小幡 勝彦(Vn):著


(28.SEP.'03〜5.OKT.'03)


はじめに

 '97 12月末〜'98 1月初めの日本人ドタバタ ドイツ/オーストリアツァーに参加した際の最終宿泊地ウィーンがとても気に入り、「ここには、又来るぞ、何回でも来るぞ」という信念を貫き通す努力が実り、今回、一人旅に出る事に決めた。
 当然、これから書く事は、ここでのハゲオヤジ、バカ旅行記になる訳で、気に入らない所は適当に読み飛ばすか、或いは全部お捨て頂いてもモンクは無いような内容になってしまうのであろうが、御一読の後、御感想、批評、又は次回旅行の際の「お餞別」等を頂ければこの上ない幸せと感じている。
 最後に本書出版にあたり御尽力下さった、渇ケ楽乃友社編集部 織田氏には…(大ウソです)


27/SEP:フライト前日

午前中:
近所の西村整形外科医院にて、腰、及び、肩のマッサージ。

午前中:
利府ジャスコ内NOVAにて、いつものように、ドイツ語のレッスン。
私「イッヒ フリ−ゲ ナフ ヴィーン アム モルゲン」
先生「ズーパー! プリマー!」

午後:
荷造り始める。前回、真冬の旅と違ってセーター、コート等嵩張る物が無く、楽チンパッキング。パスポート、トラベラーズチェックの超大事大事品を再三、再四チェック。荷造り終わり、夜行バスまでは、まだまだ時間が有るので、ビールを呑みながら、母、姪の智香ちゃん、猫のウリボーちゃんと最後の語らいを楽しむ。(大袈裟かな…)

21:50
ビール約4L呑んだ位でタクシーにて本塩釜へ。本塩釜発22:30宮城交通夜行バス「ポーラスター号」にて成田へ出発。リュックの中には2本の缶ビール、また呑み始める。噂には聞いていたが本当にビールを呑む男だ(オレの事だけど)呆れる。


28/SEP:成田〜ウィーン〜ホテル

早朝:
「ポーラスター」成田着。まだまだ時間が有るので空港内をうろつく。一応空港まで着いた事を知らせる為、母に電話。隣のフィリピン人?らしい若い女性の会話を聞くともなく聞いてしまい、一つの人生を感じる。
ネエチャン「パパ、イロイロト、アリガトネ」(いろいろ有って、お金貯めて国へ帰るんだろうなぁ)

朝食:
和食レストラン「そじ坊」にて和定食(¥1,200)+モルツ中ジョッキ。ご飯、味噌汁、温泉卵、煮付、山菜、シャケ、漬物。(BGMはカルメン前奏曲)何一つうまい物無し、(これだけ呑んでりゃ胃が弱ってるかな?)早くも、宮城の旨米が恋しくなる。

搭乗手続き開始:
荷物検査にて「ガスボンベ」「予備のガスライター」没収。金属探知機にも反応、身体検査の結果、通行O.K(こんな顔した悪人が居るか!)

いよいよ搭乗:
飛行機はオーストリア航空(ANAとの共同運行)、入り口にてスチュワーデス(多分オーストリア人?)と挨拶「イッヒ フリーゲ ナフ ヴィーン!」と乗り込む日本バカオヤジに見えたのだろう、スチュワーデス「ニコッ」と笑って答えないが、言葉が通じた。ワタシウレシイ。日本人スチュワーデスは3名いる、デモワタシ ドイツゴOKアルカラ ダイジョブヨ!
飛行予定時間は、約11時間(タバコが吸えない)。

機内にて:
席は大好きな窓際。機内サービス始まる、まずは飲み物から。
私「ハーベン ズィー アイン ビア?」
スチュワーデス「ビッテ!ズィー シュプレッヘン グート ドイチュ」
私「(いやー大した事は有りません、と言う顔をして)イッヒ レルネ イエツト ドイチュ イン NOVA ケネン ズィー NOVA?」
スチュワーデス「ナイン、フィライヒト ヤパーニッシュ シューレ?」
私「ヤー!イッヒ ビン グート スチュデント」
スチュワーデス「ア、ハァ」通じる、通じるドイツ語絶好調!

