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水の七夕(ラヴェル)....渋谷塔一
仙台は七夕祭でにぎわってますね。私も幼少のみぎりは、短冊にほのかな夢を託して、笹竹に結びつけたものでした。
R.STRAUSS Metamorphoses
HONEGGER Symphony No.2Erich Bergel/Camerata Transsylvanica
BMC CD012
夢といえば、一度でいいからCD屋さんの店頭に並んでいる新譜を全部買い占めて、にこにこしながら帰宅してみたいものですね。現実的には、費用の面でも、時間の面でもとても無理なことなのですが。そうなると、私が新譜を手に取るときは、まず、「聴いてみたいアーティストである事」。それと、「聴いてみたい曲である事」が条件でしょうか。アーティストなら、例えばジンマンや、アーノンクールなら迷わず手にしますし、曲だったらR・シュトラウスは文句なし。
でも、こういう聴き方だと、どうしてもレパートリーが偏ってしまうのは否めませんね。そんな時お世話になるのが、CDのカップリング曲でしょうか。今までも、全くの未知の世界への入り口へ誘ってくれた事は数知れず、というわけです。(今日のおやぢは技巧的)
で、今回の一枚です。もちろんお目当てはシュトラウスの「メタモルフォーゼン」。この曲については、とにかく手に入れるという事が大前提。演奏は可も無く不可も無くといったところでしょうか。エリック・ベルゲル指揮のトランシルヴァニア室内合奏団という、あまり聞いた事のない団体の演奏で、20世紀の室内楽曲を得意にしているようです。
ところが、面白かったのが、もう1曲入ってたオネゲルの交響曲第2番の方。オネゲルについては、今までに「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を演奏会で観た事があるくらいで、認識の薄い作曲家でした。しかし、今回聴いてみたら、独特の味があって面白いのです。特に、終楽章で高らかに奏される、トランペットのコラールが印象的。それまで、ずっと暗く悲しい曲想だったのに、突然勝利を宣言するかのような、明るいメロディは嫌でも耳に残ってしまいました。
で、別の日、ミュンシュのラヴェルがリマスタリングされたと言うので、買ったところ、ここにもオネゲルの2番が。おやおや。その上、ロペス=コボスのシュトラウスの「町人貴族」組曲が再発されたので買ってみたら、ここにも。よほど縁があるのでしょうか。
結局、あと2種類の「2番」の演奏を入手して、にわかオネゲルマニアになってしまった私ですが、結論から言うと、一番良かったのはミュンシュ/パリ管の演奏でした。何と言っても終楽章の違いが歴然です。最初に聴いたベーゲルの演奏は異様に遅くて6分台ですが、他は皆5分台。なかでもミュンシュの演奏は、緊張感と推進力をはらんだ輝かしいものです。
そんなわけで、このベルゲル盤はオネゲルもシュトラウスも、少々ふやけたもので、お気に入りとまではいかないのですが、こうして新しい出会いの機会を与えてくれた事には大感謝です。
ジンマン&チューリッヒ・トーンハレ管のR・シュトラウス・チクルス第2弾は、「英雄の生涯」と「死と変容」というカップリングで、まあ、まっとうな選曲です。第1弾が「イタリアより」と「マクベス」というオタクな選曲だっただけに、「今回も」と期待したのですが、この企画は、あの「知られざるR・シュトラウス」ではありませんからね。
R.STRAUSS
Ein Heldenleben, Tod und VerklärungDavid Zinman/
Tonhalle Orchester Zurich
ARTE NOVA 74321-85710-2(輸入盤)
BMGファンハウス BVCE-38038(国内盤)
さて、内容です。ARTE NOVAでジンマンというと、どうしても例のベートーヴェン。未だに賛否両論を醸し出している、稀代の迷(?)演ですね。私は演奏そのものには、とても好感を抱いていますし、何よりも、ベートーヴェンの演奏に新しい可能性を見出した事は高く評価されるべきでしょう。
このシュトラウスも、かなり個性的な演奏。「英雄の生涯」の第1部だけを聴いてみても、既存のカラヤン盤(この曲のベスト盤と良く言われるもので、昔からやんなるほど再発されてます)と比べたら、かなり違う事がわかるでしょう。美しく流麗な響きを大切にするカラヤンの演奏に比べると、このジンマンは、細部にこだわり、特定のフレージングを強調する事により、新しい音の流れを作り出すことに終始しているように思います。後期の作品のような室内楽的な響きを多用したり、声部を立体的に構成するというような工夫がなされているため、大きな編成にもかかわらずすっきり聴こえてくるようです。
この方法は全曲を通して変わることがありません。この曲も、シュトラウスお得意の皮肉やパロディがたっぷり盛り込まれているのですが、ジンマンは、それを一つ一つ、人によっては「しつこい」と思う程、強調するのです。ここら辺のやり方は、アーノンクールに近い物があるのかな?
