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春画周到。
指揮をしているのは、2011年から2017年までは首席客演指揮者、2017年から2022年までは首席指揮者兼アーティスティック・パートナーとして、10年間に渡ってこのオーケストラを牽引していたイェルク・ヴィドマンです。ここで演奏されているのは、その任期中の2曲と、2024年に録音した1曲の全3曲です。 そして、それぞれの曲の編成がみな異なっている、というのにも注目です。 1曲目は、モーツァルトが1782年に作ったセレナード第12番 ハ短調 K. 388です。なんでも、短調で作られたセレナードは、これしかないのだそうですね。この曲の編成が、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンがそれぞれ2本ずつという「管楽8重奏」の形です。いわゆる「ハルモニームジーク」という名前で、この時代には貴族のお屋敷あたりでディナーのバックで演奏されていたものの代表的なスタイルですね。そんな、ある意味「軽さ」が求められるはずの音楽なのに短調で作られている、というのが逆に現代では人気を呼んでいるのか、アマチュアなどでもよく演奏している曲ですね。決してシンプルな曲ではありません(それは「単調」)。 この録音では、一応ヴィドマンが指揮者としてクレジットされていますが、この曲では彼が1番クラリネットのパートも演奏しています。ですから、吹きながら指揮をしていたのでしょうね。 その演奏はダイナミック・レンジのコントロールがかなりオーバーになされていて、曲の印影がくっきりと聴こえてきます。平行調の変ホ長調になった第2楽章のアンダンテなどは、とても豊かな歌心が披露されています。 終楽章ももちろん短調で作られているのですが、最後の最後に長調になる、というのがサプライズですね。 2曲目は、今度は弦楽器だけという編成に変わります。5.5.4.3.1という人数ですが、メンバー全員だと7.6.5.4.2なので、かなり「室内楽」に近くなっています。これはメンデルスゾーンの初期の作品で、弦楽器だけのための作られた「交響曲」群の中の8番目のものです。 作られたのは1822年。作曲家が生まれたのが1809年ですから、まだ10代前半の時に作られたものですね。ですから、その音楽はまだ「古典派」の流れを模倣している部分が多くみられますね。端的に言えば「モーツァルトみたいな音楽」です。実際、第1楽章のテーマの後半などは、モーツァルトの「魔笛」の序曲とそっくりですからね。 それでも、第2楽章のアダージョでは、精一杯に背伸びして、情感豊かな音楽が作られています。そして、ヴィドマンはそれに精一杯に豊かな表情を付けて応援しているように思えてしまいます。その次のメヌエットは、まさにアッケラカンとしているんですけどね。でも、終楽章ではフーガなども登場させて、頑張っていますね。 弦楽器は、極力ビブラートを付けずに演奏しているようですね。それによって、コンパクトな感じが出ているようです。 そして、最後は、もろ「ロマン派」のシューマンの作品です。彼が生まれたのが1810年なので、メンデルスゾーンの次の年なのですが、この「序曲、スケルツォとフィナーレ」が作られたのは1841年なので、彼は30歳、メンデルスゾーンに比べればかなりの「大人」です。そして時代も先ほどの「交響曲」から18年も経っているので、音楽の趣味自体も変わっているはずです。 この曲は、1841年の3月31日に、メンデルスゾーン指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された時の評判が良かったので、4月から、「交響曲第2番」として作り始めたものです。ただ、その後紆余曲折があり、最終的には現在の3つの楽章でこのようなタイトルのものに収まっています。 やはり弦楽器のビブラートは少ないので、序曲の部分のテーマがとても軽やかで明るいのが、気持ちよく響きます。スケルツォのリズムは、まるでベートーヴェンの「第9」みたいですし、終楽章の疾走感もワクワクさせられます。 CD Artwork © Pentatone Music BV |