機内食は、はっきり言ってマズイ。(前回のANAは旨かったなぁ〜)でも一応スチュワーデスには「エス ハット グート ゲシュメクト」と言っておく。返って来た言葉は「ダンケシェーン」
メインの機内食の他に、2回ほどサンドイッチ、おにぎりのサービス有り、おにぎりは2個もらう。おにぎりと日本茶のサービスは有り難い。

ウィーン着:
ベルトコンベア-から自分の荷物が、なかなか出て来ない(捜せない)これで荷物が出てこなかったらエライ事になるな、エライこっちゃエライこっちゃなんて手荷物受取所をうろつくこと30分、見覚えのあるスーツケースが、ベルトの横にポツリ、一安心。こういう時の為に、ケースはド派手ステッカーを貼っておいたほうが良い。
出口で待っていてくれた、旅行会社のおばちゃん(日本人)とドライバー(オーストリア人?)に会う。随分、待たせてしまったらしく「もう帰ろうと思った」との事、荷物の件を話し、許してもらう。ホテルまでの車の中、この人たちはドイツ語で会話している事は判るのだが、何を言っているか全く理解出来ず、飛行機の中とは違って、自分のドイツ語能力に不安を感じる。

ホテル着:
旅行会社の人にチェックインのお世話になる。ルームナンバー(ツイマー ヌマー)709のキーを受け取る、これで旅行会社の人とはチェックアウトまでオサラバ。ホテル名は「プリンツ オイゲン」直訳すると「オイゲン王子」日本人客は私一人との事、急に心細くなる。

28/SEP:ホテルのバーで

部屋に荷物を置き夕食をとりに、近くのウィーン南駅をうろつく。夕食はソーセージともちろんビール。

ホテルのバーにて:
カルメンの鼻歌を歌っている従業員のおっさんが一人だけ。客も私一人。とりあえずビールを頼む。「アイン ビア ビッテ」ルームNo.を聞かれたので鍵を見せ「ズィーベン フンダルト ノイン」と答える。おっさんルームNo.と私の名前をチェックしたらしく、「アナタ カツヒコ カンパイシマショ カンパイシマショ」←日本語話せる。
私「ヤー! イッヒ ハイセ カツヒコ アーバー ナイン! ニヒトカンパイ プロースト プロースト」
おっさん「アナタ オーストリア人 ワタシ ニポン人」
おっさん「*;+]<,>”#$%&’=〜!」←日本の歌は素晴らしいと言っている。
おっさん「…〜〆±♀コマドリ∞〒」←こまどり姉妹が好きと言っている(古いねぇ)。
おっさん「#$%&*ソーラン+=〜」←特に「ソーラン渡り鳥」がいいと言っている。(これが古いと判る私も古いのです)
私「アーバー イッヒ マグ モーツァルト フーレン」
こんな感じで面白く呑んだ。

部屋に戻り(23:00)、そろそろ日本は朝の6時頃なので、母に電話し、無事を知らせる。あっちは「おはよう」でこっちは「グーテ ナハト」だ、ベッドに入り眠る。

29/SEP:雨(エス イスト レーグネット)

朝食(フリューシュトゥック):
ヨーロッパの朝食はパンとコーヒーのみ(所謂コンチネンタル ブレック ファースト)、朝食は米以外考えられない私は、諦め顔で食堂へ。入り口のウエイトレスに鍵を見せながら、「モルゲン」と軽い挨拶。ピンクのエプロンがとても可愛い。拉致して、日本に…などという衝動にかられる。
私「ヴォー イスト マイネ プラッツ?」
ウエイトレス「@!"#$'<_~+*=-」←どこでも勝手に座れ
おおおおー何と言う事か!パン、ハム、チーズ、ジュース、ミルク、スクランブルエッグソーセージ、果物、ヨーグルト、ジャム、バターがずらーーーーーーり!このホテルはアメリカン ブレックファースト式であった。パン(日本の食パンとは違い、ある程度の硬さが有る)が旨い、バクバクたいらげる。大満足だけど、やはり宮城のウマ米が恋しい。