音楽の解釈や、受け取り方は確かに人それぞれです。私はよく言われるような「オーソドックスな解釈」なんてものは、信じていませんし、そもそも、何をもってオーソドックスと称するのかすらもわかりません。しかし、以前も書きましたが、このARTE NOVAレーベルは、良質の廉価盤レーベルという事で、このシュトラウスもそうですが、国内盤でも1000円、輸入盤は、大体700円前後で手に入る優れもの。そうなると、初めてクラシックを聴く人や、早熟な小学生が、お小遣いを握り締めて買いに来る可能性もあるわけです。そういう人が、このジンマンだけを聴いて「英雄の生涯」って、こういう曲なんだ。と納得するのは、もしかしたら危険なことなのかもしれません。そのくらい、今まで聴いていた英雄の生涯とは味わいが違ったという事でしょうか。
最後のところは、もしかしたら、サヴァリッシュの使用した初稿版を使っているのかな、なんて、ちょっと期待しましたが、さすがにそれはありませんでしたね。
なかなか意味の深いアルバムタイトルです。「ルックス・エテルナ」というのは、お馴染み、リゲティの合唱曲のタイトル。うわべだけのルックスにはとらわれない、真の名曲です。この曲を演奏するためには16のパート・声部が必要なのですが、収録されている他の曲も、10パートから16パートのために書かれた曲。それが、サブタイトルになっています。
LUX AETERNA
...for 10-16 voicesFrieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart
CARUS 83.208
しかし、クレジットされた作曲家を見てみると、リゲティとボイドはわかりますが、あとがドメニコ・スカルラッティとグスタフ・マーラー、ちょっと毛色が違っているのではとは、誰しもが考えることでしょう。そんな疑問を解くために、早速聴いてみることにしましょうか。
1曲目は、タイトルでもある、あまりにも有名な無伴奏の合唱曲。ベルニウスによって鍛え上げられたシュトゥットガルト室内合唱団のメンバーは、華やかさこそありませんが、しっとりとからみつくような存在感のある声によって、確かなハーモニーを聴かせてくれます。まわりを陰でおおうことによって、ことさら意識しなくても光が浮き出て見える、そんなおもむきでしょうか。
2曲目が、最も違和感があると予想された、ドメニコ・スカルラッティの「スターバト・マーテル」。ところが、300年近く前に作られた曲であるにもかかわらず、リゲティと同じスタンスで歌われると、ほとんど同質の音楽が感じられるのは新鮮な驚きでした。実のところ、リゲティを歌うためのノンヴィブラートというのは、彼らはすでに古楽系の合唱団としての長い活動の中で習得済みだったのです。リゲティと同じセンテンス内に置かれたため、このバロック時代の宗教曲が、最先端の癒し系と同列に聴こえてくるという現象が起こったわけです。
3曲目は、1975年に作られたアンヌ・ボイドの「As I Crossed a Bridge of Dreams」という、12声部のア・カペラ。日本の「更科日記」をテーマにしたというだけあって、クラスターから雅楽の響きを聴き取るのは、いとも容易なことです。
最後の曲は、マーラーのリュッケルトの詩による歌曲「私はこの世に捨てられて(Ich bin der Welt abhanden gekommen)」を、クリトゥス・ゴットヴァルトが、16声部の無伴奏合唱曲として編曲したもの。お気づきのように、これは、マーラーの「リゲティのルックス・エテルナ風」アレンジです。刻一刻色合いが変わる時間軸の中に置かれたマーラーの、なんと官能的なことでしょう。ハイDをいともたやすく歌ってしまうソリスト級の合唱団員によって、この複雑な編曲は見事に音作品として実体化しています。
リゲティによって切り拓かれた新しい音世界の語彙を駆使して、伝統の中に新しい光を見出すというのは、実はこのアルバム全体に貫かれているコンセプトだったのです。
最近のレコード業界の動きには、今までの流れを根本から覆すような激しいものがあります。今回のアイテムのレーベルも、一応「PHILIPS」となってはいますが、もはや、メーカーとしてのPHILIPSというものは消滅してしまっているのですから。かつてはジャケットの上部に赤い線が引いてあって、すぐに分かったものですが、いつの頃からかそれがなくなり、このCDに至ってはPHILIPSのロゴすら見当たりません。すでにデッカの中の1セクションとなってしまったこのレーベル、いずれは消滅してしまうのでっか?
