ブルックナーのたのしみ

Tb・T.K.(96・10・15掲載)


 小粋なエッセイをと頼まれたのが去年の暮れか今年の初めだったのですが、余裕がなかったのと「小粋な」が妙にひっかかってどうしても書けなくなってしまいました。すっかり忘れていたところ、「そろそろ書けましたか?」という有り難い催促をいただき、なんとか書いてみることにしました。もうすぐ定期も終わるし、ブルックナーをやるチャンスも当分こないしね。

*出会い
 大学のとき入っていたオーケストラで、毎週水曜日に金管合奏といってブラスアンサンブルの日があったんですが、そのときオーケストラスタディとしてやった曲の一つが今やっているロマンティックの第一楽章でした。やらせたのはもちろん、当時神様のように崇拝されていた臼井さん(いわゆる臼井昭雄氏)で、後輩に振らせて、自分は吹いていたような気がします。それまでも名前は知っていたし、何度か聞いたことはあったけど、こんな音楽なんだと意識したのはそのときが最初だったと思います。一年生だった私は先輩たちがやるのをぽかんと眺めていただけだけれども、305あたりからの壮大なコラールは幼心(ちなみにそのとき、私は二十歳)にも鮮烈だったような気がします。今考えると。


*第七交響曲・O町さんよありがとう!?
 時は流れ、私はなんとか大学院にもぐりこみ、オーケストラ5年目になっていました。それまでも選曲に関わる立場にはいたけれど、なにしろほとんど病気みたいな保守的体質の東北大オケのこと、その当時(結構最近なんだけど)ブルックナーがやりたいなどと言おうものなら正気扱いされないようなところです。(大昔四番やったことはあるらしいんだけどね)。実際その一年前には委員長(ちなみに元団員の伊藤寛明氏)の希望した「ブルしち」が、終わってみればなぜか「ブラいち」に化けていたというような事が平気で起こる環境でありました。あきらめかけていたところに舞い込んだ一通の葉書。「今度ブルックナーの八番でもやりませんか・・・・O町Y一郎」 意外にも無関心なコンマス。それから私は走りまわりました。現役・OB問わずオケの要(注意?)人と手当たり次第仲よーくコミュニケーションして、決めた曲が、一ひいて七番。会議の前に会議をやって・・・。そんな現在当たり前に使っている“楽しく教員するための知恵”も思えばあの時覚えたんだったかな。
 あの時は悩んだあげく七番にしたんだけれども、八番にしとけば良かったかなと今でも時々思います。それほどまでに好きな八番。ところで、O町さんの練習ってのが、それまでもその後も見たことも無いほど大雑把、失敬、おおらかなもので、そうだ、前にショスタコやった先生みたいなノリだったかな。例えば、三楽章はスケルツォ〜トリオ〜スケルツォで本当は終わるんですけど、終わらずにまたトリオみたいな、無限ループのような通し練習をひたすら繰り返しては、毎回上機嫌で帰っていきました。「すごいなあ。オペラばっかりやるとああいう感覚になるのかなあ?」相手が有名人なので、これはなにかあるに違いないと無理やり納得する私。しかし、「何か」はいつまでたっても起こらなかった。でも、そういえば本番で、未熟者の私には、先生の棒がどうしても一拍足りないように見えて落っこちたところがあったんだけれど、「何か」はあれだったか。
 そういえばあの時、OBになって久しい熊谷さん(熊谷仁氏)に無理やりお願いして、ワセオケから借りたワーグナーチューバを吹いてもらったんでしたね。どうもありがとうございました。
 ともあれ、当時仙台初演だった第七交響曲の演奏に参加できたことは学生時代の最も幸せな経験の一つでしたし、今のこだりにも少なからず関係しているのかなとおもいます。


*長大な緩徐楽章の快感
 ブルックナーの醍醐味と言ったらまずこれでしょう。あの同じようなことをだらだらと繰り返しながら膨らんで行く音楽の気持ち良さ。一度ハマったらやめられないこの感覚、最初に覚えたのは前記の七番のときでした。おそらく四番のよりもはるかによくできた(作品がですよ)アダージョの演奏に加わりながら、何度も考え込み(音楽が!)、躊躇しながらも、ずっと変わらぬテンポで、抗いがたい運命でもあるかのように進んで行く音楽に、形容しようのない気持ちになったことを覚えています。なにかにとりつかれた、或いはなにかに導かれた人間の底知れない力のようなものを私に感じさせるのが七 番のアダージョです。しかしもっと好きな八番のアダージョ。何か超越的な、神様に近い音楽だと言う人は多いけれど、私に言わせればこれほど人間的な音楽は他に知りません。言葉にするのもはばかられるけれど、優しさ、暖かさ、懐かしさ、憧れ、夢、情熱、慰め・・・こんな感情のすべてがつまったような音楽です。走り続けてきた人生、ふと立ち止まって、安らぎや慰め、そして再び走り出すエネルギーのほしいあなたに、ブルックナーのアダージョをすすめます。

