Y.W.(Fl)

(00/10/5作成)
(00/10/14掲載)


アドリア海
 第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門で優勝したモニカ・レスコヴァルさんをホームステイで受け入れたことがきっかけで、私は今年の夏で3回目になるクロアチアへまた行って来ました。14才のモニカの演奏を初めて聴いたとき、また他のファイナリストの演奏を聴いたとき、音大生だった私は感動と、大きな衝撃を受けました。演奏に大人も子供もないんだ、年齢なんて関係ないんだ、と思うと同時に、彼女らと私生活をともにして、その余裕と集中力の高さを目の当たりにし、「演奏家になる人間」というのをかいま見た気がしました。ヴァイオリンで優勝したピョートル・クアズニーも、ケンタッキーフライドチキンにいけば、でっかい声でしゃべりながら口のまわりをケチャップだらけにしていたし、モニカもげらげら笑いながら他のみんなのものまねなどをしてみんなを笑わせていました。特にピアノで優勝したランランのものまねはパンダのようだとみんな大笑いでした。この余裕はいったいどこからくるのだろうと、不思議でたまりませんでした。私のイメージでは、こういう子供達は常に誰かに管理されていて、ごはんを食べる以外は毎日何十時間も練習し、CDを聴き、音楽以外のことは極力しない、他人とはあまりしゃべらない。。。などと思っていましたから、本当に目からうろこです。そんな1995年でしたが、モニカの先生であるドブリラをたよりに、私は1996年、1997年そして2000年と、モニカも6才の時から毎年参加しているというサマースクールに参加することになるのです。

 フルートのコースはなく、オーケストラコースに参加するために前回は行きましたが、行ってみると、「ユミのために先生がくるから。」とのこと。ドイツのフライブルグでニコレに学んだアナ・ドマンチッチ先生。生徒を2人つれてきて、3人でのレッスンになりました。
 オケのコースでの思い出は大きく2つ。ある日ビオラの男の子が寝坊していなかった時、指揮者の先生が、「きっと寝坊だな。遅れてきたらみんなで子守歌を演奏しよう。ブラームス?モーツァルト?じゃあ、D-ドゥアでブラームス。」と言って、しばらくしてビオラの男の子が背中を丸めながら登場。静かに準備してこっそり椅子に座るつもりだったのでしょうが、みんな目線はその男の子。座ったとたん、「(さんしっ)ふぁふぁらーふぁふぁらーふぁられーどーっししーらー・・・・・・」彼は非常にはずかしそうにしていたのはもちろんのことでしたが、何より驚いたのは、1度もあわせたこともなく、楽譜もない曲を、「D-ドゥアでブラームス。」の一言であわせてしまう、しかも数人のアドリブ付きで。音楽を楽しんでるなあと感じた瞬間でした。また、その何日か後、、、、、、、いつもの通り9時に集合。さあ、今日の1曲目はハイドンだと思いこんでいたのですが、指揮者が立って棒を振り下ろし、演奏された曲は、なんと「ハッピーバースデイ・トゥー・ユー」あれっ、ハイドンじゃないの?と思って周りをみわたすと、みんな私の方を向いています。その日は私の誕生日だったのです。演奏が終わりみんなが「ハッピーバースデイユミ」と言ってくれた時には、感激でいっぱいでした。はじめての1人旅、はじめてのクロアチア、はじめてのサマースクール、ろくにはなせない英語、そしてその時は唯一の日本人ということでしたので、周りのみんなはよく声をかけてきてくれていました。仲間の1人にさせてもらえてるなあ、と感じることもあり、きさくで親しみのあるこの国の人たちが、ますます好きになった瞬間でした。

 さて、フルートコースはといいますと・・・これは今年のことを書きましょう。だいたいこのサマースクールは安いんです。ウィーン国立音楽院の先生も、モスクワ音楽院の先生も、2週間で約2万円。私の習ったアナ先生も2万円。レッスン回数は先生によって違いますが、私の場合14日間のうち、先生のお父様が急に亡くなられ、3日ほど休んだ以外は毎日。これはもちろん多い方です。なのに、アナは最後に私に「もっと教えたいことがあるのに時間がたりなくてごめんなさい。」って言うんです。私はもういっぱいいっぱいで、もっと休みがほしいと思っていたくらいでしたのに。レッスンは、みなさんにははずかしくておみせできない変な格好や変な顔をしたり、体を使ったものや、音階ゲームのようなもの、それから曲。アナは女優になれるんじゃないかという位、踊ったりはねたりするのでみていて楽しかったです。jurassicさんの好きな「シランクス」の時は、妖精がばたっと倒れる所をやってました。生徒は私ともう1人でしたが、笑ってばかりの楽しい時間でした。
レッスン風景