演奏会のチケット捜し:
部屋で暫くTVを眺める。内容さっぱり判らず。(あたりまえか?)出掛ける、まずは国立オペラ座付近をうろつき、プレイガイド(カルテンビューロ)を捜し、チケットを買おうと思う、その際のドイツ語を頭の中にしっかり組みたてる。(イッヒ メヒテ アイネ カルテ フュア 〜 コンツェルト)
国立オペラ座までは、ゆっくり歩いて約30分、その辺をグルグル歩き、カルテンビューロを捜す。有った、ここだ、ドアにチケットが飾ってある。頭の中のドイツ語を確認しつつ中へ、(イッヒ メヒテ アイネ カルテ フュア 〜 コンツェルト)
「いらしゃいませー!」どてっとズッコケる。オーストリア人にまじって日本人スタッフがいる、ズッコケタせいで、頭の中のドイツ語が全部ガラガラと崩れる。現役時代の「朝潮」そっくりの女性の世話になり、以下のチケットを入手、ヨカッタ。
1)29/SEP 国立オペラ座「イェヌーファ」ヤナーチェク作曲、指揮は「小澤征爾」
2)30/SEP 楽友協会ホール、ウィーン交響楽団(曲名、指揮者、判らず)
3)1/OKT 楽友協会ホール、ウィーン交響楽団(曲名、指揮者、判らず)
4)3/OKT フォルクスオーパ(市民オペラ座)こうもり J.シュトラウス
どうでもいいけど「朝潮」ねえさん、書類めくる時、指舐めるのはよしましょうネ。

昼食:
看板にラーメンと書いてある「明石」と言う店で、醤油ラーメンとビールを注文。ビールは麒麟だったので嬉しかったのだが、ラーメンは「ふざけるな!」と言う味、日本だったら、三日で潰れるんじゃないかなぁ?(この店は日本人の経営では無いんじゃないかな?日本語通じるスタッフが一人も居ない)たぶん、中国人経営の「日本風」の店だ、そうに違いない、絶対そうだ。
一旦ホテルに戻り、TV鑑賞。KLMの飛行機がやたらと出てくるが、悲しい程、何を言ってるのか判らない。まぁこれが判れば、ドイツ語一級だよ、小幡君!と自分を慰める。
ビールを呑んでヒルネ。

29/SEP:夜、やっぱり雨

夕食(アーベントエッセン):
小澤征爾がたまに行くという噂のあるオペラ座近くの「優月」でザルそばを食べる。あまり旨くない。小澤征爾、現れず。向こうの席で豪快に天丼を食べている豪快な感じの30代半ばの日本人男性発見。君もこれからオペラに行くの?

国立オペラ座:
いよいよオペラ座に入る。日本人20人位、皆で写真を撮り合ったりしている。一人ぼっちの日本人は私ぐらいだろうか?オーケストラピットでは数人の団員が練習してる。おおおっ!さっき「優月」に居た日本人男性、なんとピットの中の団員と話をしている、あんた、何者なの?
とにかく舞台が広い、幅、高さ含めて我が家(家と土地)が4軒は入るだろう。客席数は、えーと、えーと、もう忘れた、ロイヤルボックスは2〜6階まで。以前聞いて知っていた事だが、平土間席の一番後ろは、200円位の立見席が有る。これは、あまり金の無い、音大生の勉強用の席、さすが音楽の都。
日本だと開始を知らせる合図はブザー音(今は違うのかな?)だけど、ここでは、いかにも携帯電話の着信音って感じの音が流れる。どこかのバカ(日本人でなければ良いけど)が電源切らずに電話持ってるのかと勘違いし、一瞬「むっ」としたけどバカで無知なのは私であった。
小澤の登場で曲が始まる。考えてみると小澤征爾を生で見るのはこれが初めて。コーフン気味になる。音響は青年文化センター(と言うより今時のコンサートホール)のほうが良いと感じた。これまた初めて生で聴くウィーンフィルの音、弦が特に色っぽい。

曲について:
「イェヌーファ」全くストーリー判らず。
{第一幕}粉工場、家族(たぶん)で粉の袋詰めをしている。笑ったり、怒ったり、酔っ払いの乱入が有ったり、なんだか喜怒哀楽の展開がめまぐるしい。
{第二幕}民家、女が他人の赤ん坊をどこかに捨てる。
{第三幕}結婚式、初め和やかな感じだったが、突然の村人の乱入…
それでも、なんとなくハッピーエンド。
前の席の背もたれに小さな表示板があり、そこに英語で台詞等が表示されるのだが、やっぱり判らず(ひょっとしてチェコ語で演ってるの?)でもこの雰囲気味わえたのだから、満足度100
ホテルに戻り、やっぱりビールを呑んで寝る。