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江戸さんは、江戸ではなく京都の京都市立芸術大学音楽学部を卒業後大学院に進み、ドゥヴィエンヌの研究で博士号まで取得したという秀才です。その後フランスに渡り、あのパトリック・ガロワに師事します。さらに、ここではピアノ伴奏に徹している瀬尾さん自身にも師事しています。 彼は、なんでも、メガネをかけている4人のフルーティストでアンサンブル「アンサンブル・リュネット」を結成し、活躍しているそうですね。そのアンサンブルで録音したプライベートCDも何枚か作っていて、公式サイトからサイン入りで購入できるようになっています。メンバーのオリジナル曲なども収録されていて、「EIGHT LENSES」というアルバムでは、江戸さんは「眼鏡戦隊ミエルンジャー」という曲を提供しています。なんか、和みますね。 ![]() ゴーベールと言えば、フルーティストであればだれでもその作品を演奏したことがあるはず、というぐらいに有名な作曲家です。キャッチーなメロディに、ちょっと現代風、あるいはオリエンタルな和声を加えた、と言った作風でしょうか。そのフルート曲の全曲はすでに録音されていて、その中のフェンウィック・スミスがNAXOSに録音した3枚のアルバムで、すでに聴いていましたから、今回も同じものなのかな、と思っていたら、とんでもない曲が入っていたので驚きました。 それは、とても有名な「Fantaisie(幻想曲)」という小品です。それは1912年に出版され、その後、パリのコンセルヴァトワールの卒業試験の課題曲として3回ほど使われているのですが、それは改訂されたもので、それ以前に作られた「初稿」があり、それがごく最近発見されたそうなのです。その「初稿」が、ここでは現行の改訂稿と一緒に録音されていたのですよ。これは、おそらく世界初録音になるのでしょうね。 ですから、その「初稿」がどんなものなのか、まず気になります。聴いてみると、この2つの稿は、まず演奏時間が違います。初稿が7分10秒なのに、改訂稿は6分7秒と、1分も短くなっています。つまり、最初に作ったものはちょっと長すぎたので、少し刈り取って短くしたものを出版した、ということなのでしょう。 手元には楽譜があったので、その詳細を調べてみました。この曲は、穏やかな「Moderato」と、それに続く「Assez lent」、ゆったりとした「Lent」、そして活き活きした「Vif」の3つの部分から出来ています。そのうちの「Moderato」と「Assez lent」は、全く同じものでした。しかし、次の「Lent」では、初稿は全く異なる音楽で始まります。そして、最後の3小節だけが同じものになっています。「Vif」の部分は、全部で207小節あります。そのうちの初めの98小節までは同じなのですが、初稿にはその後に、ゴーベールとしては珍しい、フルートとピアノが同じメロディを時間差でスタートさせるという「ポリフォニー」の部分が挿入されていました。それはかなり長いものですが、改訂稿ではそこは6小節しかありません。そして、それ以降はどちらも同じものになっています。 ということで、かなり大規模な改訂が行われていた、ということになりますね。でも、やはり初稿が少し冗長だ、という印象はありますから、ゴーベールの判断は正しかったのでしょう。確か、以前ベームの「グランド・ポロネーズ」でも同じようなケースがあって、その時は初稿も出版されていたのですが、今回はまだ出版はされていないようですね。 江戸さんのフルートは、とにかく音がきれいでまろやかですし、テクニックも完璧です。特に高音の輝きは素晴らしいものがあります。ですから、このCD2枚分の全20曲があっという間に聴けてしまいました。ただ、聴き終わっても何も残らなかったのは、その演奏の肌触りがあまりにもすべすべし過ぎていたせいでしょうか。 CD Artwork © Virtus Classics |
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さらに、ここでは出演者の数もとても多く、きちんと名前を与えられている役だけで17人もいます。そして、その中で女性はたった2人、というのもすごいですね。もう、ステージの上はむさくるしい男たちでいっぱいになっています。もう一人、「夜警」という余計な出演者もいるのですが、このアルバムではそれはクレジットされてはいません。 このオペラは序曲が有名ですし、そこで使われているテーマが物語の中で登場しますから、それなりの親しみやすさもあります。とは言っても、なにしろ長いですから、4時間半聴き通すにはかなりの忍耐が必要です。 そんなオペラですが、ワーグナーを得意とする指揮者達はたくさんいますから、録音はたくさん存在します。カラヤンもその一人、「さまよえるオランダ人」以降のオペラはすべて録音しています。それらは、ただ一つの例外を除いて、オーケストラはベルリン・フィルですが、この「マイスタージンガー」だけは、シュターツカペレ・ドレスデンが演奏しています。なぜ、これだけがベルリン・フィルではなかったのでしょう。 それは、この録音ではカラヤンは「代役」だったからです。