DVOŘÁK
Symphonies Nos.8&9Iván Fischer/
Budapest Festival O
PHILIPS 464 640-2(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック UCCP-1036(国内盤)
そんなことはさておき、これはドヴォルジャークの超有名曲2曲が1枚で楽しめるという、うれしいCDです。このジャケ写では分かりませんが、裏側を見ると「8」にはチェコ、「9」にはアメリカの国旗の一部をデザインしたものがつながっています。ことさら、「新世界」はアメリカ、「ドボ8」はボヘミアをイメージしているという先入観を植え付けようとするデザイナーの魂胆なのでしょうが、それがまんざら外れてもいないところが笑えます。
しかし、ハンガリーの星、イヴァン・フィッシャーは、もちろんそんな単純に図式化された音楽を提供するほどの凡才ではありません。「新世界」では、一見素っ気無いように演奏が進行しますが、それはあくまで過度の思い入れを廃した結果。感情が表面に出ない分、作曲者が込めたものがくっきり浮かび出るという、極めて高度なわざを駆使しているのです。それがもっとも成功しているのが有名な第2楽章。コールアングレのソロも、続くフルートとオーボエのユニゾンによるもの悲しいメロディーも、感傷的なものが一切無いにもかかわらず、見事に「物語」が見えてきます。これは、おのおののモチーフの楽章全体の中での役割がきちんと設計されているため。六連符によるオーボエのソロでそれまでの情景が一変する必然性が、これほど見事に理解できる演奏も稀です。
「ドボ8」でも、フィッシャーのスタンスは変わりません。それどころか、第3楽章のいかにも「ボヘミアだらけ」という臭いフレーズたちを、ことごとくサッパリと演奏することによって、この曲から田舎臭いセンチメンタリズムを拭い去ることに成功しています。後半に楽譜には無いポルタメントを要求したのは、彼なりのドヴォルジャーク観の現われなのでしょう。禁欲的な文脈の中のアクセントとして、確かな光を放っています。
しかし、どちらの曲でも、終楽章のファンファーレのトランペットがいかにも無気力なため、それまでの緻密な演奏が台無しになっているのは、とても残念なことです。「ドボ8」では最後の伸ばしの間に、半音近く上ずってしまっていますし。
昨年の末でしたか。CDショップのオペラコーナーに、やけに華やかなBOXがところ狭しと並べられていたのをご記憶の方もいらっしゃるのでは。CD自体は装丁も美しく、その上値段が格安。2枚組みで1000円前後、(ドン・カルロだけが3枚組で1600円くらい)2001年のヴェルディ没後100年に合わせ、飛ぶように売れたようです。
BELLINI
I PuritaniK.Ricciarelli(Sop)
C.Merritt(Ten)
Gabriele Ferro/Orchestra Sinfonica Siciliana
WARNER FONIT 8573 83514-2(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン WPCS-11078(国内盤)
ただし音源は古いもので、1951年のライヴ録音がほとんど。事情を知らないお客様は、「音が悪いから安いのね」と言って返品依頼をしてきた人もいたとか。実は、これは、あの知る人ぞ知るオペラのレーベル、FONIT CETRAの権利がWARNERに移ったことにより、そこの持つ膨大な音源の中から、まずヴェルディだけ再発されたというものなのです。
そもそもFONIT CETRA(フォニト・チェトラ)というのは、イタリアの登山列車のことを歌った歌(それは「フニクリ・フニクラ」)・・・ではなくて、イタリア国営放送RAI系のレーベル。LP初期のヴェルデイ・オペラ・シリーズ(その時発売されたもの)はオペラ好きの間では、かなり貴重な音源として、復活が待たれていたものなのです。このところあまり活動はしていないな、と思ったら突然こういう形での大量の発売。それこそ、好きな人は買い物篭一杯買い占めて、タディやら、ベルゴンツィの黄金期の歌声に酔いしれた事でしょう。