30/SEP:晴れ(エス イスト ゾーニッヒ)

朝食:
昨日と同じく、旨いパンをいっぱい食べる。

午前中:
オペラ座〜シュテファン寺院(ケルントナー通り)をうろつく。シュテファン寺院に初めて入った。ここはモーツァルトの葬式が行われた所、(確か、コンスタンツェとの結婚式も)モーツァルトの葬式を想像したら涙が出て来た。

昼食:
オペラ座近くの「天満屋」にて寿司を食べる、勿論ビール(麒麟)も呑む。31.6ユーロ(約4,108円!)
(軍事史博物館に行ってみようかと思う)

カフェにて:
カフェ メレンゲ(ウインナコーヒー)を頼む。
私「カフェ メレンゲ ビッテ」
ウエイトレス「〜…±∞〒♀〆≧∀÷∈?」
私「?」
ウエイトレス「〜…±∞〒♀〆≧∀÷∈!」
私「?」
ウエイトレス「ミズ!」
私「ビッテ ビッテ」
ヴァッサー(水)が聞き取れなかった。初歩のドイツ語なのに、恥ずかしい!

席に着いてから思った事:
ウィーンのカフェにこのオヤジ(私)は絶対に似合わないだろうな、こーゆー所で長い足組んで新聞読んでる姿が似合うのがいわゆる西洋人って言うやつなんだろうな(くやしいけど)。

オペラ座付近:
またまた、いつものように、国立オペラ座付近をうろつく。ビデオ撮影しているイラン人だと言うおっさんから「この建物は何だ?」と聞かれ、こんな事知らないの?とあきれ顔を造り「ダス イスト オーパハウス、シュターツオーパ」このおっさん、ドイツ語判らないらしくキョトンとした顔になる。

ケルントナー通り:
ベンチに座り、一服、まるで森の中に居るような鳥の鳴き声が聞こえる。「こんな都会で?」と不思議に思い、あたりを見渡すと鳥の物まねをやっている大道芸人だった。江戸家猫八がここにもいる。
「軍事史博物館Heeresgeschichtliches」この発音が知りたく、右隣の女性に声を掛ける。
私「ズィント ズィー ウーストライヒェリン?」
女性「ナイン イッヒ ビン アウスレンダー」
どうしても声を掛けるのは女性になってしまうが、外国人じゃしょうがない(でもドイツ語話してるな?まーいいか?)
左隣の若い男に聞く。「ズィント ズィー ウーストライヒャー?」
男「ヤー!」
私「ヴァズ リーゼン ダス?」
男「ヒアレスゲシーヒテリーヒェス」非常に早口(まぁ、これが標準なのかも知れないが)
私「ビッテ シュプレッヘ ラングザーム」
男「ヒ ア レ ス ゲ シ − ヒ テ リ − ヒ ェ ス」やっとノートに書き取る。
私「ダンケ!」
ここの人達は結構親切なドイツ語の先生になってくれる。有り難や、有り難や。

30/SEPの続き

タクシーにて「軍事史博物館」へ

軍事史博物館:
刀、槍、火縄銃、ピストル、戦闘機、潜水艦の一部、、大砲、砲弾、軍服、勲章、高射砲、鎧、ジープ、庭には戦車等あらゆる兵器が歴史順に並ぶ、ドデカイ建物。軍事ものに興味が有り、最初の頃は面白く見ていたのだが、過去の日本もそうだけど、人間って、こんな物使って人を殺し、自分(の国)の主張を通してきたんだな、と思っているうち、段々怖くなってきた。(怨念で鎧が動き出しそうに感じた)
この辺り、40才代の文章としては、かなり幼稚な表現になってしまい、非常に恥ずかしいのだが、結論として「戦争はいけません」と言いたいのである。
博物館からホテルに戻り、ビール1.5L呑みヒルネ。