そもそも、これはEMIと、当時の東ドイツの国有レーベルだったDeutsche Schallplattenとの共同プロジェクトで、指揮者はEMIの専属だったジョン・バルビローリに決定していました。ところが、そのバルビローリが政治的な理由(プラハの春)でこれをボイコットしてしまったものですから、その頃はEMIとDGとの二股で録音を行ったカラヤンに白羽の矢が立ったのです。カラヤンの予定も、この時期、1970年の11月から12月にかけてはヒマだったようで、11日間という充分な日程が確保でき、セッションが開始されました。おそらく、この録音にはカラヤンも満足していたのでしょう、その後、ベルリン・フィルと録音し直すということはありませんでした。 歌手たちも、カラヤンの他のワーグナーの作品で登場している人はあまり見当たらず、このオペラハウスを中心に活躍している東ドイツの人たちがこぞって出演しているのもユニークです。その代表格が、テオ・アダムとペーター・シュライアーでしょう。なにしろ、この録音の直後にライプツィヒのトマス教会のカントルとなって、そこの合唱団と多くのアルバムを作ることになる、ハンス=ヨアヒム・ロッチュなどという人までが、テノールとして加わっているのですからね。 もちろん、録音スタッフもイギリスと東ドイツの混成チームになっています。そして、EMIからは1971年にLP5枚組のボックスセットとしてリリースされたのですが、その翌年にはDeutsche SchallplattenのETERNAレーベルからもリリースされています。 ![]() ![]() ということで、半世紀以上の時を経て、サブスクでこれを聴くことになったのでした。1980年代にはすでにCD化も行われていたようで、その時点でデジタルのデータが出来ていたからでしょうか、マスターテープの劣化のようなものは感じられませんでした。そして、そこからは、まさにドレスデン・シュターツカペレが聖ルカ教会で録音した時には必ず味わえる素晴らしい音が聴こえてきましたよ。それは、いつものカラヤンの録音チームによる妙に軽やかなサウンドではなく、まさに「いぶし銀」といった重心の低いものが感じられました。 そして、何よりも、最盛期のルネ・コロのヴァルターが、本当に素晴らしかったですね。 Album Artwork © Parlophone Records Limited. |
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そして、ここではバルトークのほかにもう1曲「付録」として、カナダの作曲家エミリー・セシル・ルベルの「the sediments(堆積物)」という作品も演奏されていました。それはおそらく「役人」と「オケコン」の間に入っていたのでしょうね。この曲は、トロント交響楽団の音楽監督のヒメノによって委嘱され、2022年に、桂冠指揮者だった、故アンドルー・デイヴィスの指揮で初演が行われました。今回はその再演となります。 作曲家のルベルは、生楽器のための作品の他にも、デジタル技術をミックスさせたようなものも作っているようですが、この作品はおそらくすべてオーケストラの楽器によって演奏されているようです。彼女自身の言葉によると、ここでの「堆積物」というのは、雨などで地球の上に積もった物質のことなのだそうですが、この曲の冒頭にはそれを象徴するような雨が降る音が、おそらく何かが打楽器奏者によって「演奏」されているのを聴くことが出来ます。 そして、その後に続くのはフル・オーケストラの厚ぼったいサウンドによるクラスターです。まるで、前世紀のリゲティの作品のようなその音の塊は、しかし、なにか暖かく包み込むような優しさにも満ちていました。やがて、ファゴットとチェロのソロによって、あたかも自然を讃えるようなメロディアスなテーマが演奏されて、まるで夢を見ているようなこの曲の最後を飾っています。 おそらく、ライブと同じように最初のトラックに入っている「役人」では、そのオープニングでの連続する超快速での細かいパターンの応酬には圧倒されてしまいます。最初は弦楽器、それにやがて管楽器も続くのですが、この、まるでデジタルのシークエンサーのようなパッセージを人間に弾かせたというバルトークの根性には恐れ入ってしまいます。ですから、それをこれほど見事に演奏しきっているこのオーケストラにも、感服です。その後に続くクラリネットのソロなども、見事でしたね。 ここでは合唱団も加わっているようですが、それは終わり近くでほんの少し登場するだけ、しかもそれは歌詞のない母音唱なので、物足りなかったでしょうね。 そして、最後を飾ったのが「オケコン」でした。 「序奏」では、まるで「役人」とのキャラクターの違いを強調するかのように、なんとも歌心にあふれた音楽が展開されていました。