先日、このシリーズの第2弾が発売されました。今回はヴェルディ以外の作曲家の作品で、中にはザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」、「エケブの騎士たち」とかマルシュナーの「吸血鬼」などの珍しい演目も。ここでは、その中からベッリーニの「清教徒」をご紹介します。これは1986年録音ですから、このレーベルにしては新しい音源ですね。ナポリ版による演奏ということですが、通常版との大きな違いは、バリトン役であるリッカルドをテノール(カルモーナ)が受け持っている事でしょうか。
この曲には、伝説的な名演、45年のカラス/セラフィン盤がありますが、確かにあの、声のアンサンブルを超える物はないかもしれません。しかし、さまざまな要素を楽しむのがオペラの醍醐味。音は、ライヴのせいもあってか、残響も少なく、ふくらみにかける響きが少し物足りないですが、各々の歌手は、とりあえず合格点。なかでもアルトゥーロ役のクリス・メリットは、こんなに輝かしい声の持ち主だったのか、と改めて認識しました。(先日実演を聴いたときはイマイチでしたから。)他にも、リッチャレッリの狂乱の場など、聴き所はたくさんあります。
最高の1枚とはいえないかもしれませんが、何より貴重な録音ということで、ファンにとっては、存在価値は充分にあるのではないでしょうか。
何事もなければ、パメラ・クックという優れた指導者によって1968年に設立された女声合唱団「カンタムス」は、他の多くの合唱団同様、ごく平凡な道を歩んでいるところでした。パメラの熱心な指導によって徐々に実力をつけた、13歳から19歳までの少女によって構成されたこの合唱団は、1973年には、マイケル・ニュームという、編曲の才能も持つ伴奏者を得て、音楽的なバックボーンが堅固たるものになるのです。それからは、世界各地の合唱コンクールや音楽祭で、数多くの賞を受賞したり、全世界を演奏旅行でまわるという、「成功した」合唱団となったのです。LPの時代から録音も行い、ニュームの編曲による愛唱曲の数々は、ごく限られた合唱ファンを魅了したものです。
CLASS
AuroraCantamus
WARNER 8573-87312-2(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン WPCS-11023(国内盤8月8日発売予定)
そんな彼女たちが、このアルバムによって一躍全世界の注目を集めることになってしまったのは、運命のいたずらというか、人間、一歩先のことはわからないということなのでしょうか。
もっとも、聴いてすぐ分かるように、このアルバムが発信しているのは、サラ・クラスという作曲家の音楽、カンタムスは、単なる演奏者に過ぎません。
写真をお見せできないのがとても残念なのですが、このサラ・クラスというのは、ブロンドのとてもキュートな女の子。おそらく、まだ20代でしょう。ファッション界に転向しても、トップクラスのモデルになれるに違いありません。小さい頃から幅広い音楽とともに育った彼女は、その才能をあのジョージ・マーティンに認められることになります。先日、引退を表明した、大物プロデューサー、というよりは、例のザ・ビートルズのプロデューサーとして有名な人ですね。今回のアルバムも、ジョージ・マーティンのスタジオである「エア・スタジオ」で録音されてますし。
そのサラの音楽、タイトル曲の「オーロラ」を聴けば分かるように、もろ「癒し系」。それも、以前書いたラッターやタヴナーとは明らかに次元の異なる、癒すことしか念頭にないという、ある種の実用音楽です。こういう曲での合唱というのは、ひたすら包み込むような柔らかなハーモニーで盛り立てるという役割以外は求められません。だから、べつに演奏するのはカンタムスでなくてもいいということにもなりかねません。その辺の配慮からなのか、3曲目の「ステイ・ア・ホワイル」ではきちんとした「合唱曲」を歌わせてもらっているのですが、皮肉なことに、今度は、高い音が非常に聴きずらいという演奏上の問題が露呈してしまっています。
