたいでしたよ。
aventure number : 0037 date : 2002/9/15


今日の禁断 とんねるず

 歴史的な日朝首脳会談が、いよいよ明日に迫ってきました。この出来事への私の最大の関心は、だれが最初に「拉致問題が解決しないうちは、日朝問題は埒(らち)があかない」と言うかということ。みんなこれが言いたくてムズムズしているのでしょうが、最初に言い出すのは、勇気がいることでしょうね。
 そんな記念すべき日に見た映画は、「竜馬の妻とその夫と愛人」。三谷幸喜の戯曲を映画化したもの、もちろん、脚本も三谷が手がけています。このタイトルからして、おかしいですよね。「夫」とは、「竜馬の妻の夫」だから、普通に考えたら竜馬自身になるわけですが、そうではないというのがミソ。何より、「愛人」という言葉を堂々と使っている潔さにはそそられます。
 「夫」を演じているのが、とんねるずの木梨。はっきり言ってこの人はあんまり好きではないのですが、この映画の中ではなかなか見応えがありました。きちんと笑いのツボを計算しているのが、よくわかって、思わず「ご苦労さん」と言ってやりたくなるような演技です。もうちょっとやると確実にクサくなってしまう、その一歩手前で踏ん張っているのがスリリング。「愛人」は江口洋介、途中でガラリと人格が変わる、その落差の演じ分けが上手。と言うよりは、伏線として前半の強面ぶりを強調するのが全く不自然に見えないという上手さです。もう一人の男として出ているのが中井貴一ですが、これはもっとも楽をしておかしさをつかませられるという、おいしい役、元来二枚目だったものが三枚目を演じたときのパターンを、上手に取り入れています。
 そして、主人公とも言うべき「妻」が、鈴木京香。この人は、何を隠そう、あっチャンにそっくり(チェリッシュの「白いギター」のメロディーで、♪二日続けて、出てるのは、何か訳でも、あるので〜しょうか♪)。そこにいるだけでホッと出来る雰囲気があります。美しいし。
 話は、全くお約束の、実によく出来た分かりやすいプロット、これは悪口ではなく、本当に楽しめたということです。ある意味、テレビドラマしか見ていない人にも、作者のメッセージが間違いなく伝わるという、プロの仕事。外国映画によくある、ある程度の教養がなければ笑えないというようなキザなものでは全くないところが、好感が持てます。しかし、最後の最後、とんでもない結末にはちょっとびっくりしました。そのちょっと前、木梨のかなりシリアスな演技に少しホロリと来たのが、ここにきてぶち壊しになるという、あくまでもコメディにこだわった結末なのでしょう。気楽に楽しもうとすれば、決して裏切られることはない、おすすめの作品です。
 気持ちよかったのは、セリフの聞きやすさ。日本映画の場合、セリフが聴き取りにくいという映画の最低条件を満たしていないもののなんと多いことでしょう。北野武作品などは、その最たるもの。「竜馬〜」はこの面でも満足点。映画ならではのカット割りなど、魅力満載です。
aventure number : 0038 date : 2002/9/16


今日の禁断 14号

 抜けるような秋空、日中こそ汗ばむほどの陽気ですが、朝晩はめっきり冷え込んできて、秋の訪れを感じないわけにはいきません。そんな季節の到来に備えるため、半月ほど前、行きつけのジーンズ・ショップで秋ものの衣料を冷やかしに行ったと思ってください。そこには、まるで、私に買ってもらうのを待ち受けていたかのように、細かい花柄のプリントの長袖シャツが並んでいたのです。ひところの私のお気に入りはこんなプリントのシャツ、最近はあまり見かけませんでしたから、懐かしさもひとしお、ためらわずにそこにあった2種類のものを買ってきました。
 最近は、外出の際はもっぱらこのシャツを上に羽織って着ています。久しぶりに見つけたすんなり馴染むアイテム、なかなか手放せません。ですから、今日の練習にも、何のためらいもなく着ていきました。ホールは暑かったので、ひとまずそれは脱いで、カバンのそばに置いておきましょう。しばらくして、あっチャンとか麻里サンとかがそれに気付いて、「これだれのですかぁ?」とか言っています。「ステキですね。私も欲しい」とも。すっかり注目を集めてしまったみたいです。
 さて、今日は練習に来る前が大変でした。「日程表」と「葉子便り」を印刷しなければならなかったからです。日程表のほうは、印刷間際になって訂正箇所が判明したりして、いまだに間違いがないか心配でいるくらいです(事実、そっくり写したはずのウェブ版の日程表が間違いだらけで、愛人9号には愛想をつかされてしまいましたし)。「葉子」では、印刷プレビューを見てみたら、いきなり「長田通信」とでてきて、あせってしまいました。
 休憩時間には、りっちゃんが真新しい5000円札を持って、歩き回っていました。この前の「かいほうげん」に載せた新潟のJAOフェステヴァルの「出張手当て、あるいは原稿料」が、やっと会計から渡されたというわけなのです。この体験談、団員しか読めないのはもったいないので、こちらにアップしました。やはり休憩時間には、ホテルマンの伸幸サンが、ビュッフェ・コンサートのチラシをみんなの譜面台に乗せてまわっていました。イタリアにちなんだこのコンサート、出演者が「アンダローロ」というイタリア人なのですが、そういう食事つきのコンサートなので、私にはどうしても「アンダロ一口(ひとくち)」にしか見えないと、隣のあっチャンに言ったら、完璧にハマっていたみたいですね。
 帰るときには、涼しくなっていたので、例のシャツを着て、一斉に注目を浴びることになってしまいました。いろんな感想が寄せられましたが、結局、1号様の「ヒッピーみたい」というのが、偽らざる本音でしょうか。この人たちは、私が70年代には本もののヒッピーだったとは、想像だにできないことでしょう。
aventure number : 0039 date : 2002/9/19