その、甘いフレージングにはメロメロになってしまうほど、というか、バルトークでこんなことを感じるとは。 「対の遊び」では、まさに「コンチェルト」ならではの、各パートの名人芸が、いかんなく発揮されていて、胸のすくような思いでいっぱいになります。 「悲歌」の最後に出てくるコラール風のパッセージは、メンデルスゾーンの「真夏の世の夢」の序曲の冒頭によく似ていることに気づきました。あるいはリムスキー=コルサコフの「シェエラザードの冒頭のちょっと後、とか。 「中断された間奏曲」では、おちゃらけたこの楽章の途中にいきなり出てくるヴィオラの抒情的なテーマを、思い入れを排してあっさり処理していたあたりが素敵です。 「終曲」はもう一気呵成、エンディングのクライマックスまで一直線の快感がたまりません。 なによりも、録音のクオリティがとてもすごいことになっていたのには、驚きました。それぞれの曲のキャラクターを、それぞれ見事な色彩感で表現させていました。 CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s. |
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![]() ![]() 余談ですが、同じ年の「玉音放送」の録音も、宮中にカッターマシーンを持ち込んで、アセテート盤にカッティングするという方式でしたね。救急車が外を通るとボツになったとか。 そして、その10年後にも、この曲はこの合唱団と同じ指揮者とオーケストラ(ソリストは別)によって録音されています。これはLP(モノラル)の2枚組です。 ![]() さらに、今回の録音に関しては、もう一つの「おまけ」が付いています。この合唱団は1836年に創設されたというとても歴史のある合唱団なのですが、第一次世界大戦の際には、そのメンバーが数多く兵役についていたそうなのです。もちろん、お亡くなりになった方たちもたくさんいたことでしょう。そんな「史実」を元に作られた「The Choral」という映画が、レイフ・ファインズ主演で映画化され、2025年にイギリスで公開されたのですね(日本公開は未定)。その映画の中でのハイライトが、この「ゲロンティアスの夢」がエルガー自身の指揮で演奏されるシーンなのだそうです。この合唱団も、戦時中の1917年にエルガーの指揮でこの曲を演奏しているそうですし、映画のタイトルの「The Choral」というのもこの合唱団の愛称として広く知られているものです。情報が全くないので分かりませんが、もしかしたら、このアルバムの音源が映画の中で使われているのかもしれませんね。 このアルバムは、合唱団の本拠地であるハダースフィールドのタウンホールで録音されました。合唱はここと、もう一つRCN(Royal Northern College of Music)室内合唱団も加わって、総勢200人以上になっています。 ![]() そして、ソリストたちが素晴らしかったですね。ゲロンティアス役のテノール、デイヴィッド・バット・フィリップは、なんせ出ずっぱりですからスタミナ勝負ですが、見事に張りのある声を維持して、物語を引っ張っていました。バリトンのローランド・ウッドも、深い声で様々な役を歌い分けていました。天使役のカレン・カーギルも、太めの声で、存在感を見せていました。 もちろん、合唱は、様々なシーンを的確な表現でしっかり歌いきっていましたよ。 CD Artwork © Hyperion Records Ltd |
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このイギリスのレーベルは、かつてはDECCAのサブレーベルとして存在していた「ARGO」レーベルが、1980年にDECCAがPolyGramに吸収されたことによって消滅してしまったために、そのスタッフたちが1981年に新たに立ち上げたレーベルでした。ASVというのは「Academy Sound and Vision」の略称です。 このレーベルは1999年にはSanctuary Records Groupに買収されてしまいますが、レーベル名はそのまま使われていました。さらに、2007年にSanctuaryがUniversal Music Groupに買収された時点で、このレーベルのレコード(CD)生産は終了してしまいます。 ということで、このレーベルでは、例えばフルートだとケネス・スミス(元フィルハーモニア管弦楽団の首席フルーティスト)や、ウィリアム・ベネットのものなどのCDが結構手元にあるのですが、それらはもはや廃盤になっているようですね。 ですから、現在はUniversalで管理されている音源が、こんな形(オリジナルジャケット)でリイシューされるようになったのはありがたいことです。