30年以上手塩にかけて育ててきた合唱団が、メジャーレーベルの思惑でこのような心外な扱いをされたことを、パメラはどんな思いで受け取ったことでしょう。もっとも、他人の心中など分かりっこありませんがね。案外、それなりに楽しんでいるのかもしれませんし。
以前、ホフマンのフルート協奏曲をご紹介した若手フルーティスト、瀬尾和紀さんの新しいアルバムです。レーベルが、なんとあの「エラート」、かつては、フランスを代表するマイナーレーベルとして、超一流のこだわりをもってフランス音楽を録音していたものでした。もちろん、ここに登場できるのは、並外れた才能をもつ、選ばれた演奏家だけ(エリートってやつですね)。いまでこそ、ワーナーグループに吸収されてしまい、昔ほどのローカリティはなくなってしまいましたが、なんといっても、あのジャン・ピエール・ランパルが数多くの録音を残したレーベルですから、フルーティストにとってはなかなか思い入れは強いのではないでしょうか。事実、日本人でこのレーベルに登場したフルーティストというのは、今までは工藤重典しかいなかったはずですし。
SYRINX
Musique Moderne Française pour Flûte瀬尾 和紀(Fl)
Laurent Wagschal(Pf)
ワーナーミュージック・ジャパン WPCS-10970
瀬尾さんが、ここで選んだレパートリーは、ドビュッシー、プーランク、フランセ、ピエルネといった、フランス近代の作品です。17歳のときからフランスに留学されて、研鑚を積んでこられた瀬尾さんならではの選曲です。ところで、曲を聴く前に、瀬尾さん自身がお書きになったライナーノーツに目を通してみませんか?彼の公式ホームページをご覧になっている方は先刻ご承知のとおり、瀬尾さんは言葉を通して表現されるのがとても上手な方で、ここでも、ご自分の音楽に対する考えを、的確な表現で見事に伝えています。特に、フランス音楽の持つ構成感や形式美に対する言及には、まさに目から鱗が落ちる思いがしました。
私が思うに、瀬尾さんにとっては、フルートというのは、自分の音楽を表現する1つの手段にすぎないのでは。したがって、非常に高い次元での完成度は感じつつも、このアルバムから単にフルートが持つ繊細さとか、音色の美しさだけを聴き取ろうとすると、軽い失望感を味わうのかも知れません。それよりも、フルートという枠には収まりきらない程の、スケールの大きさこそを、感じ取るべきなのではないでしょうか。その意味で、元々はヴァイオリンのための曲だったピエルネのソナタあたりには、もっとも聴き応えを感じたものです。同じような観点から、ワックスマンの「カルメン・ファンタジー」もおすすめです。ピアノのワグシャルの、並外れたサポートのセンスも、忘れることはできません。そういえば、リサイタルの時に演奏していたグリーグのヴァイオリンソナタも、テンションとしてはその夜の白眉だったことを思い出しました。
実は、瀬尾さんは、8月に開催される「第5回神戸国際フルートコンクール」に出場なさいます。なんといっても、第2回のときの1位として、エマニュエル・パユと、ペトリ・アランコの2人を送り出したことで、世界的な権威を持つことになったコンクールです。第1回のときに2位を獲得した佐久間由美子さん以来、日本人入賞者が一人もいないということで、瀬尾さんにかけられた期待には、とても大きなものがあります(しっかりプレッシャーかけてますね)。
先日ご紹介したアムランのアルカン。やはり、あの方面の好きな方には絶大なる支持を受けてます。私の友人の、自称「ヘンタイピアノマニア」のNさんも鼻息荒く「聴きました?」だって。それから10分ほど、その話で盛り上ったのですが、それは置いといて。今回は、そのアムランとも晴れて友人となったという例のヴァーチャルピアニスト、ナナサコフ氏の最新録音です。
ALKAN in 1837 Michael Nanasakov(Pf)
NA JNCD-1009
まさか「アムランとお友達になった記念」ではないでしょうが、今回の録音の中には、先日のアルバムでアムランが世界初録音した曲、「悲劇的な3つの小品 Op.15」が含まれているのが、なんとも遊び心に満ち溢れた選曲ですね。あ、もしかしたら遊び心などではなく、強烈なライバル意識から、この曲を選択したのかもしれませんが、とにかく、聴き手にとっては、とても楽しく、スリリングなリリースである、と言うわけです。