ムジークフェライン:
ここは有名な、ウィーンフィルニューイヤーコンサートの会場。初めて入った感激に、一人悶える。自分の席を捜す。(ここかな?)隣の女性にチケットを見せながら席を指差し「イスト ダス マイネ プラッツ?」
女性「ナイン≧※∞÷±レヒツ」→お前の席は会場の右側だ。
私「ダンケ レヒツ(右) リンクス(左)レヒツ リンクス」→交互に手を上げ、理解した事を体で示す、立派な「ニッポン バカオヤジ」になる。
席は前から3番目、音が頭上を飛んで行く。響きは、国立オペラ同様、最近のコンサートホールのほうが良いかも?という感じ。新作のチェロコンチェルトはとても退屈。次のショスタコの8番を聴く気が無くなり、帰る。まぁ、明日もここにくるから、いいや。(曲も同じだろうから)
ところで、昨日の国立オペラ座で見た「あの男」をまた発見!ステージの団員と話をしている。いったい何者なのだろう?
ホテルに戻り、またまたまたまたビールを呑み、寝る。明日もまた、面白い一日でありますように、グーテ ナフト。


1/OKT:朝、晴れだけど寒い

午前中:
いつもの朝食の後、明日(2/OKT)のザルツブルグ一日観光の申し込みに「みゅー」へ。

シューベルト生家へ:
タクシーの運転手にシューベルト生家まで頼んだが、「判らない」と言う返事。(この場合、私のドイツ語が通じなかった訳では無い)地図を見せながら説明したのだが、無駄。結局、フォルクスオーパの近くだからそこから歩く事にした。やたらと喋りまくる運転手「あれが国会議事堂」、「ここがナントカ宮殿」五月蝿いが大袈裟に感謝する。
確かにタクシー運転手が「判らない」だけあって、捜すのに苦労した。やっと見つける。言われなければそれと判らない位の佇まい。中は色々な絵、楽譜(野バラ、冬の旅だけは判る)、ギター、クラビーア、それと、さすがシューベルト、あのトレードマークの眼鏡が展示してあった。

シューベルトについての私見:
とにかく世の中で一番綺麗で美しい曲を書いた人。映画「未完成交響楽」での1シーン。シューベルトと町の娘の会話。遠くのほうの井戸の周りで女達が歌いながら洗濯をしている。
シューベルト「あれは僕が書いた歌だ」
娘「じゃあ、あなたは、お金持ちじゃない、今ウィーンで一番流行っている曲よ」
シューベルト「僕の歌は簡単すぎて、誰でも聴いて覚えられる。楽譜が売れないんだ」

昼食:
また「天満屋」にて寿司とビール。
昼食後、これまたまたまたオペラ座近辺をうろつき、お土産を捜す。どうしても無難なキーホルダーになる。
ホテルに明日のザルツブルグ一日観光の案内と切符のFAXが届いていた(FAXの切符なんて本当に通用するのだろうか?)部屋に戻り軽くビール、ヒルネする。今夜もムジークフェラインのコンサートに行く。
ちょっとヒルネのつもりが、20:00まで寝てしまった、大失敗。ムジークフェラインのコンサートに行けなくなる。でも、まぁ昨日と同じ曲なのだからと、諦めがつく。さぁ明日はザルツブルグ観光だ。

2/OKT:晴れ ザルツブルグ一日観光

朝:
朝食の後、タクシーにてウィーン西駅へ。
ウィーン西駅7:30発チューリッヒ行きOEC160(通称マリア テレージア号)にてザルツブルグへ。ヨーロッパの列車に乗るのも、今回が初めて。「世界の車窓から」の雰囲気になる。
ザルツブルグ着10:27の予定。気にしていたFAX切符も無事通過。
ザルツブルグ着「Mr. OBATA」の看板持った人(オーストリア人?)がホームで待っていた。今日の客は、私一人だけ、との事、日本人団体ワイガヤ観光の期待を裏切られる。
指定のレストランにて昼食、予定では、1214時ザルツブルグ市内観光。
14時〜ザルツカンマーグート観光。
食事が終わり、一服している所に日本人男性(観光ガイド)現れる、久々に日本語の会話。

