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(99/3/2掲載)
日頃「かいほうげん」や「ジュラシック・ページ」に駄文を書き散らしている私ですが、自分のことは棚に上げて、他人の文章の欠点はなぜか気になるものです。インターネットのホームページでも、妙に居心地の悪い文章に出会うことがよくあります。
ここで例題として、クラシックのサイトの中では有名な、N響団員の方によるホームページの一節を取り上げて、どこが悪いのかをちょっと分析してみましょう 。
| 今日はスヴェトラーノフ先生の練習初日です。@ 私自身は今日の練習はとても集中できました。曲が充分手の内に入っているという感じで、こちらも弾いていてとても安心できます。今日は第1〜3楽章のみをしっかり仕込まれました。まず最初に第1楽章から第3楽章までをざっと通してそれから細かいことを調整します。曲が良くわかっているので、練習の時不必要に何度も繰り返しさせられることがないのがとても良いです。A (実は自分がうまくできないので何度もやりたいのに私達のせいにして何度も繰り返す指揮者というのは結構たくさんいるのです。B 私達にばれていないと思っているのでしょうが、そんなことはこちらからは丸見えです。C )その意味では先月のミスターSも今月のミスターSも不必要な練習は絶対にさせません。ここら辺の呼吸を若い指揮者の皆さんはよく見習って欲しいです。D 今までスヴェトラーノフ先生というと割と速めのテンポで弾かせるというイメージが強かったのですが、今回の第1楽章はかなり遅めのテンポです。E スケルツォもそれほど速くありません。テンポもしっかりしていて、とても弾きやすいです。F 私がテンポのことを盛んに言うのは、テンポのきちっとしている人は音楽も立派だからです。G ユルフン(ゆるんだフンドシのように伸びまくったテンポ)のようなテンポでオケの様子を探りながら顔だけは偉そうな顔をして振っている指揮者がとても多いのです。H |
なんか、文が練れていないというか、小学校の生徒が書いたような幼稚っぽさが残っているとは思いませんか?(内容には目をつぶりましょう。だいたいこの方には芸術家としてのファンタジーとか感受性といったものが決定的に欠けているので、同じN響団員が書いたものでも茂木さんみたいにゼニをとれる文章とは全く別物なのですから。)データ収集のためにこのページを見るようになってから1年近くたちましたが、やっと最近になってなぜそう感じられるのかという原因がわかってきたような気がします。
それは「です」という断定の助動詞の使い方なのです。
例題の中には「です」で終わっているフレーズが全部で9ヶ所あります。
この中で私が違和感を覚えるのはA、D、Fの3つのケースです。どうでしょう。なんとなくすんなりとは読めないひっかかりは感じられはしませんか。ここで「です」を元の形の「だ」と置き換えてみるとどうなるでしょうか。
@練習初日です。→練習初日だ。
Aとても良いです。→とても良いだ。
Bいるのです。→いるのだ。
C丸見えです。→丸見えだ。
D見習って欲しいです。→見習って欲しいだ。
Eテンポです。→テンポだ。
F弾きやすいです。→弾きやすいだ。
G立派だからです。→立派だからだ。
H多いのです。→多いのだ。
どうです。A、D、Fはまるで東北地方の方言(おら、東京さ行くだ。)みたいな不自然な言い方になってしまいましたね。これが、私が漠然と感じていた「幼稚性」の原因だったのです。
でも、ちょっと油断をするとこんな言い方はうっかり使ってしまいそうになりますね。じつは、そうなるのにはそれなりの訳があるのです。
仮にここを「です」と言いきらないで「ですね」とか「ですよ」というやわらかい表現にしてみましょう。
Aとても良いです。→とても良いですね。
D見習って欲しいです。→見習って欲しいですね。
F弾きやすいです。→弾きやすいですね。
ほら。何の違和感もないですね。
「です」と「ですね」とは一見よく似ていますが、これを混同して同じ使いかたをしてしまうと、大恥をかくことになってしまうのです。日本語は難しいですね。
ためしに、ここのアンダーラインの部分を「です」に変えてみましょうか。
ほら。何の違和感もないです。
「です」と「ですね」とは一見よく似ていますが、これを混同して同じ使いかたをしてしまうと、大恥をかくことになってしまうのです。日本語は難しいです。
わーっ、やだ。こんな文章を書いてしまった自分が許せません。
ホームページでこの文章を書かれた方は、別に文筆を職業にしているわけではないのですし、おそらく本人はこういう使い方に何の違和感も覚えていないのでしょうから、これはこれで別に何のさしさわりもありません。ただ、私は絶対こういう使い方はしたくないし、こういう文章を読むとなぜか書いてある内容までもが、幼く子供っぽいものに見えてきてしまうのです。おそらく、私とは異なる文章の感性を持っている人にとっては、私の文章こそが居心地が悪くて鼻持ちならないものなのでしょうね。不思議なものです。