ナナサコフ氏については、やはりこの「おやぢ」では、新しいアルバムが出るたびに取り上げているので、今更説明の必要もないですね。孤高のピアニストである彼は、完璧な楽譜の再現をめざし、彼を崇拝する協力者と共に、日夜トライ&エラーを繰り返しているとの事。アルカン、ゴドフスキー好きのおやぢにとっては、まさに神のような存在といえましょう。
さて、その苦労を充分頭に叩き込んだ上で、今回の労作を聴いて見ましょう。何と言っても、まずはOp.15の聞き比べから。
いつものことですが、楽譜は完璧に音になっているのでしょう。それは疑うべくもありません。ただ、完璧のあまり、例えば三連符の連なりなどがあまりにも機械的になってしまってるように思うのは、贅沢な聴き方でしょうか?多分アルカン自身は、このくらい機械的な音の連なりを想定して書いたのでしょうが、やはり微妙なテンポの揺らぎは、聴き手に安心感を与えるものなのでしょう。
それが顕著なのは、第2曲目の「風」。ひたすら吹き続ける風の音を模した、半音階の上下動。これが寸分の狂いもなく奏されるのを聴くと、ひたすら寒い気分になること請け合いです。
アムランの演奏する同じ曲は、もう少しニュアンスに富んでいたのに。そう思わせること自体が、ナナサコフの思惑なのでしょうか。だとしたら、かなりの高等戦術にはまってしまった事になるのでしょう。なにしろ、これを自分に納得させるためだけに、両CDを各5回ずつは聴かざるを得なかったのですから。
このアルバム、1837年のアルカンと題されていて、他に収録されているの曲は全てその年に出版されたもの。こうしてまとめて聴いてみると、同世代のショパン、シューマン、若しくはリストといった人たちとは、明らかに作風が違うのが良くわかります。
どんな時代にも「オタク系」の人はいるもんだ。そう思ったおやぢでした。
この間、某民間衛星放送で、「刑事コロンボ」の新作を放送していました。弟子の作曲家に書かせた曲を、自作として使っていた映画音楽の大家が、事実が発覚するのを恐れて、その弟子を殺してしまうという、いかにもありがちな話。同じ場面に付けた曲が、先生のはくどくてドンくさいのが、弟子が手を入れたものはすっきりしてスマートというわかり易い実例なども出てきたりして、なかなか楽しめました。
JURASSIC PARK III
Original SoundtrackOriginal Theme by John Williams
New Music Composed and Conducted by Don Davis
DECCA 440 014 325 2(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック UCCL-1018(国内盤8月8日発売予定)
もっとも、現実のハリウッドあたりの事情はそんな単純なものではないというのは、周知の事実。ドラマにあったように、一人の作曲家が曲を作ってから録音するまで面倒を見るなどということはありえません。映画音楽というのは完全に分業化が進んでいて、メインの「作曲家」が作ったアイディアは、複数の「オーケストレーター」たちの手によって、スコアに仕上げられているのです。
このサイトのマスコットと化している「ジュラシック・パーク」も、ついに3作目が完成、アメリカではもう公開されていますが、日本での公開は8月にずれ込んでしまいました。大作が目白押しの今年の夏ですから、配給会社の思惑が複雑にからんだ結果なのでしょうが、一足お先に音だけでも、というわけで、「ジュラシック・パーク3」のサントラ盤を聴いてみることにしましょう。
前2作の監督だったスピルバーグが降りたことから、コンビを組んでいたジョン・ウィリアムズも「A.I.」に持っていかれてしまい、代わって音楽を担当したのは、ジェームズ・ホーナーのオーケストレーターだったドン・デイヴィスという人。最近では、「マトリックス」で「作曲家」としても認知されていますが、今回の仕事では、ジョン・ウィリアムズの世界をそのまま継承することに力点を置いて、ほとんど「オーケストレーター」に徹しているようです。