今日の禁断 クセナキス

 最近は、久しぶりに集中してCDを聴いています。何を聴いたかというと、リゲティとクセナキスと言う、私の大好きな現代音楽の大家の最新のアルバム。リゲティについては、誰よりも早く入手して、その日のうちに原稿を書いてすでに「おやぢの部屋」にアップしてあります。おそらく、このアイテムに関しては、ネット上の誰よりも早くレビューを発表できたはずです。別に、だからどうだと言うことはありませんが、このあたりの、自分が先頭を走っているのだという密かな満足感は、癖になります。最初に書いておきさえすれば、他の人が何を書いても、余裕で眺めることができると言うわけでして。だから、クセナキスもすぐ書けると思っていました。ところが、どうもいまいち入り込めないものがあるので、側面から攻めてみようと色々と調べてみたところ、さるCDショップのサイトに、すでにこのCDのレビューが載っているではありませんか。それは、独奏者のデータや、曲が初演された時の様子など事細かに書いてある素晴らしいもの、これだけ書ければ、バイヤーなんか廃業してすぐにでもライターとして独り立ちできることでしょう。とてもこれ以上のものを書く自信など、ありません。
 と思っていたら、以前「日記」時代にも書いたことがありますが、これはメーカーから店舗に送られたインフォメーションの丸写しだったということが判明しました。レビューではなく、プロモーション用の、いわばプレスシートだったわけです。そうなれば、張り合う必要など何もありません。気楽な気持ちでもう1度聴き返したら、難なく原稿が書けてしまいました。
 そんなわけで、不協和音どころではない、微小音程と言えば聞こえが良いですが、はっきり言って騒音でしかないものをさんざん聴きつづけたあとで、さる合唱団のコンサートに行ったと思ってください。去年も11月に行った、かつて私が所属していた合唱団ですが、今回は全曲ア・カペラで演奏するというので、耳のリハビリのつもりで聴きに行ってみる気になったのです。しかし、1曲目のバッハの一番大きなモテットは、最後までハーモニーが決まらない、雑な演奏にしか聴こえませんでした。クセナキスばかり聴きつづけると、まともなハーモニーの感覚が鋭敏になってしまうのでしょうか。ただ、それだけではなく、パートのユニゾンの荒さとか、表現の甘さなど、他にも聴きづらいところがあったので、どうやらこれは合唱団の問題なのでしょう。聞くところによれば、この合唱団は来年は60周年を迎えるということです。そう言えば、50周年の時には、ニューフィルが伴奏をして「カルミナ・ブラーナ」をやったのでしたよね。早いものです。しかし、あの「カルミナ」をやった合唱団とは、はっきり言って別ものになってしまっています。今日のコンサートを聴いても、不調の原因は明らかに練習不足だというのが分かります。色々事情はあるのかもしれませんが、合唱団の顔とも言うべき定期演奏会に全力を注げないのでは本末転倒でしょう。
 もちろん、これは同じアマチュアである私達だって、いつ陥るかも知れない落とし穴なのでしょう。角田第九にかまけて、マラ5の個人練習の手を抜いたりしたら、取り返しのつかないことになりますよ。
aventure number : 0040 date : 2002/9/21

02/9/23-10/26