これ以後は、どんなアイテムが出てくるのか、楽しみです。 ここで演奏しているアンサンブル360という団体は、2005年に5人の管楽器、5人の弦楽器、そしてピアニストという11人の編成で活動を開始しています。おそらく、このモーツァルトのアルバムが彼らのファーストアルバムだったのでしょう。 現在でもこのアンサンブルは活躍しているようで、2024年にはアルバムのデジタル配信も行っていますが、そのメンバーの大半は入れ替わっているようですね。 最初に演奏されているのは、有名なニ長調のフルート四重奏曲、いわゆる「第1番」という作品です。フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという形ですから、弦楽四重奏のファースト・ヴァイオリンをフルートに置き換えた形ですね。ですから、この録音では左からその楽器順に並んで演奏しています。 ここでフルートを吹いている人はガイ・エシェッドという、イスラエルで生まれた方です。ですから、この日本語表記はあてになりません。現在はイスラエル・フィルの首席奏者なのだそうですから、以前聴いていたベン=ハイムの交響曲第2番の録音にも参加していたはずです。確かに、この曲の冒頭のフルート・ソロは、とても素敵でしたね。彼はこれまでに、バイエルン放送交響楽団など多くの有名なオーケストラの首席奏者や、ゲスト首席を務めています。 そんなエシェッドの20年前の演奏は、やはり素敵でした。とても伸びやかな音で、ピッチも正確、他の弦楽器とも見事に溶け合った音で、完璧なアンサンブルになっています。時折、ちょっとした装飾を入れているところもありますし、第2楽章から終楽章にかけては楽譜によっては「アタッカ」という指示があったかと思いますが、ここでは自作のアインガンクを挿入したりしていて、とてもチャーミング。 次の曲は、「アダージョ」というタイトルの小品ですが、K. Anh.94(580a)というケッヘル番号でもわかるとおり、当初は「補遺」扱いで、真作ではないと思われていた曲です。ソロ楽器に3声の伴奏が付くという編成ですが、それぞれの楽器も特定されていません。ここでは、コール・アングレのソロと、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの伴奏という形で演奏されています。いきなり「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が聴こえて来たのでびっくりしますが、それよりも、ソロ楽器は明記されていないので最初はアルト・サックスだと思ってしまいました。 3曲目は、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンの四重奏にピアノが加わった五重奏曲(K. 452)で、これも初めて聴きましたが、ピアノ協奏曲のようなテイストで面白かったですね。 そして最後がクラリネット五重奏曲。この場合は、弦楽四重奏が左、クラリネットが右という音場になっていましたね。そして、クラリネットではなく、バセット・クラリネットが使われていて、オリジナルの低音が聴こえてきました。演奏者はマシュー・ハントです。 Album Artwork © Universal Music Ltd |
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ただ、これまでの佐渡の時代には、CDに付属しているブックレットには、最初からドイツ語と英語の他に日本語も掲載されていたのですが、佐渡が去ったあとはどのようになるのか気になります。なにしろ、よほどのことがなければ、外国のレーベルのブックレットに日本の漢字やひらがな、そしてカタカナが印刷されるなんてことはありませんからね。 そんなラスト・コンサートのために選ばれたのが、マーラーの大作「交響曲第8番」です。佐渡は、これまでにマーラーの交響曲をこのオーケストラと7曲までリリースしていました。それらは、2019年3月の「5番」に始まって、「2番(2019年5月)」、「3番(2021年)」、「4番(2022年)」、「7番(2023年2月)」、「1番(2023年3月)」、「6番(2023年10月)」という順序で録音されていました。惜しくも「大地の歌」と「9番」までは手が回らなかったようですね。 今回の「8番」は、2025年の5月31日から6月4日にかけて何回か行われたコンサートでのライブ録音を編集したものです。会場はウィーンのムジークフェラインザールですね。ブックレットにその時の写真が載っていますが、あの狭いステージ一杯にオーケストラと合唱がひしめいていますね。金管のバンダはどこにいたのかは分かりません。