 ここにはじめてきた時にびっくりしたことといえば、普通にトップレスがいることでした。今では慣れて私も・・・というのは冗談ですが、たくさんいるんです。老若男女いるビーチで、なぜかトップレスになっているのは若い女性が多いのですね。みんなよく目のやりばに困らないなあと思ったものです。でもそれはほんの序の口。ここには有名なヌーディストビーチがいくつもあるのです。観光用パンフレットにはヌーディストが泳いでいるところが写っているのもあり、しかもテニスまでしていました。全裸で。どこもかくしていなくて、こんなの配っていいの?と思いましたよ。混浴温泉だと思えばいいのかな?

 それから、今回はフィラデルフィアのある日本人の女の子と出会いました。「カーチス音楽院」という全員奨学金の音楽大学で、そこからソリストになったり、フィラデルフィア管弦楽団に入ったりと、みなさん活躍されている大学なのですが、その子は8才から両親のお仕事でアメリカ在住だそうで、英語はペラペラ。もちろんアメリカンイングリッシュでした。活躍中のカーチス出身の音楽家の話などきけて、得した気分だったのですが、驚いたのは、なんとモニカとともに5年前のコンクールで優勝したピアノのランランと、ヴァイオリンのピョートルが同じ大学にいるとのこと。ランランはお父さんがつきっきりで練習に付き添い、とにかく毎日練習の日々だそうです。反対にピョートルは、女に走っているようで、声をかけては軽くあしらわれているそうです。オケでピョートルととなりになったときは、彼は間違ってばかりで、ちゃんと弾いてよ、と思ったそうですよ。ちなみにこの学校のフルート科ではジュリアス・ベーカーが教えています。

 あの内戦から8年。建国9年目の若い国ですが、ヨーロッパの穴場的存在のクロアチアは前回のサッカーワールドカップでも第3位になったり、有名なK1選手もいますし、101匹わんちゃんで有名なダルメシアンもこの国の犬ですし、ボールペンの発明家のペンカラもこの国出身。その昔フランス軍の傭兵だったクロアチアの兵士がパリに来たときに首にかっこよく結んでいたネクタイを見てルイ14世が絶賛。その布がクロアチアにちなんでクラバット(フランス語でネクタイ)と呼ばれるようになったのがネクタイのルーツ。みなさんご存じのマルコポーロもクロアチアのアドリア海の島(コルチュラ)で生まれたといわれています。このアドリア海の素晴らしさといったら・・・。夏はバカンスに訪れるヨーロッパ人(特にイタリア人)や中近東の人たちであふれていますよ。
ダルメシアン

 このサマースクールでは、日本ではけして感じることのできなかった音楽にふれることができます。ホテルのベランダでの練習中、1曲終わるとどこからか拍手が。私に?振り向くと通りすがりの人たちが立ち止まりこっちを見ていました。「気にしないで続けて。」とはいっても見られていると思うと緊張しますよね。窓を全部しめて、時間を気にしながらやる日本での練習とは違って、ここでの音楽とはすべての人のもの。難しいそうだとか作曲者が誰とか様式なんてわからなくても楽しんでしまえるものなんだなあと実感。うまく弾いてもそうでなくても「いいぞー。」という見知らぬ人の声に、すべてを受け入れてもらえる安心感のようなものを感じました。そうした中で、こっちの子供達はのびのびと音楽を大きく個性的に演奏する形を自然と身につけてしまうんだなあと思います。
 テクニックは確かにまだまだかもしれない。でも小さいながらに音楽がある。きっとあの子供達の演奏をみたらそう感じるでしょう。すごく刺激的でありうまく自分を表現しているのです。そんな子達と会えるのが楽しみでもう3度も訪れているわけです。それからあのタフさ。朝の4時過ぎまで一緒に遊んでたかと思えば、次の日の午前のレッスンにはドボルザークのチェロコンチェルトを本気で弾いてたりしますから。子供の時からこうなので、大人もみんなタフですよ。だいだい12時頃から活動開始。待ち合わせが夜中の2時ということもしばしばでした。
 とにもかくにも、「音楽やっててよかったあ。」と本気で思えるので幸せな気分になります。なんで私が音楽に関わっていきたいのか。音楽のもつ力ってどれだけのものなのか。たぶん音楽ってすべての人の何らかの支えになるものなんでしょうね。いろんな関わり方がありますが、たくさんのことを感じて、そして伝えていけたらなあと思っています。
チェリストの友人たちと