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Pilgrimage to Tsuwano 0

 私がニューフィル以外に所属しているのが、大学時代の合唱団のOBで結成された合唱団です。そもそもは男声合唱団だったのですが、学生時代の周囲の合唱団のメンバーなどを集めて「Chor青葉」という混声合唱団も同時に作ってしまい、男声、混声どちらの曲も楽しめるコンサートを年に1回、東京オペラシティで開催しています。
 とてつもない企画力を誇るこの合唱団は、今回絵本作家の安野光雅さんの詞に、森ミドリさんが曲を付けたという混声合唱組曲「津和野」を作ってしまいました。2007年3月11日のオペラシティでのコンサートで、その曲は「世界初演」されました。その勢いで、その曲の中に歌われている安野さんの生地、津和野でこの曲が演奏されることになってしまったのです。
 実は私は、安野さんの著作に関しては、ほとんどのものを集めたはずだと自負しているほどのマニアです。特に絵本に関しては、まず全部のものが手元にあります。初期のエッシャーの影響がそのまま現れた「ABCの本」や「あいうえおの本」などは、信じられないほどのアイディアの豊かさに感動したものです。最高傑作だと思っているのが、「旅の絵本」の第1巻です。各ページに隠された「仕掛け」を解読するのは、まさに知的な冒険でした。この絵本は舞台がヨーロッパ、海を渡って来た旅人が陸地を旅して最後にはまた海へ帰るという構成、今思うと、「津和野」に描かれた原体験としての「海」が、ここでもモチーフになっていたのですね。
 東京でのコンサートのちょうど1週間後、3月17日がそのコンサートの日、会場は安野さんの原画などが展示されている安野光雅美術館のエントランスホールです。こんなポスターも用意されています。
 東京のコンサートに出演したメンバーのほぼ半数にあたる80人が、このために津和野へ向かいました。もちろん、私も一度は行ってみたいと思っていた津和野です。こんな形で「聖地」を訪れる機会を逃すわけはありません。以下は、そんな私の、ちょっと感傷のこもった旅日記です。


Pilgrimage to Tsuwano 1

 「聖地」巡りは終わりました。それは私にとって、かけがえのない体験となった、とてつもない旅でした。この2日間のことは、一生忘れる事はないでしょう。
 なにしろお彼岸間近の週末ですから、まるまる休んでしまうのはちょっと気が引けるものです。ですから、金曜日にはしっかり準備を整えて、他の人でも代わりにできるような段取りを付けるのに余念がありませんでした。そして夕方に出発、その夜は東京に一泊です。
 土曜日の朝は久しぶりの東海道・山陽新幹線です。これに乗るのは妹の結婚式で岡山まで行って以来ですから、一体何年ぶりになるのでしょう。そもそも5時間も同じ席に座りっぱなしなんて、東京までの新幹線が1時間半で終わってしまうのに慣れた身には、かなり堪える事のはずです。「腰」もあることですし。
 しかし、車窓から見える景色は、ちょっと曇りがち、一部では雨が降っているというお天気では、ちょっと富士山は見えなくて残念ではありましたが、昔々、このあたりに住んでいた思い出を蘇らせるのには十分なものがありました。中でも静岡のお茶畑などは、なんか原体験をつつかれてしまう程のインパクトのあるものでしたよ。
 何ごともなく新山口まで行ったあとは、まさに初めての体験、「山口線」へ乗り換えます。新幹線を降りたホームには、同じ列車に乗っていた合唱団のメンバーがたくさん、殆どの人がこれで来たようですね。
 山口線のホームまでは階段があります。もちろん、エスカレーターなどというものは付いていませんから、重たい荷物もそうそう愚妻に持たせる訳にはいかず、腰に負担がかからないように半分だけ持ち上げてみます。どうやらこの程度だったら大丈夫、しばらくは急な腰痛もない事でしょう。ホームは、沢山の人でごった返していました。特急「スーパーおき」という名前とは裏腹に、この車両は全部で2両しかありません。1両が指定席、もう1両は自由席です。もちろん私達は指定席を買ってあったので、その人垣をかき分けて自分の席へ向かいます。しかし、自由席の方はなんだかとんでもない事になっているようです。一緒に来た人の中には指定席が買えなかった人もいたようで、見慣れた顔の人がデッキに立っていました。普段はそんなに人が乗る事はないこのローカル線にとっては、こんな大人数の人が押し寄せるのはどうやら予想外の事態だったようですね。「本日はご迷惑をおかけしております」みたいなアナウンスもありましたし。
 1時間程で、目指す津和野に到着です。駅にはペンションのオーナーが車で迎えに来てくれていました。1回では運びきれないので、2回に分けてのピストン輸送、最初に乗ってしまった私達は、オーナーの観光案内を聞きながら、ちょっと遠くにあるペンションへ向かいます。
 一服する暇も惜しんで、リハーサル会場の小学校へ向かいます。そこでは、予定していなかったイベントが待っていました。校庭にいる安野さんと森さんの前で、城跡へ向かって歌を歌うということになったのです。いよいよ、「城跡コンサート」の幕開けです。