木の上ではないでしょう(それは「パンダ」)。そして、児童合唱だけは、オルガンの前のバルコニーに居たようです。 この児童合唱はウィーン少年合唱団が歌っていたのですが、なぜか個人名が3人クレジットされています。その3人だけで歌っているところがあるのかチェックしてみたのですが、聴いた限りでは彼らの出番の個所ではすべて全員で歌っているようにしか聴こえませんでした。というか、楽譜にも3人だけで歌うというような指示はありません。これは何だったのか、ちょっと気になります。 佐渡がここでとったテンポは、かなり遅めのようでした。全体を通じて、聴き馴れたものよりも遅く感じられてしまいます。実際に演奏時間も、他の演奏と比べて10分ほど長くなっています。それは、もちろん、丁寧に歌おうという意思の表れなのでしょうが、逆にその「歌」があまり感じられません。ただダラダラと音符をならべているだけ、というようなところが頻繁に感じられてしまいます。なんか、先に進もうという推進力があまりないようなのですね。変に落ち着いている、というか。 まあ、それでも第1部の最後などは、しっかり盛り上がりを作って、それなりの高揚感は伝わってきましたね。 第2部になると、ソリストたちがそれほど魅力的でないことに気づきます。確かに、ここでのソリストはかなりのインパクトを発散しなければ役に立ちませんが、ソプラノあたりはその気持ちだけはあるものの、声が付いていかないのではないか、という、この曲を聴くときにはほぼ毎回感じるいやな面を見せてくれていました。 そして、最悪だったのがテノールのソリストです。個人的には、このパートはぜひともヘルデン・テノールの強靭な声を聴きたいと思っているのですが、今回の人はなんともなよなよとした歌い方で、心底がっかりしてしまいました。第2部の最後近くでこの人が歌う「Blicket auf」は全く期待していませんでしたが、それでもひどい出来でしたね。 そのシーンの少し前に、「栄光の聖母」が初めて登場して歌う「Komm! Hebe dich zu höhern Sphären!」こそは、この曲の中で最高に美しいところだと思っているのですが、このソプラノはとんでもない音痴、おそらくこれが最高のテイクだったのでしょうが、だとしたら、その日以外のもっとひどいのを聴いたお客さんは、不幸でしたね。というか、こういうものを商品としてリリースすること自体が間違っています。 CD Artwork © Niederösterreische Tonkünstler Betriebsgesellschaft m.b.H. |
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この時代には、この楽器はテオバルト・ベームという、ドイツのフルーティストで作曲家、さらにはフルート製作者によって決定的な変化を遂げていました。その最大の成果は、指穴の位置を変え、穴を大きくしたことによって、正確なピッチと大きな音が実現されたことでした。 その結果、この楽器は現在ではフルートの標準的なモデルとして、ほぼ100%のフルーティストが使うようになっています。考えてみれば、それはとても稀有なことです。つまり、普通に現代のオーケストラで使われる管楽器の中で、そのような一つのモデルだけしか使われていないものは、フルートと、そしてトロンボーン以外はないのですよ。オーボエとホルンではウィーンの楽器、クラリネットではエーラー管、ファゴットではバソン、そしてトランペットではロータリー・タイプというように、同じ楽器でも全く構造の異なる楽器が使われることがあるのですからね。 とは言っても、ベーム管が出来た時には、従来の楽器を使っていた人がすべてこの楽器に乗り換えたわけではなく、当然のことながら様々な種類の楽器が混在することになりました。 そんな、まさに従来の楽器からベーム管に代わろうとしていた時代に、実際にそれらの楽器のために作られたであろう曲を集めて録音されたのが、このアルバムです。 最初の曲は、ベルギーのウージェーヌ・アルベールという人が作った、現在のベーム管とほぼ同じ、円筒管、つまり内径が元から先まで同じパイプの楽器を使って、やはりベルギーの作曲家ペーテル・ブノワが作曲した「フルートと管弦楽のための交響詩」です。 これは、そのタイトルの通り、普通の協奏曲のような形の決まったものではなく、様々なキャラクターの楽章を3つ集めたものです。特に、最初と最後の楽章では、フルート・ソロの技巧的で華やかなパッセージが次々と登場してその技量を披露するという、この時代にはよく作られたタイプの作品です。それを、プストラウクは、まさに目を見張るようなテクニックで完璧に演奏しています。次から次へと出てくるとても細かい音符の群れを自在に操っている姿は、驚異的です。