「移動祝祭日」と「睡蓮」

パリに数カ月滞在した事がある。
別に音楽の勉強の為ではなく、ただ漫然と"花の都"に身を置いていただけだが、もともと勤勉ではない上に安ワインでさえ美味な国とあってはもう答えは目に見えたようなもの、音楽会などに顔も出さず(そのころフランスオケにはイラつくばかりで、まったくいただけない、と思っていた)、オペラも見ず(新装になったバスティーユオペラは建物を見ただけで勝手に失望した)、一日中街をほっつき歩き、酒を飲み、カフェに立ち寄り、歩道に点在する犬の糞に腹を立て、冷たいパリジャンの視線にイラつき、それでも何故かパリにへばり付いてただブラブラしていた。


ただ、美術館には頻繁に足を運んだ。
絵は大好きだ。最近は油絵を画く事も覚えて、より親密さは増したけれど、そのころはもっぱら観るだけで(" 見る"と書かないところが粋だ!)、美術史など知っちゃいないし、モネのお姉さんはもしかしたらアネモネと言うのかしら、などと下らない事を言いながら(もっともこれは今も変わらない。進歩というものが無い)、ただやみくもにたくさんの美術館に足を運んだ。もちろん金の無い貧乏旅だったから、日曜祭日の無料開館は絶対に逃さない。まったくしゃべれないフランス語も、この"無料"だけは今でも読める。日々の積み重ね、というやつだ。
ところでこの"無料"という言葉、フランス語では
libre、ドイツ語ではfrei、英語でfree、いずれももともと自由という意味だが、"ただ"を指す言葉が"自由"を指さない先進国は、もしかすると日本だけではないか?
こんな下らない発見に喜びを見いだしているのも貧乏馬鹿旅のせいだ。今でも"ただ"と見るとフラフラとそっちへ歩いて行ってしまうのも、このころの経験のせいだろうか?これは絶対に僕にとっての重大なトラウマとして・・・え?そういうのはトラウマとは言わないの?あ、そう。


ともかく、たくさんの美術館に行った。隅から隅までルーヴルを残さず見て歩いた人は、そうそういないと思う。好きな画家はそれほどたくさんはいない。せいぜいクリムトとモネとゴヤだ。なんだ結構オーソドックスで素人趣味ね、などと言ってはいけない。何しろ名前を覚えられないので、この3人が今出て来ただけだ。
けれどモネは本当に好きだ。あれが嫌いな人は、余程白黒をはっきりさせていないと落ち着かない原色人間か、嫌いな振りをしているだけだ。巨人ファンと一緒ね。違うか。
ともかく、何故か物心ついた幼児期からモネはごひいきで、やっと"あんよ"ができたころにはもう「モネ、モネ」を連発していた。
それぐらいだから、以前からモネの画集はたくさん持っていて、中でも「睡蓮」は大のお気にいりだったのだが、ずっと長い事疑問だった事があった。モネという人は実にたくさんの「睡蓮」を画いていて、世界中の主な美術館には一枚はそれがあるはずだが、その中でパリのオランジュリ美術館にあるそれを載せた画集には、全てに"一部"と但し書きがしてあるのだ。"一部"というぐらいだからとても巨大なものなのだろう、と勝手に想像していた。それも画集用に縮尺できないぐらいだから、縦ははるか空の高みに達し、横はドーバー海峡を渡り、遠く アメリカ大陸にまで達するに違いない。
あれだけ「睡蓮」を画きまくった言わば"睡蓮フェチ"のおやじだから、それぐらいはあるに決まっている。決まっている。決まっている、と言いながらオランジュリ美術館に行った。