ザルツブルグ市内観光:
ザルツブルグのザルツとは塩の事、その名の通り、中世時代貴重な塩(単なる調味料では無く、食品の保存に使用)の産地として大儲けした町。モーツァルト生家、カラヤン生家、ドップラー生家、ホーエンザルツブルグ城、カラヤンが晩年過ごした家、ミラベル宮殿、ザルツブルグ祝祭劇場、等を見学。
ザルツブルグの、とある一角。
カラヤン
生家
ドップラー
生家
モーツァルトが
17歳の頃
住んでいた家
世界的超有名人(年代は違うけど)が隣近所…
ガイド「たまに外人のガイドもするんですが、やはり英語での希望が多いんです。せっかく覚えたドイツ語を忘れそうです。」
私「私も、今ドイツ語を習ってるんですけどね。」
ガイド「どこで習っているんですか?」
こっちに永く住んでいる人だと思ったので私は、こんな回答をした。
私「あのぅNOVAって御存知ですか?」
ガイド「私もNOVAで習いました!新宿校で220レッスン、レベル5まで行きました。」
との事、世の中狭い。

音楽の話になる。
ガイド「宮城だと仙台フィルですよね?」
私「はい。」
ガイド「トロンボーンの矢崎さんと、知り合いです。」

ガイドの高森さんの事:
観光ガイドは、アルバイトで実はモーツァルトアカデミーでトロンボーンを勉強(留学)している、読売交響楽団のトロンボーン奏者だった。

2/OKT:続き

ザルツカンマーグート観光:
ザルツカンマーグートとは「ハプスブルグ家のザルツブルグの所有地」の事。とても景色の良い所だ、私のへたな文章では書き表せない。ヴォルフガング湖の遊覧船に乗り、ビールを呑む、暑い、Tシャツ1枚になる。山々に点在するプチホテル、皆綺麗、絵になってる。笹かまぼこ、福助足袋、酒の大七なんていう看板も無い(当たり前か?)決めた、新婚旅行は絶対ここだ!場所を決めたら後は相手を捜すだけ…
船を下り、お土産屋にてキーホルダー購入、自分用にはモーツァルトのレリーフ(10ユーロ)、下船後、車に乗り、ザルツブルグ駅へ。18:10発の列車に乗る。

車中にて:
切符の検査有り。例のFAX切符を見せる(行きの際、何も問題無かったので余裕顔)。怖そうな顔した車掌が、切符と電卓のデッカイやつ(検査用のバーコード読取機?)を交互に眺めている。すると
車掌「シュプレッヘン ズィー ドイチュ?」
私「アイン ビッシェン」JRキセル常習者名簿がこんな遠い国まで廻っているのだろうか?
車掌「エングリッシュ?」
私「ナイン!」
車掌「ヴィー ハイセン ズィー?」
私「イッヒ ハイセ オバタ」
車掌「α〜∀〒∞∈≧÷γφ#‘=$%&(データではあんたの名前はAAAになっている。カイン プロブレム ハハハハ)」
これで一件落着!
6人用のコンパートメントに一人で座っていた所、
おばちゃん「イスト ヒア ノッホ フライ?」
私「ヤー ビッテ!」
おばちゃん二人が乗ってきた。この二人の会話は全く理解出来ず。宇宙人の会話に聞こえる。ドイツ語である事は判る。
無事、ウィーン西駅に着く、タクシーにてホテルへ戻る、ビールを呑んで寝る。


3/OKT:朝、あとから晴れそうなくもり

いつもの朝食の後、行動開始!
またまたまたまたオペラ座〜シュテファン寺院あたりをうろつく。この辺は私の庭の感覚になってる。

2回目のフィガロハウス(モーツァルトがフィガロの結婚を作曲した頃住んでいた家)見学。前回の見学と同様、未完の「レクイエム(モーツァルト最後の作品)」最後の6小節の自筆楽譜を見て感動(感涙)する。

オペラ座の売店でシュターツオーパーロゴ入りのキーホルダーとネクタイを発見。自分のお土産用に購入。

徒歩にて、「古楽器博物館」へ。やはりこの辺の博物館の広さ、展示品の数の多さは半端ではない。感心する。弾いてみたいヴァイオリンが一杯。(見事かっぱらって日本に持ち帰る手は無いものかと本気で考える)軍事史博物館の恐怖感とは違い、こちらは楽器を見るたびに色々なメロディーが頭に中に流れ、心地よい。やっぱり音楽は良い。