*宇野功芳とブルックナー
 実は私は国語の教員なのですが(知ってた?)、そのせいか、演奏のような、本来文章表現になじまないものを文章にするという行為にかなり強い興味をもっています。演奏家のほとんどは大嫌いであろう批評家諸氏の仕事振りも、したがって私には大きな楽しみの一つです。そんな批評家の中で最も目立って(はずれて?)いて、無視できない存在なのが宇野功芳さんです。あなたのもっている音楽雑誌や、CDの解説でもいいですが、妙に偉そうな文体で、ここまで書くか?みたいな大げさなこきおろしや、褒め殺しがあったら、それは間違いなく彼の文章です。たとえば「第八のCDはクナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィルが素晴らしい。いくら有名な指揮者でも、フルトヴェングラーやカラヤンのレコードからは、ブルックナーの意味は伝わってこない。普通の意味からすると、二つとも名演奏なのだが、前者はドラマティックすぎ、後者は素朴さを欠く。こうなると、ブルックナーの音楽はやたら長いだけで、いかにも退屈なものになってしまう。一般に評判のよいジュリーニもしかつめらしい。ショルティのような無機的な指揮者はなおだめだ。」とまあ、こんな感じが続きます。ようするに 彼の文章は次のような特徴を持っています。曲により、フルトヴェングラー、ワルター、シューリヒト、クレンペラー、そして何よりクナッパーツブッシュといった、往年の巨匠たちを気が狂ったように褒めること。それから、朝比奈、レーグナー、ヤルヴィのようなややマイナーどころを自分だけはわかってるみたいに妙に持ち上げること。カラヤン、小沢のようないわゆるかっこいい指揮者が嫌いなこと。etc. それだけだったら、ただのクラシックおたくのイカレたおっさんとしか思わなかったけど、彼の一番凄いところは、人のことは目茶苦茶に書いておきながら、自分でも指揮者としてオーケストラ(たいてい新星日響)を雇って(雇われて?)演奏会をやり、おまけにCDまで出してしまうということ。ちなみに彼は熱烈なブルックナー・ファンで、オケ指揮者としてのCD第一作は、他でもない「ロマンティック」でした(*1)。なんでもこれまで発売されたすべてのディスクに満足できない、そこで自分でレコーディングすることにしたという冗談のような動機で本当にやってしまうのが彼なのです。ちなみに最近、第八におけるノヴァーク版とハース版の違いを解説するために、相違箇所だけが細切れに、朝比奈(ハース)、宇野(ノヴァーク)と二つの演奏で交互に出てくるという恐ろしいCDがリリースされました(*2)。版の違いを極めたい向きにはおすすめです。
*1 4番ジャケット  
*2 8番ジャケット
アート・ユニオン ART-3009 ポニーキャニオン PCCL-00345
 音楽評論というものがもし、それを読む人に作品・演奏への興味と購買意欲を持たせることを最大の目的としているのなら、彼は間違いなく日本最高の批評家でしょう。それ程に、彼の批評は笑わせる。

*ロマンティック・好きな演奏のことなど
 実演ではこの曲確か一度しか聞いたことがありません。大学4年目の時だったかな。トレーナーとして世話になっていた先生たちが所属していた新日本フィルが仙台にきたとき、チューバの宮川先生のはからいでリハーサルを見せてもらいました。指揮者は小沢征爾。リハは見せたがらないというので客席の一番奥でこそこそ聴いてたんだけど、ロマンティックの本番の直前になぜか、その日はやらないベルクの何とかを延々と練習していました。「プロってそんなもんなんだ」とひどく感心した私。そのときサイン(小沢の!)も3枚貰って貰ったんだけれど、年齢順に臼井さん、橋本さん、菊地さん(トラでよく来る)のものになってしまいました。ちなみに私は4番め。そのときの演奏は、アバド/VPO(宇野さん確か酷評)やムーティ/BPO(宇野さん意外にも褒めている)ふうの、金管をひたすらソフトに鳴らしたスマートな、どっちかといえば「らしくない」ブルックナーだったけど、かっこいいと思ったのも確か。長田さんもあんなイメージなのかなあ。
 私はこの演奏じゃなきゃというこだわりは意外にも無いタイプなんですよ。本当に。だからいろんなのが好きなんだけれど、敢えていうなら意図的に金管を抑えたりしないのが好き。ふわっと聴かせる金管、かっこよさそうだし誰でも考えつきそうなんだけど、クナ、ヨッフム、ヴァント、朝比奈、アイヒホルン・・・・など、生涯をかけて真剣にブルックナーに取り組んできた指揮者たちは誰もそうやっていないのです。そんなところに、こだわるべき「何か」を感じます。


 ゴネていたくせに、書き始めると止まらないのが私の悪いところ。迷惑を考えて(もう遅い?)この辺で終わりにします。チャンスを下さった節子さん、jurassicさん、ありがとうございました。乱文どうか御勘弁。