Pilgrimage to Tsuwano 2

 なんせ大人数ですから、着替えも大変です。大半の人は美術館のすぐそばにある旅館に泊まったので、男声はそこで着替えて、ステージ衣装で歩いてきます。我々ペンション組と女声は、美術館の中で着替えます。男声にはなんと「館長室」が用意されていました。その広い部屋の中にはもちろん安野さんの本なども置いてありますが、何より目を引いたのが、この「つわのいろは」のオリジナルです。
 いろは48文字を全て1度だけ使ってつくられた「いろはうた」、安野さんはその中に故郷津和野を見事に歌い込んでいます。この歌が、何と言っても今回のプロジェクトの出発点、感慨もひとしおです。ここに出てくる「しろあと」は、今でも山の上に残っている「城跡」のことですが、「この歌を城跡で歌ってみたいね」と誰かが言ったために、津和野でのコンサートが実現しました。実際に城跡で歌うのは無理ですから、せめて城跡へ向かって、というのが、前回の小学校の校庭でのパフォーマンスだったわけです。
 着替えが終わって、実際に「城跡コンサート」が行われる美術館のエントランスへ行ってみると、会場のセッティングはすっかり出来上がっていました。壁一面に描かれた巨大な「魔法陣」をバックに歌うというプランです。ただ、問題は合唱団が乗るための山台です。場所が狭いものですから、そこには写真屋さんが集合写真を撮る時に使う、ちょっと狭くて乗るのにはおっかないスタンドが用意されていたのです。かなり段差のあるものですから、女声がドレスの裾を引っかけたりしないように、立ち方のリハーサルです。本当は全員が並んでみて、一度でも声を出してみれば良かったのでしょうが、そんな時間はありませんでした。
 本番前に待機している場所は、「展示室」です。さっきまでは美術館を訪れた人たちが最も神経を集中して展示物に見入っていたであろう、メインの部屋の中を、今は自由に歩き回って、そこの安野さんの原画を心ゆくまで見る事が出来るのですよ。そこにあったのは最近「改訂版」が出たばかりの「旅の絵本2」の原画、印刷された本も従来版と改訂版の両方が置いてありますから、それぞれを比べて見る事も出来ます。確かに今回のものは印刷の精度は上がっていますが、色合いなどは原画と比べてしまうといまいちというのが良く分かります。これはもう印刷技術の限界なのでしょうね。
 私の「安野マニア」ぶりはもはやメンバーの中に浸透していますから、原画を前にしながら色々聞いてくる人もいます。「聖地」のまっただ中に今自分がいるのだというだけで舞い上がっているというのに、そんな風に頼りにされるなんて、つくづく長年のファンであった幸せを噛みしめる私でした。
 いよいよ演奏の始まり、不謹慎だとは思いましたが、一応デジカメをポケットに忍ばせて山台に立ちます。機会があれば客席の様子を撮ってみようという「編集長」精神です。しかし、そんな心配は無用、曲が始まる前に森さんがMCをやっていると、安野さんも立ち上がって話を始めたり、とても和んだ雰囲気でしたから、写真を撮ってもなんの邪魔にもなりませんでした。こんな風に、エントランスは150人程のお客さんでいっぱいになっていました。