オランジュリはルーヴルと背中合わせみたいな位置にあり、セーヌ河畔にある小じんまりとした、かわいい美術館だ。そしてその「睡蓮」は地下の2部屋にわたって飾ってある。
ご存知の方も多くいらっしゃるでしょう、一部屋の四方の璧にぐるりと帯状に飾ってあり、長短2枚ずつの4枚が1セットだ。それが2部屋あるのだから、計8枚の異例な絵だ。一部屋が一つの絵だから他の美術館では絶対に起こらない事が、見ている人の問で起こる。
つまりみんな勝手にバラバラな方向を向いているのだ。僕のすぐ右手にいる人が、僕の肩越しに左後方
48度を向いているという具合だ。この部屋に足を踏みいれた瞬間、たいていの人はクラクラと眩暈を感じるはずだ。何しろ部屋中が「睡蓮」色に満ちているのだ。
この絵は睡蓮沼(モネの邸宅敷地内の日本庭園にあった。ジャポニズムの時代だ)の中央に立ち、ぐるりと自分の周囲を見回した形になっている。水上に開く黄色い花と葉、水中に沈んでいる葉と茎、風で波立っ水面にはゆったりと雲が漂い(まるでドビュッシーの「夜想曲」の世界だ)、ある一角には夕暮れが迫り、また片方では日差しが花の影を水面に落としている。様々な沼の色が、風が、光が、時が、ふんだんに画き込まれている。
2部屋をつなぐ短い通路には、この「睡蓮」を画いているモネの写真も飾ってあり、数歩離れなければそれと分からない水面の雲の絵をわずか数十センチの距離で画いているのを知ると、驚きでアゴがしばらく外れていた。考えれば当然の事だが。
(余談だが〜おっと、全体が余談でしたが〜この2セットの片方の一枚の隅に画き残しとしか思われない、下地のみの部分がある事に数回目に訪れた際に気がついた。完璧には完成されていないのかと思ってこの名作を見ると人間モネの悲哀を感じて何だかシンミリとしてしまう。)


これだ、これなんだ。こうあらねばならない。芸術とはこれだ。こんなすごい発想がまたとあるだろうか。何しろ一部屋全てが一つの絵になっちまうなんて。こんな"反則"がどこにあろう。参った。
すごすぎる。だが男子たるもの、これぐらいの仕事を世に残したい。
いや、別に人に知らせなくても、一世一代の高みを目指したい。すごい。すごい。これなんだ。こうあらねば。


そんな風に頭を一杯にしながら、どこをどう歩いたが全く記憶に無い。気がついたらあれから2時間ほどが過ぎていた。少し酔っているところを見ると、どこかでビールでも飲んだらしい。
その日以来パリは僕にとって特別の街になった。ヘミングウェイの「移動祝祭日」は、若いころにパリに関わると一生パリがついて回る、といった趣旨の短編だが、少なくともイラついていた歩道の犬の糞も気にならなくなり、冷やかなパリジャンの視線も自分を通り抜けているように感じ出した。僕の中の何かが一つ成長したのかもしれない。
パリは今でも憧れの街だ。


一生の中に、一体いくつの出会いがあるのだろうか。いくつ、と数えるのがそもそもおかしいのだが、人生観を揺さぶられるような出会いはそうそう訪れないに違いない。絵との出会いであと強烈だったのはマドリッドで見たゴヤの「半分埋もれた犬」だが、この事を書き出すとまた何十枚もになってしまうので、別の機会にまわしたいが、(ところでそんな機会がどこにあると言うのだ?)物との出会いですらこんなに心を揺さぶるのだから、人との出会いはいか程のものだろうか。音楽はとても個人的な側面を持ちながら、片方では万人に共通する何かを持っている。つまりは結局人との関わりを抜きにしては存在も危ういものなのだ。だからこそ、多くの人々との出会いは重要だ。人生観をも動かしてしまうほどの人(それこそが本当の師というものではないだろうか)に出会える人は幸せだ。
仮に師に恵まれなくても、僕の「睡蓮」のように魂を揺さぶられる(大げさだな)モノとの出会いのチャンスは、全ての人が持っているに違いない。僕はそう考える。要はアンテナを張っているかどうかだ。音楽を聴いていてもたくさんの気付きがある。ましてや、実際に演奏に携われればそれは一挙に数十倍、数百倍だ。
(気付きは平等に訪れるが、どうやら政治家には訪れないらしい。その証拠にこの国の政治は最悪だ。ね、皆さん。)
つまり、ボケーツとしていては人生だめだ、という事だ。


待てよ、僕ほどボーッとしている人間もいないから、たいていの人は大丈夫だ。何しろさっき何を食べたかすら記憶に無いし、人の名前は覚えていないし、時には目が覚めている事も忘れちまう。
言った事は覚えていない、だから"約束"とは死語だし、公園のベンチに座ったら最後、気がついたら禁治産者(つまりフーテン)となってグーグー眠っている。気がつけば服のボタンはズレ、時にはズボンのファスナーも危ない。(東京文化会舘の大ホールで、満席の観客の前でやっちまったしなあ。)

ああ情けない。
また「睡蓮」でも観に行こう。


末廣 誠/指揮者

美術館の写真

オランジュリ美術館の「睡蓮」の部屋