昼食はまたまた天満屋にて寿司とビール。
タクシーでホテルに戻る。運転手との会話。
運転手「今日はいい天気だな」
私「本当にいいに天気だ エス イスト ゾーニッヒ」
運転手「仕事は何してる?」
私「会社員だ イッヒ ビン アンゲシュテルター フォン ベルーフ」
運転手「何やってる?」
私「ホンダ オートバイのキャブレター設計だフェアガーザー デザイン フュア ホンダ モトラット」
運転手「ホンダはいい。俺の息子が乗っている。給料はいくら貰ってる?」
私「有難う%#`*+=くらいだ ウンゲフェア フィアフンダルトタオゼント」
運転手「何?そんなに貰っているのか!」
私「ごめん、ごめん円だった。∀∞∈ユーロ位だ」
運転手「日本にエンジニアは何人いる?」
私「そんな事知るか イッヒ ヴァイス ニヒト」

ホテルに戻り、ビール呑んでヒルネ。

17:30フォルクスオーパーへの支度始める。

フォルクスオーパまでのタクシー運転手との会話。
運転手「フォルクスオーパに何しに行くんだ?歌うのか?」
私「(まさか!)聴きに行くだけだ」
運転手「フォルクスオーパはオペラじゃない、シュターツオーパが本物だ」
(気になる)

3/OKT:夜、雨

フォルクスオーパにて:
J.シュトラウス作曲オペレッタ「こうもり」。
席は二階のロイヤルボックス、「やった」とその時思ったが、こういう席は斜め下に首を向ける為、疲れる事がわかる。ホールの残響は、やはり今時のホールのほうが良いと感じた。思っていたより、弦が下手。
内容は喜劇オペラ(誰でも好きな男と女の話)、ある女中の所に、舞踏会の招待状が届く。飛び上がって喜ぶが休みが取れず、ご主人に「病気になった伯母様の見舞いに行く」という嘘をついた所から物語が始まる。歌うシーンがずっと続く訳では無く、台詞で笑わせる箇所が一杯出てくるのだが、ドイツ語能力不足により、何言ってるか全然判らず。「ディー アルメ タンテ」(可哀想な伯母様)だけは判った。中には笑いころげている奴もいる。隣のアメリカ人?も私と同じなのだろう、全然笑ってない。お互い様で、ザマミロである。役者の演技は面白い、笑った。
休憩時間、運動靴にスーツの日本人のおっさん発見。
終了後、タクシーにてホテルへ戻る。
今回の旅は明日が最終日。

4/OKT:最終日 雨

朝食後、荷物の纏め始める。
特に用は無いけれど出かけて、オペラ座付近をうろつく。また来るぞ!アウフ ヴィーダーゼーン!リーベス ヴィーン
部屋に戻り、荷造り。
フロントにて電話、及び、ミニバー(冷蔵庫)の精算。
約束通り11:45旅行会社のおばちゃん現れる。
車で飛行場へ。旅行会社のおばちゃんに礼を言って別れる。
定刻通り14:45飛行機飛ぶ、日本時間に合わせ、時計を7時間進める。
前の席の背もたれ部に小型テレビが有り、NHKのニュースを映している。久しぶりに内容の判るニュース、感激する。
隣は「コンニチワ」と言って来たオーストリア人?男性。異常に足が長い人で、膝が前の席の背もたれに当りかなり窮屈そう。生まれて初めて、足の短さの優越感にひたる。機内食に「日清チキンラーメン」が出たのだが、この人、お湯を入れてすぐに食べようとしていた。隣の親切な日本人(私の事)が食べ方を教える。
私:フタを被せるポーズも交え「ビッテ ドライミヌーテン バルテン」
そうこうしているうち、飛行機は千葉上空へ。


5/OKT:帰国

空港で千葉に住む弟一家の出迎え、久しぶりに見る甥たち。
上野駅まで、送ってもらう、甥達にはかねて用意の箱がヴァイオリンの形をした。モーツァルトチョコをあげる。
上野発「はやて」11号にて仙台へ。12:37仙台着。
在来線ホームでの「わかめ蕎麦」に感激。
塩釜駅よりタクシーにて自宅に戻る、猫ちゃん、母、智香に「ただいま」をする。ウィーンだザルツブルグだ!なんて言っても、やっぱり我が家が一番ってなおかしな感覚になる。私は、独身のマイホーム主義者なのです。
これで、この旅行記はおしまい。
W.A.MOZART