そして、低音から高音まで、ムラのない音が聴こえてきます。 2曲目は、フェルディナント・ランガーという、マンハイムの宮廷楽団で活躍したチェリストで作曲家の人が作った「フルート協奏曲」。それを彼女は、ベーム管の初期のタイプ、まだ従来の楽器のように、パイプが先に向かって細くなっている「円錐管」の楽器で演奏しています。これも前の曲と似たような趣向の曲なのですが、フルートの音は明らかに異なっています。音色も違うし、何より低音が全然響いていません。 そして、最後、つまり、この中では最も「古い」タイプの楽器を使って演奏されているのが、この時代のフルート協奏曲としては最も演奏頻度の高いカール・ライネッケの作品です。この曲は当時のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席フルーティストのマクシミリアン・シュヴェードラーのために作られたのですが、彼が使っていたのはベーム管ではなく、シュヴェーガーが自ら改良にあたったシュヴェーガー/クルスペという楽器でした。ですから、ここではそれと同じ楽器が使われています。 この演奏は、ベーム管による演奏を聴き慣れた耳には、かなり劣勢が感じられるものでした。なにしろ、運指がベーム管とは全く異なりますから、それを克服するために彼女はかなりのストレスが強いられたと言われていますし、そのせいでしょうか、ブレスがかなり短くなってもいたようでした。さらに、肝心の楽器の音は、特に低音では、とても情けないものでした。 もしかしたら、ライネッケはベーム管を聴いたことがないのっけ?。 CD Artwork © Note One Music GmbH |
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もちろん、ロシアという国がこんな風に世界中を敵に回してしまい、現在のこの劇場の指揮者陣はゲルギエフを始めとして全てロシア人だけになっていますから、彼がこの国で指揮をすることはもうなくなっているようですね。 ただ、過去のロシア人作曲家の作品は、とても積極的に取り上げているようで、このRCO LIVEレーベルでもロンドン交響楽団とともにショスタコーヴィチの交響曲の全曲録音を完成させています。さらに、プロコフィエフとチャイコフスキーの交響曲も、やはり全曲録音を目指しているようですね。 そのチャイコフスキーは、これまでに「4番」と「5番」がリリースされていました。そして今回は、2023年に録音されていた「6番」の登場です。一応、これまで通りにハイブリッドSACDで出ているはずなのですが、日本の代理店ではまだ扱ってはいないのが気になります。そもそも、SACD自体が最近では絶滅危惧種になっていますからね。 「悲愴」というサブタイトルが付いたこの交響曲は、とても有名で、これまでにいく通りもの演奏に出会ってきましたし、実際に演奏したこともあるので、細部までその形はしっかり分かっていました。しかし、今回聴いたこの演奏は、それらとは何かが違っていたように感じられました。そこからは、とても風通しが良くて爽やかな音楽が聴こえてきたのです。それは、普通に「ロシア人のチャイコフスキーが作った音楽」として演奏されたものとは一線を画した、なんともスマートな佇まいをもっていました。 第1楽章の序奏でこそ、アダージョの重々しい雰囲気が漂っていましたが、アレグロの提示部に入った途端、その重苦しさからはすっかり解放された、活き活きとした音楽に変わります。それは、ノセダがとった何とも軽やかなフレーズの運び方が最大の要因だったのではないでしょうか。音楽は常に先へ先へと流れて行って、不必要な「溜め」による停滞感は皆無です。そこにはロシア音楽にありがちな野暮ったさなどは微塵もありませんでした。 5拍子による第2楽章も、同じような滑らかさで進められています。これも、真ん中の部分でちょっとテンポを落としたりしてテイストを変えるという演奏が多い中で、何の細工もなく進んでいくというのがとても爽快です(そうかい?)。 第3楽章のマーチも、とてもすっきりした仕上がり、そこには無理やり高揚感を作り出すような野暮なところは全くなく、ひたすら一直線に進んでいる一途な姿がありました。 それが、終楽章になると、ほんの少し感情的な部分を設けるようになっていました。それは、そこまでの、ある意味「素っ気ない」演奏を聴いた後なので、とてもエモーショナルに感じられてしまいます。もしかしたら、ノセダは意図してそのような設計を施していたのかもしれませんね。 もちろん、そんなことは全くなかったのかもしれませんが、全曲を聴き終えてとても良い音楽を聴いたな、という感情がごく自然に湧いてきたのは、間違いなく事実です。 カップリングとして、ムソルグスキーのオペラ「ホヴァンシチナ」の前奏曲で「モスクワ川の夜明け」というタイトルで呼ばれている曲(リムスキー=コルサコフによる編曲)が演奏されています。その静かな佇まいには、やはりさっぱりとした爽快感がありました。 この後はチャイコフスキーの「1番」から「3番」までの、マイナーな交響曲を録音することになるのでしょうか。いっそ、もっとマイナーな「マンフレッド交響曲」も録音してほしいものです。 SACD Artwork © London Symphony Orchestra |