映画も見ていないのに、サントラだけ聴くというのは、普通に考えればとても間抜けなもの。あくまで映像あっての音楽なのですから、音楽の担当者が変わろうが、例の聴きなれたテーマさえ出てくれば、条件反射で心はイスラ・ソルナへ旅立とうというものです。その点で、自分を出すことを抑えて、前作の世界を崩さないでくれたデイヴィスの功績は、「続編もの」の音楽としてのあるべき姿を示してくれたものといえるのではないでしょうか。
したがって、このサントラ盤での収穫は、ディズニー映画でお馴染みのランディ・ニューマンが歌っている、およそ恐竜映画とは似つかわしくないカントリー調の脳天気なエンディングテーマと、予告編などが見られるエンハンスト仕様ということになりましょうか。くせもの役者、ウィリアム・H・メイシーがどのような役どころなのか、公開が待ち遠しいですね。
日本各地で梅雨明けの報を聞き、「ああ、また暑い夏がやって来た」と、ちょっと嬉しいおやぢです。蒸し暑い夜には、虫の音のように清々しい歌声でも楽しもうではありませんか。
NIGHT SONGS Renée Fleming(Sop)
Jean-Yves Thibaudet(Pf)
DECCA 467 697-2(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック UCCD-1038(国内盤 8月22日発売予定)
そこで、先ごろ来日した名ソプラノ、ルネ・フレミングの新しいアルバム、「NIGHT SONGS」などはいかがでしょう。(このアルバム、実は、特別にアメリカ盤を取り寄せてもらったので、普通のお店で見かけるのは、来月の初めくらいとの話ですが。)
伴奏は、これまた名ピアニスト、ジャン=イヴ・ティボーデ。フレミングとティボーデ。この2人の共演は、ちょっと意外でした。今まで、各々の演奏をたくさん聴いてきましたが、この2人の音楽性はかなりかけ離れたところにある、と思うのは私だけではありますまい。確かに「音に対する繊細な感性」というのは、共通しているでしょうけど、フレミングの、どちらかというとウェットな表現に対して、ティボーデの洒落た現代的な音。彼だったら、アップショウやボニーと共演したほうがいいんじゃないかな、なんて思ったくらいですから。
ここで選ばれている作曲家も、見て判るとおり、フォーレ、ドビュッシー、ラフマニノフはティボーデっぽいし、シュトラウス、マルクスはフレミングっぽいですね。
最初のフォーレから、ちょっと驚きです。例えば「ネル」。ねっとりと絡みつくような妖艶な演奏で、確かに夜の歌。これは彼女のフランス語の発音にも寄るのでしょうか?アメリンクの清純な歌で聴き慣れている耳にはなんとも異質で、まったく違う歌に聴こえたくらいです。今まで、こんなに感情込めてフォーレを歌った人がいるのでしょうか?
そんな彼女、やはりドビュッシーが素晴らしい出来です。「ビリティスの3つの歌」での心の襞に分け入るような歌いまわしは、さすが現在最高のドラマティックソプラノ。その上、ティボーデのピアノがまた巧い事。思わず聞惚れてしまいました。
ここで、マルクスの歌曲が聴けたのも嬉しい限りです。シュトラウスの後の世代のリート作曲家として、徐々に名前が知られてきていますが、まだまだ録音は非常に少ないのが残念な人。このアルバムがきっかけで多くの人に聴いてもらえるのは、以前からのマルクスファンのおやぢには、感激の極みです。使われる和声の進行には、ちょっとジャズっぽいところもあって、まさにフレミングにぴったりの歌といえましょう。
1つの要素に対し、相対するもう1つの要素が付き合わされるとき、反発し合い、結びつきながらも、相互に深い影響を及ぼす。そして、相互が混然一体となったとき、素晴らしいものが出現する。と言ったのは、かのヘーゲルでしたっけ。そんな言葉をふと思い浮かべた、夏の夜でした。
さきおとといのおやぢに会える、か。
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