Pilgrimage to Tsuwano 3

 演奏は、会場での声だしが全くないというブッツケ状態で始まりました。自分たちの声が一体どのように届いているのか全然分からないのが不安です。歌っていると、自分の声すら良く聞こえない感じ、他のパートもあまり聞こえてこないので、果たして正しいハーモニーで歌っているのか、とても不安になってしまいます。
 後の方を見ると、先ほど車で送り迎えをしてくれたペンションのオーナーが、本格的なカメラを構えているのが分かりました。このオーナーはカメラマンだそうで、ペンションには彼の作品がたくさん展示してありました。今録っている映像は、翌日の朝食の時に見せてもらえるそうなので、楽しみです。
 私達の演奏は前半がこの前のコンサートの最後のステージで歌った色々な曲を「時を超えて」というテーマでまとめたものです。オペラシティでの時には小原孝さんがピアノを弾いて、それこそただの伴奏ではない、インプロヴィゼーションも交えつつのぶっ飛んだコラボレーションが展開されていたのですが、津和野には同行してはいないので森ミドリさんのピアノです。小原さんに負けじと森さんが考えたのは(誰のアイディアかは分かりませんが)、津和野の小学校や中学校の「校歌」を、それぞれの曲のイントロとして使う、というものでした。多分、ここに聴きにきている人たちにはお馴染みに違いないメロディーが森さんの手によってちょっとおしゃれに響いたあと、「少年時代」とか「さくら」が始まる、という趣向です。
 その森山直太郎の「さくら」が始まった時、一番前に座っているおばさんが、とても気持ちよさそうに歌い始めたのが目に入りました。その瞬間、なんだかとても熱いものがこみ上げてくるような気持ちになってしまったのです。お客さんが一緒に歌い出すなどという現場には何度も遭遇していたはずなのに、このときばかりは涙さえ出てきて、しばらく歌が歌えない程になってしまいましたよ。なんというのでしょう、音楽を通して確かなコミュニケーションが成立した瞬間に立ち会えたような、殆ど感動に近いものがあったのです。その頃にはちょっと違和感のあった会場の音響にもだいぶ慣れてきて、一体感は深まるばかり、終わって先ほどの控え室に引っ込むと、指揮者は「すごく声が出てる」と言っていました。我々には分からなくても、向こう側にはきちんと声が通っているというのです。恐らく、後の「魔法陣」のタイルが、良い反響板になっていたのでしょう。
 後半、この曲のためにここまでやってきた「津和野」は、一番前に座っている安野さんの表情ですっかりメッセージが伝わっている事が分かりました。全曲が終わった瞬間には、安野さんは立ち上がって拍手を送ってくださいました。
 この演奏会には、安野さんの誕生日(実際は20日)という意味もあったので、打ち合わせ通り「ハッピー・バースデイ」を歌ってプレゼントを差し上げました。斜めがけにしているショルダー・バッグがそのプレゼントです。
 会場は大盛り上がり、最後に安野さんは「何か、校歌のようなものはないんですか?」と聞いてきました。確かに学生時代には「青葉もゆる」という学生歌を定期演奏会のオープニングで歌っていましたので、まさに勢いで「ああ、東北大」で終わるこの曲を、津和野の安野さんの前で大声で歌うという予想外の事が、そこで行われてしまうことになります。ちょっとしたこだわりがあったもので、これは決してオペラシティでは歌う事はなかったのですが、こんな形だったらすんなり歌えてしまいます。これを知ったら、悔しがる人が出てくる事でしょう。
 打ち上げは、なんと宴会形式、でも、安野さんにサインをねだったり、一緒に写真を撮ったり、とっても楽しいものでした。


Pilgrimage to Tsuwano 4

 打ち上げの会場からタクシーに相乗りでペンションに帰ってきた時には、もう12時を過ぎていました。誰かが「ここでは11時を過ぎれば、もう寝てしまいます」と言っていた通り、その時間に外を歩いている人は「流れ」で二次会へ向かう合唱団様ご一行以外には誰もいませんでした。空を見上げると星の多いこと、仙台では絶対に見ることの出来ない美しい星空でした。
 次の朝、窓の外に広がっていたのは、まさに安野さんの作品の中の世界でした。西日本とは言え標高100メートルという山中ですから、駐車場にあった車の窓にはしっかり霜が降りていましたよ。
 7時半になると、インターホンで「朝ご飯が出来ました」とオーナーの声が聞こえてきました。食堂に行ってみると、すでにテーブルには食事の用意が整っています。久しく食べたことのない純和風の朝ご飯です。目玉焼きにはソースが欲しいところですが、我慢しましょう。そして、テレビではお約束通り、きのうのコンサートのビデオが流れていました。いやぁ、これは素晴らしいと思わず聴き入ってしまう程、声が良く出ています。昨日歌っていて感じた不安は全く消えてしまいました。これだったら、会場で聴いていた人は満足したことでしょう。実はこのペンションは森ミドリさんのお薦めで今回使うことになったのだとかで、オーナーとも親しい間柄です。そのせいか、森さんのピアノのアップが頻繁に登場していました。ピアノの後が中庭を望むガラスになっているのですが、それが鏡になってソプラノの人の顔が映っています。そこで、森さんのすぐ後ろに映っていたのが愚妻の顔、得をしていましたね。
 レンタカーで帰る人もいるので、ひとまずお別れを言いつつオーナーの奥さんに駅まで送ってもらいます。きのうは慌ただしくコンサートで出入りしただけですから、今日はゆっくり安野光雅美術館を見学、帰りの列車は2時ですから、少しは観光もできることでしょう。白壁の蔵を模した美術館の前の通りには、しっかりロゴの入った旗が翻っています。よく見ると(実は、写真を見直して今気がついたのですが)通りの名前と美術館のロゴが裏返しになっています。これも安野さんのアイディアだったのでしょうか。
 美術館では、まずショップでお買い物。ここには安野さんの著作が今手に入るものは全て揃っています。もちろん、絵本に関してはほぼ全て持っているものばかりですから今さら買う必要はありませんが、ここでしか売っていないグッズに注目です。親しい人へのお土産もありますが、私自身のお土産に、トランプを4種類全部買ってしまいましたよ。まわりを見ると、殆どが合唱団のメンバーでした。ついさっきお別れをしたばかりのペンション組も。みんな考えることは一緒なのですね。
 展示室を見る前に、プラネタリウムが始まる時間だったので、そこへ向かいます。安野さん自らナレーターをやっている楽しいもの、もちろん、最初に現れるのは「津和野の星座」です。