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ロトと言えば、ちょっと前にセクハラ問題で世間を騒がせていた指揮者ですね。それで、彼が作ったオーケストラであるレ・シエクルをクビになったものの、最近ではもう「復縁」していたようですね。というか、2025年の8月には予定通りクレンツィスの後任としてSWR交響楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任していますから、もはやこの問題は「なかったこと」になっていたのでしょう。 今回のアルバムの録音データを見てみると、その時期が2回に分かれていることが分かります。1回目は2024年4月から5月にかけて、2回目は同じ年の11月です。ロトのセクハラが発覚したのが2024年5月ですから、この1回目の録音の直後ですね。つまり、その時点で録音もストップされてしまったのでしょう。そこでとりあえずクビになったものの、その半年後の11月には何事もなかったかのようにその録音セッションが再開されていた、ということになるのでしょう。この頃に予定されていた日本公演はキャンセルされたというのに。 まあ、そのぐらい、ロトはマーケット的にはなくてはならない指揮者だ、ということなのでしょうね。彼は決して中居正広のように仕事を干されて路頭に迷うことはありません。 確かに、このアルバムのような高水準なオーケストラの仕上がりを聴かされると、「たかがセクハラ」でその指揮者としての価値が変わることはないのだ、と思わせられてしまいます。残念ですが。 まずは、オープニングのオーケストラのサウンドの華やかさに、驚かされます。卓越した録音技術にも助けられて、そこではすべての楽器の音がキラキラと輝いて、くっきりと聴こえてくるという魔術が披露されていました。特にハープの煌びやかさは出色の出来栄えです。 それと、チェレスタなどの、普通はあまり聴こえてこないような楽器にも、しっかりフォーカスがあっていますから、マーラーの特異なオーケストレーションを満喫することが出来ます。 弦楽器の配置もファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンが向かい合わせになっていますから、それぞれのパートがきっちりと別れて左右から聴こえてきます。それによって、セカンドヴァイオリンがいかに雄弁なパートを担っているかも、如実に分かります。 中国の詩を使っているので、中国風の部分が数多く表れますが、そこでの徹底したデフォルメも見事でしたね。フルート・ソロなどは、意図的にピッチを狂わせて、鄙びた「笛」を演出しているようでした。終楽章の冒頭の銅鑼の音も、とても印象的でしたね。 ただ、ここで歌っているテノールのソロは、ちょっと、そんなサウンドを受けきれないような芯のない声だったので、ちょっとがっかりです。彼の声は、このオーケストラの中では、ちょっと異質なものに感じられてしまいます。 もう一人のソリスト、アルトの人は、その点ではほぼ合格でした。とは言っても、やはりインパクトの面ではいまいち、という感はありましたね。このパートは一応アルトという指定にはなっていますが、バリトンが歌っても構わないという注釈があります。過去にはフィッシャー=ディースカウとか、それこそカウフマンが全曲を一人で歌っていたようなこともあるので、それらを聴いてしまうと、このパートに対する要求もシビアにならざるをえません。なにしろ、6つある楽章は、それぞれ3つずつテノールとアルトが1曲おきに交代して担当しているのですが、アルトが歌う最後の楽章だけでほぼ全体の半分の時間を使っているので、必然的にアルトの方が出番が多くなっていますからね。 CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s. |
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きのうのおやぢに会える、か。
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