あれこれ考えた事、他。

{中国人の団体が多い}
中国のちょっとした金持ちが、やっと団体で海外、じゃないか、外国旅行が、出来るようになったらしい(中国繁栄の享受者たち)、顔だけ見ると日本の団体と見分け辛いのだが、中国人の特徴として、サングラスのタグ、及び、レンズに貼ってあるシールを剥さずに買った状態のまま使用している。これは以前、椎名誠の本で読んだ事なのだが、本当だった。「我々も中国語ができないと、そのうちクビですよ」とはザルツブルグの高森さんの談。

{甘ったるい香水}
この国の男女ともそうなのだけれど、やたらと甘い匂いの香水を着けている。一緒にエレベーターなんかに乗ると最悪、酒くさいおっさんより、ましかな?コンサート会場もこの匂いでプンプンになる、おまけに休憩時、ワインと軽食なんて習慣が有るので、会場は、もう全体が甘い匂いでブワーーーンなので有る。

{国辱的CF}   
TVの内容はさっぱり判らなかったが、面白いCFが有った。若い男の頭に、フケがいっぱい、このフケ、消防の放水にも飛行機のプロペラ風でも落ちない。そこで、このシャンプーでこの通り、落ちますよってなCFなんだけど、この男、どう見ても「日本人」なんだよねー。

{ドイツ語の数の数え方}
1〜20までは、英語とそんなに変わらないのだが、21を越えると事態が変わる。21を直訳すると「1と20」と言う。365だったら「30560」になる。そんな事はドイツ語の初歩の初歩で、判っていたのだが、ホテルで精算の際「ドライ ウント アフツィッヒ(3と80)」と言われ、38ユーロのつもりで、20ユーロ札2枚出したら、笑われた、83ユーロだったのだ。恥ずかしい。

{ウィーンってドイツにあるの?}
やたらとドイツ語の話をしたが、ウィーン、ザルツブルグはオーストリア共和国の都市。でもってオーストリアの公用語がドイツ語。だからウィーン訛りなんていうのも有るらしい。ドイツ語の標準語はベルリンかと思っていたが、実はハノーファなのです。

{ドアの開け閉めにおけるマナー}
うっかり指なんか挟まれようなものなら、骨折。、又は奴らの高い鼻が真っ二つになりそうな、重厚な造りのドアが多いからか、特にコンサート会場のように、ゾロゾロ人が通る所では、老若男女問わず、後ろの人の為に、前の人はドアを開けて待っている。その際「ビッテ」「ダンケ」の言葉が交わされる。良い習慣だと思う、後ろを見ずに、引き戸を「バタン!」なんてやっているバカ共よ!是非、見習って欲しい。

あれこれ考えた事、他。続き

{環境優先国}
ホテルではシーツ、枕カバー、バスタオル、足マット等は頼まないと洗濯してくれない。洗濯すれば、それだけ水を汚すからと言う配慮。ドイツもそうだった、さすが環境先進国!

{オーストリア人のほうが美人?}
こんな文章、ドイツ女性が読むはず無いから、思いきって書いてしまうが、同じドイツ語圏だけど、ウィーン(オーストリア)は美人が多い。

{残念…}
せっかくウィーンに来たのに大好きなモーツァルトの曲をただの1小節も聴けなかった。この次は、愛する女性と一緒に「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」なんか聴きたいな。

{写真が無い}
「思い出は心の中で充分さぁベイビィー」なんてキザな台詞をはき、カメラを持って行かなかったせいで、今回、写真が一枚も無い、無いと言ったら無い。今になって「フゥー我が夢の街ウィーーーーーン」なんてホザキながら、ビールのお供に写真を眺めたくなった。この次は愛する女性と一緒に、カメラを持って行こう!

{駅中のコンビニエンス ストアにて}
11時までやっているコンビニがホテル近くにあって、よくビールを買ったのだが、ある日、11時5分前に店に行ったらドアが開かない、ガラス超しに中の店員に向かって「ニヒト エルフ ウアー」まだ11時じゃない!と時計を見せながら叫んだ所、「*+=〜%#<…±∈≧」←俺の仕事が11時までだ、という答えが返ってきた。うーーーーーん。

まだまだ、書きたい事は有るのだが、キリが無いのでこの辺で終わり。