[ご挨拶] [写真集]


開山佛智禅師

臨済宗聖一派。武蔵飯沢の人。俗姓は丹治氏。号は山叟。諱は慧雲。一七歳で祝髪受具し、一九歳、京都東福寺円爾に参じた。正嘉二年(1258)志を起して入宋し、断橋妙倫に浄慈寺に謁して掛搭し、また方庵圻・清虚心に請益し、文永五年(1268)帰朝した。ただちに東福寺に登って円爾に侍し、しばらくして博多の承天寺に住し、のち移って大宰府の崇福寺に住した。奥州の檀越伊達政依公は弘安六年(1283)満勝、光明、観音、興福、東昌の五山を創して開山(又は勧請開山)として招請した。住すること十年にして永仁三年(1295)九条教藤、これを招いて東福寺に昇住せしめ、東福寺第五世とした。亀山上皇、とくに法要を問い、また執権貞時が荘田を寄進した。正安三年(1301)七月九日示寂。世寿七十五。法臘五十三。東福寺山内正覚庵に塔し、勅して佛智禅師と諡す。

開基伊達政依公

伊達家第四世。義廣公の第一子、従五位下蔵人大夫である。剃髪して願西と号した。公は仏教の帰依篤く、京都五山に擬して東昌、光明、満勝、観音、興福の五寺を創設し開基となり、佛智禅師を招請して開山となした。正安三年(1301)七月九日卒す。享年七十五。伊達郡成田村に葬られた。東昌寺殿覚印願西大居士と追諡された。佛智禅師は京都の東福寺第五世にして当時の高徳であった。公と年月日時を同じくして示寂された。人はこれを奇縁とした。