Pilgrimage to Tsuwano 5

 プラネタリウムは40分程かかりました。あと少しすると、今度は安野さんのサイン会が始まります。私は別にミーハーではないので、「今さらサインなんか」と、大して乗り気ではなかったのですが(実際、買う本はありませんし)、愚妻は意気込んで物色しています。その間きのうコンサートがあったあたりをブラブラしていると、そこへひょっこり安野さんが現れたではありませんか。そばにペンション組のMさんがいたので、一緒に近づいて話をしてみました。きのうの宴会の時は、人がたくさんいたのでとうとう話をすることはできなかったのですよ。かなり緊張して、口ごもりながら「デビューの時からの先生のファンでした」とか言ってみると、Mさんも「この人は、安野さんのことなんでも知ってるんですよ」と助け船を出してくれます。安野さんは「ああ、そうですか」と平然としたものです。うん、その気持ちはよく分かります。私もほんの少し前、ショップで仲間から「『ジュラシック』、すごいですね。とても分かりやすいです」とか言われて、「いや、あれがウリなんですよ」なんて謙遜して見せたばっかりでしたからね。もちろん、全く次元の違う世界の話ですが。
 間近でお話しした安野さん、とても81歳とは思えないような若々しいオーラが漂っている方でした。「握手してくださいますか?」と言って手を差し出すと、気さくに握り替えしてくださいました。その手を伝わって、安野さんのオーラが少しは私に入り込んできたのかもしれない、と思ったのは、まさに「信者」の心境のなせるわざでした。
 サイン会の会場は「教室」です。この美術館には、昔の小学校の教室を再現したところがありますが、そこにも安野さんの「仕掛け」が満載でした。
 お分かりでしょうが、これらは全て安野さんの作ったものです。「藤本先生」は絵本にも登場しますね。「ごますり」が効いてます。
 ただサインをするだけだと思っていたら、安野さんが教壇に座って「授業」が始まりましたよ。いえ、ちょっとした雑談なのですが、それは安野さんならではの知的なひらめきが随所に感じられるものでした。立ち上がってチョークで黒板に書いた文字が、まさに「安野フォント」だったのにもびっくりです。それが終わって一人一人に丁寧にサインをして下さいました。中には自分が書いた水彩画を持ち込んで、安野さんのコメントをもらっているというすごい人もいましたね。いや、実はきのうのコンサートの時に一緒に歌っていた人が、そこにいたのですよ。この人はもっとすごい完璧な「追っかけ」、北九州からやってきて、コンサートとサイン会を満喫していたようです。こんな「同士」に会えたのも、「聖地」ならではのことでしょう。
 肝心の展示室に行っていなくても、これだけでもう十分、時間もなくなってきたので美術館に別れを告げました。また来ることもあるでしょうし。
 それから向かった、夕べのタクシーの運転手さんに聞いておいた「わらじや」というお店で食べた天丼は、ちょっとすごいものでした。大きな海老が3本も入っていて、それがご飯の上に高々と積み上げられています。それだけではなく野菜がもう5品、そのままではとてもご飯が食べられませんから、天ぷらを一旦置いておく皿が一緒についてました。その海老が、もうプリプリ、あっさりしていておいしいのなんの、もしかしたら今まで食べた中で最もおいしい天丼だったかもしれません。それで値段は1100円! 信じられない安さです。
 残った時間で町の中を歩き回っていると、知った顔に何度会ったことでしょう。こんなに楽しい時間を作ってくれた合唱団の仲間には心から感謝です。私にとってはまさに「聖地巡礼」だったこの旅によって、もしかしたら今まで引きずっていた煩わしいものからの決別ができたのかもしれません。リニューアル・ジュラシックが津和野で誕生しました。